2020年4月16日 (木)

京都の三月書房が閉店へ

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 物置のわきのつつじが咲き始めた。去年、植木の手入れをお願いしたシルバーの植木屋さんから、このつつじの土はだいぶ弱ってますよ、といわれて心配だったが、何とか花をつけ始めた

 

 京都の三月書房が閉店との報道に接して、やはり驚き、なんだかとてもさびしい。朝日新聞は「京都の名物書店、三月書房が閉店へ 吉本隆明さんら通う」(2020年2月17日)、京都新聞は京都の個性派書店「三月書房」年内に廃業 70歳店主、私が元気なうちに片付けたい」(2020年2月18日)と伝えた。1950年、先代が開業し、引き継いできたが、後継者もないことから、70歳を機に5月の連休明けをもって閉店するということだった。私は、三月書房の利用者でもなく、特別なご縁もなかったのだが、いつからか、私のこのブログに、三月書房から、飛んでくるアクセスが時折あることがわかって、たどってみると、三月書房のHPに以下の情報が載っていたのである。歌人たちのHPやブログが数多い中で、リストに加えてくださっていたのである。

 いつかお礼をと思っていたのだが、2016年、年末の京都行きの際、家族との会食の前に、お店を訪ねることができた。連れ合いと娘を外に待たせて、そっと入ってみた。出てこられた女性は用件を聞いて「今主人は出ていますが、すぐ戻ります」との話が終わるか終わらない先に自転車で戻られたのが、店主の宍戸立夫さんだった。お礼を申し上げたあと、棚を見れば、短歌関係の本にも力を入れていることは、よくわかるのだった。宍戸さんは「短歌の本は売れませんね、歌集などは歌人同士の贈答が多いので・・・」とも話されていた。

 閉店となると、せっかくリンクしていただいた私のブログであるが、アクセスが途絶えてしまうのかな、と思うと残念でもある。

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2016年12月撮影。昔ながらの街の本屋さんというたたずまいながら、その品ぞろえに特徴がある。短歌関係の本もなるほどと思う。私の住む町の駅前ビル内の文教堂が撤退した後、宮脇書店が入ったが、続いてくれるだろうか。いつも閑散としている。少し離れたイオンタウン内の未来屋書店には、閲覧席もあり、隣のカフェのコーヒーを持ち込んでもいいらしいが、どうも本が探しづらい。奥の方の閲覧席は、いつも受験生らしき人たちが陣取っている。いずれの本屋さんにも、俳句・短歌コーナーはあるが、ほとんどが俳句の本で、夏井いつき本が頑張って?いる。

 

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2020年3月 6日 (金)

『斎藤史『朱天』から『うたのゆくへ』への時代』の書評が増えました。(付書評一覧)

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我が家の水仙が咲き始めました。

 拙著『斎藤史『朱天』から『うたのゆくへ』の時代』は、2018年12月28日に刷り上がり、2019年1月9日が発行日でした。“歌壇”でとりあげられることはあまり多くなかったのですが、『短歌往来』では、小石さんが「2018年のベスト歌集・歌書」として、糸川さんが「2019年のベスト歌集・歌書」として紹介、江田さんは同誌の「評論月評」で2回にわたり批評されました。また、斎藤史についての著書を持つ寺島さんからは、二誌において、丁寧な批評をいただきました。また、斎藤史は、父斉藤瀏と創刊した『短歌人』を離れて『原型』を創刊するのだが、その『短歌人』同人の斎藤寛さんからも書評をいただきました。『図書新聞』では、数年前に小論争らしきものをした吉川さんが書かれているのでびっくりしました。今年になって、二方の書評が発表されました。皆さんには、資料部分も多い拙著を丁寧に読んでいただき、紹介や書評をしてくださいました。あらためて深くお礼申し上げます。

・5月18日、「斎藤史」について報告することになりました。付・書評・紹介一覧〈2019年4月26日〉

 http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/04/post-d89e33.html

 なお、昨年、上記の記事にも、書評リストを付記しましたが、あらためて、以下、最近のものを含め再掲します。

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・会澤清:紹介『斎藤史『朱天』』から『うたのゆくへ』の時代』  (ちきゅう座   2019年1月14日)

・紹介『斎藤史『朱天』から『うたのゆくへ』の時代』 (日本古書通信1075号 2019年2月)

・江田浩司:評論月評第6・7回 (『斎藤史『朱天』』から『うたのゆくへ』の時代』に触れて) (短歌往来   2019年3月・4月)

・小石雅夫:50人に聞く2018年のベスト歌集・歌書(3冊内の一冊として) (短歌往来 2019年3月)

・今井正和:歌壇時評29   (くれない 2019年2月)

・吉川宏志:書評・言葉によって自己の人生を染め替えようとする意識~なぜ歌人・斎藤史は言葉を変えたのか           

   (図書新聞 2019年4月6日)*  末尾に掲載の「一葉社」のホームページからもご覧になれます。

・田中綾:書棚から歌を (北海道新聞 2019年4月28日)*三浦綾子記念文学館田中綾館長特設サイト「綾歌」からもご覧になれます。  https://www.aya-kancho-hk.jp/?page_id=32

・寺島博子:書評・ゆるぎない視座 (現代短歌新聞 2019年5月5日)*

・斎藤寛:書評・「私」語りの再審(うた新聞 2019年7月10日)

・阿木津英:紹介「上半期の三冊」(3冊内の一冊として)(図書新聞 2019年7月10日)*

・寺島博子:書評・深淵に望む眼差し(歌壇 2019年8月)

・(八):新刊紹介・斎藤史『朱天』から『うたのゆくへ』の時代(女性展望 2019年11-12号 701号 2019年11月)

