2017年4月22日 (土)

地域での「ボランティア」って

小学生の「交通見守り」を卒業して

 私は、小学校の通学路にあたる信号のない横断歩道で、交通見守りのボランテアをはじめて、八年になった。地元の開発業者の土地区画整理事業によって、ニュータウンを回るモノレールをまたぐ陸橋が建設され、その先にあたらしく、マンションや公園ができた。その陸橋が、道路構造令ぎりぎりの勾配があり、下った先の歩道を小学生たちは横断しなければならず、しかも、信号機が設置されなかった。そこで、地元の自治会の役員や班長、会員十数人のボランテイアによって、登下校の時間帯に毎日、二人が張り付いて見守り、<横断中>という黄色の旗を持って整理を始めたのである。

当時、その区画整理内の道路整備や宅地造成をめぐって、地元の自治会は、業者や行政と様々な協議を重ねた。周辺住宅地への環境が心配され、造成地の廃棄物の処理、盛り土の高さを制限、マンションの高度制限、建設中の振動や騒音、車両の出入りなどについてもいくつかの協定書を交わしていた。そんなこともあって、地域の新旧住民の小学生たちの通学路の安全に、少しでも力を貸すことが出来たらとの思いで、横断報道の見守りを続けて来た。後半は、ボランティアの参加者は減って、寂しかったが、曜日を決めて見守ってきた。

ほかの場所で、個人の立場で、黙々と見守りをする方もいらしたし、お孫さん二人が小学校を卒業するまで、校門前まで付き添っての送迎をし、他の児童を見守る方もいらした。朝の登校時は、PTAの保護者たちの当番制で、広範囲の幾個所かで見守りが実施されている。下校時は、青色パトロールの人たちが信号機のある横断歩道で整理をされていた。登校時、ご一緒した、若いお父さんやお母さんたちは、7時過ぎから30分ほどの時間帯なので、時計を気にしながらの人たちが多かった。思わず、「あとは私たちでやりますから」と声を掛けることもあった。下校時には、移動交番の女性警官たちと一緒になることもあった。私たちには、月末になると、小学校の教頭先生から、つぎの月の下校時一覧と行事日程が届けられた。

千葉県松戸市の小学生殺人事件で逮捕された容疑者が、保護者会の会長で小学生の登校見守りをしていたということで、保護者の見守りやボランティアによる見守りが脚光を浴びることになってしまった。少女やその家族、地域や児童たちにとっても、不幸な事件となってしまった。

私たちの地域では、この8年で、マンションから通学する小学生は、1人から始まり、今は60人以上の集団となった。今どきの小学生は、ランドセル以外の荷物が多い。さまざまな図工の作品だったり、ピアニカだったり、書道具だったりする。「きょうはプールだったんだよ」と、濡れた水着袋を提げてくる男の子、収穫物の大きなサツマイモを見せてくれる女の子、虫かごのバッタを大事そうに見せてくれる男の子、そうしたふれあいは、季節の移り変わりや遠い昔を思い起こさせてくれた。登校時も下校時も、おしゃべりに夢中な女の子たち、走ったり、ふざけあったりしながら横断する男の子には、注意する。旗を持たない手でのハイタッチ? が続くこともある。「いつもありがとうございます」なんて上級生の女の子に言われたりすると、ホロっとしたりもする。

見守りを始めたころ、1年生だった児童が、制服を着た中学生になり、ランドセルが重そうなリュックサックに代わり、挨拶をして通り過ぎてゆく。いつも図書館の本を抱えていた小学生が、わき目もふらず慎重な自転車通学をする中学生になっていた。

長いようで、短い年月だった。私は、時間の都合や体調のこともあって、この3月で辞することを決めた。協力してくれたドライバーたちに感謝しながら、ここでの事故がなかったことにほっとしている。こうした見守り活動は、その時の自治会(長)、その時のPTA(会長)、その時の校長・教頭先生により、かかわり方が随分と違うことも分かって来た。校区内の見守り個所を見まわる校長先生もいたし、ボランティアとの懇談会開いたり、行事に誘ってくれる教頭先生もいた。

こうした活動は、地域住民と小学校・行政、何よりも子供たちと大人たちとの信頼関係を大切しなければならない活動には違いない。 

これからのボランティア

高齢社会、退職者大量時代にあって、元気な退職者たちが「地域デビュー」と称して、自分探しや居場所探しのために、ボランティア活動に参加する人も多い。この頃、新聞やテレビでも、この「地域デビュー」を扱うことも多くなった。働く女性が増加する中で、濃淡はあるものの、それでも、女性の方が、子育てやサークル、日常生活を通じても、時間をかけて、地域とはなじんできていることが多い。男性たちはというと、「デビュー」するや否や、これまでの職業生活での経験や知識を「活かし」、早急に「実績」を残そうとする人たちを、私は、多く見て来たような気がする。自治会活動やサークル活動、市民運動にあっても、その行動様式に共通点が見出されるのである。たとえば、これまで、慣例や緩いルールの下で定着してきた活動に飛び込んできて、まず、組織の在り方に着目するらしく、役職固め、会則・規約づくりや改正に乗り出す。これまでは運用と知恵で何とかやってきたことが許せないらしく、細かいことをも決めたがったり、自治体との連携を強めて権威づけをしたりする。こうした傾向は、現役時代、役職者だった人に多い。現実は、そんな規則に、すぐ反応するわけもないが、「私が改革してやった」みたいなことを言う。思うようにいかないと、さらに、新しい組織や会、NPO法人を立ち上げたいとする人たちもいる。そのリーダーになれば、居場所づくり完成である。割れ窓理論とか、報・連・相(報告・連絡・相談)が要とか、シニアには、きょういく・きょうよう(今日行く・今日用)が必要だとか、そんな古めかしい話を何度聞かされたことだろう。

