2020年7月13日 (月)

岡井隆死去報道に接して~亡くなると<旗手>になったり、<巨人>や<巨星>になったり・・・

 7月10日、岡井隆が92歳で亡くなった。7月12日の朝刊で知った。いくつかの新聞記事を読んで、やっぱりな、と思う。岡井が1993年、歌会始の選者になったことをどう伝えるかに、私の関心はあった。
 『朝日新聞』は社会面で「岡井隆さん死去 歌人 現代歌壇を牽引」との見出しで伝えた。同日の「天声人語」にも登場した。そこでは、「破格、破調の堂々たる生き方であった」と締めくくっていた。社会面の記事では「92~2014年に宮中歌会始の選者。かつてマルクス主義者を自称した歌人だっただけに選者を引き受けた時は一部から批判が上がり、話題となった(赤字の92は93が正しい)。07年から18年には当時の天皇、皇后両陛下や皇族の和歌御用掛も務めた」と記す。前日7月11日のデジタル版(14時14分)の見出しは若干ニュアンスが異なり「文化功労者の歌人 岡井隆さん死去 皇族の和歌の相談役」となっていた。

 『東京新聞』は「岡井隆さん死去 前衛短歌運動の旗手」と一面で伝えた。その末尾に「九三年から宮中歌会始の選者、二〇〇七年には皇族に和歌を指導する宮内庁御用掛になった。社会派として活動してきた歌人が宮中行事に参加することは大きな議論を呼んだ」とある。また社会面では、「戦後短歌の歴史体現 時代捉え作風変遷」との記事とともに、東京新聞歌壇選者の東直子と現代歌人協会理事長の栗木京子のコメントがつく。コメントの二人は、それぞれ自身との交流に触れつつ「常に新しいものを取り入れようとしていた」、「新しい潮流にいち早く身を投じて自分の栄養にする」と語っていた。

 『毎日新聞』は、「岡井さん死去 前衛短歌、戦後歌壇けん引」とあり、その冒頭には「前衛短歌運動の旗手として戦後歌壇をリードし、皇室の和歌の指導役も務めた歌人で文化功労者の岡井隆さん・・・」とあり、その末尾でも「宮中歌会始選者を歴任。07年から18年まで宮内庁御用掛を務めた」とあった。日本現代詩歌文学館前館長篠弘と馬場あき子のコメントを付していた。

 『産経新聞』電子版(2020.7.11 13:29)でも「歌人の岡井隆さん死去 前衛短歌運動の旗手」で、「昭和期の前衛短歌運動を牽引(けんいん)し、宮中歌会始選者も務めた歌人で文化功労者の岡井隆さん・・・」で始まり、末尾に「(平成)19年から天皇陛下や皇族方の和歌の相談役として宮内庁御用掛を務めた」とある。

 『日本経済新聞』電子版(2020/7/11 15:15)では「岡井隆さん死去 92歳、戦後短歌界けん引した歌人 」とあり、同紙「カバーストーリー」では「安住と闘った戦後短歌の巨人」とあった。

 『産経スポーツ』(7月11日19時20分)では、東直子と伊藤一彦が、それぞれに「若い人にフラットで穏やかに接してくれた」、「戦後歌壇において塚本邦雄と並ぶ巨星で、包容力があり、話していると本当に心地よい」などとコメントしていた。

 総じて「前衛短歌(運動)の旗手」であり、「歌壇を牽引」したというのが、岡井へのほぼ定まった評価なのだろうか。「前衛短歌の旗手」であった歌人と皇室との濃厚な接触関係については、「話題となった」「議論を呼んだ」と素通りするか、むしろ、それを功績として評価するような書きぶりに思えた。また、「歌壇を牽引」「短歌界を牽引」というのは、ある意味、実情に近いのかもしれない。牽引したのは「短歌」ではなく「歌壇」であったと思われるからである。さまざまな形で、とくに後進の歌人たちへの指導力や政治力を発揮しながら、歌壇での地位を不動のものとしてきたのではないか。また、亡くなった人が、その世界、業界の<巨星>や<巨人>になったりするのはよく見聞きする。著名人の訃報や追悼記事に贈られる定番の賛辞でもある。そして、多くの人たちが、競うように、岡井と自分との出会いや交流を語り、オマージュが氾濫するにちがいない。 
 今後しばらくは、<歌壇>では岡井隆追悼記事が目白押しになるだろう。これまで、岡井隆の皇室への接近とそれをめぐる歌壇の状況について、幾度か言及してきた私としては、当分、目が離せない。

 岡井さん、お疲れさまでした。追悼特集では、だれが、どんな発言をするのか、ゆっくりと楽しまれることでしょう。

 ご参考までに、以下が関連する主な拙稿です。
「歌会始選者の系譜」『短歌と天皇制』(風媒社 1988年10月)
「歌壇に”最高実力者“はいらない」『現代短歌と天皇制』(風媒社 2001年2月)
「<歌会始>をめぐる安心、安全な歌人たち」『天皇の短歌はなにを語るのか』(御茶の水書房 2013年8月)
「タブーのない短歌の世界を <歌会始>を通して考える」(『ユリイカ』2016年8月)

以下は、本ブログ記事です。  

「見回せば<岡井隆>はどこにでもいる~2015年8月に」
(2015年8月2日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2015/08/20158-df41.html
「勲章が欲しい歌人たち、その後~岡井隆が文化功労者に」(2016年11月4日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2016/11/post-0cbe.html

| | コメント (0)

2020年4月16日 (木)

京都の三月書房が閉店へ

 2020416
 物置のわきのつつじが咲き始めた。去年、植木の手入れをお願いしたシルバーの植木屋さんから、このつつじの土はだいぶ弱ってますよ、といわれて心配だったが、何とか花をつけ始めた

 

