2023年1月 6日 (金)

きのうから、旋回の自衛隊機、なぜ?!

 5日、10時すぎ、ベランダで洗濯ものを乾していると、数機の自衛隊機が旋回している。下総海上自衛隊基地の離着陸調整のため旋回しているのかな、と思ってしまった。訓練機は館山沖での訓練のための離着陸は、ほぼ定時であるのをかつて調べたことがあるのを思い出していた。

 ところが、きょう6日の午前中の航空機騒音はいつもと違う。窓を開けて見上げると、かなりの低空で機体を斜めにして東へと向かう。我が家の真上、ユーカリが丘方面へ、一機、二機と・・・。それが、何回も、何回もめぐってくるのである。下総基地の広報、かつて控えていた内線に電話して、いま飛んでいるのは、そちらの基地の飛行機か、いつもの飛行と違うがどういうわけか、いずれにしても、住宅地をあれほどの低空で飛ぶのは危険ではないかなど、問うのだが、「担当者がきょういないのでわからない」と、ぼそぼそと繰り返すばかり。佐倉の上空を飛んでいる航空機がそちらのものかどうかだけでもと尋ねれば、どんな機種か、どんな形かわからないかとの質問、軍事オタクならともかく、素人が見上げただけでわかるわけがないのに。とにかく今日の午前中の飛行についてわからないはずはないしょうから調べておいて欲しい、また電話すると切る。

 二時間ほどあとに、電話すると、今回はバカに明るい声で「あの自衛隊機は習志野空挺団の<コウカクンレンハジメ>の予行演習です」という。聞き直して「降下訓練始め」とわかる。

 さっそく、習志野空てい団の「地域振興課」に電話すると、1月8日が本番で、「<降下訓練始め>と言って、パラシュートで降下するのをみなさんに見ていただくんです」という。宣伝広報の訓練のために、住宅街をあんなに低空で長時間飛んでいいのですか、といえば「申し訳ありません、ご迷惑おかけします」の一点張り。イベントのためだけの不要な訓練はやめにしてほしい、見直してほしい旨、検討してください、と伝えておいたが、まだ、本番は1月8日、あしたも続くというわけだ。

 自衛隊にパフォー-マンスは不要である。オリンピックのときの飛行演技、航空祭や今回のようなイベント自体が不要ではないか。

 習志野空てい団のHPを開いてみると・・・。訓練日程表も出て来た。

Img548

Gsdf20230108abnb1kouka_01

 

<1月8日付記>

以下のニュースによれば、3年ぶりの大規模なイベントで、多国籍軍による訓練が実施されています。恐ろしいことがすでに進んでいるようです。

陸自第1空挺団の年頭行事「降下訓練始め」日米英豪の4か国で実施

https://news.nifty.com/topics/traffic/230108621431/

 

| | コメント (0)

2021年12月12日 (日)

『青葉の森へ』第4集ができあがりました

 

 4

 2002年から続けている月1回の歌会「短歌ハーモニー」の合同歌集の第4集がきのうできあがりました。旧千葉市女性センター(現千葉市男女参画センター、ハーモニープラザ内)の短歌講座の受講者の有志の方たちで立ち上げられた歌会でした。会場が青葉の森公園の近くであり、ときどき公園で歌会を開いたこともあり、合同歌集を『青葉の森へ』と名付けました。会員の方の出入りはありましたが、振り返ってみれば、なんと5年ごとに歌集を出していたことになります。二十年という年月の重さとときどきの楽しさを思い出す昨今です。出詠者は、10人、8人、11人と変わり、今回は6人と少し寂しくはなりましたが、歌集を出すたびに、皆さんの熱意には励まされる思いをしてきました。80首ほどの表題の頁には、自作やお気に入りのカットを配するのも恒例となりました。

秋元京子「野の花咲く道」
夏の朝レースのカーテンふうありと慌てる乙女のスカートのよう
焼夷弾の雨に衣服に火が着き都川にとび込む人無念

岡村儔子「鈍色の尾花」
早朝に吾子抱きて千葉医大冷たき廊下薄あかりの中
狭き路地セグロ鶺鴒近づきて艶やかな羽に触れてみたし

鈴木佐和子「生きる(二)」
美しく供えし花に囲まれてなお寂しげなる遺影の眼あり
すずかけの木漏れ日落ちる昼下がり残暑の日射し少し緩みぬ

藤村栄美子「玉手箱」
コロナ禍に孫の顔が遠ざかりメールを頼りに記憶をつなぐ
鳥の目で見つけてほしい藤袴アサギマダラよ迷わずこの地に(種を植える)

美多賀鼻千世「満月おぼろ」
幕張の「花の広場」に桜さく高層ビルに満月おぼろ
建て替える庇のじゃまになる青いみかんの食べごろ待たず

内野光子「違うだろう」
いまならば治療の術も選べたろう亡母の日記の余白が続く
画面なるひとに向かいて荒々と「違うだろう」と叫んでみても

Img216_20211212130401
元気だったころの飼い犬、チビとウメなのですが、表題頁はこんな風です

| | コメント (0)

2019年2月23日 (土)

