2025年9月 3日 (水)

今どきの中学生が出会う短歌~国語教科書に登場の歌人たち、その作品は(3)

 各社の中学校国語の二年生の教科書を中心に調査した結果であり、わかる範囲で、一年・二年生教科書にも触れている。二年生教科書の短歌の収録状況は以下の手順で示している。短歌作品の作者は、作品に続いて(  )で示し、さらに、前回2016年版の収録教科書の調査結果を(  )内で示している。さらに⇒によって、2025年版の収録 結果を、三省堂、教育出版、光村、東京書籍の順で収録状況を記した。新しく収録したものは緑のマーカーで示している。ややわかりにくい整理になってしまったが、お気づきの点は、よろしくご教示くださるようお願いする次第です。

 東京書籍『新編新しい国語2』

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 全体で8単元に分かれているが、各単元の扉の一頁に、目次とつぎの短歌一首とそれをイメージする写真が載せられている。表紙裏の谷川俊太郎の詩「未来へ」の裏に「扉の短歌八首」として、一頁にまとめられている。この頁の写真は小さいが、扉では、半分くらい占める。歌のイメージとしては分かり易い写真か(前半4首が上段、右から、後半4首が下段)

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1.桜ばないのち一ぱいに咲くからに生命をかけてわが眺めたり(東書)⇒東京書籍

2.さみしくて見にきたひとの気持ちなど海はしつこく尋ねはしない(杉崎恒夫)⇒東京書籍*新

3.よく晴れた夏をゆったり曲がってくバスすみずみまで蝉の声(岡野大嗣)⇒東京書籍しん*新

4.幸福と呼ばれるものの輪郭よ君の自転車のきれいなターン(服部真理子)⇒東京書籍しん*新

5.距離を置く作戦実行中ですが月がきれいで話がしたい(千原こはぎ)⇒東京書籍しん*新

6.君待つと我が恋ひをれば我がやどの簾動かし秋の風吹く(額田王)(⇒東京書籍三年生)

7.ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちくる涙は(穂村弘)(東書)⇒東京書籍

8.卒業生の最後の一人が門を出て二歩バックしてまた出ていった(千葉聡)(東書)⇒東京書籍

 
 道浦母都子「短歌を楽しむ」は、書下ろしの短文であるがつぎの三首を鑑賞している。編集者の意向もあったのだろうが、書き手自身の作品が登場していない。その方が説得力があるように思うのだが、これまでの三省堂の俵、教育出版の穂村、光村の栗木での鑑賞文では、自作を登場させているが、なんだかなと、どこか抵抗があったのであるが。
   

・金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の岡に(東書)⇒東京書籍

・海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり(東書・光村)⇒光村、東京書籍

・観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生(東書・学図・三省堂・教育・光村) ⇒三省堂・教育・光村、東京書籍     

  次の五首のうち、茂吉の晩年の作品以外の子規、牧水、啄木の作品が全四社、上記エッセイに登場した、栗木の全四社、俵の「寒いね」の三社収録作品は、いわゆる「教科書短歌」の定番ともいえよう。茂吉と晶子は、収録作品が一首に集中しないところがさすがと興味深い。

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「短歌五首」

・くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる(正岡子規)(学図・東書・三省堂・光村)⇒三省堂・教育・光  村、東京書籍

・最上川の上空にして残れるはいまだうつくしき虹の断片(斉藤茂吉)(東書)⇒東京書籍

・白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ(若山牧水)(東書・三省堂・教育・光村)⇒三省堂、教育、光村、東京書籍

・不来方のお城の草に寝ころびて/空に吸はれし/十五の心(石川啄木)(東書・学図・三省堂・光村)⇒三省堂、教育、光村、東京書籍

・「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ(俵万智)(東書・三省堂・教育)⇒三省堂、光村、東京書籍

  なお、単元8「描写を味わう」で、これも定番の太宰治「走れメロス」に続いて「短歌から始まる物語」と題する章があって、「物語を創作するための出発点として、詩歌や絵画などの作品から想像を広げていくやり方がある」として、気に入った短歌一首から想像を膨らませて、短歌の要素を整理して「物語を創作しよう」というものである。現代の生徒たちにどのように受け止められているのか、知りたいと思った。

 2016年版と比べて、気になったことの一つに、2025年版の教育出版の3年生の教科書に、佐佐木幸綱「古典の歌、現代の歌」が見当たらなかったことである。そこには、正田篠枝(1910~1965)と竹山広(1920~2010)のそれぞれ広島と長崎の被爆者歌人の作品が掲載されていたのである。

・太き骨は先生ならむそのそばに小さきあたまの骨あつまれり(正田篠枝) 

・死屍いくつうち越こし見て瓦礫より立つ陽炎に入りてゆきたり(竹山広)

 正田の短歌は、今年の8月6日、広島の平和記念式典での挨拶の折、最後に引用されたことで、話題になった。1947年12月にGHQの検閲厳しい中、発行された私家版『さんげ』からの一首である。後、平凡社から出版された『耳鳴り 原爆歌人の手記)』(1962年11月)の中に収録された。1971年平和公園内の「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」に刻まれている。アメリカの核の傘の下、核保有国と持たない国との橋渡しをするとか、核兵器禁止条約締結国会議にオブザーバーとしての参加にも慎重な石破首相に引用された正田さんはあの世でどんな思いで聞いただろう。竹山さんの「核兵器廃絶を見ずわれは死なむその兆しさへ見るなくて死ぬ(『空の空』 )の悔しさも、若い人たちにはぜひ伝えたいものである。

 それにしても、「短歌甲子園」などの入選作などを見ていると、これまで見てきたような、収録数が多い歌人、収録が集中している短歌作品との乖離が大きく、もはや「古典」の部類になっているのではないか、と思ってしまう。そして、いまの短歌ブームを支えている世代のあまりにも細部の気づきだったり、ただただ難解だったり、性愛にこだわっていたりする短歌に出会うと、私は、戸惑ってしまうことも多い。自分が詠んできた短歌って何だったのだろうと、脱力感が大きい昨今である。

 



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2025年8月26日 (火)

今どきの中学生が出会う短歌~国語教科書に登場の歌人たち、その作品は(2)

