2025年10月27日 (月)

「黒川の女たち」、20席の小劇場で見る

 田端のシネマ・チュプキという、小さな劇場、予約しないと観られないという。駅からJR東日本の長いビルに沿って坂を下り、仲通り商店街を目指す。途中、通りがかりの方が、業務用スーパーの隣にありますよとの案内の通り、たしかにそれはあった。

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 たしかテレビ朝日の番組や新聞記事で、おおよそのことを知っていたつもりでいたが、映画は、太平洋戦争敗戦直前、関東軍敗走の地に取り残された満蒙開拓団の若き女性たちが背負った過酷な運命を、高齢になった当事者たちの証言や活動、それを支える人たちを丹念に追ったドキュメンタリーだった。

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 1939年11月、決して豊かとはいえなかった岐阜県加茂郡黒川村の人たちが、開拓団への分村を目指し、まず視察に赴き、以降1941年から44年にわたって、ハルピンの南、吉林省陶頼昭に入植、650人を超えた。開拓自体も青壮年層の男子は徴兵され、女性や高齢者による重労働を伴うものだった。ところが、敗戦直前、ソ連の参戦によって、ソ連軍は満州国に侵攻、黒川開拓村にも迫ると関東軍は、村民を置き去りに敗走した。中国人からの襲撃、近隣開拓民の集団自決がなされる中で、村民の安全と暮らし=食料確保のためということで、1945年9月、村民幹部は、ソ連軍への「性接待」を始めたのである。その犠牲になったのが、未婚の十代、18歳以上の女性たち15人であった。1946年5月ソ連軍撤退まで続き、15人の内4人は、現地で性病などにより命を落としたのであった。この事実は、敗戦後生還した451人の村民の間では隠蔽され、その上、犠牲となった女性たちには、こころない仕打ちがなされ、村を追われるように散り散りなっていった。

 1961年になって、現地で亡くなった開拓団員を偲んで、黒川村に「招魂碑」が建てられ、1981年、開拓団の体験記『ああ陶頼昭』が遺族会により刊行され、翌1982年には「乙女の碑」が黒川村に建てられたが、「性接待」の事実は公にされることはなかった。

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『告白 岐阜・黒川満蒙開拓団73年の記録』の年表より。

 女性たちの長い苦難の歴史が動きだしたのは、2013年、長野県下伊那郡阿智村に満蒙開拓平和記念館がオープンし、館主催の語り部の会で、佐藤ハルエさんと安江善子さんの二人が、犠牲の当事者として初めて、事実を語り始めたことだった。家族にも語ることをしなかった他の女性たちを含めて、連絡を取り合っていた絆は強く、二人の勇気ある告知に、語り始める人、そして彼女らを支える開拓団の女性たち、遺族会会長、さらには、彼女らの子どもや孫たちにも支えられ、語り継ぎ、書き継ぐことによってメディアにも注目され始めたのであった。そして、それらの活動の成果として、「乙女の碑」の傍らに長文の記録と証言によって構成された「碑文」が設置、除幕されたのが2018年11月18日だったのである。


 関東軍によって傀儡国家満州国が建設され、軍事拠点化を図るための食糧増産の目的で大量の開拓民を必要とされ、疲弊した農村救済のためと相俟って、500万人の開拓民が送られたていた。黒川開拓団もその一つであったのだが、敗戦間際、ソ連軍の侵攻が迫ると、関東軍は開拓民を守るどころか、従軍慰安婦とともに逃げ去ったという。それまで虐げられてきた中国人の報復と侵攻してきたソ連軍の間に孤立した開拓団幹部の生き残り策が、未婚女性による「性接待」であったという事実にも、いたたまれない思いがするのだが、日本に帰還後の彼女らのたどる長い苦しい過酷な道のりがあった。戦争の悪と女性蔑視という二重の犠牲を背負いながら、史実に立ち向かった勇気ある活動に敬意を表さずにはいられなかった。

