2022年6月26日 (日)

忘れてはいけない、覚えているうちに(1)「戦後短歌史とジェンダーを研究する会」の最後の会計係

 あまり好きな言葉ではないが、「断捨離」のさなか、身辺整理を始めてはいるが、なかなか片付かない。この間は、台所の食器類を整理した。まるで使ってないワイングラスのセットやコーヒーカップ、菓子皿や茶たくなどを取り出してみた。近くの散歩コースにある高齢者施設には、いきなり声をかけさせてもらった。若い施設長がやって来て、「ほんとに欲しいものだけでいいんですか」「これはお客さん用に」「花びんはありがたいです。季節の花は、皆さんよろこばれますから」と段ボール一杯ほどだが引き取ってくださった。雑誌や本、ノート、コピーした資料、手紙などになるとそう簡単にはいかない。

 古いファイルの一つを開いてみると、「戦後短歌史とジェンダーを研究会 会計ノート」と会場借用料の領収書が出てきた。記帳によると、2002年11月30日から2009年11月20日までで、残高2805円とあり、現金が入った封筒が挟まれていた。ノートによれば、私が、2009年6月から会計係を務めていたらしい。

 この会のあらましは、『扉を開いた女たち―ジェンダーからみた短歌史』(砂小屋書房 2002年3月)の「あとがき」にも記しているが、1995年秋、阿木津英の呼びかけで、1996年1月、銀座の「滝沢」で8名の女性歌人によって立ち上げられた。当初は、ほぼ2カ月おきに、戦後の短歌雑誌を、ひとまず1953年まで読み込んでみようということで、交代のレポートをもとに検証を進めた。そして、その成果は、最後まで残った阿木津、小林とし子と私の3人の共著『扉を開いた女たち』となった。この書は、東京女性財団の出版助成100万円を受けたことも忘れ難い。当時の石原都知事は、2001年度をもって、この事業を廃止してしまったのである。

 その出版を受けて、あたらしいメンバーで、再スタートした痕跡が、上記ノートに残されていた。2002年11月、銀座ルノアールで、上記の阿木津、小林、内野に、森山晴美、藤木直実、佐竹游が参加、その後は、空室を求めて中央区の区民館―銀座、人形町、新場、久松町、堀留町、京橋・・・と転々とした。途中、浜田美枝子も参加したが、去るメンバーもあって、2010年9月7日、銀座ルノアールの会で、研究会は中止となった。その成果を会として、まとめられなかったのは残念な思いもするが、その後は、各自が、ここに挙げるまでもなく、自らの研究成果や歌集を出版され、活躍されているのは、かつての、あの熱量を懐かしむとともに、心強くも思う昨今である。

 残高は、私がいつも古切手をお送りしている、かにた婦人の村「かにた後援会」(千葉県館山市大賀594)にカンパさせてもらうつもりなのだが、それでよろしいものか。

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先日、シルバーサービスのK
さんたち二人にお願いして、ドクダミほかの草引きをしていただいた。二年半ぶりなので、今度は早めにと言われてしまった。7月初めには、庭木の剪定もお願いしているが、スケジュールが込んでいるそうだ。写真左、数年前、移植したあじさいも今年は咲いてくれそう。

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2022年6月 7日 (火)

『喜べ、幸いなる魂よ』(佐藤亜紀)~フランドル地方が舞台と知って

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  近年、めったに小説など読むことはないのだが、主人公がフランドル地方のゲント(現地の読み方がヘントらしい)のベギン会の修道院で暮らす女性と知って、読み始めた。というのも、すでに20年も前のことなのだが、2002年の秋、ブリュッセルに何泊かしたときに、日帰りで、ゲントに出かけて、その小さな街の雰囲気が印象深かったこと、ブルージュに出かけた日は、ふと立ち寄ったベギン会修道院のたたずまいが忘れがたいこともあって、ぜひ、読まねばとの思いに駆られた。 

  小説は、18世紀、亜麻糸を手堅く商う家に生まれた双子の姉ヤネケと養子として引き取られたヤンとの愛の物語である。読書が大好きで、数学や天文学などにも関心が深いヤネケはまるで実験かのようにヤンと愛し合い、二人の間に生まれた子は、二人と引き離され乳母に預けられる。ヤネケは、母方の叔母が暮らすベギン会修道院に入ってしまう。ヤンは、子への愛を断ち切れず引き取り、亜麻糸の商人として働きながら育てるのだった。当時の女性は子を産むことと家を守ることに専念すべきで、学問をするなど許される時代ではなく、双子の弟のテオやヤンの名前で本を出版して、認められるようにもなってゆく。テオは、野心家の市長の娘と結婚するが不慮の事故で急逝すると、市長の娘とヤンは結婚、亜麻糸商を任されることになる。ヤンは、店の帳簿を、数字に強いヤネケに点検してもらうために、修道院に通ったり、ヤネケは、二人ならば許されるという外出を利用して、しばしば生家を訪れたりして、ヤンや子供のレオとの交流もする。

