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2025年5月 9日 (金)

“若い人”の歌集から~戸惑いながら刺激を受ける

 私のような高齢者に、ときどき、若い人の歌集が舞い込んだりする。「若い」といっても歌集をお送りくださる方たちの大方は私より若いわけなのだが、子ども世代、孫世代にもあたる人たちの歌集には、戸惑うことも多いが、刺激を受けることもある。私は歌集を評するというのは苦手で、つい突っ込みたくなる。世代の違いを忘れて、それって違うだろう、どこか疲れてしまう、みたいなことになりがちで、その作品の良い点というのがなかなか見いだせない、読みの弱さがある。しかし、素直にいい歌だなあ、こんなこともあるんだ、ここまでは気付かなかった、私にもよくある「あるある」といった、広い意味の「共感」を見出すことは楽しい。著者の意図とは大きく外れたとしても。

山中千瀬『死なない猫を継ぐ』(典々堂 2025年1月)

「あ」を補う赤字を入れる「たたかい」と「家庭」きらきら並ぶ紙面に

相似形の影を踏み合いこれからもあたしたちひとりひとりがひとり

あたたかいほうがコピーだからちゃんと冷たいほうの原紙に印を 

屋良健一郎『KOZA』(ながらみ書房 2025年3月)

戦没者追悼式の壇に立つ首相に向かう百のケータイ

閉館の曲の流るる図書館の外に雪後の雨降りており
(二〇二三年年六月、普天間フライトラインフェア)
オスプレイの前に顔出しパネルありて沖縄人が次々顔出す

嵯峨直樹『TOWER』(現代短歌社 2025年4月) 

辛辣な言葉を放ちあいながら小さな影はかけ橋わたる

テーブルのクリアファイルに陽は当たり細く鋭い傷あと光る

ゆうやみに銀のてかりをまといつつ高架を走る通勤電車

小林理央『金魚すくいのように』(角川書店 2025年4月)

出張で読める地名が増えてゆくことに楽しみを見出す始末

図書館の机に伏せて寝るようなノスタルジーを抱えて歩く

不意打ちの真夏の雹は池袋の街ごとわたしをかきまぜてった

 小林さんは1999年生まれ、「物語の中から自分をゆっくりと引っ張りあげてしおりをはさむ」なんて、硬い本を読んでいても、いまの私と変わらないじゃないかと、若返った気にもなる。

 

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桜並木は雨上がりの新緑の散策路になった。右手が施設の1号棟。

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隣接のさくら庭園から堀田邸を望む。手前の木には、大きなカタツムリが。5月10日撮影

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