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2023年5月 6日 (土)

「俺たちに明日はない」を観ていた頃

 前回の菅沼さんの記事で紹介された、フェイ・ダナウェイの主演映画「俺たちに明日はない」を私が観たのは、封切りから数年後の1974年だったことが、当時の手帳でわかった。また、手帳のメモによれば、この年、つぎのような映画を見ていた。記録が雑で不明なものが多いのだが、見落としもあるかもしれない。ほとんどがテレビか、名画座で観ていたのではないか。本数は前年に比べてめっきり減っている。 

<1974年に観た映画>
(カッコ内は日本封切り年、不明な場合は制昨年を示す。監督/主演の順で示した)

イージーライダー1970
デニス・ホッパー/ピーター・フォンダ、デニス・ホッパー

マンハッタン物語1963
ロバート・ユリガン/ナタリー・ウッド、ステイーブ・マックイーン

俺たちに明日はない1967
アーサー・ペン/フェイ・ダナウェイ、ウオーレン・ベティ

危険な関係1961
ロジェ・バディム/ジェラール・フィリップ、ジャンヌ・モロー

わが愛モスクワ1974
吉田憲二、アレクサンドル・ミッタ/栗原小巻

青春の蹉跌1974
神代辰巳/萩原健一、桃井かおり、檀ふみ

モノローグ1973製作、ソ連映画祭)
イリヤ・アベルバフ/ミハイル・グルズスキー

  仕事も分かりかけてきたし、職場の書道部の活動も楽しかった時期である。短歌の方では「昭和発禁歌集の周辺―もう一つの昭和史」という論稿を、角川『短歌』(1974年11月)に掲載された年でもあった。今では考えられない、3段組で本文16頁と3頁の発禁歌集・歌書、雑誌目録、あわせて19頁が一気に掲載されていた。篠弘さんの力添えがあってのことだと思う。また、1974年8月に亡くなった、私の短歌の師でもあった阿部静枝の『ポトナム』追悼号(1975年2月)の年譜・著作目録・解題など、『ポトナム』の先輩と担当し、その資料収集にも忙しかった。同時に、職場の先輩に声をかけられ、『辞典の辞典』(稲村徹元・佃実夫編 1975年 文和書房)の執筆打ち合わせも始まっていた。佃さんは、公共図書館勤務の経験もあり、「わがモラエス伝」などの作品がある作家で、その誠実さと資料への向き合い方を教えられたが、1979年に、50代で亡くなられた。 

 ちなみに、前年1973年に見た映画も記録にとどめておきたい。1950年、60年代の映画記録と比べると、本数は激減、日本映画はほとんど見当たらない。「封切り」も少ないのだが、アラン・ドロンの「高校教師」だけは、旅先の京都のスカラ座で、観ていることも、今回思い出した。映画は、一人で観るのが常だが、ソ連映画祭には、入手した入場券がもったいなくて、職場の友人を誘って出かけていた。

 プロの菅沼さんの寄稿が始まって、拙いながら、私の映画歴の一端を留めておきたくなったというわけである。 

<1973年に観た映画>
死刑台のエレベーター1958
ルイ・マル/ジャンヌ・モロー、テーリス・ロネ

獲物の分け前1967
ロジェ・バディム/ジェーン・フォンダ、ミッシェル・ピコリ

ジョニーは戦場に行った1973
ダルトン・トランボ/ティモシー・ボトムス

栗色のマッドレー1971
ロジェ・カーヌ/アラン・ドロン、ミレーユ・ダルク

戦争は終わった(1967
アラン・レネ/イブ・モンタン、イングリッド・チューリン

旅愁1950
ウィリアム・ディターレ/ジョセフ・コットン、J・フォンテイン

冬のライオン1970
アンリニー・ハーベイ/ピーター・オトゥール、キャサリン・ヘップバーン

高校教師1973
ヴァレリオ・ズルリーニー/アラン・ドロン、レア・マッセリ、ソニア・ペトロヴァ

影の軍隊1970
ジャン・ピエール・メルビル/リノ・バンチュラ、ポール・ムーリス、シモーヌ・シニョーレ

シシリアン・コネクション1972
リチャード・T・へフロン/トニー・ムサンテ、スーザン・ストラスバーグ

サンフランシスコ大空港1970
ジョン・リュウェリン・モクシー/ヴァン・ジョンソン、パーネル・ロバーツ

バターフィールド81960
ダニエル・マン/エリザベス・テイラー、ローレンス・ハーヴェイ

朝焼けは静かなれど1973、ソ連映画祭)
スガニスラフ・ロストツキー/アンドレイ・マルティノフ、イリーナ・シェフチュク

おかあさん1973、ソ連映画祭)
オレーグ・ボンダレフ/タチヤナ・ドローニナ、レオニード・ネヴェドムスキー

我が愛する大地1973、ソ連映画祭)
D・ドフスキー/記録映画

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私の雑多な映画関係のファイルの中から見つけた三点。上記はB54枚分のポスターと思いきや、裏にはぎっしりの情報、畳んであった。

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8頁のリーフレット、表紙と解説の3頁、文化放送の番組案内がなつかしい。

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  観たのは京都のスカラ座だったのだが、このチラシは、新宿スカラ座のものらしい、その表と裏。 

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