2017年6月23日 (金)

なぜ、いま、「斎藤史」なのか~6月12日の「大波小波」に寄せて

「大波小波」では

 もう、十日以上も過ぎてしまったので、旧聞に属するが、612日『東京新聞(夕刊)』の匿名のコラム「大波小波(魚)」は「<濁流>に立つ言葉」と題して、斎藤史の『魚歌』(1940年)と『朱天』(1943年)の各一首を取り上げていた。前者の「濁流だ濁流だと叫び流れゆく末は泥土か夜明けか知らぬ」と後者の「御いくさを切に思ひて眠りたる夢ひとところ白き花あり」を引用して、史の「美しいイメージは権力に奉仕」する「一変ぶり」に「自立性」を失うことへの警告を発している。問われるのは、史ばかりではないとして「第二の<濁流>の中で立ち続ける言葉を持てるかどうかなのだ」と結んでいる。

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『東京新聞(夕刊)』2017年6月12日




  安倍政権が推し進めた特定秘密保護法(
201412月施行)成立、そして「テロ等準備罪」新設への疑問は、依然として根深い。しかも、テロ等準備罪に関しては、衆議院法務委員会で強行採決を経て、本会議で可決、参院では法務委員会の審議を打ち切り、委員長による「中間報告」をもって、即、本会議の採決とするなどの異例の手段で、可決、成立させた。法務大臣はじめ、曖昧な答弁が続き、解明されないままである。質疑は参議院に移っても、法務大臣がまともな答弁が出来ず、疑問は解明できず、「テロ等準備罪」の必要性がどんどんと崩れていった。組織的犯罪集団の解体、テロ防止、オリンピック開催に役立つどころか、監視社会の強化により市民の活動や言論は萎縮をもたらすだろう。短歌という小さな世界にかかわる表現者としても、このコラムでの指摘は、重く受け止めねばならない。

 

斎藤史研究の基礎的な作業は

斎藤史は、194112月の「開戦」を境に「一変」したというより、彼女が短歌や時代に向き合う姿勢に問題があったのではないかと思う。というのは、私自身、作歌とともに近現代短歌史に関心を持ったころから、著名歌人の戦争責任に触れないわけにはいかなくなって、斎藤史に着目した。彼女の短歌は、老若を問わず、その作品の魅力や生き方を賞賛してやまない歌人たちや読者が多い。そうした人々には、「一変」したのは時代の流れで、だれもが遭遇した、致し方のないことだったとする論調が多い。

 しかし、斎藤史に関しては、短歌にかかわる「事実」を、きちんと整理しておかなければならないことに気が付いた。もう20年以上も前のことになるが、私は『風景』という短歌同人誌に「斎藤史 戦時・占領下の作品を中心に」と題して連載していたことがある。「『斎藤史全歌集』への疑問」として、「大波小波」(東京新聞1998115日)に紹介された。基本的な作業として、史が、いつどのようなメディアに、どんな作品を発表していたかを明確にしておかなければと思った。当時に比べると、現在は、資料をめぐる環境も随分変わった。古本は、なかなか入手しにくくなる一方、国立国会図書館で、雑誌のデジタル化が進み、プランゲ文庫の新聞雑誌の検索可能になり、遠隔コピーの利用もたやすくなった。しかし、例えば、史が属していた『心の花』は復刻版もあるのでありがたいが、いわゆる短歌総合雑誌も欠号なく所蔵している図書館が少ない。父親の斎藤瀏と立ち上げた『短歌人』、さらに『原型』などを所蔵する図書館や文学館があっても欠号が多い。前川佐美雄らとの雑誌「日本歌人」「オレンジ」などになると、さらに難しい。最近思いがけず『灰皿』がデジタル化されているのを見つけたりした。
 
 史は、短歌総合雑誌だけでなく、さまざまな文芸誌、女性雑誌、業界雑誌や地方雑誌、児童雑誌、そして新聞と、その寄稿対象が広いので、網羅的な著作目録作成は不可能に近いかもしれない。これまで私は、作品を含めてほそぼそと著作目録の作成を続けて来たが、何ほどのものが集められたか心細い。史の場合は、同じ作品を、さまざまなメディアに、組み合わせを変えたり、あるいは、そっくり同じ作品を、再録との注記もなく、題を変えて、同時に発表したりすることもある。さらに、次に述べるように、歌集収録や『全歌集』収録の際の削除、改作にいたっては、夥しい数にのぼる。歌集収録に当たっての取捨や改作は、「歌集」自体を一冊の文学的な結実として評価するところから、普通によく行われていることであろう。その異同などが、作品鑑賞や研究、作家研究などの対象になることも多い。

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『朱天』1943年7月15日発行の初版の奥付けと「後記」の末尾。出版会承認3000部とある。スキャンすると、どうしても歪んでしまって・・・

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『朱天』1944年1月15日発行の再版の表紙とカバー。奥付けには出版会承認3000部とある。初版・再版ともに櫻本富雄氏から頂戴したものである

二つの『朱天』が意味することは

ところで、1977年刊行の『全歌集』に収録された『朱天』は、初版『朱天』より、つぎのような神がかり的な戦意高揚短歌を含む17首が削除されていたことが分かったのである。それは、『全歌集』刊行時、編集にあたった史が、どういう評価をし、どういう意図で、17首を削除したかは、定かではない。

多くの著名な歌人たちには、生前だったら自らの手で、没後は、遺族の手で、あるいは弟子や第三者の手で、さまざまな編集過程を経て、刊行される≪全歌集≫や≪全集≫を持つ。刊行の折には、明確な編集方針を示すとともに、その意図、理由をも示してほしい、というのが読者の願いでもある。そうすることが、≪全歌集≫や≪全集≫の資料的価値の決め手になるのではないかと思うからだ。歌集は、「てにをは」のミス訂正はともかく初版の原本が基本だろう。編集時の改作、作品の加除は、なすべきではないと、私は考えている。もし、どうしても、その必要があるならば、異同が生じた理由や経緯を明らかにしておくことが重要かと思われる。

 歌集『朱天』は、作歌時期によって、大きく「戦前歌」「開戦」に分かれるのだが、『全歌集』に『朱天』を収録する際に、斎藤史は、「戦前歌」という表題の下方に、「昭52記」と添え書きをして、次の1首を付記したのである。 

はづかしきわが歌なれど隠さはずおのれが過ぎし生き態なれば 昭52 

 