 この映画が、テレビ朝日製作、プロデューサー江口英明・松原文枝、監督松原文枝ほか、50代から、より若いスタッフによって製作されていることを心強く思った次第である。

参考映像
NHKETV特集「満蒙開拓団の女たち」(2017年8月5日)【未見】
テレビ朝日報道ステーション特集「語り継ぐ戦争と性暴力『黒川開拓団の』女性たちの告白」(2019年8月16日)
テレビ朝日「史実を刻む―語り継ぐ戦争と性暴力」(2019年8月24日)

参考資料
川 恵美、NHKETV特集取材班『告白 岐阜・黒川 満蒙開拓団73年の記録』(かもがわ出版 (2020年3月31日)
『黒川の女たち』公式パンフレット(太秦KK 2025年7月12日)
松原文枝『刻印 黒川開拓団の女性たち』(KADOKAWA 2025年8月26日)【未見】

 

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2025年10月26日 (日)

「戦場のピアニスト」ふたたび

   初めて見るような「戦場のピアニスト」だった。2003年、封切り時に、地元の映画館で見たはずだった。今回NHKBSで見ることができた。

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 ドイツナチスのポーランド侵攻で廃墟となったワルシャワの街、崩れた建物に潜んでいたユダヤ人ピアニストの主人公がドイツ将校に見つかり、奇跡的に残されたピアノを弾く場面だけは、覚えていた。でも、イギリス軍やフランス軍の反撃が近いというニュースを聞くも、身に迫るナチスの脅威、残虐な仕打ちに対する両親、弟、妹たちの微妙に異なる恐怖心や心理状態が描かれていたことなどは、あらためて感じ入ったところだった。また、収容所送りとなった家族たちと引き裂かれた後、ピアニストは、ゲットーにピストルなどの秘密裏に持ち込むユダヤ人蜂起の準備にも加担、ゲットー脱出に成功、反ナチスの地下活動をする同志たちのさまざまな支援を受けながら、転々とした逃亡生活に入る。ゲットー蜂起も完全に鎮圧され、ナチスの殺戮を目の当たりにする。同志の支援も断たれ、飢餓に陥り、残骸の中をさまよう場面で、前述のドイツ将校に出遭う場面になるのだった。自らもピアノをたしなむ将校は、ピアニストの演奏に感服、その場を立ち去るが、その後、幾たびか、廃墟の隠れ家に食料を差し入れ、ワルシャワ解放のソ連軍もまじかと別れを告げに来る。

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 数年ぶりに、瓦礫の中のピアノに向かうシュピルマン。ピアノの左に置かれている缶詰は、瓦礫の中をさまよい、ある台所の戸棚に残っていた缶詰、缶切りがなく、開けられないまま抱え歩いてきたものだった。

  ソ連による解放後のポーランドで、ピアニストは音楽活動を続けるのだが、エンドロールで、ピアニストのシュピルマンが2000年に88歳で死去したこと、ドイツ人将校のホーゼンフェルトが1952年にソ連の強制収容所で死去したことが示されるのであった。
 監督のポランスキーは、「水の中のナイフ」で知られる奇才とされていたが、みずからもユダヤ系であり、ナチス占領下でゲットーでの過酷な暮らし、収容所行きを逃れたものの転々とし、母は収容所で殺された体験をしている。ピアニストを演じたアメリカの俳優エイドリアン・ブロディの父は、ポーランド系ユダヤ人で、ホロコーストで家族を失った身。母は少女時代、ハンガリー動乱によって、アメリカに逃れてきた難民だったという。フランス、イギリス、アメリカとドイツ、ポーランドの合作で、スタッフ・キャストらの熱量が感じられる作品に思えた。各場面で奏せられるショパンの曲は、音楽に疎い私には、どこかで聞いたような曲といったレベルで曲名も知らなかったのだが、作品を盛り上げていたと思う。

  ただ、ポランスキー監督は1977年の、アメリカでの少女強姦事件により、アメリカより逃亡中であって、アカデミー賞の授賞式には立つことができなかった、という。「戦場のピアニスト」の評価と彼の倫理観を考えると複雑なものがある。
 さらに、多くの犠牲者を出したユダヤ人によって建国されたイスラエルのガザへの容赦ない爆撃によって瓦礫の街となったリアルな映像とナチスによって廃墟と化したワルシャワの街のシーンは重なる。戦争による破壊と殺戮の絶えない世界で、日本が、自分たちがなすべきことの重要性が問われるのだった。

