2019年2月 6日 (水)

1月16日「歌会始」の天皇の短歌

また、「歌会始」の話となってしまう。思いがけず、旧著『現代短歌と天皇制』(風媒社 2001)が「週刊金曜日」に紹介された記事を当ブログでお知らせしたばかり。①  その時の執筆者の太田昌国さんが、以下のような論考を執筆されているのを、ネット上で知った。② そこでは、岡井隆の歌会始選者就任時の衝撃や今年の歌会始の天皇の「贈られしひまはりの種は生え揃ひ葉を広げゆく初夏の光に」にも言及している。「歌会始」のテレビ中継や新聞記事を読んでの感想はさまざまだと思うが、少しでも批判的な要素のある内容のものは、なかなか目に触れにくい。関心のある方はぜひお読みください。後半では、短歌と天皇制をテーマにした旧拙著3冊にも触れている。

 

 2019年、歌会始は終わったが~召人は二人?

(2019 1 17日)

 

②太田昌国のみたび夢は夜ひらく[104] 歌会始と天皇が詠む歌

(201924)

『反天皇制運動 Alert 』第32号(通巻414号、201925日発行)掲載

http://www.jca.apc.org/gendai_blog/wordpress/?p=836

 

 今年の天皇の歌は、阪神淡路大震災の10年後の追悼式典で渡された、亡くなった少女の自宅跡で花を開いたひまわりの種を詠んだものである、というエピソードが、復興の象徴として、テレビ中継はじめ、当日116日、翌日の117日のテレビや新聞で繰り返し報じられた。大震災は、まさに24年前の117日の早朝のことだったのである。これは、たんに偶然のこととは思えず、限りなく意図的なものに、私には思えたのである。天皇、選者、宮内庁の意向などもろもろが勘案、忖度が働いていたのではないか、と。

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2019年2月 5日 (火)

なぜ元号にこだわるのか~使わないワケとは

 私が会員になっている『ポトナム』の2月号に発表した「短歌時評」です。もともと表題はついていませんが、上記のように付けました。何度でも同じことを言っているような気がしますが、新しいファクトにもとづいて、言い続けるしかないかとも思っています。

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 私の周辺で、「いまの天皇っていいひとだよね」との言について、異を唱える人は少ない。短歌に関心のある人たちの間では「皇后のうたはさすがだね」と盛り上がったりする。昨年末、誕生日会見での「大嘗祭は身の丈で」という発言が報じられると「秋篠宮を見直した」との声も聞かれた。

 歌壇の現況を知る手立てとも思い、最新のカドカワムック『短歌年鑑』①と『短歌研究』一二月号の『短歌年鑑』②の二冊を通覧した。やはりというか、「平成」の文字が目立った。①には「巻頭言・『平成』に持続する前衛意識」(篠弘)、「回顧と展望・平成三十年を振り返る」(坂井修一)と、「平成」の文字こそないが「特別企画・歌会始の三十年」(岡野弘彦・篠弘・今野寿美)の記事がある。「編集後記」には、「平成最後の『短歌年鑑』ですが、五月に改元が予定されているため〈二〇一九年版〉という西暦表記になっています」とのことわりの一文が入っていた。②には、「座談会・二〇一八年歌壇展望 平成の『終わりの前』になにが起こったか。」(佐佐木幸綱・三枝昂之・栗木京子・小島ゆかり・穂村弘)、「歌人アンケート『平成の名歌』」などが目を引く。「編集後記」には「一年を通じて、特集のタイトルに平成という言葉を何度も使いましたが、その都度、“タイムカプセルの機能”を意識しておりました」とある。さらに『短歌研究』一月号の予告には、総力特集「平成の大御歌と御歌」のもと、鑑賞座談会(芳賀徹・園池公毅・寺井龍哉・今野寿美)と特別寄稿(岡野弘彦・春日真木子・加賀乙彦・篠弘)があった。三月には、現代歌人協会主催「現代短歌フェステイバル イン京都(平成時代の短歌を振り返る)」が開催されるという広告も目に入った。『短歌年鑑』①も、西暦・元号併記の時代も長く、西暦だけの時代もあったが、平成二年以降は、たしかに元号表示のみとなっていた。②では、西暦と元号の併記が続く。

 元号法は一九七九年六月に成立・施行されたが、元号は皇位が継承された場合に限り、政府が決める、という主旨の短い条文でしかない。国際化やグローバル化が進む、このインターネト社会において、各省庁のデータは西暦に統一、郵便切手や金融機関の一部でも西暦表示が進み、運転免許証も西暦表示に切り替わるなど、さまざまな場面で、その利便性から西暦表示に移行し始めている。

 昨年末の『朝日新聞』(一二月七日)に、代表的な文芸誌『すばる』(集英社)、『新潮』(新潮社)、『文學界』(文藝春秋)、『群像』(講談社)の一月号の広告が並んでいた。すべて「20191月(号)」の表示であった。なぜ、私が、これほどまでに元号にこだわるのかと言えば、そもそも、天皇という一個人の死や健康状態による改元が時代区分の指標になることへの疑念であった。

 現代にあって、短歌と天皇との深い関係を標榜し、短歌史を元号で括る意味がどれほどあるのか。かつては「明治短歌史」「大正短歌史」「昭和短歌史」という書物、『昭和萬葉集』という大部なアンソロジーも編まれた。しかし、この時代に、短歌と天皇との関係をより深めたいと望む歌人たちに「ワケ」があるとすれば、イデオロギーというより、短歌メディアと歌人たちによる、いわば一種のもたれあいのもと、「平成最後」を利用しているのではないかという思いにも駆られる。五月以降は、歌壇でも改元特集が組まれるかもしれない。天皇や皇室への親密性が、その歌人の評価にもつながるという時代が続くかもしれない。「平成を振り返る」というならば、象徴、文化、伝統、お人柄などという意匠やオブラートに包まれて存在し続ける天皇という制度を考えるよいチャンスにできればと思う。

(『ポトナム』2019年2月)

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2019年1月28日 (月)

本の始末、資料の不始末~なぜ過去を捨てきれないのか?!