・篠弘:「私が選んだ今年の歌集」(2019年発行歌集・歌書7冊内の一冊として)(毎日新聞 2019年12月23日)*

・糸川雅子:「2019年のベスト歌集・歌書」紹介(2冊内の一冊として)(短歌往来 2020年3月)*

・小林美恵子:書評・斎藤史『朱天』から『うたのゆくへ』の時代(社会文学 51号 2020年3月)

 

上記、*を付したものは、出版元「一葉社」の下記のホームページでご覧になれます。

 https://ichiyosha.jimdo.com/齋藤史-朱天-から-うたのゆくへ-の時代/

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2020年1月 5日 (日)

短歌雑誌の行方と保存

  私が会員となっている短歌雑誌『ポトナム』1月号に「歌壇時評」を書きました。いつも同じようなことを言っているような気がするけれど、最近の短歌雑誌・出版事情にも触れました。

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  最近の短歌総合雑誌や新聞は、若干様変わりしたのかもしれない。しかし、どれを開いても同じような顔ぶれの歌人たちが並んでいる。各誌でさまざまな特集が組まれても、「人気」歌人というか「有名」歌人たちが入れ替わり立ち替わり登場し、既視感満載で、興味をそがれてしまうことが多い。たしかに、この数年間で、雑誌の表紙や編集(発行)人が変わった。知る限りでも、『短歌研究』が堀山和子から国兼秀二へ、『現代短歌』が道具武志から真野少へ、『短歌往来』が及川隆彦から佐佐木頼綱になった。オーナーや編集人が歌人で、結社人であることもある。それが、メリットになるのかデメリットになるのか、私などにはよくわからない。『現代短歌』は二〇二〇年一月から隔月刊で、週刊誌大になるという。かつての『短歌朝日』(一九九七~二〇〇三年)を想起するが、「批評」を重視するという方針を掲げている。バランスや中立を標榜し、総花的にならないように期待したい。

 こうした雑誌のバックナンバーの保管や整理には、私も困っていて、とりあえず、必要な個所はコピーするが、関心のある特集があれば、雑誌そのものを保存するが、古本屋では二束三文なので、結局、古紙回収に出したりする。断捨離や年金生活者としての不安もあり、購読誌を減らしたり、中断したり、交代したりしている。

 そうはいっても、一九四五年前後からさかのぼって、作品や記事が必要になったときには苦労する。短歌雑誌をそろえて所蔵する図書館は少ない。それでも、国立国会図書館や日本現代詩歌文学館などの資料をずいぶんと利用してきた。立命館大学の白楊荘(小泉苳三)文庫の所蔵がわかっていても、外部からの利用は難しい。上記の図書館や文学館が所蔵していたとしても欠号が多い。結社誌・同人誌となると尚更である。それでも、二〇〇〇年までの主な所蔵雑誌と著作権が切れた図書の国立国会図書館のデジタル化によるデータベースはありがたかった。その対象がまだ限定的であり、欠号も手つかずなので、別の方法で補うことになる。Cinii (サイニー、国立情報学研究所)検索により思わぬ文献に出会うこともある。

 現在『短歌』『短歌研究』では、各年鑑で自誌の年間目次と歌集歌書総覧を掲載する。『短歌研究年鑑』では、結社誌・同人誌のアンケートによる文献リスト「研究評論 今年の収穫」が掲載されるが、書誌的な不備も多く、網羅性がない。短歌雑誌の編集部にはかなりの雑誌や歌集・歌書が届いているはずなので、後世のために、できる限り網羅的な書誌的なデータだけでも作成し、提供してほしい。

 一方、出版不況をよそに、歌集・歌書の自費出版は、盛んなようで、私のところにもわずかながら届く。歌集は、大方、美しい装丁の、余白の多い本である。作品本位で考えるならば、歌がぎっしり詰まった文庫本でも十分だと思っている。これまで文庫版の歌集といえば、再刊や選集がほとんどだが、新しい歌集も気軽に出版できるようになれば、入手もしやすく、著者・読者双方に好都合である。

 本誌『ポトナム』の昨年一一月の歌壇時評(松尾唯花)の指摘にもあるように、現状のままだと、歌集出版は、若い人たちにとっては、覚悟を要し、経費のかかる大事業なっている。いや高齢者とても同様である。このような歌集出版の在り方は、考え直されてもよいのではないか。自費出版とその贈答が繰り返され、たださえ閉鎖的といわれる短歌の世界は、ますます狭まっていくにちがいない。欲しい人が欲しいときに入手できる電子版やオンデマンドという方法もあるが、いま、どれほど浸透し、利用されているのだろうか。(『ポトナム』2020年1月、所収)

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2019年12月 1日 (日)

<歌壇>における「賞」の在り方~「ショウほど素敵な商売はない」?

  一九五〇年代に「ショウほど素敵な商売はない」という、マリリン・モンロー出演のアメリカのミュージカル映画があったらしい。見る機会もないままいまに至っているが~。

  これまで私は、国の褒賞制度や栄典制度が、本来の学術・文芸の振興にどれほど寄与しているのかについて書こうとすれば、どうしても批判的にならざるを得なかった。その褒賞や栄典にあずかる者をだれが選ぶのかの視点でたどっていくと、恣意性や政治性が色濃いものであることがわかってきたからである。国際的なノーベル賞やアカデミー賞、ミシュランにいたるまで、さらに、たとえば日本レコード大賞はどうなのかといえば、詳しいことはわからないが、その主催の民間団体や業界団体における選出方法にもかなり問題があることも伝わってくるではないか。自分に縁がないこともあって、「賞」なるものに懐疑的にならざるを得ない。苦々しくは思うものの「どうでもいいでショウ(賞)」くらいの気持ちであった。

