2026年4月 7日 (火)

被災地訪問に「原発と天皇」を考える

 天皇夫妻と長女の三人は、3月6日、福島県双葉町の県立「東日本大震災・原子力災害伝承館」を訪問し、設けられた献花台に花を供え、帰還した被災者と懇談している。双葉町は、原発事故後、町民全員7000人近くが避難を強いられ、今も町の85%は帰宅困難区域であり、2026年1月現在の人口は帰還町民と移住者をあわせて196人(朝日新聞デジタル2026年2月2日)という。双葉町ホームページによれば、県と復興庁の三者で毎年全国各地に避難している世帯の「住民意向調査」を行っているが、ここ数年、その回収率は、激減している(https://www.town.fukushima-futaba.lg.jp/9246.htm)。2020年3018世帯のうち1486世帯が回答49.2%、2023年38.3%、2025年29.3%という具合で、双葉町への関心自体が薄れている。というのも回答世帯の80%近くがすでに回答者自身ないし家族が所有する家があり、定住している。さらに70歳以上が50%超えるというのが実情である。関係者の努力があったとしても町としての復旧・復興は不可能に近いのではないか。

 そのような双葉町に訪れた天皇家の三人が、被災して帰還した三人、「東日本大震災・原子力災害伝承館」で語り部をする70歳の男性、ファストフード店で働く54歳の女性、町営住宅で管理組合長を務める76歳の男性が選ばれ、懇談している。「事故を起こした原発が立地する双葉町を皇室として初めて訪れ、被災者の話に熱心に聴き入り、復興への取り組みを励ました」という。76歳の男性には「多くの人が帰って来るといいですね」と天皇は話している(朝日新聞 20206年4月7日)。
 「寄り添い」「励ます」とは真逆のように、この訪問に際して、伝承館は4~7日は休館となり、6・7日は大規模な交通規制がなされている。

 そして、きょう4月7日には、富岡町のとみおかアーカイブ・ミュージアム、大熊町のlinkる大熊、同町の教育施設「学び舎(や)ゆめの森」、浪江町の道の駅なみえを訪問し、各訪問先で復興状況などを視察し、学び舎ゆめの森でも被災者と懇談するという。Jビレッジに一泊の強行日程の中で、三人は原発事故と津波の被災地の何を見て、被災者から何を聴いたというのだろう。復旧・復興のほんの「一画」をめぐり、数人の被災者と「懇談」したからといって、何が変わるのだろうか。にわか仕立ての献花台に花を供えて祈ることが犠牲者を追悼することになるのだろうか。

  原発事故から15年が経ち、今年の1月から3月にかけて、メディアは、復興の困難さ、原発回帰、原発再稼働、除染土や核燃料廃棄物の最終処分場の混迷など、特集記事や社説をもって、政府に疑問を投げかけるものが多かった。

 そんな中での、天皇一家の福島県訪問である。メディアの報道の仕方は、地元の歓迎ぶり、祈る姿、被災者への励まし・・・とそのパターンは変わらない。

 

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2026年2月 2日 (月)

選挙戦は始まったが~嘆いて、嘆いて、嘆いて・・・(3)原発は必要だったのか、原発再稼働への不安~各党のエネルギー政策比較

 2月8日の衆議院選挙の公約、エネルギー政策、とくに原発をどうするかの公約をあらためて調べてみた。原発への否定的な政党は少数であることはわかっていたが、その中でも微妙な違いがあり、主要政党が、福島の原発事故を忘れたかのように、堂々と原発回帰を主張するようになった。新聞等で、各党の公約の比較などが見受けられるが、少数政党の公約が切り捨てられてしまうこともあった。 そんな中で1980年から、地球規模での環境問題に取り組む国際環境NGO 「FoE Japan(エフ・オー・イー・ジャパン)」が、つぎのような詳しい分析を行っている。

<#衆院選2026>各党マニフェストを比較!【原発・エネルギー編】~各党の特色は? 昨年との違いは?(2026.1.30 満田夏花)
https://foejapan.org/issue/staffblog/2026/01/30/staffblog-27809/

 中に、以下のようなわかりやすい表があったので、お借りしたい。急ごしらえの公約もあって、不明な点が多いのがわかる。立憲民主党が公明党と新党「中道改革連合」を結成するにあたって、これまでの「原発ゼロ」から「将来的に原発に依存しない社会を目指しつつ、安全性と実効性のある避難計画の確認と地元の合意を条件に原発再稼働を容認」することにしたのである。旧立憲議員は、どう釈明するのだろう。

Foe

 また、地球温暖化防止のために活動する全国の市民・環境NGO/NPO法人「気候ネットワーク」は、さらに丁寧な比較をしていた。中の「再生可能エネルギー」「原子力」についての各党比較表を紹介したい。これらを参考に、どうあるべきなのか。国を守る、国民の命を守るというのであれば、軍事予算を廃炉に向けて、再生可能エネルギーの拡充に充てるべきではないのか。

第51回衆議院議員選挙ー各党選挙公約の気候変動エネルギー政策に関する分析ー(2026年1月29日)
 https://kikonet.org/content/39140

・再生可能エネルギー
2035
年の電力部門の脱炭素化と再生可能エネルギー100%を目指すこと
  ・日本共産党は、2035年度の再エネ電力比率を8割とし、40年度までに100%とした。
    ・れいわ新選組は、2030年までにエネルギー供給の70%、2050年までに100%を目指すとした。

  • 中道改革連合は、再生可能エネルギーの最大限活用を掲げたが具体的な数値は示さなかった。
  • 国民民主党は、2030年代には電源構成比で再エネ比率が40%以上と、現行とほぼ同じ目標を示した。
  • 自由民主党は昨年の参院選では再エネの最大限導入を掲げていたが、今回はその記述が無くなった。
  • 日本維新の会は、再エネ導入拡大を掲げたが、具体的な数値目標は示さなかった。
  • 参政党日本保守党チームみらいは再エネの最大限導入も掲げず、具体的な数値目標も示していない。

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・原子力
脱原発を掲げ、小型原子炉など含めた原発新増設を認めないこと

