2015年7月 9日 (木)

採択を控えての教科書展示会に出かけた~「国語」のなかの<近代・現代短歌>

   「ハンパナイ」などといって、カタログハウスのダニとりシートのコマーシャルに親子で出演の俵万智をみた。今世紀に入ってからの中学生の誰もが、「国語」の時間に出会っている現代歌人である。
  近くのコミセンで教科書展示会が開催されていたので、最終日の午後、雨のなかを出かけた。展示会と言ってもロビーに長机を出してのそっけないもので、隣のホールは、ドア開放でダンスパーティーまっさかりのすごい音響である。ゾロリとした夜会服を着た女性たちがにぎやかに行き来するなかでの閲覧であった。メモをとっていると、よほどご機嫌がよろしいのか、背後から「オベンキョウですか」なんて覗いてきたりする雰囲気だった。展示の閲覧は、他に女性二人連れだけだった。

  今回も時間がなく、大急ぎではあったが、「国語」の近・現代短歌の扱い、「歴史」における敗戦前後の扱い、「公民」における憲法、なかでも天皇についての記述に着目したかった。やっぱり、初日から通うほどの時間が欲しかったと悔やまれるが、時間ぎりぎりの5時近くまでねばった。コピーがとれないというので、もっぱらデジカメで撮るのが精いっぱいで、大事なところが抜けたりしていた。

  教科書は、ほぼ10年に一度の学習指導要領の見直しがされる中で、4年に一度、検定・採択が行われる。まず、民間で著作・編集された教科書は、2年目に文科省の審議会で検定を受け、合格したものの中から各自治体の教育委員会や国立・私立学校の校長が使用する教科書を選び、その採択を前に、市民には展示される仕組みになっている。その際、採択に関しての意見や要望を投函できることになっている。今回は、2016年度4月から使用される教科書の検定結果が4月6日付で公表された。 とりあえず、国語教科書の状況を記しておきたい。

  ちなみに、筆者の住む佐倉市では、『伝え合う言葉 中学国語』(教育出版)が採択されている。

   現在、検定を受けた中学校「国語」教科書は、東京書籍、学校図書、教育出版、三省堂、光村図書 の5社から発行されている。 (以下の文部科学省「中学校用教科書目録(平成28年度使用)」では、全科目確認できる)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/h27tyuugakuitibakenkyukasysaitakuitiran.pdf

  拙著『天皇の短歌は何を語るのか』(御茶の水書房 2013年)の「中学校国語教科書の中の近・現代歌人~しきりに回る〈観覧車〉」の章でも、五社発行の2006年度、2012年度から使用している教科書の比較を試みている。今回の展示で、2016年度から使用の教科書に収録された近代・現代歌人の作品を調べてみた。
  以下その一覧と各社教科書がどう変わったか、変わらなかったかを概観してみようと思う。過去の分については、上記拙著か過去のブログ記事をご覧いただくとありがたい。

・2011年11月30日
中学校国語教科書の中の近代・現代短歌と短歌作品~しきりに回る「観覧車」http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2011/11/post-de32.html

  まず以下の収録の歌人と作品を一覧して、どんな感想を持たれただろうか。自分たちが出会った歌人と作品を思い出してみよう。私は短歌と近代の歴史事項に限って追跡してはいるが、たとえば、美術の教科書、音楽の教科書にも地殻変動は起きている。一度、お子さんやお孫さんの教科書をのぞいてみては。

(1)「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
~中学校では、“ハンパナイ”俵万智である~

 中学校で、歌人と言えば、「俵万智」であり、短歌と言えば、『「寒いね」と・・・』ではないだろうか。教科書に登場する歌人の短歌を作者の生年順に並べた。掲載の教科書の出版社の略称をカッコ内に示した。