そうした活動が、自分の「趣味」の世界に徹していれば、比較的影響も少ないのだが、ことによったら、周辺の住民や仲間にとって迷惑極まりないことになる可能性もある。もちろん地道に、黙々とボランテイア活動にいそしむ人たちも多い。私もそんな人たちの背中を見て、自分の生き方に向き合いたい。

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2016年10月19日 (水)

日曜日は、池袋第五小学校のクラス会でした

 幹事の方々のお世話で、4年ぶりのクラス会だった。2年持ち上がりの担任のO先生の米寿のお祝いの会でもあり、ホテルの一室の壁には、幹事手づくりの「会次第」が貼られていたが、「旧池袋第五小学校」と「旧」が付いているのが、やや寂しくも思えた。すでに2005年、大明小学校との統合で「池袋小学校」と校名が変わっている。集うもの、昔の児童14人と賑やかであった。

O先生は、相変わらず絵画の制作にいそしみ、お元気そうで何よりだった。長い間所属されている「白日会」では、年会費が免除される特典に浴する年齢になられた由、感慨深げに話された。健康の秘訣はと問われ、まだ人が出歩かない早朝に、ほぼ毎日「歩く」ことではないか、とも語っていた。言うは易くしてと、わが身を振り返るのだった。

 私たちのクラスは、先生が教職について初めて送り出した卒業生だったという。先生が詰襟の学生服で写っている遠足の集合写真もある。たまたま隣になったOくんは、だいぶ前、先生の個展が地元の三越で開かれているのを知って出かけたところ、数十年ぶりの対面にもかかわらず、名乗る前に、先生から名前を呼ばれて、驚くとともに感激したとのこと。また、Sくんは、遠足で高尾山の頂上からの眺めに、隣の先生に「スゴイね、お父さん」と思わず叫んでしまってはずかしかったけれど、思うに、五人兄弟で、父親との接触が少なかったこともあって、たしかに先生は「お父さん」のようでもあったと。Tさんは、先生が風邪かで休まれたときに、放課後、何人かで、先生の住まいを訪ねて、小さな家の節穴から中をのぞいて帰って来てしまったとのこと、いや、私の記憶では、先生の家に皆で上がらせてもらった覚えがあるので、別の時だったかもしれない・・・。そんな話で盛り上がったが、まるで、『二十四の瞳』のような、と思ったものである。といっても、私たちのクラスは卒業時、55人だったので、「一一〇の瞳」ということになりそうだ。先生も、子どもたちの親たちも、苦難の時代、昭和20年代、池袋の話である。 

 

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池袋東口、パルコ(旧丸物百貨店)が途切れ、左に西口へのガードを見て、第2パルコの先が、線路沿いの池袋駅前公園となる。この公園の位置こそ変わらないが、当たりは一変している。クラス会会場は、右手の第一イン池袋だった。もちろん、こんなところにホテルがあるのも、ルノアールが入っているのも知らなかった。正面が、西武池袋スケートリンク跡に建てられた清掃工場の煙突で、これはかなり遠くからも見られる高さである。スケートリンクの手前には、人世座系列の名画専門の「文芸地下」があった。そういえば、第一インの手前の角から、池袋日活、池袋東急、池袋日勝館という映画館が並んでいたはずである。 今は、ビッグカメラとヤマダ電機が並んでいる。先生が長い間個展を開いていらした池袋三越は、今はヤマダ電機の本館である

 

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2016年1月23日 (土)

「その結論出すなら要らぬ有識者(荒川淳)」(「仲畑流万能川柳」毎日新聞2016年1月19日)~研究者は、今

 以下のエッセイは、昨年10月、日本科学者会議の知人に勧められて寄稿したものである。私は研究職に就いたことはないので、会員ではない。すでに旧聞に属する内容を含むものの、研究者や専門職の人たちが、改憲や戦争法整備に向かう安倍政権に抗議し、暴走を止めるべく、反政府運動の理論的な核となり、運動の支柱となることを信条に、かなり重なるメンバーで、あらたな会を立ち上げては記者会見などを開いている様子を目の当たりにする。しかし、これで、ほんとうに市民と一緒に安倍政権を倒す力になるのだろうかと、違和感を募らせ、焦ってしまうのである。あのとき立ち上げた会はどうなったの?と突っ込みたくもなる昨今なのである。そんな折、表題のような川柳を見つけた。私の駄文は、川柳一句に及ぶものではないが、再録しておきたい。

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             研究者は、今

    20147月、安保法案が閣議決定されたあたりから、研究者や大学人、弁護士会はじめ種々の専門家集団による法案に対する反対声明や抗議活動が活発になった。廃案運動では市民の先頭に立っての活動も顕著となり、マスメディアへの露出度も高くなっている。研究者が、研究室に閉じこもることなく、積極的に社会に向けて発信し、社会的活動をすることには大いに期待したいところである。 私自身は、11年間の公務員生活をはさんで、三つの私立大学の職員として20余年間、働いてきたが、研究者ではない。ただ、近頃、大学教員でもある夫とよく話題にもすることで、考えさせられることがある。私が大学の職員時代に、同僚とは、大学の先生の「昼と夜を知ってしまったね」と冗談を言い合ったこともある。「昼と夜」は「建前と本音」と言い換えてもいい。その落差もさることながら、時間軸で見たときの「ブレ」の在りようにも、疑問を感じることが多くなったのである。研究者たちの安保法案廃案運動やさまざまな発言の足を引っ張るつもりは毛頭ないが、最近の動向に着目したい。実名を出した方が、分かりやすいのではと思いつつ、ここでは控え、なるべく実例に沿って進めたい。

 

