2022年3月31日 (木)

佐倉市のニュータウンは、いま~お花見がてら、街の今昔を思う

 今日を逃すと、散ってしまうような気もして、ご近所の桜を見てみようと散歩に出た。

 近くの調整池辺りは、土地区画整理組合と言っても地元の開発業者「山万」によって、公園として整備され、接した工区に、いまは、戸建て、マンション、高齢者施設、小ぶりの商業施設が並ぶ。四半世紀も前になるが、自治会館建設をめぐって、住民を二分するような事態が起こって、夫婦ともども、この地区の住民自治会とかかわることになった。開発に伴う「自然環境の保全」「地区計画」「住居地域の安全」「道路整備」・・・などをめぐって、業者、市役所、県庁などとの交渉が続いた時期もあった。街のあちこちに、さまざまな思い出がまつわるのだった。

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  正面が井野村の鎮守「八社大神」と井野城跡の森。浅間神社の小さな鳥居も見える。この北部調整池が作られる前は、八社の森を囲むように田んぼだったそうで、近くの井野中学校辺りが、腰までつかるほどの一番深い田んぼだったという。いま宮の杜公園となり、森の向こう側に、マンション、手前左側に戸建て住宅が並ぶ。この写真を撮っている私の背後は、木々に囲まれるように井野の集落が残されている。竹林に沿った坂道を上ると三叉路の左手に井野の自治会館があり、その前の桜の木には「井野の辻切り」として有名なワラで作った龍が昇っている。いまは八か所の辻、辻でこの龍が集落の安全を守っているという。毎年1月に新しい龍と替えられ、家家の門にも小さな龍が掲げられている。Img_0883

 三叉路を左に行けば、豊山派の千手院があり、まっすぐ進めば志津へ。引っ越してきた1988年には、まだ、志津駅から千手院前が終点の路線バスが走っていた。

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 さらに、進むと、右手に庚申塚がある。大小五つの庚申塔が並ぶ。小さめの手前が、一番古くて寛政4年(1792年)とあり、まさに寛政の改革の時代である。奥にあるのが天保8年(1837年)、一番奥に見えるのが、万延元年(1860年)で、手前の正面に石像の姿がある塔と蔭にある2基が大正年間とある。

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   再び、八社大神に戻る。このあたりはイノシシが出ることもあるらしく警告の看板が出ている。左手の八社の森の切り株が何本か見える。この木々の伐採については、いろいろあった。開発業者が、八社の井野の氏子たちからの依頼で、八社の森の枯れ木・古木などの伐採と参道・駐車場整備の工事を開始すると、突然、近辺の住民に知らされた。八社の森の環境が気に入って住宅を購入したばかりという人たちは、最後の一戸売れた途端に工事を始めるとはと、怒り心頭であった。自治会・住民有志と何回かの交渉の末、200本伐採予定が70本で済んだし、参道の変更や駐車場の台数・運用変更などを経て落着した。

 そういえば、この工区の造成時には、産廃の捨て場にもなっていた雑木林から、トラック800台分が搬出されたことが確認された。そこに盛り土がなされ、その危険性に加えて、マンションや高齢者施設建設に伴う日照時間の減少、工事中の振動・騒音、通学路の安全性など近隣の住宅に与える影響などをめぐっても、さまざまな交渉が長期間なされた。マンションの階数と戸数自体を減らし、高齢者施設の階数や部屋数を減らすことで、日照時間を延ばすことができた。盛り土については、工事中、大雨で植栽ごと流されたこともあった。マンションの目の前の商業施設をめぐっては、24時間営業を売りにするスーパーを招致したものの、営業時間はどんどん短縮、10年で撤退していった。いまは、10時~18時の生鮮食品に限っての店が入ってホッとしているところだが、続いてくれることを願うばかりである。
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 ゆっくり、ゆっくり歩いて4800歩、近くの公園に戻った。この公園には、新しい自治会館が完成、オープンを待つばかりとなった。そもそも、地域にかかわるようになったきっかけが自治会館建設問題だった。ニュータウンながら、昔のムラ意識丸出しの自治会の役員会から、突如、いまある他の自治会と共用の自治会館に加えてもう一つ近くに建設するから、その資金の一部として、各戸3万円を徴収するとの回覧がまわってきたのである。それに怒った主婦たちが調べていくと、その建設に至る手続き、建設費予算の杜撰さ、建設予定地の立地の悪さ、開発業者との関係など次々に問題が浮上し、情報合戦もすさまじく?住民を二分するような状況の中、臨時総会では150対300という大差で、会館建設自体が否決されたという経緯があった。その後、地域住民の高齢化に伴い、近いところに自治会館が欲しいという要望も多く、近隣二つの自治会の協力のもと、建設委員会の粘り強い交渉で、公園内の建設が決まったのだった。公園内の施設建設は公園緑地法などのハードルが高いことは承知していたが、ともかく完成に至ったことはありがたく、大いに利用したいものと思っている  Img243_20220331105601

 上記自治会会館問題が落着した後、いささか機運が盛り上がったこともあったのだろう、知り合った主婦たち4人で、ミニコミ誌を出すことにした。1998年1月、その創刊号の「創刊のことば」は、いま読むと気恥ずかしいばかりではあるが、まだ、当時はみな若かった。新川和江の「わたしを束ねないで」の一節になぞらえて「わたしを束ねないでください、主婦という名で」で結んでいる。拡大して読んでいただけるとありがたい。また、小さな記事「宮ノ台むかしばなし」には、きょうの散歩コースの辺りにも触れている。また、1999年度には、佐倉市の「夢のまちづくりさぽーと事業」の助成(16万円)を受けて、自然観察会などの行事や地域の要人?のインタビューなど行い、ミニコミも毎月のように出していた奮闘の時期もあった。

 なお、「すてきなあなたへ」の47号からは、このブログの左欄から読むことができる。1~70号まで、ミニコミ誌の収集・利用を進める立教大学の共生社会研究センターで保管していただいている。2015年、スタッフの事情により、70号をもって終刊となったが、「終刊のことば」はない。<3月30日記>

 

 

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2020年4月13日 (月)

『「関さんの森」の奇跡』(関啓子著)を読みました。自粛の折の「関さんの森」の今

  ホームページ「関さんの森・エコミュージアム」(http://www.seki-mori.com/)によれば、さまざまな行事は中止ながら、散策路は開放されているようだ。この芽吹きと花の季節、すぐにも新緑の季節がやってくるというのに、あの手入れが行き届いた里山の草木はもちろん、鳥や虫、小さな生き物たちはどうしているだろうか。昨年の台風で倒れた木や折れた枝の始末も、ボランテイアの方々が懸命に進めている、という。私も、だいぶ前になるが、二回ほど訪ねている。その頃、転勤前の長女がボランテイアで、休日には、よく通っていたのだった。あの鬱蒼とした森の中には、池もあり、もちろん、曲がり家の関さんの自宅も蔵もある。

 ことし一月に、新評論から出版された『「関さんの森」の奇跡―市民が育む里山が地球を救う』の長いサブタイトルにも興味をそそられた。著者は、関家の姉妹の一人の関啓子さんなのである。また、本の帯の「行政指導に<待った>をかけた・・・」というのも気になるところだった。というのも、私たち市民グループや自治会で、隣接の緑地や雑木林の開発をめぐって、開発業者と佐倉市・千葉県と幾多の交渉を重ねた経験があったからである。

目次

はじめに
第1部 里山論
 第1章 里山とは何か
 第2章 なぜ、里山は壊れるのか―里山の昔と今
 第3章 里山の価値―なぜ、里山を護らなくてはならないのか

第2部 里山を育み、護る運動
 第4章「関さんの森を育む会」の誕生と活動
 第5章「関さんの森エコミュージアム」の誕生 
 第6章 市民力が自然を護る―環境保護の市民運動と学習
 第7章 市民力が自然を救う

