2020年10月14日 (水)

朝ドラ「エール」は、戦時下の古関裕而をどう描いているか

  9月末の週から「エール」は戦時下に入った。これまでのドラマの進行は、古関裕而の自伝『鐘よ鳴り響け』とも、いくつかに評伝とも、かけ離れていって、古関作曲の歌と周辺の都合のよい事実をつなぎ合わせたフィクションであることは、本ブログ記事でも、『現代短歌』の拙稿でも述べているが、戦時下に入ってからは、その度合いが一層色濃くなっている。この間、朝ドラを欠かさず見てるわけではなかったが、昼の再放送、土曜日のまとめ、NHK+などを利用して、なるべく見るようにはしていた。9月半ばの、放送再開前後の、8時半からの「あさイチ」での番組宣伝が半端ではなかった。ドラマに登場のタレントを連日ゲストとして出演させていたし、「歴史ヒストリア」などでも取り上げるという熱心さであった。

 肝心のドラマでの古関裕而(古山裕一)が、あのように立て続けに、戦時歌謡、軍歌を作曲し続けていたことだけは、隠しようもない事実なので、NHKは、そして脚本家たちは、必死になって周辺人物を作り出し、彼らに、戦争への疑問、統制・弾圧の強化、戦局の厳しさ、生活の不自由さを語らせている。今週は、従軍先の、さらにインパール作戦の前線での小学校の恩師との再会と戦死という展開を見せる。現実の古関は、ラングーンに留まり、危険な戦場には赴いていない。恩師や自分の歌をさっきまで歌っていた兵士たちが斃れていくのを目前にした古山は、恐怖と驚愕で、何かを叫んでいる?のが、10月14日のラストであった。だが、恩師との再会も戦死も事実ではない。古関裕而の妻の実家は、10人近くものきょうだいがいたが、ドラマでは、作家となる妹と軍人の妻になる姉の三姉妹という設定で、母親とともにクリスチャンということで、常に特高に監視されたり、妹の夫の家業の馬具づくり職人も入信し、馬具が軍隊に納められて、戦争に役立っていることへの疑問を語り、古山(古関)に「戦意高揚の歌は作らないで下さい」と願う場面を作ったり、商魂たくましいレコード会社や映画会社のプロデューサーは、コメディタッチで描かれたりするなかで、「国のために、戦っている兵士のために」作曲するという信念は動かない・・・。妻も、音楽教室から音楽挺身隊への転換を見せながらは、普通の家庭の主婦らしさが強調され、こんなブラウス、こんな割烹着、代用食・・・みたいな時代考証がなされているが、資料には妻・実家サイドの動向があまり見えないなか、盛りに盛ったストーリーに仕立てているように思えた。

 ドラマの古山の活躍は、さらに拡大する戦争末期に入ろうとしているが、どんな展開になるのだろうか。

 そんな折、「NHKとメディアを考える会(兵庫)」のニュース54号(2020年10月)が届いた。今号は、「ヤジと民主主義~小さな自由が排除された先に~」(北海放送制作 2020年4月26日放送)がギャラクシ賞報道活動部門優秀賞、日本ジャーナリスト賞の受賞を記念しての、24頁に及ぶ再録特集であった。連れ合いに送られてくる、この兵庫の会の会報とその活動ぶりには目を見張るものがあって、感心していたのだった。その会員のどなたかの目に留まったのか、先の本ブログ記事で紹介した拙稿「古関裕而はだれにエールを送ったのか」(『現代短歌』2020年11月号)の要約版を会報に載せたいとの依頼があったのだ。 
 表を含めて3頁をとってくださったのである。以下要約版ではあるが、ぜひ読んでいただきたく、ここにPDF版を掲載した。この作業の中で、雑誌での私の校正ミスをただすことができた。『現代短歌』の「古関裕而作曲の戦時歌謡の主な公募歌・委嘱歌一覧」89頁、「防空青年の歌」の作詞者は「柴野為亥知」であった。お詫びして訂正したい。

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下記の画像を拡大するか、上記のPDF版をご覧ください。

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2020年7月29日 (水)

古関裕而をめぐる動きから目を離せない(2)

 さまざまなエピソードで盛り上げるのは

 朝ドラ「エール」がきっかけになって、古関出身の福島市、福島県では、「古関裕而記念館」や地元の新聞や放送局、観光協会などが、「郷土の偉人」をめぐる情報やイベントを盛り上げている。先の「あなたが選ぶ古関メロデイー」の企画もそうであったが、つぎのような記事もあった。 

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「東京新聞」2020年1月23日

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『毎日新聞』2020年5月28日

 また、「中国新聞」では、つぎのような長い記事がネットで見られる。広島への原爆投下の一年後に古関はつぎのような歌詞での作曲を依頼されていたことがわかり、どこにも音源は残っておらず、古関裕而記念館でも把握していない作品であったという。
 1946年、原爆投下一周年という時期に「中国新聞」が「歌謡ひろしま」を公募して、その当選作を古関裕而が作曲している。「中国新聞」デジタルでは次のように伝えていた。

「原爆投下の翌年、広島の復興を願う歌が生まれた。「歌謡ひろしま」。被爆から1年の事業として中国新聞社が歌詞を公募した。曲を付けたのが古関である。「声も高らに 歌謡ひろしま」「古関氏鏤骨(るこつ)のメロデー完成」。そんな見出しとともに、歌は1946年8月9日付の朝刊で発表された。記事には古関のコメントも載る。「作曲にも苦心して何処でも誰にでもうたへるやうにした」。力の入れようが分かる。」

