2017年3月30日 (木)

二つのドキュメンタリーを見た~アウシュビッツと沖縄と(2)

「いのちの森 高江」(謝名元慶福監督作品 2016年)

 最近、友人からDVD「いのちの森 高江」を借りて見た。沖縄の基地闘争のドキュメンタリー映画は、いくつか制作されているようなのだが、私は、森の映画社のニュースリールを見る機会が何回かあった程度である。

 米軍の基地、北部訓練場の長い歴史、高江の住民たちの長い闘争の歴史と現状を怒りを込め、だが、 淡々と綴る。あわせて、アキノさんという蝶類研究者の女性が多くの小さな命の営みを求めて、高江の森を案内するのだった。

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1970年代、米軍がベトナムの密林に見立てた訓練がなされていた

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北部訓練場だけでもヘリコプター事故がこれだけ起きている。さらに、オスプレイの飛行・離着陸の危険は計り知れない

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高江の森の生態系のすべてを破壊する工事は許せないとするアキノ(宮城秋乃)さん

 

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高江の住民たちは、工事差し止めの訴えを起こしたが

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映画の中には、こんな映像もあった。生活道路が封鎖され、今はこの石碑に近づけない、との解説があった。1916年(大正5年)、大正天皇即位を記念し造林地に建てらえた石碑は傾いている

 

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2017年3月11日 (土)

さまざまなニュースが錯綜する中で、3月11日を迎えた~南スーダンからPKO派遣部隊の撤退の意味

 きのう310日の夕方、南スーダンへのPKO派遣の自衛隊施設部隊の撤退のニュースはあまりにも、唐突で、不自然だった。森友学園籠池理事長の記者会見に割って入った形の、首相の記者発表であった。施設部隊の仕事が「一定の区切り」がつく5月末をもって撤収するのだという。昨年の9月ごろから検討していたという。治安が悪化しているからではないのかという記者の質問には答えない3分間のぶら下がりだった。追いかけるように、菅官房長官、稲田防衛大臣、自衛隊トップは、治安悪化が撤退の原因ではないと必死の弁明が続いた。

11日、245分が過ぎた。6年前、私たち夫婦は、浅草での東京大空襲の写真展を見学、体験者の話を聞いた後、新宿に向かう山手線に乗っていた。車内に一時間半ほど閉じ込められた後、線路上に降ろされ、代々木駅近くから新宿まで歩いたが、もちろん家に帰る交通は断たれたので、思いつくまま、ひたすら池袋の私の実家へと歩き、7時過ぎにたどり着いた。いわゆる「帰宅難民」であったことを思い出す。その後、津波の被害、福島原発事故の深刻さを知ることになった。亡くなった人々、行方不明の人々の家族に、いまだに避難生活を余儀なくされている12万人の人々、生活再建のめどが立たないまま不安な日々を送っている人々に、何と声を掛けたらいいのだろう。

 

きのう、310日の朝刊には、週刊文春と新潮の、森友学園と安倍政権の関係のドロドロを競うように報じる広告が出た。新聞報道はじめ、テレビのワイド番組でも、新しい映像や情報が飛び交っていた。午前11時過ぎには、韓国の憲法裁判所が朴大統領の弾劾訴追を受けて罷免を宣告した。午後3時からは、小池都知事の定例記者会見が行われていたが、私は途中でテレビは切っていた。夕方、夫が書斎から下りて来て、5時半から、森友学園小学校申請取り下げの籠池理事長の記者会見があるらしいと。塚本幼稚園の会見場に現れた理事長が話し始めたが、前日の小学校建設現場での2回のぶら下がりでの独演の繰り返しであって、いつまで続くのやらと思っていた矢先、突然の速報が、冒頭の首相の記者発表だったのである。

  この日は、さらに、クアランプール空港で殺害された男性は金正男と特定したというニュースも届き、38日には金正男の長男の動画がネット上投稿されたニュースも流されていた。

騒然としたニュースが続くなか、首相の妻と森友学園との関係や言動の公私の混同がクローズアップされたり、政治家からの働きかけがあちこちから噴出してきたり、少なくとも籠池理事長の国会への参考人招致の世論の声が色濃くなる中で、首相の身に危険が迫ってきているのを察知したのだろう。そして、3月の中旬を迎え、各社の世論調査日程の直前のタイミングで、南スーダンからの撤退が発表されたのではないか。この見え透いた、目くらましまがいによる世論操作に騙されてはならないと思う。騙されるとしたら、まさに国民の民度が問われる場面だろう。

それにしても、派遣の自衛隊員は、どうか無事に帰国してほしい。すでに、昨年7月、現地で悲惨な戦闘場面を目撃して心的外傷後ストレス障害(PTSD)のケアが必要になった隊員が複数、約20人いることが、防衛省関係者への取材で分かったという報道もある(『毎日新聞』夕刊 2017311日)。

森本学園問題も、これで収束してはならないはずで、国有地の不透明な格安払下げ、森本学園での教育勅語暗唱などの偏向教育、小学校認可関連で、安倍首相夫妻はじめとする政治家たちと役人たちの動向が何を意味するのかを、徹底的に解明してほしい。

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2017年3月 8日 (水)

3月4日、学習会「千葉の空にもオスプレイ!―なにが問題?どこが危険?―」に参加~軍拡競争の真っ只中で、どうすれば

日本、米・中・韓国・北朝鮮の軍拡競争の再来

 

 227日の衆議院本会議で2017年度の予算案が通過、参議院でどうなろうとも衆議院優先で成立したことになる。974547億円の過去最大規模で、防衛費51251億円、前年度より1.4%増で、5年連続の増額である。収入内訳で、新たな借金となる国債は34兆円を超す。

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『朝日デジタル』227日より

 

    227日、 韓国政府は、北朝鮮の核やミサイルの脅威に対抗するため、アメリカの最新の迎撃ミサイルシステム「THAAD」を年内に配備する計画で、配備場所として、ロッテグループが所有するゴルフ場の土地を正式に取得したと発表している。

228日、トランプ大統領は、2018年度の予算について、公共の安全と安全保障を重視するとして国防費を増やす方針を示した。国防費10%、日本円で約6兆円の増額が見込まれるという。