  しかし、長年、短歌にかかわってきた者として、短歌の世界、いわゆる「歌壇」でのさまざまな「賞」についても、いろいろ考えさせられることが多くなった。これまでも、拙著やこのブログでも触れてきたことではあるが、現状を確認しておきたいと思う。歌壇の賞のデータとして、一つの賞を編年体で見るのには、光森裕樹による「短歌賞の記録」(tankafulnet)(http://tankaful.net/awards に詳しく、便利でありがたい。横断的に見るには『短歌研究年鑑』の「短歌関連各賞が受賞者一覧」である。もちろん網羅的ではないが、主として短歌雑誌が主催する賞は、応募型のいわば新人発掘のための賞a型、中堅・大家を対象とする賞b型とに分けることができる。
 これらの受賞者や受賞作品の紹介や評論は、各誌の歌壇時評などで、その栄誉と称賛を後追いするものが圧倒的に多く、発信・拡散が繰り返される。近年、私は、受賞者や受賞作品への関心もさることながら、選考委員の傾向や重複が気になっている。こうした短歌賞が、雑誌の営業政策の一環であることは当然なのだが、それにしても、選考委員の重複にはあらためて驚かされるのであった。 
 たとえば、直近の一年間をみても、四つ以上の賞の選考委員を兼ねているのは、以下の7人であり、三つの賞の委員を務める高野公彦、大島史洋、小島ゆかりがそれに続く。

馬場あき子(1928生。芸術院会員、朝日新聞選者)b短歌研究賞、迢空賞、現代短歌新人賞(さいたま市)小野市詩歌文学賞

佐佐木幸綱(1938。芸術院会員、東京新聞選者、朝日新聞選者)a現代短歌評論賞、b短歌研究賞、迢空賞、現代短歌大賞、若山牧水賞(宮崎県)前川佐美雄賞

三枝昻之(1944。歌会始選者、日本歌人クラブ会長、日本経済新聞選者)a現代短歌評論賞、歌壇賞、b日本歌人クラブ賞・大賞・新人賞・評論賞、斎藤茂吉短歌文学賞、前川佐美雄賞

伊藤一彦(1943。毎日新聞選者)a角川短歌賞、筑紫歌壇賞、b現代短歌大賞、若山牧水賞(宮崎県)

永田和宏(1947。歌会始選者、朝日新聞選者)a角川短歌賞、b短歌研究賞、斎藤茂吉短歌文学賞、小野市詩歌文学賞、佐藤佐太郎短歌賞

小池光(1947。読売新聞選者)a      角川短歌賞、b短歌研究賞、斎藤茂吉短歌文学賞、現代短歌新人賞(さいたま市)

栗木京子(1954。読売新聞選者)a短歌研究新人賞、b現代短歌大賞、現代歌人協会賞、若山牧水賞(宮崎県)現代短歌新人賞(さいたま市)

 ということは、各賞の性格や特色が薄れていることを示していよう。ダブル受賞やトリプル受賞も決して珍しくなくなってきた。選考委員が複数の賞を掛け持ちしていれば、そんなことも起こり得るだろうし、話題性のある、横並びの「無難なところでショウ」にもなりかねないのではないか。たとえば、2018年の佐藤モニカ『夏の領域』の現代歌人協会賞と日本歌人クラブ新人賞、三枝浩樹『時禱集』の迢空賞と若山牧水賞であり、2019年では、春日真木子『何の扉か』の現代短歌大賞と斎藤茂吉短歌賞、小島ゆかり『六六魚』の詩歌文学館賞と前川佐美雄賞などに見られる。受賞者にはかかわりないことなのだが。

 また、いわゆるa 型に属する、短歌研究新人賞の選考委員、栗木京子・米川千嘉子・加藤治郎・穂村弘の4人は2009年から務め、角川短歌賞の伊藤一彦・永田和宏・小池光・東直子は2017年から変わっておらず、歌壇賞の選考委員も若干の入れ替わりはあるものの2015年から東直子、水原紫苑、吉川宏志の3人が続けて務めている。歌壇賞は、一時女性の選考委員が多いこともあって、女性の応募者が男性の倍以上になった時代もあったが、現在はその差が縮まっりつつあるし、短歌研究新人賞は、1990年代後半から今世紀初頭にかけて、女性が50%台から上昇し始め、60%を超えたこともあったが、現在は、50%前後を推移しているという傾向も興味深い。たしかに、選考委員選びにおいても、受賞者選考にしても、その賞、雑誌の性格や特色を出そうとしていることはうかがわれないこともないのだが、結果的には、なかなか効を奏することがないのではないか。

 しかし、いずれにしても、こうした選考委員の重複、固定化は、a型の新人に対しては、委員受け狙いも生じようし、b型においては、どこか委員同士の互酬性のきらいも否定できない。さらに、選考委員になることにより、歌集が爆発的に売れるということはないにしても、講演会や短歌教室の講師のオファーは、確実に増えるのではないか。 
 また、上記に登場する斎藤茂吉短歌賞、若山牧水賞、前川佐美雄賞、佐藤佐太郎短歌賞など過去の著名歌人の名を冠した賞も数多いが、遺族や後継者との関係はどうなっているのだろうかとか、その歌人の業績にふさわしい選考がなされているのかなどという疑問もわいてくる。

 そんな中で、『短歌研究』が「塚本邦雄賞」(坂井修一、水原紫苑、穂村弘、北村薫)を、『現代短歌』は、雑誌自体のリニューアルとともに「ブックレビュー賞」(加藤英彦、内山晶太、江戸雪、染野太郎)を新設するという。後者の選考委員となる加藤英彦は「短歌月評・ふたつの賞の創設」(『毎日新聞』2019年11月25日)において、期待と意気込み語っている。前者の選考委員にも新鮮さがないし、後者の委員たちに若さはあるかもしれないが、その鑑賞眼と評者としての知見が問われるだろう。

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2019年2月 6日 (水)