7次エネルギー基本計画やGX2040ビジョンでは、「原子力依存の低減」の文言は削除され、原子力を「最大限活用」する方針が示された。しかし、原子力を推進することは結果的に原発のトラブル時などで火力に頼らざるをえない状況をつくる。原発の新増設にあたっては、時間がかかりすぎ、求められる気候変動対策にはならない。同時に、多額の資金が必要なことから経済的にも国民負担を増加させる。

  • 脱原発を掲げたのは、日本共産党(すみやかに原発ゼロ)、れいわ新選組(即時廃止)、社会民主党(再生可能エネルギーの普及で脱原発をすすめる)だった。
  • 中道改革連合は、将来的に原発に依存しない社会を目指すとしたが、原発再稼働は条件付きで認めた。
  • 自由民主党日本維新の会国民民主党参政党チームみらいは、原発の再稼働を条件付きで認めるだけでなく、次世代型原子炉の開発も推進するとした。

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2026年1月30日 (金)

選挙戦は始まったが~嘆いて、嘆いて、嘆いて・・・(2)原発は必要だったのか、再稼働への不安

 安倍元首相銃撃事件の山上被告に奈良地裁の無期懲役判決がくだった2026年1月21日の東京電力は、午後7時02分に新潟県柏崎刈羽原発6号機を再稼働させた。夕刻、そのニュースを聞きながら、この再稼働も一日延期してのこと、「また、“不具合”で止まるんじゃないか」と話していた。その翌朝、再稼働5時間後に制御棒に不具合が生じ、停止したとのニュースを聴くに及んで、やっぱりの思いとあらためて大いなる不安にかられた。報道によれば、この6号機に関しては、昨年6月以来、制御棒を巡る不具合は何度かあり、その内の一つは設定ミスであって、1996年の稼働以来正常に機能していなかった可能性があるというのだ(「臨界4時間後に異変」『朝日新聞』20026年1月23日)。そんな状況を原子力規制委員会はどう見ているのだろうか、の素朴な疑問も生じた。

 というのも、1月5日には、中部電力の静岡県浜岡原発の不正が発覚したばかりであったからだ。原発を推進する電力会社って、同じようなことをやっているんじゃないか、発覚しないだけではないかとの不信感が募るのだった。今回の選挙では、この原発については大きな争点にはなっていないが、あえて、立ち止まって考えてみたい。

 いま、原発は、どのくらい動いているのか。電力はどのくらい足りているのか、足りていないのか。いま政府は、安定的で、安価な、コスパの高い、電力供給源として、原子力発電を進めているが、果たして本当なのか。原発は、初期投資、維持費、事故対応などを考えると、素人考えでも、莫大な経費が予想される。原発が安定的といわれるけれども、不覚にも、私は、いまになって知ったことがある。原子力規制委員会の資料により、原発には、1基ごと「定期事業者検査」のための「停止」という措置が義務付けられ、一年間に通常でも3・4カ月を必要とし、その間、停止するのである。中には半年、一年以上停止し、さらに長期検査中の原発もある。規制が厳しくなれば、「停止中」は長期化し、9原子力発電所にわたり22基がある。ということは、停止中の発電を補完するためには、一つの発電所に複数の原発が必要になり、加えて、耐用年数の40年、60年に延期したとしても、現在「廃棄措置中」が12原発20基にも及ぶことからも、新設も必要になってくるという、悪循環になることは想像に難くない。福島第一原発も含め、廃止措置工程は半世紀単位の長期にわたり、使用済み核燃料の中間貯蔵施設もままならず、再処理に至る困難さは想像を絶する状況である。次代の人々の生命と環境の破壊をもたらすことに対する責任は、誰がとるというのだろう。

 また、上記「廃止措置中」もこの廃止措置には通常30年にわたる作業工程を必要とされている。なお、「廃止」とあるのは、福島第一原発の6基であって、汚染水の海への放出強行、デブリの抽出にさえ難渋している現状は、時折報はされるが、先行きはまったく不透明である。

  2011年3月11日の東日本大震災による福島原発事故にみまわれたとき、日本の原発はすべて停止した。そして東京電力は「計画停電」なるものを実施したが、いまだに何が「計画」だったのかわからないまま、中途半端な形で実施された。大規模停電が発生する可能性があるときに、地域を区分けしながら順次実施するものだったらしいが、東電に問い合わせても「計画」なるものは不明であった。原発が稼働しないとどうなるかという「政策的」な停電であって、「脅し」のようにも思われた。さすがに、その後は、「計画停電」を持ち出さなくなった。政府も、原則的には行わないとしている。

<参考>
原子力発電所の現在の運転状況(原子力規制委員会 2026114日現在)
https://www.nra.go.jp/jimusho/unten_jokyo.html

 さらに、発電所別に見ると以下のようになっている。運転中の11基は黄色のマーカーで示した。ただし、上記資料は1月14日現在だが、その後、1月23日に関西電力高浜原発2号機が停止中となり、1月24日に、九州電力川内原発2号機が停止中となり、現在、運転中は11基となった。停止中は22基、廃止措置中は20基、廃止が6基合計59基の原子炉を抱え持っていることになる。さらに建設中が3基ということで、どこまで進んでいるのかは不明だが、この狭い日本列島に60以上の原子炉が必要だったのだろうか。しかも、廃止措置、廃止決定をあわせると26基、これらの作業工程が終了するのは、途方もない年月がかかることは誰もが認めている。

 少し面倒ですが、下の「発電所別運転状況」をご覧ください。

 発電所別運転状況

  • 北海道電力株式会社 泊発電所の現在の運転状況1号機 停止中(定期事業者検査中)

2号機 停止中(定期事業者検査中)

3号機 停止中(定期事業者検査中)

  • 東北電力株式会社 東通原子力発電所の現在の運転状況

1号機 停止中(定期事業者検査中)

 ・東北電力株式会社 女川原子力発電所の現在の運転状況

1号機  廃止措置中

2号機 停止中(定期事業者検査中)2026年1月14日~ ← 運転中(25年9月1日~)* 

3号機 停止中(定期事業者検査中)

