2018年8月 9日 (木)

「共闘」という幻想、から抜け出すために

これほどのマイナス要因がつぎつぎと暴かれる安倍政権、その弱者軽視政策、まるでアメリカ・ファーストであるかのような外交・防衛政策にあきれながらも、内閣支持率が劇的に下がることはない。この政府の犯罪的な行為やスキャンダルも、メディアは、たんなるスキャンダルとして、面白おかしく騒ぎたてるが、あくまでも一過性で、深く調査報道を試みることもなく、忘れ去ってしまったかのように、次のスキャンダルへと乗り換える。また、NHKのように、政治スキャンダルはそそくさと、国会報道は、与野党の争点を深めるのではなく常に<攻防>としかとらえず、災害やスポーツの専門チャンネルかと思うほどの時間を割いて、「政府広報」に徹するメディアもある。そして、政府は、不都合が生じれば、「大騒ぎすることもない」と、ひたすら嵐の過ぎるのを待って、いつまでも安泰なのである。もちろん、こうした政府にも無関心だったり、いや、このままの政権維持でもかまわないで、と深く考えなかったりする国民も、合わせれば三分の2くらいになることも確かなのだ。

 

では、この一強に抗議する市民たちは、「アベ政治を許さない」「9条を守れ」「原発再稼働反対」などと、いつも仲間内では盛り上がるが、その輪を広げることができない。後退する運動を「継続は力なり」とみずからを慰める。近年は、多弱の「共闘」が叫ばれ、その内実は、政党や会派間の攻防・調整に精力が注がれ、なかなか実を結ばない。というのも、みずからの政党・会派の議員当選、一票でも支持票をのばすことが目標になってしまうからだろう。特定の複数政党、政党色が濃いいくつかの「市民団体」などが主導する集会に参加してみると、「共闘」を目指す議員たちが入れ替わり、連帯の挨拶や報告はするけれども、自分の番が終わると、集会の成り行きを見守るわけでもなく、参加者の声に耳を傾けることもなく会場を後にする場合が多い。大きな集会だと壇上から各党代表がつないだ手を振り上げ、その後のデモ行進の先頭には立つが、いつの間にか姿を消していたりする。

私は、特定の政党に属したり、後援会というものにも入ったりしたことがないので、詳細は分からないのだが、共闘を目指した集会などに参加して思うのは、参加した市民の熱気に反して、招かれて講演をしたり、スピーチをしたりする著名な「文化人」「学者」「ジャーナリスト」たちが、どうして、こうもいつも同じような顔ぶれで、同じような内容の話になるのだろう、ということなのだ。さまざまな市民団体が、競うように、そうした「著名人」を招いて、人集めに腐心しているかのような印象を受ける。現に、新しい情報も提案もなく、新聞・テレビ情報を繰り返し、アジテーションに終わることが多く、「またか」の徒労感がつきまとう。あるいは、かつて保守政党の「重鎮」が安倍政権批判をしたり、かつて憲法改正論を主張していた学者が、改憲批判をしたりしたからと言って、過去の言動との整合性が問われないままに、すぐに飛びついて講演依頼をしたり、執筆させたりして重用する。それだけならまだしも、少しでも、疑問を呈したり、批判したりする人物に反論するわけではなく、無視したり、排除したりすることが当たり前になっている。

それに、首長選挙で、共闘のもとに立てた統一候補者や当選者のスキャンダルが浮上したり、公約を守らなくなったりしたとき、共闘を組んだ政党や組織の対応が、あまりにも無責任なのも、納得できないことの一つなのだ。たとえば、まだ記憶に新しい、都知事選での鳥越候補、米山前新潟県知事、三反田鹿児島県知事などなど・・・。統一候補選択にあたって、知名度や人気が優先され、政治的信条の確認などがおろそかになっていたのではないか、など裏切られた思いがする。

「共闘」の成果が上がらないのは、既成の党や会派の方針からすこしでも外れると、そうした意見や活動を無視したり、排除したりするからではないか、との思いにもいたる。市民の一人一人の思いが、塊になって動き出し、政党を動かすというのが、市民運動の本来の姿にも思えるからである。 

私がつねづね思うのは、そもそも、主体的な疑問や怒りがあってこそ、なんとかしなくてはという思いにかられ、抗議や抵抗の形が決まってくるのではないかと。「なんか少しおかしくない?」という素朴な疑問が「ことの始まり」になるのが、私の場合だ。たしかに、活字や映像の情報がきっかけになることもある。後で、自分で、少し丹念に、新聞を読んでみたり、ネットで調べてみたりしていると、さらに、知りたくなるし、疑問も増えたりする。自分取り込んだ情報や知識、そして機会があって、たとえば、市民運動の現場に足を運び、当事者との交流で得た体験は、身に刻まれる。自分からも発信したくなるし、行動の起点にもなることが多い。 

著名人を追いかけたり、ひたすら署名活動に奔走したりする人たちには、どうしてもついていけない自分がいる。せめて、野次馬根性を失わず、体力だけは維持して、ということだろうか。

 

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2018年7月16日 (月)

目取真俊講演会に出かけました

 猛暑の土曜日714日、どうしても聴いておきたかった。目取真俊の小説「平和通りと名付けられた街を歩いて」を読んだことから、天皇制への確固たる批判の姿勢を知り、他の作品からは、沖縄の抱える問題を鋭く分析、提示していることを知り、多くを考えさせられた。昭和、平成の天皇の沖縄との関係を調べるきっかけになった。私は、とくに、その短歌に着目しながら、いくつかの論稿をしたためた。そして、沖縄の歌人たちの短歌、本土の歌人たちの詠む沖縄、本土の歌人たちの沖縄の歌人たちへの対応についても、いささかながら言及してきたからでもある。

 そして何より、辺野古の海を守るため、基地建設に反対・抗議するカヌーチームの一人として発信する「海鳴りの島から」を読みながら、励まされ、座り込みにいけないのを嘆く日々を過ごしているので、目取真さんの声を聴きたかったのである。

 講演の前半は、目取真さん自身が、毎日、撮り続けている海上での抗議活動の様子を伝える映像を中心に進められた。前日713日の活動を撮ったものも映し出され、その速報性にも驚いた。ブログ「海鳴りの島から」をまず見ると生々しい写真が続く。すでに715日の記事には、この日の講演会の報告もなされていた。 