古関裕而を探して 戦没者への鎮魂の「鐘」
(2020年1月3日)
https://www.chugoku-np.co.jp/culture/article/article.php?comment_id=615326&comment_sub_id=0&category_id=1163

  つぎの公募歌発表当時の新聞記事の写真では読みにくいので、一~三番を再録する。作詩の入選者山本紀代子は、長男を原爆で亡くした歌人と報じられているが、調べてみると、当時の中国新聞社員で歌誌「真樹」を主宰していた歌人山本康夫の妻であることも分かって、私は少々驚いた。五番まである歌詞は、作曲者古関の「談」では「品があって、むづかしくなく、だれにでも歌える立派な」と評されていたが、その歌詞の内容の「軽さ」に、私はいささか違和感を覚えたのである。当時の市民たちの暮らしや気持ちからはかけ離れているようにも思えた。やがて、市民からも忘れ去られていったのではないか。それにしても、古関の変わり身の早さというか、「いつでも、どこでも、誰にでも」エールを贈っていることについての自覚があったのだろうかと。

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『中国新聞』1946年8月9日

 

「歌謡ひろしま」山本紀代子作
(一)誰がつけたかあの日から/原子砂漠のまちの名も/いまは涙の語り草/むかしよもぎのひめばなし/いくさ忘れてひめばなし
(二)街を興せとわきあがる/歌にのびゆく並木みち/増えるいらかの軒あひに/七つ流れの川も澄む/平和うつして川も澄む
(三)みささ瀧水うるほうて/いきも揃うたまちびとの/はずむ力の掛けごゑに/文化築けの鐘が鳴る/歴史夜明けの鐘が鳴る

 以上のように、あちこちでの新聞記事やNHKの番組宣伝によっても量産・拡散される古関情報がもたらすものは何なのか。きっと、あの「戦時歌謡」も、さまざまなエピソードが付されて、「国民的な、天才作曲家」像が作られてゆくのだろう。 

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『赤旗』は、朝ドラ「エール」への応援が半端ではなく、<今週の「エール」>みたいな紹介もある。NHKにも”いい番組”がある、とのスタンスを崩さない。その報道の政府広報ぶりを改めさせなければ、受信料をとっての公共放送ではありえないのではないか

************   ようやく図書館から借り出せた、戸ノ下達也『音楽を動員せよ 統制と娯楽の十五年戦争』(青弓社 2008年2月)を何とか読み終えた。もっと早くに読むべき本だったと痛感しながら多くを教えられた。いまは『第三帝国の音楽』(エリック・リーヴィー著 望田幸男ほか訳 名古屋大学出版会 2000年12月)という翻訳書を読み始めている。私には、カタカナの人名や地名、曲名などが錯綜し、なかなか進まない。著者は序文で、ナチス時代の音楽活動に関する研究が進まない要因として、学術的資料が乏しいことと20世紀のドイツ音楽界の指導層の一貫性をあげている。つまり、ナチスの反ユダヤ主義政策は、たしかに影響力のある人たちを追い立てたが、「大多数の音楽家たちはナチスのもとにとどまることを選択し」、成功を収めた。そして、彼らの多くは、「戦後ドイツにおいても影響力の地位を保持したので、彼らとナチ体制との個別的関係を立ち入って調査することを妨げるのに多大の努力を払ったのである」と述べていたのである。ナチスの戦争犯罪に時効はないと、現在でも追及し続ける、あのドイツにおいてさえも、の思いしきりなのである。一体どういうことなのか、読み進めねばならない。

 

 

 

 

 

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2017年3月30日 (木)

二つのドキュメンタリーを見た~アウシュビッツと沖縄と(2)

「いのちの森 高江」(謝名元慶福監督作品 2016年)

 最近、友人からDVD「いのちの森 高江」を借りて見た。沖縄の基地闘争のドキュメンタリー映画は、いくつか制作されているようなのだが、私は、森の映画社のニュースリールを見る機会が何回かあった程度である。

 米軍の基地、北部訓練場の長い歴史、高江の住民たちの長い闘争の歴史と現状を怒りを込め、だが、 淡々と綴る。あわせて、アキノさんという蝶類研究者の女性が多くの小さな命の営みを求めて、高江の森を案内するのだった。

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1970年代、米軍がベトナムの密林に見立てた訓練がなされていた

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北部訓練場だけでもヘリコプター事故がこれだけ起きている。さらに、オスプレイの飛行・離着陸の危険は計り知れない

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高江の森の生態系のすべてを破壊する工事は許せないとするアキノ(宮城秋乃)さん

 

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高江の住民たちは、工事差し止めの訴えを起こしたが

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映画の中には、こんな映像もあった。生活道路が封鎖され、今はこの石碑に近づけない、との解説があった。1916年(大正5年)、大正天皇即位を記念し造林地に建てらえた石碑は傾いている

 

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二つのドキュメンタリーを見た、アウシュビッツと沖縄と(1)

 

「ただ涙を流すのではなく“分断する世界”とアウシュビッツ」(NHK-BS1226日)

旧聞に属するが、226日、国会や報道では、森友学園問題で大揺れであったが、夜は、NHK-BS1スペシャル「ただ涙を流すのではなく“分断する世界”とアウシュビッツ」を見ていた。番組予告では、「100万人を超えるユダヤ人が虐殺されたアウシュビッツ強制収容所。その悲劇を伝え続けているのが、世界各国出身のガイドたちだ。今、ガイドたちは、大きな危機感を抱いている。移民や難民をめぐり広がる排斥の声。世界が分断を深める中で、自分たちは何を伝えるべきなのか。ただひとりの日本人ガイド・中谷剛さんも語るべき言葉に悩んでいる。揺れるアウシュビッツのひと冬を追った。」とあった。