動員される研究者たち

 「UP」(東京大学出版会の広報誌)10月号には、「安倍談話とその歴史認識」(川島真、東アジア政治外交史)という文章があった。「安倍談話」には一言も二言もあるので、飛びついて読んでみた。執筆者は、北岡伸一らとともに「二十一世紀構想懇談会」の一員だったはずである。だから、内容的にはある程度予想はできたのだが、かなり客観的な筆致で「安倍談話」の意義と一定の評価を与えるというのが基調であった。そこでは、「村山談話」など歴代内閣の談話を「全体的に引き継い」でいるのであって、個別的には、日露戦争に高い評価を与え、満州事変以降の国際的潮流に反し国家の進むべき道を誤ったという見解は、先の懇談会の提言書に即しているといい、謝罪を子子孫孫まで引き継がせたくないとしながらも、「世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合う」とする部分があるのに、メディアは注目していない、とも指摘する。さらに国際社会の反応として、反省や謝罪が引用であり、謝罪を継承させないと印象付けたことに言及する一方、日本の「侵略」は満州事変以降とした認識については、一定程度の成果をおさめたとする。国内のメディアは、総じて肯定的な評価がやや高かったように思え、内閣支持率も一定程度回復し、政府にとっては意味があったのではとした。最後に「戦後日本政治で最も保守的とも言われる安倍政権で、最もリベラルな政権の一つとされる村山談話を引用し、継承したことは、日本政府の歴史へのスタンスの幅をほぼ決定づけることになった」と結論づけた。こうした結論に至るのは、もちろん自由であるが、執筆者は、文中においても、肩書においても、二十一世紀構想懇談会のメンバーであったことはどこにも記していない。編集者のことわりもない。懇談会のメンバーであったことは、むしろ積極的に公開した上で、私見を述べるべきだったのではないか。どこかフェアでないものを感じるのだった。

  上記懇談会は、首相の私的諮問機関であったが、行政が日常的にあるいは臨時に設ける、いくつかの審議会や諮問機関、あるいは企業が不祥事を起こしたときなどに立ち上げられる第三者機関には、有識者や専門家として、必ず研究者が起用される。そんなとき、「第三者」というよりは、大方は、設置者の意向に沿うような委員がまず選ばれ、そうではない委員も公平性を担保するかのように混入させるのが常である。設置者の事務方が作成した原案がまかり通る場合も多い。審議会行政と呼ばれる由縁である。今回の懇談会と談話作成過程の検証は今後の課題となろう。

 

時流に乗りやすい研究者たち

すでに引退した政治家が、とくに、自民党のOBの何人かが、いまの自民党の安保法制に真っ向から反対の意見を言い出すと、それをもてはやすメディアや野党にも、なぜか不信感が募るのだ。現役時代の数々を、過去を、そう簡単に水に流せるものなのか。「あの人さえ、いまは!」と時流やご都合主義になだれうっていくのを目のあたりにするのは、やり切れない思いもする。もともと、どこまで信用していいかわからなかった面々たちだからと、つい気を緩めてしまうこともある。

しかし、研究者の場合、専門性や論理性が求められているだけに、数年前に言明していたことと真逆のことを言い出したり、攻撃の対象としていた考え方に乗り換えられたりしたら、戸惑ってしまうではないか。周囲の状況が激変したからとか、自分が成長した証だと言われてみてもにわかに信じがたい。また、微妙な言い回しで、自らの立ち位置を目立たぬようにずらしてしまうという例もある。階段教室に、みんなで並べば怖くないみたいなノリで記者会見に臨んだりしているのは、いささか研究者らしからぬと思うのは、私だけだろうか。目立つところには喜々として立つが、事務方や裏方を好まず、職場や地域での地道な活動には身が入らないという例も意外と多いのがわかってきた。国際政治学専攻の知人が隣家の猫が自宅の庭に侵入して、悪さをするので困っている、と話しているのを聞いたことがある。全然話し合いにならないものだから境界に薬剤を撒いているとのことだった。国境紛争や国際政治を大局的に捉えている専門家なのにと、思ったことだった。

(『日本科学者会議東京支部個人会員ニュース』No.105<戦争法制と私>特集増刊号1110日、収録)

 

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2015年10月23日 (金)

「放送大学、政権批判の問題文削除」が問うもの

 「UP」という東京大学出版会の広報誌がある。出版会新刊書の著者によるエッセイであったり、植物や建築探索であったり、かなり幅が広い。 私が楽しみにしているのは、「すずしろ日記」という美術が専門の山口晃さんの連載マンガと、もう一つは、日本美術史専攻の佐藤康宏東大教授の「日本美術史不案内」という2頁ほどの連載である。マンガは、中年の共働き夫婦のペーソスあふれる日常が描かれていて面白い。「不案内」の方は、古今東西の美術作品・美術書・美術展や芸術家を対象に、最近のトピックスを交え、様々な切り口での「案内」は新鮮で、楽しい。ところが、10月のはじめに届いた10月号は違っていた。「日本美術史不案内78」は「政治的中立」と題され、津田清楓の「ブルジョア議会と民衆生活」(1931年)と題された議事堂の絵と山口逢春の「香港島最後の総攻撃図」(1942年)の写真が目を引いた。

 放送大学客員教授でもある佐藤教授の担当は放送大学「日本美術史」である。今回のエッセイでは、2015年度第1学期の自分の試験問題文(726日実施)の冒頭部分を、まず引用していた。

― 現在の政権は、日本が再び戦争をするための体制を整えつつある。平和と自国民を守るのが目的というが、ほとんどの戦争はそういう口実で起きる。一九三一年の満州事変に始まる戦争もそうだった。それ以前から政府が言論や報道に対する統制を強めていた事実も想起して、昨今の風潮には警戒しなければならない。表現の自由を抑圧して情報をコントロールすることは、国民から批判する力を奪う有効な手段だった。

 

この問題文に対して、試験の終了後、受験者のひとりから、「現政権への批判は審議の事案への意見は、教育者による思想誘導と取られかねない」とのメールを受けた放送大学は、大学生用のサイトから、この部分を「不適切であったため削除」した。放送大学が一方的に不適切として判断し、一部を削除したのは不当な措置だと考え、撤回を求めたが、容れられず、客員教授を辞した、という経緯が書かれていたのである。

