関東大震災朝鮮人犠牲者の慰霊にむかう
『うた新聞』(2026年9月)のコラム「忘れないために」に寄稿しました。
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チョゴリにて生徒ら歌うその声は馬込の野をも鎮めゆくなり
私の住む佐倉市に接する八千代市の高津山観音寺で毎年行われている関東大震災慰霊式に二回ほど参列したことがある。寺には犠牲者を悼み、韓国から贈られた鐘と鐘楼がある。一九九八年には、大震災発生時に警察の命令により村人たちがやむなく殺めた朝鮮人六人の遺骨が発掘された。殺戮の場へ連れ立つ朝鮮人と村人の姿を見送ったという教師から話を聞いた方が、いまも慰霊やフィールドワークの重責を担っている。犠牲となった六人と村人たちの悲痛は想像を絶する。政府は事実の認定を避け、犠牲者への謝罪もない。
また、十年近く前になるが、船橋市馬込霊園での関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式に参列した。慰霊碑の横には約百人の方の遺骨が納められている。式の帰りのバスで、朝鮮人学校の引率の先生と隣り合わせになったご縁で、学校行事の案内等を頂くようになった。
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以下は、2023年、『現代短歌新聞』(2023年10月)<関東大震災100年>特集の折、寄稿したものです。
観音寺の鐘楼
縛られて〈払い下げ〉られし六人を殺せと命じられし村びと
息つめて向うは高津山観音寺晩夏の雨に鐘楼濡れおり
朝鮮の技にて成りし鐘楼に犠牲者慰霊の礼のひたすら
命じられ殺めし人らを供養せる碑には銘なく落葉とどまる
二九六の往来激しき道の辺に潜まり建つは〈無縁仏の墓〉
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