2026年8月12日 (水)

欠陥法案、続々、もうこの国を愛せない(4)~国会閉会後はというと

 高市首相の熊本地震の被災者避難所の視察が「3分」に過ぎなかったと報じられ(「田中龍作ジャーナル」2026年8月3日)、拡散されると、氷川中学校の滞在時間は五十何分だと、内閣広報官が反論する羽目になった。https://tanakaryusaku.jp/2026/08/00033801

 朝日新聞8月4日の「首相動静3日」によれば、避難所の氷川中学校到着3時13分、視察が午後3時21分から34分、35分から54分までが被災者との意見交換をしたことになっている。実際に、避難所になっている氷川中学校の教室に滞在したのはかなり短かったことは推測できる。その前には、校長室で地元住民との意見交換が行われていたらしい。また、首相官邸からは、BGM付きの首相の「熊本視察動画」が発信されたことも批判されている。たしかに、真新しい防災服を着て、走るように移動する動画は、子どもが燥いでいるのようにも見える。6日経っての視察先での「激甚災害指定」の宣言といい、予備費からの200億円で「国ができることはすべてやる、先手、先手で」との発言は、失笑をかった。電気、水、道路を断たれ、家を失い、瓦礫の中で暮らす被災者や車中泊を余儀なくされている人たちをさかなでしないか。災害の政治利用、パフォーマンスといわれても仕方がない。
 折も折、8月1日、2024年1月の能登地震の復興計画の一環での公営住宅整備3100戸のうち、2棟14戸が七尾市に完成し、入居した旨の報道がなされた。2年半以上がたってもこんな状況であることを知らなかった私は驚いた。この事態を、物々しく、いかにも復興が進展しているかのように報道する方もおかしい。遅れているのはなぜなのか、何がネックなのかことこそ深堀りするのが報道ではないのか。能登半島地震、今回の熊本地震の復旧・復興対策一つをとっても、後手、後手の結果ではないのか。

 6月末には「日本成長戦略概要~「強い経済」の構築による、強く豊かな日本列島の実現~」が明らかになった。https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/nipponseichosenryaku/pdf/jgs2026gaiyou.pdf(内閣官房)

 また、7月21日、政府は「骨太方針」を閣議決定した。その中の「安全保障の強化」という項目には「5年以内の防衛力の変革を明記。その一環として、有事に備えて弾薬などの生産ラインを維持するため、工場を国が保有し運営は民間に委託する「公設民営化」の検討を盛り込ん」でいる(東京新聞7月22日)。

 さらに、政府は8月4日の閣議で、2026年版「防衛白書」を了承したのである。無人機や人工知能(AI)を活用した「新しい戦い方」の出現を踏まえて1章を創設した。「新しい戦い方」って、いったいどこと戦うというのか。中国と太平洋進出や中国とロシアの動向を念頭に置いているという。すでに今年の3月、熊本市の健軍陸上自衛隊駐屯地に、住民の反対を押し切って、中国の沿岸部や北朝鮮が射程に入る長距離ミサイルが配備された。10年かけて、各地に配備、反撃能力(敵基地攻撃能力)を高めるというのだ。防衛費の総額は、9兆353億円(対前年度比+3.8%)で、長距離ミサイルを含むスタンド・オフ防衛能力分野では、総額の約1割の9733億円で、2023年度から5年計画で毎年1兆円近くが計上されて来た。重点分野の内訳は、以下の通りである。

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【参考】

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jijicom 2025年12月26日より

 物価対策の一環としての食料品消費税減税のはずであったが、8%を1%に下げたところで、生鮮食品を含む食料品の物価上昇はすでに、7%をとっくに上回っていることは、多くの国民はスーパーや生協での支払いで実感済みである。来年4月からの2年後に8%に戻すという。8月5日、財源を示さないままの閣議決定であるが、8月6日の首相の記者会見では、2年後には「私が責任をもって、8%に戻す」覚悟?が確認されている。

   8月7日には、農林水産省は、食料自給率を公表した。図表に見るような長期推移を以下のように分析している。
「食料自給率は、長期的に見ると、米の消費が減少する一方で畜産物や油脂類の消費が増大する等の食生活の変化により、低下傾向が続いてきましたが、2000年代に入ってからは概ね横ばい傾向で推移しています」

 たしかに、横ばい状態が続いているが、カロリーベース37%というのは過去にもあったが最低である。カロリーベースの自給率の計算式は以下の通りとなる。

カロリーベース 食料自給率 = 国産供給熱量÷ 国内総供給熱量
= 1人・1日当たり国産供給熱量÷ 1人・1日当たり総供給熱量
= (830kcal/人・日)÷(2,237kcal/人・日≒37%

   この食料自給率は先進7カ国(G7)の中で最も低い水準で、食料供給のうち、国産で賄えない63%分は米国(26%)やカナダ(11%)、豪州(10%)などからの輸入に頼る。自給率が下がれば紛争や為替変動などの影響を受けやすく、食料安全保障上のリスクとなるわけである(jiji.com 2026年8月7日)。 品目別の自給率はでは、米が96%、野菜73%、魚介類46%、砂糖類33%と続くが、果実28%、大豆25%、小麦になると17%となる。相当危ういことになってはいないか。知っているようで、この数字を目にするとあらためて驚いてしまう。物価上昇に歯止めがかからないのは、ここにも原因の一つがあるようだ。

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jiji.com 2026年8月7日より

 【参照】 
農林水産省(2026年8月7日)
令和7年度食料自給率(カロリーベース・生産額ベース)
https://www.maff.go.jp/j/zyukyu/zikyu_ritu/attach/pdf/012-20.pdf

 こんなことを調べたり書いたりしていると、心はますます萎えてくる。この辺でやめたいと思う。

 

 

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2026年6月 7日 (日)

情報の収集・分析の「司令塔」?のはずが~“有料”の文春オンライン音声は聴きたくない高市首相

 5月27日に「国家情報会議設置法」が成立した。縦割りの情報・収集分析を国家情報局が司令塔となって担うというものだった。
  6月4日、衆院予算委員会で、中道の伊佐進一議員が、前日に『週刊文春』がオンラインで公開した昨年12月17日のオンライン会議の音声記録について質問した。この会議では、高市首相の公設第一秘書(高市早苗事務所長)木下剛志氏がこれまでまったく面識もなかったという自民党総裁選時の中傷動画作成者松井健氏とやり取りがなされ、その音声データが公開された。これにより、これまでの高市首相の答弁の信ぴょう性が問われることになったのである。

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5月28日、参院厚生労働委員会より。

 その高市首相は、音声記録について木下秘書のものか確認を求めるよう事前通告していた伊佐議員への答弁は、オンライン資料は有料だったので、批判的な記事を書く週刊誌の「有料会員になることは拒否する」というものだった。「有料」「有料」をなぜか繰り返していた。その後、昼休みに文字起しを読んだとして、その内容は、総裁選後の「国民の声」をどう収集するかのやり取りだったから中傷動画とは関係がないとも答弁している。自らの秘書への疑惑には答えず、やり取りの内容に言及するという答弁ずらしをしている。音声記録は、文春サイドの了承があるので提供するという提案には、有料会員でない者が、他人の取得したものを聴くのは規約違反になるとの妙な配慮をして見せる。 自分に不都合な情報らしいから、そして、有料(初回登録300円)だから情報を遮断するようでは、国家的情報収集・分析などできるのか、しかもその司令塔?を担えるものなのか、いい加減な言い訳にしか聞こえなかった。

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jiji.com6月6日より 。

  さらに、翌6月5日、参院予算委員会では立憲の岸万紀子議員の音声記録の秘書とのやり取りを確認したかどうかの質問には、聞いたけれど、あの状況での音声は、声が高く、ハキハキしている秘書とされる声はいつもと違っていて違和感があり、判別できなかったと答えている。オンライン会議自体の有無についても、莫大な量のやり取りの中から一つ一つを確認することは困難だとも開き直る。質問議員は文春の記事が正しいことを前提にしているのは心外だとも。では、文春の捏造なのかという質問については、明確な答えはなかった。

