2017年5月 3日 (水)

憲法改正「2020年に施行したい」 首相がメッセージ~なんと、先ほど入ってきたニュースは

憲法記念日のきょうの午後、日本会議が主導する「美しい日本の憲法をつくる国民の会」などによる「第19回公開憲法フォーラム」の改憲集会で、安倍首相は、2020年には、「憲法9条に、自衛隊を明記する条文を書き込む」改正を行い、オリンピックの年を、日本が生まれ変わる年にしたい」とのビデオメッセージを寄せたという。当ブログの前の記事で、安倍政権は、最初は、憲法9条を持ち出さずに、憲法改正を目論んでいると思っていたが、それは、やや見込み違いであった。9条の1項・2項を残して、自衛隊を明記するという。「私たちの世代の内に、自衛隊の存在を憲法上にしっかりと位置づけ、自衛隊が違憲かもしれないなどの議論が生まれる余地をなくすべきである」と述べている。メッセージで「今日、災害救助を含め、命懸けで、24時間、365日、領土、領海、領空、日本人の命を守り抜く、その任務を果たしている自衛隊の姿」とも称揚する「自衛隊」は、「専守防衛」どころか、「駆けつけ警護」、できればひそかに実施したかった「米艦防護」など、「警護」「防護」の名のもとに自衛隊の軍事活動、装備は、拡大する一方である。日米安保条約、日米地位協定、安保関連法が、それらを正当化、拡充してきた。近隣諸国との緊張関係をいたずらにあおるような昨今の安倍政権の拙劣な外交政策や情報操作は目に余る。私たちは、日本が自ら軍事強化へと進もうとする現実をしっかりと見つめ、何とか歯止めを思っている時期に、なんということを。

| | コメント (0)

2017年3月30日 (木)

二つのドキュメンタリーを見た、アウシュビッツと沖縄と(1)

「ただ涙を流すのではなく“分断する世界”とアウシュビッツ」(NHK-BS1226日)

旧聞に属するが、226日、国会や報道では、森友学園問題で大揺れであったが、夜は、NHK-BS1スペシャル「ただ涙を流すのではなく“分断する世界”とアウシュビッツ」を見ていた。番組予告では、「100万人を超えるユダヤ人が虐殺されたアウシュビッツ強制収容所。その悲劇を伝え続けているのが、世界各国出身のガイドたちだ。今、ガイドたちは、大きな危機感を抱いている。移民や難民をめぐり広がる排斥の声。世界が分断を深める中で、自分たちは何を伝えるべきなのか。ただひとりの日本人ガイド・中谷剛さんも語るべき言葉に悩んでいる。揺れるアウシュビッツのひと冬を追った。」とあった。

Dscn0933
 NHK-BS1、2017年226日午後8時~

Photo
 NHK番組紹介ホームページより

Photo_2
構内の収容所バラックのすぐ近くに、収容所長の住宅があり、家族とともに住んでいた。そこには平安な日常生活が営まれていたのだろう。私たちが見学した折は気づかなかった。NHK番組紹介ホームページより

2010年5月、私たち夫婦は、ポーランドのクラクフに2泊した折、アウシュビッツビルケナウ強制収容所見学のバスツアーに参加した。雨の朝、ホテルを出て、あちこちで道路工事の真っ只中の街に迷いながら、バスの発つマテイコ広場までたどり着くのに苦労した。ともかく、「英語コース」のバスに乗り、現地でも英語のガイドによる案内で、心細い思いをした。ただ一人の日本人ガイド、中谷剛さんとの縁はなかったけれども、この番組は逃してはならないと思った。

中谷さんは、1966年生まれ、1991年からポーランドに住み、猛烈な勉強をして、1997年アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所博物館の公式ガイドの資格をとり、ポーランドの女性と結婚されて、今もガイドの仕事を続けている。

日本から来た若い見学者のグループを伴い収容所構内や幾つもの展示室を案内するとき、ドイツナチス時代に、なぜこうした民族差別による大虐殺がなされたのかを、言葉を選びながら説明し、見学者が自ら考えるように、という思いを伝える。中谷さんは、偉そうには解説はできないと、丁寧で慎重な姿勢を崩さず、見学者に接しているようだった。同時に、ポーランド人、ドイツ人のガイドたちの悩みも語られてゆく。決して声高ではないけれど、力強く訴えるものがあった。ただ、ドイツ国民が、なぜナチスに雪崩れ打って、ここまでの虐殺がなされ得たのか、と、そこでなされた残虐の限りの実態を、そのファクトを検証する場でもある、アウシュビッツで起きたことをもっとストレートに語ってもよかったかと思った。

 私のわずかな経験からも、目の前に示される歴史上のファクトには、筆舌を超えるものがあり、それを次代に継承すること自体が、過去への反省と責任を伴って初めて成り立つことだと思えたからである。加害国のドイツ国内においてもかつての強制収容所跡を残し、ベルリンの中心部、国会議事堂直近の場所に、ホロコーストの碑を建設、様々な歴史博物館において国家としての反省の意思を示したドイツを思う。それに比べて、「自虐史観」と称して歴史教科書において、日本の侵略戦争の事実を少しでも薄めたい政府、民間人の集団自決に軍の関与がなかったような、曖昧な展示しかできない国立博物館、原発事故の原因究明がなされないまま、被災者切り捨て、原発再稼働を進める政府、教育勅語礼賛の安倍首相夫妻・・・を思うと、その格差に愕然とする。話はどこまでも拡散してしまうのだが、以下の、かつての旅行の記事も参照していただければ幸いである。

Dscn0935
展示室より

<当ブログ参考記事>

◇ポーランド、ウィーンの旅(2)古都クラクフとアウシュビッツ

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2010/05/post-f56e.html

2010531 ()

◇ドイツ、三都市の現代史に触れて~フランクフルト・ライプチッヒ・ベルリン~2014.10.20289)(ザクセンハウゼン強制収容所ほか)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2014/11/20141020289-91f.html

20141117 ()

 

| | コメント (0)

2017年3月14日 (火)

今年の「建国記念日」は、甲府へ〰石橋湛山記念館、山梨県立文学館と美術館と(1)