光村図書出版『国語2』

 この教科書には、中学3年間で、古典の和歌、近・現代短歌への格別の配慮がみられる。詩については1年生で、短歌については2年生で、俳句と古典和歌について3年生でという学習指導要領に従い、基本的には各社共通ではあるが、光村の場合は、各年に、コラム「四季のたより」として、和歌・短歌や俳句などを掲載している。また、一年生の教科書にも「百人一首を味わう」として、20首を収録している。

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 2年生では、栗木京子の書下ろしエッセイの「短歌に親しむ」に以下の五首を掲載している。

・くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる(正岡子規)(学図・東書・三省堂・光村)⇒三省堂、教育出版、光村

・夏のかぜ山よりきたり三百の牧の若馬耳吹かれけり(与謝野晶子) ⇒光村*新

・死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞こゆる(斉藤茂吉)(学図・三省堂・教育)⇒光村*新

・鯨の世紀恐竜の世紀いづれにも戻れぬ地球の水仙の白(馬場あき子) ⇒光村*新

・蛇行する川には蛇行の理由あり急げばいいってもんじゃない(俵万智)⇒光村*新

  

 同じく栗木の「短歌を味わう」では、つぎの六首を鑑賞の対象としている。

・白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ(若山牧水)(東書・三省堂・教育・光村)⇒三省堂、光村

・不来方のお城の草に寝ころびて/空に吸はれし/十五の心(石川啄木)(東書・学図・三省堂・光村)⇒三省堂、教育出版*新、光村

・のぼり坂のペダル踏みつつ子は叫ぶ「まっすぐ?」、そうだ、どんどんのぼれ(佐佐木幸綱)(学図)⇒光村*新

・ぽぽぽぽと秋雲浮き子供らはどこか遠くに遊びに行けり(河野裕子)⇒光村*新

・観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生(栗木京子)(東書・学図・三省堂・教育・光村)⇒三省堂、教育出版、光村

・一本の道をゆくとき風は割れぼくの背中で元に戻った(木下龍也)⇒光村*新

  ここでは、中学校国語教科書のいわば定番の短歌と併せて、河野裕子と木下龍也の短歌が登場する。木下は、近年の短歌ブームの渦中にある若手であって、その評価には異論もあるが、栗木は、作品として定着したとみたのだろう。光村出版の編集は上記、栗木の「短歌に親しむ」「短歌を味わう」に見るように、その重用が顕著である。

 2年生の「広がる読書」には、近・現代短歌に関しては、以下をあげている。

栗木京子『短歌を楽しむ』岩波書店 1999年(12月)
栗木京子『短歌をつくろう』岩波書店 2010年(11月)
東直子『短歌の時間』春陽堂書店 2022年(3月)

 

 以下は「季節のしおり」に収録された近・現代短歌で、学年と季節を示す。このコーナーでは、俵万智を除いて、光村出版としては、これまでとっていなかった、伝統的な近代の歌人の短歌を意識的に収録したのかもしれない。

・なつかしき冬の朝かな。湯をのめば、湯気がやはらかに、顔にかかれり(石川啄木)<1年・冬> ⇒光村*新

・やはらかに柳あをめる 北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに(石川啄木)<2年・春>(教育)⇒ 光村*新

・清水へ祇園をよぎる桜月夜今宵逢ふ人みなうつくしき(与謝野晶子)<2年・春>⇒ 光村*新

・海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり(寺山修司)<2年・夏>(東書・光村)⇒光村

・葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり(釈迢空)<2年・秋>(三省堂)光村*新

・街をゆき子供の傍を通る時蜜柑の香せり冬がまた来る(木下利玄)<2年・冬>  ⇒ 光村*新

・「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ(俵万智)<2年・冬>(東書・三省堂・教育)⇒三省堂、光村*新

  

 さらに、3年生の教科書の巻末には、「郷土ゆかりの作家・作品」ということで、文学全般にわたって、北海道から沖縄県まで、都道府県ごとにリスト化している。近・現代短歌が採られている都道府県名を記した。こうしてみると、茂吉の「みちのくの・・・」を除いて、他社の教科書にない短歌を「郷土ゆかり」のいわば「ご当地短歌」として登場させていることに注目すべきだろう。

・みちのくの母のいのちを一目見ん一目みんとぞただにいそげる(斎藤茂吉)<山形県>(教育)⇒三省堂*新、教育出版、光村*新

・陸奥をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中に立つ(斎藤茂吉)<山形県> ⇒光村*新

・海恋し潮の遠鳴りかぞへては少女となりし父母の家(与謝野晶子)<大阪府>⇒光村*新

・ふるさとの和泉の山をきはやかに浮けし海より朝風ぞ吹く(与謝野晶子)<大阪府>⇒光村*新

・幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく(若山牧水)<宮崎県>光村*新

・ふるさとの尾鈴の山のかなしさよ秋もかすみのたなびきて居り(若山牧水)<宮崎県> ⇒光村*新 

 

 また、3年では、「君待つと」と題して、萬葉、古今、新古今からの名歌が収録され、さらに古典の名作としても古典和歌が取り上げられている。

 以上みたように、光村出版の中学校国語教科書は、和歌・短歌を全学年通じて、さまざまな工夫で、さまざまな個所で取り上げ、和歌・短歌への関心と理解を深めさせようとする意図が見えるのが特色と言えよう。

  つぎに、東京書籍の「新編新しい国語2」を検討したいが、参考のため、当ブログの過去記事と2016年版の概要一覧をご覧ください。

<参考>

中学校国語教科書の中の近代・現代短歌と短歌作品~しきりに回る「観覧車」(2011年11月30日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2011/11/post-de32.html

<中学校国語教科書における「近代・現代短歌」の概要(2016年度版)>
201576日作成 内野光子)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/tyuugakkkokokugoitiran.pdf

なお、遡っては、以下の記事と比較表もご覧ください。

中学校国語教科書の中の近代・現代短歌と短歌作品~しきりに回る「観覧車」(2011年11月30日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2011/11/post-de32.html

<中学校国語教科書平成18年度・24年度比較表>
http://dmituko.cocolog-nifty.com/hikakuhyou.pdf

(つづく)