1950年前後、何して遊んでた?金井さんのエッセイ集を読んで

金井恵美子さんから、お送りした拙著への感想と『暮しの断片(かけら)』(平凡社)という、新著エッセイ集をいただいた。画家の金井久美子さんとの合作の、いわば、大人の絵本ともいえる素敵な本だった。猫のエッセイや絵も多く、ねこ派の読者には、魅力満載の本にちがいない。私は、金井さんとは小学校ですれ違うくらい年上なので、暮らしの中のさまざまな記憶で重なることが多いのはやや意外にも思うのだった。私の生家はくすり屋で、池袋の焼け跡から再スタートしているが、1940年代後半から50年代末までのくすり屋にまつわるモノの記憶をたどって、このブログでも、昨年の夏ころ、だいぶ長々と書いてしまった。

                             

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 『暮しの断片』はどこを開いても、なつかしいモノや光景に出会うことができて楽しかった。なかでも、「あそびの記憶」として、一月「雪うさぎ」で始まり、二月お手玉という風に月を追って、竹馬、おはじき、はなかんむり、しゃぼん玉、七夕飾り、西瓜割り、竹とんぼ、影踏み、縄跳び、十二月の「ごむまり」が紹介される。エッセイは、どれもなつかしく、あのモノのない時代、それに連なる私の思い出が、なんともあったっかいのが不思議だった。

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     十月影踏み、十一月縄跳びの頁

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      金井家で17年間暮らした黒トラ「トラー」
 

池袋の焼け跡の原っぱで、盛んに遊んだのは、かくれんぼや鬼ごっこはもちろんだが、缶蹴り、ゴム段、大人自転車の三角乗り、馬飛び、縄跳び、石蹴りなどだった。竹馬は、まず、竹などの調達は難しかったのだろう、同じ高さの空き缶を見つけ、穴をあけ、ひもを通した「缶ぽっくり」を作って、替わり番に、歩いたり、かけっこをしたりした。空き缶もなかなかの貴重品だった。

戦前のあそびの延長だったのだろう、なんの疑問を持つこともなく、「スイライカンチョウ(水雷艦長)」で走り回り、まりつき歌「あんたがたどこさ」とともに「イチレツダンパンハレツシテ、ニチロセンソウハジマッタ・・・」と、歌っていた。さらに、じゃんけん遊びでは「グリコ・チヨコレイト・パイナツプル」と大声をあげていたものの、グリコやチョコレート、ましてパイナップルなど口にしたことも、見たこともないものだった。

しゃぼん玉やまりつき、お手玉、おはじき、自転車乗りなどは、一人でも少人数でも遊べるけれども、「通りゃんせ、通りゃんせ」や「はないちもんめ」などにしても、かなりの人数がいないと面白くはないだろう。そのころ、焼け跡に建つ家は、まばらだったし、だいぶ復興した後でも、遠くから子どもが集まって来たし、友達の友達で、名前を知らない子とも遊ぶことがあった。

 

 家の中での遊びといっても、どの家もバラック住まいで、家の中で、子どもが集まって遊ぶスペースなどなかった。焼け跡のコンクリのたたきなどが残っているところやバラックの軒先にゴザを敷いて、お手玉やおはじき、ままごとやぬり絵、着せ替え人形と、少しは女の子らしい遊びもした。家族合わせなどというゲームをした記憶もある。ぬり絵については、かつて下のような記事を書いたこともある。

 

〇書庫の隅から見つけた、私の昭和(1)きいちのぬりえ

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http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2010/04/post-a273.html

 

 着せ替え人形というのは、女の子と家族のひと形と様々な服の絵が描かれている一枚の紙を絵の通りに切りぬいて、服の肩には、のり代のような白い紙が突起しているので、それを折り曲げて、人形に着せては、取り替えたりして、セリフ入りの芝居をさせたり、着せたい、好きな服を画用紙に描いたりした。

 家族合わせというのは、お医者さん、政治家、会社員などの父親の職業別の家族、両親と息子と娘のカードをバラバラにしてカードを配り、順番にカードのやり取りをして、早く多くの家族をそろえた方が勝ちということだった。各家族が職業に合った、ダジャレのような名字や名前が付けられているのが面白かったのだが、なかなか思い出せない。当時の家族観や職業観が理想や期待を交えて、如実に反映していたのではないか。

思い出は尽きないが~。

ネットでも調べてみよう。

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2019年1月28日 (月)

本の始末、資料の不始末~なぜ過去を捨てきれないのか?!

好きな言葉ではないが、これは「終活」の一つということになるのだろう。私が利用している生協の生活クラブで、古書の回収を年に2回ほど行っている。NPO法人を通して障がい者施設の支援に充てるという。アマゾンなどを利用して換金するそうだ。あまり傷んだものは出せない。前にも回収に出したことはあるが、今回、思い切って少しまとめて、出そうと準備をしている。どちらかといえば、ポピュラーな読み物、文庫・新書ものが多くなる。

いうほどの、蔵書ではないけれど、短歌などにかかわって半世紀も過ぎると、古本屋さんには嫌われる歌集は増えてゆく。歌集や歌人評伝・短歌史関係書も扱い、販売目録も定期的にメールで届く古書店には、買い取ってもらえそうで、仕訳している。これから、もしかしたら、もう一度読まなければならない、あるいは読んでおきたいもの、個人的に、まだ、どうしても手元に置いておきたいものは取り置いて、他は、欲しいと思う人に届くかもしれないという、かすかな願いを込めて、手離す方の段ボールに入れてゆく。

天皇制に関する本は、資料的な価値のあるものは、まだ手離せない。女性史、沖縄史、メディア史、憲法関係も同様である。図書館勤めが長かったこともあり、また大きな図書館が近くにないこともあって、必要に迫られて求めた各種の辞典・事典類や年表類、資料集などのレファレンスブックが捨てられない。厚くて重い図書館の雑誌目録などはインターネットの普及で、もはや不要になったのはありがたい。