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2025年8月20日 (水)

「火垂るの墓」と「禁じられた遊び」ふたたび

 今年の8月は、立て続けに二本の映画を見た。

「火垂るの墓」(1988年、高畑勲監督)2025年8月15日

 夜9時から、日本テレビで放映。ずいぶんと前にも、テレビで見ているので二度目になるのだが、細かいところはかなり忘れている! 今回はカットなしでの放映ということだが、これまで、どんな個所がカットされていたのか。冒頭、サクマ式ドロップス(文字は左から書かれていたはず)の四角い赤い缶が転がる場面があっという間に過ぎてしまって、定かに確認できなかった。録画をとっておくべきだった。

 というのは、かつて、池袋の生家近くにあった「サクマ式ドロップス」の工場のことを書いたとき、缶が転がるのをラストシートとばかり思いこんでいたからである。その製造元の佐久間製菓は、コロナ禍のさなかに廃業したが、跡地はどうなっているのだろうか。今は、従妹夫婦が住んでいる生家だが、いまだに跡地界隈に立ち寄ってはいない。

サクマ式ドロップス工場の思い出~池袋第5小学校のクラス会へ(2009年10月 8日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2009/10/post-e8b5.html

 

 敗戦が真近い神戸で、父が出征し、母と暮らしていた中学生の兄と4歳の妹の物語である。母を空襲で失い、西宮の親戚の家に引き取られるが、だんだんと邪険に扱われるようになって、崖下のトンネルのようなところに隠れるように暮らし始める。さまざまな思いつきや精一杯の工夫をしての暮らし、けなげにも幼い妹を喜ばせ、いたわる兄だったが、食料にも事欠き、衰弱してゆく妹を助けられず、一人で亡骸に火を放つ場面はつらかった。元気な頃に二人して蛍と戯れた場所だった。

 私が、このアニメで、注目したのは、兄妹に係る大人たちの描き方だった。親戚のおばさん、鍋や七輪を融通してくれた金物屋さん?、親切な農家のおじいさん、畑を荒らされたことに怒り狂うオジサン、突き出された交番で、無罪放免にしてくれたお巡りさん、栄養失調だと見放すお医者さん・・・、どこにでも、どの時代にでもいそうな人たち。責めるでもなく、称えるわけでもなく淡々と描いているからこそ、兄妹の交情と哀切が際立っているように思えた。

 

「禁じられた遊び」(1952年、ルネ・クレマン監督)2025年8月17日

 施設の映画サークルによる上映会で見た。この映画は、かつて公開時でなく、名画座のようなところで見たように思う。二度目とは言え、かなりの部分は忘れていることに気づく。

 1940年、両親をドイツ軍の空爆で失い、孤児になった5歳の少女、牛を追って来た少年と出会い、その家族に引き取られる。両親の死、子犬の死、少年から弔うということを教えられた少女は、小さな生き物たちの死を十字架を立てては悼むことを覚える。それがやがて、さまざまな十字架、美しい十字架を欲しがるようになって、少年は懸命に応えようと十字架を盗み始め、二人の秘密の遊びのようになっていく。私は、今回も、二人をめぐる少年の家族たち、戦争による生死が身近に迫って来る農村の大人たちの描き方の巧みさにも着目した。

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少女を演じたブリジット・フォッセーは、20歳になって映画界に復帰、様々な映画に出演、私の覚えにあるのは、「さらば友よ」(1968年)くらいである。

 空襲で御者を失った馬の暴走で重傷を負った少年の長兄の死、戦線から耐えきれず逃げ帰って来た隣家の息子、その息子と恋仲の少年の姉、少年の父と隣家の主とのさまざまな確執、村の教会の牧師、少女の孤児院措置のためにやってくる警官・・・。時には、ユーモラスにも描かれるなかで、少年のやさしさと少女の愛らしさ、その別れに涙しそうになるのだった。

