2024年11月19日 (火)

図書館への本の寄贈は迷惑?

 断捨離のさなか、図書や資料の処理に苦慮している。必要に迫られて購入した図書や雑誌、いただいた図書や雑誌、コピー資料などがあちこちから出て来てしまって、始末に困っている。図書館勤めが長かった習性か、たんなるズボラか、その後も細々、ものを書き続けているためか、一度利用した資料でもしまっておいた結果である。

 ここ5年、一度も開いたことのない図書で、古書店に引き取ってもらえそうなかどうかが一つの目安である。劣化があまりひどいものや傍線、マーカーなどが目立つものは廃棄する。一方、私の関心度が高い天皇制、女性史、短歌史、歌人研究に係る図書、雑誌、コピー資料は、これからもがんばるぞ?の自らの励ましの意味もあって、どうしても捨てられないものもある。自分の著作の保存用とあわせて書評や引用された文献なども捨てがたい。
  仕分けしていると、思いがけず、これは貴重と思われるが、残された時間内に、まず利用することもない短歌関係の資料に出くわす。現代詩歌文学館、日本近代文学館、国立国会図書館の所蔵を調べて、問い合わせながら、わずかではあるが、寄贈することにしている。短歌関係では、詩歌文学館の収集量はかなりのもので、二部目までは受け入れてくれる。 私が所属している『ポトナム』は創刊百年を超えたが、コピーを仮製本した形で持っていた大正期の一部を未所蔵の詩歌文学館に寄贈した。

   また『ポトナム』をまだらにしか所蔵していなかった近代文学館、なんと発行元から寄贈していなかった時期も長く、今後の寄贈をポトナム短歌会の方に依頼した上、手元の近年までの所蔵分を寄贈した。それに、『昭和萬葉集』の選歌を依頼された『ポトナムの』戦前分、講談社が国会図書館やいくつかの大学図書館でコピーし、一年分ないし半年分を仮製本したものを譲ってもらった30冊近いものも、受け入れていただいた。欠号が多く、当時のコピーの性能は劣っていたのか、原本の保存状況が悪かったのか、読みにくい部分もあったのだが、私はこれまでも、たびたび利用していたので、愛着もあったのだが、寄贈できて、ほっとした。というのも、国会図書館の欠号部分も多かったので、コピーの形だが受け入れ可能か、との電話での問い合わせに、コピーは受け入れられないと、断られた資料であった。
 また、国会図書館ではこんなこともあった。手元の児玉暁さんという歌人の個人誌『クロール』を私蔵するよりは、所蔵していない国会図書館にと思い、問い合わせた。ホームページにある「寄贈についてのお願い」という文書にしたがってくださいということだった。以下がその冒頭である。

「寄贈をお申し出くださる方には、次の事項をお願いしています。
・寄贈申出資料の取扱いを当館に一任すること。
・当館が蔵書としない資料は、原則として廃棄します。 当館が蔵書としない資料の返送を希望される場合は、寄贈のお申し出の際にご相談ください。 なお、返送の送料は、寄贈申出者のご負担となります。
・寄贈申出資料について国立国会図書館サーチによる所蔵確認を行うこと。
・寄贈申出資料のリスト(Excel: 12KB)を作成し、資料の送付に先立ち、そのリストを当館に送付すること。」 

 一読、やっぱり“役人”の書いた文書だな、と思った。今年の1月、ともかくエクセルの寄贈申出リストの書式に従って送信すると受信の返信は直ぐ届いたが、その後の寄贈受け入れの有無の返信も返却もないので、廃棄でもされてしまったのかと、11月になって問い合わせた。すると、今度は数日で返信が来た。「カビの処理をしていたので、遅れて申し訳なかったが、受け入れた」の主旨の返信であった。カビ?も疑問だったが、受け入れるまでなんで10カ月もかかるのだろう。それに、メールのやり取りのなかで、一言も謝礼の言葉がなかったのは、どうしてなのだろう。現在も遠隔複写やデジタル資料で、国立国会図書館には随分と世話になっているし、かつて務めていた職場ながら、残念に思うのだった。寄贈の申し出を断るにしても、受け入れるにしても、寄贈者の厚意への配慮がなさすぎるのではないか。

*当ブログの参考記事です。
『クロール』は突如、消えてしまったが~児玉暁の遺したもの
 (2023年12月28日)
  http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2023/12/post-0a8ca6.html

 最近では、『新胎』(欠号有)と『歌人集団・中の会・会報』1~23号を近代文学館に収めていただいた。『新胎』は田島静香さんから送っていただいた記憶がある。名古屋に住んでいた頃、「中の会」が発足したのを知って会員になっていたらしい。当時は、仕事と子育てで多忙な時期で、その活動に参加することはができなかったが、中の会主催のシンポジウムには一・二度参加した形跡もあった。どちらの資料も、もう利用する機会もないだろうということで、手離したのだった。これも行き先が決まって安堵したところである。                          

 図書館が「寄贈」について、慎重になるのはよく理解できる。大学図書館勤めをしていた時期、在職者や関係者の個人の著作などは別として、退職した教授や大学関係者やまたその遺族から蔵書の寄贈申し出があると、頭を抱えてしまう。「○○文庫」として、特別の書架に別置してほしいとか、「○○文庫蔵書目録」を作成してほしいとか、の注文が付けられることもある。書架が満杯に近いので別置は無理、重複する図書や劣化が著しい資料の廃棄などを約して受け入れることが多い。「寄贈図書台帳」のコピーを渡すこともあった。あるとき、退職した先生から「私の蔵書印がある本を古書店で見たという友人がいるが、どうしたわけか」とねじ込まれたこともある。近年、京都市の公共図書館で、桑原武夫からの寄贈図書が放置されていて問題になったこともあった。

 かつての職場で、近世文学専攻で書誌学者でもあった教授が、自ら収集した資料はほとんど古書店から入手したものだから、手離すときも古書市場にまかせて、ほんとに欲しい人の手に渡るのが、資料にとっても一番」と話されていたことも、記憶に留めておきたい

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2023年9月10日 (日)

図書館を支える人々~非正規と障がい者の方々の待遇の実態(1)

 図書館勤めが長かったため、さらに、いま、日常的に図書館を利用していることから、図書館関連のニュースが目に留まる。昨年8月、今年の3月に、末尾にあるような記事を書いた。今回も、図書館の非正規職員、国立国会図書館のデジタル化作業に携わる障がい者の人たちの記事に着目した。

