2022年6月 7日 (火)

『喜べ、幸いなる魂よ』(佐藤亜紀)~フランドル地方が舞台と知って

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  近年、めったに小説など読むことはないのだが、主人公がフランドル地方のゲント(現地の読み方がヘントらしい)のベギン会の修道院で暮らす女性と知って、読み始めた。というのも、すでに20年も前のことなのだが、2002年の秋、ブリュッセルに何泊かしたときに、日帰りで、ゲントに出かけて、その小さな街の雰囲気が印象深かったこと、ブルージュに出かけた日は、ふと立ち寄ったベギン会修道院のたたずまいが忘れがたいこともあって、ぜひ、読まねばとの思いに駆られた。 

  小説は、18世紀、亜麻糸を手堅く商う家に生まれた双子の姉ヤネケと養子として引き取られたヤンとの愛の物語である。読書が大好きで、数学や天文学などにも関心が深いヤネケはまるで実験かのようにヤンと愛し合い、二人の間に生まれた子は、二人と引き離され乳母に預けられる。ヤネケは、母方の叔母が暮らすベギン会修道院に入ってしまう。ヤンは、子への愛を断ち切れず引き取り、亜麻糸の商人として働きながら育てるのだった。当時の女性は子を産むことと家を守ることに専念すべきで、学問をするなど許される時代ではなく、双子の弟のテオやヤンの名前で本を出版して、認められるようにもなってゆく。テオは、野心家の市長の娘と結婚するが不慮の事故で急逝すると、市長の娘とヤンは結婚、亜麻糸商を任されることになる。ヤンは、店の帳簿を、数字に強いヤネケに点検してもらうために、修道院に通ったり、ヤネケは、二人ならば許されるという外出を利用して、しばしば生家を訪れたりして、ヤンや子供のレオとの交流もする。

  ベギン会の修道院は、一般社会と切断されているものではなく、統括する組織もなく、信仰に入った単身女性たちは、敷地内のテラスハウスのような住居を所有する。外出も可能で、居住区以外は、男性の出入りもできたという。それぞれ、資産を持ち、亜麻を梳いたり、レース編みをしたり、あるいは家庭教師になったり、さまざまな技能と労働をもって、自分で生計を立て、貯えもする。

  敷地内で、ヤネケが育てているリンゴの木、毎年少しづつ美味になってゆく果実をヤンと食す場面が象徴的でもある。市長の娘の妻との暮らしもつかの間、風邪をこじらせ急逝、今度は、ヤンが市長の座にふさわしい妻をということで、貴族の未亡人と結婚したが、出産時に死去、ふたたびひとり身になるのだ。

 ただ、成長した子供のレオは、ヤネケが母とは知らず、なつかないまま、商売の手伝いをするわけでもなく、やがて家を出てしまう。そして、ヤネケとヤンの老齢期に近づくころ、二人にとっても、フランドル地方にとっても思わぬ展開になるのだが、二人の愛は、揺らぐものではなかった・・・。

 登場人物の名をなかなか覚えられないので、外国文学は苦手なのだが、この小説でも登場人物一覧にときどき立ち戻るのだった。著者は、フランスへの留学経験があるものの、研究書などによる時代考証に苦労したに違いないが、女性の自立と愛の形を問いかける一冊となった。

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ブルージュの街を散策中、長い石塀をめぐらせている施設があったので、何の気なしに小さな戸口から入ってみると、そこには、林の中に白い建物が立ち並ぶ静寂な世界が広がっていた。旧ベギン会の修道院で、13世紀のフランドル伯夫人の手により設立されたが、現存の建物は、17世紀にさかのぼる。いまはベネデイクト会女子修道院として利用されている。ゲントには、二つのベギン会の修道院があるが、訪ねることができなかった。フランドル地方に14あったベギン会修道院は、ユネスコ世界遺産に登録されてるという。

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上が、ゲント市内全景。2002年当時の現地の観光案内書から。下は、正面が聖バーフ大聖堂。

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ゲントは、どこを切り取っても絵になるような街である。

ゲントについては、下記の当ブログ記事でもふれている。

エミール・クラウス展とゲントの思い出(2)(2013年7月9日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2013/07/post-d279.html

 

 

 

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2013年7月 9日 (火)

エミール・クラウス展とゲントの思い出(2)

ゲント美術館のあれこれ

  2002年、ベルギー旅行のころはまだ、ブログも開いていなかったし、デジカメもなかった。手元には焼きつけた写真と簡単なメモが残るだけである。ただ、私が参加していた短歌の同人誌『風景』(103~104号 2003年3月・5月)には、旅行記らしきものを掲載してもらっている。それらを手掛かりに、ゲント美術館のあれこれを思い出している。

 駅の案内所で手に入れた[Museums in Ghent]の最終頁の地図は以下の通り。

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 ゲント駅(ゲント・セント・ピーテルス、地図の左下)には、ブリュッセル南駅から列車で30分一寸で着く。人口25万の毛織物産業で栄えたギルドの街でもあった。レイエ川の支流が街をめぐり、狭い石畳の街をトラムが走る。駅前の公園を抜けてすぐのところにゲント美術館(MSK)はあった(地図では一番下のパレットの印)。その向かいがゲント市立現代美術館(SMAK)で、時間がなくて結局入館することはなかった。
 ゲント美術館では、当時、マックス・エルンストのグラフィック展が開催されていた。エルンストは苦手と、簡単に済まそうとすると、係員が順路を示し、連れ戻さんばかりの熱心さであった。なるほど入館者は少ない。超現実の世界にしばらくひたったわけだが、以下の木の葉を樹木に見立てた作品が気に入り、絵葉書も購入、チケットと道すがら拾った木の葉を配した写真としてみた。