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6月5日参院予算委員会、日本テレビより

 また、岸議員は、『週刊現代』から高市早苗事務所への上記昨年12月17日のオンライン会議についての質問に対しての回答にも言及した。すでに、今年の4月3日付けで事務所からは、中傷動画作成者松井氏の「NoBorder」サイドからの求めに応じてオンライン会議がなされたことを認める回答が届いていた。これについて、首相からは、秘書は「事実とは異なる」と言っている、との回答しかない。

 『週刊現代』も、「サナエトークン」問題の取材過程で、木下秘書と松井氏の接点は、幾度か確認しているという。取材記者は「松井氏は、5月18日にネット番組『NoBorder News』に出演し、高市総理の公設第一秘書で、事務所所長の木下剛志氏と、オンラインでのやりとりを重ねていたと告白した。さらに、木下氏から具体的な指示はなかったものの、「動画作戦」を自ら主導しておこなったと主張した」と報じている(河野嘉誠「現代ビジネス」2026年6月4日)。 

 『週刊文春』や『週刊現代』が事実と異なる報道をしているというならば、高市首相や秘書、高市事務所は、記事の訂正要求や抗議をしないのか、記事を捏造しているとなったら、裁判を起こすべきだろう。6月5日の参院予算委員会で塩村あやか議員も遠慮がちに、これだけ疑惑が広がっているのに、なぜ抗議等の検討しないのかと質問していたが、その回答は、これまた、どの口がという答弁に驚いた。

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6月5日参院予算委員会、塩村議員への答弁「いま、私は日本国を背負って国家運営に取り組んでいる。ほんとうに、そういうことに時間を使っている暇はない」と。このセリフ、どこかで聞いたような。自民党総裁となった直後、「衆院解散」を問われて、「今、そんな暇はございません」と答えていた。

 それに、中傷動画の対象となった総裁候補だった林芳正総務大臣、小泉進次郎防衛大臣ほか、野党の面々、なぜ抗議なり、削除を要請しなかったのだろう。その発信経過を明確にしようとしないのかも不思議な気がする。 

 補正予算の大部分を予備費として計上し、しかもその財源を国債に拠るという補正予算案を衆・参の質疑各一日で成立させてしまう離れ業を認めてしまう野党も情けない。政府は数の力でやりたい放題、日本はどんどん沈んでゆく。

 

 

 

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2026年5月 3日 (日)

「昭和100年記念式典」、まるで昭和歌謡ショー?ではなかったか

   腹立たしいのを通り越して、あきれて、ばかばかしくもなるが、やはり、書き留めておかねばと思う。テレビのニュースや翌日の新聞記事からは全貌が見えにくい。4月29日、さすがに、テレビ局の中継はなかったが、YouTubeで閲覧した。首相の挨拶は、官邸のホームページで確認した。注1

注1)昭和100年記念式典配信ページ 
https://youtube.com/live/JeNNacZ08e4

首相挨拶(首相官邸)
https://www.kantei.go.jp/jp/105/actions/202604/29showa100shikiten.html

  入場が済んで静まり返った武道館、あちこちに空席も目立つ。読売新聞によれば参列者約5600人の由。司会進行は、元NHKアナウンサーの青山祐子、着席からだいぶ時間が経過していたらしい。式典の進行について、天皇夫妻の入退場の際の起立・着席などについての説明から始まった。それから、天皇夫妻入場までの「しばらくお待ちください」と、7・8分前後の沈黙の時間が経過、天皇夫妻入場、木原官房長官の開会、国歌斉唱の後、首相の式辞7・8分、三権の長の挨拶が併せて10分ほどか。そして、その後の30分間がなんと、下のような流れで、海上自衛隊東京音楽隊の伴奏による男女隊員の歌唱だったのである。最初は誰が歌っているのかわからなかったが、最後に、指揮者と歌い手の名前が発表されていた(植田哲生二等海佐、三宅由佳莉二等海曹、橋本晃作二等海曹)。6曲の選曲は、首相なのか、イベント会社なのか不明だが、いずれにしても、懐メロの昭和戦後版といてもいい。自衛隊員に熱唱されても、時代の雰囲気は伝わらないだろう。官邸の動画では端折られていたが、天皇夫妻が退場してからも長い間、沈黙の着席の時間が長かった。

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「産経新聞」2026年4月29日、より

 以上のような流れだったのだが、私は、つぎのいくつかの点に大いなる疑問を持たざるを得なかった。

1.「昭和100年」という区切り方にどんな意味があるのか。

この式典については、超党派議員連盟の麻生太郎会長(自民党副総裁)が2024年、当時の岸田文雄首相に要請し、政府は「『昭和100年』関連施策推進室」を設置し、昨年11月に閣議決定している。注2
 注2内閣官房「昭和100年」関連施策推進室による「「昭和100年」関連施策について」https://www.soumu.go.jp/main_content/000990655.pdf

  式典の主旨として、「<昭和100年>を契機に昭和を顧み、先人の躍動に学び、昭和の記憶を共有すること」をうたっているが、ここには、日中戦争、太平洋戦争への反省が捨象されている。この点については以下の過去記事をご覧いただければと思う。注3
注3)4月29日は祝日だった~「昭和の日」はどのようにして決まったのか。(2025年5月 2日 )
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2025/05/post-e63d11.html

 2.高市首相の「式辞」って何だったのか。

その内容に、大いなる疑問が生じたのだ。今回の言葉を聞いていて、「?」、どこかで聞いたような言い回しと思ったのが、ふりかえれば、首相の年頭所感だったのである。まさに、焼き直し、コピペに近い。注4
注4)高市首相年頭所感
https://www.kantei.go.jp/jp/104/statement/2026/0101nentou.html


式辞:昭和は、戦争、終戦、復興、高度経済成長といった、未曽有(みぞう)の変革を経験した時代でした。
年頭:昭和は、戦争、終戦、復興、高度経済成長といった、未曽有(みぞう)の変革を経験した時代です。


式辞:令和の現在、日本と世界は大きな変化を迎えています。日本においては、静かな有事とも言うべき少子化・人口減少の進行、長期にわたるデフレから一転しての物価高、潜在成長率の低迷、戦後最も厳しく複雑な安全保障環境。そして、世界を見渡せば、国家間の競争が激化・複雑化・常態化し、私たちが慣れ親しんできた自由で開かれた安定的な国際秩序は大きく揺らぎ、政治・経済の不確実性が高まっています。
年頭:令和の現在も、日本と世界は大きな変化を迎えています。 日本においては、静かな有事とも言うべき人口減少や、長期にわたるデフレから一転して国民の皆様が直面されている物価高、戦後最も厳しく複雑な安全保障環境。そして、世界を見渡せば、我々が慣れ親しんできた自由で開かれた国際秩序は揺らぎ、覇権主義的な動きが強まるとともに、政治・経済の不確実性が高まっています。


式辞:今年初めて投票してくださった18歳の若者も、生まれたばかりの赤ちゃんも、その多くが、22世紀を迎えることができるでしょう。その時に、日本が安全で豊かであるように。『インド太平洋の輝く灯台』として、自由と民主主義の国として、世界から頼りにされる日本であるように。若者たちが、日本に生まれたことに誇りを感じ、『未来は明るい』と自信を持って言える。そうした国を創り上げていく。『日本列島を、強く豊かに。』日本に希望を生み出していくことを、改めてここに決意いたします。
年頭:今年初めて投票する十八歳の若者も、生まれたばかりの赤ちゃんも、次の時代を担っていかれる方々です。彼らに、日本の未来を信じてほしい。「希望」を抱いてほしい。今の時代をお預かりしている私達には、「日本列島を、強く豊かに」して、次世代に贈る責任があると考えています。