 34日には、中国で、全国人民代表大会が5日から始まる前の傅瑩報道官の記者会見で、2017年の国防費の「増加率は7%前後」と明らかにした。1兆人民元を超え、日本円で17兆円に迫る見通しとなるという報道があった。

 36日、北朝鮮は、弾道ミサイル4発を同時に発射、秋田沖300350キロの排他的経済水域内外に落下した。日本は、「北朝鮮の脅威は新たな段階に入った」と安倍首相は、米韓日が緊密に連携して対応するとしている。

 

中国の尖閣列島周辺の動向や北朝鮮の弾道ミサイルの発射は大きく報道され、その脅威を増幅させているのが常である。たとえば、北朝鮮は、日米の軍事同盟の<強化>パフォーマンスがなされたとき、米韓合同訓練や日米合同訓練に合わて、ミサイル発射がされることが多い。相互が挑発に乗りあって、軍拡がエスカレートして、日本でも、根拠のはっきりいしない防衛予算、駐留米軍への多額の経費が計上される。折しも、36日から17日まで、陸上自衛隊とアメリカ海兵隊の合同訓練が、群馬県相馬原演習場、新潟県関山演習場で展開されている現実。政府は、自衛隊員の命をないがしろにする駆けつけ警護、各所での福祉予算の切り捨て、東日本大震災被災地で仮設住宅や店舗の閉鎖、戻るに戻れない原発事故被災地、杜撰な補助金、役人の天下り利権、廃炉費用まで国民に押し付けておいて、守るものは何なのか。国民の命と財産を守るどころか、むしろ脅威にさらしているようなものではないか。

 

軍拡競争に歯止めをかけるのは、憲法9条を持つ日本でしかない。その9条の改悪を進める政府を延命させるわけにはいかない、国民は何を突破口として実現していくのか、が問われているのではないか。

 

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『防衛白書』2016年版より。『日本経済新聞』(2016/12/23 1:30 電子版)では、「防衛費「聖域」扱い 中国・北朝鮮の脅威反映 過去最大の5.1兆円、5年連続増」という記事中、「中国や北朝鮮の脅威を名目に防衛費は<聖域>扱いとなっている」との文言も

 

 

当ブログでも、先日もお知らせした表記の学習会(さくら・志津憲法9条をまもりたい会主催)で、吉沢弘志さんの話を聞くことになった。近年、自分の勉強不足を痛感して、沖縄へ出かけたり、『琉球新報』を購読したりして、何とか沖縄のことを知りたいと思っていた。

 危険だというオスプレイMV22 が、昨年末、沖縄の名護市海岸に墜落大破した。そのオスプレイの整備拠点となったのは、米軍の木更津基地で、すでに1月に飛来している。日本の米軍基地では、各所へのオスプレイ配備計画が進み、何十機ものオスプレイが整備のために木更津にやって来るのではないか。その危険性は現実のものとなるのではないか、というのが私たちの不安だった。

 

吉沢弘志さんの話 

 吉沢さんは、埼玉大学でドイツ語を教えている先生だが、幅広い知見と活動で、市民運動に参加されている。以下は、吉沢さんの話のレポートとしたい。

 

千葉県木更津には、米軍基地に陸上自衛隊駐屯地が併設されているが、米軍のオスプレイMV22CV22 の整備拠点になることが決まり、すでに130日に飛来している。オスプレイは「空飛ぶスクラップ」とも呼ばれ、昨年1213日名護市海岸に墜落し、19日には飛行再開、年明けの113日には空中給油を再開した、あのオスプレイ。日本は、墜落現場に近づけることもできず、原因究明も米軍まかせの安全宣言、すべて日米地位協定に拠るものである。オスプレイの開発は、1982年に始まり、1999年に量産体制に入ったが、開発中の死者も続出、死者を出した重大事故の事故率が、2011年からみても減ることはなく確実に増え、2015年末には、3.58%だという。

 

*参考

MV22の事故率について(防衛省2012 

http://www.mod.go.jp/j/approach/anpo/osprey/pdf/dep_5.pdf

 

MV22の死傷者を伴う重大事故(防衛省資料、新聞記事から作成)                                                                      

開発

試験

段階

 

19916 

試作機初飛行で制御不能で転覆、軽傷2 

19927

エンジンから出火し墜落、死亡7

 

20004

 

急降下で墜落、死亡19

 

200012

 

着陸進入ときに王戎不能不能となり墜落、死亡4  

 

実用

 

段階

 

20104

 

アフガニスタンで墜落、死亡4

 

20124

 

モロッコで演習中墜落、死亡2人、重傷2

 

20126

 

米フロリダ州で墜落、負傷5

 

20155

 

米ハワイ州で着陸失敗事故、死亡2

 
201612  

沖縄県名護市海岸で墜落大破、負傷2

 

 

 普天間基地には、24機が配備されている。1機は墜落、1機は爆破?2機減ったはずが、直ちに増強され24機。横田基地には空軍仕様のCV2210機、岩国にCV2212機、厚木、三沢基地はじめ各地の演習場での飛行訓練が計画されている。70機近いオスプレイが、日本の空、低空を飛ぶ。さらに、自衛隊が2018年度までの「中期防衛力整備計画」で17機購入を決めていて、それらを含めて整備拠点の木更津に離着陸する。

米軍や政府が日本の防衛上、オスプレイの必要性を強調するが、ことごとく、「オスプレイの“ウソ”」として論破する。(下表は、吉沢さんの資料から作成)

                   
 

垂直離着陸ができる 

 
 

重装備の24人搭乗は不可能に近く、重量から垂直離着陸は5%に過ぎず、1500m以上の滑走路を必要としている (木更津は1800mの滑走路がある)  

 

航続距離が長い 

 
 

危険な空中給油を不可欠としている

 

抑止力

 
 

兵力としての乗員数は24名×機数が増強されても、抑止力の増強にならない  

 

災害救助

 
 

300度の熱風を下方に噴出、離着陸の場所確保が困難、積載量が少なく、輸送ヘリCH-47Jの方が効率が機能的 

 

急患搬送

 
 

離着陸の場所確保困難、防寒の必要、酸素吸入の必要も必要で、ドクターヘリの方が機能的  

 

