2018年11月24日 (土)

二つの「男女共同参画」“まつり”に参加して

 臆面もなく「一億総活躍社会」とか「すべての女性が輝く政策」とかの看板を掲げながら、現実には、その真逆のことをやっていた安倍政権には、あきれ果てて、言葉もない。内閣府が出している広報誌『共同参画』には、片山さつき大臣の「ご挨拶」が載っている。「地方創生」と「男女共同参画・女性活躍」」担当大臣の兼務による「シナジー効果」も生かしたいと決意を述べていたが、もはや絶望的でしかない。その「ご挨拶」に付せられた顔写真は、何十年前の写真と思われるような首をかしげているブロマイド風。現在の国会での答弁中の様子と比べると、見るに堪えないほどの情けなさである。 

 「男女共同参画」なる言葉は、1999年「男女共同参画基本法」施行の辺りから、頻繁に使われるようにはなったか。しかし、巷でも、身近な自治体でも、定着したとは言い難い。私自身も「男女平等」の方が分かりやすいのにと思いながら過ごしてきた。そんな中で、この秋、二つの「男女共同参画」事業に参加した。

 

東京ウィメンズプラザフォーラム~「音を紡ぐ女たち」コンサート

  1028日、あたたかな日差しの中、表参道を東京ウィメンズプラザへと急いでいた。ハロウィンが近いためか、妙な扮装の若者たちをチラホラと見かける。プラザ・ホールでの「第4回音を紡ぐ女たち―女性作曲家を知り、聴く」のコンサートにやってきた。主催団体の小林緑さんからのお誘いもあって、毎年楽しませていただいている。現代では、顧みられることの少ない女性作曲家に目を向けて、広めていこうとするのがコンサートの目的でもある。 

 今回は、19世紀半ばから20世紀にかけての女性作曲家によるピアノ曲ばかりのコンサートであった。コンサートの前半は、まず、昨年生誕150年を迎えた、アメリカのエイミー・ビーチ(18671944)作曲の「夏の夢」全6曲で、身近に潜む「妖精」や小動物をテーマにした小品からなり、正住真知子さんと弘中佑子さんの連弾は、楽しくゆったりとした気分にさせられた。つぎは同じくビーチの作品のエミイ・トドロキ・シュワルツさんの独奏、セシル・シャミナード作品の山口裕子さんのダイナミックな演奏がつづく。また、ベネズエラ出身のテレサ・カレーニョの曲は、同じく山口さんの独奏だった。テレサは、小林緑さんの解説によれば、作曲や演奏活動をつづけながら、結婚や離婚を繰り返し、生活や育児に追われ、演奏旅行中病に倒れたという。首都カラカスには、「テレサ・カレーニョ劇場」といのもあるし、チャベス大統領時代の福祉政策の一つのオーケストラ運動においては、テレサの名を冠したオーケストラも誕生しているという。チャベス大統領の別の一面を知っていささか驚いたのであった。

 後半のポーランドのマリヤ・シマノフスカ(17891831)だけが、ショパンの先輩にあたり、ゲーテとも親交があったという、少し古い世代の作曲家であり、ピアニストである。日本でいえば江戸時代のことだ。三手の連弾によるワルツであった。さらに、マリー・ジャエル(18461925)は四手による連弾曲で、最後は、なんと再びシャミナードの「銀婚式」という曲は、その日のピアニスト全員による4人八手の連弾で、壮観?でもあり、私には初めてのことであった。

 ウィメンズプラザフォーラムは、2日間のいわばお祭りで、いろいろなイベントが目白押しではあったが、会場近くのマルシェ、青空市の方も気になって、早々に会場を出た。 

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ウィメンズプラザと言えば東京女性財団の「民間活動支援事業」の一環で、『扉を開く女たちジェンダーから見た短歌史1945-53』(砂小屋書房 2001年)の出版助成を受けるために、共著者の阿木津英さんと小林とし子さんの三人で、審査のための面接を受けに来たのを思い出す。想定問答を試みたり、受験生のように緊張したものだが、100万円近くの実費助成を頂くことができた。当時の石原都政は、この2000年度を最後に支援事業を打ち切ったという。

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千葉市男女共同参画センターまつり~「短歌ハーモニー」歌会

  青葉の森公園近くの千葉市ハーモニープラザで、私たちのグループ「短歌ハーモニー」は2002年から月一度の歌会を続けている。これまでもセンターまつりに参加して、公開歌会や短歌作品の展示などを行ってきた。昨年までは、12月上旬の週末2日間に実施されてきたのだが、今年は、約1カ月の間に参加グループが都合の良い日程を組めるようになったという。参加するグループが年々減少しているらしく、今年は、企画を大きく変え、会場費も無料にするので、ぜひ参加をとの呼びかけが、私たちの会のお世話役に何度も届いたそうだ。

 

 11月の第181回歌会は、曜日を変えて1118日に開き、参加することになった。公開歌会になるので、お誘いのチラシを作り、男女共同参画センタ―によって、市内の各所に配置してもらい、当日はまつりの来場者が参加しやすいようにと、みなで入り口付近の飾りつけをした。この16年間に発行した合同歌集『青葉の森へ』3冊やこれまでの教材や歌会のプリントのファイル、私の歌集や著書まで展示することになった。覗いてくださる参加者がいるだろうか、何人くらい参加してくれるだろうか、毎年ながら、いささか不安もよぎる。こうした歌会に参加して会員になられた方も多い。さらに、かつて会員だった方がひょっこりと現れたり、私の地元の佐倉市から駆け付けてくれたりした方もいらした。一昨年は、Jコムのカメラやインタビューが入って、翌週放映されたということもあったし、短歌雑誌や地域新聞に紹介されたこともあった。

 