 「日本列島を、強く豊かに」は、先の衆議院選挙の自由民主党のキャチフレーズであり、総裁メッセージであったのである。また、ちなみに、「年頭所感」と4月29日「式辞」の間にあたる2月20日「施政方針演説」にもつぎのような一節がある。注5

「「挑戦しない国」に、「未来」はありません。「守るだけの政治」に、希望は生まれません。「希望ある未来」は、待っていてもやって来ない。誰かがつくってくれるものでもない。私たち自身が、決断し、行動し、つくり上げていくものです。」
注5)第221回国会における高市内閣総理大臣施政方針演説(令和8年2月20日閣議決定)https://www.kantei.go.jp/jp/105/statement/2026/0220shiseihoshin.html

  さらに、4月12日の自民党大会での首相の挨拶にはつぎのようなくだりもあった。注6
「今年初めて投票して下さった18歳の若者も、生まれたばかりの赤ちゃんも、その多くが、22世紀を迎えることができるでしょう。その時に、日本が安全で豊かでありますように。「インド太平洋の輝く灯台」として、自由と民主主義の国として、世界から頼りにされる日本でありますように。そのために、日本の「成長のスイッチ」を押しまくり、日本の可能性を解き放ちましょう。「日本列島を、強く豊かに。」 挑戦しない国に「未来」はありません。守るだけの政治に「希望」は生まれません」
 注6)第93回党大会 高市早苗総裁演説(全文)
https://www.jimin.jp/news/press/212972.html

 「インド太平洋の輝く灯台」という唐突なフレーズは、2月8日の衆院選挙で圧勝した直後の2月18日に出された「大臣指示書」に登場する。前年のそれを大幅に変更して、内閣全体の基本方針に「日本列島を、強く豊かに」「インド太平洋の輝く灯台」を加えたというのだ。

 以上見てきたように、中身を伴わない、強い口調の同じキャッチフレーズが何回でも使われていることがわかる。身近で聞く議員たち、ひいては有権者、国民も、なめられたものである。野党は細って内輪もめばかりで、きちんと質すことをしない。NHKはじめメディアも気づきながら、毎回、適当に概略しか報じない。つまらない、些細なことなのだろうか。

 そして、この間、高市政権は、すでに、閣議で殺傷能力のある武器輸出を解禁することにした。また、インテリジェンス機能を強化するとして「国家情報局設置法案」は、野党も巻き込んで、4月23日衆院で可決させ、連休明けには参院での審議が始まる。
「昭和100年記念式典」は式典と称して、なんと、自民党、高市内閣、高市首相の広報、パフォーマンスの場であったのである。

3.天皇の臨席は何のためだったのか。

 天皇夫妻は、式典の半分以上、30分以上にわたって、昭和の歌謡曲6曲を披露されるとは思わなかっただろう。どことなく戸惑っている表情も伺われた。式典を権威づけ、重々しい雰囲気を醸成するなかで、首相のメッセージを際立てるために利用したことが明確になったのではないか。天皇としては、政治的活動の一端を担わされ、違憲の疑いさえ生じる。加えて、天皇を壇上に迎え、日頃の言動を牽制するような内容の「式辞」ではなかったか。

4.重光葵の短歌の登場、なぜ短歌を持ち出すのか。

  首相の「年頭所感」の冒頭では、昭和天皇のつぎの一首を引用して、以下のように述べている。 
「『山やまの 色はあらたに みゆれとも 我(わが)まつりこと いかにかあるらむ』御即位後初の歌会始での昭和天皇の御製です。昭和は、戦争、終戦、復興、高度経済成長といった、未曽有(みぞう)の変革を経験した時代です。まるで昭和が激動の時代となることを見通していたかのように、移り変わっていく山々の色を詠まれています。」

 昭和天皇の短歌は、1928年(昭和3年)、歌会始の題「山色新」のもと詠み、公表された一首である。首相は、どこから引用したのか、宮内庁侍従職が編纂した昭和天皇の歌集『おほうなはら』(読売新聞社 1992年)の表記とは、漢字や濁点などの表記が異なる。1928年といえば、2月に第1回普通選挙が実施されたが、大陸政策を強行するなか、関東軍による張作霖爆殺事件が起こり、内務省に特別高等警察が新設され、思想弾圧の強化が始まった年でもあった。「まつりこといかにかあるらむ」を首相は自分事のように読んだのかもしれない。となると。

 今回の式典の「式辞」では、重光葵の辞世とも言われる一首を引いて、つぎのように述べた。
「『霧は晴れ 国連の塔は 輝きて 高くかかげし 日の丸の旗』、同じ年(1956年)、日本は国連に加盟します。重光葵(まもる)外務大臣は、ニューヨークで高らかに詠い上げています。国際社会への復帰は、日本の悲願でした。」

  重光の短歌をあげて、国連復帰の功績をたたえるというより、「日の丸の旗」を強調したかったのではないか。式典の中で「国歌斉唱」の前に、司会者は、ことさらに参列者に「国旗」への注目を促していた。これって「国旗損壊罪」を新設したい首相の「悲願」の伏線?にも思わるのだった。昭和に学ぶといっても、たとえば、国連復帰を称える前に、1933年、なぜ国際連盟を脱退するに至り、日本は世界から孤立していったのか、を学ぶ方が有効だし、先だと思う。

「昭和100年記念式典」は式典と称して、なんと、自民党、高市内閣、高市首相の広報、パフォーマンスの場であったのである。肝心なところから目を反らされるようなことばかりが続く。

「戦争の足音」が近づき、抗議デモへの参加者や集会は、各地で確実に増えているが、メディアは、なぜか伝えようとしない。事件や災害報道、スポーツや皇室報道には熱心だし、物価高やホルムズ海峡封鎖による業界や暮らしへの影響、株価の乱高下などは盛んに報道されるが、その拠って来たるところには分け入らない。そして、その分、いま国会でどんな審議が行われているか、何が論点なのか、などの報道量は、確実に細っている。上記で触れなかった「国論を二分する」と豪語する高市政権の公約は、以下のように目白押しなのである。

スパイ防止法、非核三原則を見直し、憲法9条改正、緊急事態条項新設、防衛力強化、皇室典範改正、旧姓使用法制化、外国人政策の厳格強化・・・。

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池の端の一本の梅、長い間花を楽しんだと思ったら、もう大きな実をつけていた。子どもの日を前にいつのまに賑やかになったコイたち。親たち3匹は、屋根のついた避難所でお昼寝中だったが、餌をやり始めると、がぜん動き出した。(5月2日)

 

 

 

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2026年4月14日 (火)

刻々状況が変わる中で、高市自民党は、何をしているのか

 テレビで、トランプ大統領とネタニヤフ首相の映像が流れ、高市首相の無内容な国会答弁が聞こえてくると、いたたまれず席を立つが、気持ちが乱れてくる。これまで犠牲になった兵士、市民、子どもたちの命を思い、街への爆撃で舞い上がる黒煙と炎と逃げ惑う人たちの映像が再現されると、それが、どこの国の、どこの町であっても、なぜ、止められないのかと落ち込んでしまう。
 メデイアは、現地の民間人の犠牲者数と日本人の在住者数や無事の有無などを報じるのが常である。人間の命は平等なはずなのにといつも違和感を覚えつつ聴いている。
  犠牲となった兵士たちの数はどうして報じられないのだろう。軍事上の秘密だからか。日本人さえ無事であれば良いとするかのような報じ方である。今回の戦争で、米兵の戦死者は、星条旗につつまれ、大統領の敬礼をもって帰還している。英雄的処遇をすることによって、遺族は慰撫されているのだろうか。アメリカ国民はどう見ているのだろうか。かつて、日本の戦死した兵士たちは「英霊」として称えられていたことを想起する。父を、夫を、息子を失った家族にとっては、残酷なことであったことには違いないのではないか。私には幼児の戦争体験しかないので、すべてが疑問形になってしまう。