1)図書館職員の4人に3人が「非正規」

 日本図書館協会は、今年の5月1日付で「▽非正規職員の賃金と労働条件を、専門性の観点から改善する▽会計年度任用職員の雇用を更新する際は、勤務実績を最大限評価する」などを求める文書を全国の都道府県と市、東京特別区の首長に送付した。

 協会の調査によれば、全国の公立図書館の職員の76%が非正規なのである。

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図書館職員4人に3人が「非正規」処遇改善を日本図書館協会が要請(2023年6月7日)
東京新聞 https://www.tokyo-np.co.jp/article/255085

  私が利用しているもっとも近い市立図書館は、分館で(数年前、学童保育所の拡張で狭くなった!)、実用書と小説類・児童書が申し訳程度に配架されているにすぎず、リクエストした図書を市内や他市、県立図書館から取り寄せてもらうことがほとんどである。それもコロナ禍以降は、50センチ四方の小さな窓口でのやり取りで、職員の顔も見えない。もはや図書館とは言えない施設である。

 先の記事でも書いたように、佐倉市の中央図書館は、新設の「夢咲くら館」という総合施設の中に移設され、オープンした。全体の建設費は40億近くにもなったが、職員は会計年度任用職員で補い、わずかな資料購入費でのスタートであった。車を持たない我が家では、モノレールと電車で行くしかない。距離的には近い図書館となると、モノレール、電車、1時間に1本くらいしかないバスに乗り換えての道中となる。立派でなくともよい、駅近のビルの空フロアでもよい、大型商業施設の一画でもよい。特に大型商業施設の閑散ぶりとテナントの出入りが激しく定着しないこの街に、市は思い切って、なんなら床を補強して開放的な図書館をつくったらよいのにと思う。図書館の命は入れ物でなく、人と資料にお金をかけて欲しいのである。

 また、公共図書館でなく、現在、大学図書館でも同じようなことが起こっている。

田 和恵「非正規31歳男性が憤る<大学図書館の働かせ方> 民間への業務委託が進むことによる<悪影響>  ボクらは<貧困強制社会>を生きている」『 東洋経済オンライン

2023年525日)  https://toyokeizai.net/articles/-/673423?

 

  かつて私も、私立大学図書館職員として働いた身である。正規・非正規の割合は、今の方がもちろん悪化している。名古屋で78年働いていた頃、連れ合いの転任で、転職先を探していた。ある人の伝手で、たった一つ、非正規ならば雇用するという大学図書館があった。条件を聞くと、正規の職員と勤務日数、勤務時間が全く一緒で、当時の月収の三分一近い金額を提示され、情けない思いをしたことがある。連れ合いには申し訳ないが、単身赴任をしてもらうことにした。そして、3年後、連れ合いは東京に転任、またの転職先探しである。その後の顛末は、当ブログの以下の記事にも書いた。女性の転職の難しさ、女性が非正規の受け皿になっていることをいやというほど知らされた。

 <当ブログ参考記事>
図書館が危ない!司書という仕事(2022831日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2022/08/post-fd7d26.html

・危うい佐倉市立図書館オープン~“夢咲く”どころではない「夢咲くら館」
 図書館らしからぬ??(202337日)http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2023/03/post-f768c4.html

 

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2023年3月 7日 (火)

危うい佐倉市立図書館オープン~”夢咲く”どころではない「夢咲くら館」

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写真は「夢咲くら館の今」佐倉市ホームページから。屋上から飛び出す長い庇?キャノピーというそうだ。無用なだけではない、危険な長物、これだけに一億円もかけたという。
https://www.city.sakura.lg.jp/soshiki/shakaikyoikuka/286/16573.html

図書館らしからぬ??

 3月4日、新しい佐倉市立図書館が、市の複合施設「夢咲くら館」のなかに、オープンした。「佐倉」と「咲くら」のごろ合わせのネーミングもいまひとつ。写真にあるこの施設には、図書館と子育て交流センター、地域情報発信コーナーやカフェなどが併設されてのオープンだった。5年前、旧佐倉市立図書館の老朽化のために計画された新図書館なのだが、その計画から、出来上がりまでに、図書館らしからぬ数々の危険と不安が浮上してきたのである。当初より市民有志による「より良い佐倉図書館が欲しい会」が、多くの問題点を指摘してきた。

 当初、地上三階建ての15億円の予算であったのが、地下1階、地上2階となり、2022年度(令和4年度)予算の概要では、つぎのように説明する。図書館を含む複合施設は「(仮称)佐倉図書館等新町活性化複合施設整備事業、交通安全施設整備事業や橋梁維持事業等の施設整備費の増加により、普通建設事業費は全体で 37.7 億円と 26.7 億円の増加となった」として、その事業費は当初の二倍以上になったのである。これだけでも計画の杜撰さが目に余り、議会の多数会派はいったい何をやっていたのだろう。設計事務所、工事業者の選定も不明確極まりないものだった。設計事務所は、事前に市と協議をしていたり、不祥事続出、指名停止を何度も繰り返している前田建設が落札したりしている。

 地下の掘削、その土砂の処分、埋蔵物撤去の過程で軟弱地盤が判明、くい打ち工法の強化が重なり、工事費は増額していく。床の強度の必要から、地下があるならば、保管、書庫機能を置くのが普通だが、新図書館は、まるで逆なのが不思議でもあった。障がい者対応、災害対応のリスクも解決されないまま、オープンしてしまったのである。

職員の半分は司書資格がなく、非正規には司書資格を求める?!

 図書館の建物もさることながら、図書館のカナメは人と本、人材と資料である。下記の当ブログの記事でも指摘しているが、あらためて、佐倉市の最近の図書館関連予算を調べて驚いた。

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 すでに決算が出ている2021年度(令和3年度)以降で見てみると、佐倉市立図書館の「人と本」の実態はと調べてみたのだが、まことに“残念な”実態であった。正規の職員には手厚いが、会計年度任用職員は、職員の二倍ながら、その待遇は見ての通りである。最近の会計年度任用職員の募集案内によれば、図書館については、司書資格ないし図書館勤務5年以上が条件となっているが、7時間45分勤務、夕方の4時間勤務の二種類で、いずれも2~4日に限られる。いずれも時給1030円である。「千葉県の図書館2022(公開版)」というデータでは、2021年度決算によるとみられるが、当初予算で21人とあったが、23人となっていた。さらに、21人の内訳として、司書資格持つ者が11人、その他が10人となっている。会計年度任用職員に司書資格を求める一方、職員の半分は資格を持っていないことになる。もちろん、資格の有無だけで、仕事への熱意と能力が問われるはずもないことは、かつて、ある大学の司書講習会で10年ほど講師を務めた経験や講習会修了生たちと同じ職場で働いた経験からも承知はしているが、司書資格が図書館業務の入り口であることに変わりはないだろう。