青葉の森公園は梅の見ごろでした

 2月21日、千葉市ハーモニープラザでのハーモニー歌会は、体調を崩して欠席の方々がいらして、少し寂しかったのですが、終了後、皆で近くの青葉の森公園に繰り出しました。まさに梅の見ごろで、30種類以上約1000本の梅は、久しぶりのことでした。ちょうど、この季節、吟行と称して、公園のあずまやで歌会を開いたことを思い出しました。

 

 北口の駐車場から入ると、梅園があり、さらに進めば原っぱに梅林がひろがります。「白加賀」「おもいのまま」「鶯宿」などなど優雅な品種名の札をたよりに楽しみました。

 

 青葉の森は、もともと農林水産省の畜産試験場の跡地で、1917年設立され、畜産技術研究発祥の地と言われているそうです。かつては牛馬が放牧されていたとのこと、近くに住むHさんの話でした。試験場が筑波学園都市に移って、1980年代の後半から、グランドや庭園、さまざまな施設が徐々に整備されてきたといいます。
 2002年、公園に近い男女共同参画センターの短歌講座の参加者らによって発足した、この歌会は、私にとっても、毎月楽しみな歌会になっています。ガラケーでの撮影だったのですが・・・。

20190221162523_2 「大盃」のトンネルが続く

2019022116263 「玉牡丹」、名の通り、こんもりとした花がかわいらしい

20190221161657_2

 河津の桜はすでに満開に近いとのテレビ映像も流れていたが、千葉では、まだ
 ・・・

| | コメント (0)

2018年11月24日 (土)

二つの「男女共同参画」“まつり”に参加して

 

 

 臆面もなく「一億総活躍社会」とか「すべての女性が輝く政策」とかの看板を掲げながら、現実には、その真逆のことをやっていた安倍政権には、あきれ果てて、言葉もない。内閣府が出している広報誌『共同参画』には、片山さつき大臣の「ご挨拶」が載っている。「地方創生」と「男女共同参画・女性活躍」」担当大臣の兼務による「シナジー効果」も生かしたいと決意を述べていたが、もはや絶望的でしかない。その「ご挨拶」に付せられた顔写真は、何十年前の写真と思われるような首をかしげているブロマイド風。現在の国会での答弁中の様子と比べると、見るに堪えないほどの情けなさである。

 「男女共同参画」なる言葉は、1999年「男女共同参画基本法」施行の辺りから、頻繁に使われるようにはなったか。しかし、巷でも、身近な自治体でも、定着したとは言い難い。私自身も「男女平等」の方が分かりやすいのにと思いながら過ごしてきた。そんな中で、この秋、二つの「男女共同参画」事業に参加した。

 

東京ウィメンズプラザフォーラム~「音を紡ぐ女たち」コンサート

  1028日、あたたかな日差しの中、表参道を東京ウィメンズプラザへと急いでいた。ハロウィンが近いためか、妙な扮装の若者たちをチラホラと見かける。プラザ・ホールでの「第4回音を紡ぐ女たち―女性作曲家を知り、聴く」のコンサートにやってきた。主催団体の小林緑さんからのお誘いもあって、毎年楽しませていただいている。現代では、顧みられることの少ない女性作曲家に目を向けて、広めていこうとするのがコンサートの目的でもある。 

 今回は、19世紀半ばから20世紀にかけての女性作曲家によるピアノ曲ばかりのコンサートであった。コンサートの前半は、まず、昨年生誕150年を迎えた、アメリカのエイミー・ビーチ(18671944)作曲の「夏の夢」全6曲で、身近に潜む「妖精」や小動物をテーマにした小品からなり、正住真知子さんと弘中佑子さんの連弾は、楽しくゆったりとした気分にさせられた。つぎは同じくビーチの作品のエミイ・トドロキ・シュワルツさんの独奏、セシル・シャミナード作品の山口裕子さんのダイナミックな演奏がつづく。また、ベネズエラ出身のテレサ・カレーニョの曲は、同じく山口さんの独奏だった。テレサは、小林緑さんの解説によれば、作曲や演奏活動をつづけながら、結婚や離婚を繰り返し、生活や育児に追われ、演奏旅行中病に倒れたという。首都カラカスには、「テレサ・カレーニョ劇場」といのもあるし、チャベス大統領時代の福祉政策の一つのオーケストラ運動においては、テレサの名を冠したオーケストラも誕生しているという。チャベス大統領の別の一面を知っていささか驚いたのであった。

 後半のポーランドのマリヤ・シマノフスカ(17891831)だけが、ショパンの先輩にあたり、ゲーテとも親交があったという、少し古い世代の作曲家であり、ピアニストである。日本でいえば江戸時代のことだ。三手の連弾によるワルツであった。さらに、マリー・ジャエル(18461925)は四手による連弾曲で、最後は、なんと再びシャミナードの「銀婚式」という曲は、その日のピアニスト全員による4人八手の連弾で、壮観?でもあり、私には初めてのことであった。

 ウィメンズプラザフォーラムは、2日間のいわばお祭りで、いろいろなイベントが目白押しではあったが、会場近くのマルシェ、青空市の方も気になって、早々に会場を出た。 

Img541
ウィメンズプラザと言えば東京女性財団の「民間活動支援事業」の一環で、『扉を開く女たちジェンダーから見た短歌史1945-53』(砂小屋書房 2001年)の出版助成を受けるために、共著者の阿木津英さんと小林とし子さんの三人で、審査のための面接を受けに来たのを思い出す。想定問答を試みたり、受験生のように緊張したものだが、100万円近くの実費助成を頂くことができた。当時の石原都政は、この2000年度を最後に支援事業を打ち切ったという。