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  常設展では、案内書によく登場するH・ヴォス「十字架を背負ったキリスト」、J・アンソール「仮面を持った老婦人」は、注意してみた覚えはあるのだが、エミール・クラウスは知らず、通り過ぎてしまっていたのだろう。美術館案内書を今回読み直すと、ベルギーの象徴主義と印象主義の担い手としてクラウス、アンソール、クノップなどの名前が出ていた。今回のクラウス展に出品のゲント美術館所蔵は前記事の「そり遊びの子どもたち」と「晴れた日」くらいだろうか。

 旅行のアルバムのポケットからは、次のようなシオリも出てきたので、あらためて写真におさめた。右側のシオリの原画は、大きな右手は下に伸ばしている様子が描かれて、”Recling farmer”(Constant Perneke)と題されていた。

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 常設展の作品で、いま手元に残っている絵葉書は、つぎの2枚で、上段が連れ合いが選んだ「お絵かき上手」(ヤン・フランス・フェルファス 1877年)、下段が私が選んだ風景画で作者は、Lodewijk de Vadder(1605~1655)とあった。

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  ゲントではトラムには乗らずに、すべて歩いたためか、今思うと、町の中心部しか動いていなかったようだし、美術館も他には入館しなかったのが悔やまれる。聖バーフ大聖堂、聖ニコラス教会、聖ヤコブ教会などをめぐり、バーフ広場のレストランでは、鐘楼からのカリヨンの音色を楽しみながら食事をした。さらに川沿いに北へ向かうと、リーヴァ川との合流地点には堅固な石の城塞、フランドル伯爵城が突如現れる。地下には博物館もあり、登るとゲントが一望できるとのことだったが・・・。下の左側は、聖バーフ大聖堂の道、右側は、聖堂内の正面の祭壇である

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エミール・クラウス展とゲントの思い出(1)

 改装された東京駅を通過したことはあっても、じっくりは見ていない。東京ステーションギャラリーで、ベルギーの印象派の展覧会をやっているという記事とやさしい絵柄のポスターに是非にもと思っていた。東京に出たついでながら、寄ってみた。正式には「エミール・クラウスとベルギーの印象派」(2013年6月8日~7月15日)。クラウス(1849-1924)の名は初めて聞く。ゲントの美術アカデミーの校長先生で、日本からでは珍しく、ベルギーに留学した児島虎次郎と太田喜二郎の師でもあったという。その日本人画家の名も聞いたことはあるが、どんな絵を描いたのだろう、という程度のことだった。
 ゲントといえば、海外旅行の行き始めの頃、2002年の秋にブリュッセル4泊、パリ3泊というラフな計画で発った旅で、ブリュッセルから日帰りで 出かけたところでもあった。たった1日の滞在でなつかしいもないのだが、好印象の記憶がよみがえる街なのだ。

「ルミニムス」って?
 

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↑①「野の少女たち」((1892頃、ベルギー個人蔵)

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↑②「レイエ河畔に座る少女」(1892年頃、ベルギー個人蔵)

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↑③「そり遊びをする子どもたち」(1891年、ゲント美術館蔵)


 クラウス作品は、ゲント美術館からの出品はあまり多くはなく、下記の第2章にほとんど集められていた。
第1章 エミールクラウスのルミニムス
第2章 ベルギーの印象派:新印象派とルミニムス
第3章フランスの印象派:ベルギーの印象派の起源
第4章ベルギーの印象派、日本の受容

 今回の展示での順路は、第2章から始まり、第1章のクラウス作品へと導かれる。クラウスの出品作の大部分は、ベルギーの個人所蔵のものが多いから、これだけまとまって見られるのはまれなのかもしれない。
 ①は、展覧会のちらしの背景になっていた作品で、枯れ草の野道を靴を脱ぎ、裸足で三々五々、帰ってくる光景だろうか。逆光のなかの少女たちの表情はやや疲れを見せる風でもあり、充実感が感じられる風でもある。
 ②のレイエ川は、ゲントの街を流れる川で、クラウスの絵にはしばしば登場する。ゲントは、スヘルデ川とレイエ川が合流し、水の豊かな街でもあり、小さな観光船も行き来している。この絵のレイエ川はゲントの郊外、クラウスの住まいのあったラーテム村だろうか、チケットの絵にもなっている。
 ③は「ルミニムス(光輝主義)」と呼ばれるにふさわしいような作品で、今回の展覧会カタログの表紙を飾っていたが、私は数枚の絵葉書だけ買って、購入はしなかった。そんなわけでやや資料不足ではある。
  エミール・クラウス展の会場では、もちろん撮影は禁止。3階から2階に移る時の写真と窓からの写真が撮れた。回廊からの丸の内北口ホールを俯瞰したが、斜めになって失敗。帰りを急ぎ、結局、今回も駅舎見学は見送りとなった。(続く)

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