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2023年9月30日 (土)

「雨の神宮外苑」(NHKTV2000年制作)について書いた後、知って驚くことばかり~「わだつみ会」のこと

 戦没学生の遺稿集「きけわだつみのこえ」という書名の由来は、みずからも学徒出陣した、京都の歌人藤谷多喜男の次の一首であったという。 

・なげけるか いかれるか はたもだせるか きけはてしなきわだつみのこえ

 「学徒出陣」で戦没した学生たちの一部の遺族たちが相寄って、遺稿集『きけわだつみのこえ』(東大協同組合出版部 1949年10月)が生まれ、1950年4月、遺族たちを中心に追悼と反戦平和を目指し「日本戦没学生記念会」(わだつみ会)が発足した。「雨の神宮外苑」を見て、いくつかの記事を書いたが、その後、図書館にリクエストしていた保阪正康『『きけわだつみのこえ』の戦後史』(文芸春秋 1999年11月)が届き、「わだつみ会」の変遷を知って、驚くことがいくつもあった。この書は、保阪渾身の取材による、人物を中心とした「わだつみ会」の変遷だった。とくに、保阪は遺族から提出された遺稿の原本と出版された遺稿集との照合や証言によって、戦没学生の心情に迫ろうとしていた。前述の記事で紹介した那波泰輔論文からは計り知れない、過酷な「わだつみ会」の戦後史を知ることになった。

 以下、保阪の書により振り返ってみよう。

 遺稿集『きけわだつみのこえ』の出版を契機に、戦没学生の遺族や友人、東大生らは、兄徳郎の遺族で、東大医学生の中村克郎を中心に「わだつみ会」が結成された。『きけわだつみのこえ』は、ベストセラーにもなり、映画化もされた。そして、追悼記念碑として、本郷新による「わだつみ像」も完成したが、東大構内での設置を拒否され、1953年12月には立命館大学に引きとられた。1958年には学生運動の分裂・急進化、財政難のため解散するのだが、小田切秀雄、中村克郎、安田武らにより再建が図られ、政党(共産党)に利用されない、本来の戦没学生記念事業を軸に戦争体験の継承と戦争責任を明らかにすることを主旨とし、阿部知二理事長、山下肇事務局長による第二次わだつみ会が発足した。1960年代という政治的な季節に、戦中派、高校生をふくむ戦後世代を巻き込んだ「平和団体」であった。

  1963年に、「きけわだつみのこえ」の第二集『戦没学生の遺書にみる15年戦争―開戦・日中戦争・太平洋戦争・敗戦)』 (光文社 カッパ・ブックス) を出版、1969年、立命館大学の「わだつみ像」が全共闘系の学生に破壊されるという事件もあった。1970年、戦没学生世代が中心となり、政治運動から距離を置きつつ、平和団体、思想団体を目指そうと、中村克郎理事長、渡辺清事務局長により再編された。『戦艦武蔵の最期』『砕かれた神』などを残した渡辺事務局長のもと、「わだつみ会は遺族とともにあることを忘れてはいけない」としつつ、もっと大衆的な広がりを求めた。機関誌「わだつみのこえ」では、それまでタブー化されていた天皇制についての特集を続けた。すると、機関誌の購読者も、わだつみ会の会員も増え、サラリーマンや主婦、市民活動家などが参加したという。「昭和天皇の戦争責任を問う」ことを目指した会員が増加したという、今からは想像しがたい状況ではあったが、裏返せば、「天皇制」を語る受け皿が少なかったことを意味しているかもしれない。1981年、精力的に活動していた渡辺事務局長の急逝、その後、追悼、思想中心から政治団体化していくなかで、安田武、平井啓之らの死去により調整役を失い、それまで、献身的に、財政的にも会の活動を支えてきた中村克郎は理事長の座を追われる。

 1994年2月、関西の大学から東京に戻った山下肇の中村克郎理事長への公開質問状、後に理事長となる高橋武智による声明文、1994年4月の総会にいたるさまざまなか画策による、中村克郎への糾弾、追い出しの露骨な動きは余りにも感情的で、見苦しくも見えた。よくある組織内の乗っ取りや居場所確保の結果のように思われた。                                       

 さらに、以下の文献の著者岡田裕之は、わだつみ会の理事長も務め、2006年12月「きけわだつみのこえ記念館」新設に向けて尽力し、岩波の新版の遺稿集の修正すべき個所を詳細に明示し、岩波とわだつみ会事務局に要望する。が、事務局には容れられず、2004年には排除される経緯は以下に詳しい。会に深くかかわった者からの貴重な証言である。

岡田裕之「日本戦没学生の思想~『新版・きけわだつみのこえ』の致命的な欠陥について」(上)(下)(『法政大学大原社会問題研究所雑誌』578・579号 2007年1月・2月)
file:///C:/Users/Owner/Downloads/578okada%20(1).pdf
http://oisr-org.ws.hosei.ac.jp/images/oz/contents/579-03.pdf

