佐倉市内の組合方式による井野東土地区画整理事業はまだ進行中だが、その一部の工区の完成に伴い、マンションが建ち、商業施設が営業を始めた。その区域へのアクセスとしてユーカリが丘線をまたぐ形の傾斜10度に近い陸橋が新設され、開通した。この急な坂道と既存の幹線道路との交差路は、小中学校の通学路にもなっていた。坂下の危険性については早くより地元自治会からの指摘があり、信号機設置などの安全対策が要請されていた。組合の主たる地権者で業務代行でもある地元の開発業者(「山万」)は、工区の造成中やマンション・商業施設の建設中は、建設会社の負担で交通整理要員を配置していた。2009年7月、工事の終了後わずかで要員が引き上げられてしまった。工事車両の出入りはなくなったが、スーパーの買い物客や通りぬけの車が増えた。自治会は、開発業者の協力も得て要員配置の継続を希望したが、応じてもらえなかった。坂道と既存道路の歩道に自転車一時停止のポールを3か所設置したものの、通学路としての危険性は依然として解消しないままである。
そこで、自治会は、小学校長、PTAと相談の上、会員のボランティアによる通学時の交通整理要員を配置することにした。朝の7時15分から30分間、午後3時から40分間、いまは多いとはいえないボランティアが2人ひと組で「交通見守り」を続け、児童たちの横断の安全確保に心がけている。私も昨年9月から週2回ほど参加して7か月になる。自分の子育て以降はじめて接する小学生たち、最初は挨拶するにも、「横断中」の旗を振るのもなんとなくぎごちなかったが、いつしか、子どもたちの方から挨拶してきたり、話しかけてきたり、なかにはいたずらを仕掛けてきたりするようになった。この交差点で毎回友だちと待ち合わせる男の子、大勢の下級生をしっかりと引き連れてくる女の子、いつもおしゃべりに夢中な女の子・・・。ふざけながら横断したりする子どもには、思わずかけよって止めることもある。ときどき姿を見せる小学校の校長や先生、PTA会長や当番の相方とのコミュニケーションもある。やっていることはささやかながら、得るものは大きかった。といって、長く続けるというのは結構むずかしい。
「長続きすることのむずかしさ」で、思い起こすのは、毎朝早く、ゴミ拾いを 一人で続けている同じ町内のSさんのことだ。Sさんが早朝一人で3種類くらいのゴミ袋をもって街のゴミを拾っているのを知って、もう10年にもなるだろうか。私は朝の犬の散歩でときどき出会ってお話を聞く。Sさんは、退職後、健康のために続けていると、こともなげにいうが、その歩く範囲が半端ではない。自治会でいえば、少なくとも7~8の自治会区域におよび、世帯にしたら数千になるのではないか。日ごと巡回場所を変えているのだろうか、神出鬼没なのだ。市役所の担当からは、ゴミ袋を届けてもらい、いっぱいになったゴミ袋は、所定の場所に置いて回収してもらうようである。この町にも、複数のボランティア団体がユニホームを着たり腕章をつけたりして防犯パトロールや一斉清掃をするのを見かけるが、自分たちの「おしゃべり」に余念がなく、ゴミ袋はいつも軽そうだ。Sさんは、かつて中学生のマナーの悪さを嘆いていた時期もあったし、開発途中の街のゴミ管理にも苦言を呈していた。いまは、悪質な一部の大人たちが粗大ゴミ、吸殻、カン・ビン、生ゴミなどを路上に捨て去っていくのが、気になっているという。目には見えない、そうした人たちとの闘いでもある、ともらしていた。それにしても、とSさんは嘆く。機会があって、自らの経験を踏まえ、この町の美化について地元の開発業者に提言したことがあったそうだ。しかし、感謝の一言もなく、事務的な一通の文書が届いたきりだったという。派手な宣伝や小賢しい広報戦略?だけが目につく業者のやりそうなことのように思われた。それでもSさんは、一人、ゴミを拾いながら朝もやの街に消えて行った。
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