Photo

 

千葉市男女共同参画センターまつり~「短歌ハーモニー」歌会

  青葉の森公園近くの千葉市ハーモニープラザで、私たちのグループ「短歌ハーモニー」は2002年から月一度の歌会を続けている。これまでもセンターまつりに参加して、公開歌会や短歌作品の展示などを行ってきた。昨年までは、12月上旬の週末2日間に実施されてきたのだが、今年は、約1カ月の間に参加グループが都合の良い日程を組めるようになったという。参加するグループが年々減少しているらしく、今年は、企画を大きく変え、会場費も無料にするので、ぜひ参加をとの呼びかけが、私たちの会のお世話役に何度も届いたそうだ。

 11月の第181回歌会は、曜日を変えて1118日に開き、参加することになった。公開歌会になるので、お誘いのチラシを作り、男女共同参画センタ―によって、市内の各所に配置してもらい、当日はまつりの来場者が参加しやすいようにと、みなで入り口付近の飾りつけをした。この16年間に発行した合同歌集『青葉の森へ』3冊やこれまでの教材や歌会のプリントのファイル、私の歌集や著書まで展示することになった。覗いてくださる参加者がいるだろうか、何人くらい参加してくれるだろうか、毎年ながら、いささか不安もよぎる。こうした歌会に参加して会員になられた方も多い。さらに、かつて会員だった方がひょっこりと現れたり、私の地元の佐倉市から駆け付けてくれたりした方もいらした。一昨年は、Jコムのカメラやインタビューが入って、翌週放映されたということもあったし、短歌雑誌や地域新聞に紹介されたこともあった。

 今回は、結局、3人の方が参加、お一人は、短歌も用意されていた。総勢12人の歌会となった。ふだんは各人2首づつ提出、相互批評をする。今月は年3回の、名歌鑑賞の月にもあたるので、あらかじめ用意した教材の中から各人が選歌した2首を鑑賞することになっていた。 

 会員の入れ替わりはあるけれど、この16年間よくここまで続けてこられたな、と感慨深い。というのも当初からの会員のMさんや早くからの会員の皆さんの熱意あふれるお世話があってのことだと思い、感謝の気持ちでいっぱいになる。

 それにしても、私たちも、当日参加の方たちも「男女共同参画」といった意識で「歌会」に臨んでいるわけではないような気がしてる。ごく自然なかたちで、短歌を作ることが何となく楽しみとなり、名歌や仲間の短歌を読むことで何かを得られることを知って、続けてきたのではないかと思う。「自己表現」の一つの形ではあるけれど、大上段に構えず、これからも、語り合い、楽しんでゆくことができたらと、あらためて思うのだった。

 

Dscn2292

 

Photo_2

 

このチラシの裏面には、ある日の歌会からと、会員の短歌が1首づつ披露されている。定例歌会は、毎月第三木曜日1時から。

 

 

 

 

| | コメント (0)

2018年11月10日 (土)

千葉市立美術館「1968年激動の時代の芸術」へ

0919_top1968

千葉市の男女共同参画センターの午後からの歌会の前に、ということで、午前中、千葉市立美術館にまわった。同館では「1968年激動の時代の芸術」展が開催中と聞いて、ぜひと思っていた。昨秋、当ブログでもレポートした、佐倉市の国立歴史民俗博物館開催「1968年―無数の問いの噴出の時代」に連動した企画らしい。ちょうどこの日は「市民の日」ということで、思いがけず、千葉市民ではなくとも入場無料であった。ふつうは、入り口付近には何気なく積まれているチラシがないので、尋ねてみると、全部なくなりましたという。評判だったのかな、と思いきや、人はそれほど多くはなかった。A4 8頁、小さな活字びっしりの「出品リスト」は、ドンと積まれていた。作品、資料など約400点に及ぶ展示という。

プレスリリースによれば、「世界中で近代的な価値がゆらぎはじめ、各地で騒乱が頻発した1968年は、20世紀の転換点ともいうべき激動の年でした。 日本でも、全共闘運動やベトナム反戦運動などで社会が騒然とするなか、カウンターカルチャーやアングラのような過激で エキセントリックな動向が隆盛を極めました。」とある。

展示は、「1.激動の1968年」「2.1968年の現代美術」「3。領域を超える芸術」「4.新世代の台頭」という大きな4つの セクションに分かれていた。最初のコーナーでは、北井一夫(1944~)の写真集『バリケード』『三里塚』などの写真は、モノクロが多く、かえって迫力があり、新鮮にも思えた。北井自身が日大芸術学部写真学科中退ということもあって、日大闘争の学生たちが築いたバリケード内で起居を共にして、撮影したという作品のなかの、タオルや歯ブラシ、謄写版印刷機などは、当時の変哲もない日常生活の一端をのぞかせ、興味深い。また、橋本治(1948~)の東大駒場祭のポスター「とめてくれるなおっかさん (背中の銀杏が泣いている 男東大どこへ行く)」(1968年)というコピーと入れ墨をした背中を見せるイラストは有名で、当時は、学生にも人気が高かった、高倉健主演「日本侠客伝」シリーズなどを髣髴とさせるものだった。