 

好きな言葉ではないが、これは「終活」の一つということになるのだろう。私が利用している生協の生活クラブで、古書の回収を年に2回ほど行っている。NPO法人を通して障がい者施設の支援に充てるという。アマゾンなどを利用して換金するそうだ。あまり傷んだものは出せない。前にも回収に出したことはあるが、今回、思い切って少しまとめて、出そうと準備をしている。どちらかといえば、ポピュラーな読み物、文庫・新書ものが多くなる。

いうほどの、蔵書ではないけれど、短歌などにかかわって半世紀も過ぎると、古本屋さんには嫌われる歌集は増えてゆく。歌集や歌人評伝・短歌史関係書も扱い、販売目録も定期的にメールで届く古書店には、買い取ってもらえそうで、仕訳している。これから、もしかしたら、もう一度読まなければならない、あるいは読んでおきたいもの、個人的に、まだ、どうしても手元に置いておきたいものは取り置いて、他は、欲しいと思う人に届くかもしれないという、かすかな願いを込めて、手離す方の段ボールに入れてゆく。

天皇制に関する本は、資料的な価値のあるものは、まだ手離せない。女性史、沖縄史、メディア史、憲法関係も同様である。図書館勤めが長かったこともあり、また大きな図書館が近くにないこともあって、必要に迫られて求めた各種の辞典・事典類や年表類、資料集などのレファレンスブックが捨てられない。厚くて重い図書館の雑誌目録などはインターネットの普及で、もはや不要になったのはありがたい。

 古い旅行書は捨てるにしても、若いとき、結構買っていた文学散歩や史跡や西洋館巡り、路地裏散歩のような案内書は、もう利用しないだろう。それに、かつては、気軽に買っていた美術展のカタログ、博物館・文学館展示のカタログも、思い出はあるが、手離す方が多い。画集となると、数は少ないが、まだ持ち続けたい。「過去を引きずる?過去を捨てきれないオンナ!」であることは否定できない。

資料収集にかけては、第一人者であり、私も戦時下の歌集など譲っていただいたこともある櫻本富雄さんや名古屋の短大図書館時代、歌人であり、教授でいらした熊谷武至さんのお二人が、期せずして、本当に読んでくれる人、使ってくれる人に届けるには、やはり古書店に返すのが本筋だという趣旨のことをおっしゃっていたことを思い出す。

それにつけても、私の大学図書館勤めの時代、退職される教授、大学と縁のあるという「蔵書家」やその遺族から、千単位の蔵書寄贈の話が持ち込まれることが何度かあった。そんなときは、書架不足や人員不足を理由に丁寧にお断りするか、それができない場合は、いわゆる「〇〇文庫」として別置するのではなく、一般の図書と同様の保管・利用に供すること、すでに所蔵している資料、副本や史料価値の判断、処分を任せてもらい、整理も少し遅れるという条件で受け入れていた。いささか不遜な姿勢だったかもしれないが、小規模図書館では、致し方ない対応だと思っている。

一昨年だったか、京都市が寄贈を受けた桑原武夫蔵書を廃棄したというニュースが報じられたとき、さもありなんとも思ったが、寄贈を受ける側の毅然とした態度も必要で、あいまいにしていたのだろう。「〇〇文庫」、特殊コレクションとして、個人名を付したい願望のある向きは、個人の記念館や資料館などを設立した方がよい。これも維持管理が難しいので、遺族や後継者はよほどの覚悟が必要となる。

比較的財政的な基盤がしっかりしている国公立の図書館や文学館・資料館などは、予算と人材を確保し、将来を見据えた収集・保管・利用の計画が必要なはずだ。なのに、全国の自治体において、指定管理者制度導入に伴い、図書館までがツタヤなどによる民営化が広まりつつある傾向には疑問が多い。

一口に資料といっても、その形態はさまざまで、漫画、絵本・紙芝居、文書や書簡、和装本、巻物、レコード・楽譜、CD、演劇や映画の台本などというのもある。基本的には、国立図書館が網羅的に収集・保管・利用のセンターとなるべきで、資料によっては、専門的な知識や技術が欠かせないので、役割分担をする必要もあるのかもしれない。ユニークな雑誌コレクションとその索引づくりを誇る「大宅壮一文庫」だが、財政的危機にさらされているという。公的な支援があってしかるべきだろ。

 私の場合、短歌雑誌類も利用しようと思って、気になる特集や関心のある歌人の特集の号だけが並ぶ。わずかながら、自分の短歌やエッセイの掲載号もコピーは取ってあるものの捨てがたい。どれかの雑誌に毎号のように登場する人気の歌人たちはどうしているのだろう、などと余計な心配もする。

 それに私には、長らくかかわってきたもう一つのテーマでもある、地域の問題がある。自治会、地域の開発・街づくり、県政・市政に関する情報公開文書や関係資料、これはほとんど、切り抜きや文書なので、冊子のファイルで保管しているが、かさばるので、このごろは店でもらう紙の手提げ袋や大きな茶封筒を仕訳に再利用している。「自治会の法人化」「自治会と寄付・社協・日赤・消防団」「順天堂大学誘致問題」「航空機騒音」・・・。それに、参加してきた市民集会や活動の資料やチラシなども結構な量になる。それらが、押し入れや物置にひしめいている。そんなわけで、近頃は、必要なときに、必要な資料が出て来ないこともたびたびで、きのう置き換えた資料を、ない、ないと探すこともある。

