2018年2月12日 (月)

『九州大学生体解剖事件』を読む~スガモ・プリズンの歌会にも触れて

126日の森友学園問題を考える会主催の「院内集会」の折、出会った森友学園の地元豊中市市議の熊野さんから著書『九州大学生体解剖事件 七〇年目の真実』(熊野以素著 岩波書店 20154月)をいただいた。 

そこで展開される事実は、不勉強で、知らなかったことも多く、胸の痛む思いで読み進めた。19455月、九州大学医学部が「実験手術」の名のもとに、米軍の捕虜8人が、生体解剖の犠牲になった事件で、それにかかわった医師、鳥巣太郎についてのドキュメントである。戦後に行われた「横浜法廷」で、その首謀者の一人として死刑判決を受けたのだが、4回行われた「実験」に2回かかわったことで、極刑を言い渡された鳥巣が、その「実験」に抵抗し、回避をしてきたことを知っている妻が、判決の理不尽と戦った記録である。膨大な裁判記録や再審査資料、関係者の証言を駆使しての労作であった。 

著者の伯父鳥巣太郎・蕗子夫妻、鳥巣の苦悩、蕗子夫人の奮闘の軌跡がたどられる。夫人が苦労して書いた嘆願書が検察側の資料となる経緯、西部軍、九大側の隠蔽工作、サイデル弁護士の証言工作などが明らかになる過程、時には裏切られながらも、協力者を得てゆく過程が克明に描かれる。再審査の結果、死刑は10年に減刑されたのだった。 

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    そして私が何よりも思いがけなかったのは、鳥巣太郎が短歌を詠んでいたことであり、それが、<戦犯歌集>と呼ばれた『巣鴨』(第二書房 19539月)に収録されていたことだった。
 この歌集の「序」を鹿児島寿蔵と並んで書いていたのが阿部静枝であった。静枝は、私の母と私が師事した『ポトナム』の歌人だった。1960年代、『ポトナム』の東京歌会に参加していた頃、歌集『巣鴨』については、聞くともなく聞いていた。阿部静枝は、『女人短歌』、『潮汐』、『ポトナム』の同人たちとともに、巣鴨拘置所内での巣鴨短歌会に出向いて短歌の指導に当たっていて、その成果の一つが、この歌集であった。時を経て、知人から譲り受けた『巣鴨』を通読はしていたが、鳥巣太郎が九州大学生体解剖事件に関係する医師だったとは知らなかった。静枝は、戦前から池袋の西口、二丁目に住み、我が家も大正時代から一丁目で店を営んでいて、巣鴨拘置所へは、東口ながら歩いて行ける距離であった。1970年まで拘置所だった、その跡地には、1978年にサンシャインビル60が竣工、当時は、その高さはアジアで一番を誇っていたのだった。巣鴨拘置所は、私の生活圏のなかにあった。  

 阿部静枝は、その「序」において、「有刺鉄線の境界、アメリカの旗がひらめくその上の空、敗戦国を見下している監視塔があるスガモ・プリズンは、戦争の抽象として、人間不幸の具象として、私の感情を締め上げる場所であった。・・・」と書き起こし、講和条約締結後は、面会の制限が幾分緩やかになり、集団面会の形で歌会が持たれたという。さらに、当初は、戦争への憎悪、悲運への忿怒、孤独の狂いが歌われていたが、次第に、透徹した祈りが底流となった、とも述べている。 

 

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鳥巣太郎の「孤心」と題する50首の中から10首を選んでみた。 

・郷愁のひたにせまれば少年の頃のわが村地圖に描きをり(愁翳)
・つぎつぎに売り細りゆくわが家のせまれる生活(くらし)今日は告げ来し
・何事も死が解決するといふことを我はうべなはず生きゆかむとす
・死に就きし友の監房に入りゆけば鉛筆書きの暦のこれり(訣別)
・口數の少きままにひたぶるの眸はわれに向けをりし子よ(面会)
・永らへし命思ひぬ秋づきて朝はすがしき窓に佇ちつつ(蟋蟀)
・咳をするも一人とよみし山頭火おもひ出でつつ臥床をのぶる
・秋の陽の寂かに照れる廣庭にわが出でしとき眼(まなこ)眩みぬ(命生きて)
・ある時はわれのみを人らが目守りゐる心地覚えて護送車にゐる
・講和調印終りし今朝も平凡に護送車の中にうづくまり居り

 

 鳥巣には、『ヒマラヤ杉』(1972年)という歌集もあるという。また後年、上坂冬子とのインタビューでは、事件当時の九大医学部の医局員は一体どうすればよかったのかを尋ねられて、「どんなことでも自分さえしっかりしとれば阻止できるのです。・・・ともかくどんな事情があろうと、仕方なかったなどというてはいかんのです」と答えたそうだ。著者の熊野さんは、「最終章」で書かれている(189190頁)。

 

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2018年2月 5日 (月)

皇室とハンセン病と―名護市屋我地島の「御歌碑」

   

昨年2月の沖縄行のレポートとも一部重なりますが、『ポトナム』2月号には「歌壇時評」として、書きました。 

 

◇冬の沖縄、二つの目的をもって~難しいと逃げてはいけないこと(1)屋我地島、愛楽園を訪ねる(2017214日)

 http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2017/02/post-eeb9.html

   文中にある、沖縄愛楽園は、名護市の屋我地島の済井出(すむいで)にあります。沖縄本島とは屋我地大橋で結ばれ、さらに古宇利大橋で今帰仁村に属する古宇利島と結ばれ、また今帰仁村運天側の本島との間はワルミ大橋で結ばれていて、屋我地島と古宇利島は、いまや美しいビーチが自慢のリゾート地として人気があるそうです。 

 

 さきほど、昨夜11時前には、きのうの名護市市長選の結果が分かり、稲嶺進前市長の落選が報じられています。どうしてこうなってしまうのでしょうか。新人支援の小泉進次郎が「みなさん、なかよくやりましょうよ」みたいな応援演説をしている映像が流れていたのは知っていますが、こんな言葉に惑わされてしまうのでしょうか。残念です。日本の空でありながら米軍機が危険な飛行を繰り返すのに物が言えない政府、新基地建設に反対しながら、遠く離れた私に何ができるのかを考えると、とても情けない気持ちになってしまうのですが、なんとか、気を取り直して・・・。 

