2016年9月21日 (水)

[雑誌に見る占領期-福島鑄郎コレクションをひらく」展示会とシンポジウムに出かけました(2)

盛りだくさんだったシンポジウム、時間が足りなかったのでは!

シンポジウムは以下の通りだったが、どれも魅力的なテーマであったが、時間が足りなかったのでは。

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 記念シンポジウム日程:918() 午後13:0017:00

シンポジウム会場:3号館305号室

 司会:川崎賢子(日本映画大学)

 第一部:

①山本武利(早稲田大学名誉教授)「20世紀メディア研究所と占領期研究」

②ルイーズ・ヤング(ウィスコンシン大学)「新世紀における占領期再考」

 Rethinking Occupation History in the New Millennium

 通訳:鈴木貴宇(東邦大学)

③宗像和重(早稲田大学)「福島コレクションの由来」

 第二部:

④石川巧(立教大学) 「カストリ雑誌研究の現在」

⑤三谷薫(出版美術研究家)「占領期の少年少女雑誌:絵物語を中心に」

⑥土屋礼子(早稲田大学)「占領期の時局雑誌」

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 第一部の山本さんは、プランゲ文庫のデータベースの維持と有料による公開に至った理由について、縷々述べられていた。科研費による研究成果の活用が閉鎖的な学界の慣例を脱却して、公開して利用者に還元したいという思いが伝わってきた。
 
なお、会場には、福島鑄郎氏のご子息がいらしていて、写真の故福島氏の風貌そのままに、雑誌に囲まれた家族のエピソードや最近になって、お父様のやってこられた仕事が理解できるようになったことなどを話された。 

自国の研究者にも手厳しい「新世紀における占領期再考」

ルイーズ・ヤングさんの基調講演は、日本の占領期について研究史がテーマで、聞いているうちに、アメリカの研究者と日本の研究者の相違、そして変遷というものが、おぼろげながらわかってきたような気がした。日本における占領史研究については、竹前栄治「占領研究40年」(『現代法学』〈東京経済大学現代法学会〉8号 20051月)などで、おさらいをしていたつもりだったが、アメリカの研究者については、知日派、親日派と呼ばれながら、ライシャワーとジョン・ダワーでは、随分と違うんだな、くらいの関心しかなかったのが、正直なところであった。

アメリカ研究者による日本の占領期研究は、第二次世界大戦の戦中派であるライシャワーなどから始まり、アメリカによる占領の成功体験として語られ、冷戦下にあっては、リベラル知識人に繋がった。

1960年から数年間、続いた日米の研究者による、日本語による「箱根会議」に発展し、占領は、日本の近代化に大きく貢献し、「資本主義国における近代化と第三世界の発展モデルとしての日本」というのも、かなり偏向した結論で、日本人研究者の意見が傾聴された様子が見えにくかったという。私は、「箱根会議」のことは、耳にしたことはあったが、その実態はよく知らなかった。今回、アメリカの研究者のヤングさんよる、その手厳しい評価を、私ははじめて聞いた。

1970年に入ると、アメリカでもベトナム戦争へ反対運動とともに、アメリカの帝国主義的侵略に批判的な研究が高まり、新左翼的な史観による研究者たちは、占領が日本の自力による再生と社会的な改革を起こす可能性を抑制したものとして、アメリカ外交の身勝手さとアメリカの理想の実現という初期の信念を否定した、として「考え直すアジア研究者たちの学会」などの成果を示した。

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「考え直すアジア研究者たちの学会」の研究者による著作、Joe Moore,Japanese Workers and Struggle for  Power 1945-47(1983) Michael Schaller,The American Occupation of Japan(1985)など

ここで示された「New Left」(日本語のレジメでは「新左翼」との訳)の語は、日本でいう「新左翼」とはその意味するところが、若干異なるのではないかというのが素朴な疑問だった。

80年代から90年代にかけては、日米の研究者による共同研究、日本人研究者の著作の翻訳が活発化し、その研究対象は大衆文化、社会的な相互体験など多様化し、より精密な事例研究にも及ぶようになった、とする。

そうした研究動向の中で、プランゲ文庫の位置づけも大きく変容してきたことにも着目、興味深いものがあった。1950年、マッカーサーの直属のスタッフだったゴードン・プランゲが、アメリカに持ち帰った日本における占領軍による検閲資料群であった。その保管は、アメリカ議会図書館東洋部を経て、メリーランド大学に落ち着いたが、保存状態は決していいといえなかった。プランゲ自身も、当初は、軍事秘話的な関心で『ミッドウェーの奇跡』『我らが眠っていた夜明け』『トラトラトラ』などを刊行、講義もそれらが中心だったらしい。カタログ化は、遅れて1963年から着手されている。このコレクションの存在が日本に紹介され始めたのが、60年代末から70年代にかけてだったのだろう。80年代になると、まず日本で「検閲資料」への関心が高まり、研究も活発になり、それがアメリカに波及した。その研究対象は、政治や経済分野ばかりでなく、現在では、文学、大衆文化、地方紙、社会史などへの広がりを見せている。日本での紹介の嚆矢は、前掲『戦後雑誌発掘―焦土時代の精神』にも詳しいが、松浦総三『占領下の言論弾圧』(現代ジャーナリズム出版会 1969年)や慶応大学からの派遣職員の一人森園繁「アメリカ大学図書館での経験」(『Kulic219716月)らによるものだった。さらに、1980年代になって、江藤淳が『閉ざされた言語空間』と題して、雑誌『諸君』に19822月から19866月まで断続的に4回連載された。

