2023年8月31日 (木)

「雨の神宮外苑~学徒出陣56年目の証言」(2000年)における「加害」の行方

江橋慎四郎

 前の記事をアップしたあと、どうしても気になっていたのが、神宮外苑の学徒出陣壮行会で、学徒を代表して答辞を読んだ江橋慎四郎(1920~2018)であった。その答辞は漢文調で、番組で聞いただけではすぐには理解できないところも多かった。後で資料を見ると「生等今や、見敵必殺の銃剣をひっ提げ、積年忍苦の精進研鑚を挙げて、悉くこの光栄ある重任に獻げ、挺身以て頑敵を撃滅せん。生等もとより生還を期せず。」の「生等もとより生還を期せず」がいろいろと問題になっていることを知った。「生等(せいら)」というのも聞き慣れない言葉だったが、「生還を期せず」と誓った本人が、戦後、生還したことについて、いろいろ取りざたされたらしい。

 江橋は、出陣後の12月に陸軍に入隊、航空審査部に属し、整備兵として内地を転々、滋賀で敗戦を迎えている。戦後は、文部省を経て、東大に戻り、研究者の道を選び、「社会体育学」を専攻している。東大教授などを務めた後、国立の鹿屋体育大学創設にかかわり、1981年初代学長となっている。この間、「生還」したことについてのさまざまな中傷もあったりしたが、反論もせず、学徒出陣や兵役について語ることはなかったという。

 ところが90歳を過ぎた晩年になって、マス・メディアの取材にも応じるようになった。その一つに「終戦まで1年9カ月。戦地に向かうことはなかった。代表を戦死させまいとする軍部の配慮はあったかもしれない。ただ、当時はそう考える余裕もなかった」、 「僕だって生き残ろうとしたわけじゃない。でも、『生還を期せず』なんて言いながら死ななかった人間は、黙り込む以外、ないじゃないか」と語り、記事の最後では、「自分より優秀な学生もいたが、大勢が亡くなった。自分が話すことが、何も言えずに亡くなった人の供養になる。最近そう思っている」と結ぶ(「学徒出陣70年:「生還期せず」重い戦後 答辞の江橋さん」『毎日新聞』 2013年10月20日)。
 亡くなる前年の2019年になって、『内閣調査室秘録―戦後思想を動かした男』 の刊行に至った志垣民郎の心境と共通するものが伺える。

田中梓さん

壮行会に参加し、「雨の神宮外苑」に出演の田中梓さんが、今年の1月に99歳で亡くなっていたことを、数日前に届いた「国立国会図書館OB会会報」73号(2023年9月1日)で知った。田中さんは、私が11年間在職していた図書館の上司だった。 といっても部署が違うので、口をきいたこともなく、管理職の一人として、遠望するだけのことだった。ここでは「さん」づけ呼ばせてもらったのだが、温厚な、国際派のライブラリアンという印象であった。

「戦争体験」の継承、「受難」と「加害者性」

 この記事を書いているさなか、朝日新聞に「8月ジャーナリズム考」(2023年8月26日)という記事が目についた(NHKのディレクターから大学教員になった米倉律へのインタビューを石川智也記者がまとめている)。前後して、ネット上で「わだつみ会における加害者性の主題化の過程― 1988 年の規約改正に着目して」(那波泰輔『大原社会問題研究所雑誌』764号2022年6月
http://oisr-org.ws.hosei.ac.jp/images/oz/contents/764_05.pdf)を読んだ。後者は、一橋大学での博士論文のようである。

(1)「8月ジャーナリズム考」(『朝日新聞』2023826日)
「8月ジャーナリズム」を3つに類型化して、①過酷な「被害」体験と「犠牲」体験を語り継ぐ「受難の語り」 ②戦後民主主義の歩みを自己査定する「戦後史の語り」 ③唯一の被爆国として戦争放棄を誓った「平和主義の語り」とした。「ここでは、侵略、残虐行為、植民地制覇などの『加害』の要素は完全に後景化しています。描かれているのは、軍国主義の被害者となった民衆という自画像です」と語り、「受難の語り」に偏重、「加害の後景化」への警鐘だと読んだ。「後景化」というのも聞き慣れない言葉だが、「後退」の方が十分伝わる。「加害」の語りが活発になったのは、戦後50年の1995年前後、歴史教科書問題、従軍慰安婦訴訟などを通じて戦争責任や歴史認識を問い直す記事や番組が多くなったが、それが逆に、右派からの激しい抗議や政府の圧力や新保守主義の論者の批判によって記事や番組は萎縮して、現代に至っていると分析する。

 しかし、私からすれば、外圧によって萎縮したというよりは、たとえば、NHKは、自ら政府の広報番組と紛うばかりのニュースを流し続けている。加えて、「受難」の語りに回帰したというよりは、むしろ積極的に昭和天皇や軍部、政治のリーダーたちの苦悩や苦渋の選択に、ことさらライトをあてることによって、加害の実態を回避しているようにしか見えないのである。「忖度」の結果というならば、番組制作の現場の連帯と抵抗によって跳ね返す力を見せて欲しい。そのあたりの指摘も見えない。現場から離れたNHKのOBとしての限界なのか。 NHKの8月の番組を見ての違和感やモヤモヤの要因はこの辺にあるのだろう。

 ここで、余分ながら、NHKのアナウンサーや記者、ディレクターだった人たちが定年を前に、民放のアナウンサーや報道番組のコメンテイター、大学教員となって辞めていく人々があまりにも多い。NHKは、アナウンサーや大学教員の養成機関になってはいないか。私たちの受信料で高給を支払い、年金をもつけて、養成していることになりはしまいか。受信料はせめてスクランブル制にしてほしい所以でもある。

