2022年7月17日 (日)

忘れてはいけない、覚えているうちに(2)「告知版」というミニコミ誌があった

 茶封筒から出てきたのは、『告知版』というミニコミ誌304~322号((1997年9月~1999年3月)だった。影書房の庄幸司郎(1931~2000)さんを発行人とする毎号20頁に及ぶミニコミ誌である。
 309号(1998年2月)の巻頭言に当たる「寸言」によれば、1972年1月、庄建設(株)の広報紙としてわずか150部でスタートして26年余りで27400部に達したとある。庄建設関連の建築関連情報、影書房の出版情報、映画・ビデオ事業情報に加えて、「平和憲法(前文・第九条)を世界に拡げる会」「第九条の会」などのさまざまな運動や集会などでの「人的交流の結晶であり、本誌は、それらを通して一つの市民運動の”広報誌”に発展した」と振り返っている。

 編集部やゲストによる「寸言」を巻頭に掲げ、「もの言う広場」というさまざまな市民活動のかっちりした報告だったり、呼びかけだったりする論文が数本掲載されている。さらに充実しているのが「『告知版』への便り」と「便り」で、読者からの感想だったり、投稿者の出版・活動報告だったりするが、ほぼ省略なしで掲載されているようだった。「告知版=ネットワーク版」では、寄せられた全国の集会や講演会・学習会などの催事の予告がなされている。

 この『告知版』との縁を、いま思い起してみるが、あまりはっきりしない。実は、314号の「便り」の欄に、1998年4月3日付で拙文が掲載されていた。それによると、影書房出版の山田昭次『金子文子』(1996年12月)出版記念の講演会に参加してから、送っていただくようになったらしい。ちょうどその頃、拙著『短歌に出会った女たち』(三一書房 1996年10月)を出したばかりで、金子文子についても一章を設けて書いていたものだから、講演会にも参加したのだろう。また、1998年1月、地域の主婦たち4人で創刊したばかりのミニコミ誌『すてきなあなたへ』の第1号を編集部に送っていたらしく、その画像も紹介されていたのである。

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  日本で、「九条の会」が発足したのは、2004年6月だったが、1991年、オハイオ大学教授のチャールズ・オーバービー教授(1926~2017)は「第九条の会USA」を立ち上げ、「日本の憲法第九条は全人類の宝」「九条を守る創造性のある多様な取り組みを」と提唱していた。オーバービー教授は、朝鮮戦争時、B29のパイロットだったことから、湾岸戦争をきっかけに、この運動を展開するようになったという。1998年10月には来日し、各地で講演会を開いている。これを全面的に支援したのが『告知版』だった。日本の「第九条の会」のスタートは、「九条の会」の十数年前にまでさかのぼることになる。手元にある『告知版』の「寸言」には、「日米新安保ガイドラインと有事立法に反対する百万人運動」の呼びかけ人として本島等(315号)、家永三郎(316号)、江尻美穂子(321号)、針生一郎(322号)らの熱いメッセージが続く。そんな雰囲気のミニコミ誌だったのである。 

 

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1998年5月2日『朝日新聞』より。「平和憲法(前文・第九条)を世界に拡げる会」 の紹介記事も封筒から出てきた。新聞はかなり劣化していて「会員から寄せられるメッセージを整理する庄幸司郎さん」の写真がうまくスキャンできなかった。

 『告知版』の発行人であった庄幸司郎は、惜しくも2000年に他界、その後、『告知版』はどうなったのだろう。影書房は、未来社の編集者だった松本昌次(1927~2019)が1983年に創業した出版社である。庄は、松本が都立夜間高校の教師であった時代の大工として働く生徒であったという(松本昌次「庄幸司郎」『戦後出版と編集者』 一葉社 2001年9月)。『告知版』は二人の友情の結晶でもあったミニコミ誌だったと言えよう。

 なお、松本昌次のお別れ会に参加した時の記事に以下がある。

2019年4月9日
「松本昌次さんを語る会」に参加、その前に「東京都戦没者霊苑」へ: 内野光子のブログ (cocolog-nifty.com) 

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/04/post-1208.html

 

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2020年2月10日 (月)

