2013年8月11日 (日)

『天皇の短歌は何を語るのか』(御茶の水書房)刊行のご案内

猛暑お見舞い申し上げます。

このたび、『天皇の短歌は何を語るのか』が上梓の運びとなりました。『短歌と天皇制』(1988年)『現代短歌と天皇制』(2001年)につづくテーマですが、店頭で手に取ってご覧いただければうれしいです。じっくり読もうと、もし思われましたら、ご購入いただければありがたいですが、なにせ 高額なものですので、近くの図書館にリクエストしていただければ幸いです。

本書には、今回初めて、索引を付しました。人名索引だけですが、面倒な作業となりました。ミスなどないか心配です。

また、短歌総合誌などに寄せたエッセイなど幾つかを、コラムとして収録しました。相変わらずながら、多くの図表や年表を作成いたしましたので、本文の補足になれば何よりと思っています。

このような表紙のカバーとなりました。若生のり子さん、ありがとうございました。菊をテーマに、重くならず、「青い花火」のような涼しさも感じられますが。

Gedc3173_2

<御茶の水書房HP>よりNEW
『天皇の短歌は何を語るのか
―現代短歌と天皇制』

         著者:内野光子
    2013年8月刊行
       定価:3990円(本体3800円+税)
    ISBN:978-4-275-01044-5

*****************

『天皇の短歌は何を語るのか―現代短歌と天皇制』 目次

Ⅰ.天皇の短歌は何を語るのか―その政治的メッセージ性

1.昭和天皇の短歌は何が変わったのか

.象徴天皇の短歌―皇統譜と護憲とのはざまで

3.天皇の短歌、福祉・環境・災害へのまなざし

4.天皇の短歌、平和への願いは届くのか 

Ⅱ.勲章が欲しい歌人たち―歌人にとって「歌会始」とは
1.勲章が欲しい歌人たち
2.芸術選奨はどのように選ばれたか
3.戦後64年、歌会始の現実
4.「歌会始」への無関心を標榜する歌人たち
.「歌会始」をめぐる安心、安全な歌人たち
6.東日本大震災後の歌会始
7.「社会詠」論議の行方                                                                     

Ⅲ.メディア・教科書の中の短歌
1.短歌の「朗読」、音声表現をめぐって 
2.竹山広短歌の核心とマス・メディアとの距離  
3.教科書の中の「万葉集」「短歌」  
.主題の発見―国家・政治・メディア
5.中学校国語教科書の中の現代歌人―しきりに回る「観覧車」

Ⅳ.『ポトナム』をさかのぼる
1.小島清、戦前・戦後を「節をまげざる」歌人
.『ポトナム』時代の坪野哲久 
.内閣情報局は阿部静枝をどう見ていたか―女性歌人起用の背景―  
4.醍醐志万子―戦中・戦後を一つくくりに
.『昭和萬葉集』に見る『ポトナム』の歌~第五巻・第六巻
  
(一九四〇~一九四五年)を中心に

コラム7件
図表・年表13件 

あとがき
人名索引

***********

家の前の駐車場側溝の根性スイカ、二つ目はかなり大きくなりそうです。三つ目がすでに向うがわに実り始めました。一つ目は、大きくならない前に、満身創痍、朽ちてしまいました。

Gedc31752_3





| | コメント (2)

2010年9月20日 (月)

ある講演会のあとで~雁屋哲氏にお会いして

思いがけない展開で、「美味しんぼ」の原作者雁屋哲氏と数人の会食の席に、私もご一緒できることなった。

918日、調布(市文化会館たづくり)での安川寿之輔氏「日韓併合と福沢諭吉~坂の上の雲は明るい明治か~」の講演会にオーストラリアから帰国後間もない雁屋氏が参加された。講演会後の会が企画され、お誘いを受けた。もとはといえば、「坂の上の雲」批判つながり、福沢諭吉批判つながりで、安川氏と雁屋氏が最近知り合い、中塚明氏・安川氏と共著を刊行したばかりの連れ合いがその会に誘われ、安川氏がマンガ『日本人と天皇』の著もある雁屋氏に拙著『短歌と天皇制』『現代短歌と天皇制』を紹介されて、私もお誘いを受けたという次第だった。

