2019年12月 1日 (日)

<歌壇>における「賞」の在り方~「ショウほど素敵な商売はない」?

  一九五〇年代に「ショウほど素敵な商売はない」という、マリリン・モンロー出演のアメリカのミュージカル映画があったらしい。見る機会もないままいまに至っているが~。

  これまで私は、国の褒賞制度や栄典制度が、本来の学術・文芸の振興にどれほど寄与しているのかについて書こうとすれば、どうしても批判的にならざるを得なかった。その褒賞や栄典にあずかる者をだれが選ぶのかの視点でたどっていくと、恣意性や政治性が色濃いものであることがわかってきたからである。国際的なノーベル賞やアカデミー賞、ミシュランにいたるまで、さらに、たとえば日本レコード大賞はどうなのかといえば、詳しいことはわからないが、その主催の民間団体や業界団体における選出方法にもかなり問題があることも伝わってくるではないか。自分に縁がないこともあって、「賞」なるものに懐疑的にならざるを得ない。苦々しくは思うものの「どうでもいいでショウ(賞)」くらいの気持ちであった。

  しかし、長年、短歌にかかわってきた者として、短歌の世界、いわゆる「歌壇」でのさまざまな「賞」についても、いろいろ考えさせられることが多くなった。これまでも、拙著やこのブログでも触れてきたことではあるが、現状を確認しておきたいと思う。歌壇の賞のデータとして、一つの賞を編年体で見るのには、光森裕樹による「短歌賞の記録」(tankafulnet)(http://tankaful.net/awards に詳しく、便利でありがたい。横断的に見るには『短歌研究年鑑』の「短歌関連各賞が受賞者一覧」である。もちろん網羅的ではないが、主として短歌雑誌が主催する賞は、応募型のいわば新人発掘のための賞a型、中堅・大家を対象とする賞b型とに分けることができる。
 これらの受賞者や受賞作品の紹介や評論は、各誌の歌壇時評などで、その栄誉と称賛を後追いするものが圧倒的に多く、発信・拡散が繰り返される。近年、私は、受賞者や受賞作品への関心もさることながら、選考委員の傾向や重複が気になっている。こうした短歌賞が、雑誌の営業政策の一環であることは当然なのだが、それにしても、選考委員の重複にはあらためて驚かされるのであった。 
 たとえば、直近の一年間をみても、四つ以上の賞の選考委員を兼ねているのは、以下の7人であり、三つの賞の委員を務める高野公彦、大島史洋、小島ゆかりがそれに続く。

馬場あき子(1928生。芸術院会員、朝日新聞選者)b短歌研究賞、迢空賞、現代短歌新人賞(さいたま市)小野市詩歌文学賞

佐佐木幸綱(1938。芸術院会員、東京新聞選者、朝日新聞選者)a現代短歌評論賞、b短歌研究賞、迢空賞、現代短歌大賞、若山牧水賞(宮崎県)前川佐美雄賞

三枝昻之(1944。歌会始選者、日本歌人クラブ会長、日本経済新聞選者)a現代短歌評論賞、歌壇賞、b日本歌人クラブ賞・大賞・新人賞・評論賞、斎藤茂吉短歌文学賞、前川佐美雄賞

伊藤一彦(1943。毎日新聞選者)a角川短歌賞、筑紫歌壇賞、b現代短歌大賞、若山牧水賞(宮崎県)

永田和宏(1947。歌会始選者、朝日新聞選者)a角川短歌賞、b短歌研究賞、斎藤茂吉短歌文学賞、小野市詩歌文学賞、佐藤佐太郎短歌賞

小池光(1947。読売新聞選者)a      角川短歌賞、b短歌研究賞、斎藤茂吉短歌文学賞、現代短歌新人賞(さいたま市)

栗木京子(1954。読売新聞選者)a短歌研究新人賞、b現代短歌大賞、現代歌人協会賞、若山牧水賞(宮崎県)現代短歌新人賞(さいたま市)

 ということは、各賞の性格や特色が薄れていることを示していよう。ダブル受賞やトリプル受賞も決して珍しくなくなってきた。選考委員が複数の賞を掛け持ちしていれば、そんなことも起こり得るだろうし、話題性のある、横並びの「無難なところでショウ」にもなりかねないのではないか。たとえば、2018年の佐藤モニカ『夏の領域』の現代歌人協会賞と日本歌人クラブ新人賞、三枝浩樹『時禱集』の迢空賞と若山牧水賞であり、2019年では、春日真木子『何の扉か』の現代短歌大賞と斎藤茂吉短歌賞、小島ゆかり『六六魚』の詩歌文学館賞と前川佐美雄賞などに見られる。受賞者にはかかわりないことなのだが。