2)那波泰輔「わだつみ会における加害者性の主題化の過程― 1988 年の規約改正に着目して」(『大原社会問題研究所雑誌』76420226月)
 那波論文は、「わだつみの会」の変遷を ①1950~58年『きけわだつみのこえ』の出版を軸に記念事業団体の平和運動体 ②1959~戦中派の知識人中心の思想団体 ③1970~天皇の戦争責任を鮮明にした運動体 ④1994~『きけわだつみのこえ』の改ざん問題で、遺族のらが新版の出版社岩波書店を訴えたことを契機に戦後派の理事長が就任した運動体 と捉えた。とくに、第3次わだつみ会の1988年になされた規約改正の経緯を詳述し、人物中心ではない、組織や制度からの分析がなされている。

 規約改正とは、以下の通りで、「戦争責任を問い続け」が挿入されたことにある。
・1959 年 11 月(改正前) 第二条 本会はわだつみの悲劇を繰り返さないために戦没学生を記念し,戦争を体験した世代と戦争体験を持たない世代の協力,交流をとおして平和に寄与することを目的とする
・1988 年 4 月(改正後) 第二条 本会は再び戦争の悲劇を繰り返さないため,戦没学生を記念することを契機とし,戦争を体験した世代とその体験をもたない世代の交流,協力をとおして戦争責任を問い続け,平和に寄与することを目的とする

 1988年以前から、天皇の戦争責任のみならず戦争体験者の加害者意識の欠如や戦争責任に対しての不感性を指摘する会員もいたが、この時期になって、会の担い手は戦後派が多くなり、会員の対象を拡大、思想団体を越えて行動団体への移行を意味していた、とする。さらに、「現在のわだつみ会は、さまざまな会の規約改正が政治問題にコミットし、戦争責任や加害者性にも積極的に言及しており、こうした現在の方向性は1980年代の会の規約改正が影響を与えている」とも述べる。
 しかし、現在のわだつみ会の活動は、私たち市民にはあまり聞こえてこないし、時代の流れとして、先の(1)米倉律の発言にあるように、戦争責任の追及や加害者性は、今や後退しているのではないだろうか。 

 余分ながら、那覇論文にも、学徒兵と他の戦死者を同列に扱うことによって「学徒兵がわだつみ会の中で後景化した」という記述に出会った。若い研究者が、好んで使う「視座」「通底」「切り結ぶ」などに、この「後景化」も続くのだろうか。

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8月の半ばに、2週間ほど続けてゴーヤをいただいた。ご近所にもおすそ分けして、冷凍庫で保存できると教えていただいた。ワタを除いて刻み、ジッパーつきのポリ袋に平らに詰めて置けばよいということだった。なるほど。

 

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2023年4月 3日 (月)

宮内庁の「広報室」って、何を広めようとするのか

 4月1日に、宮内庁総務課に「広報室」が新設され、その室長が決まったという。報道によれば、職員は、従来の記者クラブ対応の総務課報道室(15人)からの5人と兼務職員、増員3人と併せて9人、増員のうち1名は民間出身でのスタートで、室長が、警察官僚から起用された女性であった。茨城県警捜査二課、警視庁組織犯罪対策総務課長を経て、警察庁外事課経済安全保障室長からの転任である。暴力団、外国人犯罪対策、国際的な経済犯罪対策にかかわってきた経歴の持ち主が宮内庁へというのだから、ただならぬ人事といった印象であった。

 そもそも、広報室新設の背景には、秋篠宮家長女の結婚や長男をめぐっての情報が報道やネット上に氾濫したことや秋篠宮が記者会見で、事実と異なる場合に反論するための「基準作り」に言及したことなどがあげられる。

 現に、広報室は、皇室への名誉を損なう出版物に対応する専門官、あたらしい広報手法を検討する専門官も置き、SNSを含めた情報発信の強化を目指し、さらに1人、民間からの起用を予定しているという。

 ということは、裏返せば、皇室報道の規制強化、広報宣伝による情報操作をも意味するのではないか。

 象徴天皇制下にあっても、深沢七郎「風流夢譚」事件(1960年)、嶋中事件(1961年)、天皇制特集の『思想の科学』廃棄事件(1961年)、小山いと子「美智子さま」連載中止、(1963年)、富山県立美術館カタログ販売禁止(1987年)・・・にみるような皇室情報のメディア規制が幾度となく繰り返されてきた。その結果として、現在にあっても、メディアの自主規制、タブー化のさなかにあるともいえる。逆に、新聞やテレビが昭和天皇の在位〇年祝賀、昭和天皇重病・死去、平成期における天皇の在位〇年祝賀、生前退位表明・改元の前後の関係報道の氾濫状況を目の当たりにした。

 メディアの自主規制が日常化する中で、広報室長は、記者会見で「天皇陛下や皇族方のお姿やご活動について皆様の理解が深まるよう、志を持って取り組んでいきたい」と述べたそうだ。

 <マイナンバーカード普及宣伝>を民間の広告代理店にまかせたように、宮内庁も<電通>?人材を入れたりして、大々的にというより、格調高く、丁寧な?広報を始めるのだろうか。

 現在の天皇・皇后、皇族たちへの関心が薄弱になってきている現状では、情報が発信されれば、されるほど、「なぜ?」「なんなの?」という存在自体を考えるチャンスになること、メディアが確固たる自律性を取り戻すことを期待したい。

 

わが家の狭庭には桜はないけれど、春は一気にやって来た。 

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3月29日、黄スイセンは、かなり長いあいだ咲いていた。

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3月31日、レッドロビンを越え、モクレンは2階に届くほど。

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4月4日、奥のツバキは、ほぼ散ってしまったが

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2022年7月22日 (金)

『朝日新聞』川柳欄への批判は何を意味するのか

 わたしは、長年、短歌を詠み、かかわってきた者ながら、新聞歌壇にはいろいろ物申したいこともあり、この欄でもたびたび書いてきた。最近は、毎日新聞や朝日新聞の川柳欄をのぞくことの方が多くなった。