 古い旅行書は捨てるにしても、若いとき、結構買っていた文学散歩や史跡や西洋館巡り、路地裏散歩のような案内書は、もう利用しないだろう。それに、かつては、気軽に買っていた美術展のカタログ、博物館・文学館展示のカタログも、思い出はあるが、手離す方が多い。画集となると、数は少ないが、まだ持ち続けたい。「過去を引きずる?過去を捨てきれないオンナ!」であることは否定できない。

 

資料収集にかけては、第一人者であり、私も戦時下の歌集など譲っていただいたこともある櫻本富雄さんや名古屋の短大図書館時代、歌人であり、教授でいらした熊谷武至さんのお二人が、期せずして、本当に読んでくれる人、使ってくれる人に届けるには、やはり古書店に返すのが本筋だという趣旨のことをおっしゃっていたことを思い出す。

それにつけても、私の大学図書館勤めの時代、退職される教授、大学と縁のあるという「蔵書家」やその遺族から、千単位の蔵書寄贈の話が持ち込まれることが何度かあった。そんなときは、書架不足や人員不足を理由に丁寧にお断りするか、それができない場合は、いわゆる「〇〇文庫」として別置するのではなく、一般の図書と同様の保管・利用に供すること、すでに所蔵している資料、副本や史料価値の判断、処分を任せてもらい、整理も少し遅れるという条件で受け入れていた。いささか不遜な姿勢だったかもしれないが、小規模図書館では、致し方ない対応だと思っている。

 

一昨年だったか、京都市が寄贈を受けた桑原武夫蔵書を廃棄したというニュースが報じられたとき、さもありなんとも思ったが、寄贈を受ける側の毅然とした態度も必要で、あいまいにしていたのだろう。「〇〇文庫」、特殊コレクションとして、個人名を付したい願望のある向きは、個人の記念館や資料館などを設立した方がよい。これも維持管理が難しいので、遺族や後継者はよほどの覚悟が必要となる。

比較的財政的な基盤がしっかりしている国公立の図書館や文学館・資料館などは、予算と人材を確保し、将来を見据えた収集・保管・利用の計画が必要なはずだ。なのに、全国の自治体において、指定管理者制度導入に伴い、図書館までがツタヤなどによる民営化が広まりつつある傾向には疑問が多い。

 

一口に資料といっても、その形態はさまざまで、漫画、絵本・紙芝居、文書や書簡、和装本、巻物、レコード・楽譜、CD、演劇や映画の台本などというのもある。基本的には、国立図書館が網羅的に収集・保管・利用のセンターとなるべきで、資料によっては、専門的な知識や技術が欠かせないので、役割分担をする必要もあるのかもしれない。ユニークな雑誌コレクションとその索引づくりを誇る「大宅壮一文庫」だが、財政的危機にさらされているという。公的な支援があってしかるべきだろ。

 私の場合、短歌雑誌類も利用しようと思って、気になる特集や関心のある歌人の特集の号だけが並ぶ。わずかながら、自分の短歌やエッセイの掲載号もコピーは取ってあるものの捨てがたい。どれかの雑誌に毎号のように登場する人気の歌人たちはどうしているのだろう、などと余計な心配もする。

 それに私には、長らくかかわってきたもう一つのテーマでもある、地域の問題がある。自治会、地域の開発・街づくり、県政・市政に関する情報公開文書や関係資料、これはほとんど、切り抜きや文書なので、冊子のファイルで保管しているが、かさばるので、このごろは店でもらう紙の手提げ袋や大きな茶封筒を仕訳に再利用している。「自治会の法人化」「自治会と寄付・社協・日赤・消防団」「順天堂大学誘致問題」「航空機騒音」・・・。それに、参加してきた市民集会や活動の資料やチラシなども結構な量になる。それらが、押し入れや物置にひしめいている。そんなわけで、近頃は、必要なときに、必要な資料が出て来ないこともたびたびで、きのう置き換えた資料を、ない、ないと探すこともある。

 それにしても、学生時代使ったはずの法律の本は、引っ越しの折に始末?あまり勉強しなかっただけに未練がなかったのかもしれない。憲法のコンメンタールと判例百選、我妻民法、法律学全集の幾冊かだけが申し訳のように残されている。

 

 「終活」といい、「生前整理」といい、本の始末だけでも楽ではない。昔を思い出しては、作業の手が止まる。棚から降ろして、埃をぬぐう。今日は、のども、腰も痛めたらしく、早寝を決めた。

ああ、もう生前整理、遺品整理業者に任せるしかないか。

 

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前回の記事で、昨年受けたインタビューのことを書いたが、今回の作業中に古いファイルの中から、赤茶けた新聞が出てきた。ああ、そういえば、『現代短歌と天皇制』を出版した当時、『図書新聞』でこんなインタビューを受けていたのだったと、あらためて読み始めたのだった。なんと3頁にもわたっての収録で、立派な見出しと、各頁には、発言の一部分が大きく見出しのようになっていた。聞き手の米路さんと佐藤さんにリードされて、何とかおしゃべりができた記憶がよみがえった。斎藤茂吉と市川房枝の写真には、「え?」と思ったが、確かに言及している。しかし宇野浩二と広津和郎の写真はなぜ?記事の発言には登場してこないが、どこかで二人に話が及んだのだろうか。

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今、読み直してみても、その後の拙著での「はしがき」や「あとがき」で書いていることの繰り返しのようにも思えた。ほとんど同じことしか言ってないではないか。新著の斎藤史の本に関しての感想を発信されたツイートの一つに、「著者の天皇制批判は、念仏のようだ」とも評された。「うーん」、肝に銘じたい。

 

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2018年9月30日 (日)