 また、いわゆるa 型に属する、短歌研究新人賞の選考委員、栗木京子・米川千嘉子・加藤治郎・穂村弘の4人は2009年から務め、角川短歌賞の伊藤一彦・永田和宏・小池光・東直子は2017年から変わっておらず、歌壇賞の選考委員も若干の入れ替わりはあるものの2015年から東直子、水原紫苑、吉川宏志の3人が続けて務めている。歌壇賞は、一時女性の選考委員が多いこともあって、女性の応募者が男性の倍以上になった時代もあったが、現在はその差が縮まっりつつあるし、短歌研究新人賞は、1990年代後半から今世紀初頭にかけて、女性が50%台から上昇し始め、60%を超えたこともあったが、現在は、50%前後を推移しているという傾向も興味深い。たしかに、選考委員選びにおいても、受賞者選考にしても、その賞、雑誌の性格や特色を出そうとしていることはうかがわれないこともないのだが、結果的には、なかなか効を奏することがないのではないか。

 しかし、いずれにしても、こうした選考委員の重複、固定化は、a型の新人に対しては、委員受け狙いも生じようし、b型においては、どこか委員同士の互酬性のきらいも否定できない。さらに、選考委員になることにより、歌集が爆発的に売れるということはないにしても、講演会や短歌教室の講師のオファーは、確実に増えるのではないか。 
 また、上記に登場する斎藤茂吉短歌賞、若山牧水賞、前川佐美雄賞、佐藤佐太郎短歌賞など過去の著名歌人の名を冠した賞も数多いが、遺族や後継者との関係はどうなっているのだろうかとか、その歌人の業績にふさわしい選考がなされているのかなどという疑問もわいてくる。

 そんな中で、『短歌研究』が「塚本邦雄賞」(坂井修一、水原紫苑、穂村弘、北村薫)を、『現代短歌』は、雑誌自体のリニューアルとともに「ブックレビュー賞」(加藤英彦、内山晶太、江戸雪、染野太郎)を新設するという。後者の選考委員となる加藤英彦は「短歌月評・ふたつの賞の創設」(『毎日新聞』2019年11月25日)において、期待と意気込み語っている。前者の選考委員にも新鮮さがないし、後者の委員たちに若さはあるかもしれないが、その鑑賞眼と評者としての知見が問われるだろう。

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2019年11月27日 (水)

いったい、文化勲章って、だれが決めているのだろう~その見えにくい選考過程は、どこかと同じ?  

 「桜を見る会」は、時がたつにつれて、実態が明らかになってきた。国費を使い<功労者>顕彰を標榜する催事の実態が明白になった以上、即刻廃止すべきだろう。
「見る会」の招待者名簿は、慌ててシュレッダーにかけたなど、子供じみた回答をする官僚たちが情けない。ホテルでの前夜祭で、安倍事務所後援会が会費領収書をホテル名義で発行していたことなど、まず常識的では考えられない商行為、その裏の仕掛けがあるに違いない。次から次にと疑惑を増幅する事実が出てくるが、私たち国民が知り得ないことも知る立場にある野党やマス・メディアもこれまで追及できなかったのはなぜなのか。一方、相変わらず安倍政権を支持している国民が半分近くいるという世論調査結果も現実である。
 今回だけではない。森友・加計問題における公文書廃棄・改ざんでも、私たちは、同じような体験をしている。直近の大学入試共通テストの英語の民間試験導入、記述式問題導入も、業者が絡むその導入過程を示す文書が公開されない。教育ビジネス、受験ビジネスの黒い霧が晴れない。たださえストレスの多い受験生を困惑に陥れている。国民をなめているとしか言いようがないが、それに甘んじている多数の国民がいることも確かなのである。

 少し間が空いてしまったが、前の記事の続きでもある。この間、私は、文化庁と何回かのやり取りをしていた。といっても「文化功労者選考分科会の名簿は何を見たらわかるか、その名前を知りたい」という質問への対応に多くの疑念が残った。この単純な回答に2週間もかかったのである。この文化庁の対応にも、その情報管理において、国民との遮断、閉鎖性の一端を知ることになった。「シツコイ」といわれるかもしれないが~。

