2018年9月20日 (木)

「没後50年藤田嗣治展」へ出かけました~「戦争画」とは何だったのか(2)

戦争画への評価

藤田の戦争画は、もちろん体験に基づくものでもなく、写実でもなく、「想像」と多様な「技法」の産物であったことはどの評者も認めるところだが、その思想と鑑賞者の受け取り方については、大きく意見が分かれるところである。

その典型的な一つは、今回の藤田展の公式ウェブサイトに岸恵子が寄せている、つぎのような考え方であろう。小難しい言い回しはなく、実に簡明で分かりやすいのは確かだ。

「アッツ島玉砕」を戦争賛歌とし、藤田嗣治さんを去らしめた戦後日本を私は悲しいと思う。戦争悪を描いた傑作なのに。晩年の藤田さんに私は寂しい翳を見た。瞳の奥には希代の才能が生んだ作品群、特に巨大壁画「秋田の行事」の躍動する煌めきも感じた。欧州画壇の寵児ではあっても、日本国籍を離脱するのは辛かったのではないかと、私は想像する。」(岸惠子/女優)

  また、今回の藤田展の監修者でもあり、「作戦記録画」全14点を収録した『藤田嗣治画集』全三巻(小学館 2014年)をまとめた林洋子は、少し前のインタビューで次のように語っている(「『藤田嗣治画集』刊行 作戦記録画全点を初収録」『毎日新聞』夕刊 2014414日)。

「(作戦記録画が)ようやく、『歴史化』が可能になってきたと思います。藤田の作戦記録画をめぐる批判は『森を見て木を見ていない』という印象がありました。一点一点、違うことを冷静に見ていただきたい」「(この10年)絵画技法においては、もっとも研究が進んだ画家になりました」

前述の『朝日新聞』における、いくつかの藤田展紹介記事では、1920年代の「乳白色の裸婦」や敗戦後日本を去り、アメリカを経て、1950年から晩年までのフランスでの作品に焦点が当てられているもので、「作戦記録画」について触れたものは、②「激動の生 絵筆と歩む」のつぎの一カ所だけであった。会場のパネルの「年譜」を見ても、前述のように、やや不明点があるものの簡単な記述であった。

「軍部の要請で、戦意高揚を図るための<作戦記録画>を盛んに描くようになる。終戦後、戦中の国策協力を糾弾される中、49年春に日本を去った。それから二度と祖国に戻ることはなかった」 

藤田の戦争画をめぐっては、古くから、技法に優れ、描法の開拓を評価するが、芸術としての内容、内面的な深まりが見えない、表層的だとかいう指摘や「狂気」にのめり込んだとか、「狂気」を突き抜けたとか、鎮魂の宗教画だとか、さまざまな評価があるようだ。絵画を含め文芸において、技法はあくまでも手段であって、第一義的には、作品の主題、作者の思想の表出が問われるべきではないか。あの凄惨な戦争画が「鎮魂」とは言い難いのではないかと思っている。とくに、当時、藤田自身が新聞紙上で、つぎのようにも述べているところを見るとなおさらである(「戦争と絵画」『東京日日新聞』 1942122日)。

「かかる大戦争のときに現われものは現われ、自滅するものは自滅し、真に実力あり誠心誠意の人のみが活躍出来る。画家としてこの光栄ある時代にめぐりあった私は、しみじみ有難いと思う。(中略)今日の戦時美術はその技巧に於いて、諸種の材料に於いて正銘の日本美術であることは我々の喜びである」

 藤田は、陸軍省や海軍省から戦地へ派遣されるものの戦場に向かうわけではなく、絵具や画材は十分に与えられ、戦局の情報も知り得た制作環境のなかで、描きたいものを描く達成感が得られたのかもしれない。しかし、作品の多くが、現実に、戦意高揚、聖戦貫徹という役割を果たし、国民をミスリードしているという自覚は、なかったのだろうか。自分の戦争画が多くの鑑賞者を動員することを目の当たりにし、国家権力や大衆に迎合することによって、得られたものは、日本での名声であり、海外生活が長かった藤田にしては、「祖国愛」、「日本」への帰属意識だったのかもしれない。