  <中学校国語教科書(2016年より使用)収録の近代・現代歌人の作品>

正岡子規(1867~1902) 4社(教育除く)
くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる(学図・東書・三省堂・光村)
窪田空穂(1877~1967)
麦のくき口にふくみて吹きをればふと鳴りいでし心うれしさ(光村)
与謝野晶子(1878~1942) 4社(学図除く)
なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな(光村・教育)
その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな(三省堂)
金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に(東書)
小百合さく小草がなかに君まてば野末にてほひ虹あらはれぬ(教育)
斎藤茂吉(1882~1953) 5社
死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞こゆ(学図・三省堂・教育)
ただひとつ惜しみて置きし白桃のゆたけきを吾は食ひをはりけり(光村)
最上川の上空にして残れるはいまだうつくしき虹の断片(東書)
みちのくの母のいのちを一目みん一目みんとぞたたにいそげる(教育)
のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり(教育 )
北原白秋(1885~1942) 3社(光村・学図除く)
帰らなむ筑紫母国早や待つと今呼ぶ声の雲にこだます(教育)
草わかば色鉛筆の赤き粉のちるがいとしく寝て削るなり(東書・三省堂)
土岐善麿(1885~1980 )
遺棄死体数百といひ数千といふいのちをふたつもちしものなし(学図)
若山牧水(1885~1928) 4社
白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ(東書・三省堂・教育・光村)
石川啄木(1886~1912) 5社
不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心(東書・学図・三省堂・光村)
やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに(教育)
ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく(教育)
釈迢空(1887~1953) 2社
たたかひに果てにし子ゆゑ 身に沁みて ことしの桜 あはれ 散りゆく(学図)
葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり(三省堂)
岡本かの子(1889~1939)
桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命をかけてわが眺めたり(東書)
植田多喜子(1896~1988 )
顔よせてめぐしき額撫でにけりこの世の名前今つきし児を(学図)
正田篠枝(1910~1965)
大き骨は先生ならむそのそばに小さきあたまの骨あつまれり(教育)
竹山広(1920~2010)
死屍いくつうち越こし見て瓦礫より立つ陽炎に入りてゆきたり(教育)
岡野弘彦(1924~)
砂あらし 地を削りてすさぶ野に 爆死せし子を抱きて立つ母(学図)
馬場あき子(1928~) 2社
つばくらめ空飛びわれは水泳ぐ一つ夕焼けの色に染まりて(光村)
あやまたず来る冬のこと黄や赤の落葉はほほとほほゑみて散る(学図)
岡井隆(1928 ~)
眠られぬ母のためわが誦む童話母の寝入りし後王子死す(学図)
寺山修司(1935~1983)4社(教育除く)
わがシャツを干さん高さに向日葵は明日ひらくべし明日を信ぜん(学図)
海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり(東書・光村)
列車にて遠く見ている向日葵は少年のふる帽子のごとし(三省堂)
平井弘(1936~)
困らせる側に目立たずいることを好みき誰の味方でもなく(学図)
佐佐木幸綱(1938~)
のぼり坂のペタル踏みつつ子は叫ぶ「まっすぐ?」、そうだ、どんどんのぼれ(学図)
河野裕子(1946~2010)
振りむけばなくなりさうな追憶の ゆふやみに咲くいちめん菜の花(学図)
道浦母都子(1947~)
秋草の直立つ中にひとり立ち悲しすぎれば笑いたくなる(学図)
栗木京子(1954~) 4社(教育除く)
観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生(東書・学図・三省堂・教育・光村)
早坂類(1959~)
虹よ立て夏の終わりをも生きてゆくぼくのいのちの頭上はるかに(東書)
俵万智(1962 ~)
「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ(東書・三省堂・教育)
思い出の一つのようでそのままにしておく麦わら帽子のへこみ(光村)
穂村弘(1962~) 3社(学図・教育除く) 校庭の地ならし用のローラーに座れば世界が夕焼け(光村)
ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちくる涙は(東書)
シャボンまみれの猫が逃げ出す午下り永遠なんてどこにもないさ(三省堂)
ハロー 夜。ハロー 静かな霜柱。ハロー カップヌードルの海老たち(教育)
荻原裕幸(1962~) 夏木立ひかりちらしてかがやける青葉のなかにわが青葉あり(東書)
千葉聡(1968~) 卒業生の最後の一人が門を出て二歩バックしてまた出ていった(東書)
永田紅(1975~) 細胞のなかに奇妙な構造のあらわれにけり夜の顕微鏡(三省堂)

(2)観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生
~見回せば、回る、まわる観覧車~

  2012年版に続き、今回も、栗木京子「観覧車・・・」の一首は、中学校「国語」教科書を”制覇”した。今回の検定に際して、教科書の「近代・現代短歌」の内容がどう変わったかを概観してみたい。

<中学校国語教科書における「近代・現代短歌」の概要(2016年度版)>
(2015年7月6日作成 内野光子)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/tyuugakkkokokugoitiran.pdf