第3部 里山保全イノベーション
 第8章 コモンズとトラスト
 第9章 緑と親しみ、人とつながり、今を楽しむ―市民としての成長

エピローグ
あとがき

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 そもそも、「関さんの森」とは、千葉県松戸市にある2.1へクタールの里山で、江戸時代に名主を務めていた関家が代々引き継いできた広い屋敷林だが、周辺の開発が進む中、関家当主の武夫さんは、屋敷林の自然を守り続け、「こどもの森」として一部を開放していた。1994年、関武夫さんの死後、残された姉妹は相続税のこともあって、翌年、一部を環境保護団体に寄付、「関さんの森」として、市民に開放され、憩いの場として、子供たちの環境教育の場として活用されている。

 本の第1部では、里山の保護の重要性が論じられる。第2部の前半では、1996年に発足した、ボランテイア団体の「関さんの森を育む会」を中心に、屋敷林の維持管理作業をはじめ、ニュースの発行などさまざまな形の広報活動と定例の見学会、学習体験、花まつり、タケノコ掘り、そうめん流しなど季節の催しものなど、多彩な活動を多くの写真とともに、かかわった人々の熱意と努力による活動が具体的に語られている。そうした人々への敬意と感謝の気持ちがおのずと伝わってくるのが印象的だった。
 また、第2部の第6章では、2008年「関さんの森エコミュージアム」の発足とともに市民による活動が活発になった折、なんと1964年に都市計画決定した都市計画道路3・3・7号線予定地の強制収用手続きが松戸市によって、突如、開始し、屋敷林が分断することになるのであった。松戸市や市議会の強硬姿勢、隣接の区画整理組合と松戸市民たちや研究者たちによる抗議や抵抗の活動が時系列で綴られている。しかし、その攻防が膠着状態になったときに、「景観市民ネット」の助言などもあり、いわゆる「政策提案型」の運動に舵を切るようになる経緯などは、不安と期待がないまぜになって、読者をひきつけるのではないか。
 ここでは、利便性を標榜する道路づくりの「公共性」より、以下の指向性を持つもう一つの「公共性」の重要性を強調する。すなわち、自然環境の保護/子供と市民による公共利用の優先/強制収用という手段ではない政策実現過程の民主化/行政主導ではない市民の希望を反映したまちづくり、の観点から、道路計画の線形を変更し、自然破壊の少ない道路建設の代替案を提出、実現への道を歩み始めた過程を明快に論じ、社会学専攻の研究者(一橋大学名誉教授)としての姿勢にも感銘を受けた。2009年には、計画道路は関家の屋敷の外側を迂回することで、関家と松戸市は合意、2012年の開通にこぎつけたのは、「市民力」の成果であったとする。地縁や血縁に拘束されない開かれた集団、共通の目的や関心のもとに生まれた、自発的な「手作りのコミュニティ」重要性をと説く(212頁)。

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迂完することによって開通した都市計画道路、関家の蔵や門が残された(相続の折、寄付を受けた埼玉生態系保存協会のHPより)


 
第3部では、より広い視野で、日本内外のナショナル・トラスト運動や日本各地の市民運動が報告される。また、最終章では、都市近郊の里山保全に加えて林業地域での里山再生に触れて、目指すところの、藻谷浩介の「里山資本主義」、広井良典の「定常型社会」の考え方を紹介するが、いま私は、両氏の著作を読んでいないので、ややわかりづらいところがあった。前者は「森や人間関係といったお金で買えない資産に、最新のテクノロジーを加えて活用することでで、マネー―だけが頼りの暮らしよりも、はるかに安心で安全で底堅い未来が出現する」といい、後者は「経済成長ということを絶対的な目標としなくても十分豊かさが実現していく社会」(持続可能な福祉社会)への移行を目指すとするが、行政や開発優先の人々と闘い、市民分断にも直面してきた、関さんの森を守ろうとしたきびしい闘いの現場との乖離が思われたのだが。

 なお、2012年5月、見学に訪れた折の、当ブログ記事を、併せてご覧いただければと思います。

・新松戸、「関さんの森」に出かけました(2012年5月8日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2012/05/post-e122.html

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「育む会」の会報は、毎年1月に刊行されている。手元にあった36号は、28頁もあり、20年の歩みの年表も付されていた。

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2012年5月、見学に訪れた時の、古い写真。右のような古木もあるし、散策路も整備されていた

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2012年5月、関家の庭側から見た門、木漏れ日が揺れていた

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2012年1月、3年がかりの準備を経て、移植された、関さんの森のシンボルツリーであるケンポナシが芽吹き始めていた

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2014年5月に訪ねた折のケンポナシ、立派に根付いていた

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2019年2月 9日 (土)

直近のスーパーが撤退、コンビニと空き家が増えてゆく街

 店に入って、すぐ、売り場が、やけに広々としているな、と思っていた矢先、近くのスーパー、マックスバリュが、2月いっぱいで閉店するという、小さな「お知らせ」の看板が目についた。10年間の感謝も述べられていたが、そう、20094月、地元のディベロッパー山万とイオンの鳴り物入りでオープンしたスーパーだった。 

このスーパーの入るビルの建設・開店にあたっては、当時、地元住民との間で、24時間営業の是非、屋上の駐車場の是非が問われていた。一戸建ての住宅街と300世帯余りの高層マンションに挟まれた、住宅街の真ん中での24時間営業の悪影響が懸念されたが、採算が取れなかったのだろう、開店7か月後の200911月には9時~24時営業に短縮、現在では、さらに9時~22時に短縮されている。それでも、マンション前のスーパーは、マンション販売の「売り」でもあった。 

 我が家からも、あるいて56分のところなので、週に1度ほどは出かけていたが、レジで、お客さんが並ぶことはめったになく、「トップバリュ」というプライベートブランドの品ばかりが目立ち、品数がめっきり減ってきたことが気になっていた。「間に合わせ」の買い物も用が足りなくなってしまった。加えて、最近、何棚かの百均コーナーのようなものができたり、売り場がちょくちょく変わったりしていて、戸惑うこともあった。 

 折しも、ユーカリが丘駅から123分以上歩いたところに、2016610日、イオンタウンがオープン、ユーカリが丘駅近くの、山万所有ビルのイオン跡(元サティ、1992年3月6日開店、イオン2016年6月5日閉店)の1階の一部に生鮮食品中心のオーケーストアが、20171128日にオープンした。マックスバリュの客足は、ますます遠のいたのだろう。 

 

 イオンタウンとても、1階部分のイオンスタイルというスーパーこそ、それなりの賑わいを見せているが、23階の専門店街は、閑散としていて、たまに出かけると、どこかの店が閉店セールをしているような有様である。私も、オープンしたばかりのころ、眼鏡を新調した店は、1年少しで撤退してしまった。
 

 マックスバリュの跡はどうするつもりだろう。イオンと山万は、一体何を考えていたのだろう。山万は「千年優都」とか銘打って、ユーカリが丘一体の「まちづくり」を目指しているというが、順天堂大学誘致を前提にしてのユーカリが丘北口開発は、市長選までからめてのなりふり構わない様相を呈したが、とん挫したばかりだ。10年先も読めなかったことになる。それに前述のイオン跡の1階は、オーケーと数店舗で埋まったが、この1月には、オープン間もない水産会社が撤退している。2階はいまだ、がらんどうだ。3階の半分は、これも下記の当ブログでもふれたが、佐倉市が年間賃料80万で、10年間借り受け「スマートオフィススペース」として、貸し出すそうだ。佐倉市の皮算用では5年で採算がとれるというが、借り手が思うようにつかない場合の損失は、納税者市民の負担になる。国からの交付金と山万の提案に乗った形の市長提案は、最大会派とすったもんだがあったが、どういうわけか、最終的には、そのための予算は成立してしまったのだ。
 この街に、いつの間にか増えたのが、コンビニと空き家だ。路地では、食材や総菜・食事の宅配業者の車をよく見かけるようになった。我が家では、生協での買い物が増えるだろう。電動自転車での買い出しも増えるに違いない。

 

 

佐倉市は、不動産屋に?山万の空きビルの一部を借り上げて、貸室業をやるらしい!