 それにしても、学生時代使ったはずの法律の本は、引っ越しの折に始末?あまり勉強しなかっただけに未練がなかったのかもしれない。憲法のコンメンタールと判例百選、我妻民法、法律学全集の幾冊かだけが申し訳のように残されている。

 「終活」といい、「生前整理」といい、本の始末だけでも楽ではない。昔を思い出しては、作業の手が止まる。棚から降ろして、埃をぬぐう。今日は、のども、腰も痛めたらしく、早寝を決めた。

ああ、もう生前整理、遺品整理業者に任せるしかないか。

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前回の記事で、昨年受けたインタビューのことを書いたが、今回の作業中に古いファイルの中から、赤茶けた新聞が出てきた。ああ、そういえば、『現代短歌と天皇制』を出版した当時、『図書新聞』でこんなインタビューを受けていたのだったと、あらためて読み始めたのだった。なんと3頁にもわたっての収録で、立派な見出しと、各頁には、発言の一部分が大きく見出しのようになっていた。聞き手の米路さんと佐藤さんにリードされて、何とかおしゃべりができた記憶がよみがえった。斎藤茂吉と市川房枝の写真には、「え?」と思ったが、確かに言及している。しかし宇野浩二と広津和郎の写真はなぜ?記事の発言には登場してこないが、どこかで二人に話が及んだのだろうか。

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今、読み直してみても、その後の拙著での「はしがき」や「あとがき」で書いていることの繰り返しのようにも思えた。ほとんど同じことしか言ってないではないか。新著の斎藤史の本に関しての感想を発信されたツイートの一つに、「著者の天皇制批判は、念仏のようだ」とも評された。「うーん」、肝に銘じたい。

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2019年1月18日 (金)

昨年は、二つのインタビューを受けて~

 昨年末、短歌誌『合歓』の発行人である久々湊盈子さんのインタビューを受けた。『合歓』では、毎号、歌人などのインタビュー記事があって、その人選びも中身も、聞き手のリードもあって、楽しく読ませていただいていた。今回、思いがけず、そのオファーを受けたのだ。久々湊さんとお話するようになったのは比較的最近で、20161月「短歌サロン九条」でレポートをと、声をかけてくださったのも彼女だった。『心の花』、『個性』を経て、1992年から『合歓』を発行されている。歯切れのいい、骨太の作品や評論を発信し続けていて、大変、行動的な歌人でもあり、「酒豪」とも漏れ聞いている。

 天皇の代替わりが迫る「今でしょ!」とばかりに、短歌と天皇制についても話し合えたらとの趣旨は、ありがたいことだった。私も慣れないことなのでかなり緊張していたかもしれない。当方の住まいの近くのホテルのロビーでお会いした。

 気っ風のよさと細かい心遣いを併せ持つ話術にリードされて、終戦はどこでどんな風に迎えたかに始まり、いわば生い立ちから、短歌を始めた動機なども尋ねられた。表題にもあるように「短歌と天皇制と憲法と」に及び、沖縄の旅から帰ってきたばかりという久々湊さんからは、沖縄の現状についても貴重な話を伺えたのが、有意義であった。終了後は駅前の居酒屋で、インタビューにも同席された歌人のKさんと3人で、私もいささか盛り上がったのだった。

 数日前に届いた、そのインタビュー記事が載った『合歓』83号(20191月)は、大きな図書館や千葉県内の大きな図書館では読めると思う。そこでお会いできたらうれしいのだが。

◆ 「インタビュー・内野光子さんに聞くー短歌と天皇制と憲法と」(聞き手:久々湊盈子)『合歓』83号 20191


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なお、昨年の初めの『法と民主主義』編集の弁護士の佐藤むつみさんとのお話も楽しかったが、その時の様子は、下の当ブログ記事を参照ください。

 ゴールデンウィークのさなかですが~(201854日)

「私の歌に連なる他者へ」(聞き手:佐藤むつみ、「あなたとランチを」NO.35)  『法と民主主義』(日本民主法律家協会) 20184 

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2018/05/post-d6fe.html

 

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2019年1月17日 (木)

2019年、歌会始は終わったが~召人は二人?

 

 今年の歌会始の中継は、忘れずに見た。今の天皇夫妻にとっては最後の歌会始ということらしい。天皇の短歌ばかりが、メデイアでは繰り返されていた。

 

 私が、とくに印象に残ったことといえば以下の通りだ。

 

平成最後の歌会始といっても、格別応募歌数が多くなく、二万首を少し超えた程度だった。入選者の一番の若手は16歳の女子高校生で、最年長者は、30代から応募を続けていたという89歳の男性だった。203040代が一人もおらず16歳から 58歳にとぶ。世代別の歌会始、短歌への関心の在りようを示していよう。中・高校生については、歌会始応募に熱心な学校、教師の指導が左右しているのかもしれない。

 

 また、今年は、選者の最年長者篠弘の作品が披講されたが、その間、杖をついて立っていたのがつらそうでもあった。今年の召人は俳人鷹羽狩行と栗木京子の二人であったらしいのだが、鷹羽の作品が披講されたが、栗木や他の選者の名前の紹介もなかった。そして不思議だったのは、手元の三紙、翌日17日の朝刊、朝日、毎日、東京新聞にも召人の栗木の名前も作品も掲載されていない。たしかに、栗木は、入選者と選者の間の席に着いていて、その姿は、なんども映されていた。テレビでは、陪聴者の席でもないし、どういう立場なのかわからなかったのだが、ネットで検索してみると、jijicom(時事通信)の記事には、つぎのように掲載されていた。

