しょうけい館、昭和館を訪ねて(2)昭和館
前日、北の丸公園を突切って田安門を出た折、右手に、九段会館と並んで銀色の瀟洒なビルが並んでいたのが、昭和館だった。今日は、昭和館の前も卒業式の晴れ着の女子学生たちが目立つ。
昭和館にはシルバー料金の360円で入場、しょうけい館もそうだったが、出会う入館者がほとんどいなかったことは、やはり寂しい。
ここでは、紙の資料ばかりでなく、実物の道具や機器、衣服などの展示、体験コーナーなど、博物館的な要素が大きい点が特徴なのだろう。
壁面一杯の「学びの庭の壮行式」(1937年11月)は、土門拳により泰明小学校で撮影されたものだが、まず目に飛び込んでくる。朝礼台にはタスキをかけた六人の若者が緊張した面持ちで直立している。「学びの庭の・・・」の題は、土門が命名したものか。また、石川光陽「空襲下の東京」(1945年1月)、菊池俊吉「銀座四丁目付近」(1945年11月)の壁から迫る画像は、現在も、世界の各所から報じられている空爆による瓦礫の街を想起させる。
この間、1937年7月、日中戦争が始まり、1941年12月太平洋戦争が始まり、1945年8月敗戦を迎える。これらの写真を背景にしての展示のなかで、目を引くのは、たとえば、1933年尋常小学校1年生が初めて手にする読本は「サイタ サイタ サクラガ サイタ」であり、1941年国民学校1年生が手にするのは「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」に変っている。1939年の7月には、グリコのおまけに「軍歌集」が付くのである。1940年6月、NHKラジオから「隣組(岡本一平作詞、飯田信夫作詞、国民歌謡65集収録)の歌が流れ始める。1940年2月、愛国婦人会・大日本国防婦人会・大日本連合婦人会は解散、統合して大日本婦人会が発足している。1942年10月号の『文藝』に発表した太宰治の「花火」が全面削除処分を受けている・・・。ケース内に展示された、そんな資料を一点、一点、気ままに見ていくだけでも、かなりの時間がかかりそうである。
併設の図書室もゆっくり見たいところだが、カウンターにあったブックリストはテーマ別に9枚のリーフレットになっていて、表紙画像入りで、15冊ほどが紹介されていた。私がすでに読んだことがある本、家に持っている本、手離した本などが散見できるが、読んでみたい本も多く、帰りの電車では、退屈せずに眺めていた。

リーフレット表紙の写真がいずれも「米国国立公文書館」提供のものであった。日本では戦時下、占領期の写真や資料を残すという営為に欠けていたのだろうか。敗戦直後、官庁街では、資料を焼却する光景が見られたという。2015年10月、茨城県阿見町の「予科練平和記念館」を訪ねた折、練習生と起居を共にして撮影した土門拳のほとんどの作品が、不明で、自ら焼却したのではないかという記述に衝撃を受けたことがある。
今回の昭和館行きには、もう一つの目的があった。特別展示「昭和映画録~二度の黄金時代」であった。こちらは、無料で見られるだけあって、入場者はちらほら見かけた。しかし、その内容は、ポスター展のようでもあって、少し期待外れであった。1930年代、無声映画からトーキー映画となった時代と戦時下とGHQ占領期の統制時代を経て迎えた、1950年代の全盛時代を「黄金時代」と捉えている。戦意高揚の国策映画、占領政策の一環としての映画はトピックスとしての扱いであって、その時代を通して、時代に即して活躍した映画人たちへの評価が見えてこなかった。
総じて、厚生労働省社会・援護局所管の国立の施設で、1999年開館以来日本遺族会が受託、運営しているという性格上の限界なのか、残念なことではあった。
【参考】
昭和館常設展示室紹介動画①②
https://www.youtube.com/watch?v=AU0jjju3hTc
https://www.youtube.com/watch?v=t8T8P-ta60M
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旧堀田邸・さくら庭園に向かう桜並木、昨日から今日にかけて一気に咲きそろった。3月30日撮影。

































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