 やや旧聞に属するが、211日午後、夫が甲府での集会で話をするというので、ついていくことにした。一泊して、久しぶりに山梨県立文学館と美術館を訪ねようという計画もまとまった。

 

石橋湛山記念館

家を出るときも寒かったが、八王子を過ぎたあたりから、沿線の斜面や林に少し雪が残り、笹子トンネルを抜けるとブドウ棚がびっしりと続いていた。甲府駅には、今日の集会「歴史に学び平和を考える・211山梨県民集会」実行委員会のお世話役の浅川保さんが迎えてくださった。浅川さんは、高校の先生の在職中から甲府一高出身の石橋湛山研究に打ち込むと同時に、地元の平和運動の活動に取り組み、2007年からは、山梨平和ミュージアム・石橋湛山記念館の理事長をされている。集会の前後にわたって、ミュージアムを案内していただく。丹念に収集した湛山関係の資料と県下の空襲関係の資料が充実していた。ご自身も、山梨ふるさと文庫、山梨日日新聞社などから歴史書や湛山の評伝を刊行されている。近著に『地域に根差し、平和の風を』(平原社2015年)がある。

私は、湛山の政治家としての活動もさることながら、ジャーナリストとして『東洋経済新報』で健筆をふるっていた活動に関心があった。なお、昨年、1960年湛山から岸首相あての書簡が見つかったという。その内容は衝撃的なものだった。同時に、さもありなん、といった内容でもあったのだ。すなわち、湛山は、首相時代のある出来事を振り返って、1960年、岸信介にあてた書簡は次のような内容であった。昨年10月の『サンダー毎日』スクープ記事でもあったのだが、湛山が「ある一人の人」に閣僚名簿を提示したところ、「かの人」は、名簿にある「岸信介は、先般の戦争の責任としては東条英機よりも重大である」と述べたあと、岸首相の「安保問題」の対応に対して「これ以上、あの人に心配を掛けぬよう」という趣旨の文面であった。「ある人」とは、ほかでもない昭和天皇であったという考証であった

Photo


P2114529

P2114511
 石橋湛山の展示は、いくつものコーナーに分かれていた

P2114542

P2114540
甲府空襲コーナーにて

 

昔の職場の友人との出会い

 集会での演題は「今、問われるメディアの姿勢と役割~理性を育むNHKを目指した」という長さで欲張っていたのだが、南スーダンの治安状況などを例に、テレビの報道番組、NHKと民放との比較などを交えながら、公共放送のあるべき姿と現況、制度を中心にした話となった。

 会場は立派な総合市民会館の一室で、参加者は約100人とのこと。なんと会場には、かつての職場のSさんらしい姿を発見、部局が違っていたので直接話をするようなことはなかったのだが、奥さんとは同期で、課も同じフロアであった。Sさんは、1982年に、甲府市内の大学に転出されて、すでに退職、地元では、専門分野での活躍とともに、九条の会の世話人もされているようだった。何しろ、40年ぶりにもなろうか。集会の途中からは、思いがけず奥さんも駆けつけてくれて、終了後のお茶の会では、席の隅で、私たち3人の話は弾んだ。夫も、かつて同じ審議会メンバーで、役人とやりあった仲だった元主婦連のKさんとの出会いも十数年ぶりだったということであった。

Photo_2

 

| | コメント (1)

2017年3月11日 (土)

さまざまなニュースが錯綜する中で、3月11日を迎えた~南スーダンからPKO派遣部隊の撤退の意味

 きのう310日の夕方、南スーダンへのPKO派遣の自衛隊施設部隊の撤退のニュースはあまりにも、唐突で、不自然だった。森友学園籠池理事長の記者会見に割って入った形の、首相の記者発表であった。施設部隊の仕事が「一定の区切り」がつく5月末をもって撤収するのだという。昨年の9月ごろから検討していたという。治安が悪化しているからではないのかという記者の質問には答えない3分間のぶら下がりだった。追いかけるように、菅官房長官、稲田防衛大臣、自衛隊トップは、治安悪化が撤退の原因ではないと必死の弁明が続いた。

11日、245分が過ぎた。6年前、私たち夫婦は、浅草での東京大空襲の写真展を見学、体験者の話を聞いた後、新宿に向かう山手線に乗っていた。車内に一時間半ほど閉じ込められた後、線路上に降ろされ、代々木駅近くから新宿まで歩いたが、もちろん家に帰る交通は断たれたので、思いつくまま、ひたすら池袋の私の実家へと歩き、7時過ぎにたどり着いた。いわゆる「帰宅難民」であったことを思い出す。その後、津波の被害、福島原発事故の深刻さを知ることになった。亡くなった人々、行方不明の人々の家族に、いまだに避難生活を余儀なくされている12万人の人々、生活再建のめどが立たないまま不安な日々を送っている人々に、何と声を掛けたらいいのだろう。

 

きのう、310日の朝刊には、週刊文春と新潮の、森友学園と安倍政権の関係のドロドロを競うように報じる広告が出た。新聞報道はじめ、テレビのワイド番組でも、新しい映像や情報が飛び交っていた。午前11時過ぎには、韓国の憲法裁判所が朴大統領の弾劾訴追を受けて罷免を宣告した。午後3時からは、小池都知事の定例記者会見が行われていたが、私は途中でテレビは切っていた。夕方、夫が書斎から下りて来て、5時半から、森友学園小学校申請取り下げの籠池理事長の記者会見があるらしいと。塚本幼稚園の会見場に現れた理事長が話し始めたが、前日の小学校建設現場での2回のぶら下がりでの独演の繰り返しであって、いつまで続くのやらと思っていた矢先、突然の速報が、冒頭の首相の記者発表だったのである。

  この日は、さらに、クアランプール空港で殺害された男性は金正男と特定したというニュースも届き、38日には金正男の長男の動画がネット上投稿されたニュースも流されていた。