・疑惑あった人が国葬そんな国

・利用され迷惑してる「民主主義」

・死してなお税金使う野辺送り

 7月16日の「朝日川柳」は「国葬」特集なのかな、とも思われた。短歌やブログ記事ではなかなか言えなかったことが、短い中に、凝縮されていると思った。

 安倍元首相の銃撃事件について、「民主主義への挑戦」といった捉え方に違和感を持ち、さらに、全額国費負担で「国葬」を行うとの政府にも疑問をもっていたからでもある。こうした川柳をもって、安倍元首相や政府方針を「揶揄」したのはけしからん、ということであれば、安倍批判や政府批判を封じることに通じはしまいか。政府への「忖度」が、言論の自由を大きく後退させ、自粛への道をたどらせたことは、遠くに、近くに体験してきたことである。  

 大手新聞社やNHKは、たださえ、安倍元首相と旧統一教会との関係、政治家と統一教会との関係に、深く言及しないような報道内容が多い。もっぱら週刊誌やスポーツ紙が取材や調査にもとづく報道がなされるという展開になっている。テレビのワイド番組が、それを後追いするような形でもあることにいら立ちを覚える昨今である。

 朝日新聞社は19日、J-CASTニュースの取材に対し「掲載は選者の選句をふまえ、担当部署で最終的に判断しています」と経緯について説明。「朝日川柳につきましてのご指摘やご批判は重く、真摯に受け止めています」と述べ、「朝日新聞社はこれまでの紙面とデジタルの記事で、凶弾に倒れた安倍元首相の死を悼む気持ちをお伝えして参りました」とし、「様々な考え方や受け止めがあることを踏まえて、今後に生かしていきたいと考えています」と答えたという。どこか腰が引けたようなスタンスに思えた。さらに7月22日には、重大な訂正記事が載っていた。上記「利用され迷惑してる『民主主義』」の作者名が編集作業の過程で間違っていたというのである。なんとも「シマラナイ」話ではないか。

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二句目のの作者が、「群馬県 細堀勉」さんだったとの訂正記事があった(『朝日新聞』2022年7月22日)

 また、今回のNHKの報道姿勢について、当ブログでも若干触れたが、視聴者団体「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」は、7月19日、「犯罪捜査差の発表報道に偏せず、事件の社会的背景に迫る公正な調査報道を」とする要望書を提出した。番組のモニタリングから、容疑者の銃撃の動機についての解説や識者のコメント、安倍元首相の政治実績の情緒的な称揚、東日本大震災の復興政策、経済再生政策、安全保障政策において、事実と国民の意識とはいかに離反していたかの分析もない報道を指摘している。NHKはどう応えるのか。

 NHKには「政治マガジン」というサイトがある。事件後の関連記事には、安倍元首相と旧統一教会、政治家と旧統一教会の記事は一本も見当たらず、もっぱら警備体制、国葬に関する記事ばかりで、7月19日号の特集では「安倍晋三元首相銃撃事件<政治が貧困になる>」と題して、政治学者御厨貴へのインタビュー記事が掲載されている。「戦後日本が築き上げてきた民主主義が脅かされていると同時に、今後の政治全体の調和までもが失われる深刻な事態だと警鐘を鳴らした」という主旨で、今度の事件は「民主主義への挑戦」とのスタンスを展開している。NHKよ、どこへゆく。

 

 

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2022年5月 3日 (火)

<国策メディア>を見究めるには―『国策紙芝居ー地域への視点・植民地の経験』を読んで

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下段は裏表紙

 最近、神奈川大学の非文字資料研究センターからブックレット『国策紙芝居―地域への視点・植民地の経験』(大串潤児編 神奈川大学評論ブックレットシリーズ41、御茶の水書房 2022年3月)をお送りいただいた。数年前に、神奈川大学での「国策紙芝居」の研究会に参加し、その後のシンポジウムには参加はできなかったが、非文字資料研究センター編著の『国策紙芝居からみる日本の戦争』(勉成出版 2018年2月)をいただき、当ブログにも何回か紹介しているので、ご覧いただければ幸いである。今回の、上記『国策紙芝居―地域への視点・植民地の経験』は、ブックレットながら、地域や植民地の現場を訪ね、資料を発掘し、戦時下の体験者の証言も収め、大変興味深く、充実した内容に思えた。

「国策紙芝居」というのがあった~見渡せば「国策メディア」ばかり・・・にならないために(2013年12月6日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2013/12/post-1e1c.html

『国策紙芝居からみる日本の戦争』のページを繰って(1)(2)(2018年3月28日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2018/03/post-16d3.html

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2018/03/post-1aed.html

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 私の紙芝居体験は、敗戦直後の街頭紙芝居であった。もう記憶もあいまいになっているのだが、銭湯の横の路地に、毎日自転車でやって来るおじさんは、太鼓をたたいて、辺りの子どもたちに知らせてまわる。空き地で遊んでいた子も、家から出てくる子も駆けつけて、いつも10人以上は集まっていたように思う。たしか10円で紙芝居の台の下の箱のイモ飴を割りばしのような棒に絡めて売ってから、紙芝居が始まるのだった。冒険もの、母もの、時代ものが定番ではなかったか、みな続きものだから、毎回通う羽目になる。おじさんのセリフと演技、太鼓に、思わず息をのみ、また涙することもあった。当時は、小遣いなどはもちろん持たせてもらわないから、私は、その都度、店に立つ、父や兄から5円?10円硬貨?をもらって駆け付けたように思う。たしかにアメを買わない子も一緒だったから、おじさんも黙認?していたようだった。

