2024年6月15日 (土)

菅沼正子さんから「デボラ・カー」が届きました。

 久しぶりに届いた「今も輝くスター55(10)デボラ・カー」は以下をご覧ください。

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 私にとってのデボラ・カーも「地上より永遠に」です。「ここよりとわに」と読む題名がかっこいい、と思ったものだった。 何しろ、男優たちがスゴイ。私の関心はそちらへ。バート・ランカスター、モンゴメリー・クリフト、フランク・シナトラに、ここでは悪役のアーネスト・ボーグナイン。モンゴメリー・クリフトは、元ボクサーで、相手を失明させたという過去を持つ、翳のある兵士を演じている。日本の軍隊ものと違うのは、閉鎖的な軍隊という組織の腐敗を、アメリカ映画はどこか、余裕をもって描いていたことになるのかなと、いま思う。

なお、左画面のマイリスト「すてきなあなたへ」ではこれまでの第一回からまとめて10本を順次読むことできます。

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2023年12月20日 (水)

菅沼正子さんの「今も輝くスター55」(8)(9)が届いてます

 今回は、ジェニファー・ジョーンズとジャン・ギャバン。二人とも忘れられない名優でしたね。ともに語れる友人が少なくなってしまい、それに、断片的なシーンは思い出せても、残念ながらストーリーは忘れてしまっている。菅沼さんはさすがにプロ、『スクリーン』の記者出身。思い出とともにお楽しみください。

  私にとっては、正直なもので、「慕情」はウィリアム・ホールデン、「終着駅」はモンゴメリー・クリフトの印象の方が強い。ジャン・ギャバンの「望郷」は「ぺぺ・ル・モコ」という原題の方を思い出す。1956年、池袋のフランス座で「第三の男」との二本立てで見ている。「地の果てを行く」(1935年)、「我らの仲間」(1936年)は、1960年シナリオ研究所の夜間生で通っていたとき、登川直樹さんの解説で見たことになっているが、すでに忘却の彼方である。

今も輝くスター55(8)ジェニファー・ジョーンズ~汚れを感じさせない清純女優
今も輝くスター55(9)ジャン・ギャバン~生涯現役の大スター

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<菅沼正子>映画評論家。静岡県生まれ。著書に「女と男の愛の風景」「スター55」「エンドマークのあとで」。1972年第45回アカデミー賞、1973年第46回アカデミー賞を記者席で取材。NHKラジオ深夜便で「菅沼正子の思い出のスクリーンメロディ」を2002年から2005年まで担当。地域のミニコミ誌「すてきなあなたへ」(佐倉市)の終刊2015年まで「菅沼正子の映画招待席」を執筆。

 

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2023年12月 4日 (月)

続々届いています「今も輝くスター55」

今回は、ジョン・ウェインとジェームス・ディーンです。私の映画メモによれば、1955年には「エデンの東」を、1957年には「理由なき反抗」も「ジャイアンツ」も見ている。「エデンの東」は高校の映画教室で池袋の映画館に早朝出かけ、二度見ていることになる。

菅沼正子の「今も輝くスター55」
(6)ジョン・ウェイン
(7)ジェームス・ディーン

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2023年10月29日 (日)

「今も輝くスター55」一挙、2本公開です。

菅沼正子さんの「今も輝くスター55」のクラーク・ゲーブルとヴィヴィアン・リーが届きました。

今回は、「風と共に去りぬ」つながりの二人です。私にとってのヴィヴィアン・リーはなんといっても「哀愁」でした。もちろん2本とも名画座で観たのですが、私が生まれた頃の製作でした。なんとまあ、古い映画だったのですね。

今も輝くスター55(4)クラーク・ゲーブル キング・オブ・ハリウッド

今も輝くスター55(5)ヴィヴィアン・リー まなざしの奥に強烈な個性のきらめき

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2023年9月30日 (土)

今も輝くスター55(3)「オーソン・ウェールズ」を公開します。

菅沼正子さんから届きました「オーソン・ウェールズ」、以下をご覧ください。
なお、左欄の「すてきなあなたへ」では、シリーズをまとめて読むことができます。

「オーソン・ウェールズ~映画史を語るにもう一人、このスターを忘れてはならない」
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内野付記)オーソン・ウェールズといえば、私にとっては「市民ケーン」と「第三の男」。敗戦直後のウィーンが舞台の「第三の男」で奏でられたチターの音色に魅せられ、何がきっかけであったか、日本チター協会の演奏会にまで出かけていた。

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2002年7月、日野原さんの講演もあった。チターは合奏よりも、一人での演奏の方がいい楽器かもしれない。 