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邦訳:1967年

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邦訳:1984年

なお、最後に、戦争の前後を貫く「貫戦期」のアジアを射程にした植民地、占領地の歴史研究の必要を強調された。

 さらに、アメリカにプランゲ文庫というアーカイブが存在するということは、戦勝国の戦利品であったということと、占領軍の検閲政策の産物であったという認識も必要であるとも話したのだが、会場からは、「プランゲ文庫のおかげで、占領期の出版物や検閲の実態が分かってきたのだから、そこまで断定できないのではないか。もし、日本に残していたら、おそらく焼却処分されて、闇に葬られたのではないか」との質問が出ていた。「発禁図書」の国立国会図書館への返却、戦争絵画の国立近代美術館への無償貸与という実績もある。プランゲ文庫が日本に返却されるという交渉はなり立たないのだろうかと、ふと頭をかすめるのだった。

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メリーランド大学プランゲ文庫入り口、写真はプランゲの肖像

私自身は、1970年代の初め、職場の労働組合主催の松浦氏の講演会(19731月)を聞いたりして、大いに刺激を受け、「占領期における言論統制―歌人は検閲をいかに受けとめたか」(『ポトナム』19739月、後『短歌と天皇制』風媒社 198810月に所収)を書き急いだことが思い出される。その当時は、ゴードン・プランゲ(GordonWPrange)という名前の読み方も、「プランジ」と表記されていて、私もそれに倣っていた。短歌の検閲はどうであったのか、かつての当事者は、当時、あまり語りたがらない状況の中、プランゲ文庫自体のマイクロも閲覧できない中、それまで、戦時下の言論弾圧の延長線上で収集していた敗戦直後の短歌雑誌や歌集、あるいは、少しづつ語り始めた編集者や歌人のエッセイ等から、断片的に、占領検閲の実態を探ったものである。その後、国立国会図書館憲政資料室でのマイクロや早稲田大学の「占領期雑誌目次データベース」のおかげで、関係コピーを入手することができた。占領軍の言論弾圧の方向性が明確になってきた。その後、若干の検証をしたものの、本格的な論考は先送りになっている。

 

占領期の「時局雑誌」は、現代の「週刊文春」や「週刊新潮」?

石川さんのカストリ雑誌についても、福島コレクションのそれを上回るほどの収集量らしいので、その発言には説得力がある。ともかく、福島コレクションのデータベース化を急いでほしいと力説されていた。三谷さんの話は、「絵物語」に対する情熱がビンビンと伝わってきたが、明治以降の「絵物語」にだいぶ時間を取られたので、占領期の少年少女の「絵物語」や紙芝居については、短時間となった。私にとっては、リアルタイムで体験している部分もあったので、もう少し詳しく知りたかった。

最後の土屋さんの「時局雑誌」の話も、自分のかすかな記憶とも重なり、雑誌『真相』の実態なども知り、興味深かった。また、「時局雑誌」の定義も難しいが、現代にあっては、暴露、内幕、スキャンダルなど『週刊文春』や『週刊新潮』が「時局雑誌」的な役割を果たしているのではないかとの仮説も、なるほどの思い、定刻を過ぎるのを忘れるほどだった。

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時局雑誌『真相』の特集<天皇は箒である>天皇の巡幸は、訪問先の各地をきれいに整備することになるので、「箒」と称したらしい。<天皇特集>と銘打てば、必ず売り上げが伸びたという時代

懇親会は失礼して、外に出ると、雨こそ降っていなかったが、あたりはすっかり暮れていた。

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2016年9月19日 (月)

「雑誌に見る占領期-福島鑄郎コレクションをひらく」展示会とシンポジウムに出かけました(1)

雨も心配された918日、表記の20世紀メディア研究会百回記念企画展とシンポジウムに出かけました。私は、この「20世紀メディア研究会」には、この数年の間に数回しか参加していないが100回を越えていたのである。