 

 【召人】
 鷹羽狩行さん
 ひと雨の降りたるのちに風出でて一色(いつしよく)に光る並木通りは
 栗木京子さん
 言葉には羽あり羽の根元には光のありと思ひつつ語る

 

 ということは、来年の選者は、篠弘に替わって、栗木京子が就く前触れかな、などとも。女性選者が今野寿美と二人時代が再来するかもしれないなど、予想屋みたいなことは、はしたないと思いつつも・・・。

 それにしても、これから代替わりまでの半年は、歌壇も何かとざわつくかもしれない。

 

 そんなことを考えていたとき、旧著の出版元、名古屋の風媒社からのメールで、『週刊金曜日』天皇制特集(2019111日)で『現代短歌と天皇制』(2001年)が紹介されているのを知った。旧著がこうした形で読まれ、推薦されていることを知って、正直、ありがたかった。

20191img010_1_2           ↑ 最下段⑥に数行の言及がある。                     
                      

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2019年1月11日 (金)

天皇の短歌の登場は何を意味するのか

「ヘイセイ」「平成」とメディアは大騒ぎするけれど、天皇の代替わりで何が変わるのだろう。元号が変わったからと言って、日本国憲法下の世の中、変わるものがあるとしたら、逆におそろしい気がする。 

たった二年間ながら、私は、新卒で、学習院大学の職員として勤務したことがある。そんなこともあって、学習院同窓会「桜友会報」がいまだに送られてくる。最新号113号の(2018年12月)の特集は「[平成]両陛下30年の旅」であった。年表を含む6頁にわたるもので、一覧できる資料としては、便利に使わせていただいている。学習院同窓会の会報がこうした特集を組むことは、その沿革からうなずけないこともない。誌面から、すでに他界された先生方も多いけれど、ゼミのOB会などのレポートで、見知った先生のお元気な様子を知ったりもする。

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 だが、一般の全国紙やテレビ局が「平成最後の」「代替わりを前に」などという機をとらえて、天皇夫妻あるいは天皇家の内情や動向を事細かに報道する必要があるのだろうか。たしかに、天皇は、日本国憲法の下では「国民統合の象徴」であり、皇族方の生活は国費によって賄われている、といった視点からの報道は、なされなくてはならないだろう。 

しかし、メデイアから発信される記事や番組の内容はといえば、趣向や視点が若干異なるものの、皇室は、「国民に寄り添い、平和を願い、家族や自然をいつくしむ」人々として語られ、結果的に「天皇陛下万歳」の世界に終始する。

 天皇(家)から直接国民に発信できる場は、たしかに限られている。国事行為や公的行為における「おことば」や「記者会見」などでの質疑が思い浮かぶが、しばしば登場するのが、「短歌」なのである。わかりやすく、なにしろ短い文言なので、「お気持ち」や「心情」が端的に表現されて、人々の心にも届きやすいとして、メディアにも好まれるのだろう。昭和天皇死去報道の際にも、天皇の短歌がクローズアップされ、それをめぐって、歌人たちの論評や発言も相次いだ。 

前回の記事でもふれたが、今回の代替わりを前にしても、東京新聞には「象徴のうた 平成という時代」(永田和宏)が連載中であるし、今年の元旦の朝日新聞では、昭和天皇晩年の短歌とメモが新たに発見されたと、大々的に報じた。そしてさらに昭和天皇の命日となる1月7日には、その“新発見”の短歌の解釈や解説をし、歴史家などのコメントも添えて、天皇の日常や折に触れての苦悩を「短歌」から読み取ろう、という趣向である。代替わりを前に、昭和天皇の短歌にもさかのぼって「昭和史」をたどろうということらしい。

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          2019年1月7日「朝日新聞」朝刊より

  しかし、天皇に限らず、短歌で歴史を読み解くリスクは、心得ておかねばならない。まして、天皇の「表現の不自由」な状況で作られる「短歌」であること、その短歌も、今回の記事の「和歌づくりの流れ」でもわかるように、いわば、公文書作成の流れにも似ていること、がわかる。短歌のためのメモから公表までの過程に、何人かの手が入っていることも伝えられた。かつて、私も、入江相政(元侍従長)日記から同様の感触を得ていたことも思い出す。 

 代替わりをはさんで、天皇(家)の短歌が、何かと話題になることも多くなるだろう。心情や真情を吐露しやすいからと言って、短歌一首を、断片的に過大評価してはならないし、不自由な環境の中ではあるが、そこでの発言や活動をトータルに検証していかねばならないのではないか、と思う。

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2019年1月 3日 (木)

<平成最後>の歌壇

会員である短歌誌『ポトナム』の一月号に書いた「歌壇時評」を転載します。もともと、題はついていないのですが、表題は上記のようにしました。今年の<平成最後の歌会始>は1月16日だそうです。

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天皇の代替わりが迫っている。世間では、昨年後半あたりから、「平成最後の・・・」を冠した行事や企画が盛んになった。歌壇も決して例外ではない。今年も、一月中旬には「平成最後の歌会始」(1月16日)が開かれる。「歌会始」というのは、天皇への詠進歌のなかから、選者によって選ばれた短歌の作者を皇居に招待して、皇族・選者・入選者・読師らによって演じられている儀式である。それを陪聴する者も、「だれか」に選ばれて招待されている。それに参加することが、またとない「栄誉」とされてもいる。短歌が「天皇に詠進されて」、はじめて成り立つ「歌会」、そこには、「詠進される者」と「する者」とのおのずからの上下関係が、自明のごとく前提になっている。このような「歌会」が短歌を詠む者あるいは短歌を愛好する者たちが楽しみ、学ぶ場なのだろうか。
 