 また、つぎの今西一によるインタビュー文献の最後尾第Ⅵ章「わだつみ会:運動史の断絶と継続」でも、その経緯が語られている。

占領下東大の学生運動と「わだつみ会」~岡田裕之氏に聞く⑴⑵
『商学討究』60巻2・3号~4号 2009年12月~2010年3月 
https://core.ac.uk/download/pdf/59174355.pdf
file:///C:/Users/Owner/Downloads/ER60(4)_1-45.pdf   
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  

 1994年4月、副理事長の高橋武智が理事長に就任して、山下肇事務局長のもとスタートし、1995年に『新版・きけわだつみのこえ」(岩波書店)を出版したが、中村らの「わだつみ遺族の会」は、その新版には、誤りが多く、改ざんがあるとして、わだつみ会・岩波書店を訴えたが、1999年の第8刷によって修正されとして、訴えは取り下げられている。
 その後の動きは、「きけわだつみのこえ記念館」のホームページや『記念館たより』で知ることができる。
 2005年8月、わだつみ会は特定非営利法人わだつみ記念館基金となり、永野仁理事長、山下肇が初代館長でスタートした。毎年、12月の不戦の集い、各種の展示会や講演会、朗読会、関連映画の上映などのイベント、記念館見学者のガイド、資料集出版と地道な活動を続けているように見受けられる。2008年山下が急逝すると、永野仁理事長、高橋武智館長の時代が続く。2014年以降は、岡安茂祏理事長、渡辺総子館長を経て、 2019年には渡辺総子理事長が理事長になると、上記の岡田裕之が副理事長になり、2022年からは、岡田裕之が館長に就任している。

 前述のインタビューで、岡田は、有田芳生が資料の閲覧に出かけたときの記念館執行部、渡辺総子事務局長、永野仁理事長、岡安茂祏副理事長時代の対応を紹介、批判しているが、従来からの執行部への批判、対立は解消したのだろうか。実務は学芸員や司書たちが進めているとは思うが、理事長が87歳、館長が1928年生まれなので90代半ばである。政党の介入のない、少しでも若い人によって担われ、大事な資料の保存と利用が進められることを期待したい。 

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読売新聞(2023年8月13日「家族への悲痛な思い永遠に…戦没学生の手紙や日記「わだつみのこえ」1800点をデジタル化」渡辺総子理事長(右)と岡田裕之館長(左)

 

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今も輝くスター55(3)「オーソン・ウェールズ」を公開します。

菅沼正子さんから届きました「オーソン・ウェールズ」、以下をご覧ください。
なお、左欄の「すてきなあなたへ」では、シリーズをまとめて読むことができます。

「オーソン・ウェールズ~映画史を語るにもう一人、このスターを忘れてはならない」
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内野付記)オーソン・ウェールズといえば、私にとっては「市民ケーン」と「第三の男」。敗戦直後のウィーンが舞台の「第三の男」で奏でられたチターの音色に魅せられ、何がきっかけであったか、日本チター協会の演奏会にまで出かけていた。

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2002年7月、日野原さんの講演もあった。チターは合奏よりも、一人での演奏の方がいい楽器かもしれない。 

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2002年11月末に出かけたウイーンは、たしかに二度目で、かなり寒く、新市庁舎前のクリスマス市もすでに始まっていた。ベルヴェデーレ宮殿前のクリスマス市では、連れ合いが、ビールのようにジョッキで飲んでいる地元の人たちをまねて、新酒のワインを口にしたものの、飲みきれるものではなかったらしい。ウイーンには、「第三の男」ロケ地ツアーもあるとのこと。オーソン・ウェールズとジョセフ・コットンが出会うプラター公園の観覧車は遠景としては見たものの、その後も乗る機会を逸している。

 

 

 

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2023年9月21日 (木)

歌壇におけるパワハラ、セクハラ問題について、いま一度

 2019年末から翌年に下記の当ブログ記事において、短歌結社雑誌『未来』の選者の一人のパワハラ、セクハラ問題について触れていた。そんなこともあって、短歌史や資料の件で何かとご教示いただいている中西亮太さんとのご縁で、上記パワハラ、セクハラ問題ついて、当事者の加藤治郎氏とのツイートやnoteで追及されている中島裕介さんに中西さんと二人でお話を伺う機会があった。

・歌壇、この一年を振り返る季節(2)歌人によるパワハラ?セクハラ?~見え隠れする性差(2019年12月22日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/12/post-b5862e.html

・歌壇における女性歌人の過去と現在(2020年3月 3日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2020/03/post-d8f3d9.html