  • 東京電力ホールディングス株式会社 柏崎刈羽原子力発電所の現在の運転状況

1号機 停止中(定期事業者検査中)

2号機 停止中(定期事業者検査中)

3号機 停止中(定期事業者検査中)

4号機 停止中(定期事業者検査中)

5号機 停止中(定期事業者検査中)

6号機 停止中(定期事業者検査中)

7号機 停止中(定期事業者検査中)

  • 東京電力ホールディングス株式会社 福島第一原子力発電所の現在の運転状況

1号機 廃止

2号機 廃止

3号機 廃止

4号機 廃止

5号機 廃止

6号機 廃止

  • 東京電力ホールディングス株式会社 福島第二原子力発電所の現在の運転状況

1号機 廃止措置中

2号機 廃止措置中

3号機 廃止措置中

4号機 廃止措置中

  • 日本原子力発電株式会社 東海第二発電所の現在の運転状況

停止中(定期事業者検査中)

  • 日本原子力発電株式会社 東海発電所の現在の運転状況

廃止措置中

  • 中部電力株式会社 浜岡原子力発電所の現在の運転状況

1号機 廃止措置中

2号機 廃止措置中

3号機 停止中(定期事業者検査中)

4号機 停止中(定期事業者検査中)

5号機 停止中(定期事業者検査中)

  • 北陸電力株式会社 志賀原子力発電所の現在の運転状況

1号機 停止中(定期事業者検査中)

2号機 停止中(定期事業者検査中)

  • 日本原子力発電株式会社 敦賀発電所の現在の運転状況

1号機 廃止措置中

2号機 停止中(定期事業者検査中)

  • 日本原子力研究開発機構 高速増殖原型炉もんじゅの現在の運転状況

廃止措置中

  • 日本原子力研究開発機構 新型転換炉原型炉ふげんの現在の運転状況

廃止措置中

  • 関西電力株式会社 美浜発電所の現在の運転状況

1号機 廃止措置中

2号機 廃止措置中

3号機 運転中

  • 関西電力株式会社 大飯発電所の現在の運転状況

1号機廃止措置中

2号機 廃止措置中

3号機 運転中

4号機 運転中

  • 関西電力株式会社 高浜発電所の現在の運転状況

1号機 運転中

2号機 停止中(定期事業者検査中)

3号機  運転中

4号機 運転中

  • 中国電力株式会社 島根原子力発電所の現在の運転状況

1号機 廃止措置中

2号機 運転中

  • 四国電力株式会社 伊方発電所の現在の運転状況

1号機 廃止措置中

2号機 廃止措置中

3号機  運転中

  • 九州電力株式会社 玄海原子力発電所の現在の運転状況

1号機 廃止措置中

2号機 廃止措置中

3号機 運転中

4号機 運転中

  • 九州電力株式会社 川内原子力発電所の現在の運転状況

1号機 運転中

2号機 運転中 → 停止中(定期事業者検査中) 2026年1月24日~*

(注1)廃止措置中には、研究開発段階炉である「もんじゅ」と「ふげん」を含みます。
(注2)建設中は、電源開発大間、東京電力東通、中国電力島根3号機です。

 さらに、安価で、効率がよいとする試算は、公表されてはいるが、その反論に対しての反論は届いてこない。
 まずは、企業や国民が、自覚をもって節電をして、太陽熱や風力をはじめとする再生可能エネルギーのデメリットを超えて、さらなる活用を地道に進めていけば、危険極まりない原発は不要になるのではないか。
 原発を建設し、廃炉までの工程で、現場の人たちの大きな犠牲のもとで、利益をあげ続けている企業があるやもしれず。原発はいらない。まだまだ、私の知らないことも多いだろう。目を凝らして注視してゆきたい。

 なお今回の調査にあたって、「原子力安全推進協会」のホームページものぞいて、原発の「本日の運転状況」なる一覧表を閲覧した。ところが、その表の記述と個々の原子炉の運転状況と異なったまま半月以上も経っていることがわかった。女川原発の2号機が、定期事業者検査中で停止中にもかかわらず「営業運転中」となっていたのである。問いただせば「申し訳ありません、ありがとうございました」というが、「安全推進」の看板、「バカにしないでよ」と返したいくらいである。

<参考>資源エネルギー庁

あらためて知りたい、原発の「再稼働」~なぜ必要なの?ほんとうに安全なの?2025年8月22日)https://www.enecho.meti.go.jp/about/special/johoteikyo/genshiryoku_saikado.html

原発のコストを考える(2017年10月31日)
https://www.enecho.meti.go.jp/about/special/tokushu/nuclear/nuclearcost.html

少し古い資料になるが、以下の図表がわかりやすいかもしれない。いずれも「原子力関する最近の動向について」(2025年6月24日 資源エネルギー庁HP)による。

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池の端のミモザが黄色いつぼみをつけはじめた。3月8日國際女性デーの花でもある。その頃は満開になていることだろう。1月24日撮影。

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2024年11月23日 (土)

「再稼働の女川原発で父娘半世紀の闘い」を見ましたか

 今日の「報道特集」の<特集・再稼働の女川原発で父娘半世紀の闘い>は、女川の原発反対運動を半世紀以上も続けてこられた故阿部宗悦さんと娘の阿部美紀子さんに焦点をあてたものだった。2016年、旅の途中ながら、知人から紹介された阿部美紀子さんに女川町の津波の被害から復旧さなかの町と原発近くまで案内していただいたのだ。以降、女川から目が離せなくなって、当ブログでも何本かの記事を書いている。

当時の阿部美紀子さんは、東日本大震災の翌年亡くなられた父親の遺志を継いで町議をされていた。東京の大学を卒業して以来、船問屋だった宗悦さんたちの原発建設反対運動を共にすることになったという。原発が建ってしまった後も、さまざまな形の活動の中心的な役割を果たし、東北電力と対峙してきたことになる。番組では、10月29日の再稼働を目の当たりした口惜しさを何度も語っていた。

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阿部さんは、仕事(町議を三期務めた)を辞めたそうだが、今年の7月7日、父宗悦さんの十三回忌に再稼働反対のデモ行進の様子が映されていた。参加した人々の掲げるさまざまなプラカードの言葉に東北電力はどう応えるのか。宗悦さんもきびしく見守っているに違いない。