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同じ名護市の屋我地島と辺野古

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・つれづれの友となりても慰めよ 行くことかたきわれにかはりて 

    短歌と皇室・沖縄・ハンセン病―これらのキーワードが一直線で結びついているのではと考え始めたのはここ数年のことである。これまでも、現代短歌と天皇制との接点で、何が起こっているかに着目してきた。平成の天皇夫妻の短歌は、歌われる内容と発表の時期、タイミングを検証することによって、その政治的メッセージ性が高いことを指摘してきた。天皇は、皇太子時代を含め、沖縄には一〇回訪問し、多くの短歌と「おことば」を残した。同行の美智子皇后とともに、沖縄の伝統や文化、戦没者慰霊に深く触れ、平和への祈りとしての短歌を詠んでいる。日本政府の沖縄への姿勢や米軍とのかかわりにほとんど触れることもないのは当然のことだった。沖縄の人々の心に響くことはあっても、沖縄が抱える切実な問題の解決にはつながらず、その結果、政府の沖縄政策の補完の役割を果たしていることにも言及した(「沖縄における天皇の短歌は何を語るのか」(『社会文学』44号二〇一六年八月)。  

   冒頭の短歌は、大正天皇の節子皇太后(以下、貞明皇太后)が、一九三二年一一月大宮御所での歌会で「癩患者を慰めて」と題して詠んだ一首である。その前年の「癩予防法」の成立を受けて、内務省は、光田健輔医師らを中心に癩予防協会を設立、貞明皇太后の下賜金を受けた。以降、全国の国立療養所を中心に「無癩県運動」をスローガンに「絶対隔離政策」が展開される。上記短歌は、その療養所に下賜され、施設内には「御歌碑(みうたひ)」が建立され、貞明皇太后=皇室の「恩」としての役割を果たした。一方では、患者の強制収容、家族との離別、断種や堕胎など過酷な悲劇が繰り返され、家族への差別・偏見も助長された。一般国民に対しても「絶対隔離政策」の徹底は、差別、優生思想、民族浄化を増幅させることになった。敗戦後、新薬の普及、治療法も確立し、感染力も低く、不治の病ではないことが明らかになった後も、この政策は続いた。

「癩予防法」が廃止されたのは一九九六年であり、ハンセン病患者への差別が違憲とされたのは、二〇〇一年、熊本地裁判決であった。二〇〇五年、小泉政権下の報告書では、ハンセン病対策に皇室がかかわったことによって差別が助長されたという記述がなされている(『ハンセン病問題に関する検証会議最終報告書』)。

 

 平成の天皇夫妻は、全国の一三の国立ハンセン病療養所すべての入所者を見舞っている。一九七五年、海洋博のため初めて沖縄を訪問した時に沖縄愛楽園(屋我地島)を訪ねている。明仁皇太子は、歓談後、見送ってくれた入所者たちを「だんじよかれよしの歌声の響 見送る笑顔目にど残る」と「琉歌」に詠んだ。二〇〇四年、沖縄のもう一つの療養所、南静園(宮古島)を訪問した折に、美智子皇后は「時じくのゆうなの蕾活けられて南静園の昼の穏(おだ)しさ」と詠んだ。その後も短歌や琉歌を通じて、療養所入所者と天皇夫妻との交流もいくつかの「物語」として語り継がれている。 

 しかし、私は、二〇一七年二月、愛楽園を訪れたときの光景を忘れることができない。敗戦時、一度は海底に投げ込まれ、一九七〇年代に再建されたという貞明皇太后の「御歌碑」が、敷地内の広場の片隅に、青いシートに覆われ、横倒しになっていた。その現実に戸惑いながら、資料館で知った療養所の人々の苦難の歴史を思った。 

 天皇の退位が迫った現在、天皇夫妻の短歌もメディアへの露出度が増すだろう。その短歌自体とその短歌を読み解いて見せる歌人や史家たちの政治的メッセージ性にも注視しなければ、と思う。(『ポトナム』20182月、所収)

 

 

 

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2018年1月27日 (土)

<もはや“詰み”だ!森友問題 責任の徹底追及を求める>院内集会

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集会の動画(全編)約1時間5030秒、ユーチューブで配信中です。
 https://www.youtube.com/watch?v=uOIWjA5SkdU

 

                     その熱気に圧倒される

通常国会は、122日に開会、衆参本会議での質疑も始まった。大阪豊中市議の木村真さんらの「森友学園問題を考える会」主催の院内集会が開かれるという。最初の集会案内チラシ見たとき、「詰み」ってなんだ、「罪」じゃないの、と思って、辞書を引いてしまったのだが、知らなかった!将棋の用語で「王将の逃げ道がなくなること、あと一歩」ということらしい。この年になって知らないことが多すぎる!と痛感。 

すこし早めに会場に向かった。茱萸坂には装甲車が並び、議員会館前には、観光バスが列をなす、いつもの光景だった。しかし、会場は、すでにスタッフたちが横断幕などを取り付けていて、参加者の出足も早い。開始10分前には満席、立ち見までいる盛況である。参加予定の佐倉の方々が入場できたか心配ではあった。 

主催の会からの木村真さんの挨拶は、2016年、地元豊中市の森友学園の瑞穂の国記念小学院の「設置認可適当」から「国有財産貸付契約」「売買契約」に到る情報開示請求が端緒となって始まった市民運動の実績を踏まえ、確信に満ちていた。若きリーダーを支えるスタッフの皆さんの熱気も伝わって来る。論点整理の報告は、議員たちのスピーチで中断、一番聞いてもらいたい、野党議員の詰めの甘さについて触れたのは大方の議員が退場した後だった。また、今治市で加計問題に取り組む黒川敦彦さんのスピーチや閉会の挨拶をした豊中市議の山本一徳さんの話も活動に裏付けられた、印象深いものだった。 