  試験問題の冒頭部分は戦前戦中期の美術について、いまに生きる自身の問題として考えてほしいという受験生へのメッセージであったという。そして、放送大学が放送法に規制されるのはわかるが、として、最後に「政治的中立とは政権から距離を保つことであって、政権の意向を慮ることではない」と結ぶ。

私には、問題文の全容がわからない。どんな文脈の中での文章だったのかも覚束ないながら、1020日、『毎日新聞』が最初に報道した。手元の新聞とその後、調べた範囲でまとめてみる。

1020日『毎日新聞』「放送大 政権批判の問題文削除 単位認定〈試験に不適切〉」(日下部聡)

1020日 0955

― 放送大は単位認定試験の過去問題と解答を学生ら関係者だけがアクセスできるサイトに公開している。佐藤氏によると、7月28日に大学の事務担当者から「学生から疑義があった」として、学内サイト公開前に問題の削除や修正を求められた。

― 佐藤氏が大学側の求めを拒むと、該当部分の削除を通告する文書が8月上旬、宮本みち子副学長名で届いた。削除理由として「現政権への批判が書かれているが、設問とは関係なく、試験問題として不適切」「現在審議が続いているテーマに自説を述べることは、単位認定試験のあり方として認められない」と記されていた。

― これに対し佐藤氏は納得せず、昨年度から2019年度まで6年間の契約だった客員教授を今年度限りで辞めると大学側に伝えた。佐藤氏は「学生に美術史を自分のこととしてリアルに考えてほしかったので、この文を入れた」と説明した。その上で「大学は面倒を恐れて先回りした。そういう自主規制が一番怖い」と話す。

②『日本経済新聞電子版』(1020 13:00配信)(共同配信)「放送大、政権批判の試験問題文削除 「学問の自由侵害」の声も 

― 佐藤教授は「自分自身の問題としてとらえてほしいと思って書いた。試験問題まで制約を受ける

のは大変遺憾だ」と話している。

― 一方、来生新・副学長は「放送大学は放送法を順守する義務があり、放送法4条には『政治的に公平である』と定められている。意見が分かれている問題を、一方的に取り上げており不適切」としている

③『朝日新聞』(102113版)「政権批判の問題文削除 放送大〈中立性に配慮〉」(伊藤あずさ)

*デジタル「放送大学、政権批判の問題文削除 作問者〈過剰な規制〉」

10210723 

― 単位認定試験の問題に安倍政権を批判した文章が含まれたのは不適切だったとして、放送大学が学内サイトに掲載する際に該当部分を削除していた。大学側は「放送法により、政治的に公平でなければならない」と説明する。だが、総務省放送政策課の担当者は「今回のケースは法に触れず、試験まで規制対象としたのは無理がある」と指摘。

― 作問した放送大客員教授の佐藤康宏・東大教授(60)は「戦前・戦中期の美術史について、学生に自分たちの身近な問題に引きつけて考えてもらうために必要」と説明した。(中略)「学問の自由が認められず残念だ」と話した。

― 来生(きすぎ)新・副学長は「放送法の規制を受け、一般大学より政治的中立性を配慮しなければならない。試験問題も放送授業と一体。問題文は公平さを欠くと判断した」と削除理由を説明した。 

④『産経ニュース』(1021 15:30 「放送大学、単位認定試験で“偏向”問題を出題 〈現政権は再び戦争を始めるための体制…〉指摘受けサイトから削除 

― (放送大学側は)佐藤氏に対し、文書で「現政権への批判が書かれているが、設問とは関係なく、試験問題として不適切」「現在審議が続いているテーマに自説を述べることは、単位認定試験のあり方として認められない」として削除を通告した。佐藤氏は「試験問題は放送法の適用を受けないのではないか」「同意なく削除されたのは著作権の侵害」などと反論し、今年度限りで辞任する意向を大学側に伝えたという。 放送大は一般大学と異なり、放送法を順守する義務を負う。

― 放送大の来生(きすぎ)新(しん)副学長は削除理由について「政治的に公平で、意見が対立している問題は、できるだけ多くの角度から論点を明らかにしなければならない。 

⑤『NHKWebニュース』(10202211)客員教授の問題文「公平性欠く」 放送大学が一部削除

― 佐藤客員教授は、ことし7月に行われた日本美術史の単位認定試験で、戦前・戦時中に国に弾圧されたり軍に協力したりした画家に関する問題文の冒頭に、「現在の政権は、日本が再び戦争をするための体制を整えつつある」などと記しました。

― これについて放送大学は、放送法に照らして「公平性を欠き不適切だ」などとして、その後、学内のオンライン上に試験問題を公開する際に文章の一部を削除しました。

佐藤客員教授は「学生には戦前・戦中の美術について自分自身のことに引き付けて考えてほしくて文章を入れた。大学側の対応は、批判が来ることをおそれた過剰防衛ではないか」と話しています。

一方、放送大学は「意見が対立する問題について一方的な見解を伝えるのは、放送法上不適切だと判断しただけで、政権批判をしたから削除したわけではない」としています。

大学側の措置に対して佐藤客員教授は「みずからの著作物である試験問題の一部を同意を得ずに削除されたことは遺憾だ」として今年度限りで辞任すると申し出て、大学側も了承しました。その結果、平成31年度まで担当することになっていた日本美術史の講義も今年度かぎりで終了することになりました。 