 上記の書によれば、この時代の街頭紙芝居は、第二次の戦後復興期の紙芝居ブームのさなかだったらしい。そして、第一次のブームというのが、一九三五年前後から始まる、戦意高揚、戦争協力を主旨とする「国策紙芝居」の時代だった。「国策紙芝居」は対極として、便乗絶叫型と家族愛型があり、前者の典型として近藤日出造の「敵だ!倒すぞ米英を」(大政翼賛会宣伝部 1942年12月)であり、後者の典型が国分一太郎脚本の「チョコレートと兵隊」(日本教育画劇 1941年7月)であったという(13頁)。近藤も新聞紙上の漫画で、国分も作文教育で、戦後に目覚ましい活躍をしていた人物として、私も記憶している。 
 本書は、サブタイトルにもあるように、国内では、北海道札幌市京極町、水上町、須坂市、但馬市出石町、豊岡市、亀岡市、大津市、福岡県朝倉市などでの現地調査により、資料館や収集家を訪ね、紙芝居の発掘や体験者からの聞き取りを行い、台湾での調査も実施した成果、韓国の研究者とも連携して、植民地での紙芝居研究が収められている。

 私は、かつて「台湾萬葉集」や「日本占領下の台湾における天皇制とメデイア」についての論稿を執筆したことがあるが、「紙芝居」まで、その視野になかったので、多くを教えられた次第である。

 いまの日本では、多くは、幼稚園、保育園などで、紙芝居を演じられることが多い。大人たちは、紙芝居ならぬテレビやスマホをはじめ、インターネットを筆頭にさまざまなメデイアを通じて、大量の情報を得る便利さの中で暮らしている。しかし、その反面、情報操作も多様化、国際化が進行し、知らない間に、操作された、限られた情報を与えられ続けている状況にあるともいえる。ふたたび「国策メディア」に組み込まれないように、「不断の努力」が必要だと思い知らされるのだった。

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憲法記念日に開いた垣根のテッセン、レッドロビンの茂みの中で

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2022年3月17日 (木)

NHKは、余分な解説をするな、事実を正確に伝えよ!

  NHKの7時のニュースに合わせての首相記者会見には、もう、うんざりである。NHKは官邸の広報か、国営放送かと紛うばかりである。会見の内容も相変わらず具体性のないものだし、記者たちの質問もゆるい。そしてそれをスタジオでは、解説という名の後追い、繰り返しでしかない。時間をそのために延長しているにすぎない。
 もちろん、NHKに限るわけではない。民放も含めて、報道番組全体に言えることなのだが、そこに登場するコメンテイターや専門家のコメントほど役に立たないものはない、とつくづく思うようになった。

・予報士の横でごちゃごちゃうざいアナ(勝浦 ナメロー)

「仲畑流万能川柳」(『毎日新聞』2022年2月26日)の入選作である。かねてより、7時のNHKニュースの最後の天気予報を見ていて、予報士が地図を見ながら解説している途中で、左側に立つアナウンサーが、合の手を入れるというか、言わずもがなのセリフを発するのが、まさにうるさく「うざかった」のである。「ふれあいセンター」にも伝えたが、いっこうに改まらなかった。それがなんと、今年の2月からか、そんな場面がぴたりとなくなったので、「晴々とした」?気持ちで予報を聞くことができるようになった。
 ついでながら、女性の予報士が、毎晩、とっかえひっかえの衣装や髪形で登場するのにも、私など不快感を覚えていた。コツコツとハイヒールで天気図のパネルに近づいたり、離れたりするのも気になっていた。そうかと思えば、マタニティ服で登場すること自体には応援したい気持ちなのだが、二度と同じ服は着ませんみたいなコンセプト?のファッションにも違和感があった。気象情報は、まさに淡々と正確な情報をわかりやすく伝えるのが命だろう。余分な情報発信はやめて欲しい。

 事件や情勢が深刻であればあるほど、マス・メディアの発する情報や言葉は重要になって来る。
 そして川柳はむずかしい!!ナメローさんから拝借して。

・現地からの画面にゴチャゴチャうざい“専門家”

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例年より少し遅く咲き出したスイセン、エサ台には、つがいの?ヒヨドリが交代でやってきた。

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2022年3月 4日 (金)

歌人の自律性を考える~歌会始、学術会議任命拒否問題に触れて

   以下は、『ポトナム』三月号の「歌壇時評」に掲載されたものである。『ポトナム』は、今年4月で創刊100年を迎える。同人の高齢化は否めないが、健詠、健筆を願うとともに、若い人たちにも頑張って欲しいと思うばかりである。

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 ことしの「歌会始」の選者は、岡井隆引退後の二〇一五年以来、篠弘、三枝昂之、永田和宏、今野寿美、内藤明と変わっていない。応募歌数は、東日本大震災後、二万首前後を推移したが、平成からの代替わりとコロナ禍由来なのか一九年約一万六千、二〇年約一万四千、二二年は一万三八三〇首と下降線をたどっている。それでも、多くの人たちが、応募を繰り返し、入選を目指している。『短歌往来』の新人紹介欄で、ある一人は、さまざまな短歌コンクールに入賞し、「歌会始は未だ入選できず」と短いエッセイに書き(二〇二一年七月号)、一人は、所属結社とともに「令和三年度宮中歌会始佳作」と記していた(同年九月号)。二人は、ごく自然に「歌会始」の入選を目指していることを明言している。若い人たちが、天皇や天皇制に対して関心が薄いことは知っていたが、その延長線上で、「歌会始」を他の短歌コンクールや新聞歌壇と並列的に認識していることもわかった。それを象徴するかのように、ことしの入選者は、六〇歳以上が六人、四〇・五〇代三人と高校生一人、併せて一〇人であった。高校生は、直近九年間で七人の入選者を輩出した新潟県の私立高校の生徒であった。熱心な教師の指導のままに、高校生たちは、「歌会始」の意味を十分理解することなく、応募しているにちがいない。
 「歌会始」は、宮中行事の一つに過ぎなかったが、現在のような形になったのは一九四七年以降である。皇室と国民を結ぶ伝統的な文化的、国家的行事として守られるべきだとする説には、財政や人事においても国家的な介入を前提とするものだろう。