僕の前に道はないのか~アテにならない人たち、高村光太郎を手掛かりに

   地元の9条の会、「憲法9条をまもりたい会」のニュース40号(2020年2月)が出来ました。2006年7月、佐倉市の志津地区の有志14人で発足し、ほそぼそと活動を続けています。ニュースもようやく40号になりました。この間、講演会、映画会、駅頭宣伝、戦跡見学なども重ねてきましたが、もう一つ続けていることがあります。佐倉市内の4つの県立高校の校門前で、登校時のチラシ配布があります。すでに5巡目に入りました。チラシ配布にあたっては事前に高校側に挨拶に出かけ、主旨を説明し了解を得ています。しかし、年々、高校側からの確認や注文が多くなってきているのも事実です。40号の巻頭にはそんな会員の嘆きやつぶやきが語られています。現在の憲法のことを一番知ってもらいたい高校生たちへ、どうしたら私たちの思いが伝わるのか、毎回、チラシの内容は極力身近な問題を、レイアウト、おまけのしおりなどを挟んで工夫しているつもりなのですが、実際のところどうなのでしょうか。

 今回、私は、国語の教科書でもおなじみの高村光太郎のことを、改めて書いてみました。これまでも、昨年来、雑誌『季論21』やこのブログでも、くどいように書いてきました。その要旨たる部分を、寄稿したのが以下の文章です。

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僕の前に道はない/僕の後ろに道はできる/ああ、自然よ/父よ・・・

 国語の教科書で、この詩と出会い、声に出して朗読しているときの心地良さがよみがえる人も多いのではないか。高村光太郎の「道程」と題する詩である。 

智恵子は東京に空が無いといふ、/ほんとの空が見たいといふ。・・・

   高度経済成長期の公害問題が深刻化する中で、しきりに引用されたこのフレーズは、『智恵子抄』の「あどけない話」であったことを私も後で知った。
 この詩人高村光太郎〈1883~1956〉は、1941年12月8日、太平洋戦争開戦の二日後には、「十二月八日」と題して詩を作り、翌一月号の『婦人朝日』に発表した。

記憶せよ、十二月八日。/この日世界の歴史あらたまる。/アングロ・サクソンの主権、/この日東亜の陸と海とに否定さる。・・・

 また、1945年4月、東京の自宅を空襲で失い、8月15日、疎開先の花巻市郊外で「玉音放送」を聴いた光太郎は「一億の號泣」と題して、8月17日の『朝日新聞』に寄稿している。

綸言一たび出でて一億號泣す。/昭和二十年八月十五日正午、/・・・/玉音(ぎょくいん)の低きとどろきに五體をうたる。/五體わななきとどめあへず。/玉音ひびき終りて又音なし。/この時無聲の號泣國土に起り、/普天の一億ひとしく/究極に向つてひれ伏せるを知る。・・・

 太平洋戦争下、光太郎は、「シンガポール陥落」(1942年2月)、「アッツ島玉砕」(1943年5月)、「米軍の沖縄本島上陸」(1945年4月)との「大本営発表」があれば、即座に、新聞社やNHKの要請に応えた。ラジオは「愛国詩」の朗読を流し、新聞や雑誌は競うように光太郎の詩を載せ、国民の士気をあおり、愛国心を駆り立てた。「婦人」や「少国民」向けの雑誌にもよく登場した。ラジオで最も多く繰り返し放送されたのは、「最低にして最高の道」(『家の光』1940年9月)であったという。

もう止そう。/ちいひさな利欲とちひさなと不平と、/ちひさなぐちとちひさあ怒りと、/さういふうるさいけちなものは、/ああ、きれいにもう止そう。・・・

 また、「今上陛下指したまふところ、/われらよろこびおもむくなり、/あきらけきかな、おおいなるかなけふの賀節(よきひ)」(「ことほぎの詞」1942年2月)、「一切を超えて高きもの、/一切を超えて聖なるもの、/金色の菊花御紋章。」(「海軍魂を詠ず」1943年5月)などのように、神州の国を、天皇を、うたい上げ続け、日本文学報国会における詩歌部会長という要職も務めた。

