2018年9月30日 (日)

校正の合間に~満身創痍の1949年の『短歌研究』前後

いま、新著の校正に奮闘中なのだが、確認のため敗戦直後の古い『短歌研究』『日本短歌』のコピーを引きずり出している。1949年分の『短歌研究』の原本だけは手元にあるので、助かっている。必要個所だけのコピーではなく、一冊丸ごと読めるはありがたい。しかし、不急不要な文章や作品に引き込まれることもしばしばなのだ。もっとも、国立国会図書館に行けば、デジタル資料で頁を繰ることはできるのだけれど、臨場感が違う?と思うのは、昔の図書館員の感傷か。

亡兄の職場の廃棄本にしていまここに在り役立ちており

仙花紙の雑誌はらはら崩れ落ちパソコンのキイボードをよごす

冷めやらぬ「第二芸術論争」読み差して雑誌の補修に手を初めにけり

 

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『短歌研究』1949年1月号、裏表紙が欠けている。満身創痍。亡き次兄が、初めての赴任先の都下の中学校で、図書館の先生が廃棄するのを頂戴してきたもの。1950年代後半だろうか。最終頁に蔵書印らしきものが見える。

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『短歌研究』1949年9月号。巻頭論文は、伊藤信吉「現代史における<美>意識」、土岐善麿、松村英一、柴生田稔が編輯部が選んだ坪野哲久、近藤芳美、山本友一、香川進の最近作5首を評する「作品合評」がきびしい。11・12合併号では、坪野・近藤・山本が7月号の土岐・松村・柴生田の作品を評して切り返すという企画が面白い。


ついでに、

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ゴミ類の整理に勝手口を出ると、キンモクセイすでに花をつけ始めていた

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庭のキンモクセイの下には、いまだ、主亡き犬小屋がそのままになっている。この間まで、辺りはヤマボウシの赤い実がいっぱい落ちていた。この犬小屋には、なつかしい思い出がある。連れ合いが、後から我が家にやってきた犬のため、玄関先で、二つ目の犬小屋を組み立てているのを、二匹はじっと見守っていた。そして、さあ、完成と、連れ合いが立ち上がったとたん、その新しい小屋に、前からの姉犬が、さっと入り込んで占拠した。あっけにとられてしまうという顛末があった。姉犬が新しい小屋を使い、妹犬は、相変わらず玄関先で過ごしていた。

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2018年9月 3日 (月)

「サザエさん」に見る敗戦直後のくすり事情(2)

 

 手元の「サザエさん」の八巻分の後半をたどりたい。

第五巻19508月刊。第1頁から、チリンチリンと鐘を鳴らす納豆屋さんから買うのが、110円のわらづとの納豆だ。2頁目が、郵便屋さんが「年賀はがき」を売りに来る。1949121日、お年玉付き年賀はがきが売り出されている。ちなみに1円の寄付づきの年賀はがきが3円、普通の葉書が2円なので、寄付の割合が3分の1というのも、今では考えられないが、はがき代の5倍が納豆1本という時代だったのだ。

 タラちゃんのノドの具合が悪いらしく、ルゴール液を綿棒の先の脱脂綿につけている場面もあったが、一般家庭でもされていたことだったのだろう。私は、水銀体温計で、かっちり5分間かけて計るという場面が興味深かった。いまでこそ、額に触れもしない電子体温計でたちどころに計測されるが、かつては、1分計、3分計、5分計、7分計などというのがあった。そのメーカーも、仁丹(森下仁丹⇒1974年デルモ)、マツダ(マツダランプ⇒武田薬品)、柏木というのがあり、平たいのと三角形の棒状のものがあったはずだ。私も、たしかに、「何分計にしますか」などと売っていた覚えがある。父は、どういうわけか、お客さんには、必ず「1分計や3分計でも、10分は計らないと、正確には出ませんよ」と、念を押すのが常だった。少々高額な体温計を買ったお客さんにしては何となく腑に落ちなかったのではないか。

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第5巻、水銀体温計は、計り終わって、水銀を下げるときに、手首を何度も振って、近くの何かにぶつけて壊してしまうということが一度ならずあった。ころころと玉になって転がる水銀を息をつめて?集めたことが思い出される。テルモが家庭用電子体温計を発売したのが1983年という

第六巻:1951年2月刊。サザエは、大阪のマスオの父親の法事に二人で出かける。大阪までの東海道線の列車内の光景や親戚との出会いや大阪、京都観光もなかなか面白い。まだ、回虫の寄生率は高かったらしく、「怖い話」として登場している
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 また、なんと「サンマータイム」が題材となって何度か登場しているのも興味深い。現在、安倍首相やJOCが、2年後のオリンピックの猛暑が不安になったのか、思いつきのように「サマータイム」の検討を言い出した。ヨーロッパでは廃止や廃止の方向にあるなか、何をいまさらと思う。GHQの指導で、19484月「夏時刻法」公布、52日から911日まで実施、以降、51年の夏まで実施され、1952年、独立を機に廃止した。実施中は、混乱も多く、残業の増加、寝不足など、すこぶる評判が悪かった。日本列島の日の出・日の入りの時間差や夏の湿気の多さは、夜になっても変わらないことから、サマータイムは不向きとされているし、第一、付随する機器の切り替え費用が半端ではないらしい。