注:朱の歌人名及び短歌の初句は、新しく収録されたもので、作品初句のみが朱のものは、 作品が変更されたことを示す。

「中学校国語」(学校図書)
 俵万智の短歌鑑賞のエッセイは変わらないが、「十五首」中身は、若干入れ替わった。もともと、中学校の教科書に岡井隆や平井弘が登場するのも珍しいが、前回の永井陽子と荻原裕幸が消えて、馬場あき子と岡野弘彦が入り、やや歌人の年齢層が高くなった感じである。もともと、植松寿樹に師事した『沃野』同人の植田多喜子の一首は、ややマイナーながら、作者のかつてのベストセラー『うづみ火』などが、選歌に影響しているのかもしれない。近代・現代短歌において、与謝野晶子を排除している選択にも、他との違いが見られよう。現在の傾向は知らないが、かつて、全国の公立高校の国語の入試問題文に馬場あき子のエッセイが盛んに使用されていた時期があったので、登場は、むしろ遅かったようにも思った。

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「短歌十五首」は『中学校国語2」に収録

『新編新しい国語』(東京書籍)  
 道浦の鑑賞文は変わらないが、登場の歌人と作品が大幅に変更され、「扉」に「短歌七首」が別枠で登場した。なぜここに一首だけ「猿丸太夫」が、という違和感はあるのだが、6人6首が新たに加わった。ここでの、荻原・早坂・穂村・千葉の起用は、歌人の「若返り」とともに、その作品の青春性、「親しみやすさ」に着目したのかもしれない。また「短歌五首」の与謝野晶子と寺山修司が道浦の引用と重なっているためか、正岡子規と若山牧水に変更されている。多くの歌人や作品に触れさせよういう点に配慮した編集と言えようか。早川については名前だけは知っていたが、やや意外という感は免れなかった。

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「扉の短歌七首」[

『現代の国語』(三省堂)  
  俵万智の自作一首と栗木京子の一首を交えての、短歌入門的なエッセイが新しくなった。歌人では馬場あき子と在日コリアン2世の李正子(「<生まれたらそこがふるさと>うつくしき語彙に苦しみ閉じ行く絵本」)が去って、永田紅が新入りとなった。2006年版、2012年版からの変遷をたどると、その人選がかなりめまぐるしいことが分かる。 

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『伝え合う言葉 中学国語』(教育出版)

2年次の「近代の短歌」(九首)では、前回の<ふるさとの歌>の若山牧水「幾山河」が北原白秋「帰りなむ」に代わった。3年次の「ことばの自習室」に、穂村弘のエッセイ「それはトンボの頭だった」と佐佐木幸綱の鑑賞「古典の歌、現代の歌」の二つが収められた。後者にあっては、竹山広と正田篠枝というそれぞれ長崎と広島の被爆者歌人の作品をとりあげたのが特色といえよう。

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熊谷守一の絵が表紙を飾る

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「近代の短歌(九首)」は第2巻収録

『国語』(光村図書)  
  2006年、2012年、そして今回と、検定ごとに取り上げる歌人と作品がかなり入れ代わっている。収録歌人について、2006年には、伊藤左千夫、島木赤彦、長塚節、前田夕暮、佐藤佐太郎、宮柊二、塚本邦雄の作品があり、2012年には、前川佐美雄、木下利玄、岡本かの子、斎藤史、高野公彦も登場したが、今回は、数を絞って6名となり、新しく馬場あき子と穂村弘が加わった。今世紀に入っても、1950年代に中学生だった筆者には、伊藤、島木、長塚、前田、木下、岡本などの名前はなつかしい。

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3年次の「古今和歌集 仮名序」、大判で絵本のようだ

  以上、各社の収録作品を一覧してみると、近代・現代の短歌から選ぶとしたら、世代的に見て、いわゆる戦中派の歌人の登用が少ないのではと思った。たとえば、佐藤佐太郎(1909年生)、宮柊二(1912年生)近藤芳美(1913年生)らの名は、今回の新版からは完全に消え、戦前生まれの佐佐木幸綱世代から一挙に戦後生まれの河野裕子らに飛ぶ。もっとも、教科書は、作品で短歌史をたどるわけではないが、今どきの中学生の愛唱する短歌が、これらの中から生まれるのだろうか。正岡子規「くれなゐの」、斎藤茂吉「死に近き・・・」、若山「白鳥は・・・」、石川啄木「不来方の・・・」などほぼ定番に加えて、栗木京子「観覧車・・・」、俵万智「「寒いね」と・・・」などを一読、知識としての短歌ではなく、短歌への関心が芽生えて来るものだろうか。収録作品が集中していない与謝野晶子や寺山修司、穂村弘らの一首が、思春期の中学生、スマホ愛用の中学生の琴線に触れるものだろうか。 新聞はもちろんのこと、テレビの接触時間も下降線をたどる若者たち、大学の国文学科の行方も取りざたされる中、短歌の行方も気になるところである。