 京都の三月書房が閉店との報道に接して、やはり驚き、なんだかとてもさびしい。朝日新聞は「京都の名物書店、三月書房が閉店へ 吉本隆明さんら通う」(2020年2月17日)、京都新聞は京都の個性派書店「三月書房」年内に廃業 70歳店主、私が元気なうちに片付けたい」(2020年2月18日)と伝えた。1950年、先代が開業し、引き継いできたが、後継者もないことから、70歳を機に5月の連休明けをもって閉店するということだった。私は、三月書房の利用者でもなく、特別なご縁もなかったのだが、いつからか、私のこのブログに、三月書房から、飛んでくるアクセスが時折あることがわかって、たどってみると、三月書房のHPに以下の情報が載っていたのである。歌人たちのHPやブログが数多い中で、リストに加えてくださっていたのである。

 いつかお礼をと思っていたのだが、2016年、年末の京都行きの際、家族との会食の前に、お店を訪ねることができた。連れ合いと娘を外に待たせて、そっと入ってみた。出てこられた女性は用件を聞いて「今主人は出ていますが、すぐ戻ります」との話が終わるか終わらない先に自転車で戻られたのが、店主の宍戸立夫さんだった。お礼を申し上げたあと、棚を見れば、短歌関係の本にも力を入れていることは、よくわかるのだった。宍戸さんは「短歌の本は売れませんね、歌集などは歌人同士の贈答が多いので・・・」とも話されていた。

 閉店となると、せっかくリンクしていただいた私のブログであるが、アクセスが途絶えてしまうのかな、と思うと残念でもある。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 

TOPへ 三月書房homeへ戻る

 短歌関係リンク集(順不同)

「砂子屋書房」
短歌研究社
「青磁社」
柊書房
「ながらみ書房」
現代短歌社
「本阿弥書店」
北冬舎
「邑書林」
「短歌ヴァーサス」
「ふらんす堂」岡井隆の短歌日記
「シアンの会」    
覇王樹
「いりの舎」
     

「塔短歌会」
「やさしい鮫日記 松村正直の短歌と生
「シュガークイン日録Ⅱ 短歌を中心とした吉川宏志の雑感」
「D・arts
「豊作」
[電脳短歌イエローページ]
歌葉(Uta-no-ha
「川野里子さん」
「内野光子氏のブログ」
あきつ・あんてな(阿木津英氏)
銀河最終便(風間祥氏)」
「路上」
吉浦玲子 氏」
「吉岡生夫氏」
黒瀬珂瀾 氏」
「短歌ポータル tankaful

  TOPへ  短歌関係本在庫目録へ 三月書房homeへ戻る

 Dscn0657
2016年12月撮影。昔ながらの街の本屋さんというたたずまいながら、その品ぞろえに特徴がある。短歌関係の本もなるほどと思う。私の住む町の駅前ビル内の文教堂が撤退した後、宮脇書店が入ったが、続いてくれるだろうか。いつも閑散としている。少し離れたイオンタウン内の未来屋書店には、閲覧席もあり、隣のカフェのコーヒーを持ち込んでもいいらしいが、どうも本が探しづらい。奥の方の閲覧席は、いつも受験生らしき人たちが陣取っている。いずれの本屋さんにも、俳句・短歌コーナーはあるが、ほとんどが俳句の本で、夏井いつき本が頑張って?いる。

 

| | コメント (2)

2020年4月 1日 (水)

女性歌人のいま・むかし~二つの文章が活字になりました

 三月末に、以下が刊行されました。

① 「阿部静枝の戦後―歌集『霜の道』と評論活動をめぐって」(新・フェミニズム批評の会編『昭和後期女性文学論』 翰林書房 2020年3月28日)
② 「女性歌人の評価は変わったのか―『短歌研究』『短歌』の数字からみる」(『ポトナム』 ポトナム短歌会 2020年4月)

 ①は、すでに数年前の「新・フェニミズム批評の会」でのレポートを踏まえています。
「ふたたび、阿部静枝について、報告しました」 2016217
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2016/02/post-c250.html

 また、今回の論稿は、すでに刊行された以下の二拙著に連なるものとなります。

20203img440

★阿部静枝の短歌はどう変わったのか―無産女性運動から翼賛へ(新・フェミニズム批評の会編『昭和前期女性文学論』 翰林書房 2016年10月15日)

★内閣情報局は阿部静枝をどう見ていたか―女性歌人起用の背景(拙著『天皇の短歌は何を語るのか』 御茶の水書房 2013年8月15日) 

 「阿部静枝って、だれ?」「新・フェミニズム批評の会とは?」と思われた方は、とりあえず、つぎの当ブログ記事をお読みいただけたらと思います。

『昭和前期女性文学論』(新・フェミニズム批評の会編 201610月)に寄稿しました」2016116
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2016/11/201610-3cc6.html

  ②は、かねてより、いくつかのデータを収集、作成していましたが、その一部を使って、書いたものです。執筆予定者に代わってのピンチヒッターでした。どこかにミスはなかったか、どれほどのことを伝えられたか、不安です。5頁なので、全文をここに掲げますので、ご教示いただきたいと思います。

不鮮明ですが、クリックしていただければ読めると思います

202042-2

 

202042-1

Img443

| | コメント (0)

2020年3月 6日 (金)

『斎藤史『朱天』から『うたのゆくへ』への時代』の書評が増えました。(付書評一覧)

Img_0128
我が家の水仙が咲き始めました。

 拙著『斎藤史『朱天』から『うたのゆくへ』の時代』は、2018年12月28日に刷り上がり、2019年1月9日が発行日でした。“歌壇”でとりあげられることはあまり多くなかったのですが、『短歌往来』では、小石さんが「2018年のベスト歌集・歌書」として、糸川さんが「2019年のベスト歌集・歌書」として紹介、江田さんは同誌の「評論月評」で2回にわたり批評されました。また、斎藤史についての著書を持つ寺島さんからは、二誌において、丁寧な批評をいただきました。また、斎藤史は、父斉藤瀏と創刊した『短歌人』を離れて『原型』を創刊するのだが、その『短歌人』同人の斎藤寛さんからも書評をいただきました。『図書新聞』では、数年前に小論争らしきものをした吉川さんが書かれているのでびっくりしました。今年になって、二方の書評が発表されました。皆さんには、資料部分も多い拙著を丁寧に読んでいただき、紹介や書評をしてくださいました。あらためて深くお礼申し上げます。