 政府は、熊本地震で、災害救助として役立たずのオスプレイ出動を米軍に要請したが、飛行距離も長い必要はなかったし、積載量は段ボール200個分程度、着地には、熱風除去の大量の散水を必要とし、水不足の災害地では顰蹙を買い、「政治利用」だとの批判を浴びていた。

 

オスプレイは危険性だけでなく、売却価格の不透明さがある。冷戦体制が崩れた以後の日米同盟と米軍再編との流れに沿って、日本の防衛の建前が、離島防衛から離島奪還へと転換する中で、アメリカでの軍事利権保護のためだけに、米軍のオスプレイ配備、日本へのオスプレイ売却が進められているのが現状である。しかも、住民の反対で、アメリカ国内での飛行訓練がままならない状況の中で、主たる訓練は日本で実施されているのが現実。さらに、現在、オスプレイの購入を決めているのは、世界中で日本だけで、その購入価格もアメリカ政府のいわば「言い値」であって、関連機材、訓練費用などを含めると1200億以上という。さらに、おかしなことに、防衛省は、オスプレイのメーカーのボーイング社と契約するのではなく、ボーイング社から買い取ったアメリカ政府から買う仕組みとなっている。しかも、日本に先払いをさせておいて、契約内容を履行しないというのがアメリカの日本へのやり口だそうだ。

 

吉沢さんの話は、まだまだ、あるのだが、とりあえずのレポートである。

 

家にかえって少し調べてみた。オスプレイのアメリカ政府からの買い付けには、間に三井物産が入る。日本の2015年度予算案では、オスプレイ5機の購入費用として516億円(1機約103億円)、2016年度は12機で1321億円(1機約110億)が計上されていた。米軍の購入費用は1機当たり50億~60億円との報道もある。* そういえば自衛隊にオスプレイが届いた話は聞こえてこない。

 

*参考

 

自衛隊内でも異論…安倍政権「オスプレイ」相場の2倍で購入

 http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/157524

 

・熊本地震 オスプレイ物資搬送 「政治利用」の声も

毎日新聞2016419

http://mainichi.jp/articles/20160419/k00/00m/040/083000c

 

・「米軍オスプレイの我が国への配備の経緯」

防衛白書2016年版より

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2017年2月27日 (月)

オスプレイ、千葉の空にもやって来た

 穏やかな日曜の午後だったが、地元の9条の会で、ユーカリが丘駅頭でチラシを撒く宣伝を行い、参加した。参加者11人、1時間で、何枚撒けたのだろう。私は、北口で10枚、南口で15枚ほど、手渡すことができた。

 千葉県木更津市の自衛隊基地に、この1月から米軍のオスプレイの整備拠点が置かれ、すでに房総の空を飛んでいる。昨年12月13日、沖縄県名護市海岸に墜落した、あのMV22オスプレイである。 空中給油中に、プロペラがホースを切断したとか、12月19日には、飛行を再開、日本政府は、原因究明も情報公開もできずに、早々と容認した。佐倉の空に、いつ飛んでくるのか、墜落するか、わからないのだ。25メートルプールに納まらないほどの巨体、製作試乗中に30人もの死者を出し、本格飛行後も各地で事故が続発、8人もの死者が出し、負傷者は数知れない。事故率の高い、このオスプレイを、自衛隊も17機の購入を決めている。

 このオスプレイのなにが問題、何が危険なのか、知らなければならない、と今回の学習会を企画した。近くにお住まいの方は、ぜひご参加してみてください。

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 なぜ房総の空に飛行が集中するのか

 以下は、民間機の話だが。

 先日、千葉市内に所用があって出かけた。新京成千葉寺駅から青葉の森公園手前のハーモニープラザまで、歩いて5・6分の間になんと着陸態勢の低空飛行機が6機も確認できたのである。午後1時過ぎのことである。1分間に1機の割合の上、佐倉で見るよりかなりの低空で、高度は1000mはないだろう。騒音も大きい。羽田空港への着陸機であろう。自宅の佐倉市上空での飛行状況については、このブログでも何回か報告しているが、それでも、佐倉の場合は、北方からに着陸便だけなのだから。千葉市上空となると、西からの着陸便もだから、相当の数になるはずだ。

 というのも、羽田空港の西側の空は、米軍の横須賀、横田基地があるので、米軍の制空権の下で、民間機が飛べないのである。だから、房総半島上空に集中し、羽田空港のハブ化にともない東京区内の低空飛行も問題になっている。

 日本の空が、日本の空ではなくて、米軍機しか飛べないなんていう、理不尽があっていいのだろうか。住宅地の上を避けてコースを変えたり、高度を上げたりしても、根本的な解決にはならない。日本の空を取り戻すためにも、日米安保、地位協定の見直しが迫られているはずなのに、より強固にする?アメリカが、本気で日本を守ってくれるとでも思っているのだろうか。

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2016年6月27日 (月)

6月26日、「政治は変えられる!7/10参議院選挙 安倍政治は変えられる」、駅頭でビラをまきました。

私が、駅に着いたのは3時少し前、駅頭では、自民党選挙区の I 候補者が、演説中だった。人はまばら、私たちが、これからビラを撒こうという陸橋の通路にも数人立ち止まっている程度だった。もらったビラには小泉内閣時代の元少子化大臣認証式の、あの当時話題になったボテボテの青いロングドレスの写真があった。華やかりし、忘れがたい時代だったのか。その後、この人は何をしたかな。国際政治学者だったころの彼女の教え子たちが、「先生、いまの先生は、かつて大学で私たちに教えていたことと違ってはいませんか。安保法制のことを考え直してください」といった趣旨の質問状をもって面談を申し入れたが、応えてもらえなかったという記事を読んだことがある。それに、今回、も一人の自民候補者から千葉県在住実績がないと云々されているらしい。