 20181210日)
 
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2018/12/post-2945.html

<参考> 

スーパー、マックスバリュの進出が決まったころ、当時発行していた地域のミニコミ誌に書いた記事です。近隣の自治会員も参加しての対策協議会のメンバーとして、山万や市役所、県庁、幕張のイオン本社などに何度か話を聞きに行ったことを思い出します。

 

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2018年12月10日 (月)

佐倉市は、不動産屋に?山万の空きビルの一部を借り上げて、貸室業をやるらしい!

12月9日は、町内自治会の大掃除だった。家の東側の側溝の隙間に、なんとスミレが・・・。

 

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 佐倉市のユーカリが丘駅前と言えば、11月下旬、タワーマンションの最上階での殺人事件が報道されて以降、犯人もいまだ捕まらず、住民の不安が募っている。あのマンションを含む、一帯のマンションのオーナーで、開発業者の山万と佐倉市が絡む問題が浮上した。

佐倉市ユーカリが丘駅前の山万の商業ビルから、スーパーのイオン(元のサティ)が抜けて、がらんどうになった跡に、201711月、ようやく1階に、スーパーのオーケーが入った。しかし、2階の通路は、白い壁のトンネルで、少々気味が悪いほどだ。3階へのエスカレーターは運転がストップしたままで、いったいどうなるのだろう、山万は何を考えているのかと、余計な心配もしていた。 

そこから5・6分ほど歩いたところに、バカでかいイオンタウンを誘致、20166月にオープンしたが、専門店の入れ替わりが激しいというか、この間まであった店舗がなくなっている?移動している?ということが何度かあったし、食料品売り場以外は、客がまばらなので、他人事ながら、先行きが心配だったのである。 

 

佐倉市が、商業ビルの3階をフロアごと借りて、大改装の上、部屋を貸すんだって?

 そんなとき、えッ?というような、ニュースが飛び込んできた。それが上の情報である。9月から、佐倉市議会で取りざたされていたらしいのだが、私は、少々忙しい時期でもあったためか、見過ごしていたというか、知らずに過ごしていたのだった。 元サティのあった商業ビルはスカイプラザモールと呼ばれ、その3階の一部を、佐倉市が、ほぼ借りて、幾つかに区切って事務所用の部屋を貸し出そうという事業を始めるというのだ。そのための補正予算が9月市議会に提案され、成立してしまったのだ。 

その中身は、テレワーク・シェアオフィスをスカイプラザモールの3階に開設するための、総額1億1,1384,000円の補正予算組んだことに始まる。そのうち、国からの交付金が約5,100万円(拠点整備費:4178万+推進交付金925万)、佐倉市分は約6,000万円で、そのすべてを、改装のための工事に当てようというものである。山万への賃借料が年間840万の10年契約、年間の人件費、光熱費、清掃費など維持費が、あわせて2040万、合計3000万近いランニングコストがかかる事業のための補正だったのである。

  その国からの交付金というのは、舌をも噛みそうな「まち・ひと・しごと創生総合戦略(2017改訂版)及び平成30年度予算・税制改正(地方創生関連)について」(平成30213日内閣官房まち・ひと・しごと創生本部事務局)の一環としての「平成29年度生産性革命に資する地方創生拠点整備事業」のための総額約650億交付金であった。第2回目の募集が57日にあり、佐倉市は621日に応募、83日に決定が降りたという経過があったらしい。要するに、私には、「キラキラネーム事業」のバラマキの一環のようにも思えた。市議会では、市民ネットワーク、日本共産党、新社会党の計6人が、計画そのものが拙速で、ずさんであるとして反対していた。

 

 そもそも、テレワーク・シェアオフィスって何?

  テレワークとは、わずかなスペースに机、パソコン、電話、コピー機などを備えたオフィスを貸し出して、勤務先に通わずに働いたり、そのオフィス限りで個人やベンチャー起業家として働いたりすることだ。シェアオフィスとは、複数の利用者が同じスペースを共有して、自らのオフィスにすることらしい。設備投資や維持の削減ができ、多様な働き方ができると、話題になっている。東京から離れた佐倉市などで、その需要が呼び込めるのか、となると、不安要素は多いだろう。それに、レンタル料の設定が、10人用会議室で月額20万、6人用で12万というから、便利な都心の相場と比べて、あまり差がないというのだ。フルに稼働した皮算用でも5年間は赤字だというのだから、自治体が手掛けるにはアブナイ事業ではないか。赤字続きだったら、どうする気なのだろう。そんな心配の中、早くも、都心の賃料と比べて気が引けたのか、すでに値下げが提示されているという。採算がとれない、そのリスクは、納税者の国民が、市民が負う。なかなかテナントが入らない空きビルを、佐倉市がフロアごと借りてくれるのだから、オーナーにとってはこの上もない事業だったのである。 

 そういえば、11月下旬に、これまで、ユーカリが丘駅のコンコースに隣接した通路にあった佐倉市ユーカリが丘出張所が、上記のスカイプラザモールの3階に移転したのも、その布石であったのだ。駅からは、数分歩くことになり、不便になってしまったのだが。 

佐倉市役所の建て替え問題が浮上した時、私はかねてより、一層市役所全体を、駅前のビルに移転してもよいと思っていた。人口から言えば、志津地区の人口が最も多く、その真ん中に位置するのがユーカリが丘だと思うからだ。ガラガラにも近い駅近のビルに、市役所がよく似合うと思う。莫大な建築もいらない。 

旅行中に知ったのだが、宮城県石巻市は、石巻駅の真ん前のデパートの跡がそっくり市役所になっていた。

 

あれは、四年前、思い起こすのが「市長選」~ 

前回、2015年春の佐倉市長選挙の際の、現役の蕨(わらび)市長に対して、山万がバックアップした某候補者が仕掛けた醜い選挙戦を思い起こす。某候補の公約は、山万が提供するというユーカリが丘駅前の3000坪の土地に順天堂大学のある学科を誘致するために、佐倉市から24億円の補助金を出すというものだった。24億円の根拠を示さないまま、補助金は出せないと慎重だった現役市長を糾弾するもので、違反ポスターやチラシ、怪文書が乱れとんで、大学を誘致して、若者が行き交う街にするのは、いいじゃないかと、単純に考える市民を巻き込む勢いだった。 

 

現役市長の市政の志津霊園問題をはじめとする都市計画、企業誘致政策、防災、福祉、教育政策には、合理性に欠ける施策が多く、私などは、事あるごとに異を唱え続けてきていたのだが、この24億円の補助金に待ったをかけていたことだけは、その一点で評価していた。選挙終盤戦には、その市長が「順大誘致に反対しているわけではない」などのチラシを撒いたりし始めて、がっくりしたのだった。ともかく、現役市長の勝利に終わり、某候補応援、市長攻撃のネット情報は、翌日すべて削除されたという顛末もある。その後、愛媛県の加計学園獣医学部問題が表面化して、愛媛県と今治市の補助金が問題になっただけに、市長はほっとしているだろう、と思っていた。

その市長を落選させる勢いで、企業ぐるみで選挙戦を展開していた、開発業者の山万が、今度は、現市長と手を組んだのである。実にキナ臭い話ではある。当初、市議会の最大会派、さくら会は、市長提案のこの事業には反対だったそうだ。それが、何があったのか、一転して賛成に回ったという経緯も後になって知った。市議会で、件の補正予算に最後まで反対した会派の一つの機関誌には「市長と民間業者の間で何があったのでしょうか?」と報じていた。その先について、市民は蚊帳の外というわけなのか。

 

前回の市長選挙の顛末は、以下をご覧いただきたい。

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「嵐のような、あの佐倉市長選は、何だったのか」『すてきなあなたへ』(70201568日)より

現在は、この順大誘致ありきのユーカリが丘北口再開発の都市計画は、取り下げられ、新しい
再開発計画が発表されている、と言っても、高層マンション、オフィスビル、商業施設など、相変わらずの、あまり特色のない構想で、いまの商業ビルさえ持て余しているのに、大丈夫なのか。これについては、以下を参照。

・ユーカリが丘駅北口、あたらしい街づくりというが (2018年7月15日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2018/07/post-4502.html