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これが大隈タワーでした

コレクションの多様さに驚く

展示会は、早稲田大学の大隈タワー125記念室(大隈タワー10F)で、シンポ当日は日曜でも開催ということで、会場はかなりのにぎわいであった。

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タワー入り口

福島コレクションのオーナーであった福島鑄郎氏(19362006)は、種々の職業を経たのち、1960年ころから警備員という仕事をしながら、その休日を利用して、私財をもって、敗戦直後の雑誌を収集、研究されたという在野の研究者である。私も、1965年、国立国会図書館で働くようになって、どこの図書館も所蔵しないような、敗戦直後に創刊、短期間で廃刊になったような雑誌の収集をされているということは、先輩から聞かされていたから、求めたのであろう。今、私の手元には、氏の編著になる『戦後雑誌発掘―焦土時代の精神』(日本エディタースクール出版部 1972831日発行)があり、オビには「毎日出版文化賞」と書かれ、日高六郎の「この本は、戦後日本の再出発の時の日本の知識人・民衆の思想と精神を知るためのこの上ない案内書である。・・・」というコメントが載っている。197741歳で退職、本格的な研究生活に入り、メリーランド大学のプランゲ文庫にも出かけ、多くの書誌や資料集、研究書をなした。2005年、『福島鑄郎所蔵占領期雑誌目録:19458月~19523月』(文生書院)を出版、2006年に逝去されている。その所蔵は、6000冊に及び、2007年には、早稲田大学に図書館に収蔵され、公開に向けての準備と整理が進められているという国立国会図書館も、プランゲ文庫も所蔵されていない雑誌の数々が日の目を見るのも近い。

プランゲ文庫を利用してみて

私自身、最近、主に歌人斎藤史と阿部静枝の戦前・戦中・戦後の著作を追跡しているが、プランゲ文庫からの収穫は大きかった。2011年までは、無料で文庫のデーターベースが検索でき、名寄せによるリストもプリントアウトできた。そこから国立国会図書館にコピーを依頼していたのである。今回の会場には、検索コーナーがあったので、早速検索してみると、その後の整理も進んでいたようで、新しい文献が発見できた。プランゲ文庫では、地方発行の雑誌や様々な業界雑誌なども対象になっているので、思いがけない活動や執筆を知ることができたのである。プランゲ文庫については、基調講演のルイーズ・ヤングさんの講演の時に触れたい。

これに福島コレクションが利用できるようになったら、さらに占領期研究は進むかもしれない。

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2015年6月29日 (月)

沖縄とジャーナリズム(2)シンポジウムご案内

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シンポジウム

「沖縄戦後70年:基地問題とジャーナリズム」が開催されます。私も参加している「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」が協賛団体になっています。近頃は、激励しようという気持ちもなえてしまうほど、報道の劣化が続いているNHKです。沖縄報道に携わるジャーナリストたちの生の声が聴けると思います。ぜひお立ち寄りください。
貴重なドキュメント映像も公開されます。

会場:7月12日(日)13時~16時半

場所:明治大学グローバルフロント棟グローバルホール(1F)

研究報告~自治接収・返還に揺れた共同体―読谷村の事例から 
   山内健治(明治大学)政経学部教授

パネル討論~辺野古から考える日本のジャーナリズム

   金平茂紀(TBSキャスター)
   影山あさ子(映画「圧殺の海」監督)
   宮城栄作(沖縄タイムス東京支社報道部長)
   司会:醍醐聰(東京大学名誉教授)

拡大チラシは下記をクリックしてください。
http://dmituko.cocolog-nifty.com/712sinpotirasi.pdf

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2013年12月28日 (土)

今年のクリスマス・プレゼントは・・・

 娘が家を離れた後も、しばらくは、親子や夫婦でのプレゼントはほそぼそ続いたが、まったくやりとりがなくなって、何年になるだろう。それに、三越からにするか、生活クラブのギフトがいいかなど迷っていたお歳暮も、近年は失礼するようになってしまった。

 そんな折、1225日の朝、宅急便で古書を発送したというメールが届いた。なんと、先日紙芝居のシンポで初めてお目にかかった櫻本富雄さんからだった。「いま、書庫を整理しているから、詩歌関係の古書を送りますよ」とはおっしゃっていたのだが、まさかこんなに早く贈っていただけるなんて・・・。翌日届いた段ボール箱を開けるときのワクワク感はたとえようもなかった。戦時下の著作物を徹底的に収集して、表現者の戦争責任、表現責任を問い続けて来られたコレクションのほんの一部ということになる。とくに太平洋戦争下のアンソロジーは、当時、奥付に発行部数が示され図書も多い。

 支那事変歌集 (斎藤茂吉・佐々木信綱選)読売新聞社編 三省堂 193812

 聖戦歌集 読売新聞社(清水弥太郎)編 194110月(初版193910月)

白衣勇士誠忠歌集・昭和萬葉集 由利貞三編 日本皇道歌会 19423

聖戦短歌選 日本放送協会編刊(ラジオ新書)19429月(4000部)  

大東亜戦争歌集・愛国編 柳田新太郎編 天理時報社 19432月(3000部)

 大東亜戦争傷痍軍人歌集御楯 佐佐木信綱・伊藤嘉夫編 千歳書房 19437月(初版19433 

 月)(3000部)

大東亜戦争歌集 日本文学報国会(代表久米正雄)編 協栄出版社 19439月(5000部)

 軍神頌 村崎凡人編 青磁社 194412(3000) 

これらの一部は、図書館などで閲覧したり、一部コピーをとったりした記憶がある。しかし、手許にある・ないでは大違いである。150頁ほどの新書版の上記『聖戦短歌選』は、初めて見た。全国の傷病将兵、傷痍軍人らから短歌を募集、川田順、松村英一、吉植庄亮、土屋文明の選による短歌の講評が放送され、その採録である。愛国百人一首の評釈書が数冊、下記のような俳句関係書も入っていた。秋櫻子編の俳句集は、『馬酔木』の19422月~19432月から収録していて、宮田重雄の装丁が眼を引く。

