アメリカへ行ったことがないのに、アメリカの画家三人に魅了されて(4)ベン・シャーン
ベン・シャーン(1898~1969)についても、すでに何回か当ブログでも書いている。彼は、リトアニア出身で、幼少期にロシア皇帝の独裁下から逃れ、一家で移民としてアメリカにたどり着き、苦労を重ねている。これまでのブログでは、私のベン・シャーンとの出会いにも触れてきた。つぎの二つの記事で、私の思いは言い尽くされているのだが、現在の、トランプ政権下のアメリカからの報道を見るにつけ、亡くなってから半世紀以上も経つというのに、この画家からのメッセージの力強さと新鮮さを思い知るのだった。彼が告発し続けた分断、差別、貧困、原爆、戦争という社会的なテーマは、現代のアメリカにおいて、そして現在の日本でも直面している問題であることがわかる。
・葉山の「ベン・シャーン展~クロスメディア・アーティスト」へ行ってきました~はじめての神奈川近代美術館葉山館(1)2012年1月26日http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2012/01/1-1cf0.html
・葉山の「ベン・シャーン展~クロスメディア・アーティスト」へ行ってきました~はじめての神奈川近代美術館葉山館(2)2012年1月26日
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2012/01/post-5478.html

左が神奈川県立近代美術館葉山館のベン・シャーン展カタログ表紙。右は、葉山館所蔵の「麻生三郎コレクション」の版画集「リルケ「マルテの手記・一篇の詩の最初の言葉』」の絵はがき、ペンの力の強さを描いた普遍的なメッセージが伝わってくる一枚に思う。。
上記事の葉山館での展示は、ベン・シャーンの画業のみならず、写真家としても、デザイナーとしても、ポスター、レコードジャケット、本の装丁、レタリングなど多岐にわたる。そして、これらの仕事の根底には、つねに社会的な弱者の味方として、社会の不条理にはきびしい批判や抵抗を示すという一貫した志が脈打っていることをあらためて知った。このカタログや数十年前の展覧会で購入した絵はがき、そして、古本で購入した、画家の没後、夫人の編集による“BEN SHAHN”(by Bernarda Bryson Shahn, H.N.Abrams New York 1972 ) などを眺めていると、初めて気づくことも多い。
ベン・シャーンの絵には、「ベン・シャーン ペーパーズ」として見出された画家自らが収集していた写真や記事やメモをソースにした作品が多い。彼が初期に手掛けた「ザッコ・ヴァンゼティ」シリーズは、冤罪事件がテーマであった。1920年4月、二人の労働者は製靴工場の二人を射殺した強盗事件の容疑者として逮捕され、反政府運動に関与していたというだけで、明確な証拠がないまま死刑判決を受け、21年8月に処刑された。彼らの無実が公表されたのは1977年であったという。ベンは、1931ー32年、このシリーズを制作、33年にニューヨークで開催された個展は大きな反響を呼んでいる。

「四人の検事」(1931-32)は、パンフレット「ザッコとヴァンゼティ事件の話し」1921年掲載の4人の刑事の写真をソースに描かれた。検事たちの表情は、神妙ではあるが、まるで容疑者のように見えてしまう。上記葉山館カタログ22頁より。

左「ザッコとヴァンゼッティ」(1931-32)、右「ザッコとヴァンゼッティの受難」(1931-32)。二人をつなぐ手錠と棺から受ける衝撃は大きい。前掲、1972年ニューヨークで出版された画集130,131頁より
左は2006年9月集英社から出版された詩画集の表紙は「That Friday,YAIZU」の一部。右は「落下物」(1957)ベンは、1954年3月、焼津のマグロ漁船「第五福竜丸」が、ビキニ環礁付近のアメリカの水爆実験で被ばくした事件に強い関心を寄せ、「第五福竜丸」を「ラッキー・ドラゴン」と名付け、「ラッキー・ドラゴン」シリーズとして、1957年から65年にかけて描き続けている。アメリカの原子核物理学者ラルフ・E・ラップ経由の調査や写真が参照されているという(上記、葉山館展カタログ解説)。
ベンは、1920年代と1960年の二度日本を訪れている。前者の詳細は不明という。1960年3月から4月にかけて、京都を中心に一カ月以上滞在している。日本への関心と取材は旺盛だったといい、聞きつけた日本の画家たちとの面会もなされている(藤慶之<抄録>「ヒューマニズムの画家ベン・シャーン」上記葉山館展のカタログ)。
私が、今回、あらためて画集を見ていて気付いたのは、以下の絵が「ワルシャワ」と名付けられていることだった。そしてこの絵のソースは下段にあるデッサンと写真であった。
さらに、この構図は、どこかで見たようなと、思い出すのは、つぎのハンブルグのニコライ教会で出会ったモニュメントだった。すでに当ブログでも触れているが、ナチスに抵抗した牧師のボンヘッファーの「試練」と題する言葉が刻まれている銘板の前で、頭を抱えるモニュメントは、2004年に制作されたらしい。あくまで、推測ではあるが、ベン・シャーンの先の絵が念頭にあったのではないか思うのだった。
・なぜ、いま「ボンヘッファー」か~神を信じなくとも: 内野光子のブログ (2025年11月30日)
・オランダとハンブルグへの旅は始まった(15)ハンブルグの交通路線図にようやく慣れて: 内野光子のブログ(2019年8月29日)
ベン・シャーンの「ワルシャワ」と題する絵の構図は、さまざまな絵にも登場するが、その一つが、つぎの絵だった。

「クラリネットとティン・ホルンのコンポジション」(1951)、1970年の「ベン・シャーン展」で求めた絵はがき。
また、つぎの本のカバーが、どういう訳か、ファイルの中に紛れ込んでいた。どうして私の手元にあるのだろうか。いま、思い出せないでいる。友人の誰かが、私のベン・シャーン推し?を知ってカバーだけ譲ってくれたのだろうか。著者のプロフィルなのだろうか。ベンは、様々な人物の肖像画も描いている。オッペンハイマー、ハマショールド、そして第五福竜丸で被ばくした久保山さんの絵も。
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