 

 4月8日、アメリカとイランの2週間の「一時停戦合意」後のイスラエルのレバノン爆撃、イランのイスラエルへの反撃・ホルムズ海峡封鎖、トランプ大統領のイランへの大規模攻撃という恫喝発言などが続く。4月12日のパキスタンの仲介によるイラン・アメリカとの協議は、合意に至らず、決裂、さらに、トランプ大統領は、軍事力によるホルムズ海峡封鎖を予告している。

 ペルシャ湾内に閉じ込められた船舶は、乗組員たちの暮らしは、どうなっているのかと不安になる。全体像が見えにくい中、やや古い資料だが、ウォール・ストリート・ジャーナル報道によれば、ペルシャ湾内には、3000隻以上の船舶が停留しているという。さらに、内閣官房発表によればで、「日本関係船舶」は45隻で、そのうち、日本籍船は5隻、日本人乗船船舶は5隻、日本人乗組員数は24人だという。日本籍船以外はいわゆる「便宜置籍船」である。とはいえ、便宜置籍船の多さと日本人乗組員の少なさとを今回はじめて知った。(内閣官房「ペルシャ湾内における日本関係船舶の状況(3月23日時点)」https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/chyutoujyousei/dai1/pdf/siryou3.pdf

 その後、ペルシャ湾の船舶から下船した日本人乗組員4人が帰国したと木原官房長官は記者会見で述べている(読売新聞 2026年3月30日)一時停戦後、3隻がホルムズ海峡を通過、日本人乗組員4人が下船しているのでペルシャ湾に足止めとなっている政府定義の日本関係船舶は、4月6日午後2時時点で42隻となっている(日本海事新聞2026年4月7日)。

 木原官房長官は、4月6日「船舶の運航については運航会社の判断であり、政府としての回答は差し控える」、4月13日午前の会見では、米イランの協議を念頭に「関連の動向を注視しているところだ」とし、「最も重要なことは今後ホルムズ海峡の航行の安全確保を含む事態の沈静化」「外交的な最終的合意への期待」を語るのみ。トランプのホルムズ海峡逆封鎖の受け止めを問われて「トランプ大統領の発言を含めまして、米国の政府関係者の発言、この逐一にコメントすることは差し控える」と答えている。
 高市首相も4月13日政府与党連絡会議で、「ペルシャ湾内にとどめ置かれている船舶、日本関係の船舶を含むあらゆる船舶の安全確保に向けて、引き続きあらゆるレベルで主体的に取り組みを進める」と発言。日本政府は、動向を注視船舶の安全を繰り返すばかり。茂木外相が電話でイランの外相に航行の安全確保の要請をしたというが、トランプ大統領からは日本は協力的でないと言われ、「できないことは、できない」ときっぱり要請したのだろうか。

 まして、日本国民の暮らしと安全を守ると言いながら、ガソリン価格対策として補助金を出したと言っても、財源は直ぐに切れるし、物価高に苦しむより多くの国民、石油関連資材不足に追い詰められている事業者への対策が見えてこない。


 そんな中で、高市首相は、イギリスのロックバンド「ディープ・パープル」と会って、ファンぶりをアピールしたとか、また、自民党大会では、世良公則に「「燃えろいい女」を歌わせ、最後のサビでは「燃えろサナエ~」との絶叫に、立ちあがって手拍手を送ったとか(時事ドットコム2026年14月12日)聞くと、政党の大会でやることかとあきれた。さらに、自衛隊の女子隊員に制服で「君が代」を歌わせもした。これは自衛隊法における自衛隊の中立性に違反して完全にアウトではないか(自衛隊法第61条第1項)。高市首相は、自衛隊員が歌うとは知らなかったといい、小泉防衛大臣は、記者会見で報告を受けてなかったいう。責任転嫁、無責任も甚だしい。こんな自民党が圧勝していたのだ。とんでもない舞い上がりの、まさに“言うだけ番長”を総裁とする自民党、「憲法改正の時が来た」と叫ぶ首相なのである。
 そういえば、高市首相が訪米の折、トランプ大統領主催の晩餐会で、ファンを自称しているXジャパンの曲が流れたからと言って、”絶叫“する首相でもあった。

【参考】自衛隊法第六十一条 隊員は、政党又は政令で定める政治的目的のために、寄附金その他の利益を求め、若しくは受領し、又は何らの方法をもつてするを問わず、これらの行為に関与し、あるいは選挙権の行使を除くほか、政令で定める政治的行為をしてはならない。

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のどかな池の鯉、子どもの鯉が急に増えて驚いたが、この左手に続く池には、こまかいネットが張られていた。サギに狙われないように元気に育ってほしい。

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新緑が映える中庭の先に見えるポスト

 

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2026年3月19日 (木)

気の休まるときがない中で、桜の季節を迎えた

 昨夜、高市首相がアメリカに発った。とんでもない大きな土産を背負ってこなければいいがと気がもめる。トランプの機嫌を損ねないように、何を言い出すか分からないトランプを相手に、首相は難しい局面に立たされているとか「専門家」たちが「真面目」に解説したり、「できることとできないことがある」との答弁を高く評価したりするのを聞いていると、情けなくなる。「手の内」を明かさないことや「曖昧」にすることが外交手腕のように取り沙汰されることもあるが、国際法違反の戦争には加担できない、憲法上、自衛隊法などの国内法から見ても、自衛隊を派遣することはない、という明確な発言こそが「国益」に沿うことになるのではないのか。

 アメリカとの関税交渉の中で、合意したアメリカへの80兆円強という巨額な投資の中身についても話し合われるが、その内容が明らかになって来た。
 時事ドットコムニュースによれば、その1弾としてば、5.5兆円、ガス・発電、原油輸出、人工ダイヤの3件で(2026年02月18日)、2弾として、10兆円でGEベルノバと日立による次世代型の小型モジュール炉(SMR)を建設する計画、天然ガス発電施設2カ所の建設事業が盛り込まれる見通しだという(2026年03月18日)。アラスカの原油増産に協力も具体化するらしい。

*「GEベルノバ」は、旧称ジェネラル・エレクトリック
* SMRとは、発電容量が30万キロワット以下と大型原発の3分の1ほど。構造が簡素で事故リスクを低減でき、建設しやすく工期も短くてすむとされる次世代型の原子炉

 日立の原子炉輸出といえば、イギリスからの撤退のニュースが思い出される。2019年1月、ウェールズ地方で進めてきた原発建設プロジェクトを断念したのだ。地元の反対も大きかった上、融資も人材も見通しが立たなかったという。

* 英国原子力発電所建設プロジェクト事業運営からの撤退について(日立のHP 2020年9月16日)
https://www.hitachi.com/ja-jp/press/articles/2020/09/0916/

 SMRについては、東南アジアへの輸出も視野に入れてのことらしい。事故リスクが低減できたとしても、廃棄物の処理はどうするのか。日本国内において原発の再稼働、新設に意欲を示す高市政権、使用済み燃料、核のゴミの最終処分場として南鳥島への打診が始まった。福島の原発事故から15年、日本は、学習をしない国、反省しない国であることが露わになったと言えよう。

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春は足早にやって来た。ベランダ先の枝垂れ桜、何本かの支柱に支えられ頑張っている。上段は2月9日、下段はきょう3月19日撮影、ほぼ同じアングルだったのだが。

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2026年2月 7日 (土)

選挙戦は始まったが~嘆いて、嘆いて、嘆いて・・・(5)スパイ防止法はどうなる。

 2025年10月20日のことになるが、自民党と維新の会との合意文書全文を一読することをお勧めしたい。あらためて読んでみると、実に、おそろしく、こわいことが書いてある。

