2023年1月19日 (木)

『週刊朝日』が5月に終刊、なんとこのタイミングで!

 きのう、『週刊朝日』の最新号が編集部から送られてきた。久しぶりに目にする『週刊朝日』、そう、12月の初めに、A記者から、近く図書館についての特集をするので、取材させてほしいとのファクスをいただき、電話取材を受けた。私のブログによれば、図書館勤めが長く、現在も図書館を利用しているようなので、“シニア”の利用者としての話をききたいとのことだった。

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『週刊朝日』2023年1月25日号の目次。5月に終刊!のニュースが。

 断捨離世代なので、あらたに本を買うことは控えているので、たしかに、地元の図書館で本を借りることが多くなった。地元の図書館にないものは、リクエストして、県内の他館から貸し出してもらえる制度を利用している。公共図書館の児童図書館としての役割も大事だが、シニアの居場所としての機能も大切で、最近、購入雑誌がどんどん減らされているのが目立つ。気軽に読める雑誌や趣味の雑誌など、紙で読みたいシニアも多いと思うのに、予算の関係で、どんどん切り捨てられていくのは残念だ。また、カウンターで働く人を見ていると、しょっちゅう変わるのも気になっている。いわゆる「会計年度任用職員」で、意欲があっても、安定した働き方ができない人たちに支えられているのが現状である。図書館に指定管理制度が導入されている例もあるが、公立図書館本来の姿からは遠ざかるのではないか。

 そんな話をしたと思うが、「シニアのニーズに応えサービス多様化 いま図書館が面白い!」という3頁ほど記事は、丹念な多角的な取材に基づく、真面目な内容で、私の発言も一部ながら簡潔にまとめてくださっている。

 他の記事も、書き手も様々、興味深い記事も多いのだが、やはり、かつてよりはかなり薄くなったね、今どのくらい売れているのだろう、と連れ合いと話したばかりの翌日、飛び込んで来た「終刊」のニュースだった。

 文春、新潮は、攻めるスクープも多いが、根は保守派だし、現代、ポストはしっかりとシニア向けの実用誌にシフトしてしまった。女性週刊誌の皇室ネタの行方は・・・。週刊誌などめったに買ったことがなく、勝手な言い分ながら、『週刊朝日』の終刊は、いわば「良心派」の苦戦をまざまざ見せられた思いであった。

 

 

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2022年12月23日 (金)

櫻本富雄著、二冊のミステリーが刊行されました。

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左:幻冬舎 2022年6月15日刊。右:鳥影社 2022年12月18日刊。                                                                                                                                          

 大先輩の知人、櫻本富雄さんが、今年6月、12月に小説二冊を立て続けに出版されました。櫻本さんとは、2006年、著書『歌と戦争―みんなが軍歌をうたっていた』の書評を「図書新聞」に執筆したご縁で、以後、多くを教示いただくことになったのです。著書は、ご覧の通りで、戦時下の、文化人、文学者の戦争責任、戦後責任を資料にもとづいて詳細に検証し、その責任を問うものがほとんどです。自身が軍国少年であったことを起点としながら、戦後は精力的に戦時下の出版物―図書や雑誌、パンフレットや紙芝居などの収集をしています。その数10万点にも及んだそうですが、それらを駆使して著書の中でも、『空白と責任』(未来社1988)『文化人たちの大東亜戦争』(青木書店 1993)『日本文学報国会』青木書店1995)『本が弾丸だったころ』(青木書店 1996)などは、戦時下の文学や評論を対象とする研究者や関心を寄せる人たちには避けては通れない文献です。

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 その櫻本さんは、もともと詩人で、小説も何篇か書かれているのですが、新刊の二冊は、数年前、蔵書の全てを処分した後に書かれています。構想はかなり前からできていたそうです。ミステリーですので、あらすじは書けませんが、二冊の舞台は、アジア・太平洋戦争末期の日本の占領地、国内の各地に展開します。事件を追う捜査関係者は別として、読み終わってみれば主な登場人物すべてが非業の死を遂げていたことが分かってきます。読むにあたっては、あたらしい地図帳がそばにあった方がいいかもしれません。

 興味を持たれた方は、近くの図書館にぜひリクエストしてみては。

 なお、櫻本さんが出演した下記の番組がユーチューブでご覧になれます。櫻本さんが資料を携え、横山隆一、山本和夫、丸木俊、住井すゑさんたちにインタビューをし、戦時下の言動を質そうとしますが、誰もが反省や後悔の弁どころか自らを正当化する様子が記録されているドキュメンタリーです。次作も執筆中とのことです。1933年生まれの櫻本さんのエネルギとゆるぎない信念に脱帽です。

・「ある少国民の告発~文化人と戦争」(毎日放送製作 1994年8月14日放映)
 https://www.youtube.com/watch?v=8-dC55hmhbc

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上記、映像から。上:戦時下の雑誌の数々。下:住井すゑにインタビュー。

 なお、当ブログの関係記事は以下の通りです。

・書評『歌と戦争―みんなが軍歌をうたっていた』― 歌と権力との親密な関係―容認してしまう人々への警鐘(『図書新聞』2005年6月11日)http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2006/02/post_d772.html(2006年2月17日)

 ・「ある少国民の告発~文化人と戦争」(1994年放送)を見て
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2017/09/1994-2d3e.html(2017年9月23日)


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2022年11月26日 (土)