 今回は、結局、3人の方が参加、お一人は、短歌も用意されていた。総勢12人の歌会となった。ふだんは各人2首づつ提出、相互批評をする。今月は年3回の、名歌鑑賞の月にもあたるので、あらかじめ用意した教材の中から各人が選歌した2首を鑑賞することになっていた。 

 会員の入れ替わりはあるけれど、この16年間よくここまで続けてこられたな、と感慨深い。というのも当初からの会員のMさんや早くからの会員の皆さんの熱意あふれるお世話があってのことだと思い、感謝の気持ちでいっぱいになる。

 それにしても、私たちも、当日参加の方たちも「男女共同参画」といった意識で「歌会」に臨んでいるわけではないような気がしてる。ごく自然なかたちで、短歌を作ることが何となく楽しみとなり、名歌や仲間の短歌を読むことで何かを得られることを知って、続けてきたのではないかと思う。「自己表現」の一つの形ではあるけれど、大上段に構えず、これからも語り合い、楽しんでゆくことができたらと、あらためて思うのだった。

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このチラシの裏面には、ある日の歌会からと、会員の短歌が1首づつ披露されている。定例歌会は、毎月第三木曜日1時から。

 

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2018年6月 3日 (日)

ミュンヘン、ワルシャワ、気まま旅(13)

 はや、翌日は、もうワルシャワを発たねばならない。ワルシャワの最後の一日、自由に使える日なのだが、どうしても行っておきたいところがあった。ガイドのAさんからお聞きしたワジェンキ公園のショパンコンサートである。5月中旬から9月いっぱい、毎年、日曜日に公園のショパン像の前で、ショパンピアノコンサートが開催されていて、その初日が今日だというのだ。「ぜひ、出かけてみてください、野外だし、何しろ無料ですから」という。前回は、たしかにショパン像までは来ているはずだが、時間もなく直ぐ引き返していた。今日は、少しゆっくりしたい。12時と4時からの2回の演奏というから、12時には間に合わせたい。 

公園には、116番か180番系のバスですよと、ガイドさんから念を押されていた。公園の塀に沿っては、いろいろな看板が立てられていた。少し早めに着いた公園、ショパン像の横のテントの下では、すでにピアノの調律が行われていた。演奏が始まる前に、水上宮殿に向かった。雲一つない、すでに真夏の日差しだったが、木陰の風は心地よかった。

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自転車専用道路が整備されていて、歩道をはみ出し、このコースにうっかり入ってしまったとき、自転車の人に大声で叱られてしまった

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ワジェンキ公園の柵にはさまざまな立看板、この国でも人気のスポーツなのか、サッカーチームの選手一人一人の紹介のパネルが続く

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少々ドキッとした看板だったが、数日後から公園内で開催予定の浮世展のポスターだった

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水上宮殿への道

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マロニエの花筏のよう


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野外劇場から水上宮殿を望む、真夏の日差しがきつい

演奏会場に戻ってみると、かなりの聴衆が集まり始めていた。と言っても野外なので、池をはさんでのピアノに近い芝生、ベンチが並ぶスペース、それを取り囲む木陰のベンチには、すでに着席している人も多い。夫は、最前列のベンチに、私は、ピアノからはだいぶ離れるが、リストの胸像の後ろのベンチで待つことにした。目の前の散策路には様々な人が行き来するし、すでに立ち見の人も重なるように列をなす。隣に座っていた、地元の年配の人からは、英語で話しかけられるのだが、情けないながら、聞き取れない。ここは恥をかいてもと、きのうガイドさんにこの演奏会のことを聞いてやってきた、大変な人出なのですね、ワルシャワの最初の夜は、フィルハーモニーにも出かけたこと、前回ワルシャワに来た8年前は、ショパン生誕200年だったけれども、コンサートには縁がなかった・・・などと話すと、にこやかに返事を返してくれるのだが、それ以上の質問もできない・・・。いよいよ演奏が始まった。聞き覚えのある楽曲も中にはあったのだが、野外コンサート自体の聴衆の自在な雰囲気がすばらしく思えた。ピアニストのインゴルフ・ヴンダー(Ingolf Wunder1985 )は、ウィーン国立音楽大学出身で、数々のコンクールに入賞、2010年のショパン国際ピアノコンクール2位入賞者とのことであった。

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ショパンコンサートの9月までのプログラムを知らせる看板

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ショパン像の脇のテントではピアノの調律中。その前の丸い池は、前回のときは水が抜かれていて、孔雀が見事な羽根を広げていたっけ・・・

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聴衆はどんどん増えて・・・

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私は、この立ち見の人たちの後ろの木陰のベンチで聴いた。リストの胸像の陰におさまっている少年は何をしているのかな

 つぎに向かったのは、バスを乗り継いで、111番の終点、エストニアで下車。運転手さんにユダヤ人墓地を教えてもらうが、レンガの塀が続くばかりで、どこから入るのか迷っていると、ひょっこり小さな戸が開いて、ようやく判明したのだった。ここも中は広く、私たちはほんの入り口付近をめぐっただけだった。

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このユダヤ人墓地の森は、広大なものだった

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延々と続くレンガの塀だったが、ここからひょいと人が出てきて、出入り口と知った

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コルチャック先生がうつむく子供たちを連れて向かった先は強制収容所だった

 

 つぎは、ワルシャワ・ゲットー記念広場に向かうのだが、すぐ近くのつもりが、なかなかたどり着かない。通りすがりの人に尋ねるとあと500m、あと5分と言われつつ、歩き続けた。前回来たときは、記念碑の前面は博物館の建設中であったが、その博物館が、2014年、ポーランドのユダヤ人歴史博物館としてオープンしたという。この博物館も、その展示や構造そのものが、緊迫感に溢れ、圧倒されるばかりであった。ここも時間が足りず、途中で閉館が告げられた。