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阿部美紀子さんが、25歳頃の父宗悦さんとの写真。

 2016年、鳴り砂で有名だった浜に海抜29メートルの防潮堤の先にある原発が見える小屋取浜に案内してくださった阿部美紀さんが、長い反対運動を振り返って、しずかに語る、いくたびも味わった口惜しさは、私もいたく動揺しながら、胸に迫るものがあった。

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<関連の過去記事のいくつか>

女川原発2号機、9月に再稼働か―電気料金が安くなる?(2024年6月20日 )
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2024/06/post-f2b257.html

 写真集『原発のまち 50年のかお』(一葉社)の勁さとやさしさ(2022年11月15日)
 http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2022/11/post-3f4728.html

 女川原発2号機はどうなるのか~再稼働反対の声は届かない(2020年10月30日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2020/10/post-bb75a1.html

 連休前、5年後の被災地へ、初めての盛岡・石巻・女川へ(6)(7)(2016年5月14日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2016/05/5-5cf0.html

 

 

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2024年8月15日 (木)

『トビウオのぼうやはびょうきです』を読んでいた頃 ~被曝と核戦争の恐怖は今も続く~

 この猛暑で、物置の片付けや書棚の整理も中断しているが、探し物をしていたら、娘の保育園時代の絵本が少しまとまって出てきた。あった!『トビウオのぼうやはびょうきです』(いぬいとみこ作 津田櫓冬絵 金の星社 1982年7月)。読み聞かせていて、いつも最後の方で、声をつまらせてしまうのだった。娘は覚えているだろうか。

 1954年3月1日、赤道に近いビキニ環礁で水爆実験がなされた。近くで操業中のマグロ漁船「第五福竜丸」が「死の灰」を浴びてしまったのである。絵本は、その水爆実験近くの海に住んでいたトビウオの母と子の悲劇である。

 おとうさんトビウオが仕事に出たまま帰らず、海に広がった何かを浴びて、子どものトビウオが日に日に弱っていくのをお母さんトビウオは必死になおそうとするががかなわず、絵本は「たすけて やれる ひとは いないでしょうか」で結ばれる。

 焼津に帰港した「第五福竜丸」の漁師たちは、入院、治療を受けたが、その内の一人久保山愛吉さんは40歳で、その年の9月亡くなってしまう。アメリカの広島、長崎への原爆投下に続く、水爆実験による被害だった。

 その後も、日本では、東日本大震災時に福島原発が爆発、いまだにその処理ができていないなか、各地の原発の再稼働が進み、世界では核戦争の恐怖にさらされている。

 広島、長崎での岸田総理は、コピペのような挨拶をする。長崎の式典に、イスラエル大使を招ばないからと、アメリカはじめG7各国は大使の参列を拒むという。原爆を落とし、日本の各地を空爆したアメリカは何ひとつ責任をとらぬままの79年であった。

 たまたま覗いた朝ドラの「虎に翼」8月14日は、主人公の裁判官が、原爆被害者がアメリカではなく、日本国を訴える裁判に関わる場面であった。屈辱的な「日米平和条約」が発効してから二年後の1954年の設定だろうか。8月15日ドラマは、どのような展開になるのか。

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左側の文章は:「おかあちゃん。ぼくね、とても あたまが いたいの」
ある 日、トビウオの ぼうやが、いいだしました。
ぼうやの からだには ぶつぶつが
 できて、目はにごり、まもなく うわごとを いうように なりました。
「あっ、あの 夕焼け、こわいよう、 こわいよう!」「ねえ、おとうちゃんは、いつ かえって くるの?」
「あたまが いたい!いたいんだよう!」

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こんな絵本も出てきました。『ちいちゃんのかげおくり』(あまんきみこ作 上野紀子絵 あかね書房 1982年7月、1983年6月5刷)。左上の丸いシールには、「第29回青少年読書感想文全国コンクール課題図書」となっています。

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2024年6月20日 (木)

女川原発2号機、9月に再稼働か―電気料金が安くなる?

 6月13日、東北電力は、 女川原発2号機の安全対策工事を完了したと、報道陣に公開した。多くの新聞は、翌日、高さ29メートル、長さ800mの防潮堤の写真とともに報じている。9月の再稼働を目指しているという。

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海抜29m、800mの防潮堤。東日本大震災前の敷地の海抜は14.8m、津波の予想最高水位は23.1mにそなえたというが。『福島民友』(2024年6月14日)より。

 しかし、事故が発生した場合の避難計画は課題が残ったままである。石巻市になる牡鹿半島先端の住民たちは孤立する。女川町内では東日本大震災時の津波で道路が寸断され、孤立した地域があった。大震災時は、原発3機を擁した敷地内施設に、数百人もが避難していたという危険を冒していたことを、私などは5年後現地に行って初めて知った。もちろん、シェルターがあるわけではない。

 避難経路対策の不備ばかりでなく、地元のみやぎ脱原発・風の会によると、以下のような問題があるという。東北電力、宮城県知事あての要望書、質問書、それへの回答書などを通読した限りなかなか難しいのだが、私の理解の範囲では以下が重要らしい。
① 2021年7月12日の硫化水素流失事故を踏まえて、検出・警報装置の設置、有毒ガス防護・再発防止策がなされていないこと
②女川原発周辺での地震は、活断層によるものはなく、海洋プレート内地震とされているが、活断層の有無も調査検討が必要なこと。

 いずれも、2024年1月1日の能登半島地震による志賀原発の被害を教訓として、これらが解決しない限り再稼働はあってはならないとするものである。

 またさらに、東北電力は、女川原発2号機の再稼働にあたり、つぎのような試算を示した。

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『河北新報』オンライン(2024年1月29日)より。
参考
:原子力発電費1352億円+他社からの購入費265億円=1617億円
1617
億円÷販売電力量689億キロワット時=2.35
総原価19743億円÷年間発電量38.67億キロワット時=41.82円(1キロワット時)、日本卸売電力取引所20.37円(1キロワット時)