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『こうほう佐倉』2022年12月15日号より。

 なお、『千葉県の図書館』の職員人数23人と予算書21人の食い違いを、市の財政課に尋ねたところ、2人は、再任用職員ではないかということであった。決算書の人件費については、すべて人数が省かれているというのも、市民には理解しがたく、実態をわかりにくくしているのではないか。
 さらに驚いたこと、市内三館合わせての図書購入費が毎年3500万ほどしかない。表で見るように、2022年度と2023年年度の図書購入費は、3526万、千の位まで同額である。これって、最初、私の見まちがいかとも思ったが、同額だった。「去年と同額にしておけ」という冗談のようにも思える。「夢咲くら館」内に新図書館もスタートするというのに、まったく「夢」のない数字に、少々あきれもした。それもそのはず、新図書館は、書架などは特注品を購入する一方、「新しい本の購入は大型絵本とヤングアダルト向けだけというお粗末さ」だというのである(岡山眞治「図書館問題から見えた佐倉市政」『さくら・志津をまもりたい会ニュース』45号 2022年12月)。「夢咲くら館」には、増額に増額を重ねて37億以上の建設費を出す一方で、図書費が3500万とは、まさに”箱もの行政“の典型ではないのか。いつまでこんなことを続けているのか、続けさせているのだろうか。責任の一端は市民にあるといってもいい。私たちは、もっともっと図書館を利用して、自分がほんとうに読みたい雑誌や読まねばならない、読んでみたい本を、子供や若者に読ませたい本をリクエストしてみてはどうだろう。
 とりあえずは、館長以下職員は、何を考えているのだろうか。館長の職員歴を知りたいものである。

学校図書館では、今

 下記の、当ブログ記事では、学校司書の実態にも触れたが、今回は、ついでながら、市立の小学校23校、中学校11校の図書購入費を調べてみると、表のようになる。それぞれを、23校、11校に分配するそうだ。生徒・児童数によるのではなく、各校の「配備率」?によって、年々額が変わると、財政課は答えていたが。いずれにしても、少ない図書購入費にも思えた。あわせて34校の図書館に11人の会計年度任用職員の学校司書が奮闘しているわけなので、ただただ頭が下がる思いである。

図書館が危ない!司書という仕事(2022年8月31日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2022/08/post-fd7d26.html

 ついでながら、昨年12月15日『こうほう佐倉』の「市職員人事・給与などの状況」によれば、2022年(令和4年)4月1日現在、職員1024人、再任用職員57人、会計年度任用職員70人となっていた。この会計年度任用職員はフルタイム勤務職員のみの数字で、その他、パート勤務の800人以上の職員がいて、合わせると900人程度の会計年度任用職員に、市政は支えられていることになる。 こうした状況のなかで、図書館への指定管理制度の導入の声が聞こえないわけでもない。「 2021年9月現在,283自治体,731館において指定管理者により管理運営が行われていることが確認できる」とする調査もある(桑原 芳哉「公立図書館の指定管理者制度導入状況 2018年度以降の動向を中心に」『尚絅大学研究紀要A』2022)。しかし、指定管理者制度導入館は漸増しているが、さまざまな不具合から、自治体直営に戻った図書館も多いのである。佐倉市にも懸命な選択を望みたい。

 

 

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2023年1月19日 (木)

『週刊朝日』が5月に終刊、なんとこのタイミングで!

 きのう、『週刊朝日』の最新号が編集部から送られてきた。久しぶりに目にする『週刊朝日』、そう、12月の初めに、A記者から、近く図書館についての特集をするので、取材させてほしいとのファクスをいただき、電話取材を受けた。私のブログによれば、図書館勤めが長く、現在も図書館を利用しているようなので、“シニア”の利用者としての話をききたいとのことだった。

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『週刊朝日』2023年1月25日号の目次。5月に終刊!のニュースが。

 断捨離世代なので、あらたに本を買うことは控えているので、たしかに、地元の図書館で本を借りることが多くなった。地元の図書館にないものは、リクエストして、県内の他館から貸し出してもらえる制度を利用している。公共図書館の児童図書館としての役割も大事だが、シニアの居場所としての機能も大切で、最近、購入雑誌がどんどん減らされているのが目立つ。気軽に読める雑誌や趣味の雑誌など、紙で読みたいシニアも多いと思うのに、予算の関係で、どんどん切り捨てられていくのは残念だ。また、カウンターで働く人を見ていると、しょっちゅう変わるのも気になっている。いわゆる「会計年度任用職員」で、意欲があっても、安定した働き方ができない人たちに支えられているのが現状である。図書館に指定管理制度が導入されている例もあるが、公立図書館本来の姿からは遠ざかるのではないか。

 そんな話をしたと思うが、「シニアのニーズに応えサービス多様化 いま図書館が面白い!」という3頁ほど記事は、丹念な多角的な取材に基づく、真面目な内容で、私の発言も一部ながら簡潔にまとめてくださっている。

 他の記事も、書き手も様々、興味深い記事も多いのだが、やはり、かつてよりはかなり薄くなったね、今どのくらい売れているのだろう、と連れ合いと話したばかりの翌日、飛び込んで来た「終刊」のニュースだった。

 文春、新潮は、攻めるスクープも多いが、根は保守派だし、現代、ポストはしっかりとシニア向けの実用誌にシフトしてしまった。女性週刊誌の皇室ネタの行方は・・・。週刊誌などめったに買ったことがなく、勝手な言い分ながら、『週刊朝日』の終刊は、いわば「良心派」の苦戦をまざまざ見せられた思いであった。

 

 

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2022年8月31日 (水)

図書館が危ない!司書という仕事

 もう、終活の方が迫っているのだが、たまに外出して、車内で就活スーツの女子学生に出会うと、「頑張ってね」との思いが募る。かれこれ60年前の就活について思い出しては、危ない橋を渡ってきたものだと、思い返す昨今である。

 つい最近、ネット上で、つぎのような見出しの記事に出会った。神戸新聞の「まいどなニュース」である。

「手取り9万8000円では暮らせない」非正規図書館員の訴え 知っていますか図書館の“現実”
8/26(金) 19:30配信
https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/omoshiro/202208/0015586692.shtml