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第六巻、何度目かのサマータイムに関わらず、混乱している様子が分かる。一家に時計なるものが、一つしかない時代であった。現在、家の中の時計をサマータイムに合わせろと言ったら大変ことになるはずだ

第七巻19518月刊。この巻あたりから、「朝日新聞」の夕刊での連載を経て、1951年4月16日から「朝日新聞」の朝刊での連載分だろうか。
 2018年の猛暑は、当方の加齢もあってか、きびしいものだった。アセモこそできなかったが、冷房をかなりの時間かけていたし、少し動くとどっと汗が出て下着を替えたりした。「サザエさん」で、涼をとると言えば、うちわ・扇子か扇風機であった。また、ワカメが泣いておねだりするのを、母親に「アセモできますよ」と言われて、鏡台の前で、しきりに「天花粉」をパタパタとパフではたく場面があった。そういえば、シッカロール(和光堂)、あせ知らず(徳田商店)は、銭湯に持参する人もいて、よく売れた。丸い缶入り、ボール紙の容器もあった。大人も子どもも、赤ちゃんもアセモをよくつくっていたような気がする。

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第7巻、こんな鏡台もなつかしい

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箱に入った布袋の「あせ知らず」は、粉が飛び散らず、携帯用にもなっていた

 一方、物価は上昇を続け、サザエは編み物の内職までするようになる。ご近所には喜ばれていた様子もうかがえる。当時は、つぎあて、染め直し、洗い張り、仕立て直しなどは、主婦の日常の仕事だった。わが家でも、母は、みやこ染めを使って、大きな鍋で染め直しをやっていたのを思い出すし、近くで洋裁をしている方に、何かとお願いしているようだった。
 なお、相変わらず、衛生状態は悪く、1948年と50年には、蚊を媒体とする日本脳炎の大流行があって、1950年、患者は約5000人に達したが、54年からは法定伝染病に指定され、予防ワクチン接種が勧められるようになって、いまでは発症はまれである。脳炎ではないけれど、私には、ご近所の同学年の男子Yちゃんが狂犬病で亡くなったという出来事があった。狂犬病は、戦時下の1944年から流行し始め、1947年伝染予防法で患者届け出制ができ、1950年に狂犬病予防法が成立している。Yちゃんは、映画大好きで、夏の夕涼みの折など、「鞍馬天狗」の話や嵐寛寿郎の真似が得意で、みなを和ませていた。狂犬病にやられ、10日ほどで亡くなってしまったのだ。我が家で20年以上前から犬を飼うようになって、毎年4月の予防注射の時期になると、Yちゃんのことを思い出しては悔やまれるのだったが、いまはその二匹も亡くなって数年経ち、予防注射とも縁が無くなってしまった。

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第7巻、ちょうど続き頁でこんな2本があった。ワカメならずとも、ピー・ティーエー、ビーシージーもD・D・Tの略語は分りにくかったはずだ。保健所からの強制散布が日常的だったことが分かる一コマだ

第八巻1952年1月刊。サザエの父親が、庭に花の種を蒔いたつもりが、「仁丹」とわかる一コマは、微笑ましい。第三巻には、ワカメが、ご近所からサツマイモ1本をもらったと、息せき切って、庭いじりをしていた父親に届けると、なんとダリヤの球根だったという一本もあったことと比べると、暮らしにもややゆとりが感じられるようになったことが分かる。さらに、父親は、サザエに婦人雑誌の新年号を土産に買ってきて喜ばれるが、サザエが寝入ると、そっと「抜け毛を防ぐ方法」という記事を見ながら、鏡台の前で試している1本もあり、そんな余裕も若干感じられるのだった。

 

 

 

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2018年9月 2日 (日)

「サザエさん」に見る敗戦直後のくすり事情(1)

いま私の手元には姉妹社発行の長谷川町子『サザエさん』が第一~八巻まである。19491952年に発行されていたものである。たぶん、中学生だった次兄か私が、購入したものではないかと思う。当時、次兄は、私のことを「サザエさんやワカメみたいだ、まるでオッチョコチョイなんだから・・・」なんていわれていたことを思い出すからだ。

現在、『朝日新聞』では「サザエさんをさがして」というシリーズで、サザエさんの4コマ漫画一本を選んで、その背景を探るもので、サザエさんで見る194574年の歴史と言っていいのかもしれない。

手元の八巻分のサザエさんは、当ブログでの「73年の意味」シリーズの本篇・番外篇の時代と重なるので、続きのような内容になるかもしれない。巻数を追って、上シリーズと重なり合うテーマを中心に、たどってみたい。

第一巻19502月刊。「はしがき」も「あとがき」もない。第1頁は、母親が、両脇にかしこまるワカメとカツオを紹介、呼ばれたサザエが、湯気の上っている蒸しパンのようなものを頬張って登場、「どうもあんなふうでこまります」と母親のセリフで終わる。これが、サザエさん1号の4コマ。なお、第四巻の巻頭には、「サザエさんと私」という4頁にわたって、漫画付きの文章が載っている。サザエさん誕生のこと、疎開先の福岡の新聞「夕刊フクニチ」に連載を始めたこと(1946422日)、東京に引っ越し、姉が出版社の姉妹社を起したことなどの経緯が綴られている。

