« 2026年7月 | トップページ | 2026年9月 »

2026年8月30日 (日)

NHK夜ドラ『税金で買った本』ってどんなドラマになるのかな?

 図書館が舞台のドラマと聞いて、見ないわけにはいかないと、先週月~木曜日の4話分を録画だったり、リアルだったりで、見ることになった。
 原作は「週刊ヤングマガジン」(ずいの作、系山冏画)で、2021年12月からの連載で、人気が高かったという。この頃のテレビドラマには、原作が漫画というのが多いのではないか。
 シングルマザーと暮らすヤンキーな息子が、昔、読んでもらった本が懐かしくなって、町の図書館に出かけ、利用者カードを作ってもらい、手にするまでの間に、図書館には、本を貸すだけではない様々な仕事、レファレンス、未返却本の処理、破損本の修理、プライバシーの保護などが、女性の非常勤職員や男性職員らによって語られてゆく。そんな中で、アルバイト先からクビを言い渡され、途方に暮れていたところに、その図書館のアルバイトに採用されて、4話は終わる。

 原作者は図書館勤めの体験があるというだけあって、なるほどということもあった。でも、当方としては、公共図書館の利用者ではあったが、国立図書館、短大図書館、大学図書館勤めが合わせて30年余りの身としては、ツッコミたいところもあった。それでも、これから、どんな展開になるのか、楽しみでもある。

 今回のドラマのキャストは、ほとんど名も知らない人ばかり。原作漫画でも主人公の女性職員は丸い眼鏡をかけている設定で、いかにもという感じ。一種の固定したイメージがあるのかな。私の記憶にあるドラマの図書館職員は、古くは、1979年と80年の正月に放映された向田邦子原作の「阿修羅のごとく」である。4人姉妹を演ずる加藤治子、八千草薫、いしだあゆみ、風吹ジュンの三女のいしだあゆみが図書館勤めで、まるっきり男っ気がないという設定であった。父親、佐分利信の愛人問題が発覚したところから始まったのではなかったか。また、ついこの間のような気もしたのだが、調べてみると2001年1~3月放映のTBSのドラマ「ビューティフル・ライフ」も、常盤貴子が車椅子の司書を、木村拓哉が美容師を演ずる恋愛ものであった。いわば、図書館のバックヤードにまではいたらない“図書館”が舞台ではなかったか。

 当方は、最初の図書館では、レファレンス部門の法律担当に回された。当時は、来館者、文書の問い合わせとともに、電話での問い合わせも多かった。来館者や電話での問い合わせは、時間との勝負で、部屋にある辞典・事典、文献目録、雑誌索引、先輩たちが残してくれたさまざまな書誌やカード目録が頼りだった。それでもわからないときは、時間をもらって、膨大なカード目録の検索、書庫に入っての文献の検索、確認の必要があった。まだパソコンなどない時代だった。

 連れ合いの仕事の関係で、名古屋の短大図書館に転職してからは、図書・雑誌の選書、発注、受け入れ、分類・整理、カードの整理、配架などを少人数の職員で手分けしてこなし、交代で、図書の貸借や相談を受け付けるカウンター業務につくという過酷な泥くさい仕事だった。エプロンと首に巻くタオルは必需品だった。1970年代後半から80年代は、私にとっては子育てのさなかではあったが、夏休みの1週間、愛知学院大学の司書講習会で、参考業務演習を担当したことも忘れ難い。200人近い受講生にレファレンスの楽しさを、どれほど伝えられたか分からなかったが、自身が学びながら楽しむことができた貴重な体験であった。 そして、千葉県に転居してからは、新設大学の図書館に転職することになったのだが、ここでもわずか数人で、アルバイトや機械の力も借りながら、図書館業務全般をこなさければならなかった・・・。

 そんなこともあって、退職後、公立図書館の様子も知りたくて、市立図書館の非正規職員募集に応募したこともあったが、採用されなかった。現在、公共図書館では、職員の4人に3人が非正規職員というのが実態である。さらに、管理の程度は様々であるが、市町村立図書館で指定管理者制度の導入も始まり、20%を超えている。佐倉市でも、指定管理制度の検討に入ったという。図書館はどこへ行く。

 そうそう、「税金で買った本」に戻れば、アルバイトといえども、あんな簡単に採用されるものかなあ、というのも疑問だった。
 以下、過去の当ブログ記事もご参照ください。