  ベギン会の修道院は、一般社会と切断されているものではなく、統括する組織もなく、信仰に入った単身女性たちは、敷地内のテラスハウスのような住居を所有する。外出も可能で、居住区以外は、男性の出入りもできたという。それぞれ、資産を持ち、亜麻を梳いたり、レース編みをしたり、あるいは家庭教師になったり、さまざまな技能と労働をもって、自分で生計を立て、貯えもする。

  敷地内で、ヤネケが育てているリンゴの木、毎年少しづつ美味になってゆく果実をヤンと食す場面が象徴的でもある。市長の娘の妻との暮らしもつかの間、風邪をこじらせ急逝、今度は、ヤンが市長の座にふさわしい妻をということで、貴族の未亡人と結婚したが、出産時に死去、ふたたびひとり身になるのだ。

 ただ、成長した子供のレオは、ヤネケが母とは知らず、なつかないまま、商売の手伝いをするわけでもなく、やがて家を出てしまう。そして、ヤネケとヤンの老齢期に近づくころ、二人にとっても、フランドル地方にとっても思わぬ展開になるのだが、二人の愛は、揺らぐものではなかった・・・。

 登場人物の名をなかなか覚えられないので、外国文学は苦手なのだが、この小説でも登場人物一覧にときどき立ち戻るのだった。著者は、フランスへの留学経験があるものの、研究書などによる時代考証に苦労したに違いないが、女性の自立と愛の形を問いかける一冊となった。

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ブルージュの街を散策中、長い石塀をめぐらせている施設があったので、何の気なしに小さな戸口から入ってみると、そこには、林の中に白い建物が立ち並ぶ静寂な世界が広がっていた。旧ベギン会の修道院で、13世紀のフランドル伯夫人の手により設立されたが、現存の建物は、17世紀にさかのぼる。いまはベネデイクト会女子修道院として利用されている。ゲントには、二つのベギン会の修道院があるが、訪ねることができなかった。フランドル地方に14あったベギン会修道院は、ユネスコ世界遺産に登録されてるという。

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上が、ゲント市内全景。2002年当時の現地の観光案内書から。下は、正面が聖バーフ大聖堂。

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ゲントは、どこを切り取っても絵になるような街である。

ゲントについては、下記の当ブログ記事でもふれている。

エミール・クラウス展とゲントの思い出(2)(2013年7月9日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2013/07/post-d279.html

 

 

 

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2022年2月 3日 (木)

根付く「不平等」の壁

 以下は、『ポトナム』に寄稿した歌壇時評である。
 一つ前の記事は、貞明皇后の短歌を引いた。今回は、明治天皇美子皇后、昭憲皇太后の短歌の引用で始まる。今は、旧著でも、このブログでも何回か触れているが、平成期の美智子皇后の短歌を読み、少しまとまった文章を書こうと思っている。昭和期の良子皇后、現代の雅子皇后も含めて、近現代の皇后は、それぞれに、ことなった性格や能力を持っていたと思うが、彼女らの行動や例えば短歌にしても、政治に利用されるという大きな役割からはみ出すことはなかった。あったであろう葛藤や配慮が痛ましいだけに、現代こそ、天皇制そのものが、不平等や格差を広げ、その根源になっていることを自覚しなければならないだろう。

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・松が枝にたちならびてもさく花のよわきこころは見ゆべきものを(「男女同権といふこと」)

・むつまじき中洲にあそぶみさごすらおのづからなる道はありけり(「夫婦有別」)

 最近、明治以降の皇后の短歌を読んでいる。類歌が多い中で、「詞書」が珍しかったので、この二首に立ち止まった。一八七九年、明治天皇の美子皇后の歌である。教育、とくに女子教育の普及に熱心であったことは知られるところだが、女性の「よわきこころ」、「おのづからなる道」、その弱さ、役割分担というものをわきまえ、それを積極的に自覚すべきだと説いている。皇后としては、女性の「エリート」の育成を目論みながらも、女性低位の教育制度をはみ出るものではなかった。当時、中村正直によるJ・S・ミルの訳書や福沢諭吉の『学問のすすめ』などが刊行され、「新聞紙上では”男女同権”が一大流行語になった」(関口すみ子「男女同権論」『女性学事典』岩波書店 二〇〇二年六月 三三三頁)ことを、見逃さずに詠んだものと思う。

