男女を問わず、皇族たちの人権は?「愛子天皇待望論」って何だったのだろう
前記事と重なる部分もあるのだが、「皇室典範改正案」が成立する見込みが確実になったので、今一度整理しておきたいと思った。地元のミニコミ誌への寄稿も兼ねて。
「皇室典範改正案」が6月30日に閣議決定されると、大方のマス・メディアは、旧宮家の男系男子を養子とする案への疑念を呈し始めた。たしかに、養子案は荒唐無稽な時代錯誤も著しく、非科学的な「万世一系」に根拠はなく、多くの国民も受け入れ難いのでないか。同時に、新聞などは、自社の世論調査結果を踏まえて女系・女性天皇への期待を、強調するようになった。
7月10日、衆院での質疑もそこそこに即日、賛成多数で可決したことを受けて、7月11日の三大全国紙の社説は、一斉に、国会運営の強引さと野党国民民主と中道の従来の主張と異なる改正案に賛成したことを糾弾した。与党の恣意的な国会運営、質疑における詭弁、答弁不能、テープレコーダーのような繰り返しにも近い政府答弁に呆れもした。
きょう7月15日、参院特別委員会審議入りし、16日には委員会採決、17日には本会議で成立の運びという筋書きで、国民そっちのけの国会軽視も甚だしい。しかも、見直しは30年をめどとされ、だれが責任をとると言うのだろう。なんでこんなに息苦しいことになってしまったのか。
これまでの新聞等の論調を見てみよう。
朝日は、7月10日「皇室典範改正の暴走」を非難、養子の男性子孫は皇位継承資格を持つという規定は、女性・女系天皇への道を塞ぐものだとし、翌11日には、衆院で改正案に賛成した中道や国民民主などの野党の拙速な対応を追及した。
毎日も、7月1日、「養子の子に皇位継承権を付与する」という改正案は「女系・女性天皇を封じる意図」することへの疑念を示した。
読売は、4月16日の社説で「皇位継承の安定 女性・女系を排除せず論じよ」と明言して以来、世論調査を踏まえて、7月1日にも「女性・女系を排さず議論し直せ」と訴えている。女系・女性天皇を容認しないのは、憲法の男女平等に反するという論調から「愛子天皇待望論」が週刊誌やネット上などで噴出した。「改正案」からは、実現に程遠い議論ながら盛り上がりを見せ、まるで、ガス抜きをさせているよう気がした。一方、NHKテレビの15日7時のニュースは、改正案成立が確実になった途端、急になにやら、こまごまと解説を始めるという、いつもの悪質なNHKの手口に終始する。
現憲法下では、皇族たちは男女を問わず姓を持たず、さまざまな基本的人権を奪われている。改正案の「女性皇族は結婚後も皇族として残る」ということは、基本的人権を奪われたままで、法的な根拠を持たずに増やし続けた「公的行為」「公務」の人材要員となるにすぎない。配偶者や子どもの処遇、住所や生活費はどうなるのかも不明に近い。また、仮に女性天皇が実現したとすると、従来、天皇が背負ってきた義務や重圧を女性皇族までに拡大することになる。女性天皇の配偶者は、子孫はどういう処遇になるのか。いずれも、基本的人権を認めない人間をふやすことになるのではないか。
本来、皇族といえども、憲法上は、男女を問わず、皇籍を離れる自由、非婚・結婚の自由、子供を持つか持たないかの自由があるはずである。また、天皇は政治的権能を有しないはずだが、果たしてきた役割を省みれば、政権との密接な関係は否定できない。天皇の外国訪問、戦死者・被災者慰霊、皇族たちの種々のイベントへの参加によって、政権の施策の欠落部分を補完する機能を強いられ、利用され続けている現状に着目する必要がある。
朝日新聞が先の10日の社説で、「象徴天皇制と、法の下の平等や個人の尊重など<人類普遍の原理>という異質なものが憲法に同居しており、完全に整合させることは難しい」とやや踏み込んだ一文あったことに私は注目したのだが、どうなることか。憲法の基本理念と天皇制は相容れないはずである。
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