 国家的介入といえば、日本学術会議が推薦した新会員一〇五人の内六人が総理大臣の任命を拒否された事案が発生した。学術会議はじめ、日弁連ほか多くの学会が、任命拒否の理由を質し、学問の自由を侵すものだとして抗議声明を発し、多くの識者たちも抗議の声をあげた。二〇年一〇月、現代歌人協会の栗木京子理事長、日本歌人クラブの藤原龍一郎会長との連名で「任命拒否を速やかに撤回し」、国民への説明責任を果たすべきとする声明を出した。また、一九年五月にも、高校の新しい学習指導要領のもとに、従来の必修「総合国語」の教科書が、二二年度から「現代の国語」と「言語文化」に再編されるのを受けて、現代歌人協会理事長と日本歌人クラブ会長名で声明を出していた。「現代の国語」は、論理的、実用的文章を中心とし、「言語文化」の中で扱われる近現代文学、近現代詩歌は、大きく後退するのではないかとの危機感からだったか。
 上記団体の会員でもない私だが、さまざまな意見を持つ歌人たちを束ねた形で「声明」を出すにあたって、どのように合意形成がなされたのか不安になった。表現者としての自覚を持つ歌人たちの団体であるならば、自主・自律性が問われよう。国からの財政支援はないとしても、団体の役職者たちが、歌会始の選者や召人、靖国神社献詠の選者だとしたら、自由な論議が展開されるのだろうか。
 学術会議にしても、欧米のように財政や人事は政府から独立した「アカデミー」として活動すべきではなかったかと、私は考える。また、近現代文学との出会いは、学校教育における教科書だけではないはずで、教科書による押し付け的な文学教育からの解放を目指す考え方もある。本誌一月号でも述べたように、若手歌人たちの「最も印象に残った一首」との出会いは、大半、教科書ではなかった。

 国家権力と本気で対峙するならば、「声明を出しておく」ことよりも、歌人、歌人団体は、「歌会始」や「靖国神社」とは、きっぱり縁を切るべきではないか。

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まだ、やってくるヒヨドリ。ヤマボウシの枝から、真下のえさ台を監視しているのか。ちょっと見ただけでは、枝に紛れていて、気がつかなかった。

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2022年3月 3日 (木)

ロシアのウクライナ侵攻への抗議、何ができるのか

 毎日、ロシア国防省の侵攻映像や各国メディアによるその被害状況やウクライナ市民の声に接するたびに、心が痛み、いったい私は何をすればいいのだろう、と<重い腰>を上げられないでいる。実際、私はいま、整形外科のリハビリで通院している身でもある。

  かつて、映画館に行くたびに見たい映画の前の「ニュース映画」での朝鮮戦争、写真や映画で知るベトナム戦争の戦闘や悲惨な場面を思い出してしまう。いまは、茶の間にいても、痛ましい情報が目に飛び込んでくる。

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キエフ市ネイのテレビ塔爆破される(ウクライナ内務省フェイスブックより、3月1日)

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キエフに次ぐ第二の都市、ハリコフ市庁舎前(AFPbbbewsより、3月1日)

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キエフ北部、壊された橋を渡る市民たち(AFPbbnewsより、3月1日)

  友人からは、change.orgによるウクライナ侵攻反対署名の呼びかけがもある。しかし、change.orgの署名画面を見ていて、いま誰が署名したか、署名総数が刻々と報じられる仕組み、そして、この署名は、いつ、どこで、だれに、どうやって届けられるのかが分からない。開設者にもその全貌が把握できないばかりか、一人が何度でも署名が可能であり、その個人情報の行方も不安である。その署名の数に焦って、署名し、そこでの達成感はあるかもしれないが、そこで終わってしまうのではないか・・・。  紙の署名もネット署名も、明確な主題と主催者、期限、あて名が肝心である。そして次の行動につなげてゆくことも重要な目的にならなければならない。いつか、どこかで、すでに署名したかもしれない署名を迫られることもしばしばであった。コロナ禍にあって、集会やデモもままならないなか、ズームでは、なかなか盛り上がらない昨今ではある。

  しかし、しかし、今回の各国の抗議デモの報道写真を見る限り、場所を埋め尽くす、その数の多さに驚くのである。そのメッセージの多様さにも。とくに、その場所が、かつて訪ねた街の、あの通あったり、広場だったりすると、私はといえば、単純ながらも そこに参加しているような気分になるのだった。プラハだったり、パリやニースだったり・・・。日本政府はもちろん、自戒込めて言うならば、私たち日本人の行動は、どれほど有効なのだろうか。自己満足と言われるかもしれないが、今の私は、一人ででも、家からでも、ロシア侵攻反対とウクライナ復興支援の意思表示を発信していきたい。

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ロンドン、ロシア大使館前(2月24日)

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ベルリン、ブランデンブルグ門前(2月24日)

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ウイーン(2月26日)
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渋谷駅前(2月26日)
フォト特集】「戦争反対」世界に広がる ウクライナ侵攻に抗議 ...
ワシントン、ホワイトハウス前(3月2日)、ワシントンには出かけたことはないのですが。

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モスクワ、プーシキン広場をブロックする装甲車(2月24日)、こんな光景は、日本でも、国会議事堂付近ではよく見かけます。

(上記いずれもAFPbbnewsより)

 それにしても、私は、ウクライナの歴史についてあまりにも知らなすぎた。教科書に登場するクリミア戦争とナイチンゲール、穀倉地帯のイメージ、映画史には必ず登場するオデッサの階段シーン、ソ連邦下のウクライナ。映画やニュースで知るナチス占領下のウクライナ、オレンジ革命と女性闘士、そして、近年のユシチェンコ大統領の暗殺未遂事件、ロシアのクリミア併合、コメディアンの大統領誕生など、実に断片的な情報でしかなかった。その現代史はつねにソ連やロシアの脅威と隣り合わせだったことは知りながらも、点と点、そのつながりや間の出来事には無関心に近かった。

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2021年10月 1日 (金)

NHK提訴、第1回口頭弁論の傍聴へ。森下経営委員長は出廷せよ!