  インターネット上で、加藤・中島間のやり取りを見ていると、論理的な中島さんに感情的に答える場面も多いのだが、やはり、それだけでは、何が真実か、どの情報を信頼すべきか、正直、迷うこともあった。今回、私たち二人の疑問にもていねいに応える中島さんの話のなかで、わずかに伝えられた被害者の方々からの情報を間接的ながら知ることによっても、その全容が少し見えてきたように思う。

 『未来』のホームページによれば、2019年11月30日、理事会報告で 理事1人から提出されたハラスメントの事実確認をすることとハラスメントに関する委員会、相談会設置することなどを表明して以来、2020年1月19日に、ハラスメント相談窓口設置発表、2022年7月21日、「ハラスメント防止ガイドライン」「ハラスメント相談窓口フロー」を発表するにとどまり、表だった動きが見えない。『未来』の会員にも、公式には、これ以上の報告はないようである。『未来』会員の中島さんからに限らず、名指しされている選者の一人のセクハラ問題なのである。ハラスメント委員会はこれまでの間、どのような活動をしてきたのだろうか。理事(=選者)会には、女性も多いのに、何とか解決の糸口はなかったのだろうか。できれば表ざたになるようなことはしたくないという結社自体の保身、そして、理事たちの保身がこうした結果をもたらしているようにしか思えない。男女各1名のハラスメント相談窓口を開設以来、相談件数はゼロであったという、大辻隆弘理事長からの報告もある。結社内の人間が担当したのでは、非常にハードルが高く、機能は果たし得ないのではないか。

 また、短歌関係メディアは、「噂」としては知っていた、あるいは、少なくともネット上の情報で知り得ていた情報の真偽を確かめようとなかったのだろう。なぜ、そのまま放置して、当事者の起用を続けているのだろう。現に、起用を控えているメディアもあることは、誌面によりうかがい知ることもできる。決して、一結社の問題ではないはずである。

 ハラスメントを、セクハラを受けた側から考えれば、加害者の名前を見るのも、画像を見るのもいたたまれないのではないか、メディアはそうした想像力を働かせてほしい。ジャニーズ問題は、どんな組織にも起こり得た問題だったのである。

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2023年9月13日 (水)

「マイナンバーカード」ついてミニコミ誌に書きました

 地域のミニコミ誌「さくら・志津憲法9条をまもりたい会」ニュース47号にマイナンバーカードについて書きました。マイナンバー制度については導入当初から、当ブログにも反対の記事を幾度も書いていますので、重なる部分もあるかもしれませんが、掲載いたしました。ちなみに2016年に寄せた記事も掲載しました。

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「さくら・志津憲法9条をまもりたい会」ニュース47号(2023年9月)

 

  以下は、2016年1月発行のニュース32号に寄せた2頁の記事です。当時の不安やリスクはいっこうに改善されていないことが分かります。私たちの9条の会は、2006年に発足、ニュースも47号までたどり着きました。会員の出で入りや高齢化は免れませんが、これからも、歩きながら考えてゆくことができればなあ、思っている次第です。

 なお、先の記事でも書きましたが、先日診察を受けた近くの内科クリニックで、マイナンバーカードを使っての患者さんはどのくらいいますか、には「そうですね、50人の患者さんがいらしたとして、一人か二人です」とのこと。数日前、診てもらった歯科クリックでは、「一日に一人いるかいないかです」とのことで、受付には「マイナンバーカードお持ちの方も、必ず健康保険証を提示してください」との大きな張り紙がしてありました。

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2023年9月12日 (火)

図書館を支える人々~非正規と障がい害者の方々の待遇の実態(2)

2)障がい者の報酬はこんなことでよいのか

 国立国会図書館の資料のデジタル化は急速に進み、「図書館送信」と「個人送信」の範囲も拡大され、「個人送信」の場合は、自宅で、閲覧できるし、必要個所を印刷もできるようになった。その恩恵は計り知れない。

  国立国会図書館が進める蔵書のデジタル化に、障がい者の延べ約500人が本のスキャンやデータ入力などの作業をもって貢献しているという。図書館が自力でできる作業量でないことは理解できるし、しかも、その作業は決して単純ではなく、細かいノウハウも必要な作業だと思う。下記の毎日、日経の記事はともに、そうした作業に携わることが、障がい者の誇りとなり、やりがいにつながっている、という報道であった。

  ところが、共同配信の「時給222円を変えたい・・・」の記事を読んで愕然としたのである。障がい者雇用の実態がこれほどまでとは、知らなかったのである。近所で、障がい者のグループホームを運営している知人は、仕事探しの容易でないことを嘆いていた。商業施設でカートを集める仕事、近くのマンションの草刈りの仕事が見つかったの、と喜んでいたことがあった。また千葉市のハーモニプラザの売店では、作業所の人たちが作ったという紙すきの葉書や端切れで織り込んだコースターなどを買ったことがある。