 ところが、光太郎は、敗戦後も、疎開地の山小屋に留まり、「暗愚小傳」と名付けた20篇の詩を『展望』(1947年7月)に一挙発表すると、これらの作品は、戦時下の自らの活動を反省し、戦争責任を引き受けたとして、その潔い深い「自省」を高く評価された。しかし、山小屋生活といえども、多くの地元の人々や知人や東京の編集者らに支えられての暮らしであった。1946年2月、預金封鎖と新円切り替えがなされ、財産税が光太郎にもふりかかる。東京の弟との手紙で、光太郎の預貯金は5万6000円、亡父高村光雲の家が10万円と査定されたことがわかる。それがどれほどのものか。ちなみに私の父が残していた「国債貯金通帳」によれば1945年4月の空襲直後疎開先の銀行で便宜代払いを受けたのが200円と136円で残高ゼロとなっていた。その一方で、新しい「国債貯金通帳」と「報国貯金通帳」にも10円、2円の単位で貯金していた。父は、空襲で借家の店を失うまで、池袋で薬屋を営み、一家5人を支えていた。光太郎の山小屋生活といっても、私たちの疎開先や焼け跡のバラックでの暮らしの困難さ、家族を失った者の悲しみを想像できただろうか。 
 光太郎は、やがて、東京に戻り、彫刻を再開、十和田湖畔に立つ「乙女の像」の作成にあたる。その晩年には、つぎのような詩を発表する。唯一の被爆国にあって、1954年「第五福竜丸」の被爆体験、日本学術会議の原子力研究の自主・民主・公開の三原則声明、水爆禁止署名運動などが続く中で、光太郎は、つぎのフレーズで終わる「新しい天の火」(『読売新聞』1955年元旦)を発表した。

新年初頭の雲間にひかる/この原始爆発大火団の万能を捕へよ。/その光いまこのドームに注ぐ。/新しい天の火の如きもの/この議事堂を打て。/清められた新しき力ここにとどろけ。

 また、光太郎最晩年の「生命の大河」(『読売新聞』1956年1月1日)には、つぎのような一連があった。この発表の直前12月16日には原子力基本法など関連三法が成立し、まさに新年一月一日に施行している。発足した原子力委員会の初代委員長が『読売新聞』社主正力松太郎であったのである。

放射能の克服と/放射能の善用とに/科学は万全をかける。/原子力の解放は
やがて人類の一切を変へ/想像しがたい生活図の世紀が来る。

 ときの政府を支え、メデイアへの要請に応え、いとも簡単に「原子力平和利用神話」へとなだれ込んで行く。あの敗戦後の「自省」は何であったのか。この詩人の在りようは、現代の文化人や有識者の作品や発言と決して無縁ではない。引退した保守政治家や退職後の高級官僚がにわかに饒舌になったり、役職や勲章がちらつき、メディアの出番が多くなったと思ったら、いつの間にか発言がトーンダウンしたりする人がなんと多いことか。イチローよ、国民栄誉賞は、もらってくれるな?!

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2018年12月16日 (日)

高校前で、チラシを配布しました

1213日、県立佐倉東高校近くで、高校生にぜひ読んでもらいたいの思いで、「イージス・アショアって、なに?」のチラシを配布した。佐倉市内にある4つの県立高校前で、私たちの会がチラシを撒き始めて、何年になるだろうか。すでに4巡目にはいった。今回、事前の教頭先生への挨拶の折は、1212日までは、中間テストだということだったそうだ。 

この寒空にコートを羽織るでもなく、今どきの高校生は、制服の上にマフラーを巻いて、ながらスマホ、おしゃべりをしながらの登校である。 

生徒たちは、試験も終わって、ほっとした表情だ。なかには、楽器を背負って登校する生徒もいる。正門近くと裏門に、私たちは3人づづに分かれた。和服の女生徒たちは。服飾の授業の一環で、今日は着用での登校らしい。そういえば、東高校は、元もと女子高で、家政科、いや食物科と被服科が、あったはずである。いや今は、服飾デザイン科と調理国際科というらしく、対外的にも様々な活動を続けている生徒たちである。 

チラシを受け取った生徒も、ちゃんと読んでくれているだろうか、私たちの思いは届いただろうかと、不安は尽きないが、まあ、いいか。 

わたしは東高校は初めてで、高校は佐倉中学校と向かい合っており、近くには佐倉市立体育館もある。ちょうど佐倉城址、佐倉市役所の南に位置するあたりで、途中「ひよどり坂」の表示も見えた。この辺もゆっくり歩いてみたいな、とも思うのだった。

 

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 このチラシの作成後には、自衛隊は、ステルス機、F35の100機、アメリカの言い値の1兆円での購入を決めた。護衛艦「いずも」の空母化も確実となり防衛費は、拡大の一途をたどることになった。

 

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2018年10月 2日 (火)