 9月28日、秋晴れの下、久しぶりの東京、霞が関も久しぶりのことだった。今回のNHK裁判までの経過はなかなか厄介なのだが、朝日デジタルは、その日の夜、つぎのように報じている。

かんぽ報道で会長厳重注意の議事録 開示訴訟でNHK側争う姿勢
宮田裕介2021年9月28日 19時59分)
 かんぽ生命保険の不正販売を報じた番組を巡り、NHKの経営委員会が2018年、当時の上田良一会長を厳重注意した問題で、市民ら約100人がNHKと森下俊三・現経営委員長を相手取り、厳重注意の経緯がわかる経営委の議事録の全面開示などを求めて提訴した訴訟の第1回口頭弁論が28日、東京地裁であった。NHKと森下氏は請求の棄却を求め、争う姿勢を示した。原告側は議事録などの開示を4月に求めたのに、応じていないのは違法だとして、6月に提訴していた。・・・

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東京地裁に入る原告団(筆者撮影)

 原告の私たちが求めているのは、日本放送協会NHKに対しては経営委員会の議事録の全面開示と森下経営委員長には、放送法に規定のある経営委員会議事録を遅滞なく開示する義務を怠ったことによる損害賠償請求であった。100人を超える原告団の一人として、提訴に至るまで、NHK視聴者団体の一つで少しばかり手伝いをしてきた者として、やはり傍聴しておきたかった。定員98人の大きな法廷ながら、コロナ感染対策のため、今回の傍聴席はその約半分、抽選で入れなかった方もいらした。私たち原告のあらかじめ申請した13人は黄色い傍聴券を渡され、その席は、片側に特定され、何回も人数を確認された。

 裁判までの経過をたどると・・・2018年4月24日、NHKは「クローズアップ現代+」で、日本郵政のかんぽ不正販売問題を報道した。その後、日本郵政グループからの抗議を取り次いだNHK経営委員会から上田NHK会長は「厳重注意」を受けていた。同年8月10日に放送予定だった「クローズアップ現代+」の続編は、郵政との関係が深い森下俊三経営委員長代行ほか多くの経営委員から、その内容にまでクレームがつき、放送は延期になっていた。これらの経過を、2019年9月26日、毎日新聞がスクープし、10月には、野党のヒアリングで森下委員長代行は、上田会長への厳重注意をした時の議事録は作っていないと発言。2019年12月には、森下委員長代行は委員長に選出された。その後、毎日新聞が件の経営委員会議事録の全面開示を求めたところNHKは拒否したとの報道がなされたのは毎日新聞2020年2月27日だった。

 2020年3月6日、市民グループが議事録の全面開示と森下委員長の辞任を求める要望書を提出、辞任署名を提出したところ、NHK内部に設置されている情報公開審議会から、開示せよとの答申が二度出されたにもかかわらず、全面開示に至らなかったのである。
 この間、市民グループは、森下委員長の罷免を求める国会請願、森下委員長の再任反対署名などを実施、2021年6月14日、上記提訴に踏み切ると、NHKはあわてて?議事録開示と称して原告らに提示されたものは、不備の多い正式なものではなかったのである。
 かくて、9月28日第1回口頭弁論に至ったわけである。原告側は、市民グループで運動を続けてきた二人と元NHKプロデューサーの三人の原告と主任弁護人の意見陳述がなされたが、NHK側は、弁護士や関係職員が出廷しながら、一言の意見陳述もなされなかったし、森下経営委員長とその代理人弁護士も出廷していなかった。

 これは一体どういうことなのだろう。森下経営委員長は原告側の主張を認め、争うつもりがないのか。そうでないとしたら、この提訴を軽視しているからなのか。森下経営委員長の陳述を聞かねばならない。
 「クローズアップ現代+」の続編の放送延期の間、かんぽ生命保険不正販売の続行によって、多くの被害者が出すに至ったことへの責任も大きい。何よりも放送の自由と表現の自由にかかる重大な裁判であることは間違いなく、私も生まれて初めて「原告」を体験することになった次第である。
 裁判後の司法クラブでの記者会見、その後の報告会の模様は、以下のユープランさんのフルバージョンの録画で見ることができる。陳述などの資料も添付されている。

https://www.youtube.com/watch?v=XSl5OmhEQ20

 

 

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2021年3月 2日 (火)

「諜報研究会」は初めてかも、占領下の短歌雑誌の検閲、日本人検閲官をめぐって(2)

 山本さんの新著『検察官―発見されたGHQ名簿』(新潮社)は、新聞広告を見て、近くの書店に注文したら、発売は来月ですと言われ、入荷の知らせをもらったまま、取りに行けず、この研究会に参加する羽目になった。今は、手元に置いているので、それを踏まえて、研究会の様子をお伝えしたい。
 
今回の「秘密機関CCDの正体追究―日本人検閲官はどう利用されたか」と題されたレジメの冒頭には、つぎのように記されている。
 「検閲で動員されるのは英語リテラシーのあるインテリであった。彼らは飢餓からのがれるためにCCDに検閲官として雇用され、旧敵国のために自国民の秘密を暴く役割を演じた。発見された彼らのリストと葛藤の事例を紹介しながら、CCDのインテリジェンス工作の実態に迫る。」