 30年近く、図書館職員として働いていてきた身としては、やはり気になる見出しだった。最近、古巣でもある国立国会図書館の資料はデジタル化されて、検索や遠隔複写、個人配信の資料も増えたので、よく利用する。買ってもいいかな、と思う本は、まず、地元の公共図書館の所蔵を調べて、なるべく借りて読むようにしている。新刊のベストセラーものは、ブームが去ってからでないとまず借りられない。所蔵してない古い図書や学術書を読みたい場合は、相互利用制度によって他館から貸し出してもらい、多くは自宅に持ち帰って利用する。現代詩歌文学館などは、雑誌などでも貸出してもらえるが、自宅には持ち帰れず、館内閲覧・コピーしかできないながら、大いに助かっている。 
   こうして、近くの市立図書館を利用していて思うのは、カウンターの女性がよく変わることだった。市の広報で、一年限りの、いわゆる「会計年度任用職員」募集の記事のなかに、保育士、栄養士、看護師、保健師などとともに図書館職員の募集も見かけたことがある。「任期付き職員」の募集もあって、こちらの方は2年とやや長期で、待遇も職員並みとあるが、図書館職員の募集記事は見かけない。

   冒頭の「まいどなニュース」によれば、日本図書館協会の統計では、全国の公共図書館3316館の専任職員(いわゆる正規職員)の数はここ20年、減少傾向にあり、2001年には1万5347人だったのが2021年には9459人に減少、逆に、非正規職員は、職員全体の7割を占め、その9割が女性だというのである。
   30年近く前ながら、私の最後の職場だった千葉県の新設大学の図書館では、退職時、私を含めて職員二人に、アルバイト三人だった。その後どうなったか。その前に、11年間働いていた名古屋の短大図書館では、職員四人、バイト二人であった。ここは、すでに四年制大学になって久しく、新館も完成、学部新設でキャンパスは二つなったが、その後の状況はわからない。国公立大学の図書館でも、非正規職員の激増が伝えられている。

  地元の佐倉市立図書館の場合、2021年、「令和3年度の当初予算」で見てみよう。図書館としては分館を入れて4館の職員の21人分の給与・手当・共済費併せて人件費総額約1億8972万円、会計年度任用の図書整理員42人分の報酬・手当・共済費は、図書館の一般事務費のなかに約6638万円計上されている。総額を人数で割れば、ざっくり、職員856万、非正規158万と待遇の差は、信じられないほど歴然としていた。税金や共済費が天引きされるわけだから、冒頭の記事にある「手取り9万8000円」という実態に近いのではないか。
   市立図書館のみならず、学校司書の場合も、状況はかなりきびしい。佐倉市は小学校23校、中学校11校あるが、「学校図書館活性化事業/令和3年度」の説明書によると、会計年度任用職員は11人、1校当たり年間勤務数平均50日、月平均25時間という数字が示されている。報酬・手当などを合わせて1177万円になる。1人が1週間で3校を回るという目まぐるしさ、佐倉市は各校の司書配置などは念頭にないらしい。

 また、佐倉市の2021年6月市議会での質疑によれば、2021年4月1日現在、佐倉市の市職員が1006人、会計年度任用職員は63種職、819人に及ぶという(6月16日、萩原陽子議員)。図書館は、21人の職員、非正規42人なのだから、正職員は3分の1ということで、全国平均でもある。非正規職員採用を通り越して、図書館の民間委託が隣の印西市で検討を始めているという。全国的には、すでに、ツタヤが委託されて運営する公共図書館もある。佐倉市においても、学校用務員、学童保育所は、すでに、民間委託が定着してしまったようだし、近くの学童保育所は、まとめて地元開発業者のグループ会社が指定管理者になっている。政府は、「働き方改革」、「人への投資」とかを口にするが、家庭や学校でのいじめや虐待の対応の無責任さ、教員の超過勤務・人手不足、奨学金返済困難者の激増、若手研究者の任期付き採用などが引き起こすさまざまな悲劇が明らかになると、具体的な解決策が示されないまま「再発防止」とか「第三者機関設置」とかでやり過ごすことが多い。「人への投資」というならば、国民の健康・福祉、教育・研究が基本であろうに、行政の手抜き・無為無策とさえ思われる事案、企業の都合が優先されてしまう無力感に苛まれる昨今である。

 司書として働く人たちは、熱心で使命感をもっている人が多い。箱モノとしての図書館ではなく、蔵書構成、整理、選書、レファレンス、出納業務などを利用者目線でこなすためには、暮らしのできる報酬とともに、安心して、長期展望のもとで働き、研鑽できる環境が必要で、ときには他館の利用者となってみる余裕があってもよいはずである。

 新町にある佐倉図書館が、移転新築されて、来年3月には開館予定であるというが、その建設費25億が30億に膨らみ、総額37憶5000万円になるという。総合施設の中の地下スペースが図書館になるとして、市民団体が反対運動をする過程で、様々な問題が浮上、いま裁判にもなっている。そして、こともあろうに、新館の新規購入は、ヤングアダルト用と大型絵本に限るという方針が打ち出されていることがわかった。何を考えているのか、図書館は崩壊の道を歩んでいる。

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「佐倉図書館等新町活性化複合施設実施設計」のパースの一枚。この入り口のキャノピーだけでも5000万円、いまでも、必要性と安全性を問い続けたい。

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「よりよい佐倉図書館が欲しい会」の会報53号には、姿を現したキャノピーの写真が右下に収められている。なんときゃしゃな造りで、風雨に耐えられるのだろうか。城下町?佐倉に似合いそうもないではないか。

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2020年1月28日 (火)