・5月18日、「斎藤史」について報告することになりました。付・書評・紹介一覧〈2019年4月26日〉

 http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/04/post-d89e33.html

 なお、昨年、上記の記事にも、書評リストを付記しましたが、あらためて、以下、最近のものを含め再掲します。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

・会澤清:紹介『斎藤史『朱天』』から『うたのゆくへ』の時代』  (ちきゅう座   2019年1月14日)

・紹介『斎藤史『朱天』から『うたのゆくへ』の時代』 (日本古書通信1075号 2019年2月)

・江田浩司:評論月評第6・7回 (『斎藤史『朱天』』から『うたのゆくへ』の時代』に触れて) (短歌往来   2019年3月・4月)

・小石雅夫:50人に聞く2018年のベスト歌集・歌書(3冊内の一冊として) (短歌往来 2019年3月)

・今井正和:歌壇時評29   (くれない 2019年2月)

・吉川宏志:書評・言葉によって自己の人生を染め替えようとする意識~なぜ歌人・斎藤史は言葉を変えたのか           

   (図書新聞 2019年4月6日)*  末尾に掲載の「一葉社」のホームページからもご覧になれます。

・田中綾:書棚から歌を (北海道新聞 2019年4月28日)*三浦綾子記念文学館田中綾館長特設サイト「綾歌」からもご覧になれます。  https://www.aya-kancho-hk.jp/?page_id=32

・寺島博子:書評・ゆるぎない視座 (現代短歌新聞 2019年5月5日)*

・斎藤寛:書評・「私」語りの再審(うた新聞 2019年7月10日)

・阿木津英:紹介「上半期の三冊」(3冊内の一冊として)(図書新聞 2019年7月10日)*

・寺島博子:書評・深淵に望む眼差し(歌壇 2019年8月)

・(八):新刊紹介・斎藤史『朱天』から『うたのゆくへ』の時代(女性展望 2019年11-12号 701号 2019年11月)

・篠弘:「私が選んだ今年の歌集」(2019年発行歌集・歌書7冊内の一冊として)(毎日新聞 2019年12月23日)*

・糸川雅子:「2019年のベスト歌集・歌書」紹介(2冊内の一冊として)(短歌往来 2020年3月)*

・小林美恵子:書評・斎藤史『朱天』から『うたのゆくへ』の時代(社会文学 51号 2020年3月)

 

上記、*を付したものは、出版元「一葉社」の下記のホームページでご覧になれます。

 https://ichiyosha.jimdo.com/齋藤史-朱天-から-うたのゆくへ-の時代/

| | コメント (0)

2020年2月13日 (木)

何度でも、くどいようですが、歌壇と天皇制

 私が会員になっている『ポトナム』の歌壇時評に、1月号に引き続き、寄稿しました。くどいようですが、また、短歌と天皇制の問題です。改元を機会に、歌壇での事実を確認、整理し、手立てを考えなければと思っています。記事の末尾に、関連の最近の当ブログ記事をまとめておきました。重なる部分も多いかと思いますが、ご覧いただければ幸いです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 昨年のマス・メディアは、改元で新しい時代が来るかのような政府広報に加担した。そして、「象徴」を全うしたとして平成の天皇を称揚した。歌壇では、『短歌研究』一月号は、特集〈平成の大御歌と御歌〉を、角川『短歌年鑑』は、特別企画「歌会始の三十年」を組んだ。

 これらの動向に最も早い反応を示したのは、若い世代の瀬戸夏子(一九八五生)で、『短歌研究』特集について「戦後短歌は終わったのかもしれない、と思った。」という発言だった。「ここでは短歌は天皇制ときれいに順接であった。」と批判した(「白手紙紀行⑽」『現代短歌』二〇一九年二月)。続いて、大辻隆弘(一九六〇生)は、『朝日新聞』の「歌壇時評」(「短歌と天皇制」二〇一九年二月一七日)において、「以前なら厳しい批判に曝されたであろうこの特集に対して歌壇は無反応だった」ことを挙げ、「天皇制アレルギー」はもはや薄らいだとし、批判をけん制するかのような発言をした。二〇代の廣野翔一(一九九一生)は、その特集に触れて、拙著の「どんな言い訳をしようと、国家権力に最も近い短歌の場所が歌会始ではないか。短歌の文学としての自立は、国家からの自立にほかならない」(「戦後六十四年、歌会始の現実」『天皇の短歌は何を語るのか』二〇一三年)を引用し、「これは正論である。正論ではあるけれど・・・」としながら、「とりあえず今は歌会始があるという現実」を、「短歌が権力に近すぎる場所にある現実」を、自分の中で受け止めて「歌会始というものに対して私たちは寛容に接すべきだ」と結論づけた(「歌壇時評・平成の終わりに」『短歌』二〇一九年六月)。彼は、自身のツイッターで「読み返すとこの人歯切れ悪くて苦しそう、という感想しかない」(二〇一九年六月二一日)と自虐的に綴っている。斎藤寛(一九五二生)は、「老舗の短歌総合誌は皇室の広報誌に転じてしまったのかと思うような誌面であった。」とし、天皇制自体に関しては「天皇の人権不在という問題」が厳しく問われないまま、「天皇制アレルギー」が薄れ、あるいは終息したという捉え方には「天皇制に対する赤子のような信仰が復活した」という意を含むとも指摘し、厳しく追及した(「『大御歌』『御歌』の位相―短歌と天皇制再考」『短歌人』二〇一九年七月)。いずれにしても、大辻のいう「無反応」という見立ては崩れたのである。