沖縄県、新知事誕生、私たちがやらなければいけないこと

  沖縄の県知事選挙では運動の在り方とその結果に、いろいろと考えさせられている。

佐喜真候補は、政権与党の政党色を前面に押し出しながら、肝心の辺野古新基地建設への対応を回避した、というより隠ぺいした。公明党を佐喜真支持へ引き入れるための方策だったのだろう。その代わりなのか、突如、スマホ料金4割値下げなど、自治体マターでない公約が飛び出したりした。対立より対話をと経済振興を強調したものの、菅官房長官の3度の沖縄入りも、普段の、あの面倒くさそうな記者会見を見せられているので、演壇でいかに愛想を振りまこうとも、むしろマイナスだったろう。同じく、小泉進次郎の総裁選での優柔不断さとタレントのような振る舞いには、いささかげんなりした県民も多かったのではと思う。

一方、玉城候補は、政党色を極力出さず、支援政党の幹部と並ぶことなく、翁長知事の遺志を引き継ぎ、辺野古の新基地建設を阻止すべく働きたい、通学のバス料金を無料にしたいなどの公約を訴えた。ゆいレール以外に鉄道がない沖縄では、バスは大事な基幹交通機関なのだから、県民にとっては切実であったに違いない。そんなことも、無党派層の7割を引き寄せ、自民党・公明党の支持者の一部も玉城候補に投票したのではないか。これからは、専門家?の選挙分析情報が流れるに違いない。それにしても、翁長知事の「遺言」で、玉城候補の名前があったという情報が流れたときは、ハラハラした。「遺言」で候補者が決まるなんて、あってはならないと思ったからだ。結果的ではあるが、政党色を前面に掲げず、プロのタレントとしての経験による親しみやすさが、当選に繋がったのではないかと思った。

玉城新知事の行く先は、課題も多く、政府やアメリカ政府との交渉にも難題は待ち構えている。「野党共闘」「オール沖縄」の勝利というわけにもいかないのが現実である。しかし、安倍政権への打撃になったことは確かなので、これを機会に、本土の私たちは、自分たちの問題として考えなければならない。私は、かねてより、一刻も早く、日米安保体制、日米地位協定、日本の防衛政策の見直し、自衛隊法改正に踏み込むべきだと思い、野党にはそういう攻め方をしてほしい、と思っている。米軍オスプレイの横田基地への正式配備が決まり、自衛隊のオスプレイの佐賀空港配備も決定した。山口県と秋田県では、自衛隊のイージス・アショア設置の候補地の反対運動が展開中である。どこに、ではなく、一基1000億以上、その他の備品・経費を入れると2基で6000億にも及ぶという、迎撃ミサイルシステムの必要性が問われている。いまの安保環境の中では、いわば無用の長物ともいえ、その効用すら、専門家からも危ぶまれながら、<専守防衛><抑止力>という名のもとに導入が強行されようとしている。私の住む千葉県でも、木更津駐屯地は、米軍のオスプレイの整備基地になってしまったし、自衛隊のオスプレイも飛んでくる日は近い。あの得体のしれないトランプ大統領に、そこまでひれ伏する安倍政権には、外交や、防衛政策への見識が見出せない。<土台>はそのままに、続行するという安倍政権だが、わが身には遠いことではなくて、私たちの町にも、日本の福祉の貧困や防衛費ばかりの肥大化の影響が迫ってきている。

やや旧聞に属するが9月の半ばの休日、最寄りの駅前で、地元の9条の会でビラまきをした。 2006年、会の発足以来37号を数えるニュースを配ったのだが、反応は、決して良いとは言えなかった。「憲法9条を守りましょう」、「憲法9条への自衛隊明記を阻止しましょう」、「戦争のできる国にしてはいけません」と訴えても、スマホから目を離さない人、まっすぐ前を向いて私たちを避けるように通り過ぎる人、両手に手荷物一杯の暮しが第一という買い物帰りの人、手を払って、怒りをあらわにする人・・・。私自身も無党派層の一人ではあるが、なかなか沁み込んではいかない私たちの声。少しでも一緒に考えるのには、いったいどうしたらいいのだろう。

それでも、会の代表のTさんが、急きょ作ってくれた、色とりどりのお手製のサンバイザーをかぶって、マイクを握り、ニュースを配ったのだが。

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2018年5月 6日 (日)