〇海鳴りの島から 沖縄・ヤンパルより…目取真俊

https://blog.goo.ne.jp/awamori777

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 工事の進行状況と海上の抗議行動とその弾圧の熾烈さ、まず海岸に工事用の道路ができ、両端から始まった護岸工事K-1N-3は繋がり、もはや完了間近いと思われる。しかし、カヌーは、幾重ものフロートやフェンスを越え、振り落とされながらも、工事船に接近してスクリューを回らないようにし、クレーンから降ろされる10トンの石が積まれたモッコの下で待ち受けるなどの抵抗によって、工事は一日でも一時間でも遅らせるという、過酷な戦いでもある。毎朝、7時には、海岸に着き、4時ごろまで活動は続き、家での入浴と食事、ブログ執筆などで、一日が終わるという。最近の工事現場では、カヌーが来ない朝6時から工事を始めることもあるという。もし、抗議をしなかったら工事は進む。踏みとどまって抵抗しないと、沖縄には逃げる場所がない、だからあきらめてはいけないと。

 後半は、沖縄の歴史、米軍基地の沿革―本土に散在していた米軍基地が地元の反対運動に遭って、次々と人口140万の沖縄に移され、そして、沖縄の中では、中南部から人口10万の北部に基地が集中していく現況に言及する。本土と沖縄の関係が沖縄県内でも基地のある所とない所の関係が生し、中南部にますます人口が集中するという現象がみられる。沖縄の経済を支えていた3K―基地・きび・公共事業から、観光の比重が高まり、平和の大事さも浸透している一方、本土には知られない、基地がもたらす犯罪多発、教育環境の悪化など目に余るのが実態である。

さらに、817日に、土砂投入工事を開始するとしている沖縄防衛局に対して、承認撤回などをめぐる翁長知事への評価をめぐっての言及もあった。沖縄の革新はすでに革新首長が十分の七の時代から十分のゼロへ衰退し、翁長知事にしても、稲嶺前名護市長にしても、もともと保守派であったのだが、現在に至っている。ともかく、いまは、闘病のなかの決断を迫られている知事を見守りたい、すべての元凶は政府、安倍政権にあるのだからとも。

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新基地建設が進むきょんぷシュワブ沿岸6月29日、名護市辺野古全景(小型無人機撮影)、 「沖縄タイムス」2018年7月13日

 もっと、いろいろな話をされたと思うが、うまくまとまらない。しかし、基地の本土引取り論、沖縄独立論、県民投票の賛否など核心に迫る質疑応答もあって、目取真さんは丁寧に答え、私の理解も少しだけ深まったようにも思う。引き取り論については、安保を前提にしながら引き取ろうと言っても、いったいどこがどういう基地機能を担うのか、具体的な道筋とその可能性が見えない以上賛成できない、という。独立論も、研究者や評論家らによって長い間主張されてきていて、高まりつつも、その実現性に欠け、現在の反基地の闘い、新基地建設を止める運動にはなっていないという。県民投票については、若い人たちが中心になって進めている運動ながら、まず、県民投票をするための条例制定を目指して、有権者の50分の1、約24000名の署名を集めなければならない。723日が締め切りだが、その数のクリアも危うい。たとえ、クリアしたとしても、実際に県民投票にいたるまでの手続きに時間がかかりすぎ、タイミングが悪すぎ、新基地建設の歯止めにはならない。それに、目取真さんは、署名の集計状況を見て、基地を抱える伊江村、東村などが限りなくゼロに近い数字にも驚いたともいう。Photo_6

「『辺野古』県民投票の会」より発表

なお、会場の若い男性から、海上抗議行動を始めた動機を尋ねられ、始めて4年になるが、かつて生家のある今帰仁の海岸で、青い海にウミガメが泳ぎ、ウミガメの産卵も目の当たりにしていた少年の頃を思い出し、ウミガメが産卵の海岸を奪われ、赤土でサンゴが死滅してゆく現実を前に、始めたという。カヌーは自分の手で漕いで、海に出るので、五感で辺野古の海の美しさを感じることができるからだとも、語っていた。

さまざまな思いで、辺野古に座り込みをする人々、カヌーで抗議を続ける人々に対して、陸上では、機動隊員と多くの警備会社アルソックの人たちがごぼう抜きをする。海上では海上保安庁の隊員と警備会社セントラル警備が請け負い、カヌーの侵入を阻止し、突き落とそうともする実態にも触れた。海上の民間警備は、かつてマリン・セキュリティが請け負っていたが、予算の水増しが告発されて交代したという経緯もあったという。

私が最初に読んだ短編小説「平和通りと名付けられた街を歩いて」のラストシーンは忘れがたい。次第に体が冷たくなっていく祖母を背負い、二人の大切な場所に向かう孫の少年の心の陰影、その優しさには、読むたびに、人に伝えるたびに涙してしまう。皇太子夫妻を沖縄に迎えるにあたって、かつて平和通りで魚を商い、一家を支えていた祖母が徘徊しないようにとの警察からの要請で、その当日、家族は祖母を部屋に閉じ込めた。だが、いつの間にか抜け出して、皇太子夫妻の乗る車のフロントガラスに汚物にまみれた手形をつけて、こと切れるという、いわば「不敬」小説なのである。難解にも思える、ミステリアスな、短編も多いのだが、そこには、いつもどこかに人間のやさしさが秘められているのが特徴に思われた。今回、話を聞いて少し納得したような気がしている。

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辺野古に新たな柵設置 ゲート前、抗議激化に備えてか、
米軍キャンプシュワブの工事用車両用ゲート前で進められる柵の設置作業、7月15日午前1時18分、名護市辺野古で。「東京新聞」18716 朝刊。深夜の突貫工事であることが分かる

<7月18日付記>

目取真さんの話の中で、大事なことを一つ書き忘れていた。大型船によるボーリング調査が始まったのは昨年2017年3月だったが、すでに、埋め立て予定地の一部の海底が軟弱なことがわかって、さらに調査を進めるためではなかったかという。工事予定が中止され、一部変更の理由は明らかにされていないが、海底は40mの厚さの泥状態の軟弱地盤で、45トンのコンクリートブロックは沈み込んでしまい、埋め立ては不可能だというのだ。今朝の東京新聞「こちら特報部」によれば、沖縄の市民団体の情報公開によって明らかになった、2014年から2年にわたってのボーリング調査の結果は、地盤の固さを示すN値がゼロであったというのである。国は詳細な調査を出さず、いずれ総合的な判断をするとしているが、海底地盤改良には巨額の費用が不可欠となる、という。

 

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2018年7月 3日 (火)