 敗戦前の「歌会始」は、一般歌人の立ち入れない世界であった。新憲法下の「象徴天皇制」は、占領軍と日本政府による「政治利用」をするための「遺制」であり、“新生”「歌会始」も“民間”歌人を引き入れて、利用価値を高めるためであったろう。「歌会始」の選者永田和宏による新聞連載の平成の天皇夫妻、皇族たちの短歌の<鑑賞>が『象徴のうた』(文芸春秋 二〇一九年六月)として出版された。まさに、現代の“御製御歌謹解書”ともいえよう。一方、『短歌研究年鑑』(二〇二〇年版)恒例の座談会では、古典・万葉集ブームは語られるが、件の特集や企画、書物には、だれもが言及しなかった。今や歌壇の主流は、天皇の短歌や歌会始について、その意義を称揚するか、触れずに沈黙を通すかのいずれかになってしまった。異論を唱えて突出することを控えてしまうのは「同調圧力」の所為でもある。それはやがて、天皇(制)への傾斜を助長し、異論を無視し、「聖域」を形成してしまうことにつながる。現に、リベラル政党も、リベラル派と称される論者も、かつての主張を微妙にシフトしながら、即位礼や大嘗祭などへの祝意を示し、メディアに重用される昨今である。「天皇陛下万歳」の誘導に声を上げ、配られた日の丸の小旗や提灯を揺らしている人々は、私の隣人たちでもある。(『ポトナム』2020年2月)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

歌壇、この一年を振り返る季節〈1〉短歌と天皇制 (2019年12月18日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/12/post-ac9040.html

「短歌と天皇制」(2月17日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(4)「無反応」だったのか (2019年3月 5日 )
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/03/217-0117.html

「短歌と天皇制」(2月17 日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(1)「その反省から出発した戦後短歌」って、ホント?(2019年2月25日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/02/210-9ef9.html

「短歌と天皇制」(2月17日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(2)「戦後短歌は皇室との関係を結ぶことに慎重だった」のか (2019年3月 1日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/03/210-80d0.html

「短歌と天皇制」(2月17日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(3)「天皇制アレルギー」って?(2019年3月 5日)http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/03/post-d222.html

 

 

 

 

| | コメント (0)

2020年1月 5日 (日)

短歌雑誌の行方と保存

  私が会員となっている短歌雑誌『ポトナム』1月号に「歌壇時評」を書きました。いつも同じようなことを言っているような気がするけれど、最近の短歌雑誌・出版事情にも触れました。

**********

  最近の短歌総合雑誌や新聞は、若干様変わりしたのかもしれない。しかし、どれを開いても同じような顔ぶれの歌人たちが並んでいる。各誌でさまざまな特集が組まれても、「人気」歌人というか「有名」歌人たちが入れ替わり立ち替わり登場し、既視感満載で、興味をそがれてしまうことが多い。たしかに、この数年間で、雑誌の表紙や編集(発行)人が変わった。知る限りでも、『短歌研究』が堀山和子から国兼秀二へ、『現代短歌』が道具武志から真野少へ、『短歌往来』が及川隆彦から佐佐木頼綱になった。オーナーや編集人が歌人で、結社人であることもある。それが、メリットになるのかデメリットになるのか、私などにはよくわからない。『現代短歌』は二〇二〇年一月から隔月刊で、週刊誌大になるという。かつての『短歌朝日』(一九九七~二〇〇三年)を想起するが、「批評」を重視するという方針を掲げている。バランスや中立を標榜し、総花的にならないように期待したい。

 こうした雑誌のバックナンバーの保管や整理には、私も困っていて、とりあえず、必要な個所はコピーするが、関心のある特集があれば、雑誌そのものを保存するが、古本屋では二束三文なので、結局、古紙回収に出したりする。断捨離や年金生活者としての不安もあり、購読誌を減らしたり、中断したり、交代したりしている。

 そうはいっても、一九四五年前後からさかのぼって、作品や記事が必要になったときには苦労する。短歌雑誌をそろえて所蔵する図書館は少ない。それでも、国立国会図書館や日本現代詩歌文学館などの資料をずいぶんと利用してきた。立命館大学の白楊荘(小泉苳三)文庫の所蔵がわかっていても、外部からの利用は難しい。上記の図書館や文学館が所蔵していたとしても欠号が多い。結社誌・同人誌となると尚更である。それでも、二〇〇〇年までの主な所蔵雑誌と著作権が切れた図書の国立国会図書館のデジタル化によるデータベースはありがたかった。その対象がまだ限定的であり、欠号も手つかずなので、別の方法で補うことになる。Cinii (サイニー、国立情報学研究所)検索により思わぬ文献に出会うこともある。

 現在『短歌』『短歌研究』では、各年鑑で自誌の年間目次と歌集歌書総覧を掲載する。『短歌研究年鑑』では、結社誌・同人誌のアンケートによる文献リスト「研究評論 今年の収穫」が掲載されるが、書誌的な不備も多く、網羅性がない。短歌雑誌の編集部にはかなりの雑誌や歌集・歌書が届いているはずなので、後世のために、できる限り網羅的な書誌的なデータだけでも作成し、提供してほしい。

 一方、出版不況をよそに、歌集・歌書の自費出版は、盛んなようで、私のところにもわずかながら届く。歌集は、大方、美しい装丁の、余白の多い本である。作品本位で考えるならば、歌がぎっしり詰まった文庫本でも十分だと思っている。これまで文庫版の歌集といえば、再刊や選集がほとんどだが、新しい歌集も気軽に出版できるようになれば、入手もしやすく、著者・読者双方に好都合である。