天皇の死去や高齢という個人的な理由による退位に従い、元号をもって時代が区切られるという社会と上記のような「歌会」の在りようは、日本国憲法が目指す民主主義社会とは相容れないものであろう。元号が代わることによる影響は、さまざまな分野で予想される。事務的な処理の対応だけでも莫大な費用がかかると言われている。すでに、年号表示の基本は西暦にすべきではないかとの流れもあるなか、今こそ、変えることができるチャンスのはずであった。日本の近代国家が形成される明治から、すでに四つの元号を持ち、さらに新元号が加われば日本の近代史は、五つの年号で語られることになる。その混乱から逃れるためにも、歴史を学ぶも者も研究する者、正確な記憶や思い出を大事にしたい人びとのためにも、そろそろ西暦を基本にすべきではないのか。  

ちなみに、『短歌研究』『短歌』『現代短歌』『短歌往来』『歌壇』の背表紙の年月表示は、すべて西暦であり、奥付はすべて、元号表示となっている。あたらしい元号になっても、踏襲されるのか。 

 

 昨秋、雨の中の「平成最後の園遊会」の様子が報じられていた。中央省庁の役人が推薦する「功績」のあった人々を招き、予め設置されたカメラによる、限られた五人の招かれた者と天皇夫妻との間で交わされる会話の場面が放映される。天皇は、十人ほどに絞られた招待者の中から五人を選ぶというのが慣例らしい。どこか噛み合わない天皇夫妻との対話にただよう「ギャップ」を期待したり、楽しんだりしている視聴者がいるのは確かかもしれない。しかし、これが象徴天皇の、国民に「寄り添う」仕事なのだろうか。また、招待されたタレントやスポーツ選手たちに、ぎごちない敬語を使って、その緊張ぶりを語らせるのも、メディアの常套手段になっている。 

この園遊会よりはいささか「文化的な香り」を漂わせる「歌会始」に招待されたり、さらに、文化勲章・文化功労者・紫綬褒章などを授かったりして、ひとたび二重橋を渡ると、かつて革新的な、あるいは、現在「リベラル」を標榜している「文化人」たちでさえも、しっかりと絡めとられ、「天皇」の紋章をフルに活用するようになる例は珍しくもないない。歌人でいえば、あたかも天皇(皇室)と国民とをつなぐ架け橋として、いや、皇室のスポークスマンのように振る舞ってきた歌会始の選者たち、キーマンとされた木俣修、岡野弘彦、岡井隆などに続くのは誰なのだろうか。

 

 最近、未知の人から届いた手紙に、ある革新団体の会報のトップにある永田和宏氏のインタビュー記事「劣化し無化する言葉―民主主義の危機に立ち向かう」と『東京新聞』などに一年近く連載中の「象徴のうた 平成という時代」のコピーが同封されていた。二つの記事の整合性に疑問を持つのだが、歌人たちはどう受け止めているのか、と。

(『ポトナム』2019年1月号所載)

Img564_2          『短歌研究』2019年1月号

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『朝日新聞』2019年1月1日、1面と39面、遅ればせながら今日3日に元旦の新聞を読んでびっくり仰天した。「天皇はイイひと」は、平成ばかりでなく昭和にも及ぶ。その証に「短歌」がまた登場し、大きな役割を果たしていることは、30年前と一つも変わってない。

 

 

 

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2018年12月30日 (日)

『齋藤史『朱天』から『うたのゆくへ』の時代 「歌集」未収録作品から何を読み取るのか』(一葉社)という本が出来上がりました

 このブログ記事でも、何度か触れたことのある、歌人・斎藤史について、これまで調べてきたことや考えてきたことを書いたものです。発行日は201919日となっていますが、1228日発売となりました。すでに、「版元ドットコム」はじめインターネット上でも紹介されているのを知って、驚きました。279頁の内、後半の121頁が、資料1「齋藤史著作年表 付/斎藤史・斎藤瀏関係文献」、資料2「齋藤史「歌集」未収録作品『魚歌』から『うたのゆくへ』」などが占める本となりました。もし、関心を持たれましたら、ぜひ、お近くの図書館などにリクエストしていただければ幸いです。大きな書店でしたら、手に取っていただけるかもしれません(池袋のジュンク堂にはあったそうです)。

 

 前世紀?からのテーマでもありましたので、私個人としては、長いトンネルから少し明かりが見えてきた思いです。でも、まだまだ、資料の不備や考えが及ばない点が多々ありますので、心細いばかりですが、齋藤史に関心のある方や若い歌人の方々に、ぜひ読んでいただきたいと思っています。

 

 天皇の代替わりが迫った、この時期に、齋藤史の天皇(制)へのスタンスの変遷を通して、一度立ち止まってみることができればと思っています。

 

 

<版元ドットコム>

https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784871960755

<一葉社のチラシです>

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Img562<最近の当ブログより>

・短歌における「改ざん」問題 ~斎藤史を通して考える(20186 9日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2018/06/post-53c4.html

・なぜ、いま、「斎藤史」なのか~612日の「大波小波」に寄せて(2017612日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2017/06/612-88cf.html

 

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2018年11月24日 (土)

二つの「男女共同参画」“まつり”に参加して

 臆面もなく「一億総活躍社会」とか「すべての女性が輝く政策」とかの看板を掲げながら、現実には、その真逆のことをやっていた安倍政権には、あきれ果てて、言葉もない。内閣府が出している広報誌『共同参画』には、片山さつき大臣の「ご挨拶」が載っている。「地方創生」と「男女共同参画・女性活躍」」担当大臣の兼務による「シナジー効果」も生かしたいと決意を述べていたが、もはや絶望的でしかない。その「ご挨拶」に付せられた顔写真は、何十年前の写真と思われるような首をかしげているブロマイド風。現在の国会での答弁中の様子と比べると、見るに堪えないほどの情けなさである。 

