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2023年7月29日 (土)

香川京子と吉永小百合

 きょう7月29日の『東京新聞』に香川京子(91)と吉永小百合(78)の対談が載っていた。その年齢をみて、ああ、そうだった、私もその間の年齢になっていたのである。二人がそれぞれ主演を務めた、新旧の映画「ひめゆりの塔」から話は始まっている。二人のファンというわけでもないが、二人は、戦後の日本映画史を語るには欠かせない映画女優であることは確か。とはいうものの、香川の初期の出演作品はそこそこ観てはいるものの、吉永となるとさびしい限りである。橋幸夫と歌っていた「いつでも夢を」(1962年)の二番・三番の歌詞は忘れてはいても、あのメロディーは、いまでも気づかぬうちに口ずさんでいることがある

 香川京子さん!とは、当方の勝手ながらのわずか縁があると思っている。彼女は、昔の第十高女(豊島高校)に在学していることは知られているが、私と同じ豊島区立池袋第五小学校の卒業生でもあった。現在は統合により、池袋第五小学校は廃校となり、池袋小学校と名を変えてしまった。香川が卒業したのは空襲を受ける前の立教大学の前にあった頃の池五である。その池袋第五小学校の創立35年の記念誌(1961年3月刊)は大事に残していた。その「同窓生の思い出」のコーナーでは、香川京子と並んでエッセイを書いていたのである。

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 香川京子は、末尾に「本名池辺香子」となっており、1973年には読売新聞の牧野拓司記者と結婚している。表紙のイラストは、記念誌の編集委員の一人であった乙黒久先生の作で、この記念誌の全てのカットを描かれている。先生は、新任で、私たち5・6年次の担任をされ、私たちが最初に送り出した卒業生であった。先生は、本業の傍ら画業にも励み、後、白日会の重鎮になられた。

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上記「記念誌」巻頭の新旧の池袋第五小学校の位置を示した地図。わかりづらいが右頁の中央の上下に走るのが山手線、上部には川越街道、下部に斜めに走るのが、現在のバス通り、途中で二股に分かれていて、立教通りに入る。戦前の池五は、頁の境目の最下段の白い部分、戦後の池五は頁境目の上部右側の小さな四角部分である。この地図の右下に「平和相互銀行提供」とある。「平和相互銀行」とは懐かしい。池袋駅西口東武百貨店前にあったのではないか。夜まで営業しているということで、界隈のさまざまな業者たちは便利にしていたという。その後ごたごたがあって、住友銀行に合併されたのは1980年代に入ってからである。

 吉永小百合は、現在でも大活躍の映画女優であり、社会的な活動もしているようだが、できれば、コマーシャルだけには出て欲しくないな、というのが個人的な希望である。なお、吉永の姉が、学部は違うが同じ大学に在学していて、友人から、あれが小百合の姉さんだと遠目で教えてもらったことがあった。彼女は、どうしているのかな、などとも。
 一方、香川京子は、自分がかかわった映画の資料などを大事にしていて、京橋の国立近代美術館フィルムセンター(国立映画アーカイブ)に寄贈、映画資料保存にも貢献し、展示もされているそうだ。

 二人の対談記事に触れて、思わず思い出したことどもを。

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2023年7月28日 (金)

天皇はどこへ行く、なぜインドネシアだったのか

  4月以降、メディアにおける皇室情報氾濫の予兆を、以下の当ブログ記事はつぎのような書き出しで指摘していた。その皇室情報の実例を一覧にしていたが、6月中旬の天皇夫妻のインドネシア訪問を経て、さらに拍車をかけたようである。
「新年度4月以降、宮内庁に広報室が新設されたのと、Coronaが2類から5類に移行し、感染対策の緩和がなされたことが重なり、一気に皇室報道が目立ち始めた。」

宮内庁広報室全開?!天皇家、その笑顔の先は(2023年6月12日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2023/06/post-9183da.html

   印象だけに頼っていてはいけないので、数量的に示せないものかと、思案していた。最良の方法とは思えないが、いつもの悪いクセで、天皇記事大好きな?『朝日新聞』のデジタル配信記事とNHKの配信記事との統計を取ってみたところ、当初の予想とはかなり違っていた。その概略を、以下の表にまとめた。けっこう手間ヒマかかってしまったのだが、1・2の読み違いはご容赦ください。ここから見えてくるものは何か考えてみたい。