思いがけない出会いだったのは、鶴岡政男(19071979)の「ライフルマン」(1968年)であった。鶴岡と言えば、十五年戦争下では、2度の召集を受け、闘病と共に、体制への抵抗的なスタンスをとり、1943年に麻生三郎、靉光、松本俊介らと「新人画会」を結成したことで知られる。戦前の作品は、東京大空襲でほとんど焼かれ、2008年の「新人画会展」(板橋区立美術館)でも、戦後の作品ばかりであったなかで、「重い手」(1949年)を見ることができたのだった。今回、初めて見る「ライフルマン」は、ご覧のようにカラフルで、ダイナミックなものであった。日本のサイケデリックな絵画のハシリのようにも思えた。

1968年と言えば、私は、すでに社会人になっていて、フォークソングよりはやや短歌にのめり込んでいた時期だったかもしれない。ポトナム短歌会の若手5人で1965年「グループ貌」を立ち上げ、1969年には、中堅と若手による「閃」という同人誌創刊に参加したりして、『ポトナム』という結社誌の中で少々波風を立てた程度のことではあった。それでも、新宿西口地下広場の「フォークゲリラ」の写真や、「帰ってきたヨッパライ」「受験生ブルース」などのレコードジャケットなどは懐かしかった。

0919_3
鶴岡政男「ライフルマン」(1968年)(広島県立美術館蔵)

 次のコーナーでは、堀浩哉らの「美共闘」、現代思潮社企画の「美学校」という存在も知った。美学校の講師は、「模型千円札裁判」の赤瀬川原平ら多士多才なメンバーで、19694月開校の生徒募集のポスターには、「硬筆画・劇画」担当として山川惣治の名前もあったのが意外でもあった。

 2025年の万博、大阪への誘致がどうなるのかは、1123日の国際博覧会事務局による総会とのことだ。前回の1970年開催に向けては、多くの美術家たちが協力した「EXPO’70」のポスターが街にあふれた一方で、さまざまな反対運動が盛んになったのは、1968年前後であった。「万博破壊」「万博粉砕」「反博」を冠したパフォーマンスが繰り広げられていたらしい。「万博破壊共闘派」などの運動を概観することにもなった。それに比べ、いわゆるアンダーグラウンド演劇の寺山修司の「天井桟敷」、唐十郎の「状況劇場/紅テント」などの情報は、若干持ち合わせていたので、親近感はあった。しかし、いつも、どこかスキャンダラスな要素がつきまとっていたのが印象に残っている。ただ、寺山の活動のスタートは俳句や短歌だったので、いつも気になる存在ではあった。いま、神奈川県立近代文学館で開催中の「寺山修司展」には、ぜひ出かけてみたいのだが。

 展示の後半は、「イラストレーションの氾濫」のコーナーの宇野亜喜良、横尾忠則くらいまでは、何となく目にもしていたし、ついていけるのだが、「漫画と芸術」のつげ義春、タイガー立石、林静一となると名前くらいしか知らない。さらに、196811月に創刊された写真同人誌「プロヴォーグ―思想のための挑発的資料」に寄った中平卓馬、高梨豊、多木浩二、岡田隆彦そして森山大道らの作品は、『アサヒカメラ』『カメラ毎日』『朝日ジャーナル』『現代の眼』等などで見かけたようにも思う。彼らは、政治・思想状況の閉塞感を写真を通じて破壊しようという流れを作り出したのではないか。その足跡は『まずたしからしさの世界をすてろ』(田畑書店1970年)として総括されている。森山(1938~)はモノクロによる、これまでむしろ失敗作として捨てられたような「アレ・ブレ・ボケ」たフィルムの作品化を試みた。写真集『写真よさようなら』(1972年)もまさに挑戦であったのだろう。時間さえあればもう少しゆっくり見たかったなと思う。

また、「もの派」と名づけ、いわゆる「もの」たる石、木、紙、綿、鉄板など、それ自体ないしは組み合わせによる作品は、それまでの「前衛美術」の主流であった反芸術的な傾向に反発した成果であったという。

 今回も、私には未知の世界に等しい展示も多かったが、当時の体制への「芸術による抵抗」は、先鋭的で過激な作品群には、現代では、すっかり見失ってしまったメッセージが溢れていたようにも思う。

1968年、短歌の世界では何があっただろうか。岩田正の1960年代の評論をまとめた『抵抗的無抵抗の系譜』(新読書社)が出版された程度であったか。「隣の芝生が青く見えている」だけとも思えなく、歌壇は実に安穏であったように思う。

あれから50年、「明治150年」、「平成最後の・・・」と意味ありげに、こと挙げする人たちへの、まともな反論も抵抗も忘れたかのように、天皇の代替わりを迎え、オリンピックを迎え、万博の夢をもう一度などとやり過ごすのだろうか。そんな気持ちにさせられた展示会ではあった。

Img535

<参考>

鶴岡政男については、以下の当ブログ記事を、ご参考までに

「新人画会展~戦時下の画家たち」(板橋区立美術館)(2008年12月28日 (日))