進行は、以下の通りなのだが、途中、衆参の国会議員が「入り乱れて」入場、連帯の挨拶をしては、退場していった。議員、秘書らで40人近くになったという。私のメモの限りだが、登場の議員を記しておく。

 

社民(福島)、民進(杉尾、原口)立憲(尾辻、岡本、生方、村上、初鹿、川内、森山、阿部、近藤)共産(辰巳、宮本)自由(森)希望(今井、階)

 

やってこなかったのは、当然のこととはいえ、自民党・公明党と維新の会だった。今国会で、野党は、どれほど頑張ってくれるのだろうか、あらたな調査や資料もないまま、マスメディア報道を後追いし、見解や所信を伺う、オカシイ、アヤマレを繰り返すような、甘い質問ばかりが多かったこの半年、イライラが続く昨今だった。もう少し、安倍首相や麻生大臣、官僚たちの決まりきった答弁を論理的に、さらに実証で崩す、覆す質疑をしてほしいのだ。ともかく、いま明らかになった文書やデータだけでも十分戦えるはずなのだから、頑張ってほしい。 

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挨拶する木村真さんと議員たち

集会の一般参加者は200人、議会関係者40人、計240人ということだった。 

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主催者あいさつ   木村 真(森友学園問題を考える会)
森友問題 論点整理 醍醐 聰(森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会)
国会議員スピーチ
スピーチ  田中正道・藤田景崇(森友・加計告発プロジェクト) 
 
     八木啓代(健全な法治国家のために声を上げる市民の会) 

 黒川敦彦(今治加計学園問題を考える会)
国会議員スピーチ
まとめの発言    山本一徳(森友学園問題を考える会)
 
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  会場では、昔の職場のMさんにもお目にかかれたのもうれしかった。帰りの電車では、偶然、参加者の豊中市議の熊野イソさんと一緒になり、はじめてお話しした。彼女には、『九州大学生体解剖実験 七〇年目の真実』(2015年 岩波書店)という著書があることを知った。長年高校の先生を続けながら、伯父にもあたる、米軍捕虜の生体解剖に反対した九大の医師、その妻の証言、裁判資料を基に書かれたという。図書館で借り出さねばと思う。 

なお、冒頭にあげた、集会の動画はユープランさんの作成です。大手のメデイアが報道しない集会などでも、黙々と取り組んでいます。ほんとにいつも感謝です。

 

 

 

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2018年1月11日 (木)

「女流」は、いつから「女性」になったのか―短歌メディアにおける女性歌人

 『ポトナム』の「歌壇時評」に書きました。

 歌壇における女性の活躍はたしかに目覚ましいものがある。だから、いまさら男だ女だとか目くじらを立てて、云々するのは野暮なことのように言う人もいる。しかし家庭や職場、地域で、あるいは政治の世界で、実際のところ、男女平等はどこまで進んだのか。差別をされている側、格差に耐えている側からの声は届きにくい。とるに足らないことなのか。今一度考えてみたいと思った。

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いま、『女人短歌』の創刊号から通覧しているが、創刊の一九四九年から六〇年代の誌面からは、女性歌人たちの気負いや息遣いが立ち上ってくる。阿部静枝を筆頭に、君島夜詩、森岡貞香、芝谷幸子をはじめ多くのポトナム人の活躍も見逃せない。『女人短歌』の発行・編集を担った「女人短歌会」は、「女歌の発展を期して、流派をこえた女流集団として発足し」たが、一九九七年、「当初の使命を果たしたことを確認」(森岡貞香「女人短歌」「女人短歌会」『現代短歌大事典』)し、『女人短歌』は終刊に到った。たしかに、「女人」という表現は、古めかしかった。

公的な組織や施設名も「婦人」を「女性」と看板を付け替えたのが一九九〇年代で、一九七八年創刊の「婦人白書」は、九二年「女性白書」、九七年「男女共同参画白書」となる。一九七七年開館の「国立婦人教育会館」が「国立女性教育会館」となったのが二〇〇五年。一九八五年男女雇用機会均等法、九九年男女共同参画社会基本法、二〇一六年女性活躍推進法が施行されるが、あくまでも官製のロードマップに過ぎない。現実の日本社会の男女格差は、一四四ヵ国の中、一一四位という結果である(「世界経済フォーラム報告書」二〇一七年一一月二日公表)。

『女人短歌』の創刊当初、不参加の歌人もいたし、短歌メディアや男性歌人の反応も好意的なものは少なかった。しかし、短歌人口は、圧倒的に女性が多くなり、作歌・評論の実力も高まり、各種の短歌賞や結社の指導者に女性歌人の登場が顕著になった。『短歌研究』の編集人中井英夫は、「乳房喪失」を第1回新人賞として中城ふみ子を送り出し(一九五四年四月)、杉山正樹は<現代女流特集>を組み、三〇人弱を出詠させた(一九五八年三月)。同号は「五島美代子・生方たつゑ読売文学賞受賞記念」でもあった。一九六九年から、節句に因む三月号を<女性歌人特集>とするのが恒例となった。「現代代表女流歌人作品集」という特集名が定着したのが一九七八年で、二〇一一年まで続く。二〇一二年に「現代代表女性歌人作品集」となり、三〇年余を経て、「女流」が「女性」となった。一方、五月号の<男性歌人特集>は一九七二年に「現代代表歌人特集」としてスタートする。その後、「全国主要歌人」「全国重要歌人」「現代第一線歌人」などの変遷を経て、一九八一年から、現在も続く「現代の○○人」に定着した。五月号の特集名になぜ「男性」が入らないのか。七〇年代後半から、三月号の女性歌人の数は増加する一方、一九八〇年代の五月号は「現代の66人」「現代の88人」という形で人数を固定化、女性が男性の倍を上回ることもあった。二〇〇五年、三月一六三人、五月八八人をピークに、女性が徐々に減り、男性が一〇〇人を超えるようになり、現在は、その差が縮まっているのは、男性歌人の<実力>の向上を示すものではなく、あくまでも、編集方針によるものだろう。日常的な『短歌研究』登場の男女比は、短歌・散文のいずれも男性の方が多い。三月号だけの大盤振る舞いだったのか。編集人が長い間女性だったということも逆に何らかの影響があったのだろうか。文芸の世界で、「ポジティブ・アクション(ある程度の強制を伴う実質的な機会平等確保計画)」という考え方はなじまないだろう。しかし、メディアは、率先して、歌人の実態や実力を反映するような誌面作りに努力して欲しい。最近、松村正直は、ある時評で「歌壇に男性中心の構造がある」として、この『短歌研究』の特集の名づけの差異に言及していた。男性歌人からの発言として貴重ではないか(『毎日新聞』二〇一七年一〇月二二日)。