2015年の市長選の顛末について、くわしくは、以下の過去記事をご参照ください>

・佐倉市の大学誘致はどうなるのか~順天堂大学おかしな動き、その蔭に 
201538日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2015/03/post-5d0f.html

 

・「順天堂大学誘致」はどうなったか、佐倉市議会の質疑からみえるもの
 
2015316日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2015/03/post-2f8b.html


・佐倉市、順天堂大学誘致をめぐる「選挙戦」
 
~誘致の効果は机上の空論、得をするのは誰なのだろう 
2015414日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2015/04/post-5c84.html


・市長・市議選の争点は「大学誘致」ばかりではない~やっぱり出た”怪”文書「順天堂大学誘致の会ニュースレター」
2015418 

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2015/04/post-7056.html

 

 

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2018年7月15日 (日)

ユーカリが丘駅北口、あたらしい街づくりというが 

 

6月の自治会の回覧資料のなかに、地元の開発業者山万発信の「平成30年度6月~開発計画について」(63日)があった。地域の複数の自治会で構成される自治会協議会で、報告されたようであった。営業所の移転、スタバの開店予定、シネマコンプレックスの運営会社の変更などの情報に混じって、「(仮称)佐倉市ユーカリが丘駅北再開発事業計画」という3頁の書類が入っていた。数年前から山万が業務代行となって「佐倉市ユーカリが丘北土地区画整理組合準備会」を立ち上げ、駅前の3000坪ほどの土地を順天堂大学に提供するので、一部のキャンパスを移転してはどうかの話が持ち上がっていて、大学生でにぎわう街、それに伴う経済効果をうたい、駅前の再開発計画を目論んでいた。佐倉市には、約25億円の補助金を要請していたが、市長は、大学から詳細な計画が提出されていないことと市財政の立場から、あくまでも消極的だった。 

 

三年前、大学誘致をめぐる市長選挙は何だったのか

 

ところが、三年前の市長選挙のとき、山万が、大学誘致を全面的に推進する候補者を突如立てて、悪辣とも言ってよい選挙戦を展開した。その実態は、年表にまとめてあり、このブログでも10数回にわたって、記事にしているので、関心のある方は、一読いただけれと思う。周辺住民への説明会も、おざなりのもので、道路計画などには大きな不安が募っていた。現職の市長も誘致推進派の対抗馬に引きずられて、本来の公約そっちのけで応戦してもいた。選挙民は怪文書や違法ポスター、ネット情報に翻弄された。山万が、あの醜悪な選挙戦をリードしたのを目の当たりにすると、どんなきれいごとを並べられても、私には信用しがたいものがある。

 

その上、私には、私の住む街区に隣接する「井野東土地区画整理組合」による約50ヘクタールの開発事業(200279日都市計画決定~2012217日組合解散)で、組合の業務代行だった山万が見せた開発の手法への疑問があった。その開発過程で、私たち周辺住民になされた、環境保全、周辺住民無視にも等しい数々の対応を忘れることができない。土地造成に伴う産廃・残土処理・盛り土の高さ、法面の処理、道路計画、建造物の高さ、工事に伴う騒音・振動・交通対策などについて、自治会を中心とする住民組織との数年にわたる会議や質疑・折衝に見せる不誠実で、強硬な姿勢に、気を緩めることができなかったからである。さらに加えて言えば、そのときの千葉県や佐倉市の開発優先の対応にも疑義が深まったのだった。この辺り経緯は、本ブログ開設当時2006年以降の記事や地域のミニコミ誌「すてきなあなたへ」の当時の各号に詳しい(本ブログのマイリストからも閲覧できます)。

 

“狂乱”の市長選挙の結果は、現職に落ち着いたが、一部市議会議員と山万は、引き続き大学誘致を進めようとしていた。佐倉市側からの経過説明は以下のサイトで読むことができる。


佐倉市HP:順天堂大学の誘致について(2015716)

http://www.city.sakura.lg.jp/0000011401.html

 

〇佐倉市における順天堂大学誘致問題の動向2015~市長選を中心に(告示日:2015419日、投票日:426日)20155月作成、同年6月、20187月補、内野光子作成)
 http://dmituko.cocolog-nifty.com/yukarinenpyou.pdf

 

大学側も、佐倉市からの補助金引き出しを困難と見て、キャンパスの都心回帰志向が高まる中、補助金がないままの進出は、どうでもよくなったのか、201610月、大学と山万は協議の上、「佐倉市ユーカリが丘北土地区画整理」事業による都市計画提案は取り下げるに至ったのである。 加計問題の二の舞になるところではなかったか。

 

取り下げから、一年半余り

 

そして、取り下げから一年半余り、佐倉市との事前協議を重ねていたのだろう、2018320日、今回の「都市計画」提案になったのである。大学に提供すると言っていた1ヘクタール弱の敷地を含めた4.3ヘクタールに、「内外の企業誘致をするためのビジネス街、子育て世代からシニアのための多機能住宅構想を柱に、就業人口、昼間人口、定住人口の増加を目指す」とした都市計画提案を、613日付で、佐倉市は採用・決定した。下のホームページでも明らかなように、計画書、審議結果の双方とも、大学誘致についての経緯や評価にはいっさい触れていない。その提案者は区画整理事業組合(準備会)ではなく、山万からのものであるが、実質的には、大きな変わりはない。

 

Img462
2018年3月20日、山万から提出された「都市計画提案」

上記の決定内容の詳細は、以下を参照ください。

〇佐倉市HP:都市計画提案(仮称)佐倉市ユーカリが丘駅北再開発地区及び周辺地区2018613日)
http://www.city.sakura.lg.jp/0000019052.html


あらたに決定した計画書と開発実績とは

 

「職住近接下コンパクトな街づくり」「国際色豊かで多彩な都市的機能の享受機会に恵まれた駅前拠点」として再構築を目標とし、「賑わいと活力のある商業・業務機能と利便性に富んだ都市型住宅機能の整備をはかり回遊性と界隈性を備えた街づくり」を実現する、とある。また、佐倉市の審査結果には、都市計画法や千葉県、佐倉市の都市計画との整合性、地権者・周辺住民との調整、環境への配慮、地元での開発実績からの実現性を評価し決定したと記されている。

 

 <用途地域のの新旧対照図> 

 

 

 

Img463

右が用途地域変更後の見取り図になる。現在、みずほ銀行の角裏の空色の台形部分の第1種低層住宅専用地域と黄色い296沿いの第1種住宅地域の一部がピンク色の近隣商業地域に取り込まれ、変更となる

  <予想建築物計画図>

 

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みかん色が三か所の高層住宅で、合わせて432戸。灰色の立体の専用駐車場639台とビルに併設が221台で、あわせて860台。ピンク色の2か所の1階部分が商業施設となる。中央の青色部分が1500人収容の多目的ホールになるという。各建造物の事務所スペースが多い

 

上記二つの図面の詳細は、以下を参照ください。

 

佐倉市HP:都市計画提案(仮称)佐倉市ユーカリが丘駅北再開発地区及び周辺地区2018613日)

http://www.city.sakura.lg.jp/0000019052.html

 

こうした、夢のような構想が語られても、その実現性は、これまでの、「井野東」「井野南」などの土地区画整理事業による開発経過と結果・実態をみれば明らかになるのではないか。それにしても、7月21日に予定されていた、公聴会は、公述人なしで、中止になったという。

 