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2010年には工事中だったが2014年にオープン

 

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工夫が凝らされた様々な展示

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さまざまなメッセージが壁から聞こえるようだ

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外はまだ明るいのに、閉館時間だった

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ワルシャワ・ゲットー記念碑裏からみた博物館

 外は、まだ夕方とは言えない日差しであったが、夜には、イベントでもあるのだろうか「かがり火」に点火しているところだった。もう、足は棒のようで、早くホテルに帰りたい、休みたいの思いで、ホテルに急ぐ。一休みして、ワルシャワ最後の夕食をと、お目当ての店を探すが、なかなか見つからず、どこでもいいよ、ということで、賑わう店に入ってみる。

  料理の注文も少し慣れてきた感じだったが、ビールが届いてからが長かった。隣のテーブルの中年カップルのピエロギとパスタはかなり早いね、などとちらちら眺めたりしていた。ようやく届いた料理をいただき始めたころ、お隣の二人が席を立ったと思ったら、男性の方に「ワルシャワはいかがですか、存分に楽しんでください」と、日本語で声をかけられたのだ。とっさに「日本語が上手ですね」と返せば「大阪から久しぶりに帰国したんです。また1週間ほどで大阪です。大阪には仕事で10年になります」とのことで、「こちらの方もですか」と女性に問えば、違いますとのこと。このハプニングにはいささか驚かされた。私たちの話が男性にはぜんぶ聞かれていたかもしれないのだ。なんか不都合なことは話してはいないかったかと心配にもなったが・・・。

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「カイザー」というお店のできごとだった

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2018年5月30日 (水)

ミュンヘン、ワルシャワ、気まま旅(11)

 5月12日(土)、ショパン博物館へ

   この日は、現地のガイドさんと共に市内めぐりを予定していた。私たちにとって二度目のワルシャワではあったが、前回、閉館などで訪ね損ねた、ショパン記念館、ワルシャワ歴史博物館、ワルシャワ蜂起博物館の案内をお願いしていた。Aさんはホテルまで迎えに来てくださり、自己紹介もそこそこに、歩き始めた。Aさんは、黒いTシャツに淡い空色のロングスカートをなびかせ、さっそくツバ広帽子を取り出すほどの日差しであった。 

 まず、旧市街に出て、聖十字架教会、ワルシャワ大学へと立ち寄った。Aさんが出身の東洋学部日本語学科の様子をお聞きしながら、図書館、ショパンが幼少期一家で住んでいた建物などの説明を受けた。大学の日本語学科の入学者は少なくはないが、修了するのは3割程度とのことで、かなり難しいとも語っていた。さらに、今は、日本語ができるということだけでは、就職が難しく、語学のほかに専門を持つ必要があるとも話された。聖十字架教会と大学へは、翌日、もう一度訪ねることになるのだが。

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ワルシャワは、朝からかなりの暑さだったのだろう。聖十字架教会前には、給水車が出ていて、誰でも水が飲めた。犬のための器まで用意され、黒い犬も音を立て飲んでいた

 そしてまず訪ねたのが、ショパン記念館、週末で混むといけないということで、予約をしておいてくれた由、館内の展示には、実にさまざまな工夫が凝らされているのに驚いた。各室のコーナーやブースで、ショパンの曲を選んで聴けるようになっていた。ショパン好きには、一日いても飽きないことだろう。Aさんの説明に聞き入っているとき、若い女性スタッフから、日本語で声をかけられた。ワルシャワ大学日本語科のAさんの後輩だそうで、日本人の見学者には日本語で案内しているという貴重なスタッフだったのである。

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ショパン記念館全景

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短い生涯ながら、ヨーロッパ各地での足跡をたどることができる

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記念館の窓から、遠くに見えるショパンを描いた壁画が、いま人気なんだそうだ

  すでに遅めの昼食だったが、Aさんの案内でやってきたのはポーランド料理ザピェツェクというお店だった。チェーン店らしく、市内に何軒かあるらしいがどこの店だったのか。料理の写真をと思っていたが、はしたない?とも思って、メニューだけとなった。注文はお任せしたのだが、甘い具の入った餃子風のピエロギだけは、以前失敗しているの遠慮した。不思議な味のスープ、三種盛り合わせのピエロギ、ジャガイモのパンケーキなどであったが、どれもおいしくいただいた。「甘い」とえいば、ポーランドでは、ご飯に砂糖をかけたりして食すとも。 新世界通り(ノヴィ・シフィア通り)に近い店だったかもしれない。

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民族衣装の店員さんとメニューだけをそっと撮りました

 

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2018年5月29日 (火)

ミュンヘン、ワルシャワ、気まま旅(10)

ワルシャワ動物園とフィルハーモニー

 今日は、ワルシャワへの移動日で、ルフトハンザ1612便でミュンヘン発1240に搭乗、約一時間半、途中で、サンドイッチ(チーズかチキン)の軽食が出る。空港のシャトルバスで30分ほどで、(ワルシャワ)大学前下車、Sofitel Victoriaは、どこの都市にでもありそうな、細長い大きなビルのホテルで、なんと無名戦士の墓の広場に面していた。ピウツキー元帥の立像も右手にあるはずだ。前回、20105月の宿は、中央駅近くだったが、この広場も8年ぶりである。

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無名戦士の墓からホテル全景

 

  予定通り、車で、あの動物園へむかう。初めてながら、「あの」というも、今年の初めにこのブログでも紹介した「ユダヤ人を救った動物園」の動物園だったからである。

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2018/01/post-5a36.html201811日)

 

 ヴィスワ川にかかる美しいつり橋様の橋、右手に赤い外壁とポール状のものを巡らしたスタジアムを見て渡り、しばらく川に沿って走ったところが入り口となっていた。

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これは、動物園からの帰り、車で橋を渡った時のスナップです

