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2024年7月29日 (月)

きのうのNHK「日曜美術館」は「香月泰男」だった

 日曜の朝、「日曜日美術館」をリアルタイムで見るのは久しぶり。「鎮魂 香月泰男の「シベリア・シリーズ」だった。2021年10月、葉山の神奈川県立近代美術館で見たはずの「シベリア・シリーズ」57点。番組では、その内の数点を香月自身の作品に付した言葉の朗読や「シベリア・シリーズ」を所蔵する山口県立美術館の学芸員などの解説を聴きながら、ゆったりと鑑賞することができた。葉山の展示は「生誕110年」だったが、今年は、没後50年記念の展覧会が山口県立美術館で開催している。もうかなうこともないだろう、香月の生家近くの「香月泰男美術館」にも出かけてみたいなとしきりに思う。

 香月泰男(1911~1974)は、1943年召集されるが、シベリアの抑留生活から1947年に復員、生涯描き続けたのが、シベリアでの過酷な体験であった。番組でも紹介された、私にとっての圧巻は、「朕」と「北へ西へ」だった。

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「朕」(1970年)は、1945211日紀元節の営庭は零下30度あまり、雪が結晶のまま落ちてくる中、兵隊たちは、凍傷をおそれて、足踏みをしながら天皇のことばが終わるのを待ち、朕のために、国家のために多くの人間の命が奪われてきたことを描いたという。絵の中の白い点点はよく見ると雪の結晶である。また、中央の緑がかった二つ四角形は、広げた詔書を意味しているのが、何枚かの下書きからわかったという。

 

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 「北へ西へ」(1959年)、敗戦後、ソ連兵によって行き先を知らされないまま、「北へ西へ」と列車で運ばれ、日本からは離れてゆくことだけはわかり、帰国の望みは絶たれたという。

 

<当ブログの関連過去記事>

葉山から城ケ島へ~北原白秋と香月泰男(2021年11月5日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2021/11/post-e73a2a.html

 

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2024年7月24日 (水)

皇室情報氾濫の中で、見失ってしまいそうな・・

安定的な皇位継承策の迷走、もはや名案はないのでは! 

  2020年11月、有識者会議は、安定的な皇位継承策の”迷案“二案(①女性皇族が結婚した後も皇族として残る ②女性皇族は、旧皇族男子と養子縁組をして皇族に復帰する)が政府に提出され、2022年1月には国会に提出されたものの、いっこうに論議は進まなかった。2024年4月、自民党を最後に、各党の対応が公表され、6月の通常国会では、皇室典範の改正が論議されるかに思われたが、政府・国会はそれどころではなく、政治とカネの問題で揺れた。

 というのも、そもそも議論に値する二案とも思われず、いずれの案も、安定的な皇位継承の対策案に直結するものではなく、二案とも天皇家を含む皇族の基本的自由原則に反するもので、違憲というほかない。

  皇族の男子にしても、女子にしても、子を産むことを前提にし、皇位継承の安定をはかるという法改正は、皇位継承を男子に限るとする現皇室典範ともども、憲法に定める基本的人権原則に反するものではないか。それにしても、憲法の平等原則に反する天皇という存在自体が日本国憲法の矛盾を露呈していることを、声を大にして言う政治家も研究者も滅多に出遭わないのが私には不思議に思えてならない。

   マス・メディアは、新聞もテレビも、毎日どこかで、天皇夫妻が、秋篠宮夫妻が、愛子さんが、佳子さんが、悠仁さんがどうしたこうした、果ては上皇夫妻がどこへ出かけたとか・・・、宮内庁の広報室が流している情報を、そのまま、競うように報じている。週刊誌はといえば、愛子さんの日赤就職を働く女性のごとくに報じているが、皇后が名誉総裁なのだから究極の縁故採用ということになる。佳子さんがギリシャの訪問先で激安のブラウスを“お召し”になっていることを報じるが、それがなんだというのだろう。悠仁さんの進学先の憶測が乱れ飛んでいるが・・・。ともかく、宮内庁は、極端な誤報でなければ見て見ぬふりして、広報室情報とともに、皇室への関心を高めるべく必死のようにも思える。

天皇の英国訪問のなぜ? 