これまでの開発で、多くの緑地と雑木林を失い、都市計画道路と宅地になり、高層集合住宅も建った。戸建て住宅の小規模化により子育て世代を呼び込んだり、集合住宅は、企業などの借り上げなどにも助けられたり、この地区の人口は確かに増加した。しかし、計画道路沿いの商業ゾーンは、当初、大型スーパーや葬祭場などができて、渋滞などが予想されたが、いまだ空き地が続いている。また、さらに、駅寄りに巨大なイオン・タウンが開業したが、どうだろう。それよりもユーカリが丘駅に近かった、二つの商業施設(ユーカリプラザ、旧サティ)のスーパーや専門店の撤退が相次ぎ、いまは、昨秋、開店のオーケーだけがにぎわっているのが現状である。駅の南側にあった電気店コジマや北側でもツタヤをはじめ、パン屋さん、いくつかの個人商店が閉業している。イオン・タウンへは、オープン以来、私は数回しか出かけていないが、連れ合いは、自転車で、ノジマや生鮮食品売り場、クリーニング店などにはよく通っている。私も出かければ、レストラン街など歩いてみるが、魅力的な店が見つからない。一流とか、有名とかにはこだわらないつもりだが、テナントとして入る店が、どうもこれという特色がない店が多く、リピーターがつかめないのではないか。同じようなことを、よく買い物に出かけるという友人も話していた。お客が多いのは生鮮食品売り場くらいで、閑散としている店が多いのだ。なかには、冷房も暖房も効いているので、もっぱらウォーキングのために出かけ、ところどころにベンチもあるので助かるという友人もいる。

 

それに、テナントの出入りもはげしく、定着しない。オープン当初、しっかりした眼鏡屋さんが入ったと思い、眼鏡を新調したら、なんと一年余で撤退してしまったという個人的な体験もある。

 

この街に、あんな大きな商業施設が必要だったのだろうか。呼び込んだ山万とイオンのコンセプトがわかりにくい。遠隔地からの集客は、近隣に同様の商業施設が乱立しているから、まず無理なのではないか、というのは素人でもわかる。私たち住民にとっては、地元の商店やコンパクトなスーパーが充実していれば十分にも思える。私は、コピーや公共料金納入・送金などで利用する程度のコンビニながら、この街にはコンビニが多く、内情はわからないが、共存しているらしいのだ。ということは、大型スーパーより、コンビニの利便性が評価されているのかもしれない。若者、シニア、単身者の利用が多いというのもうなづける。さらに、いくつかの生協の宅配、食材・弁当の宅配業者の車もよく見かける街となった。また、モノレールとて、運行距離が短く、限定的で、駅やホームへのアクセスが悪く、運賃が高い。結局は、小回りの利く、シャトルバスやコミュニティバスを運行する事態に到っている。

 

今回の開発で、さらに商業施設が増強され、事務所スペースが多く、ビジネス街を目指すという所以でもある。ほんとうに、ビジネスを誘致できるのか。この街はどうなるのだろう。近い将来、当地域の人口増加も、いずれ期待できなくなり、利用者激減の商業施設やモノレールはどうなっているのだろうか、を目の当たりにするのが恐ろしいのだが、そのころ、私などは・・・。 

 

それでも、企業や自治体、議員や研究者などの視察が盛んなのは

 

 そんな状況の街ながら、山万の街づくりが、モデルケースとして、国や自治体、地方議員、企業関係者、研究者らの来訪・視察の対象となっている。レポート類も数多く出されていて、業界紙やテレビでも紹介されることが多い。テレビの「カンブリア」にも登場していた。しかし、その大方は、山万が提供する資料や山万の社長や幹部のインタビュー取材にもとづくもので、いわば企業の広報べったりのレポートであることが多く、その裏付け取材や検証がなされないまま、独り歩きしているのだ。将来の人口構成まで見据えた年間200戸以上売り出さない「成長管理」、分譲したら、その地を撤退する開発ではなく、地域に密着した企業であり、社員を地域に住まわせ、関連会社による子育てから介護、環境整備まで支援し、環境に優しい新交通システム(モノレール)の導入、電気自動車のシェア、コミュニティバスなどの運行、住民へのアンケート実施などが高く評価されたことが、HPや広報誌「わがまち」、「夢百科」などで繰り返される。

 

 ともかく、地元の市役所や住民・自治会・地元のNPOなどに取材したり、関係資料を収集したりする努力、形跡が見えないものがほとんどである。

 実態を見ない机上の開発手法であることが多く、地域密着と称して自治会や管理組合在籍の社員による情報収集・情報操作がなされた場面にも遭遇している。

役人や議員、学者や実務家ら専門家・有識者と称する者やメディアの言は、まず疑ってみよ、が、私にとって、どんな問題にも共通する鉄則にも、思えてくるのだ。

 

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2017年12月20日 (水)

<談合>大きなものから、小さなものまで、どこまで続く

ゼネコン4社によるJR東海のリニア新幹線工事をめぐる談合のニュースが連日続いている。総工費9兆円にも及ぶというから、そこに群がるゼネコンは、醜悪な談合の歴史にまた大きな汚点を残す。9兆円の三分の一の3兆円は国債による公費投入が決まったと言い、JR東海、一民間事業と業者の関係ではなくなっている。ニュースが報じられるたび、大成、鹿島、清水建設の名前を聞くたびに、どうしても思い出してしまうことがある。もう20年前にさかのぼる。

私が住んでいる佐倉市のニュー・タウンに隣接した50ヘクタールに近い土地の区画整理事業が始まろうとしていた。ニュー・タウンの開発を手掛けた地元の不動産会社の山万が、千葉県の都市計画道路建設とからめて、土地区画整理事業組合方式による宅地造成を計画した。

1998年井野東土地区画整理事業組合準備会を立ち上げ、山万が業務代行となり、区域内の市街化調整区域の市街化区域への変更を進めた。 2002年には、組合が認可された。 街を走るモノレール軌道の内側の緑地だった第4工区の工事は、型通りの周辺住民への説明会も行われ、高い柵のなかで工事が進められていた。工事は、土地の凹凸を均してバリアフリーの宅地にするという触れ込みであった。ところが、2005年、高い塀が取り除かれると、道路から6m7mを越す盛り土が出現し、直近の住民の不安が募った。盛り土の危険性、景観・日照権への影響、モノレール軌道の安全性などが危惧され、自治会が動き、対策協議会が組織された。盛り土の撤回、産廃の撤去など山万・大成建設との交渉が始まり、署名を集め、市議や行政への働きかけも行った。

*その後、業務代行と佐倉市は、危ない橋を渡っている。それまでの佐倉市の条例規則では、一業者が区画整理対象用地の3分の2以上所有している場合は、助成金は出せないことになっていたが、この要件をはずして、助成直後、元に戻している。
<参照>

区画整理組合への助成金は、やはり業者への後押しだった! 

 交渉は、回を重ね、ようやく、盛り土をモノレール軌道沿いに10mの巾で1.5m下げ、のり面の傾斜を29度から22度に下げた。その交渉の途中で、のり面の植栽が、一晩7080ミリ程度の大雨で、根こそぎ流れるという事故が二度も発生し、のり面には小段も設けることになった。かつての緑地には、山万のそれまでの宅地造成や住宅建設で生じた産廃が一部運ばれていることは知られていたが、組合の事務所で調べてびっくり。6326トンのコンクリート塊、598トンのアスファルトがら、木くず250トンほか金屑、廃プラスティック、その他の廃棄物230トンのトラック800台分が搬出されていた。そこに残された土66000㎥で盛り土がなされていたことになる。残土の安全性も心配だったが、数値に問題はなかったという。信じるほかなかった。残土に拠る盛り土に工法上問題はなかったのだろうか。上物の建設物についても、冬至における日照を確保するために、階数を減らし、規模も縮小させた。現在は、宮ノ台6丁目となり、地上13階、地下1階建て323室のマンションと4階建て73室のケア付き有料老人マンションが建っている。