自由民主党と日本維新の会の合意文書
https://storage2.jimin.jp/pdf/news/information/211626.pdf

 あす、2月8日の選挙では、自民党単独で過半数、維新を合わせるとその議席は「3分の2をうかがう勢い」だという調査もある(『毎日新聞』2026年2月6日)。となると、合意文書の大方が、その気さえ出せば、国会の議論を短縮して、各種の法律が成立してしまう可能性が高い。以下は、8頁ある文書の「インテリジェンス政策」と「エネルギー政策」の部分である。

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 エネルギー政策では「原発推進」をうたうが、廃炉、使用済み核燃料の処理については何も語ることはない欺瞞性が露わである。
 インテリジェンス政策においては、「内閣情報調査室」を「国家情報局」に格上げし、国による「インテリジェンス(情報収集・分析などの情報活動)」を拡充する構えである。

 昨年11月には、参政党と国民民主党が「スパイ防止法案」を議会に提出している。いずれも具体性に乏しいだけに、どんな内容になるのか、国会での議論が尽くされるのか、不安が募る。昨年に提出された国民民主党と参政党の「スパイ防止法案」と今回発表された中道の政策は以下を見て欲しい。

国民民主党(2025年11月26日)
https://new-kokumin.jp/wp-content/uploads/2025/11/4969eb4a0762a37935114707329c942b.pdf

参政党「スパイ防止法案を提出(特定秘密保護法改正案も含む)」(2025年11月25日)
https://sanseito.jp/news/n6108/

中道改革連合「2026衆院選主要政策」
https://craj.jp/election2026/policies/

 これらを要領よくまとめた記事や図表などを探したが、見当たらなかった。自分で作成すべきだが今はとりあえず、東京新聞の以下の図表をお借りする。これは昨年の11月段階のものなので「中道改革連合」の政策が見当たらないが、中道改革連合「2026衆院選主要政策」の中の「インテリジェンス政策」には「横断的なインテリジェンス体制を強化します。」の一行しかない。人権・プライバシー侵害のリスクがある「スパイ防止法」制定を目指す勢力にどう向き合うのか、不安にもなる。

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「急浮上した<スパイ防止法>制定 自民・維新は早期成立出合意 野党には賛否<監視社会>に拍車がかかる」(『東京新聞』2025年10月28日)より。

 ところで、必要があって、神奈川大学非文字資料研究センターの『国策紙芝居から見る日本の戦争』(「戦時下日本の大衆メディア」研究班編著 勉誠出版 2018年2月)を繰っていたら、つぎのような紙芝居「スパイ御用心」を見つけた。解説によれば、1941年12月20日公開、日本教育紙芝居協会によって東京市内の国民学校で巡回実演された作品という。日本が真珠湾攻撃をした12月8日直後の作品である。前年の40年11月10日には紀元2600年記念式典が国を挙げて行われ、12月6日には内閣情報部が「内閣情報局」に格上げされていた。この紙芝居には、以下のような背景があった。1941年に入ると3月7日には「国防保安法」が成立、太平洋戦争開戦の直前の10月15日はゾルゲ事件で尾崎秀実が逮捕され、10月18日には東条英機内閣が成立しているのである。

 紙芝居では、頁の左下の絵のように「宣伝に乗るな、謀略にかかるな、情報は漏らすな」と「少国民」に訴えているわけだ。現代の情報環境は大きく変化し、ネット社会での個人レベルの情報は、ほぼ全国民、全開にひとしいと思われるが、スパイ防止法では、さらに監視の対象となりかねない危惧がある。また、与党のみならず、一部野党からも声高に叫ばれている「外国人対策」とも相通ずるところがある。この紙芝居をわらって通り過ぎることができなくなったのである。

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2024年6月29日 (土)

沖縄の離島の悲劇を忘れてはいけない―「慰霊の日」に(2)

ハンセン病者の人体実験が続けられていた!

 この稿を終わろうとしたとき、「ハンセン病開発中の薬、療養所で 副作用確認後も投与試験」の報道に接した(『朝日新聞』2024年6月25日)。熊本県「菊池恵楓園」の調査報告書の公表を受けての報道であった。園長室で薬剤「虹波」を服用させたり、半ば強制的に注射をさせたりする人体事件のようなことが戦中・戦後も繰り返されていたというのである。

 「菊池恵楓園」といえば、1952年、あるハンセン病患者が証拠不十分なまま逮捕され、不当な裁判を受け、その結果、死刑となった「菊池事件」を思い起す。この療養所の医師にハンセン病と診断され、療養所への入所を執拗に迫られた被告が村の衛生担当者を殺害したと疑われた事件である。逮捕後は、構内の仮拘置所に隔離され、療養所内の特別法廷においては、本人が否認する中、一度も出廷したことがないままに、第3次再審中の1962年9月、福岡拘置所への移送直後2時間後に死刑が執行されるという異例の事件であった。この事件の背景には、戦時下の「無らい県運動」を引き継いだような病者の強制隔離政策と差別助長の社会的風潮があったのである。

<詳しくは、以下を参照>
・熊本県HP 3-1.菊池事件
https://www.pref.kumamoto.jp/uploaded/attachment/49316.pdf

・菊池事件略年表(菊池事件再審を求める会作成)
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 今回の報告書では「薬剤投与試験」1942年から開始されたとする。戦後も続けられたがいつまでかは不明で、調査中という。1943年アメリカでは新薬プロミンが開発され、1947年国内でも使用開始したにもかかわらず、1948年「優生保護法」で、ハンセン病者や障害者の断種や中絶が続き、1953年「らい予防法」では隔離政策は維持されていたのである。1996年「らい予防法」の廃止、2001年熊本地裁が「らい予防法」の違憲性、国家賠償請求を認め、国は控訴せず謝罪、「ハンセン病補償法」成立、2009年「ハンセン問題基本法」成立後も、さまざまな偏見と差別が続いているのが実態である。長島愛生園初代園長で、「無らい県運動」を率先して進めた、戦後も「らい予防法」での隔離政策を維持した医師光田健輔に1951年、文化勲章が授与されている。

なぜ、沖縄に、二つの国立ハンセン病療養所があるのか

 こうした日本のハンセン病小史を省みて、私の沖縄旅行で忘れられない一件がある。2017年2月、今は本島と橋でつながっている屋我地島の国立ハンセン病療養所「沖縄愛楽園」を訪ねたときのことである。米軍機が兵舎と間違えて空爆がなされた愛楽園であったが、ここにも、病者への過酷な隔離と差別の歴史があった。

 私の「愛楽園」訪問の目的は、「癩」と皇室との関係への関心から、貞明皇后の「御歌(みうた)碑」を確認することだった。1932年11月、大正天皇の皇后、貞明皇后が「つれづれの友となりても慰めよ行くことかたきわれにかはりて」と詠み、この歌を全国のハンセン病療養所に下賜金とともに贈ったことから、歌碑が建てられたのである。「愛楽園」の10万坪近い敷地は出入り自由らしいので、地図と案内板を頼りにまわったものの、その歌碑を見つけることができなかった。海岸に出れば、水子の供養塔があり、思わずドキリとした。広い砂浜の先には小島や岩が点々とし、左には古宇利島への長い橋も見えた。その日は、交流会館の閉館時間も過ぎていたので、翌日、出直すことにした。通常の病院と変わらないたたずまいで、夕方とあって建物の間を白衣の人たちや配膳の人たちが行き来していた。

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 翌日、交流会館の展示で、「沖縄愛楽園」の沿革と国策によるハンセン病者の強制隔離と差別の実態をあらためて目の当たりにするのだった。

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米軍の空爆後、瓦礫と化した屋外で解剖がなされている。1945年7月10日米軍の撮影による

