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2023年5月26日 (金)

マチス展~思い出いろいろ(2)

 先の記事にあるように、ニースのマチス美術館へ訪ねたのは、2004年のことだったが、その後、思いがけず、マチスの晩年、ニースのスタジオを訪ねたに日本のカメラマンがいたことを知った。毎日新聞社のカメラマンだった阿部徹雄氏は、1952928日、そのスタジオで、すでにベッドで過ごすことも多いマチスにインタビューを行い、カメラに収めていた。阿部氏の訪欧取材旅行の折、訪ねた藤田嗣治とブラマンクの写真と併せて、子息の阿部力氏が編集・出版した渾身の写真集『1952年のマティス ヴラマンクそしてフジタ』(初版2014年、第22019年)がある。今回のマチス展でも、多くの写真パネルが展示されていたが、上記の阿部徹雄・力氏による写真集には、マチス晩年の姿と製作中の切り絵の写真が収められている。

 阿部力氏の了解を得て、写真集からスキャンした数葉を紹介しておきたいと思った。

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 第二版(2019年1月5日)の表紙

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描きかけの作品が壁面に置かれている。車椅子の後ろの鏡には、ベッド上のマチスがサングラスをかけているのが映り込んでいる

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阿部徹雄氏が、日本から持参した土産の砂鉄製の風鈴が揺れているようだ。制作意欲をにじませる表情にも見える

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上は、製作中の「デコレーションマスク」、下の左側には「ネグレス」、歌手ジョセフィン・ベーカーをモチーフにした作品という

 
 なお、カメラマンの阿部徹雄(19142007)は、1936年、毎日新聞社の前身東京日日新聞社に入社、日中戦争が激化する中、広東支局に長期間勤務後、太平洋戦争末期には海軍報道班員となったが、陸軍二等兵として召集、敗戦を迎える。戦後は、毎日新聞社傘下のタブロイド夕刊紙「サン写真新聞」の写真部長を務め、『カメラ毎日』創刊時より編集にたずさわっている。その後、造形作品を中心に、数冊の写真集、写真文集を出版している。私が氏を知ったのは、没後10年近く経った頃だった。ポトナム短歌会で師事した阿部静枝の夫、弁護士で、政治家でもあった阿部温知の甥にあたる人であることを、静枝の遠縁にあたる方からご教示いただいたのだった。

 また、阿部徹雄の作品の一部は、毎日新聞社のフォト・バンクの「阿部徹雄コレクション」(戦時下を含め約900)に収められている。

https://photobank.mainichi.co.jp/php/KK_search.php

  当ブログの以下の記事もご参照ください。
「没後50年藤田嗣治展」へ出かけました~戦争画とは何であったのか(2
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2018/09/50-6ea4.html2018920日)

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2023年5月25日 (木)

どうする!<天皇制>~イギリスの君主制が手本?

 

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5月6日「NOT MY KING」などを掲げ、
トラファルガー広場に集まった人々、多くの人が黄色いものを身に着けている。戴冠式も英国国教会の教義を守ることを宣誓する宗教的儀式であるが、全額国費でおこなわれ、約166億円と言われている。イギリスにおいても2018年の世論調査では無宗教が52%を占めているという。

 ハフポストUS版によれば、5月6日、イギリスの戴冠式当日、デモの前やデモのさなかに50人以上が逮捕された。メトロポリタン警察の関係者は「我々は、関連する法律に従い適切に取り締まる義務があります。また、抗議が犯罪に発展し、混乱を引き起こす可能性がある場合に介入する義務もあります」と主張するが、その法律というのは、戴冠式に先立つ5月3日に施行された、警察による平和的なデモの取り締まりをより強固にする「公共秩序法」だったのである。
 しかし、ロンドンのトラファルガー広場に集まった市民たちは、戴冠式反対、君主制反対のプラカードをかかげ、戴冠式が行われるバッキング宮殿へと行進した。

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バッキンガム宮殿に向かうデモ隊、大きなプラスターには「君主制反対」とあり、黄色い帽子の女性は「バッキンガム宮殿をホームレスのシェルターに」と訴えているではないか。右側の高く掲げられているプラスターの文字がはっきりしないのだが、下の方には「GENOCIDE PAST」上方には「CRUMBLING UNDEMOCRATIC HANGOVER」(反民主手的な遺物を粉砕?)と読める。写真の2枚は下記より借用
https://www.huffingtonpost.jp/entry/anti-monarchy-group-slams-coronation-arrests_jp_64584bbce4b0452cee9e9428