聖戦俳句集 水原編秋櫻子 石原求龍堂 19438月(5000部)

俳句年鑑 日本文学報国会編 桃蹊書房 19442月(3000部)

 俳句のすすめ 日本文学報国会編(文庫版) 三省堂19446月(10000部) 

 せっかく譲っていただいた貴重な古書、活かす手立てを考えねばならない。年末年始は、まず、これらを少しでも読み進めてみよう。

 暗いニュースばかり続く年末のすてきなクリスマス・プレゼントに感謝し

つつ、一歩踏み出すことができればと思う。

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2013年11月26日 (火)

書評・紹介ありがとうございました~随時更新しています

 8月15日刊行の拙著『天皇の短歌は何を語るのか』(お茶の水書房)について、以下のような書評と紹介をいただいております。丁寧にお読みいただき、お励ましとともに、きちっとしたご批判もいただきました。ありがとうございます。私の知る限りですので、もし、お心当たりがあればご連絡いただけるとうれしいです。

 私信ながら、取材にお忙しいT様、ロンドンにお住いのW様、日本とシドニーのお住まいを行き来されている作家のK様、武漢の大学へ出講中のK様・・・、歌人や歌人でない方々の国際的な視点からの批評もいただきました。歌壇批判で、歌壇を慌てさせた金井美恵子様からは、早速紹介・引用してくださった新刊の著書2冊をお送りいただき、驚いております。多くの方のおたよりに胸を熱くすることもたびたびありました。ありがとうございました。

 以下のリストは随時更新しております。

 なお、近く「現代批評講座~著者が語る新刊の集い」による批評会が開催されることになりました。その様子も、また、お知らせできればと思います。

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書評:

・(◇):ブックガイド~    出版ニュース 201310月下旬号

・田中綾:

  書棚から歌を~名誉欲失せはてたりすずやかに人は詠へど欲もよろしき

(竹山広)          北海道新聞  20131020

   *田中綾『書棚から歌を』(深夜叢書社 2015年6月)に再録されました

・持田鋼一郎:浪々残夢録18・近代史資料としての天皇の短歌

                 短歌往来   201310

・大野道夫:短歌時評・さまざまな歌人たち 

                 短歌研究   201311

・田中綾:昭和天皇の短歌を検証し 時代と切り結ぶ警鐘の一書 

                 図書新聞   2013119

・小谷野敦:第二部の「勲章が欲しい歌人たち」本書の白眉 

                 週刊読書人  20131122日                

・田村広志:天皇制とメンタリティ 短歌往来   201312

・福島久男:ひたむきな姿勢    現代短歌   201312月

・ 赤司喜美子: 『天皇の短歌は何を語るのか』を読む

                                    短詩形文学   2013年12月

・  八木博子: 天皇の短歌―政治的メッセージを探る

                          女性展望    2013年11・12月

・ 今井正和: 歴史との相克の中で   うた新聞     2014年2月

・ 渡辺澄子: 『天皇のの短歌は何を語るのか』を読む 

                          ポトナム     2014年3月

・ 黒古一夫: 武漢で「天皇制」を考える

                          ポトナム     2014年3月

・ 藤木直美: 書評『天皇の短歌は何を語るのか』

                      社会文学2014(40号) 2014年7月31日

・ 間島由美子:(会員著作文庫)『天皇の短歌は何を語るのか』

                      国立国会図書館OB会会報56号

                                    2015年3月1日

・それでも大丈夫 (みなとかおるのブログ)2013816

http://ameblo.jp/minatokaoru/entry-11593740489.html

・銀河最終便(風間祥のブログ)20131024

http://sho.jugem.cc/?eid=4806

三上治: 天皇、および天皇制の所在~『天皇の短歌は何を語るのか』書評
 ちきゅう座スタディ・ルーム 2013年12月2日
 http://chikyuza.net/n/archives/40848

・それでも大丈夫(みなとかおるのブログ)2013年12月2日   http://ameblo.jp/minatokaoru/entry-11716328121.html

紹介:

・金井美恵子:様々な意匠、あるいは男たち/様々な意匠、男たち、少女たち①  目白雑録5小さいもの、大きいもの』(朝日新聞出版)2013年9月30日

・金井美恵子:たとへば〈君〉、あるいは、告白、だから・・・『金井美恵子エッセイコレクション3小説を読む、ことばを書く』(平凡社)2013年10月25日             

・(◇):紹介          梧葉       20131025

・田中要:受贈書から・天皇の短歌は何を語るのか

                 日本海173号    20139
・2013年下半期読書アンケート(阿木津英回答)

                 図書新聞     2013年12月21日

・松村由利子:時評        かりん      2014年3月

・櫛田立身:ブックエンド・天皇の短歌は何を語るのか 

                 象        2014年夏(97号)