5月5日、「木更津にオスプレイ要らない!」のチラシを配布しました

  4月27日、地元の9条の会の高校前でのニュース配布に続き、5月5日には、ユーカリが丘駅前で、午後の約1時間、会特製?のチラシを配布しました。「木更津にオスプレイ来るな、オスプレイ要らない!」自衛隊の木更津駐屯地が沖縄米軍オスプレイ24機の整備基地となり、さらに急きょ、陸上自衛隊がアメリカから購入のオスプレイ5機が、この秋にも配備されることになったことを、千葉県民は意外と知らないのではないか。そんな会員の思いで、作ったチラシでした。

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 会員ほかあわせて10人以上で休日の駅頭を行き交う人たちに訴えました。受け取りは意外に良くて、「え?そうなの」「怖いね」「頑張って」などの声に励まされながら、北口・南口と立ちました。折しも、5月4日・5日の『東京新聞』の千葉中央版に、木更津のオスプレイについて「高まる不安 オスプレイ暫定配備か」の記事が連載されたのです。「事故起きてからでは遅い」の見出しを頂戴して、慣れないながら、以下のようなトークとなりました。

 途中、ご近所の知り合いとも久しぶりにお会いして、しばらくおしゃべりをしたりすることも二度ほどありました。

 

~~~私のトーク~~~

みなさん、事故が起きてからでは、遅いのです。

木更津が米軍のオスプレイの整備基地になるのをご存知ですか。沖縄の普天間配備の24機が、かわるがわる整備のために木更津の自衛隊駐屯地にやってきます。整備直後の点検・試験飛行も続きます。図体ばかり大きく、非常に危険なオスプレイであることは、沖縄の名護の海岸に墜落したり、伊計島に部品を落としたり、事故が続いていることでもわかります。沖縄のオスプレイ配備をとめましょう。木更津の整備基地化を止めましょう。

事故が起きてからでは遅いのです。
 みなさん、私たちは、さくら志津憲法9条をまもりたい会です。10年にわたって憲法9条をまもりたいとの思いで活動してきました。木更津の自衛隊駐屯地に、陸上自衛隊が購入した、あの事故率が極めて高いMV22というオスプレイ、その配備が決まりました。今年の秋には5機配備されます。

 一機100億円もするオスプレイですが、その性能や危険性については悪名高く、未亡人製造機とも呼ばれています。佐賀空港の整備直後の点検飛行中の自衛隊ヘリが墜落しましたね。機種は違いますが、その原因がわからないので、オスプレイの配備予定も立たなくなって、急きょ、佐賀空港から木更津に変更されたのです。佐賀でダメなものは、木更津でもダメなのです。

事故が起きてからでは遅いのです。

 千葉の空は、米軍のオスプレイ、自衛隊のオスプレイが、飛び交うことになります。千葉の空、木更津の空、佐倉の空も危ないのです。千葉県や木更津、森田知事や木更津知事は、米軍のオスプレイ整備基地化は認めてしまいました。自衛隊オスプレイは、あくまでも暫定だとしていますが、国からの、防衛庁からの情報はほとんどありません。

事故が起きてからでは遅いのです。

 木更津に米軍のオスプレイ来るな、自衛隊のオスプレイ要らない、沖縄にオスプレイ要らない、日本にオスプレイ要りません。

 わたしたちの意思を、防衛省に、森田千葉県知事に、木更津市長に、佐倉市長に届けましょう。

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5月4日の『東京新聞」千葉中央版から

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2018年4月16日 (月)

嵐のあとのアピール行動、安倍政権には、みな怒っているぞ!

 嵐のような風雨がおさまった415日午後、4時から、地元のユーカリが丘駅前で、「うそつき安倍政権はご免だ」「オスプレイは、木更津にくるな」のチラシの配布に参加した。10日ほど前、45人の市民有志の話し合いで始まった計画だったが、ご覧のようなチラシの配布に23人が集まった。これまでもいろいろな活動でお目にかかった方も多かった。ただ今回は、地元でのことだったので、ご近所の方々にも、ご案内の手紙とチラシをポスティングさせてもらった。思いがけず数人の方が駆け付けてくださった。チラシ配布なんて初めてという方ばかりで、「なかなか、受け取ってくれないものなのね」、「テレビを見ては、怒り狂っていた」、「なんで4割近い人がこんな政権を支持しているのかわからない」・・・との感想だった。ふだん、出会っても、そんな政治向きの話などにはならなかったのに。国会前集会に出かけられる人は限られるが、多くの人たちが怒っていることがわかるのだった。 