 「男女同権」とは、もはや死語に近いのかもしれない。近年は、ジェンダーの平等、多様性の尊重という言葉に入れ替わりながら、平等が語られるようになった。二〇一五年、国連サミットで、二〇三〇年を達成期限として採択された「SDGs(持続可能な開発目標)」の一七の目標の一つとして「ジェンダー平等を実現しよう」が掲げられた。政治家やタレントたちが、あの一七色?のドーナツ型のバッジをつけはじめた。「世界中の人々が豊かに暮らし続けていくための世界共通」の「開発目標」の一環なのかと思うと、どこか違和感を持ってしまう。さらに、社会的性差、文化的性差をなくすことが「多様性の尊重」に束ねられてしまうことにも危惧を覚えてしまう。あのバッジが氾濫しても、現実には「世界経済フォーラム」によるジェンダーギャップ指数はいずれの分野でも低位から抜け出せず、各様のパワハラ、セクハラは後を絶たない。夫婦別姓すらも法制化することができない。

・「新しい女」と言ひしは百年前いまなほ上書き入力つづく
    寺島博子『歌壇』二〇二一年八月

・旧姓を筆名とするその後の厨の海鼠は真夜ふとりぬ
    大野景子「作品点描」『角川短歌年鑑』二〇二二年版

   新刊の『角川短歌年鑑』では、「作品点描」「自選作品集」の配列が、従来の世代別から五十音順に変更された。「編集後記」によれば年代を超えてより多くの作品に触れ、氏名による検索がしやすいようにということであった。年齢によって作品の評価がされがちなことから解放されるという意味でもよかったと思う。
   また、最近、大学を拠点とする短歌会出身の若い歌人たちが活躍するようになった。すると、歌壇では、大学院生とか大学教員などの肩書がさりげなく表示されることが多くなり、いまだ学歴社会を引きづっているようにも思う。そして、職業に貴賤はないというものの、「図書館長になった」の詞書のある、つぎのような一首に出会った。館長は閑職ではなく、激職のはずなのに。

・大学の最後の仕事 書生らの守り神なりわれはよろこぶ
   坂井修一「漏刻」『短歌』二〇二一年一〇月

   三〇余年、その大半を大学図書館で働いてきた身としては、「いまだに変わっていないな」の思いしきりであった。教員にとって、図書館職員は「書生?」なのである。(『ポトナム』2022年2月) 

 

 

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2021年9月 4日 (土)

『ねむらない樹』(侃侃房)?!に「阿部静枝」について書きました。

 8月31日は、阿部静枝の命日であった。葬儀は、1974年9月10日、地元の池袋の祥雲寺で執り行われた。歌人、阿部静枝について知る人は、歌人でも少ないかもしれない。よく間違われた歌手「あべしずえ」すら知る人も少なくなった昨今である。私は、『ポトナム』という短歌雑誌で、阿部静枝の晩年に師事したことになる。
 今回、侃侃房(かんかんぼう)の『ねむらない樹』7号に、葛原妙子特集の中での「阿部静枝」についてという依頼であった。『ねむらない樹』、まだ、手にしたこともない雑誌、このムックは若い歌人たちの活動の場らしい評判は聞いていた。少し戸惑いながら、2頁ほどの文章ならと書くことにした。若い人たちに阿部静枝や「女人短歌会」について、知ってもらうことがでできればと思った。

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 このさし絵の静枝は、いつの頃の写真をもとに描いたのだろう。若々しい。静枝の甥にあたる阿部徹雄は、毎日新聞のカメラマンだった。彼の手になる戦前の静枝の写真に接することができた。ブログの記事が縁で、徹雄の子息阿部力さんから送信していただいた。また、静枝の遠縁にあたる櫻井敦子さんからは、自ら作成した詳細な静枝のルーツを示す系図をいただいている。これもブログの記事が縁であった。お二人とはいまも、メールでの情報交換が続ている。ありがたいことである。

クリックするとpdf版でお読みいただけます。
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2020年4月 1日 (水)

女性歌人のいま・むかし~二つの文章が活字になりました

 三月末に、以下が刊行されました。

① 「阿部静枝の戦後―歌集『霜の道』と評論活動をめぐって」(新・フェミニズム批評の会編『昭和後期女性文学論』 翰林書房 2020年3月28日)
② 「女性歌人の評価は変わったのか―『短歌研究』『短歌』の数字からみる」(『ポトナム』 ポトナム短歌会 2020年4月)

 ①は、すでに数年前の「新・フェニミズム批評の会」でのレポートを踏まえています。
「ふたたび、阿部静枝について、報告しました」 2016217
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2016/02/post-c250.html

 また、今回の論稿は、すでに刊行された以下の二拙著に連なるものとなります。

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★阿部静枝の短歌はどう変わったのか―無産女性運動から翼賛へ(新・フェミニズム批評の会編『昭和前期女性文学論』 翰林書房 2016年10月15日)

★内閣情報局は阿部静枝をどう見ていたか―女性歌人起用の背景(拙著『天皇の短歌は何を語るのか』 御茶の水書房 2013年8月15日) 

 「阿部静枝って、だれ?」「新・フェミニズム批評の会とは?」と思われた方は、とりあえず、つぎの当ブログ記事をお読みいただけたらと思います。

『昭和前期女性文学論』(新・フェミニズム批評の会編 201610月)に寄稿しました」2016116
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2016/11/201610-3cc6.html