 これらを分析すると、標準家庭で電気料金が月額で140円値下げができることになるという。
  ところが、つぎの記事によれば、消費者庁電気料金アドバイザー大島堅一の試算では、年間経費1617億円を年間販売電力量689キロワット時で割り、標準家庭月額を計算すると611円になる。決して値下げとはならないと

 東北電力はこれらの見解に対して、試算は当面3か年のもので、2号機の発電経費だけでなくその他の経費を含めた上の算定で、前提が違うし、中長期的にみれば、電力の安定供給を確保できるものである、とする。

東北電の原発費用、電気料金を底上げ 女川2号機再稼働しても…引き下げ効果の約4倍に | 河北新報オンライン /2024年1月29日
https://kahoku.news/articles/20240127khn000055.html

 なお、今回初めて知って、驚いたことがいくつかあった。一つは、試算の表の中に出て来る「他社からの原子力発電購入電力料:265億円」の存在である。東北電力は、かつて受電していた東京電力の柏崎刈羽原発1号機は休止しているが再稼働の申請もしていないし、日本原子力発電の東京第二発電所は、地元の同意を得られず再稼働のめどが立っていない、にもかかわらず、両原発に契約上維持費ということで、毎年支払っており、これからも払い続けるらしい。現在の契約内容は、競争上、あるいは守秘義務により明らかにできない、とする。一つは、JEPX(日本卸売電力取、現理事長金本良嗣)というものがあって、例えば女川原発2号機再稼働した場合の1キロワット時の単価の二分の一くらいになるという。私には、まだ実態が分からないが、各電力会社が日常的に依拠できることが可能なのだろうか。 

 いずれにしても、原発頼みの地域経済、女川町にはかつて21の浜があって、漁業が盛んであった。大震災では、以降、人口約1万人は半減、6000人弱、死者は827人、約90%の家屋が被害を受け、ほとんどが全壊となった。復旧にあたっては、海の見える町を目指して高い防潮堤は建設せず、土地のかさ上げによって実現した。原発による固定資産税、原発関係者の居住や消費が町の財政に欠かせない事態に至っている。

 今年の2月にも、女川町が震災復興のモデルのように絶賛した番組「羽鳥モーニングショー」に疑問を呈した記事を書いている。
女川の町は、いま~被災地復興 のモデル?(2024年2月13日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2024/02/post-f07644.html

 女川町には、たった一度しか訪ねていないが、どうしても気になってしまうのは、1968年に、東北電力が原発を女川町小屋取に建設を決定して以来、親子二代にわたって建設反対運動に取り組んでこられた阿部宗悦さん、阿部美紀子さんのことを知ったからである。次の記事と重なるが、美紀子さんは現在町議会議員三期目、2022年『原発のまち 50年のかお』を編集した。

写真集『原発のまち 50年のかお』の勁さとやさしさ(2022年11月22日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2022/11/post-3f4728.htm

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写真集『原発のまち 50年のかお』(一葉社 2022年11月)表紙、1976年9月23日、女川原発絶対阻止三町(女川・牡鹿・雄勝)連合決起大会。

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1976年6月23日、女川町主催の漁業説明会、阿部壮悦さんと美紀子さん。美紀子さんの近況は以下にも。
「機動隊が盾で殴るんだよね」“原発頼み”の町が強いられた50年前の分断と、迎える再稼働のとき | tbcニュース│tbc東北放送 (1ページ) (tbs.co.jp)

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2023年3月12日 (日)

2011年3月11日、あれから12年、原発回帰は許さない

 あの日は、すばらしい晴天に恵まれた朝だった。私たち夫婦は、浅草公会堂での東京大空襲展を見学、被災者の体験談のコーナーで話をお聞きした後、新宿の写真展に向おう山手線に乗っていた。午後2時46分、大きな揺れとともに電車は止まった。なんどもの余震、車内の停電、不安は募るばかりだった。九段会館の天井が落下、死者が出たというニュースが車内でささやかれていた。4時をまわった頃、先頭車両から線路に降ろされ、最寄りの代々木駅まで歩き、さらに新宿まで歩くほかなかった。新宿駅南口は、すでに人でごった返していて、駅頭の大きなテレビ画面には、被害の状況と津波予想の日本地図がなんども映し出されていたが、巨大津波の被害や原発事故は、知る由もなかった。千葉県佐倉市の自宅に帰る術もなく、池袋の実家に向かうことしか思いつかなかった。歩いたことはないが、歩けない距離でないだろうと。それでも、連れ合いは、近いホテルに飛び込んだり、問い合わせたりしたが断られ、携帯もつながらなくなっていた。明治通りの歩道は人の列でいっぱいになり、道路いっぱいの車列の動きは鈍くなっていた。進まぬ人間の塊、動かない車列・・・。公衆電話への長い列があれば、歩道の人間の列は少しく崩れる。そんな目に何度か会いながら、ただただ黙々と歩いて、千歳橋まで来ると、サンシャインの明かりだけが親しく思えた。二人とも持っていたカメラだったが、この状況を写すということを思いつかなかった、そんな気持ちのゆとりもなかったのだろう。電話もつながらないまま、義姉が一人住む池袋西口の実家へたどり着き、玄関口を開けてもらったときは、ほっとしたものだった。
 「帰宅難民」ということばも、この地震で流布し始めたのではなかったか。私たちは、まさに帰宅難民だったわけだが、実家へ歩ける距離でなかったら、どうなっていたのだろう。 
 しかし、岩手、宮城、福島県、そして千葉県の人たちも、津波では多くの人が肉親を失い、家や職場を失うという被災者となった。原発事故は、住む家のみならず、町や村自体を失い、避難を余儀なくされ、その関連による多くの犠牲者をももたらした。その悲劇や打撃は「帰宅難民」の比ではない。 