第一巻での薬の登場は何度かあるが、その一つ、寝床で「ゴホンゴホン」とやっている父親にたのまれたサザエが持ってきた「せきどめ」を服んで、「ピタッとやんだよ」と喜ぶ傍らで、薬瓶をよく見たサザエの「これはげざいグスリだ」にのけぞる父親。もう一つは、私が「熱さまし」としてよく服まされたのが、父の調合による粉薬を思い起こさせる。確か「フェナスチン」という薬が入っているので、よく効く、という話をしているのを覚えている。薬包紙を開いて、三角になったところで、薬を口にすべり落として、水と一緒に一気にのみこむ。後はひたすら布団をかぶって汗をかくまで我慢する。直りかけると、母親は、大事にしていたみかんの缶詰を開けてくれたのは敗戦からだいぶ時が経てからだろう。その「フェナセチン」を、いま調べると、長期服用の副作用は、前から指摘されていたようで、2003年には「日本薬局方」から外されていた。かなりアブナイ?薬を服まされていたことになる。

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第一巻の表紙。最初の書籍化は、横長の装丁だったらしい


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第1巻。やや不鮮明だが、4コマ目の父親の手元には薬瓶と薬袋、右手には今、服まんとして薬包紙を持っているのに、バケツの水を運んできたサザエさんだ

第二巻19502月刊。東京への引っ越しの際の疎開地の人々との別れ、東京の住まいのご近所との出会いが描かれ、はんぺん、果物などの配給の場面と物価の実情も分かる場面も面白い。タクアン百目5円50銭、ガラス一枚80円、シャケ一切れ8円などと。サザエは「新円かせぎ」に友人の働いている出版社ハロー社に勤め始め、これまでにない経験をする。婦人警官に<密着取材>した折の、発疹チフス予防注射の場面で、思い出す。発疹チフスが大流行したのは1946年、3300人以上の死者を出したという。シラミやダニ駆除のため、殺虫剤として、GHQが持ち込んだDDTが大量にあちこちで散布されたという。私は、夏に疎開地から池袋に帰ってきているが、学校で頭から散布されたという記憶がない。戦時下は、マラリヤ予防には威力を発揮したという。日本での製造は、1949年に「味の素」が製造開始したとある。BHCという殺虫剤もあった。私の記憶では、ボール紙の平たい丸い容器に入ったコナのDDTを、箱の上部をぺこぺこ押して、小さな穴から噴霧していたこともある。ボール紙の筒状の容器から、畳のヘリなどに落とし、大掃除で畳を上げたときは、新聞紙の上に、やたら撒いたこともある。日本では、環境ホルモンへの影響や発がん性のため1971年には販売禁止された。

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第2巻。筒状の容器にいれて、後ろから押し出して噴霧させていた液体の殺虫剤もあった。金属製の「噴霧器は別売りです」とお客さんに言ったのを覚えている。エアゾール式は、1952年のキンチョール、1953年のアースまで待たねばならない


第三巻19502月刊。サザエはフグ田マスオと結婚して、タラも生まれる。当初実家を離れていたが、すぐに、両親たちの家に引っ越し、同居する。NHKのど自慢が人気だったらしいが、私には、あまり記憶がない。忙しい予選申し込みができないので、係に電話して、サザエが電話口に唄っているのは「啼くな小鳩よ」であった。学生がアルバイトで、南京豆ふた袋15円、ノート2冊で30円で売ってたり、米一升一40円の夢を見たりする。

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第三巻の冒頭、サザエよりの挨拶の「ことば」が載り、結婚・出産の報告がなされている

第四巻19496月刊。巻頭には前述の「サザエさんと私」を掲載、出版社勤めはどうなったのか不明だが、洋裁の仕立ての内職を始めたりする。取引高税が出て来るので1948年発表の作品か。相変わらず、もち米、魚などの配給、停電の場面などが何度か登場する。

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第4巻。4コマ目になんと吸入器が登場する。サザエさんの家にもあったんだ。たしかに、我が家にもあったし、売ってもいた。これはアルコールらんぷで、水を温めて、その蒸気を吸入する装置。メーカーなどは覚えていないのだが、どこか仰々しい箱に入っていて、父や兄も、お客さんに説明するときは、実に慎重に扱っていた。一時期、私はのどの具合が悪いとき、と言っても40歳前後のころ、クリニックに行くと、水ではない薬剤の入った吸入をやらせられることがあった。最近ではあまり見かけなくなった光景だ

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こんな感じだったのかな。ネットから拝借した

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購入先から受け取った、使用済みの印紙が、各家庭のあちこちに置かれていたのだろう

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2017年9月23日 (土)

「ある少国民の告発~文化人と戦争」(1994年放送)を見て

 大先輩の知人、櫻本富雄さんから、ご自身が出演の、24年前に関西で放映された番組が、突然you tube に出現したので、とのお知らせをいただいた。早速拝見、やはり映像で、櫻本さんのインタビューに答える、横山隆一、山本和夫、丸木俊、住井すゑさんたち、ご本人の証言を聞いて衝撃を受けました。私が紹介するよりは、ぜひフィルムを見ていただきたいと思いました。you tubeでは、いくつかのカット場面があり、当時の放映のままではないとのことですが、ぜひ一度、ご覧ください。個人的に何人かの友人にBCCで、お知らせしたところ、24年前のTVはこんなこともできたのか、など、いくつかの感想が返ってきました。

 