20258

8月25日、ベランダに出ると小さな「朝の訪問者」、カメラを向けると顔を隠した雨蛙。昨夜の「夜の訪問者」ヤモリは、さすがに写真を撮る気にはならなかったが。

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2025年8月25日 (月)

今どきの中学生が出会う短歌~国語教科書に登場する歌人たち、その作品は(1)  

   2025年4月から中学校の教科書が新しくなった。2016年から採用の中学校の国語教科書、2年生で扱われる「近・現代の短歌」について調べたことがある。この10年間にもう一回の検定を挟むが、今回の検定で、どう変わっているのか、変わっていないのか、調べてみようと思う。十年前には、三省堂、東京書籍、教育出版、学校図書、光村出版の五社であったが、今回は学校図書が撤退して四社となった。学校図書は、親会社の数研出版の伝統もあって理系に重点を置きたかったのかなとも。

 三省堂『現代の国語2』

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 「第3章ものの味方・感性を養う」に登場するのが短歌で、俵万智「短歌の世界」という書下ろしのエッセイが冒頭に置かれている。ここでは、短歌は、伝統のある定型の詩形であること、短いこととリズムが特徴であり、自作と栗木の二首をあげ、いずれのも「恋の歌」と紹介されている。「心の揺れ」が作歌の第一歩とする2頁ほどの短い文章。 
 以下、短歌の作者名あとの(括弧内)は、2016年度版の収録教科書を示し、⇒三省堂教科書の収録の新旧を示す。調査対象教科書が初めて収録した短歌については緑のマーカーで示した。

・「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ(俵万智)(東書・三省堂・教育)⇒三省堂
・観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生(栗木京子)
(東書・学図・三省堂・教育・光村)⇒三省堂

     

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「短歌十首」
では

・くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる(正岡子規)(三省堂・学校図書・東京書籍・光村)⇒三省堂

・その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな(与謝野晶子) (三省堂)⇒三省堂

・みちのくの母のいのちを一目みん一目みんとぞたたにいそげる(斎藤茂吉)(教育出版)三省堂*新

・草わかば色鉛筆の赤き粉のちるがいとしく寝て削るなり(北原白秋) (東書・三省堂)⇒三省堂

・白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ(若山牧水)(東書・三省堂・教育・光村)⇒三省堂

・不来方のお城の草に寝ころびて/空に吸はれし/十五の心(石川啄木)(東書・学図・三省堂・光村)⇒三省堂

・列車にて遠く見ている向日葵は少年のふる帽子のごとし(寺山修司)(三省堂)⇒三省堂

・シャボンまみれの猫が逃げ出す午下り永遠なんてどこにもないさ(穂村弘)(三省堂)⇒三省堂

・空をゆく鳥の上には何がある 横断(ゼブラ)歩道(ゾーン)に立ち止まる夏(梅内美華子) 三省堂*新

・細胞のなかに奇妙な構造のあらわれにけり夜の顕微鏡(永田紅)(三省堂)⇒三省堂

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 2016年版と比べると、茂吉の「死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞こゆ
(学図・三省堂・教育)」が上記と入れ替わり、釈迢空「葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。この山道を行きし人あり」が除かれ、梅内の作品が新規に入ったことになる。俵「「寒いね」・・」と栗木「観覧車・・・」は俵のエッセイで触れているからか、「十首」には二人とも登場しない。今回新しく収録された歌人は、迢空と入れ替わった梅内のみで、これはかなり大胆な変更であったが、作品が替えられたのは茂吉だけという異動であって、全体的には、オーソドックスな人選と選歌がなされているのではないか。

 また、歌人の顔写真がモノクロとカラーの違いがあるのは、まさに世代の違いを表していて興味深い。「私の本棚広がる短歌の世界」として、以下の3冊が書影入りで紹介されている。参考のため、(  )で、初版発行年月を示した。

俵万智『あなたと読む恋の歌百首』朝日新聞社(1997年8月)
栗木京子『短歌をつくろう』岩波書店(2010年11月)
枡野浩一『ドラえもん短歌』小学館 (2005年9月)

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 巻末の「小さな図書館」42冊の中には、村上しいこ「歌うとは小さないのちのひろいあげ」(講談社 2015年5月)をあげ、短歌甲子園を目指す高校生の物語が紹介されている。
 なお、三年生で、俳句と古典和歌―萬葉集、古今集、新古今集を学ぶのは変わらない。


教育出版『伝え合う言葉中学国語2』

 短歌は、「第六章想像を広げる」に含まれる。穂村弘の書下ろしエッセイ「短歌の味わい」では、つぎの自作を含めた四首の鑑賞がなされている。斎藤史の登場はいささか唐突にも思えた。教師も生徒も、この一首の時代的背景を理解するのは、容易ではないかもしれない。

・白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ(若山牧水)(東書・三省堂・教育・光村)⇒三省堂、教育出版
・濁流だ濁流だと叫び流れゆく末は泥土か夜明けか知らぬ(斎藤史) ⇒教育*新
・観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生(栗木京子)(東書・学図・三省堂・教育・光村)⇒三省堂、教育出版
・春のプール夏のプール秋のプール冬のプールの星が降るなり(穂村弘) 教育出版*新

 「短歌十首」ではつぎの作品を挙げている。

・くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる(正岡子規)(三・学・東・光)⇒三省堂、教育出版

・ああ皐月(さつき)仏)蘭西(フランス)の野は火の色す君も雛罌粟(コクリコ)われも雛罌粟(コクリコ)(与謝野晶子) ⇒教育出版*新

・みちのくの母のいのちを一目見ん一目みんとぞたたにいそげる(斎藤茂吉)(教育)⇒三省堂*新、教育出版

・不来方のお城の草に寝ころびて/空に吸はれし/十五の心(石川啄木)(東書・学図・三省堂・光村)⇒三省堂、教育出版*新

・日本を脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも(塚本邦雄) 教育出版*新

・海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり(寺山修司)(東書・光村)⇒教育出版*新

・俺は帰るぞ俺の明日へ 黄金の疲れに眠る友よおやすみ(佐佐木幸綱)  ⇒教育出版*新

・自転車のカゴからわんとはみ出してなにか嬉しいセロリの葉っぱ(俵万智) ⇒教育出版*新

・おねがいねって渡されているこの鍵をわたしは失くしてしまう気がする(東直子) 教育出版*新

・もう二度とこんなに多くのダンボールを切ることはない最後の文化祭(小島なお) ⇒教育出版*新

  2016年版は、「近代の短歌」として晶子2首、茂吉3首、白秋1首、牧水1首、啄木2首、合計9首が収録されていたのが、「短歌十首」として、大幅に世代交代が行われ、新しく塚本邦雄、寺山修司、佐佐木幸綱、東直子、小島なおの短歌が採られ、その異動が顕著であった。
 作品としては、晶子の「なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな」「小百合さく小草がなかに君まてば野末にほひ虹あらはれぬ」が上記の1首に。
 啄木は「やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに」「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」の2首に替わって「不来方・・・」が入り、俵は「『寒いね』・・・」に替わって、上記の作品が採られている。