これらの報道を、時系列でみると、NHKは、毎日や日経(共同配信)の報道を受ける形で、報道した形跡がある。他の報道と比べ、事実関係で気になるのは、670人のうちの1人の受験生からメールで抗議を受けたことから始まった件であったことが伝えられていないことだろうか。それに、もう一つ。1020日の夜10時過ぎにNHKオンライン上で配信されたウェブ・ニュースが上記⑤なのだが、この前後のテレビのニュース番組「ニュース7」「ニュースウォッチ9」「News Web」で放映されていないことはNHKにも確認した。明言できないが、おそらくテレビでは報じられていないだろうとのことだった(NHKには、チェックの手立てがないそうだ?!)。

ということは、ネット上の配信だけで、テレビには登場しないニュースであった。テレビやラジオには登場しない、ウェブ上だけの“お蔵入り”の「その他のニュース」が存在する。何を放送・放映するかは、編成次第なのである。

一方、「表現の自由」「学問の自由」「大学の自治」が、さまざまな形で、徐々に侵されてゆくなかで、研究者や大学人たちが、研究室に閉じこもるのではなく、社会に向かって発言したり、社会的活動をしたりする積極性は、大いに評価されるべきだろう。しかし、そこにはおのずから、専門性と倫理性が問われるべき時代にもかかわらず、いたずらに衒学的だったり、簡単に時流に乗ったりして、自己顕示や欲望に抑制を欠く研究者が目立つことも確かで、生活者たる市民の感覚を忘れないでほしい、と思う。

<参考>

放送法

(放送番組編集の自由)

第三条  放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。

(国内放送等の放送番組の編集等)

第四条  放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。

  公安及び善良な風俗を害しないこと。

  政治的に公平であること。

  報道は事実をまげないですること。

  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること

<追記>10月25日

上記記事執筆後、以下の記事を見出しました。弁護士の金原氏とお笑いの「おしどりマコとケン」さんの3人は、いずれも放送大学大学生の現役生で、私たちのアクセスできない情報にも接し、マコとケンさんは、渦中の佐藤教授に「突撃取材」をしています。関心のある方は是非お読みください。

 

①弁護士・金原徹雄のブログ

http://blog.livedoor.jp/wakaben6888/archives/45780419.html

20151024

放送大学長「単位認定試験問題に関する件について」を批判的に読む ※追記あり

20151022

放送大学「日本美術史('14)」単位認定試験にかかわる見ごせない大学の措置について ※追記あり

 

 

OSHIDORI Mako&Ken Portal / おしどりポータルサイト 

L.C.M.PRESS Oshidori Mako&Ken mako oshidori

2015-10-24 取材最新記事

 

放送大学:政権批判を自主規制① 「政治的中立とは、政権から距離を保つこと」

 

放送大学:政権批判を自主規制筆者が学長に出した速達

 

放送大学:政権批判を自主規制 学長の説明に疑問 岡部洋一放送大学学長さま 

 

 

 

 

 

 

 

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2013年8月11日 (日)

『天皇の短歌は何を語るのか』(御茶の水書房)刊行のご案内

猛暑お見舞い申し上げます。

このたび、『天皇の短歌は何を語るのか』が上梓の運びとなりました。『短歌と天皇制』(1988年)『現代短歌と天皇制』(2001年)につづくテーマですが、店頭で手に取ってご覧いただければうれしいです。じっくり読もうと、もし思われましたら、ご購入いただければありがたいですが、なにせ 高額なものですので、近くの図書館にリクエストしていただければ幸いです。

本書には、今回初めて、索引を付しました。人名索引だけですが、面倒な作業となりました。ミスなどないか心配です。

また、短歌総合誌などに寄せたエッセイなど幾つかを、コラムとして収録しました。相変わらずながら、多くの図表や年表を作成いたしましたので、本文の補足になれば何よりと思っています。

このような表紙のカバーとなりました。若生のり子さん、ありがとうございました。菊をテーマに、重くならず、「青い花火」のような涼しさも感じられますが。

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<御茶の水書房HP>よりNEW
『天皇の短歌は何を語るのか
―現代短歌と天皇制』

         著者:内野光子
    2013年8月刊行
       定価:3990円(本体3800円+税)
    ISBN:978-4-275-01044-5

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『天皇の短歌は何を語るのか―現代短歌と天皇制』 目次

Ⅰ.天皇の短歌は何を語るのか―その政治的メッセージ性

1.昭和天皇の短歌は何が変わったのか

.象徴天皇の短歌―皇統譜と護憲とのはざまで

3.天皇の短歌、福祉・環境・災害へのまなざし

4.天皇の短歌、平和への願いは届くのか 

Ⅱ.勲章が欲しい歌人たち―歌人にとって「歌会始」とは
1.勲章が欲しい歌人たち
2.芸術選奨はどのように選ばれたか
3.戦後64年、歌会始の現実
4.「歌会始」への無関心を標榜する歌人たち
.「歌会始」をめぐる安心、安全な歌人たち
6.東日本大震災後の歌会始
7.「社会詠」論議の行方                                                                     

Ⅲ.メディア・教科書の中の短歌
1.短歌の「朗読」、音声表現をめぐって 
2.竹山広短歌の核心とマス・メディアとの距離  
3.教科書の中の「万葉集」「短歌」  
.主題の発見―国家・政治・メディア
5.中学校国語教科書の中の現代歌人―しきりに回る「観覧車」

Ⅳ.『ポトナム』をさかのぼる
1.小島清、戦前・戦後を「節をまげざる」歌人
.『ポトナム』時代の坪野哲久 
.内閣情報局は阿部静枝をどう見ていたか―女性歌人起用の背景―  
4.醍醐志万子―戦中・戦後を一つくくりに
.『昭和萬葉集』に見る『ポトナム』の歌~第五巻・第六巻
  
(一九四〇~一九四五年)を中心に

コラム7件
図表・年表13件 

あとがき
人名索引

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家の前の駐車場側溝の根性スイカ、二つ目はかなり大きくなりそうです。三つ目がすでに向うがわに実り始めました。一つ目は、大きくならない前に、満身創痍、朽ちてしまいました。

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2012年11月 1日 (木)