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2002年11月末に出かけたウイーンは、たしかに二度目で、かなり寒く、新市庁舎前のクリスマス市もすでに始まっていた。ベルヴェデーレ宮殿前のクリスマス市では、連れ合いが、ビールのようにジョッキで飲んでいる地元の人たちをまねて、新酒のワインを口にしたものの、飲みきれるものではなかったらしい。ウイーンには、「第三の男」ロケ地ツアーもあるとのこと。オーソン・ウェールズとジョセフ・コットンが出会うプラター公園の観覧車は遠景としては見たものの、その後も乗る機会を逸している。

 

 

 

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2023年9月 2日 (土)

「オードリー・ヘップバーン」をアップしました。

   菅沼正子さんのシリーズ<今も輝くスター55>が届きました。執筆も加速しそうです。第2回はオードリー・ヘップバーンです。「ローマの休日」(1951年)、「ティファニーで朝食を」(1961年)を観ては、いつかはイタリアやアメリカへ行きたいと思っていましたが、海外旅行など夢の夢の時代でした。以下をお楽しみください。

「オードリー・ヘップバーン~人間としても女優としても永遠のプリンセス」
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9月12日付記(内野)

古いスクラップブックを整理していたら、つぎのような、新聞記事が出てきた。彼女が晩年を過ごしたスイスのレマン湖畔の住まい近くのオードリー・ヘップバーン記念館が閉鎖したとの記事だった(朝日新聞2002年11月11日)。2002年11月と言えば、夫のジュネーブ出張についていって、仕事が終わった後、メモによれば、11月23日、ベルンへ日帰りで出かけたことを思い出す。車窓にはブドウ畑が広がり、遠い山並みを眺めながらのレマン湖沿いの鉄道旅行は忘れ難い。ベルンでは小雪が舞い、ジュネーブに戻れば、メインストリートではクリスマスの飾りつけが始まっていた。

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朝日新聞(2002年11月11日)、記念館は、小学校の集会場を改修したものだそうだ。近くにお墓もあり、日本人の訪問者が多く、最近訪ねた人の旅行記によれば、記念館はいまだ閉鎖中とのことある。

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2023年8月21日 (月)

「チャールズ・チャプリン」が届きました。

 菅沼正子さんから、「チャールズ・チャプリン~映画を語るには真っ先に名が出る偉大なる映画人」が届きました。シリーズのタイトルが「菅沼正子の映画招待席」から「今も輝くスター55」に変わりました。あなたにとってのスターはだれですか。続々と登場するスターたち、楽しみです。8月初め、私が、たまたま、「映像の世紀・ヒトラーVSチャプリン~終わりなき闘い」(2022年6月放映)の再放送を見たばかりのところでした。

 以下を開いてお楽しみください

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「チャールズ・チャプリン~映画を語るには真っ先に名が出る偉大なる映画人」

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東側の生け垣にテッセンの花が咲いた、年に一度、初夏にしか咲かないものと思っていたテッセン、なんと花をつけていた。というのも、あたらしく買った鉢植えのテッセンとともに、夫が水やり、夕方の米のとぎ汁を欠かさなかったのが功を奏したか。剪定もこまめにすれば、花もいくどか咲くとのこと。

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2023年7月29日 (土)

香川京子と吉永小百合

 きょう7月29日の『東京新聞』に香川京子(91)と吉永小百合(78)の対談が載っていた。その年齢をみて、ああ、そうだった、私もその間の年齢になっていたのである。二人がそれぞれ主演を務めた、新旧の映画「ひめゆりの塔」から話は始まっている。二人のファンというわけでもないが、二人は、戦後の日本映画史を語るには欠かせない映画女優であることは確か。とはいうものの、香川の初期の出演作品はそこそこ観てはいるものの、吉永となるとさびしい限りである。橋幸夫と歌っていた「いつでも夢を」(1962年)の二番・三番の歌詞は忘れてはいても、あのメロディーは、いまでも気づかぬうちに口ずさんでいることがある

 香川京子さん!とは、当方の勝手ながらのわずか縁があると思っている。彼女は、昔の第十高女(豊島高校)に在学していることは知られているが、私と同じ豊島区立池袋第五小学校の卒業生でもあった。現在は統合により、池袋第五小学校は廃校となり、池袋小学校と名を変えてしまった。香川が卒業したのは空襲を受ける前の立教大学の前にあった頃の池五である。その池袋第五小学校の創立35年の記念誌(1961年3月刊)は大事に残していた。その「同窓生の思い出」のコーナーでは、香川京子と並んでエッセイを書いていたのである。

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 香川京子は、末尾に「本名池辺香子」となっており、1973年には読売新聞の牧野拓司記者と結婚している。表紙のイラストは、記念誌の編集委員の一人であった乙黒久先生の作で、この記念誌の全てのカットを描かれている。先生は、新任で、私たち5・6年次の担任をされ、私たちが最初に送り出した卒業生であった。先生は、本業の傍ら画業にも励み、後、白日会の重鎮になられた。

