2017年6月 4日 (日)

どうしても、見ておきたかった、ムハの「スラヴ叙事詩」(2)(3)

どうしても、見ておきたかった、ムハの「スラヴ叙事詩」(2)

スラヴ叙事詩」からのメッセージ 

ミュシャ展は65日までの最終盤に入っていたので、覚悟はしていたが、まずは、チケット売り場で並ばねばならなかった。チケットを求めても、入場するまでには60分から70分はかかると、係員は声を掛けて回っている。私たちも、入場の行列の最後尾を見つけるのも容易でなかった。会場は2階だが、その行列は、館外でも2回ほど蛇行し、館内に入っては幾重にも曲がりくねっていた。ようやくエスカレーターにたどりついても、小刻みに入場制限がされるというありさまだった。それでも、ともかく、45分ほどで、入場できた。

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45分並んで、たどり着いた展示会場入り口 、5月31日

会場はやはり大変な混雑だった。20点からなる「スラヴ叙事詩」は、3部屋に分かれていた。どの作品も、巨大で、見上げても全貌がつかめないし、眼前は入場者の頭でいっぱいとい状況だった。大きいものは610×810との表示もある。ともかく離れたり、近づいたりしながら、出品リストと突き合わせるという「鑑賞」しかできなかった。世界史の授業でのかすかな記憶、ヤン・フスの名前。チェコの旅では、カトリックと闘い、火刑に処せられた、チェコの英雄と知るにおよび、ヤン・フスが登場する作品には、一種の親しみさえ覚えるのだが、スラヴ民族史や宗教史自体にも疎いので、理解が及ばないものもある。(以下の作品の説明は、主にミュシャ展公式ホームページの作品解説に拠った)

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プラハ旧市街広場のヤン・フスと戦士たちの群像。この日もイベントの用意が始まっていた。正面の赤い屋根がの建物がゴルツ・キンスキー宮殿、道をはさんで左が聖ミクラーシュ教会、右がテイーン教会、2003年9月

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N0.9 ベツレヘム礼拝堂で説教をするヤン・フス師(1916年)
15世紀に始まった宗教改革の指導者ヤン・フスが左上で、身を乗り出して説教している様子が描かれる。聴衆には、弟子のみならず、国王ヴァーツラフ4世の妻、王妃ゾフィーさえもプロテスタント運動の先駆者フスの言葉に耳を傾けている。カトリック教会はフスを異端として141576日火あぶりの刑に処した

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NO10.クジーシュキでの集会(2016年)
ヤン・フスが火刑に処せられた後、チェコ改革派の指導者となったピルゼンの改革派司祭ヴァーツラフ・コランダがクジーシュキで説教をする場面(1419930日)。信仰を守るためには武器も必要と説き、フス派改革運動からフス戦争へと移行していった。左側には、枯れ木に白い旗が、右側には高い松の木とそれにくくりつけられた赤い旗が掲げられていて、白は戦争と死を、赤はチェコの生命力と希望を表しているとのこと。左下には火刑の様子が描かれている

今回の「スラヴ叙事詩」からのムハのメッセージの中で、とくに強烈であったのは、人間の歴史にとっての言語、暮らしのなかでの言葉の持つ重さであり、ムハの母国語チェコ語への思い入れの深さでもある。

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NO3 スラヴ式典礼の導入(1912年)
東ローマ帝国勅使が、ヴェレフラード城の中庭で、王に宗教儀式でスラヴ語の使用を認可する教皇勅書が読み上げられる場面(9世紀)。スラヴ式典礼を導入し正教会へ傾倒することで、スラヴ人はローマ教皇や神聖ローマ皇帝の支配を逃れることができた。左手前の青年は左手の拳で団結を訴え右手にはスラヴ民族の統一を象徴する輪を握っている

 

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.ブルガリア皇帝シメオン1世(1923年)
ブルガリアおよびギリシャの皇帝シメオン1世(在位888-927)はスラヴ文学の創始者とされている。高名な学者を集め、ビザンティンの文献をスラヴ語に翻訳させた。 

 

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NO15.イヴァンチツェの兄弟団学校(1914年)
ムハの生地モラヴィア地方イヴァンチツェでは、領主ジェロティーン公により15世紀半ば、初のモラヴィア兄弟団が設立され、クラリツェ聖書がチェコ語に翻訳、印刷された。紙を運ぶ青年、印刷物を整理する少年たち、聖書を盲人の老人に読み聞かせている青年の表情は引き締まり、ことのほか明るいように思えた

 

 

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 こんな混み具合のなかの撮影許可ゾーン、5月31日

 

どうしても、見ておきたかった、ムハの「スラヴ叙事詩」(3)