 本誌『ポトナム』の昨年一一月の歌壇時評(松尾唯花)の指摘にもあるように、現状のままだと、歌集出版は、若い人たちにとっては、覚悟を要し、経費のかかる大事業なっている。いや高齢者とても同様である。このような歌集出版の在り方は、考え直されてもよいのではないか。自費出版とその贈答が繰り返され、たださえ閉鎖的といわれる短歌の世界は、ますます狭まっていくにちがいない。欲しい人が欲しいときに入手できる電子版やオンデマンドという方法もあるが、いま、どれほど浸透し、利用されているのだろうか。(『ポトナム』2020年1月、所収)

| | コメント (0)

2019年12月23日 (月)

今朝の毎日新聞で~。

 今日の午前中は、市内の総合病院の初診予約に必死となっていた。「紹介状」なしなので3800円をいただきますとは言われたが、何とか年内に診てもらうことが出来ることになった。そんなことで、遅い朝食後、メールを開くと、昔の職場の友人から、今朝の毎日新聞に、斎藤史の本が紹介されてますよ、とのことだった。あわてて、朝刊を取りに出て、開いてみると、「毎日歌壇」選者四人による「私が選んだ今年の歌集」で、篠弘さんが、何冊かの歌集とともに、「今年も力の入った近代の歌人論が出た」として、古谷智子『片山廣子』(本阿弥書店)と拙著『斎藤史「朱天」から「うたのゆくへ」の時代』(一葉社)が紹介されていたのである。拙著の発行は今年の1月9日、歳晩に、励ましの一言をいただいた思いだった。

他にいただいた紹介や書評は、前の以下の記事に、まとめてみました。みなさま、ありがとうございました。

518日、「斎藤史」について報告することになりました。付・書評・紹介一覧(2019年4月26日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/04/post-d89e33.html

 

 

 

| | コメント (0)

2019年12月18日 (水)

歌壇、この一年を振り返る季節〈1〉短歌と天皇制

   短歌研究社『短歌研究年鑑』(2020年版)とカドカワ『角川短歌年鑑』(令和2年版)が出そろった。2019年の歌壇状況を知る助けにはなるのだが、今年という一年をしっかり振り返ったことになるのかなという違和感があった。その二・三を書きとどめておこうと思う。 

 一つは、くどいかもしれないが、やはり、短歌と天皇制の問題にきちんと向き合ったかという疑問だった。というのは、短歌総合誌では、5月の改元を前に、競うように、「平成」という時代を振り返るという企画が展開された。さらに、平成の天皇夫妻の「おことば」や「短歌」に沿って、その振る舞いを称え、あるいは、歌会始の30年を振り返ったりする特集もあった。新しい元号が発表されると、萬葉集を出典としているとして、歌壇も出版界も少しざわついて、商機とも思ったのか、書店にも雑誌の特集や書籍が並んだ。

Kimg0046

Kimg0045 Kimg0040
いずれも、2019年5月22日、大手町の丸善にて

 今回の改元が、歌を詠む人たちや短歌の読者・愛好者たちにとっても、天皇制と短歌との関係を考えるチャンスであったはずだが、現実の歌壇は、上記のような状況であった。こうした歌壇に対して、大辻隆弘が『朝日新聞』の「歌壇時評」〈2019年2月17日〉で、歌壇における「天皇制アレルギー」はもはやなくなり、「無反応」であったと、早々とけん制した。しかし、現実には、『短歌研究』総力特集「平成の大御歌と御歌―天皇・皇后両陛下のお歌」について、瀬戸夏子のきびしい批判があったし(『現代短歌』2019年2月)、斎藤寛は「『大御歌』『御歌』の位相―短歌と天皇制再考」(『短歌人』2019年7月)において、「老舗の短歌総合誌は皇室の広報しに転じた」とも断じた。また、高島裕(「時評・両陛下のお歌に思う」『未来』2019年3月)は、「『歌会始』など皇室と和歌との関わりに対する現代歌人の拒否反応に疑問を呈し、この伝統詩型が、祖国への心情や皇室との関わりの中で捉えられることの必然を主張してきた」というスタンスが、従来は、少数意見だったが、このような特集が組まれるということは「短歌と天皇制、短歌と愛国心との関わりをめぐる言説環境が大きく変容したのであろう」としている点で、前記大辻の論調と一にする。さらに、廣野翔一は、やや戸惑いながら、現実としての皇族の短歌を、「歌会始」を受け入れようとするものだった(「時評・平成の終わりに」『短歌』2019年6月)。いずれにしても「無反応」にはならなかったことになる。高島の「少数意見だった」という捉え方には、それこそ疑義があり、以下の当ブログ記事もあわせてお読みいただければと思う。

 無反応ではなかったが、《論争》にならなかった。上記『短歌研究年鑑』の恒例の「歌壇展望特別座談会」(佐佐木幸綱・三枝昂之・栗木京子・小島ゆかり・穂村弘)では言及がなく、「特集展望」(加藤治郎)は、肯定的に紹介するのみだった。『短歌年鑑』では、島田修三が「とにかく、われわれの短歌が新たな時代を生きるために、まず皇室和歌との決別から出発した史実だけはつねに自覚しておいた方がいい」としながら、何がいいたかったのかというと「おそらく元号などを始めとする平成末期から令和の皇室を巻き込んだざわざわとした空気に違和感を感じるということだったし、そこに短歌の影がちらちらするということだったと思う。」と遠慮がちに表明するが、特集などには直接触れない(「どうにもなりません」)。たまたま、私がある短歌雑誌の編集者と電話で話した折、「あの特集には、ほとんどの歌人がおかしいと言ってますよ、思ってますよ」というのだが、それがほんとだとしたら、そのほとんどの歌人たちが表立って声を上げていないことになる。

これからも、この短歌と天皇制の問題は、正面から論議されることが、ますます必要になってくるはずなのだが。

「短歌と天皇制」(217日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(4)「無反応」だったのか (2019年3 5日 )
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/03/217-0117.html

「短歌と天皇制」(217 日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(1)「その反省から出発した戦後短歌」って、ホント?(2019年225日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/02/210-9ef9.html

「短歌と天皇制」(217日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(2)「戦後短歌は皇室との関係を結ぶことに慎重だった」のか (2019年3 1日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/03/210-80d0.html

「短歌と天皇制」(217日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(3)「天皇制アレルギー」って?(2019年3 5)http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/03/post-d222.html

 

 

| | コメント (0)

2019年12月 1日 (日)

<歌壇>における「賞」の在り方~「ショウほど素敵な商売はない」?