日本の空にオスプレイいらない、どこにもいらない、オスプレイ落とすな~7月1日、「オスプレイ暫定配備反対7・1県民大集会in木更津」に参加しました

  関東は、観測史上初めての6月の梅雨明けの由、71日は、朝からもう暑い。「3000万人署名佐倉市民アクション」のチャーターしたバスは、地元の4つの鉄道の駅をめぐって満席となった。一行には、ふだんお目にかかっている人、久しぶりにお会いした方に加えて、初めての方も多かった。 

市原のサービスエリアで、トイレも買い物も最後ですよとの15分休憩だったが、会場の吾妻公園には、予定よりも早く着いた。木更津駐屯地の南の角にあたり、カンカン照りなので、公園内の木陰を選んで、座り込む。こんな時は、シートと小さい携帯用イスがあればと、遠ざかってしまったアウト・ドアの必需品、物置にあったのを思い出す。それでも、風があるので、だいぶ助かるが、地元の9条の会の旗「さくら・志津憲法9条をまもりたい会」をわずかばかり持ったものの、支えるのに苦労する。

 少し早めに始まったオープニング・アトラクション、木更津の方の和太鼓演奏、合唱団とシンガーソングライター大熊啓さんが歌う歌は、正直ほとんど知らないのだが、「沖縄を返せ」を懐かしく聞いた次第。地元4団体の集会実行委員会、代表の木更津の「オスプレイ来るな いらない住民の会」の吉田勇悟さんの挨拶は切実である。普天間基地海兵隊のオスプレイMV22 24機の整備拠点として、千葉県知事も木更津市長も了承し、昨年2月には1機が飛来、その整備が終わらないのか音沙汰がない中、今年の625日突如2機目が飛来した。24機が代わる代わるに整備にやってきて、試験飛行が繰り返される。加えて、自衛隊のオスプレイMV22の、暫定配備が決まってしまったのである。オスプレイ自体の危険性は、本ブログでも何度か記事にしているが、重大事故のいわゆる事故率は324と高く、それに到らない「予防着陸」や部品落下などの事故は、沖縄では数知れず確認されている。原因究明が曖昧なまま、飛行が再開しているのが実態で、防衛省は米軍の言いなりである。

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木陰を求めて、三々五々。右側に交通公園、その奥が駐屯地である

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和太鼓演奏の皆さん

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千葉九区市民連合の人たち

集会は、政党代表6人の「連帯」のあいさつが続いたが、この炎天下、一刻でも早く終わってほしい、というのが正直なところだった。続いて、各地で活動を続けている会の方からの報告と訴えがあった。とくに印象に残ったのは「横田基地撤去を求める西多摩の会」の方が、突然米空軍のオスプレイCV225機、4月横須賀から横田基地に飛来し、6月4日、離陸したのは確認しているのだが、そのうち2機は、奄美大島に緊急着陸、そのうちの1機と合せて計4機は、横田に戻ったのを確認している。もう1機は、行方知らずの疑問を呈していた。どこかの民間の格納庫に隠されてしまったのかとも。報道によれば、奄美空港からは、日を異にして、2機は離陸しているというのだから、ミステリーでもある。CV22は、MV22よりも低空飛行(地形追随)、夜間飛行が強化され、電子妨害機能をももつ特殊作戦機であるという。そんなおそろしい巨大機が一体どこに?という疑惑が深まる話であった。*



* 7月5日付記:その後の報道によると、6月4日に横田を発ち嘉手納に向かう途中、奄美空港に緊急着陸した2機のうち1機が、長期の整備を経て、一カ月ぶりに7月4日に横田に「帰還」した、とある。(『東京新聞』7月5日)1機は、ずっと奄美空港にとどまっていたことになるのだが・・・。

* 羽村市のホームページよりhttp://www.city.hamura.tokyo.jp/0000011168.html

 

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あまりの暑さに、「千葉土建」テント下の空いた椅子をしばらく占拠、一息つく


 また、「パトリオットミサイル入らない習志野基地行動実行委員会」の方からは、習志野駐屯地航空自衛隊第一高射隊に
200711月、ミサイル、パトリオットが突然配備されることになって以来の活動を踏まえての報告であった。編成替えがあって、習志野駐屯地の陸上自衛隊「第1空挺団」と木更津駐屯地陸上自衛隊「第1ヘリコプター団」が連携した飛行訓練がいっそう強化されるとの不安が語られた。

 徒歩で17分ほど、木更津駅まで行進するとのことだったが、駐屯地沿いにしばらく歩いた後、富士見通りに出ての一直線が長く感じられた。解散地点の光明寺前まで、45分近くは歩いたことになるのだろうか。沿道の民家の木戸からお辞儀をし続けている年配の女性もいらしたし、歩道から手を振ってくださる方も何人かいらした。参加者2200人、お疲れ様でした。

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出発まもなく、駐屯地の格納庫、ここに、いま2機のオスプレイがおさまっているのか

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これは何の装備だろう、目にするのは、隊員の住まいの宿舎ばかりだったが・・・

 

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だいぶ大げさな・・・、張り切った千葉県警?


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風があったので、旗持ちも、楽ではなかったようだ

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懐かしい、昭和の銭湯の風景に思わず、シャッターを切る。調べてみると「宮の湯」さん?行商の女性のかごには「マンゴーアイスクリーム」ともあった。風呂上がりのお客さんを待つのか。一人振り返っている男性は千葉県警のようで、その視線が鋭い

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正面に木更津駅、左手に光明寺、「切られの与三郎」の墓があるという。DJポリスの女性は、「ここが解散地点です。早く解散するように」と繰り返す。右翼の車がかなり結集していたとのことだったが、何事もなく無事解散、帰りのバスは、彼らの車と並走することもあり、かなり遠くの他府県のナンバーもあった。相当な渋滞もあって、予定より遅れた 

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光明寺、広い境内のようだったが・・・


 習志野の方の訴えにあった、第1空挺団と第1ヘリコプター団との連携について、調べてみると、2007年、第1空挺団及び特殊作戦群が中央即応集団隷下に編成替えになったが、今年の3月には中央即応集団廃止に伴い第1空挺団・特殊作戦群が陸上総隊隷下に隷属替えになっていた。いまどき、「隷下」「隷属」なんていう公用語があるんですね。