 そして、初版1943年、再版1944年の「後記」は、「昭和十八年二月」付で、364首を集めた、と記している。『全歌集』の収録時には、この「後記」と同じ頁に、「昭52付記今回三百四十八首」と付記した。これだけを読むと、16首(364348首)を削除したことが推測されるが、その理由などは示されていない。その上、初版の『朱天』の収録歌数の実数は、365首だったので、実際の削除は17首であることが分かったので、照合してみると、たしかに、『全歌集』に収録されていない作品が17首あり、その中に、つぎのような作品があったのである。

國大いなる使命(よざし)を持てり草莽のわれらが夢もまた彩(あや)なるを(『朱天』6頁)


 初出は『日本短歌』19412月号、「秋より冬へ」15首の内の1

首であった。さらに、「使命」の部分は「理想」であった。




現(あき)つ神在(ゐ)ます皇国(みくに)を醜(しこ)の翼つらね来るとも何かはせむや(『朱天』95頁)



 初出は、『公論』19423月号「四方清明」5首の内の1首であり、『日本短歌』19424月号「春花また」6首の中にも見出すことができる。




神怒りあがる炎の先に居て醜の草なすがなんぞさやらふ
(『朱天』
147頁)

 

初出は『文芸春秋』194212月号、「北の防人を偲びて」10首の内の1首であった。『文芸春秋』の短歌のコラムは、現在も続いている、歌人も注目のコラムであるが、斎藤史の登場は、戦前戦後を通して、他の歌人に比べれば、例がないほど、その頻度は突出している。当時、1940年以降、平均すれば、年に1回は作品を寄稿していることになるのである。 

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『朱天』初版・再版とも頁割は同一で、最終の2頁5首の内、4首が『全歌集』から削除され、収録されたのは、最後の1首であった。綴じが崩れている個所もあって・・・


 『全歌集』刊行の
1977年以降、「昭和52付記」の「はづかしき・・・」の一首は、削除した作品を検証することもなく、独り歩きをした格好で、史が戦時下の歌集を隠すことなく、さらけ出した「勇気」や「覚悟」を称揚する論調が拡散した。

それは、戦時下においては、斎藤史が歌壇内外で“人気”の若手女性歌人であったからだろう。しかし、それは、歌人の父、斎藤瀏が226事件の反乱将校たちを幇助したとして服役し、1938年仮釈放された後、『心の花』を離れ、『短歌人』立ち上げたのが1939年であった。娘の史は、親しかった反乱将校たちを銃殺刑で失うという、“悲劇”を背負った歌人の父娘であったことと、瀏が、仮釈放後、歌壇に復帰したのが、軍国主義が強化され、軍による言論統制が露骨になった時期であり、歌壇のファッショ化の先陣を切る形での活動が始まったことと無関係ではなかった。その華々しい活動は、著作目録から見ると、他の女性歌人と比べて、そのメディア進出頻度は破格だったことが分かる。

さらに、戦後の斎藤史は、戦前の歴史的な検証というよりは昭和天皇との確執という「物語」を背負い、疎開地の長野にとどまって、父を看取り、長きにわたった母の介護に続き、夫の介護をも担うことになる。初版の『全歌集』が刊行されたのは、夫が亡くなった直後でもあった。

占領下、その後の斎藤史については、別稿としたい。


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2017年6月22日 (木)

国会が終わり、世論調査も出そろった、忘れてはいけない!

政治への不信、安倍政権への憤りから、ともかく二つの一覧を作成してみた。政権は、国会が終わりさえすれば、共謀罪も、森友・加計問題も、国民は忘れてしまうだろうと、タカをくくっている。本当にそれでいいのか。

メデイア各社の6月の世論調査が出そろった。結果は以下の通りで、毎日新聞とテレビ朝日の結果で、安倍内閣支持率が逆転した。他の各社も軒並み内閣支持率は急落している。かつて安保関連法案を強行採決した時も、支持率は急落したが、徐々に戻っていたわけだ。だから、政府は、国民はすぐ忘れるもんだと、見守る構え。しかし、今回、私は内閣支持率と「テロ等準備罪」「加計問題」の結果も拾いあげてみた。

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「テロ等準備罪」について、新設自体の賛否で見れば、賛成が4割以上で反対を上回るのは、FNN産経、読売、日経東京テレビの三社の結果であり、他の五社は反対が上回る。質問の仕方・選択肢や調査方法・対象が若干異なるとは言うものの、いわゆる保守・政権よりのメディアが賛成多数となった。しかし、その「テロ等準備罪」の政府の説明や手続きが十分であったか否かについては、「不十分」とする回答が圧倒的に多くなり、64~80%を占める。また、「加計問題」も同様で、政府の説明に納得せず・不十分との回答が66~84.8%を占める、という状況であった。「テロ等準備罪」は成立しても、これから十分議論し、説明がなされるべきだし、それでも不十分ということになれば、廃案への手立ても考える必要がある。「加計問題」について納得できないという国民は、まずは国会を通じて、安倍首相がいう「丁寧な説明」を、臨時国会開催、証人喚問によって果たすべきだし、さらに内部文書の調査には第三者が入る必要も出てくるだろう。

つぎに、今日も、自民党の豊田真由子議員の秘書暴行・暴言事件が報じられ、明るみに出たが、除名とか、離党で処理する問題ではない。こうした事件が続く一方、今国会では、大臣や党要職の暴言放言事件が続いた。一覧表にしてみたが、まだまだ続くだろうし、私が失念しているものもあるかもしれない。教えていただければありがたい。ただただ、この表が膨れ上がらないことを願うばかりだ。「失言」とかミステークの問題ではなく、本音や隠蔽のなせる業で、政治家としての資質が問われる発言であって、その責任は重いはずで、大臣や要職に就いている場合ではないはずである。

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2017年6月 5日 (月)

5月31日、共謀罪法案の廃案を求める集会に参加しました

 「共謀罪」、こんな怪しげな、危険な法律を通すわけにはいかない、という怒りと悲壮感が漂う表情の人たち、まだ参議院で廃案にすることができるぞ、という意気ごみをみなぎらせた人たちが、続々と日比谷野外音楽堂にやって来る・・・。正直、私もいろいろな思いが交錯するのだが、この日の集会「531共謀罪法案の廃案を求める市民の集い」への参加には、もう一つの目的があった。613日「森友問題の幕引きを許さない市民の会」主催の「森友・加計問題を考えるシンポジウム」のチラシを配布することだった。