 そのマンション建設が鹿島建設であった。工事中の騒音・振動・工事用車両の交通対策なども問題となり、家屋への被害調査と補償も難航した。

 さらに、私たちの自治会区域に隣接する第2工区は、都市計画道路に近く、かつての馬の放牧場だった広い雑木林もあった場所だが、その宅地造成は、清水建設であった。対策協議会のメンバーでもあった私は、清水建設の現場事務所には出入りすることもあったし、犬との散歩コースでもあり、現場近くを通ることが多かった。そんなある日、現場の一角に、プールのような大きな穴が掘られ、そこに、コンクリート塊、木の根っこ、針金、農業用のシートのようなものから作業服、長靴、缶からなど、産廃から生活ゴミに到るまで、もろもろが投げ込まれていた。現場の作業員に尋ねると、埋めてしまうのだという。事務所に清水の担当者は常駐していない。あわてて、市役所に電話をして、現場に来てもらった。市役所と清水建設の話によると、大きな産廃は搬出したが、「細かなゴミ」は宅地ではない、公園予定地に穴を掘って埋めてしまうという計画であったという。宅地のように個人の財産になるわけではないし、公有地となる公園なのだから問題はないなどの言い訳も聞いた。もしそのまま埋められていたら、どうなっていたのだろう。現在、第2工区は、西ユーカリ1丁目となり住宅がびっしりと建て込み、くだんの公園には幼い子供たちが駆け回り、若いお母さんたちが立ち話をしている光景がみられる。

 井野東の土地区画整理事業は2013年に完了、組合は解散した。都市計画道路の沿道には、空き地が広がっているのが現況である。区画整理区域内にあった、縄文後期の環状盛り土遺構が国指定となった「井野長割遺跡」の一部が、約20000㎡、67000万円で佐倉市に売却された。かつて安く買いたたかれた地主さんたちは、腑に落ちない面持ちだったらしい。早い時期に、市の調査が行われていたら、早い時期に市が買い取っていたら、7億弱の税金を費消することもなかったと・・・。その他、モノレール跨線橋の傾斜が道路構造令ギリギリの10度に近く、安全性に問題が残ったまま、住宅街における商業施設の24時間営業、利用者のアクセス・駐車場問題なども浮上した。もっともスーパーの営業時間は、半年たたないうちに短縮され、問題は一部解消した。他に、私が個人で情報公開請求をした都市計画道路における公共施設管理者負担金の算定過程での組合の業務代行と県との打ち合わせ文書は、不存在との回答で、「談合」疑惑はかえって深まった。組合・県・鑑定業者の打ち合わせもある。そうした打ち合わせは、組合側の文書の「経過報告」に拠れば10回以上実施されているのにもかかわらず、「県側が文書を作成しなかったとしても必ずしも不合理とは言えない」というのが、私の異議申し立てへの回答であった。いつもどこかで、最近の森友・加計問題のやり取りでもよく聞くセリフである。「談合」疑惑は解消するどころか深まってしまった一件である。それにしても今でも不思議なのは、この区画整理事業の総予算が160億であったのに、急きょ半分に近い90億弱に変更されたことだった。どこでどれだけの予算が削られたのか。安全性に影響が出なければよいが。

 

「公共施設管理者負担金」とは、土地区画整理法第120条を根拠とするもので、重要な公共施設の整備計画がある場合、公共用地を取得する場合の用地費、補償費及び事務費の範囲内で、土地区画整理事業者が公共施設管理者に対して求めることができる費用負担のことである。以下参照ください。

 そんなこんなを思い出させる今回のゼネコンの談合、いつになったら根絶できるのだろう。また、スーパーコンピューター開発会社が外注費などを水増しして得た助成金や優遇融資名目で認められた公的資金が100億円を超えるという。創業当初からの大量の公的資金が流れ続けた経緯の解明を進めているという。永田町との関係も取りざたされている。オリンピック諸施設の建設も限りなく怪しくなってくる、だいじょうぶなのか。話はとめどなく広がっていく。

東京地検特捜部、ひるむことなく、しぼむことなく突き進んで欲しいものだ。

きのう1219日、政府は、トランプ大統領のセールスに見事に応え、イージスアショア2基の導入を、閣議決定した。これだけで2000億。18年度の防衛予算は、過去最大の5.2兆円、13年度以来増額が続いている。同時に、生活保護基準を見直し、生活費にあたる「生活扶助」を3年かけて1.8%の切り下げ、年間にして160億減らすことになるという。とんでもなく、なさけない国に生れてしまったものである。

 

 

 

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2016年11月19日 (土)

きょう「順天堂大学誘致の現状と真相」がポストに

「順天堂大学誘致の現状と真相」と題する『わがまち』臨時号(山万KK企画部編集・発行)がポスティングされていた。いつものタブロイド判の裏表の2頁だった。 いつもと違うのは、臨時号、いわば号外なのだろうけど、日付がない。発行・編集がいつもの「わがまち編集委員会」ではなく、「山万株式会社 企画部」となっていた。

『わがまち』は「地域の有志の方々と山万が協同で制作しているタウン情報誌」という触れ込みながら、まぎれもなく山万の広報誌なのだから、今回はそれがはっきりしたわけだ。日付がないのはどうしてかな。まだウェブ上には登場していなかった。

内容は、一面が、新聞報道を受けて、問い合わせが多く、不正確な報道でもあるので、「現状に至った経緯」を市民・住民に伝え、正確な理解を頂く、という趣旨で、「『こうほう佐倉』では語られていない真実」「断腸の思いでの取り下げ」の見出しで記されていた。裏面は「順天堂誘致に向けたこれまでの経緯(概要)平成17年10月~平成28年10月」と題して年表風な説明となっていた。しかし、その書きぶりは、昨年の市長選での「怪文書」めいて、その内容以前に、不快感が漂う。

最後は「順天堂大進出が白紙」という『千葉日報』の記事があったが、区画整理組合・山万・順天堂大学は、「白紙」との認識は持っていない、ユーカリが丘における順天堂キャンパス誘致の実現に向けた重要性の認識と熱意は変わっていない旨の文章で結ばれていた。

私は、地権者でもない、直近の住民でもないけれど、これまでの山万の井野東の開発手法を見てきただけに、不安だった。地元への説明会に参加したり、議事録を読んだりした。市議会や「大学等誘致に関する懇話会」の傍聴もした。説明会の資料がなかったり、後手になったり、かなりの情報操作をしているのも分かった。今回の経緯の中からすっぽり落ちている、市長選での誘致推進だけを争点とするような候補者陣営の露骨な選挙運動は、目を覆いたくなるほどだった。

「あきらめていない」というのだが、私たち住民にとっては、ユーカリが丘駅北のイオン撤退の跡がどうなるのかの方が、先決なのではないか、の思いも強い。肝心の駅周辺の既存の商業施設と駅から離れた、新しいイオンタウンの行方も心配だ。

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2016年11月18日 (金)

ユーカリが丘への順大誘致、白紙へ

 16日の夜遅く、知人からのメールで、1024日付で、順大誘致のための「都市画案の取り下げ」、区画整理組合設立のための「事前協議の取り下げ」がなされた、との一報が入っていた。京成ユーカリが丘駅北への順大誘致は、一帯の開発業者である山万が、かねてより強引に進めてきた計画だった。この数年間、周辺の地権者を巻き込み、自治会や市議会議員を巻き込み必死であった。昨年の佐倉市長選では、ほぼ順大誘致だけを公約に掲げた候補者を立て、実に醜い選挙戦を展開したが、敗退した。

 佐倉市ユーカリが丘駅北土地区画整理組合準備会(代表田中一雄)は、佐倉市が誠意ある対応をしないので、信頼関係を失ったとして、今年の14日付「土地区画整理組合の設立認可申請に係る事前協議」、24日付「都市計画提案書」を取り下げたことになる。山万は、土地を無償提供し、佐倉市からは負担金を出させるからと順天堂大学に進出を持ち掛けたのが事の始まりだろう。佐倉市は、負担金を出す以上は計画や費用の詳細を求めたが提出されないことを以って、進めなかったいきさつもある。少子社会で、大学キャンパスの都心回帰が強まる中、順大も踏み切れなかったのだろう。最大の地権者、山万の、そうした読みの浅さが、今回の結果を引き起こしたのだろう。それにしても、振り回された地権者、周辺住民、行政の経済的負担は計り知れない。あわせて市長や行政の優柔不断な姿勢も否定できなかったのではないか。 

 なお、「取り下げ書」の文書は、以下の藤崎良治市議会議員のホームページで見ることができる。

藤崎良治のHP

http://www.asahi-net.or.jp/~pn8r-fjsk/contentFrame.htm16/11/16) 