雁屋氏の本は、マンガ『日本人と天皇』(いそっぷ社 2001年、のち講談社α文庫)刊行後間もなく入手、読んでいたくらいだった。大学サッカー部を舞台に、スポーツやその周辺にただよう「天皇制」の残滓をひとりの部員が理解者と共に払しょく、改革してゆき、チームとしても強くなってゆくストーリだった。よく調べてあるマンガだな、と思い、参考文献の多さにも驚いたことを思い出す。それでもグルメマンガぐらいにしか考えていなかった「美味しんぼ」、断片的に雁屋氏のことについては読んだことはあっても、「美味しんぼ」までにはいたらなかった。

お誘いを受けてから、文庫の「美味しんぼ」、新刊の「美味しんぼ」を書店で探したりした。そして、ブログ「美味しんぼ日記」にもたどりつき、氏の関心の広さと探求の深さにあらためて驚いた。20数年前、「美味しんぼ」が爆発的人気を得た直後、お子さんの教育を考えてオーストラリアに移住したこと、以来、仕事はシドニーで、年に数か月、日本に帰国して取材や資料収集などの仕事をこなすという。

会食は原宿の「S」という和食のお店。雁屋氏、安川氏、関係の新聞社、雑誌社、出版社の方々と私たち二人。談論風発ながら、日本の近現代史とくに、当日の安川氏の講演のテーマだった福沢諭吉から始まり、日朝関係、教育、戦争責任、天皇制、メディアの役割などをめぐって、雁屋氏の基本的な姿勢を伺う展開になった。雁屋氏は理系の出身で、論理的、実証的であることを旨とし、曖昧な、感情的な対応には手きびしい。例えば、福沢諭吉信奉者や擁護論者には、福沢の著作をしっかり読んではいないことが多い、日本の、天皇の戦争責任を断ずるためには、日本の旧植民地での暴虐や政策の実態を知ること、日本の識者の変わり身の早いことなどを強調される。近く、福沢諭吉についても書く構想があるそうだ。

そうした議論の合間に、運ばれてくる料理、一品一品にいたるコメントや給仕の方・料理人の方との素材や産地、料理法までのやり取りが聞いてとれるのだった。私にとっては初めてで、格別美味しかったのが、すっぽんのスープ、猪肉の角煮、ぎんなんのてんぷらの小どんぶり、パッションフルーツのゼリーなどだった。。雁屋氏の「美味しんぼ」105冊目の新作は、食の安全をテーマに10月に発売される。次には国家的な公害、ダムについても執筆の由、その創作・研究意欲とに大いに刺激を受けた一夜であった。

| | コメント (0)

2008年10月29日 (水)

短歌の「朗読」、音声表現をめぐって(8)戦時下の「短歌朗読」6

「愛国詩朗読」という番組では、野口米次郎、西條八十、堀口大学、村野四郎、安西冬衛ほか、下記の詩人たちのつぎのような作品が繰り返し放送されている。佐藤惣之助「殉国の歌」「海の神兵」高村光太郎「彼らを撃つ」「地理の書」「最低にして最高の道」尾崎喜八「此の糧」室生犀星「日本の歌」吉田絃二郎「戦捷の春」草野心平「帰還部隊」三好達治「おんたま故山に迎ふ」室生犀星「日本の朝」山本和夫「その母」百田宗治「わが子に」佐藤春夫「撃ちてし止まむ」島崎藤村「常磐樹」長田恒雄「声」など。朗読は、ときには自作朗読もあったが、大方は、和田信賢、館野守男、浅沼博アナウンサーらや丸山定夫、東山千栄子、中村伸郎、山村聡、汐見洋、三津田健、山本安英、石黒達也ら演劇人が動員されている。