 ルネ・クレマンといえば、私にとっては、やはり「禁じられた遊び」と「太陽がいっぱい」(1960年)だろう。大学の学園祭で、私たちの専攻クラスにより同監督の「鉄路の斗い」(1945年)を上映したのも懐かしい思い出である。

 

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2024年6月15日 (土)

菅沼正子さんから「デボラ・カー」が届きました。

 久しぶりに届いた「今も輝くスター55(10)デボラ・カー」は以下をご覧ください。

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 私にとってのデボラ・カーも「地上より永遠に」です。「ここよりとわに」と読む題名がかっこいい、と思ったものだった。 何しろ、男優たちがスゴイ。私の関心はそちらへ。バート・ランカスター、モンゴメリー・クリフト、フランク・シナトラに、ここでは悪役のアーネスト・ボーグナイン。モンゴメリー・クリフトは、元ボクサーで、相手を失明させたという過去を持つ、翳のある兵士を演じている。日本の軍隊ものと違うのは、閉鎖的な軍隊という組織の腐敗を、アメリカ映画はどこか、余裕をもって描いていたことになるのかなと、いま思う。

なお、左画面のマイリスト「すてきなあなたへ」ではこれまでの第一回からまとめて10本を順次読むことできます。

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2023年12月20日 (水)

菅沼正子さんの「今も輝くスター55」(8)(9)が届いてます

 今回は、ジェニファー・ジョーンズとジャン・ギャバン。二人とも忘れられない名優でしたね。ともに語れる友人が少なくなってしまい、それに、断片的なシーンは思い出せても、残念ながらストーリーは忘れてしまっている。菅沼さんはさすがにプロ、『スクリーン』の記者出身。思い出とともにお楽しみください。

  私にとっては、正直なもので、「慕情」はウィリアム・ホールデン、「終着駅」はモンゴメリー・クリフトの印象の方が強い。ジャン・ギャバンの「望郷」は「ぺぺ・ル・モコ」という原題の方を思い出す。1956年、池袋のフランス座で「第三の男」との二本立てで見ている。「地の果てを行く」(1935年)、「我らの仲間」(1936年)は、1960年シナリオ研究所の夜間生で通っていたとき、登川直樹さんの解説で見たことになっているが、すでに忘却の彼方である。

今も輝くスター55(8)ジェニファー・ジョーンズ~汚れを感じさせない清純女優
今も輝くスター55(9)ジャン・ギャバン~生涯現役の大スター

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<菅沼正子>映画評論家。静岡県生まれ。著書に「女と男の愛の風景」「スター55」「エンドマークのあとで」。1972年第45回アカデミー賞、1973年第46回アカデミー賞を記者席で取材。NHKラジオ深夜便で「菅沼正子の思い出のスクリーンメロディ」を2002年から2005年まで担当。地域のミニコミ誌「すてきなあなたへ」(佐倉市)の終刊2015年まで「菅沼正子の映画招待席」を執筆。

 

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2023年12月 4日 (月)

続々届いています「今も輝くスター55」

今回は、ジョン・ウェインとジェームス・ディーンです。私の映画メモによれば、1955年には「エデンの東」を、1957年には「理由なき反抗」も「ジャイアンツ」も見ている。「エデンの東」は高校の映画教室で池袋の映画館に早朝出かけ、二度見ていることになる。

菅沼正子の「今も輝くスター55」
(6)ジョン・ウェイン
(7)ジェームス・ディーン

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2023年10月29日 (日)

「今も輝くスター55」一挙、2本公開です。

菅沼正子さんの「今も輝くスター55」のクラーク・ゲーブルとヴィヴィアン・リーが届きました。

今回は、「風と共に去りぬ」つながりの二人です。私にとってのヴィヴィアン・リーはなんといっても「哀愁」でした。もちろん2本とも名画座で観たのですが、私が生まれた頃の製作でした。なんとまあ、古い映画だったのですね。

今も輝くスター55(4)クラーク・ゲーブル キング・オブ・ハリウッド

今も輝くスター55(5)ヴィヴィアン・リー まなざしの奥に強烈な個性のきらめき

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2023年9月30日 (土)