二冊の遺稿集に接して(1)和田守著『徳富蘇峰 人と時代』

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萌書房、2022年10月20日

帯の表には、つぎのように紹介されています。

等身大の蘇峰の生涯を思想的変遷にも重きを置きつつ辿ることから始め,これまであまり論じられることのなかった社会事業家としての側面にもスポットを当て,この不世出の思想家・ジャーナリストの活動を青・壮年期を中心に時代状況も交えながら描出。政治思想史界の第一人者が後進の研究者に贈る畢生の成果

目次

第Ⅰ部 評伝 徳富蘇峰
序 論/第1章 新聞記者への立志と思想形成/第2章 平民主義の唱道/第3章 帝国主義への変容/
第4章 国家的平民主義
第Ⅱ部 欧米巡遊、社会と国家の新結合
第1章 徳富蘇峰の欧米巡遊/第2章 国民新聞と国民教育奨励会/第3章 青山会館の設立/第4章 国民新聞社引退と蘇峰会の設立/第5章 徳富蘇峰という存在
第Ⅲ部 思想史研究の視点から
第1章 近代日本のアジア認識 ―連帯論と盟主論について―/第2章 私の辿った思想史研究―グローカルな視点から―

 著者の和田さんとは、「法律政治学専攻」という一学年でたった16人ほどのクラスの同期でした。1959年4月入学だったから、60年安保改定を控え、大学は騒然とした雰囲気であったのです。いわばノンポリだった私は、自治会が呼びかける集会やデモには時折参加していましたが、和田さんはクラス討論や学年を越えての雑誌の発行などにも率先してかかわっていました。そんな中でも、松本三之介先生の指導の下、政治思想史の研究者になるべく努力されていたのだと思います。博士課程を了え、山形大学、静岡大学を経て、大東文化大学に移り、法科大学院の設置や大学行政にも携わっていました。2019年4月、病に倒れ、やり残した仕事もあったに違いありません。

 蘇峰に関しては、すでに『近代日本と徳富蘇峰』(御茶の水書房 1990年2月)がありますが、その後の論稿と未定稿を合わせて、伊藤彌彦さんの編纂により、今回の出版にいたったといいます。

 私など専門外のものには、清水書院「人と思想史シリーズ」の未定稿として残された序論としての蘇峰論、「自由民権」から「国家的国民主義」形成に至る青年時代までを描いた部分が読みやすく、興味深いものがありました。

 目次にありますように、これまでの蘇峰像とは異なる側面にも光があてられていますので、関心のある方は、ぜひ、近くの図書館にリクエストしてみては。

 個人的には、和田さんが山形大学に赴任してまもなくの松本ゼミOB会の研修旅行に誘われて、山形・福島の旅に参加しました。予定外だった斎藤茂吉記念館にも立ち寄ったこと、近年では、主宰されていた「思想史の会」で「沖縄における天皇の短歌」の報告の機会をいただいたことなどが思い起されます。あらためてご冥福を祈る次第です。

 

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2022年11月15日 (火)

写真集『原発のまち 50年のかお』(一葉社)の勁さとやさしさ

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カバーの写真は、1976年9月23日、女川原子力発電所絶対阻止三町連合決起集会

 編者の阿部美紀子さんは、「度重なる奇跡のような出来事で」、この女川原発阻止闘争の写真集を出版するにいたったという。その奇跡とは。阿部さんは、地元で原水協の活動をされていた町議の父、阿部宗悦さんと共に、大学卒業以来、長年、女川原発阻止の活動をされてきた方だ。東日本大震災の津波で、家ごとすべて流されて、活動の記録も写真も失った。大震災の3年前に、町役場から、反対闘争も町の歴史だからと写真のデータベース化をした折、CD版ももらっていたが、それももちろん流されたが、そのデータをパソコンに取り込んでいた仙台のお仲間がいたという。ほとんど美紀子さんが撮影したその写真を中心に、地元のカメラマンや仲間の撮影による写真を集成したのが今回の写真集で、詳細な年表も付す。また、後半の「原発と暮らす」のインタビューは、どれも、一緒に活動してきた雄勝湾、女川湾、鮫浦湾に面したいくつもの浜の漁師さんたちへの阿部さんのやさしい問いかけに、かつての活動や近況などが立ち上がってくる。

目次
「女川原発差し止め訴訟」意見陳述書(要旨)
写真集発刊にあたって
<参考>「三町期成同盟」当時の女川町周辺略図
かつて、まちは――奇跡の証言写真
大津波のまちで――ありえない原発との共存
原発と暮らす――生き証人は語る
<資料>女川原発反対運動の略史

 知人に紹介していただいた阿部美紀子さんとは、2016年5月、私たち夫婦が女川を訪ねた折、かさ上げ工事さなかの町と鳴浜にある原発の近くまで車で案内していただいたご縁がある。道中、小雨の降るなか、まだ木立に引っ掛かったままのブイ、原発へのトンネルの工事現場、特攻艇の戦跡、廃校跡など下車しては説明をしてくださったことを思い出す。
 
 
 女川の原発阻止闘争は、1967年3月原子力委員会が、女川を原発立地予定地として公表した時から始まる。9月女川町議会は、原発誘致を全会一致で決議、東北電力の土地買収が始まり69年1月女川原発設置反対女川・雄勝・牡鹿三町期成同盟会結成、6月女川漁協反対決議を経る。三町期成同盟による数千人規模の海上デモや現地集会が続くが、70年代に入ると、東北電力による女川漁協幹部の切り崩しが始まる。

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75年12月7日、第1回原発反対総決起大会、壇上に並ぶ各浜代表のうち3人は大震災で亡くなっているという