校正の合間に~満身創痍の1949年の『短歌研究』前後

いま、新著の校正に奮闘中なのだが、確認のため敗戦直後の古い『短歌研究』『日本短歌』のコピーを引きずり出している。1949年分の『短歌研究』の原本だけは手元にあるので、助かっている。必要個所だけのコピーではなく、一冊丸ごと読めるはありがたい。しかし、不急不要な文章や作品に引き込まれることもしばしばなのだ。もっとも、国立国会図書館に行けば、デジタル資料で頁を繰ることはできるのだけれど、臨場感が違う?と思うのは、昔の図書館員の感傷か。

亡兄の職場の廃棄本にしていまここに在り役立ちており

仙花紙の雑誌はらはら崩れ落ちパソコンのキイボードをよごす

冷めやらぬ「第二芸術論争」読み差して雑誌の補修に手を初めにけり

 

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『短歌研究』1949年1月号、裏表紙が欠けている。満身創痍。亡き次兄が、初めての赴任先の都下の中学校で、図書館の先生が廃棄するのを頂戴してきたもの。1950年代後半だろうか。最終頁に蔵書印らしきものが見える。

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『短歌研究』1949年9月号。巻頭論文は、伊藤信吉「現代史における<美>意識」、土岐善麿、松村英一、柴生田稔が編輯部が選んだ坪野哲久、近藤芳美、山本友一、香川進の最近作5首を評する「作品合評」がきびしい。11・12合併号では、坪野・近藤・山本が7月号の土岐・松村・柴生田の作品を評して切り返すという企画が面白い。


ついでに、

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ゴミ類の整理に勝手口を出ると、キンモクセイすでに花をつけ始めていた

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庭のキンモクセイの下には、いまだ、主亡き犬小屋がそのままになっている。この間まで、辺りはヤマボウシの赤い実がいっぱい落ちていた。この犬小屋には、なつかしい思い出がある。連れ合いが、後から我が家にやってきた犬のため、玄関先で、二つ目の犬小屋を組み立てているのを、二匹はじっと見守っていた。そして、さあ、完成と、連れ合いが立ち上がったとたん、その新しい小屋に、前からの姉犬が、さっと入り込んで占拠した。あっけにとられてしまうという顛末があった。姉犬が新しい小屋を使い、妹犬は、相変わらず玄関先で過ごしていた。

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2018年9月 3日 (月)

「サザエさん」に見る敗戦直後のくすり事情(2)

 

 手元の「サザエさん」の八巻分の後半をたどりたい。

第五巻19508月刊。第1頁から、チリンチリンと鐘を鳴らす納豆屋さんから買うのが、110円のわらづとの納豆だ。2頁目が、郵便屋さんが「年賀はがき」を売りに来る。1949121日、お年玉付き年賀はがきが売り出されている。ちなみに1円の寄付づきの年賀はがきが3円、普通の葉書が2円なので、寄付の割合が3分の1というのも、今では考えられないが、はがき代の5倍が納豆1本という時代だったのだ。

 タラちゃんのノドの具合が悪いらしく、ルゴール液を綿棒の先の脱脂綿につけている場面もあったが、一般家庭でもされていたことだったのだろう。私は、水銀体温計で、かっちり5分間かけて計るという場面が興味深かった。いまでこそ、額に触れもしない電子体温計でたちどころに計測されるが、かつては、1分計、3分計、5分計、7分計などというのがあった。そのメーカーも、仁丹(森下仁丹⇒1974年デルモ)、マツダ(マツダランプ⇒武田薬品)、柏木というのがあり、平たいのと三角形の棒状のものがあったはずだ。私も、たしかに、「何分計にしますか」などと売っていた覚えがある。父は、どういうわけか、お客さんには、必ず「1分計や3分計でも、10分は計らないと、正確には出ませんよ」と、念を押すのが常だった。少々高額な体温計を買ったお客さんにしては何となく腑に落ちなかったのではないか。

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第5巻、水銀体温計は、計り終わって、水銀を下げるときに、手首を何度も振って、近くの何かにぶつけて壊してしまうということが一度ならずあった。ころころと玉になって転がる水銀を息をつめて?集めたことが思い出される。テルモが家庭用電子体温計を発売したのが1983年という

第六巻:1951年2月刊。サザエは、大阪のマスオの父親の法事に二人で出かける。大阪までの東海道線の列車内の光景や親戚との出会いや大阪、京都観光もなかなか面白い。まだ、回虫の寄生率は高かったらしく、「怖い話」として登場している
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 また、なんと「サンマータイム」が題材となって何度か登場しているのも興味深い。現在、安倍首相やJOCが、2年後のオリンピックの猛暑が不安になったのか、思いつきのように「サマータイム」の検討を言い出した。ヨーロッパでは廃止や廃止の方向にあるなか、何をいまさらと思う。GHQの指導で、19484月「夏時刻法」公布、52日から911日まで実施、以降、51年の夏まで実施され、1952年、独立を機に廃止した。実施中は、混乱も多く、残業の増加、寝不足など、すこぶる評判が悪かった。日本列島の日の出・日の入りの時間差や夏の湿気の多さは、夜になっても変わらないことから、サマータイムは不向きとされているし、第一、付随する機器の切り替え費用が半端ではないらしい。

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第六巻、何度目かのサマータイムに関わらず、混乱している様子が分かる。一家に時計なるものが、一つしかない時代であった。現在、家の中の時計をサマータイムに合わせろと言ったら大変ことになるはずだ

第七巻19518月刊。この巻あたりから、「朝日新聞」の夕刊での連載を経て、1951年4月16日から「朝日新聞」の朝刊での連載分だろうか。
 2018年の猛暑は、当方の加齢もあってか、きびしいものだった。アセモこそできなかったが、冷房をかなりの時間かけていたし、少し動くとどっと汗が出て下着を替えたりした。「サザエさん」で、涼をとると言えば、うちわ・扇子か扇風機であった。また、ワカメが泣いておねだりするのを、母親に「アセモできますよ」と言われて、鏡台の前で、しきりに「天花粉」をパタパタとパフではたく場面があった。そういえば、シッカロール(和光堂)、あせ知らず(徳田商店)は、銭湯に持参する人もいて、よく売れた。丸い缶入り、ボール紙の容器もあった。大人も子どもも、赤ちゃんもアセモをよくつくっていたような気がする。