会の有志が、4人ほどで配布しているはずである。会場でのチラシ配布はできないことになっているので、その周辺で、集会が始まる前には配り終えなければならない。「加計・森友問題のシンポを開きます」「森友・加計問題を糾明しましょう」とチラシを渡すのだが、受け取りの感触は良かったと思う。手を差し出して受け取ってくれる人、通り過ぎてから戻って受け取ってくれる人、「まったくおかしいわよ」「許すわけにはいかない」「とんでもないやつらだ」「あら、青木さんが来るのね」「がんばろう」と反応はさまざまだが、みな怒っていた。あとで合わせてみると4人で1100枚近く配ったことになる。そんな中、一人で参加の佐倉の知人にもお会いした。

 613日は、ウィークデイだし、国会は会期末で、どうなっているかの不安定要素もあった。また、一方、前川証言が出現して、加計問題は予想外の展開もし始めている。「市民の会」のシンポジウムにどのくらいの方が参加されるだろうか。会場が衆議院第一議員会館で、定員300人限りなので、先着順ということになった。参加の方は、お早めにご参集くださるよう、お勧めしたい。

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よいよ、集会もスタートという直前に、私も入場、入り口では「プログラムがなくなってしまいました」というほど、会場びっしりの参加者である。そして間もなく、入場制限が始まって、門は閉じられてしまった。野音での集会には、何度か通っているが、これだけの混み具合いだと、どうだろう3500は超えていると思った(翌日の報道によれば4700人とのことだった。立ち見や場外の人たちを入れると、そんなものかなと)。開会のあいさつ、海渡雄一弁護士のアピール、山尾志保理議員の報告と続いていたが、所用のため抜け出すことに。一度出たら入れませんよと、係の人から念を押されてのことだった。

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 前日の5月30日、参院法務委員会の「共謀罪」質疑において、有田芳生議員の質問「組織的犯罪集団に一変するのを誰が監視して判断するのか」に、手を挙げた金田法務大臣は、安倍首相から腕を抑えられ、答弁を阻止された。その後の挙手も、盛山副大臣からスゴイ勢いで振り払われていた。答弁するのは、”実務に通じた”林刑事局長。

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5月30日の「報道ステーション」より

 

 

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2017年5月23日 (火)

土曜日は、共謀罪についての講演会~私たちはどこまで危険にさらされるのか

 連日、気分が悪くなるような政治家や官僚の発言や政局の動きを目の当たりにしています。こんな風にして、法律が成立し、運用され、国民は、安心・安全どころか、暮らしの不安がつのり、危険にさらされていくのをこらえていかねばならないのか、と思ってしまいます。私たちの世代ももちろんですが、これからの若い人たちの歩む道は、いっそう険しいことになるに違いないと思うのです。

 今日にも、共謀罪は衆院本会議で可決されようとしています。緊迫した空気を肌に感じながら、パソコンに向かっています。

 土曜日の20日は、明治大学リバティ・タワーの一室で開かれていた澤藤統一郎弁護士の「共謀罪―その危険な本質と狙い」という講演会(ちきゅう座主催)に参加しました。そのお話の内容を、私の理解の限りでまとめてみると・・・。

 今回の「共謀罪」は、321日、政府が国会に提出した法案では「テロ等準備罪」と言い換えましたが、「組織的犯罪処罰法」の改正案で、2003年から3回提出されていましたが、いずれも廃案になり、2009年以降、法案提出の動きはなかったのです。

安倍内閣は、急きょ、昨年から、共謀罪新設は、オリンピックを控えてのテロ対策として、「国際組織犯罪防止条約」(TOC条約、2000年採択)締結のための必須要件として、その必要性を強調し始めました。しかし、そもそもTOC条約は、マネーロンダリング対策などが主目的で、テロ対策が目的ではありません。テロ対策のための条約としては、すでに日本も「爆弾テロ防止条約」「テロ資金供与防止条約」などの国連条約やその他8つの国際条約を締結、国内法も整備しているわけで、今回の「共謀罪」とTOC条約とは、連動するものではなく、別個の問題です。殺人罪などの重要犯罪には、刑法上準備罪・予備罪も規定されています。

では、なぜ、安倍政権は、共謀罪の新設を急ぐのかといえば、

広範囲の人と行為を、早い時期から、捜査の対象とすることができる

捜査機関、とくに警察の判断で、情報収集や捜査を開始することができる

特定秘密保護法(201312月)、盗聴法の拡大、司法取引を導入した刑事訴訟法の変更(20165月)とあいまって、一般市民の監視を強化することができる

・・・・

要するに、「共謀罪」新設は、安倍政権の、一強体制のうちに、改憲へと突き進みたいための地ならしであり、同時に、一般市民への監視体制を強化して、不都合な市民の発言や活動を抑止したいがためなのだろうと思いました。

 

駿河台の街路樹のもとには、心地よい新緑の風が吹き抜けます。お茶の水駅前のスクランブル交差点には、週末にもかかわらず若い人たちが行き交っていました。いたって静かで、のどかな学生街ながら、気持ちはどこか晴れない一日となってしまいました。

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3年ぶりの剪定のビフォー・アフターです。せっかくのヤマボウシ、残念だったのですけれど。晩年は室内犬となった、主のいない犬小屋は片付けられないでいます。

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2017年5月 3日 (水)

駅頭で、「憲法9条をまもりたい」のニュースを配りました

 きのう52日、憲法記念日を控え、地元の9条の会で、ニュースを配りました。夕方の4時半からの1時間、11人ほどで、「さくら・志津憲法9条をまもりたい会」ニュース34号を配りました。近くの県立高校の下校時間にもあたり、また買い物客も多い駅前のデッキは、かなりの人通りでした。全部で200枚弱を配ったことになりますが、受け取りの感触は、私には今一つでした。小さなお子さんを連れた家族連れや高齢者、そして、高校生たちに、受け取ってくれる人が多いようでした。一方、働き盛りの年代層、中年男性や若い女性たちは、「オレたちには、そんなこと考える必要もない」「私たちに関係ない」みたいな、かたくな態度で通りすぎていく人たちが多かったような気がしました。

 私たちの会は2006年から活動を始め、11年目に入りました。10数人の世話人から、亡くなった方も3人いらして、その後の出入りはありながら、細々と活動をつづけています。