(『ポトナム』2018年1月号、所収)

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2018年1月 1日 (月)

新春

新年のご挨拶申し上げます。 

当ブログをお訪ねくださりありがとうございます。 

おかげさまで、なんとかほそぼそ書き続けています。 

続けて調べ、続きを書かねばと思うテーマを幾つかかかえ、 

もどかしさを感じながら過ごしています。 

昨年は、国の内外で受け止めがたいできごとが続きました。2月には、沖縄に出かけました。今回は、屋我地島の沖縄愛楽園と渡嘉敷島の戦跡を訪ねることができました。多くを知らずに過ごしていたことを知る旅でもありました。 

来年となる天皇代替わりに向けての時代や人々の動向を見届けなければの思いです。 

今年もいろいろご教示いただければ幸いです。

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「ユダヤ人を救った動物園」を見てきました。

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 映画評論家の友人から、「ポーランド映画祭2017」と「ユダヤ人を救った動物園」の案内をもらっていた。ポーランド映画祭は、残念ながら出かけられなかったが、暮れに「ユダヤ人を救った動物園」を見に行った。

 

 ナチス・ドイツへの抵抗映画というか、ナチスと戦った様々な人々のさまざまな抵抗を本や展示で知ることはつらいけれども、やはり必要なことと思っている。さらに映画やドキュメント映像となると、より衝撃的な場面に遭遇することが多い。

  そんな中で、今回の映画は、チェコ・イギリス・アメリカの合作ともいうべき映画で、主役の動物園長夫人アントニーナをアメリカのジェシカ・チャスティンが演じ、夫のヤンはアイルランドの俳優が、夫妻にからむドイツ・ナチス軍の獣医へックをスペインの俳優が演ずる。最近の映画事情はさっぱり分からないので、白紙で見られるのがかえっていいのかもしれない。

 1939年、ポーランド・ワルシャワ。ヨーロッパ最大の規模を誇るワルシャワ動物園を営んでいたヤンとアントニーナ夫妻の実話をもとにした物語である。映画は、毎朝、園内を自転車で巡り動物たちに声をかけるアントニーナの日課から始まる。我が家のベッドで我が子同様に育てられることもある動物たち、その命の危機とも向き合いながら、アントニーナの献身に支えられる動物園でもあった。ところが、その年の9月には、ドイツがポーランドに侵攻し、親友のユダヤ人夫妻も捕らえられ、ユダヤ人たちが次々とゲットーに収容されてゆく。動物園の動物たちも殺処分されてゆくことになる。そんな中、夫ヤンから「この動物園をユダヤ人たちの隠れ家にする」との提案がなされ、夫妻の奮闘が始まる。まず、園内一部を養豚場とし、その餌として、ゲットーの生ごみをもらい受けるというものだ。きびしい監視のもとに、生ごみを車で運び出す折に、何とそのゴミの下にユダヤ人たちを一人、二人と隠して脱出させるのだ。そして、動物園内の地下室の檻の中に彼らをかくまい、食料を分け合う。ゲットーと動物園のドイツ軍による監視は、ますます強化される中、夫妻は共にさまざまな危険を冒しながら、ユダヤ人の救出に命を賭ける。かねてより、アントニーナに好意を持っていたドイツ軍の獣医へック、自分の地位を利用して思いを遂げようとする彼と夫妻の関係も重くのしかかる。

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国内軍兵士による動物の殺処分が始まる

ワルシャワへの空襲も始まり、ゲットーも焼き尽くされる。19438月、ポーランド国内軍と市民によるワルシャワ蜂起にヤンも加わり、行方も分からなくなる。ワルシャワ市民の激しい抵抗も、近郊まで侵攻してきたソ連軍の支援もないまま、ドイツ軍の軍事力により壊滅的な打撃を受け、市民20万人以上の犠牲者を出すにいたる。

 

生れたばかりの長女を人に託し、幼い長男とワルシャワを脱出する。そして映画は、19445月、ドイツが連合軍に無条件降伏後の、ワルシャワと飛び、再開を目指す動物園で、園長夫妻家族4人の暮らしが始まるところで終わる。たしかにホっとするラストではあった。しかも、かくまったユダヤ人は300人にも及び、母娘の二人が移動先でユダヤ人とわかって殺害された以外は無事であったとのテロップが流れた。 

 

「敵役」であるドイツ軍の獣医へックも、実在の人物で、ベルリン動物園の園長を務めたことのあるとのこと、動物に希少種復元に熱心な研究者であったらしい。映画のラスト近くで、夫妻の監視にたびたびやってくるヘック、長男の少年が「ヒットラーを倒せ」と叫んだとして、捕らえられ、銃を構えるヘックにアントニーナが命乞いをし、思わぬ展開で少年が解放される場面、また、ユダヤ人たちがかくまわれていた動物園の地下室に立ち入ったヘックが、壁一面に描かれた彼らの絵やメッセージを前に立ち尽くす場面に、わずかな良心を垣間見るのだったが、かつて見た「戦場のピアニスト」にも通じるものがあった。どうもこのあたりが、アメリカの映画色を垣間見る思いがしたのだが。

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 地下室で息を凝らすユダヤ人たちとアントニーナと息子、パンフレットより