小学校の「ふれあいコンサート」に招かれて

 ここ4年ほど、地元の小学校の通学路で、交通見守りのボランティアに参加している。そのためか、合唱発表会に招かれた。遠い昔の娘の合唱祭以来である。NHKの合唱コンクールの中継などを聞いても、各地区の代表校だけに、その歌声があまり整い過ぎていたり、過酷な練習風景が紹介されたりすると、興味を失いかけることもある。 
 きょうのコンサートは、ボランティアであいさつを交わすようになった児童やご近所のお子さんの顔が見えるので、親しみやすい。通学路では、いつもおしゃべりに余念のない女の子がきりりと指揮をとっていたり、また、休日は、バットを背に自転車で走り去っていく野球少年が鍵盤ハーモニカに懸命に取り組んでいたりする姿などは、微笑ましく、頼もしい。
 幕開けは、合唱部の「くじら」(谷川俊太郎作詞 松下耕作曲)「学校へ行きたい」(里乃塚玲央作詞 大田桜子作曲)だった。「くじら」はアカペラで苦労の跡が見えた。後者は、昨年のNHK合唱コンクールで歌った曲ということで、「きのうテレビのニュースで どこかの国の難民キャンプを見た 救援物資に並ぶ子供たちが カメラをまっすぐ見つめていた」の歌詞に引き込まれ、確かに力強い。各学年がそれぞれ合唱曲と合奏曲を演ずる。合唱曲の3年生「すてきな友だち」(梶賀千鶴子作詞 鈴木邦彦作曲)、5年生「夢を抱いて」(富岡博志作詞作曲)、4年生「未来へのステップ」(松井孝夫作詞作曲)、6年生「未来への賛歌」(?)は、いずれも私など初めて聴く曲だった。それらの詩を帰宅後検索して、あらためて眺めてみると、どれにも、未来・夢・明日・仲間などの言葉が頻繁に登場し、抽象的で優等生的なのが気になりだした。2年生「黄色いリボン」、5年生「カルメン前奏曲」などの合奏にはなぜかホッとしたのだった。 最後に、全校生徒が歌ったのは「地球星歌」(ミマス作詞作曲)であった。
 私の池袋第五小学校時代、なんのコンクールだったのだろう、豊島区の代表として日比谷公会堂で「花」を歌ったのを思い出す。いまでも口をついて出る「花」はアルトの部分である。指導にあたったO先生、怖い先生だった。お住まいがずーっと私の実家の近くで、義姉によれば、亡くなる直前まで、煙草を買いに来られていたそうだ。それも数年前の話になってしまったが。

 

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2011年10月18日 (火)

思いがけずに、東陽小学校で

 教科書研究センターでの調べものが必要になって、また出かけることになった。地下鉄東陽町駅前には、大正時代に短期期間ながら、母が務めたという東陽小学校がある。このたびは、せめて門の前から覗いてみようと、四ツ目通りから深川高校との間の道を入った。通用門へどうぞの表示に従って西側に回ると、真新しい看板があって、少し奥まったところに門はあるが、しっかりと閉ざされていた。ちょうど給食の時間なので、惣菜の匂いがただよってくるだけで、昇降口も暗くてよく見えない。永代通りに面した角の公園の方からは、校庭も「東陽小学校」という屋上の看板もよく見えた。門から引き返そうとしたとき、自転車で戻ってこられた先生だろうか、女性が門扉を開けている。思わず声をかけてしまった。

「スイマセーン」とオバサンの図々しさである。「昔、大正時代末に、私の母がこの小学校に勤務していたと聞いていたので、訪ねてきました。古い資料、古い職員名簿のようなものがありましたら、もし、母の痕跡など見つけられたらと思いまして・・・」と一気にしゃべると、意外にも、「ちょっと待ってください」とおっしゃって校舎に入って行かれた。思いがけず、「お入りください、年表などご覧になりますか」と2階に案内された。校長室の横の壁いっぱいに年表が貼られていた。創立は、明治33年、1900年だった。先ほどの先生は、校長室から古い年報のようなものを数冊と記念誌をもって来られた。いちばん古いものが昭和5年、第三号となっていた。母が在職していたのは、正確なところは分からないが、大正15年(19261月生まれの長兄を身籠ってから、池袋からの通勤が大変で退職したと聞いていたので、大正14年までだと思う。結婚後に前任校の千葉県佐原小学校から東陽小学校に転勤したとも聞いているから、わずかな期間であったと思う。母の名前を告げて、その先生と一緒に調べたが、まず、大正時代の記録は出て来なかった。「余部がありますので、参考までに」と70周年と90周年の記念誌を頂戴した。百周年を記念してできた「資料室」が3階にありますと案内もしてくださった。広い教室分がそっくり資料室になっていて、年表や写真などは壁に、ガラスケースには、アルバムや教科書などさまざまな資料がおさめられ、オルガン、ミシンなども展示されていた。年表によれば、1923年関東大震災で焼出、19253月近隣民家出火による類焼、19448月新潟県への集団疎開、1945310日の東京大空襲で全焼、19499月のキティ台風で床上150㎝の浸水の被害に見舞われていることがわかる。資料・記録へのダメージは壊滅的であったこともわかった。

50回忌も過ぎた母への思い入れから、当方の勝手な感傷から突然訪ねた東陽小学校であったが、思いがけず、親切な先生にお会いできて幸運だった。お昼休みをそっくりつぶしてしまった申し訳なさでいっぱいだった。「いえ、お昼休みだったからご案内できました。お役に立てなくて・・・」ともおっしゃって、校門で別れる際に、名乗ってくださったK先生、ありがとうございました。

真新しい校名の看板は、裏から見ると「創立110周年記念」とあった。昨年建てたものらしい。

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2011年10月 9日 (日)