 

   日本での天皇代替わりの一連の儀式を思い出さないわけにはいかない。2016年8月8日の明仁天皇の生前退位表明以来、政府、皇族周辺が急にあわただしく動き出し、17年6月16日には“静かな環境の中で”議論したという「天皇退位特例法」が公布された。19年4月1日には新元号「令和」が発表された後の、出典が「万葉集」ということで、歌人まで巻き込むほどだった。19年5月1日に徳仁皇太子の新天皇即位前後の一連の儀式を経て、19年11月14・15日には「大嘗祭」が行われた。5月1日は「剣璽等承継の儀」は何やらあやしい「三種の神器」の受け渡しに始まり、即位後朝見の儀、10月に入って、即位礼正殿、三日にわたっての饗宴、11月22日祝賀御列の儀と続き、あの異様な雰囲気の中で進められる大嘗祭に至るのである。

 しかし、これらの儀式に先立つ2018年10月1日、詩人や研究者、宗教家ら13人が、これら一連の儀式が、憲法の「政教分離」「主権在民」の原則に照らして多くの問題をはらみ、これらに対する国費、税金が支出されるのは明らかに違憲と考えられるので税金の支出の差し止め請求と違憲を求める訴訟を呼びかけた。呼びかけ人の一人、関千枝子さんから、原告になってくださいとの丁寧なお手紙をいただいた。関さんとは、その数年前、市川房枝記念会での講演会を聞きに伺ったとき以来、私の方から年賀状などを差し上げる間柄であった。私たち夫婦は、訴訟委任状に納税を証明する書類、源泉徴収票のコピーを裏に貼って、提出した。2018年12月10日、原告241人と13人の代理人弁護士は、東京地裁に「即位の礼・大嘗祭等違憲差止請求」訴訟を提訴した。その後原告は最終的に318人となった。提訴当時はさまざまなメディアで報じられたので、覚えていらっしゃる方も多いだろう。その後、差止請求が分離され、最高裁でも棄却され、終結してしまったが、現在は、即位・大嘗祭違憲訴訟の「国家賠償請求」分の口頭弁論が続いており、さまざまな曲折はありながら、2023年5月31日に第15回口頭弁論、6月21日に第16回口頭弁がなされる。弁護団は大部の準備書面を提出しているにもかかわらず、被告側の国の代理人弁護士は何もしない、何も言わない、という不誠実な対応が続いているという。東京地裁の裁判官は、原告の証人尋問は認めても、研究者らの証人尋問は「陳述書」で足りるとして、直接口頭での証言は必要ないという姿勢をとっているのが現況である。

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下記の「即位・大嘗祭違憲訴訟の会NEWS」の最新号と一緒に届いたリーフレットである

 

 なお、この代替わりの儀式に、いったいどれほどの国費が費やされたかというと、以下の表がわかりやすい

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『東京新聞』の調査による。記事本文「皇位継承式典関係費133億円、当初予算より支出27億円減、18~20年度、概要などの公表なく」(2021年7月15日)。たしかに、2018年12月皇位継承式典事務局作成の「皇位継承式典関係(一般会計)予算額(案)」によれば、160億8500万であり、その詳細も分かる。なお、この「予算額(案)」では、昭和から平成の代替わりの折の予算額とも比較できる。
https://www.kantei.go.jp/jp/content/yosangakuan31_ichiran.pdf

 

   裁判の進行は、「即位・大嘗祭違憲訴訟の会NEWS」01号(2019年1月25日)から17号(2023年5月9日)によって知ることができるのだが、コロナ禍とも重なり、いまだ傍聴には出かけていない原告で、申し訳ない気持ちでいっぱいである。

 原告になってと誘ってくださった関千枝子さんは、2021年2月に逝去された。「後期高齢者、人生最後の闘いになるかもしれません」などとお手紙にあったが、裁判所へ出かければお目にかかれるものと思っていながら、私の怠慢が悔やまれるのであった。

 

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2023年5月17日 (水)

マイナカードのトラブル続出、見事なまでの?タライ回し

 

 役所のタライ回しがいくらお手のものといっても、マイナカードのトラブルは、いったい、誰が責任を取るのだろう。マイナカード申請促進の洪水のようなあの新聞全面広告には、たしかに、総務省、デジタル庁、厚生労働省の文字が連なっていた。

