欠陥法案、続々成立~もうこの国を愛せない(2)再審制度見直し
再審制度を見直す刑事訴訟法改正案が、7月17日、参院本会議で賛成多数で可決、成立した。見直しの背景には、これまで、さまざまな冤罪事件があった。
冤罪を晴らすための、救済手段である再審制度の不備が、冤罪被害者自身やその家族を苦しめてきた。長期化した再審制度は、服役中に死去したり、死後に無罪が確定したりする現実があり、真犯人捜査を大きく阻害し、迷宮入りにしてきた。
「皇室典範改正案」関係の記事や解説は、大々的に報道されたにもかかわらず、比べれば、再審制度の見直しについては、総じて少なく思えた。7月17日、刑事訴訟法改正が成立した途端、見直しの不備が「懸念」という形で、報じられるようになったような気がする。私の勉強不足もあって、見直しの問題点がなかなか見えにくかったのだが、ようやく少し理解できるようになった。改正後も残る問題点は多い。
1.検察の不服申し立て(抗告)を原則禁止~布川事件の場合
これまでの刑事訴訟法の再審開始決定に対する検察の即時抗告を認める規定を削除し、抗告は原則禁止になったが、「十分な根拠」がある場合に限り可能とした。「十分な根拠」の判断は検察に委ねられ、例外規定がある限り、抜け道になりかねない。
1967年の茨城県布川町の強盗殺人事件では、物的証拠がなく自白と目撃情報のみによって起訴された二人は、無罪を主張したが、1978年、最高裁で上告が棄却され無期懲役が確定した。1983年、2001年の二回の再審請求を経て、2011年水戸地裁で無罪判決が出て、検察が控訴を断念して、無罪が確定した。この間、検察サイドの自白の任意性、信用性が問われ、違法な取り調べ、捜査官の偽証、録音テープの改ざんなどが発覚、再審開始決定がなされたが、検察は即時抗告、2008年には、違憲や判例違反があるとして最高裁に対して異例の特別抗告までしたが2009年に最高裁が棄却、再審開始決定により、上記の無罪判決に至ったのである。検察側の証拠開示の遅れや恣意的な即時抗告、特別抗告によって、裁判は長期化した。1979年の鹿児島県の大崎事件は、第五次の再審請求が審理されていて、4度目の再審開始決定が待たれるところだ。検察の2度の不服申し立て行い、無期懲役の服役中に死亡した1984年の日野町事件については、今年になって裁判のやり直しが確定したのである。この途方もない長い年月の意味をしっかりと考えなければと思う。
<日本弁護士連合会HPより>
布川事件
https://www.nichibenren.or.jp/activity/human/retrial/shien/fukawa.html
布川事件特別抗告についての会長声明
https: //www.nichibenren.or.jp/document/statement/year/2008/080723.html
日野町事件
https://www.nichibenren.or.jp/activity/human/retrial/shien/hinocho.html
大崎事件
https://www.nichibenren.or.jp/activity/human/retrial/shien/osaki.html
2.証拠開示について
これまで、刑事訴訟法には、再審の際の証拠開示の規定がなく、裁判所による検察への開示勧告しかできず、検察による証拠隠しや証拠捏造がなされ、長期化することが頻繁に起こった。そこで「再審請求の理由と関連した証拠」について裁判所が検察に提出を命ずる規定が新設された。しかし、「再審請求の理由と関連した証拠」という開示証拠の範囲が限定され、全面開示には至らなかった。再審理由との「関連性」が必要性と相当性などにより裁判所によって恣意的に運用される可能性がある。
上記の布川事件でも、二回目の再審請求の折、検察側の証拠開示は否定的だったのを、従来の裁判所の開示勧告によって新たな多くの証拠によって有罪を覆す証拠が開示されていた。また、1985年の熊本県の松崎事件においては、開示によって、証拠のはずのシャツが事件後に捏造されたものであることが分かり、2019年再審無罪が確定している。
松橋事件
https://www.nichibenren.or.jp/activity/human/retrial/shien/matsubase.html
3.証拠の目的外使用の禁止について
再審手続きやその準備の目的以外で、元被告人や弁護人が開示証拠をそのまま交付・提示・提供することを一律に禁止することになった。事件の被害者のプライバシー保護が目的と言うが、捜査や公判の問題をメディアや支援者にそのまま公開すれば、罰則や罰金が課せられることになった。7月17日、日本新聞協会は「報道機関への情報提供に萎縮が生じ、非公開の再審請求審がさらに不透明になることを危惧する」との声明を出した。
再審制度の見直しのきっかけにもなった1966年の静岡県の袴田事件について、1980年最高裁における死刑判決確定後、1981年、2008年の二回の再審請求がなされた。この間、検察が味噌だるから発見したという事件時の着衣のカラー写真が開示され、弁護団の実験の結果、捏造だとわかり、その後の曲折もあったが、2024年9月静岡地裁の無罪判決が出て、東京高裁は特別抗告を断念、無罪が確定するという経過をたどった。袴田さんとその姉、弁護団、支援者の活動は長きにわたったことを思うと、検察、裁判官たちの組織・自己保身の体質を変えるには、まだ数々の課題が残っているようだ。
1960年代初め、非常勤講師だった下村三郎先生(東京高裁判事時代?)の「刑事訴訟法」の講義を受けて、単位もとったはずなのに、ああ、いったい何を話され、何を聴いていたのか。あとで、チャタレイ裁判で東京地裁の無罪判決を東京高裁で逆転有罪判決を下し、退官後は、ロッキード事件の橋本登美三郎の弁護人を務めた人でもあったことを知った。














最近のコメント