 そんなことを思い出させる一日だったが、3月10日、仙台高裁(小林久起裁判長)は、原発事故の国の賠償責任を認めない判決が出た。2022年6月、国の賠償責任を否定した最高裁判決後の初めての高裁判決であった。この判決では、政府が公表していた地震予測「長期評価」にもとづき津波は予測でき、東電に津波対策を命じていれば「重大事故を避けられた可能性は相当程度高く」「経産相が規制権限を行使しなかった不作為に義務違反がある」としながらも「津波の防護措置には幅があり、取られる措置によって必ず重大事故を防げたと断定はできない」として国家賠償法上、権限の行使を怠ったことで原告に損害を与えたとは言えず、賠償責任はないとの結論を下したのである。東電には、国の賠償基準の「中間指針」を上回る賠償額を命じた。

 国は、上記指針を上回る賠償を東電に命じる判決が相次いで出されても、その指針を見直すことにすら消極的で、昨年の12月に、9年ぶりに改訂するありさまであった。

 折も折、岸田政権は、原発の建て替えと運転期間の60年以上を容認する方針を決定した。これは、福島第一原発事故後の2014年、「可能な限り原発依存度を低減」し、「再生エネルギーの導入を加速」すると明記していた第4次「エネルギー基本計画」を大きく転換するものである。3月3日の参院予算委員会で「エネルギーの安定確保」と「脱炭素」への対応として原発の必要性を明言した。「再生エネルギーの主力電源化」は掛け声だけで終わったのか。

 さらに、原発事故後に発生している汚染水の置き場所がないことを理由に、薄めて海へ放流するという拙速な計画が、地元の漁業関係者はじめ、県民、国民の不安が募る中、実施されようとしている。

 国民の命と暮らしを守ると言いながら、真逆のことを進め、防衛費の増強、軍拡への道は、国民の命と財産を守るどころか、アメリカ依存、アメリカへの隷従を強化することによって、国民の不安は高まり、ことによっては、国自体をも危うくしているのではないか。

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2022年11月15日 (火)

写真集『原発のまち 50年のかお』(一葉社)の勁さとやさしさ

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カバーの写真は、1976年9月23日、女川原子力発電所絶対阻止三町連合決起集会

 編者の阿部美紀子さんは、「度重なる奇跡のような出来事で」、この女川原発阻止闘争の写真集を出版するにいたったという。その奇跡とは。阿部さんは、地元で原水協の活動をされていた町議の父、阿部宗悦さんと共に、大学卒業以来、長年、女川原発阻止の活動をされてきた方だ。東日本大震災の津波で、家ごとすべて流されて、活動の記録も写真も失った。大震災の3年前に、町役場から、反対闘争も町の歴史だからと写真のデータベース化をした折、CD版ももらっていたが、それももちろん流されたが、そのデータをパソコンに取り込んでいた仙台のお仲間がいたという。ほとんど美紀子さんが撮影したその写真を中心に、地元のカメラマンや仲間の撮影による写真を集成したのが今回の写真集で、詳細な年表も付す。また、後半の「原発と暮らす」のインタビューは、どれも、一緒に活動してきた雄勝湾、女川湾、鮫浦湾に面したいくつもの浜の漁師さんたちへの阿部さんのやさしい問いかけに、かつての活動や近況などが立ち上がってくる。

目次
「女川原発差し止め訴訟」意見陳述書(要旨)
写真集発刊にあたって
<参考>「三町期成同盟」当時の女川町周辺略図
かつて、まちは――奇跡の証言写真
大津波のまちで――ありえない原発との共存
原発と暮らす――生き証人は語る
<資料>女川原発反対運動の略史

 知人に紹介していただいた阿部美紀子さんとは、2016年5月、私たち夫婦が女川を訪ねた折、かさ上げ工事さなかの町と鳴浜にある原発の近くまで車で案内していただいたご縁がある。道中、小雨の降るなか、まだ木立に引っ掛かったままのブイ、原発へのトンネルの工事現場、特攻艇の戦跡、廃校跡など下車しては説明をしてくださったことを思い出す。
 
 
 女川の原発阻止闘争は、1967年3月原子力委員会が、女川を原発立地予定地として公表した時から始まる。9月女川町議会は、原発誘致を全会一致で決議、東北電力の土地買収が始まり69年1月女川原発設置反対女川・雄勝・牡鹿三町期成同盟会結成、6月女川漁協反対決議を経る。三町期成同盟による数千人規模の海上デモや現地集会が続くが、70年代に入ると、東北電力による女川漁協幹部の切り崩しが始まる。

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75年12月7日、第1回原発反対総決起大会、壇上に並ぶ各浜代表のうち3人は大震災で亡くなっているという

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1976年6月14日、東北電力への抗議、交渉が続く

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1976年6月23日、 女川町主催の漁業説明会、阿部宗悦・美紀子さん

 女川漁協ョット臨時総会では、77年1月には条件闘争を強行採決、78年8月漁業権放棄を可決。79年3月28日スリーマイル島原発事故があるも、12月一号機着工に至り、81年12月女川原発建設差止訴訟、仙台地裁に提訴、2000年12月最高裁の上告棄却。この間、95年2号機、2002年3号機営業開始に至る。そして11年3月11日、東日本大震災の津波により女川町は壊滅的な被害を受け、女川原発は三号機とも停止、福島第一原発事故発生。以降、脱原発、女川原発再稼働阻止の運動は、宮城県民による運動となる。18年10月女川原発1号機廃炉は決定するが、20年11月11日村井宮城県知事女川原発2号機再稼働同意表明している。

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2011年4月19日、小屋取漁港(日下郁郎撮影)

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2011年4月19日、小屋取の集落の被害(日下郁郎撮影)

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2011年4月30日、鷲神の阿部家被災地跡に、流れ着いていた股引に「すべての原発廃炉に!チェルノブイリ25周年」と書き、掲げる阿部宗悦さん(スペース21撮影)。5月連休明けに自衛隊によりガレキはすべて撤去されたという。宗悦さんは、2012年7月7日に逝去された。美紀子さんは、宗悦さんの遺志を継ぎ、町議選に臨み、2012年11月から、現在三期目となる。「女川から未来を考える会」代表。

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阿部さんに案内していただとき、2016年5月撮影、女川原発がもっともよく見える場所、小屋取浜から望む。
29m防潮堤が築かれているという。