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2023年5月15日『東京新聞』より。

 マイナ保険証では別人の個人情報が紐づけされたり、病院などの窓口では一体化したはずのマイナ保険証が用をなさなかったりとしたトラブルが明らかになってきた。
 5月12日、厚生労働省の調査で、「マイナ保険証」をめぐり、医療保険を運営する健康保険組合などによる誤登録が2021年10月から22年11月末までに全国で約7300件あったことが分かった。加藤厚労相は、健康保険組合などによる入力ミスが原因だとし、関係機関にチェックをするように求めたという。

 また、先月来、コンビニでのマイナカードによる住民票や証明書の誤発行などのトラブルが続いたが、河野デジタル相は、5月9日の閣議後記者会見で、システムを提供する「富士通Japan」に一時停止と再点検を要請し、今後については自治体と富士通Japanと調整していただく、と語っていた。

 あの“居眠りしてなかった”松本総務相も、5月16日、他人事のように、「厚生労働省が関係する機関が連携してシステム開発や運用において万全を期しているところでございます」との発言である。

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2023年5月15日、フジテレビ「めざまし8」より。

 いったい、どこに、だれに責任があるというのだろう。いうなれば、富士通の子会社の富士通Japanに、その下請けの、また下請けの人たちの責任かのような。そして、セキュリティの安全性を強調したところで、組織からの情報の大量漏えいは、日常茶飯だし、再委託、再下請けにより、個人情報は限りなく、多くの人の手に渡るわけで、いくら丁寧に説明を尽くされても、納得できるものではない。

 さらに、マイナカードは、社会保障、税、災害対策における事務の効率化を図り、国民へのサービス向上を図るためと喧伝されて、法制化している。にもかかわらず、いま、政府が躍起になっているのは、マイナカード取得によるポイント付与による取得促進であったし、現在は、本来の「社会保障、税、災害対策」はどこへやら、健康保険証との一体化という、法律上、マイナカード利用も可とする100項目もある別表の一つをもって、マイナカード取得の義務化に躍起になっているのが現状である。そもそも、さまざまなリスクが伴うマイナカード取得は、当然のことながら、法律上自由なのである。

 「新しいシステムは問題が必ず生じる。新しいものの不安感が強いから(問題が)出るとクローズアップされるが、紙のカルテでも問題は山ほどあった」「デジタルの問題ばかりを指摘せず、前に進めていく必要性」などと、おおざっぱな無責任な発言をするコメンテイターもいる中で(橋本徹「めざまし8」2023年5月16日)、国は国民を決して守ってはくれない、自分で守るしかないのか、の思いしきり。

 

 

 

 

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2023年5月14日 (日)

マチス展へ~思い出いろいろ・・・

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  私には、なんとなく、なつかしくも、親しくもあるマチス、5月11日、都美術館開催中の「マティス展 The Parth to Color」に出かけた。予約制なので、並ぶこともなかったが、やはり、かなりの入場者ではあった。上記のチラシの眠る女性の絵には見覚えがあったので、手元のファイルを繰っていたら、1996年の「身体と表現1920ー1980 ポンピドゥーセンター所蔵作品」(国立近代美術館)のチラシにもあった「夢」(1935年)と題する作品だった。          

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 そして、2004 年秋のマチス展(国立西洋美術館)、この年は、やたらと忙しがっていた時期で、11月22日の日記では、「マチス展時間切れ、残念」との記述があって、出かけてはいない。ただ、記念のパスネットが残っていた。栞の2点はどこで入手したものかは分からないが、どちらも有名な切り絵のようである。

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パスネットの絵は「夢」(1940年)、中央はジャズシリーズの「イカロス」(1947年)、 左は「アンフォロとザクロの女」(1953年)。アンフォロとは、柄のついた深い壺のことを言うらしい。

 

 今回のマチス展は、つぎのような時系列の構成になっていて、とくに、私には苦手な彫刻の作品も多く展示されていたのも特徴だろうか。鑑賞の仕方がわかるといいのだが、多くは素通りしてしまった。

1. フォーヴィスムに向かって 1895─1909
2. ラディカルな探求の時代 1914─18
3. 並行する探求―彫刻と絵画 1913─30
4. 人物と室内 1918─29
5. 広がりと実験 1930─37
6. ニースからヴァンスへ 1938─48
7. 切り紙絵と最晩年の作品 1931─54
8. ヴァンス・ロザリオ礼拝堂 1948─51