 

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 NHK-BS1、2017年226日午後8時~

 

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 NHK番組紹介ホームページより

 

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構内の収容所バラックのすぐ近くに、収容所長の住宅があり、家族とともに住んでいた。そこには平安な日常生活が営まれていたのだろう。私たちが見学した折は気づかなかった。NHK番組紹介ホームページより

 

2010年5月、私たち夫婦は、ポーランドのクラクフに2泊した折、アウシュビッツビルケナウ強制収容所見学のバスツアーに参加した。雨の朝、ホテルを出て、あちこちで道路工事の真っ只中の街に迷いながら、バスの発つマテイコ広場までたどり着くのに苦労した。ともかく、「英語コース」のバスに乗り、現地でも英語のガイドによる案内で、心細い思いをした。ただ一人の日本人ガイド、中谷剛さんとの縁はなかったけれども、この番組は逃してはならないと思った。

中谷さんは、1966年生まれ、1991年からポーランドに住み、猛烈な勉強をして、1997年アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所博物館の公式ガイドの資格をとり、ポーランドの女性と結婚されて、今もガイドの仕事を続けている。

日本から来た若い見学者のグループを伴い収容所構内や幾つもの展示室を案内するとき、ドイツナチス時代に、なぜこうした民族差別による大虐殺がなされたのかを、言葉を選びながら説明し、見学者が自ら考えるように、という思いを伝える。中谷さんは、偉そうには解説はできないと、丁寧で慎重な姿勢を崩さず、見学者に接しているようだった。同時に、ポーランド人、ドイツ人のガイドたちの悩みも語られてゆく。決して声高ではないけれど、力強く訴えるものがあった。ただ、ドイツ国民が、なぜナチスに雪崩れ打って、ここまでの虐殺がなされ得たのか、と、そこでなされた残虐の限りの実態を、そのファクトを検証する場でもある、アウシュビッツで起きたことをもっとストレートに語ってもよかったかと思った。

 

  私のわずかな経験からも、目の前に示される歴史上のファクトには、筆舌を超えるものがあり、それを次代に継承すること自体が、過去への反省と責任を伴って初めて成り立つことだと思えたからである。加害国のドイツ国内においてもかつての強制収容所跡を残し、ベルリンの中心部、国会議事堂直近の場所に、ホロコーストの碑を建設、様々な歴史博物館において国家としての反省の意思を示したドイツを思う。それに比べて、「自虐史観」と称して歴史教科書において、日本の侵略戦争の事実を少しでも薄めたい政府、民間人の集団自決に軍の関与がなかったような、曖昧な展示しかできない国立博物館、原発事故の原因究明がなされないまま、被災者切り捨て、原発再稼働を進める政府、教育勅語礼賛の安倍首相夫妻・・・を思うと、その格差に愕然とする。話はどこまでも拡散してしまうのだが、以下の、かつての旅行の記事も参照していただければ幸いである。

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展示室より

 

<当ブログ参考記事>

◇ポーランド、ウィーンの旅(2)古都クラクフとアウシュビッツ

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2010/05/post-f56e.html

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◇ドイツ、三都市の現代史に触れて~フランクフルト・ライプチッヒ・ベルリン~2014.10.20289)(ザクセンハウゼン強制収容所ほか)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2014/11/20141020289-91f.html

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2016年8月 8日 (月)

8月6日、目黒五百羅漢寺の桜隊原爆殉難者追悼会へ

 猛暑が続く東京、目黒の五百羅漢寺に、夫と出かけた。夫はすでに何回か参列しているが、私は今回初めてだ。早朝から法要は始まっているが、私たちが参加したのは本堂前の原爆殉難碑「碑前祭」からで、住職のお話のあと、ご焼香となった。「移動演劇さくら隊原爆殉難碑」の碑銘は徳川無声の書により、裏面には柳原白蓮の「原爆のみたまに誓ふ人の世に浄土をたてむみそなはしてよ」が刻まれているという。丸山定夫と園井恵子、高山象三、仲みどり、森下彰子、羽原京子、島木つや子、笠絅子、小室喜代9名の慰霊碑である。

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 「移動演劇さくら隊」とは、戦時の統制下で従来の演劇活動が出来なくなった演劇人たちだったが、丸山定夫らは、苦楽座を結成、後、さくら隊として、1944年から45年にかけて、内閣情報局管轄下で地方巡業中であった。その根拠地というか、疎開先が広島だったのである。詳しくは、以下のHPを参照。

「桜隊原爆忌の会」HP

http://www.photo-make.jp/sakura.html

 