 その彼女の運動員たちと並んで立っていたのが、なんと佐倉市長だった。昨年の市長選挙の時は「自民党入り」などおくびにも出さなかったのに。

 さて、私たち「さくら・志津憲法9条をまもりたい会」で、615日に配ったビラと同じ「政治は変えられる! 710日参議院選挙 安倍政治を変える大きなチャンスです」を、ユーカリが丘駅頭で配った。今日の配り手は6人で少しさびしい。配り始めてしばらくすると、年配の男性が二人相寄って、ビラをひっくり返しては眺めて話している。声をかけてみると、「どこが出しているビラ?だれの応援?」と聞かれる。だれか候補者の後援会の人でもあったのか。また、ビラを断るのに、「地元じゃないのよ」「ここの住民ではない」という人もちらほら、やはり特定の候補者のビラとでも思われたのだろうか。

 今回の私のマイクでのトークでは、前回とは少し違って、以下の通りだ。

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 私たちは、さくら・志津憲法9条をまもりたい会です。2006年に、憲法9条をまもりたいの一心で活動をはじめて10年になります。今日は、710日の参議院選挙を控え、ビラを配らせていただいてます。私たちは、さくら・志津憲法9条をまもりたい会です。

 安倍首相は、いま、参議院選挙では、声を潜めていますが、決して争点にはしないのですが、もし与党で三分の二の議席が取れたら、一気に憲法を変えようという構えです。すでに自民党草案を出しているから、自民党が有権者の皆さんにご支持いただいたから、といって、憲法を変えてしまおうというのです。安保関連法は、前の選挙の公約では、最後の最後の一行で小さく「安保法制の整備」と書いてあるだけでした。それがどうでしょう。国会の手続きを無視して、議決もなく騒然とした中で通過したと言ってます。 特定秘密保護法の時もそうでした。 だますようなやり方は、許せません。

 安保体制、日米同盟を強化して日本を守れるのでしょうか。アメリカは、日本を守ってくれるのでしょうか。アメリカの基地が、抑止力になるどころか、近隣諸国を挑発し続け、基地の内外では凶悪犯罪が続出しています。

 私は、623日慰霊の日に、沖縄に参りました。沖縄の方々は、皆、怒っています。憤り続けています。アメリカの基地はいらない、海兵隊は出て行け、日米同盟は不要、の思いは一緒です。

 憲法を守り、勝手に解釈で変えさせないの一心で、憲法まもりたい一心で活動を続けてきました。今度の選挙は大事な選挙です。皆様の貴重な一票を、ぜひ生かして投票しましょう。

 ただいま、「さくら志津憲法9条をまもりたい会」のビラを配っています。ぜひお読みください。

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 ビラを受け取った、中年の女性は

「あら、どこの政党が配っているの?」とビラに目をやる。

「私たちは、憲法9条をまもりたいという、市民の会です。政党は問わない、政党ではない、一般市民の人の集まりです」

「知らなかったわ」

「活動を続けて、今年で10年になります。毎月第2日曜、コミセンで集まって、いろいろ活動していますよ」 と宣伝をしておいた。

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2016年6月18日 (土)

<憲法9条をまもりたい> 駅頭でビラを配布しました

 参議院選挙の公示も迫った6153時から1時間、「さくら・志津憲法9条をまもりたい会」のビラを配った。千葉では「県民の日」で小中高生は休業、ユーカリが丘駅頭は小中高生のグループが多かった。高校生らしいグループには、どうしても今回のビラは渡したいと思うが、相手は話に夢中でタイミングが合わない。総勢7人での配ったビラのオモテは「政治は変えられる!夏の参議院選挙は安倍政権を変える大きなチャンス」と題し、「2015819日に強行採決された<平和安全保障関連法>については廃止にむけての運動が継続されています」「集団的自衛権の行使は憲法上許されません」など、かなりソフトな訴えではある。ウラは、新しく世話人メンバーに加わったMさんの文章が登場する。

 私には、二つほどのハプニングがあった。渡そうとするビラを一瞥した年配の男性から「安保法制、廃止?誰が日本を守ってくれるのか」「中国や北朝鮮が日本に原爆落としてくるぞ」という。「安保法制は、誰かが日本を守ってくれるのではなくて、アメリカが世界のどこかで戦争を始めたら、自衛隊を派遣しなければならないという法律があるんですよ」「日本は、武力をもって中国や北朝鮮に対抗するのではなくて、知恵でもって外交で渡り合ったらいいのではないですか」と、これまたつたない説明をすると、「奴らはそんな相手ではない。日本が潰れてなくなってしまえばいいというのが、あんたらの考えじゃないか」と去っていった。

 中年の女性に「憲法をまもりたいというビラです。読んでいただけますか」と手渡すと、「今度の選挙は大事ですよね。あの安倍に皆さんのご信任をいただいたのですからと、好き放題だけはしてもらいたくないんです」と話し始め、「何とか今の与党には票を入れないでほしいの一念で、私もときどき東京の集会に出かけたりして、呼びかけたりするんです。気ままに好きなときに出かけています」と続ける。「それではどうですか、飛び入りで、マイクで呼びかけてください」とお願いすると、早速「皆さん、今度の参院選挙は大事な選挙です・・・」とマイクを握った。

  私は、短い時間だったが、私たちの会が活動を始めて十年になったことから話はじめた。「安倍首相は、経済政策の失敗を世界経済の不調を理由に、消費税増税延期を掲げましたが、そもそも消費税は上げなくてもいいのです。延期を選挙の道具にして、人気を取ろうとしているにすぎません・・・」とそのあとは、法人税を1%でも上げれば4500億の財源確保ができるのに下げてます。それに、総合課税としたうえ、累進課税を手直しして富裕層からの所得税の税率を少し高くすれば財源の問題は解決するのです」というパターンと「参院選では声を潜めている憲法改正問題ですが、多数を取ったら、自公で三分の二を取ったら、公約で小さく小さく書いている問題を前面に押し出してくるのがいつもの手です。特定秘密保護法、安保法制関連法をごり押ししたのもその手だったのです・・・」と。どれほど通行の皆さんに届いているのか心細い限りだが、一時間の活動は終わった。 

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2016年3月28日 (月)

駅頭でビラを配りました

  3月27日、少し日が差してきた日曜の午後、ユーカリが丘駅北口で、私が参加している「さくら・志津憲法9条をまもりたい会」は、「18歳は選挙デビュー」のチラシを配ることになりました。この日の参加者は、いつもよりやや少なめの8人でしたが、通行の方々の受け取りはよかった由。私は、なんかタイミングが悪くて、1時間弱で渡せたビラはわずかでした。二つのバージョン、合わせて5分ほどのトーク、三度繰り返し、バトンタッチしました。以下は、その時の手持ち原稿です。