 私が、気になったのは、第一次世界大戦期に重なる「ラディカルな探求の時代」のつぎのような作品だった。

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左「コリウーのフランス窓」(1914年)右「窓辺のヴァイオリン奏者」(1918年)。コリウールはスペイン国境に近い地中海に面した小さな港町で、マチスやピカソをはじめ多くの芸術家たちが愛した、美しい村というが、この黒い外の光景は、何を意味しているのだろうか。ヴァイオリン奏者のモデルは、息子のピエールかとも解説にあったが、誰とも分からない存在を強調しながら、窓の外には白い雲が立ちのぼっているのは、「コリウールのフランス窓」とは対照的だが、決して晴れてはいないことにも注目した次第。

 晩年の切り絵については、ニースのマチス美術館を訪れたときのことを思い出す。2004年9月末からのフランス旅行の折、アヴィニヨンに4泊して、エクサンプロバンスからの「セザンヌの旅」ツアーに参加したりしたが、大した前準備もなく、ニースへ、そしてマチス美術館にも行ってみたいと思い立ち、日帰りを強行した。ヴァカンスの季節はとうに終わったニースの街と海、バスでマチス美術館近くに下車したつもりだったが、なかなか見つからなかった。まさか、古代ローマの遺跡に隣接していようとは思っても見なかったのである。

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2005年10月1日、たどり着いたマチス美術館

 

 マチスは、金魚の絵を多く描いているようで、2005年秋の「プーシキン美術館展」(都立美術館)に出かけた折の「金魚」(1912年)の絵葉書が残っていたが、今回のマチス展では、「金魚鉢のある室内」(1914年)を見ることができた。1912年の作品はとてつもなく明るいのだが、1914年の作品には、シテ島近くのサン・ミッシェル河岸の住まいの窓から見下ろすサン・ミッシェル橋も描かれているが、全体的にブルーの暗い色調である。また、近くのノートルダム寺院も様々に描いているが、炎上を知ったら、何を思っただろうか。

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左「金魚」(1912年)プーシキン美術館蔵。 右「金魚鉢のある室内」(1914年)ポンピドゥーセンター国立近代美術館蔵

*日本語の表示は「マティス」が適切なのかもしれないが、私は、「マチス」として親しんできたので、そちらで統一した。

 

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2023年5月 6日 (土)

「俺たちに明日はない」を観ていた頃

 前回の菅沼さんの記事で紹介された、フェイ・ダナウェイの主演映画「俺たちに明日はない」を私が観たのは、封切りから数年後の1974年だったことが、当時の手帳でわかった。また、手帳のメモによれば、この年、つぎのような映画を見ていた。記録が雑で不明なものが多いのだが、見落としもあるかもしれない。ほとんどがテレビか、名画座で観ていたのではないか。本数は前年に比べてめっきり減っている。 

<1974年に観た映画>
(カッコ内は日本封切り年、不明な場合は制昨年を示す。監督/主演の順で示した)

イージーライダー1970
デニス・ホッパー/ピーター・フォンダ、デニス・ホッパー

マンハッタン物語1963
ロバート・ユリガン/ナタリー・ウッド、ステイーブ・マックイーン

俺たちに明日はない1967
アーサー・ペン/フェイ・ダナウェイ、ウオーレン・ベティ

危険な関係1961
ロジェ・バディム/ジェラール・フィリップ、ジャンヌ・モロー

わが愛モスクワ1974
吉田憲二、アレクサンドル・ミッタ/栗原小巻

青春の蹉跌1974
神代辰巳/萩原健一、桃井かおり、檀ふみ

モノローグ1973製作、ソ連映画祭)
イリヤ・アベルバフ/ミハイル・グルズスキー

  仕事も分かりかけてきたし、職場の書道部の活動も楽しかった時期である。短歌の方では「昭和発禁歌集の周辺―もう一つの昭和史」という論稿を、角川『短歌』(1974年11月)に掲載された年でもあった。今では考えられない、3段組で本文16頁と3頁の発禁歌集・歌書、雑誌目録、あわせて19頁が一気に掲載されていた。篠弘さんの力添えがあってのことだと思う。また、1974年8月に亡くなった、私の短歌の師でもあった阿部静枝の『ポトナム』追悼号(1975年2月)の年譜・著作目録・解題など、『ポトナム』の先輩と担当し、その資料収集にも忙しかった。同時に、職場の先輩に声をかけられ、『辞典の辞典』(稲村徹元・佃実夫編 1975年 文和書房)の執筆打ち合わせも始まっていた。佃さんは、公共図書館勤務の経験もあり、「わがモラエス伝」などの作品がある作家で、その誠実さと資料への向き合い方を教えられたが、1979年に、50代で亡くなられた。 