 上述の222円というのは、作業所の全国平均の時給なのだが、国立国会図書館の上記デジタル化作業を請け負った日本財団が、全国8か所の作業所で実施し、月収がこれまでより3倍ほどの5万円にアップできたというのである。日本財団によれば、2022年度は、三億七千万円、約三万冊分を受注でき、これからも拡大の意向だという。

・「障害者、デジタル化一助に 根気必要な作業、黙々と 国立国会図書館」『毎日新聞』 (2022929日)https://mainichi.jp/articles/20220929/ddm/041/100/058000c

「「本を未来に」障害者誇り 国会図書館蔵書デジタル」『日本経済新聞』(2022103日)https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE260N90W2A920C2000000/

・(市川亨)「時給222円」を変えたい 障害者が国会図書館をデジタル化 品質に合格点「彼らの力なしでは成り立たない」『信濃毎日新聞』20221011日(共同配信)

・「障害者の実力」示す国会図書館のデジタル化作業(20221107日)日本財団ホームページhttps://blog.canpan.info/nfkouhou/archive/1431

・徳原直子「国立国会図書館のデジタルアーカイブ事業~資料デジタル化を中心に~」国立国会図書館 https://www.tamadepo.org/kouza/tokuhara20170203.pdf

  それにしても、月収5万円とは。何で、こんなにも安価な報酬なんだろう。何のための最低賃金制度なのか。調べてみると、最低賃金制度には、「減額の特例許可制度」というのがあって、最低賃金を一律で決めてしまうと、労働能力が著しく低い労働者の雇用機会が減ってしまうからという理由で、特例が設けられている。例えば、試用期間や職業訓練期間中の労働者と並んで「 精神又は身体の障害により著しく労働能力の低い者」との規定があって、障がい者雇用の場合は、これによって最低賃金制度から除外されてしまうのである。ずいぶんと雇用者にだけ都合の良い制度なのだろう。たとえ、特例を設けるにしても、「同一労働、同一賃金」の主旨を貫ける制度にしてほしい、思うのだった。

 ・「障害者雇用の賃金はなぜ安い? 最低賃金制度と減額特例」(2020年1月13日)『障がい者としごとマガジン』 https://shigoto4you.com/saitei-chingin/

 

 

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2023年9月10日 (日)

図書館を支える人々~非正規と障がい者の方々の待遇の実態(1)

 図書館勤めが長かったため、さらに、いま、日常的に図書館を利用していることから、図書館関連のニュースが目に留まる。昨年8月、今年の3月に、末尾にあるような記事を書いた。今回も、図書館の非正規職員、国立国会図書館のデジタル化作業に携わる障がい者の人たちの記事に着目した。

1)図書館職員の4人に3人が「非正規」

 日本図書館協会は、今年の5月1日付で「▽非正規職員の賃金と労働条件を、専門性の観点から改善する▽会計年度任用職員の雇用を更新する際は、勤務実績を最大限評価する」などを求める文書を全国の都道府県と市、東京特別区の首長に送付した。

 協会の調査によれば、全国の公立図書館の職員の76%が非正規なのである。

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図書館職員4人に3人が「非正規」処遇改善を日本図書館協会が要請(2023年6月7日)
東京新聞 https://www.tokyo-np.co.jp/article/255085

  私が利用しているもっとも近い市立図書館は、分館で(数年前、学童保育所の拡張で狭くなった!)、実用書と小説類・児童書が申し訳程度に配架されているにすぎず、リクエストした図書を市内や他市、県立図書館から取り寄せてもらうことがほとんどである。それもコロナ禍以降は、50センチ四方の小さな窓口でのやり取りで、職員の顔も見えない。もはや図書館とは言えない施設である。

 先の記事でも書いたように、佐倉市の中央図書館は、新設の「夢咲くら館」という総合施設の中に移設され、オープンした。全体の建設費は40億近くにもなったが、職員は会計年度任用職員で補い、わずかな資料購入費でのスタートであった。車を持たない我が家では、モノレールと電車で行くしかない。距離的には近い図書館となると、モノレール、電車、1時間に1本くらいしかないバスに乗り換えての道中となる。立派でなくともよい、駅近のビルの空フロアでもよい、大型商業施設の一画でもよい。特に大型商業施設の閑散ぶりとテナントの出入りが激しく定着しないこの街に、市は思い切って、なんなら床を補強して開放的な図書館をつくったらよいのにと思う。図書館の命は入れ物でなく、人と資料にお金をかけて欲しいのである。

 また、公共図書館でなく、現在、大学図書館でも同じようなことが起こっている。

田 和恵「非正規31歳男性が憤る<大学図書館の働かせ方> 民間への業務委託が進むことによる<悪影響>  ボクらは<貧困強制社会>を生きている」『 東洋経済オンライン

2023年525日)  https://toyokeizai.net/articles/-/673423?