そして、藤田は、敗戦後のGHQへの対応によって、多くの疑念を抱かせた。しかし、戦争画を描いたのは藤田ばかりではなかったのだが、日本の美術界は、画家たちと国家権力、戦時下の美術という基本的な問題を個人の「戦争責任」へと矮小化させ、曖昧なまま戦後を歩み始めたのであった。もちろん画家一人一人の戦争責任は、各人が、その後、戦時下の作品とどう向き合い、処理したのか、以後どんな作品を残したのか、どんな発言をし、どんな生き方をしたのかによって、問われなければならないと思っている。 

戦争画に対するマス・メディアの動向、過去そして現在

先の藤田研究の第一人者と言える林洋子は、作品一点一点の差異を冷静に見る必要を説き、「森を見て木を見ていない」という傾向を嘆くが、私には、藤田作品のテーマの推移、技法の変遷、その時代の言動というものをトータルに振り返る必要があるのではないかと思っている。むしろ「木を見て、森を見ない」、技法偏重の論評が多くなっていることがみてとれる。それが、大きな流れとなって「戦争画」評価の着地点をいささか緩慢に誤らせてしまっているような気がする。

さらに、敗戦後、73年を経て、戦争体験者、戦時下の暮しを知らない人々、戦後生まれがすでに83%を占めるに至り、美術史上、戦争画への評価は、大きく変わりつつあるのか、それとも、変わり得ない何かがあるのか。門外漢ながら、昨今の動きが、私には、とても気になっている。

今回の藤田展の主催者として、朝日新聞社とNHKが並んでいる。戦時下の朝日新聞社は、「戦争画」の展覧会を幾度となく主催している。この二つの事実は決して無関係なこととは思われないのだ。

<朝日新聞社主催の戦争画展>

19385月 東京朝日新聞創刊50周年戦争美術展(於東京府美術館、朝日新聞社主催)

19397月 第1回聖戦美術展(於東京府美術館、朝日新聞社・陸軍美術協会主催)

19417月 第2回聖戦美術展(於上野日本美術協会、朝日新聞社・陸軍美術協会主催)

19419月 第1回航空美術展(於日本橋高島屋、朝日新聞社・大日本航空美術協会主催)

19429月 第2回航空美術展(於日本橋高島屋、朝日新聞社・大日本航空美術協会・大日本飛行協会主催)

194212月 第1回大東亜戦争美術展(於東京府美術館、朝日新聞社主催)

19439月 第2回航空美術展(於日本橋高島屋、朝日新聞社・大日本航空美術協会・大日本飛行協会主催)

194312月 第2回大東亜戦争美術展(於東京府美術館、朝日新聞社主催)

19443月  陸軍美術展(於東京都美術館、朝日新聞社・陸軍美術協会主催)

19445 月 第8回海洋美術展(於東京都美術館、朝日新聞社・大日本海洋美術協会・海洋協会主催)

19454月 戦争記録画展(於東京都美術館、朝日新聞社・陸軍美術協会・日本美術報国会主催)

「戦争/美術 関連年表19361953」(長門佐季編)『戦争/美術19401950モダニズムの連鎖と変容(展覧会図録)』( 於神奈川県立美術館葉山 1913年)より作成 

なお、このほかにも、さまざまな戦争画展は開催されているが、突出しているのは朝日新聞社で、他の東京日日新聞、読売新聞などとの激しい競争と陸軍・海軍同士の確執も加わっての結果らしい(河田明久「作戦記録画をめぐる思惑のあれこれ」『戦争/美術19401950モダニズムの連鎖と変容(展覧会図録)』2013年)。さらに言えば、敗戦直後、藤田の戦争責任を糾弾する宮田重雄「美術家の節操」を掲載したのも『朝日新聞』(19451014日)であったのである。

 また、NHKには、戦争画周辺をテーマにした番組や藤田をテーマにした番組も多い。最近だけでも、私自身がみた番組を中心に、ネットでも確認できたものを加えるが、もちろん網羅性はないので、もっとあるのかもしれない。

