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2025年1月23日 (木)

引っ越し荷物を整理していると、とんでもないものが・・・

  転居先に送るべく、引っ越し荷物を整理していると、とんでもないものや資料が出てきて思わず作業の手が止まる
 物置の茶箱から出てきたのは、強烈なナフタリンのにおいがする娘の七五三の着物だったが、その下に、なんと、写真のような「防空頭巾」が出てきたのである。これは、戦時下の空襲に備えて、母が縫った私のものであった。疎開先にも運んでいるから、80年も前のものであることは確かで、さすがに虫食いも見える。5回の引っ越しにもかかわらず、よく持ち運んだものである。薄い綿を入れ、銘仙で縫い上げたものだから、焼夷弾など防ぎようもない。池袋の生家には、父と長兄が残っていたが、1945年3月14日未明の城北大空襲で焼け出され、板橋の知り合いに身を寄せている。

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 娘の通った「保育園だより」と学童保育所だより「はらっぱ」が大量に出てきた。保育園はゼロ歳児から、ガクドウは5年間通ったのだから無理もない。娘は、要らないよ、というのだが、その一部は捨てがたく、箱に詰めた。そして、保育園の入園資格は、当時6カ月からだったから、私たち夫婦は、その間の保育に途方に暮れた。私の両親はすでに亡く、夫の母や姉の住む実家は遠かった。ベビーシッターと言っても・・・、職場の先輩から伝え聞いた「保育ママ」さん。産休中に苦肉の策で、4階建ての5棟ほどの団地で、つぎのようなビラを全戸に配布したのだった。いまから思えば、まるで奇跡のようにおもえるのだが、一つちがいの娘と一緒でよろしければと、保育所勤務の経験がある保育士さんの方が名乗り出てくださったのである。まさに、”クビ“がつながったのである。

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二つのバージョンを必死に描いたのを思い出す。

 

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岩波、お前もか~美智子前皇后の新刊歌集出版をめぐって

 転居先での数日間、新聞もテレビもほとんど接することがなかったが、どの新聞だったか、昨日1月22日「歌会始」の前の一面下の八ワリ広告の右端に「ゆうすげ 美智子」の文字、よく見ると岩波書店とある。とうとう、というのか、岩波書店が平成期の美智子皇后の歌集を出版したのだ。美智子皇后にはすでに単独の歌集『瀬音』がある(大東出版社 1997年)。美智子皇后の短歌には多くのファンがいるし、多くの著名歌人たちの間でも好評価を得ているのも確かである。技術的にも、その感性にも優れた面があると思う反面、私には、一首、一首の発するメッセージがあまりにも「政策的」であることに危惧を覚えてしまうのである。さっそく注文をせざるを得ないことになった。

 なお、昨年12月に出版された『現代女性文学論』(新・フェミニズム批評の会編 翰林書房 1924年12月)には、私は以下を寄稿している。

「美智子皇后の短歌ー「平和祈念」「慰霊」の短歌を中心に」
はじめに
1.天皇・皇后の短歌はどのように発信されいたのか
    1 天皇・皇后の短歌と国民との接点
  2皇后の短歌の出発点
2.皇后の短歌はどのように鑑賞され、広められていったのか  
3.天皇制維持への皇后としての意欲ー「リベラル」な論者の支持を追い風として
おわりに

ダウンロード - e7be8ee699bae5ad90e79a87e5908ee381aee79fade6ad8c202020241211_10393772.pdf

 

 

 

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2025年1月20日 (月)

激闘!お正月の引っ越し!

 遅ればせながら、新年のご挨拶申し上げます。

 今年もよろしくお願いいたします。

  昨年の秋口から急に話が進み、1月中旬に、連れ合いともども、同じ佐倉市内の自立型高齢者施設に転居しました。断捨離は進めていたものの、転居となると、この数カ月は、ため込んだ書籍と資料との格闘でした。引っ越し業者が見積もりに来た折、転居先の広さを知って、いまの荷物の「2・3割に整理にしませんと・・・」と言われてしまいました。これまでも、書籍に関しては、文学館に寄贈したり、古書店に送付したり、友人に押しつけがましく譲ったりしてきましたが、いざ転居となると、どの本もコピーなどの資料も利用した当時のことやもしかしたらこれからも利用するかもしれないとの思いに駆られてしまいます。捨てきれずに、段ボール箱に詰めては梱包していくと、途方もない数になり、衣類や日用品に手が回らなくなり、引っ越し日が近づくと焦ってしまう始末でした。冷蔵庫をカラにするので二日前から駅前のホテルに泊まり、分別ごみや粗大ごみの始末もしなければならなくなりました。ご近所への挨拶もそこそこに、引っ越し当日は、業者が手際よく養生している間も、箱詰めする有様でした。手伝いに来た娘にも呆れられ、叱られっぱなしでした。

 転居先の居室はどの部屋も段ボール箱の山、ゲストルームに2泊する羽目になりました。冷蔵庫やレンジの掃除、洗濯、荷解き、段ボールの始末など手際よくこなしてくれた娘には、もう感謝、感謝。年取ってからの引っ越しがこれほどの激務とは、想像を絶するものでした。3度の食事は、施設のレストランで済ませたものの、生協の宅配も再開し、ようやくほっとしたものでした。しかし、腰や足がかなり痛み出し、頑張り過ぎたの思いしきり、まだまだ、開いていない段ボールがあるというのに・・・。

 大浴場やプールにもまだ行けず、隣接の旧堀田邸の庭園の散歩もゆっくりできないまま、診療所での「入居者健診」では、「終末期医療」の書類提出の説明を聴くに及んで、自らの年齢を思い知らされるのでした。

 さまざまな不安は伴うものの、スリムな暮らしになればと期待しているところです。

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ベランダから、正面に旧堀田邸を望む

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