 この日、マイクを持ったのは、いつものNさん、私も少しばかり手伝いましたが、どうも苦手です。原稿を持たずに呼びかけることができるようにとも思います。出かける直前のメモは以下の通りでしたが、どこか抜けたり、足したりと~。

 

 「皆さん、私たちは、さくら志津憲法9条をまもりたい会です。2006年から活動を始めて10年たちました。いま、最新号のニュースをお配りしています。どうぞ、お手に取ってお読みください。今年は、あすの憲法記念日で、憲法施行70年になります。私たちは、この憲法に守られ、日本は戦場になることも、海外の戦場で人を殺すことはありませんでした。その海外でも日本の憲法、とりわけ憲法9条が高く評価されてきました。

その憲法が、いま安倍政権によって変えられようとしています。昨日、憲法改正の集会で、安倍総理は「憲法改正の機は熟した」と発言していました。はたして、そうなんでしょうか。

安倍政府と改憲勢力は、まずは、一見、聞こえの良い、環境権とか、プライバシーの権利とかを守るため、最近では、高等教育の無償化を図るために、憲法を改正しようとしています。まずは、こうしたことから、改憲、お試しの改憲をしてから、9条を変えようとしています。環境権、プライバシーの権利、教育の充実にしても、現在の制度や法律で十分対応できるのです。

共謀罪の新設もそうです。いまある法律で守れることを守らず、テロ防止とかオリンピック開催のためにという口実で、共謀罪を新設する目的は何でしょうか。一般市民の活動を普段から監視して、政府に少しでも異を唱える人たちや集まりを萎縮させようとするのです。政府に都合のいい法律の新設や憲法改正には、私たちは反対です。

もう一度、立ち止まって考えてみましょう。」

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5月3日の朝、
ドクダミが繁茂するなか、今年は、生垣のレッドロビンの内側から咲き始めたテッセン
奥の紫モクレンのさかりは過ぎていた

 

「さくら・志津憲法9条をまもりたい会」のブログでは、ニュースのバックナンバーも読めます。ぜひお立ち寄りください。 

http://sakurasizu9jo.cocolog-nifty.com/blog/#_ga=2.161657660.1437253997.1493986454-443006642.1464273255

なお、以下は、私が最新号に寄せた文章です。

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「劇場」のカーテンは降ろさせない

トランプ劇場、小池劇場、籠池劇場と呼ばれて、メディアを賑わしています。

今回の籠池劇場は、森友学園に異常な安値とスピードで国有地を払い下げられたことを、一人の豊中市議の疑問から明るみに出たことに始まりました。国有地払い下げに政治家の圧力、官僚の加担、首相夫人の関与にまで発展しました。舞台での敵役は、籠池一家から、政治家や財務省・大阪府の役人、首相夫人まで飛び出し、目まぐるしく入り乱れています。政府は幕引きに躍起です。一部マス・メデイアは視聴率が少しでもとれればと、視点をずらして扱い続けていますが、登場するコメンテイターが、徐々に、首相の仲良しジャーナリスト「すし友」に移行しているのが気になります。財務省・大阪府の情報公開や官僚や首相夫人の証人喚問で、真実を明らかにしていくべき問題でしょう。世論の力、国民の力が問われる局面です。

アメリカでは、トランプ大統領の暴走に対して、議会や司法が、そしてメディアがきっちりと歯止めの機能を果たしています。韓国においても、国民や司法の力がトップを変えました。安倍首相は、トランプに、真っ先に駆けつけたといって自慢げであったし、その後もトランプ追随が目に余ります。

私たちのささやかな活動さえも監視の対象とされる「共謀罪」の新設、災害復興支援打ち切りの一方で、原発再稼働への舵を切り、天皇の退位問題をきっかけに、君が代・日の丸・元号・教育勅語などの問題がウヤムヤに溶解し始めています。さらに、沖縄の基地新設を既成事実として進む日米同盟強化など問題は山積みです。「残業月100時間未満」と非正規拡大のセットは、まさに「労働者哀史」です。私たちの身近な不安をあおることばかりです。

私たちは、政党に頼り、専門家の話を聞くだけではなく、自分たちの素朴な疑問からスタートして、一人一人が、自ら調べて、発信して、議論して、行動する努力なくしては、政治や世論を変えることができないと思っています。

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手入れせずとも、毎年咲いてくれるツツジ

 

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2017年5月 2日 (火)

ほんとに、何から言い出していいのかわからないほど(3)政治家の「失言」ではない「虚言」~共謀罪の場合

「一般の方々には関係ありません!」とは

  組織犯罪処罰法改正案の審議で「共謀罪」の新設は、「一般人には、いっさい関係がない。最初から犯罪の目的をもっている組織にのみ適用される」と繰り返してきた安倍総理や金田法相、法案を提出されたのち本格的な審議をとも言い続けてきたが、フタを開けてみても、疑問はますます増殖する法案だった。321日、「テロ等準備罪」と看板の付け替えをして、国会に提出された。これに先立ち、316日、法務省は「正当に活動する団体が犯罪を行う団体に一変したと認められる場合は、処罰の対象になる」との見解を明らかにしている。正当に活動する団体が犯罪を御かなう団体に“一変”した」って、誰が何を以って、“一変”したと判断するのかが分からない、というより、捜査当局の解釈や裁量によっては対象になることが明らかになったわけである。さらに、328日衆院法務委員会で、盛山正仁法務副大臣は一般人は捜査対象にならないと答弁した根拠について「何らかの“嫌疑”がある段階で一般の人ではないと考える」との見解を示した。“嫌疑”は現場の警察官が判断することから、共謀罪で捕まる対象者は警察官の判断次第ということになる。従来から、犯罪の予備があったか否かの最終判断は司法にあるから、と法務大臣は答弁していた。要するに、いったん警察官に“嫌疑”をかけられたら、検察や裁判過程でしか”嫌疑“を晴らせないことになる。

 2004年小泉内閣の時に、当初の共謀罪は、国会に提出されたが、20056年にかけて、審議を重ね、与野党の修正案が出されたりしたが、20066月、与党が成立を断念し、20071月安倍晋三首相は、共謀罪創設を柱とする組織犯罪処罰法改正案について、成立を目指すが、第166回国会、第167回国会とも審議に入らないまま継続審議となったが2009年の衆院解散により廃案となった。