 図書館の「指定管理者制度」についての講演会へ(2025年8月 4日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2025/08/post-757383.html

図書館を支える人々~非正規と障がい者の方々の待遇の実態(1)(2023年9月10日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2023/09/post-52425b.html

 

| | コメント (0)

2026年8月18日 (火)

千葉豪雨~現代の「治山治水」とは

  今回の8月13日からの「千葉豪雨」には、ほんとうに驚いた。佐倉市の雨量も半端ではなかったが、雨戸のない部屋には、雷鳴と共に落雷するのではないかとさえ思えるような状況が続いた。2019年の台風の時の雨量が6時間あたり234mmに対し、今回は454mmと約2倍であったという。とりあえず、近辺の被害は、見当たらなくほっとしたところである。

 佐倉市内で2名の犠牲者が出たとの報道に接したが、しばらくの間、その状況が分からなかった。8月14日の夜のニュースで、犠牲者の一名はタクシーの乗客の女性と知った。しかも、一昨年まで住んでいた場所から遠くない「小竹」だったといい、田んぼの中で水没している一台のタクシーの映像が放映されていた。車の屋根には、旧居と勝田台間で、よく利用していたタクシー会社の標識ついていた。8月13日の夜半、猛烈の雷雨の中、あのタクシーはどこからどこへ向かおうとしていたのだろう。運転手は一命をとりとめたというが、身につまされる事故であった。

 Img_d286eb3e69e2375a9f86d5106917a7bd6236

8月14日、TBSテレビニュースより

  14日から15日にかけて、知人や友人からお見舞いのメールをいただき、恐縮する。16日には、旧居近くの友人と会う機会があったが、道路が冠水、危うく玄関に水が入りそうになった由、雨の中、近所の男性たちとグレーチングにたまったごみの撤去に大変だったとのこと。動けなくなった車も近くにあったというが、こうした一度水没し、動けなくなった車は、県内で2700台にも及んだという報道もある。実際はもっと多いのではないか。ユーカリが丘駅近くの商業施設に働く人たちの中には、帰宅できず、店に泊った人たちも多かったそうだ。また、千葉市内の友人からは、一時期、電気やガスもストップし、マンホールの水が逆流、浸水し、高齢者にはあと片付けはきついとのメールも入った。

 家屋の浸水や土砂崩れ、農作物への被害も甚大だが、地下施設の浸水や車の水没、それに伴う交通障害といった、都市に発生しやすい被害も目立つようになった。

 8月15日には、熊谷千葉県知事が佐倉市の被害状況を視察に来たようだ。地元選挙区選出の衆院議員や県議3人と自民党小林政調会長もぞろぞろ。なんだかな、選挙対策芬々の光景であった。その様子は知事がXに投稿している。(https://x.com/kumagai_chiba

 2019年の台風の時も、佐倉市内の街川は氾濫し、大きな水害をもたらした。山火事やクマ被害対策にしても、「治山治水」は現代においても、政治の大きな課題なのである。AIの促進やデーターセンター建設にうつつを抜かしていて、いいものなのだろうか。高齢者は不安なのである。

 

| | コメント (0)

2026年8月12日 (水)

欠陥法案、続々、もうこの国を愛せない(4)~国会閉会後はというと

 高市首相の熊本地震の被災者避難所の視察が「3分」に過ぎなかったと報じられ(「田中龍作ジャーナル」2026年8月3日)、拡散されると、氷川中学校の滞在時間は五十何分だと、内閣広報官が反論する羽目になった。https://tanakaryusaku.jp/2026/08/00033801