騒然としたニュースが続くなか、首相の妻と森友学園との関係や言動の公私の混同がクローズアップされたり、政治家からの働きかけがあちこちから噴出してきたり、少なくとも籠池理事長の国会への参考人招致の世論の声が色濃くなる中で、首相の身に危険が迫ってきているのを察知したのだろう。そして、3月の中旬を迎え、各社の世論調査日程の直前のタイミングで、南スーダンからの撤退が発表されたのではないか。この見え透いた、目くらましまがいによる世論操作に騙されてはならないと思う。騙されるとしたら、まさに国民の民度が問われる場面だろう。

それにしても、派遣の自衛隊員は、どうか無事に帰国してほしい。すでに、昨年7月、現地で悲惨な戦闘場面を目撃して心的外傷後ストレス障害(PTSD)のケアが必要になった隊員が複数、約20人いることが、防衛省関係者への取材で分かったという報道もある(『毎日新聞』夕刊 2017311日)。

森本学園問題も、これで収束してはならないはずで、国有地の不透明な格安払下げ、森本学園での教育勅語暗唱などの偏向教育、小学校認可関連で、安倍首相夫妻はじめとする政治家たちと役人たちの動向が何を意味するのかを、徹底的に解明してほしい。

| | コメント (0)

2017年3月 8日 (水)

3月4日、学習会「千葉の空にもオスプレイ!―なにが問題?どこが危険?―」に参加~軍拡競争の真っ只中で、どうすれば

日本、米・中・韓国・北朝鮮の軍拡競争の再来

 

 227日の衆議院本会議で2017年度の予算案が通過、参議院でどうなろうとも衆議院優先で成立したことになる。974547億円の過去最大規模で、防衛費51251億円、前年度より1.4%増で、5年連続の増額である。収入内訳で、新たな借金となる国債は34兆円を超す。

Photo


『朝日デジタル』227日より

 

    227日、 韓国政府は、北朝鮮の核やミサイルの脅威に対抗するため、アメリカの最新の迎撃ミサイルシステム「THAAD」を年内に配備する計画で、配備場所として、ロッテグループが所有するゴルフ場の土地を正式に取得したと発表している。

228日、トランプ大統領は、2018年度の予算について、公共の安全と安全保障を重視するとして国防費を増やす方針を示した。国防費10%、日本円で約6兆円の増額が見込まれるという。

 34日には、中国で、全国人民代表大会が5日から始まる前の傅瑩報道官の記者会見で、2017年の国防費の「増加率は7%前後」と明らかにした。1兆人民元を超え、日本円で17兆円に迫る見通しとなるという報道があった。

 36日、北朝鮮は、弾道ミサイル4発を同時に発射、秋田沖300350キロの排他的経済水域内外に落下した。日本は、「北朝鮮の脅威は新たな段階に入った」と安倍首相は、米韓日が緊密に連携して対応するとしている。

 

中国の尖閣列島周辺の動向や北朝鮮の弾道ミサイルの発射は大きく報道され、その脅威を増幅させているのが常である。たとえば、北朝鮮は、日米の軍事同盟の<強化>パフォーマンスがなされたとき、米韓合同訓練や日米合同訓練に合わて、ミサイル発射がされることが多い。相互が挑発に乗りあって、軍拡がエスカレートして、日本でも、根拠のはっきりいしない防衛予算、駐留米軍への多額の経費が計上される。折しも、36日から17日まで、陸上自衛隊とアメリカ海兵隊の合同訓練が、群馬県相馬原演習場、新潟県関山演習場で展開されている現実。政府は、自衛隊員の命をないがしろにする駆けつけ警護、各所での福祉予算の切り捨て、東日本大震災被災地で仮設住宅や店舗の閉鎖、戻るに戻れない原発事故被災地、杜撰な補助金、役人の天下り利権、廃炉費用まで国民に押し付けておいて、守るものは何なのか。国民の命と財産を守るどころか、むしろ脅威にさらしているようなものではないか。

 

軍拡競争に歯止めをかけるのは、憲法9条を持つ日本でしかない。その9条の改悪を進める政府を延命させるわけにはいかない、国民は何を突破口として実現していくのか、が問われているのではないか。

 

Digest0001wa
『防衛白書』2016年版より。『日本経済新聞』(2016/12/23 1:30 電子版)では、「防衛費「聖域」扱い 中国・北朝鮮の脅威反映 過去最大の5.1兆円、5年連続増」という記事中、「中国や北朝鮮の脅威を名目に防衛費は<聖域>扱いとなっている」との文言も

 

 

当ブログでも、先日もお知らせした表記の学習会(さくら・志津憲法9条をまもりたい会主催)で、吉沢弘志さんの話を聞くことになった。近年、自分の勉強不足を痛感して、沖縄へ出かけたり、『琉球新報』を購読したりして、何とか沖縄のことを知りたいと思っていた。

 危険だというオスプレイMV22 が、昨年末、沖縄の名護市海岸に墜落大破した。そのオスプレイの整備拠点となったのは、米軍の木更津基地で、すでに1月に飛来している。日本の米軍基地では、各所へのオスプレイ配備計画が進み、何十機ものオスプレイが整備のために木更津にやって来るのではないか。その危険性は現実のものとなるのではないか、というのが私たちの不安だった。

 

吉沢弘志さんの話 

 吉沢さんは、埼玉大学でドイツ語を教えている先生だが、幅広い知見と活動で、市民運動に参加されている。以下は、吉沢さんの話のレポートとしたい。

 

千葉県木更津には、米軍基地に陸上自衛隊駐屯地が併設されているが、米軍のオスプレイMV22CV22 の整備拠点になることが決まり、すでに130日に飛来している。オスプレイは「空飛ぶスクラップ」とも呼ばれ、昨年1213日名護市海岸に墜落し、19日には飛行再開、年明けの113日には空中給油を再開した、あのオスプレイ。日本は、墜落現場に近づけることもできず、原因究明も米軍まかせの安全宣言、すべて日米地位協定に拠るものである。オスプレイの開発は、1982年に始まり、1999年に量産体制に入ったが、開発中の死者も続出、死者を出した重大事故の事故率が、2011年からみても減ることはなく確実に増え、2015年末には、3.58%だという。

 

*参考

MV22の事故率について(防衛省2012 

http://www.mod.go.jp/j/approach/anpo/osprey/pdf/dep_5.pdf

 