  一九五〇年代に「ショウほど素敵な商売はない」という、マリリン・モンロー出演のアメリカのミュージカル映画があったらしい。見る機会もないままいまに至っているが~。

  これまで私は、国の褒賞制度や栄典制度が、本来の学術・文芸の振興にどれほど寄与しているのかについて書こうとすれば、どうしても批判的にならざるを得なかった。その褒賞や栄典にあずかる者をだれが選ぶのかの視点でたどっていくと、恣意性や政治性が色濃いものであることがわかってきたからである。国際的なノーベル賞やアカデミー賞、ミシュランにいたるまで、さらに、たとえば日本レコード大賞はどうなのかといえば、詳しいことはわからないが、その主催の民間団体や業界団体における選出方法にもかなり問題があることも伝わってくるではないか。自分に縁がないこともあって、「賞」なるものに懐疑的にならざるを得ない。苦々しくは思うものの「どうでもいいでショウ(賞)」くらいの気持ちであった。

  しかし、長年、短歌にかかわってきた者として、短歌の世界、いわゆる「歌壇」でのさまざまな「賞」についても、いろいろ考えさせられることが多くなった。これまでも、拙著やこのブログでも触れてきたことではあるが、現状を確認しておきたいと思う。歌壇の賞のデータとして、一つの賞を編年体で見るのには、光森裕樹による「短歌賞の記録」(tankafulnet)(http://tankaful.net/awards に詳しく、便利でありがたい。横断的に見るには『短歌研究年鑑』の「短歌関連各賞が受賞者一覧」である。もちろん網羅的ではないが、主として短歌雑誌が主催する賞は、応募型のいわば新人発掘のための賞a型、中堅・大家を対象とする賞b型とに分けることができる。
 これらの受賞者や受賞作品の紹介や評論は、各誌の歌壇時評などで、その栄誉と称賛を後追いするものが圧倒的に多く、発信・拡散が繰り返される。近年、私は、受賞者や受賞作品への関心もさることながら、選考委員の傾向や重複が気になっている。こうした短歌賞が、雑誌の営業政策の一環であることは当然なのだが、それにしても、選考委員の重複にはあらためて驚かされるのであった。 
 たとえば、直近の一年間をみても、四つ以上の賞の選考委員を兼ねているのは、以下の7人であり、三つの賞の委員を務める高野公彦、大島史洋、小島ゆかりがそれに続く。

馬場あき子(1928生。芸術院会員、朝日新聞選者)b短歌研究賞、迢空賞、現代短歌新人賞(さいたま市)小野市詩歌文学賞

佐佐木幸綱(1938。芸術院会員、東京新聞選者、朝日新聞選者)a現代短歌評論賞、b短歌研究賞、迢空賞、現代短歌大賞、若山牧水賞(宮崎県)前川佐美雄賞

三枝昻之(1944。歌会始選者、日本歌人クラブ会長、日本経済新聞選者)a現代短歌評論賞、歌壇賞、b日本歌人クラブ賞・大賞・新人賞・評論賞、斎藤茂吉短歌文学賞、前川佐美雄賞

伊藤一彦(1943。毎日新聞選者)a角川短歌賞、筑紫歌壇賞、b現代短歌大賞、若山牧水賞(宮崎県)

永田和宏(1947。歌会始選者、朝日新聞選者)a角川短歌賞、b短歌研究賞、斎藤茂吉短歌文学賞、小野市詩歌文学賞、佐藤佐太郎短歌賞

小池光(1947。読売新聞選者)a      角川短歌賞、b短歌研究賞、斎藤茂吉短歌文学賞、現代短歌新人賞(さいたま市)

栗木京子(1954。読売新聞選者)a短歌研究新人賞、b現代短歌大賞、現代歌人協会賞、若山牧水賞(宮崎県)現代短歌新人賞(さいたま市)

 ということは、各賞の性格や特色が薄れていることを示していよう。ダブル受賞やトリプル受賞も決して珍しくなくなってきた。選考委員が複数の賞を掛け持ちしていれば、そんなことも起こり得るだろうし、話題性のある、横並びの「無難なところでショウ」にもなりかねないのではないか。たとえば、2018年の佐藤モニカ『夏の領域』の現代歌人協会賞と日本歌人クラブ新人賞、三枝浩樹『時禱集』の迢空賞と若山牧水賞であり、2019年では、春日真木子『何の扉か』の現代短歌大賞と斎藤茂吉短歌賞、小島ゆかり『六六魚』の詩歌文学館賞と前川佐美雄賞などに見られる。受賞者にはかかわりないことなのだが。

 また、いわゆるa 型に属する、短歌研究新人賞の選考委員、栗木京子・米川千嘉子・加藤治郎・穂村弘の4人は2009年から務め、角川短歌賞の伊藤一彦・永田和宏・小池光・東直子は2017年から変わっておらず、歌壇賞の選考委員も若干の入れ替わりはあるものの2015年から東直子、水原紫苑、吉川宏志の3人が続けて務めている。歌壇賞は、一時女性の選考委員が多いこともあって、女性の応募者が男性の倍以上になった時代もあったが、現在はその差が縮まっりつつあるし、短歌研究新人賞は、1990年代後半から今世紀初頭にかけて、女性が50%台から上昇し始め、60%を超えたこともあったが、現在は、50%前後を推移しているという傾向も興味深い。たしかに、選考委員選びにおいても、受賞者選考にしても、その賞、雑誌の性格や特色を出そうとしていることはうかがわれないこともないのだが、結果的には、なかなか効を奏することがないのではないか。