「ある少国民の告発~文化人と戦争」(毎日放送 1994年制作) 

https://www.youtube.com/watch?v=8-dC55hmhbc

 

 戦時下の文化人の表現活動には、今では想像がつかない障害があったこと知ることも大事なのですが、そこで、意に添わない活動をしたことに、その後、本人がどう向き合ったかが、重要なのかと思います。さらに、その後、どのような活動をしていたのか、行動をしてきたのか、暮らしをしていたのか、その生涯をトータルで、見極めたいと思っています。そのためには、発言・著作・制作物などを、記録にとどめ、保存し、継承するという基礎作業が問われるのではないかと、思います。その上で、その後の時代、時代に、何を残し、どう行動したのかが問われるのだと思いました。 

 

 今回の番組では、愛国少年だった櫻本さん自身が、戦時下に「あったことをなかったことにしよう」とする敗戦後の時代の流れに抗して、個人で10万冊もの雑誌や図書を収集し、戦時下の文化人たちの言動を浮き彫りにした著作を発表し続けていること、家永三郎さんも、戦時下の反省から、敗戦後の教科書裁判に踏み切ったこと、などを語っています。

 

 翻って、現在の知識人、文化人と称される人々の発言や行動において、少なくとも、敗戦後の占領期が終わった段階では、「表現の自由」があったにもかかわらず、「陽のあたる場所」を求めてでしょうか、意外と、微妙な変転、変節をしていたり、繰り返したりする人たちも多くなっています。人間、心身の成長や加齢によって、考え方も、行動様式も、変ることはあるでしょう。その人をどこまで信用していいのか、その発言にどこまで責任を持つことが出来るのか、自身で説明責任が果たせるかが問われるのではないかと。これは自らにも返ってくる問いでもあります。さらに、目前の課題に翻弄されながらの発言や行動は、とかく、より根本的な課題を置き去りにする傾向が、とくに最近目立ってはいないか、とても不安です。

 

 

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2016年9月21日 (水)

[雑誌に見る占領期-福島鑄郎コレクションをひらく」展示会とシンポジウムに出かけました(2)

盛りだくさんだったシンポジウム、時間が足りなかったのでは!

シンポジウムは以下の通りだったが、どれも魅力的なテーマであったが、時間が足りなかったのでは。

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 記念シンポジウム日程:918() 午後13:0017:00

シンポジウム会場:3号館305号室

 司会:川崎賢子(日本映画大学)

 第一部:

①山本武利(早稲田大学名誉教授)「20世紀メディア研究所と占領期研究」

②ルイーズ・ヤング(ウィスコンシン大学)「新世紀における占領期再考」

 Rethinking Occupation History in the New Millennium

 通訳:鈴木貴宇(東邦大学)

③宗像和重(早稲田大学)「福島コレクションの由来」

 第二部:

④石川巧(立教大学) 「カストリ雑誌研究の現在」

⑤三谷薫(出版美術研究家)「占領期の少年少女雑誌:絵物語を中心に」

⑥土屋礼子(早稲田大学)「占領期の時局雑誌」

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 第一部の山本さんは、プランゲ文庫のデータベースの維持と有料による公開に至った理由について、縷々述べられていた。科研費による研究成果の活用が閉鎖的な学界の慣例を脱却して、公開して利用者に還元したいという思いが伝わってきた。
 
なお、会場には、福島鑄郎氏のご子息がいらしていて、写真の故福島氏の風貌そのままに、雑誌に囲まれた家族のエピソードや最近になって、お父様のやってこられた仕事が理解できるようになったことなどを話された。 

自国の研究者にも手厳しい「新世紀における占領期再考」

ルイーズ・ヤングさんの基調講演は、日本の占領期について研究史がテーマで、聞いているうちに、アメリカの研究者と日本の研究者の相違、そして変遷というものが、おぼろげながらわかってきたような気がした。日本における占領史研究については、竹前栄治「占領研究40年」(『現代法学』〈東京経済大学現代法学会〉8号 20051月)などで、おさらいをしていたつもりだったが、アメリカの研究者については、知日派、親日派と呼ばれながら、ライシャワーとジョン・ダワーでは、随分と違うんだな、くらいの関心しかなかったのが、正直なところであった。

アメリカ研究者による日本の占領期研究は、第二次世界大戦の戦中派であるライシャワーなどから始まり、アメリカによる占領の成功体験として語られ、冷戦下にあっては、リベラル知識人に繋がった。

1960年から数年間、続いた日米の研究者による、日本語による「箱根会議」に発展し、占領は、日本の近代化に大きく貢献し、「資本主義国における近代化と第三世界の発展モデルとしての日本」というのも、かなり偏向した結論で、日本人研究者の意見が傾聴された様子が見えにくかったという。私は、「箱根会議」のことは、耳にしたことはあったが、その実態はよく知らなかった。今回、アメリカの研究者のヤングさんよる、その手厳しい評価を、私ははじめて聞いた。

1970年に入ると、アメリカでもベトナム戦争へ反対運動とともに、アメリカの帝国主義的侵略に批判的な研究が高まり、新左翼的な史観による研究者たちは、占領が日本の自力による再生と社会的な改革を起こす可能性を抑制したものとして、アメリカ外交の身勝手さとアメリカの理想の実現という初期の信念を否定した、として「考え直すアジア研究者たちの学会」などの成果を示した。