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慰霊碑の右側の供花に「佐々木愛」の名が読める

そして、今日は、新藤兼人(19122012)作品『さくら隊散る』(1988年)が上映されるという。エアコン直下で少々冷房が効きすぎるくらいの席であった。「さくら隊」の成り立ち、活動の足跡、犠牲者の悲惨な最期までを克明にたどる。即死ではなかった、丸山定夫も厳島で、園井恵子と高山象三の二人は神戸の知人宅で、仲みどりは、やっとの思いで広島から東京の実家に逃れ、入院先の東大病院で亡くなるまでの痛苦の数日をリアルに再現している。彼らと同じ団員ながら、偶然、広島を離れていて助かった俳優の池田生二(19121998)と槇村浩吉(桜隊事務長、19102001、犠牲者小室喜代の夫)が案内役を務めて、ゆかりの場所や人を訪ねるのである。また、丸山定夫と昭和初期からプロレタリア演劇の同志として、新劇、大衆演劇、映画などを支えてきた人々、千田是也(19041994)滝沢修(19062000)小沢栄太郎(19091988)宇野重吉(19141988)山本安英(19021993)杉村春子(19061997)らが、証言者として、昭和前期、敗戦までの過酷な演劇の歴史、そこにおける丸山定夫や園井恵子らについて語るのである。私などは、1950年代から60年代の映画全盛時代に、スクリーンで見慣れた滝沢、小沢、宇野らであったし、証言者として登場する嵯峨善兵、薄田研二、松本克平、浜村純、殿山泰司らも、映画の名わき役、あるいは敵役として、当時は知らないまま見ていたが、彼らも筋金入りの演劇人だったことを改めて知ることになる。私が観た舞台は数えるほどで、滝沢の「セールスマン死」と宇野重吉くらいだったか。映画のナレーションは、聞き覚えのある声の乙羽信子(19241994)であった。杉村春子の証言を聞いていると、その語り口も、内容も実にドラマティックて、さすがと思ったのだが、小津安二郎作品などで、杉村が「あら、あんたたち、もう集まってるじゃい」とか、べらんめい調で他の出演者たちに割って入ってくると、その画面が一気に引き締まる、といった記憶がよみがえる。

 出演者の生没年は、家で調べてみたのだが、1987年からの制作、1988年公開の映画だったのだが、宇野や小沢は最晩年の証言であったし、百歳を迎えた新藤は別として、公開後の10年内外で多くの方が没している。この映画は、まさに貴重な証言集でもあったのである。

 私は、「さくら隊」で最も若くして亡くなった高山が、薄田研二夫妻の長男であったこと、槇村が敗戦後、真山美保と新制作座を立ち上げたことなどは、浅学にして知らなかった。案内役の池田生二も見たことのある風貌だと思ったら、1960年代の映画と、以降はテレビの刑事ものや時代劇に数多く出演していることもわかった。 

 会場では、思いがけず、昔の職場の同僚と会い、旧交をあたためることができた。この日の参列者120人ほどと。

 さらに五百羅漢様たちに敬意を表してお参りもすることができた。 耳の痛い「ことば」も多い。

「周りに左右されず信念を貫く」
「おのれを制御できる人ほど自由である」
「広く学び、深く究める」
「多くを聞いて、少しく語る」・・・・。

 懇親会は失礼して、目黒駅に出て、私は、友人と久しぶりのおしゃっべりに時を過ごした。

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2015年7月14日 (火)

7月12日、シンポ「沖縄戦後70年:基地問題とジャーナリズム」に参加しました  

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山内ゼミの学生の応援がたのもしい受付

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夏らしい集会の受付、左端の山内先生も忙しそうです


「沖縄戦後70年:基地問題とジャーナリズム」

日時: 7月12日(日) 13時~16時30分

会場 明治大学(御茶ノ水)駿河台キャンパス
    グローバルフロント棟 グローバルホール(1階)

●研究報告 山内健治(明治大学政経学部教授)     “基地接収・返還に揺れた共同体――読谷村の事例から”

●パネル討論 “辺野古から考える日本のジャーナリズム”   

金平茂紀(TBSキャスター)
影山あさ子(映画「圧殺の海」監督)  
宮城栄作(沖縄タイムス東京支社報道部長)
司会 醍醐 聰(東京大学名誉教授)   

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右から、宮城、影山、金平、醍醐の各氏

 新しいグローバルホールは、階段状のホールで、折り畳みの机も備えられている、居心地の良い会場だった。ほぼ満席の約180人の参加、ユープラン、IWJなど4つのカメラが入ったという。  文化人類学、東アジアの民俗学に詳しい山内先生の報告は、あっという間の30分だった。数十年間にわたる沖縄でのフィールドワークのうちの読谷村の事例を話されたが、村の集落「シマ」が戦争で破壊され、再建のさなか、米軍の接収によりさらにズタズタに分断される様子が数字や映像で明確に語られていた。仮設住宅から基地内の公認耕作地に通う人々、「祈り」の場を次々失ってゆく人々が移設しても必死に守ろうとする姿が痛切であった。  パネル討論の詳しい内容については、下記のユープランの配信映像で見ていただきたい。ここでは私がとくに印象に残った発言を恣意的ながらとりあえず発言者ごとにまとめておきたいと思う。壇上では、期せずして宮城さんから若い順に並んだ格好だった。     

              *****
・20150712 UPLAN【研究報告】山内健治“基地接収・返還に揺れた共同体――読谷村の 事例から        https://www.youtube.com/watch?v=UKs5Ux6C7Vc

・20150712 UPLAN【パネル討論】金平茂紀 影山あさ子 宮城栄作 “辺野古から考える 日本のジャーナリズム” https://www.youtube.com/watch?v=ApXZzfPOfBA 