 しかし、いずれにしても、こうした選考委員の重複、固定化は、a型の新人に対しては、委員受け狙いも生じようし、b型においては、どこか委員同士の互酬性のきらいも否定できない。さらに、選考委員になることにより、歌集が爆発的に売れるということはないにしても、講演会や短歌教室の講師のオファーは、確実に増えるのではないか。 
 また、上記に登場する斎藤茂吉短歌賞、若山牧水賞、前川佐美雄賞、佐藤佐太郎短歌賞など過去の著名歌人の名を冠した賞も数多いが、遺族や後継者との関係はどうなっているのだろうかとか、その歌人の業績にふさわしい選考がなされているのかなどという疑問もわいてくる。

 そんな中で、『短歌研究』が「塚本邦雄賞」(坂井修一、水原紫苑、穂村弘、北村薫)を、『現代短歌』は、雑誌自体のリニューアルとともに「ブックレビュー賞」(加藤英彦、内山晶太、江戸雪、染野太郎)を新設するという。後者の選考委員となる加藤英彦は「短歌月評・ふたつの賞の創設」(『毎日新聞』2019年11月25日)において、期待と意気込み語っている。前者の選考委員にも新鮮さがないし、後者の委員たちに若さはあるかもしれないが、その鑑賞眼と評者としての知見が問われるだろう。

| | コメント (0)

2019年5月31日 (金)

いまの歌壇はどうなっているのか~1960年前後の短歌・歌人たちを振り返る、1958年

 ネット上で知り合い、メールでのやり取りはありながら、遠隔なので、お目にかかってはいない知人から思いがけず、1959年から60年にかけての『短歌研究』の数冊をいただいた。近年、私は、斎藤史、阿部静枝の著作年表を作成し、一部を論稿の資料として活字にしてきた。資料環境が進展し、検索やコピーが容易になったとはいえ、歌人研究には基本的な資料である『短歌研究』の原本はありがたい。デジタル資料、とくに遠隔で、目次を頼りに検索・複写をしている限り、多くの見落としもあるし、目的以外の資料はスルーしがちである。原本を閲覧することにすぐるものはなく、思いがけない作品や文章に出会い、一冊、一冊が、その時代の雰囲気を伝えてくれる。

 この1960年前後は、敗戦直後は別にして、私の体験した日本の戦後史では、まれに見る激動の時代であった。そして、自身にとっては、母を亡くした、学生時代の前期にあたる。 

 いま、手元にあるのは、晩年の母が購入していた『短歌』や『短歌研究』の端本、私が後に図書館で複写した目次や記事と今回いただいた『短歌研究』である。何から書き出すべきか、迷うところでもある。

『短歌研究』1958年1月号(編集者杉山正樹/日本短歌社):

 <新年作品特集>佐藤佐太郎・五島美代子・宮柊二・生方たつゑ・木俣修らと塚本邦雄、田谷鋭・寺山修司の30首前後の作品が並ぶ。<新鋭女流作品集>も組み、石川不二子・大西民子…北沢郁子・清原令子・冨小路禎子ら10人の作品が並び、菱川善夫の「新世代の旗手」が始まり、第1回は中城ふみ子である。前年からの近藤芳美「或る青春と歌12」、木俣修「昭和短歌史10」、高安國世「イタリー紀行7」の連載では、近藤のひたすら甘く抒情的な文章にはいささか戸惑い、高安のヨーロッパ旅行に憧れたことなど、かすかな記憶がよみがえる。

・明治六年若き天皇皇后と一夏駐輦と記録に残れり(四賀光子「箱根遊草」)
・戦後うやむやに終りて水無月の道黒く市電の内部につづく(塚本邦雄「出日本記」)

 

『短歌研究』1958年3月号(編集者杉山正樹/日本短歌社)

 <現代女流歌集>の冒頭は読売文学賞第一作として生方たつゑ(「苛斂の土」40首)、五島美代子(「原野の犂」30首)野二人の作品が並ぶ。「女歌の行方」として男性の論者5人が生方・五島を語り、女歌を論じている。そして、阿部静枝らのベテラン7人と、斎藤史、葛原妙子、森岡貞香の3人が別枠で並ぶ。そしてもう一つの特集が<沖縄の歌と現実>であった。吉田漱「“二つの日本”を訴える」、霜多正次「沖縄島の哀歓」と、吉田の編集による「沖縄作品集」からなる。吉田は、沖縄の歴史と当時置かれている政治、経済、社会の実情を丁寧に具体的に報告し、沖縄の歌壇にも言及する。沖縄の戦後の短歌は、ハンセン病療養所の「愛楽園短歌会」に始まり、本土のアララギ同人の呉我春男の尽力で「九年母」が1953年3月に結成、翌年会誌が創刊されたが、沖縄では発表できない作品が本土の『アララギ』『未来』『樹木』などに掲載されるという時代であった。

・墓石の片がはにいま陽が匂ひ子の名一つがくきやかに見ゆ
(五島美代子)
・遺りゐる礎石配置に日のうすき斑があり人間の悲話よみがへる
(生方たつゑ)
・絶望に通ずる道を歩むに似たり一日一日の悲しきいとなみ
(比屋根照夫)
・憚らず土地を接収せしされつ米琉親善をいふ双方の高官
(天久佐信)

 杉山正樹によると思われる編集後記「読者への手紙」では、<現代女流特集>について「雛祭りや才女時代に因んだわけではありませんが」の前書きがあって、文学賞受賞の五島・生方と各世代の俊秀の力作を自負していた。三月号の女性歌人特集が定例化するのは、1969年31人でスタート、1974年に123人、さらに人数はふくれ上がり現在に至っている。一方、ちなみに、5月号の男性歌人特集は、1972年、70人でスタートしている。

3img20658

3img20558

『短歌研究』1958年1月号目次

 