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1976年6月14日、東北電力への抗議、交渉が続く

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1976年6月23日、 女川町主催の漁業説明会、阿部宗悦・美紀子さん

 女川漁協ョット臨時総会では、77年1月には条件闘争を強行採決、78年8月漁業権放棄を可決。79年3月28日スリーマイル島原発事故があるも、12月一号機着工に至り、81年12月女川原発建設差止訴訟、仙台地裁に提訴、2000年12月最高裁の上告棄却。この間、95年2号機、2002年3号機営業開始に至る。そして11年3月11日、東日本大震災の津波により女川町は壊滅的な被害を受け、女川原発は三号機とも停止、福島第一原発事故発生。以降、脱原発、女川原発再稼働阻止の運動は、宮城県民による運動となる。18年10月女川原発1号機廃炉は決定するが、20年11月11日村井宮城県知事女川原発2号機再稼働同意表明している。

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2011年4月19日、小屋取漁港(日下郁郎撮影)

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2011年4月19日、小屋取の集落の被害(日下郁郎撮影)

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2011年4月30日、鷲神の阿部家被災地跡に、流れ着いていた股引に「すべての原発廃炉に!チェルノブイリ25周年」と書き、掲げる阿部宗悦さん(スペース21撮影)。5月連休明けに自衛隊によりガレキはすべて撤去されたという。宗悦さんは、2012年7月7日に逝去された。美紀子さんは、宗悦さんの遺志を継ぎ、町議選に臨み、2012年11月から、現在三期目となる。「女川から未来を考える会」代表。

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阿部さんに案内していただとき、2016年5月撮影、女川原発がもっともよく見える場所、小屋取浜から望む。
29m防潮堤が築かれているという。

 美紀子さん、貴重な一冊をありがとうございました。この写真集にも、お会いしたときの寡黙ながら、やさしさとゆるぎない意思を感じとることができました。

 なお、写真集の出版社、一葉社は、拙著『斎藤史~「朱天」から『うたのゆくへ』の時代』(2019年1月)でお世話になっている。

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関連の過去記事

女川原発2号機はどうなるのか~再稼働反対の声は届かない(2020年10月30日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2020/10/post-bb75a1.html

連休前、5年後の被災地へ、初めての盛岡・石巻・女川へ(6)(7)(2016年5月14日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2016/05/5-5cf0.html


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2021年3月 2日 (火)

「諜報研究会」は初めてかも、占領下の短歌雑誌の検閲、日本人検閲官をめぐって(2)

 山本さんの新著『検察官―発見されたGHQ名簿』(新潮社)は、新聞広告を見て、近くの書店に注文したら、発売は来月ですと言われ、入荷の知らせをもらったまま、取りに行けず、この研究会に参加する羽目になった。今は、手元に置いているので、それを踏まえて、研究会の様子をお伝えしたい。
 
今回の「秘密機関CCDの正体追究―日本人検閲官はどう利用されたか」と題されたレジメの冒頭には、つぎのように記されている。
 「検閲で動員されるのは英語リテラシーのあるインテリであった。彼らは飢餓からのがれるためにCCDに検閲官として雇用され、旧敵国のために自国民の秘密を暴く役割を演じた。発見された彼らのリストと葛藤の事例を紹介しながら、CCDのインテリジェンス工作の実態に迫る。」

 長い間、CCD民間検閲局で、検閲の実務にあたっていた、検閲官の実態は謎のままであった。私も、プランゲ文庫の文書の検閲者の名前が気になっていた。文書には、検閲者の姓名や姓がローマ字で記されていて、多くは日本人とみられる名前だったのである。いったいどういう人たちがどんなところで、検閲にあたっていたのだろうかが疑問ではあった。
 山本さんは、2013年に、国立国会図書館のCCD資料の中から名簿の一部を発見し、以降わかった名簿は、インテリジェンス研究所のデータベースに収められている。CCDの職員はピーク時には8700人にも達し、東京を中心とする東日本地区、大阪を中心とする関西地区、中国九州地区で、おおよそ2万人ちかくの検察官が働いていたと推測している。しかし、その職を担ったのは、当時、まず、英語を得意とする人たちであったことは当然で、日系二世はじめ、日本人の学生からエリートにまで及んだが、その実態は明らかになっていなかった。
 そのような検閲者となった人たちは、敗戦後日本の「民主化」のためとはいえ、GHQによる「検閲」という言論統制に加担したことへの後ろめたさと葛藤があったにちがいなく、口を閉ざし、あえて名乗り出る人たちもなかったなか、時を経て、断片的ながら、さまざまな形で語り始める人たちも出てきた。甲斐弦『GHQ検閲官』(葦書房 1995年)の出版は、検閲の体験者としての貴重な記録となった。そうした検閲者たちの証言を、山本さんは、無名、有名をとわず、丹念に探索し、検閲の実態を解明しているのが、冒頭に紹介した新著であった。例えば、梅崎春生の兄の梅崎光生、ハンセン病者の光岡良二、言語学者の河野六郎、歌人の岡野直七郎、小説家の鮎川哲也、ロシア文学者の工藤幸雄、のちの国会議員の楢崎弥之助、久保田早苗らについて検証する。岡野らのように、実業界、金融業界からも、かなり多くの人たちが動員され、東大、東京女子大、津田塾らの学生らも大量に動員され、その一部の人たちの証言もたどる。
 