  しかし、メディアの皇室情報の発信には、皇室への、国民の関心を高めることに寄与する以上に、もう一つの大きな役割を果たしているにもかかわらず、国民には伝わりにくい情報がある。というより、意図的に伝えようとしない部分あることを、あらためて知ることになったのが、今回の天皇夫妻の英国訪問であった。

 そもそも皇族の外国訪問は、外務省が宮内庁とで決められていく。天皇は政治的発言や活動は憲法上認められないことになっているので、政府サイドは「皇室外交」という言葉は使用せず「親善訪問」と表現する。

  天皇夫妻による6月22日から8日間にわたる英国訪問に先立って、岸田首相は「皇室と王室との間の交流を通じて両国の友好と親善を改めて確認し、両国の従来からの良好な関係が一層強化されるものと確信」すると語り(2024年6月4日談話)、帰国後は、林官房長官が「今回の御訪問を契機に、今後我が国と英国との間の友好関係及び我が国皇室と英国王室との親善関係がなお一層発展することを期待」すると述べている(6月29日談話)。

  天皇自身は、出発直前の6月19日の宮内記者会の代表質問に答えて、17世紀以降の日英両国の関係史、近代歴代天皇と英国交流史から語り始め、両国の若い世代の交流に着目、期待するとの発言に続き、後半は、妻との共通の英国体験、オックスフォード大学などの思い出の地を訪ねる楽しみを、饒舌なまでに語っている。


  そして、日本のメディアでは、6月25日のチャールズ3世国王主催のきらびやかな晩餐会、パレードを歓迎する沿道の人々、天皇夫妻のセンチメンタルジャーニーのエピソードと体調が懸念された雅子さんの笑顔の写真や動画を報じるばかりであった。

 ところが、6月28日、天皇夫妻の公式行事を終えたことを受け、ジュリア・ロングボトム駐日大使は、次のような「総括コメント」を発表している。

「我々はこれまでCPTPP(米国抜きの環太平洋経済連携協定)、GCAP(グローバル戦闘航空プログラム)、サイバーセキュリティー、デジタル、洋上風力発電、科学技術など、さまざまな重要分野において新たなパートナーシップを築いてきました。特に、昨年の広島アコードの合意は、これらの協力関係をさらに促進させる追い風となりました。(中略)国王陛下と天皇陛下が生物多様性と環境保全に共通の関心を抱いていることが示すように、王室と皇室の親密さも含まれています。国際的な金融およびビジネスサービスの先駆的なエコシステムであり、革新的な研究機関や学術機関も包括するシティー・オブ・ロンドンが主催した晩餐会には、「両国のビジネス界を代表するゲストの方々がご出席されました。晩餐会は、両国の市場間や自治体間の連携を通じた、歴史に根付く日英協力の深化を象徴するものでした。」

 なんとここでは、今回の訪問の政治的、経済的意図を明確に語っているのである。さらに、後半では、「2025年の万博への英国の貢献」や「来年の空母打撃群の訪問」という「未来志向」にも及んだ。

 なお、「広島アコード」とは、BBC NewsワールドニュースTVによれば、昨年2023年5月の広島サミットの折、19日からの主要7カ国(G7)首脳会議に先駆けて行われたリシ・スーナク英首相と日本の岸田文雄首相は18日夜のワーキングディナー(夕食会)で、安全保障や経済、世界的な課題など、幅広い分野で戦略的な日英の連携を深めていく「広島アコード」に合意、欧州とアジアにおけるもっとも近いパートナーとして、安全保障と防衛での協力にいっそう努力するという確認であった(2023年5月18日)。相手国英国が明確にしているものを、日本政府は、天皇の政治利用を覆い隠し、日本のメディアも言及することがない。

  また、英国駐日大使のコメントにある「空母打撃群の訪問」って、聞き慣れないので調べてみると「空母を中核として護衛艦、航空機などの編成になる機動部隊」のことらしく、2021年にもインド太平洋地域に派遣されている。英政府は2023年5月17日、2025年には、日本、米国、英国がインド太平洋地域で定期的に合同演習をすると発表している。「空母打撃群」が派遣されて、日本にも寄るのでよろしく?ということなのだろう。前回のときは空母内でコロナ患者が大勢出て問題にもなったらしいが、それも思い出せないでいる。

   本当に知らないことが多すぎる中、天皇が、皇族が現実に果たしている、あるいは、利用されている実相を注視してゆきたい。
   こうした事態は、今回に限らず、例えば1992年の明仁天皇の中国訪問時の日中の攻防、日本国内での対立の調整の結果であったことも、私は、ようやく知ることになったのである(「天皇訪中 曲折の1992年」『朝日新聞』2023年12月21日)。

 

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頂きものだけれどと、娘からのおすそ分けの桃とネクタリン。農園からの直送とのことで、まだ固そうなので。

 

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2024年7月16日 (火)

何年ぶりかな、御茶ノ水、聖橋あたり~短歌会の全国大会に参加して

  私の所属する「ポトナム短歌会」の全国大会が、7月14日、湯島の東京ガーデンパレスで開かれた。前回、私が参加したのは2019年の京王プラザホテル一泊での開催だった。この間、大会はコロナ禍で中止になったり、日帰りとなったりした。今回も、11時受付開始、夕方の6時半には懇親会も終えるという忙しない日程であった。講演、分科会、写真撮影、表彰式もほとんど休憩もなく続けられた。東京の会員を中心とする準備も苦労が多かったのではと思う。