 朝日新聞8月4日の「首相動静3日」によれば、避難所の氷川中学校到着3時13分、視察が午後3時21分から34分、35分から54分までが被災者との意見交換をしたことになっている。実際に、避難所になっている氷川中学校の教室に滞在したのはかなり短かったことは推測できる。その前には、校長室で地元住民との意見交換が行われていたらしい。また、首相官邸からは、BGM付きの首相の「熊本視察動画」が発信されたことも批判されている。たしかに、真新しい防災服を着て、走るように移動する動画は、子どもが燥いでいるのようにも見える。6日経っての視察先での「激甚災害指定」の宣言といい、予備費からの200億円で「国ができることはすべてやる、先手、先手で」との発言は、失笑をかった。電気、水、道路を断たれ、家を失い、瓦礫の中で暮らす被災者や車中泊を余儀なくされている人たちをさかなでしないか。災害の政治利用、パフォーマンスといわれても仕方がない。
 折も折、8月1日、2024年1月の能登地震の復興計画の一環での公営住宅整備3100戸のうち、2棟14戸が七尾市に完成し、入居した旨の報道がなされた。2年半以上がたってもこんな状況であることを知らなかった私は驚いた。この事態を、物々しく、いかにも復興が進展しているかのように報道する方もおかしい。遅れているのはなぜなのか、何がネックなのかことこそ深堀りするのが報道ではないのか。能登半島地震、今回の熊本地震の復旧・復興対策一つをとっても、後手、後手の結果ではないのか。

 6月末には「日本成長戦略概要~「強い経済」の構築による、強く豊かな日本列島の実現~」が明らかになった。https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/nipponseichosenryaku/pdf/jgs2026gaiyou.pdf(内閣官房)

 また、7月21日、政府は「骨太方針」を閣議決定した。その中の「安全保障の強化」という項目には「5年以内の防衛力の変革を明記。その一環として、有事に備えて弾薬などの生産ラインを維持するため、工場を国が保有し運営は民間に委託する「公設民営化」の検討を盛り込ん」でいる(東京新聞7月22日)。

 さらに、政府は8月4日の閣議で、2026年版「防衛白書」を了承したのである。無人機や人工知能(AI)を活用した「新しい戦い方」の出現を踏まえて1章を創設した。「新しい戦い方」って、いったいどこと戦うというのか。中国と太平洋進出や中国とロシアの動向を念頭に置いているという。すでに今年の3月、熊本市の健軍陸上自衛隊駐屯地に、住民の反対を押し切って、中国の沿岸部や北朝鮮が射程に入る長距離ミサイルが配備された。10年かけて、各地に配備、反撃能力(敵基地攻撃能力)を高めるというのだ。防衛費の総額は、9兆353億円(対前年度比+3.8%)で、長距離ミサイルを含むスタンド・オフ防衛能力分野では、総額の約1割の9733億円で、2023年度から5年計画で毎年1兆円近くが計上されて来た。重点分野の内訳は、以下の通りである。

Photo_20260811234401

【参考】

 Photo_20260811231301

jijicom 2025年12月26日より

 物価対策の一環としての食料品消費税減税のはずであったが、8%を1%に下げたところで、生鮮食品を含む食料品の物価上昇はすでに、7%をとっくに上回っていることは、多くの国民はスーパーや生協での支払いで実感済みである。来年4月からの2年後に8%に戻すという。8月5日、財源を示さないままの閣議決定であるが、8月6日の首相の記者会見では、2年後には「私が責任をもって、8%に戻す」覚悟?が確認されている。

   8月7日には、農林水産省は、食料自給率を公表した。図表に見るような長期推移を以下のように分析している。
「食料自給率は、長期的に見ると、米の消費が減少する一方で畜産物や油脂類の消費が増大する等の食生活の変化により、低下傾向が続いてきましたが、2000年代に入ってからは概ね横ばい傾向で推移しています」

 たしかに、横ばい状態が続いているが、カロリーベース37%というのは過去にもあったが最低である。カロリーベースの自給率の計算式は以下の通りとなる。

カロリーベース 食料自給率 = 国産供給熱量÷ 国内総供給熱量
= 1人・1日当たり国産供給熱量÷ 1人・1日当たり総供給熱量
= (830kcal/人・日)÷(2,237kcal/人・日≒37%

   この食料自給率は先進7カ国(G7)の中で最も低い水準で、食料供給のうち、国産で賄えない63%分は米国(26%)やカナダ(11%)、豪州(10%)などからの輸入に頼る。自給率が下がれば紛争や為替変動などの影響を受けやすく、食料安全保障上のリスクとなるわけである(jiji.com 2026年8月7日)。 品目別の自給率はでは、米が96%、野菜73%、魚介類46%、砂糖類33%と続くが、果実28%、大豆25%、小麦になると17%となる。相当危ういことになってはいないか。知っているようで、この数字を目にするとあらためて驚いてしまう。物価上昇に歯止めがかからないのは、ここにも原因の一つがあるようだ。