MV22の死傷者を伴う重大事故(防衛省資料、新聞記事から作成)                                                                      

開発

試験

段階

 

19916 

試作機初飛行で制御不能で転覆、軽傷2 

19927

エンジンから出火し墜落、死亡7

 

20004

 

急降下で墜落、死亡19

 

200012

 

着陸進入ときに王戎不能不能となり墜落、死亡4  

 

実用

 

段階

 

20104

 

アフガニスタンで墜落、死亡4

 

20124

 

モロッコで演習中墜落、死亡2人、重傷2

 

20126

 

米フロリダ州で墜落、負傷5

 

20155

 

米ハワイ州で着陸失敗事故、死亡2

 
201612  

沖縄県名護市海岸で墜落大破、負傷2

 

 

 普天間基地には、24機が配備されている。1機は墜落、1機は爆破?2機減ったはずが、直ちに増強され24機。横田基地には空軍仕様のCV2210機、岩国にCV2212機、厚木、三沢基地はじめ各地の演習場での飛行訓練が計画されている。70機近いオスプレイが、日本の空、低空を飛ぶ。さらに、自衛隊が2018年度までの「中期防衛力整備計画」で17機購入を決めていて、それらを含めて整備拠点の木更津に離着陸する。

米軍や政府が日本の防衛上、オスプレイの必要性を強調するが、ことごとく、「オスプレイの“ウソ”」として論破する。(下表は、吉沢さんの資料から作成)

                   
 

垂直離着陸ができる 

 
 

重装備の24人搭乗は不可能に近く、重量から垂直離着陸は5%に過ぎず、1500m以上の滑走路を必要としている (木更津は1800mの滑走路がある)  

 

航続距離が長い 

 
 

危険な空中給油を不可欠としている

 

抑止力

 
 

兵力としての乗員数は24名×機数が増強されても、抑止力の増強にならない  

 

災害救助

 
 

300度の熱風を下方に噴出、離着陸の場所確保が困難、積載量が少なく、輸送ヘリCH-47Jの方が効率が機能的 

 

急患搬送

 
 

離着陸の場所確保困難、防寒の必要、酸素吸入の必要も必要で、ドクターヘリの方が機能的  

 

 政府は、熊本地震で、災害救助として役立たずのオスプレイ出動を米軍に要請したが、飛行距離も長い必要はなかったし、積載量は段ボール200個分程度、着地には、熱風除去の大量の散水を必要とし、水不足の災害地では顰蹙を買い、「政治利用」だとの批判を浴びていた。

 

オスプレイは危険性だけでなく、売却価格の不透明さがある。冷戦体制が崩れた以後の日米同盟と米軍再編との流れに沿って、日本の防衛の建前が、離島防衛から離島奪還へと転換する中で、アメリカでの軍事利権保護のためだけに、米軍のオスプレイ配備、日本へのオスプレイ売却が進められているのが現状である。しかも、住民の反対で、アメリカ国内での飛行訓練がままならない状況の中で、主たる訓練は日本で実施されているのが現実。さらに、現在、オスプレイの購入を決めているのは、世界中で日本だけで、その購入価格もアメリカ政府のいわば「言い値」であって、関連機材、訓練費用などを含めると1200億以上という。さらに、おかしなことに、防衛省は、オスプレイのメーカーのボーイング社と契約するのではなく、ボーイング社から買い取ったアメリカ政府から買う仕組みとなっている。しかも、日本に先払いをさせておいて、契約内容を履行しないというのがアメリカの日本へのやり口だそうだ。

 

吉沢さんの話は、まだまだ、あるのだが、とりあえずのレポートである。

 

家にかえって少し調べてみた。オスプレイのアメリカ政府からの買い付けには、間に三井物産が入る。日本の2015年度予算案では、オスプレイ5機の購入費用として516億円(1機約103億円)、2016年度は12機で1321億円(1機約110億)が計上されていた。米軍の購入費用は1機当たり50億~60億円との報道もある。* そういえば自衛隊にオスプレイが届いた話は聞こえてこない。

 

*参考

 

自衛隊内でも異論…安倍政権「オスプレイ」相場の2倍で購入

 http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/157524

 

・熊本地震 オスプレイ物資搬送 「政治利用」の声も

毎日新聞2016419

http://mainichi.jp/articles/20160419/k00/00m/040/083000c

 

・「米軍オスプレイの我が国への配備の経緯」

防衛白書2016年版より

28siryo15_2_4



 

| | コメント (0)

2017年3月 2日 (木)

冬の沖縄、二つの目的をもって~「難しい」と逃げてはならないこと(8)シンポジウム「時代の危機に立ち上がる沖縄の短歌」に参加

なぜ、参加したのか

Img258
当日資料の表紙

 

これまでの沖縄紀行記事と時系列的には前後するが、25日(日)に那覇市で開催されるシンポジウム「時代の危機に立ち上がる沖縄の短歌」に参加するのが、今回の沖縄行きの目的の一つであった。これまでの沖縄行きに引き続き、戦跡を訪ね、基地反対の現場を訪ねることがもう一つの目的で、計画を立てた夫は、最後まで調整にあわただしかった。シンポの時間帯はもちろん別行動としたが、辺野古・高江行きは、今回断念せざるを得ず、(1)~(7)の記事の通りの成り行きとなった。

 沖縄愛楽園から那覇市のシンポ会場まで車をお願いすることにした。計画では、名護からは高速バスと思っていたところ、愛楽園から乗った車の運転手は、「ご提案なんですが」と、高速バスの二人分の料金に1000円上乗せすれば那覇に直行できますよ、とのこと。上記シンポの会場となっている青年会館までお願いすることになった。高速を乗ったり降りたり、路線バス状況だったりの行きとは違って、いくつかのトンネルをぬけて、渋滞もなく、運転手さんの話を聞きながらのドライブで、予定より早く会場に着き、正解だった。

 