 長い間、CCD民間検閲局で、検閲の実務にあたっていた、検閲官の実態は謎のままであった。私も、プランゲ文庫の文書の検閲者の名前が気になっていた。文書には、検閲者の姓名や姓がローマ字で記されていて、多くは日本人とみられる名前だったのである。いったいどういう人たちがどんなところで、検閲にあたっていたのだろうかが疑問ではあった。
 山本さんは、2013年に、国立国会図書館のCCD資料の中から名簿の一部を発見し、以降わかった名簿は、インテリジェンス研究所のデータベースに収められている。CCDの職員はピーク時には8700人にも達し、東京を中心とする東日本地区、大阪を中心とする関西地区、中国九州地区で、おおよそ2万人ちかくの検察官が働いていたと推測している。しかし、その職を担ったのは、当時、まず、英語を得意とする人たちであったことは当然で、日系二世はじめ、日本人の学生からエリートにまで及んだが、その実態は明らかになっていなかった。
 そのような検閲者となった人たちは、敗戦後日本の「民主化」のためとはいえ、GHQによる「検閲」という言論統制に加担したことへの後ろめたさと葛藤があったにちがいなく、口を閉ざし、あえて名乗り出る人たちもなかったなか、時を経て、断片的ながら、さまざまな形で語り始める人たちも出てきた。甲斐弦『GHQ検閲官』(葦書房 1995年)の出版は、検閲の体験者としての貴重な記録となった。そうした検閲者たちの証言を、山本さんは、無名、有名をとわず、丹念に探索し、検閲の実態を解明しているのが、冒頭に紹介した新著であった。例えば、梅崎春生の兄の梅崎光生、ハンセン病者の光岡良二、言語学者の河野六郎、歌人の岡野直七郎、小説家の鮎川哲也、ロシア文学者の工藤幸雄、のちの国会議員の楢崎弥之助、久保田早苗らについて検証する。岡野らのように、実業界、金融業界からも、かなり多くの人たちが動員され、東大、東京女子大、津田塾らの学生らも大量に動員され、その一部の人たちの証言もたどる。
 
今回の山本さんのレポートの前半は、検閲者名簿の「Kinoshita Junji」(以下キノシタ)に着目、あの「夕鶴」で有名な劇作家の木下順二ではないかの仮説のもとに、さまざまな文献や直接間接の証言を収集、分析の結果、キノシタは木下順二との確信を得る過程を、詳しく話された。まるで、ミステリーの謎解きのような感想さえ持った。
 
木下順二(1914~2006)は1939年東大文学部英文学科卒業後、大学院に進み、中野好夫の指導を受けていた。法政大学で時間講師を務めるが、敵性言語の授業は無くなり失業、敗戦後は明治大学で講師を務めていたが、山本安英のぶどうの会との演劇活動も開始している。
 
一方、キノシタは、氏名で検索すると1946年11月4日に登場するが、49年9月26日付で病気を理由に退職している。この間、ハガキや手紙郵便物の検閲を行う通信部の監督官を務め、1948年にCCD内部で実施した2回の英語の試験で好成績をおさめている。かつて未来社の編集者として、多くの木下順二の著作出版にかかわった松本昌次(1927~2019)の証言や養女木下とみ子の証言で、確信を得たという。
 
山本さんは、新著の中で、木下順二が英語力に秀でていたこと、敗戦後の演劇活動には資金が必要であったこと、その活動が活発化したころに、CCDを退職していること、木下の著作には、アメリカへの批判が極端に少ないことなども、いわば状況証拠的な事実もあげている。
 
レポートの後半は、郵便物の検閲が実際どのようになされていたか、東京中央郵便局を例に、詳しく話された。いわゆる重要人物のウォッチリストの郵便物のチェックはきびしく、限られた場所で秘密裏に行われていたという。実際どんな場所で検閲が行われたかについてもリストがあり、東京では、中央郵便局のほかに、電信局、電話局、内務省、市政会館、松竹倉庫、東京放送会館などが明らかになっている。大阪でも同様、大阪中央郵便局、電信局、電話局、大阪放送局、朝日新聞社などで行われていた。しかし、大阪に関しては、関係資料がほとんど残されておらず、焼却されたとされている。
 
内務省やNHK、朝日新聞社などが、場所を提供していたばかりでなく、人材や情報なども提供していたと思われるが、年史や社史にも一切、記録されていないことであった。

 以上が私のまとめとはいうものの、大いなる聞き漏らしもあるかもしれない。 
 また、報告後の質疑で、興味深かったのは、『木下順二の世界』の著書もある演劇史研究の井上理恵さんが「木下順二とKinoshita Junjiが同一人物とは信じがたい。木下は、出身からしても困窮していたとは考えにくいし、CCDにつとめていたとされる頃は、演劇活動や翻訳で忙しかったはずだ」と驚きを隠せなかったようで、今後も調べたい、と発言があったことだった。また、立教大学の武田珂代子さんが、占領期の通訳や検察官におけるキリスト教系人脈はあったのか、朝鮮のソウルでのGHQの検閲の実態、検閲官として、朝鮮人がいたのか、などの質問から意見が交わされた。

 私は、あまりにも基本的な疑問で、しそびれてしまったのだが、GHQの検閲の処分理由に「天皇賛美や天皇神格化」があげられる一方で、天皇制維持や象徴天皇制へと落着することとの整合性がいつも気になっており、アメリカの占領統治の便宜だけだったのかについて、司会の加藤哲郎さんにもお聞きしたかったのだが、気後れしてしまった。

 なお、岡野直七郎についてははじめて知ったので、調べてみたいと思った。1945年12月10日採用となっているから、かなり早い採用だったと思われる。

 

 

 

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2021年2月28日 (日)

「諜報研究会」は、初めてかも~占領下の短歌雑誌検閲、日本人検閲官をめぐって(1)

 

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第34回諜報研究会(2021年2月27日(土))
ZOOMを利用してオンラインで開催

報告者:中根 誠(短歌雑誌「まひる野」運営・編集委員)
「GHQの短歌雑誌検閲」
報告者:山本 武利(インテリジェンス研究所理事長、早稲田大学・一橋大学名誉教授)
「秘密機関CCDの正体追究―日本人検閲官はどう利用されたか」  
資料
司会:加藤 哲郎(インテリジェンス研究所理事、一橋大学名誉教授)

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  今回、インテリジェンス研究所から、上のようなテーマでの研究会のお知らせが届いていた。ズームでの開催ということで、なんとなく億劫にしていたが、テーマがテーマだけにと、参加した。これまで、早稲田大学20世紀メデイア研究所の研究会には何度か参加したことはあるが、第34回という「諜報研究会」は、はじめての参加であった。