 

  かつて私も、私立大学図書館職員として働いた身である。正規・非正規の割合は、今の方がもちろん悪化している。名古屋で78年働いていた頃、連れ合いの転任で、転職先を探していた。ある人の伝手で、たった一つ、非正規ならば雇用するという大学図書館があった。条件を聞くと、正規の職員と勤務日数、勤務時間が全く一緒で、当時の月収の三分一近い金額を提示され、情けない思いをしたことがある。連れ合いには申し訳ないが、単身赴任をしてもらうことにした。そして、3年後、連れ合いは東京に転任、またの転職先探しである。その後の顛末は、当ブログの以下の記事にも書いた。女性の転職の難しさ、女性が非正規の受け皿になっていることをいやというほど知らされた。

 <当ブログ参考記事>
図書館が危ない!司書という仕事(2022831日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2022/08/post-fd7d26.html

・危うい佐倉市立図書館オープン~“夢咲く”どころではない「夢咲くら館」
 図書館らしからぬ??(202337日)http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2023/03/post-f768c4.html

 

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2023年9月 8日 (金)

ジャニーズ事務所の記者会見を見て~何が出直しなのか

 最初の一時間は、NHKの中継で見て、あとは民放のワイド番組をハシゴしながら続きを見ていたが、質疑応答も繰り返しのような気がして、夕飯の支度に入ったので、4時間を超えたという最後までは見ていなかった。

 見た限りの印象ながら、これでは、何も変わらないのでは。「法を超えて、救済、補償」といい、「100%株主の<私財>を投げ打って」というニュアンスの発言があったけれど、具体的な道筋どころか、「最初の一歩」すら、何も見えない。それに、何を勘違いしたのか、社名の変更もないという。

 東山新社長自身のパワハラやセクハラの質問になると、その答えは、グダグダとはっきりしない。この問題は、尾を引くだろう。なぜ、タレントを新社長にしての「解体的出直し」なのか。「人生をかけて」という決意だけでは、まず務まらないのではないか。

 一方、テレビ局は、TBS、フジテレビ、日テレと続いて、ジャニーズタレントの起用は、従来通りと明言しているので、事務所と局の担当者との関係が激変するとは思えない。これまで、NHKはじめテレビ朝日などが、事務所の入所希望者選考にリハーサル室を提供していたという。その便宜供与と引き換えにタレント起用を優位に運ぼうとしていたというから、その協力関係は、ジャニー喜多川の性加害を間接的に加担していたとみて良いのではないか(「TV局リハ室はジャニー氏の“狩り場”…性加害への沈黙わびたメディアに“加担”という重大責任」『日刊ゲンダイ』デジタル2023年9月6日)。

 事務所所属の活躍中のいわば大物のタレントはもちろん、退所後も引き続き活躍しているタレントが、いずれも、ジャニーズ喜多川の件になると、口が重い。口を開いたとしても、「うわさ」として知っていた、というのが<模範解答>らしい。

 

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2023年9月 6日 (水)

ジャニーズ、ジャニーズと、手さぐりで奮闘してみると~なぜ、メデイアは沈黙していたのか、がわかった(2)

先の記事で、テレビ各局のコメントは「開き直り」の感が免れなかったが、それを裏付けるように、TBSは、はやばやと8月31日に、続いてフジテレビは9月4日に、ジャニーズ事務所のタレントをこれまで通り起用していくとの意向が示された。タレントと個人の問題ではないので、事務所とは切り離しての措置というのがその理由である。
 一方、ジャニーズ事務所もあすの記者会見で、新体制が発表されるらしいが、文春情報によれば、東山紀之新社長、現社長が代表取締役で残るという。ということは、何も変わらない、変わろうとしない、ということなのだろう。ただ、退所のタレントは増えるだろう。
 ちなみに、株式構成の変遷を時系列で見て欲しい。以下は、調査書6~7頁、13~14頁から作成した。これでは変わりようがないではないか。

ジャニーズ事務所の株式構成の変遷

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ジャニー、メリー、ジュリーの関係

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朝日新聞(202エ年8月30)より

 先の調査書によれば、ジャニー喜多川の生存中は、「ジャニーズ Jr.のデビューやグループの所属などジャニーズ Jr.の誰をどのように売り出していくかについては、基本的にジャニー氏自らが決定していた。コンサートなどの公演における起用や配置等については、ジャニー氏に加えて振付師も意見を言うことがあったが、その場合でも最終的にはすべてジャニー氏が方針を決定して、その方針に沿って振付師も動いてい。このように、ジャニー氏は、ジャニーズ Jr.の誰をどのように売り出していくかというジャニーズ Jr.のプロデュースについてほぼ無制約の専権を有しており、ジャニーズ Jr.から見れば、自分がタレントとしてデビューして人気を博することができるかどうかを決める生殺与奪の権を握る絶対的な権限を有する立場にあった」(12頁)と報告されている。
 さらに、ヒアリングによる性加害の実態と被害者の受けた影響について、詳しい記述がある(19~26頁)ので、これもぜひ合わせ読んで欲しい。