 なお、沖縄特集の文中で出会った比屋根作品にはいささか驚いた。後に、大学のOB会で知ることになる比屋根さん、政治思想史の研究者なのだが、若いときには『琉球新報』の「歌壇」に投稿されていたという。OB会で上京された折や電話で、現在の沖縄を深く憂い、ときには、短歌論や拙著への感想などを聞かせてもらうこともある。

『短歌研究』1958年10月号(編集者杉山正樹/日本短歌社):

福田栄一「夜の谺(44首)」
ししが谷法然院の河骨の黄の花硬しこころやむわれ
争ひしあとさき先生と飲まざりしふたたび叱りてくるる人なし
死にて亡き先生に逢ひポトナムの友には逢はず争はなく
金閣寺裏山ときき先生の死にしところより寂しき金閣

 この号の第一特集は「アララギの五十年」であり、この結社の「内側の声」五味保儀ほか「外側の声」前田透ほか各数人が語り、アララギの中堅・若手、宮地伸一・我妻泰らの作品を掲載する。もう一つが「異郷に歌う(海外日本人の短歌)」で、ハワイ、ブラジル、北米の移民歌人たちの現状と作品を紹介する。木村捨録「歌壇交流記4」は大日本歌人協会の出発と解散の経過が語られている。もう、リアルタイムで当時を知る歌壇人はいないだけに興味深い。
 冒頭の福田(1909~1975)の4首は一連の中ほどにある作だが、『ポトナム』を創刊し、主宰であった小泉苳三(1894~1956)の追悼歌である。福田は、『ポトナム』の若手メンバーとともに「思索的抒情」を掲げ、1946年10月『古今』を創刊・主宰している。小泉との確執があったと思われるが、その自死の後の墓参の折の複雑な心境を歌っている。法然院には、小泉の墓と歌碑がある。私は、この『ポトナム』に1960年に入会することになる。

 

『短歌』1958年12月号(編集発行人角川源義/角川書店):

 <アンケート特集>と銘打って、一つは、「警職法改正案と中河発言をめぐって」であり、一つは「現代短歌の問題点―推進すべき方向と作品(87氏回答)」である。前者は、58年10月、岸信介内閣は、警察官の職務権限の拡大を主眼とする警察官職務執行法改正案を国会に提出し、日本社会党はじめ総評、文化団体など幅広い反対運動が展開していた時期、衆議院地方行政委員会公聴会で中河幹子が歌人の肩書で改正案賛成の意見を述べたことに由来する。しかも、その意見があまりにも俗っぽく、雑駁だったことから、多くの批判を浴びることになった。注*『短歌』編集部は、中河公述人の意見と山田あきの反対意見を載せ、20人の歌人にアンケートをとった結果をまとめている。回答があった17人は、結論的には全員反対との回答を寄せている。回答がなかったのは、土岐善麿、岡山巌、大野誠夫とわかる。問題の公聴会は、11月3日に開催、11月5日アンケート発信、12月号に掲載というスピード感と緊張感がある編集になっている。当時の実質的な編集者であった中井英夫の名で、特集末尾の「特集に添えて」において、
「歌人代表の意でないことは当然だが、これを歌人一般とはつゆさら関係ないとして楽観できるほど、『歌人という存在』に信用があるかどうかが、これが意見の岐れ目であろう。」
 さらに続けて、「このことはしかし、もう我々がタンスの奥深くに樟脳を―『戦争になれば国民として協力するのが当然』という、あの樟脳をつけて手軽にしまい込んだ戦争責任の問題を引張り出さなければ解決はつかない―」と特集の意図を記している。

 国民的な反対運動により、1958年11月22日、岸首相は、警職法改正案の提案を断念した。戦後政治史にあって、国民的な反対運動が実った稀有な出来事となった。                                            

注*以下の議事録によれば、この11月3日の公聴会公述人には、「歌人 中河幹子」「作家 高見順」が並び、東京大学教授鵜飼信成、総評事務局長岩井章らがいた。
第30国会衆議院地方行政委員会公聴会議事録(1958年11月3日)
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/030/0342/03011030342001.pdf

195812img207

 195812img209-1
『短歌』1958年12月号<警職法改正案と中河発言をめぐって>アンケート回答。

 もう一つの特集のアンケートは、「現代短歌の問題点」についてのアンケート回答を、編集部がテーマごとに仕分けをしてまとめたという。その回答は、実に多岐にわたるが、みな真面目であった。その一端をのぞいてみると・・・。

三国玲子「単なる当込」:「最近、台頭してきた一部の新人達の実験的な作品には興味を持っているが、その多くは生活実体から遊離した官製の遊戯であったり西欧詩他のジャンルに於て試みられている方法論を、短歌という土壌に機械的に移植したに過ぎないように思える。言葉やポーズのきらびやかさ、華々しさに反して内容空疎主体性を欠いているから単なる当込という印象を免れないのだ。実験と当込とは自ら峻別すべきであろう・・・」。(「非写実を排す」)

玉城徹「<彫り>の深さ」:「(前略)私は古典的な方法も前衛的な方法も、または口語歌も、いずれもあつてよいと思う。しかし、そのいずれにしても、もっと<彫り>ふかく、スケッチ歌体を脱却すべきだ。これが、昭和の、特に戦後歌風の一ばんの病弊なのだ。・・・」(「深みへ降りる」)

春日井建「美の呪縛」:「皮相な日常詠やスローガンの素描から抜けだして美の深さを測ることはもつと怖れないで試みられていいことのひとつであろう。美だけに賭けることは退嬰であり徒労であるかも知れない。しかし本来抒情詩である短歌を純化するための逞しい勇気であるには違いない。・・・」(「若い世代の声」)

2019531dsc00213

5月31日のアジサイ、ドクダミの繁殖力に脱帽、さてどうしたものか。勝手口近くのフキは、湯がいて煮て、お昼にいただきました。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