引っ越し荷物を整理していると、とんでもないものが・・・
転居先に送るべく、引っ越し荷物を整理していると、とんでもないものや資料が出てきて思わず作業の手が止まる。
物置の茶箱から出てきたのは、強烈なナフタリンのにおいがする娘の七五三の着物だったが、その下に、なんと、写真のような「防空頭巾」が出てきたのである。これは、戦時下の空襲に備えて、母が縫った私のものであった。疎開先にも運んでいるから、80年も前のものであることは確かで、さすがに虫食いも見える。5回の引っ越しにもかかわらず、よく持ち運んだものである。薄い綿を入れ、銘仙で縫い上げたものだから、焼夷弾など防ぎようもない。池袋の生家には、父と長兄が残っていたが、1945年3月14日未明の城北大空襲で焼け出され、板橋の知り合いに身を寄せている。
娘の通った「保育園だより」と学童保育所だより「はらっぱ」が大量に出てきた。保育園はゼロ歳児から、ガクドウは5年間通ったのだから無理もない。娘は、要らないよ、というのだが、その一部は捨てがたく、箱に詰めた。そして、保育園の入園資格は、当時6カ月からだったから、私たち夫婦は、その間の保育に途方に暮れた。私の両親はすでに亡く、夫の母や姉の住む実家は遠かった。ベビーシッターと言っても・・・、職場の先輩から伝え聞いた「保育ママ」さん。産休中に苦肉の策で、4階建ての5棟ほどの団地で、つぎのようなビラを全戸に配布したのだった。いまから思えば、まるで奇跡のようにおもえるのだが、一つちがいの娘と一緒でよろしければと、保育所勤務の経験がある保育士さんの方が名乗り出てくださったのである。まさに、”クビ“がつながったのである。
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