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2013年11月26日 (火)

書評・紹介ありがとうございました~随時更新しています

 8月15日刊行の拙著『天皇の短歌は何を語るのか』(お茶の水書房)について、以下のような書評と紹介をいただいております。丁寧にお読みいただき、お励ましとともに、きちっとしたご批判もいただきました。ありがとうございます。私の知る限りですので、もし、お心当たりがあればご連絡いただけるとうれしいです。

 私信ながら、取材にお忙しいT様、ロンドンにお住いのW様、日本とシドニーのお住まいを行き来されている作家のK様、武漢の大学へ出講中のK様・・・、歌人や歌人でない方々の国際的な視点からの批評もいただきました。歌壇批判で、歌壇を慌てさせた金井美恵子様からは、早速紹介・引用してくださった新刊の著書2冊をお送りいただき、驚いております。多くの方のおたよりに胸を熱くすることもたびたびありました。ありがとうございました。

 以下のリストは随時更新しております。

 なお、近く「現代批評講座~著者が語る新刊の集い」による批評会が開催されることになりました。その様子も、また、お知らせできればと思います。

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書評:

・(◇):ブックガイド~    出版ニュース 201310月下旬号

・田中綾:

  書棚から歌を~名誉欲失せはてたりすずやかに人は詠へど欲もよろしき

(竹山広)          北海道新聞  20131020

   *田中綾『書棚から歌を』(深夜叢書社 2015年6月)に再録されました

・持田鋼一郎:浪々残夢録18・近代史資料としての天皇の短歌

                 短歌往来   201310

・大野道夫:短歌時評・さまざまな歌人たち 

                 短歌研究   201311

・田中綾:昭和天皇の短歌を検証し 時代と切り結ぶ警鐘の一書 

                 図書新聞   2013119

・小谷野敦:第二部の「勲章が欲しい歌人たち」本書の白眉 

                 週刊読書人  20131122日                

・田村広志:天皇制とメンタリティ 短歌往来   201312

・福島久男:ひたむきな姿勢    現代短歌   201312月

・ 赤司喜美子: 『天皇の短歌は何を語るのか』を読む

                                    短詩形文学   2013年12月

・  八木博子: 天皇の短歌―政治的メッセージを探る

                          女性展望    2013年11・12月

・ 今井正和: 歴史との相克の中で   うた新聞     2014年2月

・ 渡辺澄子: 『天皇のの短歌は何を語るのか』を読む 

                          ポトナム     2014年3月

・ 黒古一夫: 武漢で「天皇制」を考える

                          ポトナム     2014年3月

・ 藤木直美: 書評『天皇の短歌は何を語るのか』

                      社会文学2014(40号) 2014年7月31日

・ 間島由美子:(会員著作文庫)『天皇の短歌は何を語るのか』

                      国立国会図書館OB会会報56号

                                    2015年3月1日

・それでも大丈夫 (みなとかおるのブログ)2013816

http://ameblo.jp/minatokaoru/entry-11593740489.html

・銀河最終便(風間祥のブログ)20131024

http://sho.jugem.cc/?eid=4806

三上治: 天皇、および天皇制の所在~『天皇の短歌は何を語るのか』書評
 ちきゅう座スタディ・ルーム 2013年12月2日
 http://chikyuza.net/n/archives/40848

・それでも大丈夫(みなとかおるのブログ)2013年12月2日   http://ameblo.jp/minatokaoru/entry-11716328121.html

紹介:

・金井美恵子:様々な意匠、あるいは男たち/様々な意匠、男たち、少女たち①  目白雑録5小さいもの、大きいもの』(朝日新聞出版)2013年9月30日

・金井美恵子:たとへば〈君〉、あるいは、告白、だから・・・『金井美恵子エッセイコレクション3小説を読む、ことばを書く』(平凡社)2013年10月25日             

・(◇):紹介          梧葉       20131025

・田中要:受贈書から・天皇の短歌は何を語るのか

                 日本海173号    20139
・2013年下半期読書アンケート(阿木津英回答)