 まず、文化庁の代表番号に電話をかけた。内線番号がわかっている場合は、続けて番号を押せとの音声が流れた。知らないので、交換には、用件を伝えて、担当部署につなぐよう伝えると、
「それはできないので、<意見・問い合わせ>の窓口につなぎます」
 簡単なことなので、担当部署に回すように再度伝えると、
「それはできないことになっています。ここでは、担当の内線番号を共有していません」
 ちょっと信じられないことを言うのだが、ともかく、その窓口につないでもらうと
「しばらくお待ちください。順番におつなぎしてます」
 という音声が数十秒ごとに流れて、それだけもうんざりして、何分待たせるのだろうかと。電話を切らせる意図がありありと見える。ともかく待つこと5分近く、これだけでも忍耐のいることなのだ。ようやく担当窓口が出たので用件を伝えると、
「折り返し、電話で回答しますので、電話番号と名前をどうぞ」
たちどころに回答できる内容なので、担当部署に回すように再度伝えても、
「それはできないことになっています」
と、繰り返すばかりなので、ともかく、折り返しの電話を待つことにした。数時間しても電話はないのでないので、もう一度代表番号からかけなおすと、また5分以上待たされて<窓口>がでたので、回答はまだかと尋ねると
「まだ回答は届いていません。担当者にも業務の手順?があるので、しばらくお待ちください」
 翌日も、電話をするが、まったく同様の返事なので、こんな簡単な質問にどうして時間がかかるのかといえば、催促しますとのこと。それでも、数日間、半分は忘れかけていたが、どうしても確認しておきたい内容だったので、2度目の電話の1週間後、再度電話してみると、
「まだ回答がありません・・・。ちょっと待ってください。確認してみます」
といって、しばらく待たされた後、
「申し訳ありません。回答が来ていました。ただいまから選考委員の名前を読み上げます」
いったい、回答はいつ届いていたのか、と問えば、
「2度目の電話をもらった、そのあとに回答は届いていたようです。申し訳ありません。ただいまから、名前を読み上げます。12人です」
ちょっと待ってください。回答が来てから1週間も放置していたのですね、12人の名前って、読み上げは不正確ですから、ファックスして下さい、といえば、
「申し訳ありません、ファックスはできないことになっています」
ほかの役所では情報提供ということで、ファックスしてもらったことがありますよ、とこれまでの経験を話せば、ほかは知らないがここではできないことになっているとの繰り返しであった。結局「文化功労者選考分科会」の委員の名前と肩書をメモしたのだが、以下の通りである。

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岩崎千鶴(萩原):お茶の水大学名誉教授
岩谷徹:東京工芸大学芸術学科教授・日本デジタルゲーム学会
笠原ゆう子:俳人
笹本純:筑波大学名誉教授
田中明彦:政策研究大学院学長
都倉俊一:作曲家、日本音楽著作権協会
富山省吾:神奈川映像学園理事長、日本アカデミー協会事務局長、映画プロヂューサー
坂東久美子:日本司法支援センター理事長、元文部科学省審議官
丸茂美恵子:日本大学芸術学部教授、舞踊家
村瀬洋:名古屋大学院情報学研究科長
山本一彦:理化学研究所生命医科学研究センター副センター長
渡邊淳子:東北大学院生命科学研究所教授

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 上記委員の発令は2019年9月2日とのこと。肩書のメモはやや不正確かもしれないが、『官報』で確かめてほしい。ただし『官報』は30日間はネットで無料で閲覧できるがそのあとは有料なので、紙の『官報』で確かめるかいずれかとなる。最初の質問で、何を見ればその名簿が出てくるのかを尋ねているのに、その回答がないので、文化庁のホームページのどこに出ているのか、出ていなければ何を見ればわかるのか、の回答を再び待つことにした。そして、1週間待てど回答はないので、今度は、他の検索でわかった文科省の大臣官房人事課栄典班という部署を知ったので、内線にかけてみた。名簿は何を見れば知ることができるのか、ホームページに載せていないのかを尋ねると
「9月2日の発令ですから9月3日の官報に掲載されています。ホームページには載せていません。ほかの文化審議会の委員と違って、会合は1回しか開催されないので、ホームページには載せないことになっています。1回きりなので、いつまでもホームページに名前を載せるのはどうも・・・」

 ことほど左様に、市民が国の情報を得るのには、いくつものバリアがあり、その困難さは半端ではない。情報社会といわれる中で、必要な情報の獲得がいかに難しいかは、これまでも当記事で、何回か伝えてきた。私が住む佐倉市でも、その情報公開制度の在り方を少しでも改善したいと思い、かつて、市の情報審議会に市民応募枠で、委員を2年間務めたことがある。専門的知見も怪しげな委員が何期も務め続けて居座り、いわば市の承認機関に成り下がっていた。もちろん私は再任されることはなかったのである。