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行きの橋の右手に見えたのがサッカー専用のスタジアム(2012年オープン)なのだが、写真がとれず、うまく表現できないので、ネットから拝借した

 まずは、動物園の広いメインストリートの奥が深いのに驚く。地図を見ながら、夫は、とりあえずの目標を、一番奥になるライオン、トラと決める。広い道を挟んで左右には緑地や林が続き、一見、どこに動物がいるのかわからない。檻というもの見当たらず、草地や砂地、池などの遠くに姿を見せる生き物がいる。見物の私たちとの境は、鉄柵だったり生け垣だったり、あるいは掘割だったりする。そうかと思えば、鉄柵を隔てながら、まじかに顔を合わせられる動物もいる。また、数々の樹木や植物にも、手入れは行き届いていて、あちこちで自動の散水機が動いていて、思わず飛沫を浴びることもあった。ライオンは、最初どこにいるかわからなかったが、岩山の蔭から悠然と現れたときは、思わず声を上げた。その後は、メスの方が、数人の見物客のためを思ってか、コンクリートの塀の上を行ったり来たりのパフォーマンスを見せてくれた。 

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あちこちで自動散水機が動いていた

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遠くに寝そべっているのはなに?

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普通の馬ではないような・・・

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点にしか見えないが・・・、現れたライオン

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このブロックの上を行ったり来たり、まるでモデルのように・・・

 
 週日のためかお客さんは少ないのだろうが、家族連れの人もちらほら、子どもたちは、動物を見るというよりは、広い公園を走り回ったり、お父さんに肩車をしてもらったり、自分が乗っていた乳母車を押したり、ソフトクリームを食べたりして楽しんでいるようだった。私たちも、別のわき道に入って戻りかけたが、こちらも奥が深い。そんなとき、白い瀟洒な建物が見えてきた。その近くに、何やら、地面にガラスに覆われたものが見えた。説明によれば、トンネル、あの映画でも見た、園長夫妻がユダヤ人たちをかくまう時に使った地下室に連なるトンネルの出入り口だという。白い建物には、当時をしのぶ資料が保管されているというが、見学には予約が必要であって、開館日も限られているらしい。3時間に満たない入園だったが、街中にあったベルリンの動物園とも違った外国の動物園体験をすることができた。

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ユダヤ人をかくまうのに使用したトンネルという

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動物園歴史とユダヤ人をかくまった経緯を記した資料を公開しているというが、予約制とのことだった


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動物園園長夫妻の功績を顕彰するパネル


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きょうばかりは乳母車をひいて・・・



 今晩は、7時半からのフィルハーモニーでのコンサートを予約していたのである。一度、ホテルに戻って、ホテルから10分ほどだという会場に向かった。が、これまた、迷いかけたところで、通りがけの年配の男性に尋ねてみると、自分も向かうところだといい、「コンバンワ」とも。仕事で日本に一度だけ行ったことがあるそうだ。ロビーまで、一緒だったが、友人と待ち合わせのようだった。座席は自由ということであったが、どんどんと聴衆は増えていき、はなやかな女性たちの姿も目立っていた。ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団、ヤツェク・カスプシク指揮による以下の曲目だった。指揮者は2013年からワルシャワフィルの音楽総監督の由、今年の1月には来日、ファンを喜ばせた由、現地で聴けるのは幸運かもしれない。クラシックに詳しくないながら、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲はなじみもあり、真っ赤なドレスのリザ・フェルシュトマンさんの情熱的な演奏はすてきだった。ブラームスのセレナーデも、躍動的な若々しさに惹かれつつ聴き入った。

Koncert symfoniczny

   

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Program

Felix   Mendelssohn

- Uwertura koncertowa Hebrydy op. 26 [10’]

Felix   Mendelssohn

- Koncert skrzypcowy e-moll op. 64 [26']
Przerwa [20']

Johannes Brahms

- Serenada nr 1 D-dur op. 11 [49’]

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開演前の会場ホールと終了直後のフィルハーモニー

  9時半を過ぎ、帰り道は、さすがに人通りは少なくなっていた。さて、とり損なっていた夕食だったが、ホテルのレストランでのポーランド語のメニューを思うと気が重くなりそうということで、クラブサンドイッチとドリンクのルームサービスを頼むことにした。少し、無駄遣いかなとも思いながらの夜食だったが、「おいしゅうございました」。

 

 

 

 

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2018年5月26日 (土)

ミュンヘン、ワルシャワ、気まま旅(9)

5月10日、ミュンヘンでは、大きな集会・デモがあった

 ノイエピナコテークの美術館を後に、マリエン広場に向かい、予定通り、前日、通り過ぎただけのユダヤ地区のミュンヘン市立博物館へ入った。ミュンヘンにおけるナチスの時代について知りたいと伝えると、、別室の”national-sosialism in Munich"を教えてもらった。ここだけでも数時間はかかりそうなところを、大急ぎで見ることになった。

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この2枚のポスターを見ていて、思い起こすのは、働き方を自分で選ぶとか、大学生の就職率が98%となどと言って、「働き方改革」?法案を成立させようとしている日本政府のことだった。データを捏造したり、統計のマジックによって正当化しようとしているではないか。「働けば自由になる」というナチスのスローガンをも思い起こす

 

 つぎに入ったのが、隣接するユダヤ歴史博物館であった。これまた入り口が分かりづらかったのだが、カフェやブックショップの中にチケット売り場があった。常設展、ミュンヘンのユダヤ人の歴史が年表や写真で概観できるのだが、意外とあっさりしたものだった。