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2008/12/post-d70f.html

Img536
鶴岡政男「重い手」(1949)。上記「新人画会」展のカタログより

 

| | コメント (0)

2016年8月12日 (金)

『青葉の森へ(三)』(短歌ハーモニー合同歌集)が出来上がりました

 今年20161月に短歌ハーモニー歌会は150回目を迎えました。2002年に千葉市女性センター(現、男女共同参画センター)の短歌講座の修了者によって立ち上げられた歌会でした。2006年に合同歌集『青葉の森へ』を、2011年には『青葉の森へ(二)』を刊行しました。今回は11人の参加となりました。メンバーは少しづつ入れ替わりましたが、当初からの会員たちからは励まされる思いでした。青葉の森公園に近い千葉市ハーモニープラザを会場に、毎月第三木曜日の午後のひとときを過ごしています。各自近作から50首の選歌、タイトルや小題、構成をどうするのか、イラストを自作にするのか選ぶのか、表紙の色や注文の部数まで、皆さん、迷いながらも楽しそうでした。取りまとめと印刷所との交渉などてきぱきと進めてくださる会員たちのおかげで完成しました。近隣の図書館にも寄贈させていただきますので、手にとってご覧いただければさいわいです。 歌集の一部を紹介したいと思います。

Img194

秋元京子「野の花咲く道」

「この道」を唄いながら野の花を握りしめた車椅子の母

人も去り彫刻の森は眠りにつきオレンジの灯をやさしくつつむ

少年は口唇かみしめ弟を背負い焼場に直立不動(原爆写真展)

大堀静江「酔芙蓉」

白昼夢はほたるぶくろに蛍入れランタンとなし里山歩く

米寿なる恩師の元に集いたるわれらも傘寿共に祝わん

七〇年時代がもどる空気あり孫子の代に残さるゝは何

岡村儔子「篠懸の実」

波しずか海光照らす東京湾小さくフェリー止まりいるごと

街路灯あかりの中を舞うごとく初雪はらはら路面に消える

旅客機は夕日を浴びて一線を上昇しつつ光を放つ

加藤海ミヨ子「ナンジャモンジャの木」

純白のこの花ナンジャヒトバタゴ今年も咲いた青葉の森に

ただ一人歩み始めた老いの坂なだらかなれと願いて進む

苦しさを投げ出したくなる悲しみも齢と共に薄れゆくなり

鈴木佐和子「生きる」

考えて考えて出す我が一歩すべらぬように転ばぬように

ふと見上ぐリハビリの窓に冬の空清らに澄みてしばし安らぐ

咲きだした水仙一つ墓に置くもしやもしかに思い出せばと

鈴木美恵「蘇る鐘」

気がつけばバスから手を振る幼子に吾も思わず振りこたえたり

瑠璃色の弁天沼に映し出す紅き櫨の木秋を集める

湖に浮かぶ小島の教会に蘇る鐘ひとつ撞いたり

竹形三枝「悲喜こもごも」

家を出た子の捨てゆきし本の中に世の中を見る鋭さを知る

ノートルダムの震災のミサに与りて復興を願いあれから五年

老いて子に従いますと住みなれし町をはなれゆく友の手つめたく

藤村栄美子「羽ばたけ 未来へ」

公園や移動の時も駆け回るショパンのワルツの子犬のように

(姉八歳二カ月、妹六歳7カ月)

静けさを引き裂いて飛ぶ戦闘機防災訓練に参加するはなぜ

(二〇一三・九・一)

国会を大包囲してヒューマンチェーンを結んだ手の温かきこと

(秘密保護法反対)(二〇一四・一・二四)

美多賀鼻千世「シンフォニー」

ピストルの合図と共の湧き上がる子らの歓声風に乗せられ

初場所の土俵の取り組み下に見る光る背中に赤みが増して

足元のすらりと伸びた若いひと薄色のスカートひるがえして

渡辺洋子「時巡り」

指折りに帰る日数え暮らす日々思えば寒い日本の冬よ

二つ三つ蕪の頭に青葉出てキッチンの隅にも小さき息吹きは

観覧車すがたを消して時巡り山の木芽吹き日ごと色増す

内野光子「焼け跡のダリヤ」

寝たきりの犬の身を返せば手のひらに触るる骨のかたち寂しむ

したたかに咲き継ぎたりしポンポンダリヤ焼け跡耕す畑の隅に

マンションの廊下の灯り列なせり三月十一日など忘れたかのように

 

なお、『青葉の森へ』の第一集、第二集については、以下の記事がありますので合わせてごらんください。

第一集について

http://dmituko.cocolog-nifty.com/tankahanonikasyuudekiagarimasita.pdf

第二集について

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2011/10/2-bde0.html

| | コメント (0)

2014年12月16日 (火)

「短歌ハーモニー」は、千葉市男女共同参画センター「ハーモニーまつり」に参加しました

 「短歌ハーモニー」12月歌会は、「ハーモニーまつり」の1214日(日)、選挙の日だった。月1回の例会は第3木曜だが、12月は、例会を「まつり」に合わせ、公開歌会とするのも恒例となった。今年は3人の見学者がいらした。また、展示室では、まつりの2日間にわたって、短歌の書作品の展示も行う。会員各自、歌会には2首、書作品は、1年間の自作から2首を選び作品とした。以下、1首目が書作品から、2首目が歌会の詠草から各1首ずつ掲載した。