             ***** 

◇宮城さん:
・沖縄と本土との関係を「温度差」「溝」そして「対立」「平行線」とのことばで語られたくはない。今回の沖縄の二紙を「つぶせ」の発言は、毎度のことという印象があるほど繰り返されてきた。昨年の石垣市長選直前の石垣への自衛隊配備計画報道への露骨な規制から遡ると限りない。今回も発言者の品位や資質の問題ではない。メディアとしては直ちに反応してゆきたい。
・本土では、戦後、憲法やメディアが天から降ってきたものかもしれないが、沖縄では、憲法も自分たちのメディアも自らの力で獲得してきたという感覚があり、メディアは、住民にきたえられてきたので、住民サイドに立つ必然性がそこにある。全国紙は、基地問題が法的手続きの問題であり、負担軽減の問題としてとらえているところが問題なのだ。
・ことばとしても、本土では、辺野古への基地移設、移設反対派ととらえるが、沖縄では新基地建設、建設に抵抗する市民 としてとらえている違いは大きい。
・報道の公平・公正というが、軸足をどこの置くかにより変わってくる。弱者に寄り添う公正さに立った報道を実践してゆきたい。
◇影山さん:
・辺野古の基地建設については、2014年7月の着工から撮影を開始し、12月までを『圧殺の海』としてまとめた。影山さんのプロダクションでは、以降もカメラマンが常駐して撮影している。10年前の取材陣と比べると激減し、海上保安庁の、かつてのとにもかくにも“中立的”だった姿勢が一変したのは、第一次安倍内閣からだという。5分ほど流された、4月以降の最新の映像からも、海上保安庁による“警備”の暴力的なすさまじさに息をのむほどだ。人命救助のため、と屈強な海保の隊員が怒号を浴びせながらフロートの外にいるカヌーの市民を襲い、放り出した海で何度でも頭を沈めるという、まさに暴力団まがいのことを繰り返す。影山さん自身もカヌー上に乗り移ってきた隊員に羽交い絞めにされた経験を持つ。
・そのカヌー転覆事件のときは、NHKも撮影していて、沖縄の放送では流れたが、本土では流さなかった。NHKは、展望台から撮影しているが、NHKの撮影隊が来ると、工事の進展の節目で、必ず何かがあると言われているそうだ。何らかの情報を得ているのだろう。
・影山さん制作の海兵隊のブートインキャンプ(新兵訓練所)に密着したドキュメンタリ映画「One Shot One Kill (一撃一殺)」の一部が流され、その撮影経緯について話される。12週間の訓練で「人間が人間でなくなって、人を殺す道具になっていく」様子が克明に描かれている。上官の命令にすべて「yes sir!」と叫ばされ、個性と思考を放棄させられ、銃剣やライフル、素手でも人を殺す訓練が繰り返されるリアルな映像に打ちのめされた。たった5分ほどながら、その迫力は十分すぎた。アメリカから沖縄に送り込まれ、沖縄からイラクやアフガニスタン、ファルージャにも出撃した海兵隊とは何者と、国防省の許可を得てのノースカロライナ州での撮影であったという。
◇金平さん:
  当日の夜にはドイツへ発つという忙しいさなかでの参加だったという。
・摩文仁の丘の平和公園の一番奥の岬のてっぺんに「黎明の塔」というのがあり、私も昨年11月に行ってきたところだが、そこは最後の軍司令官牛島満中将が6月23日自決したと場所とされている。6月23日「慰霊の日」の早朝には、毎年、自衛隊員が参拝しているというので取材に出かけると、今年も、制服自衛官30人ほどの隊員が、右翼らしい人たちと県警に守られて、そそくさと参拝している光景を目にしたという。沖縄の人にとっての牛島中将は、沖縄戦を引き伸ばし、島民や兵士の犠牲を激増させたとして、その評価は高くない。
・今年の「慰霊の日」の式典は例年にない雰囲気の中で始まり、翁長知事の平和宣言への拍手は、何回も力強いものがあり、高校生の詩の朗読も素晴らしかった。安倍首相の挨拶の段になると、「帰れ」コールは、あちこちで起こり、例年いないことだった。さらに、席から「何しに来た」「戦争はイヤだ」「帰れ」・・・と叫び続けていた高齢男性は、警備陣に退去させられていた。TBSでは、さらにその男性(82才)を追い、その発言を捉えたニュース映像を会場でも流した。ところが、6月23日のNHK「ニュース7」では、安倍首相への野次があったことすら伝えなかった。私も、このニュースは見ていたが、金平さんも、ホテルに帰って見て、びっくりしたという。野次のあったことが「ニュース」であるはずなのに、なかったことのように報道していることが恐ろしいと。
・とくに、NHKの報道番組が、政府広報になるのは、「政治部」の記者たちが、実に「エラそうな」振る舞いになるのは、まさに「自発的隷属」に陥っていることに起因するのではないか。

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「報道特集」の一場面、後ろ向きの男性が退去を迫られている


・客観報道、中立性について思い起こすのは、昭和天皇死去直後、皇居前で一人の高齢女性がひれ伏して泣き崩れる様子が各局から流れたが、あるカメラマンは、その女性一人を取り囲んで、大勢のカメラマンがレンズを向けている光景を俯瞰したという。
・TBS報道特集のような調査報道番組は、日本にはほとんどなくなった。放映の時間帯に変遷はあるが、圧力をかけられたことはない。CBSの「60ミニッツ」を手本に頑張りたい。
・今回の安保法案については、当初のもくろみの憲法改正が難しくなって、解釈改憲をして集団的自衛権を容認した経緯と11本の法案をまとめて強行することが問題で、そこの説明が大事で、政局報道に堕していることが危険である。
・辺野古の漁業組合の漁船は、すべて防衛施設庁に1日5万+ガソリン代以上で借り上げられ、沖合に並ぶ。メデイア関係者が借りる手立てはほぼなくて、独自に調達しているという事実も看過できない。

   山内先生、3人のパネリストと、総合司会、討論の司会はじめ多くのスタッフの皆さん、ほんとうにお疲れ様でした。 会場では、佐倉市から参加された5人ほどの方とはお会いすることができた。 宮城さん、影山さんは二次会にも参加されたので、身近にお話を聞くこともできた。いまの日本を変えるにはどうしたらいいだろうという話なると、影山さんは「少なくとも辺野古を守り通せば、安倍内閣は倒せる」、それには、ともかく一歩を踏み出さねばといい、「辺野古基金」に拠出したからと、そこにとどまってもらっては困るとも。 現場に密着している影山さんならではの発言に、思わすはっとさせられたのであった。