 美紀子さん、貴重な一冊をありがとうございました。この写真集にも、お会いしたときの寡黙ながら、やさしさとゆるぎない意思を感じとることができました。

 なお、写真集の出版社、一葉社は、拙著『斎藤史~「朱天」から『うたのゆくへ』の時代』(2019年1月)でお世話になっている。

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関連の過去記事

女川原発2号機はどうなるのか~再稼働反対の声は届かない(2020年10月30日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2020/10/post-bb75a1.html

連休前、5年後の被災地へ、初めての盛岡・石巻・女川へ(6)(7)(2016年5月14日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2016/05/5-5cf0.html


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2022年3月12日 (土)

2022年3月11日、そして、これから

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私たちは、この町の名前忘れてはならない。2022年3月『毎日新聞』より 

  14時46分、私は、病院の会計待ちで、電光板と脇の時計を見ていた。まず、思い起すのは、新宿に向かう山手線で、電車が大きく揺れたと思ったら停車し、2時間近く閉じ込められ、帰宅困難者となったことだった。そして、五年後、訪ねた女川の高台の病院、津波に襲われ、奪われた多くの命、石巻の日和山でガイドさんから聞いた家ごと、バスごと流され、失われた命を思い、うつむくほかなかった。また、福島の原発事故から逃れ、故郷に戻れない人々にも思いをはせるばかりであった。病院を出た後は、歯痛のため慌てて予約した歯科クリニックにも寄った。この日、私はいったい何をしていたのか、あわただしいばかりの一日であった。この11年間、いったい、私は何を見て、何をしてきたのか。

 マス・メディアは、犠牲者を慰霊し、残された家族や被災者の「絆」や再出発の希望を、ことさら報じるけれども、離れて暮らす私たちには、その現実は、なかなか見えてこない。 それでも、たとえば『東京新聞』の「こちら原発取材班」の記事などで、福島第一原発事故の見えない収束の実態を知り、被災地の歌人たちの歌集などで、その思いが伝わってくる。 ボランティア体験も乏しく、想像力も旺盛とは言えない私の根底には、ささやかな現地体験と限りある収集の術による情報しかない。

 2011年3月11日当日、自宅の佐倉には帰宅できないことを知った私たち夫婦は、新宿から私の実家のある池袋へとひたすら明治通りを歩くしかなかった。実家にもケータイではつながらず、途中の公衆電話は、どこも長蛇の列だった。高層ビルが続く明治通りは、まるで海の底のようで、隙間がない人々の黒い塊が、まるで巨体生物が実にゆっくり移動する様にも思えた。みな黙々と足を運ぶだけだった。サンシャインビルの灯りを目指し、神田川を渡ると池袋も近いと思う反面、義姉が一人暮らす実家はどうなのだろうと不安でもあった。車道の車の列は、どちらの車線にもびしりと連なり、まったく動く気配がなかった。不思議なことに、私たち二人はカメラを持っていながら、この状況を一枚も撮っていないことが後になってわかった。周辺の人たちも、カメラを持ち出す人はまず見受けられなかった。

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3月11日4時半近く、山手線の電車を降ろされ、歩き出す、原宿駅付近。

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3月11日4時半近く、新宿駅に向かって歩く、このころまでは写真を撮る余裕があったのか。

 当日の4時半ころ、歩くしかないと決めた新宿南口の巨大テレビ画面でも、津波予報の日本地図が映し出されてはいたが、津波の被害状況は分からなかった。7時少し前に着いた実家での熱いお茶に、ともかく恐怖心から解放されたという思いだった。その後にもたらされる、津波、原発事故のおそらしさを知らないままではあった。

 五年後、縁あって、父親の代から原発反対の運動にかかわっていらした女川町議会のA議員の話を聞きながら、女川原発近くまで案内していただいた。沿道の木立の枝にひっかかったままのブイや新たなトンネル工事、廃校跡、太平洋戦争時の特攻艇庫の跡などを目の当たりにした。原発が見える窓からの撮影は禁止という、原発のPRのための施設のそらぞらしさは、現在流されている電気事業協会の石坂浩二のエネルギーミックスのCMにもつながる。
 石巻では、ガイドの案内のあと、雨の中、私たちだけで、街中を歩いた。そこで、出会ったのが立町のプレハブの仮設商店街のパン屋さんだった。津波で流された店を継ぐ形で立ち上げたというパン工房パオ。仮設もあと数カ月で立ち退かなければならない中、頑張っていた。周辺の店に立ち寄る客の姿もなく寂しい限りであった。パオさんの名物、ゆば食パンは、いまも移設先で健在らしい。漁師相手のバーや居酒屋が立ち並んでいたであろう一画は、ほとんど更地になっていて、残された看板と街の角々に立つ石ノ森章太郎のキャラクターが記憶から去らない。

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2022年3月7日『朝日新聞』より

 最近の新聞で、上記「復興商店街 再生の正念場」(『朝日新聞』2022年3月7日)という記事を見かけた。そういえば、女川駅前の、完成して間もない「シーパルピア」はどうなっているのだろう。安倍首相や天皇夫妻を迎えた折の写真が目についたが、私たち観光客を迎えるにしては、さびしげな店が並んでいるだけだった。新しい駅舎の山側では、削った土砂でのかさ上げ工事の真っ盛りであった。高い防潮堤を築かず、海の見える街を目指し、女川町と都市再生機構URと鹿島・オオバ共同体による復興事業は、復興のシンボルのようにもてはやされていた。基盤工事は完了、鹿島は、そのホームページで、女川町の「震災復興から次のステージへ」と「祈念」するが、どれほどの人たちが戻ってきたのだろうか(「東日本大震災における鹿島の取組み―女川まちづくり事業」)。
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2014年3月、女川駅周辺、この2枚は、鹿島のホームページから。
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2020年3月、女川駅周辺。新しい駅は、2015年、中央の煉瓦通りの手前に建設されている