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「考え直すアジア研究者たちの学会」の研究者による著作、Joe Moore,Japanese Workers and Struggle for  Power 1945-47(1983) Michael Schaller,The American Occupation of Japan(1985)など

ここで示された「New Left」(日本語のレジメでは「新左翼」との訳)の語は、日本でいう「新左翼」とはその意味するところが、若干異なるのではないかというのが素朴な疑問だった。

80年代から90年代にかけては、日米の研究者による共同研究、日本人研究者の著作の翻訳が活発化し、その研究対象は大衆文化、社会的な相互体験など多様化し、より精密な事例研究にも及ぶようになった、とする。

そうした研究動向の中で、プランゲ文庫の位置づけも大きく変容してきたことにも着目、興味深いものがあった。1950年、マッカーサーの直属のスタッフだったゴードン・プランゲが、アメリカに持ち帰った日本における占領軍による検閲資料群であった。その保管は、アメリカ議会図書館東洋部を経て、メリーランド大学に落ち着いたが、保存状態は決していいといえなかった。プランゲ自身も、当初は、軍事秘話的な関心で『ミッドウェーの奇跡』『我らが眠っていた夜明け』『トラトラトラ』などを刊行、講義もそれらが中心だったらしい。カタログ化は、遅れて1963年から着手されている。このコレクションの存在が日本に紹介され始めたのが、60年代末から70年代にかけてだったのだろう。80年代になると、まず日本で「検閲資料」への関心が高まり、研究も活発になり、それがアメリカに波及した。その研究対象は、政治や経済分野ばかりでなく、現在では、文学、大衆文化、地方紙、社会史などへの広がりを見せている。日本での紹介の嚆矢は、前掲『戦後雑誌発掘―焦土時代の精神』にも詳しいが、松浦総三『占領下の言論弾圧』(現代ジャーナリズム出版会 1969年)や慶応大学からの派遣職員の一人森園繁「アメリカ大学図書館での経験」(『Kulic219716月)らによるものだった。さらに、1980年代になって、江藤淳が『閉ざされた言語空間』と題して、雑誌『諸君』に19822月から19866月まで断続的に4回連載された。

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邦訳:1967年

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邦訳:1984年

なお、最後に、戦争の前後を貫く「貫戦期」のアジアを射程にした植民地、占領地の歴史研究の必要を強調された。

 さらに、アメリカにプランゲ文庫というアーカイブが存在するということは、戦勝国の戦利品であったということと、占領軍の検閲政策の産物であったという認識も必要であるとも話したのだが、会場からは、「プランゲ文庫のおかげで、占領期の出版物や検閲の実態が分かってきたのだから、そこまで断定できないのではないか。もし、日本に残していたら、おそらく焼却処分されて、闇に葬られたのではないか」との質問が出ていた。「発禁図書」の国立国会図書館への返却、戦争絵画の国立近代美術館への無償貸与という実績もある。プランゲ文庫が日本に返却されるという交渉はなり立たないのだろうかと、ふと頭をかすめるのだった。

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メリーランド大学プランゲ文庫入り口、写真はプランゲの肖像

私自身は、1970年代の初め、職場の労働組合主催の松浦氏の講演会(19731月)を聞いたりして、大いに刺激を受け、「占領期における言論統制―歌人は検閲をいかに受けとめたか」(『ポトナム』19739月、後『短歌と天皇制』風媒社 198810月に所収)を書き急いだことが思い出される。その当時は、ゴードン・プランゲ(GordonWPrange)という名前の読み方も、「プランジ」と表記されていて、私もそれに倣っていた。短歌の検閲はどうであったのか、かつての当事者は、当時、あまり語りたがらない状況の中、プランゲ文庫自体のマイクロも閲覧できない中、それまで、戦時下の言論弾圧の延長線上で収集していた敗戦直後の短歌雑誌や歌集、あるいは、少しづつ語り始めた編集者や歌人のエッセイ等から、断片的に、占領検閲の実態を探ったものである。その後、国立国会図書館憲政資料室でのマイクロや早稲田大学の「占領期雑誌目次データベース」のおかげで、関係コピーを入手することができた。占領軍の言論弾圧の方向性が明確になってきた。その後、若干の検証をしたものの、本格的な論考は先送りになっている。

 

占領期の「時局雑誌」は、現代の「週刊文春」や「週刊新潮」?

石川さんのカストリ雑誌についても、福島コレクションのそれを上回るほどの収集量らしいので、その発言には説得力がある。ともかく、福島コレクションのデータベース化を急いでほしいと力説されていた。三谷さんの話は、「絵物語」に対する情熱がビンビンと伝わってきたが、明治以降の「絵物語」にだいぶ時間を取られたので、占領期の少年少女の「絵物語」や紙芝居については、短時間となった。私にとっては、リアルタイムで体験している部分もあったので、もう少し詳しく知りたかった。

最後の土屋さんの「時局雑誌」の話も、自分のかすかな記憶とも重なり、雑誌『真相』の実態なども知り、興味深かった。また、「時局雑誌」の定義も難しいが、現代にあっては、暴露、内幕、スキャンダルなど『週刊文春』や『週刊新潮』が「時局雑誌」的な役割を果たしているのではないかとの仮説も、なるほどの思い、定刻を過ぎるのを忘れるほどだった。