  ②は、かねてより、いくつかのデータを収集、作成していましたが、その一部を使って、書いたものです。執筆予定者に代わってのピンチヒッターでした。どこかにミスはなかったか、どれほどのことを伝えられたか、不安です。5頁なので、全文をここに掲げますので、ご教示いただきたいと思います。

不鮮明ですが、クリックしていただければ読めると思います

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2020年3月 3日 (火)

歌壇における女性歌人の過去と現在

 今日は「ひな祭り」なのだが、おひな様を出さなくなって久しい。花より団子で、私の好物の穴子を散らしたお寿司とヒラマサのお刺身、ポテトサラダという妙な献立で、二人だけで祝った?のだった。生活クラブのはまぐりは、娘が帰省していた折、すでにお吸い物にしてしまっていた。

 ひな祭りと言えば、『短歌研究』という雑誌は、三月号は、毎年女性歌人特集をするのが恒例であった。1960年前後から、時折、女性作品特集が組まれていたが、定例化したのは1969年以降で、ほぼ例外なく踏襲されてきたし、1980年代からは五月号の男性歌人特集もセットになった。ところが、今年の三月号には、どうだろう、その女性歌人特集が消えていた。節句にちなむ特集などよく続いたものだとむしろ感心もしていた。私などもちろん縁がなかったのだが、三月号の特集が、女性歌人へのせめてものサービス、量的にも質的にも勝っている女性歌人への「ガス抜き」の様相を呈していたので、どこかすっきりした感じがしないでもない。五月号の男性歌人踏襲もなくなるのだろう。これからの歌壇において女性歌人が、どういう評価をされていくのか、注視していきたいところである。

 今年の1月中旬締め切りで、同人になっている『ポトナム』誌の「歌壇時評」に以下を寄稿した。同じようなテーマで、すでに昨12月の当ブログでも記事にしているので、併せてご覧いただけたら幸いである。

・歌壇、この一年を振り返る季節(2)歌人によるパワハラ?セクハラ?~見え隠れする性差(2019年12月22日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/12/post-b5862e.html

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  昨年、「阿部静枝の戦後」について調べ、作成中の静枝の「著作・関連文献年表」を眺めていると、精力的なまでに、多くの短歌作品と短歌評論を残していたことを改めて知るのだった。しかし、アンソロジーや短歌史に、その名を見いだすことがまれなのはなぜかの思いにもいたったのである。短歌以外の新聞や雑誌、女性、教育雑誌をはじめ、政治から料理までという広い分野のメディアにも頻繁に登場し、座談会や人生相談にまで応じていた。
  静枝(一八九九~一九七四)の敗戦後の短歌評論や発言は、二〇代から、夫、温知とともに無産運動の活動家としての経験――婦人参政権獲得、女子労働・母性保護、母子扶助運動の実践―などを踏まえ、やや生硬な表現を伴いながらも、率直かつ厳しいもので、多くの男性歌人や女性歌人にとっても、耳の痛いことが多かったのではないか。
  静枝の没後から四五年も過ぎた今日にあっても、社会や歌壇における女性差別は改まらない。そんなことを考えていた矢先、歌壇において、男性歌人による「ミューズ発言」が、問題になっていることを知った。一昨年六月、名古屋での「ニューウェーブ三〇年」というシンポジウムで「ニューウェーブに女性歌人はいないのか」との会場からの質問に、パネリストの加藤治郎はみずから「加藤、荻原裕幸、西田政史、穂村弘の四人だけがニューウェーブだ」と断定したという。さらに、昨年二月、加藤が「ニューウェーブに女性歌人はいないのか」の題で「水原紫苑は、ニューウェーブのミューズだった。・・・」とツイートしたことが、短歌雑誌やネット上の歌壇時評で批判されることになった。
  短歌史上、「ニューウェーブ」の明確な定義は見当たらないが、私は、一九八〇年代後半、俵万智『サラダ記念日』出版以降、いわゆるライトヴァースの延長線上の若い歌人たちによる口語的発想で、日常の些細なことがらや微妙な違和感などを軽妙に歌い、ときには現代文明批判めいた作品に仕上げる傾向の短歌というくらいの認識であった。私には意味不明な歌が、もてはやされたりして戸惑ったりしたが、その担い手を、なぜ特定の男性歌人四人に限るのかは理解できない。さらに、ミューズ発言の前後には、女性差別以外にも差別表現があったというが、現在、そのツイートは削除されている。
   このあたりの顛末は、高島裕「これ以上ニューウェーブを語らないために」(『未来』二〇一九年二月)、川野芽生「うつくしい顔」(『現代短歌』同四月)、中西亮太「川野芽生『うつくしい顔』について」(ブログ「和爾、ネコ、ウタ」同三月一七日)、中島裕介「ニューウェーブと『ミューズ』」(『短歌研究』同四月)などで知ることができる。さらに、中島は、自らのツイッターや「note」において、加藤発言を追跡、批判を発信し続け、加藤も、反省、謝罪、画策、反論などを繰り返している。その過程で、決着の糸口になるのかどうか、加藤・中島が属する未来短歌会の理事会は、一選者のハラスメントについての事実確認と検討委員会設置などの協議を始める旨を決めたらしい(「未来短歌会」ホームページ二〇一九年一一月三〇日)。
   政治や企業の世界だけでなく、人権にかかわるハラスメントが、文芸やスポーツの世界、そして家族間においてまで、顕在化してきたことの現れでもあろう。しかし、最新の二つの『短歌年鑑』では、これらの動向についてだれも触れようとしなかった。かつて、〈女流歌壇〉と括ることにさえ疑問を呈しながら、女性歌人が低位に置かれている実態に抗議していた阿部静枝の声(「女流歌壇展望」『短歌声調』一九五〇年一月)が聞こえてくるようだ。(『ポトナム』2020年3月号所収)