****************

  皆さん、私たちは「さくら・志津憲法9条をまもりたい会」です。2006年から、活動を続けています。ちょうど今年で、10年になりますが、この大事な憲法が大きく変えられようとしています。いまニュースとチラシを配っています。今度の参議院選挙は、とても大事な選挙になると思います。(太字部分を繰り返し)

①安倍首相は本気で憲法を変えようとしています。集団的自衛権は、解釈で認められたと言っていますが、その歯止めとなるのが憲法9条です。 憲法9条が国民の間で愛され、大切されていること知った安倍政府は、いま9条改正を持ち出すのはまずい、と思ったのでしょう。まず憲法に、「緊急事態条項」というものを盛り込もうとしています。首相が閣議で「緊急事態」を宣言すると、政府が出す政令が、国会審議を経て成立する法律と同じ効力を持ち、国民には、政府の指示に従う義務が生じるのです、国民の権利が大きく侵害されてしまうのです。
  「緊急事態条項」、私も初めて知りました。 大災害やテロや武力攻撃が発生したら、いまの憲法では迅速に対処できないというのが自民党の考えです。それに、どこの国の憲法も「緊急事態条項」も持っているというのが、自民党の理由なのです。果たしてそうでしょうか。今、すでにある法律で、災害対策基本法や災害救助法、自衛隊法や警察法で十分対応できるのです。その運用さえ間違わなければ、可能なのです。これ以上政府に好き勝手をさせる緊急事態条項は不要ではありませんか。 諸外国の「緊急事態条項」には、必ず歯止めが伴っています。日本では、まったくその歯止めのない、政府がフリーハンドになってしまうのです。これほどおそろしいことはありません。憲法に「緊急事態条項」は必要ありません。
  今度の参議院選挙は、大事な選挙です。「緊急事態条項」を加速させてはいけません。 立ちどまって、よく考えてみましょう。

② このところ、安倍内閣の閣僚や政治家たちの、政治家らしからぬ、とんでもない不祥事や発言が問題になってますね。あのような政治家を選んでしまったのも、私達国民です。今度の選挙はよく立ち止まってゆっくり考えなければと思ってます。
  安倍政府は、自分たちの経済政策が何一つ成果を出さないまま、それどころ悪くなっていることを、ごまかそうと、一所懸命です。介護や年金、保育や労働の現場はどうでしょう。安心して年を取れない私達、非正規では結婚できない、安心して子どもを持てないという若者たちが急増しています。こんなとき、消費税増税の延期を持ち出して、増税延期を道具にして、選挙に臨もうとしています。ハイリスク・ハイリターンの年金運用、介護士や保育士の皆さん非正規で働く皆さんの待遇改善が進みません。その場限りの決意表明や言葉だけの約束に終わっている政府与党です。
   そもそも、消費税増税すると3.4兆円の税収があると言います。しかし、増税しなくても、他の財源が沢山あるのです。政府は法人税の値下げを加速させています。1%でも元に戻せば4700億の財源が増えるのです。オスプレイは1機103億もします。17機も買おうとしています。無駄遣いをやめればいいのです。増税延期を口実に、福祉政策がますます悪くなってきています。劣化していくでしょう。
  消費税増税延期を選挙の道具に使っている、使おうとしている自民党の続投を許してはなりません。 選挙が近づきました。ここで、立ち止まって、よく考えてみましょう。

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2016年3月20日 (日)

「短歌サロン九条」(憲法九条を守る歌人の会)“柳原白蓮を語る”に参加しました ~「評伝」におけるオマージュについて

 会員ではないけれど、いつも会報『歌のひびき』を頂いていて、319日の例会で、中西洋子さんの柳原白蓮についてのレポートがあることを知った。今回ばかりは、ぜひお聞きしたい報告であった。私は、2年ほど前に、白蓮が編集した『塹壕の砂文字』(1938年)という短歌のアンソロジーを入手していた。その表題紙に近い遊び紙に、白蓮の手になるサインと献呈先が書かれていて、その献呈先の名前が気になっていた。その名前の検索に端を発して、白蓮のことを調べ始め、その顛末をある雑誌に寄稿したばかりだったのだ。まだ、調査の途上だったからである。 

 会場は、八丁堀の喫茶店貸切りで、24名の参加者であった。中西さんの報告は「柳原白蓮と戦後の活動」と題されていたが、やはり、1945年以前の話が中心となった。白蓮や宮崎龍介の出自にもわたり、歌集の作品に添った鑑賞もあり、とても分かりやすかった。私も時代、時代の初出作品はなるべく読むようにしてきたが、「歌集」として読み通すことはなかったので、その変化などに言及された点が興味深く思われた。さらに、これまでの中西さんの論考では、触れていなかった上記『塹壕の砂文字』の編集については、前線や銃後の人々という弱者への配慮が行き届いている点を強調された。また、これまで触れることのなかった『皇道世界』(19442月)に発表された「吾子は召されて」の作品もレジュメに記載されていたことだった。  

レポート終了後、私は、初めての参加ながら、少し図々しかったかもしれないが、つぎの2点を確かめておきたいと質問した。私自身は、関心のある歌人に向き合うとき、日中戦争下、表現者としてどんな作品を発表し、どんな行動をしたか、それを戦後どのように考え、歌人としての活動をどのように続けたか、に着目することにしている。したがって、一つは、白蓮についても、『塹壕の砂文字』に寄稿している十首、長男が学徒出陣で出征したときに繰り返し寄稿していた作品群と戦後の作品とのギャップというか整合性についてどう考えるか、であり、一つは、上記の『塹壕の砂文字』の献呈先から、行き着いた生長の家、当時の大陸侵攻、天皇崇拝、聖戦完遂を積極的に推進していた生長の家との関係についてであった。中西さんは、白蓮は、時代と素直に向き合っていたことはたしかで、何が本心だったのか、分かりません、とも答えられ、また、白蓮の宗教観は、仏教はじめ大本教や天理教などの宗教に対しては、広く関心を示し、招ばれれば、どこへでも出かけて行って、講演などいとわなかった、との話をされた。 