 石巻でも、2兆円近い復興費を注がれたものの、街の賑わいは戻らないという(「復興1・9兆 街には空き地」『朝日新聞』2021年1月28日)。
 福島の場合はより深刻なのではないか。たとえば、大熊町では、来年4月に町立義務教育学校「学び舎 ゆめの森」が開かれる。新学校は小・中学校が一貫し、認定こども園(保育園と幼稚園)も併設され、0歳から15歳までを対象にするという。国からの予算をもとに総工費は45億3900万円に及んだが、来年通学予定の児童・生徒たちは6人だという。会津若松市へ避難した保護者たちからは、就業や住環境が整わない大熊町に戻るメリットがないというのだ。大熊町は、約6割が帰還困難区域になっているが、地図で見る青色地域が「特定復興再生拠点区域」になるという。

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大熊町の青色の地域に限って、帰還できるといい、学校も建設したのだろうけれど。環境省除染情報サイトより。

 復興というが、復旧もままならず、国や自治体がすることは、ほんとうに住民の意に沿うものなのか、疑問は増すばかりである。

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2021年3月10日 (水)

十年目の3月11日、どうしたらいいのか

 3月5日、山本宣治の命日だった。3月8日は、国際女性デーであった。そして、首都圏の非常事態宣言は2週間延長された日でもある。千葉県などは、いまだに、三桁の新規感染者が続くこともある。

 そして、今日は、東京大空襲の日であった。10万人の犠牲者を出し、東京の下町を焼き尽くしていた炎が遠い西の空を染めていたのをたしかに見ていた、かすかな記憶がよみがえる。疎開地の千葉県佐原から、母に促されてみたのだろう。店を守っていた父と専門学校の学生だった長兄が残っていた池袋の生家が無事だったのもつかの間、4月14日の未明、その我が家も城北大空襲で焼失、命からがらに憔悴して疎開地にやってきた父と兄、私は父に、いつものようにお土産をねだっていたという。何もわかっていなかったのである。

 そして、明日は3月11日、まず、思い起こすのは、あの日の私自身の記憶につながることではある。しかし、その後、次から次へと伝えられたテレビや新聞で報道された画像や記事、そして、10年にわたって、さまざまな人たちの証言や専門家による検証であった。津波に襲われることなく、福島の原発から遠く離れた、この地にあっても、強烈な恐怖となって迫ってくるのは、原発事故の眼に見えない、収束のない被害と津波の恐ろしさである。自身のわずかな体験ながら、津波に襲われ、多くの命と街を奪われた石巻、津波の被害に加え、原発を擁する女川の地を訪ねて、その感を一層強くしたのだった。その思いの一端を、このブログでも記してきた。

 昨3月9日の閣議で「東日本大震災復興の基本方針」の改定が決定されたという。そのポイントというのが、
①復興庁の設置は、10年間延長し、その前半5年間は第二期の「復興・創生期間」とする
②地震と津波の被災者の心のケアなどソフト事業に重点を置く
③原発事故の被災地では、避難指示が解除された地域への帰還や移住を促進し、国際的な教育研究拠点を整備する
④原発の汚染水処理の処分については、先送りできない課題だとして、風評対策も含め、適切なタイミングで結論を出す

 それに先立ち「第29回復興推進会議及び第53回原子力災害対策本部会議の合同会合」を開催し、上記の基本方針を議論したというが、首相は次のように述べたという(首相官邸ホームページ)。

「間もなく、東日本大震災から10年の節目を迎えます。被災地の方々の絶え間ない御努力によって、復興は着実に進展しています。
 昨年12月、岩手・宮城では、商業施設や防潮堤などを視察し、まちづくりやインフラ整備の進捗を実感しました。今後、これらの地域における被災者の心のケアやコミュニティ形成といったソフト面の施策に注力してまいります。
 昨年9月に続いて、先週末も福島を訪問し、地元の方々と移住されてきた方々が協力して、新しい挑戦を行う熱い思いに触れることができました。福島の復興のため、その前提となる廃炉の安全で着実な実施、特定復興再生拠点区域の避難指示解除に向けた取組と区域外の方針検討の加速、さらに移住の促進など、取り組んでまいります。
 こうした状況を踏まえ、来年度から始まる復興期間に向けて、『復興の基本方針』を改定いたします。
 福島の復興なくして、東北の復興なし。東北の復興なくして、日本の再生なし。 この決意の下に、引き続き政府の最重要課題として取り組んでいく必要があります。閣僚全員が復興大臣であると、その認識の下に、被災地の復興に全力を尽くしていただきたいと思います。」

 この日のNHK夜7時のニュースは、基本方針のポイントと、閣議前の復興会議の議論を踏まえての発言の最後のフレーズだけを放映していた。「福島の復興なくして、東北の復興なし。東北の復興なくして、日本の再生なし。」とはなんと白々しい、と思うことしきりであった。

  災害や痛ましい事件のあとに、被災者や被害者、その周辺の人たちへの「心のケア」の大切さが言われるが、少なくとも、東日本大震災の被災者には「心のケア」より、何より大切なのは、生活再建、経済支援なのではないか。いくら避難指示が解除されたからといって、仕事が確保され、生活環境が整わないかぎり、「望郷の念」だけでは戻れないだろう。首相がインフラ整備の一部を視察したからと言って、災害公営住宅の家賃の値上げや廃炉・汚染水処理が進まないなかのエネルギーミックスなど言われては、不信感は募るばかりだろう。
  その一方で、聖火ランナーの辞退者が続き、途切れてしまうし、海外からの一般客は断念しながらも開催するというのだから、福島復興の証としての五輪は、幻想でしかなかったのだ。
  それを質すべき野党の体たらくに、期待することはできない。政府も野党もアテにならない。客観性に欠けるマス・メディアの報道、テレビや新聞に登場する常連のコメンテイターたちも、自分の“居場所大事”な人が多い。たまにまともなことを言うと、すぐに炎上し、自粛へと傾いていく。若い人は、新聞もテレビさえ見ない、まして本を読まない人が多いらしい。

  ならば、私たちはどうしたらいいのか。自分と異なる人の意見もしっかりと聞く。悩みは増えるけれど、自分が感じたり、思ったり、考えてたりしたことを、率直に発信していくほかないのかもしれない。そして、先人の残した知見から少しでも学ぶことなのだろうか。平凡なことながら、それが難しい。高齢者にはつらい日が続く。3月は、私の誕生月でもあったのである。

 

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