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 ダウンロード - e59bb3e8a1a8e79a87e5aea4e68385e5a0b1.pdf

  6月に、二つのメディアにおいて天皇家の記事が突出しているのは、6月中旬に天皇夫妻がインドネシアを訪問したからであり、天皇にとっては即位後初めての外国訪問であり、皇后にとって二人揃っての外国訪問は21年ぶりのであることが喧伝された。また5月に秋篠宮家の記事がやや多めなのは、秋篠宮夫妻が英国チャールズ国王の戴冠式に参列したためである。

 なぜ、インドネシアだったのか

 政府は、天皇夫妻のインドネシア訪問を6月中旬以降に予定していると、4月6日に発表していた。6月17日から23日までのインドネシア訪問が、正式に閣議決定されたのは6月9日であった。なぜ、インドネシアなのかは、日本との外交関係樹立65周年に当たり、ASEANN友好協力50周年に当たるからというものであった。「グローバルサウス」の主要国であるインドネシアとの関係強化、中国との関係での軍事的な連携などを強めたい政府の意図は明らかであろう。経済的にも、インドネシアには、日本からは多大の投資や技術援助がなされ、自動車や電気機器の市場であり、インドネシアからは、ゴム、液化ガス、パルプ、魚介などの天然資源を輸入している上、現地の安い労働力を利用する多数の日本の工場が進出している。我が家でもインドネシア産のエビが食卓にのぼるし、メイド・イン・インドネシアの下着なども見かける。セブンイレブンなどのコンビニ、吉野家や丸亀製麺などのレストランチェーンなどの進出も著しいという。

 そんな両国の関係を十分理解した上だと思うが、天皇は訪問前の記者会見で、室町時代にゾウがやってきたことや近くはニシキゴイの交配による交流についてはともかく、都市高速鉄道や排水事業、砂防事業などへの日本の技術援助や東日本大震災時のインドネシアからの支援などによる交流を強調していた(「戦後生まれの陛下 模索の旅」『朝日新聞』6月18日、「両陛下、あすインドネシアへ」『毎日新聞』6月16日)。

 しかし、私がもっとも関心を持ったのは、太平洋戦争下の1942年から、日本が占領していた時期、現地で強制動員された“労務者”や食料の強制供出などによる犠牲者とオランダ軍の捕虜4万人、オランダ系民間人9万人の強制収容による犠牲者たちに、天皇はどう向き合うかであった。太平洋戦争にかかわる歴史を記者から問われ、つぎのように答えている。
先の大戦では世界各国で多くの尊い命が失われ、多くの方々が苦しく悲しい思いをしたことを大変痛ましく思う。インドネシアとの関係でも難しい時期があった。過去の歴史に対する理解を深め、平和を愛する心を育んでいくことが大切ではないかと思う」

 「先の大戦では世界各国で多くの尊い命が失われ」と、問題を普遍化し、インドネシアとの関係では「難しい時期があった」とさらりとかわし、「痛ましく思う」「理解を深め」「平和を愛する心を育んで」・・・と、反省もなく「未来志向」へと“安全に”着地するのである。訪問先の日程を見ても、日本の占領下から脱し、再びオランダからの独立戦争による犠牲者たち、インドネシア人とともに闘った残留日本兵たちが埋葬されている「英雄墓地」には参拝するが、日本の占領下での犠牲者たちへの慰霊の言葉もなく、姿も見えない。ここには、日本政府の強い意図が感じられ、所詮、天皇は、時の政府の見えずらい籠の中の存在でしかないのではないか。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      