詩や短歌の朗読については、「厚生娯楽的な意味も兼ねて」早朝、昼、夜間に、単独ないし総合番組のコーナーでも随時放送され、短歌では「斉藤茂吉、佐佐木信綱、北原白秋、土屋文明、吉植庄亮ら」が活躍したとある(前掲『日本放送史』下巻 五六〇頁)。

「番組確定表」には、詩については題名と作者名が記入されている場合が多いが、短歌は作者名だけでどんな作品が朗読されたかは不明だった。

 以上、戦時下の朗読用のテキスト類及び日本文学報国会の機関誌『文学報国』、『日本放送史』の三つの資料から短歌朗読の実態を探ってみた。もう一つの私の気がかりは、こうした短歌朗読を当時の国民は実際どのように受け止めていたのか、であるが、別稿に譲りたい。

『声に出して読みたい日本語』(斎藤孝 草思社 二〇〇一年)ブーム、今世紀に入っては川島隆太提唱の脳トレに有効という「音読ドリル」がにわかに脚光を浴びている。朗読の実用性と生理的カタルシスが、自らの健康法に留まるならば、それもいいだろう。しかし、選択された「美しい日本語」「名句・名文」の内容による教育的要素は大きく、影響力も無視できない。ちなみに、『声に出して読みたい日本語』は昨年までに5冊刊行されている(二〇〇八年一月、発行元の草思社倒産の報に接した)が、万葉集や百人一首に加えて、近現代の歌人では、正岡子規、石川啄木、釈迢空、坪野哲久、山崎方代、河野裕子、俵万智らの短歌作品が登場していることがわかった。

また、現代の歌壇において、冒頭にあげたように、岡井隆、福島泰樹などによるパフォーマンスの流行は、多分にその歌人の演技、タレント性が評価されているのだろうと思う。現に、岡井隆は、対談で朗読会のことを問われて「自分のことだから言いにくいのですが、どうも声の質、しゃべり方、作品のテーマ、ああ、おもしろいなと思わせるような、ちょっと小説的な構成のしかた、そういったものを含めて、自分は朗読向きの歌人の一人だと思う」という自負の裏側には、岡井自ら否定する「ナルシスト」ぶりを垣間見せていた(『短歌』20088月号)。

声楽家で、地域で音楽教室を開き、子供たちのミュージカルスや大人たちの朗読・ボイストレーニングなどの指導にもあたっている友人から、朗読の教材にと思うので「あなたの人生がたどれるような短歌作品を選んでほしい」との申し出があった。戸惑う私に「歌壇での流行は知らないが、私の試みの一つなのでお願いしたい」と一蹴された。それではと、まず、最近の短歌「朗読」事情と歴史を調べ始めたというわけである。(了)(『ポトナム』200810月号所収)

今回をもって短歌の「朗読」について、とくに戦時下の動向についてのレポートは一応終了します。来月から『ポトナム』誌上にて3回にわたって「竹山広短歌の核心とマス・メディアとの距離」を連載します。

| | コメント (0)

2008年9月 5日 (金)

短歌の「朗読」、音声表現をめぐって(7)戦時下の「短歌朗読」5 

   

紀元二六〇〇年、一九四〇年初頭より日本放送協会は各種の記念番組を編成、一一月一〇日には「宮城外苑」で紀元二六〇〇記念奉祝式典が開催され、北原白秋はつぎのような詩を作る。

紀元二千六百年頌(北原白秋)

 盛りあがる盛りあがる国民の意志と感動とを以て、盛りあがる盛りあがる民族の血と肉を以て、個の十の百の千の万の億の底力を以て、今だ今だ今こそ祝はう。紀元二千六百年ああ遂にこの日が来たのだ。

(中略)

ラジオは伝へる式殿の森厳を、目もあやなる幢幡銀の鉾、射光の珠を。嚠喨となりわたる君が代の喇叭。金屏の前に立たします。(後略)

  