  今年の「白楊賞」は、大学生の小野愛加さんの「先生になる」だった。懇親会の途中、立話ながら、若い編集委員と小野さんも交えて、中断している「ポトナム短歌会」のブログ再開やオンライン歌会の話にもなった。何とか実現してほしいものと願うばかりだ。

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  お料理を堪能しながら、同じテーブルの方との話が進む。当日欠席となった方の分のお料理も、何かと運ばれてきて、テーブルの上は賑やかになる。

  分科会終了後、配布された作品集にある、選者賞も、互選賞も、私には縁がなかったが、提出歌は「卓上のミモザの花の散り初めて触れたる棘に寛容なる朝」。ご近所で枝打ちさなかの一枝を分けていただいたミモザ、黄色い小さな花が散り始めて、灰色の棘に、思わず触れたけれど、しばらくの間、黄色い花を十分楽しんだのだから・・・といった気分の歌だった。分科会で、ある評者が、ミモザは、国際女性デーのシンボルの花だと触れてくださったのは、うれしかった。あの棘は、いつまでたっても、日本では、いや世界各地でも女性の権利が十分守られていないことへ抵抗のような気もして、寛容どころか、ストレートに怒りを表現すべきだったかとも。

 当日、佐倉の自宅に帰れる時間ではあったが、一泊することにした。翌日は、雨も上がったので、ホテルの近辺をまわることにした。

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 何十年ぶりかの「神田明神」だったが、境内は広く、整備されていて、外国人も多く、ミストが流れる休息所まであった。本殿の右手奥には、江戸時代の木材商、店舗兼家屋だった建物を移築された「神田の家・井政」があり、さらに進むと、木立に囲まれた「宮本公園」があった。その入り口に何やら消防車と数人の消防署員たち立っている。「何かあったのですか」と尋ねてみるが、「いや、何も、どうぞ、お気をつけて」と。ところが、消防署員の視線の先は、ベンチに、微動だにしない、老紳士風な人が座っていた。病人でもなさそうだし・・・。道にでも迷った人だったのか。

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 本郷通り(17)を渡ると小さな公園があって、湯島聖堂・昌平坂学問所跡との案内板があり、塀を隔てて、聖橋方面の本郷通りに面して、大成殿へと通じる入口がある。

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 湯島聖堂は、江戸時代、綱吉将軍が1690年、儒学振興のために設置されたもので、後、昌平坂学問所にもなった。明治維新後、文部省所管となり、日本最初の博物館が置かれた。1872年、日本最初の図書館と言われる書籍館、東京師範学校が設置されたので、近代教育発祥の地と言われるようになった。たしか、高校の校歌に「昌平 の跡とえば・・・」とあったような。関東大震災で焼失して、今はコンクリート造りの「大成殿」を背に階段をくだると「入徳門」に至る。上記写真の階段の先に見えるのが「大成殿」となる。

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 湯島聖堂を出て道路の反対側、聖橋の傍らにも、「近代教育発祥の地」の銘板があった。そして、聖橋の真ん中あたりからの眺めは、格別である。「松住町架道橋」というらしい緑のアーチ状の橋、神田川の水面すれすれに走るのが地下鉄丸ノ内線だそうだ。かつては毎日池袋始発で通学・通勤に利用していたというのに。

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2024年7月 2日 (火)

来年の歌会始の選者が決った~やっぱり栗木京子も

  2022年12月に亡くなった篠弘の後任は栗木京子だろうとブログなどで予想していたのだが、みごとに外れて2024年から大辻隆弘になった。*ところが、来年の選者になったのである。きのう、宮内庁から7月1日付で発表になった2025年の歌会始の選者五人は、以下の通りである。肩書は産経新聞に拠る。

三枝昂之(80)=山梨県立文学館館長、永田和宏(77)=歌誌「塔」選者、京都大名誉教授、今野寿美(72)=歌誌「りとむ」同人、現代歌人協会会員、栗木京子(69)=現代歌人協会理事長、歌誌「塔」選者、大辻隆弘(63)=現代歌人協会会員、現代歌人集会理事

*来年の「歌会始」はどうなるのだろう(2023年3月 9日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2023/03/post-74140a.html

   2012年から務めてきた内藤明に替わって栗木京子が入ったことになる。誰が選者になったって、コップの中のこと、世の中に関係ないよ、と言われそうだが、やはり、ここで確認しておきたい。

 これまでも、幾度となく、書いてきたことなのだが、歌会始の選者になることが、歌人にとって、一つのステイタスになっていながら、歌壇ではなんとなく無関心を装ったり、無視したりする風潮がある。また、歌会始は、数ある短歌コンクールの一つに過ぎないという軽くいなす人たちもいる。果たしてそうだろうか。