                 図書新聞     2013年12月21日

・松村由利子:時評        かりん      2014年3月

・櫛田立身:ブックエンド・天皇の短歌は何を語るのか 

                 象        2014年夏(97号)

・竹の子日記(鈴木竹志のブログ)          2013815

http://takenokonikki520.blog77.fc2.com/blog-date-201308.html

・日刊ベリタ「核を詠う」(山崎芳彦2013818

www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201308181309400 

・むらき数子の情報ふぁいる530「新刊案内」2013829

http://www.geocities.jp/muraki_file/Column/books.html

・立教大学関係者の著作紹介(広報課)(20138月分)

http://www.rikkyo.ac.jp/aboutus/profile/data/books/

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2011年11月30日 (水)

中学校国語教科書の中の近代・現代歌人と短歌作品~しきりに回る「観覧車」

二〇一一年六月、来年度から使用される検定済みの中学校教科書の展示会に出かけた。その後、あらためて、五社による「国語」教科書に目を通し、近代・現代短歌歌人と作品がどのように登場し、扱われているかについて、平成一八年度から二三年度(二〇〇六~一一年度)まで使用されている教科書と平成二四年度(二〇一二年度) から使用される教科書を比較してみることにした。今回は、国立国会図書館分館の国際子ども図書館(二〇〇二年以降の教科書)と教科書研究センター付属図書館(明治以降の教科書を網羅的に所蔵)で閲覧・複写した。

 指導要領改訂は一〇年ごと、教科書検定は四年ごと、ということで、タイムラグが生じる。たとえば、平成一四年度(二〇〇二年)の指導要領改訂によって平成一二年度検定がなされ、原則的に四年ごとに検定がなされる。しかし、この間、検定申請がなされなかったので、中学校国語の場合は、今年度まで、六年間同じ教科書を使用していたことになる。指導要領改訂を踏まえた検定済み教科書について、各県は、採択のための参考資料として各社教科書の分析報告を作成することになっている。東京都の場合、その報告は東京都教育委員会のサイトで見ることができ、整理や確認に利用できる。以下、今回作成した下記の「中学校国語教科書平成18年度・24年度比較表」をもとに概観したい。

 
①学校図書
 
作品一五首の中に、土岐善麿と平井弘、荻原裕幸が並び、中学校教科書に岡井隆が登場するのは珍しい。与謝野晶子が登場しないのも、この教科書だけである。旧版に登場する草地宇山(母逝くと吾子のつたなき返しぶみ読みて握りて耐へてまた読む)という名の作者は、私は今回初めて知ったのだが、辺見じゅん『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』(一九八九年)で紹介された作品であった。新版で入れ替わった植田多喜子(一八九六~一九八八)(顔よせてめぐしき額撫でにけりこの世の名前今つきし児を)は、植松寿樹に師事し、『沃野』同人、ベストセラーとなった私小説『うづみ火』の作者でもある。教材が著名歌人の作品に限る必要はないが、いずれもマイナーな作者ではないかと思う。掲載の意図はどの辺あるのだろうか。また、三年用に登場する俵万智(「あいみてののちの心の夕まぐれ君だけがいる風景である」)が、古典和歌、藤原敦忠「逢ひ見ての後の心にくらぶれば昔はものを思はざりけり」との出会いから、「歌の源流へ(万葉集・古今和歌集・新古今和歌集)」といざなう解説導入文になっている。現代の中学生と古典和歌との懸け橋としての俵万智の登場は編者の苦心のしどころだったかもしれない。

②東京書籍
 晶子、茂吉、啄木、修司、万智の五首は新・旧変更がないが、道浦母都子の書下ろしエッセイでは鑑賞作品を変えた。旧版は、俵万智は別として、大口玲子、永井陽子という、ややマイナーな選出から与謝野晶子、寺山修司、栗木京子というポピュラーな人選となった。

③三省堂
 タイトルも「現代の国語」から「中学生の国語」に変更され、短歌の単元の編成も変え、作者・作品の入れ替えも行った。旧版の島木赤彦、近藤芳美が消え、新版に釈迢空、佐佐木幸綱、穂村弘が加わった。新版には、編集部による鑑賞文のなかに、晶子、修司、牧水、子規、茂吉が取り入れられた。新・旧版ともに収載の李正子「〈生まれたらそこがふるさと〉うつくしき語彙にくるしみ閉じ行く絵本」と、穂村弘「シャボンまみれの猫が逃げ出す午下がり永遠なんてどこにも無いさ」の二首が他社にない特色と言えるだろうか。前者は在日コリアン二世としての苦渋と穂村のアンニュイというか刹那主義を中学生にどう理解させるのかが、教師の指導力にかかってくるのだろう。

