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2023年12月24日 (日)

引退されたはずではなかったのですか~「上皇」の卒寿報道に見る

 12月23日は、平成期の明仁天皇の誕生日であった。購読紙の朝日新聞は、「上皇さま90歳に」「平成流 求めた旅」(多田晃子)の見出しで、毎日新聞は、「上皇さま 卒寿」(高島博之)「平和願う心 変わらず」(高島博之・村上尊一)の見出しで、それぞれ二カ所で報じられた。読売新聞WEB版では、「上皇さま90歳、規則正しく穏やかな日々…沖縄や戦争と平和への思い今も強く」と報じられている。

 2016年8月、生前退位の意向を公表したテレビでの心痛な面持ちの画面を思い出す。法令上根拠のない、「公的行為」、「公務」を拡大してきた結果でもあったのだろう。例を見ない事態に直面し、私もいささか驚いたが、この高齢社会にはいずれやってくる事案であろうと思ったものある。政府は、慌てて特例法で対処し、同時に表面化した後継者問題は置き去りに、ともかく改元は実現した。現実は別として、当初は、天皇、上皇による二重権威が懸念されていたためか、退位した天皇のメディアの登場は少なくなったかに見えた。その内、コロナ禍にみまわれ、皇室自体の出番は減少した。それが、どうしたことだろう、Cobit19が五類に移行すると、皇族たちの活動報道が増え、明仁前天皇夫妻の動向を報ずるニュースも多くなり、今日に至っている。
 いずれも、「穏やかな日々」を送っているはずの夫妻の静養や旅行の再開、家族との交流、平和を願い、国民を思いつつ、過ごしている様子、そして病状までも、宮内庁提供や代表撮影の夫妻の写真を添えて報ずる紙面構成であった。
 ともに、宮内庁発のあたらしい情報と平成期の天皇夫妻の動向を辿るものであった。朝日、毎日とも、上皇御用掛としてのハゼ研究を支える林公義とのインタビュー記事も同じである。朝日が、羽毛田信吾元宮内庁長官のインタビューを「国民に寄り添う姿 象徴の役割の一つでは」の見出しで伝えている。

 12月1日の愛子さん、9日の雅子皇后の誕生日に続いての記事であったから、宮内庁詰めの記者は忙しかったというより、宮内庁広報室からの情報に、若干のエピソードなどを補っているに過ぎない。

 前のブログ記事で、宮内庁は、焦っているのはないか、とも書いた。皇室への関心が日々薄れてゆく歯止めとして、佳子さんや愛子さんの姿を追い、引退したはずの明仁前天皇夫妻のいわばプライベートに属する情報、画像や映像までも流している。報道されることが分かっているのなら、ご本人たちは、それを拒んでもいいはずなのに、なぜ?である。もともとガードが堅い宮内庁なのだから。

 明仁前天皇の誕生日12月23日、1947年12月23日、当時の皇太子の誕生日に、東京裁判により死刑が確定したA戦犯7人の死刑が執行された日であった。昭和天皇の戦争責任が問われないことになったのも、この東京裁判のさなかであった。 

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2023年11月28日、横浜三渓園の落葉でした。

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急にヒヨドリが立ち寄り始めました。メジロもヒヨのいる合間を縫って、時々やってきます。先日の雨あがり朝、近くの駐車場の水たまりには、ムクドリが群れていました。

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