 ところで、8月30日の朝日新聞の一面と「時々刻々」欄で、調査書の内容について詳しく報道するが、「天声人語」欄や先の社説に見る姿勢と同様、「マスメディアの沈黙」に対して「正面から取り上げなかったとか、報道を控えたのではないかとの指摘である。真摯に受け止めなければいけない」というにとどまり、あとは「事務所は被害者と向き合い、再発防止策を速やかに進めて欲しい」と事務所に責任を振って結んでいる。今日9月5日に社説を出した東京新聞も、事務所に解体的な出直しが必要だとしながら、「調査報告は、性加害が続いた背景に<マスメディアの沈黙>があったとも指摘した。重く受け止めなければならない」と結び、新聞社の社説は、ほぼ横並びといっていい。「真摯に」「重く」「受け止めなければならない」の先が何一つ語られていないのである。
 しかしどうだろう。マスメディアは、<沈黙>していただけだろうか。たとえば、朝日新聞社の新聞とともに「週刊朝日」「Adra」でも、記事や表紙、グラビアに、ジャニーズタレントを起用している。その起用が、調査書にあるように、ジャニー喜多川の采配、振り付けを唯々諾々と受け入れていた結果だとしたら、さらに、それに合わせて、タレントやジャニー喜多川を「もち上げる」「ヨイショ」する記事を書き続けていたとしたら。朝日新聞社の責任はないのか。これは、朝日新聞には限らないメディア全般に通じることのように思える。

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「ジャニー喜多川社長に聞く 我が子のように育てる」
朝日新聞(2017年1月24日)

 

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2023年9月 5日 (火)

ジャニーズ、ジャニーズと、手さぐりで奮闘してみると~なぜ、メディアは沈黙していたのか、がわかった

 8月29日、ジャニーズ問題で、ジャニーズ事務所が依頼した「外部専門家による再発防止特別チーム」の調査報告書が公表され、記者会見が開かれた。当日のニュースや翌日の新聞報道に接して、ジャニー喜多川の<性加害>の実態とメディアとの関係で、どこか歯切れの悪さが印象に残った。それではと、私の悪いクセ?全国紙とテレビ各局の社説とコメントを読み比べてみようと思った。

調査書に、マスメデイアはどう対応したのか

その前提として、特別チームの2頁の調査書(概要)と70頁(公表版)を通読した。後者のヒヤリングの記述などは、生々しく嫌悪感から読み通せるものではなかった。しかし、被害者たちが悲痛な思いで語った事実は事実として尊重されなければならないはずである。
調査報告書(概要版 pdf (saihatsuboushi.com)

・調査報告書(公表版)https://saihatsuboushi.com/%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8%EF%BC%88%E5%85%AC%E8%A1%A8%E7%89%88%EF%BC%89.pdf

その上で、全国紙の社説とテレビ各局のコメントを以下のような表にした。横長になったので、本文には掲載できないが、以下のpdfで見て欲しい。

ジャニーズ問題調査書を受けてマスメディアの対応一覧
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           上記、pdf版の一部

  まず、言えることは、同じ調査書を受けての対応が、新聞社とテレビ局では異なっている。調査書で指摘された長期間の「マスコミの沈黙」に対して、社説においても、朝日は「朝日新聞を含むメディアは」日経は「われわれメディアも」という主語で、反省、自省しており、毎日は、主語がはっきりしないまま、「芸能スキャンダルと軽視して人権問題と捉えるる視点を欠いた」とする。一方、読売は、見出しでもわかるように、もっぱらテレビ局の問題として「テレビ局、芸能界の性加害、セクハラ認識が浸透していなかった」とし、字面の上でも反省の弁はない。

  テレビ局のコメントは、東洋経済のオンライン記事、木村 隆志「ジャニーズ問題、テレビ6局声明への違和感の正体 どういう構造でこうなったか解き明かされるか」(2023831日)が指摘するように、総じて反省の色はいっこうに見えない、横並びのコメントであった。<性加害>の重大性と、調査書の指摘は「重く受け止め」はするが、今後の自らの局の対応については、ジャニーズ事務所に対して、被害者の救済と再発防止を求めるとする、他人事のようなコメントだったのである。その最たる局はNHKのコメントであっで、829日の記者会見当日の「ニュース7」の報道には、驚くほかなかった。NHKとジャニーズ事務所との関係は、紅白歌合戦の出演歌手をめぐって取りざたされていたので、コメントも注視していたのだが、ニュース報道と同旨で、「人権、人格を尊重する放送を行うこと」という「行動方針」に従ってきたので、「今後もその姿勢にいささかの変更もありません」と言い切ったのである。