 

 

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2019年12月22日 (日)

歌壇、この一年を振り返る季節(2)歌人によるパワハラ?セクハラ?~見え隠れする性差

 歌壇の内情に疎い私には、今年「未来」という短歌結社の選者の一人である加藤治郎の発言やツイートによる発信が物議をかもしていることを最近知った。加藤が、2018年2月から『短歌往来』に「ニューウェーブ歌人メモワール」という1頁ものを連載しているのは承知していた。自分に関する記録はかなり丹念に残している人だな、というのはわかったが、岡井隆との縁から始まり、なんか“きらびやかな”過去を自慢したい年齢になったのかの思いで読んでいた。今も続いている。

 昨年6月、名古屋で「ニューウェーブ30年」というシンポジウムにおいて、「ニューウェーブに女性歌人はいないのか」という会場からの質問に、パネリストの一人荻原裕幸は回答をスルーし、同じくパネリストの加藤はみずから「加藤、荻原、西田政史、穂村弘の4人だけがニューウェーブだ」と断定したという。
 短歌史における「ニューウェーブ」という定義はあるのかないのか。1980年代、俵万智『サラダ記念日』がベストセラーになったころと前後して、いわゆる「前衛短歌」を継承する一つの潮流として、口語的、風俗的、軽妙でもあり、ときには現代の文明批判?にもなっていると持ち上げられることもあった作品の総称くらいに、私は思っていた。男性4人に限定する意図はどこにあるのだろう。なんか、おもちゃを独占したい子供みたいな、と一笑に付したいところだった。

 ところが、その加藤が、今年の2月「ニューウェーブに女性歌人はいないのか」の題で「水原紫苑は、ニューウェーブのミューズだった。・・・」というツイッター上での発信があったらしい。今は消去されているが、その辺の事情は、高島裕「これ以上ニューウェーブを語らないために」(『未来』2019年2月)、中島裕介「ニューウェーブと『ミューズ』」(『短歌研究』2019年4月)、川野芽生「うつくしい顔」(『現代短歌』2019年4月)で知ることができる。さらに、中島は、自らのツイッターと“note “において、この問題から端を発したもろもろの出来事を追跡、加藤批判を緩めず、糾弾を続けている。加藤も、反省したり、謝ったり、画策したり、反論を繰り返している。その中で、歌壇における女性歌人の位置づけから、短歌結社内の選者による権力によるハラスメントやセクシャル・ハラスメントの問題にもなっている。
 ここでは詳しく述べないが、加藤が選者を務める『未来』(1951年近藤芳美を発行人として創刊、岡井隆の編集復帰で、近藤没後は岡井が理事長を務めている)のホームページ上の理事会報告(11月30日開催)の討議・決定事項の一つに、以下が掲載されていた。
「当会一選者のハラスメントに関わる事案が理事の一人から提議されました。事実確認の方法を模索しているところですが、協議の結果、今後ハラスメントに関する委員会、相談会等を設置するべく検討し、防止に努めることとしました。」

 当日出席の理事は、さいとうなおこ、佐伯裕子、池田はるみ、道浦母都子、山田富士郎、 加藤治郎、大辻隆弘、笹公人、黒瀬珂瀾、中川佐和子 の10人で、欠席が理事長の岡井隆、副理事長の大島史洋、との記録がある。たんなるお家騒動、結社内の内紛としてではなく、真剣に取り組んでほしいと思った。 

 昨年から、今年にかけて、重大な問題提起がなされたにもかかわらず、その後の時評や二つの年鑑の年間回顧などでの言及が見当たらなかった。『短歌研究年鑑』の座談会では、「『ジェンダー』をめぐる問題意識」の小題で、折口信夫や菱川善夫にまでさかのぼりながら、佐佐木幸綱は「ジェンダーという問題意識は新しいから、まだ検証中」だという主旨の発言をし、穂村弘も将来の大きな課題との認識を示すのみで、語りたがらない「判断留保」の感があった。また、『歌壇』2019年12月号の歌壇一年の動向をまとめたとする奥田亡羊「穂村弘と新しい世代」においても、三上春海「『極』/現在」(『現代短歌』〈2019年5月〉)の「運動体」までには至らなかったとする「瀬戸夏子、服部真理子、大森静佳、川野芽生らの〈性〉と〈暴力〉をめぐる積極的な論作」を固有の運動性を有しながらの「流動体」として評価をするにとどまった。