 ついでに、以下の防衛省のそれぞれのホームページを読むだけでも、日本の防衛政策の過剰なことと広報活動の活発さと米軍との関係では、いかに「隷属」的な関係、まさに言いなり、植民地化していることが分かる。私たちの税金が、これほどまでの防衛費、日米の軍需産業に費消されていることが明確にもなるだろう。たとえば、次のような文言を読むと、日本政府の危うさが浮き彫りになるだろう。

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北関東防衛局「CV22オスプレイ横田飛行場配備について」(2018531日)より

 CV-22の配備先については、米側から、CV-22の任務や役割を踏まえた上で、
 運用や訓練上のニーズ
 機体整備のための施設が活用できること
 10機のCV-22及びその要員を受け入れるためのスペースを有していることなど、様々な点を総合的に勘案した結果、横田飛行場を選定したとの説明を受けています。
 我が国を取り巻く安全保障環境が一層厳しさを増す中、高い性能を有するCV-22が我が国に配備されることは、米国のアジア太平洋地域へのコミットメント及び即応態勢整備の観点から、日米同盟の抑止力・対処力を向上させ、日本の防衛及びアジア太平洋地域の安定に資すると考えています。

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陸上自衛隊第一ヘリコプター団http://www.mod.go.jp/gsdf/crf/heridan/topics170911/index.html#wrap


陸上自衛隊第一空挺団

http://www.mod.go.jp/gsdf/1abnb/index.html

北関東防衛局>オスプレイ関連
http://www.mod.go.jp/rdb/n-kanto/kichi-syuhen/ospray.htm

防衛省・自衛隊>CV22オスプレイについてhttp://www.mod.go.jp/j/approach/anpo/osprey/yokota/cv22.html

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2018年6月23日 (土)

6月23日、怒りを持続するには

 

 相撲の暴力事件が妙な決着をみたと思ったら、日大アメフト部の悪質タックルに端を発した問題、女子レスリングのパワハラ問題も、その解決や今後の方向性が見えない中、いまや、サッカーのワールドカップで騒々しい。事件や事故のニュースが続き、大阪北部地震による災害ニュースが続いた。そして、政府やメディアは、何よりもますますの疑惑が深まった森友・加計問題の幕引き対応が目に余る。国会を延長してまで、押し切ろうとする働き方改革法案、カジノ法案などは、誰にとっての重要法案なのか。国民生活をむしろ不安に陥れる法律でしかない。

 

 朝鮮南北首脳会談、米朝首脳会談では、日本政府の思惑を大きく外れ、日本の安全保障環境も大きく変わるはずだ。いや、これまでも、変わっていたはずなのに、日本は、まるでアメリカの植民地のように、外交・軍事政策はアメリカ一辺倒であった。日米の外交・軍事政策は100%一致しているとまで、言い放つ無能な外交政策を展開してきた。憲法改正、9条加憲などを言う前に、1960年以降変わることがなかった「日米地位協定」を一日も早く、改定すべきはずなのだ。在日米軍関係者の警察権・裁判権、米軍基地空域には、日本の法律が及ばない。彼らは、出入国管理法も適用されず、車の国際免許証も持たないまま、日本国内を自在に移動している。日本による米軍基地への2000億を越える「思いやり」予算、汚染したまま用地返却など、その屈辱的な「日米地位協定」こそ変えるべきで、国内法の改正でできることもある。にもかかわらず、いわば特例尽くしの不合理を、日本政府は、半端な米軍への要望や運用改善を申し訳程度にするばかりで、抜本的な努力を怠ってきた。

 

私たちも、なぜ、沖縄に、米軍基地が集中するにいたったのかの経緯も知らなければならない。政府は、いまだに危機を煽り、安全保障上の必要、米軍依存の不可欠を喧伝するけれども、米軍は、日本を守ってくれるどころか、日本における米軍基地の存在自体が日本の危機を招いているのが実態だろう。その上、米からの軍需品の輸入額は増大する。1機100億もするオスプレイの17機の購入を決め、北朝鮮ミサイル対策として11000億イージス・アショアの2基導入を決めた。それらを中止、縮小することで、社会保障費の充実を図れるし、消費税を上げる必要もない。

 

そんな中で迎えた623日、辺野古の新基地建設現場では、工事はさらに進み海域への土砂投入は8月にも迫っている。私は、慰霊の日の追悼式には一度しか参加していないし、まだ、辺野古における工事阻止活動に参加したことがない。沖縄の地を踏んだのは3回ながら、気持ちの上では、それまでの関わり方とはずいぶん変わってきたように思う。何ができるのか、何をしてきたのか、と問われると、心細い限りではある。多く未知のことに知る努力とこのブログ記事や短歌作品などを通じて、自らの思いや考えを発信しながら、行動でも示していきたいと思っている。怒りを持続するには、エネルギーも、体力も。

 

玉城寛子『島からの祈り』(2018年2月)より

・荒あらと蟻潰すごと沖縄(うちなー)へのしかかる国よまこと母国か

清(ちゅ)ら海を一途に守ると腕(かいな)組むしわふかき人らここに集いて

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2018年6月19日 (火)

今年の6月15日は・・・、第一歌集『冬の手紙』のころを思い出す

 今年の615日は、病院で少し大掛りな検査を受けた直後だったので、家で静かに過ごし、1960615日前後のことから私の第一歌集『冬の手紙』(1971年)のころまでのことを思い出していた。1960年は、私が母を亡くした翌年で、大学に入って二年目だった。末っ子で、お母さんっ子と言われていた割には、当時の立ち直りが早かったらしく、家族は、いささか安堵したらしいことを、後から聞いた。

 

1960615日は、安保闘争のさなか、学生だった樺美智子さんが、国会南通用門で、警官隊との衝突の混乱の中で死亡し、その死をめぐって、反体制運動の分断が図られようとしていた。620日の安保条約改定の自然承認を前に、私も何度か学生自治会の一員としてあるいは一人で、集会やデモに参加することがあった。在学の大学自治会は、いわゆる全学連「反主流派」と呼ばれ、「過激」とされる「主流派」とは一線を画することが強調されていた。いわばノンポリに近い、シナリオ研究所に通う映画青年?を気取ってもいた私には、その深層には触れないまま卒業した。卒業後は、2年間の私大職員を経て、国家公務員となっていた。その頃の職場の労働組合は、職員約800人のうち、管理職を除いて、ほとんどの職員が組合に加入することが当たり前という状況だった。政党色が濃い組合とされていた。そして、私の配属先の10人余りの課からは組合の委員長や執行部役員が選出されていた時期でもあった。

 