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時局雑誌『真相』の特集<天皇は箒である>天皇の巡幸は、訪問先の各地をきれいに整備することになるので、「箒」と称したらしい。<天皇特集>と銘打てば、必ず売り上げが伸びたという時代

懇親会は失礼して、外に出ると、雨こそ降っていなかったが、あたりはすっかり暮れていた。

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2016年9月19日 (月)

「雑誌に見る占領期-福島鑄郎コレクションをひらく」展示会とシンポジウムに出かけました(1)

雨も心配された918日、表記の20世紀メディア研究会百回記念企画展とシンポジウムに出かけました。私は、この「20世紀メディア研究会」には、この数年の間に数回しか参加していないが100回を越えていたのである。

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これが大隈タワーでした

コレクションの多様さに驚く

展示会は、早稲田大学の大隈タワー125記念室(大隈タワー10F)で、シンポ当日は日曜でも開催ということで、会場はかなりのにぎわいであった。

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タワー入り口

福島コレクションのオーナーであった福島鑄郎氏(19362006)は、種々の職業を経たのち、1960年ころから警備員という仕事をしながら、その休日を利用して、私財をもって、敗戦直後の雑誌を収集、研究されたという在野の研究者である。私も、1965年、国立国会図書館で働くようになって、どこの図書館も所蔵しないような、敗戦直後に創刊、短期間で廃刊になったような雑誌の収集をされているということは、先輩から聞かされていたから、求めたのであろう。今、私の手元には、氏の編著になる『戦後雑誌発掘―焦土時代の精神』(日本エディタースクール出版部 1972831日発行)があり、オビには「毎日出版文化賞」と書かれ、日高六郎の「この本は、戦後日本の再出発の時の日本の知識人・民衆の思想と精神を知るためのこの上ない案内書である。・・・」というコメントが載っている。197741歳で退職、本格的な研究生活に入り、メリーランド大学のプランゲ文庫にも出かけ、多くの書誌や資料集、研究書をなした。2005年、『福島鑄郎所蔵占領期雑誌目録:19458月~19523月』(文生書院)を出版、2006年に逝去されている。その所蔵は、6000冊に及び、2007年には、早稲田大学に図書館に収蔵され、公開に向けての準備と整理が進められているという国立国会図書館も、プランゲ文庫も所蔵されていない雑誌の数々が日の目を見るのも近い。

プランゲ文庫を利用してみて

私自身、最近、主に歌人斎藤史と阿部静枝の戦前・戦中・戦後の著作を追跡しているが、プランゲ文庫からの収穫は大きかった。2011年までは、無料で文庫のデーターベースが検索でき、名寄せによるリストもプリントアウトできた。そこから国立国会図書館にコピーを依頼していたのである。今回の会場には、検索コーナーがあったので、早速検索してみると、その後の整理も進んでいたようで、新しい文献が発見できた。プランゲ文庫では、地方発行の雑誌や様々な業界雑誌なども対象になっているので、思いがけない活動や執筆を知ることができたのである。プランゲ文庫については、基調講演のルイーズ・ヤングさんの講演の時に触れたい。

これに福島コレクションが利用できるようになったら、さらに占領期研究は進むかもしれない。

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2015年6月29日 (月)

沖縄とジャーナリズム(2)シンポジウムご案内

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シンポジウム

「沖縄戦後70年:基地問題とジャーナリズム」が開催されます。私も参加している「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」が協賛団体になっています。近頃は、激励しようという気持ちもなえてしまうほど、報道の劣化が続いているNHKです。沖縄報道に携わるジャーナリストたちの生の声が聴けると思います。ぜひお立ち寄りください。
貴重なドキュメント映像も公開されます。

会場:7月12日(日)13時~16時半

場所:明治大学グローバルフロント棟グローバルホール(1F)

研究報告~自治接収・返還に揺れた共同体―読谷村の事例から 
   山内健治(明治大学)政経学部教授

パネル討論~辺野古から考える日本のジャーナリズム

   金平茂紀(TBSキャスター)
   影山あさ子(映画「圧殺の海」監督)
   宮城栄作(沖縄タイムス東京支社報道部長)
   司会:醍醐聰(東京大学名誉教授)

拡大チラシは下記をクリックしてください。
http://dmituko.cocolog-nifty.com/712sinpotirasi.pdf

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2013年12月28日 (土)

今年のクリスマス・プレゼントは・・・

 娘が家を離れた後も、しばらくは、親子や夫婦でのプレゼントはほそぼそ続いたが、まったくやりとりがなくなって、何年になるだろう。それに、三越からにするか、生活クラブのギフトがいいかなど迷っていたお歳暮も、近年は失礼するようになってしまった。

 そんな折、1225日の朝、宅急便で古書を発送したというメールが届いた。なんと、先日紙芝居のシンポで初めてお目にかかった櫻本富雄さんからだった。「いま、書庫を整理しているから、詩歌関係の古書を送りますよ」とはおっしゃっていたのだが、まさかこんなに早く贈っていただけるなんて・・・。翌日届いた段ボール箱を開けるときのワクワク感はたとえようもなかった。戦時下の著作物を徹底的に収集して、表現者の戦争責任、表現責任を問い続けて来られたコレクションのほんの一部ということになる。とくに太平洋戦争下のアンソロジーは、当時、奥付に発行部数が示され図書も多い。

