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2024年1月16日 (火)

嵐山の女性教育会館が閉鎖?!これまでの実績を思う

  すでに、旧聞に属するが、昨12月中旬の報道によれば、埼玉県、武蔵嵐山にある国立女性教育会館の閉鎖が、取りざたされていた。この会館の管轄である文部科学省と内閣府の担当者から、嵐山町長に「会館維持には5億円の修理費がかかるので、閉鎖するという方針」が伝えられたというのである。

女性教育会館 閉鎖伝達 国方針(読売オンライン 2023/12/13)https://www.yomiuri.co.jp/local/saitama/news/20231212-OYTNT50195/

修繕費など年5億円…埼玉・嵐山の「国立女性教育会館」国が閉鎖方針 「愛郷心の原点」町などは存続要望 (埼玉新聞オンライン 2023/12/14)https://www.saitama-np.co.jp/articles/58848/postDetail

  国立女性教育会館(2001年1月に「婦人」を「女性」に変更、2001年4月に独立行政法人に)は、1977年、国立婦人教育会館として発足して、全国の自治体や市民団体による女性の地位向上、男女平等の普及活動の中心的な役割を担い、女性関係資料のアーカイブの充実にも寄与してきた。

  もう、四半世紀も前のことながら、私は、その会館の活動を目の当たりしていたので、閉鎖、機能移転の国の方針には賛成できないでいる。地元、嵐山町の議会は全会一致で閉鎖反対の意見書を提出したという。

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嵐山町議会の意見書(読売オンライン2023年12月13日より)

「国立男性教育会館」なるものは、たしかに存在しないが、残念ながら、女性の地位向上が極端に立ち遅れている日本には、「国立女性教育会館」は、まだ、必要なのではないかと思う。

 政府は、年度内の閉鎖が決まっているわけではないと言っているが、女性の経済的自立を促し、全国にある男女共同参画センターの中核を担う法人「ナショナルセンター」なる施設を設立するという案を示している。

 さまざまな公的な施設が、その利活用や業務の効率化を図ると標榜して、統合したり、多目的化したりする傾向は進むが、ほんとうに市民へのサービスが向上しているのだろうか。たとえば国立の教育・研究機関や病院などの統合化が進んだし、身近では、図書館、学校、保育園などの合併や統合が進んだ。国民や市民へのサービスの量も質も向上したのだろうか、むしろ縮小、後退してしまっているのではないかという思いが去らない。

 1998年の夏、私たち「戦後短歌史とジェンダーを研究する会」のメンバーは、婦人教育会館主催の「女性学・ジェンダー研究フォーラム」に参加していた。全国から、女性のエンパワーメントにかかわる研究・教育・実践活動をしている団体、グループ、個人、行政が集い、その成果を出し合い、情報交換を行う一大イベントである。参加者2027人(内、男性136人)ワークショップ運営者589人、120件のワークショップが展開され、私たち、阿木津英、小林とし子、内野の三人は3日目の8月9日、「戦後の女性歌人たち、昭和20年代を中心に」を報告、参加者10人と討議が行われた。10人はやや寂しかったが、ふだんの月一の研究会の成果の一部を発表することができたのである。この体験に気をよくして、1999年の夏にも、同じフォーラムに参加、今度は、タイトルのネーミングを少し変えて「女には女の歌があるのか」、チラシも作って、三人で臨んだ。私たちの分科会には、28人もの参加者があったので、報告にも熱が入った。

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 全体の参加者は、前年の2000余人で変わらなかったが、ワークショップは96件であった。テーマとしては、「女性に対する暴力」が増え、この当時コンスタントに多いテーマは、「学校教育における男女平等」、「女性と表現」であった。1999年6月には、「「男女共同参画社会基本法」が公布され、2000年4月から介護制度がスタートするという時代であった。

 そして、2回のワークショップに参加した私たちに、今度は、婦人教育会館から、翌2000年1月に実施の「アドバンストコース」研修のワークショップでの報告依頼が入ったのである。テーマは前年の「女には女の歌があるのか」を再演せよ、とのことであった。参加者は、主に自治体の教育委員会、首長部局職員と施設や団体職員だった。研修の4日目で、明日が終了日という、参加者はかなり疲れも出ている頃か、俵万智、小島ゆかりなどポピュラーな女性歌人たちの歌に現れたジェンダー意識について話したのだが。

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 2000年1月「アドバンストコース」研修のプログラムより

 こうした、国立婦人教育会館における活動に後押しされる形で、当時、日頃の会の研究成果を一冊にまとめる作業も加速した。そして、2001年9月、出版したのが『扉を開く女たち ジェンダーから見た短歌史1945~1953』(砂子屋書房)であった。また、この図書は、東京女性財団の「民間活動支援事業」の出版助成を受けることができたのも、望外のよろこびであった。 2002年8月のフォーラムにも、あたらしいメンバーが加わった「戦後短歌史とジェンダーを研究する会」として参加している。
 たんなるノスタルジーだけでなく、東京ドームの二個分10ヘクタールの緑豊かな敷地に建つ国立女性教育会館を残し、その上での機能強化を期待したい。

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