ユーカリが丘北 都市計画提案取り下げ書

  また、11月17日の朝刊では、若干のニュアンスの違いはあるが、つぎのような見出しだった。ネット上での掲載時間が一番早いのが『千葉日報』だったと思う。

千葉日報11/16 0500

順天堂大進出が白紙 佐倉市、誘致不透明に 地権者ら申請取り下げ

東京新聞11/17 0800

佐倉市の順大誘致が白紙に 地権者ら申請取り下げ

読売新聞11/17 1025

地権者と市の信頼崩れ、大学誘致が暗礁に

朝日新聞1117

佐倉にキャンパス 順大の計画中断 地権者ら都市計画案など取り下げ

 佐倉市のホームページでの昨年までの関連記事は、以下にまとめられている。

http://www.city.sakura.lg.jp/0000011401.html

 さらに、これまでの経過については、本ブログでも何回か記事にしているので、関心ある方は、あわせて以下をお読みいただければと思う。

(新着順)

順天堂大学「誘致ありき」のユーカリが丘駅前再開発はどうなる!説明会に参加 ~「誘致」が決まらないのに、強引に進める不可解 15/09/29

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2015/09/post-5850.html

佐倉市の市長選での順天堂大学誘致問題とはなんだったのか~また新しい情報に接して(15/06/05

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2015/06/post-ab09.html

・佐倉市長選挙、違反ポスター・虚偽ネット広告は放置のままだ~候補者も、スポンサーもここまで堕ちた(15/04/27

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2015/04/post-224d.html

・市長・市議選の争点は「大学誘致」ばかりではない~やっぱり出た”怪”文書「順天堂大学誘致の会ニュースレター」(15/04/18

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2015/04/post-7056.html

・佐倉市、順天堂大学誘致をめぐる「選挙戦」 ~誘致の効果は机上の空論、得をするのは誰なのだろう(15/04/14

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2015/04/post-5c84.html

・ユーカリが丘、順天堂大学キャンパス誘致、見送り?(15/02/09

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2015/02/post-fea7.html

・ユーカリが丘駅前の大学誘致をめぐるおかしな動き、やっぱり、山万が ~第3回「大学等の誘致に関する懇話会」(20141010日)傍聴から振り返る(2)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2014/10/320141010-ebd5.html

・ユーカリが丘駅前の大学誘致をめぐるおかしな動き、やっぱり、山万が~第3回「大学等の誘致に関する懇話会」(20141010日)傍聴から振り返る(1)

14/10/14

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2014/10/post-7e2b.html

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2015年9月29日 (火)

順天堂大学「誘致ありき」のユーカリが丘駅前再開発はどうなる!説明会に参加 ~「誘致」が決まらないのに、強引に進める不可解

 9月27日(土)18時~志津コミュニティセンターで、山万(ユーカリが丘駅北土地区画整理組合準備会)による住民説明会が開かれるという。4月の、あの思い出すのも気色が悪くなる市長選挙の争点となった「順天堂大学誘致」を含む「ユーカリが丘駅北土地区画整理事業」開発についての説明会なのだ。東の空の大いなる満月がユーカリが丘の街を照らす夜だというのに。 4月の市長選挙で、突然、「順天堂大学誘致」のみで勝負するかような形で仕掛けた開発業者山万がN氏を立候補させた。その後の尋常ならざる醜い選挙運動が展開されたことは記憶に新しい。「佐倉にゆかりのある順天堂大学を誘致すれば、この街が活性化する」という“バラ色の幻想”を振りまくだけでなく、違法な選挙運動と対立候補のネガティブ・キャンペーンによって、佐倉市やユーカリが丘の人々を巻き込んで、街のイメージを貶めてしまった。  

   その後、順天堂大学誘致問題はどうなったのか。あれから5カ月。市長は、市民の要望書や市議会での質問に答えて、いずれ経過報告は広報紙に公表するとしていたが、「こうほう佐倉」7月15日号と8月1日号において「透明性の高い公正で開かれた市政へ~『順天堂大学誘致』について~」(その1)(その2)として公表した。これまでの報道や市議会での質疑のなかで明らかになってきた以上の事実は出て来ず、佐倉市と順天堂は順天堂が佐倉市への進出の意向を継続していることを確認したというのが現状である。

    その後の報道によれば、市長は、8月20日の記者会見で、順天堂から、ユーカリが丘駅前にこだわらず広く候補地を探したい旨の意向が示されたという(毎日新聞8月21日)。 これまで、私が気付かなかった事実だったのかもしれないが、「こうほう佐倉」の「主な協議経過」のなかで、2012年12月~2013年10月に、佐倉市に運動部寮建設や国際学部設置に向けて協議・調整が行われるが、立地等の理由により、順天堂が一度は完全に「断念」していることだった。そして同時に浮上するのが2013年11月28日、順天堂側は、駅前の3000坪の土地を山万から無償貸与が受けられ、市からの助成金24億円を条件に進出を表明しているので、山万からの熱烈な誘致がなされたのだろう。しかし、それよりも数か月前の2013年7月6日の周辺住民への説明会では、もっぱら大学進出を核とする再開発計画を表明しているのだ。 その辺の山万・順天堂の動向が釈然としない。 佐倉市も、市民への説明会を開くなり、積極的に情報を公開して、いくことが重要なのではないか。

  住民説明会は、市長選挙の直近の前後、3月29日、4月30日にも開催され、今回は4回目に当たるというが、相変わらず住民への周知は回覧だけという徹底していないままの開催だったらしい。したがって、住民の参加者が極端に少ない。25人前後だろうか。その内、市議が3人、駅からは離れたところに住んではいる私だが、駅前の開発には無関心ではいられない、というより政争の具になっている「開発」からは目が離せず、同じ町内の友人と参加した。パワーポイントで、さまざまな図面が示されるが、手元にないので分かりにくい。一通りの説明が終わった後の質疑で、当初は、現在のユーカリが丘3丁目の生活道路6mが3mの歩道つきで拡幅整備されることによる、住民の方々の不安に集中していた。交通量が激増し、また用途変更により第1種低層住居専用地域(容積率100%建蔽率50%)が突然近隣商業地域(200%/80%)(300%/80%)に変更して高層マンションと隣り合わせになるとしたら、そして、1・2階が商業施設となり、駐車場の車の出入りも半端ではなくなるとしたら、その危険と精神的ダメージが予想される。そうした危惧は、計算上「ないと思う」、「ないと考えられる」との答弁しか得られないのだ。それに、当然のことながら、景観、日影、ビル風、電波障害などの影響調査も延々と説明されたのだが、スクリーンの数字が見づらく、ホールの音響効果も悪くききとれない。参加者への配慮が皆無であった。ともかく、とりあえず、きょうの参加者への資料送付をようやく約束したのだが。こんな実のない説明会は、住民理解への“努力”をしているという行政向けへのパフォーマンスではないのか。 参加者のなかにはもちろん大学誘致、開発賛成の人たちもいて、「問題になっている生活道路はユーカリが丘3丁目の住民だけのものではないはずだ、整備され、便利になれば・・・」とか、「みなさん、なぜ反対ばかりするのですか。山万さんと一緒に、いい街にしようではないか」という自治会長まで現れた。こういう人はどこの町内にもいるのだが、それでも、なんとか同じ住民として、少しでも住みやすい街にするためには、究極は営利目的の業者とは対峙しなければならないことを一緒に学んでいかなければならないだろう。。

  今回の開発計画は、すべて「順天堂大学誘致ありき」からのスタートなのだ。誰もが思う、「誘致が失敗に終わったらどうするのか」。山万のH専務取締は「私どもは、そんなことがないように、前向きに進めています」「十年、二十年先のことを考えて、みなさんによかったと思ってもらうまちづくりを考えています」という。しかし、ユーカリ、宮ノ台からの商店の撤退、中型の商業施設さえ売り場をもてあまし、これにイオンタウンができたら、駅前のイオンはどうなるのかしら。宮ノ台のマックスバリュには買いたい商品がめっきり少なくなってしまった。買い物一つとってもこんな具合なのだ。

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2015年9月15日 (火)