 この間、高松霞「短歌・俳句・連句会での、セクハラ体験談をお寄せください」というサイトまで現れ、第一・第二集が公開されている(https://note.com/kasumitkmt)。併せて以下のネット上「詩客」の時評も参照ください。 

・短歌時評alpha(1) 言葉を読むことと、心を読むことのむずかしさ 玲 はる名(2019-05-03 07:17:15) 

・ 短歌時評alpha(2) 氷山の一角、だからこそ。 濱松 哲朗2019-04-22 03:25:51)

・短歌時評alpha(3) 権威主義的な詩客 中島 裕介(2019-04-22 02:23:43) 

  それにしても、大昔?渦中の加藤治郎と歌会始選者の三枝昂之と私の三人による「時代と短歌~社会詠の意義」と題する座談会の企画があった(『歌壇』1995年10月)。いったい三人は何をしゃべったのか。私といえば、ひがむこともなく?いまだに相変わらず、同じことを言いつづけているんだなと、つくづく思ってしまう昨今である。

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2018年12月30日 (日)

『齋藤史『朱天』から『うたのゆくへ』の時代 「歌集」未収録作品から何を読み取るのか』(一葉社)という本が出来上がりました

 

 

 このブログ記事でも、何度か触れたことのある、歌人・斎藤史について、これまで調べてきたことや考えてきたことを書いたものです。発行日は201919日となっていますが、1228日発売となりました。すでに、「版元ドットコム」はじめインターネット上でも紹介されているのを知って、驚きました。279頁の内、後半の121頁が、資料1「齋藤史著作年表 付/斎藤史・斎藤瀏関係文献」、資料2「齋藤史「歌集」未収録作品『魚歌』から『うたのゆくへ』」などが占める本となりました。もし、関心を持たれましたら、ぜひ、お近くの図書館などにリクエストしていただければ幸いです。大きな書店でしたら、手に取っていただけるかもしれません(池袋のジュンク堂にはあったそうです)。

 前世紀?からのテーマでもありましたので、私個人としては、長いトンネルから少し明かりが見えてきた思いです。でも、まだまだ、資料の不備や考えが及ばない点が多々ありますので、心細いばかりですが、齋藤史に関心のある方や若い歌人の方々に、ぜひ読んでいただきたいと思っています。

 天皇の代替わりが迫った、この時期に、齋藤史の天皇(制)へのスタンスの変遷を通して、一度立ち止まってみることができればと思っています。 

 

<版元ドットコム>

https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784871960755


<一葉社のチラシです>

 

 

Img562<最近の当ブログより>

・短歌における「改ざん」問題 ~斎藤史を通して考える(20186 9日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2018/06/post-53c4.html

・なぜ、いま、「斎藤史」なのか~612日の「大波小波」に寄せて(2017612日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2017/06/612-88cf.html

 

 

 

 

 

 

 

 

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2018年11月24日 (土)

二つの「男女共同参画」“まつり”に参加して

 

 

 臆面もなく「一億総活躍社会」とか「すべての女性が輝く政策」とかの看板を掲げながら、現実には、その真逆のことをやっていた安倍政権には、あきれ果てて、言葉もない。内閣府が出している広報誌『共同参画』には、片山さつき大臣の「ご挨拶」が載っている。「地方創生」と「男女共同参画・女性活躍」」担当大臣の兼務による「シナジー効果」も生かしたいと決意を述べていたが、もはや絶望的でしかない。その「ご挨拶」に付せられた顔写真は、何十年前の写真と思われるような首をかしげているブロマイド風。現在の国会での答弁中の様子と比べると、見るに堪えないほどの情けなさである。

 「男女共同参画」なる言葉は、1999年「男女共同参画基本法」施行の辺りから、頻繁に使われるようにはなったか。しかし、巷でも、身近な自治体でも、定着したとは言い難い。私自身も「男女平等」の方が分かりやすいのにと思いながら過ごしてきた。そんな中で、この秋、二つの「男女共同参画」事業に参加した。

 

東京ウィメンズプラザフォーラム~「音を紡ぐ女たち」コンサート

  1028日、あたたかな日差しの中、表参道を東京ウィメンズプラザへと急いでいた。ハロウィンが近いためか、妙な扮装の若者たちをチラホラと見かける。プラザ・ホールでの「第4回音を紡ぐ女たち―女性作曲家を知り、聴く」のコンサートにやってきた。主催団体の小林緑さんからのお誘いもあって、毎年楽しませていただいている。現代では、顧みられることの少ない女性作曲家に目を向けて、広めていこうとするのがコンサートの目的でもある。 