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1944年3月に着任した2代目愛楽園園長の早田晧は、7月から空襲時の避難壕の掘削を開始、手足の不自由な患者たちにも、掘ることを課し、病状を悪化する者が続出した。それが原因で、米軍の上陸後一年で死者が274人に上っている。下の銘板は自治会の名で1997年に建てられている。上の写真は、「早田壕」と呼ばれた壕の入り口の一つである。

 翌日、交流会館の展示を見て、「御歌碑」のたどった経緯も分かってきた。

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 上記の写真は、1932年11月に貞明皇后が詠んだ歌が全国のハンセン病療養所に下賜され、愛楽園では1943年2月に建立された「御歌碑」である。この写真説明には「絶対強制隔離政策の正当化と強化の役割を果たした」と明記されていた。皇室の威をかりての国策推進の典型といえよう。

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 上記の写真は、空爆による焼跡の中に立つ「御歌碑」だが、米軍の指示により、台座からはずされ、沖合の海に沈められたと説明されている。続いて、米軍は「国家神道」につながるものとして撤去を命じた、とも説明する。「国家神道」というより、GHQは、天皇、皇族崇拝につながるものとして撤去を命じたのではないか。

 案内の地図にある現在の「御歌碑」はどんなふうになっているのか、ふたたび構内を歩き回るのだが、見つからない。半分諦めかけていたところ、草ぼうぼうの広場の片隅に、思いもよらない姿をさらしていた。はじめは信じられなかったのだが、ボロボロになったブルーシートの間から、「貞明皇后」と読める文字、「つれづれの・・・」の文字も見える。

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 帰り際に、交流会館に寄って、係の人に尋ねてみた。見つけたのは古いもので、新しい歌碑があるのではないかとも。どこかあいまいな返答で、釈然としないまま、愛楽園を後にしたのだった。

 平成期の天皇夫妻が、1975年7月、皇太子時代に沖縄国際海洋博の開会式のために、沖縄に初めて訪問した際、沖縄愛楽園を訪問している。その時、「御歌碑」は再建されていたのか。横倒しの歌碑は、沈められた歌碑と石の形も台座も異なるところから、再建されたには違いないが、あのような姿になったのはいつだったのか。交流会館の前には、「高松宮妃殿下」「三笠宮妃寛仁殿下妃殿下」の記念植樹があった。

  あの「御歌碑」はどうなっているのか、気になっていた。2018年、沖縄愛楽園開所80周年の記事を見たので、園に電話してみた。「元の位置に戻しました、あの時はまだ工事中でして」とのことであった。工事中にしては、相当長い間放置されていた姿ではあった。正直なところ、自治会は、あのまま海に沈めてもよかったのではと思う一方、日本のハンセン病の歴史的遺構として、残されるべきものであったかもしれない。残す以上は、しっかりとその果たした役割を伝えてゆかねばならないと。

 なお、沖縄県には、もう一つ、宮古島に、国立ハンセン病療養所南静園がある。全国に13ある国立ハンセン病療養所のうち、二つが沖縄にあることになる。大正期の1916年8月、前述の光田健輔が多摩全生園の園長時代、西表島に3万人の患者を隔離できる候補地として、視察に来ている。収容人数の拡大と逃亡防止のためだったとするが、地元の猛反対行動に、逃げるように島を離れたとの、当時の報道もある。現在の沖縄の基地問題に共通するものがあるのではないか。
 

<以下もご参照ください>
冬の沖縄、二つの目的をもって~「難しい」と逃げてはならないこと(1)
沖縄、屋我地島、愛楽園を訪ねる(2017年2月14日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2017/02/post-eeb9.html

 

なぜ、貞明皇后だったのか

  また、なぜ、貞明皇后の「御歌碑」だったのかについては、以下の拙著も併せてお読みいただければと。

「貞明皇后の短歌が担った国家的役割 — ハンセン病者への<御歌>を手掛かりに」
『<パンデミック>とフェミニズム(新フェミニズム批評の会創立30周年記念論集)』翰林書房 2022年10月

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2024年6月26日 (水)

沖縄の離島の悲劇を忘れてはいけない―「慰霊の日」にふたたび(1)

 沖縄は、6月20日に梅雨が明けて、6月23日の慰霊の日前後の新聞は、『沖縄タイムス』と『琉球新報』はもちろん各新聞は、温度差があるものの、さまざまな形の特集や記事を掲載している。手元の四紙に目を通して思ったのは、式典の様子や平和の礎に祈る人々への取材がほとんどであった。

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左「沖縄タイムズ」【2024年6月23日」臨時号
右「東京新聞」(2014年6月24日)より

 中に一つ、東京新聞の「集団自決 息絶えた母」は、渡嘉敷島へ米軍が上陸した際、日本軍が住民を集め、手りゅう弾を渡し、集団自決を迫ったという事件を報じている。母と弟を目の前で殺された遺族の姉妹に取材した記事だった(2024年6月24日)。死にきれなかった者は、日本兵や身内が手をかけ殺すといった凄惨な場面を目撃した姉妹は死んだふりをして難を逃れたという。渡嘉敷島の住民にとって「慰霊の日」は、集団自決がなされた3月28日であった。90歳と86歳の姉妹は、6月23日に「平和の礎」を訪れ、日本軍への怒りと悲しみを新たにしたとある。

渡嘉敷島へ~欠航の合間に

 2017年2月初旬、私たちは、夫の強い要望で渡嘉敷島へ渡ったのは、村の人口よりやや多い、700人以上のマラソンランナーたちが去った直後だった。高速船は欠航だったが、波に強いというフェリーで出港、内海を出ると、甲板にいた私たちは波しぶきを浴びた。島では、タクシーの女性運転手のガイドによって、「観光案内書」にはないコースを巡ることになった。

  大江健三郎の『沖縄ノート』(岩波書店 1970年)を巡る裁判や教科書裁判で争われた「集団自決」について少しでも知りたいと思ってのことだった。渡嘉敷村のHPには、以下のように記されている。「パニック状態に陥り」「かねて指示されたとおりに」「集団を組んで」と、曖昧な表現となっている。

「3月27日には渡嘉敷島にも上陸、占領し、沖縄本島上陸作戦の補給基地として確保しました。日本軍の特攻部隊と、住民は山の中に逃げこみました。パニック状態におちいった人々は避難の場所を失い、北端の北山に追込まれ、3月28日、かねて指示されていたとおり、集団を組んで自決しました。手留弾、小銃、かま、くわ、かみそりなどを持っている者はまだいい方で、武器も刃物ももちあわせのない者は、縄で首を絞めたり、山火事の中に飛込んだり、この世のできごととは思えない凄惨な光景の中で、自ら生命を断っていったのです。」

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 一方、1979年、曽野綾子らによって建立されたのが「戦跡碑」であった。その碑文には、一家が集団自決をする凄惨な場面が記述されたあとに「そこにあるのは愛である」という文言が唐突であり、いささか驚いた。

 27 日、豪雨の中を米軍の攻撃に追いつめられた島の住民たちは、恩納河原ほか数か所 に集結したが、 28 日敵の手に掛かるよりは自らの手で自決する道を選んだ。一家は或いは、 車座になって手榴弾を抜き或いは力ある父や兄が弱い母や妹の生命を断った。そこにあるのは 愛であった。この日の前後に 394 人の島民の命が失われた。 その後、生き残った人々を襲ったのは激しい飢えであった。(中略)  315 名の将兵のうち 18 名は栄養失調のために死亡し、 52 名は、 米軍の攻撃により戦死した。 昭和 20  8  23 日、軍は命令により降伏した」

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赤丸が訪ねたところ、黒丸が訪ねたかったところです。

以下の当ブログの過去記事もご覧いただければと。
 冬の沖縄、二つの目的をもって~「難しい」と逃げてはならないこと(5)「アリラン慰霊のモニュメント」をめぐる 2017.02.24