一九四〇年一二月、内閣情報部が廃止され、情報局として強化され、放送番組の指導監督は逓信省からこの内閣情報局に移管されることになる。一九四一年二月「特別講演の時間」が「政府の時間」に、「戦況日報」が「戦時報道」になり、同年四月一日からは、「学校放送」を「国民学校放送」に、「子供の時間」を「少国民の時間」とそのネーミングを変えている。振り返れば、一九四一年一二月八日の三日前、同月五日に情報局により「国内放送非常時態勢要綱」が制定されていた。その一項目に「警戒管制中は放送番組は官庁公示事項、ニュース、レコード音楽に重点を置き、講演、演芸、音楽等一般放送は人心の安定と国民士気昂揚を中心とし積極的活用を図る」とある。(『日本放送史』上巻、以下同書、五〇一頁)また、また「番組確定表」でわからなかった部分を別の資料で補いつつたどってみると、いくつかの講話、開戦の臨時ニュース、経済市況、音楽(レコード)、君が代、時報の間を各種行進曲の吹奏楽が放送され、そのメインは正午から始まったとされる「詔書奉読」(中村茂代読)「大詔を拝し奉りて」(内閣総理大臣陸軍大将東条英機)であった。午後は大日本陸海軍発表、政府声明朗読、定時・臨時のニュースが続き、夕方からは吹奏楽に加えて、合唱や管弦楽が入る。この日に登場する歌人としては、合唱曲「敵性撃滅」(伊藤昇作曲)の作詞者としての土岐善麿の名であった。短歌だったのか、詩であったのか、その内容が分からない(『現代史資料四四マス・メデイア統制』みずず書房 一九七五年 三七一頁)。ただ、『短歌研究』一九四二年一月の「宣戦の詔勅を拝して」特集にて善麿は、「敵性撃滅」と題した五首を発表しているので、参考のため記しておこう。

・撃てと宣らす大詔遂に下れり撃ちてしやまむ海に陸にそらに

・悪辣なるかの敵性はわが眼にもしみたり撃たさら

・ルーズヴェルト大統領を新しき世界の面前で撃ちのめすべし

以降、番組の中核は、戦況ニュースを中心とした報道番組となった。放送現場でも番組検閲と国策への積極的な活用が喫緊の課題となった。

この時代の文学作品の朗読は、番組編成上は、教養・芸能・報道のくくり方で、「芸能」の中で扱われている。大江賢次の戦記もの、徳川夢声朗読による吉川英治「宮本武蔵」、富田常雄「姿三四郎」などが人気であったという(五四八頁)。開戦直後から企画された「愛国詩朗読」は、前述のように、大政翼賛会文化部の指導のもと詩人たちが活躍したのだが、その実際を「番組確定表」に登場する詩人やその作品を探ってみたい。(『ポトナム』20089月号所収)

|

2008年7月31日 (木)

短歌の「朗読」、音声表現をめぐって(5)戦時下の「短歌朗読」3

さらに、『中等学生のための朗詠歌集』の編者小島清は、「特別の目的をもつて編纂したものでないから、愛国勤皇の歌ばかりをあつめてもゐない」と明言している点で、類書には例がないのではないか。現に、「現代篇・諸家作品」に登場する歌人の人選、選歌は、戦後の私たち世代一九五〇年代の中学・高校の『現代国語』で学んだ教科書の近代短歌と重なる作品が多いのであった。

これまで、当時の朗読用テキストを読んできた限りでは、詩の朗読運動が他に先んじて実施され、盛んであった。短歌が朗読の対象となることについては、一歩遅れたという認識が伺われる。

一九四二年五月に発足した日本文学報国会の機関紙『文学報国』(一九四三年八月一〇日創刊~一九四五年四月一〇日、四八号で終刊か)の朗読関係の記事を追ってゆくと当時の様子がわかって興味深い。

①真下五一「代用品文学の汚名―朗読文学について」5号(1943101日)                                    

②「朗読文学の夕」6号(一九四三年一〇月一〇日)

③寺崎浩「朗読文学委員から―真下五一氏に答ふ」8号(一九四三年一一月一日)