 穂村のエッセイに登場する4人の短歌は、ここには入っていない。

 なお、穂村はもう一本「少しだけ変えてみる」というエッセイで、啄木の「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」などを例に、一文字、一語変えるだけで、一首の世界が変わり、広がることを説いている。

 各章ごとに「広がる本の世界」という読書案内が付されているが、第六章では以下が紹介されている。
小島なお・千葉聡「短歌部、ただいま部員募集中!」(岩波書店2022年4月)

 コラムの「四季のたより」では、古典和歌一首と俳句が掲載されている。また、三年生になると、俳句と古典和歌の単元があり、萬葉集、古今集、新古今集を学ぶようになっている。さらに評論として、穂村弘「青春の歌―無名性の光」が登場する。
 教育出版は、穂村の重用が目立つほか、若手歌人の起用が顕著であることもわかる。ちなみに、私が住む佐倉市は、この国語教科書を採用して久しい。

 なお、巻頭に掲げられた詩は、二社ともに、新川和江の「名づけられた葉」であった。
(つづく)

 

 

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2025年8月15日 (金)

戦後80年、私の8月15日 八首

『現代短歌新聞』に5首、『うた新聞』に3首寄稿いたしました。わずかな記憶も忘れないうちにという思いです。

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「オキナワ」という名のさつまいも(5首)              

疎開地の馬市場跡に居を得れば馬柵(ませ)というもの焚き木となりて

容赦なく変電所にも突き刺さる焼夷弾を見たり父にすがりて

共同の井戸より母は戻り来て「負けたんだって」とバケツを放つ

ふとんには青大将の落ち来たる敗戦の夜は兄たち黙しぬ

「やっとこさ」手に入れたると「オキナワ」を父は掲げて土を払いぬ 

五歳の夏 (3首)                 

兵士らは馬上の一人に従いて馬市場跡に列をなしゆく

行進の靴音止みて号令のあとの晩夏の闇は深まる

農婦らに哀れまれたか収穫後の畝に残れるニンジン拾う

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2025年8月 6日 (水)

「コメ クエ コメ クエ」の稲文字を偲ぶ~減反政策に一貫して反対し続けた人

   私たち家族が千葉県佐倉市のニュータウンの一角に転居してきたのは、1988年秋であった。家が建つまで、田んぼをまたぐ橋の上から見えた稲文字「コメ クエ コメ クエ」がめずらしく、見おろしながら渡っていた。「田んぼアート」などが流行る前のことだ。そして、翌年には、「コメハ ニホンノココロ」に変わった。そして、毎年、変わる稲文字を見るのが楽しみになった。いったいどんな人が、こんな手の込んだ方法で、政府の減反政策反対の意思表示をしているのかと思っていたが、10年ほどの後、その作成者に会うことができた。1998年末、地域の主婦たち4人で始めたミニコミ誌『すてきなあなたへ』の取材でお話を聞くことになったのである。四半世紀前のことにもなる。

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 こんなことを思い出したのも、きのう8月5日、石破総理、小泉農水相は、半世紀以上も続けてきた「減反政策」を見直し、コメの増産に踏みるとの発言があったからである。見直しの対策として、耕作放棄地の活用、農業経営の大規模化、農地の集約・大区画化などと一口に言っても、農業人口が激減している中、容易なことではない。農業従事者の高齢化、兼業農家対策として、すでに法人化などが進められているようだが、課題は多い。
 減反政策は、1960年代、コメの生産過剰を抑制、コメの価格調整のために、1970年から2018年まで続いた。現在も農水省が生産量目安を発表したり、主食用米からの転作費補助金を出したりして、実施的な減反政策がとられていたところに、今回のコメ不足、価格の高騰という「米騒動」に至ったわけである。

  稲文字の作成者石川昭次さんは、周辺の宅地造成が進み、残された50軒ほどの集落の中にある代々続く農家だった。集落の中には、開発業者に田畑を売って立派な家を建てたり、コメを作らなくなったり、農業をやめたりした人もいるそうだ。このあたりの田んぼは大雨のたびに水没していたが、印旛沼の開拓をした吉植庄亮が利根川と印旛沼の間の安食(印旛郡栄町)に関門を作ったことで水害はなくなったという。歌人吉植庄亮の名前が飛び出し、この地にも関係があることを知った。そして、「農家というのは田や畑があってのことなので、時代に流されず、目前のことに惑わされず地道に続けるのが一番」と語っていた。1993年の「米騒動」については、決して単純なコメ不足ではなく、農家がため込んでいたわけではない」とも語り、1994年からは稲文字をやめて、普通の田んぼに戻したという。

 この稲文字は、週刊誌やテレビにも登場していたそうだ。稲作のほか無農薬野菜にも挑戦、研究を続け、居間の本棚には、農業関係の本だけではなく、『世界』や『中央公論』が並んでいて、インタービューの後も『朝日新聞』の「声」欄にときどき登場するのを見かけたことがある、筆も立つ人である。
 その数年後、石川さんから電話をいただき、びっくりしたことがある。「オレのことが農業新聞に載っている」というのだ。はじめは何のことか分らなかったが、『日本農業新聞』の草野比佐男さんのコラムに、石川さんの稲文字を詠んだ拙作が載っていたのである。草野さんとは何のご縁で知り合ったのか、いまは思い出せないのだが、私の30数年ぶりの第二歌集『野の記憶』(2004年6月)をお送りしていたことはたしかであった。

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 石川さんには、いつもミニコミ誌を真っ先にお届けしていたが、農作業でお留守の時も多かった。お会いできたときは、長話になったり、お土産に野菜をいただいたりしたのも懐かしい思い出である。私たちのミニコミ誌も終刊し、石川さんの訃報は、しばらくたってから、お聞ききした。

石川さん!、減反政策はようやく見直されますよ!?