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上記「記念誌」巻頭の新旧の池袋第五小学校の位置を示した地図。わかりづらいが右頁の中央の上下に走るのが山手線、上部には川越街道、下部に斜めに走るのが、現在のバス通り、途中で二股に分かれていて、立教通りに入る。戦前の池五は、頁の境目の最下段の白い部分、戦後の池五は頁境目の上部右側の小さな四角部分である。この地図の右下に「平和相互銀行提供」とある。「平和相互銀行」とは懐かしい。池袋駅西口東武百貨店前にあったのではないか。夜まで営業しているということで、界隈のさまざまな業者たちは便利にしていたという。その後ごたごたがあって、住友銀行に合併されたのは1980年代に入ってからである。

 吉永小百合は、現在でも大活躍の映画女優であり、社会的な活動もしているようだが、できれば、コマーシャルだけには出て欲しくないな、というのが個人的な希望である。なお、吉永の姉が、学部は違うが同じ大学に在学していて、友人から、あれが小百合の姉さんだと遠目で教えてもらったことがあった。彼女は、どうしているのかな、などとも。
 一方、香川京子は、自分がかかわった映画の資料などを大事にしていて、京橋の国立近代美術館フィルムセンター(国立映画アーカイブ)に寄贈、映画資料保存にも貢献し、展示もされているそうだ。

 二人の対談記事に触れて、思わず思い出したことどもを。

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2023年5月 4日 (木)

「フェイ・ダナウェイ」の思い出とともに~「菅沼正子映画招待席」再開、第2弾

 菅沼正子さんから「フェイ・ダナウェイ」が届きました。当時評判だった「俺たちに明日はない」の主演女優です。あのラストシーンは、私にとっても忘れ難いシーンの一つです。私の知らないフェイ・ダナウェイも満載です。思い出の一つと重なる映画や忘れられない感動のワンシーンがあるかもしれません。

以下をご覧ください。

「菅沼正子の映画招待席」44

フェイ・ダナウェイ ~アメリカン・ニュー・シネマの先駆けになったトップ女優~

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前回は以下で読めます。

「菅沼正子の映画招待席」43
キャンデイス・バーゲン ~ニュー・シネマの時代では美しすぎた~

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2023年4月 5日 (水)

バングラデシュ、ダッカの衣料品市場で火災

 

 5日、数時間前の先ほどのNHK「キャッチ」で、2500軒の店が建て込むダッカ最大の衣料品市場で火災が発生したとのニュースが流れた。ダッカにはこうした衣料品市場と4500の衣料工場があるそうだ。これまでだったら、遠くの出来事として見過ごすところだったが、やっぱりと、こころ痛むニュースであった。まず、昨年、岩波ホールでの映画「メイド イン バングラデシュ」を想起した。劣悪な環境の縫製工場で働く女性たちが妨害を受けながら労働組合結成に至る内容だった。本ブログの下記記事を参照していただければ幸いである。

岩波ホール、さようなら~「メイド イン バングラデシュ」(2022年5月17日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2022/05/post-13a535.html

  きつい管理の下、一か月の給料はTシャツ3枚分の売り値にも満たない。不平を言えば即刻クビにもなる環境で、働く女性たちとその家族たちが丁寧に描かれていた。改善しようとしない経営者を行政は見て見ぬふりをする怠慢ばかりか、行政との癒着ぶりをも、告発していた。工場の火災での負傷にも保障はない・・・。そんな画面が浮かんでくる。

 今回の火災は、衣料品市場の火災であって、すべてを失った店主が、この先どうすればいいのかと嘆いていた。そして、さらに驚くのは、近年に限っても、ダッカでは、2019年2月に旧市街、3月に中心街の高層ビル、8月にスラム街での大規模な火災が発生、2022年6月にはコンテナ集積地での火災も発生していて、いずれも、密集した建築物、狭い道路のため、消火活動が思うようにできない状況で、多くの犠牲者を出していた。まさに人災でもあったのである。

 お気に入りのTシャツやパンツのタグをもう一度、確かめてみて欲しい。どこの国で、どんな工場で、どのような人たちが縫い上げたものなのか、を考えるチャンスとしたい。

<追記>2023年4月19日
今日の毎日新聞朝刊で、上記火災の詳報とこの10年の動向を追跡した現地からの報告記事があった。
「バングラ<縫製ビル>崩壊10年 安い労働力っ苦境の今も 先進国側の都合優先・・・」
記事によれば、低価格ブランドのGUやイタリアのベネトンなどの衣料品製造を請け負う現地の企業グループと日本の東レの子会社との共同ベンチャーが2015年に設立されたそうだ。「環境重視」への転換は、まだ模索中という。

以下で記事の半分ほど読むことが出来る。
https://mainichi.jp/articles/20230419/ddm/002/030/110000c

 

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