上皇夫妻報道と佳子さん報道は何を意味するか

 私がこれらの作業する中で、つぎに着目したのは、上皇夫妻のメディアへの登場とその頻度であった。いまの憲法上、天皇に格別の権威があるとは認めがたいが、平成期の天皇の生前退位表明以降、退位後の旧天皇「上皇」と現天皇の二重権威への懸念が取りざたされた。それを払しょくするために、なるべくひそやかに暮らすかに思えたが、どうだろう。上記の表で、天皇・秋篠宮関連以外の皇族たちの報道の半分、朝日の18件中9件、NHKの12件中6件が、上皇夫妻の記事であった。その大半は、5月中旬の奈良・京都訪問の記事であった。7月24日から28日までの那須御用邸での静養報道に先だって、上皇夫妻は、「お忍び」で7月6日正田邸跡地の公園、19日には、東京都美術館のマチス展・東京都写真美術館の田沼武能作品展に出かけているのを、朝日は報じている。「お忍び」と言いながら。宮内庁と朝日の見識を疑ってしまう。主催者の美術館にしてみたら、これとない宣伝効果が期待されるに違いないが、利用されていて良いものか。また奈良・京都訪問も、いわば後期高齢者のセンチメンタル・ジャニーかもしれないが、出迎える側の警備や準備の負担を考えてしまう。「葵祭」の際は、街中にテントまでしつらえての見学であった。
 つぎに、全般的に、皇嗣秋篠宮関連報道に熱心なのがNHKだったと言える。次期天皇家を見据えてのことなのか、佳子さんの仕事ぶりをこまめに報じているのもNHKであった。若年層の視聴者を意識してのことなのか、とも思うが、皇室への関心がもはや薄れてしまっているなかで、どれほどの視聴効果があるのかは疑問である。

 週刊誌では、しばらく下火になったといえ、小室圭・眞子夫妻に関する記事は、いまだに続いている。ことしの3月、秋篠宮家は改修された住まいに移ったが、次女佳子さんが、仮住まいに住み続けているという別居問題がたびたび報じられ、宮内庁の対応の混乱も重なって、関連記事が増えた。朝日やNHKでも小さい記事となって報じられた。巨額を投じて改修した住まいに、自分の部屋がないから移る・移らない、工事費を節約したために生じた問題だとか、いまの若者たちの現実との乖離の大きさに気づかないのだろうか。
 なお、朝日新聞は、インドネシア訪問後の6月24日の社説で「天皇外国訪問 政府の姿勢が試される」が掲載され、「国益」を掲げて天皇や皇族を利用して疑念を持たれることのないようにという「警告」をするにとどめ、NHKは、この4か月間、社説とも言うべき「時論公論」や「視点論点」に、天皇に関する記事は見当たらなかった。

 憲法に定められた「国事行為」を超えて、「公務」をとめどなく拡大し、「私的」な活動も国費で賄われていることを知った国民は、やがて、天皇や皇室自体への疑問は増すばかりだろう。

「国民に寄り添う」の名のもとに、国民の暮らしに何ら寄与しない、いや、差別や分断の根源というべき天皇や皇室自体の存在は、今こそ問われなければならないと思う。

 なお、昨年の同じ時期、2022年4月~7月の朝日新聞の皇室情報も調べていたので参考までに。まだコロナが2類の時期であったため総数は少ない。秋篠宮家が多いのは、4月の「立皇嗣の礼」関連の記事が多かったためである。
 記事総数70+総合記事9,天皇家24件、秋篠宮家26件、他の皇族20件であった。

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2023年7月15日 (土)

健康保険証の撤廃、意地を張っているとしか思えない愚策

 もう、いいかげんに諦めて!としか言いようのない、マイナンバー制度、マイナンバーカードの普及が思わしくないからと、ポイント付与に躍起となり、挙句の果て健康保険証撤廃の方針まで打ち出した。ところが、便利、便利、メリット、メリットと歌いあげた場面で、次々に発覚した事故やトラブル、それも競わせ、急かされた自治体やその下請けの人的ミスと言い逃れ、莫大な時間と労力と予算を要する「総点検」をするという。もう、行政の効率化どころではない、個人情報の洩れる環境は途方もなく拡大することになる。

 ともかく、少なくとも健康保険証撤廃は撤回すべきである。「何事も新しいことを始めるのには、失敗やトラブルはつきものだから」と訳知り顔にコメントする、妙な肩書の識者たちもいる。