 

 

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2025年5月25日 (日)

短歌の世界でも、「皇室」利用がまかり通る?

  もはや斜陽の週刊誌が、ここぞと攻勢をかけているのが、著名人のスキャンダルと高齢者向けの健康志向・相続対策ネタと並ぶ「皇室ネタ」ではないか。

 私が、永らく「下手の横好き」でかかわってきた「短歌」に限ってみても、最近は、いわゆる「お硬い」岩波書店が美智子前皇后の歌集『ゆふすげ』(2025年1月)を出版した。『ゆふすげ』は、歌会始選者で、御用掛でもある永田和宏のぜひにと強い勧めで出版に至ったという、未発表歌集である。また、永田和宏による『人生後半にこそ読みたい秀歌』(朝日新聞出版 2025年4月)は、下記の広告のように「皇室和歌相談役で美智子さまの歌集『ゆふすげ』の解説者による、中高年の日々を楽しく生きるヒント集」との宣伝文句が添えられていた。

2025521
2025年5月21日「朝日新聞」広告より

2025522
2025年5月22日「週刊文春」より

ご参考までに

当ブログの過去記事

・岩波、お前もか~美智子前皇后の新刊歌集出版をめぐって(2025年1月23日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2025/01/post-93b30d.html

・「美智子皇后の短歌」について書きました。(2024年12月 7日 )

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2025年5月18日 (日)

高良真実『はじめての近現代短歌史』読後~“若い人”の「短歌史」へ

 遅ればせながら、高良真実『はじめての近現代短歌史』(草思社 2024年12月)を読んでみた。これまでときどき見かけた書評や感想では大方、好評であったように思う。明治以降の作品を中心とした、その解釈や時代背景もわかるハンディな「近現代短歌史」として評価され、巻末の「参考文献一覧」の量にも圧倒されたようであった。

 私が驚いたのだが、著者が1997年生まれというから二十代後半ながら、近現代の短歌通史を書こうと思い立ったことだった。著者が「本書は、これまで多大な気力と体力とお金を学んでいくものであった短歌史を、できるだけわかりやすく、簡潔に伝えることを目的としています」(「はじめに」)と述べ、かなり気合が入っていることは確かである。

 これまでの短歌史が、男性歌人による、男性歌人が中心の、評論や論争に偏りがちな通史であったことなどを考え合わせれば、たしかに、若い女性歌人を書き手とする女性歌人・作品が多く語られる短歌史であったのは間違いない。また、「短歌史は秀歌の歴史である」に見るような割り切りのよさは、随所に迷いのない文章となって、明快さを際立たせている。著者は、作品を抄出するのに、全集や選集、あるいはアンソロジーなどからではなく、歌集を典拠にしていることも伺える。そして、今世紀に入ってから活躍し始めた若い歌人たちを対象にしている点も、これまでにはない特徴である

 ここからが、私の“注文の多い”読後感になる。

時代区分において元号と西暦が混在するのはなぜか

「第一部 作品でさかのぼる短歌史」では、一九〇〇年代から二〇二一年以降の120年余の間を十年刻みで、各年代に数首をあげて鑑賞している。十年刻みにどんな意味があるのかは不明だが、多分便宜的なものかもしれない。二〇二〇年代からさかのぼるという試みも一興である。まず直面する今世紀の若い世代の歌人の作品には、「ほう」といった驚きもあり、興味深い作品もあった。
 ところが、「第二部トピックで読み解く短歌史」になると、「明治時代の短歌/大正時代の短歌/昭和の短歌1(~昭和二〇年)/昭和の短歌2(昭和二〇~三〇年代)/昭和の短歌3(昭和四〇年代以降)/九〇年~ゼロ年代の短歌/テン年代以降の短歌」の七章に分けられる。「テン年代」?最初はなんのことかわからなかったのだが、二〇一〇年代を表すらしい。 
 近代以降の短歌史の時代区分について、ここでは詳しく述べないが、小泉苳三の『近代短歌史・明治篇』の区分の流れを汲んだ木俣修、篠弘の幾冊かの短歌通史では、
元号を用いて、明治、大正、昭和の区分がなされている(拙著「近代短歌史の時代区分」『短歌と天皇制』風媒社1988年10月)。中井英夫『黒衣の短歌史』でも1945年8月敗戦以降の短い期間ながら、昭和の年代を用いている。しかし、1997年生まれの著者が、「平成」「令和」の時代区分を用いることがなかったのは当然のことながら、なぜ「昭和」にこだわっているのかが不思議にも思われた。今の若い人たちに、昭和何年といっても、今から何年前のことかが、すぐには「計算」できないのではないか。
 かつて、私が篠弘の『対論形式による現代短歌史の争点』(短歌研究社 1998年12月)の企画に参加した折、篠弘の『現代短歌史Ⅰ~Ⅲ』の中で、西暦と元号表記が混在することは、今後の若い世代には、わかりにくく、読者に混乱を招くのではないかと指摘したことがあった。上記『争点』の「はしがき」において「当初の対論者の一人である内野光子氏のサゼッションより昭和の年号をやめ、原則として西暦を使用した。年号のイメージが有効であったのは昭和四〇年ごろまでであって、たしかに本書のこれからの読者には西暦がふさわしい」と書かれてから、四半世紀も経っている。

 いまだに、公文書は原則元号表記だし、若い人からの年賀状で「令和」表記であったりして戸惑うこともあるのも事実ではある。 本書の著者には、短歌史を西暦で整理してもらいたかった。 