 ちなみに、前年1973年に見た映画も記録にとどめておきたい。1950年、60年代の映画記録と比べると、本数は激減、日本映画はほとんど見当たらない。「封切り」も少ないのだが、アラン・ドロンの「高校教師」だけは、旅先の京都のスカラ座で、観ていることも、今回思い出した。映画は、一人で観るのが常だが、ソ連映画祭には、入手した入場券がもったいなくて、職場の友人を誘って出かけていた。

 プロの菅沼さんの寄稿が始まって、拙いながら、私の映画歴の一端を留めておきたくなったというわけである。 

<1973年に観た映画>
死刑台のエレベーター1958
ルイ・マル/ジャンヌ・モロー、テーリス・ロネ

獲物の分け前1967
ロジェ・バディム/ジェーン・フォンダ、ミッシェル・ピコリ

ジョニーは戦場に行った1973
ダルトン・トランボ/ティモシー・ボトムス

栗色のマッドレー1971
ロジェ・カーヌ/アラン・ドロン、ミレーユ・ダルク

戦争は終わった(1967
アラン・レネ/イブ・モンタン、イングリッド・チューリン

旅愁1950
ウィリアム・ディターレ/ジョセフ・コットン、J・フォンテイン

冬のライオン1970
アンリニー・ハーベイ/ピーター・オトゥール、キャサリン・ヘップバーン

高校教師1973
ヴァレリオ・ズルリーニー/アラン・ドロン、レア・マッセリ、ソニア・ペトロヴァ

影の軍隊1970
ジャン・ピエール・メルビル/リノ・バンチュラ、ポール・ムーリス、シモーヌ・シニョーレ

シシリアン・コネクション1972
リチャード・T・へフロン/トニー・ムサンテ、スーザン・ストラスバーグ

サンフランシスコ大空港1970
ジョン・リュウェリン・モクシー/ヴァン・ジョンソン、パーネル・ロバーツ

バターフィールド81960
ダニエル・マン/エリザベス・テイラー、ローレンス・ハーヴェイ

朝焼けは静かなれど1973、ソ連映画祭)
スガニスラフ・ロストツキー/アンドレイ・マルティノフ、イリーナ・シェフチュク

おかあさん1973、ソ連映画祭)
オレーグ・ボンダレフ/タチヤナ・ドローニナ、レオニード・ネヴェドムスキー

我が愛する大地1973、ソ連映画祭)
D・ドフスキー/記録映画

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私の雑多な映画関係のファイルの中から見つけた三点。上記はB54枚分のポスターと思いきや、裏にはぎっしりの情報、畳んであった。

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8頁のリーフレット、表紙と解説の3頁、文化放送の番組案内がなつかしい。

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  観たのは京都のスカラ座だったのだが、このチラシは、新宿スカラ座のものらしい、その表と裏。 

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2023年5月 4日 (木)

「フェイ・ダナウェイ」の思い出とともに~「菅沼正子映画招待席」再開、第2弾

 菅沼正子さんから「フェイ・ダナウェイ」が届きました。当時評判だった「俺たちに明日はない」の主演女優です。あのラストシーンは、私にとっても忘れ難いシーンの一つです。私の知らないフェイ・ダナウェイも満載です。思い出の一つと重なる映画や忘れられない感動のワンシーンがあるかもしれません。

以下をご覧ください。

「菅沼正子の映画招待席」44

フェイ・ダナウェイ ~アメリカン・ニュー・シネマの先駆けになったトップ女優~

 ダウンロード - e88f85e6b2bce6ada3e5ad90e381aee698a0e794bbe68b9be5be85e5b8ad44.pdf

前回は以下で読めます。

「菅沼正子の映画招待席」43
キャンデイス・バーゲン ~ニュー・シネマの時代では美しすぎた~

ダウンロード - suganumamasako2043.pdf

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