①は、当時なぜ「朗読文学」が提唱されだしたのか、その唯一の理由が「紙の払底」にあるということを誰もあやしまないばかりか、間に合わせ的、代用品的な押売り理由を作者や朗読者までが公言しているのを嘆いた文章である。文化においては、速急な事情的な理由よりももっと大切なものがあるのではないかとの警告めいた発言であった。これに対して、③は、久保田万太郎委員長のもと「朗読文学研究会」を数回開いているが、はかばかしい成果はない。が、放送局の協力、舞台・高座・町の辻々など場所を選ばない可能性、音楽との統合などさまざまな可能性を研究している、という主旨の小文であった。

④「聴覚に訴へる文学―新企画に放送局協力、『朗読文学』懇話会」30号(一九四四年七月十日)

この記事には、七月一一日、情報局放送課・文芸課の斡旋で日本放送協会と文学報

国会との懇談会が開かれ、文学報国会事務局長中村武羅夫はつぎのように語ったとあ

る。「朗読文学は単なる旧作の朗読等の安易な便宜主義は排し、あくまでも正しい日本語の純化を図り、世界に無類の美しい音を持つ国語を効果的に、聴覚を通して真に魂へ伝へ得る文学でありたい・・・」さらに、前年に設置した「朗読文学研究会」を運動強化を期して「朗読文学委員会」に改編する予定であると伝える。つぎの31号(1944720日)では、「特輯・ラジオと国民生活」が組まれ、川路柳虹が、ラジオにおける朗読について、「文学作品が印刷できない」状況を踏まえて、「間に合せの戦争ものなどより純粋な文芸作品が却つて望ましい。これも精神を高めるのに役立つ」としながら、「詩の朗読」についてはどうも板にのつていないとし、朗読する作品自体の詩人による自作朗読より俳優による朗読が望ましい、などの注文をつけている。

 一九四四年八月一六日、日本放送協会担当部局及び情報局放送課長らを交え臨時朗読文学委員会が開催され、「海の兎」(阿部知二作、八月五日放送済み)「微笑」(円地文子作、八月一九日放送予定)を女優たちに朗読させ、批判研究したと伝える。

この頃から、「報国」の一環としての短歌朗読(朗詠)の活動が具体化していったようである。八月一七日には、短歌部会朗詠研究準備委員会が開かれ、短歌朗詠法の再興と正統朗詠の基礎の確立を企図していた。(『ポトナム』2008年7月号所収)

|

2008年7月28日 (月)

短歌の「朗読」、音声表現をめぐって(6)戦時下の短歌の「朗読」4

(マイリスト「短歌の森」にて、pdf版で読んでいただきましたが、今回からは本文にも掲載することにしました)             

日本文学報国会に、一九四四年八月一七日に設置された短歌部会朗詠研究準備委員会では、前田夕暮、頴田島一二郎、木俣修、山口茂吉、鹿児島寿蔵、松田常憲、大橋松平、中村正爾、長谷川銀作、早川幾忠の一〇人の委員が決められた(『文学報国』三四号、一九四四年九月一日)。九月一四日には第一回「短歌朗読研究会」を開催し、前田夕暮短歌部会幹事長によって「愛国百人一首」の朗読の試みが行われたとある。委員は、上記の松田、鹿児島、大橋、中村、早川と原三郎を現幹事とする記事もある(三六号、九月二〇日)。一一月二五日には、朗読文学研究会による第一回「朗読文学の夕」が開催され、前田夕暮の短歌朗詠、水原秋櫻子の俳句朗読、尾崎喜八の詩朗読、塩田良平の平家物語朗読、河竹繁俊の浄瑠璃脚本朗読、長谷川伸、船橋聖一の小説朗読がなされた、との記事もある(四〇号、一九四四年一一月一〇日)。記事の見出しには「決戦文学界に於ける新機軸」と題され、一二月開催予定の第二回「朗読文学の夕」も翌年に延期されたとある。また、同号・次号にわたって、富倉徳次郎「朗読古典への要望―朗読用古典の資料蒐集の報告上・下」が連載されている。「書物入手の困難」や「時間的余裕の無さ」を要因とする古典朗読の現実的な効用を否定しないところに戦時下の過酷さが滲み出ている。具体的には収集のため提出された古典のテキストや注解書などのリストが掲げられ、提出者には五味智英、志田延義、塩田良平、久松潜一らの名がみえる。また、河竹繁俊は、文学者の余技程度の朗読ではなく、朗読技法の研究の重要性を説き、放送の普及により「言葉による適正な芸術的発現が、いかに国民生活を浄化し、芸術化し、ひいては大和一致の精神の助長に資する」か、を強調し、「出版や発表の拘束打開」のためだけであってはならない、とする(「論説・朗読と技法」四一号、一九四四年一一月二〇日)。