<最近のNHK藤田嗣治関係番組>(  )内は出演者
1999923日「空白の自伝・藤田嗣治」NHKスペシャル(藤田君代、夏堀全弘)
2003127日「さまよえる戦争画~従軍画家の遺族たちの証言」NHKハイビジョンスペシャル(藤田嗣治、小磯良平、宮本三郎らの作品紹介と遺族たちと小川原脩の証言)
2006416日「藤田嗣治~ベールを脱いだ伝説の画家」NHK教育テレビ新日曜美術館(立花隆)
2012711日「極上美の饗宴 究極の戦争画 藤田嗣治」NHKBS(笹木繁雄、菊畑茂久馬、司修、アッツ島生存者、サイパン島住民生存者、東京国立近代美術館美術課長蔵屋美香)
2012826日「藤田嗣治―玉砕の戦争画」NHK日曜美術館(笹木繁雄、菊畑茂久馬、司修、野見山暁治)
20151217日「英雄たちの選択・アッツ島玉砕の真実」NHKBSプレミアム201898日「特集・よみがえる藤田嗣治―天才画家の素顔」NHK総合
201899日「知られざる藤田嗣治―天才画家の遺言」NHK日曜美術館

 こうしてみるとこの20年間に、再放送を含めると、20本近い関連番組が流れていることになる。NHKは、一人の画家についての取材を続け、繰り返し放送していたことになる。1999年「空白の自伝・藤田嗣治」、ハイビジョンスペシャル「画家藤田嗣治の二十世紀」(未見、未確認)の制作を担当した近藤文人は、『藤田嗣治<異邦人>の生涯』(講談社 2002年、2008年文庫化)という本まで著している。近藤は、先行研究に加えて、当時未刊だった夏堀全弘「藤田嗣治論」(『藤田嗣治芸術試論』三好企画 2004年公刊)、藤田の日記などの未公開資料を読み込み、藤田君代夫人(19112009)へのインタビューを重ねた上で、書き進めている。藤田自身の日記や夫人のインタビューに拠るところが多い部分は、どうしても身内の証言だけに、客観性、信ぴょう性に欠ける部分が出てくるだろうし、当時は存命だった夫人への配慮がある執筆部分も散見できる。その後の関連番組は、そのタイトルからも推測できるように、藤田のさまざまな側面から、その作品や生涯にアプローチしていることがわかる。戦争画への言及は、そのゲストの選択から見ても分かる通り、むしろ薄まってゆき、というより、再評価への道筋をつけている。この間、2006年には、NHKは「パリを魅了した異邦人 生誕120年藤田嗣治展」を東京国立近代美術館、日本経済新聞社と主催している。グローバルに、華やかな活躍をした<伝説>の画家としての部分がクローズアップされ、今回の没後50年の藤田展に繋がる軌跡をたどることができる。もはや「戦争責任」はそれとなくスルーしてもよいというムードさえ漂わせる論評も多くなったのではないか。上記に見るような、朝日新聞やNHKの番組で繰り返されるメッセージが、その手助けをしてはいないか、いささか恐ろしくなってくるのである。しかも、『朝日新聞』、NHKに限らないのだ。 

 網羅性はないが、私の「戦争と美術」のスクラップブックを繰り始めて、気が付いたことがある。2006年の生誕120年の藤田展に関して、北野輝「藤田嗣二と戦争責任」上下(『赤旗』2006912日・13日)において、この藤田展が藤田芸術の全貌に触れる機会になったことは歓迎するが、「藤田の再評価」「手放しの賛美」や戦争画の「意味を欠いた迫真的描写」の凄惨嗜好が玉砕美化への同調となり、現実の人間の命や死への無関心を助長しないかという問いかけがなされていた。それが、同じ『赤旗』における、今回の藤田展評は、「没後50年藤田嗣治展 多面的な画作の軌跡 漂泊の個人主義的コスモポリタン」(武居利史、201894日)と題して、作品の成り立ち、創意工夫に着目する。作戦記録画の出品は二点のみで「代わりに展示で充実するのは、戦後米国経由で渡仏して20年間の仕事だ」とした上で、「藤田の生き方は、国粋主義的ナショナリストというより、個人主義的コスモポリタンに近い。美術のグローバル化を先取りした画家といえよう」と締めくくる。 二人の執筆者は、ともに敗戦後設立された「日本美術会」に属し、美術の自立、美術界の民主化活動に励んでいる人たちである。執筆者の世代の相違なのか、その基調の変化にいささか驚いたが、共産党の昨今の動向からいえば、不思議はない。しかし、追悼50年の「大回顧展」なのだから、その作品を、生涯を、トータルに検証すべきではなかったのか。