 中根誠さんの「GHQの短歌雑誌検閲」は、すでに、『プレス・コードの影~GHQの短歌雑誌検閲の実態』(短歌研究社 2020年12月)を頂戴していたので、ぜひと思っていた。
 著書は、メリーランド大学プランゲ文庫所蔵資料をもとに作成した奥泉栄三郎編『占領郡検閲雑誌目録・解題』(雄松堂書店 1982年)により国立国会図書館のマイクロフィルムを利用して、短歌雑誌111誌、331冊を対象とした論考である。GHQの検閲局に提出された短歌雑誌のゲラ刷ないし出版物の検閲過程がわかる文書の復刻と英文の部分の和訳をし、その検閲過程を解明し、解説をしている。検閲官による短歌の英訳、プレス・コードのどれに抵触するのか、その理由やコメント部分も丹念な和訳を試みている。文書は、タイプ刷りもあり、手書き文書もあり、判読が困難な個所も多いので、その作業には、苦労も多かったと思う。本書は短歌雑誌の検閲状況の全容解明への貴重な一書となるだろう。

 研究会での報告は、『短歌長崎』『短歌芸術』を例に、編集者と検察局との間でどういう文書が交わされたかを時系列で追い、出版に至るまでを検証する。国粋主義的な『言霊』を通じては、発行から事後検閲処分の遅れなどにも着目し、事後検閲の目的はどこにあったのかなどにも言及する。また国粋主義的な『不二』と『人民短歌』を例に、どんな理由で「削除」や「不許可」なったのかを量的に分析し、『不二』の違反数が圧倒的に多く、事後検閲に移行するこことがなかったのに比べ、『人民短歌』は、検閲者が一度違反と判断しても、のちに上司が「OK」に変更される例も多いことがわかったという。「レフト」(左翼)より「ライト」(右翼)にはきびしい実態を浮き彫りにする。
 各雑誌自体の編集方針の基準として、レフトとライトの間には、センター、コンサーバティブ、リベラル、ラディカル、といった仕訳がされ、文書には付記されていたことにも驚く。

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 中根さんは、事前検閲から事後検閲への移行の基準など明確に読み取れなかったことや、検閲が厳しい場合とそうでない、かなり杜撰な場合とがあることも指摘されていた。中根さんの報告の後、短歌関係なのでと、突然発言を求められ、驚いてしまったのだが、つぎのような感想しか述べられなかった。
 「一昨年、斉藤史という歌人の評伝を出版、その執筆過程で、気が付いたことなのだが、検閲の対象になった「短歌」ということになると、中央、地方の「短歌雑誌」だけでなく、さまざまなメディア、総合雑誌や文芸誌、婦人雑誌、新聞なども対象にしなければならないのではないか。斎藤史という歌人の周辺におけるGHQの検閲を調べてみると、斎藤史は、父親の歌人斎藤瀏と長野に疎開し、敗戦を迎える。地方の名士ということだろうか、斎藤史は、国鉄労組の長野支部の雑誌『原始林』(48年7月)に短歌7首を寄稿しているが、1首が削除されている。斎藤瀏は、『短歌人』という雑誌で何度か検閲処分を受けているが、宮城刑務所の文芸誌『あをば』(46年9月)に8首が掲載されていて、1首にレ点がついていた。だが、この8首は、『短歌人』(46年4月)からの転載だったので、すでに検閲済みで、1首が削除されての8首だった。二重のチェックを受けていることになるが、『あをば』1首には、「OK」の文字も見えて削除はされなかった。こんなことも起こり得るのかなと。そういうことで、プランゲ文庫の執筆者索引のありがたさや大事なことを痛感した。」
 発言では触れることができなかったのだが、史の作品の次の1首が「ナショナリズム」と「アンチ・デモクラシー」を理由に削除されている。史の『全歌集』には、収録されていない。
・この國の思想いく度變轉せしいづれも外より押されてのちに
 また、斎藤瀏のレ点のついたのはつぎの1首だった。
・皇國小さくなりたり小さけれど澄み徹りたる魂に輝け

 これまでも、私自身、旧著において、以下のようなテーマでGHQの検閲に言及してきたものの、断片的だったので、今回の中根さんの労作には、敬意を表してやまない。
①「占領期における言論統制~歌人は検閲をいかに受けとめたか」『短歌と天皇制』(風媒社 1988年10月)
②「被占領下における短歌の検閲」『現代短歌と天皇制』(風媒社 2001年2月)
③「占領軍による検閲の痕跡」『斎藤史―『朱天』から『うたのゆくへ』への時代』(一葉社 2019年1月)

 ①では、『短歌研究』1945年9月号の一部削除、『日本短歌』1945年9月号の発禁、斎藤茂吉歌集『つゆじも』、斎藤茂吉随筆集『文学直路』、原爆歌集『さんげ』などについて書いている。
 ②では、占領下の検閲についての先行研究に触れながら、検閲の対象、検閲の手続き、検閲を担当した日本人、検閲処分を受けた著者・編集者・出版社の対応について、今後の課題を提示した。とくに、桑原武夫「第二芸術論」が、彼の著作集の編集にあたっては復元することもなく、削除処分後の文章が載り、検閲についての注記もなかったことに象徴されるような潮流にも触れた。
 
③では、発言でも触れたことと、検閲を受けた歌人たちの対応について言及し、『占領期雑誌資料体系・文学編』(岩波書店 2010年)の第Ⅴ巻「短詩型文学」において、齋藤慎爾の解説「検閲に言及することは、自らの戦前、戦中の<戦争責任>の問題も絡んでくる。古傷が疼くことにあえて触れることもあるまい。時代の混乱を幸いとばかりに沈黙を決め込んだというのが実情ではないか」との指摘に共感したのだった。

山本武利先生の報告は次回で。(続く)

 

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