・女性歌人・作品の扱われ方について

冒頭にも書いたように、たしかに、本書は、女性歌人・作品が多く語られる短歌史であったが、「第二章大正時代の短歌」における「女性歌人はどこへ行ったのか」、「第四章昭和の短歌2(昭和二〇~三〇年代)における「女人短歌・女歌論」「戦後の女性短歌」、「第五章昭和の短歌3(昭和四〇年代以降)」において「七〇年代の『女歌』論リバイバル」「八〇年代女性シンポジウムの時代」という枠内で語られている。こうした扱い方は、篠『現代短歌史』三部作における女性歌人や作品の扱い方を踏襲しているのではないかと思われるのだ。同書も、各章の一節として「女歌」をまとめ、さまざまな章の一部に中城ふみ子をはじめ女性著名歌人の作品が紹介されるという構成であった。

・「見えなくされていた」のは女性歌人や作品ばかりではなかったのではないか

 女性歌人や作品に多くのページを割いているというが、明治・大正・昭和前期、本書での「第二部トピックで読み解く短歌史」の「第二章大正時代の短歌」の中で、やや自虐的に「女性歌人はどこへ行ったのか」と題した第五節で、与謝野晶子、今井邦子、若山喜志子、片山廣子が初めて登場するが、女性には性別のイメージが張り付いていて、その存在を「見えなくされていた」という。この間のプロレタリア短歌時代の五島、山田あき、館山一子、あるいは無産運動の中で、短歌や評論も残している阿部静枝がおり、戦後は、各人異なる道を歩んだことなどにも言及が欲しかった。『新風十人』に参加していた五島美代子と斎藤史に触れるのみであった。
「見えなくされていた」のは、女性歌人ばかりでなく、治安維持法などによる言論弾圧、戦争協力を強制された日本文学報国会、植民地における皇民化教育の一環としての日本語教育やそこの登場する短歌なども、あえて見えにくくする体制側の工夫があった。戦後に書かれた短歌史こそ、そこに陽をあてるべきだったのに、見えにくかった部分は、どんどん薄められ、歌人たちの回顧でもまるで「なかったこと」のように語り継がれて、フェイドアウトしてゆくことを、著者は知らないわけではないだろう。敗戦後の米軍による占領期における、それこそ「見えなくされた」言論統制においても同様のことが言えるが、占領期の歌人の対応は素通りされている。

・なぜ「男性中心の歴史をなぞる結果」になったのか

 著者が「おわりに」で、述べるように「エリート歌人の作品を引き、かつ男性中心の歴史をなぞる結果」になったのだろうか。 近現代の短歌を支えてきた、いわば、短歌の裾野の人々への目配りが見えにくかった。たとえば、短歌総合誌に登場する「エリート歌人」ではない多くの読者、新聞歌壇の選者と読者、減少したとは言え多くの結社を支えてきた編集者や同人、現代歌人協会・日本歌人クラブによる活動と「国民文化祭」、歌壇における「歌会始」の果たす役割などにも目を向けるべきではなかったか。そういう意味では、1970年代半ば、「昭和五十年」というくくりではあったものの、講談社による『昭和萬葉集』の刊行は、短歌の裾野の人々の「秀歌」を掬い上げ、短歌自体の持つ「記録性」の重要性を再認識させたはずである。「トピック」からも外されているようで、残念なことの一つであった。

 いまは、もうこの辺で。
 短歌史に取り組んだ著者の意欲には、敬意しかない。資料の探索も丁寧ではある。「短歌史」という「読み物」としては、面倒なこともなく読みやすかった。「第六章九〇年代~ゼロ世代の短歌」「第七章テン年代以降の短歌」では、初めて知ることも多く、これまでモヤモヤしていたことが整理されたこともあった。欲張らずに、今世紀以降にかぎっての、著者にとっては同時代の「短歌史」をぜひまとめて欲しいと思った。さらに、「短歌史」となれば、「参考文献一覧」ではなく、文中に「注」として典拠を示すのが大事なのではないか。

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イロハモミジの翼のような若葉は、やがて種子を運ぶという。花も咲くというが、まだ見えていない。ベランダから。

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隣接の「さくら庭園」には、様々な樹木に接することができる。手入れされた芝生も心地よいが、松の木の根方に揺れるブタクサもヒメジヨもかわいらしい

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2025年5月 9日 (金)

“若い人”の歌集から~戸惑いながら刺激を受ける

 私のような高齢者に、ときどき、若い人の歌集が舞い込んだりする。「若い」といっても歌集をお送りくださる方たちの大方は私より若いわけなのだが、子ども世代、孫世代にもあたる人たちの歌集には、戸惑うことも多いが、刺激を受けることもある。私は歌集を評するというのは苦手で、つい突っ込みたくなる。世代の違いを忘れて、それって違うだろう、どこか疲れてしまう、みたいなことになりがちで、その作品の良い点というのがなかなか見いだせない、読みの弱さがある。しかし、素直にいい歌だなあ、こんなこともあるんだ、ここまでは気付かなかった、私にもよくある「あるある」といった、広い意味の「共感」を見出すことは楽しい。著者の意図とは大きく外れたとしても。

山中千瀬『死なない猫を継ぐ』(典々堂 2025年1月)

「あ」を補う赤字を入れる「たたかい」と「家庭」きらきら並ぶ紙面に

相似形の影を踏み合いこれからもあたしたちひとりひとりがひとり

あたたかいほうがコピーだからちゃんと冷たいほうの原紙に印を 

屋良健一郎『KOZA』(ながらみ書房 2025年3月)

戦没者追悼式の壇に立つ首相に向かう百のケータイ

閉館の曲の流るる図書館の外に雪後の雨降りており
(二〇二三年年六月、普天間フライトラインフェア)
オスプレイの前に顔出しパネルありて沖縄人が次々顔出す

嵯峨直樹『TOWER』(現代短歌社 2025年4月) 

辛辣な言葉を放ちあいながら小さな影はかけ橋わたる

テーブルのクリアファイルに陽は当たり細く鋭い傷あと光る

ゆうやみに銀のてかりをまといつつ高架を走る通勤電車

小林理央『金魚すくいのように』(角川書店 2025年4月)

出張で読める地名が増えてゆくことに楽しみを見出す始末

図書館の机に伏せて寝るようなノスタルジーを抱えて歩く

不意打ちの真夏の雹は池袋の街ごとわたしをかきまぜてった

 小林さんは1999年生まれ、「物語の中から自分をゆっくりと引っ張りあげてしおりをはさむ」なんて、硬い本を読んでいても、いまの私と変わらないじゃないかと、若返った気にもなる。