永田町の職場は、国会議事堂に近いこともあって、私は、615日の昼休みには、ひとりで、議事堂を一周して樺さんを偲び、いま、何をしたらよいのかを考える時間になればと、いささかの感傷も手伝って、毎年続けていた。その頃、職場の男性たちの間で始まっていた、昼休みの皇居一周のジョギングというものに、女だって走りたいよねと、週に23回、友人と誘い合うようになっていた。約5キロのジョギングは、当初は、かなりきつく、千鳥ヶ淵の土手で、一息入れながらストレッチをしたりしていた。約30分、それまで、知らなかった四季折々のお堀端の風景を楽しめるようにもなった。そんな折、同期採用で、組合青年部で活躍していると思っていた友人が、ある「過激派」とされる人たちの集会で、逮捕・拘留されるという事件が起きた。数か月後、保釈されたが、人事課は、職場復帰を認めなかった。その時、労働組合は、「過激派」の活動に参加していたことをもって、いっさい支援することをしなかった。この時の組合の対応がきっかけになって、「労働組合」って何だろうという疑問が、かつての615日の樺さんの死をめぐる「革新政党」の対応とつらなっていることにも気づくのだった。しかし、私は、職場内で立ち上げられた「支援」の会にも参加することをしないまま、労働組合を抜け出すということもできなかった。この私の曖昧さを、いま、どう考えたらいいのだろう。そして、いまは・・・。忸怩たる思いもある。

 

当時は、短歌に関わっていることすら、職場では言い出してはいなかったし、ごくわずかな友人にしか話していなかったと思う。こんな歌ばかりではないのだけれど、当時の拙いつぶやきを恥ずかしいながら・・・。

 ・晶子・雷鳥・菊栄らの論争いまだ越ええず<女の仕事> 

・等分に与野党責めて傷つかぬ立場というを知らされており 

・キャンパスは整いゆけるに組合の成らぬ私大に働き慣れて

 

・理事室の明るきに抗議を続けたる会を見守る側に立ちいて

 ・好奇なる問いに遇いたり新しき職場に小さき嘘を重ねん

・シュプレヒコール禁じたるマイクの声に列は少しく昂ぶり見せる

 ・少数者意見を葬る手続を自らの組織が如実に見せる

 ・首相発ちし日より一つの空席を持せる職場に冬を迎えん

 ・ひそやかに救援資金が集めらるる職場の冬の混濁におり

 ・陽に手紙かかげて解かん検閲を受けて抹殺されたる幾語

 ・ようやくに保釈なりたる友が来て涙見せたり職場の隅に

 ・いささかの力となるか抗議文手渡す友の背後に並ぶ

 『冬の手紙』(五月書房 19717月)より 

  

 獄中より職場に届いた手紙を同僚たちと、陽にかざして読んだことが、歌集名「冬の手紙」の由来となった。母の没後11年後に父を亡くした。晩年の父とはよく旅に出た。歌集には、そんなときの一首もある。

 ・すすき野にすすき折りいる父が言うぱっと明るい顔はないのか

 そして、半世紀近くが経とうとしている昨年、ネット上で公開された私の評論集への書評が縁で知り合った青年から、就職先が、私のかつての職場であることを伝えられた。それではと、職場の近くでランチをすることになった。孫の世代にもあたる若者に、話の成り行きながら、現在の組合の加入具合を尋ねてみると、2割くらい、ともいう。官民問わず、組合の組織率が著しく低下しているというのは聞いていたが、やはり愕然とした。本人が加入しているか否かは聞きそびれてしまったのだが。

 

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2018年6月 9日 (土)

6月10日、大雨の予報を吹き飛ばそう

 安倍首相が「国難」と称していたことは、朝鮮南北の首脳の融和的会談後、米朝首脳会談を前に、その根拠を失いつつある。自分の国の「拉致問題」を他国の大統領に交渉の依頼をするのが「外交」なのだろうか。公文書の隠蔽・捏造・改竄に手を染めた「膿」を出しきることは、自らの破たんをさらけ出す段になって、首相は、再発防止の責任を全うするというが、それはムリというもの。自分の手で自身の首を絞められるわけがない。この民主主義の根幹を揺るがす事態に―「国難」を乗り切るには、国民の「NO]という意思表示しかない。あの麻生大臣の言いたい放題の暴言を許していていいのか、との思いに焦る。 

 折も折、市民たちの告発を受けた大阪地検は、一連の財務省関係者の虚偽文書記載、証拠隠滅、背任罪などは証拠不十分で、すべて「不起訴」とした。刑事罰を問う手立ては、あと、検察審議会への申し立てという道が残されている。 

 こうした中で、国会での野党による政府追及は、本気度が疑われる、ゆるい質問ばかりの手詰まり状態が続いている。メディアは、力士による暴力事件、タレントの未成年者への飲酒強要、レスリング選手へのパワハラ、 財務省次官のセクハラ、日大アメフト悪質タックル問題、和歌山県の資産家の死亡事件などには飛びつくようにワイド番組や紙面をにぎわせている。さらに、根深い企業のデータ改ざん・談合・情報流出や過労死問題などの「不祥事」というより「犯罪」の発覚が続き、幹部が頭を下げる映像が繰り返し流される。それも一過性で、時の災害や事件や事故があれば、それに雪崩れこみ、企業に不都合なニュースはいつのまにか追いやられてしまう。それでなくとも、災害地の復興、東京オリンピック、来年の天皇代替わりというニュースがいつの間にか、前面に躍り出て、日本の政治や外交問題と沖縄の辺野古新基地工事、原発再稼働の動向は、脇に押しやられ、情報量がめっきり少なくなる。というより、情報量を、あえて絞るのである。 

 例えば、官邸とパイプが太いと言われるNHK幹部がニュース担当者に飛ばした指示というのが、「森友問題は、トップニュースで伝えるな、トップでも仕方ないが放送尺は3分半以内、昭恵さんの映像は使うな、前川前文科次官の講演問題と連続して伝えるな」というものであったことが、3月29日参議院総務委員会の山下芳生議員の質問で明らかになった。NHKがそうした事実を全面的に否定したというニュースは伝わってこない。NHKに限らず、新聞社や民放の幹部やジャーナリストたちと安倍首相との会食は続いているのだ。 

 こんな折に、私たちは何ができるのだろう。とりあえず、私も参加している「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」では、明日6月10日、次の行動を予定している。東京の大雨の予報が、夜間にでも少しずれこんでくれるといいのだが。雨の予報や銀座まつりの関係もあって、デモのコースが当初の予定より変更され、少し短縮されるらしい。