 かつても「目配せを」をしたら共謀罪か、の疑問もあったが、今回は、地図と双眼鏡を持って花見をしていたら準備罪になるとか、法務大臣が答えていた。一般人には関係がない、オリンピックが開催できない、というのはまさに「虚言」というほかない。表現の自由以前の思想の自由内心の自由をに深く侵害するものなのである。

(続く)

 

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=i朝日新聞2017年2月17日=

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2016年12月14日 (水)

吉川氏との<論争>その後

 はや12月、今年は、私にとってめったにない経験をさせてもらった。というのも、すでにこのブログでもお知らせしたように、私が会員となっている『ポトナム』(2016年7月号)での歌壇時評に、『うた新聞』紙上で、吉川氏は反論を書き(8月号)、それに私が答えたところ(9月号)、また吉川氏の反論が掲載された(10月号)。以下は、『うた新聞』11月号の私の答えである。同新聞の12月号には、その応答がない。

 そもそも、発端は、私が『ポトナム』の歌壇時評で、2015年、安保関連法案が強行採決された後、開催された二つのシンポジウム「時代の危機に抵抗する短歌」(京都)「時代の危機と向き合う短歌」について、主催者側の吉川宏志氏と三枝昂之氏が「時代の危機」というより、歌人は「言葉の危機」にどう向き合うか、という視点で総括されていたことに疑問を呈した、ことに始まる。吉川氏は、私の時評の、シンポジウム参加者の感想の引用部分を私の言葉として、それを前提に非難してきたので、そこを明確にしてほしいことと、私がこれまで、他の著作でも主張したことのない言説をもって難じていることに、いささか困惑したのである。私の第1回目の反論は、以下をご覧ください。

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2016/10/89-e189.html

 

 さらに、吉川氏の反論は、私が時評や反論で言及していないことや他の雑誌の小文にまで及び、その主旨をねじまげ、自らの稿を進めたのである。私の2回目の反論は、末尾に再録した。

 二人のやり取りについては、あまり反響がないようなのだ。多くは当たらず触らず、ということなのだろう。今のところ、友人にご教示いただいた「歌壇時評・今問われているもの」(今井正和『くれない』2016年11月号)と「2016年評論展望」(屋良健一郎『(短歌研究)短歌年鑑』2016年12月)の中で言及されている。貴重な発言として受け止めたい。

 なお、直接ではないが、吉川・内野の双方に登場する『ユリイカ』の拙稿について、「歌壇時評・ぼくも行くかも」(斉藤斎藤『短歌人』2016年11月号)では、「歌会始の選者を引き受ける歌人を筆者は批判する気にはなれない」として、佐佐木幸綱のかつての言「俺は行かない」を模しての表題であった。「活躍」する歌人の「配慮」に充ちた発言としての典型なのかしらと思いつつ、やはり寂しかった。

 また、私が最初の時評で引用し、吉川氏が曲解したた岩田亨氏のブログでの発言であるが、その岩田氏が、『うた新聞』へ寄稿されると、自身のブログで公表された。さらに、上記『短歌年鑑』の屋良氏の「評論展望」への反論も『短歌研究』に書かれるそうである。その展開に期待したい。

 

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吉川氏「<いま>を読む」に再び、応える  

      

 前号の「<いま>を読む」は、私の九月号の反論であった。そこでは、私の『ポトナム』時評を八月号同様に「印象」をもって読み通すことに終始していた。「歌会始選者に安保法制について論じる資格がないというような言い方には無理があろう」、三枝氏の著書の「どこを読んだら、<戦中の歌人の戦争責任を不問に伏す>という言葉が出てくるのだろう」という二つの疑問が返ってきた。しかし、その疑問の設定自体が、私の二つの文章や表現(『ポトナム』七月号、『うた新聞』九月号)に即したものではなく、捻じ曲げられてしまっているのが残念だった。関連の質問もあるので、念のため答えておきたい。

「歌会始選者」と「集団的自衛権を強引に進める政権」への批判は矛盾しないのではないか、という。私は、シンポジウム登壇者に「歌会始選者」がいると気づいたという参加者の文章を引用はしたが、その評価にも、矛盾にも言及はしていない。

吉川氏は、『ユリイカ』八月号の小文を引用して、「歌会始選者」と「赤旗歌壇選者」の兼任についての私の疑問に触れ、氏は、両者の兼任は「交流する」ことによって「タブーでなくなったという意味」で評価をする。「タブー」であったという意味が不明だが、私は、特定の歌人による兼任だけを問題視したわけではない。『ユリイカ』で、私が言いたかったのは、ジャーナリズムや論壇において、基本的な核となる争点での対立を避け、「寛容」や「共存」へとなだれ込んでゆく現象を背景に、言論の自由・自立を脅かす異論の排除・無視という重苦しい潮流がある、ということであった。それを見据えずに政権批判や権力に抵抗することが、ますます困難になることへの不安であった。

三枝氏の『昭和短歌の精神史』について、私は、氏が「既存のフィルター」を排し、戦争期と占領期の作品に向かうことを提唱しながら、みずからも「<時局便乗批判>から歌人たちの戦中をもう少し自由にしたい」というフィルターに固執してしまっている、と評したことがある(『天皇の短歌は何を語るのか』八九~九〇頁)。今回、吉川氏が、私の引用した「戦争責任を不問に付す」という岩田亨氏の発言を私の発言にすり替えてしまうことに困惑している。岩田氏の言と私の上記の言に、重なる部分があるとしても、すり替えることは、読者に誤解を与え、岩田氏にとっても迷惑であったろう。

 なお、シンポの表題が、京都での「時代の危機に抵抗する短歌」が、東京では「時代の危機と向き合う短歌」に変わり、『記録集』の書名も後者になっていた。「時代の危機」「言葉の危機」と称される状況は、他ならない私たち自身が作り上げてしまった結果でもある。登壇者もパネリストたちも口にする「自主規制」や「自粛」、表現者一人一人の「自主規制」との内なる格闘こそが先決で、「向き合う」という着地では、どちらの「危機」も越えることはできないだろう。

(『うた新聞』201611月)

 

 

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2016年11月 4日 (金)

勲章が欲しい歌人たち、その後~岡井隆が文化功労者に

 「勲章が欲しい歌人たち」と題して、15年ほど前に、同人誌に書いたことがある。その後の新しいデータを踏まえ、補筆したものを、拙著『天皇の短歌は何を語るのか』(御茶の水書房20138月)に再録した。「しつこいね」との声も聞こえないでもないが、やはり、伝え続けたいと思う。