 

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桜並木は雨上がりの新緑の散策路になった。右手が施設の1号棟。

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隣接のさくら庭園から堀田邸を望む。手前の木には、大きなカタツムリが。5月10日撮影

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2025年3月 3日 (月)

「新聞歌壇」の選者ということ~馬場あき子の退任をめぐって

 2月25日の朝日新聞は、馬場あき子が47年間務めた「朝日歌壇」の選者を退任すると報じた。半世紀近くも選者であったことに改めて驚いた。97歳、「元気なうちに幕を」と3月をもって引退を決めたとも記事にはあった。そして後任は4月から川野里子が務めることになったとも。

 さまざまな組織で、同じ場所に長期間留まることは、デメリットの方が大きいというのは、もはや自明のことと言ってもいいだろう。今回の選者退任は、記事によれば、本人の意志だったようである。昨今の歌壇の様相では、若手の活躍もめざましいので、朝日新聞側の意向も影響したかもしれない。本人が言い出さない限り、首に鈴をつけるのは難しいのが常である。「朝日歌壇」は共選制をとるとはいえ、一人の選者が半世紀近くも留まることは、「歌壇」にも少なからず影響を及ぼしたのではないか。

 そして、いま一つ、私が注目したのは、後任の川野里子は、馬場あき子が立ち上げた「かりん」という結社の有力歌人であったことである。残念ながら、「やっぱり」という思いが強かった。

 馬場さん、もう少し度量のある人かな、と思ったが、やはり自らの結社からの後任を条件にしたのではないか。川野さんの作品も評論も歌壇での評価は揺るがないものである。私も、その評論については、格別の敬意をもって読み、多くの示唆を受けている。 

 もはや、「結社」などどうでもいいじゃないかの声も聴くが、現在の「歌壇」で持つ意味は小さいとは言えない。地方版の歌壇選者にも、後任は同じ結社の人だったりするのを目の当たりにする。

 もう一つ、気になるのは、新聞歌壇選者は、一つのステイタスになっていて、なかなかやめようとしない。そうすると、とくに投稿の常連さんと選者の間に、家族を見守るような関係ができて、私情が入り、歌壇欄の私物化につながってしまうことがあるからである。

 最近、私は妙な電話をもらった。当ブログ上で、某新聞歌壇の某選者のある件で批判を書いたことがある。だいぶ前の記事だった。その当人からの電話で、ブログの記事によって、私の名誉は傷つけられたが、それをいまさら訴えたりする気はない。ただ、私の話も聴いてから書いて欲しかったという趣旨だった。この選者の件の事案について、新聞社も歌壇も動いてはいない。歌壇に文春砲はない。

 もう十年以上も前になるだろうか、やはり、ある歌人、新聞歌壇の選者も務めている人から、似たような電話をもらった。私の著書での批判によって、私の弟子が何人も去っていった? 名誉棄損で訴えたいが準備はできているか、というものだった。戸惑った私は、私の著書のどの部分が名誉棄損に当たるのかを尋ねると、いま、ネット上で、あなたの著書を読んで、私の批判をしている人がいる。私は生きている人間なのだから、あなたは、なぜ私の話を聞きに来なかったのかとも。件の拙著はこれから入手するつもりだとも言っていたが、その後なんの音沙汰もない。

 二人に共通するのは、名誉棄損、裁判、そして、批判するなら、直接本人の話を聴け、というものであった。私は、常々客観的な資料の裏付けを求めながら執筆しているつもりである。存命の人の批判をするには、本人に話を聞かねばならないのか。もし反論があるのならば、メディアや自著で明らかにすべきであろう。歌壇が無風なのは、こんなところに要因があるのかもしれない。

 私のわずかな体験ながら「インタビュー記事や自叙伝ほどあてにならないものはない?!」という場合があるということも学習した次第である。

 話はそれた?かもしれないが、ご容赦を。

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春はもうそこまで。3月2日、4月並みの気温だったが、ベランダ前の枝垂れ桜の支柱工事が朝早くから始まった。半日以上かけての工事であった。

 

 

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2025年2月18日 (火)

「岩波の本は、返品できないんですよ、いいですね」~歌集『ゆふすげ』をめぐって

 転居先に出入りの本屋さんからの確認の電話だった。やはり、読んでおかねばと、注文した『ゆふすげ』(美智子著 岩波書店 2025年1月)の件である。著者「美智子」は、平成期の美智子皇后、美智子前皇后のこと。苗字のない著者というのも不思議な気もするが、苗字を持たない人たち、皇族たちがいることをあらためて思い知るのだった。

 「重版を待つので、少し遅れます」と本屋さんは言っていたが、意外と早く届いた。「昭和、平成の未発表歌四六六首」を収録、「昭和四十三年」(1968年)から「平成三十一年」(2019年)までの歌を暦年順に、年ごとに一首から十数首を収めている。一首もない年もある。

 これまで、美智子前皇后の歌集の代表的なものに以下がある。しかし、いずれの歌集の奥付にも、著者の名はなかった。

『ともしび 皇太子同妃両殿下御歌集』 宮内庁東宮職編 婦人画報社 1981年12月

『瀬音 皇后陛下御歌集』 企画・編集・刊行大東出版社 1987年4月(1959年~1996年作 367首 未公開191首)

  『ともしび』と『瀬音』とは重なる作があり『瀬音」と今回の『ゆふすげ』とは年代的には一部重なるが、これまでの未発表作が収録されている。また、平成期の歌は、『道』という十年ごとに刊行された明仁天皇の記録集(宮内庁編 NHK出版)の各最終章「陛下のお側にあって」のなかの「御歌(みうた)」に収められている。そこには、毎年一月一日のメディア向けに発表される三首と歌会始に発表された一首を加えて四首が、宮内庁の解説?つきで収められていた。ちなみに、元旦の新聞に載るのは皇后三首、天皇が五首と決まっていたし、『道』においては上記のように皇后は年に四首、天皇は年に十首前後と、その差は著しい。その差を埋めるべく、皇后本人の意もあって、単独の歌集が刊行される運びとなったのではと推測される。