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シナゴーグと正面がユダヤ歴史博物館

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ユダヤ歴史博物館1階、カフェとブックショップのガラスの壁にシナゴーグとヤコブ教会が映っている


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企画展は、現代を戯画化したマンガの展示で、その中の一枚、コミュニケーションの手段が、まるで煙のような”tweet"でよいのか、と問いかけているようなのだが・・・。


 
マリエン広場に戻って、レジデンツのあるオデオン広場まで一駅だけUバーンに乗ったのだが、マリエン広場とオデオン広場の地下の駅構内は、集団の警官たちがあちこちで、警備にあたっていた。今朝の中央駅でも、警官が目立っていた。治安が悪くなっているのかなぁ、とも思い、スリに気を付けねばなどと思ったのだった。しかし、オデオン広場に出てみて驚いた。レジデンツに沿ってポリツァイの車が連なり、警官がやたらと多い。広場ではまさに集会が行われていたのだ。なんの集会?、とっさに分からなかったのだが、警察への抗議?・・・。そして、後で分かったのだが、ミュンヘンの日本総領事館から下記のような警告が出ていたのである。

5月10日(木)13時からミュンヘン市街地で大規模デモが行われる。 デモ主催者は、幅広い政党、連盟組織、労働組合等からなる「No PAG」という連合組織で、バイエルン州の警察法(PAG)改正に反対している。 当日は、少なくとも7千人の参加が見込まれている。
 
 デモ・コースは、Marienplatzから、TalAltstadtringStaatskanzleiを経由し、Odeonsplatzまでとのこと。

 

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オデオン広場の駅構内・・・

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オデオン広場はデモの解散地であり、さっきまで集会が開かれていたようだ。きのうは、静かな広場だったが・・・

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オデオン広場の集会は解散のさなかだたらしい

 なお、翌日の新聞には、きのうのデモのことが大きく報じられていた。”Suddeutsche Zeitung"(南ドイツ新聞)のミュンヘン版はつぎのようにあった。マリエン広場で、午後1時から、私たちが美術館のレストランでのんびりしていた頃、なんと3万人規模の集会が行われていたのである。その見出しによればは「自由への不安 新しいPolizeiaufgabengesetz(PAG警察職務法)に反対して」とある。バイエルン州による、この法改正が基本的人権を侵害するとして、幅広い反対勢力が結集したらしい。1・2時間の差で、マリエン広場での集会やデモに居合わせることができたのにと、残念なことだった。3万に規模の集会なんて、大都市東京でもめったにないことなのに。ミュンヘン市街のデモコースも合わせて発表されていた。

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 また、ネットのオンラインニュース(Merukur.de)でも、くわしい記事を見つけた。その見出しには、つぎのようにあった。この大規模なデモには、特別の監視体制がとられていたようなのだ。
Riesige PAG-Demo im Ticker: Das bereitete der Polizei besondere Sorgen

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Demonstration gegen das neue bayerische Polizeiaufgabengesetz.

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Der Protestzug erreicht den Odeonsplatz.

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昨日5月9日の静かなオデオン広場


  なお、レジデンツの閉館時刻5時に1・2分遅れて入館できなくなってしまったので、6時半のコンサートまで、オペラ座前のマックス・ヨーゼフ広場での合唱のフェスタや集会帰りの人の流れを眺めて過ごした。合唱のイベントもなかなかの盛況で、出演者も観客も一体となって楽しんでいる様子が見て取れた。この二つのイベントに参加していた人々の気持ちや考え方に少しでも触れることができたらなぁ、とも思う。そして、ミュンヘン最後の夜のコンサートに集う人々とも・・・。

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 コンサートのチケットと簡素なプログラム、地元の人も観光客も、小さな宮殿の一室でバイオリン、フルート、チェロのアンサンブルを堪能した

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2018年1月29日 (月)

ピアノコンサートのプログラムから「平和憲法」の文言が削除

あってはならない、杉並区の男女共同参画事業でのこと

 

126日の院内集会でお会いした小林緑さんから信じがたい「事件」を知らされた。小林さんは国立音大名誉教授で「小林緑&知られざる女性作曲家カンパニー」を中心に、クラシック音楽史上、埋もれた女性作曲家たちの作品を発掘、聴いて、広めようという活動に長い間、取り組んでこられた方だ。NHKの経営委員を一時期つとめられ、NHK問題についても深い関心を寄せられている関係で、お話を聞いたり、「カンパニー」のコンサートにも伺ったりしていた。毎回さまざまな工夫を凝らしたコンサートは、私などの素人にも、わかりやすく、いつも楽しませていただいている。 

昨秋、東京ウィメンズプラザフォーラムの「音を紡ぐ女たち」の講演会では、11月に開催の杉並区男女共同参画都市宣言20周年記念「トークとピアノコンサート」の案内も配られていた。私は出かけることはできなかったが、そのコンサートのプログラムをめぐってとんでもない問題が起きていたのだ。 

『週刊金曜日』では、すでに「杉並区<憲法>文言の削除要請 平和憲法を女性たちの音楽から見直すのは政治的?」として報じられていた(2018112日号)。プログラムの中で、演奏される女性作曲家たちの曲目の紹介の末尾に、小林さんによる数行の解説「なぜ彼女たち?なぜこのような音楽を?」がある。今回、選んだ作曲家と曲目の趣旨を語っているのだが、当初の原稿は、つぎのように記していたそうだ。

 

「(前略)(選んだ)5人はみなピアノの名手にして作曲家ですが、抽象的なソナタより表題付きのわかりやすい小品を、さらに一人だけで目立つのでなく、連弾やトリオなど、息を合わせバランスを保つ形の作品を多く残しました。平和憲法さえも危機にある世界の現状を、こうした女性たちの音楽から見直すためにも・・・」

 