・冬近く重き心を見すかして体内時計も狂いはじめる

 金木犀散りて地面を黄に染めて駐輪場に秋の気配す(三枝)   

・純白のこの花ナンジャヒトツバタゴ今年も咲いた青葉の森に

 楽しそう良く似た親子電車よりディズニーランド目指して降りた(ミヨ子)

・中天に半月さえて妖精の舞台となりゆく雪あかりの庭

 小都市の駅前通りのまひるまは人かげまばら師走に入りても(静江)

(二〇一四、一、二四秘密保護法に反対して)

・国会を大包囲してヒューマンチェーンを結んだ手の温かきこと

(一一、二九(ハンナ・アーレント)三Fイベントホールにて上映)
 

 ユダヤ人指導者のいたことを告発避難の渦中に苦悩するもぶれず
・雲間から姿見せおる雪の富士裾野広げてゆうゆうと座す
 湖に浮かぶ小島の教会に蘇る鐘ひとつ撞いたり (美恵)
・母の日の花かご二つ据える場を持ちてまわりて重みもうれし
 母が落ちて多くの蕾持つ辛夷寒さに負けず咲け年越えて( 洋子)

・泡立ち草穂先ゆらして伸びるまま教員住宅人影もなく

 浴衣着て湯の街めぐる城崎の旅人襟をはだけて歩く( 千世)

・初詣の人で賑わう帝釈天真っ白な足袋も黒くなりけり

 SLに乗っても眺ても遠い日の千葉駅の列車脳裏はなれず( 京子)

・鉢植の赤 白 金の彼岸花咲き終えて今葉の芽いっぱい

 木枯しの吹きはじめたる師走なか肩竦めつつ家路にいそぐ( 儔子)

・杉木立の影に憩へば晴れわたる空に浮雲ことさらひくし

 手作りの布袋などほめ合ひて媼らは待つ街の医院に( 徳惠)
・たきりの犬の身返えす手のひらに触るる骨のかたちさびしむ
 ひたひたと寄り来て背を撃たれんか振り向きざまにペンを振り上ぐ
 光子)

 例会の準備に加えて、夏から、会場の抽選会、案内チラシの作成・印刷、書作品の作成・展示に伴うさまざまな仕事を分担しての準備があった。協力の賜物である。138回目の歌会でもあった。

Gedc4353tankahamoni2014
千葉市男女共同参画センター「ハーモニーまつり」ハーモニープラザ1階展示室  

| | コメント (0)

2014年5月31日 (土)

佐倉市上空の自衛隊機航空機騒音、その後

 

   521日、厚木基地第4次騒音訴訟―周辺住民7000名が国に米軍機と自衛隊機の夜間・早朝の飛行差し止めや損害賠償を求めた―で横浜地裁判決が出た。国に「自衛隊機の夜間・早朝の飛行差し止め」を命ずる画期的な判決だった。だが、526日に、国側は「自衛隊機飛行は国民の命を守るために必要」として東京高裁に控訴している。総額70億円余の支払いを命じた損害賠償の判決についても控訴の予定という。第1次訴訟は、1976年、住民92名の一切の航空機騒音による損害賠償と夜間・早朝の飛行差し止めを求める提訴に始まった。以降、一部の損賠賠償は認める判決は確定していたが、今回、行政訴訟によって自衛隊機の夜間・早朝の飛行差し止めを命じた判決は初めてであった。ただし米軍機については、その飛行差し止め請求を退けた。しかも当日の防衛大臣は、厚木の米軍基地機能の一部を岩国基地に移転するとも述べていた。

 当ブログの425日の記事「340mの恐怖~習志野第一空挺団の軍機飛ぶ佐倉市上空」でも書いたように、佐倉市の上空も他人ごとではない。厚木基地の騒音被害は佐倉市の比ではないかもしれない。

 425日の記事)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2014/04/340m-6c9c.html

 

しかし、少なくとも厚木基地周辺の住民に思いをいたし、自衛隊機・米軍機の早朝・夜間の飛行差し止めを支援しなければと思うのだ。私たち佐倉市民も、佐倉市上空の実態を正確に知り、その被害の軽減に努めるよう要請しなければならないと思う。

 昨年には、下総航空基地の哨戒機P3Cの飛行状況についてレポートはしたが、今回は、習志野第1空挺団の航空機、ヘリコプターの訓練飛行について調べている。さきの記事には、やや不正確のところがあったが、ともかく、現在までに分かったこと、私の理解の限りであることをお断りしながらのレポートである。

 514日、11時過ぎ、あまりの大きさの航空機爆音、それにその頻度、2分間隔くらいなのだ。そのたび、席を立って庭から空を見上げた。低い!340mとは思えないが、500mくらいだろうか。南から北へと通過、八千代方面に旋回しているように見えた。もう一度、習志野第1空挺団にも電話で聞き、HPで確かめた結果である。