・竹の子日記(鈴木竹志のブログ)          2013815

http://takenokonikki520.blog77.fc2.com/blog-date-201308.html

・日刊ベリタ「核を詠う」(山崎芳彦2013818

www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201308181309400 

・むらき数子の情報ふぁいる530「新刊案内」2013829

http://www.geocities.jp/muraki_file/Column/books.html

・立教大学関係者の著作紹介(広報課)(20138月分)

http://www.rikkyo.ac.jp/aboutus/profile/data/books/

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2013年6月 3日 (月)

ジャーナリストだった歌人たち~石黒清介氏を悼む

(以下は『ポトナム』5月号の「歌壇時評」です)
 
一月二七日、石黒清介氏が亡くなられた。一九一六年、新潟県出身、九六歳。一九五三年に短歌新聞社を興し、『短歌新聞』を創刊、一九七七年には『短歌現代』を創刊し、多くの歌人を見出し、多くの短歌ジャーナリストを育てた。新聞や雑誌には、伝統的短歌と地方歌人への目配りがあって、幅広い読者から信頼されていた。一昨年、自らの手で社を閉じた。戦後の短歌史、戦後歌壇を語る上では欠かすことのできない短歌ジャーナリストであった。短歌の出発は、一九二八年頃、小千谷市出身で教師を長らく勤めた遠山夕雲の手ほどきによるという。こうした略歴は、すでに知られるところだが、一九三四年に『ポトナム』に入会、当初は、石黒桐葉の名で、その後は石黒清作の本名、石黒清介の名で短歌を発表していたことはあまり知られていない。一九四三年に応召、一九四六年に復員している。一九四一年の後半以降、『ポトナム』誌上に石黒氏の短歌は見当たらない。しかし、戦争・戦場体験にもとづく作品は、敗戦直後の『樹根』(新藁短歌会 一九四七年)以降の二十数冊に及ぶ歌集にしばしば登場する。 

・借りて来し蓄音機ならしつつ元日のひるを炬燵にひとりこもり

 新潟・石黒桐葉(『ポトナム』一九三五年二月)

 

 同じ号には、石黒と同年、二十歳の森岡貞香の「吐息白く消えたる先に輝ける北極星のおごそかなれや」のような作品が頴田島一二郎選歌欄に並び、頴田島評には「石黒:よく見るべきところを見てゐて可」とあり、「森岡:吐息白く野心的にて佳」とあって興味深い。

 

・撃てどうてど人は死なざる空砲を汗あへて我等撃ち続けをる 

(栃尾郷青年学校聯合演習)

新潟・石黒桐葉(『ポトナム』一九三五年九月)

 

この頃の頴田島評によれば「父の命により歌作を中絶するといふ悩」みもあったらしい(『ポトナム』一九三五年一一月)。

 

・夕冷ゆる秋山深く木樵われ鳥の巣くふ樹を挽りにつつ

 石黒清作(『ポトナム』一九三六年一月) 

・ここらあたり本屋と思ひてくぐりぬける雪のトンネルひやりと身に沁む

 石黒清作(『ポトナム』一九三六年三月) 

・岩床の起伏を走る寒の水ひびきをあげて平らかならず

 石黒清作(『ポトナム』一九三九年八月) 

・平穏に日々ありたきを曇などあかくもゆるに血を湧かしつつ  

栃尾・石黒清介(『ポトナム』一九四〇年一一月) 

・新刊書の裁断面を美しきものの一つに我はかぞふる

 栃尾・石黒清介(『ポトナム』一九四一年三月)

 

 「木樵」と称しつつ、文学への志が秘められている一連である。『ポトナム』には、当時すでに編集者だった同人、石黒氏のようにのちに出版人となった同人も多い(以下敬称略)。福田栄一、松下英麿(ともに中央公論社)、只野幸雄(短歌公論社)、小峰広恵(小峰書店)らは、『出版人の萬葉集』(エディタースクール出版部 一九九六年)*にも登場するが、他に、小泉苳三(白楊社)を筆頭に、新津亨(時事新報社勤務、パンナム書房)、尾崎孝子(歌壇新報社)、小島清(古書店、初音書房)、不破博(経林書房)、薩摩光三(短歌山脈社、岡谷市民新聞社)、片山貞美(角川書店)らがいる。ユニークな業績を残した出版人であった。石黒には、先のアンソロジー『出版人の萬葉集』に次の一首がある。

 

・不公平の公平をこそ期すべしと編集者の我に教へたまひき

(土岐善麿先生死去) 

           (『ポトナム』20135月号所収)

 

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2012年11月20日 (火)

ある研究会から~海軍記念日講話分析/内務省警保局図書課の人々

 大荒れの土曜日だったが、午後から20世紀メデイア研究所の研究会(早稲田大学現代政治経済研究所会議室)に参加した。山本武利、土屋礼子両先生が中心の研究会で、毎月開催され、だれでも参加することができる。毎回魅力的なテーマでの発表が多いのだが、年に12度程度か、今回の発表ははずせないと思った。 

①中嶋晋平(大阪市立大学大学院研究科都市文化研究センター研究員) 