 リレートークの方も、10人以上の人たちが、その思いを述べたのだった。私は、今日のチラシのテーマである、安倍政権の余りのひどさ、役人に、記録がない・記憶がない・承知していないと答えさせ、自らもウソをつき続け、文書の改ざんまでさせた政治家たち、安倍首相はじめ閣僚をひとまず辞めさせたいという思いも強かった。しかし時間のこともあって、「オスプレイ来るな」の方を話すことにした。手元のメモを再録しておこう。3分にも満たないトークながら、むずかしい。

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前夜に手づくりした横断幕、持ちやすいように段ボールで裏打ちも

 

*** 私のトーク*** 

皆さん、私は、○○に住んでいます。ふだんは「憲法9条をまもりたい会」に参加して10年ほど活動をしてきた者です。 

皆さん、木更津の自衛隊駐屯地は、米軍の基地でもあります。ご存知でしたか。米軍は、木更津を沖縄海兵隊のMV22というオスプレイ24機の整備拠点としました。木更津に、米軍のオスプレイが飛んでくるのです。すでに1機が木更津で整備中です。整備の必要なオスプレイ、25mプールにも入りきらない巨体のヘリがやってきます。しかも、世界各地で、日本の沖縄の名護でも墜落し、部品をあちこち落とすオスプレイ、乗務員の犠牲者が続出して、アメリカ本国では数多くの未亡人を生みだす「未亡人制作」のヘリと呼ばれています。木更津では、整備を終わったとされる試験飛行が繰り返されます。佐倉の空も例外ではなく、危険にさらされます。森田県知事、木更津の市長はこれを了承してしまいました。

 さらに、最近、自衛隊がアメリカから1100億円もの言い値で買ったオスプレイMV22が、木更津に配備されることになったのです。重大事故が多いアメリカ海兵隊と同じMV22のオスプレイというヘリなのです。この秋にも木更津に配備されるとの報道がありました。先日、佐賀空港を飛び立った自衛隊のヘリが民家に墜落しました、試験飛行のさなかでしたね。地元の猛反対で、佐賀空港へオスプレイの配備ができなくなりました。佐賀がダメなので、木更津へと言うことになったのです。佐賀でダメなものは木更津もダメなのです。木更津の市民と一緒に、県民が一体となってオスプレイ来るな、の共闘をしたいと思います。なんとしても米軍のオスプレイの整備拠点阻止、自衛隊のオスプレイ配備を阻止するために、共に力を合わせましょう。

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森友・加計・自衛隊日報問題・・・、新たな情報が報道され、状況も刻々かわり、発注が遅くなり、4月12日に発注、14日着でした

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2017年10月15日 (日)

雨の駅頭で、「9条をまもりたい」のニュースを配る

きのうも冷たい雨の土曜日でしたが、地元の九条の会「さくら・志津憲法9条をまもりたい会」は、最寄りの駅頭の通路で、会のニュース35号を配りました。今月の世話人会で、衆議院選挙を前に、何かしなくてはと、最新号のニュースを増刷りして配ることになりました。ニュースの内容は、次の通りですが、会のブログをご覧いただければ、読むことができます。「とっつきにくいよな」「ちょっと難しすぎる」「読む気もしない」などの、きびしいご意見もいただきますが、一度ご覧の上、ご意見いただければうれしいです。

1頁:自衛隊の憲法明記は9条破壊宣言
2~3頁:共謀罪は施行されたが・・・反対の運動は続き、メディアも危険視
4頁:膨張し続ける防衛費~あなたは、どこの国の総理ですか

詳しくは、「さくら・志津憲法9条をまもりたい会」ブログ

http://sakurasizu9jo.cocolog-nifty.com/

 この日は、急きょ、「佐倉・九条の会」と合流での活動となりました。総勢9人、横断幕を掲げ、ささやくように9条は宝と訴える人、マイクを手に自衛隊の海外派遣の理不尽を熱く訴える人、私は、この地域で、9条をまもりたいの思いで、市民が相寄って活動を始めて11年目になること、今回の選挙では、憲法、とりわけ9条が問われている大事な選挙であることだけを訴えました。通行の方々、受けとってくださる方もさまざま、「頑張りましょう」の声には励まされました。一方で、「あんたたちは、どこの党?」との質問は、この日もありました。選挙運動期間中でもあり、当たり前なのかもしれません。「私たちは、政党ではないんです。市民の有志の会です。憲法9条をまもりたいと、10年間活動を続けています。これが一番新しいニュースです。ぜひ読んでみてください」と大急ぎで話すと、手を伸ばして受け取ってくれる場面もありました。

手渡そうと近づくとよけて過ぎる人、邪険に振り払う高齢男性、スマホから目を離さない若い人、おしゃべりをしながらの中高年の女性たちはまず受け取ってくれない、おしゃべりに夢中な高校生たちでも男女を問わず、軽く受け取ってくれる、カップルや家族連れは、みきわめが難しい・・・。