こうした傾向については、何も美術界の傾向に限らず、他の文芸の世界でも、私が、その端っこに身を置く短歌の世界でも、同様なことが言える。いまさら「戦争責任」を持ち出すことは、まるで野暮なことのように、戦時下に活躍した著名歌人たち、自らの師匠筋にあたる歌人たちが、時代や時局に寄り添うことには寛容なのである。ということは、そうした歌人たち自身の国家や社会とのかかわりにおいても、抵抗というよりは、少しでも心地よい場所を探っていくことにもつながっているのではないか、と思うようになった。

なお、藤田に関わる資料をひっくり返しているなかで、ある写真集というか、訪問記を思い出した。それは、毎日新聞のカメラマンであった阿部徹雄の1952年のマティス ヴラマンクそしてフジタ』(阿部力編刊 2016年)であった。これは、ご子息がまとめ、解説も書いている。1952年の三人の画家の訪問記であった。精選された写真は、アトリエだったり、家族との団らんであったり、これまで、あまり見たことがなく、その日常が興味深く思えた。とくに、モンパルナスの藤田の住居兼アトリエ(カンパニュ・プルミエール通り23)、1952年と言えば日本を離れて間もない藤田65歳のころである。19521011日・14日・20日の三回訪問している。その取材ノートの部分には、藤田夫妻の日常と実に率直な感想が記されていた。日常の買い物などは藤田がこなしていることや夫人は「家の中ばかりいて、外の空気に触れない人らしい。藤田さんという人は本当に奥さん運のない人だ。気の毒な位芸術の面がそのことでスポイルされているように見えた。この人の芸術的センスに良妻を与えたいものだ」とのメモもある。 

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写真集の表紙(右)と裏表紙。チラシより

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チラシの裏

 

 藤田の没後、君代夫人については、藤田作品の公表・著作権、伝記、取材などをめぐる各方面とのトラブルが伝えられているが、当時も、その一端をのぞかせていたようで、かなり起伏の激しいことが伺われた。藤田夫妻のツーショット写真もあるが、「19521014日談笑する藤田さんと君代夫人。君代夫人は化粧をして、機嫌よい姿を見せてくれた。」との添え書きもある。

なお、カメラマンの阿部徹雄(1914‐2007)が、私がポトナム短歌会で師事した阿部静枝の夫阿部温知の甥にあたる人であることを知ったのは、ごく最近である。それというのも、静枝の遠縁にあたる仙台の方とブログを通じて知り合い、ご教示いただいた。この写真集も、彼女を通じて頂戴したものである。

なお、阿部徹雄の作品の一部は、毎日新聞社のフォト・バンクの「阿部徹雄コレクション」(戦時下を含め約900)に収められている。

https://photobank.mainichi.co.jp/php/KK_search.php

 

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2018年9月19日 (水)

「没後50年藤田嗣治展」へ出かけました~「戦争画」とは何だったのか(1)(2)

「藤田嗣治展」へ出かけました~「戦争画」とは何だったのか(1)

 

今回の藤田展のコンセプト

今回の展覧会(2018731日~108日、都美術館)は、東京都美術館・朝日新聞・NHKの三者が主催であったためか、『朝日新聞』での広報が熱かった。NHKの特別番組(「よみがえる藤田嗣治~天才画家の素顔~」201898() 17:10 18:00 総合テレビ)は、見損なってしまったが、主催者としての、都美術館の公式サイトによると、「藤田の画業の全貌を解き明かす大回顧展」と題して、つぎのように記している。

 「明治半ばの日本で生まれ、80年を超える人生の約半分をフランスで暮らし、晩年にはフランス国籍を取得して欧州の土となった画家・藤田嗣治(レオナール・フジタ、1886-1968)2018年は、エコール・ド・パリの寵児のひとりであり、太平洋戦争期の作戦記録画でも知られる藤田が世を去って50年目にあたります。この節目に、日本はもとよりフランスを中心とした欧米の主要な美術館の協力を得て、画業の全貌を展覧する大回顧展を開催します。本展覧会は、「風景画」「肖像画」「裸婦」「宗教画」などのテーマを設けて、最新の研究成果も盛り込みながら、藤田芸術をとらえ直そうとする試みです。」 