今回の山本さんのレポートの前半は、検閲者名簿の「Kinoshita Junji」(以下キノシタ)に着目、あの「夕鶴」で有名な劇作家の木下順二ではないかの仮説のもとに、さまざまな文献や直接間接の証言を収集、分析の結果、キノシタは木下順二との確信を得る過程を、詳しく話された。まるで、ミステリーの謎解きのような感想さえ持った。
 
木下順二(1914~2006)は1939年東大文学部英文学科卒業後、大学院に進み、中野好夫の指導を受けていた。法政大学で時間講師を務めるが、敵性言語の授業は無くなり失業、敗戦後は明治大学で講師を務めていたが、山本安英のぶどうの会との演劇活動も開始している。
 
一方、キノシタは、氏名で検索すると1946年11月4日に登場するが、49年9月26日付で病気を理由に退職している。この間、ハガキや手紙郵便物の検閲を行う通信部の監督官を務め、1948年にCCD内部で実施した2回の英語の試験で好成績をおさめている。かつて未来社の編集者として、多くの木下順二の著作出版にかかわった松本昌次(1927~2019)の証言や養女木下とみ子の証言で、確信を得たという。
 
山本さんは、新著の中で、木下順二が英語力に秀でていたこと、敗戦後の演劇活動には資金が必要であったこと、その活動が活発化したころに、CCDを退職していること、木下の著作には、アメリカへの批判が極端に少ないことなども、いわば状況証拠的な事実もあげている。
 
レポートの後半は、郵便物の検閲が実際どのようになされていたか、東京中央郵便局を例に、詳しく話された。いわゆる重要人物のウォッチリストの郵便物のチェックはきびしく、限られた場所で秘密裏に行われていたという。実際どんな場所で検閲が行われたかについてもリストがあり、東京では、中央郵便局のほかに、電信局、電話局、内務省、市政会館、松竹倉庫、東京放送会館などが明らかになっている。大阪でも同様、大阪中央郵便局、電信局、電話局、大阪放送局、朝日新聞社などで行われていた。しかし、大阪に関しては、関係資料がほとんど残されておらず、焼却されたとされている。
 
内務省やNHK、朝日新聞社などが、場所を提供していたばかりでなく、人材や情報なども提供していたと思われるが、年史や社史にも一切、記録されていないことであった。

 以上が私のまとめとはいうものの、大いなる聞き漏らしもあるかもしれない。 
 また、報告後の質疑で、興味深かったのは、『木下順二の世界』の著書もある演劇史研究の井上理恵さんが「木下順二とKinoshita Junjiが同一人物とは信じがたい。木下は、出身からしても困窮していたとは考えにくいし、CCDにつとめていたとされる頃は、演劇活動や翻訳で忙しかったはずだ」と驚きを隠せなかったようで、今後も調べたい、と発言があったことだった。また、立教大学の武田珂代子さんが、占領期の通訳や検察官におけるキリスト教系人脈はあったのか、朝鮮のソウルでのGHQの検閲の実態、検閲官として、朝鮮人がいたのか、などの質問から意見が交わされた。

 私は、あまりにも基本的な疑問で、しそびれてしまったのだが、GHQの検閲の処分理由に「天皇賛美や天皇神格化」があげられる一方で、天皇制維持や象徴天皇制へと落着することとの整合性がいつも気になっており、アメリカの占領統治の便宜だけだったのかについて、司会の加藤哲郎さんにもお聞きしたかったのだが、気後れしてしまった。

 なお、岡野直七郎についてははじめて知ったので、調べてみたいと思った。1945年12月10日採用となっているから、かなり早い採用だったと思われる。

 

 

 

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2021年2月28日 (日)

「諜報研究会」は、初めてかも~占領下の短歌雑誌検閲、日本人検閲官をめぐって(1)

 

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第34回諜報研究会(2021年2月27日(土))
ZOOMを利用してオンラインで開催

報告者:中根 誠(短歌雑誌「まひる野」運営・編集委員)
「GHQの短歌雑誌検閲」
報告者:山本 武利(インテリジェンス研究所理事長、早稲田大学・一橋大学名誉教授)
「秘密機関CCDの正体追究―日本人検閲官はどう利用されたか」  
資料
司会:加藤 哲郎(インテリジェンス研究所理事、一橋大学名誉教授)

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  今回、インテリジェンス研究所から、上のようなテーマでの研究会のお知らせが届いていた。ズームでの開催ということで、なんとなく億劫にしていたが、テーマがテーマだけにと、参加した。これまで、早稲田大学20世紀メデイア研究所の研究会には何度か参加したことはあるが、第34回という「諜報研究会」は、はじめての参加であった。

 中根誠さんの「GHQの短歌雑誌検閲」は、すでに、『プレス・コードの影~GHQの短歌雑誌検閲の実態』(短歌研究社 2020年12月)を頂戴していたので、ぜひと思っていた。
 著書は、メリーランド大学プランゲ文庫所蔵資料をもとに作成した奥泉栄三郎編『占領郡検閲雑誌目録・解題』(雄松堂書店 1982年)により国立国会図書館のマイクロフィルムを利用して、短歌雑誌111誌、331冊を対象とした論考である。GHQの検閲局に提出された短歌雑誌のゲラ刷ないし出版物の検閲過程がわかる文書の復刻と英文の部分の和訳をし、その検閲過程を解明し、解説をしている。検閲官による短歌の英訳、プレス・コードのどれに抵触するのか、その理由やコメント部分も丹念な和訳を試みている。文書は、タイプ刷りもあり、手書き文書もあり、判読が困難な個所も多いので、その作業には、苦労も多かったと思う。本書は短歌雑誌の検閲状況の全容解明への貴重な一書となるだろう。