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2014年7月16日 (水)

<ストップ詐欺被害!私はだまされない>だって?!そっくり政府とNHKにもお返ししたい

NHK(首都圏)で<ストップ詐欺被害!私はだまされない>が始まる

NHK総合テレビ夕方6時からの全国ニュースのあと、「首都圏ネットワーク」で、331日から「詐欺被害!私はだまされない」のコーナーが新設され、いまでも続いている。「オレオレ詐欺」の類の被害事件が頻発し、その勢いが止まらないらしい。だます手法は日に日に進化し、多くの高齢者たちが被害に遇っている。私の住む佐倉市でも、防災放送は、毎日のように、「不審な電話に注意せよ」との呼び掛けが続いている。被害額は全国で年間500億に上るという。事件の内容をテレビや新聞で知るかぎり、なぜ、そんな言葉に騙されてしまうのだろうと思うし、なぜ何百万円も、ときには何千万の大金をも手放してしまうのだろう、と不思議に思うことが多い。それだけ、言葉巧みに危機感をあおることに長けているのだろうと思う。

番組では、初回「携帯電話の番号が変わった」に始まり、毎回「カバンをなくした」「同僚が行くから渡してほしい」「あなたの口座が犯罪に使われている」「お金が返ってくる」「レターパック」などのフレーズが混じる電話が来たら、まず怪しいから、通報せよ、と直近に起こった実際の事件を例に解説するものだ。このキャンペーンでは、キーワードは繰り返されつつも、実際の事件は、より最近のものに変えられているので、臨場感はある。

その合間には、犯人サイドが悪用する「電話帳」「名簿」「個人情報」「親切心」「劇場型」などへの注意喚起もなされている。それは、それで、被害防止の一助にはなっているのだと思うが、効果はどれほどか。

「シッカリと」「テイネイに」と言ってだますのは誰?

私はといえば、毎回「私はだまされない」のコーナーでアナウンサーが丁寧に説明すればするほど、別の思いが頭をよぎる。政府、とくに安倍首相の記者会見や国会答弁を聞いていると、よくもまあ、次から次へと、国民をだまし続けているな、と思うからである。それ以前ももちろんなのだが、ともかく、一昨年の選挙公約から始まって、少なくとも国民との約束を次から次へと破っているではないか。そして、それを伝えるNHKの報道は、先に報道したこととの矛盾点は何のその、政府の広報に徹するばかりで、公共放送の役割を放棄しているに等しい。

首相が「国会ではシッカリと審議いただき、国民にはテイネイに説明していく」と答えるならば、それはもう「短期間の審議でしのぎ、審議打ち切りや強行採決に持ち込み、国民の疑問を押し切る」と同義といってよい。一度決まったことや国民にとって不都合なことを進めるには、手続きにのっとって「シュクシュク(粛々)と進める」というのも常套手段である。「シッカリと」「テイネイに」「シュクシュクと」がキーワードと言える。昨年の特定秘密保護法の折も衆参合わせて68時間の審議で打ち切り、126日の可決に持ち込んだ。先の71日の集団的自衛権行使容認の閣議決定については、71415日の衆参予算委の集中審議で済ませ、関連法案の改正は、来年の4月以降の一括提案、安保担当大臣新設で一気に片付けようという目論見である。なぜ、来年なのかと言えば、今年の11月沖縄知事選、年末消費税10%への引き上げ判断と日米ガイドライン改訂、来年春の統一総選挙を控えているので、本来ならば、その前に審議が必要なのだが、あえて先延ばしにするのは、公明党や選挙民への刺激をしたくないという策略にも近い。「シッカリと」「テイネイに」は、当たり前のように、どんどん遠のいていく。

そのとき、NHKは

一方、それを報道するメディアは、とくにNHKでは、昨年の特定秘密保護法成立に向けての与野党協議、今回の集団的自衛権行使容認の閣議決定に向けての自公協議の経緯についてのみ、それこそ「シッカリと」「テイネイに」報道したとしか言いようがない。肝心の「特定秘密保護法の問題点は何なのか」「憲法は集団的自衛権を認めるのか」をあっさりとスルーして、検証をしないまま、「客観報道」=「政府広報」を貫く。しかも、この間の中国、北朝鮮、韓国の不穏な政情や領土・領海問題での摩擦などを何回となく詳細に、「シッカリと」「テイネイに」報道することが顕著になり、日本を取り巻く環境への危機感を募らせるのに熱心であった。とくに、政府によるNHK人事への露骨な介入、新経営委員、新NHK会長の就任後の発言は、ことごとく、公共放送の中立・公平の理念を真っ向から崩す内容のものであり、同時に、現に、ニュースにおける報道内容や番組内容の政府広報化への偏向が顕著になっていった。まだ、一部の新聞やテレビ番組がかろうじてジャーナリズムの視点を失わずに健闘するのを目の当たりすると、NHKの堕落ぶりは明らかだろう。

特定秘密保護法が可決されたときも、今回の集団的自衛権が閣議決定されたときも、その後に及んで、たとえば「ニュース7」では、大きなパネルを作製して、武田アナウンサーが、大股で行き来をしながら、ややたかぶった調子で、その問題点を解説し始めるのである。そして担当記者との質疑、これもよく目にするNHKのニュースの光景なのである。与野党協議、与党協議の攻防戦・駆け引きがあたかも問題の焦点であるかのようなすり替えを行うのもいつものことだ。