ところが、区の担当者から下線の部分が「政治的だ。記録に残るから直せ」との要請があり、その場で抗議をしたが、印刷の前日でもあったので、つぎのように修正にしたということだった。

 

「こうした女性たちの肩肘張らぬ音楽に耳を傾け、世界が平和に、男女が等しく、自然体で命を紡ぎ続けられるよう・・・」

 

その後、再度抗議したところ、区の男女共同参画担当課長は「政治的だからでも検閲でもない。これは男女共同参画事業なのだとわかりやすく伝えたかっただけ」と答えたそうだ。 

まさに、杉並区職員の「忖度」による「自己規制」の結果でもある。共謀罪の成立、安倍首相はじめ政府の言動から、国の官僚から自治体職員までが、自らの意思で、政府の意向、上司の意向に沿う判断しかできない状況が出来上がりつつあるからだ。言論統制など、多くの場合、「刃物など要らぬ」ということで、役職や出世、嫌がらせをチラつかせ、「萎縮」させればよい。そして市民には、ときに、見せしめのように、ほんの一部の人たちに逃亡や証拠隠滅などを口実にして、不当な警察権力を行使する。沖縄の山城博治さんや森友学園元理事長籠池さん夫妻のように。 

小林さんの件を知って、すぐに想起したのは、さいたま市の「9条俳句訴訟」であった。 

さいたま市立三橋公民館が、憲法9条について詠んだ俳句「梅雨空に『九条』守れの女性デモ」を「公民館だより」に掲載することを拒否した件につき、憲法が保障する表現の自由の侵害に当たるとして、作者が市に句の掲載と200万円の損害賠償を求めた訴訟であった。さいたま市は、公民館は改憲の議論に絡み「世論を二分するテーマで、公民館だよりは公正中立の立場であるべきだ」などとして掲載を拒否。市は「公民館側に発行、編集の権限がある」などと棄却を求めていた。 

その後の新聞報道によれば、20171013日のさいたま地裁判決は「原告が掲載を期待するのは当然で、法的保護に値する人格的利益で、公民館職員らは思想や信条を理由に不公正な取り扱いをした」として、賠償2万円を認めたが、掲載は認めなかった。俳句の作者、市ともに、不服として控訴している。 

こうした事態は、どこでも起こり得る環境が整い始めてしまったのだ。だからこそ、こうした事態に対応する場合には、市民一人一人が毅然とした態度で立ち向かわねばならない。個人にしろメディアにしろ、表現の自由は与えられるものではなく、一人一人が獲得していかねばならないとあらためて思うのだった。

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この部分の修正が要請された

なお、くわしくは、「NPJ通信」の小林緑さんの寄稿をご覧ください。

http://www.news-pj.net/news/60309

 

 

 

 

 

 

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2016年12月 9日 (金)

婦人矯風会創立130周年記念集会へ、講演とコンサート

東京生まれながら、大久保という駅には下りたことがなかった。駅から徒歩1分の新宿区百人町にある「矯風会館」も、初めてである。まさに、130年前の今日、1886126日に、矢島楫子ら56人のキリスト教徒の女性たちが、「禁酒・純潔・平和」をかかげて立ち上げたのが「東京婦人矯風会」だった。一夫一婦の確立、在外売笑婦取締り、廃娼運動から大正以降は婦人参政権獲得運動、昭和の敗戦後は売春防止法制定、平和運動にも大きく貢献してきた「日本キリスト教婦人矯風会として、現在まで続く。

この日のプログラムと機関誌『婦人新報』の最新号は以下に掲げた。30分ほどの礼拝があり、聖書の話、祈り、献金、祝祷と続いた。ホールは横に広く、百数十人だろうか、やはり、年配の方が圧倒的に多い。

続いて、矯風会理事長の川野安子さんから挨拶があった。長い歴史は苦難の歴史でもあり、日中戦争下における矯風会の在り方にも及び、柏木義円の名を挙げて、反省にも言及された。

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『婦人新報』は、1895年2月に創刊、1893年11月創刊された『婦人矯風雑誌』の後継 誌である。多くの婦人運動の論客や活動家も執筆している歴史ある雑誌である。来年4月から、その誌名が『k-peace』と横文字になってしまうそうだ。ちょっと残念な気もするのだが。

そして、小林緑さんの講演は「見せない半分/聴かない半分~クラシックの女性作曲家“不在”の理由」と題して、作曲家でハーピストのフランスのアンリエット・ルニエ(18751956)をめぐるジェンダー問題のさまざまについてであった。小林さんの話は何回かお聞きしているが、ルニエに特化しての話は、私は初めてである。ハープを語ることは、ルニエを語ること、ハーピストとして自ら作曲、ハープのための編曲、ハープの指導に貢献したが、クラシックの世界では、フランス人であること、女性であること、ハープであることという幾重もの壁になって、音楽事典にも載らず、知られざる音楽家になってしまったというのだ。

続いての、演奏は、今日はすべて、ルニエの作曲、編曲になるもので、若い演奏者の力強いハーモニーは快かった。当日のプラグラムは以下の通りであった。

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2016年11月12日 (土)

小春日和の青山通り~「音を紡ぐ女たち―女性作曲家を知り、聴くPart2 」とマルシェ

 かねてよりご案内いただいていた、表記のコンサートに夫と出かけた。東京ウィメンズプラザフォーラムの一環としてのコンサートで、昨年に続く2回目だった。知られざる作曲家を広める活動をされている小林緑さんの事務所の企画である。

 

今日は、ハープが主役である。ハープは、ピアノよりも長い歴史を持ち、重要な楽器でありながら、現在ではオーケストラの一部としかみなされない楽器になってしまった。しかも、その音色から、女性にふさわしい、いや「女々しい」楽器とさえ言われるようになった歴史もあるということだ。今回は、この優美な楽器のために作曲・演奏した女性たちに焦点をあてたとのこと。ヨーロッパでは、男性のハーピニストも増えているとのこと、小林さんからの解説があった。