 冬の沖縄、二つの目的をもって~「難しい」と逃げてはならないこと(4)渡嘉敷村の戦没者、集団自決者の数字が錯綜する、その背景 2017.02.22

 冬の沖縄、二つの目的をもって~「難しい」と逃げてはならないこと(3) 2017.02.19

 

伊江島で何が起きていたのか

  2016年6月、本部(もとぶ)港から伊江島に渡っている。島の中央に突起したグスク山を目指し、フェリーで30分の船旅であった。島内は地元出身の運転手さんに案内してもらったが、今やリゾート地としての島、百合の花の島、伊江牛の島が自慢らしかった。

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 伊江島に米軍が上陸したのは1945年4月16日、六日間の激戦の末、4月21日には占領された。本島に疎開できず残っていた島民の半数近くの1500人、兵士2000人が犠牲となった。米軍は、伊江島の滑走路が何としても欲しかったという。その後、米軍は、「銃剣とブルドーザー」により島民の土地を収用、島民は追い出され、米軍基地がおかれた。一時は全面返還の話もあったが、現在も島の3分の1以上が米軍基地である。その四分の三600ヘクタールの私有地には、防衛省が地代を払い続け、1800人ほどの地主に、毎年16億の予算が付けられている。基地内には「黙認耕作地」というものがあって、耕作地、住宅地にも利用されている。
 なお、案内の運転手は、「地代が年に1000万以上の農家もざらにいるさ」とも話していたが、実際は、6割以上の地主は、100万以下ともいう。また、基地内の私有地が、不動産屋により売買され、「絶対返却されることはない」からと投資の対象にもされている。

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 1961年、「伊江島の土地を守る会」が発足、米軍に対する非暴力による抗議運動の根拠地となった団結小屋である。もちろん今は無人で、外壁には、大きな文字で、伊江島の土地を守る会、そしてその運動の中心だった阿波根昌鴻(あはごん・しょうこう/1901~2002年)からのメッセージが書かれている。

ふたたびの沖縄、慰霊の日の摩文仁へ(4)伊江島1(2016年 月17日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2016/07/post-2b26.html

ふたたびの沖縄、慰霊の日の摩文仁へ(5)伊江島2
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2016/07/post-4891.html

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 1948年8月6日、米軍の上陸用舟艇に積まれていた未使用砲弾が爆発、島民107名の犠牲者を出した。地上戦で生き残った島民の命が奪われた大惨事であった。

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苛烈な激戦で、
唯一残骸をさらしている「公益質屋」。1929年の世界恐慌は、島民の暮らしを直撃し、高利貸しに苦しむ村民に、村が設けた質屋であった。

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ガマの一つ、手前の平らな部分が広く、多くの人々が潜んでいた。

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『毎日新聞』(2024年6月20日)の記事では、1943年日本軍は伊江島に飛行場建設を決定、戦況が悪化する中、要塞化を進め、1945年4月16日米軍上陸後は、軍は住民を巻き込み、多くの犠牲者を出した。毎日新聞は、このシリーズで、6月21日は、与那国島出身の大舛松市大尉の戦死を軍神とあがめ、戦意を高揚した同調圧力を、22日には、波照間島の島民が強制避難した先でマラリアに感染、島民の3割に当たる477人が犠牲になったことを報じていた。

 

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 私が6月23日の追悼式に参加したのは2016年だったから、すでに8年も経つ。会場に入るのは二重のチェック、式典後の帰りのバスから見た会場周辺の光景、青い制服の警備スタッフがが延々と続く。安倍首相の時代である。ことしはどうだったのだだろう。

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 私のわずかな沖縄体験ながら、沖縄本島はもちろんだが、伊江島、屋我地島、渡嘉敷島を訪ねただけでも、多くを知り、考えさせられることも多々あった。次回は、国立ハンセン病療養所「沖縄愛楽園」のある屋我地島について書いておきたい。

 

 

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2023年9月12日 (火)

図書館を支える人々~非正規と障がい害者の方々の待遇の実態(2)

2)障がい者の報酬はこんなことでよいのか

 国立国会図書館の資料のデジタル化は急速に進み、「図書館送信」と「個人送信」の範囲も拡大され、「個人送信」の場合は、自宅で、閲覧できるし、必要個所を印刷もできるようになった。その恩恵は計り知れない。

  国立国会図書館が進める蔵書のデジタル化に、障がい者の延べ約500人が本のスキャンやデータ入力などの作業をもって貢献しているという。図書館が自力でできる作業量でないことは理解できるし、しかも、その作業は決して単純ではなく、細かいノウハウも必要な作業だと思う。下記の毎日、日経の記事はともに、そうした作業に携わることが、障がい者の誇りとなり、やりがいにつながっている、という報道であった。

  ところが、共同配信の「時給222円を変えたい・・・」の記事を読んで愕然としたのである。障がい者雇用の実態がこれほどまでとは、知らなかったのである。近所で、障がい者のグループホームを運営している知人は、仕事探しの容易でないことを嘆いていた。商業施設でカートを集める仕事、近くのマンションの草刈りの仕事が見つかったの、と喜んでいたことがあった。また千葉市のハーモニプラザの売店では、作業所の人たちが作ったという紙すきの葉書や端切れで織り込んだコースターなどを買ったことがある。

 上述の222円というのは、作業所の全国平均の時給なのだが、国立国会図書館の上記デジタル化作業を請け負った日本財団が、全国8か所の作業所で実施し、月収がこれまでより3倍ほどの5万円にアップできたというのである。日本財団によれば、2022年度は、三億七千万円、約三万冊分を受注でき、これからも拡大の意向だという。

・「障害者、デジタル化一助に 根気必要な作業、黙々と 国立国会図書館」『毎日新聞』 (2022929日)https://mainichi.jp/articles/20220929/ddm/041/100/058000c

「「本を未来に」障害者誇り 国会図書館蔵書デジタル」『日本経済新聞』(2022103日)https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE260N90W2A920C2000000/

・(市川亨)「時給222円」を変えたい 障害者が国会図書館をデジタル化 品質に合格点「彼らの力なしでは成り立たない」『信濃毎日新聞』20221011日(共同配信)

・「障害者の実力」示す国会図書館のデジタル化作業(20221107日)日本財団ホームページhttps://blog.canpan.info/nfkouhou/archive/1431

・徳原直子「国立国会図書館のデジタルアーカイブ事業~資料デジタル化を中心に~」国立国会図書館 https://www.tamadepo.org/kouza/tokuhara20170203.pdf

  それにしても、月収5万円とは。何で、こんなにも安価な報酬なんだろう。何のための最低賃金制度なのか。調べてみると、最低賃金制度には、「減額の特例許可制度」というのがあって、最低賃金を一律で決めてしまうと、労働能力が著しく低い労働者の雇用機会が減ってしまうからという理由で、特例が設けられている。例えば、試用期間や職業訓練期間中の労働者と並んで「 精神又は身体の障害により著しく労働能力の低い者」との規定があって、障がい者雇用の場合は、これによって最低賃金制度から除外されてしまうのである。ずいぶんと雇用者にだけ都合の良い制度なのだろう。たとえ、特例を設けるにしても、「同一労働、同一賃金」の主旨を貫ける制度にしてほしい、思うのだった。

 ・「障害者雇用の賃金はなぜ安い? 最低賃金制度と減額特例」(2020年1月13日)『障がい者としごとマガジン』 https://shigoto4you.com/saitei-chingin/

 

 

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2023年7月28日 (金)