 1028日、政府から、文化勲章の受章者と文化功労者の発表があった。叙勲もあった。ここ数年、学生時代のクラスメートや職場の後輩たちの名前を見出し、もうそんな年になったのかと愕然とする。とくに、付き合いの長い短歌の世界で、いずれも他人事として、聞き流せばいいのだけれど、少しばかり、つまらない情報を持ち合わせているから、「やっぱり」「まさか」の思いがよぎる。

 今年の文化功労者の中には、歌人岡井隆の名があった。岡井については、いろいろなところで書いているので、繰り返さないが(最近では、「タブーのない短歌の世界を~<歌会始>を通して考える」『ユリイカ』20168月号)、後掲の「日本芸術院会員歌人の褒章・栄典一覧」でも明らかなように、国家的な栄典制度を歌人にあてはめてみると、一つの方向性が見えてくると思う。

 文化勲章は、太平洋戦争下、広田弘毅首相時代の1937年に発足した。これまで、文化勲章を受章した歌人は、佐佐木信綱(1937年)、斎藤茂吉(1951)、土屋文明1986)の三人で、年金が伴う文化功労者になったのは、佐佐木(1951)、斎藤(1952)、土屋(1984を含め、窪田空穂(1958)、近藤芳美(1996)、岡野弘彦(2013)、そして今年の岡井隆(2016)となった。文化勲章は、1979年以降は、原則的に前年度までの文化功労者の中から選ばれることになっているので、岡野、岡井は、文化勲章の待機組ということになる。

 岡井隆(1928~)は、アララギ系の歌人で、塚本邦雄、寺山修司らと戦後の前衛短歌運動の推進者であったが、現在『未来』主宰、19932014年まで歌会始の選者を務め、その後、宮内庁御用掛となった。

では、文化功労者は、どのように選ばれ、さらに、文化勲章は、どのように決められるのだろうか。

 当ブログでは、すでに、岡野弘彦が文化功労者になった折、以下の記事を書いているので、合わせてお読みいただければと思う。

 

・文化功労者はどのように決まるのか~歌人岡野弘彦の受章に思う(20131027日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2013/10/post-5776.html

 

 まず、「文化功労者」は、文部科学大臣が文化庁に設置されている文化審議会の中の文化功労者選考分科会にその選考を諮問する。選考分科会の委員は、毎年9月に710人程度発令され、多分野から候補者15人程度を選考し、文科大臣に答申し、文科大臣が決定・発令という流れで決まる(文化功労者年金法)。 文化勲章は、文科大臣が、前年度までの文化功労者から選考し、内閣総理大臣に推薦する。総理大臣は、閣議決定を経て、天皇に上奏、天皇が裁可、発令となる(文化勲章受章候補者推薦要綱)。 決定するのが、文科大臣か内閣総理大臣かの違いを設け、文化勲章は、従来の「伝達式」は、1997年から、天皇から直接手渡される「親授式」に格上げされ、いっそう、その「重み」が加わったことになる。その様子は、昨日のニュース映像でも伝えられたとおりである。

 

 


文化勲章受章候補者推薦要綱  

平成2年12月12日 内閣総理大臣決定

平成2年12月14日 閣議報告 

平成12年12月28日    

 

 文化勲章の受章者の予定数は、毎年度おおむね5名とする。

 文部科学大臣は、文化の発達に関し勲績卓絶な者を文化功労者のうちから 選考し、当該年度の文化勲章受章候補者(以下「候補者」という。)として 内閣総理大臣に推薦するものとする。ただし、必要と認めるときは、その年 度の文化功労者発令予定者を候補者とすることができる。 

 文部科学大臣は、候補者の推薦に当たっては、学術及び芸術の特定の分野 に候補者が偏ることのないように努めるものとする。 

 2の推薦は、内閣府賞勲局長が指定する日までに、文書により行うものと する。

 

 


文化功労者年金法
              十六年四月三日法律第百二十五号

 最終改正:平成一一年七月一六日法律第一〇二号

(この法律の目的) 

第一条  この法律は、文化の向上発達に関し特に功績顕著な者(以下「文化功労者」という。)に年金を支給し、これを顕彰することを目的とする。 

(文化功労者の決定) 

第二条  文化功労者は、文部科学大臣が決定する。 

  文部科学大臣は、前項の規定により文化功労者を決定しようとするときは、候補者の選考を文化審議会に諮問し、その選考した者のうちからこれを決定しなければならない。(後略) 

 

それでは、文化功労者選考分科会の委員はどのように選ばれ、どういう人たちがなっているのだろうか。20人の文化審議会委員は、毎年2月に報道発表され、文科省のホームページにも掲載されるが、同じ文化審議会委員ながら、文化功労者選考分科会委員は、9月に報道発表されるものの、ホームページへの掲載はない。それを報道するメディアも少ないことから、あまり知られていない。文科省に問い合わせ、ファックスで送ってもらったのが以下の書類である。ホームページに掲載しないのは、情報公開は必要なので報道発表はするが、栄典に関することなので、ホームページに載せるようなことはしたくないという配慮らしい。

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 さて、そのメンバーだが、10人のうち、私が名前を知っていたのは、田中明彦、松浦寿輝の両名だったし、小説家「宮本正仁」って誰?と思って調べてみると「宮本輝」の本名だった。あとの委員は、武蔵野音大の人を除いては、すべて国立の研究機関や大学に属する人たちで、元文科省事務次官次だった官僚もいる。たしかに研究分野を異にする委員ではあるが、彼らの眼が各分野での「文化の向上発達」に「勳績卓越」「功績顕著」な人たちに届くとは思えない。若干の意見は聞き置かれようとも、おそらく他の省庁の「審議会」と同様、おおかたは、事務方の提案の了承機関になっているのではないか、と。今年の選考委員で、文学関係では、松浦と宮本の両委員ということになる。両名は、ともに、芸術選奨文科大臣賞(松浦2000年、宮本2004年)、紫綬褒章(松浦2012年、宮本2010年)を受けている仲である。こうしたな環境の中で選考され、歌人の文化功労者岡井隆が誕生した。