http://foujita2018.jp/highlight.html

 一方、私が読んだ、朝日の記事は五つほどで、①「動から静へ 重なる人生の軌跡」(夕刊714日)、②「激動の生 絵筆と歩む」(伊藤綾記者 816日)③「藤田嗣治 魂の跡形をたどる」(大西若人編集委員 821日)④「溢れる自信 どこから<自画像>」(828日夕刊)、⑤多文化な人生と絵画世界」(記念号外、大西若人編集委員)で、⑤は、展覧会場に置かれていた全紙別刷り特集の裏表であった。どれも、「見出し」に見るように、代表作を通じて、藤田の全貌が捉えられる画期的な展覧会であることが語られている。三者の紹介の論調は、チラシにもあった、藤田のエッセイ集の中の言葉「私は世界に日本人としていきたいと願う」(『随筆集地を泳ぐ』1942年)に集約されるのだろう。

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<参照> 過去の当ブログ記事
今回もカタログは買っていないので、これまで当ブログに書いてきた何回かの関連記事に示した情報と合わせてのレポートに過ぎない。その主なものは以下の通りである。

・上野の森美術館「没後40年 レオナール・フジタ展」~<欠落年表>の不思議(08 /12/ 13

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2008/12/post-13fc.html

・ようやくの葉山、「戦争/美術19401950―モダニズムの連鎖と変容」へ(13/09/27

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2013/09/19401950-0aad.html

・藤田嗣治、ふたたび、その戦争画について~

「嗣治から来た手紙~画家は、なぜ戦争を描いたのか」(211日、テレビ朝日、1030分~1125分)を見て(14/2/18)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2014/02/post-dd37.html

・ようやく、藤田嗣治の戦争画14点が公開~国立近代美術館<特集・藤田嗣治、全所蔵作品展示。>  

15/11/01

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2015/11/14-962c.html

今回の藤田展での「戦争画」の位置

 会場での展示は、次の八つの時代に分かれていた。主催者側の意図とは異なるのだが、私が関心を持ったのは、むしろ、初期の「Ⅰ原風景―家族と風景」「Ⅱはじまりのパリ―第一次世界大戦をはさんで」と「Ⅳ‐2<歴史>に直面する―作戦記録画」の時代であった。 

Ⅰ原風景―家族と風景  

 はじまりのパリ―第一次世界大戦をはさんで 

1920 年代の自画像と肖像―「時代」をまとうひとの姿 

 「乳白色の裸婦」の時代 

1930 年代・旅する画家―北米・中南米・アジア 

-1 「歴史」に直面する―二度の「大戦」との遭遇 

-2 「歴史」に直面する―作戦記録画へ 

 戦後の20 年―東京・ニューヨーク・パリ
 
 カトリックへの道行き

 

 []には、藤田(18861968)が、渡仏前に朝鮮総督府医院長だった軍医の父親を訪ねたときの作品「朝鮮風景」(1913年)があった。[Ⅱ]には、パリの“何気ない”と思わせる街角の風景を描いた作品に、私は惹かれた。「雪のパリの街並み」(1917年)「ドランブル街の中庭、雪の印象」(1918年)「パリ風景」(1918年)などである。1929年一度帰国するが、一年で戻り、1933年の帰国以降、日本での製作が始まるが、私が、もっとも着目したのは[Ⅵ-2]の時代であった。藤田の「作戦記録画」(以下「戦争画」と記す)は、東京国立近代美術館にアメリカから返還(1970年無期限貸与)された中の14点から2点だけが、今回は展示されている。

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「雪のパリの街並み」(1917)

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「パリ風景」(1918)、真ん中あたりの歩道を登って行く小さな人影、手前の手押し車を押す老女が坂を下ってくる姿がとてもわびしい。その後の藤田の華やかな技法の転換を見るなかで、こうした初期の作品には虚飾がないように思えた。

 

 

 

 その二作とは、「アッツ島玉砕」(1943年)と「サイパン島同胞臣節を全うす」(1945年)の大作である。この部屋の解説には、西洋美術史上の戦争をテーマにした絵画の研究に励んだとして「戦争を見ずとも、これまでの経験と古今東西の戦争図像の参照によって空前絶後の人体の肉弾戦を中心とした茶褐色の<玉砕画>への陶酔を深めていきました」とあった。藤田の戦争画については、これまでも何度か触れているが、今回の、の展覧会の「年表」には、これらの戦争画を制作した時代がどのように記されているかが、私の眼目でもあった。「年譜」は、[Ⅲ]と[Ⅳ]の間の通路に展示されていた。ちょうど10年前に上野の森美術館での「没後40年」の展覧会のときのような、年表の「空白」はなく、全時代にわたって記されていた。簡単なものだが、太平洋戦争前後から拾ってみよう。  