 「男女共同参画」なる言葉は、1999年「男女共同参画基本法」施行の辺りから、頻繁に使われるようにはなったか。しかし、巷でも、身近な自治体でも、定着したとは言い難い。私自身も「男女平等」の方が分かりやすいのにと思いながら過ごしてきた。そんな中で、この秋、二つの「男女共同参画」事業に参加した。

 

東京ウィメンズプラザフォーラム~「音を紡ぐ女たち」コンサート

  1028日、あたたかな日差しの中、表参道を東京ウィメンズプラザへと急いでいた。ハロウィンが近いためか、妙な扮装の若者たちをチラホラと見かける。プラザ・ホールでの「第4回音を紡ぐ女たち―女性作曲家を知り、聴く」のコンサートにやってきた。主催団体の小林緑さんからのお誘いもあって、毎年楽しませていただいている。現代では、顧みられることの少ない女性作曲家に目を向けて、広めていこうとするのがコンサートの目的でもある。 

 今回は、19世紀半ばから20世紀にかけての女性作曲家によるピアノ曲ばかりのコンサートであった。コンサートの前半は、まず、昨年生誕150年を迎えた、アメリカのエイミー・ビーチ(18671944)作曲の「夏の夢」全6曲で、身近に潜む「妖精」や小動物をテーマにした小品からなり、正住真知子さんと弘中佑子さんの連弾は、楽しくゆったりとした気分にさせられた。つぎは同じくビーチの作品のエミイ・トドロキ・シュワルツさんの独奏、セシル・シャミナード作品の山口裕子さんのダイナミックな演奏がつづく。また、ベネズエラ出身のテレサ・カレーニョの曲は、同じく山口さんの独奏だった。テレサは、小林緑さんの解説によれば、作曲や演奏活動をつづけながら、結婚や離婚を繰り返し、生活や育児に追われ、演奏旅行中病に倒れたという。首都カラカスには、「テレサ・カレーニョ劇場」といのもあるし、チャベス大統領時代の福祉政策の一つのオーケストラ運動においては、テレサの名を冠したオーケストラも誕生しているという。チャベス大統領の別の一面を知っていささか驚いたのであった。

 後半のポーランドのマリヤ・シマノフスカ(17891831)だけが、ショパンの先輩にあたり、ゲーテとも親交があったという、少し古い世代の作曲家であり、ピアニストである。日本でいえば江戸時代のことだ。三手の連弾によるワルツであった。さらに、マリー・ジャエル(18461925)は四手による連弾曲で、最後は、なんと再びシャミナードの「銀婚式」という曲は、その日のピアニスト全員による4人八手の連弾で、壮観?でもあり、私には初めてのことであった。

 ウィメンズプラザフォーラムは、2日間のいわばお祭りで、いろいろなイベントが目白押しではあったが、会場近くのマルシェ、青空市の方も気になって、早々に会場を出た。 

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ウィメンズプラザと言えば東京女性財団の「民間活動支援事業」の一環で、『扉を開く女たちジェンダーから見た短歌史1945-53』(砂小屋書房 2001年)の出版助成を受けるために、共著者の阿木津英さんと小林とし子さんの三人で、審査のための面接を受けに来たのを思い出す。想定問答を試みたり、受験生のように緊張したものだが、100万円近くの実費助成を頂くことができた。当時の石原都政は、この2000年度を最後に支援事業を打ち切ったという。

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千葉市男女共同参画センターまつり~「短歌ハーモニー」歌会

  青葉の森公園近くの千葉市ハーモニープラザで、私たちのグループ「短歌ハーモニー」は2002年から月一度の歌会を続けている。これまでもセンターまつりに参加して、公開歌会や短歌作品の展示などを行ってきた。昨年までは、12月上旬の週末2日間に実施されてきたのだが、今年は、約1カ月の間に参加グループが都合の良い日程を組めるようになったという。参加するグループが年々減少しているらしく、今年は、企画を大きく変え、会場費も無料にするので、ぜひ参加をとの呼びかけが、私たちの会のお世話役に何度も届いたそうだ。

 

 11月の第181回歌会は、曜日を変えて1118日に開き、参加することになった。公開歌会になるので、お誘いのチラシを作り、男女共同参画センタ―によって、市内の各所に配置してもらい、当日はまつりの来場者が参加しやすいようにと、みなで入り口付近の飾りつけをした。この16年間に発行した合同歌集『青葉の森へ』3冊やこれまでの教材や歌会のプリントのファイル、私の歌集や著書まで展示することになった。覗いてくださる参加者がいるだろうか、何人くらい参加してくれるだろうか、毎年ながら、いささか不安もよぎる。こうした歌会に参加して会員になられた方も多い。さらに、かつて会員だった方がひょっこりと現れたり、私の地元の佐倉市から駆け付けてくれたりした方もいらした。一昨年は、Jコムのカメラやインタビューが入って、翌週放映されたということもあったし、短歌雑誌や地域新聞に紹介されたこともあった。

 

 今回は、結局、3人の方が参加、お一人は、短歌も用意されていた。総勢12人の歌会となった。ふだんは各人2首づつ提出、相互批評をする。今月は年3回の、名歌鑑賞の月にもあたるので、あらかじめ用意した教材の中から各人が選歌した2首を鑑賞することになっていた。 