 戦前期における海軍による広報・宣伝活動の萌芽―海軍記念日講話関係資料の分析を中心に

 

②安野一之(国際日本文化研究センター共同研究員 

 検閲官の横顔―内務省警保局図書課の人員について

 

①は、日露戦争後1906年に制定された海軍記念日―日本の連合艦隊がロシアのバルチック艦隊を撃滅した1905527日(~28日)にちなんだ―が海軍の宣伝・広報においてどのように機能したかを、記念日の講話関係資料を中心に分析したものだ。期間は1920年までと限られていて、発表者は、その後の昭和期、とくに満州事変後の海軍の宣伝・広報戦略の萌芽として捉えていた。記念日制定後しばらくは、内向きの記念日に過ぎなかったが、1910年から海軍志願兵の減少を機に文部省が海軍省に記念日の講話依頼がなされ、各学校等に記念日講話の実施を通達していた。多いときでも、全国で5060件だったが第1次大戦後はさらに減少したのは、記念日自体、講話内容が形骸化、マンネリ化したことが要因と考えられ、聴き手からの感想などによりその内容が軌道修正されて行ったことを評価している。日本海海戦経過などをメインとする内容から、とくに第1次大戦後は、聴き手の民衆の最新軍事事情や兵器などへの関心が高まりに対応した内容にシフトしていたことを強調していた。 

若い発表者は、わりあい淡白な論調で、「海軍と民衆との相互作用による広報・宣伝システムの構築、軌道修正がワシントン海軍軍縮条約成立後、さらに進められていく」と結ぶ。 

私は、むしろ、この後の満州事変後の1945年敗戦に至るまでの海軍の広報・宣伝戦略について聞きたかったので、変化の実態と今回の発表時期を萌芽と捉えた流れを知りたかった。そんな質問もしてみたが、今後の研究課題だということだった。また、他の参加者からも、聴き手の感想などは、「作文」のことが多く「本心」とは言えないのではないか/鎮守府は地域的に限られているので、その実施実態にも地域性の要素が大きいのではないか/講話対象は学校関係者が主だったが「民衆」と広げてしまっていいのか/講話者の育成がなされていたのか、などの質問が続いた。

 

②は、発表者からは、タイトルとサブタイトルを入れ替えてもいいような内容になるとのことわりがあった。「内務省委託本」とは、内務省が 所蔵していた検閲正本を旧東京市立図書館に委託したもので、戦後は千代田図書館、京橋図書館などの区立図書館に引き継がれている図書群だ。発表者は、千代田区立千代田図書館所蔵の内務省委託本2366冊を調査して、各図書の検閲の痕跡―検察官の押印、コメント、傍線、発行日改編などから「いつ・だれが・どのように」検閲を行ったかを検証した。さらにその結果、とくに検閲印と日付などと内務省職員録や図書課人員(属、嘱託、雇を含め)とを照合することによって、かなりの検閲実態が明らかになるが、それでも、図書課の係員の異動、属・嘱託・雇の異動、地方職員からの派遣・研修などを含めた実際の検閲担当者は、把握しにくいとのことであった。そうした作業から浮上した一人の検閲官の履歴に着目、「内山鋳之吉」(1901~?)特異な、興味深いプロフィルが紹介された。 

内務省警保局図書課の体制と人員のいまだ断片的なデータ、あるいは元職員のOB会名簿などとの照合による調査で、拡充されていく図書検閲の推移が分かる。また、上記、内山の履歴は、なるほど興味をそそるものだった。 

東京出身、五校を経て、東京帝大の英文科在学中はセツルメント活動に参加、1925年卒業後、河原崎長十郎、村山知義らと「心座」を結成、演出などを担当した。翌1926年内務省職員となりと図書課出版物検閲係勤務の傍ら、1930年頃まで演劇活動を続けている。その一方で、『朝日新聞』にたびたび出版法や出版事情についての寄稿を続けていた。1932年は図書課出版検閲係主任となり、19396月には企画院調査官に任ぜられ、内閣情報部情報官となった。その後、企画院の文書課、情報局情報官の勤務を経て、1943年には軍需相軍需官、文書課勤務となる。19447月に退官、その後は、以前からかかわりのあった湘南学園に勤務したという。 

調査中に、こうした人物に出会うと、のめり込んでしまう発表者の気持ちがよくわかった。この人物の独自の評伝がないだけに、かかわりのあった人々の自伝や回顧録、あるいは演劇史など登場してくる断片的な情報を、照合することによって、その全体像が明らかになってゆき、これまでの「検閲官」というイメージとは違ったものが見えてくるのではないか、と結ぶ。 

こうした作業は、特定の検閲官への個人的な関心や興味に留まらず、その群像や組織をさらに明確なものにしていくのではないか、と思った。参加者の一人の内務省の人員体制に詳しい研究者は、出版統制、図書検閲官僚の日本のファシズム史での位置づけの必要性を述べ、また、内務省の検閲官たちと戦後のGHQの検閲官たちとの異動に着目し、その手法の類似性を指摘された研究者もいらした。また、南原繁の内務省勤務時代に留学したことや労働法制にかかわった話は聞いたことがあったが、質問のやり取りの中で、図書課調査係にいたということなど、私ははじめて知った。 