 研究会での報告は、『短歌長崎』『短歌芸術』を例に、編集者と検察局との間でどういう文書が交わされたかを時系列で追い、出版に至るまでを検証する。国粋主義的な『言霊』を通じては、発行から事後検閲処分の遅れなどにも着目し、事後検閲の目的はどこにあったのかなどにも言及する。また国粋主義的な『不二』と『人民短歌』を例に、どんな理由で「削除」や「不許可」なったのかを量的に分析し、『不二』の違反数が圧倒的に多く、事後検閲に移行するこことがなかったのに比べ、『人民短歌』は、検閲者が一度違反と判断しても、のちに上司が「OK」に変更される例も多いことがわかったという。「レフト」(左翼)より「ライト」(右翼)にはきびしい実態を浮き彫りにする。
 各雑誌自体の編集方針の基準として、レフトとライトの間には、センター、コンサーバティブ、リベラル、ラディカル、といった仕訳がされ、文書には付記されていたことにも驚く。

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 中根さんは、事前検閲から事後検閲への移行の基準など明確に読み取れなかったことや、検閲が厳しい場合とそうでない、かなり杜撰な場合とがあることも指摘されていた。中根さんの報告の後、短歌関係なのでと、突然発言を求められ、驚いてしまったのだが、つぎのような感想しか述べられなかった。
 「一昨年、斉藤史という歌人の評伝を出版、その執筆過程で、気が付いたことなのだが、検閲の対象になった「短歌」ということになると、中央、地方の「短歌雑誌」だけでなく、さまざまなメディア、総合雑誌や文芸誌、婦人雑誌、新聞なども対象にしなければならないのではないか。斎藤史という歌人の周辺におけるGHQの検閲を調べてみると、斎藤史は、父親の歌人斎藤瀏と長野に疎開し、敗戦を迎える。地方の名士ということだろうか、斎藤史は、国鉄労組の長野支部の雑誌『原始林』(48年7月)に短歌7首を寄稿しているが、1首が削除されている。斎藤瀏は、『短歌人』という雑誌で何度か検閲処分を受けているが、宮城刑務所の文芸誌『あをば』(46年9月)に8首が掲載されていて、1首にレ点がついていた。だが、この8首は、『短歌人』(46年4月)からの転載だったので、すでに検閲済みで、1首が削除されての8首だった。二重のチェックを受けていることになるが、『あをば』1首には、「OK」の文字も見えて削除はされなかった。こんなことも起こり得るのかなと。そういうことで、プランゲ文庫の執筆者索引のありがたさや大事なことを痛感した。」
 発言では触れることができなかったのだが、史の作品の次の1首が「ナショナリズム」と「アンチ・デモクラシー」を理由に削除されている。史の『全歌集』には、収録されていない。
・この國の思想いく度變轉せしいづれも外より押されてのちに
 また、斎藤瀏のレ点のついたのはつぎの1首だった。
・皇國小さくなりたり小さけれど澄み徹りたる魂に輝け

 これまでも、私自身、旧著において、以下のようなテーマでGHQの検閲に言及してきたものの、断片的だったので、今回の中根さんの労作には、敬意を表してやまない。
①「占領期における言論統制~歌人は検閲をいかに受けとめたか」『短歌と天皇制』(風媒社 1988年10月)
②「被占領下における短歌の検閲」『現代短歌と天皇制』(風媒社 2001年2月)
③「占領軍による検閲の痕跡」『斎藤史―『朱天』から『うたのゆくへ』への時代』(一葉社 2019年1月)

 ①では、『短歌研究』1945年9月号の一部削除、『日本短歌』1945年9月号の発禁、斎藤茂吉歌集『つゆじも』、斎藤茂吉随筆集『文学直路』、原爆歌集『さんげ』などについて書いている。
 ②では、占領下の検閲についての先行研究に触れながら、検閲の対象、検閲の手続き、検閲を担当した日本人、検閲処分を受けた著者・編集者・出版社の対応について、今後の課題を提示した。とくに、桑原武夫「第二芸術論」が、彼の著作集の編集にあたっては復元することもなく、削除処分後の文章が載り、検閲についての注記もなかったことに象徴されるような潮流にも触れた。
 
③では、発言でも触れたことと、検閲を受けた歌人たちの対応について言及し、『占領期雑誌資料体系・文学編』(岩波書店 2010年)の第Ⅴ巻「短詩型文学」において、齋藤慎爾の解説「検閲に言及することは、自らの戦前、戦中の<戦争責任>の問題も絡んでくる。古傷が疼くことにあえて触れることもあるまい。時代の混乱を幸いとばかりに沈黙を決め込んだというのが実情ではないか」との指摘に共感したのだった。

山本武利先生の報告は次回で。(続く)

 

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2020年4月16日 (木)

京都の三月書房が閉店へ

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 物置のわきのつつじが咲き始めた。去年、植木の手入れをお願いしたシルバーの植木屋さんから、このつつじの土はだいぶ弱ってますよ、といわれて心配だったが、何とか花をつけ始めた

 

 京都の三月書房が閉店との報道に接して、やはり驚き、なんだかとてもさびしい。朝日新聞は「京都の名物書店、三月書房が閉店へ 吉本隆明さんら通う」(2020年2月17日)、京都新聞は京都の個性派書店「三月書房」年内に廃業 70歳店主、私が元気なうちに片付けたい」(2020年2月18日)と伝えた。1950年、先代が開業し、引き継いできたが、後継者もないことから、70歳を機に5月の連休明けをもって閉店するということだった。私は、三月書房の利用者でもなく、特別なご縁もなかったのだが、いつからか、私のこのブログに、三月書房から、飛んでくるアクセスが時折あることがわかって、たどってみると、三月書房のHPに以下の情報が載っていたのである。歌人たちのHPやブログが数多い中で、リストに加えてくださっていたのである。