その後、この会の恒例ということで、参加者全員の感想が述べられた。多くの方は、白蓮の華やかな、あるいはスキャンダラスな面しか知らなかったので、今回全体像を知ることができた、勉強できたというものだった。戦時下の作品や言動については、当時は、誰もが権力者に逆らうことができなかった、あるいはマインドコントロール下にあったが、長男の戦死によって、目が覚めて戦後の活動に繋がったことがわかった・・・との発言、「あの白蓮さえも、戦後は平和運動に命をかけたのだ」という思想の変遷、弱い者へのまなざしは自分の出自や社会運動家となった宮崎龍介の影響もある、などといった感想や応答を聞いていて、思うことは多々あった。 

一人の人間の生涯を見つめるとき、その足跡の意外性や物語性に目を奪われて、たとえばその思想の変容の軌跡を、他愛なく許容してしまってはいないか。実は、その底に流れているものを見過ごしてはいないかが、私には重要な課題である。ちょうど、『短歌研究』4月号の特集「評伝を考える」が興味深かった。評伝のスタートは、「一次資料」であって、家族や遺族に依拠する資料や証言は、執筆者にとっては、補充資料だろう。関係者への配慮があると、ほんとうの評伝は書けず、たんなるオマージュになる可能性が高くなるのではないか、と思っていた矢先であった。評伝にかぎらず、近頃のマス・メディアの識者のコメントや登場人物の傾向を見ていると、その人の過去の言動には、目もくれず、現在の、そのメディアの都合の良いことばだけがピックアップされ、中身というより、現在の肩書にものを言わせるような流れが出来上がってしまっていないか。肩書信仰、学歴信仰が蔓延している、そんなところに、今、話題にもなっている「学歴詐称」問題も浮上したのだと思う。 

 私は、二次会に参加できなかったのだが、会終了後、参加者との立ち話ができたのが収穫でもあった。何人かの方に、声をかけていただいたが、拙ブログの「ことしのクリスマス・イブは(4)~歌会始選者の今野寿美が赤旗<歌壇>選者に」(20151229)を読んだ方もいらっしゃって、「今野さんという選者選びがおかしい」「編集部から、これまでの赤旗の選者たちには全く相談がなかったらしいです」と、党機関紙の姿勢に疑問を投げる人もいた。そう、きょうの参加者の中には、現役、過去も含めて赤旗歌壇選者が数名いらっしゃったのである。「今野さんの歌会始の短歌、ひどいですよね」「赤旗歌壇の今野さんの選が、あまりにもおもねているので、驚いちゃった」といった声もあったのだ。

 雨が上がった週末の広尾界隈、初めて通る道もあった。

 

追記:なお、冒頭の白蓮についての拙文は、『日本古書通信』4月号(415日発売)に掲載予定です。

 

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2015年10月15日 (木)

雨の霞ヶ浦~吉崎美術館の高塚一成個展と予科練平和記念館と(2)

予科練平和記念館へ

 高塚夫妻は、美術館に残られたので、私たち3台を連ねて355号線を戻り、今度は、霞ケ浦の西岸に沿って、美浦(「みほ」と読むらしい)を経て、一時間ほどで、高い鉄塔が見えてきた。陸上自衛隊土浦駐屯地武器学校である。広い駐車場の向うの予科練平和記念館は、白い大きな四角い窓が特徴的で、銀色の積み木を重ねたような建物だった。館内は、天井が高く、明るくホールを中心に、予科練の七つボタンにちなんで、リーフレットにあるように「入隊」「訓練」・・・「窮迫」「特攻」の七つの展示室に分かれている。「入隊」では、各地から難関だった選抜を経て入隊する少年たちの意気込みが、「訓練」では、軍事や教養を含め、飛行訓練へと励んだ様子が伺われる。「窮迫」の部屋は、映写室で、1945610日の阿見町空襲が7分間の映像で伝えられ、当時の練習生や隊員、職員の方の証言映像で凄惨な様子が語られる。米軍の計画的な阿見町の軍施設爆撃だったが、町全体が壊滅的な被害を受け、374名の犠牲者が出たという。ただ、映画の監修者に遊就館(靖国神社)と海原会の名があったのには少し気になったところであるが、どの部屋の展示も、いろいろ工夫がされていた。

 予科練平和記念館は、阿見町の運営で、今年で開館5年となり、つい最近、記念行事が終わったばかりのようだった。私たちが見学した1011日の日付で、記念館のホームページの「館長日記」には「予科練平和記念館5年間の歩み」が記されていた。http://www.yokaren-heiwa.jp/blog/?cat=3"

 それによれば、長い準備期間を経て、201022日にオープンし、歴史調査委員を擁し、さまざまな取り組みによって、資料や証言の収集、その展示、継承に力を注ぎ、現在に至っている。アーカイブも整いはじめ、検索もできるようになっているのを知った。

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予科練平和記念館全景

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入館チケットとリーフレットの一部

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展示室「入隊」、パンフレットより

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七つの展示室のテーマ、リーフレットより

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展示室「訓練」、教室が再現されている。手前に見えるのはハンモック

予科練と特攻 

 そもそも、「予科練」とは、「特攻」とは何だったのか。私の世代すら、むかし見た映画の影響からだろうか、七つボタン、白いマフラーを連想し、「予科練くずれ」「特攻くずれ」の言葉が頭をよぎる。