相変わらずの光景ですが、学ぶことも多い一時間でした。

 

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2017年5月 3日 (水)

憲法改正「2020年に施行したい」 首相がメッセージ~なんと、先ほど入ってきたニュースは

憲法記念日のきょうの午後、日本会議が主導する「美しい日本の憲法をつくる国民の会」などによる「第19回公開憲法フォーラム」の改憲集会で、安倍首相は、2020年には、「憲法9条に、自衛隊を明記する条文を書き込む」改正を行い、オリンピックの年を、日本が生まれ変わる年にしたい」とのビデオメッセージを寄せたという。当ブログの前の記事で、安倍政権は、最初は、憲法9条を持ち出さずに、憲法改正を目論んでいると思っていたが、それは、やや見込み違いであった。9条の1項・2項を残して、自衛隊を明記するという。「私たちの世代の内に、自衛隊の存在を憲法上にしっかりと位置づけ、自衛隊が違憲かもしれないなどの議論が生まれる余地をなくすべきである」と述べている。メッセージで「今日、災害救助を含め、命懸けで、24時間、365日、領土、領海、領空、日本人の命を守り抜く、その任務を果たしている自衛隊の姿」とも称揚する「自衛隊」は、「専守防衛」どころか、「駆けつけ警護」、できればひそかに実施したかった「米艦防護」など、「警護」「防護」の名のもとに自衛隊の軍事活動、装備は、拡大する一方である。日米安保条約、日米地位協定、安保関連法が、それらを正当化、拡充してきた。近隣諸国との緊張関係をいたずらにあおるような昨今の安倍政権の拙劣な外交政策や情報操作は目に余る。私たちは、日本が自ら軍事強化へと進もうとする現実をしっかりと見つめ、何とか歯止めを思っている時期に、なんということを。

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駅頭で、「憲法9条をまもりたい」のニュースを配りました

 きのう52日、憲法記念日を控え、地元の9条の会で、ニュースを配りました。夕方の4時半からの1時間、11人ほどで、「さくら・志津憲法9条をまもりたい会」ニュース34号を配りました。近くの県立高校の下校時間にもあたり、また買い物客も多い駅前のデッキは、かなりの人通りでした。全部で200枚弱を配ったことになりますが、受け取りの感触は、私には今一つでした。小さなお子さんを連れた家族連れや高齢者、そして、高校生たちに、受け取ってくれる人が多いようでした。一方、働き盛りの年代層、中年男性や若い女性たちは、「オレたちには、そんなこと考える必要もない」「私たちに関係ない」みたいな、かたくな態度で通りすぎていく人たちが多かったような気がしました。

 私たちの会は2006年から活動を始め、11年目に入りました。10数人の世話人から、亡くなった方も3人いらして、その後の出入りはありながら、細々と活動をつづけています。

 この日、マイクを持ったのは、いつものNさん、私も少しばかり手伝いましたが、どうも苦手です。原稿を持たずに呼びかけることができるようにとも思います。出かける直前のメモは以下の通りでしたが、どこか抜けたり、足したりと~。

 

 「皆さん、私たちは、さくら志津憲法9条をまもりたい会です。2006年から活動を始めて10年たちました。いま、最新号のニュースをお配りしています。どうぞ、お手に取ってお読みください。今年は、あすの憲法記念日で、憲法施行70年になります。私たちは、この憲法に守られ、日本は戦場になることも、海外の戦場で人を殺すことはありませんでした。その海外でも日本の憲法、とりわけ憲法9条が高く評価されてきました。

その憲法が、いま安倍政権によって変えられようとしています。昨日、憲法改正の集会で、安倍総理は「憲法改正の機は熟した」と発言していました。はたして、そうなんでしょうか。

安倍政府と改憲勢力は、まずは、一見、聞こえの良い、環境権とか、プライバシーの権利とかを守るため、最近では、高等教育の無償化を図るために、憲法を改正しようとしています。まずは、こうしたことから、改憲、お試しの改憲をしてから、9条を変えようとしています。環境権、プライバシーの権利、教育の充実にしても、現在の制度や法律で十分対応できるのです。

共謀罪の新設もそうです。いまある法律で守れることを守らず、テロ防止とかオリンピック開催のためにという口実で、共謀罪を新設する目的は何でしょうか。一般市民の活動を普段から監視して、政府に少しでも異を唱える人たちや集まりを萎縮させようとするのです。政府に都合のいい法律の新設や憲法改正には、私たちは反対です。

もう一度、立ち止まって考えてみましょう。」

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5月3日の朝、