 

1940523日 パリを発ち、526日マルセイユより伏見丸乗船、77日に神戸着。丸刈りとなる。9月~10月 ノモンハン取材。 

194110月~12月 仏領インドシナへ帝国芸術院と国際文化振興会の文化使節として渡り、途上真珠湾攻撃を知り、1218日帰国。 

194212月 第1回大東亜戦争美術展覧会「十二月八日の真珠湾」出品 

19431月「シンガポール最後の日」などにより朝日賞受賞、9月 国民総力戦美術展「アッツ島玉砕」出品。

19449月 神奈川県、藤野に疎開。

19454月 陸軍美術展「サイパン島同胞臣節を全うす」出品、415日麹町の自宅焼出、12月戦争画説明などのため、GHQの嘱託となる。

19464月 日本美術会による戦争責任問題起こる。 GHQ収集の戦争画は、一時東京都美術館に保管、1951年にアメリカへ送付。

19472月 GHQ作成の戦争犯罪人名簿に藤田の名前はなく、戦犯の疑いが晴れる。 

1949310日 離日、アメリカへ。 

19502月 フランス入国。

 

  若干補えば、193810月、海軍省嘱託として、藤島武二、石井白亭、中村研一らあわせて6人が上海、九江を経て漢口攻略戦に派遣される。394月、陸軍美術協会に藤島らと参加直後、突然の渡仏、その意味が問われながら、一年足らずで、ヨーロッパの戦局が急を告げる中、帰国の途に就く。417月帝国芸術院会員となり、同月第2回聖戦美術展に出品したのが「哈爾哈(はるは)河畔之戦闘」(1941年)だが、もう一枚のノモンハン日本軍敗退の残酷図を描いた作品の存在を語る証言もある。424月陸軍省からシンガポールへ、5月海軍省から東南アジア各地へ、7月満州国へと派遣される。194312月の第2回大東亜戦争美術展覧会には、「ソロモン海域に於ける米兵の末路」が出品されている。 

 

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2015年11月25日 (水)

「マイナンバー制度」は、日本だけ!? 先進国の失敗からなぜ学ばないのか

日本のマイナンバー制度は、国民の利便性や行政の効率化を考えてのことなのか

「マイナンバーのお知らせ」、 皆さんのお手元に届いただろうか。私の家には11 22日に届いた。全国から簡易書留の配達ミスや自治体の窓口での交付ミスが連日続いていて、関係者があちこちで頭を下げている映像を目にする。とくに千葉県内の件数が多いとか。情報漏えいについては万全を期しているという法律ながら、スタートの時点でなんとも基本的なミスが続くではないか。他人のマイナンバーがいとも簡単に知られてしまうリスク、その無防備さが露呈した。

マイナンバー制度について、内閣官房は「マイナンバー 社会保障・税番号制度 国民生活を支える社会的基盤として、社会保障・税番号制度を導入します。」、総務省は「マイナンバー制度は行政の効率化、国民の利便性の向上、公平・公正な社会の実現のための社会基盤です。」と、そのホームページのトップで説明する。果たして、ほんとうなのだろうか。

マイナンバー法とは「行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律」の略称で200頁以上にも及ぶ。関連法合わせて四法を指すこともあり、すでに2013531日に公布され、来年20161月から運用が開始される。さらに、今年、201593日には、マイナンバーの利用範囲を預金口座や特定健康診査(メタボ健診)、予防接種にも拡大する改正法が成立した。日本年金機構の個人情報流出問題を受け、マイナンバーと基礎年金番号の連結は延期した。預金口座へのマイナンバー登録は、いまは、預金者の任意としているが、義務化が検討されている。義務化により、税務当局や自治体は、脱税や生活保護の不正受給を減らせると見込んでいるがほんとうにそうなのか。それより先にやることがあるのではないか。