6月10日(日)12時~財務省前集合、アピール行動開始

 *デモの出発は日比谷公園西幸門で、西幸門での解散は、1時前後になるらしい。それから各自、国会前集会へ合流しよう。 

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2018年6月 2日 (土)

この諦めと、閉塞感ただよう中で~森友・加計問題と報道萎縮について、記者たちは~

 きのう、61日、永田町の議員会館会議室で、小規模ながら熱気にあふれたやり取りが展開されていた。近年の報道統制や萎縮に危機を肌で感じている7人の研究者・弁護士たちが、第一線の大手メデイアやソーシャルメディアの記者たちに訴えていた。世の中の新聞・テレビは、日大アメフト部の悪質タックル問題と米朝首脳会談の「駆け引き」の報道とに大幅な紙面と時間を割いていた。その合間に、森友関係の財務省の文書改竄・隠ぺい問題、加計学園からの"虚偽"報告問題、申し訳程度に開会中の国会での質疑が足早に報道される。531日には、何と、森友問題関係の公文書偽造、虚偽記載、背任などで告訴されていた財務省の38人の不起訴決定が大阪地検から公表されていた。佐川前理財局長はじめ、あれだけ大量の公文書改ざん、隠ぺいが明らかになったにも関わらずである。そして、このドサクサにに、働き方が選べると標榜し、高プロ申告制による残業代ゼロにしての、経営者が喜ぶだけの「働き方改革」法案を強行採決しようとしている。大方の国民の無力感、脱力感は、計り知れない。これがまさに、いまの政府の思うツボかもしれない。

 

 そんな状況の中でも、研究者・弁護士によるアピールは「権力監視報道に立ち戻り、報道現場の萎縮報道克服を求めます」であった。そのきっかけというのは、329日の参院総務委員会であきらかになったNHK報道局上層部の強圧的な指示であり、NHK大阪放送局で、森友問題を精力的に取材、いくつかのスクープもとった敏腕記者を意に添わず記者職を外して閑職へ異動させるという露骨な動きが明らかになったからである。

 

 出席したのは、以下の7名だった。 

梓沢和幸(弁護士) 

 小林 緑(国立音楽大学名誉教授/元NHK経営委員) 

  澤藤統一郎(弁護士) 

  杉浦ひとみ(弁護士) 

  瀬地山角(東京大学大教授) 

醍醐 聰(東京大学名誉教授/NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ共同   代表)
  服部孝章(立教大学名誉教授)

 集まったメディア関係者1823名、スタッフ2名を含み、総勢32名となった。 

 前記、NHK上層部の報道現場、ニュース番組の編集責任者への具体的な指示というのは「森友問題をトップで伝えるな、どうしても伝える時は三分半以内、昭恵さんの映像を使うな、前川前文部次官の講演問題と連続して伝えるな」というものであった。大阪放送局の件も合わせて、50数名の研究者・弁護士の賛同者名簿を添付してNHK会長に申し入れをしようとするものだった。 

1 受信料で支えられる公共放送機関としてのNHKは、権力から独立して自主自律の放送を貫くなか、権力を監視し、国民の知る権利に応える放送を続けているという視聴者の信頼を得ていることが大前提です。NHKが日々の報道でも人事においても、こうした前提を自ら壊すような言動は視聴者への背信行為であり、厳に戒めること

2. NHK報道局の上層部は取材・番組制作の現場の職員を萎縮させるような人事権を含む権限の濫用を斥け、事柄の核心に迫ろうとする意欲的な取材、番組制作への職員のモチベーションを支え、高めるような役割と職責を果たすべきこと

3. 以上の趣旨と関連して、目下、伝えられているNHK大阪放送局の記者を異動させる人事につき、不当で不合理なおそれも強く、中止を含め根本的に再検討すること

 当日の質疑は、記者自身に関わる問題だけに、具体的かつ真剣であるように思えた。大阪放送局の人事に関しては、とくに、最初に報道した「日刊ゲンダイ」のIさんはじめ、「東京」のMさん、「朝日」の記者さんは、かなり突っ込んだ質問を投げかけていたが、記事にしてくれるのかどうか・・・。 

会場の手伝いとして参加した私だが、個人的なことを言えば、出席者の服部先生には、社会人入学した修士課程で指導を受け、瀬地山先生は、非常勤でいらしていたジェンダー論を聴講していたので、久しぶりにお目にかかれる機会となった。

 

 

 

 

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ミュンヘン、ワルシャワ、気まま旅(12)

5月12日(土)、ワルシャワは、何の日?<自由の行進>と歩む

 ポーランド料理のランチを終えて、次に向かうのはワルシャワ博物館だったが、旧市街への道はロイヤルロードとも呼ばれ,、王宮広場に続く。

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静かな週末のコペルニクス像周辺の光景に思えたが・・・

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上の2枚は、いずれも、ヴェネチア出身の画家カナレット(ベルナルド・ベロット、1721~80年、G.A.カナレットの甥で、ワルシャワではカナレットと呼ばれている由)が、ワルシャワでの宮廷画家として、都市景観を描き続けた作品と当時を再現した現在を同時に見ることがとができるように、こんな光景があちこちに見られる。現在残されている作品(26枚?)は、一時ナチス軍に渡ったが、今は王宮に戻され、壊滅状態だったワルシャワ再興の資料になったそうだ

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三輪車のタクシーらしい。車の横にtaxiの文字が見える。後から分かったのだが、よく見ると奥には<自由の行進>の立て看板があった

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静かな街に、赤い街宣車と、旗などを掲げた人々の列が現れた

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これは何のデモ?パレード?

