しょうけい館、昭和館を訪ねて(1)しょうけい館
3月24日、かねてより訪ねたいと思っていた「しょうけい館(戦傷病者史料館)」に出かけた。できれば近くの「昭和館」にも寄りたいと思った。竹橋の宿を早めに出て、九段下で下車、駅構内は、かなりの混雑で、ロボットが回って交通整理をしていた。「法政大学」の腕章をつけた人たちが要所要所に並ぶ。武道館での卒業式か。私たちは目白通りに面したしょうけい館に向かったが、10時に開館とのこと、少々の時間、近くを回ることにした。地図にある築土神社は十字路の広い坂を上ったところにあった。参道の上に高層ビルがかぶさっているような具合、靖国通りから階段を上って鳥居をくぐってゆく通勤の人たちにも出会う、近道なのだろう。
道路を渡ったところの標識には「中坂」とあった。その一帯は和洋学園で、「硯友社文庫」との看板もあるので、守衛さんに聞いてみると、土曜のみの開館とか。坂を上り切ると暁星学園である。今度は、目白通りに戻る坂を下ると「冬青木坂(もちのきざか)」の標識があって、正面には、しょうけい館があるビル、1階がローソン、2・3階の窓には「しょうけい館」の文字が見える。左手は、フィリピン大使館の高い石塀が続く。
しょうけい館は、厚生労働省が戦傷病者の援護施策として戦傷病者らの戦中・戦後の労苦を伝える施設として、2006年3月に開設された。日本傷痍軍人会が運営にあたっていたが、2013年11月傷痍軍人会解散に伴い、民間委託に移行、イベント・展示などをプロデュースている「株式会社ムラヤマ」が運営している。常設展には、おおよそつぎのようなコーナーが設けられていた。知らなかったことも多く、忸怩たる思いもする。生家に近い池袋駅界隈には多くの白衣の傷痍軍人の人たちが募金箱を前に立っていた。ニセの人たちが多いと、大人たちの声を聞いて育ったことにも拠るのかもしれない。
①戦地に向けて ②戦地での受難、治療 ③搬送、戦時下での療養 ④家族とともに ⑤心の傷による労苦
私がとくに印象深かった展示の一部を挙げるならば、
②では、暗いフロアに等身大の人形により野戦病院が再現され、そのリアルさに驚いた。ガイドブックの解説にあるように、「戦争末期の病院は、名ばかりのものだった」ことをうかがい知ることができる。

ガイドブック7頁より。戦地や野戦病院で包帯がなく、日章旗や褌などが代わりにまかれたという。
③では、横浜の山下公園に係留にされている、かつて日本郵船の北米航路の客船だった「氷川丸」が、1941年11月、海軍に徴用されて病院船となったことを知った。南洋諸島、太平洋諸島の戦地から戦傷病兵を内地へと送る役目だったが、幾たびもの爆撃を受け、薬品や医療用品の不足から船上で亡くなる兵士も多かったことがわかる。また、戦地でハンセン病と診断された兵士の手記によれば、診断後は、医師・看護婦・兵士たちの態度が一変し、治療も生活も劣悪なものになったと綴られていた。オーストラリアの収容所から岡山邑久光明園を経て多摩全生園に転じた戦後もさまざまな差別に苦しんでいたことがわかる。昨年の夏、しょうけい館の企画展「戦後80年・戦争とハンセン病」は残念ながら見逃してしまっていた。
ガイドブック9頁の一部。3枚のスケッチの右端、負傷兵は通常トラックで病院で運ばれるが、象で運ばれた戦地もあったことがわかる。
⑤は、新しく加わった常設展示ということで、簡単な4枚ほどのパネルで構成されていた。私は、タッチパネルにあった「国府台陸軍病院における精神・神経疾患一覧(1937年12月1日~1945年11月30日)」の資料で、1万449人の患者のうち、頭部外傷・癩癇1086人10.4%、精神分裂症4384人41.9%、ヒステリー1199人11.5%・・・という数字に出会った。これはほんの氷山の一角に過ぎないのだろう。
というのも、近頃でこそ、戦後80年前後に至って、メディアは、いわゆる戦場体験者のPTSD(心的外傷後ストレス障害)について報道することも多くなったが、日本政府は、その実態を把握しようとせず、対策も手つかずであった。戦傷病者の遺族、家族から戦後の夫や父親たちのさまざまな症状や行動に苦しんだ体験や報告がなされるようになった。なかでも、2018年発足した黒井秋夫さんを代表とする「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」の活動については、今回、調べていて初めて知ることも多かった。会の活動とともにメデイアによる報道、研究者からの発信と相俟って、厚労省への要請も重ねた結果、今回のしょうけい館の常設展示にもつながったという。さらなる詳細な展示を期待したい。
ベトナム戦争やイラク戦争からのアメリカの帰還兵たちのPTSDについて、いささか知ることになっても、日本の復員兵たちのそれにまで及ばなかったことにいまさらながら反省するのだった。
[参照]
・「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」ホームページ
https://www.ptsd-nihonhei.com/
・戦後タブーで研究進まず 戦病者67万人が精神・神経病との陸軍報告 これでも氷山の一角 トラウマ 埋もれた傷痕
産経新聞2025年8月8日
https://www.sankei.com/article/20250808-QYKXK2XETBKGHNEU6ZQA6TW2H4/
・未来に残す戦争の記憶心を壊した「熱血軍曹」の父 死後に知った戦争トラウマ、遺族の悔い
企画展「戦傷病者と結核」にも、私には知らないことが多かった。父と長兄の二代続く薬屋に育った私は、ツベルクリン・BCG世代でもあり、結核の治療薬「ニッパス」や「ストレプトマイシン」の名を聞くと、当時の頃を思い出したりする。展示もさることながら、シアターでの証言映像には説得力があった。一時間に3本ほどのドキュメンタリーを上映していた。シベリヤ抑留後結核を発症した方、戦後も入退院を繰り返した方など仕事にもつけず、経済的にも精神的にも支え続けた妻たちの証言、農村の男社会での農作業に頑張った妻 、洋裁によって家計を支え切った妻たちの証言は重かった。
【参考】
・「しょうけい館」紹介動画
https://www.youtube.com/watch?v=AU0jjju3hTc
・木龍克己「しょうけい館について」(国立公文書館)
https://www.archives.go.jp/publication/archives/no65/6210
| 固定リンク





コメント