<池袋学>夏季講座に参加しました~生活者の視点が欲しかった―池袋のヤミ市への熱い視線は、“男のロマン”にも似て―

 池袋第五小学校同窓の伊藤一雄さん(『池袋の西口、戦後の匂い』の著者、当ブログの7月22日記事参照)からのメールで知った、下記「池袋学」のシンポジウムに出かけた。2日ぼど前に、立教大学の係からは、参加申込が多く会場を変えたという電話まで頂戴した。912日には、国会周辺で「止めよう!辺野古埋め立て」の集会もあり、迷いながらこちらに参加したというわけだ。数日前に熱を出して体調が万全ではないこともあった。この日のキャンパスは、長雨の後だけに、芝生や蔦の緑が鮮やかで、レンガの校舎に映えていて、見学に来ていた女子高生が感嘆の声を上げていた。

 

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戦後池袋の検証~ヤミ市から自由文化都市へ

2015912日(土)14:0016:00

池袋キャンパス 11号館地下1 AB01教室

川本 三郎 氏(評論家)

吉見 俊哉 氏(東京大学教授)

マイク・モラスキー氏(早稲田大学教授)

石川 巧(立教大学文学部教授)

主催:東京芸術劇場、立教大学

後援:豊島区

協力:NPOゼファー池袋まちづくり、立教大学ESD研究所

※戦後70年「池袋=自由文化都市プロジェクト」と共同企画

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 300席の会場はほぼ満席、若い人が多い集まりに出るのは久しぶりだった。これまで川本、吉見両氏の本や発言には、若干接しているつもりだが、モラスキー、石川両氏は初めて聞く名前だった。実行委員長の挨拶が終わると、吉見氏の「池袋・東京・戦後~貫戦期の狭間としての闇(ヤミ)市」と題しての報告が始まった。

吉見氏から、池袋のどんな話が聞けるかな、と思っていたが、その中心は、ご自身が、2020年の東京オリンピック招致が決まったころから、いろいろな場で盛んに発言し続けている「東京文化資源構想」であった。東京には、北東部の上野・本郷・谷中・秋葉原、神保町など江戸・明治・大正の趣を維持している盛り場があり、南西部の渋谷・原宿・六本木・青山というアメリカナイズされた盛り場も生まれた。1964年の東京オリンピックを境に、東京の中心は北東部から南西部のエリアへと移行した、というのだ。それらのエリアは、いずれも歩いて移動できる範囲でもあるという。そのどちらにも属さない池袋はどんな位置を占めているのか、については、若干触れるには触れた。従来の二つのエリアの核となったのは、「駅」ではなく、「墓地」と「大学」であり、池袋周辺にも、雑司ヶ谷墓地、護国寺があり、立教・学習院・日本女子大などの大学があるから、盛り場の要素を十分持ち合わせている、という。氏の報告のサブタイトルにある「貫戦期」とは聞き慣れない言葉だが、「ヤミ市」は敗戦後に成立したものではなく、口にこそ出さないが、戦時下には日本の「負け戦」を認識していた国民は多く、すでに「ヤミ市」の要素は、市民の間では容認されていたことであった、ということを意味しているらしい。また2回目の発言では、人間のスケールに合った「ストリートカルチャー」としての「ヤミ市」の中の自由に着目し、「ゆっくり、細く、楽しく」を目指し、路面電車も復活させたいとも。

モラスキー氏は、1970年代の日本への留学以来、日本の戦後文化史を研究、日本の居酒屋やジャズの受容史などにも及ぶ。池袋については、上野、新宿などと比べてとらえどころがない盛り場である。現在、文学作品に現れた「ヤミ市」について研究していて、その作品集を編集している由。「ヤミ市」には、流通システムとしての「市場」、イチバとしての「場所」、履歴書のいらない、素人も参加できる「解放区」としての役割があるという。「店」と「街」との境界線が曖昧なことが特徴の一つとも言える。2度目の発言で、「ヤミ市」には、無計画的な自由、管理されない自由があり、従来の価値体系への挑戦とみることができる、と。

川本氏は、大正末期の永井荷風の日記に登場する「池袋」を紹介する。荷風が港区の自宅から雑司ヶ谷墓地の父の墓参りのついでに池袋に立ち寄り、予想していた以上に、市内の商店街に劣らず賑わっていたと記していたことに着目、関東大震災後の東京市内の人口移動の様相を反映していると見る。また、池袋の三業地生まれの種村季彦のエッセイからも、各地からの流入者や大泉撮影所が近いこともあって映画関係者も多く、移住者を拒まない独特の文化圏を形成していたのではないか。現在でも中央線沿線には「ヤミ市」が現存するということは、自然に出来上がった、居心地のよい空間を人が求めている証ではないか。日本の住宅は狭いので、サラリーマンは街に出て、居酒屋を求めるのではないかとも。

3人の話は、興味深かく、私の知らないこともあって、楽しかった。しかし、どうもしっくりとこないのはどうしてなのかな、の印象なのだ。吉見氏は、「東京文化資源構想」に、池袋をややムリをして当てはめようとした感じがしないでもなかった。それに、東京の中心を種々の文化資源が潜在する北東部に取戻すことが、新しい都市としての方向性を示すかのような話しぶりであったが、高度成長期にこれほどまでに変貌してしまった東京を、文化資源を核にして改造することは、並大抵のことではないだろう。都市として、人口減少、インフラの老朽化、自然災害などをどう克服していくのかという不安も伴うのだった。

モラスキー、川本両氏の話では、居酒屋、墓地、寺、大学などにしても、都市の中の点景や文化・風俗として捉えているように思えて、やや違和感を覚えた。たしかに、池袋におけるヤミ市、人世坐、池袋演芸場、沖縄料理おもろ、祥雲寺、鬼子母神、トキワ荘、サクマ式ドロップなどなど・・・について語られるのだが、それは、やはり、池袋を訪れる人々の感覚や感性によるものであって、必要以上に美化されたり、昭和への郷愁に駆られたりした結果ではなかったかと危惧するのだった。

パネリストの3人は、池袋に住んだことがなく、それだけに客観的ではあるが、生活者としての視点に欠けているように、私には思われたのである。いわば、「男のロマン」ではなかったのかとも。だから、今回の「戦後池袋の検証~ヤミ市から自由文化都市へ」で、戦後70年を池袋に暮らし、見つめてきた人をパネリストに迎えたら、もっと立体的に、池袋を活写・検証することができたのではないか、と。 

そういう意味で、私が着目したのは、東京芸術劇場のギャラリー・トークで、日替わりで、池袋に暮らし働いた方々のの話が聞けそうな企画である。一日でもいいから聴きに出かけてみたいと思っている。ぜひ記録に残し公開してほしい。さらに、豊島区制施行80周年記念事業「記憶の遺産80」(豊島区地域区民ひろば課作成・NPOとしまの記憶をつなぐ会協力)というインタビュー動画アーカイブであった。これら動画の作成と公開は、貴重な企画だったと思う。立教大学放送研究会と大正大学の放送・映像表現コースの学生が、戦前・戦後の豊島区を知る高齢者33人にインタビューしたものを、話題ごとに80タイトルにまとめたものだ。「池袋」に限っても、「池袋三業町会とともに生きる」「戦後池袋の焼け跡」「坂下通り商店街の遊び」「思い出の人世坐」「池袋西口戦中戦後の娯楽」などなど・・・、各編34分程度に編集されている。ここに、登場する方々は、居住歴が7080年が平均だろうか。私が、池袋の実家を離れたのは30歳過ぎ、記憶にあるのは戦後のことだから、知らないことも多いはずである。父母や兄たちから聞いたことのある話もよみがえってくるのだった。いま、長兄も亡くなり、義姉と姪たち家族が住む実家には、体調のこともあって、立ち寄ることもなく、家路につくのだった。

 

「記憶の遺産80」の詳細は以下参照。

http://www.toshima-kioku.jp/toshima80/80toha.html

 池袋に限らず、生活者・企業による記録や記憶の積み重ねによる、足が地に着いた都市(計画)論の展開に期待したいと思った。

 

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