 世の中の様々な賞、歌壇における短歌雑誌や歌人団体、新聞社やNHKなど民間の組織が主催する賞についても様々な問題、例えば、選考委員の重複・集中、選考委員結社間での互酬性、受賞者の重複、各賞の特色の薄弱化など、これまで指摘してきたつもりである。政府が関与する各種の褒章・栄典制度において、とくに文藝にあって、政府の関与、情報の不透明性、選考委員・選者の常連化などによる権威性を伴う現実は、文芸の自律を脅かさないのか、権力からの独立性が保たれるのか、という危惧なのである。権力は、露骨に、あるときは巧妙な手口で、表現の自由や学問の自由をひたひたと侵害してくる現実に対して、あまりにも無防備なのではないか。私たちの抵抗の手段として何が有効なのか、歴史に学び、世界に学び、もっと賢くならなければの思い頻りである。

 

 以下、参考までに二つの一覧表を作成した。

・日本芸術院会員歌人褒章・栄典一覧

・歌会始選者を中心とした受賞栄典一覧

http://dmituko.cocolog-nifty.com/kajnnohosyoeiten.pdf

 

 

 

 

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2016年9月21日 (水)

[雑誌に見る占領期-福島鑄郎コレクションをひらく」展示会とシンポジウムに出かけました(2)

盛りだくさんだったシンポジウム、時間が足りなかったのでは!

シンポジウムは以下の通りだったが、どれも魅力的なテーマであったが、時間が足りなかったのでは。

***********

 記念シンポジウム日程:918() 午後13:0017:00

シンポジウム会場:3号館305号室

 司会:川崎賢子(日本映画大学)

 第一部:

①山本武利(早稲田大学名誉教授)「20世紀メディア研究所と占領期研究」

②ルイーズ・ヤング(ウィスコンシン大学)「新世紀における占領期再考」

 Rethinking Occupation History in the New Millennium

 通訳:鈴木貴宇(東邦大学)

③宗像和重(早稲田大学)「福島コレクションの由来」

 第二部:

④石川巧(立教大学) 「カストリ雑誌研究の現在」

⑤三谷薫(出版美術研究家)「占領期の少年少女雑誌:絵物語を中心に」

⑥土屋礼子(早稲田大学)「占領期の時局雑誌」

***********

 第一部の山本さんは、プランゲ文庫のデータベースの維持と有料による公開に至った理由について、縷々述べられていた。科研費による研究成果の活用が閉鎖的な学界の慣例を脱却して、公開して利用者に還元したいという思いが伝わってきた。
 
なお、会場には、福島鑄郎氏のご子息がいらしていて、写真の故福島氏の風貌そのままに、雑誌に囲まれた家族のエピソードや最近になって、お父様のやってこられた仕事が理解できるようになったことなどを話された。 

自国の研究者にも手厳しい「新世紀における占領期再考」

ルイーズ・ヤングさんの基調講演は、日本の占領期について研究史がテーマで、聞いているうちに、アメリカの研究者と日本の研究者の相違、そして変遷というものが、おぼろげながらわかってきたような気がした。日本における占領史研究については、竹前栄治「占領研究40年」(『現代法学』〈東京経済大学現代法学会〉8号 20051月)などで、おさらいをしていたつもりだったが、アメリカの研究者については、知日派、親日派と呼ばれながら、ライシャワーとジョン・ダワーでは、随分と違うんだな、くらいの関心しかなかったのが、正直なところであった。

アメリカ研究者による日本の占領期研究は、第二次世界大戦の戦中派であるライシャワーなどから始まり、アメリカによる占領の成功体験として語られ、冷戦下にあっては、リベラル知識人に繋がった。

1960年から数年間、続いた日米の研究者による、日本語による「箱根会議」に発展し、占領は、日本の近代化に大きく貢献し、「資本主義国における近代化と第三世界の発展モデルとしての日本」というのも、かなり偏向した結論で、日本人研究者の意見が傾聴された様子が見えにくかったという。私は、「箱根会議」のことは、耳にしたことはあったが、その実態はよく知らなかった。今回、アメリカの研究者のヤングさんよる、その手厳しい評価を、私ははじめて聞いた。

1970年に入ると、アメリカでもベトナム戦争へ反対運動とともに、アメリカの帝国主義的侵略に批判的な研究が高まり、新左翼的な史観による研究者たちは、占領が日本の自力による再生と社会的な改革を起こす可能性を抑制したものとして、アメリカ外交の身勝手さとアメリカの理想の実現という初期の信念を否定した、として「考え直すアジア研究者たちの学会」などの成果を示した。

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「考え直すアジア研究者たちの学会」の研究者による著作、Joe Moore,Japanese Workers and Struggle for  Power 1945-47(1983) Michael Schaller,The American Occupation of Japan(1985)など

ここで示された「New Left」(日本語のレジメでは「新左翼」との訳)の語は、日本でいう「新左翼」とはその意味するところが、若干異なるのではないかというのが素朴な疑問だった。

80年代から90年代にかけては、日米の研究者による共同研究、日本人研究者の著作の翻訳が活発化し、その研究対象は大衆文化、社会的な相互体験など多様化し、より精密な事例研究にも及ぶようになった、とする。

そうした研究動向の中で、プランゲ文庫の位置づけも大きく変容してきたことにも着目、興味深いものがあった。1950年、マッカーサーの直属のスタッフだったゴードン・プランゲが、アメリカに持ち帰った日本における占領軍による検閲資料群であった。その保管は、アメリカ議会図書館東洋部を経て、メリーランド大学に落ち着いたが、保存状態は決していいといえなかった。プランゲ自身も、当初は、軍事秘話的な関心で『ミッドウェーの奇跡』『我らが眠っていた夜明け』『トラトラトラ』などを刊行、講義もそれらが中心だったらしい。カタログ化は、遅れて1963年から着手されている。このコレクションの存在が日本に紹介され始めたのが、60年代末から70年代にかけてだったのだろう。80年代になると、まず日本で「検閲資料」への関心が高まり、研究も活発になり、それがアメリカに波及した。その研究対象は、政治や経済分野ばかりでなく、現在では、文学、大衆文化、地方紙、社会史などへの広がりを見せている。日本での紹介の嚆矢は、前掲『戦後雑誌発掘―焦土時代の精神』にも詳しいが、松浦総三『占領下の言論弾圧』(現代ジャーナリズム出版会 1969年)や慶応大学からの派遣職員の一人森園繁「アメリカ大学図書館での経験」(『Kulic219716月)らによるものだった。さらに、1980年代になって、江藤淳が『閉ざされた言語空間』と題して、雑誌『諸君』に19822月から19866月まで断続的に4回連載された。