HPには、直近2カ月分の訓練等の予定が図示されたカレンダーが「航空機等を使用した訓練等のお知らせ」として掲載されている。ちなみに6月分は以下のとおりである。

「航空機等を使用した訓練等のお知らせ」

http://dmituko.cocolog-nifty.com/6gatukunrenhyo.pdf

 週日は、必ず何らかの訓練があり、飛行及び降下訓練は、ヘリコプターの大型・中型を含め前半の6日間飛び、夜間も含めると11回の訓練がなされることがわかる。航空機による降下訓練は、後半8日間、夜間を含めると11回の訓練がなされる。

習志野第1空挺団の訓練状況は、先の「お知らせ」と電話での回答をまとめるとつぎのようになる。ちなみに、厚木基地では、米軍機22~6時、自衛隊機21~7時までの飛行を自粛する紳士協定が守られていない。

 

習志野第一空挺団の航空機などの訓練の状況(2014年5月30日作成)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/narasinodaiitikuteidankunren.pdf

  航空機の場合は、新幹線の速さで飛ぶ機体から人や物を降下させる訓練であり、ヘリの場合は、毎時130キロの機体からの降下訓練ということになる。災害や事故の時のための救助訓練ならば、受忍の範囲も自ずから生まれるだろう。

 佐倉市の上空は、今回の習志野第一空挺団の航空機とヘリコプターの500m以下の飛行・降下訓練、下総航空基地の哨戒機P3Cの昼夜の500800m以下の飛行・離発着訓練、天候に左右されながら12002400mとかなり低空の羽田空港着陸の民間機が飛行する区域であることがわかる。さらに、高い上空には成田空港の着陸便が西から東に飛んでいる。この何重にも及ぶ航空機騒音に市は真剣に取り組んできたのか。201110月からの羽田空港の再拡張に伴う民間機による航空機騒音については、佐倉市も住民からの苦情や要請で、周辺自治体で構成する協議会メンバーとして国交省への申し入れなどを行い始めた。しかし、あくまでも「国」の問題であって、一自治体の問題ではないという認識から積極的な働きかけをしていない。自衛隊機については、その訓練情報すらも市民に伝えていないのが現状である。

 佐倉市は、民間機対策については、少なくとも千葉市などの積極的な対応を、自衛隊機については八千代市の広報姿勢などを見習ってほしい。 

| | コメント (4)

2013年12月17日 (火)

「短歌ハーモニー」は、「千葉市男女共同参画センターまつり」に参加しました

 「短歌ハーモニー」は、今年も師走恒例のセンターまつりに参加しました。会員は、1年間の締めくくりの2首を思い思いの書作品として、121415日に展示しました。15日は、12月の127回歌会を公開歌会として、当日の見学や参加も可としました。こうした歌会に参加、いま会員になっている方々もいます。

 展示作品と歌会提出作品から各一首を選び、次に記します。当日の歌会には2名の見学者もありました。いつも通り和やかなひとときとなりました。(1首目が展示作品から、2首目が当日の歌会からです)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

顔中を花粉まみれに百合の花魅せられるんは虫だけじゃない

秘密保護法国会包囲して反対を上空ヘリよしっかり伝えて(栄美子)

山ふじは大樹にからみむらさきの花ひろがりて茫々と見ゆ

波しずか海光照らし東京湾小さくフェリー止まりいるごと(儔子) 

足もとの霜柱踏む朝の庭ほほ打つ冷気に身も縮みゆく

カラフルなコーンに沿って運転す工事現場も明るく変わる(千世) 

爽やかな風に吹かれる秋桜今日も優しく咲きほこる

青葉城政宗眠る瑞鳳殿石垣の萩一段と麗し(京子) 

旭岳に初冠雪降りし日に里から芋と南瓜とどきぬ

茶の花の丸き蕾はまだ青く霧雨にぬれ咲く日待ちおり(三枝) 

亡き友よ雲の平の草原よなつかしきものふえて年古る

残照をまといて立てる錦木は散る直前に最高に染む(静江) 

コンビニは老若男女の台所二十四時間思いのままに

食事会楽しみ乍ら高齢者後は老後の不安を語る(ミヨ子) 

沢のぼり捜し求めて万葉に抱かれ響くかくれ滝の音

からからと思いの儘に落葉は響きを残してとおり過ぎゆく(美恵) 