 いつかお礼をと思っていたのだが、2016年、年末の京都行きの際、家族との会食の前に、お店を訪ねることができた。連れ合いと娘を外に待たせて、そっと入ってみた。出てこられた女性は用件を聞いて「今主人は出ていますが、すぐ戻ります」との話が終わるか終わらない先に自転車で戻られたのが、店主の宍戸立夫さんだった。お礼を申し上げたあと、棚を見れば、短歌関係の本にも力を入れていることは、よくわかるのだった。宍戸さんは「短歌の本は売れませんね、歌集などは歌人同士の贈答が多いので・・・」とも話されていた。

 閉店となると、せっかくリンクしていただいた私のブログであるが、アクセスが途絶えてしまうのかな、と思うと残念でもある。

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2016年12月撮影。昔ながらの街の本屋さんというたたずまいながら、その品ぞろえに特徴がある。短歌関係の本もなるほどと思う。私の住む町の駅前ビル内の文教堂が撤退した後、宮脇書店が入ったが、続いてくれるだろうか。いつも閑散としている。少し離れたイオンタウン内の未来屋書店には、閲覧席もあり、隣のカフェのコーヒーを持ち込んでもいいらしいが、どうも本が探しづらい。奥の方の閲覧席は、いつも受験生らしき人たちが陣取っている。いずれの本屋さんにも、俳句・短歌コーナーはあるが、ほとんどが俳句の本で、夏井いつき本が頑張って?いる。

 

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2020年3月 6日 (金)

『斎藤史『朱天』から『うたのゆくへ』への時代』の書評が増えました。(付書評一覧)

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我が家の水仙が咲き始めました。

 拙著『斎藤史『朱天』から『うたのゆくへ』の時代』は、2018年12月28日に刷り上がり、2019年1月9日が発行日でした。“歌壇”でとりあげられることはあまり多くなかったのですが、『短歌往来』では、小石さんが「2018年のベスト歌集・歌書」として、糸川さんが「2019年のベスト歌集・歌書」として紹介、江田さんは同誌の「評論月評」で2回にわたり批評されました。また、斎藤史についての著書を持つ寺島さんからは、二誌において、丁寧な批評をいただきました。また、斎藤史は、父斉藤瀏と創刊した『短歌人』を離れて『原型』を創刊するのだが、その『短歌人』同人の斎藤寛さんからも書評をいただきました。『図書新聞』では、数年前に小論争らしきものをした吉川さんが書かれているのでびっくりしました。今年になって、二方の書評が発表されました。皆さんには、資料部分も多い拙著を丁寧に読んでいただき、紹介や書評をしてくださいました。あらためて深くお礼申し上げます。

・5月18日、「斎藤史」について報告することになりました。付・書評・紹介一覧〈2019年4月26日〉

 http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/04/post-d89e33.html

 なお、昨年、上記の記事にも、書評リストを付記しましたが、あらためて、以下、最近のものを含め再掲します。

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・会澤清:紹介『斎藤史『朱天』』から『うたのゆくへ』の時代』  (ちきゅう座   2019年1月14日)

・紹介『斎藤史『朱天』から『うたのゆくへ』の時代』 (日本古書通信1075号 2019年2月)

・江田浩司:評論月評第6・7回 (『斎藤史『朱天』』から『うたのゆくへ』の時代』に触れて) (短歌往来   2019年3月・4月)

・小石雅夫:50人に聞く2018年のベスト歌集・歌書(3冊内の一冊として) (短歌往来 2019年3月)

・今井正和:歌壇時評29   (くれない 2019年2月)

・吉川宏志:書評・言葉によって自己の人生を染め替えようとする意識~なぜ歌人・斎藤史は言葉を変えたのか           

   (図書新聞 2019年4月6日)*  末尾に掲載の「一葉社」のホームページからもご覧になれます。

・田中綾:書棚から歌を (北海道新聞 2019年4月28日)*三浦綾子記念文学館田中綾館長特設サイト「綾歌」からもご覧になれます。  https://www.aya-kancho-hk.jp/?page_id=32

・寺島博子:書評・ゆるぎない視座 (現代短歌新聞 2019年5月5日)*

・斎藤寛:書評・「私」語りの再審(うた新聞 2019年7月10日)

・阿木津英:紹介「上半期の三冊」(3冊内の一冊として)(図書新聞 2019年7月10日)*

・寺島博子:書評・深淵に望む眼差し(歌壇 2019年8月)

・(八):新刊紹介・斎藤史『朱天』から『うたのゆくへ』の時代(女性展望 2019年11-12号 701号 2019年11月)

・篠弘:「私が選んだ今年の歌集」(2019年発行歌集・歌書7冊内の一冊として)(毎日新聞 2019年12月23日)*

・糸川雅子:「2019年のベスト歌集・歌書」紹介(2冊内の一冊として)(短歌往来 2020年3月)*

・小林美恵子:書評・斎藤史『朱天』から『うたのゆくへ』の時代(社会文学 51号 2020年3月)

 

上記、*を付したものは、出版元「一葉社」の下記のホームページでご覧になれます。

 https://ichiyosha.jimdo.com/齋藤史-朱天-から-うたのゆくへ-の時代/

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2020年1月 5日 (日)