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邦訳:1967年

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邦訳:1984年

なお、最後に、戦争の前後を貫く「貫戦期」のアジアを射程にした植民地、占領地の歴史研究の必要を強調された。

 さらに、アメリカにプランゲ文庫というアーカイブが存在するということは、戦勝国の戦利品であったということと、占領軍の検閲政策の産物であったという認識も必要であるとも話したのだが、会場からは、「プランゲ文庫のおかげで、占領期の出版物や検閲の実態が分かってきたのだから、そこまで断定できないのではないか。もし、日本に残していたら、おそらく焼却処分されて、闇に葬られたのではないか」との質問が出ていた。「発禁図書」の国立国会図書館への返却、戦争絵画の国立近代美術館への無償貸与という実績もある。プランゲ文庫が日本に返却されるという交渉はなり立たないのだろうかと、ふと頭をかすめるのだった。

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メリーランド大学プランゲ文庫入り口、写真はプランゲの肖像

私自身は、1970年代の初め、職場の労働組合主催の松浦氏の講演会(19731月)を聞いたりして、大いに刺激を受け、「占領期における言論統制―歌人は検閲をいかに受けとめたか」(『ポトナム』19739月、後『短歌と天皇制』風媒社 198810月に所収)を書き急いだことが思い出される。その当時は、ゴードン・プランゲ(GordonWPrange)という名前の読み方も、「プランジ」と表記されていて、私もそれに倣っていた。短歌の検閲はどうであったのか、かつての当事者は、当時、あまり語りたがらない状況の中、プランゲ文庫自体のマイクロも閲覧できない中、それまで、戦時下の言論弾圧の延長線上で収集していた敗戦直後の短歌雑誌や歌集、あるいは、少しづつ語り始めた編集者や歌人のエッセイ等から、断片的に、占領検閲の実態を探ったものである。その後、国立国会図書館憲政資料室でのマイクロや早稲田大学の「占領期雑誌目次データベース」のおかげで、関係コピーを入手することができた。占領軍の言論弾圧の方向性が明確になってきた。その後、若干の検証をしたものの、本格的な論考は先送りになっている。

 

占領期の「時局雑誌」は、現代の「週刊文春」や「週刊新潮」?

石川さんのカストリ雑誌についても、福島コレクションのそれを上回るほどの収集量らしいので、その発言には説得力がある。ともかく、福島コレクションのデータベース化を急いでほしいと力説されていた。三谷さんの話は、「絵物語」に対する情熱がビンビンと伝わってきたが、明治以降の「絵物語」にだいぶ時間を取られたので、占領期の少年少女の「絵物語」や紙芝居については、短時間となった。私にとっては、リアルタイムで体験している部分もあったので、もう少し詳しく知りたかった。

最後の土屋さんの「時局雑誌」の話も、自分のかすかな記憶とも重なり、雑誌『真相』の実態なども知り、興味深かった。また、「時局雑誌」の定義も難しいが、現代にあっては、暴露、内幕、スキャンダルなど『週刊文春』や『週刊新潮』が「時局雑誌」的な役割を果たしているのではないかとの仮説も、なるほどの思い、定刻を過ぎるのを忘れるほどだった。

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時局雑誌『真相』の特集<天皇は箒である>天皇の巡幸は、訪問先の各地をきれいに整備することになるので、「箒」と称したらしい。<天皇特集>と銘打てば、必ず売り上げが伸びたという時代

懇親会は失礼して、外に出ると、雨こそ降っていなかったが、あたりはすっかり暮れていた。

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2016年9月19日 (月)

「雑誌に見る占領期-福島鑄郎コレクションをひらく」展示会とシンポジウムに出かけました(1)

雨も心配された918日、表記の20世紀メディア研究会百回記念企画展とシンポジウムに出かけました。私は、この「20世紀メディア研究会」には、この数年の間に数回しか参加していないが100回を越えていたのである。

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これが大隈タワーでした

コレクションの多様さに驚く

展示会は、早稲田大学の大隈タワー125記念室(大隈タワー10F)で、シンポ当日は日曜でも開催ということで、会場はかなりのにぎわいであった。

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タワー入り口

福島コレクションのオーナーであった福島鑄郎氏(19362006)は、種々の職業を経たのち、1960年ころから警備員という仕事をしながら、その休日を利用して、私財をもって、敗戦直後の雑誌を収集、研究されたという在野の研究者である。私も、1965年、国立国会図書館で働くようになって、どこの図書館も所蔵しないような、敗戦直後に創刊、短期間で廃刊になったような雑誌の収集をされているということは、先輩から聞かされていたから、求めたのであろう。今、私の手元には、氏の編著になる『戦後雑誌発掘―焦土時代の精神』(日本エディタースクール出版部 1972831日発行)があり、オビには「毎日出版文化賞」と書かれ、日高六郎の「この本は、戦後日本の再出発の時の日本の知識人・民衆の思想と精神を知るためのこの上ない案内書である。・・・」というコメントが載っている。197741歳で退職、本格的な研究生活に入り、メリーランド大学のプランゲ文庫にも出かけ、多くの書誌や資料集、研究書をなした。2005年、『福島鑄郎所蔵占領期雑誌目録:19458月~19523月』(文生書院)を出版、2006年に逝去されている。その所蔵は、6000冊に及び、2007年には、早稲田大学に図書館に収蔵され、公開に向けての準備と整理が進められているという国立国会図書館も、プランゲ文庫も所蔵されていない雑誌の数々が日の目を見るのも近い。

プランゲ文庫を利用してみて

私自身、最近、主に歌人斎藤史と阿部静枝の戦前・戦中・戦後の著作を追跡しているが、プランゲ文庫からの収穫は大きかった。2011年までは、無料で文庫のデーターベースが検索でき、名寄せによるリストもプリントアウトできた。そこから国立国会図書館にコピーを依頼していたのである。今回の会場には、検索コーナーがあったので、早速検索してみると、その後の整理も進んでいたようで、新しい文献が発見できた。プランゲ文庫では、地方発行の雑誌や様々な業界雑誌なども対象になっているので、思いがけない活動や執筆を知ることができたのである。プランゲ文庫については、基調講演のルイーズ・ヤングさんの講演の時に触れたい。

これに福島コレクションが利用できるようになったら、さらに占領期研究は進むかもしれない。

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