④教育出版
 短歌に関して、やや編成を変えた。近代短歌五首の作者・作品に変わりはない。穂村弘のエッセイが三年から二年に移動した。三年に佐佐木幸綱の書下ろしによる、古典・現代の歌の鑑賞の手引きが収録された。「恋の歌」として、万葉集から天武天皇(「我が里に大雪降れり大原の古りにし里に降らまくは後」)と藤原夫人(「我が岡のお上に言ひて降らしめし雪のくだけしそこに散りけむ」)との相聞から現代の恋歌として、栗木京子(「観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生」)と俵万智(「『寒いね』と話しかければ『寒いね』と答える人のいるあたたかさ」)が登場する。さらに「季節の歌」として、古今和歌集の凡河内躬恒(夏と秋と)、藤原敏行(秋来ぬと)を引用する趣向は、学校図書版の三年「言葉との出会い」同様の試みだろう。現代の中学生には、ストレートに古典和歌に入るのは難しいのかもしれない。

⑤光村図書   
 今回の検定で、最も変更が大きかった教科書である。二年の鑑賞のためのエッセイの執筆者が玉城徹から馬場あき子に変わり、子規、晶子、茂吉、白秋の近代歌人に加えて、寺山修司、俵万智の現代歌人が採録された。「短歌十二首」では、作者・作品が入れ替わる。伊藤左千夫、島木赤彦、長塚節、前田夕暮、佐藤佐太郎、塚本邦雄が消え、窪田空穂、木下利玄、岡本かの子、前川佐美雄、斎藤史、佐佐木幸綱、高野公彦、河野裕子の九人が加わる。左千夫、赤彦、節、夕暮、佐太郎、空穂、利玄、かの子、佐美雄などは、私自身も中学校や高校で出遭ったような歌人の登場を懐かしく思うのだった。近代・現代短歌にかなりのこだわりを持つ人選に思われた。
 以上のように、新・旧版で劇的な変更した教科書はなかったといえるが、全体的に見れば、登場歌人の「世代交代」が徐々に進んでいるのは確かだろう。
 
五社の新版における収載の歌人・作品の上位は次のようになった。五社すべてに収載された歌人は、石川啄木、斎藤茂吉、栗木京子、俵万智の四人で、その収載作品は以下の通りだ。括弧内の数字は収載出版社数であり、未記載のものは一社である。栗木京子の一首、旧版では三社であったが、新版では五社すべてが収載した。俵万智は四社から五社へ、啄木と茂吉の作品数は変わらないが、作品に入れ替わりがあった。茂吉の「死に近き」は、四社から三社となった。茂吉や啄木などの作品一首一首の解釈や鑑賞は、ある程度定着してきている。しかし、たとえば、栗木京子の「観覧車」について、比較表④「伝え合う言葉3」新版において、佐佐木幸綱は「(前略)一緒に並んで乗っていながら、二人の心の中は同じではない。対立仕立てになっている下の句が、対照的な二人の心を描き出しています。失恋の歌です。せつないですね」と断定的に説く。作者自身は、学生時代にゼミ仲間で遊園地に遊んだ折に「すんなりできてしまった一首」であって、深刻でもない、哀切な歌でもないと明かしている(『短歌を楽しむ』岩波書店 一九九九年一〇七頁)のは興味深い。他に、俵万智や松村由利子の「読み」も微妙に異なっていたのを読んだことがある。

 小学校では、短歌は六年で学習するが、与謝野晶子「金色の」の収載が圧倒的に多い。俵万智の場合は、各社各様の選出である。啄木、茂吉、牧水など中学校と重なる作品も見受けられるが、どのように発展させていくのだろうか。高校では、テキストの数も多いし、スペースも多いので、実に多種多様な作者・作品が収録されている。今ここでは触れない。