どの先進国も、進めている「マイナンバー制度」というが、その実態は

10月の終わりに、テレビ朝日の玉川さんの「そもそも総研」で、一部外国での「マイナーバー」実施状況を知った。私も、ネット検索などで調べていくと、いろいろなことがわかってきた。いわゆる「先進国」で、日本のような、「マイナンバー制度」(国民共通番号制度)を採用している国は、見当たらないのだ。国民共通番号制を採用したが撤廃したイギリス、社会保障番号の民間利用を拡大したため「なりすまし被害対策」に必死のアメリカ、納税者IDカードとして税務以外の利用は一切禁止するドイツ、税と健康保険に留まるフランス・・・。いったいどうなっているのか。資料もいろいろ出てきたが、以下のようにまとめてみた。とくに、経過と課題の欄に注目してほしい。日本における、やがて連結される年金情報、健康保険情報などが民間にも開放されたとすると、保険会社や製薬会社などにとっては、格別の情報になってしまうのではないか。

 

諸外国の個人識別番号の現況           

 国名 

人口

 導入状況 

導入時期・対象 

 経緯と課題 
 アメリカ 

3億人

 

社会保障番号 

1936 

任意・民間へ拡大

 

大不況後の対策として社会保障番号制度(年金など)を導入、本人の申請による 

公的医療保険制度はなく、識別番号制度は保険提供者・保険者・雇用主に導入、患者にはない 

民間への利用を拡大したため、なりすまし被害が激増中 

ドイツ 

8000万人

 

納税者ID番号 

2009 

民間禁止

ナチスの体験から、番号を付することが人権侵害で憲法違反とし、情報管理の一元化・データ保護に非常に敏感 

2003~課税の公平性のため税識別番号導入へ(自治体ごと)

フランス 

6500万人

 

健康保険番号 

1998 

任意

1973~紙媒体から電子化、1978~税徴収のみに利用 

1998~健康保険IDカード、医療情報の制限 

日常生活カード、国家身分証明カードは未実施 

イタリア 

6000万人

 
 納税者番号 

民間一部利用

 
 2000~納税はすべて電子申告、現在は社会保障番号としても利用 

本人確認番号として利用拡大 

イギリス 

6300万人

 

国民保険番号 

1948~

 

2006~テロ対策として国民IDカード法成立 

2007 2500万人分のデータROMを紛失 

2010~に保守党に政権交代、国民IDカード法、すべてのカード情報を廃棄 

カナダ 

3000万人

 
 社会保険番号 

1964 

任意 

民間一部利用 

 社会保険料の徴収・受給者管理・給付。身分証明番号として利用 

データ保護意識高い 

オースト 

ラリア 

2150万人

 

納税者番号 

1989~ 

任意

 

1984~税方式による公的医療保障制度、1989~納税者番号取得は任意、カードの発行はない 

2010~保健医療識別番号導入、2012~患者・医療提供者の自主的参加、患者の情報選択が可 

デンマーク 

560万人

 

住民登録番号 

1964 

民間有料で可 

住所・氏名限定

 1968~住民登録制度による税・社会福祉など全行政サービスに利用される個人識別番号制度へ 

1990年代~家庭医登録制度、医療機関相互による効率化へ 

日常的な利用拡大 

日本 

12000万人

 

マイナンバー 

2016 

住民票への番号自動的付与 

民間へ随時拡大 

 基礎年金番号、健康保険被保険者番号、パスポートの番号、納税者の整理番号(旧、法源番号)、運転免許証番号、住民票コード、雇用保険被保険者番号などの一元化へ 

住民票に、氏名・住所・生年月日・性別・個人番号付与。カード配布申請任意  

  (末尾資料により、内野光子作成。201511月現在、未完)

 上記の表は、以下のPDFでもご覧になれます。
http://dmituko.cocolog-nifty.com/syogaikokunokojinsikibetu.pdf

 なぜ「マイナンバー制度」の導入を急いだのか
20161月から運用開始といい、当初は、法律をところどころ、また解説などを読んでいくと、マイナンバーが「行政の効率化、国民の利便性、公平公正な社会」のためにというけれど、今までの役所の縦割り、役所の杓子定規による市民の不便さ、生活保護費の不正受給、富裕層や法人への税優遇が、一挙に解決するとも思われない。相変わらずの役所仕事は続くだろう。ともかく番号一つで国民の個人情報をたばねて、何にでも運用し、国民のひとりひとりの人権に踏み入ろうという狙いは明らかだ。情報漏れに関しては、だれが責任をとることもなく、第三者機関による調査と再発防止をうたって、管理職が頭を下げれば、一件落着である。さらにいえば、役所や法人からのマイナンバー事業の委託や管理事業という、巨大な利権が動く。いわば「コンクリート」公共事業の頭打ちのあおりをIT産業に振り向けるための政策であったのである。 