これほどまでに、ジャニーズに占拠されていた

 以下は、「ザ・テレビジョン」のデータによるが、ジャニーズタレントが出演する直近1週間のテレビ番組を示すカレンダーである。https://thetv.jp/program/selection/253/

 その対象は、地上波からBSまで、TOKIOKinKi KidsKAT-TUNNEWS、関ジャニHeySayJUMPKis-My-Ft2Sexy ZoneA.B.C-Z、ジャニーズWESTKing PrinceSixTONESSnow ManTravis JapanHiHi Jets、美 少年、なにわ男子ら、ジャニーズ事務所所属タレントたちのレギュラー&ゲスト出演番組を一挙に紹介する。テレビ局の対象は、NHK #日本テレビ #テレビ朝日 #TBS #テレビ東京 #フジテレビ #TOKYO MX #NHK BSプレミアムとなっている。

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 上の表は、私が調べたのは、93日(日)の日付が変わる時だったから、94日(月)~10日(日)のデータになると思う。そして、93日(日)朝刊テレビ欄で、このカレンダーを参考に、NHKをチェックしてみて、また驚いた。

 再放送を含めて、まず【総合】テレビ体感再び・首都圏直下地震(井ノ原快彦)/サンドどっちマンツアーズ(浜田崇裕)/どうする家康(松本潤)/サンデースポーツ(相葉雅紀)/【BSプレミアム】世界自然遺産・知床(相葉雅紀)/The Covers(堂本光一)

 日曜日のNHKだけでも、こんなことになっているが分かった。1週間全局も調べたらどんなことになるのか、いまの私には、その余力はないが、関心のある方は調べて欲しい。やはりどうしても気になるので、9月3日(日)に限って、新聞のテレビ欄と照合しながら、調べてみると以下のようになったのである。きれいな表にはならなかったが、参考までに、局別に束ね、出演タレントの名前も調べてみたが、不備があるかも知れない。

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 各局の番組の詳細をみると、冠番組を持つタレントやグループも多い。報道番組にも、キャスターやコメンテイターとして出演しているのも分かる。私など、このタレントもジャニーズだったとわかって愕然!とすることもあった。
 だから、テレビ局のコメントの、一種の「開き直り」にも近い、そして、もはや「開き直るしかない」状況がわかった。
 なお、新聞はじめ活字の分野でも、新聞・雑誌のコラム連載執筆、インタビュー記事、グラビア、表紙への登場までも調べることができる。新聞社だって、そう威張れることではないのである。さらに、CMの世界での活躍も見落としてはならないだろう。

こうして、かつては、ジャニー喜多川、今では事務所のスタッフたちを「最高実力者」とかその「権力」とか称して甘んじ、メディアがここまで「表現の自由」を奪れていることに気づきながら、流していた情報とは何であったのだろう。

「たかがジャニーズ、されどジャニーズ」どころではない。国家による、政府による情報操作が本格的に始まっていても、メディアが気づかないふり、見て見ぬふりをするならば、かつての戦時下の情報統制などとは比べ物にならないほど、重大深刻な局面に立たされるのは国民ではないか。私たち国民も、「あやしい」と気づいたら、探求する根気、発信する勇気、地域、メディアや行政、政党への積極的なプッシュ・・・、どのようして真実に迫るべきかは、非常時ならず、常時心掛けなければならない。

 そういえば、2018年、「山口達也容疑者」というべきところを、「山口達也メンバー」なる奇怪なる呼び方を連呼していたメディア、その時も、私は、NHKなどに抗議した経緯を記事にしていました。たしか読売新聞だけが「山口達也容疑者」と報道していました。事件は、NHKの「Rの法則」なる番組に出演した女子高校生への強制わいせつの容疑で書類送検されたというものだった。詳しくは以下をご覧ください。まだ、ジャニー喜多川が亡くなったのは2019年なので、まだ存命中のことであった。

「山口メンバー」の「メンバー」ってなに?(201851日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2018/05/nhk-1d88.html

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なお、余談ながら、

常々気になっていた紅白歌合戦への、ジャニーズタレントの登場ぶりだが、以下のサイトで知ることができる。1965年の1組から始まって、1974年に2組となり、2008年までは2・3組が続いたが、2009年には4組となり以降、5・6組となり、現在に至っている。出演回数の多いタレントやグループも分かる。