 そもそも、マイナンバー制度は、税金徴収、社会保障、災害時に役立てるという、触れ込みだった。マイナンバー制度とは、国民に有無を言わせず、個人ナンバーを付与する制度だが、マイナンバーカードの取得は任意であるのが今の法律である。現在、マイナンバー自体にヒモづけられているのが、私の場合は国民健康保険税・介護保険税・市民税が、年金から自動引き落としされて振り込まれる預貯金口座である。

 もし、マイナンバーカード取得時に、取得自体に5000円、健康保険証登録で7500円、公金受取口座登録で7500円のマイナポイントを付与され人でも、カードの返納は可能で拒まれることはない。ただ、現在、ヒモ付けを解消することはできないと称しているが、法的根拠はないはずで、あとは事務的処理の問題であろう。

 総務省の発表によれば、ことしの6月末日現在で、マイナカードの交付率は70%である。

 しかし、私が整形外科でかかっている病院で、マイナカード読み取り機の前に立つ人を見かけたことがないし、先日出かけた近くのクリニックでもカード読み取り機はあるが、利用している人は見かけない。受付の人に尋ねてみると、「そうですね、50人の患者さんがいたとして、2人くらいでしょうか」とのこと。一度利用した人も、暗証番号を入れたり、同意事項に同意したりするのが面倒で、これまで通り健康保険証を提示する人がほとんどとのこと。笛吹けど踊らず、とはこのことだろう。

 いまからでも遅くはない、カード返納をしよう。2024年秋に廃止といっている健康保険証を持ち続ける手続きをしよう。

 繰り返しになるが、外国では日本のような個人番号制度はないのである。

「マイナンバー制度」は日本だけ?!先進国の失敗になぜ学ばないのか(2015年11月25日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2015/11/post-afb2.htmll

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諸外国の個人識別番号の現況
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2023年7月14日 (金)

海外パビリオン申請ゼロ?!万博なんて前世紀の遺物

 2025年(4月13日~10月13日)の大阪万博、ピンチに直面している。開催さえ危ぶまれる事態になっているとは知らなかった。そうでしょう、「万博」なんて言う発想は、もはや、前世紀、いや19世紀のものだったのではないか。コロナ禍のさなかでも、万博のバッチを付けたままの大阪府知事の記者会見の違和感がよみがえる。

 大阪万博のテーマは「循環経済」というが、いま多くの国では自国の経済立て直しに必死で、万博の出展にまで手が回らないのではないか。第一、現代のように各業界、各分野独自の国際交流や人的交流が活発になれば、万博などの「お祭り」よりは、もっと実を取ることを考えるにちがいない。

 現時点で153の国・地域が参加を表明しているというが、そのなかで、約50のパビリオン建設が見込まれていたが、自ら費用を負担して自分たちで建設するタイプの申請が、7月12日現在、ゼロというのである。そこで登場したのが「建設代行」、日本の博覧会協会が、建設業者への発注などを代行して、建設を促そうというものである。それならば、と手を挙げる国や地域がどれほどあるのか。そして生じる様々な日本側の負担をどうするのか。課題は多い。

 万博入場基本料7500円、午後5時以降限定3700円について、政府は了承したというが、政府出展の「日本館」も入札不成立、随意契約になったというではないか。これって、汚職の温床を増やすものではないか。「東京オリンピック」のズブズブの汚職の実態が少しづつ明らかになってきたが、全貌はまだわかってはいないし、どれだけの金が動いて得をしたのは?スポーツは国単位で競うものではないのではないか。

かつての拙作ながら~

雨来たる敗戦の日にして野に立てば五輪の金も国歌もいらず(『一樹の声』2012年)

参考>
・申請ゼロの大阪万博「海外パビリオン」、万博協会が建設代行へ…参加国に提案「読売新聞オンライン」2023年7月10日
・海外パビリオン建設申請ゼロ 25年大阪万博 『毎日新聞』2023年7月14日

 

 

 

 

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2023年7月 5日 (水)

来年の「歌会始」選者は~篠弘の後任は大辻隆弘だった

7月1日、宮内庁から来年の歌会始選者の発表があった。選者の一人篠弘が昨年12月に死去したのに伴い、その後任が大辻隆弘となったのである

 従来の4人に加えて、61歳の大辻が加わったことで、少しは若返ったことにはなる。その報道記事における選者の肩書はメディアによってさまざまなのだが、共同通信の配信記事(2023年7月1日)によれば、以下のようであった。