その駆け引きが「やらせ」であり、国会での「質疑」に至っては

 71日午前中までのギリギリの与党協議というパフォーマンスを見せた「駆け引き」は、筋書き通りの茶番だったことは、ほぼ信じていいのだろう。というのは、620日の『西日本新聞』(「集団的自衛権を追う」)によれば、いわゆる集団的自衛権行使容認の新3要件は、613日の与党協議の会合で、高村自民党副総裁が私案として提出されたことになっているが、実は、その下書きは、北側公明党副代表が、内閣法制局に作成させたものであった、というのである。あとは、お互いの譲歩を示すために小出しにして71日に至ったということである。

自衛権行使「新3要件」公明が原案 自民案装い、落としどころ 

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/politics/article/96159

同様の「事実」は、今日716日の『読売新聞』(「憲法考9」)でも関係者の取材をもとに「北側案は法制局との<合作>」と報じられているのだから、その信憑性は高いとみてよい。とすると、520日から11回の密室の与党協議とは、何であったのか。それを、ことさらに集団的自衛権の焦点であるかのように報じる「ノー天気さ」加減にあきれる。

さらに、714日・15日の衆・参予算委での集中審議における高村議員、北側議員が質問に立ち、首相や横畠内閣法制局長官が答弁するという、その内容の空しさがいっそう際立つのであった。首相は「国民の命と暮らしを守るため」を繰り返すばかりながら、その一方で、新3要件などさえすっ飛ばして、他国の戦闘で石油の供給がストップして、国民の経済生活に支障をきたせば、自衛隊による機雷掃海も可能だといい、後方支援による武器使用も可能だという風に、拡大の一途をたどっている。

それでも、憲法の基本的な理念を変更していないと言い続けるのである。

「政治の現実ってそんなもんだよ」と納得するのが大人の対応?なのだろうか。

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2014年6月 5日 (木)

ドラマ「サイレント・プア」が終わった~現実とのギャップ

NHK火曜のドラマ10「サイレント・プア」が終わった。社協職員の深田恭子が、弱者には根気よく寄り添い、前向きに生きる力を引き出すという役柄で、自らも阪神淡路大震災の折、弟の手を離したので死なせてしまったという自責の念に苛まれているという設定だ。全回を見たわけではないが、その主人公は、ごみ屋敷にこもる老齢の女性、引きこもりの青年、認知症の母を抱える主婦、余命を知ったホームレス男性、東日本大震災の折、施設の職員として高齢者を助けられなかったと、これも自分を責める避難者である男性とその家族、一話、一話、どれも明るい兆しが見えて完結する。こんなにうまくいくのかな、現実はこんなものではないだろう。べテランの助演者に囲まれての深田の演技は、やはり単調さが目立った。繰り返されるクローズアップの表情には、心の葛藤が見えにくい・・・。ドラマの舞台は東京だが、豊中市の社会福祉協議会の全面的な協力をあおいでいるという。ドラマでは、社会福祉協議会の組織や業務、行政との関係、その位置づけが曖昧だし、職場の人間関係は図式的である。いま、ほとんどの社協の現場でその職務を担っているのは非正規・非常勤職員であり、地区社協のボランテイアである。

豊中市と言えば、2011年1月、当時の報道によれば、元資産家の60歳代の姉妹が唯一の所有となってしまったマンションの自室で、数十円の小銭しか残っていない、餓死状態の遺体で発見され、死後2週間以上経っていたという事件、が思い出される。相続した不動産の運用に失敗―その不動産に付け込まれ、多額の借金、相続税の滞納、差し押え、無収入への道をたどり、電気やガスもすでに止められていたという。裁判所執行官が豊中市役所担当課に連絡、相談するよう何回か張り紙やポスティングをしたものの、双方、それ以上のことはしなかった、という。豊中市男女共同参画推進センター「すてっぷ」初代館長でありながら、不当解雇事件で市や市議会と闘い、最高裁で勝訴が確定(2011120日)した三井マリ子さんも、当時、このニュースを聞いて、自身のブログ「三井マリ子の世界」で「救命力世界一宣言の豊中市で孤独死」(2011111)で次のように記していた。

「姉妹の住まいの周辺には病院もいくつもあり、駅も近い、市役所だって1駅だ。そんな環境にいて、なぜ餓死するまでほおっておかれたのか。市の福祉担当者や市議会議員は、死に至る前に、なぜその徴候を嗅ぎとれなかったか。電気ガス会社はなぜSOSを発しなかったのか。個人情報云々で善意のサポートが入り込めない事態を招いてはいなかったか・・・。」

「とよなか このまちいいな 救命力世界一宣言」というのが、20101月、豊中市のキャッチフレーズになったそうで、市役所や公用車にはこの標語の幕が付されていたそうだ。現実とのギャップは大きい。豊中市社協のコミュニティ・ソーシャル・ワーカーCSWで、いまは管理職となっている勝部さんという方が「CSWの星」のような形で活躍中のようであるが、社協をめぐる課題は、まだまだ不透明で重いはずだ。

ひるがえって、地元の社協だが、かねてより注視していた、佐倉市からの人件費補助について若干の動きがあった。次の記事でまとめたい。

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関東梅雨入りの6月5日、アマリリスが開いた

 

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2014年2月28日 (金)

「すてきなあなたへ」68号をマイリストに掲載しました

「すてきなあなたへ」68号がようやく発行されました。マイリストをご覧ください。久し振りの発行です。皆さんのご協力で、何とかここまで。しばらくは続けていきたいと話し合っています。
以下のURLクリックしてください。
http://dmituko.cocolog-nifty.com/sutekinaanatae68.pdf

(目次)
佐倉市議会って、どんな?
―あなたが選んだ市議は何をしていますか

近頃の〈NHK〉っておかしくないですか?