 支那事変歌集 (斎藤茂吉・佐々木信綱選)読売新聞社編 三省堂 193812

 聖戦歌集 読売新聞社(清水弥太郎)編 194110月(初版193910月)

白衣勇士誠忠歌集・昭和萬葉集 由利貞三編 日本皇道歌会 19423

聖戦短歌選 日本放送協会編刊(ラジオ新書)19429月(4000部)  

大東亜戦争歌集・愛国編 柳田新太郎編 天理時報社 19432月(3000部)

 大東亜戦争傷痍軍人歌集御楯 佐佐木信綱・伊藤嘉夫編 千歳書房 19437月(初版19433 

 月)(3000部)

大東亜戦争歌集 日本文学報国会(代表久米正雄)編 協栄出版社 19439月(5000部)

 軍神頌 村崎凡人編 青磁社 194412(3000) 

これらの一部は、図書館などで閲覧したり、一部コピーをとったりした記憶がある。しかし、手許にある・ないでは大違いである。150頁ほどの新書版の上記『聖戦短歌選』は、初めて見た。全国の傷病将兵、傷痍軍人らから短歌を募集、川田順、松村英一、吉植庄亮、土屋文明の選による短歌の講評が放送され、その採録である。愛国百人一首の評釈書が数冊、下記のような俳句関係書も入っていた。秋櫻子編の俳句集は、『馬酔木』の19422月~19432月から収録していて、宮田重雄の装丁が眼を引く。

聖戦俳句集 水原編秋櫻子 石原求龍堂 19438月(5000部)

俳句年鑑 日本文学報国会編 桃蹊書房 19442月(3000部)

 俳句のすすめ 日本文学報国会編(文庫版) 三省堂19446月(10000部) 

 せっかく譲っていただいた貴重な古書、活かす手立てを考えねばならない。年末年始は、まず、これらを少しでも読み進めてみよう。

 暗いニュースばかり続く年末のすてきなクリスマス・プレゼントに感謝し

つつ、一歩踏み出すことができればと思う。

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2013年11月26日 (火)

書評・紹介ありがとうございました~随時更新しています

 8月15日刊行の拙著『天皇の短歌は何を語るのか』(お茶の水書房)について、以下のような書評と紹介をいただいております。丁寧にお読みいただき、お励ましとともに、きちっとしたご批判もいただきました。ありがとうございます。私の知る限りですので、もし、お心当たりがあればご連絡いただけるとうれしいです。

 私信ながら、取材にお忙しいT様、ロンドンにお住いのW様、日本とシドニーのお住まいを行き来されている作家のK様、武漢の大学へ出講中のK様・・・、歌人や歌人でない方々の国際的な視点からの批評もいただきました。歌壇批判で、歌壇を慌てさせた金井美恵子様からは、早速紹介・引用してくださった新刊の著書2冊をお送りいただき、驚いております。多くの方のおたよりに胸を熱くすることもたびたびありました。ありがとうございました。

 以下のリストは随時更新しております。

 なお、近く「現代批評講座~著者が語る新刊の集い」による批評会が開催されることになりました。その様子も、また、お知らせできればと思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

書評:

・(◇):ブックガイド~    出版ニュース 201310月下旬号

・田中綾:

  書棚から歌を~名誉欲失せはてたりすずやかに人は詠へど欲もよろしき

(竹山広)          北海道新聞  20131020

   *田中綾『書棚から歌を』(深夜叢書社 2015年6月)に再録されました

・持田鋼一郎:浪々残夢録18・近代史資料としての天皇の短歌

                 短歌往来   201310

・大野道夫:短歌時評・さまざまな歌人たち 

                 短歌研究   201311

・田中綾:昭和天皇の短歌を検証し 時代と切り結ぶ警鐘の一書 

                 図書新聞   2013119

・小谷野敦:第二部の「勲章が欲しい歌人たち」本書の白眉 

                 週刊読書人  20131122日                

・田村広志:天皇制とメンタリティ 短歌往来   201312

・福島久男:ひたむきな姿勢    現代短歌   201312月

・ 赤司喜美子: 『天皇の短歌は何を語るのか』を読む

                                    短詩形文学   2013年12月

・  八木博子: 天皇の短歌―政治的メッセージを探る

                          女性展望    2013年11・12月

・ 今井正和: 歴史との相克の中で   うた新聞     2014年2月

・ 渡辺澄子: 『天皇のの短歌は何を語るのか』を読む 

                          ポトナム     2014年3月

・ 黒古一夫: 武漢で「天皇制」を考える

                          ポトナム     2014年3月

・ 藤木直美: 書評『天皇の短歌は何を語るのか』

                      社会文学2014(40号) 2014年7月31日

・ 間島由美子:(会員著作文庫)『天皇の短歌は何を語るのか』

                      国立国会図書館OB会会報56号

                                    2015年3月1日

・それでも大丈夫 (みなとかおるのブログ)2013816

http://ameblo.jp/minatokaoru/entry-11593740489.html

・銀河最終便(風間祥のブログ)20131024

http://sho.jugem.cc/?eid=4806

三上治: 天皇、および天皇制の所在~『天皇の短歌は何を語るのか』書評
 ちきゅう座スタディ・ルーム 2013年12月2日
 http://chikyuza.net/n/archives/40848

・それでも大丈夫(みなとかおるのブログ)2013年12月2日   http://ameblo.jp/minatokaoru/entry-11716328121.html