生活保護費の不正受給や医療費の不正請求を取り締まることは、今のシステムだってできるはずで、やらなかっただけではないのか?軽減税率をどの範囲に決めるか?などはいわば、財政上から見ればむしろ些末的な案件であって、それよりも、法人税率を1%でも下げないこと、所得の分離課税から総合課税へ、 逆進性の税制を改めること、内部留保税の新設・・・など、「決める政治」ですぐにでもできる財源確保ではないか。それらを財源に、福祉予算の大幅増額によって、貧困、病苦、非正規雇用、少子などの悪循環を止めることができるのではないか。政府雇いの有識者からは、そんな意見がさっぱり聞こえてこない。

安保法制によって得をするのは誰なのか、危険にさらされるのは誰なのか。防衛予算や基地の増強は誰のためなのか。原発再稼働によって得をするのは誰なのか。安心安全な暮らしを奪われるのは誰なのか。同じような構図が見えてくる。

この1週間、一日2・3回、マイナンバーの問い合わせ番号0120950178に電話しているが、通じない。もうそれだけでも、私などは、先行きの不安を覚える。たださえ、高齢者をターゲットにさまざまなサギが横行する昨今、民間への利用を推進しようとする「マイナンバー」が、まるで、怪獣のように私たちに襲いかかってくるような恐怖を感じてしまうのだ。

<参考文献>
・「マイナンバー制度」が利権の温床に「IT公共事業」に群がる白アリども『選択』20133
・巨額血税「浪費」のマイナンバー大手IT企業が「談合」でぼろ儲け『選択』20155
・近藤倫子「医療情報の利活用をめぐる現状と課題」『情報通信をめぐる諸課題』国立国会図書館 2014

・黒田充(自治体情報政策研究所のブログ)
「先進国は全てマイナンバーのような制度を入れている」のウソ (1)http://blog.jjseisakuken.jp/blog/2015/04/post-d673.html
「先進国は全てマイナンバーのような制度を入れている」のウソ (2)
http://blog.jjseisakuken.jp/blog/2015/04/post-5cda.html
・玉川徹ほか「そもそもマイナンバー制度は海外ではうまくいっているの?」(約
17分)『そもそも総研』(テレビ朝日、20151029日)
http://www.at-douga.com/?p=14841
・猪狩典子(
GLOCOM国際大学グローバルコミュニケーションセンターのHM)「ICT利用先進国デンマーク」
http://www.glocom.ac.jp/column/denmark/igari_1_1.html
・高山憲之「フランスの社会保障番号制度について」(
200711月)http://cis.ier.hit-u.ac.jp/Common/pdf/dp/2007/dp344.pdf#search='%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9+%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%BF%9D%E9%9A%9C%E7%95%AA%E5%8F%B7'
・「国家情報システム(国民ID)に関する調査研究報告書―英国、フランス、イタリアなどにおける番号制度の現状」(国際社会経済研究所 20113月)http://www.i-ise.com/jp/report/pdf/rep_it_201010.pdf#search='%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2+%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E4%BF%9D%E9%9A%9C%E7%95%AA%E5%8F%B7'
・「諸外国における国民ID制度の現状等に関する調査研究報告書」(国際大学グローバルコミュニケーションセンター 20124月)http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/linkdata/h24_04_houkoku.pdf#search='%E3%83%BB%E3%80%8C%E8%AB%B8%E5%A4%96%E5%9B%BD%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E5%9B%BD%E6%B0%91%EF%BC%A9%EF%BC%A4%E5%88%B6%E5%BA%A6%E3%81%AE%E7%8F%BE%E7%8A%B6%E7%AD%89%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E7%A0%94%E7%A9%B6%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8%E3%80%8D%EF%BC%88%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC+2012%E5%B9%B44%E6%9C%88%EF%BC%89'

 

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