  今回のシンポに出かけることになったのは、本ブログでも紹介した『うた新聞』紙上の吉川宏志さんと私の論争?なるもので、吉川さんが「京都と東京で開かれたシンポに参加もしないで、不確かな伝聞で批評するのは、けしからん」というところから端を発し、私の他の文章の批判にも及んだ件があったからである。この件について、吉川さんの文章自体は、ブログへの再掲はできないが、私の反論は、再掲しているので参考にしてほしい。


吉川氏との<論争>、その後(2016年12月14日) 

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2016/12/post-0945.html


 ここで、あらためて、言っておきたいのは「不確かな伝聞云々」は、明らかに間違いで、私は、シンポ開催当事者のレポートと、参加者の氏名明記のブログ記事、同人誌の文章を、出典明示の上で、引用していたのである。それを「不確かな伝聞」とすることが、理解できないでいる。直接体験がなければ批評できない、ということになれば、歴史研究など成立しないことになりはしまいか。資料や史料の読解・分析がカギであろう。そんな経緯があって、京都、東京に続く、沖縄でのシンポであったのである。会場は、たしかに遠いが、沖縄の歌人の何人からか、お誘いも受けていたので、参加した次第。



何が語られたのか

 始まる前に、沖縄側のコーディネーターの屋良健一郎さん、事前に私信や資料のやり取りもあったので、まず挨拶を。本土側の吉川さんにも挨拶、少しびっくりした様子で「おっ、ほッほッほ、どうも」ということだった。(以下敬称略)

Dscn0800
鼎談「沖縄返還から現在まで」、左から名嘉真、永田、三枝の各氏

 

 

 比嘉美智子の開会のあいさつに始まり、鼎談は、三枝昂之、永田和宏と沖縄在住の名嘉真恵美子の3人によるものであった。進行は三枝で、永田の最初の発言は「今日の会は政治集会ではないので、短歌の表現を問題にしたい」というもので、「沖縄に基地が集中していることへの思いや考えはある。しかし、そのまま短歌にすると空々しくなるので、自己相対化が必要」とする。三枝は、遠く離れた沖縄は日本なのか、本土ともいえない戸惑いを感じる、とする。また、名嘉真からは、沖縄の短歌を本土のモノサシで批判する傾向にある、とする。

 このあたりのことを、『琉球新報』は、翌日の記事で、鼎談では「<沖縄>を詠む際の後ろめたさ戸惑いのようなものを含めて話し合われた」(「沖縄の表現模索 県内外の歌人集い討論」『琉球新報』201726日)と報じ、後の223日の記事では、3人の作品を通して「沖縄を詠うときの逡巡。<沖縄は日本か><日本はこれでいいのか>。他者そして自身に問いながら、答えの出ないもどかしさが見える」と報じた(「時代の危機に立ち上がる短歌 沖縄で問う<歌の力>歌人ら向き合い方議論」『琉球新報』)。

 しかし、私が聞いていた限りでは、やや印象が異なっていた。永田は、自作の「どうしても沖縄は私に詠へない詠へない私を詠ふほかなく」(『現代短歌』20172月)などを引いて、時代の危機に際して、短歌は政治の言葉ではないので、安易に意見を言ってはならない歯止めが必要であることを強調していた。三枝も、自作「自決命令はなかったであろうさりながら母の耳には届いたであろう」(『それぞれの桜』2016年)とこの作品と対になっている、資料には出ていない「自決命令はあったであろう母たちは慶良間の谷で聞いたであろう」などを前提に、自決命令の有無については、簡単には結論が出ないとしての両論を踏まえるもどかしさを語っていた。

 鼎談後の沖縄県内外の10人の歌人たちのスピーチで、一番バッターの玉城洋子は、上記の鼎談を受けて「沖縄の短歌はどこへ行く、辺野古の海は、沖縄人のアイデンティティ」の思いを語った。私も、永田と三枝の逡巡と用心深さは、何に由来するのかを考えていた。自らの未知や無知について、謙虚で、慎重になることは大切なことだが、ためらい、戸惑い、自らの思いをストレートに語ることをしないうちに、現実は待ったなしで、進んでしまうのではないか、の疑問がもたげた。この「逡巡」は、現実逃避にも連なる気がした。同じような趣旨の質問が会場からも提出されたような報告があったが、質問の詳細も回答もなかった。

後半の「沖縄の現在・未来の社会詠」には、中堅の大口玲子、光森裕樹、屋良、吉川の4人が登壇した。とくに、気になったのは、屋良が「言挙げしない/できない人々」の声として、米軍基地で働く人や高校生らの短歌への目配りの必要を説いたことだった。声をあげない人々といえば、いまだに真実を語れない、地上戦や集団自決で肉親を失った人々、土地を強制収用で家も失った人々、投降した兵士や強制隔離を余儀なくされたハンセン病の人々が、いまだにその体験を口にできない苦しさや事情を持ち、語り継ごうとすると様々な圧力・妨害と直面しなければならない実態、声なき声をも忘れてはならないはずである。

Dscn0804
 「沖縄の現在・未来の社会詠」左より大口、光森、屋良、吉川の各氏




 
私のわずかな沖縄体験ながら、伊江島、屋我地島、渡嘉敷島の人々の記録や証言に接し、また、中南部の戦跡をめぐるだけでも、その地の声、風の声の衝撃は、身を突き刺すほどであった。

午後1時から5時過ぎまで、鼎談やスピーチ、ディスカッションと盛りだくさんな集会ではあった。せっかくの機会なので、登壇者の発言を材料に会場との質疑や討論の時間を取ってほしかった。登壇者を絞っても、多くの沖縄の人たちの声を聞きたかった。それが心残りであった。

なお、今回のシンポに先立って、その前日に、辺野古へのツアーが企画され、現地の公民館で、条件付き基地建設容認の住民の話を聞いたとのこと、本土からの登壇者の言及もあった。企画者からは、本土の歌人たちの基地建設へのバイアスを解きたい、という趣旨だったとの発言もあった。それこそ「参加しなかった」私の感想ながら、その意図がわかりにくかった。

ただ、私は、今回配られた資料から、沖縄の若い歌人たちの短歌の一端を知ることができた。最近、総合短歌誌も、沖縄の歌人への注目度が高くなったことは、評価したい。ただ、沖縄歌人の一部に、中央歌壇、中央著名歌人たちへの傾斜志向が見られることには、やや違和感を覚えるのだ。 