紹介:

・金井美恵子:様々な意匠、あるいは男たち/様々な意匠、男たち、少女たち①  目白雑録5小さいもの、大きいもの』(朝日新聞出版)2013年9月30日

・金井美恵子:たとへば〈君〉、あるいは、告白、だから・・・『金井美恵子エッセイコレクション3小説を読む、ことばを書く』(平凡社)2013年10月25日             

・(◇):紹介          梧葉       20131025

・田中要:受贈書から・天皇の短歌は何を語るのか

                 日本海173号    20139
・2013年下半期読書アンケート(阿木津英回答)

                 図書新聞     2013年12月21日

・松村由利子:時評        かりん      2014年3月

・櫛田立身:ブックエンド・天皇の短歌は何を語るのか 

                 象        2014年夏(97号)

・竹の子日記(鈴木竹志のブログ)          2013815

http://takenokonikki520.blog77.fc2.com/blog-date-201308.html

・日刊ベリタ「核を詠う」(山崎芳彦2013818

www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201308181309400 

・むらき数子の情報ふぁいる530「新刊案内」2013829

http://www.geocities.jp/muraki_file/Column/books.html

・立教大学関係者の著作紹介(広報課)(20138月分)

http://www.rikkyo.ac.jp/aboutus/profile/data/books/

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2013年6月 3日 (月)

ジャーナリストだった歌人たち~石黒清介氏を悼む

(以下は『ポトナム』5月号の「歌壇時評」です)
 
一月二七日、石黒清介氏が亡くなられた。一九一六年、新潟県出身、九六歳。一九五三年に短歌新聞社を興し、『短歌新聞』を創刊、一九七七年には『短歌現代』を創刊し、多くの歌人を見出し、多くの短歌ジャーナリストを育てた。新聞や雑誌には、伝統的短歌と地方歌人への目配りがあって、幅広い読者から信頼されていた。一昨年、自らの手で社を閉じた。戦後の短歌史、戦後歌壇を語る上では欠かすことのできない短歌ジャーナリストであった。短歌の出発は、一九二八年頃、小千谷市出身で教師を長らく勤めた遠山夕雲の手ほどきによるという。こうした略歴は、すでに知られるところだが、一九三四年に『ポトナム』に入会、当初は、石黒桐葉の名で、その後は石黒清作の本名、石黒清介の名で短歌を発表していたことはあまり知られていない。一九四三年に応召、一九四六年に復員している。一九四一年の後半以降、『ポトナム』誌上に石黒氏の短歌は見当たらない。しかし、戦争・戦場体験にもとづく作品は、敗戦直後の『樹根』(新藁短歌会 一九四七年)以降の二十数冊に及ぶ歌集にしばしば登場する。 

・借りて来し蓄音機ならしつつ元日のひるを炬燵にひとりこもり

 新潟・石黒桐葉(『ポトナム』一九三五年二月)

 

 同じ号には、石黒と同年、二十歳の森岡貞香の「吐息白く消えたる先に輝ける北極星のおごそかなれや」のような作品が頴田島一二郎選歌欄に並び、頴田島評には「石黒:よく見るべきところを見てゐて可」とあり、「森岡:吐息白く野心的にて佳」とあって興味深い。

 

・撃てどうてど人は死なざる空砲を汗あへて我等撃ち続けをる 

(栃尾郷青年学校聯合演習)

新潟・石黒桐葉(『ポトナム』一九三五年九月)

 

この頃の頴田島評によれば「父の命により歌作を中絶するといふ悩」みもあったらしい(『ポトナム』一九三五年一一月)。

 

・夕冷ゆる秋山深く木樵われ鳥の巣くふ樹を挽りにつつ

 石黒清作(『ポトナム』一九三六年一月) 

・ここらあたり本屋と思ひてくぐりぬける雪のトンネルひやりと身に沁む

 石黒清作(『ポトナム』一九三六年三月) 

・岩床の起伏を走る寒の水ひびきをあげて平らかならず

 石黒清作(『ポトナム』一九三九年八月) 

・平穏に日々ありたきを曇などあかくもゆるに血を湧かしつつ  

栃尾・石黒清介(『ポトナム』一九四〇年一一月) 

・新刊書の裁断面を美しきものの一つに我はかぞふる

 栃尾・石黒清介(『ポトナム』一九四一年三月)

 

 「木樵」と称しつつ、文学への志が秘められている一連である。『ポトナム』には、当時すでに編集者だった同人、石黒氏のようにのちに出版人となった同人も多い(以下敬称略)。福田栄一、松下英麿(ともに中央公論社)、只野幸雄(短歌公論社)、小峰広恵(小峰書店)らは、『出版人の萬葉集』(エディタースクール出版部 一九九六年)*にも登場するが、他に、小泉苳三(白楊社)を筆頭に、新津亨(時事新報社勤務、パンナム書房)、尾崎孝子(歌壇新報社)、小島清(古書店、初音書房)、不破博(経林書房)、薩摩光三(短歌山脈社、岡谷市民新聞社)、片山貞美(角川書店)らがいる。ユニークな業績を残した出版人であった。石黒には、先のアンソロジー『出版人の萬葉集』に次の一首がある。

 

・不公平の公平をこそ期すべしと編集者の我に教へたまひき

(土岐善麿先生死去) 

           (『ポトナム』20135月号所収)

 

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