何年ぶりかな、御茶ノ水、聖橋あたり~短歌会の全国大会に参加して
私の所属する「ポトナム短歌会」の全国大会が、7月14日、湯島の東京ガーデンパレスで開かれた。前回、私が参加したのは2019年の京王プラザホテル一泊での開催だった。この間、大会はコロナ禍で中止になったり、日帰りとなったりした。今回も、11時受付開始、夕方の6時半には懇親会も終えるという忙しない日程であった。講演、分科会、写真撮影、表彰式もほとんど休憩もなく続けられた。東京の会員を中心とする準備も苦労が多かったのではと思う。
今年の「白楊賞」は、大学生の小野愛加さんの「先生になる」だった。懇親会の途中、立話ながら、若い編集委員と小野さんも交えて、中断している「ポトナム短歌会」のブログ再開やオンライン歌会の話にもなった。何とか実現してほしいものと願うばかりだ。
お料理を堪能しながら、同じテーブルの方との話が進む。当日欠席となった方の分のお料理も、何かと運ばれてきて、テーブルの上は賑やかになる。
分科会終了後、配布された作品集にある、選者賞も、互選賞も、私には縁がなかったが、提出歌は「卓上のミモザの花の散り初めて触れたる棘に寛容なる朝」。ご近所で枝打ちさなかの一枝を分けていただいたミモザ、黄色い小さな花が散り始めて、灰色の棘に、思わず触れたけれど、しばらくの間、黄色い花を十分楽しんだのだから・・・といった気分の歌だった。分科会で、ある評者が、ミモザは、国際女性デーのシンボルの花だと触れてくださったのは、うれしかった。あの棘は、いつまでたっても、日本では、いや世界各地でも女性の権利が十分守られていないことへ抵抗のような気もして、寛容どころか、ストレートに怒りを表現すべきだったかとも。
当日、佐倉の自宅に帰れる時間ではあったが、一泊することにした。翌日は、雨も上がったので、ホテルの近辺をまわることにした。
何十年ぶりかの「神田明神」だったが、境内は広く、整備されていて、外国人も多く、ミストが流れる休息所まであった。本殿の右手奥には、江戸時代の木材商、店舗兼家屋だった建物を移築された「神田の家・井政」があり、さらに進むと、木立に囲まれた「宮本公園」があった。その入り口に何やら消防車と数人の消防署員たち立っている。「何かあったのですか」と尋ねてみるが、「いや、何も、どうぞ、お気をつけて」と。ところが、消防署員の視線の先は、ベンチに、微動だにしない、老紳士風な人が座っていた。病人でもなさそうだし・・・。道にでも迷った人だったのか。
本郷通り(17)を渡ると小さな公園があって、湯島聖堂・昌平坂学問所跡との案内板があり、塀を隔てて、聖橋方面の本郷通りに面して、大成殿へと通じる入口がある。
湯島聖堂は、江戸時代、綱吉将軍が1690年、儒学振興のために設置されたもので、後、昌平坂学問所にもなった。明治維新後、文部省所管となり、日本最初の博物館が置かれた。1872年、日本最初の図書館と言われる書籍館、東京師範学校が設置されたので、近代教育発祥の地と言われるようになった。たしか、高校の校歌に「昌平黌 の跡とえば・・・」とあったような。関東大震災で焼失して、今はコンクリート造りの「大成殿」を背に階段をくだると「入徳門」に至る。上記写真の階段の先に見えるのが「大成殿」となる。
湯島聖堂を出て道路の反対側、聖橋の傍らにも、「近代教育発祥の地」の銘板があった。そして、聖橋の真ん中あたりからの眺めは、格別である。「松住町架道橋」というらしい緑のアーチ状の橋、神田川の水面すれすれに走るのが地下鉄丸ノ内線だそうだ。かつては毎日池袋始発で通学・通勤に利用していたというのに。
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