 ところで、本題の文化勲章は、文化功労者の中から選ばれる。その文化功労者選考分科会は、なんと、年に1回しか開催されていない。ということは、一つ前の記事でも記したように、文部科学大臣から推薦された者について分科会の意見を聞き、内閣府賞勲局で審査を行い、閣議に諮り決定するのである。

 文科大臣というけれど、大臣官房人事課が用意した候補者名簿を承認するだけの分科会であることがわかる。多分野の以下の21人に対して、意見も言いようのない委員たちであろう。選考委員など何のチェック機関にもなり得ないのが実態であろう。候補者名簿がどのように作成されるのかは明らかではない。さまざまなルートを使って、官僚が選出することになるわけだが、そこに、さまざまな団体での活動や政府への貢献度が一つの目安となり、各団体の長や政治家の恣意性が入り込む余地が少なくないのは、他の褒賞制度や「桜を見る会」とも共通するではないか。にもかかわらず、文化勲章、文化功労者の受章者たちを、この上もない栄誉として追いかけるメディ
ア、その選考過程にも目を向けるべきであろう。文化勲章は親授式で天皇から直接手渡される勲章でもある。その本人たちには、350万円の終身年金も保証されるが、ほんとうに必要な人たちなのだろうか。

 「文化」を育て、継承していく方向性に間違いはないのか。

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<2019年文化功労者>

石井幹子(照明デザイン)猪木武徳(労働経済学、政治思想史)宇多喜代子(俳句)大林宣彦(映画)金出武雄(ロボット工学)興膳宏(中国古典文学)小林芳規(日本語学)近藤孝男(時間生物学)笹川陽平(社会貢献・国際交流・文化振興)佐々木卓治(作物ゲノム学)佐藤忠男(映画評論)田渕俊夫(日本画)萩尾望都(漫画)馬場あき子(短歌)坂東玉三郎(歌舞伎)藤原進一郎(障害者スポーツ振興)宮城能鳳(組踊)宮本茂(ゲーム)柳沢正史(分子薬理学)吉野彰(電気化学)渡辺美佐(文化振興)

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2019年11月12日 (火)

「桜を見る会」と「勲章」も同じ構図では

 今年の文化功労者の中に、歌人の馬場あき子の名があったし、秋の叙勲では永田和宏が歌人として瑞宝中綬章を受章していた。<注1>上に「文化」が付こうと「芸術」が付こうが国が取り仕切る栄典制度の一環である。拙著でも何度か触れていることだが、「シツコイ」といわれても、大事なことなので繰り返しておきたい。

 この度、「桜を見る会」が国会で問題になっているが、日本の現行の栄典制度には、同様の曖昧さと疑念が残る構図になっていることがわかる。要は、各行政省庁に自治体やさまざまな関係団体から上がってきた名簿を内閣府や文化庁、官邸などが最終的に調整する仕組みである。「桜を見る会」と一緒にしてもらっては困るという人は多いかもしれない。「桜を見る会」の招待者が決まる過程が徐々に明らかになればなるほど、そのあけすけな露骨さが問題にならなかったことの方が不思議でもある。大方のメディアは、宮内庁が取り仕切る園遊会にしても、一種の風物詩のような扱いで、主催者と人気者のツーショットを映像やコメントで報じる程度である。それというのも、首相は、報道関係者や「文化人」、タレント、スポーツ選手らとさかんに懇談や会食に勤しむことによって、牽制、懐柔を重ねてきた結果だろう。

 ところで、日本の栄典制度は、大きく分けて、春秋叙勲・文化勲章・褒章がある。 生存者叙勲授与は、1946年閣議決定より一時停止されたが池田勇人内閣の1963年「閣議決定」により翌年から再開、現在は毎年4月29日、11月3日に春秋叙勲として実施されている。 候補者は、栄典に関する有識者の意見を聴取した上、「要綱」や「基準」なるものに基づき、各省各庁の長から推薦された候補者につき、内閣府賞勲局が審査、閣議に諮り、決定される。ここでの「栄典に関する有識者」の会議とは、会社社長や大学教員らが召集され、一年に一度か二度開かれる。その議事要録を見ても、民間人や女性を増やせ、地方やNPOの活動にも目を向けるべきとか、井戸端会議的な意見が記録されているに過ぎなく、形式的なもので、実質的には、役人が選出する受章者なのである。