 20105月に、ワルシャワとクラクフを訪ねている。この動物園のことは知らず、キューリー夫妻の記念館を見学、休館で見学しそこなった歴史博物館の辺りを歩いている。近くを流れるヴィスワ川の対岸一帯が動物園だったのだ。1928年開設、40ヘクタールもあるという。もしチャンスがあれば寄ってみたい。 

 

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2017年11月 8日 (水)

歴博の企画展「1968」に出かけました

Dscn1246                 写真撮影はここまで

見てきたその日の夕刊で

夫の仕事の合間ながら、お天気もいいことなので、急きょ、国立歴史民俗博物館に出かけた。目当ては、1010日から始まっている「<1968> 無数の問いの噴出の時代」という企画展である。一見わかりにくいネーミングだが、、さまざまな場から、様々な形で噴出してきた日本の社会運動に1968年という年で切り込もうという趣旨らしい。従来の組織による問題設定・解決方式によるのではなく、「個」「私」から主体的な問いかけにより、各地の住民運動、各大学で学生運動が盛り上がった1968年前後に焦点をあてた展示という。 

帰宅後、夕刊を広げると、朝日新聞(117日)のトップが「学生運動の軌跡 <歴史>に 60年代末全共闘・反戦・・・」とあって、そのタイミングに驚いた。この記事では、主に学生運動に焦点があてられていたが、実際の展示は、第1部「<平和と民主主義>・経済成長への問い」と題された、「べ平連」の運動、それに呼応するような戦後を問い直す神戸の街、三里塚闘争、熊本水俣病闘争、横浜新貨物線反対運動に割かれるスペースが大きく、第2部「大学という「場」からの問い―全共闘運動の展開」がやや小規模だったかな、という印象だったので、少し、偏っていた感があった。

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               いつものように町内会の回覧板でも回ってきたチラシ

そのころ、私は何をしていたのだろう

1968年といえば、私はすでに社会人となっていたが、まだ生家の池袋から永田町の職場に通っていた。明治百年という区切り方をして、政府やマスコミは賑やかだったようにも思う。60年安保の時代とは、議事堂付近の様相もずいぶんと変貌を遂げていた。職員組合から参加する集会やデモも、なんか義務的要素が色濃くなっていた。そんな中で、聞こえてくる、べ平連運動も直接は関わらなかった。三里塚闘争は、地理的には東京に近いのにもかかわらず、写真集や映像で、農地を奪われる農民の必死の抵抗、団結の重要性を感じながらも、どのくらい我がこととして考えていたかは、疑問だった。成田に隣接の佐倉市に暮らし始めて30年、成田空港を利用することも多くなって、この地に、「東京国際空港」は必要だったのだろうかと考えてしまうこともある。水俣病患者や家族と国やチッソとの闘争にあっては、その歴史を少しばかり繙いただけでも、悔しさを募らせていたことは確かだが、横浜の新貨物線反対運動も、東京には近かったのに、どれほどの関心を持っていたかとなると心細い。さまざまな住民運動が、「公共の福祉」や「国益」の名のもとに、地域エゴとして退けられてきたことを思う。そして、貨物線は完成したが、いまやトラック輸送がとってかわり、その必要度はどうなのだろうと。佐倉市における、私が住む地域でも、1960年代に計画された都市計画道路は数年前に完成したものの幹線道路とはつながらず、沿線は空き地が続く。駅近くの高層マンションや大型商業施設が出来ても、周辺の個人商店を撤退に追い込み、共存とはならなかった。たった二・三十年で住民の高齢化、空き家が増える一方の「開発」とは、いったい何だったのだろう、と。そんなことまで考えてしまう今回の展示だった。

今にもかすれて消えそうな、ガリ版刷りの資料群

展示物は、ケースのガラスに、顔を近づけないと読めないような、ガリ版刷りの集会案内のビラやニュース、手書きのメモ類からポスターや旗、ハチマキ、ヘルメットまで多種多様であった。

各地で立ち上げられたべ平連、その最初の、424日の清水谷公園からのデモ呼びかけの葉書は「声なき声の会」呼びかけ人代表として、高畠通敏、小田実の名がある。予備校生たちの「斗う浪人」創刊号の編集発行は「浪人平和運動連絡会議」で、615集会の報告から始まるが、いずれも1968年のことである。

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展示会カタログより、左が「声なき声の会」呼びかけ人代表からのデモの案内、右が「斗う浪人」創刊号

三里塚闘争での家族ぐるみ、地域ぐるみの闘争の一端とも思える、少年行動隊や高校生たちのビラにはドキッとする。それに、反対同盟が結成された集落で、同盟員集結の合図としたドラム缶の太鼓が、実際展示されていたのだ。風雪に耐えて、白茶けたザラザラな表面と打たれてかすれた団結の文字が生々しかった。

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Img344   いずれも展示会カタログより

やはり、最も関心のあった第2部は、東大と日大の闘争に焦点を当てた内容であった。東大は、医学部学生の処分問題が発端であったし、日大は、20億円の不正経理の発覚が端緒となった。首都圏や地方の大学も、各々独自の問題を抱えていたことがわかる。.大学管理だけがきつくなってゆく中、二大学の闘争の激化は、管理者との攻防という枠を超えて、周辺の市民たちにも大きな影響を与え、先行していたべ平連の運動や各地での同時多発的な住民運動と無関係ではありえなかったこともわかる。ただ、学生運動の一部は、突出した過激な闘争となり、内ゲバも激化、19706月には安保条約が自動延長になるなどすると、住民運動や市民運動は、多様化するが、個別の運動となっていくような沈静化みられるようになった、と私には感じた。

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しかし、この時代の運動を担った世代の人々が、現在に至るまで、ジャーナリストになったり、出版社を自力で興したり、あるいは教職についたり、地域の住民運動のリーダーになったりして、独自の道を歩んできた人に出会ったりすると、旧友と再会したような気分にもなる。その一方で、見事に企業人になり切った人、ここまで変節・変貌できるのかと思える人、何かはっきりしないけれど、あるいは苦悩をしているふりをしながら、陽のあたる場所を歩いている人、「元活動家」を売りにしている人と様々だが、かける言葉を失う。持続し、継承することの難しさを痛感してしまう。そして自分はどうだったのかと振り返るチャンスにもなる。