 歌会始は、天皇と国民をつなぐ伝統ある貴重な文化的な行事であると喧伝されているが、毎年、あのNHKの中継を見ていると、文化的というより、異様な雰囲気にしか思えない。伝統といっても、たかだか明治以降、いや戦後から今のような形になったといってよい。国民から募った入選作、皇族・召人・選者の短歌は天皇に捧げる次第となっている。その一部が独特の朗誦で披講され、披講される間、作者は立ち上がる。天皇だけは、終始座って、それを聴き、いちばん最後に天皇の一首が披講されて終了する。選者の一人は、「御用掛」となって、年間を通して皇族方の短歌の指導にあたるのである。

 選ばれる歌も、普通に短歌雑誌や新聞歌壇、ネット上に行き交っている短歌が登場するだろうか。たとえば、政権批判や脱原発、基地反対、日本の戦争責任を読むことができるだろうか。誰もが傷つかない、平和への希求、暮らしの中の機微などが選ばれるだろう。

 それに選者の顔ぶれを見てみると、永田と栗木は、アララギ系の結社「塔」の選者、幹部である。三枝・今野は、夫婦で「りとむ」という結社を運営している。大辻は、「未来」の理事長、選者である。現代にあっては、「短歌結社」の独自性などはすっかり弱まってはいるものの、歌壇的に見ればかなり偏っていて、選者の私物化にも思えてくる。

 昨年、若い研究者と「短歌と天皇制」について話しあったことが活字になった。その時の参考資料として作成した表の一つを参考までに下記に示した。国家的褒章制度の中での「歌会始選者」の位置づけを見て欲しい。ダウンロードの方が見やすいかもしれません。        

  近年の歌会始選者たちの国家的褒章受賞歴

木俣修 1928~1983 (形成)

歌会始選者1959~83 →御用掛1960~1983→ 紫綬褒章1973 → 芸術選奨文部大臣賞1974 → 日本芸術院賞恩賜賞1983死去

岡野弘彦1924~ (人) 

歌会始選者1979~2008/芸術選奨文科大臣賞1979 → 御用掛1983~2007 → 紫綬褒章1988 → 芸術院賞・芸術院会員/勲三等瑞宝章1998 → 文化功労者2013 → 文化勲章2021

岡井隆
1928~2020 
  (未来)

 歌会始選者1993~2014 → 紫綬褒章1996 → 御用掛2007~2018 → 芸術院会員2009 → 文化功労者2016 → 旭日中綬章追贈2020死去

永田和宏1947~              (塔)

芸術選奨大臣賞2003 → 歌会始選者2004~ →紫綬褒章2009 → 瑞宝中綬章2019 御用掛2023~

篠弘1933~2022 
(まひる野)

紫綬褒章1999 → 旭日小綬章2005 → 歌会始選者2006~22 →  御用掛2018~2022   
(日本文芸家協会理事長2010~2016)(現代歌人協会理事長1995~2008)

三枝昂之1944~
(りとむ)

芸術選奨文科大臣賞2006 → 歌会始選者2008~ → 紫綬褒章2011 →  旭日小綬章2021

河野裕子1946~2010               (塔)

 歌会始選者2009~2010 

内藤明1954~ (音)

 芸術選奨新人賞2003 → 歌会始選者2012~2024

今野寿美1952~        (りとむ)

 歌会始選者2015~

大辻隆弘1960~   (未来)

 歌会始選者2024~

栗木京子1954~ (塔)

芸術選奨大臣賞2007 → 紫綬褒章2014 → 歌会始召人控2019 → 歌会始召人2020 → 歌会始選者2025~             (現代歌人協会理事長2020~)


(参考)

馬場あき子
1928~   (かりん)

紫綬褒章1994 → 芸術院賞2002 → 芸術院会員2003 → 文化功労者2019 → 旭日中綬章2021

佐佐木幸綱
1938~心の花)

芸術選奨大臣賞2000 → 紫綬褒章2002 → 芸術院会員2008 →  旭日中綬章2022 
現代歌人協会理事長2008~2017)

小島ゆかり
1956~ (コスモス)

 芸術選奨大臣賞/紫綬褒章2017 → 歌会始召人控2023 

2023年10月現在。但し、マーカ部分を2024年7月、(参考)欄より移動改訂
(内野光子作成)

 ダウンロード - 2024e5b9b4e8bf91e5b9b4e381aee6ad8ce4bc9ae5a78be981b8e88085e3819fe381a1e381aee59bbde5aeb6e79a84e8a492e7aba0e58f97e8b39e.pdf

「近年の歌会始選者たちの国家的褒章受賞歴」
座談会「臣下」の文学――「勲章」としての短歌 内野光子・位田将司・立尾真士・宮澤隆義 『G・W・G(ミーヌス)』8号 (2024年5月)所収

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