天皇はどこへ行く、なぜインドネシアだったのか

  4月以降、メディアにおける皇室情報氾濫の予兆を、以下の当ブログ記事はつぎのような書き出しで指摘していた。その皇室情報の実例を一覧にしていたが、6月中旬の天皇夫妻のインドネシア訪問を経て、さらに拍車をかけたようである。
「新年度4月以降、宮内庁に広報室が新設されたのと、Coronaが2類から5類に移行し、感染対策の緩和がなされたことが重なり、一気に皇室報道が目立ち始めた。」

宮内庁広報室全開?!天皇家、その笑顔の先は(2023年6月12日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2023/06/post-9183da.html

   印象だけに頼っていてはいけないので、数量的に示せないものかと、思案していた。最良の方法とは思えないが、いつもの悪いクセで、天皇記事大好きな?『朝日新聞』のデジタル配信記事とNHKの配信記事との統計を取ってみたところ、当初の予想とはかなり違っていた。その概略を、以下の表にまとめた。けっこう手間ヒマかかってしまったのだが、1・2の読み違いはご容赦ください。ここから見えてくるものは何か考えてみたい。

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  6月に、二つのメディアにおいて天皇家の記事が突出しているのは、6月中旬に天皇夫妻がインドネシアを訪問したからであり、天皇にとっては即位後初めての外国訪問であり、皇后にとって二人揃っての外国訪問は21年ぶりのであることが喧伝された。また5月に秋篠宮家の記事がやや多めなのは、秋篠宮夫妻が英国チャールズ国王の戴冠式に参列したためである。

 なぜ、インドネシアだったのか

 政府は、天皇夫妻のインドネシア訪問を6月中旬以降に予定していると、4月6日に発表していた。6月17日から23日までのインドネシア訪問が、正式に閣議決定されたのは6月9日であった。なぜ、インドネシアなのかは、日本との外交関係樹立65周年に当たり、ASEANN友好協力50周年に当たるからというものであった。「グローバルサウス」の主要国であるインドネシアとの関係強化、中国との関係での軍事的な連携などを強めたい政府の意図は明らかであろう。経済的にも、インドネシアには、日本からは多大の投資や技術援助がなされ、自動車や電気機器の市場であり、インドネシアからは、ゴム、液化ガス、パルプ、魚介などの天然資源を輸入している上、現地の安い労働力を利用する多数の日本の工場が進出している。我が家でもインドネシア産のエビが食卓にのぼるし、メイド・イン・インドネシアの下着なども見かける。セブンイレブンなどのコンビニ、吉野家や丸亀製麺などのレストランチェーンなどの進出も著しいという。

 そんな両国の関係を十分理解した上だと思うが、天皇は訪問前の記者会見で、室町時代にゾウがやってきたことや近くはニシキゴイの交配による交流についてはともかく、都市高速鉄道や排水事業、砂防事業などへの日本の技術援助や東日本大震災時のインドネシアからの支援などによる交流を強調していた(「戦後生まれの陛下 模索の旅」『朝日新聞』6月18日、「両陛下、あすインドネシアへ」『毎日新聞』6月16日)。

 しかし、私がもっとも関心を持ったのは、太平洋戦争下の1942年から、日本が占領していた時期、現地で強制動員された“労務者”や食料の強制供出などによる犠牲者とオランダ軍の捕虜4万人、オランダ系民間人9万人の強制収容による犠牲者たちに、天皇はどう向き合うかであった。太平洋戦争にかかわる歴史を記者から問われ、つぎのように答えている。
先の大戦では世界各国で多くの尊い命が失われ、多くの方々が苦しく悲しい思いをしたことを大変痛ましく思う。インドネシアとの関係でも難しい時期があった。過去の歴史に対する理解を深め、平和を愛する心を育んでいくことが大切ではないかと思う」

 「先の大戦では世界各国で多くの尊い命が失われ」と、問題を普遍化し、インドネシアとの関係では「難しい時期があった」とさらりとかわし、「痛ましく思う」「理解を深め」「平和を愛する心を育んで」・・・と、反省もなく「未来志向」へと“安全に”着地するのである。訪問先の日程を見ても、日本の占領下から脱し、再びオランダからの独立戦争による犠牲者たち、インドネシア人とともに闘った残留日本兵たちが埋葬されている「英雄墓地」には参拝するが、日本の占領下での犠牲者たちへの慰霊の言葉もなく、姿も見えない。ここには、日本政府の強い意図が感じられ、所詮、天皇は、時の政府の見えずらい籠の中の存在でしかないのではないか。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      

上皇夫妻報道と佳子さん報道は何を意味するか

 私がこれらの作業する中で、つぎに着目したのは、上皇夫妻のメディアへの登場とその頻度であった。いまの憲法上、天皇に格別の権威があるとは認めがたいが、平成期の天皇の生前退位表明以降、退位後の旧天皇「上皇」と現天皇の二重権威への懸念が取りざたされた。それを払しょくするために、なるべくひそやかに暮らすかに思えたが、どうだろう。上記の表で、天皇・秋篠宮関連以外の皇族たちの報道の半分、朝日の18件中9件、NHKの12件中6件が、上皇夫妻の記事であった。その大半は、5月中旬の奈良・京都訪問の記事であった。7月24日から28日までの那須御用邸での静養報道に先だって、上皇夫妻は、「お忍び」で7月6日正田邸跡地の公園、19日には、東京都美術館のマチス展・東京都写真美術館の田沼武能作品展に出かけているのを、朝日は報じている。「お忍び」と言いながら。宮内庁と朝日の見識を疑ってしまう。主催者の美術館にしてみたら、これとない宣伝効果が期待されるに違いないが、利用されていて良いものか。また奈良・京都訪問も、いわば後期高齢者のセンチメンタル・ジャニーかもしれないが、出迎える側の警備や準備の負担を考えてしまう。「葵祭」の際は、街中にテントまでしつらえての見学であった。
 つぎに、全般的に、皇嗣秋篠宮関連報道に熱心なのがNHKだったと言える。次期天皇家を見据えてのことなのか、佳子さんの仕事ぶりをこまめに報じているのもNHKであった。若年層の視聴者を意識してのことなのか、とも思うが、皇室への関心がもはや薄れてしまっているなかで、どれほどの視聴効果があるのかは疑問である。

 週刊誌では、しばらく下火になったといえ、小室圭・眞子夫妻に関する記事は、いまだに続いている。ことしの3月、秋篠宮家は改修された住まいに移ったが、次女佳子さんが、仮住まいに住み続けているという別居問題がたびたび報じられ、宮内庁の対応の混乱も重なって、関連記事が増えた。朝日やNHKでも小さい記事となって報じられた。巨額を投じて改修した住まいに、自分の部屋がないから移る・移らない、工事費を節約したために生じた問題だとか、いまの若者たちの現実との乖離の大きさに気づかないのだろうか。
 なお、朝日新聞は、インドネシア訪問後の6月24日の社説で「天皇外国訪問 政府の姿勢が試される」が掲載され、「国益」を掲げて天皇や皇族を利用して疑念を持たれることのないようにという「警告」をするにとどめ、NHKは、この4か月間、社説とも言うべき「時論公論」や「視点論点」に、天皇に関する記事は見当たらなかった。

 憲法に定められた「国事行為」を超えて、「公務」をとめどなく拡大し、「私的」な活動も国費で賄われていることを知った国民は、やがて、天皇や皇室自体への疑問は増すばかりだろう。

「国民に寄り添う」の名のもとに、国民の暮らしに何ら寄与しない、いや、差別や分断の根源というべき天皇や皇室自体の存在は、今こそ問われなければならないと思う。

 なお、昨年の同じ時期、2022年4月~7月の朝日新聞の皇室情報も調べていたので参考までに。まだコロナが2類の時期であったため総数は少ない。秋篠宮家が多いのは、4月の「立皇嗣の礼」関連の記事が多かったためである。
 記事総数70+総合記事9,天皇家24件、秋篠宮家26件、他の皇族20件であった。

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