今も輝くスター55(3)「オーソン・ウェールズ」を公開します。

菅沼正子さんから届きました「オーソン・ウェールズ」、以下をご覧ください。
なお、左欄の「すてきなあなたへ」では、シリーズをまとめて読むことができます。

「オーソン・ウェールズ~映画史を語るにもう一人、このスターを忘れてはならない」
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内野付記)オーソン・ウェールズといえば、私にとっては「市民ケーン」と「第三の男」。敗戦直後のウィーンが舞台の「第三の男」で奏でられたチターの音色に魅せられ、何がきっかけであったか、日本チター協会の演奏会にまで出かけていた。

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2002年7月、日野原さんの講演もあった。チターは合奏よりも、一人での演奏の方がいい楽器かもしれない。 

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2002年11月末に出かけたウイーンは、たしかに二度目で、かなり寒く、新市庁舎前のクリスマス市もすでに始まっていた。ベルヴェデーレ宮殿前のクリスマス市では、連れ合いが、ビールのようにジョッキで飲んでいる地元の人たちをまねて、新酒のワインを口にしたものの、飲みきれるものではなかったらしい。ウイーンには、「第三の男」ロケ地ツアーもあるとのこと。オーソン・ウェールズとジョセフ・コットンが出会うプラター公園の観覧車は遠景としては見たものの、その後も乗る機会を逸している。

 

 

 

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2023年9月 2日 (土)

「オードリー・ヘップバーン」をアップしました。

   菅沼正子さんのシリーズ<今も輝くスター55>が届きました。執筆も加速しそうです。第2回はオードリー・ヘップバーンです。「ローマの休日」(1951年)、「ティファニーで朝食を」(1961年)を観ては、いつかはイタリアやアメリカへ行きたいと思っていましたが、海外旅行など夢の夢の時代でした。以下をお楽しみください。

「オードリー・ヘップバーン~人間としても女優としても永遠のプリンセス」
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9月12日付記(内野)

古いスクラップブックを整理していたら、つぎのような、新聞記事が出てきた。彼女が晩年を過ごしたスイスのレマン湖畔の住まい近くのオードリー・ヘップバーン記念館が閉鎖したとの記事だった(朝日新聞2002年11月11日)。2002年11月と言えば、夫のジュネーブ出張についていって、仕事が終わった後、メモによれば、11月23日、ベルンへ日帰りで出かけたことを思い出す。車窓にはブドウ畑が広がり、遠い山並みを眺めながらのレマン湖沿いの鉄道旅行は忘れ難い。ベルンでは小雪が舞い、ジュネーブに戻れば、メインストリートではクリスマスの飾りつけが始まっていた。

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朝日新聞(2002年11月11日)、記念館は、小学校の集会場を改修したものだそうだ。近くにお墓もあり、日本人の訪問者が多く、最近訪ねた人の旅行記によれば、記念館はいまだ閉鎖中とのことある。

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2023年8月21日 (月)

「チャールズ・チャプリン」が届きました。

 菅沼正子さんから、「チャールズ・チャプリン~映画を語るには真っ先に名が出る偉大なる映画人」が届きました。シリーズのタイトルが「菅沼正子の映画招待席」から「今も輝くスター55」に変わりました。あなたにとってのスターはだれですか。続々と登場するスターたち、楽しみです。8月初め、私が、たまたま、「映像の世紀・ヒトラーVSチャプリン~終わりなき闘い」(2022年6月放映)の再放送を見たばかりのところでした。

 以下を開いてお楽しみください

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「チャールズ・チャプリン~映画を語るには真っ先に名が出る偉大なる映画人」

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東側の生け垣にテッセンの花が咲いた、年に一度、初夏にしか咲かないものと思っていたテッセン、なんと花をつけていた。というのも、あたらしく買った鉢植えのテッセンとともに、夫が水やり、夕方の米のとぎ汁を欠かさなかったのが功を奏したか。剪定もこまめにすれば、花もいくどか咲くとのこと。

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