ともかく、歴博が、現代史に切り込んだ展示をしてくれたことを喜びたい。この展示のプロジェクトは、東大・日大の闘争時の活動家が数十にも及ぶ段ボールに入った資料の歴博への寄贈に始まったと言い、いろいろな経緯をたどりながら、いま大学の資料センターなどにおさまっている資料や個人蔵の資料があって、はじめて可能な展示であったろう。

出来れば多くの友人たち、佐倉市民に見てもらいたい、とくに若い世代の人たちに、との思いで、佐倉城址を後にした。アンケート先着1000名内だったらしく、歴博の招待券を頂戴した。1210日までなのでお早めに。これからの日曜日には、展示プロジェクト委員代表の荒川章二教授のギャラリートークがあるそうだ。

 

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2017年11月 5日 (日)

「忖度」が「まんじゅう」になって~正岡子規の「忖度」ふたたび

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 出先の夫から、大阪の知り合いから「忖度まんじゅう」をいただいたとのメールが入っていた。帰宅後、さっそく、熱いお茶を入れていただいたが、石川県の会社が製造した、大阪土産という、かわいらしいお饅頭であった。「商標登録申請中」と、その包み紙には刷り込まれているので、今年の「森友・加計問題」が浮上してからの急ごしらえなのだろう。

「まんじゅう」にもなった「忖度」だが、今回、永田町や霞が関で飛び交うのは「忖度」なんていう上品な言葉では言いあらわせない、もっと下世話な、犯罪のにおいすらもする実態を浮かび上がらせた。日本には、「おもねる」「媚びる」「へつらう」という言葉もあるし、日常的には「オベッカをつかう」「ゴマをする」とか「お追従」「ご機嫌をとる」という言い方もある。「迎合」「配慮」「意向をくむ」という少し上品そうな言葉もあるが、忖度する側・される側、双方の心中に共通してあるのは「贔屓」「縁故」「情実」「私情」であり、必ず「見返り」が期待され、「互酬性」を伴う。政府や役人による優遇、不正見逃しなどが横行し、「献金」「天下り」などという「金銭」「地位」「栄誉」が行き交う。その行き着く先を考えると、環境破壊、テロや戦争の土壌にもなり、人間の命を人間が奪うことにもなり得る。

「忖度」が泣き出しそうでもある。たかが「まんじゅう」されど「まんじゅう」ながら、包み紙の地の模様は、模様ではなく、いくつかの文章が連ねてあった。すなわち、石川啄木「硝子窓」、福沢諭吉「「学問の独立」、太宰治「ダス・ゲマイネ」などの一節で、いずれも「忖度」の語が使われている個所が印刷されていたのである。そして最後は、今年、生誕150年を迎えた正岡子規の「歌よみに与ふる書」から、つぎの一節が刷られていた。

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「・・・今は古人の心を忖度するの必要無之、ただ此処にては、古今東西に通ずる文学の標準(自らかく信じをる標準なり)を以て文学を論評する者に有之候。」 

 

「歌よみに与ふる書」は18892月「日本」から10回にわたって連載されたいたものだが、この節は、第6回目(224日)に掲載されたものの一部である。念のため、前後を引用しておこう。現代の短歌の世界でも、先人や同時代人の作品鑑賞や評伝などにおいて、この「忖度」が充満しているとは言えないか。自らの「文学の標準」がいつの間にか、ブレてゆく歌人も少なくはない。

 

同じ用語同じ花月にても其れに対する吾人の観念と古人のと相異する事珍しからざる事にて」云々、それは勿論の事なれどそんな事は生の論ずることと毫も関係無之候。今は古人の心を忖度する必要無之、只此処にては古今東西に通ずる文学の標準(自ら斯く信じ居る標準なり)を以て文学を論評する者に有之候。昔は風帆船が早かつた時代もありしかど蒸汽船を知りて居る眼より風帆船は遲しと申すが至当の理に有之、貫之は貫之時代の歌の上手とするも前後の歌よみを比較して貫之より上手の者外に沢山有之と思はば貫之を下手と評すること亦至当に候。歴史的に貫之を褒めるならば生も強ち反対にては無之候へども、只今の論は歴史的に其人物を評するにあらず、文学的に其歌を評するが目的に有之候。

(講談社『子規全集』に拠る青空文庫)

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2017年10月21日 (土)

私には選ぶ政党がない、人がいない!

 今回は、どういうわけか、選挙に関する世論調査と称する電話が3回もかかってきた。こんなことは珍しい。最初の二つは、「???選挙情報センター」のようなところからで、よく聞き取れなかったので、答えずに切った。3回目は、はっきりとテレビ局名を名乗ったので、答えてみることにした。

 ふだんからの信条でいえば、私には選ぶ政党がなく、選ぶ人が見当たらない。が、今回ばかりは、消去法で、なんとか結論を出して、投票に出かけたいと思っている。

安倍政権が一向に臨時国会を開こうとせず、開いたらと思ったら、冒頭での解散、そして衆院選挙へという流れのなかで、議会の終盤での森友・加計問題の解明は、いささか手詰まりの感があった。政府与党は、知らぬ、存ぜぬ、承知せず、問題はないと逃げると、質問に立つ野党の議員の資料の分析不足、ツメの甘さが目立った。答弁への反論は弱く「おかしいじゃないですか」「国民は納得しませんよ」というところにしか落着しない。

それでも、一部のメディアや市民たちが、新しい文書・音声データの入手・公表を始めると、逃げ切れないと観念して解散に踏み切ったとしか思えない早業であった。「国難」どころか、自らの身に降りかかった疑惑を一掃するための解散だったことがわかる。一方、北朝鮮の弾道ミサイル発射などをめぐる金正恩とトランプ大統領との攻防を背景に、「国民の生命と財産を守る」はずの政府は、Jアラートの一件をみても、国民には、屋内と屋内にいる時とに分けて、次のような警告?をする。今回のミサイル発射の対応、Jアラートが機能しない自治体が散在するし、誤作動もあって、かえって混乱をきたしたという。これって、自然災害と同様の対応でしかない。 こんなことまでして、危機感を煽ろうとしているのかと思うと、「違ウダロー」と叫びたくなる。