 三枝昂之(79)=山梨県立文学館館長、日経歌壇選者▽永田和宏(76)=京大名誉教授、歌誌「塔」選者▽今野寿美(71)=現代歌人協会会員、歌誌「りとむ」同人▽内藤明(68)=早稲田大教授、歌誌「音」発行人▽大辻隆弘(62)=現代歌人協会会員、未来短歌会理事長

 他のメデイアも含めて、その肩書が、どう見てもちぐはぐなのが気になった。「現代歌人協会会員」となれば全員がそうだろうし、結社の「役職」などから言えば、 三枝は『りとむ』発行人、元日本歌人クラブ会長。永田は『塔』の元主宰であり、朝日歌壇選者。今野は『りとむ』編集人であり、三枝の妻である。大辻は、岡井隆没後2020年7月から一般社団法人未来短歌会理事長・『未来』編集発行人であり、『日本農業新聞』の歌壇選者とコラム「おはよう名歌と名句」の執筆者だったのを見かけたことがあるが、現在も続いているらしい。20年ほど前は、同じようなコラムを草野比佐男が担当していたのだが。

 私は、下記の3月の本ブログ記事で、篠弘の後任として、たぶん女性が起用されるのではないかなどと予想して、歌会始召人に招ばれたことのある栗木京子、小島ゆかりの名をあげ、男性では坂井修一などの名を挙げていたが、見事に外れたわけで、これはこれで、妙な懸念が晴れてよかったと思っている。

 『未来』の岡井を継承した編集発行人の大辻が歌会始選者になって、なんの不思議もないのだが、私には、1992年岡井隆が歌会始選者になったときの歌壇の反応を思い起すのであった。「前衛歌人が歌会始選者に」と歌壇に衝撃が走ったし、『未来』誌上でも、それをテーマに特集が組まれ、岡井隆の弁明まで掲載された。これを機に未来短歌会を離れる歌人もいたのである。私自身は、拙著『短歌と天皇制』(風媒社1988年10月)に収録したエッセイで示していたように、予想はついていたので「さもありなん」の思いであった。

 今回、『未来』はどんな反応を示すのだろうか。短歌コンクールの一つの選者就任として受け流すのか、祝意?を示すのか・・・。他の結社とて、『りとむ』『塔』『音』の三人は、選者であることを十分に「利活用」をし続けてきたように見受けられる。岡井隆、永田の妻の河野裕子、篠弘のように最晩年まで、この居場所を去らないであろう。この「国家的短歌コンクール」の状況――応募者数の低迷、応募者の高齢化は進み、宮内庁辺りは、こうした状況の打開を図りたいところと思うが、今回の選者選びには反映されず、結果的に見れば「歌壇政治」「男性社会」を象徴するような人事に思えたのである。「歌会始」は当分細々と続くだろう。

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2019年2月17日「歌壇時評」(朝日新聞)

 

以下は、上記、大辻隆弘の『朝日新聞』の歌壇時評「短歌と天皇制」(2019年2月17日)について当時評した当ブログ記事である。

「短歌と天皇制」(2月17 日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(1): 内野光子のブログ (cocolog-nifty.com) 
「その反省から出発した戦後短歌」ってホント?(2019年2月25日)

「短歌と天皇制」(2月17日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(2): 内野光子のブログ (cocolog-nifty.com)
「戦後短歌は皇室との関係を結ぶことに慎重だった」のか(2019年3月1日)

「短歌と天皇制」(2月17日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(3): 内野光子のブログ (cocolog-nifty.com)
「天皇制アレルギー」って(2019年3月5日)

「短歌と天皇制」(2月17日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(4): 内野光子のブログ (cocolog-nifty.com)
「無反応」だったのか(2019年3月5日)

 私としては、令和の天皇制の行方と、短歌にかかわるものとして「歌会始」の行方を見極めたい。宮内庁が皇室情報を発信すればするほど、天皇制自体への疑問が拡散し、「歌会始」も細るだけ細ればいいと期待しているのだが。

 

 

 

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