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EUの旗や風船も、家族れや若い人も・・・

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警官もリラックスして・・・。案内のAさんの話では、れっきとした反政府運動の一環だそうで、街宣車の文字のMARSZはマーチ、「自由の行進」ということであった

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王宮広場がデモの解散会場なのか、大きな舞台が設置されていた

  現在のポーランドは、10年前、カチンの森の追悼式典参加のためロシアに向かう飛行機が墜落、大統領を含む96人の政府関係者が死亡したときの大統領の双子の弟が、大統領を務めている。保守与党の「法と正義」が最高裁判事の総入れ替えという暴挙に司法の独立性が侵害されたとして、欧州委員会から制裁を受けている。野党の「市民プラットフォーム」が中心になって「自由と尊厳、民主主義を、欧州の中のポーランドをのために」と訴える<自由の行進>であった。EUの旗が多くみられるのは欧州委員会を支持、大統領のEU離脱をめざす政策への抗議を意味するのだろう。Aさんよれば、政府によるメディア統制も目立つそうだ。現大統領寄りの番組が増えていて、前大統領の追悼番組などは繰り返し流されているとのこと。そういえば、ワルシャワ最初の日のホテルで、夜、テレビをつけると、まさに、その追悼番組の再放送を流していたのだ。

  どこかの国でも同じようなことが起きている。しかし、こうした、さまざまな世代による、幅広い人々が、思い思いのプラカードや旗を掲げて、いわば、一見無秩序に、一つの同じ思いをもって行進できるなんて、うらやましいな、と思う。印刷された画一的なプラスターをかかげるわけでもない、歩いてシュプレヒコールを繰り返すわけでもない、車道も広い歩道も、自在に歩けるデモなんて・・・。おまけに、コースのロイヤルロードの沿道の各所にはスローガンを掲げた、幾つもの柱状の大きな櫓風の立て看板が設置されていた。旅先で、思いがけず、<自由の行進>と共に街歩きができたことは貴重な体験だった。

ワルシャワ博物館とワルシャワ蜂起博物館へ

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旧市街市場広場と人魚像

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旧市街市場広場の一角にあるワルシャワ博物館、もともとは「ワルシャワ歴史的博物館」という名前だったが、長い改修工事を経て 2017年5月末に「ワルシャワ博物館」として再開した

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展示はさまざまな図表などが用いられ、工夫されていた。上記は、ワルシャワの宗教別人口が年代別にしめされていた。拡大してみるとわかるのだが、1810年、1897年、1931
年、2011年、左端のカソリックが73-58-67-75%との推移にくらべて、ユダヤ教は、18-35-30ー1%以下という推移が見て取れる

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描かれたワルシャワ・・・

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ワルシャワのシンボルでもある人魚像、人魚のバストの大小、その描き方が政治論議にもなったそうだ

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  去年リニューアルしたばかりで上のワルシャワ博物館のガイドリーフレット通り見学するには一日かかりそうにも思えた。また、次のワルシャワ蜂起博物館は、全館照明がかなり落としてあり、細い路地や迷路のような順路の壁には溢れるような情報、展示、頭上から覆いかぶさるような壁の展示には臨場感や緊張感が高まるのだった。多くの記録や手記の抜粋が壁から語り掛けてくるようだった。閉館時刻も迫り、先を急ぎ、撮った写真は、ボケたり、手振れがあったりで、使用できないものばかりになってしまって。Dscn1917
この石畳が、疲れた足には、結構きつかった

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ワルシャワ蜂起とは、1944年夏、ナチスドイツ軍の占領下のワルシャワで、複雑な国際情勢の中、ポ―ランド独立のために戦った市民たちの運動をいう。短期間で敗退するが、戦後は、ソ連の支配下の共産主義政権下においても、ポーランドへの抑圧は続く


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館内には、市民の抵抗組織の居場所にもなった地下水道が、きれいに再現されていた

ここから、館作成の映像が見られます
⇒Learn more about Warsaw Rising 1944
(館のウェブサイトから)

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2018年5月19日 (土)

ミュンヘンとワルシャワ、気まま旅(1)

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今年のモクレンとツツジは開花が早かった

4年ぶりのドイツ

 

訪ねたい町は数ある中で、迷いに迷ってミュンヘンとワルシャワ再訪という希望が二人で一致した。私には、ミュンヘンは初めてである。数か月前から、57日出発、15日帰国のホテルと航空機の予約を代理店にお願いしていたが、夫が準備のための情報収集を始めたのは2週間ほど前だったか。私の方は、あちこちの体の不調が続いていて、病院通いをしていた。もしかしたら最後の海外旅行になるかもしれない、との思いだった。しかし、今回の旅程の数週間後にパスポートが切れるので、念のため更新に出かけた。迷ったが10年の申請をしてきたと告げたところ、体調が悪いと言いながら、やることが違うではないかと笑われた。私は病院の待合室で、ガイドブックを読む程度の準備しかできなかった。

今回は、少しゆったりした気持ちで街歩きをしたいとの思いから、ミュンヘンで一日半、ワルシャワでは一日、現地でのガイドさんをお願いすることにしていた。 

天気予報によれば、ミュンヘンは、千葉県よりやや低めの気温ながら、天気はまずまず、後半が崩れるかなというところだった。傘は持って行った方が安心か。航空機は、ANAとルフトハンザの共同運航便羽田1235発ミュンヘン行きであった。ミュンヘンは中国語で「慕尼黒」と書くらしい?とも気づいた。

 

57日、ミュンヘン、ホテルのアジサイ

 

羽田発ANA・ルフトハンザ共同NH5851便NH5851、12:35発だったが、 20分遅れの離陸、11時間弱の飛行、かつてはおいしいと思った機内食(朝食・夕食・軽食)だったが、この頃はあまり食欲をそそらない。映画は、公開当時見てみたいと思っていた「めぐり合う時間たち」を選んだ。原題は「Hours」とそっけない。数年前の作品と思っていたが、なんと2002年のアメリカ作品だった。バージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』(1925年)をめぐって、生きる時代を異にする3人の女性の物語である。1923年からロンドン郊外に転居して、自殺に至るまでの晩年のウルフ自身(ニコール・キッドマン)、1950年代ロサンンゼルスの一見幸福そうな主婦(ジュリアン・ムーア)、現代のニューヨークに生きる作家(メリル・ストリープ)の生と死をめぐるストーリーが同時進行しているらしい。やや複雑な構成だが、見ているうちにひきこまれていくような作品だったが、旅の道中には、重すぎたテーマだったかもしれない。

 

ミュンヘン空港ターミイナルⅡ着が夕方の540分だったが、夏のような日差しがまぶしい。預けた荷物を受け取るのに、長いエスカレーター、動く歩道、構内の電車に乗って移動し、市内へのシャトルバスは、610分発(11€)、中央駅前下車、目の前のホテル、エデン・ヴォルフには730分にチェックイン、予想よりかなり時間がかかったことになる。半袖で十分な気温、日没は、8時半過ぎという。

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バスは、空港の幾つものターミナルをぐるぐる回っていた。市内に入っても、渋滞気味だった。前席には、留学している学生の息子さんが両親を迎えたかのような日本人の家族が乗っていた。

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空港シャトルバスのテーブル席、新聞や雑誌も提供されているらしい