 

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 「ミサイルが落下する可能性がある」との情報伝達があった場合は、どうすれば良いのでしょうか。

【屋外にいる場合】 

 ○近くのできるだけ頑丈な建物や地下街に避難する

 ○適当な建物がない場合は、物陰に身を隠すか地面に伏せ頭部を守る

 

【屋内にいる場合】 

 ○できるだけ窓から離れ、できれば窓のない部屋へ移動する 

内閣官房国民保護ポータルサイトより 

http://www.kokuminhogo.go.jp/shiryou/nkjalertqa.html

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アメリカに追従して「核兵器禁止条約」の締結を拒み、日韓・日米の合同演習、沖縄の辺野古新基地・北演習場整備など米軍基地の拡充、さらに日本の防衛費を増額しての米からの軍装備・武器輸入、第93項に自衛隊明記など、まさに、政府自らが日本人の生命と財産を脅かしている現実を、私たちは、直視しなければならない。

安全保障環境が変わった、というのが政府の軍備強化の理由であるが、アメリカの傘の下が安全なのか、いざとなったらアメリカは助けてくれるのかは、上記の状況の中で、期待することはできないし、考えてもいないだろう。沖縄でのオスプレイ墜落、今回の東村のへリコプター墜落・炎上にしても、その原因が特定できないまま、いずれも事故後一週間での飛行再開を止めることが出来なかった日本、本土の各地で、米軍基地周辺での制空権に甘んじて、日本の空でありながら自由に飛行できない日本・・・、など、「国益」が侵されても、アメリカにもの言えぬ日本にしてしまったのは、だれなのか、なぜなのか。70年余の歴史が横たわっている。

   ひるがえって、各政党の地域での活動を見ていると、歯がゆい。きらわれないように、突出しないようにとの配慮が蔓延していて、自治体の議員は、自身の住む町の自治会などにおいては、旗幟を鮮明にしない人たちが多い。逆に、地域の諸団体を巻き込み、あたかも後援会の様相を呈するところもある。

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『さくら・志津憲法9条をまもりたい会ニュース』 第35号(20179月) より

 

       膨張し続ける防衛費~あなたは、どこの国の総理ですか

 

 トランプ政権が発足して以来、北朝鮮のミサイル発射は失敗も含めて13回にも及んだ。飛行距離、高度ともアメリカ本土をターゲットにすることも可能になったとする。1990年代からロケット打ち上げ実験を開始、2015年からは弾道ミサイルに特化しての開発を進めているらしい。810日には、北朝鮮は、日本の上空を経てグァムに向けての発射を予告した。こうした緊迫する情勢を受け、日米は817日の外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会<2+2>で、日本の役割拡大を確認したという。そこでは、日本を標的とする弾道ミサイル対策として、以下のように示されていた。

 

1)イージス艦搭載ミサイル「SM3」が大気圏外で迎撃する

2)失敗した場合、地対空誘導弾備型迎撃システムパリオット(PAC3)が撃つ

 

今回の<22>で、日本政府は、アメリカが開発した陸上配備型「イージス・アショア」の導入を決定した。日本全土を2基でカバーできるという触れ込みだが、一基800億円もする高い買い物だ。現状では、ミサイルを迎撃するのが技術的困難だとするのが大方の専門家の見方である。最近、イージス艦、オスプレイの事故が続きその欠陥も明白だろう。

 

  2017年度の防衛予算は51000億を計上、過去最高であったが、来年度は、「安保環境が厳しいため予算は通りやすい」と防衛省幹部の目論見通り、52551億という数字も出ている。ミサイル攻撃の発射前に「敵基地攻撃能力の保有」を目指せば、さらに巨額の費用が必要となる。

内閣改造の目玉だった河野外務大臣と小野寺防衛大臣は、アメリカで何を決めて来たのか。去る2月、国会答弁では、日本の武器輸入は、アメリカの雇用創出に貢献するとまで、胸を張った?安倍首相、89日には、長崎の被ばく者の代表が、核兵器禁止条約の不参加に抗議し、首相に質した言葉「あなたは、どこの国の総理ですか!」と、私も問いたい。91日)(内野光子) 

 

 

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『東京新聞』(2017年8月17日夕刊)

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↑『東京新聞』(2017819日朝刊)


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 『東京新聞』(2017年8月30日夕刊)

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2017年10月15日 (日)

晩年の母と、1959年の私に出会う

 今、必要があって、国立国会図書館で『女人短歌』のバックナンバーを調べている。デジタル資料化されているので、マイクロやフィッシュと違って、現物の雑誌の頁を繰る楽しさがある。こちらの視力もあって、画面は、たしかに見にくいこともあるが、つい、今は必要のない短歌や記事に寄り道することが多い。

 33号(19579月)の作品欄の最終頁は、蒔田やよひ、清水千代、阿部静枝、五島美代子であり、その左頁の雑報欄に「第一回女流短歌連盟の会」とある。そんな「連盟」があったんだと、読み進めてみると、何と、母親の名前「内野佳子」が出てきたのだ。「えッ」と読み返す。女流短歌連盟主催、毎日新聞社後援の第一回女人短歌会では、応募1213首の中から選ばれた入選者10人の名前の中の一人として列記されていたのである。選者は生方たつゑ、長澤美津、五島美代子、阿部静枝であった。私は知らなかった!私が高校生の時代、母には、晴れがましいことだったに違いないのに、私には記憶がない。一体どんな作品だったのだろう。当時の毎日新聞を調べなければいけないと、帰宅後思い立ったのである。