久しぶりの国際子ども図書館と初めての教科書研究センターへ

台風が過ぎたので

6月に検定済みの中学校教科書の展示会に出かけたことは前に書いた。来年度から使用する教科書と現在使用中(平成18年度、2006年~)の 教科書の両方を閲覧した。国語、なかでも近代・現代短歌や古典和歌がどう扱われているかが、気になったので、その後もネットで調べたりしたが、いま、一度全出版社の教科書の旧版・新版を現物で確かめたかった。できれば、私が使用した教科書の一部が物置から出てきたり、娘が置いて行った教科書もあったりしたので、国語教科書の変遷も調べたいと思った。

国際子ども図書館は、国立国会図書館の分館でもあり、かつての帝国(上野)図書館を全面改修して2000年にスタートしている。私が国立国会図書館に勤めていた頃の同僚であり、大学の後輩でもあった友人が、数年前まで仕事をされていたところだったが、つい最近、そのお連れ合いから半年間の闘病の末、亡くなったことを知らされた。たしか今年の年賀状には、名古屋の大学で図書館学を講じているとの近況が書き添えられていたはずである。いまだに信じられないまま・・・。

樋口一葉や斎藤茂吉も通った帝国図書館、その雰囲気も一部に残されている螺旋階段を上ると、閲覧室で、児童書・児童文学の研究書の開架の端に教科書コーナーはあった。ここは、新しい教科書、平成14年度以降の教科書しか所蔵していないとは聞いていたが、開架ということもあって、何回かコピー依頼をしているうちに、時間が惜しくなって、とうとうランチ抜きで頑張ってしまった。今にも雨が落ちそうな空模様に、留守番の飼い犬が気になり、上野駅まで急ぐ。博物館の裏側のイチョウ並木は、昨夜までの台風15号で、たくさんの葉を落とし、まだ舗道に重なり合っているありさまだった。博物館の正門付近は、「空海と密教美術展」に並ぶ中高年の列、動物園方面からは、大きなバッグを肩にかけ、駅へとダッシュする修学旅行生たち、いずれもいつか見てきたような光景であった。

朝夕の寒さが身にしみて

朝から晴れ上がったことでもあり、深川の教科書研究センター付属図書館に出かけることにした。

東西線の東陽町から錦糸町駅行バスで三つ目のはず。にぎやかな街を通り抜けてゆく。すぐ右手には、江東区役所と防災センターの文字が見える。やがて、渡る橋は停留所名にもなっている井住橋、渡る川は横十間川、イースト21という高層のビル群、ホテルやショッピング街になっているらしい。さらに左手には、釣り堀が見えてきて、河岸が公園のようになっていた。千石2丁目で下車、交差点で迷って、不動産屋に飛び込み、道を尋ねてしまう。なんと、カウンターデスクに座っていた人が出てきて、センターのビルが見えるところまでと案内してくれるではないか。

 この図書館は、開館日が週の前半だけで木曜から日曜までが休館である。吹き抜けのわきの階段を上がると2階が閲覧室、まず、見取り図で、各時代の教科書の位置を確かめる。そして、ここでのコピーは、申込書記載は必要だが、自分でとれるのがありがたい。ただし、1枚30円!高いと思っていた国立国会図書館の25円よりさらに高い。それでも開架なので、ついついコピー個所が増える。私の時代の教科書は、現物ではなく、コピーを綴じたものもだいぶあった。当時の教科書は、ほとんどが、A5であって、紙質も頁の端からくずれて来そうな感じである。 いまのカラフルな豪華さは、まるで絵本のようでもあり、カタログのようでもあって、重いのではないかとさえ思える。また、最近、知人から教示された、当時にしてはかなりリベラルな内容であり、編集だったという岩波書店が昭和9年(1934年、復刻1988年)発行した「国語」10巻を見ることができた。今回、調べた内容や分析については、これから少しまとめたいと思っている。

 この日も、ランチ抜きのまま、4時近くまで、コピーを繰り返した。帰りは、バスを待つよりはと歩いてみた。すると、下校時の高校生が歩道に溢れ始めた。大通りに面した校門には都立深川高校とあった。まだ地下鉄の東西線がなかった頃、父と、母がわずかな期間だったが、大正時代に勤めていた東陽小学校を探したことを思い出した。あわてて地図を見ると、なんと深川高校の裏手が東陽小学校だったのである。結婚が決まると母は、実家のある千葉県の佐原小学校から東陽小学校に転勤したという。病院に薬剤師として勤務していた父が、やがて池袋の地に薬局を開くのだが、母は、池袋からこの東陽小学校に通勤していたという。当時の交通事情からいえば、気の遠くなるような話だ。やがて、長兄を身籠ると、母は教師を辞めざるを得なかった、という話は何度も聞かされていた。大正時代の自由教育の風に吹かれながら、若き教師の母が仕事に励んでいた地である。街の様子こそ激変しているだろうが、私もいま、その地を歩いているという感慨は格別だった。母は早逝して50年以上が経ち、父もその10年後に亡くなった。そして、大正15年生まれの長兄の七回忌も今年の夏にすませたところであった。この界隈、もう一度ゆっくりと訪ねてみたい。 

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帰路、小松橋通りの奥に見えるスカイツリー

 

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2011年7月18日 (月)

佐倉市、ようやく第3回空間放射線量測定~依然として高い放射線量~

 佐倉市は、715日、14日までの測定分の結果を発表した。これまで5月、6月に実施された測定の対象になっていなかった35か所の測地結果である。これで、佐倉市内の保育園(18)、幼稚園(13)小学校(23)、中学校』(11)及び公園7か所の合計72地点での調査が終わったことになる。大震災、福島第1原発水素爆発以後4か月も経ってのことである。測定地点が異なるので、同地点での比較はできないが、佐倉市内の施設の放射線量は相変わらず高いことがわかった。詳しいことは、佐倉市のホームページ、以下のサイトでご覧いただくとして、私の住む近隣の志津地区14か所 の部分だけをコピーしてみると、次のようになる。630日、79日の本ブログ記事も参照してほしい。いつまでも、文科省が発信した福島県内、学校向けの暫定措置としての見解を踏襲するばかりでいいのか、思う。