 今回は、19世紀半ばから20世紀にかけての女性作曲家によるピアノ曲ばかりのコンサートであった。コンサートの前半は、まず、昨年生誕150年を迎えた、アメリカのエイミー・ビーチ(18671944)作曲の「夏の夢」全6曲で、身近に潜む「妖精」や小動物をテーマにした小品からなり、正住真知子さんと弘中佑子さんの連弾は、楽しくゆったりとした気分にさせられた。つぎは同じくビーチの作品のエミイ・トドロキ・シュワルツさんの独奏、セシル・シャミナード作品の山口裕子さんのダイナミックな演奏がつづく。また、ベネズエラ出身のテレサ・カレーニョの曲は、同じく山口さんの独奏だった。テレサは、小林緑さんの解説によれば、作曲や演奏活動をつづけながら、結婚や離婚を繰り返し、生活や育児に追われ、演奏旅行中病に倒れたという。首都カラカスには、「テレサ・カレーニョ劇場」といのもあるし、チャベス大統領時代の福祉政策の一つのオーケストラ運動においては、テレサの名を冠したオーケストラも誕生しているという。チャベス大統領の別の一面を知っていささか驚いたのであった。

 後半のポーランドのマリヤ・シマノフスカ(17891831)だけが、ショパンの先輩にあたり、ゲーテとも親交があったという、少し古い世代の作曲家であり、ピアニストである。日本でいえば江戸時代のことだ。三手の連弾によるワルツであった。さらに、マリー・ジャエル(18461925)は四手による連弾曲で、最後は、なんと再びシャミナードの「銀婚式」という曲は、その日のピアニスト全員による4人八手の連弾で、壮観?でもあり、私には初めてのことであった。

 ウィメンズプラザフォーラムは、2日間のいわばお祭りで、いろいろなイベントが目白押しではあったが、会場近くのマルシェ、青空市の方も気になって、早々に会場を出た。 

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ウィメンズプラザと言えば東京女性財団の「民間活動支援事業」の一環で、『扉を開く女たちジェンダーから見た短歌史1945-53』(砂小屋書房 2001年)の出版助成を受けるために、共著者の阿木津英さんと小林とし子さんの三人で、審査のための面接を受けに来たのを思い出す。想定問答を試みたり、受験生のように緊張したものだが、100万円近くの実費助成を頂くことができた。当時の石原都政は、この2000年度を最後に支援事業を打ち切ったという。

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千葉市男女共同参画センターまつり~「短歌ハーモニー」歌会

  青葉の森公園近くの千葉市ハーモニープラザで、私たちのグループ「短歌ハーモニー」は2002年から月一度の歌会を続けている。これまでもセンターまつりに参加して、公開歌会や短歌作品の展示などを行ってきた。昨年までは、12月上旬の週末2日間に実施されてきたのだが、今年は、約1カ月の間に参加グループが都合の良い日程を組めるようになったという。参加するグループが年々減少しているらしく、今年は、企画を大きく変え、会場費も無料にするので、ぜひ参加をとの呼びかけが、私たちの会のお世話役に何度も届いたそうだ。

 11月の第181回歌会は、曜日を変えて1118日に開き、参加することになった。公開歌会になるので、お誘いのチラシを作り、男女共同参画センタ―によって、市内の各所に配置してもらい、当日はまつりの来場者が参加しやすいようにと、みなで入り口付近の飾りつけをした。この16年間に発行した合同歌集『青葉の森へ』3冊やこれまでの教材や歌会のプリントのファイル、私の歌集や著書まで展示することになった。覗いてくださる参加者がいるだろうか、何人くらい参加してくれるだろうか、毎年ながら、いささか不安もよぎる。こうした歌会に参加して会員になられた方も多い。さらに、かつて会員だった方がひょっこりと現れたり、私の地元の佐倉市から駆け付けてくれたりした方もいらした。一昨年は、Jコムのカメラやインタビューが入って、翌週放映されたということもあったし、短歌雑誌や地域新聞に紹介されたこともあった。

 今回は、結局、3人の方が参加、お一人は、短歌も用意されていた。総勢12人の歌会となった。ふだんは各人2首づつ提出、相互批評をする。今月は年3回の、名歌鑑賞の月にもあたるので、あらかじめ用意した教材の中から各人が選歌した2首を鑑賞することになっていた。 

 会員の入れ替わりはあるけれど、この16年間よくここまで続けてこられたな、と感慨深い。というのも当初からの会員のMさんや早くからの会員の皆さんの熱意あふれるお世話があってのことだと思い、感謝の気持ちでいっぱいになる。