60年前の1960年、50年前の1970年、今、何が変わったのか(2)1970年の私

 身辺の資料を整理していると、思いがけないところから、意外なものが見つかり、思わず読み入ってしまい、まるっきり片付かない日があったりする。私が在職していたころ、1970年代の国立国会図書館の組合関係の綴りが出てきた。私は、組合の役員をやったこともないのに、総会資料や機関誌、情宣ビラの一部などが結構まとめて残されていた。私は、レファレンス担当の法律政治関係の課に在籍、かなりの頻度で組合役員を出すような「自由な」雰囲気の職場だった。入館当初、直接の上司が組合の委員長でもあった。印刷カードのかなふりのローマ字が訓令式だったのを、突如ヘボン式への変更を強行しようとした、鈴木隆夫館長の<外遊みやげ>と闘っていて、館長を辞任にまで追い込んだと意気軒高!に思えた組合だった。周辺の課では、課長を除いて全課員が組合員であった。輪番制で職場委員になったこともある。当時は「婦人部」というのがあって、昇格人事における女性や学歴、それに発足当時来の非試験採用職員への差別などがいつも問題になっていた。それに、産休前後8週間要求(当時は6週間)、保育所難問題、女性職員の宿舎入居資格などが、よく取り上げられていた印象が強い。保育所入所難は、現在に至っても解消されていない大問題であるが、当時、職場内保育所設置が問題が浮上すると、「文化の殿堂たる図書館に、オムツがはためくんですかね」という男性職員も現れたりしたのだった。また、婦人部のあっせんで、「ハイム化粧品」が月一で、館内で店開きするのを手伝ったりした。安くて余計な添加物が少ない化粧品ということで、現在、生活クラブ生協でも扱っているので、私も利用することが多い。ただ、当時、池袋の実家の薬屋では、資生堂化粧品のチェーン店となって、その売り上げアップに必死になっていたころで、私も店に立てば、お客さんの花椿会入会を勧めていたりもしていた。また、女子休養室の新設が実現したので、「利用せねば」と昼休み出かけたりしたが、利用者に出くわすことはまれであった。
 そんな組合活動とは、つかず離れずの職員だったが、ある事件によって、組合というものに、一気に不信感を持つようになってしまった。私と同期入館ながら少し若い職員が、1969年11月16日、いわゆる佐藤訪米阻止闘争で逮捕され、12月初旬に起訴、年末に休職処分となる。組合執行部は、「民主勢力の統一と団結を乱す」から支持しない、組合の機関決定によらない行動だからという理由で救援しないことを決めたのである。
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組合の機関誌『スクラム』222号(1970年1月27日)。1969年の年末にでた休職処分について、各職場代表により特別委員会が設置されたことを報じる。それ以前に開かれた評議員会では、その職員の行動は、組合の決定によるものでもなく、運動方針に沿うものでもないが、基本的人権の観点から、判決前の休職処分の不当であることを確認、今後、執行部は、特別委員会の助言による旨が記されている。

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館内の有志「6/15統一行動への参加を呼びかけた会」から出された『窓』、第1号(1969年6月30日)の巻頭には、「窓をあけましょう。このままでは息がつまりそう。」とある。その編集後記では、「逆セクトは望まない。とはいっても相手のあること、どうなるかわからない。『窓』の誌名はいつでも捨てて良いと思っている。窓は壁よりこわれやすいものなのだから。自らに問い自己理解を深め、新しい意識へ、そのための広場としたい」とあった。「6/15統一行動」とは、中核など8派政治組織と15大学全共闘と市民団体が加わり229団体による「反戦・反安保・沖縄闘争勝利6・15集会実行委員会」が開いた「反戦・反安保・沖縄闘争勝利6・15統一行動」で日比谷野外音楽堂における5万人の集会で、デモのさなかに吉川勇一ら71名逮捕されている。誌面は、テーマも自在で、広く内外の政治問題から市民運動の在り方、館内の諸問題を語り合う場であったようだ。出入り自由の集いであったが、私は参加せずじまいで、昼休みの会のあと、処分職員救援や組合批判について熱く語る僚の話を聞くことが多かった。

  各職場での討議が重ねられたが、組合の決定に疑問や不信を募らせる職員も多かった。そして、処分職員を支援する会が発足した。組合は、権利の問題として処分の撤回を求め、公平委員会が開催されることになる。請求者職員の代理人として羽仁五郎や吉川勇一、直接の上司らが陳述した。中山伊知郎委員長と使用者側・職員側各二名と中立代表が衆参議院運営委員長(自民党)という構成の公平委員会のもと2回にわたる公開審査がなされた。

 初めて開催された公平委員会となって、その規程にも様々な不備が指摘される中、館当局も組合も請求者側も苦労が多かったようだ。傍聴者数も限られていたが、私も一回だけ傍聴することができた。傍聴席からヤジも飛んだりして、緊張した雰囲気の中で行われていた。記録によれば、請求者の陳述は、1万字を超えるものであった(『十一・一六佐藤訪米阻止闘争と国立国会図書館―公平委員会の記録』記録刊行会 1971年4月)。陳述で訴えたのは、自分自身の日常の生活を佐藤訪米阻止に賭けることになったのは、<真理は我らを自由にする>という国立国会図書館法前文の精神を冒涜し続けている図書館の日常、「当局者のみならず、組合さえも、その中で昇任昇格や、手当の増額しか考えず、ベトナムの問題もその手段としか考えていない。そんな状況の中で目をつぶることが出来なかったのです。王子で(1968年、野戦病院設置反対デモの野次馬であったとき)機動隊が平然と『黙れ、朝鮮人』と言ってのけるような現実を聞き流していいのでしょうか」と、その動機を述べていた。さらに、「日米安保条約のもとで参戦の道を歩み、しかもその方向がなお一層進められている私たちのまわりにはさまざまな抑圧された状況が作り出され社会不安がうずまいています」、そうした中での「佐藤訪米」「日米共同声明」の持つ意味は何なのか、と訴えている。アメリカのアジアの軍事的支配によって朝鮮、台湾、ベトナム、ひいては日本自身の平和と安全が確保され、日本への沖縄72年返還によって基地が強化されることを前提にするものであるとも述べている。自分がとった行動は「反戦という目的のため」であるにもかかわらず、「図書館内外にわたって好ましくない影響を与える恐れがあると判断し、それらの支障未然にふさぐため」といった抽象的一般的な推測をもって休職にすることは不当であり検察庁と一体となって政治的弾圧を加えていると断ぜざるを得ません」と述べている。この陳述で述べられた状況は、今でも変わっていない上に、処分理由においても「好ましくない」「恐れ」「それらの支障」「未然に」などどいう、具体性のないものであった。

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1970年9月末に開かれた組合定期総会の議案書の表紙と「起訴休職処分反対の闘い」と題した総括部分である。1.組合としての救援活動は行わない。2.館当局の同君に対するいかなる処分にも断固反対し、これを口実とする組合活動への干渉・攻撃と闘う。3.これを機会に安保廃棄、沖縄即時無条件全面返還を真にかちとるため、どう団結を強め闘うかについて積極的に組合内の合議をおこす」とある。

 1970年6月に、公平委員会は、委員の4対3の多数決で、休職処分には違憲性も違法性もなく手続き上も問題なく、承認するという判定がなされた。9月には、休職処分取消を求めて提訴し、行政訴訟の段階に入った。長い準備手続きを経て。4回の口頭弁論の末、1972年11月に原告の請求はいずれも棄却されるという判決であった。