しろがねの糸の編み出すクモの巣の造型に息のむ朝もやのなか

デモ隊の列はほどかれ別れ散るところ街路に黄葉降り敷く(光子)

~~~~~~~~~~~~~~~~~

Tankahamonitenji


 一年前から、毎月の歌会の際の合評と作者とのやり取りを踏まえて、私の感想を記録に残し、翌月の歌会で配布しています。私自身も皆さんの作品を読みなおし、皆さんも聞き漏らしたりしているので、続けてほしいとのことです。私も歌会の折には気づかなかった文語の用法や文法を調べ直すチャンスにもなります。

展示の片隅に添えてくださった蕾のサザンカはみごとにひらき、スイセンの花もいきおいを増したようでした。

拙著『天皇の短歌は何を語るのか』出版の折には、昼食を共にしながら率直な感想もいただきました。一年間、お疲れ様でした。時間の関係で途切れがちな近現代歌人の作品鑑賞も続けたいです。

センターまつりのチラシです。

http://www.chp.or.jp/danjo/pdf/25maturi-panhu.pdf

 

 

| | コメント (0)

2012年11月21日 (水)

はじめての花の美術館、野外で歌会

  千葉県に住んでいながら、まだ出かけたことがなかった、稲毛にある「花の美術館」、1995年にオープンしたという。前夜の845のNHKニュースで、花いっぱいのクリスマスの飾り付けが放映されていた。短歌ハーモニーの会員の美多賀鼻さんの盆石教室(細川流)の展示会が開催中ということで、今月の定例歌会をここで開催することになった。
 JR稲毛駅から歩くと30分もかからないらしいが、駅前のバスターミナル②番から乗って10分足らずで到着。エントラス前の庭も広々としているし、1113日から始まったばかりの「フローラルクリスマス」が華やかで、エントランスはなかなかのにぎわいだった。300円のチケットを買ったのは、千葉市外住民の私だけだった。他の方はフリーパス。

Gedc3012_2

多目的室で開催の「盆石展」は、すでににぎわっていて、会場の中央には、体験コーナーも設えてあった。今回のテーマは「千葉の自然」で、安藤広重が歩いたという房総の各地の浮世絵をモチーフに、お盆の上に砂で絵を描くのだ。講師の美多賀鼻さんは写真のような「房州保田海岸」だった。保田といえば、石原純と原阿佐緒の逃避行先ではなかったか。江戸幕府の軍馬育成の放牧場「下総小金原」(船橋市薬円台)も描かれ、置かれた動物の小物がかわいい。盆石は、展示用には砂に糊を混ぜて固定させるが、通常はまさに「砂の絵」で、拳ほどの石と8種類の粒の大きさの白い砂(備後砂)を篩や匙のような砂とりでお盆に落として、白鳥の羽根を絵筆のように、使いこなして絵として仕上げる。 私も勧められて、傍らの広重の浮世絵集から「印旛沼風景」(佐倉市)を手本に、石を置き、砂を落とし始めたが、沼の水面、手前の田圃、右手近景の松の木の疎林、対岸の風景・・・、結局、美多賀鼻さんに席を替わって仕上げてもらった。 

Gedc2986

房州保田海岸

Gedc2992

下総小金原

Gedc2995_2

お道具

 その後は、各自持参のお弁当を野外の休憩所わきのテーブルに広げ、一休み。ピクニック気分で、持ち寄りの漬物やおやつがまわされた。私は、サツマイモの茶巾しぼり、最近新しくしたオーブンで焼いてきた。午後からは、まさに小春日和の野っぱらでの歌会というわけだ。吟行会も兼ねたわけだが、即詠ではなく、作品1首は来月歌会の宿題ということで、いつものとおり用意された作品での歌会となった。提出作品から・・・。

亡き友よ雲ノ平の草原よなつかしきものふえて老いの日
青森の父の生まれしあの家を訪ねてみた来ネムの咲く頃

 花の美術館には何度も来ているという会員の方も、楽しく過ごされたようだ。もう少し歩けば、落日の稲毛海岸、残念ながら次回の楽しみとすることにした。周辺に続く美浜区の団地は、すべて埋立地、小学校の遠足で、潮干狩りに来たあたりだろうか。先の東日本大震災では、場所によっては液状化の被害も出たそうだ。花の美術館も、そういえばしばらく休館していたいうニュースを聞いたことがある。。

 

 その晩、美多賀鼻さんから、印旛沼の盆石の絵は、あれからまた手を加え、しばらく展示しました、とのメールが入っていた。

Gedc3000

体験コーナー、私が手本にした上段「印旛沼_」、先生になおしていただいている。 

 

 

| | コメント (0)

その他のカテゴリー

24時間営業 CIA NHK TPP すてきなあなたへ アメリカ イギリス インターネット ウェブログ・ココログ関連 オランダ オリンピック オーストリア ジェンダー スイス ソ連邦・ロシア チェコ デンマーク ドイツ ニュース ノルウェー パソコン・インターネット フェルメール フランス ベルギー ボランティア ポーランド マイナンバー制度 マス・メディア マンション紛争 ミニコミ誌 ムハ ミュシャ ラジオ・テレビ放送 世論調査 住民自治会 佐倉市 医療 千葉市 千葉県 原子力 原発事故 古関裕而 台湾 台湾万葉集 吉野作造 喫茶店 図書館 国民投票法案 土地区画整理事業 地方自治 地震_ 大店法 天皇制 女性史 寄付・募金 年金制度 憲法 憲法9条 成田市 戦争 戦後短歌 教科書 教育 文化・芸術 旅行・地域 旅行・文化 日本の近現代史 日記・コラム・つぶやき 映画 映画・テレビ 書籍・雑誌 朗読 東京大空襲 東日本大震災 栄典制度 横浜 歌会始 池袋 沖縄 消費税 災害 災害_ 特定秘密保護法 環境問題_ 生協活動 短歌 社会福祉協議会 社会詠 福祉 租税 紙芝居 経済・政治・国際 美術 美術展 航空機騒音 薬品・薬局 表現の自由 裁判・司法制度 規制緩和 趣味 近代文学 道路行政 選挙 都市計画 集団的自衛権 韓国・朝鮮 音楽 高村光太郎