 年間1ミリシーベルトという、文科省の一つの目安で計算すると、佐倉市は0.19マイクロシーベルト/hを超えるところは3回を通じてかなりの箇所に上る。首都圏の川口市や野田市のように、これに自然界の大地からの放射線量:年間0.34ミリシーベルト、宇宙放射線量:年間0.30ミリシーベルト、合計年間1.64ミリシーベルトをという数値を加味して、0.31マイクロシーベルト/hという独自の規制基準で、屋外活動時間や立入禁止等の制限を設けている自治体もある。この基準を超える個所も、市内には少なくない。

7月13日(水)調査分【志津地区 天候:晴】

施設名(住所)

調査場所

空間線量

(地上50)
(μSv/h)

空間線量

(地上1m)
(μSv/h)

表面汚染(Bq/㎠)
※砂場のみ

佐倉市

消防組合

佐倉市

消防組合

小竹幼稚園
(小竹)

園庭・砂場

--

0.26

--

0.22

0.380

光の子保育園
(上座)

園庭・砂場

--

0.20

--

0.15

0.190

ユーカリハローキッズ

(上座)

園庭・砂場

--

0.27

--

0.19

0.262

志津幼稚園
(井野)

園庭・砂場

--

0.24

--

0.27

0.348

さくら幼稚園
(
西志津2丁目)

園庭・砂場

--

0.15

--

0.13

0.297

マミーズハンドさくら
(上志津)

園庭・砂場

--

0.25

---

0.18

0.350

志津わかば幼稚園(上志津)

園庭・砂場

--

0.36

---

0.20

0.253

南志津小学校
(下志津原)

グラウンド

0.22

--

0.21

---

---

上志津中学校
(上志津)

グラウンド

0.24

--

0.15

---

---

10

西志津中学校
(
西志津4丁目)

グラウンド

0.16

--

0.15

---

---

11

上志津小学校
(上志津)

グラウンド

0.16

---

0.16

---

---

12

小竹小学校
(ユーカリが丘5丁目)

グラウンド

0.16

---

0.16

---

---

13

井野中学校
(
宮ノ台3丁目)

グラウンド

0.14

--

0.14

--

---

14

志津中学校
(井野)

グラウンド

0.19

--

0.18

--

---

佐倉市第3回空間放射線量測定結果(715日発表)

http://www.city.sakura.lg.jp/012543000_kankyohozen/osirase/110715_housyasen.html

参考のため

佐倉市(第2回)空間放射線量測定結果(617日発表)

http://www.city.sakura.lg.jp/012543000_kankyohozen/osirase/110617_housyasen.html

佐倉市(第1回)空間放射線量測定結果(530日発表)

http://www.city.sakura.lg.jp/012543000_kankyohozen/osirase/110525_housyasen.html

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2011年7月 9日 (土)

佐倉市、近く小学校では~放射線量数値の究明を

 佐倉市が5月末と6月半ばに一部の教育施設や公園で、空間放射能線量の測定が実施され、その結果が発表されたのは、本ブログでもお知らせした。(630日付「佐倉市もホットスポットです!直ちに対策を」)

 72日(土)は、近くの小学校の授業参観と教育ミニ集会の日だった。地域にもオープンされる。自治会の役員をやっている頃は、近くの中学校のミニ集会には参加していたのだが、いまは縁遠くなってしまった。今回小学校のミニ集会に参加した友人の話を聞いてびっくりした。

その日は、日本科学技術振興財団の出前講座「放射能を知ろう」があって、校内のあちこちを簡易測定器「はかるくん」で、計ったというのだ。これは昨年度来からの文部科学省による原子力・エネルギー教育支援事業の一環だという。「はかるくん」なんてふざけた名前なのだが、今回は威力を発揮しているらしい。以前は、個人にも貸出していたが、現在は、自治体・学校関係に限っていても、順番待ちらしいことが財団の「はかるくんWeb」に書いてある。

 何に驚いたかと言えば、やはり放射線量の値だった。グランドのあちこちで0.38マイクロシーベルト/時間とか0.32とかいう数値が出ていたという。佐倉市が計ったときは0.27(地上50cm)、その日の講師の話によれば、福島第1原発の水素爆発後に飛散したもので、増えていくものではない、除染をすれば心配はない、と明言していたという。しかし、減ってはいない。小学生の保護者ならずとも、不安である。給食や屋外活動はどうであろうか。

 佐倉市は、文部科学省の福島県内学校向けの暫定措置をうのみにして「安全宣言」ばかりを続けるのではなく、他の自治体にもならって、もっと現実的に 早急に、測定の場所や頻度を増やすべきではないか。その数値の推移と共に、原因をたどり、対応しなくてはいけないはずだ。佐倉市の、この数値は、あの同心円から遠く離れた「ホットスポット」と言えるのではないか。

放射能への国民の不安を「集団的ヒステリー」という自民党石原幹事長発言、「脱原発はポピュリズム」という民主党前原前外相発言には、その根底に、国民の素朴な不安を無視し、企業利益を優先する姿勢が見える。政府や企業、時には自治体の「怠慢」や「ウソ」を後手、後手に騒ぎ立てるマス・メディアにも怒りを禁じえない。私たちは、情報に踊らされるのではなく、今こそ、冷静に、情報の海から真実をすくい、エネルギー政策の見直しや転換への道筋を考えるチャンスだと思う。

九州電力の「やらせメール」に似たケースは、これでもか、これでもかと「御用学者」の起用を憚らない政府、御用学者に加えて「御用市民」を抱える自治体にも横行しているではないか。

7月1日、思いがけず、3株目のアマリリスが咲き始めた

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