これまで発表されてきた歌は、とくに『道』には、あくまでも「公的行事」――法的根拠がない――としてなされていた植樹祭、国民体育大会、豊かな海づくり大会のほか被災地、戦跡、訪問、福祉施設訪問などで詠んだ歌が主であったが、『瀬音』と『ゆふすげ』には、たしかにプライベートな歌が多い。明仁天皇を詠み、明治天皇、昭和天皇、香淳皇后など皇族たちへの追悼歌が散見するのは当然として、自らの父母への哀惜、自らの師や友人たちの追悼歌も多い。中でも、私が注目したのは、短歌に係る者として、美智子前皇后の歌がどのようにして形成されていったかの関心から、その指導者であった歌人五島美代子、佐藤佐太郎、佐藤志満への追悼歌であった。

 たとえば、『瀬音』の「昭和六十二年」には「佐藤佐太郎先生をいたみて」と題した三首の中につぎの歌がある。

・もの視(み)つつものを写せよと宜(の)りまししかの日のみ目を偲びてやまず

 また、『ゆふすげ』の「昭和六十二年」に「忍ぶ草 佐藤佐太郎先生をいたみて」と題した三首に中の一首である。

・みよはひを重ねましつつ弥増(いやま)せる慈(いつく)しみもて教へ給ひぬ

「平成二十一年」には「佐藤志満先生追悼三首」と題した中につぎの一首がある。

・「わが親族(うから)ゆめ誹(そし)らず」とかの大人(うし)の讃へし妻にありませし君

 佐藤夫妻への敬意と信頼をうかがわせる歌である。

  また、「お妃教育」における、五島美代子が担当した「和歌」は、週1回の2時間10回の日程であったという(『入江相政日記三』261頁)。五島美代子のエッセイによれば、開講に先立って、三つの目標、本当の気持ちをありのままに詠む、毎日古今の名歌を一首暗唱する、一日一首を百日間作り続ける、という約束を交わし、美智子前皇后はそのすべてをクリアしたという(『花時計』321~325頁)。彼女の歌には、文学的な才能や知性ばかりでなく、その努力も伺わせるエピソードである。 

   つぎに着目したのが、夫である明仁天皇を詠んだ歌であった。歌詠みにとって、濃淡はあるものの、「相聞」は、基本的なテーマでもある。憲法上特別な地位にある夫婦ではあるが、美智子前皇后は、最上級の敬語を使ってつぎのような歌を詠み続けるのだが、違和感を覚えざるを得なかった。夫婦の実態は知り得ないが、私などの世代でもそう思うのだから、若い人たちは、どう思うのか、聞いてみたい。

・高原に初めて君にまみえしは夏にて赤きささげ咲きゐし(「高原」と題して「平成四年」)

・初(うひ)にして君にまみえし高原(たかはら)にハナササゲは赤く咲きてゐたりし(「平成二十九年」)

 繰り返される最初の出会いの緊張感と胸ふたがれる思いが「赤いささげ」の花に託されているように、私には読める。

・大君に捧ぐと君は北風の中に楓の枝を手折(たお)らす(北風」と題して「昭和六十三年」)

 これは、昭和晩年の大君、昭和天皇と「君」との関係をうかがわせる。

・御列は夕映えの中ありなむか光おだやかに身に添ふ覚ゆ(「平成二年」「光」と題して。「御即位に伴ふ祝賀御列の儀」の註)

 即位後の安堵感が見て取れるが、彼女は、代替わりの諸々の儀式を乗り越えるにあたって何を思ったのだろうか。

・日輪は今日よみがへり大君のみ生まれの朝再びめぐる(「平成六年」「天皇陛下御還暦奉祝歌」と題して)
・君の揺らす灯(ともし)の動きさながらに人びとの持つ提灯揺るる(「平成十三年」「灯」と題して)

 「日輪」の歌には、いささかその大仰さに驚いたが、彼女は承知の上でのパフォーマンスにも思えるのだった。「灯」の歌も、行幸啓の先々での提灯による歓迎の模様を詠んでいる。提灯や日の丸の小旗は、地元の奉迎・奉祝の実行委員会のような組織や「日本会議」、神社庁などが配布する場合が多い。提灯を揺らしていたのは、いわば物見高い人たちや動員に近い形で集まった人たちだったのではないか。天皇と国民との交歓風景の演出だったり、創出であったりのようにも思える。。

・清(すが)やかに一筋の道歩み給ふ君のみ陰にありし四十年(よそとせ)(「平成十二年」「道」と題して)

 「君のみ陰に」「陛下のお側にあって」という表現が、天皇と皇后の関係を端的に示しているとしたら、これを認めてしまったら、憲法上象徴たる天皇、天皇家には男女平等がないことになりはしまいか。野暮なことをと言われそうだが、天皇、天皇家を、日本国憲法の「番外地」にしてはならない。

 なお、2月5日のNHK「歌人 美智子さま こころの旅路」の影響もあったのだろう、『ゆふすげ』は、共同通信によれば、10万部を超えるベストセラーになっているそうだ(「美智子さま歌集が10万部超 1月の刊行から大反響」2024年2月14日)。NHKの番組は、美智子前皇后の歌の紹介などを歌人永田和宏が行い、ゆかりのある人たちのインタビューなどにより構成されていた。もちろん、誰もが敬語を使って、その人柄や歌について語っていた。朝ドラに出演していた若い女優の語りとイメージ映像は、あまりにも情緒的であって、むしろわずらわしく思えたのだが。そういえば、2月16日の「朝日歌壇」の永田和宏選に、つぎのような一首があった。永田さんは『ゆふすげ』の解説者でもあったのである。これって、少しやり過ぎじゃないかしら?

・行きつけの小さな本屋に注文し重版待ちいる歌集『ゆふすげ』(埼玉県) 中里史子(2月16日)

また、一週間後に永田選でつぎの歌が掲載されていた。やっぱりこれって、投稿歌壇の私物化と言ってもいいのでは?

・カバーより透けて見えにしゆうすげは清らに咲きて歌集の扉(水戸市)佐藤ひろみ(2月23日)

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