短歌雑誌の行方と保存

  私が会員となっている短歌雑誌『ポトナム』1月号に「歌壇時評」を書きました。いつも同じようなことを言っているような気がするけれど、最近の短歌雑誌・出版事情にも触れました。

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  最近の短歌総合雑誌や新聞は、若干様変わりしたのかもしれない。しかし、どれを開いても同じような顔ぶれの歌人たちが並んでいる。各誌でさまざまな特集が組まれても、「人気」歌人というか「有名」歌人たちが入れ替わり立ち替わり登場し、既視感満載で、興味をそがれてしまうことが多い。たしかに、この数年間で、雑誌の表紙や編集(発行)人が変わった。知る限りでも、『短歌研究』が堀山和子から国兼秀二へ、『現代短歌』が道具武志から真野少へ、『短歌往来』が及川隆彦から佐佐木頼綱になった。オーナーや編集人が歌人で、結社人であることもある。それが、メリットになるのかデメリットになるのか、私などにはよくわからない。『現代短歌』は二〇二〇年一月から隔月刊で、週刊誌大になるという。かつての『短歌朝日』(一九九七~二〇〇三年)を想起するが、「批評」を重視するという方針を掲げている。バランスや中立を標榜し、総花的にならないように期待したい。

 こうした雑誌のバックナンバーの保管や整理には、私も困っていて、とりあえず、必要な個所はコピーするが、関心のある特集があれば、雑誌そのものを保存するが、古本屋では二束三文なので、結局、古紙回収に出したりする。断捨離や年金生活者としての不安もあり、購読誌を減らしたり、中断したり、交代したりしている。

 そうはいっても、一九四五年前後からさかのぼって、作品や記事が必要になったときには苦労する。短歌雑誌をそろえて所蔵する図書館は少ない。それでも、国立国会図書館や日本現代詩歌文学館などの資料をずいぶんと利用してきた。立命館大学の白楊荘(小泉苳三)文庫の所蔵がわかっていても、外部からの利用は難しい。上記の図書館や文学館が所蔵していたとしても欠号が多い。結社誌・同人誌となると尚更である。それでも、二〇〇〇年までの主な所蔵雑誌と著作権が切れた図書の国立国会図書館のデジタル化によるデータベースはありがたかった。その対象がまだ限定的であり、欠号も手つかずなので、別の方法で補うことになる。Cinii (サイニー、国立情報学研究所)検索により思わぬ文献に出会うこともある。

 現在『短歌』『短歌研究』では、各年鑑で自誌の年間目次と歌集歌書総覧を掲載する。『短歌研究年鑑』では、結社誌・同人誌のアンケートによる文献リスト「研究評論 今年の収穫」が掲載されるが、書誌的な不備も多く、網羅性がない。短歌雑誌の編集部にはかなりの雑誌や歌集・歌書が届いているはずなので、後世のために、できる限り網羅的な書誌的なデータだけでも作成し、提供してほしい。

 一方、出版不況をよそに、歌集・歌書の自費出版は、盛んなようで、私のところにもわずかながら届く。歌集は、大方、美しい装丁の、余白の多い本である。作品本位で考えるならば、歌がぎっしり詰まった文庫本でも十分だと思っている。これまで文庫版の歌集といえば、再刊や選集がほとんどだが、新しい歌集も気軽に出版できるようになれば、入手もしやすく、著者・読者双方に好都合である。

 本誌『ポトナム』の昨年一一月の歌壇時評(松尾唯花)の指摘にもあるように、現状のままだと、歌集出版は、若い人たちにとっては、覚悟を要し、経費のかかる大事業なっている。いや高齢者とても同様である。このような歌集出版の在り方は、考え直されてもよいのではないか。自費出版とその贈答が繰り返され、たださえ閉鎖的といわれる短歌の世界は、ますます狭まっていくにちがいない。欲しい人が欲しいときに入手できる電子版やオンデマンドという方法もあるが、いま、どれほど浸透し、利用されているのだろうか。(『ポトナム』2020年1月、所収)

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2019年12月 1日 (日)

<歌壇>における「賞」の在り方~「ショウほど素敵な商売はない」?

  一九五〇年代に「ショウほど素敵な商売はない」という、マリリン・モンロー出演のアメリカのミュージカル映画があったらしい。見る機会もないままいまに至っているが~。

  これまで私は、国の褒賞制度や栄典制度が、本来の学術・文芸の振興にどれほど寄与しているのかについて書こうとすれば、どうしても批判的にならざるを得なかった。その褒賞や栄典にあずかる者をだれが選ぶのかの視点でたどっていくと、恣意性や政治性が色濃いものであることがわかってきたからである。国際的なノーベル賞やアカデミー賞、ミシュランにいたるまで、さらに、たとえば日本レコード大賞はどうなのかといえば、詳しいことはわからないが、その主催の民間団体や業界団体における選出方法にもかなり問題があることも伝わってくるではないか。自分に縁がないこともあって、「賞」なるものに懐疑的にならざるを得ない。苦々しくは思うものの「どうでもいいでショウ(賞)」くらいの気持ちであった。