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 演奏者の有馬律子さんは、ピアノを習っていたが、8歳のとき、自らハープを望み、始めたという。ハープ一筋で芸大を卒業後は、チェコのヤナ・プシュコヴァに師事、帰国したばかりの新進。190センチに近い、40キロを超え、47弦、7つのペタルの楽器を駆使する颯爽とした姿で、繊細で、しなやかな、やさしい音色を奏でるのだった。

 

 コッリ=ドゥシェク(17751831?)の「ハープのためのソナタ」、パラディス(17591824)の「シシリエンヌ」、ド=グランヴァル(18281907)の「メランコリックなワルツ」は、伊藤倫子さんのフルートとのアンサンブルだった。さらに、ヴァルター=キューネ(18701930)、ルニエ(18751956)のハープ演奏、とくにルニエの「バラード第2番」(1911)は、本邦初演ではないかとのことであった。

 久しぶりのハープの音色に癒されるひとときを過ごした。

 ☆☆☆

 昼下がりのウィメンズプラザを出ると、青山通りには、テントが立ち並ぶマルシェが出現、大変な人出であった。毎週土日に開催しているファーマーズマーケットだという。どのテントでも普段、近くのスーパーではお目にかかれない野菜や様々な食材が並んでいた。

 青森のりんごの店では、おすすめの「おいらせ」、スターキング系の掛け合わせといい、品種を聞き逃した王林よりはやや黄色がかったものと2種類を、屋久島のお茶「縄文」というのを購入・・・、あれもこれもと欲しくなるのだが、食事のコーナーへと移る。ここも様々な移動車での呼び込みが盛んである。ようやく座れた相席のテーブルで、ピザとおでんというメニューとなったのがおかしかった。今日は、日本酒のフェアーが開かれている由、19の蔵元が参加、辺りは、おちょこ片手で、ご機嫌の人も多かった。ヨーロッパ旅行では、よく出会うマルクト広場の市場、我が家の近くにもこんなマーケットが欲しい、と帰路につくのだった。

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2015年11月13日 (金)

「音を紡ぐ女たち―女性作曲家を知り、聴く」を聴く

かねてよりご案内いただいていた、表題のコンサートに行ってきた。この日、117日は、午後がNHK包囲行動であり、宮下公園までのデモの後、会場のウィメンズプラザ・ホールへは、週末の宮益坂を経て、歩いてもそう遠くはない距離だった。東京ウィメンズプラザフォーラムのプログラムの一つであった。企画・構成が「小林緑カンパニー」、小林緑さんは、国立音楽大学で教鞭をとられていた研究者だが、昼のNHKへの抗議行動とも無関係ではない。小林さんは、数年前まで、NHKの経営委員を2期務められ、NHKの内部を知って、NHKの改革を提唱しているお一人である。825日の第1回NHK包囲行動集会の折は、リレートークをされた。私が参加する地元の「憲法9条をまもりたい会」の講演会にもお呼びしている。

久し振りのウィメンズプラザのホールは初めてである。この日のプログラムは以下の通り。

最初の「乙女の祈り」(1851年)は、聴き慣れた曲ではあるが、プロの方の生演奏は初めてのような気がする。作曲のテクラ・バダジェフスカ(ポーランド語の読みだと異なるらしいのだが)17歳の時の曲で、その後、結婚、5人の子をもうけ、1859年頃、音楽雑誌に楽譜が載って以降、大人気になったという。私たちが想像するような感傷的な“乙女の祈り”ではなく、分割統治されていた祖国ポーランドの平和への「祈り」ではなかったかとの解説であった。

吉田隆子の歌曲、1949年発表の「君死に給ふことなかれ」(与謝野晶子18781942)は、すでに聴いたことがあるが(以下の当ブログ参照)。

   
 

「雪よりも、雪よりも、白くなし給え、君がみめぐみに」~「吉田隆子の世界」聴きにいきました

 
 

13/04/11

 

組曲『道』からの「頬」(竹内てるよ19042001)は初めて聴いた。竹内てるよ「頬」(『花とまごころ』所収 渓文社 1933)は、作者の没後、美智子皇后の国際児童図書評議会(IBBY)創立50周年記念大会(2002929日、スイス:バーゼル市)でのスピーチの結びで「子どもを育てていた頃に読んだ,忘れられない詩があります。・・・」と「頬」の冒頭を引用したことでも知られるようになった。スピーチは英語でなされ、つぎのように訳されている。

 

生まれて何も知らぬ 吾子の頬に

母よ、 絶望の涙を落とすな

その頬は赤く小さく

今はただ一つの巴旦杏(はたんきょう)にすぎなくとも

いつ 人類のための戦いに

燃えて輝かないということがあろう

Of your innocent newly born,

Mothers,

Do not drop

Tears

Of your own despair.・・・ 

 

コンサートでは、歌詞の「絶望」が「悲しみ」と歌われていたようである。てるよの詩人としてのスタートは、貧困と闘病のさなかの1920年代、アナーキスト系の詩人と言われていたが、1940年代に入ると、多くの文学者とともに日本文学報国会の諸事業に参加するようになり(櫻本富雄『日本文学報国会』青木書店 1995)、『辻詩集』(日本文学報国会編刊 1943)や種々のアンソロジーに作品が収録されるようになり、詩集も数多く出版された。朗読会やラジオ放送では「白梅」「母の大義」「女性永遠の歌」などの作品が朗読されている(坪井秀人『声の祝祭』名古屋大学出版会 1997)。