 それにしても、私たちも、当日参加の方たちも「男女共同参画」といった意識で「歌会」に臨んでいるわけではないような気がしてる。ごく自然なかたちで、短歌を作ることが何となく楽しみとなり、名歌や仲間の短歌を読むことで何かを得られることを知って、続けてきたのではないかと思う。「自己表現」の一つの形ではあるけれど、大上段に構えず、これからも、語り合い、楽しんでゆくことができたらと、あらためて思うのだった。

 

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このチラシの裏面には、ある日の歌会からと、会員の短歌が1首づつ披露されている。定例歌会は、毎月第三木曜日1時から。

 

 

 

 

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2018年1月11日 (木)

「女流」は、いつから「女性」になったのか―短歌メディアにおける女性歌人

 『ポトナム』の「歌壇時評」に書きました。

 歌壇における女性の活躍はたしかに目覚ましいものがある。だから、いまさら男だ女だとか目くじらを立てて、云々するのは野暮なことのように言う人もいる。しかし家庭や職場、地域で、あるいは政治の世界で、実際のところ、男女平等はどこまで進んだのか。差別をされている側、格差に耐えている側からの声は届きにくい。とるに足らないことなのか。今一度考えてみたいと思った。

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いま、『女人短歌』の創刊号から通覧しているが、創刊の一九四九年から六〇年代の誌面からは、女性歌人たちの気負いや息遣いが立ち上ってくる。阿部静枝を筆頭に、君島夜詩、森岡貞香、芝谷幸子をはじめ多くのポトナム人の活躍も見逃せない。『女人短歌』の発行・編集を担った「女人短歌会」は、「女歌の発展を期して、流派をこえた女流集団として発足し」たが、一九九七年、「当初の使命を果たしたことを確認」(森岡貞香「女人短歌」「女人短歌会」『現代短歌大事典』)し、『女人短歌』は終刊に到った。たしかに、「女人」という表現は、古めかしかった。

公的な組織や施設名も「婦人」を「女性」と看板を付け替えたのが一九九〇年代で、一九七八年創刊の「婦人白書」は、九二年「女性白書」、九七年「男女共同参画白書」となる。一九七七年開館の「国立婦人教育会館」が「国立女性教育会館」となったのが二〇〇五年。一九八五年男女雇用機会均等法、九九年男女共同参画社会基本法、二〇一六年女性活躍推進法が施行されるが、あくまでも官製のロードマップに過ぎない。現実の日本社会の男女格差は、一四四ヵ国の中、一一四位という結果である(「世界経済フォーラム報告書」二〇一七年一一月二日公表)。

『女人短歌』の創刊当初、不参加の歌人もいたし、短歌メディアや男性歌人の反応も好意的なものは少なかった。しかし、短歌人口は、圧倒的に女性が多くなり、作歌・評論の実力も高まり、各種の短歌賞や結社の指導者に女性歌人の登場が顕著になった。『短歌研究』の編集人中井英夫は、「乳房喪失」を第1回新人賞として中城ふみ子を送り出し(一九五四年四月)、杉山正樹は<現代女流特集>を組み、三〇人弱を出詠させた(一九五八年三月)。同号は「五島美代子・生方たつゑ読売文学賞受賞記念」でもあった。一九六九年から、節句に因む三月号を<女性歌人特集>とするのが恒例となった。「現代代表女流歌人作品集」という特集名が定着したのが一九七八年で、二〇一一年まで続く。二〇一二年に「現代代表女性歌人作品集」となり、三〇年余を経て、「女流」が「女性」となった。一方、五月号の<男性歌人特集>は一九七二年に「現代代表歌人特集」としてスタートする。その後、「全国主要歌人」「全国重要歌人」「現代第一線歌人」などの変遷を経て、一九八一年から、現在も続く「現代の○○人」に定着した。五月号の特集名になぜ「男性」が入らないのか。七〇年代後半から、三月号の女性歌人の数は増加する一方、一九八〇年代の五月号は「現代の66人」「現代の88人」という形で人数を固定化、女性が男性の倍を上回ることもあった。二〇〇五年、三月一六三人、五月八八人をピークに、女性が徐々に減り、男性が一〇〇人を超えるようになり、現在は、その差が縮まっているのは、男性歌人の<実力>の向上を示すものではなく、あくまでも、編集方針によるものだろう。日常的な『短歌研究』登場の男女比は、短歌・散文のいずれも男性の方が多い。三月号だけの大盤振る舞いだったのか。編集人が長い間女性だったということも逆に何らかの影響があったのだろうか。文芸の世界で、「ポジティブ・アクション(ある程度の強制を伴う実質的な機会平等確保計画)」という考え方はなじまないだろう。しかし、メディアは、率先して、歌人の実態や実力を反映するような誌面作りに努力して欲しい。最近、松村正直は、ある時評で「歌壇に男性中心の構造がある」として、この『短歌研究』の特集の名づけの差異に言及していた。男性歌人からの発言として貴重ではないか(『毎日新聞』二〇一七年一〇月二二日)。

(『ポトナム』2018年1月号、所収)

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