会の終了後、これまで、直前に手紙のやり取りがあった平山良明さんはじめ何人かにお目にかかれたのがうれしかった。 

関係文献
 
このシンポのレポートはいずれ、短歌雑誌をにぎわすことになるだろう。現在まで、私が読むことができたのは、以下の通り。

・シンポ<時代の危機に立ち上がる短歌>に寄せて 基地への抵抗 言葉で
(『沖縄タイムス』吉川宏志 2017130日)
・沖縄の表現模索 県内外の歌人集い討論(『琉球新報』201726日)

・短歌時評 沖縄をどう詠むか(松村由利子『朝日新聞』2017220日)
スピーチ原稿載録(玉城洋子『くれない』
20172月)
・沖縄で問う<歌の力>歌人の向き合い方論議(『琉球新報』2017年2月23日) 



文献補記:(2017年3月3日~)

・短歌月評・線引きするならば(光森裕樹『東京新聞』夕刊2017年2月19日
・戦争と平和 沖縄から考える 社会詠をめぐる歌人の葛藤
 
(屋良健一郎『東京新聞』夕刊2017年2月21日)
・沖縄シンポジウム開催(屋良健一郎『現代短歌新聞』2017年3月5日)
・<相対化>と<類型化>について(田村元『うた新聞』2017年3月10日)
・シンポ「時代の危機に立ち上がる短歌」(『うた新聞』2017年3月10日)
・あきらめず、めげず、息切れせず―沖縄シンポジウムを終えて(三枝昂之『現代短歌』2017年4月)
・「時代の危機に立ち上がる短歌」報告(小石雅夫『新日本歌人』2017年5月)


Img257

Img260
屋我地島の海岸で拾う

 

| | コメント (0)

2017年2月27日 (月)

オスプレイ、千葉の空にもやって来た

 穏やかな日曜の午後だったが、地元の9条の会で、ユーカリが丘駅頭でチラシを撒く宣伝を行い、参加した。参加者11人、1時間で、何枚撒けたのだろう。私は、北口で10枚、南口で15枚ほど、手渡すことができた。

 千葉県木更津市の自衛隊基地に、この1月から米軍のオスプレイの整備拠点が置かれ、すでに房総の空を飛んでいる。昨年12月13日、沖縄県名護市海岸に墜落した、あのMV22オスプレイである。 空中給油中に、プロペラがホースを切断したとか、12月19日には、飛行を再開、日本政府は、原因究明も情報公開もできずに、早々と容認した。佐倉の空に、いつ飛んでくるのか、墜落するか、わからないのだ。25メートルプールに納まらないほどの巨体、製作試乗中に30人もの死者を出し、本格飛行後も各地で事故が続発、8人もの死者が出し、負傷者は数知れない。事故率の高い、このオスプレイを、自衛隊も17機の購入を決めている。