 Photo_20260812154401

jiji.com 2026年8月7日より

 【参照】 
農林水産省(2026年8月7日)
令和7年度食料自給率(カロリーベース・生産額ベース)
https://www.maff.go.jp/j/zyukyu/zikyu_ritu/attach/pdf/012-20.pdf

 こんなことを調べたり書いたりしていると、心はますます萎えてくる。この辺でやめたいと思う。

 

 

| | コメント (2)

2026年8月 7日 (金)

比屋根さんが亡くなられた、さびしいです。

  8月2日、比屋根照夫さんが亡くなられた。今朝の毎日新聞で知った。最後にお会いしたのが、2017年8月1日、松本三之介先生の『「利己」と他者のはざまで』(以文社)の出版を記念しての会だった。日付まで覚えているのは、長兄の命日でもあったからである。会は、生家にも近い池袋のお店だった。比屋根さんは、大田昌秀元知事の県民葬の準備で多忙の中、上京されたとのことであった。会は、先生の新著の合評会を兼ねて、参加するには必ずレポートするよう、世話役の友人から言われていたのだが、私には、かなりきつかった。あとは、先生と参加者の議論をひたすら聞くばかりだった。

参照「『「利己」と他者のはざまで』に触れて」(2017年8月 3日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2017/08/post-5537.html

  私は、大学では松本ゼミでもなかったのだが、卒業後、同期のゼミ生だった友人から声がかかって、ゼミ旅行や「飲み会」に誘っていただくことがあった。 比屋根さんとは同じ年のはずだが、大学でご一緒していたわけではない。琉球大学を卒業後、東京教育大学の大学院で松本先生の指導を受けられた後、琉球大学で教鞭をとられている。本土復帰前に日本に留学するには、入国審査が必要だったという話をされていた。「沖縄近現代思想史研究の第一人者」と紹介されることが多く、私も「伊波普猷」の名を初めて知ったのが比屋根さんの論文であったが、他の多くの著作を読んでいるわけではない。

 比屋根さんとは、もう一つの思いがけない“接点”があったのである。私は、少しばかり沖縄の歌人、沖縄の短歌、平成期の天皇夫妻が詠んだ沖縄の短歌について、調べていたことがあった。
 そこでなんと、比屋根さんの若き日の短歌に出会ったのである。1958年3月の『短歌研究』の〈沖縄の歌と現実〉特集は、吉田漱による沖縄の歴史・政治・経済の現状と歌壇についての丁寧な解説と作品集を収めていた。編集の杉山正樹は「ジャーナルの上でやや置去りにされがちな沖縄の諸問題を島民の切実な“地の声”を中核として」企画したと記しているのだが、その作品集の中に、つぎの一首を見出したのである。

・絶望に通ずる道を歩むに似たり一日一日のかなしきいとなみ
 比屋根照夫(「琉球(新報)歌壇」)

 『琉球新報』の「歌壇」に発表された年月日は、調べればわかるのかもしれない。そこまではしていないのだが、比屋根さんが18歳の頃の短歌であったろう。とうに短歌とは離れているそうだが、当時の沖縄の行く末を嘆いての一首である。詠まれた状況は、なんと昨今の沖縄のみならず、日本の行く末にも通じるものがあって、愕然とするのであった。

参照「沖縄とジャーナリズム(1)短歌ジャーナリズムはどう向き合ったか」(2015年6月29日 )
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2015/06/post-cfd1.html

「沖縄タイムス」(8月6日)は「沖縄近現代思想史研究の第一人者で沖縄の政治や社会状況に積極的な発言をした」と報じている。もう一度、電話ででも、今の沖縄について、短歌についての話をお聞きしたかった。
 ご冥福を祈ります。

197482931img380
1974年8月、松本ゼミOB研修旅行、「自由民権の地 弾正が原」にて。碑に向かって中央左のシャツ姿の松本先生、その後ろに立つのが比屋根さん。山形で山形大学の二人と先着組に合流、蔵王温泉のこまくさ荘と白銀荘に各一泊、
観光のドライブの後は数人による研究発表が二日続いた。この旅行の予定にはなかったが、「斎藤茂吉記念館」にも、急遽立ち寄っていただく。三日目は、会津若松を経て、帰京組は郡山から特急に乗り、私には楽しい旅が終わった。

 

 

| | コメント (0)

« 2026年7月 | トップページ | 2026年9月 »