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館内有志による会やミニコミ誌がいくつか出され、組合の朝ビラ、情宣が盛んに撒かれた時期であった。上段は、処分職員を支援する会が70年2月に創刊された「会報」で、途中で「広場」と名を変えている。行政訴訟で第一審の判決が出た後は、部落問題と図書館、図書館創設当時の副館長だった中井正一論など幅広いテーマが載るようになった。下段は、館内の「(1969年)10・11月闘争救援会」発行のニュース。前年の佐藤訪米阻止運動で捕らえられた人たちの統一公判の要求を続けている中で、ニュースによって、日常の私たちからは知り得ない事実を知ることができた。例えば、8号の「監獄法体制の粉砕を」の記事では、新憲法下での1908年の「監獄法」は基本的人権がいかに無視されているかを知ることになる。その後、今世紀になって何度かの改正、最終的には、2007年、まさに100年を経て「刑事収容施設及び被収容者等の諸郡移管する法律」となったが、現在でも、ゴーン被告や籠池被告の長期拘留など問題は絶えない。

 1970年という年は、いうまでもなく、3月には大阪万博が始まり、赤軍派によるよど号乗っ取り事件が起きている。6月23日、日米安保条約は自動延長されるいたる。企業やそこで働く日本人はエコノミックアニマル、モーレツ社員と揶揄される中、新宿駅地下広場にはフォークゲリラと呼ばれる集会も続くという時代であった。そして11月には、三島由紀夫が市ヶ谷で自衛隊決起を呼びかけ、割腹自殺を図るという事件まで起こる。いわゆる日本経済の高度成長のゆがみは「公害」として、その被害は頂点に達し、不備ながら公害関基本法はじめ関連法が成立するのはこの年の年末であった。

 なお、1970年少し前の組合青年部の機関誌『新声』8号(1968年9月30日)は100頁ほどの冊子だが、その巻頭につぎのような詩「青春について」を見出すことができた。この詩の作者滝口雅子さんは、『鋼鉄の足』(1960年)、『窓ひらく』(1963年)などの詩集を持ち、室生犀星賞を受賞した詩人で、当時レファレンス部門の人文関係の担当課に在籍の大先輩で課の場所も近かったので、私も若かったのだろう、臆せず拙い短歌をなどを見せたり、詩や詩人の話を伺ったことなどを懐かしく思い出すのだった。ただ、この詩に関して言えば、滝口さんにしては、かなり甘くて優しい作品にも思えた。当時の私などには、計り知れないながら、滝口さんの詩の中の「窓」や「扉」は果てしなく重く、「死」や「愛」は、深くて暗い水底を覗くような感想を持ったものである。

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 「青春について」滝口雅子
青春は/虹のようなものだ/うっかりしいていると/消えて跡かたもない/虹が空にかかっているうちに/そのまるい橋を渡ろう/そして空までも/旅をしよう/青春の広やかな翼を/惜しげなく/ひろげよう
青春!この不思議な魔力をもつ言葉。いま青春のなかにいて、あなたがどっぷり青春にひたっているために、
(中略)
”若さ”がダイヤモンドに匹敵し、或いはそれ以上であるかも知れないと知ったらーー
”若さは”は宝石です

 そして、個人的なことを言えば、1970年のクリスマスも近い朝、明治29年、1896年生まれの父が他界した。その年の9月、那須高原行が父娘の最後の旅となった。

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当時のことは、すでに、次のブログにも綴っているので、重なる部分もあったかもしれない。

今年の615日は、第一歌集『冬の手紙』(1971年)の頃を思い出す2018619日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2018/06/615-076c.html

 

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2020年1月 5日 (日)

短歌雑誌の行方と保存

  私が会員となっている短歌雑誌『ポトナム』1月号に「歌壇時評」を書きました。いつも同じようなことを言っているような気がするけれど、最近の短歌雑誌・出版事情にも触れました。

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  最近の短歌総合雑誌や新聞は、若干様変わりしたのかもしれない。しかし、どれを開いても同じような顔ぶれの歌人たちが並んでいる。各誌でさまざまな特集が組まれても、「人気」歌人というか「有名」歌人たちが入れ替わり立ち替わり登場し、既視感満載で、興味をそがれてしまうことが多い。たしかに、この数年間で、雑誌の表紙や編集(発行)人が変わった。知る限りでも、『短歌研究』が堀山和子から国兼秀二へ、『現代短歌』が道具武志から真野少へ、『短歌往来』が及川隆彦から佐佐木頼綱になった。オーナーや編集人が歌人で、結社人であることもある。それが、メリットになるのかデメリットになるのか、私などにはよくわからない。『現代短歌』は二〇二〇年一月から隔月刊で、週刊誌大になるという。かつての『短歌朝日』(一九九七~二〇〇三年)を想起するが、「批評」を重視するという方針を掲げている。バランスや中立を標榜し、総花的にならないように期待したい。

 こうした雑誌のバックナンバーの保管や整理には、私も困っていて、とりあえず、必要な個所はコピーするが、関心のある特集があれば、雑誌そのものを保存するが、古本屋では二束三文なので、結局、古紙回収に出したりする。断捨離や年金生活者としての不安もあり、購読誌を減らしたり、中断したり、交代したりしている。

 そうはいっても、一九四五年前後からさかのぼって、作品や記事が必要になったときには苦労する。短歌雑誌をそろえて所蔵する図書館は少ない。それでも、国立国会図書館や日本現代詩歌文学館などの資料をずいぶんと利用してきた。立命館大学の白楊荘(小泉苳三)文庫の所蔵がわかっていても、外部からの利用は難しい。上記の図書館や文学館が所蔵していたとしても欠号が多い。結社誌・同人誌となると尚更である。それでも、二〇〇〇年までの主な所蔵雑誌と著作権が切れた図書の国立国会図書館のデジタル化によるデータベースはありがたかった。その対象がまだ限定的であり、欠号も手つかずなので、別の方法で補うことになる。Cinii (サイニー、国立情報学研究所)検索により思わぬ文献に出会うこともある。

 現在『短歌』『短歌研究』では、各年鑑で自誌の年間目次と歌集歌書総覧を掲載する。『短歌研究年鑑』では、結社誌・同人誌のアンケートによる文献リスト「研究評論 今年の収穫」が掲載されるが、書誌的な不備も多く、網羅性がない。短歌雑誌の編集部にはかなりの雑誌や歌集・歌書が届いているはずなので、後世のために、できる限り網羅的な書誌的なデータだけでも作成し、提供してほしい。

 一方、出版不況をよそに、歌集・歌書の自費出版は、盛んなようで、私のところにもわずかながら届く。歌集は、大方、美しい装丁の、余白の多い本である。作品本位で考えるならば、歌がぎっしり詰まった文庫本でも十分だと思っている。これまで文庫版の歌集といえば、再刊や選集がほとんどだが、新しい歌集も気軽に出版できるようになれば、入手もしやすく、著者・読者双方に好都合である。

 本誌『ポトナム』の昨年一一月の歌壇時評(松尾唯花)の指摘にもあるように、現状のままだと、歌集出版は、若い人たちにとっては、覚悟を要し、経費のかかる大事業なっている。いや高齢者とても同様である。このような歌集出版の在り方は、考え直されてもよいのではないか。自費出版とその贈答が繰り返され、たださえ閉鎖的といわれる短歌の世界は、ますます狭まっていくにちがいない。欲しい人が欲しいときに入手できる電子版やオンデマンドという方法もあるが、いま、どれほど浸透し、利用されているのだろうか。(『ポトナム』2020年1月、所収)

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2019年1月28日 (月)

本の始末、資料の不始末~なぜ過去を捨てきれないのか?!