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第7巻、こんな鏡台もなつかしい

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箱に入った布袋の「あせ知らず」は、粉が飛び散らず、携帯用にもなっていた

 一方、物価は上昇を続け、サザエは編み物の内職までするようになる。ご近所には喜ばれていた様子もうかがえる。当時は、つぎあて、染め直し、洗い張り、仕立て直しなどは、主婦の日常の仕事だった。わが家でも、母は、みやこ染めを使って、大きな鍋で染め直しをやっていたのを思い出すし、近くで洋裁をしている方に、何かとお願いしているようだった。
 なお、相変わらず、衛生状態は悪く、1948年と50年には、蚊を媒体とする日本脳炎の大流行があって、1950年、患者は約5000人に達したが、54年からは法定伝染病に指定され、予防ワクチン接種が勧められるようになって、いまでは発症はまれである。脳炎ではないけれど、私には、ご近所の同学年の男子Yちゃんが狂犬病で亡くなったという出来事があった。狂犬病は、戦時下の1944年から流行し始め、1947年伝染予防法で患者届け出制ができ、1950年に狂犬病予防法が成立している。Yちゃんは、映画大好きで、夏の夕涼みの折など、「鞍馬天狗」の話や嵐寛寿郎の真似が得意で、みなを和ませていた。狂犬病にやられ、10日ほどで亡くなってしまったのだ。我が家で20年以上前から犬を飼うようになって、毎年4月の予防注射の時期になると、Yちゃんのことを思い出しては悔やまれるのだったが、いまはその二匹も亡くなって数年経ち、予防注射とも縁が無くなってしまった。

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第7巻、ちょうど続き頁でこんな2本があった。ワカメならずとも、ピー・ティーエー、ビーシージーもD・D・Tの略語は分りにくかったはずだ。保健所からの強制散布が日常的だったことが分かる一コマだ

第八巻1952年1月刊。サザエの父親が、庭に花の種を蒔いたつもりが、「仁丹」とわかる一コマは、微笑ましい。第三巻には、ワカメが、ご近所からサツマイモ1本をもらったと、息せき切って、庭いじりをしていた父親に届けると、なんとダリヤの球根だったという一本もあったことと比べると、暮らしにもややゆとりが感じられるようになったことが分かる。さらに、父親は、サザエに婦人雑誌の新年号を土産に買ってきて喜ばれるが、サザエが寝入ると、そっと「抜け毛を防ぐ方法」という記事を見ながら、鏡台の前で試している1本もあり、そんな余裕も若干感じられるのだった。

 

 

 

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2018年9月 2日 (日)

「サザエさん」に見る敗戦直後のくすり事情(1)

いま私の手元には姉妹社発行の長谷川町子『サザエさん』が第一~八巻まである。19491952年に発行されていたものである。たぶん、中学生だった次兄か私が、購入したものではないかと思う。当時、次兄は、私のことを「サザエさんやワカメみたいだ、まるでオッチョコチョイなんだから・・・」なんていわれていたことを思い出すからだ。

現在、『朝日新聞』では「サザエさんをさがして」というシリーズで、サザエさんの4コマ漫画一本を選んで、その背景を探るもので、サザエさんで見る194574年の歴史と言っていいのかもしれない。

手元の八巻分のサザエさんは、当ブログでの「73年の意味」シリーズの本篇・番外篇の時代と重なるので、続きのような内容になるかもしれない。巻数を追って、上シリーズと重なり合うテーマを中心に、たどってみたい。

第一巻19502月刊。「はしがき」も「あとがき」もない。第1頁は、母親が、両脇にかしこまるワカメとカツオを紹介、呼ばれたサザエが、湯気の上っている蒸しパンのようなものを頬張って登場、「どうもあんなふうでこまります」と母親のセリフで終わる。これが、サザエさん1号の4コマ。なお、第四巻の巻頭には、「サザエさんと私」という4頁にわたって、漫画付きの文章が載っている。サザエさん誕生のこと、疎開先の福岡の新聞「夕刊フクニチ」に連載を始めたこと(1946422日)、東京に引っ越し、姉が出版社の姉妹社を起したことなどの経緯が綴られている。

第一巻での薬の登場は何度かあるが、その一つ、寝床で「ゴホンゴホン」とやっている父親にたのまれたサザエが持ってきた「せきどめ」を服んで、「ピタッとやんだよ」と喜ぶ傍らで、薬瓶をよく見たサザエの「これはげざいグスリだ」にのけぞる父親。もう一つは、私が「熱さまし」としてよく服まされたのが、父の調合による粉薬を思い起こさせる。確か「フェナスチン」という薬が入っているので、よく効く、という話をしているのを覚えている。薬包紙を開いて、三角になったところで、薬を口にすべり落として、水と一緒に一気にのみこむ。後はひたすら布団をかぶって汗をかくまで我慢する。直りかけると、母親は、大事にしていたみかんの缶詰を開けてくれたのは敗戦からだいぶ時が経てからだろう。その「フェナセチン」を、いま調べると、長期服用の副作用は、前から指摘されていたようで、2003年には「日本薬局方」から外されていた。かなりアブナイ?薬を服まされていたことになる。

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第一巻の表紙。最初の書籍化は、横長の装丁だったらしい


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第1巻。やや不鮮明だが、4コマ目の父親の手元には薬瓶と薬袋、右手には今、服まんとして薬包紙を持っているのに、バケツの水を運んできたサザエさんだ