<資料―掲載作品と収録教科書数>
栗木京子

観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生(五)
斎藤茂吉
死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞こゆ(三)
みちのくの母のいのちを一目みん一目みんとぞたたにいそげる(二)
のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり
蚊帳のなかに放ちし蛍夕さればおのれ光りて飛びそめにけり
石川啄木
不来方のお城の草に寝ころび空に吸はれし十五の心(三)
やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに
ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく
誰が見てもわれをなつかしくなるごとき長き手紙を書きたき夕べ
俵 万智
「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ(二)
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
白菜が赤帯しめて店先にうっふんうっふんかたを並べる
思い出の一つのようでそのままにしておく麦わら帽子のへこみ
あいみてののちの心の夕まぐれ君だけがいる風景である

 さらに、与謝野晶子(五首)と寺山修司(四首)が四社に登場、若山牧水(四首)と正岡子規(三首)は三社に登場していることがわかる。以下は二社で収載している作品である。
与謝野晶子
なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな(二)
若山牧水
白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ(二)
正岡子規
くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる(二)


比較表は下記をクリックしてください。↓

中学校国語教科書平成18年度・24年度比較表

(『ポトナム』201112月号所収)

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2011年7月 4日 (月)

中学校教科書の中の短歌と昭和天皇と(2)「昭和天皇」の短歌も登場

 

自由社と育鵬社の中学校の「歴史」と「公民」は、展示会に一緒した友人たちが閲覧していて、なかなか見られなかったのだが、大急ぎで撮った写真をアップしておこう。

①「新しい歴史教科書」(自由社)「昭和天皇―国民とともに歩まれた生涯~立憲君主的な立場を貫きつつ、国民の安寧を祈り続けた 無私と献身の生涯とは」

②「新しい公民教科書」(自由社)「もっと知りたい・天皇のお仕事」という2頁のコラム。

 ①には、最晩年の「思はざる 病となりぬ 沖縄をたづねて果たさむ つとめありしを」(1987年)の昭和天皇の「御製」を引用し、「沖縄への思い」を強調する。

③「新しい日本の歴史」(育鵬社)「国民とともに歩んだ昭和天皇」

④「新しい日本の公民」(育鵬社)「第2章私たちの生活と政治~日本国憲法の基本原則」表題頁には「天皇による内閣総理大臣の任命」の写真。

 ③には、「身はいかに なるともいくさ とどめけり ただたふれゆく 民をおもひて」(1945年)の敗戦時における昭和天皇の短歌を引用し、「終戦を決断された時の御製ですが、ここにも天皇の覚悟が見てとれます」と説かれている。マッカーサーとの会見や東京裁判の過程で見せる天皇の動揺は、その後の歴史研究や側近の日記などからも明らかになっている現在、かなりの無理が「見て取れる」ではないか。

また、19419月の御前会議で昭和天皇が読み上げたという明治天皇の御製「四方の海 みな同朋(はらから)と 思ふ世に など波風の 立ちさわぐらん」(1904年、日露開戦時)も登場、「戦争より日米交渉を重臣たちに示唆」した証のように綴られている。

  

  この2社の教科書の天皇に対する記述には「国民のことを思う平和主義者」としての天皇、昭和天皇を強調するばかりで、天皇の政治的発言や行動が政府や軍にとってどんな意味と役割があったかに着目していない。心情を吐露したとする「短歌」によって責任を回避しているに過ぎない、としか私には思えなかった。

 

↓左側が「新しい日本の公民」第2章

 天皇から任命を受ける鳩山前首相の姿が見える

Gedc1495

「国民とともに歩んだ昭和天皇」(③「新しい国民の歴史」育鵬社)

             

                     

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「昭和天皇~国民ともに歩まれた生涯」(①「新しい歴史教科書」自由社)

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中学校教科書の中の短歌と昭和天皇と(1)晶子から俵万智まで、女性歌人が優勢になったが

628日、検定済教科書展示会に行くことになった。佐倉市中央公民館での展示が6月いっぱいということで、友人のお誘いもあってやって来た。たまたま最近、私自身や娘、昭和一ケタの次兄の教科書まで、物置にあるのを発見、その時のことは本ブログにも書いた。http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2010/09/1945-da7f.html