ドクダミが繁茂するなか、今年は、生垣のレッドロビンの内側から咲き始めたテッセン
奥の紫モクレンのさかりは過ぎていた

 

「さくら・志津憲法9条をまもりたい会」のブログでは、ニュースのバックナンバーも読めます。ぜひお立ち寄りください。 

http://sakurasizu9jo.cocolog-nifty.com/blog/#_ga=2.161657660.1437253997.1493986454-443006642.1464273255

なお、以下は、私が最新号に寄せた文章です。

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「劇場」のカーテンは降ろさせない

トランプ劇場、小池劇場、籠池劇場と呼ばれて、メディアを賑わしています。

今回の籠池劇場は、森友学園に異常な安値とスピードで国有地を払い下げられたことを、一人の豊中市議の疑問から明るみに出たことに始まりました。国有地払い下げに政治家の圧力、官僚の加担、首相夫人の関与にまで発展しました。舞台での敵役は、籠池一家から、政治家や財務省・大阪府の役人、首相夫人まで飛び出し、目まぐるしく入り乱れています。政府は幕引きに躍起です。一部マス・メデイアは視聴率が少しでもとれればと、視点をずらして扱い続けていますが、登場するコメンテイターが、徐々に、首相の仲良しジャーナリスト「すし友」に移行しているのが気になります。財務省・大阪府の情報公開や官僚や首相夫人の証人喚問で、真実を明らかにしていくべき問題でしょう。世論の力、国民の力が問われる局面です。

アメリカでは、トランプ大統領の暴走に対して、議会や司法が、そしてメディアがきっちりと歯止めの機能を果たしています。韓国においても、国民や司法の力がトップを変えました。安倍首相は、トランプに、真っ先に駆けつけたといって自慢げであったし、その後もトランプ追随が目に余ります。

私たちのささやかな活動さえも監視の対象とされる「共謀罪」の新設、災害復興支援打ち切りの一方で、原発再稼働への舵を切り、天皇の退位問題をきっかけに、君が代・日の丸・元号・教育勅語などの問題がウヤムヤに溶解し始めています。さらに、沖縄の基地新設を既成事実として進む日米同盟強化など問題は山積みです。「残業月100時間未満」と非正規拡大のセットは、まさに「労働者哀史」です。私たちの身近な不安をあおることばかりです。

私たちは、政党に頼り、専門家の話を聞くだけではなく、自分たちの素朴な疑問からスタートして、一人一人が、自ら調べて、発信して、議論して、行動する努力なくしては、政治や世論を変えることができないと思っています。

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手入れせずとも、毎年咲いてくれるツツジ

 

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2017年3月30日 (木)

二つのドキュメンタリーを見た~アウシュビッツと沖縄と(2)

「いのちの森 高江」(謝名元慶福監督作品 2016年)

 最近、友人からDVD「いのちの森 高江」を借りて見た。沖縄の基地闘争のドキュメンタリー映画は、いくつか制作されているようなのだが、私は、森の映画社のニュースリールを見る機会が何回かあった程度である。

 米軍の基地、北部訓練場の長い歴史、高江の住民たちの長い闘争の歴史と現状を怒りを込め、だが、 淡々と綴る。あわせて、アキノさんという蝶類研究者の女性が多くの小さな命の営みを求めて、高江の森を案内するのだった。

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1970年代、米軍がベトナムの密林に見立てた訓練がなされていた

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北部訓練場だけでもヘリコプター事故がこれだけ起きている。さらに、オスプレイの飛行・離着陸の危険は計り知れない

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高江の森の生態系のすべてを破壊する工事は許せないとするアキノ(宮城秋乃)さん

 

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高江の住民たちは、工事差し止めの訴えを起こしたが

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映画の中には、こんな映像もあった。生活道路が封鎖され、今はこの石碑に近づけない、との解説があった。1916年(大正5年)、大正天皇即位を記念し造林地に建てらえた石碑は傾いている

 

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