好きな言葉ではないが、これは「終活」の一つということになるのだろう。私が利用している生協の生活クラブで、古書の回収を年に2回ほど行っている。NPO法人を通して障がい者施設の支援に充てるという。アマゾンなどを利用して換金するそうだ。あまり傷んだものは出せない。前にも回収に出したことはあるが、今回、思い切って少しまとめて、出そうと準備をしている。どちらかといえば、ポピュラーな読み物、文庫・新書ものが多くなる。

いうほどの、蔵書ではないけれど、短歌などにかかわって半世紀も過ぎると、古本屋さんには嫌われる歌集は増えてゆく。歌集や歌人評伝・短歌史関係書も扱い、販売目録も定期的にメールで届く古書店には、買い取ってもらえそうで、仕訳している。これから、もしかしたら、もう一度読まなければならない、あるいは読んでおきたいもの、個人的に、まだ、どうしても手元に置いておきたいものは取り置いて、他は、欲しいと思う人に届くかもしれないという、かすかな願いを込めて、手離す方の段ボールに入れてゆく。

天皇制に関する本は、資料的な価値のあるものは、まだ手離せない。女性史、沖縄史、メディア史、憲法関係も同様である。図書館勤めが長かったこともあり、また大きな図書館が近くにないこともあって、必要に迫られて求めた各種の辞典・事典類や年表類、資料集などのレファレンスブックが捨てられない。厚くて重い図書館の雑誌目録などはインターネットの普及で、もはや不要になったのはありがたい。

 古い旅行書は捨てるにしても、若いとき、結構買っていた文学散歩や史跡や西洋館巡り、路地裏散歩のような案内書は、もう利用しないだろう。それに、かつては、気軽に買っていた美術展のカタログ、博物館・文学館展示のカタログも、思い出はあるが、手離す方が多い。画集となると、数は少ないが、まだ持ち続けたい。「過去を引きずる?過去を捨てきれないオンナ!」であることは否定できない。

 

資料収集にかけては、第一人者であり、私も戦時下の歌集など譲っていただいたこともある櫻本富雄さんや名古屋の短大図書館時代、歌人であり、教授でいらした熊谷武至さんのお二人が、期せずして、本当に読んでくれる人、使ってくれる人に届けるには、やはり古書店に返すのが本筋だという趣旨のことをおっしゃっていたことを思い出す。

それにつけても、私の大学図書館勤めの時代、退職される教授、大学と縁のあるという「蔵書家」やその遺族から、千単位の蔵書寄贈の話が持ち込まれることが何度かあった。そんなときは、書架不足や人員不足を理由に丁寧にお断りするか、それができない場合は、いわゆる「〇〇文庫」として別置するのではなく、一般の図書と同様の保管・利用に供すること、すでに所蔵している資料、副本や史料価値の判断、処分を任せてもらい、整理も少し遅れるという条件で受け入れていた。いささか不遜な姿勢だったかもしれないが、小規模図書館では、致し方ない対応だと思っている。

 

一昨年だったか、京都市が寄贈を受けた桑原武夫蔵書を廃棄したというニュースが報じられたとき、さもありなんとも思ったが、寄贈を受ける側の毅然とした態度も必要で、あいまいにしていたのだろう。「〇〇文庫」、特殊コレクションとして、個人名を付したい願望のある向きは、個人の記念館や資料館などを設立した方がよい。これも維持管理が難しいので、遺族や後継者はよほどの覚悟が必要となる。

比較的財政的な基盤がしっかりしている国公立の図書館や文学館・資料館などは、予算と人材を確保し、将来を見据えた収集・保管・利用の計画が必要なはずだ。なのに、全国の自治体において、指定管理者制度導入に伴い、図書館までがツタヤなどによる民営化が広まりつつある傾向には疑問が多い。

 

一口に資料といっても、その形態はさまざまで、漫画、絵本・紙芝居、文書や書簡、和装本、巻物、レコード・楽譜、CD、演劇や映画の台本などというのもある。基本的には、国立図書館が網羅的に収集・保管・利用のセンターとなるべきで、資料によっては、専門的な知識や技術が欠かせないので、役割分担をする必要もあるのかもしれない。ユニークな雑誌コレクションとその索引づくりを誇る「大宅壮一文庫」だが、財政的危機にさらされているという。公的な支援があってしかるべきだろ。

 私の場合、短歌雑誌類も利用しようと思って、気になる特集や関心のある歌人の特集の号だけが並ぶ。わずかながら、自分の短歌やエッセイの掲載号もコピーは取ってあるものの捨てがたい。どれかの雑誌に毎号のように登場する人気の歌人たちはどうしているのだろう、などと余計な心配もする。

 それに私には、長らくかかわってきたもう一つのテーマでもある、地域の問題がある。自治会、地域の開発・街づくり、県政・市政に関する情報公開文書や関係資料、これはほとんど、切り抜きや文書なので、冊子のファイルで保管しているが、かさばるので、このごろは店でもらう紙の手提げ袋や大きな茶封筒を仕訳に再利用している。「自治会の法人化」「自治会と寄付・社協・日赤・消防団」「順天堂大学誘致問題」「航空機騒音」・・・。それに、参加してきた市民集会や活動の資料やチラシなども結構な量になる。それらが、押し入れや物置にひしめいている。そんなわけで、近頃は、必要なときに、必要な資料が出て来ないこともたびたびで、きのう置き換えた資料を、ない、ないと探すこともある。

 それにしても、学生時代使ったはずの法律の本は、引っ越しの折に始末?あまり勉強しなかっただけに未練がなかったのかもしれない。憲法のコンメンタールと判例百選、我妻民法、法律学全集の幾冊かだけが申し訳のように残されている。

 