 このオスプレイのなにが問題、何が危険なのか、知らなければならない、と今回の学習会を企画した。近くにお住まいの方は、ぜひご参加してみてください。

Img255


 

~~~~~~

 なぜ房総の空に飛行が集中するのか

 以下は、民間機の話だが。

 先日、千葉市内に所用があって出かけた。新京成千葉寺駅から青葉の森公園手前のハーモニープラザまで、歩いて5・6分の間になんと着陸態勢の低空飛行機が6機も確認できたのである。午後1時過ぎのことである。1分間に1機の割合の上、佐倉で見るよりかなりの低空で、高度は1000mはないだろう。騒音も大きい。羽田空港への着陸機であろう。自宅の佐倉市上空での飛行状況については、このブログでも何回か報告しているが、それでも、佐倉の場合は、北方からに着陸便だけなのだから。千葉市上空となると、西からの着陸便もだから、相当の数になるはずだ。

 というのも、羽田空港の西側の空は、米軍の横須賀、横田基地があるので、米軍の制空権の下で、民間機が飛べないのである。だから、房総半島上空に集中し、羽田空港のハブ化にともない東京区内の低空飛行も問題になっている。

 日本の空が、日本の空ではなくて、米軍機しか飛べないなんていう、理不尽があっていいのだろうか。住宅地の上を避けてコースを変えたり、高度を上げたりしても、根本的な解決にはならない。日本の空を取り戻すためにも、日米安保、地位協定の見直しが迫られているはずなのに、より強固にする?アメリカが、本気で日本を守ってくれるとでも思っているのだろうか。

| | コメント (0)

2017年2月25日 (土)

冬の沖縄、二つの目的をもって~「難しい」と逃げてはならないこと(7) 那覇を離れる半日の過ごし方

 いよいよ那覇を離れる。この日の予定は組んでいなかった。あまり慌てることなく、市内を回ることにした。ゆいレールの駅から少し離れているということで、まず、ホテルから直接「識名園」にむかった。琉球王朝の別邸であったという。もちろん、19441010日の空襲で壊滅的な破壊を受けたが、1975年から復元整備が始まり、回遊式庭園で随所に中国風な要素を取り入れているが、池の周囲は、琉球石灰岩で積みまわしている。中心的な「御殿(ウドゥン)」と呼ばれる建物は赤瓦の木造であった。屋内を一回りして縁側で休んでいると、園内の清掃の人の何やら鋭い目つきが気になったので、「こんにちは」と声をかけると、ほっとしたように「中国の人は、平気で土足であがるんですよ」とグループで回っている人たちの足元に目をやった。その庭先には、桜が一本咲きだしていたので、ほかの外国の一団も代わる代わる写真を撮ったり、自撮りをしたりしている人たちがいた。私たちも、近くで一団が去るのを待っていると、先の清掃の人が、二人のところ撮りましょうかと声をかけてくれたのだ。その近くには「育徳泉」という池の水源にもなっている井戸があって、ここでも琉球石灰岩の「相方積み」という石組みが独特の曲線を描いていた。

Img253

Dscn0883
池は湧き水で、舟遊びの船着き場

識名園から首里まで車で移動、県庁前から歩いて「福州園」へ向かった。手前の松山公園には、「白梅の乙女たち」像が、その近くの「大典寺」に、沖縄戦で犠牲になった「積徳高女」の生徒らの慰霊碑が、あると聞いていたので、ぜひ、訪ねたかった。立派な碑は、大典寺に入って、すぐ右手にあった。

Dscn0888

Dscn0892
 積徳高等女学校は、1918年浄土真宗の大典寺が設立した家政実科女学校としてスタートし、美栄橋に校舎を新築、後、積徳高等女学校と改名、沖縄戦では、学徒看護隊として動員された。なお、この大典寺には、渡嘉敷島のアリラン慰霊のモニュメント建設のきっかけになった、那覇市で孤独死していたぺ・ポンギさんの遺骨が納めらえていたのである、その後、ようやく遺族に返すことができたという

Dscn0899
1944年10月10日の空襲で全焼した松山公園内の県立第二高等女学校、1984年、その跡地に白梅同窓会によってたてられた「白梅の乙女たち」。また、学徒看護隊「白梅隊」、教職員、同窓生の戦没者の慰霊碑「白梅之塔」には、149人が祀られている(1947年に糸満市国吉(山部隊第一野戦病院跡) 

Dscn0895
並びには、県立那覇商業高校があって、甲子園出場で名をはせた記憶はあるが、スポーツの強豪校らしい。賑やかなことであった

松山公園の向かいの「福州園」、夫は一度ならずこの前を通っているのだが、入るのは初めて。ここは、また別世界の趣がある中国風の庭園であった。1991年、那覇市70周年、福州市との姉妹都市提携10周年を記念して作られた。やはり中国からの観光客が多い。滝の前では、中国からの家族に写真撮影を頼まれ、私たちも撮ってもらった。庭園の草木には、丁寧な説明が付されていて、植物園の感もある。この日のランチも少々遅くなったが、福州園の隣のレストランで一息ついた。いよいよ、沖縄の旅も最終盤である。

Img252

 

 Dscn0915

 Dscn0920
 福州園前の松山通りの並木は、「鳳凰樹(ホウオウボク)」とのこと、福州園の受付の人に教えていただいた。昨年6月に来たときは、たしか黄色い花をつけていたように思うのだが。

Img254
この落葉を拾ったのが、識名園だったのか、福州園だったのか定かでないし、何の木の葉だったのだろう

 

  今回の沖縄旅行の二つの目的の一つは、戦跡を少しでも訪ねることであった。もう一つは、2月5日に那覇市内で開かれた「時代の危機に立ち上がる沖縄の短歌」という集会に参加することだった。そちらの報告は次の記事に譲りたい。

 

| | コメント (0)

2017年2月24日 (金)

冬の沖縄、二つの目的をもって~「難しい」と逃げてはならないこと(6)

渡嘉敷を半日走り抜けて

Dscn0832_4
灰谷健次郎(1934~2006)さんの住んでいた家、1991年移住されてきたそうで、別荘のようにも利用されていた由。現在のオーナーは、カフェレストランを開いているが、左手の門には「灰谷健次郎」の表札が残されているまま。私は、娘の教科書に載っていた「ろくべいまってろよ」くらいしかなじみがないのだけれど、『週刊新潮』の神戸での事件の犯人、少年Aの写真掲載に抗議していた、気骨のある作家くらいの記憶しかない。代表作の『太陽の子』は、沖縄出身の両親が神戸で開いている沖縄料理店に出入りする沖縄出身者たちの中で成長してゆく少女の物語という。ぜひ読みたいと思っている。

P2064334
渡嘉志久ビーチからビーチを阿波連ビーチへ

阿波連ビーチのあとさき

 遅い昼食をすることになった阿波連ビーチに向かいながら、通り過ぎたのが、灰谷健次郎が別荘のように使用していた家であり、先にも紹介した特攻艇秘匿壕であり、戦跡碑であった。昼食後、初めて、今はだれもいない波打ち際に立った。晴れていれば、その海の色は格別だったのかもしれない。目の前の離島(ハナリ)にも米軍の砲弾がいまでも見つかるそうだ。米軍が繰り返し、繰り返し、兵を上陸させていた浜の一つである。

Dscn0853
店の前の猫は、地域猫とでもいうのだろうか。近くで遊んでいる女の子に聞いてみると、全部で、12ひきとのことであった。背中に大きな傷を持った猫が私について回って離れず困ってしまったのだが

Dscn0855
阿波連ビーチ

出航の3時30分までということで、途中、立ち寄ったのが根元家跡であり新垣筑兵衛家跡であっ。渡嘉敷小中学校前では、卒業制作のさなかの中学生たちに出会った。

P2064371

