海外旅行をする以上、その土地の事物や自然を楽しみながら、できるだけ多くの人々に出会い、その暮らしぶりを知りたいのだが、残念ながら語学力が及ばない。せめて観察力を研ぎ澄ましたいのだが、私が自分を取り戻し、ほっとするのは、多く美術館や博物館であった。
今回は、オスロ、ベルゲン、フロムからフィヨルドを経て、ヴォス、ベルゲン、コペンハーゲンという行程である。欲張らないつもりながら、途中から荷物も多くなって、ベルゲンからは、現地で入手した資料なども郵便小包で日本へ送ってしまったので、まだ届いていない。10日前後はかかるという。順序は逆になるが、コペンハーゲンの美術館から書き起こすことにした。
(1)デンマーク国立美術館へ
8月26日(水)、ノルウェーのベルゲンから隣国デンマークへの入国はコペンハーゲン空港であった。着いた日の午後と翌日の午後1時過ぎまでしか使えない束の間の滞在である。オスロ~ベルゲン間と同じSAS便ながら、軽食も出ず、ドリンクもすべて有料という。1時間余りのことだからそれもいいかもしれない。ホテル最寄りの駅名からメトロを選び、ここも自動販売機近くの案内人の助けでようやくカードで切符を入手、車内で路線図を眺めてみても、そんな駅名がない。途方に暮れていると乗客の1人が、私たちの差しだすホテルの名を見て、ノアポート駅で乗り換えよ、という。地上にでたものの、どのバス停からどの路線に乗り換えるか分からず、尋ねた1人は40番のバスに乗れともいうのだが、あきらめてタクシーとなった。着いたコング・フェデリックホテルは、チェックイン後、古い肖像画などがあちこちに掲げられたロビーを経て、奥まったエレベータの前に立ってアップボタン押すがいっこうに扉が開かない。Hereのボタンが点灯するものの、一見部屋のドアのような木製の扉は開かない。少しばかり触れた取っ手が手前に開くではないか。エレベータは停まっていたのだ。階数を押せば蛇腹の戸が閉まる仕掛けで、着いた階では内側の蛇腹が開いた後、木製の扉を手で押し開かなければならない。なるほどこれが「格式?」というものなのかな、と感心する。
部屋で一息入れて、まず、国立美術館へ。タクシーを走らせたノーラ・ヴォルト通りをオルステッド公園に沿って歩きはじめる。二つ目の交差点を過ぎると左手が植物園、右手は宮殿を擁するローゼンボー公園だ。右手の門を入ろうとすると、銃剣を携えた衛視に制止され、写真も断られる。表札を見ればどうも皇宮警察らしく、宮殿への入り口を教えてくれる。代々の王が気に入って住まいにしていたという17世紀に建てられた離宮の庭園は広々としていて、巨樹があちこちに木陰をつくり、市民が憩う。四角に刈り整えられた並木を突っ切って出た交差点の前がコペンハーゲン大学のはずで、斜め向かいの国立美術館の前庭は工事中でクレーンが石のブロックを釣り上げていた。この美術館は、王室コレクションの一般公開の機運の中、19世紀末、エスター・アンレッグ公園の一画に建てられたという。入館は無料、入館証らしきものも渡されない。フラッシュなしの撮影も可ということだ。水曜日は夜の8時まで開館という。他にも出かけたいので、全室を見て回るのはムリだろう。旧館2階の半分ほどを占める20・21世紀の部屋はあきらめて、1750年~1900年代の部屋(217~229室)に絞って回ることにした。デンマークの絵画が時系列で展示してある部屋と風景・肖像などの主題で展示されている部屋とがあるらしく、画家の名前と部屋毎の説明カード(英語)を頼りに進む。
なじみのない名前が多い中、昨年、日本での展覧会で評判だった、ウィルヘルム・ハンマースホイ(1864-1916)の絵に出会うと何かほっとする。上野の西洋美術館での展覧会は行きそびれていたし、そのときのカタログも手にしていないが、雑誌やネット上で見覚えのある作品数点を見かけた。モノクロに近い裸婦、街角の建物をテーマにした絵もあり、イーゼルのある画家の部屋、開いた白いドアを背にした横向きの自画像、コーヒーカップを前にした妻の絵などの室内画は、独特の雰囲気を漂わせていて、思わず足を止めた。
また、農場に働く人々を描いた2枚の絵「種をまく老人」「草を刈る青年」(私が勝手につけた題なのだが)が印象的だった。リング(Laurits Andersen Ring1854-1933) の田園風景や家族へのあたたかなまなざしが伝わってくるようで引き込まれるのだった。その部屋のベンチには、Ringの特別展(2006年)のカタログが置いてあって、気に入ったのだが、重いので買うのはあきらめ、しばらく眺めていた。
主題別の部屋でも何度か見かけたエッカーズベルグ(Christoffe Wilhelm Eckerberg1783-1853)は、肖像画、風景画、室内画もあり、「デンマークの絵画の父」とも呼ばれているらしい。コプケ(Christen Kobke 1810-48 )も短い生涯ながら肖像も風景も室内画も手掛け、川の船着場の国旗のもとに佇む女性の後ろ姿、岸を離れている小舟を迎えるのか、見送るのか定かではないのだが、デンマークの赤地に白十字の旗が中央にはためいている絵は忘れがたい。宗教画、祭壇画のブロッホ(Carl Heinrich Bloch 1834-1890)となると、私には苦手な部類だ。227室では、中学生の一団が美術鑑賞に来ていて、学芸員が熱心に語りかけていた。引率の先生も傍らに立っているのだが、中学生たちは何とカラフルな服装で、自在な態度―ベンチに腰掛ける者、床で膝を抱える者あるいはもはや完全に肘枕でねそべっている者もいる―なのだろう。教材に選ばれていたのは、隣国ノルウェーの写実派、社会派画家とでも呼ぶのか、クローグ(Christian Krogh1852-1925)の鮭加工の家内工場に働く女性たちの絵だった。学芸員はしきりに質問を引き出すような話しぶりで、生徒たちに手をあげさせては発言させていた。ガッツポーズのように右手の人差し指をたてての挙手である。日本の子どもたちはこんな美術教育を受ける機会があるのだろうか。
中世の絵にも敬意を表するため新館へ連絡通路を渡って入った部屋は、天井の高い明るい部屋の壁いっぱいに3段も4段?もの展示で、見上げるまでもなく圧倒される。広いひと部屋を一巡して失礼し、新館地下のカフェ・リパブリックで遅い昼食をとることにした。新・旧館を行き来して美術館の全容がわかってきた。多方をガラスで囲まれたような新館は旧館の裏側に増築し、その間を吹き抜けにして連絡通路で結んでいる。そうだ、昨年、訪ねた上野の国際こども図書館の新・旧館も同様のコンセプトではなかったか。ロイヤル・コペンハーゲンの器でケーキとお茶をし、早々に次の目的地「自由博物館」へと歩き始めるのだった。
(デンマーク国立美術館、krohgの絵の前で)
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