一九四四年一二月一二日に開かれた「朗読短歌研究会」と短歌部会幹事会では「銀提供」に資する短歌を会員四三名に依頼したとある(四四号 一九四五年一月一〇日)。『文学報国』も遅刊が続き、一九四五年四月一〇日付け謄写印刷の四八号をもって途切れることになり、「主力を戦争への協力に」とする「二〇年度事業大綱決まる」の文字も復刻版では文字がつぶれて読みにくい。その一項目に「朗読文学運動」とあるのが判読できるのだが、もはや日本全体が力尽きた痛ましさが伝わってくる。

日本文学報国会の会報によって太平洋戦争下の文学朗読運動についてたどってみた。短歌朗読については、端緒についたばかりの感もある。

当時、国家の国民への広報戦略といえば、活字メディアが主力ではあったが、ラジオ、の普及は目覚しかった。一九三二年、聴取契約者数が、一〇〇万突破という中で、一九三七年九月、内閣情報委員会が廃され、内閣情報部が設置されると、政策放送の定例化が促進された。一九三八年一月からは、毎日一〇分間の「特別講演の時間」という重要政策発表の場を新設した。また、同年一二月には、全国的なラジオ普及運動を展開、陸海軍・内務・逓信四省連名の、ラジオ標語懸賞入選作一等「挙って国防揃ってラジオ」を配したポスターが作られ、私も放送博物館で現物を見ている。一九四〇年に入ると、契約者数が五〇〇万を越え、一世帯六人平均として三〇〇〇万人、内地人口の約四割以上の聴取が可能になったのである。

(『ポトナム』20088月号所収)

|

2008年6月 5日 (木)

マイリスト「短歌の森」に「短歌の『朗読』、音声表現をめぐって―戦時下の短歌朗読2」を登載しました。

前回に続き、太平洋戦争下において、さまざまな形で出版された詩歌朗読用のテキストを紹介し、編者の意図や利用の実態について探ってみました。

| | コメント (0)

2008年5月 2日 (金)

マイリスト「短歌の森」に「短歌の<朗読>、音声表現をめぐって(3)戦時下の<短歌朗読>1」を登載しました。

戦時下の「短歌朗読」の実態を、当時大政翼賛会から刊行された短歌朗読のためのテキスト類から検証する。編者の意図はどこにあったのか、どんな作品が選ばれていたのか、どんな場面で利用されていたのか。また、1941年12月8日を境に、ラジオでの「詩歌」朗読が「愛国詩」朗読へと銘打たれたなかで、「短歌朗読」はどんな位置を占めのたかに言及する。

| | コメント (0)

2008年3月27日 (木)

マイリスト「短歌の森」に「短歌の朗読、音声表現をめぐって―戦時下の『愛国詩朗読』への道」を登載しました。

前回は、歌壇や歌人の「朗読」への関心をめぐってたどってみたが、今回は、明治期から太平洋戦争下までの文学作品、特に詩の朗読の歴史について触れ、「朗読」とラジオの普及とのかかわりに言及する。画面左下の「短歌の森」の該当表題をクリックしてください。

| | コメント (0)

2008年3月 4日 (火)

短歌の「朗読」、音声表現をめぐって(1)

近頃、ちまたに流行るもの、「朗読」、歌壇も例外ではなく、「朗読会」はきょうもどこかで開かれているかもしれない。近代詩歌の朗読の歴史を少し振り返ってみようと思う。まずは、短歌の朗詠、朗読、披講とは。

| | コメント (0)