クララ・シューマンのピアノ協奏曲から「ロマンツェ」(1835)、ル・ボー「チェロとピアノのための4つの小品」(1881)、ガルシア・ヴィアルド「歌曲集」(1864)から「夜に」「星」の2曲だった。

いずれの作曲家も、日本でいえば幕末から明治にかけての時代を生き抜いた人たちで、西欧といえども女性へのさまざまな偏見にさらされていたのだろうと想像ができた。だからこそ、現代には、きちんとした評価がなされなければならないと思った。素人の私には、ピアノの河野さんは、テレビ「のだめカンタービレ」の上野樹里の手や音の吹き替えをした方とか、ヴィアルドの生涯にあっては、ロシアのツルゲーネフの存在が大きかった、といったエピソードも興味深く、チェロの江口さんのやさしい音色にも魅せられた。まだまだにぎやかな表参道の街を、コンサートの余韻をまとい、帰路につくのだった。

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2015年1月13日 (火)

「自由と平等を求めた女性作曲家たち~ル・ボーとアンドレーを中心に」 (1月9日、19時~、津田ホール)を聴きに

   風は冷たく、体調は万全ではなかったけれど、思い切って、上記のコンサートに出かけた。そんなわけで、コンサートに先だって開催された、企画者である小林緑さんの講演を聴くことができなかったのが残念だった。 会場の津田ホールには、数回しか入ったことはないが、千駄ヶ谷駅前という便利さが何よりも魅力だった。しかし、この3月に、専門家たちからも惜しまれながら閉鎖される。津田塾大学のキャンパスとして、再開発されるということではあるが、やはり残念に思えた。「津田ホールで聴く女性作曲家たち」(知られざる作品を広める会主催)というシリーズも今日の5回で最終回ということだった。 ル・ボーもアンドレーもまったくなじみのない名前であったが、プログラムにクララ・シューマンの名があって、正直、ほっとしたのであった。

●エレーヌ・ド・モンジェルー(1764-1836):
「ピアノ教育大全」より練習曲集」99番,106番,66番,111番〔ピアノ独奏〕
●ルイーゼ・アドルファ・ル・ボー(1850-1927):
ヴァイオリン・ソナタ ハ短調(op.10), エレジー ト短調(op.44 )〔ヴァイオリンとピアノ〕
●クララ・ヴィーク〔=シューマン〕(1819-1896):
ピアノ協奏曲イ短調ロマンツェ(op.7) 第2楽章〔チェロとピアノ〕
●マリー・ヴィーク(1832-1916):
スカンジナヴィア民謡による幻想曲〔チェロとピアノ〕
●エルフリーダ・アンドレー(1841-1929):
ピアノ三重奏曲 ト短調〔ピアノとチェロとヴァイオリン〕

遠藤香奈子(ヴァイオリン)江口心一(チェロ)宮崎貴子(ピアノ)
企画・構成・講演:小林 緑(国立音楽大学名誉教授)

    エレーヌの練習曲には、それぞれ練習目的と解説が記されているそうで総数114曲に及ぶ。フランスのリヨンに生まれ、12歳よりピアノを学びはじめ、モンジェルー侯爵と結婚、1793年、革命政府からの排斥を逃れ、夫妻で国外脱出を図るも捕えられ、夫は獄中死し、彼女は辛うじて救われるが、パリに帰還後再び逮捕、その折、国歌の「ラ・マルセイユ」の即興変奏を繰り広げ免罪になったという。1795年創設のパリ音楽院ピアノ科の女性唯一人の正教授となったが、指導方針の違いからか辞職、作曲活動と共に「ピアノ教育大全」を出版。結婚生活も波乱に満ちているが、フィレンツェで死去。今回の演奏には、革命の激動とロマンティズムが感じられる曲もあって、頷けるものがあった。
  ルイーゼは教育熱心だった父親を持ち、ヴァイオリン、ピアノ、作曲を学びはじめ、ドイツロマン派最高の女性作曲家と目されるようになる。1893年ベルリン王立音楽院の教授職招聘が撤回されるなどの屈辱を味わう。1910年自伝『ある女性作曲家の生涯の思い出』を出版。ドイツや日本でもほとんど演奏されることがなく、「エレジー  ト短調」は、日本での初演ではないか、とのことである。
  クララ・シューマンは、ライプチヒに生まれ、父親ヴィークの教育もあり、9歳でピアニスト・デビュー。演奏曲は、なんと16歳の時の完成作品で、1835年11月には、クララ自身、メンデルスゾーンの指揮のもとゲヴァントハウスで初演を果たしたという。父親の反対を押し切り、父親の弟子でもあったロベルト・シューマンと1840年に結婚するが、その生活は、自身の活動より夫のそれを優先しなければならず、自由がなく、1854年シューマンが自殺を図った以後の療養中は、7人の子どもの養育とコンサートをこなし生計を立てていた。甘美でゆったりしたメロデイが魅力的だった。
   つぎのマリー・ヴィークは、クララの父親ヴィークの再婚後の娘で、クララの義妹に当たる。ピアニスト、声楽家として名高く、ヨーロッパ各地の演奏旅行先での民謡にも深い関心を寄せ、この日の幻想曲も、聞き覚えのあるメロディがテーマの一つになっていた。
   エルフリーダー・アンドレーは、スウェーデンの初の大聖堂オルガニストとしての地位を築いた。医者の父親から周到な音楽教育を受けるチャンスを与えられ、作曲、指揮などに多彩な能力を発揮し、 女性解放運動にも参画している。  

   音楽には、素人ながら、この日は若い3人の演奏者にも恵まれ、戦いながら、自らの才能を信じた女性作曲者たちを思い起こしながら、充実した時間を過ごすことができた。

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写真の上段がルイーゼ・アドルファ・ル・ボー、下段がエルフリーダ・アンドレーです。

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