 「終活」といい、「生前整理」といい、本の始末だけでも楽ではない。昔を思い出しては、作業の手が止まる。棚から降ろして、埃をぬぐう。今日は、のども、腰も痛めたらしく、早寝を決めた。

ああ、もう生前整理、遺品整理業者に任せるしかないか。

 

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前回の記事で、昨年受けたインタビューのことを書いたが、今回の作業中に古いファイルの中から、赤茶けた新聞が出てきた。ああ、そういえば、『現代短歌と天皇制』を出版した当時、『図書新聞』でこんなインタビューを受けていたのだったと、あらためて読み始めたのだった。なんと3頁にもわたっての収録で、立派な見出しと、各頁には、発言の一部分が大きく見出しのようになっていた。聞き手の米路さんと佐藤さんにリードされて、何とかおしゃべりができた記憶がよみがえった。斎藤茂吉と市川房枝の写真には、「え?」と思ったが、確かに言及している。しかし宇野浩二と広津和郎の写真はなぜ?記事の発言には登場してこないが、どこかで二人に話が及んだのだろうか。

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今、読み直してみても、その後の拙著での「はしがき」や「あとがき」で書いていることの繰り返しのようにも思えた。ほとんど同じことしか言ってないではないか。新著の斎藤史の本に関しての感想を発信されたツイートの一つに、「著者の天皇制批判は、念仏のようだ」とも評された。「うーん」、肝に銘じたい。

 

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2018年11月24日 (土)

もう一度、見ておきたい展示だったが、今日までだった~「開館70周年記念展示 本の玉手箱」

 調べ物のついでに、立ち寄ったのが、国立国会図書館新館の「開館70周年記念展示 本の玉手箱」という展示だった。もう一度時間をかけてみたいと思って、チラシを見ると、なんと東京での展示は今日1124日(土)までで、1130日からは関西館での開催となっていた。残念。

私が出かけたのは10月の中旬だったか。展示室は閑散としていて、入場者は23人、やはり年配の人が多い。1960年代後半から、たった11年間の在職だったが、めずらしい書籍や資料に出会えたのは、貴重な体験ではあった。浮世絵・錦絵をはじめ憲政資料室の明治の政治家の書簡、高橋由一の絵画だったり、イギリスの稀覯本、内務省のマル秘資料だったり・・・、当時はまだ非公開だった大量の児童図書などには目を瞠ったものである。しかし、今回の展示では、まさに「玉手箱」のように、こんなものが所蔵されていたのだとあらためて知ることにもなった。ほんの一部の紹介のはずなのだが。

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 展示カタログの表紙、右下、下から2段目に並ぶ、吉野源三郎『君たちはどう生きるか』   (日本少国民文庫、新潮社 1949年)と、正岡子規「絶筆三句」(1902年)の散らし書きは、写しであったが、右から「をととひのへちまの水も取らざりき  糸瓜咲て痰のつまりし佛かな 痰一斗糸瓜の水も間にあはず」と読めた。1902年9月19日未明に亡くなっているので18日の昏睡に入る直前の筆になるらしい(上田三四二解説『病状六尺』岩波文庫)。

Img546展示カタログの裏表紙。中央の鳥の首の大きく曲がった内側にある、ハートが描かれている細長い変形本が、与謝野晶子『みだれ髪』(東京新詩社 1901年)。なんといっても懐かしいのが、鳥のくちばしの上にある、図書カードボックスである。かつての職場では、独自の参考図書のカードを逐次作成し、このカードボックスに収めたていた。一階ホールの分類、著者、書名、件名目録カードを何度も引きに出かけるのが仕事だった。これらのカードをたくみに使って、目的の本をみごとに探し出したり、さまざまな冊子の書誌類を使って、閲覧者が捜す文献を魔法のように見つけ出してくる先輩たちもいた。因みに、首を突き出している大きな鳥は、図書館が所蔵する一番大きな本103×68㎝の"The birds of Amerika"(1985年)の表紙を飾る鳥の図の一部であった。

Img547カタログの13頁、上段は、内務省発禁図書だった小林多喜二『蟹工船』(戦旗社 1929年)であり、下段は、「日本国憲法」が公布された1946年11月3日の官報号外の一部で、内閣総理大臣吉田茂の他、幣原喜重郎、木村篤太郎、金森徳次郎、芦田均、安倍能成らのサインが見える(入江俊郎文書)。



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2018年9月30日 (日)

校正の合間に~満身創痍の1949年の『短歌研究』前後

いま、新著の校正に奮闘中なのだが、確認のため敗戦直後の古い『短歌研究』『日本短歌』のコピーを引きずり出している。1949年分の『短歌研究』の原本だけは手元にあるので、助かっている。必要個所だけのコピーではなく、一冊丸ごと読めるはありがたい。しかし、不急不要な文章や作品に引き込まれることもしばしばなのだ。もっとも、国立国会図書館に行けば、デジタル資料で頁を繰ることはできるのだけれど、臨場感が違う?と思うのは、昔の図書館員の感傷か。

亡兄の職場の廃棄本にしていまここに在り役立ちており

仙花紙の雑誌はらはら崩れ落ちパソコンのキイボードをよごす

冷めやらぬ「第二芸術論争」読み差して雑誌の補修に手を初めにけり

 

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『短歌研究』1949年1月号、裏表紙が欠けている。満身創痍。亡き次兄が、初めての赴任先の都下の中学校で、図書館の先生が廃棄するのを頂戴してきたもの。1950年代後半だろうか。最終頁に蔵書印らしきものが見える。

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『短歌研究』1949年9月号。巻頭論文は、伊藤信吉「現代史における<美>意識」、土岐善麿、松村英一、柴生田稔が編輯部が選んだ坪野哲久、近藤芳美、山本友一、香川進の最近作5首を評する「作品合評」がきびしい。11・12合併号では、坪野・近藤・山本が7月号の土岐・松村・柴生田の作品を評して切り返すという企画が面白い。


ついでに、

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ゴミ類の整理に勝手口を出ると、キンモクセイすでに花をつけ始めていた

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庭のキンモクセイの下には、いまだ、主亡き犬小屋がそのままになっている。この間まで、辺りはヤマボウシの赤い実がいっぱい落ちていた。この犬小屋には、なつかしい思い出がある。連れ合いが、後から我が家にやってきた犬のため、玄関先で、二つ目の犬小屋を組み立てているのを、二匹はじっと見守っていた。そして、さあ、完成と、連れ合いが立ち上がったとたん、その新しい小屋に、前からの姉犬が、さっと入り込んで占拠した。あっけにとられてしまうという顛末があった。姉犬が新しい小屋を使い、妹犬は、相変わらず玄関先で過ごしていた。

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