 予科練とは、海軍飛行予科練習生の略で、旧海軍が、若いうちから優秀な搭乗員を養成しようということで、1930年、横須賀の海軍航空隊に設置された飛行予科練習生制度である。1939年には、霞ケ浦海軍航空隊に移設され、全国の予科練教育の中心的な役割を担うことになった。当初は、全国の14歳から17歳の少年たちを対象に、選抜試験により人材を集め、軍事・教養の基礎から飛行訓練を行った。しかし、戦局が悪化するにつれ、とくに、太平洋戦争下、その末期には、教育期間も短縮されていった。さらに、壊滅的な戦力を補うべく、海軍は「特別攻撃隊」という作戦を考案し、人間魚雷回天、水上特攻艇震洋、特殊潜水艇海龍、人間爆弾桜花など人間自体を兵器とし、目標に突撃するものだった。しかし、目標に届く前に撃墜されたり、自爆したりして、その戦果は、微々たるものに過ぎなかった。しかしその要員を補ったのが、多く予科練からで、その戦死者は2800名に及んでいる。その中には、194412月「特別丙種飛行予科」コースが新設され、本名と日本名と二つの名前を持つ朝鮮人、台湾人の若者たちが含まれていた。展示室「特攻」の映像のラストシーンは、出撃直後、モールス信号が途絶えたときが、彼らの死の瞬間であったとことを強調するものだった。そして、記念館のパンフレットでは、「当時の緊迫した情勢のなかで、志願しなければならないような状況があったことは想像に難くない」との解説がなされていた。「特攻」を考案したとされる軍部の幹部たちは責任を取ることもなかったのである。

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人間魚雷「回天」
 

土門拳と予科練

 エントランスやホールでは、予科練の少年たちの訓練や暮らしを伝える壁いっぱいの写真やパネルが目をひく。その写真はすべて土門拳によるものだった。「筑豊の子どもたち」や「古寺巡礼」などで、その名を知るが、予科練とはどんな関係だったのだろうか。写真は、どれも少年たちの躍動的な身体、真剣なまなざし、やさしい笑顔が活写されていて、魅力的な作品が多かった。

 土門拳(19091990)のカメラマンとしてのスタートは、上野池の端の写真館であったが、1935年、名取洋之助の日本工房には入り、海外向けの日本紹介雑誌「NIPPON」の仕事をしていたが、1939年には外務省の外郭団体、国際文化振興会の嘱託となった。それに先立ち、1938年には、田村茂、藤木四八、浜谷浩らと青年報道写真研究会を立ち上げている。近頃、私は、太平洋戦争下の婦人雑誌を調べることが多いが、なかでも『婦人画報』などのグラビアで、土門拳は、先の田村、藤木、浜谷らと一緒に頻繁に見かける写真家の名前だった。土門の人物写真や報道写真は、その人間くささとしたたかさが、他と少し違うように思ったものだ。記念館のリーフレットによれば、展示されている土門の作品は、たまたま入院していた練習生が身近に持って出ていた42枚が処分を免れたものだったという。

記念館が開館して間もないころ、産経新聞の茨城版で連載していた記事が『土門拳が封印した写真―鬼才と予科練の知られざる交流』(倉田耕一 新人物往来社 20107月)として出版されている(未見)。この本の紹介によると、土門は、海軍省の依頼により、19446月から数週間、甲種13期生の31(入野)分隊第4班の一員となり、練習生と起居を共にして撮影し、ときには少年たちにはきびしい注文も付けたという。それほどまでにして撮影した労作を、戦後、みずから封印し、焼却されたとも言われている。

予科練平和記念館の初代糸賀富士夫館長が、酒田市の土門拳記念館を訪ねたとき、予科練の写真が一枚もなかったと記している(「土門拳を訪ねて」2010年9月8日http://www.yokaren-heiwa.jp/blog/?p=1298 )。たしかに、土門拳記念館のホームページの「年譜」では、予科練での撮影の事実はどこにも記されていない。その年譜をあらためて見てみると、1943年の個所には、『日本評論』9月号における「対外宣伝雑誌論」のなかで宣伝グラフ誌を批判し、客観的真実に立脚した報道を提唱して、発禁になった旨の記述はあるが、1944年は空白のまま敗戦後に続くのである。

いったい、どうしてなのか。戦時下の大政翼賛的な作品や活動を、不都合なこととして隠蔽する芸術家や論者は多い。しかし、「土門拳まで、お前もか」の思いは去らない。戦前・戦後を通して残した作品は、すべて公開し、自らの評価、第三者の評価にゆだねることも、表現者としての責任ではないかと思っている。「客観的真実に立脚」しなかった、「後ろめたい」というならば、なおさら、そうしないことには、歴史に向き合い、過去から学ぶことを放棄することと同じになりはしないか、と。いつの日か、どこかの土蔵の隅から、あるいは手つかずの段ボール箱から、封印したという作品群が見つかりはしないかと祈るような気持ちもある。

少年たちの死

「明日は外出です。金を一円もって、饅頭食って汁粉を食って、大福食って芋食って、アンミツ食ってあべかわ食って、倶楽部へ行って火鉢にでもあたっている予定です」と手紙に書いた福山資さんは、佐賀県出身、甲種第5期練習生で、1939年入隊、1942131日卒業、台南航空隊から蘭印に飛び194232日に戦死、18歳だった。この手紙を読んで、思い出したのが、陸上自衛官でマラソン選手だった円谷幸吉の「父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿 もちも美味しうございました。敏雄兄姉上様 おすし美味しうございました。勝美兄姉上様 ブドウ酒 リンゴ…」で始まる遺書だった。

予科練平和記念館の隣に広がる陸上自衛隊土浦駐屯地の一画にある雄飛館は、予科練戦没者の遺書・遺品約1500点を収蔵、展示し、予科練出身者、遺族で構成される「海原会」が管理している。壁いっぱい、展示ケースいっぱいに肖像写真と遺書をひたすらに並べた光景は不気味でさえある。むしろ解説などは不要なのかもしれない。その記録から、彼らの死の実態を知り、遺された私たちが今できることを考えなければと思う。

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 武器学校敷地内にある雄飛館に向かう

予定よりやや早めに、雨もすっかりあがり、茜色の落日に向かって帰路についた。

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2015年10月13日 (火)

雨の霞ヶ浦~吉崎美術館の高塚一成個展と予科練平和記念館と(1)

水郷大橋を渡る

 地元の「さくら・志津憲法9条をまもりたい会」の代表である高塚一成さんの油彩展(2015102日~113日)が茨城県行方(なめがた)市の吉崎美術館で開催中である。今月の第2日曜の「まもりたい会」例会は、その美術館で開こう?ということで、久しぶりの遠出となった。高塚夫妻の先頭車両に続き、3台に分乗した11人、私たちの車は運転のMさんと3人、女性ばかりのおしゃべりで盛り上がる道中だった。あいにくの雨ながら、佐倉、成田を抜け51号線に入り、北上するが、渋滞もなく、水郷大橋を渡れば茨城県潮来。小降りになったところで、北利根橋を渡って永山交差点で左に折れて355号線に入った。