情報局第5部第3課(文芸担当)の課長井上司朗が、歌人としての逗子八郎との両刀使いで、太平洋戦争下の歌壇に「猛威」をふるっていたこと、その逗子が昭和初期には、新短歌運動の旗手、また山岳歌人であったと評されたことなどを思い起こすが、その評価は、著作の内実、戦後の生き方などによっておのずと定まっていくのだろうと思った。

なお、「戦前期の発禁本のゆくえ」と題して、2011年2月「神田雑学大学講座」で大滝則忠 さん(当時東京農業大学教授、現国立国会図書館館長)が講演をされている。

http://www.kanda-zatsugaku.com/110218/0218.html#menu

また、 「戦前期の出版検閲と法制度」と題して、2011年7月、上記講座で浅岡邦雄さん(中京大学准教授)が講演されている。

http://www.kanda-zatsugaku.com/110702/0702.html#menu

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2012年11月13日 (火)

『一樹の声』の書評・紹介一覧

 拙著『一樹の声』の書評や紹介を掲載してくださった短歌雑誌やブログをリストにしてみました。ご執筆の皆さま、ほんとうにありがとうございました。また、沢山のお礼状もいただいております。今はお返事ができないでおりますが、多くの言葉に励まされております。ありがとうございました。当方で気付いてない場合もあるかもしれません。お詫びいたいます。お教えいただけたらうれしいです。(11月13日現在)

随時更新してまいります。

(書評・紹介)

  

声音 言葉〈えすかるご〉   紫あかね   芸術と自由284号(201291日) 

会員著作文庫・歌集一樹の声 山口美代子 国立国会図書館OB 会会報 

 (201291日) 

市民の目         今井恵子 現代短歌新聞     (201295日) 

一樹の声を届ける     阿木津英 短歌往来10月号  (2012915日) 

歌集歌書を読む「一樹の声」真中朋久 短歌10月号     (2012925日) 

私の好きな歌人のうた   吉田恵子 かがりび10月号 (2012101日) 

『一樹の声』を読む   小島三保子 丹青63号    (2012101日) 

歌集評『一樹の声』   内藤ます子 短詩形文学10月号(2012101日) 

歌集より『一樹の声』  野地安伯   白路11月号     (2012111日) 

きっと変わる、何かが動く下村すみよ  うた新聞11月号 (2012年1110日) 

個々の肉声に耳をすます 高木佳子   図書新聞    (20121117日) 

歌集紹介『一樹の声』     那須愛子    歌群 130号     (2013年1月1日)

歌集『一樹の声』    桜井美保子  冬雷2月号    (2013年2月1日)    

http://toshoshimbun.jp/books_newspaper/week_description.php?shinbunno=3086&syosekino=5483)) 

*一樹の声は人間の声、地に根差ざした声  

「それでも大丈夫」http://ameblo.jp/minatokaoru/entry-11305593652.html 

                     (紫あかね 2012718日)

 

 (作品抄出) 

開放区95号(田島邦彦 20121015日) 

鳶が城便り(足立勝歳  201210月)

原型   (2012年12月1日)   

*新風書架http://www.pat.hi-ho.ne.jp/yoshioka-ikuo/syoka.kami/index.htm 

                    (吉岡生夫 2012721日) 

*銀河最終便http://sho.jugem.cc/?eid=4443  (風間 祥 2012107日)

 

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2012年4月29日 (日)

『GET Back,SUB!あるリトル・マガジンの魂』を読む

 2009年の春、当ブログに4回にわたって、私が参加している「ポトナム短歌会」の昭和初期からの大先達である小島清について書いたことがある。プライベートでもお世話になり、私にとっては大切な歌人のお一人であった。ここでは、ふだん通りに先生と呼ばせていただくが、その拙文を書いているさなか、1970年代、私の職場へカメラマンとして訪ねて来られ、初めてお会いしたことがある先生の長男であるMさんのことが気になっていた。インターネット上で、Mさんについてらしい情報がいくつか散見されたが、不確かなまま打ち過ぎていた。 

今年に入って、下記の当ブログへのアクセスが少し増えたかな、と思っていたところ、Mさん(19412003)の関係記事に歌人小島清の名が登場していたことが分かった。さらに、サブカルチュア雑誌の編集長だったというMさんの足跡をたどった『GET Back,SUB!あるリトル・マガジンの魂』(北沢夏音著、写真・浅井慎平、跋・草森紳一 本の雑誌社)が昨年10月に出版されていたことを知り、さっそく読んでみた。そこには、これまで、私たちの知らなかったMさんの姿、その全貌と劇的な生涯を知って衝撃を受けるのだった。1970年代から80年代にかけて、神戸や東京で、『ぶっく・れびゅう』『SUB』『季刊ドレッサージ』『季刊ギャロップ』などの編集長として、当時もその後も、伝説的に語られることが多かったという。本を読んでいると、広告の企画者や雑誌の編集者としての才能やジャンルの広さ、交友関係の世代の幅や華やかさに息をのむものがあった。執筆者としてジョン・レノン、小野洋子、瀧口修三、秋山邦晴、寺山修司、谷川俊太郎、三島由紀夫、横尾忠則、植草甚一・・・と続き、諏訪優、富士正晴の連載まである。小森和子や淀川長治、森茉莉、石津謙介、辻まこと・・・。著者は、関係者への取材を丹念に続け、この一冊をなした。今回の本に写真や跋文を寄せている浅井や草森らはじめ、かかわった多くの人々が迷惑をこうむりながらも彼の個性や才能を惜しみつつ、いわば破滅的ともとれる最期やその生き方を受け入れようとしているのがよくわかった。「サブカル」が「サブカル」であることすら難しい、すべてがメジャー化に向かってしまう現在からみると、少しだけ前の話なのに、時代の熱気を思い起こさせる一冊であった。