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 ホテルのロビーにはあちこちにアジサイが

 部屋は広めで、木製の壁や家具はシンプルで落ち着いた雰囲気に和む。入浴後、夕食は、ホテル内のレストランで済ます。野菜サラダ、ホワイトアスパラのスープ、シュニッツェル、トマト・ナスのソースのパスタとすべて一皿づつ、シェアすることに。それでもパスタは残してしまった。夫は細長いグラスの白ビール。私はしばしアルコールを控えることに。静かな雰囲気のレストランでも、大きなジョッキを前に仕事帰りの男性たちがあちこちのテーブルで話し込んでいた。ホテルのロビーやレストランには、しっかり花をつけたアジサイがあちこちに置かれていた。出がけの我が家のアジサイは、まだまだだったが、テッセンは散ってしまっていた。 

食後、明日、ガイドKさんと待ち合わせ場所のミュンヘン中央駅構内のスタバを確認、売店は10時で店じまい、あわてて水を買って置く。駅構内警備の警官は2人で巡回、2階の通路から見渡している警官もいる。かなり物騒なのかな、とも思う。外気は、だいぶ涼しくなっていた。戻った部屋では、湯沸かしポットの備えがなかったので、持参の湯沸かしで日本茶を入れ、一服、ほっとするまもなく、どっと疲れも出てきた。

 

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2018年4月27日 (金)

「桜を見る会」・「春の園遊会」と「歌会始」~そこに共通するのは

421日の安倍首相主催の「桜を見る会」、425日天皇・皇后が主催する「春の園遊会」の報道を目にして、また「歌会始」についてのあれこれを思い起こすことになる。

「桜を見る会」ながら、今年の新宿御苑の桜は散ってしまっていた。皇族や各国の大使の他、各省庁から推挙された人たち、政府与党、国会議員が選ぶ芸能人やスポーツ選手たちが招かれ、今年で63回目になるそうだ。「ご功績やご功労のあった人たちとのご懇談」を目指して、ここ数年は156000人が招待され、報道によれば、今年は17000人を超えたらしい。

首相官邸のホームページを見ると、丁寧にも、首相のスピーチ(全文?)と動画・11枚の集合写真が掲載されている。写真に映っているのは、いわゆるタレントやスポーツ選手たちなのだが、テレビのワイド番組、ドラマ、CMなどで見かける顔である。ワイド番組のひな壇に並ぶ人たちを、ともかくも、さらって集めたかのような騒々しさであった。記念撮影にはしゃいでいる人たちも人たちであるが、そんな彼らに囲まれている首相には、文化の香りや政治のきびしさの欠片すらない。桜にも葉桜にも縁のない人たちに思えた。おまけに昭恵夫人まで笑顔を振りまいている。頼むから、もう公の場所には出ないで欲しい。「私人」を貫くはずではなかったのか。この夫婦のお遊びならば、税金は使わないでほしい。招待者の中には、子役のタレントまでがずらりと並ぶ。児童まで政治的利用するとは、その魂胆がいじましい。

おまけに、首相は、挨拶の最後で、「葉桜の 賑わいありて 盃(はい)重ね」の俳句に続けて「葉桜になっているけれども、たくさんの賑(にぎ)わいで今日はお酒がおいしいな、という気持ちを表現させていただきました。あまり酔っぱらうわけにはいかないでしょうが、どうか今日一日、というか半日、楽しんでいただきたいと思います。」などと、普段は飲酒禁止の新宿御苑で、未成年にお酒を勧めるという、二重の「不祥事」はどうしてくれるのだろう。

さらに、426日には、首相は、冬季オリンピックの選手たち95人を官邸に招いて、感謝状を渡している。国会では、麻生財務大臣の辞任、柳瀬元首相秘書官の証人喚問を求める野党の不参加のまま集中審議が行われているさなか、この時期に、こんなことをしていてよいのかとも。

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 きのう425日の赤坂御苑では「春の園遊会」が開催され、2000人近い招待者が参集した。園遊会は春秋の2回開催される。宮内庁の資料をみると、立法・行政・司法関係者、在日外交官等のグループと各省庁が推薦する各界功績者グループのそれぞれ1000人前後が招待され、春は、前者の方が多いというのが恒例のようである。国会議員などは毎年ではなく輪番制らしい。その名簿は2週間ほど前に発表されるのが慣例でもある。また、園遊会当日、天皇・皇后から声をかけられる招待者は、あらかじめ最前列に並んでいるようで、今回、テレビなどで多く放映されたのは、平昌オリンピック出場の羽生結弦、小平奈緒、高木菜那選手ら、国民栄誉賞の羽生善治夫妻と井山裕太らであった。何となく、かみ合ったような、かみ合わないような、わきまえた対話が流されていた。後で調べてみると、これらの人選は、まず、招待者の中から、宮内庁記者会がニュースになりそうな10人くらいを選び、そのうち5人ほどを天皇が選ぶらしい。かなり限られた人数なのが分かる。

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「園遊会」は、もちろん憲法で定められている「国事行為」ではなく「公的行為」とされ、宮内庁によれば、「宮中のご公務など」の一つとして位置づけられている。先のように、公職者として、あるいは功績者として招待されることによって、そこに生じる政府と天皇・皇后をはじめとする皇族たちとの関係、親密性は、一挙に深まることになり、そこがいわば、目的でもあるのだろう。

同様のことは、「宮中に伝わる文化」の一つ、新春恒例の「歌会始」にも言える。皇族と歌人の選者と入選作品の作者が一堂に会しての「歌会」が開かれ、そこには、毎年各界から選ばれた陪聴者が招待される。その数やリストを明らかにしている資料は見当たらないのだが、中継の映像によれば数十人の単位であろうか。かなり限定された数であることも分かる。いわゆる著名な「文化人」が多く、そこに少数の歌人もローテーションで招待されているようである。その人選となると不明であるが、選者となった歌人たちの推薦と考えるのが順当ではないか。「歌会始」の選者についてはここでは詳しく述べないが、推測ながら、陪聴者選びも、宮内庁や選者の意向が強く働くのではないかと考えられる。

規模の差こそあり、性格の差こそ若干あるが、こうした仕組み、構造の中で選ばれてゆく人々の文化的思考や政治的思考がおのずから現代の政治的体制維持に限定されて行くのではないか、それを助長しているのではないか。自由な、批判的な言動を、少しづつ萎縮させたり、自粛したりする自己規制が働くことになるのではの思いが募るのだった。

 

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