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北利根橋を渡ると

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355号線に入った

 私の知っている水郷大橋は、佐原での2年以上の疎開生活で、毎日遠くから眺めていた長い頑強そうな鉄橋であった。母の生家が佐原の岩﨑で、まずは小学生だった次兄が縁故疎開で、つぎに母と私が身を寄せ、池袋の家が1945413日夜の空襲で焼け出されてからは、薬局を営んでいた父と薬学校に通っていた長兄も加わり、一家5人の疎開生活が始まっている。当時、幼い私が眺めていた鉄橋とポプラが群れ立つ風景は、衣食住がままならず、街の和菓子屋さんの芋羊羹がのどから手が出る程欲しかった、そんな過酷な暮らしのなかで、どこか憧憬にも似た、やさしさを漂わせていた。あの橋は、1936年に完成したもので、1977年に300mほど上流に架けられた現在の水郷大橋ができて、その役目を終えたという。その後、佐原には何度か来ているが、新しい水郷大橋を渡るのは、この日が初めてだった。
 355号線を進むと右側に、小さな吉崎美術館の案内板が見えてきて、曲がるとすぐに一乗寺という寺の山門だけがまるで道端に転がるように建っていた。さらに、山道を進むと、とんがり屋根の赤い壁の瀟洒な建物が見えてきた。車を下りれば雨も上がり、あたりの緑に、庭の柿の赤い実が際立っていた。

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吉崎美術館に向かう

具象画を前に、麻生高校美術部の伝説の人!

 美術館のオーナーの吉崎才兵衛さんは行方(なめがた)の出身の画家、高塚さんは、潮来(いたこ)出身で東京芸術大学に進んで、活躍する画家だ。このたび、昨年4月にオープンしたばかりの吉崎美術館で個展の運びとなったという。館内は、木の香がただよう明るい雰囲気で、吉崎さんご自身の作品とコレクションの一部が展示されている部屋と企画展の部屋に分かれ、それに大きなテーブルがデンと控えた、おしゃべりをしたりお茶の接待まで受けたりしたスペースがあった。連休初日のこの日は、高塚さんの地元のお知り合いが何人も訪れていて、その対応にも忙しそうだった。「私の絵は、具象なので、ともかく自由に見てください」と言いながらも、忙しい合い間を縫って、私たちにはみずからの作品の解説をしてくださった。

 たしかに写実ではないので、鑑賞する人の想像力、いや創造力が掻き立てられるのだが、話を聞いていても、狭まることなく、その世界が広がるから不思議である。「鎮魂―四つの最後の歌より」と題する大作は、題とはかけ離れ、実に明るい色調のなかに捕えられた鳩が自ら解き放たれようとしているようなメッセージが伺われたが、その作品の意図を聞きもらしてしまった。また正反対の「沼―凍てつくような寒い朝」と題された作品は、完成までに4年を要したという大作だった。私の貧しい経験からは、佐倉が、福島原発事故の放射線量がかなり高いホットスポットと言われていた時期、一度ならず放射線量を調べ、測定に従いて回ったときの、印旛沼を思い出していた。今回の、16点のなかで、私がもっとも心ひかれたのは、「夕暮れ」と題する小品だった。どこの水辺とも分からない、河なのか沼なのか静かな水面の対岸とその空が描かれているが、ほとんどモノクロに近い、淡い色調に奥行きが思われ、茜や朱はどこにもあらわれない意外性にも納得するのだった。

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中央が「沼」

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「夕暮れ」

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 展示室を出たところの掲示版に、今回の個展のポスターがあるのに気が付いた。「麻生高校美術部 伝説の人」との添え書きがしてあった。吉崎さんが問わず語りに、話されたのは、美術部の部室には高塚さんのデッサンが掲げられ、後輩たちの憧れでもあり、目標にもなっていたという。今回の個展にも多くの後輩たちが駆けつけているとのこと。高塚さんの人柄を彷彿とさせるエピソードであった。
 吉崎さんご自身の作品や同郷の村山密の作品にも初めて接しすることができ、ホッコリする気分にもなったのである。そして、潮来の牛堀は、早世したので、私は会うことがなかったのだが、私の父の父、祖父の出身地でもあり、私も、幼いころ、父に連れられて、一度だけ同姓の遠縁のお米屋さんを訪ねたことがある。ダットサン?に乗ってお墓参りをした記憶もよみがえる。お米屋さんはいまでもあるのだろうかと、吉崎さんにたずねてみたところ「そうそう、そのあたりに詳しいのが来ているよ」と、お客さんの一人を手招きしてくださった。町役場に永く勤めていたという方だった。「同姓の家は結構あるが、40町歩の〇さん?それとも、米屋となると、あそこかも知れない。もう米屋はやめて、新しい事業をしているが・・」とのことで、「もっと早くに来れば、年寄りに遇えたかもしれん・・」と残念がってくださった。

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美術館オーナーの吉崎才兵衛さんの作品

北利根、川辺のレストラン「蔵」にて
 今回の霞ヶ浦行きの、もう一つの楽しみは、地元の牛堀で高塚さんの親せきの方がなさっているイタリアン・レストランでのランチだった。北利根の船着き場のお米の倉庫だった蔵を改造しての作りで、なかなかの風情があるものだった。目の前には釣り人がちらほら、ときどきすごい音と水しぶきを上げて駆け抜けるモーターボート、天気さえよければ右手には筑波山が見えるという。葛飾北斎の富嶽三十六景に「常州牛堀」があって、富士山も見えるとのことだった。店内は、意外と広く、一枚ものの分厚い木のテーブルがあって、詰めれば156人は座れそうで、他にテーブル席もあり、カラオケもライブもできるらしい。私は、茄子のミートソースのパスタとサラダ、それにケーキをおいしくいただいた。おしゃべりに夢中で、「9条まもりたい会」の例会はどこへやら・・・。でも、午後からは、「まもりたい会」の恒例でもある戦跡めぐりで、阿見町の予科練平和記念館に向かうことになっている。

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