第二巻19502月刊。東京への引っ越しの際の疎開地の人々との別れ、東京の住まいのご近所との出会いが描かれ、はんぺん、果物などの配給の場面と物価の実情も分かる場面も面白い。タクアン百目5円50銭、ガラス一枚80円、シャケ一切れ8円などと。サザエは「新円かせぎ」に友人の働いている出版社ハロー社に勤め始め、これまでにない経験をする。婦人警官に<密着取材>した折の、発疹チフス予防注射の場面で、思い出す。発疹チフスが大流行したのは1946年、3300人以上の死者を出したという。シラミやダニ駆除のため、殺虫剤として、GHQが持ち込んだDDTが大量にあちこちで散布されたという。私は、夏に疎開地から池袋に帰ってきているが、学校で頭から散布されたという記憶がない。戦時下は、マラリヤ予防には威力を発揮したという。日本での製造は、1949年に「味の素」が製造開始したとある。BHCという殺虫剤もあった。私の記憶では、ボール紙の平たい丸い容器に入ったコナのDDTを、箱の上部をぺこぺこ押して、小さな穴から噴霧していたこともある。ボール紙の筒状の容器から、畳のヘリなどに落とし、大掃除で畳を上げたときは、新聞紙の上に、やたら撒いたこともある。日本では、環境ホルモンへの影響や発がん性のため1971年には販売禁止された。

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第2巻。筒状の容器にいれて、後ろから押し出して噴霧させていた液体の殺虫剤もあった。金属製の「噴霧器は別売りです」とお客さんに言ったのを覚えている。エアゾール式は、1952年のキンチョール、1953年のアースまで待たねばならない


第三巻19502月刊。サザエはフグ田マスオと結婚して、タラも生まれる。当初実家を離れていたが、すぐに、両親たちの家に引っ越し、同居する。NHKのど自慢が人気だったらしいが、私には、あまり記憶がない。忙しい予選申し込みができないので、係に電話して、サザエが電話口に唄っているのは「啼くな小鳩よ」であった。学生がアルバイトで、南京豆ふた袋15円、ノート2冊で30円で売ってたり、米一升一40円の夢を見たりする。

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第三巻の冒頭、サザエよりの挨拶の「ことば」が載り、結婚・出産の報告がなされている

第四巻19496月刊。巻頭には前述の「サザエさんと私」を掲載、出版社勤めはどうなったのか不明だが、洋裁の仕立ての内職を始めたりする。取引高税が出て来るので1948年発表の作品か。相変わらず、もち米、魚などの配給、停電の場面などが何度か登場する。

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第4巻。4コマ目になんと吸入器が登場する。サザエさんの家にもあったんだ。たしかに、我が家にもあったし、売ってもいた。これはアルコールらんぷで、水を温めて、その蒸気を吸入する装置。メーカーなどは覚えていないのだが、どこか仰々しい箱に入っていて、父や兄も、お客さんに説明するときは、実に慎重に扱っていた。一時期、私はのどの具合が悪いとき、と言っても40歳前後のころ、クリニックに行くと、水ではない薬剤の入った吸入をやらせられることがあった。最近ではあまり見かけなくなった光景だ

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こんな感じだったのかな。ネットから拝借した

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購入先から受け取った、使用済みの印紙が、各家庭のあちこちに置かれていたのだろう

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2017年9月23日 (土)

「ある少国民の告発~文化人と戦争」(1994年放送)を見て

 大先輩の知人、櫻本富雄さんから、ご自身が出演の、24年前に関西で放映された番組が、突然you tube に出現したので、とのお知らせをいただいた。早速拝見、やはり映像で、櫻本さんのインタビューに答える、横山隆一、山本和夫、丸木俊、住井すゑさんたち、ご本人の証言を聞いて衝撃を受けました。私が紹介するよりは、ぜひフィルムを見ていただきたいと思いました。you tubeでは、いくつかのカット場面があり、当時の放映のままではないとのことですが、ぜひ一度、ご覧ください。個人的に何人かの友人にBCCで、お知らせしたところ、24年前のTVはこんなこともできたのか、など、いくつかの感想が返ってきました。

 

「ある少国民の告発~文化人と戦争」(毎日放送 1994年制作) 

https://www.youtube.com/watch?v=8-dC55hmhbc

 

 戦時下の文化人の表現活動には、今では想像がつかない障害があったこと知ることも大事なのですが、そこで、意に添わない活動をしたことに、その後、本人がどう向き合ったかが、重要なのかと思います。さらに、その後、どのような活動をしていたのか、行動をしてきたのか、暮らしをしていたのか、その生涯をトータルで、見極めたいと思っています。そのためには、発言・著作・制作物などを、記録にとどめ、保存し、継承するという基礎作業が問われるのではないかと、思います。その上で、その後の時代、時代に、何を残し、どう行動したのかが問われるのだと思いました。 

 今回の番組では、愛国少年だった櫻本さん自身が、戦時下に「あったことをなかったことにしよう」とする敗戦後の時代の流れに抗して、個人で10万冊もの雑誌や図書を収集し、戦時下の文化人たちの言動を浮き彫りにした著作を発表し続けていること、家永三郎さんも、戦時下の反省から、敗戦後の教科書裁判に踏み切ったこと、などを語っています。

 翻って、現在の知識人、文化人と称される人々の発言や行動において、少なくとも、敗戦後の占領期が終わった段階では、「表現の自由」があったにもかかわらず、「陽のあたる場所」を求めてでしょうか、意外と、微妙な変転、変節をしていたり、繰り返したりする人たちも多くなっています。人間、心身の成長や加齢によって、考え方も、行動様式も、変ることはあるでしょう。その人をどこまで信用していいのか、その発言にどこまで責任を持つことが出来るのか、自身で説明責任が果たせるかが問われるのではないかと。これは自らにも返ってくる問いでもあります。さらに、目前の課題に翻弄されながらの発言や行動は、とかく、より根本的な課題を置き去りにする傾向が、とくに最近目立ってはいないか、とても不安です。 

 

 

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