 会員の入れ替わりはあるけれど、この16年間よくここまで続けてこられたな、と感慨深い。というのも当初からの会員のMさんや早くからの会員の皆さんの熱意あふれるお世話があってのことだと思い、感謝の気持ちでいっぱいになる。

 それにしても、私たちも、当日参加の方たちも「男女共同参画」といった意識で「歌会」に臨んでいるわけではないような気がしてる。ごく自然なかたちで、短歌を作ることが何となく楽しみとなり、名歌や仲間の短歌を読むことで何かを得られることを知って、続けてきたのではないかと思う。「自己表現」の一つの形ではあるけれど、大上段に構えず、これからも語り合い、楽しんでゆくことができたらと、あらためて思うのだった。

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このチラシの裏面には、ある日の歌会からと、会員の短歌が1首づつ披露されている。定例歌会は、毎月第三木曜日1時から。

 

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2018年10月11日 (木)

元号が変わるというけれど、―73年の意味(7)―敗戦直後の短歌雑誌に見る<短歌と天皇制>(3)

『八雲』創刊号には、短歌の創作欄には、五島茂、佐藤佐太郎、鈴木英夫、香川進、坪野哲久、岩間正男、堀内通孝、岡野直七郎、長谷川銀作、橋本徳寿、山下陸奥、筏井嘉一、と12人の第一線の歌人の名が並ぶ。この辺が、編集陣の久保田、木俣修らの微妙なバランス感覚が働いているところだろう。それにしても女性が一人もいないと思ったのだが、この作品欄とは別に、「短歌ルポルタージュ」と冠した、挿絵入りで阿部静枝「進駐軍のゐる風景」10首が載っていた。その中に次のような3首があった。私自身が、その晩年に指導を受けた歌人でもある阿部静枝((18991974)は、戦前の無産運動で活動、弾圧で挫折、太平洋戦争下では翼賛に傾いた歌人だったので、3首目の決意は、おそらく本気であったのだろう。前の2首は、やや、明確さに欠けるきらいがある。「侘しむ民」の一人としての作者自身なのか、その心変わりをどう受け止めているのかなど、やや整理しかねているようにも思えた。しかし、「大内山」、「宮城」、「雲の上」という表現ではあるが、「天皇」を詠んだ作品として記憶されてもいいのではないか。

米軍ゐてともしかがよふ丸の内大内山のみ暗く侘しき
宮城の小暗く深きをたふとまず侘しむ民の心変わりや
雲の上に主権をおきてひれ伏せる暗愚の歴史閉ぢて起つべし
(阿部静枝)(八雲 創刊号 194612月)

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『八雲』 創刊号(1946年12月)より

 その後の『八雲』には、「天皇制」に言及する評論がしばしば登場する。たとえば、以下の3点をみてみよう。

①西郷信綱「日本文学における叙事詩の問題」
(八雲 19476月)
②岩上順一「歌誌批判・不二・民草について」
(八雲 19479月)
③渡辺順三「歌誌批判・納得できぬこと―短歌人・潮 音・橄欖について」
(八雲194711月)

 ①では、「和歌が一千年以上の時間の流れをくぐりぬけて存續し、今なおわれわれの意識を多少とも制約しているその契機が、天皇制を存續せしめたと構造的に同じ契機であることを私はひそかに信じている。すなわちその連續性は、日本の社會の停滞性の表現以外の何ものでもない」とした上で、「封建的幽暗さから解放されて近代的に組織化され、新しい秩序の到来を呼ぼうとして逃走している民衆の力」というものを素朴に是認しながら、「現代日本に新しい叙事詩の可能性を信じたい」としている。

 ②では、右翼の活動家として何回か投獄もされ、歌人でもあった影山正治(19101979)が、復員後『ひむがし』(194111月創刊)の後継誌として『不二』を創刊(19465月)、万葉浪漫主義を唱えていた影山銀四郎(19081978)が栃木県で『民草』を創刊した(194612月)。その熱烈な天皇制護持は、開戦も敗戦もすべての責任を「聖慮」「神慮」に帰することになり、天皇を苦しめ、人民の人権と相渉るのか、と憂慮している。

 ③は、太田水穂の『潮音』は、敗戦をはさみ、辛うじて休刊を免れ、斎藤瀏の『短歌人』は、19464月に、吉植庄亮の『橄欖』は194612月に復刊しているが、「戦争中は神がかりの祝詞のような文書を書き散らし、戦争に協力せぬものを国賊扱いにしながら、終戦後はまたケロリとして元の雑誌を復刊し、反省も自己批判もなく、歌壇に座を占めているなどは一體人間的な神経があるのかどうかさえ疑いたくなる」と糾弾する。

 西郷(1916-2008)は、斎藤茂吉に傾倒する、当時気鋭の古代文学専攻の研究者であり、岩上(1907-1958)は、戦前から活動する文芸評論家で、治安維持本で投獄されたこともあり、敗戦後は新日本文学会の創立にかかわり初代書記長となっている。渡辺(18941972)は、窪田空穂に師事、口語短歌『芸術と自由』の編集にもたずさわったが、無産者歌人連盟、プロレタリア歌人連盟を経て、一度ならず検挙されている。敗戦後19462月には新日本歌人協会を結成『人民短歌』を創刊している。

こうした論調に先立って、中野重治は、別のメディアにあって、もっと端的に、短歌の政治的利用について言及している。「政治的手段に藝術を用ゐるといふのは、日本の天皇政府がやってきたことで」、その最たるものが歌会始だといい、「天皇の宮中歌會からミラミッド形にさたつて来るあれほど短歌を政治的手段として悪用したものはほかにない」とも語っていた(「文学者の国民としての立場」『新生』19462月)。