菅沼正子の映画招待席40『ウォルト・ディズニーの約束」
~名作「メリーポピンズ」誕生秘話

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2013年12月 9日 (月)

特定秘密保護法、強行採決~嵐は去ったのか

 126日の深夜、特定秘密保護法は、参院本会議で強行採決され、成立した。その時も、その前後も、私自身、国会周辺で、抗議をしていたわけではないけれど、無力感にさいなまれた。この法案ンお論議が始まったころから大げさでなく「これから、日本はどうなるのだろう」と思った。いま、私は何をすべきなのだろう。ともかく、特定秘密保護法案へのマス・メディアの対応を記録しようと思った。すでに、111日の当ブログでも、レポートしている。

「特定秘密保護法案閣議決定、そのとき、新聞は」

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2013/11/post-6bc1.html

「特定秘密保護法案閣議決定、そのとき、NHKは」

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2013/11/post-9c02.html

 その後も、中間報告するつもりでいたところ、参議院強行採決に至ったのである。やや大部なものになってしまったが、以下のPDFでご覧いただきたい。社説など個別の新聞社のホームページやその他で読めるし、わが家で購読している新聞(全国紙、業界紙合わせて5紙)は、その時目を通しても、たまる一方で、時系列にしても、同日の新聞で、どう報じたか横断的に読むにも難儀した。一層のこと、難儀ながら、比較一覧作成を試みたわけである。今回は、衆議院、参議院強行採決の翌朝の新聞を中心にして、できるかぎり、前後を追った。NHKのニュースは、少なくとも「ニュース7」は努力して視聴しているので、比較一覧に加えた。なお、日本弁護士連合会は、法律の問題なので、専門家集団の動向として、その会長声明も、論点整理のため参考にしたいと思った。また、前回は、地方紙の代表として、『琉球新報』を追跡したが、今回は成らず、省略したのが心残りである。

さらに、いまだ閲覧できない新聞もあり、未調査部分は、今後補足していきたい。

http://dmituko.cocolog-nifty.com/tokuteihimituhogohosyasetuitiran.pdf

こうして見るとはっきりしたことがいくつか浮上するのだが、いまは、3点だけにとどめ、速報としたい。

一つは、特定秘密保護法については、「知る権利」を奪うおそれがあるとして、全国紙、地方紙が、一部の新聞を除いて、明確に廃案、慎重審議のキャンペーンを展開したことだった。社説のみならず、かなりの紙面を割いて、さまざまな視点から、さまざまな連載物を組んで、また、広く市民や識者の意見を紙面に反映した。とくに東京新聞が顕著であった。日常的には、かなり経済界、政府寄りの報道が顕著な「読売」「日経」においても、他紙に比べると社説の回数や紙面の取り方は少ないが、「論議を尽くせ」の姿勢を示した。

一つは、成立直後の127日の紙面はご覧の通りだが、私はさらに128日の紙面に着目した。成立前からの課題を検証し、今後の問題提起をしていることで、その姿勢は、さらに持続する構えを見せていることだった。通常、法律成立後は、さらりと振り返っただけで、一件落着の風がある。たとえば、消費税増税、オリンピック東京開催、TPP交渉参加などの問題点などの検証は鳴りをひそめてしまう。「甘い」と思われるかもしれないが、ともかく、今後のメディア監視を続けたいと思う。

 もう一つは、どう考えても異常だったのが、NHKの報道姿勢だった。ご覧のように、まず、新聞に較べて、取り上げる回数が少ない、報道時間が短い、その報道内容に偏向があることだった。自らも報道機関でありながら、「知る権利」への関心が薄く、避けているかのような姿勢である。内容の偏向というのは、つぎの三点からも明らかである。一つは、中立公正と言いながら、同法案の問題点を、論点を明確に示さず、政府提案の後追い、つまり政府広報に徹していることだった。つぎにその論点についても、国会の質疑、与野党の攻防という限りで言及するにすぎない。国会の質疑に関しても、政府答弁のみを放映するという手法をとり、国会内の政党の動向とか、首相や閣僚、幹事長記者会見に時間を費やしている。成立直前の「ニュース7」のニュース項目を見れば明らかであろう。きちんとした論点整理や解説は、解説委員室やゲストによる「時論公論」や「視点論点」で展開しているとも見えるのだが、その放映の時間帯は、いずれも深夜なのだから、明らかに意図的な編成と言わなければならない。「時論公論」とて、その解説は、解説委員が特定されていて、あまりにも客観的な、他人ごとの解説ぶりで、自らの報道人としての見解はどうなのかが問われるのではないだろうか。この法律の審議過程では、NHKの経営委員人事における、安倍首相の「お友達」選定が露骨に浮上した。

 受信料を徴集されながら、政府広報しか視聴できないという時代に来てしまったのか。日本の近代史の検証番組は盛んに放送するけれど、今はどうするのか、の視点が抜け落ちている。中国・韓国・北朝鮮のマイナス情報は丁寧に時間をかけ、危機感をあおり、 ときには災害・事件・スポーツを妙に詳細に全国に流し、科学・生活・文化の調査ネタ、いわばひまネタをさりげなく「ニュース7」に挿入する手法には、うんざりしているのだ。あとは、民間放送での人気のお笑い芸人の後追いするような番組に、公共放送としての自負はどこに?と思われることもしばしばなのである。

 

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