今どきの教科書は、どうなっているのか。それにかつて「あたらしい歴史教科書をつくる会」による扶桑社版の教科書問題が、いまは、内輪もめを経て新たな火種になっている。今回は時間もないので、自分の関心事である、中学校の国語教科書に「近・現代短歌」がどう扱われているか、歴史・公民教科書に「昭和天皇」がどんなふうに登場するのか、だけでも知りたかった。それにしても、時間がない。節電で暗い展示コーナーは、そっけなく、「今使われている教科書」「これから使われる教科書」の仕切りがあるだけの机上に無造作に立てられ、並んでいた。コピーでもとれると、まだよかったのだが、尋ねたところ、「県や市に問い合わせてから」とラチがあかない。何のことはない、写真を撮っているのは、いろんなブログでも見ていたのだから、撮ればよかったのだが、気が付くのが遅かった。

感想を書くには、材料が少ない。いずれにしても、教科書研究センターや国際子ども図書館にでもいかなければならない。とりあえず、短時間で、自分が見たことだけをお知らせしておこうと思う。

1.教科書の中の短歌・晶子から俵万智まで~女性歌人は優勢なのだが

近代・現代短歌に、比較的頁をさいていると聞いたことのある「教育出版」の中学校国語「伝え合う言葉」1・2・3を大急ぎで見てみた。

「伝え合う言葉 中学国語」(教育出版)1・2・3

平成18年度版「1学年」に俵万智「私の好きな春の言葉」「3学年」に、穂村弘「それはトンボの頭だった」というエッセイが載っていた。近・現代の短歌のメインは「2学年」で、「近代の短歌」と題して、茂吉・母の歌、啄木・ふるさとの歌・、牧水・旅の歌、晶子・恋の歌のあわせて9首が載っている。

平成24年度版「1学年」変わらず。「2学年」も歌人も作品も変わらないのだが、トップが茂吉から啄木に替っていた。「3学年」に佐佐木幸綱の書下ろしの鑑賞「古典の歌、現代の歌」が入って、「現代の歌」として栗木京子、俵万智、竹山広、正田篠枝の作品が掲げられていた。竹山、正田の長崎、広島の原爆作品を扱っているのは、中学生へのメッセージとして重要だと思った。近年竹山は亡くなったが、俵ともども佐佐木氏率いる『心の花』の同人というのはいささか気のし過ぎか。

以下は、帰宅後、いずれも平成18年度版をネット上で調べてみたのだが、参考のためメモしておこうと思う。

「現代の国語」(三省堂)「2学年」:「短歌の世界」として、子規、赤彦、晶子、茂吉、白秋、牧水、啄木の近代歌人と寺山修司、栗木京子、近藤芳美、馬場あき子、李正子、俵万智の作品が登場する。

「中学校国語」(学校図書)「2学年」:「短歌十五首」として、子規、啄木、迢空、善麿、茂吉の近代歌人のほか、道浦母都子、河野裕子、永井陽子、平井弘、栗木、寺山、荻原裕幸、岡井隆、佐佐木幸綱の現代歌人と草地宇山という旧軍人(辺見じゅん『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』収録)の作品が収録されている。導入部分に佐藤正午による俵の「この味がいいね・・・」の鑑賞がある。

「国語」(光村)「2学年」玉城徹書下ろしの「短歌を味わう」においては北原白秋、正岡子規、石川啄木の1首ずつ挙げる鑑賞である。さらに「十二首」として、伊藤左千夫、赤彦、晶子、長塚節、茂吉、前田夕暮、牧水、佐藤佐太郎、宮柊二、塚本邦雄、栗木、俵の作品が掲載されている。

「新しい国語」(東京書籍)「2学年」道浦母都子の鑑賞文「言葉でパチリ」では、俵、大口玲子、永井陽子と中学2年生の作品を鑑賞し、短歌五首、晶子、茂吉、啄木、寺山修司、俵万智が掲載されている。

5社の国語教科書の近代・現代の短歌教材をざっと目を通したことになる。次の2首の採録が際立っていた。

・死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる(斎藤茂吉)                          (『赤光』) 教育出版・学校図書・光村・東京書籍 

・観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生(栗木京子)
(『水惑星』1984年)   三省堂、学校図書、光村 

茂吉は、私たちの教科書にもあったような気がする。受験教材にはあったろう。大人になって、身近な人の死を経験すると理解も深まる。中学生にわかるかなあ、とも思う。栗木京子の作品には私が好きな歌もあるのだけれど、この歌はどうしても抵抗がある。リズムもいい、リフレインや対比という手法も取り入れられている、内容も一見わかりやすい。しかし、こんな歌が独り歩きして、中学生の男女に刷り込まれていくと、ジェンダーの観点からみると、どうだろう、と思ってしまう。男子というより男性が喜びそうな歌ではないか。 

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