また、作品面で、天皇制・天皇への批判がいささかでも垣間見られるものをあげてみよう。参考のため執筆者の生没年を記しておく。

敗戦の責めの所在を見きはめつつ君をうやまはずまた否定せず

神にあらず人にも似ざる旅を行き新しき代の感覚のずれ

(坪野哲久、19061988)(人民短歌194612月)

切羽つまりしわれらが今日のまなこもて天皇をみる遮ることなかれ

(坪野哲久)(短歌往来19482月)

天皇がただすなほに詫び宜らすことすらなしに何革まるべき  

(香川進、19101998)(人民短歌194612月)

奉安殿壊つ清しさや古きもの崩えゆく兆しまのあたり見つ

新憲法かにかく成れど「象徴」の模糊たる二字にわが怡しまず

(安藤佐貴子、 19101999)(短歌研究19473月)

とどろきに陛下応ふと傍観しこの日のさまを書きし記事あり

(宮柊二、19121986)(短歌往来194711月)

 しかし、その一方で、『日本短歌』194712合併号には、「歌会始―選ばれた十五首」と題した記事が載り、4月号には、5人(佐佐木ほか千葉胤明、斎藤茂吉、窪田空穂、鳥野幸次)の選者詠とともに、佐佐木信綱の「詠進歌を選して」を寄稿されている。斎藤・窪田・佐佐木という民間歌人が選者として初めて参加した「歌会始」であった。そこで、信綱は、19471223日、「御前に於いて」披講される感激を記した後、内容上の特色として、新憲法、祖国再建、復興など時代を反映した歌が多かったことと、仕事や職業についてなど生活を歌った歌が多かったことをあげている。

『八雲』の土岐善麿の五十首詠「初夏身辺抄」(19478月)には次のような歌が並ぶ。

たたかひをいかに苦しくおぼしけむ平和の民とともにいますべし

銀のナイフ銀のフオクのかがやくをもろ手にとりてつつましくをり

問はすことみな重要なる課題にしていみじきかな文化国家の元首

(土岐善麿、18851980)(八雲19478月)

 その後の『八雲』の「土岐善麿・木俣修対談・短歌の青春時代」において、「歌会始」ではないが、学士院賞受賞、御進講、御陪食のことを問われて、土岐はご馳走になった鯛の蒸焼き、大きなビフテキ、スープ、灘の生一本などの美味にまで及び、昭和天皇、高橋誠一郎文部大臣らと親しく話しあったこと、進講に対しては、天皇の質問も学者的で「科学者としての陛下のおきもちに皆動かされた」と、感激のほどを語っている(八雲 19481月)。

おほきみもたみくさともにたたかひのわざはいたへてすぐさせたまふ

ばくだんがこのくにつちをこなにすともきみとたみとをひきさくべしや

(金田一京助、18821971)(沃野19472月)

神にあらぬすめろぎなればわれ等また一布衣(ふい)としておんまえにゐむ
(吉井勇、18861960)(短歌往来19477月)

 

 

 こうしてみると、天皇制・天皇に批判的なグループの歌人は1910年前後の生まれで、人間宣言後も天皇、天皇制により一層傾斜してゆくグループは、19世紀生まれといってよく、世代的にも、阿部静枝、坪野哲久世代が中間にあたりで、その作品には、ややあいまいな姿勢、表現が見えるのも興味深い。

 これまでは、著名な歌人を中心に読んできたが、結社などに拠る、一般の歌人たちはどうであったのだろうか。当時、いまの私と同じような視点で作業を進めていた歌人がいる。柳田新太郎(19031948)は、著名歌人に限らないで、広く、結社誌の作品欄を渉猟し、天皇・天皇制について詠んだ歌を収集し、若干の解説を試みていた。以下の仕事も、『短歌往来』創刊時より「短歌紀要」という、いわば、歌誌展望のような仕事の一環であった。もともと、若くして、既成の短歌の革新を目指してプロレタリ短歌運動、新興短歌運動にかかわった。その後は『短歌月刊』を創刊、歌壇ジャーナリストとして活動していた。戦後は、この「短歌紀要」などを執筆していたが194811月、急逝している。柳田は、この記事の中で、資料探索の成果をそのまま提示することを自認していたが、無名有名を問わず、歌人たちが、素朴で迷妄な、「頑固な無条件的な天皇制支持者」となっていることについて「現役の、しかも代表的な歌人たちがああまで無批判的なうごき、今なほ時を得次第再び同じ動きを繰返さうとする気配が見える(これはどういふうことだらうか。歌人たちが終戦以来今日までおよそ三年、ほとんど作品の上に思想的甦へりの苦悶を示さないばかりか、苦悶らしい影さへも見せずにゐることが、外部にこのやうな形で反映しているのではないか。以下略)」とか、「歌人たちは数人をのぞいて知名の歌人の殆どが天皇制及び天皇についての作品を示してをらぬことだが、このことも一つの問題であらう」とか、かなり辛らつな批判もしていた(『短歌往来』19482月、44頁、46頁)。しかし、その一方で、さまざまな立場、さまざまな環境の中で、天皇制、天皇について詠まれた、一般歌人の多数の作品の中には、「歌の世界、歌によつて自己表白を遂げる人びとの意識も、無血革命の進行の度にともなつてそれはそれなりに、またそれが緩慢な速度であらうとも、徐々に移り変りを遂げてゆくのではなからうか」と、願望というか期待を持つて結んでいる(『短歌往来』19483月、47頁)。

柳田新太郎「天皇制および天皇と短歌」短歌往来19482
柳田新太郎「宮廷の歌と市民の歌」短歌往来19483

 柳田が、没後70年の現在の歌人たちの天皇制・天皇への姿勢を見たら、何を語るだろうか。(つづく)

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