P2064375_2
今年度は、幼稚園児15人、小学生29人、中学生18人の学校で、中学校卒業時には、外の石塀に壁画を残すことになっているそうだ。小学生より中学生の方が少ないということは、本島の中学校にでも進学するのだろうか

 

 Dscn0864
さようなら、渡嘉敷

| | コメント (0)

冬の沖縄、二つの目的をもって~「難しい」と逃げてはならないこと(5)「アリラン慰霊のモニュメント」をめぐる

渡嘉敷の半日の訪問で立ち寄ったり、知ったりできることは、わずかにすぎない。慰霊碑や戦跡の地に立って、ひたすら祈ることしかできなかった。なかでも、「アリラン慰霊のモニュメント」の建立の経緯などを読んだり、聞いたりするたびに胸が痛む思いがするのだった。

Dscn0839

案内のAさんによれば、村のホームページの戦跡案内図には載っているけれど、商工会の観光地図には載っていない、とのことだった。渡嘉敷で亡くなった軍夫や慰安婦たちは、人数も名前も定かでなく、ほんの一部が祀られているにすぎない。摩文仁の「平和の礎」にも、朝鮮半島出身の戦没者(20156月現在)は韓国365人、北朝鮮82人のあわせて447人にとどまる。県援護課が公表している沖縄戦戦死者の推計にも朝鮮人戦死者は含まれていない。渡嘉敷における戦没者も、前述のように村のホームページに朝鮮・韓国人として10人の数字が記述されているのみである。沖縄には、一万余の朝鮮半島の人々が徴用、連行されたとしながら、その詳細がわかっていない(摩文仁の「韓国人慰霊塔」建立委員会による碑文、19758月)。前述のように、渡嘉敷にも防衛庁の戦史によれば、19449月の段階で特設水上勤務中隊として210人の軍夫が任務に就いた記録がある。さらに、海上挺進第三戦隊の「陣中日誌」によれば、戦死・戦傷者が日本兵であれば氏名が記録されているが、軍夫の戦死者は人数しか記録されていない。「戦傷死者戦没者遺族等援護法」(1952年)、「改正恩給法」(1953年)、「戦没者遺骨収集推進法」(2016年)においても、日本国籍を持たないため、対象とはならなかった。幾重もの差別に苦しんできた人々への日本政府の姿勢に、新たな怒りがこみ上げる思いだった。

こうした状況の中で、このモニュメントは、渡嘉敷で、犠牲となった韓国・朝鮮の人たち慰霊するために、199710月に建てられた。 渡嘉敷の慰安婦で生き残ったぺ・ポンギさんが、戦後石川収容所を出てから転々とした苦難の道を歩んできた末、199110月那覇市内で死後数日後に発見されたということを知った市民たちの基金によって、モニュメント建設への運動が始まった。呼びかけ人の橘田浜子さん、土地を提供した小嶺隆良さん、映画監督の朴壽南さん、設計の陶芸家伊集院真理子さんたちの協力による成果であった。その碑文には、以下のような文言が記されている。 

「(前略)海上特攻艇の秘密基地とされた慶良間の島々には、千余の「軍夫」が苦役に、21人の女性が「慰安所」につながれました。

1945326日米軍上陸の前夜、住民たちは日本軍によって無念の死を強制されました。一方で「慰安婦」たち4人は非業の死をとげ、日本軍の迫害と虐殺による「軍夫」たちの犠牲は数百人にのぼります。

「将兵に性を売った女」として、半世紀以上も歴史から抹殺されてきた20万人余の女性たち。その存在に光をあてた記録映画「アリランのうたーオキナワからの証言」(1991年監督朴壽南)の制作活動に参加した橘田浜子は、戦後、帰郷の道を失って沖縄に取り残された渡嘉敷の元「慰安婦」ペ・ポンギさんが死後五日目(19911019日)に発見されたことに衝撃を受け、悲惨な犠牲を強いられた女性たちを悼み、心に刻むモニュメントの建立を呼びかけました。(中略)

生命を象徴する玉石は、韓国の彫刻家チョン・ネジン氏より寄贈された作品です。モニュメント制作には、伊集院真理子・本田明など県内外から多くの人が参加して、渡嘉敷に築窯、共同作業によって、完成しました。

 モニュメントの完成に至る年月は、日本の国家責任を問い、自らの尊厳の回復を求めて立上がった、アジアの被害者のたたかいと結び合い、私たちが歴史への責任を自らに課した日々でもありました。このモニュメントが、再び侵略戦争を繰り返さないために真実を語り継ぎ、生命の讃歌をうたう広場となることを祈念しつつ。

 

美しければ 美しきほどに 悲しかる島 ゆきゆきて 限りなき 恨  

                                                   浜子

19971014

アリラン慰霊のモニュメントをつくる会」

P2064312
 このモニュメントのテーマである潮の渦のなかの中心に拝所が位置付けられている、という。辺りに植え られたケラマツツジの朱が鮮やかであった。碑文の末尾の短詩の作者橘田浜子さんは、山梨県に住む人である

P2064325_2
  拝所としてのモニュメントの中央に「環生」の文字がある


Dscn0832_2
慰安所跡。1945年3月23日爆撃により全焼した。7人ペ・ポンギさん他、ハルコ、ミっちゃん、アイコ、カズコ、キクマル、スズランの名を持っていた慰安婦の内、ハルコさん死亡、ミっちゃん、アイコさんが重傷、ペ・ポンギさんと3人は、のち、軍の炊事班に組み込まれた(川田文子「渡嘉敷島の<慰安婦>と集団自決」『週刊金曜日』2015年8月7日)

参考
・渡嘉敷村ホームページ→集団自決について

http://www.vill.tokashiki.okinawa.jp/aisatsu/jiketsu

15年戦争資料@wiki→沖縄戦資料

  https://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1415.html

 

 

| | コメント (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

CIA | NHK | TPP | すてきなあなたへ | アメリカ | イギリス | インターネット | ウェブログ・ココログ関連 | オリンピック | オーストリア | ジェンダー | ソ連邦・ロシア | デンマーク | ドイツ | ニュース | ノルウェー | パソコン・インターネット | フェルメール | フランス | ベルギー | ボランティア | ポーランド | マイナンバー制度 | マス・メディア | マンション紛争 | ミニコミ誌 | ラジオ・テレビ放送 | 世論調査 | 住民自治会 | 佐倉市 | 千葉市 | 千葉県 | 原発事故 | 台湾 | 台湾万葉集 | 吉野作造 | 喫茶店 | 図書館 | 国民投票法案 | 土地区画整理事業 | 地方自治 | 地震_ | 大店法 | 天皇制 | 女性史 | 寄付・募金 | 年金制度 | 憲法 | 憲法9条 | 成田市 | 戦争 | 戦後短歌 | 教科書 | 教育 | 文化・芸術 | 旅行・地域 | 旅行・文化 | 日本の近現代史 | 日記・コラム・つぶやき | 映画 | 映画・テレビ | 書籍・雑誌 | 朗読 | 東京大空襲 | 横浜 | 歌会始 | 池袋 | 沖縄 | 消費税 | 災害 | 特定秘密保護法 | 環境問題_ | 生協活動 | 短歌 | 社会福祉協議会 | 社会詠 | 福祉 | 紙芝居 | 経済・政治・国際 | 美術 | 美術展 | 航空機騒音 | 表現の自由 | 規制緩和 | 趣味 | 近代文学 | 道路行政 | 都市計画 | 集団的自衛権 | 韓国・朝鮮 | 音楽