  しかし、長年、短歌にかかわってきた者として、短歌の世界、いわゆる「歌壇」でのさまざまな「賞」についても、いろいろ考えさせられることが多くなった。これまでも、拙著やこのブログでも触れてきたことではあるが、現状を確認しておきたいと思う。歌壇の賞のデータとして、一つの賞を編年体で見るのには、光森裕樹による「短歌賞の記録」(tankafulnet)(http://tankaful.net/awards に詳しく、便利でありがたい。横断的に見るには『短歌研究年鑑』の「短歌関連各賞が受賞者一覧」である。もちろん網羅的ではないが、主として短歌雑誌が主催する賞は、応募型のいわば新人発掘のための賞a型、中堅・大家を対象とする賞b型とに分けることができる。
 これらの受賞者や受賞作品の紹介や評論は、各誌の歌壇時評などで、その栄誉と称賛を後追いするものが圧倒的に多く、発信・拡散が繰り返される。近年、私は、受賞者や受賞作品への関心もさることながら、選考委員の傾向や重複が気になっている。こうした短歌賞が、雑誌の営業政策の一環であることは当然なのだが、それにしても、選考委員の重複にはあらためて驚かされるのであった。 
 たとえば、直近の一年間をみても、四つ以上の賞の選考委員を兼ねているのは、以下の7人であり、三つの賞の委員を務める高野公彦、大島史洋、小島ゆかりがそれに続く。

馬場あき子(1928生。芸術院会員、朝日新聞選者)b短歌研究賞、迢空賞、現代短歌新人賞(さいたま市)小野市詩歌文学賞

佐佐木幸綱(1938。芸術院会員、東京新聞選者、朝日新聞選者)a現代短歌評論賞、b短歌研究賞、迢空賞、現代短歌大賞、若山牧水賞(宮崎県)前川佐美雄賞

三枝昻之(1944。歌会始選者、日本歌人クラブ会長、日本経済新聞選者)a現代短歌評論賞、歌壇賞、b日本歌人クラブ賞・大賞・新人賞・評論賞、斎藤茂吉短歌文学賞、前川佐美雄賞

伊藤一彦(1943。毎日新聞選者)a角川短歌賞、筑紫歌壇賞、b現代短歌大賞、若山牧水賞(宮崎県)

永田和宏(1947。歌会始選者、朝日新聞選者)a角川短歌賞、b短歌研究賞、斎藤茂吉短歌文学賞、小野市詩歌文学賞、佐藤佐太郎短歌賞

小池光(1947。読売新聞選者)a      角川短歌賞、b短歌研究賞、斎藤茂吉短歌文学賞、現代短歌新人賞(さいたま市)

栗木京子(1954。読売新聞選者)a短歌研究新人賞、b現代短歌大賞、現代歌人協会賞、若山牧水賞(宮崎県)現代短歌新人賞(さいたま市)

 ということは、各賞の性格や特色が薄れていることを示していよう。ダブル受賞やトリプル受賞も決して珍しくなくなってきた。選考委員が複数の賞を掛け持ちしていれば、そんなことも起こり得るだろうし、話題性のある、横並びの「無難なところでショウ」にもなりかねないのではないか。たとえば、2018年の佐藤モニカ『夏の領域』の現代歌人協会賞と日本歌人クラブ新人賞、三枝浩樹『時禱集』の迢空賞と若山牧水賞であり、2019年では、春日真木子『何の扉か』の現代短歌大賞と斎藤茂吉短歌賞、小島ゆかり『六六魚』の詩歌文学館賞と前川佐美雄賞などに見られる。受賞者にはかかわりないことなのだが。

 また、いわゆるa 型に属する、短歌研究新人賞の選考委員、栗木京子・米川千嘉子・加藤治郎・穂村弘の4人は2009年から務め、角川短歌賞の伊藤一彦・永田和宏・小池光・東直子は2017年から変わっておらず、歌壇賞の選考委員も若干の入れ替わりはあるものの2015年から東直子、水原紫苑、吉川宏志の3人が続けて務めている。歌壇賞は、一時女性の選考委員が多いこともあって、女性の応募者が男性の倍以上になった時代もあったが、現在はその差が縮まっりつつあるし、短歌研究新人賞は、1990年代後半から今世紀初頭にかけて、女性が50%台から上昇し始め、60%を超えたこともあったが、現在は、50%前後を推移しているという傾向も興味深い。たしかに、選考委員選びにおいても、受賞者選考にしても、その賞、雑誌の性格や特色を出そうとしていることはうかがわれないこともないのだが、結果的には、なかなか効を奏することがないのではないか。

 しかし、いずれにしても、こうした選考委員の重複、固定化は、a型の新人に対しては、委員受け狙いも生じようし、b型においては、どこか委員同士の互酬性のきらいも否定できない。さらに、選考委員になることにより、歌集が爆発的に売れるということはないにしても、講演会や短歌教室の講師のオファーは、確実に増えるのではないか。 
 また、上記に登場する斎藤茂吉短歌賞、若山牧水賞、前川佐美雄賞、佐藤佐太郎短歌賞など過去の著名歌人の名を冠した賞も数多いが、遺族や後継者との関係はどうなっているのだろうかとか、その歌人の業績にふさわしい選考がなされているのかなどという疑問もわいてくる。

 そんな中で、『短歌研究』が「塚本邦雄賞」(坂井修一、水原紫苑、穂村弘、北村薫)を、『現代短歌』は、雑誌自体のリニューアルとともに「ブックレビュー賞」(加藤英彦、内山晶太、江戸雪、染野太郎)を新設するという。後者の選考委員となる加藤英彦は「短歌月評・ふたつの賞の創設」(『毎日新聞』2019年11月25日)において、期待と意気込み語っている。前者の選考委員にも新鮮さがないし、後者の委員たちに若さはあるかもしれないが、その鑑賞眼と評者としての知見が問われるだろう。

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