 また、そんな中で、なんと、わたくしの短歌にも出会ったのである。いつだったか手元の1997年の『女人短歌』終刊号の「初出の一首一覧」のようなコーナーを目にして、自分の一首を見つけたことは覚えているが、バックナンバーがあるわけでなく、そのままになっていた。今回、1959年発行の40号と41号に掲載されていることがわかった。高校時代からほそぼそ始めていた短歌だが、大学に入学直後、母の短歌の師だった阿部静枝先生の紹介で『女人短歌』に入会したような記憶がある。しかし、錚々たる歌人のおば様たちとご一緒するのは気も引けたし、気も重かったのだろう、そして、その年の12月に母を亡くしていることもあって、早々に退会したようなのだ。現在も所属している「ポトナム短歌会」入会前のことである。恥ずかしいが、以下のような作品だった。といっても、現在の作品と何ほど違うのかと思うとつらいものがある。

40号(19596月)

コーラスの聞こゆる屋上春の風に髪を吹かせて舊師を想ふ

勇気ある判決讀みて法律を学ぶ徒のわが今日を祝へり

闇の中鐵路に残る響きありて生きものごとき心を傳ふ

41号(19599月)

店頭に少女が並べるカン詰は雨季の朝陽に鋭く光れり

水道を太くして皿洗う遅き夕飯ひとりで終えぬ

白桃を冷やしてありぬ桶の水淡き紅色明るく映す

閉店のチャイムが流れるデパートに追はるる如く干物を買ひぬ

一箱のトマトを置きて豊かなる如き厨は灯さぬままに

ミキサー車静かな廻りが暑を誘うビルに囲まれしビルの工事場

ギリギリと土掘る機械を隙間よりながめて去れり和服の老女

 40号に表れる旧字は、当時の私は書くことが出来なかったと思うので、漢和辞典を引いたのか、阿部先生が直されたのか、編集部が直されたのか、定かではない。旧かな表記に関しては、古文の知識から必死になって使ったのだろうと思う。2首目の「勇気ある判決」とは、この年の330日の東京地裁の米軍駐留を違憲とした、いわゆる伊達判決だったのだろう。当時、創刊されたばかりの『朝日ジャーナル』を小脇に抱えたりした先輩がカッコよく見えた。私自身は、学友からは「氷川下セツルメント」の活動に幾度となく誘われたり、出版まもない丸山真男の『現代政治の思想と行動』、当時はまだ上下の2巻本だったが、読書会のメンバーに声を掛けられたりした時代だったが、参加するでもなかった。他大学の高校時代の旧友で「全学連主流派」の活動家から「法律なんて、いったい何の」とか責められたりもしていたが、といって、まじめに法律の勉強をする学生にもならなかった。

41号になると旧かな・新かなの混在であって、ちょっとまずいことになっている。41号末尾の2首は、実家がある、当時の池袋は、建設ラッシュのさなかであったことがわかる。

さっそく、連れ合いにも読んでもらうと、「若いね、前向きだったんだ」との感想であった。 

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国立国会図書館新館で開催中の「挿絵の世界」2017年10月10日~11月11日、図書館に通いながら素通りだったが、この日、複写の待ち時間を利用して、大急ぎで一巡りした。すこし想像とは違っていた。第1部挿絵の確立 第2部挿絵の展開 第3部挿絵の多様化 の構成であったが、なんか焦点が定まらない形だった。同じ挿絵でも、焦点を絞るべきではなかったか。新聞小説に限るとか、児童読み物に限るとか、印刷術の発達が挿絵をどう変えたか、一人の挿絵画家を追ってもいい・・・・などと。

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2017年9月23日 (土)

「ある少国民の告発~文化人と戦争」(1994年放送)を見て

 大先輩の知人、櫻本富雄さんから、ご自身が出演の、24年前に関西で放映された番組が、突然you tube に出現したので、とのお知らせをいただいた。早速拝見、やはり映像で、櫻本さんのインタビューに答える、横山隆一、山本和夫、丸木俊、住井すゑさんたち、ご本人の証言を聞いて衝撃を受けました。私が紹介するよりは、ぜひフィルムを見ていただきたいと思いました。you tubeでは、いくつかのカット場面があり、当時の放映のままではないとのことですが、ぜひ一度、ご覧ください。個人的に何人かの友人にBCCで、お知らせしたところ、24年前のTVはこんなこともできたのか、など、いくつかの感想が返ってきました。

 

「ある少国民の告発~文化人と戦争」(毎日放送 1994年制作) 

https://www.youtube.com/watch?v=8-dC55hmhbc

 

 戦時下の文化人の表現活動には、今では想像がつかない障害があったこと知ることも大事なのですが、そこで、意に添わない活動をしたことに、その後、本人がどう向き合ったかが、重要なのかと思います。さらに、その後、どのような活動をしていたのか、行動をしてきたのか、暮らしをしていたのか、その生涯をトータルで、見極めたいと思っています。そのためには、発言・著作・制作物などを、記録にとどめ、保存し、継承するという基礎作業が問われるのではないかと、思います。その上で、その後の時代、時代に、何を残し、どう行動したのかが問われるのだと思いました。 

 

 今回の番組では、愛国少年だった櫻本さん自身が、戦時下に「あったことをなかったことにしよう」とする敗戦後の時代の流れに抗して、個人で10万冊もの雑誌や図書を収集し、戦時下の文化人たちの言動を浮き彫りにした著作を発表し続けていること、家永三郎さんも、戦時下の反省から、敗戦後の教科書裁判に踏み切ったこと、などを語っています。

 

 翻って、現在の知識人、文化人と称される人々の発言や行動において、少なくとも、敗戦後の占領期が終わった段階では、「表現の自由」があったにもかかわらず、「陽のあたる場所」を求めてでしょうか、意外と、微妙な変転、変節をしていたり、繰り返したりする人たちも多くなっています。人間、心身の成長や加齢によって、考え方も、行動様式も、変ることはあるでしょう。その人をどこまで信用していいのか、その発言にどこまで責任を持つことが出来るのか、自身で説明責任が果たせるかが問われるのではないかと。これは自らにも返ってくる問いでもあります。さらに、目前の課題に翻弄されながらの発言や行動は、とかく、より根本的な課題を置き去りにする傾向が、とくに最近目立ってはいないか、とても不安です。

 

 

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