ジャニーズ百科事典「NHK紅白歌合戦」
https://jjpedia.web.fc2.com/kouhaku.html
オタクしか勝たん!
https://blackdaysfilm.com/johnnys-kouhaku-past-contestants/

 

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2023年9月 2日 (土)

関東大震災100年、日付が変わってしまいましたが。

 雑誌『歌壇』9月号の特集「その時歌人たちはどう詠んだかー関東大震災から百年」に寄稿しました。一頁の短文ですが、ご覧ください。私が会員の『ポトナム』は、1922年創刊ですから101年目、私の入会が1960年、会員歴だけは長くなっていますので、依頼があったのだと思います。ところが、肝心の1923~24年の『ポトナム』の所蔵館が少なく、難儀しました。

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 『ポトナム』揺籃期の震災詠   

一九二二年四月、小泉苳三は赴任先の朝鮮、京城で百瀬千尋と『ポトナム』を創刊した。大震災で、東京の発行所で発送直前の九月号を焼失している。一二月号の編集後記で、苳三は、所用で東京市内を移動中、大森の吉植庄亮宅で地震に遭遇し、翌日、ようやく片瀬の住まいにたどり着いたと記し、「雑然とした歌を並べたり、有名無名の大家の作を頂いて以て光栄としてゐる醜態」を嫌い、「ポトナム」の拓くべき境地は「量よりも質こそ芸術に於ては尊まるべき」と結ぶ(「片瀬より」『ポトナム』一九二三年一二月)。苳三自身の震災詠は見当たらない。以下、出典が『ポトナム』の場合は省略した。

『水甕』の尾上柴舟に師事していた阿部静枝は『ポトナム』にも『水甕』にも同時に震災詠を残している。

・地の震れにおびえあかしし今朝さむし倒れたる垣に朝顔咲けり(「災後(八首)」一九二四年一月)

・黒き煙来るとみえしやたちまちに割れて火焔のうづまきあがる(「地変(六首)」『水甕』一九二四年一月)

市川信一郎は、東京の冬の厳しさを次のように詠む。

・やけあとにひとつのこれる井戸の水をくまむとて霜のみち遠く来し(「入日(八首)」一九二四年二月)

平塚の農業高校に勤める小泉穂村は、パンを握ったまま逃げ果せたが、校長の「御真影を」との声に、再び駆け込み持ち出した後、次は牛舎から牛を助け出し、「生きてあることのうれしさたらちねの手をとりてただなみだこぼせり」と詠む(「震災雑感」一九二四年一月)。

 お互いに無事を喜び合う家族がいる一方、社会では残虐な悲劇が起きていた。『ポトナム』にも「地震」と題した歌の中に「姿(なり)わろき人のちまたを行く見れば心は躍るもしも鮮人(よぼ)かと」といった一首を見出してドキリとしたのである。「よぼ」は朝鮮語本来の意味を離れて、当時の日本人が蔑称として使用する「差別語」であった。

大震災直後、『ポトナム』は京城で発行、編輯者である苳三は、創刊翌年の六月まで『水甕』に在籍、一九二四年六月には、吉植庄亮の『橄欖』と合併し、半年後には復刊という不安定な時期であったためか、所蔵館は少ない。一部、中西健治ポトナム代表の提供に拠った。(『歌壇』2023年9月)

「『ポトナム』揺籃期の震災詠」(「歌壇」2023年9月)
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「オードリー・ヘップバーン」をアップしました。

   菅沼正子さんのシリーズ<今も輝くスター55>が届きました。執筆も加速しそうです。第2回はオードリー・ヘップバーンです。「ローマの休日」(1951年)、「ティファニーで朝食を」(1961年)を観ては、いつかはイタリアやアメリカへ行きたいと思っていましたが、海外旅行など夢の夢の時代でした。以下をお楽しみください。

「オードリー・ヘップバーン~人間としても女優としても永遠のプリンセス」
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9月12日付記(内野)

古いスクラップブックを整理していたら、つぎのような、新聞記事が出てきた。彼女が晩年を過ごしたスイスのレマン湖畔の住まい近くのオードリー・ヘップバーン記念館が閉鎖したとの記事だった(朝日新聞2002年11月11日)。2002年11月と言えば、夫のジュネーブ出張についていって、仕事が終わった後、メモによれば、11月23日、ベルンへ日帰りで出かけたことを思い出す。車窓にはブドウ畑が広がり、遠い山並みを眺めながらのレマン湖沿いの鉄道旅行は忘れ難い。ベルンでは小雪が舞い、ジュネーブに戻れば、メインストリートではクリスマスの飾りつけが始まっていた。

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朝日新聞(2002年11月11日)、記念館は、小学校の集会場を改修したものだそうだ。近くにお墓もあり、日本人の訪問者が多く、最近訪ねた人の旅行記によれば、記念館はいまだ閉鎖中とのことある。

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