市民会館のムハ

プラハには、ムハの足跡がほかにもあったらしい。2003年の東欧の旅で、プラハに着いた翌日の市内めぐり後の夜は、スメタナ・ホールでのコンサートに出かけた。ホールのあるの市民会館は、アール・ヌーヴォー建物の代表的なもので、私の写真では、その辺の華やかさは今一つである。会館内にも、ムハの作品が様々な形で残されているそうなのだが、館内ツアーには参加できなかった。壁画であり、天井画にありで、華やかさは格別だろう。下の天井画は、中央に鳩があしらわれ、民族の平和を描いているという。コンサート開演前には、会館内のレストランでの食事の折は、お客も少なかったためか、そして、日本人は私たち二人だけというのに、日本の曲を、主に童謡のメドレーで何度か弾いてくれるピアニストがいて、その気づかいに心和んだ思い出もある。肝心のコンサートはヴィヴァルディ・オーケストラであったが、「四季」の演奏はあったのだろうけれど覚えてはいない。アルバムの間から、はらりと落ちて来た、チケットと座席表である。

もし、もう一度、プラハに行けるとしたら、ムハ美術館の再訪と市民会館見学ツアーに参加を実現したい。プラハ城もカフカとミレナが歩いたであろう街も、シナゴーグにも再訪したいが、かなううだろうか。

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市民会館の正面とレストランのカード、2003年9月

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会館内の見学ツアーまで気が回らなくて・・・ここでのムハを見ることができなかった

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スメタナホールの座席表とチケット、2003年9月

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スメタナ・ホール正面のパイプオルガン、2003年9月

 

 

 

 

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どうしても、見ておきたかった、ムハの「スラヴ叙事詩」(1)

プラハ、ムハとの出会い 

3月から、新国立美術館で開催中のミュシャ展(チェコ語ではムハと呼ぶらしい)では、彼の後半生の大作「スラヴ叙事詩」が一挙公開されているという。私がこのブログを始めたのが2006年だから、その前のもう十数年前のこと、東欧を旅したとき、プラハでのムハとの出会いには忘れがたいものがあった。

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通り過ぎてしまいそうな

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展示会場入り口 2003年9月

  ウィーンでチロリアン航空に乗り換え、プラハに着いたのが夕方、翌日から、精力的に市内めぐりを始めた。といっても、地図が頼りの心もとない街歩きだが、旧市街広場を何度も行き来するという、気ままさもあった。街なかの、ちょっと通り過ぎてしまいそうな入口の、ムハ美術館(1998年開館)ではあったが、会場では、優美な衣装をまとい、華麗な草花に彩られた女性が描かれた絵とポスターに圧倒された。入場者もまばらで、静かなゆったりした時間を過ごした後、出口近くで出会った一枚のポスター、その中の少女のまなざしに、思わず足をとめた。鉛筆を手に、決意を秘めた、鋭い眼差しの少女が立っていた。「鉛筆を持った少女」と題され、それは、日本では「南西モラヴィア挙国一致宝くじ」(1912年)のポスターと呼ばれているらしい。「挙国一致」というより「連合」とか「連帯」との意味合いなのではないか。当時、モラヴィアはオーストリア=ハンガリー帝国の支配下にあり、教育はドイツ語で行われていた。民族語のチェコ語を教えるための資金確保のための宝くじだったわけで、チェコ語を学ぼうとする少女の引き締まった表情には、ムハ自身の意思も込められていたのだろう。この眼差しは、今回の「スラヴ叙事詩」の巨大な作品の各所にくり返し立ち現れているのではないか。「母国語」を奪うということは、日本の植民地政策の柱でもあった。その過酷さを知らなければならないだろう。朝鮮でも台湾でもそして東南アジアにおいての「国語教育」を思い起こさせるのだった。

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ポスター上部は「南西モラヴィア挙国一致宝くじ」の主旨らしい
Lottery Of The Union Of South Western Moravia(1912)との英訳が・・

 ムハ(18601939)はモラヴィア出身だが、ウィーン、ミュンヘンを経てパリで絵を学び、女優サラ・ベルナール主演の舞台のポスターを手掛けたことから、独特の華やかな画風で一躍有名となった。1910年、50歳で故国チェコに戻り、チェコ語やスラヴ民族の苦難の歴史にこだわり、ズビロフ城に籠って制作し続けたのが「スラヴ叙事詩」であった。最晩年は、チェコに侵攻したナチスに捕らえられ、収容所生活を余儀なくされた直後に病に倒れた。

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チケットもリーフレットもバレエ「ヒヤシンス姫」のポスター(1911年)が用いられていた。左側の「日本語版ガイド」は折りたたみ式で、裏側は、伸ばすと40センチほどの長い絵で、「サラ・ベルナール」の舞台のポスターであった

 

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