 

小島清先生は、1979年に亡くなっているので、Mさんのもっとも充実した仕事を見守っていたことになるのではないか。

 

小島清(19051979)~戦中戦後「節をまげざる」歌人(1)~(4 

2009315日、16日、48日、22日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2009/03/19051979-d9df.html 

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2009/03/19051979-d76e.html 

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2009/04/19051979-b513.html 

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2009/04/1-1f4a.html

 

 

 

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2011年12月31日 (土)

『二十世紀短歌と女の歌』(阿木津英著 学芸書林)の出版を祝う会、竹橋へ

  1225日(木)、竹橋のパレスサイドビルの「アラスカ」で、阿木津さんの新著出版を祝う会があった。会場の9 階からは、国立近代美術館とお濠と、皇居が見下ろせる。ああ、あのお濠端をジョギングしていた頃もありましたっけ。職場の昼休み、高速をくぐって三宅坂のお濠側にわたり、最高裁、国立劇場と続く内堀通りのイギリス大使館前を千鳥ヶ淵公園に入り、土手で早くも一服、ストレッチをする。乾門、北詰橋を右に見て、公文書館、近代美術館、今いるビルに入っている毎日新聞社を左に見て、気象庁、消防庁を正面に右にカーブすればパレスホテル、皇居前広場を経て、桜田門へのコースは、5キロ弱というが、40分はかかったろうか。走った日の昼休みは忙しい。職場に戻って、地下でシャワーを浴び、持参のお弁当にかぶりつく。隣の課の友人と週2回ほど、名古屋に転職するまで数年続いた。それまで悩みの種だった肩の凝りや背中の痛みは消えていた。あの爽快さが、ただ懐かしい。
 
きょうの会では、何かしゃべるようにと、お世話役の吉川豊子さんから、けさ電話をいただく。批評会でもなく研究会でもない「祝う会」だから、気ままに行けばいいと思っていたが、最初の森山晴美さん、近代文学の長谷川啓さん、評論家の松本健一さん、乾杯の音頭をとった渡辺澄子さん、高良留美子さん、皆さん、しっかりと中身に触れた批評をされた。短歌関係50人、近代文学関係20人が参加とのこと、報告があった。歌人の出版記念会には珍しく、近代文学、フェミニズムの分野からの参加者が多い。さあ、困ったぞ。何を話せばいいのか。 阿木津さんの書いたものは難しいし、私の書評らしきものは『短歌研究』8月号に書き、このブログにも収録しているので、パスすることにした。
 阿木津さんとの付き合いは、戦後短歌史をジェンダーの視点から見直そう、という勉強会に誘われてからのことであり、数年後の2001年『扉を開いた女たち』という共著をまとめ、今もこの研究会は続き、次の成果をまとめようとしているところである、といったことを話した後、今後の阿木津さんへの「お願い」?として、次のような話をした。会場には差しさわりのある参加者もいらしたかもしれない。 

私は、数年前、友人から次のような話を聞いた。私たちの大先輩である若桑みどりさんが紫綬褒章を受けられた際、一緒に受章したその友人と皇居で拝謁を待つ間だったか、控の間で、ひそひそ話をし、若桑さんは、「勲章はもらいたくもないけれど、分からずやの男性たちには、少しばかり効用があってね、教授会などでも、自分の発言力が少し違ってくる」といった趣旨のことを話されたそうだ。 

若桑さんの言葉には、国家と文芸、国家と学問という重い課題が含まれていないか。文芸や研究は、国や権力からの自立が、その根幹と思っている私には、とても重大な発言に思われた。 

最後に、「阿木津さん、文化勲章は、貰わないでください。文化功労者にもならないでください。国家は、権力は、さまざまな甘い誘惑を仕掛けてきます。芸術選奨などという踏み絵もあります。阿木津さんの底力で踏みとどまってください、頑張ってください」とお願いしたというわけである。
 

阿木津さんは大笑いされていたけれど、苦笑される参加者も多かったかもしれない。似つかわしくない発言だったかもしれない。その後の休憩時間に、大先輩や同世代の近代文学の研究者たちからは、「さっきの発言、率直でよかった」「岡井隆の例もありますからね」などと声を掛けられたのだが~。

 

 

 

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