 その上、1964年から復活した生存者叙勲制度の根拠は「閣議決定」だけであって、法律的な根拠がなく、「要綱」のみで運用しているに過ぎない。敗戦後1948年来、幾度も「栄典法案」なるものが国会に提出されながら、反対意見は根強く、廃案が続く中、「閣議決定」という強引な方法により実施されることになった経緯があった。法律に基づかない制度として、当時は、憲法違反という研究者の声も大きかった。日本国憲法7条7号天皇国事行為の一つとして定める「栄典を授与すること」のみを根拠とし、法律ではない、政令(太政官布告、勅令)・内閣府令(太政官達、閣令)・内閣告示などに基づくという、明治の遺物のような制度なのである。

 文化勲章についても同様で、1937年文化勲章令(勅令)に基づくもので、1951年「文化功労者年金法」は、「文化勲章」への通過点である「文化功労者」の年金について定めているにすぎない。その年金は、現在は350万円だが、憲法14条「栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない」に抵触しないかの疑念は払拭できない。その選出方法も文化庁「文化審議会」の中の「文化功労者選考分科会」委員の意見を聞いて文部科学大臣から推薦された者について内閣府賞勲局で審査を行い、閣議に諮り、決定されるのだが、その委員の名簿も公開されていないようだ。最近はノーベル賞の後追いのようなケースも目立ち、内閣はもちろんだが、かかわる役人たちの推薦、審査の評価の基準が曖昧な上に、評価のできる人材もいないという証拠だろう。

 こうした勲章を「名誉」として、嬉々としてもらう人たちがなんと多いことだろう。政治家や官僚、実業家たちはいわば仲間内の事情での授受であり、芸能人、スポーツ選手たちなど「人気商売」ならいざ知らず、多くの理系・文系の研究者や文芸にかかわる人たちまでが、はしゃいでいる姿、ほめそやすメディアを見るのは、この国の民度を思い知らされるようだ。

 文芸に関しては、国家的な褒賞制度として「日本芸術院会員」制度、<注2>「芸術選奨」制度もある。これについても何度か書いていることだが、前者については、分野ごとに定員制が採られ、会員の選考基準は政令「日本芸術院令」により、部会ごとの候補者を部員の過半数をもって推薦し、総会の承認を経て、文科大臣が任命する。芸術院賞の選考基準・手続きについての法令はなく、各部会に対して推薦を求め、全会員による選考で絞り、各部会の過半数で内定するのが慣習となっているようである。ということは、新しい会員や賞を決める過程で、関係分野の会員が直接関与できるという内向きな制度で、その恣意性は免れないであろう。「芸術選奨」については、かつて、私が作成した「芸術選奨(短歌関係)選考審査員・推薦委員・受章者の一覧」(『天皇の短歌は何を語るのか』82頁)を、あらためて眺めてみると、受賞者が選考審査員や推薦委員がなり、数年づつ続き、選考審査員と同じ結社の歌人が受賞者となるケースも何回か見られる。歌人に関しては、これらの加え「歌会始選者」という「ステイタス」もある。

 世間では、というよりはマス・メデイアでは、これらの栄典、褒賞制度における受章者や受賞者にライトをあて、その権威や栄誉を強調するけれども、その選考過程に目を向けることはない。しかし、こうした栄典・褒賞制度の閉鎖性や公平性、さらには、政権や天皇制との直接的な関係にこそ、焦点があてられるべきではないか。

<注1>褒賞履歴

馬場あき子(1928~):1993年紫綬褒章、2001年日本芸術院賞、2003年日本芸術院会員、2019年文化功労者

永田和宏(1947~):2004年芸術選奨文科大臣賞、歌会始選者、2007~9年芸術選奨推薦委員、2009年紫綬褒章、2015~17年芸術選奨選考委員、2019年瑞宝中綬章

<注2>「文芸」部門の現在員27名中の9人が「詩歌」関係で、歌人の会員は、岡野弘彦、馬場あき子、佐佐木幸綱、岡井隆の4人である

<参考>褒賞制度概要一覧~選考過程と根拠法令

ダウンロード - hosyousennkousosiki.pdf

 

昨年の4月にも怒っています!!

2018年4月27日 (金)

「桜を見る会」・「春の園遊会」と「歌会始」~そこに共通するのは

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2018/04/post-7492.html
(しばらくの間、このURLが間違えていました。訂正しお詫びします)

 

 

 

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