2022年7月22日 (金)

『朝日新聞』川柳欄への批判は何を意味するのか

 わたしは、長年、短歌を詠み、かかわってきた者ながら、新聞歌壇にはいろいろ物申したいこともあり、この欄でもたびたび書いてきた。最近は、毎日新聞や朝日新聞の川柳欄をのぞくことの方が多くなった。

・疑惑あった人が国葬そんな国

・利用され迷惑してる「民主主義」

・死してなお税金使う野辺送り

 7月16日の「朝日川柳」は「国葬」特集なのかな、とも思われた。短歌やブログ記事ではなかなか言えなかったことが、短い中に、凝縮されていると思った。

 安倍元首相の銃撃事件について、「民主主義への挑戦」といった捉え方に違和感を持ち、さらに、全額国費負担で「国葬」を行うとの政府にも疑問をもっていたからでもある。こうした川柳をもって、安倍元首相や政府方針を「揶揄」したのはけしからん、ということであれば、安倍批判や政府批判を封じることに通じはしまいか。政府への「忖度」が、言論の自由を大きく後退させ、自粛への道をたどらせたことは、遠くに、近くに体験してきたことである。  

 大手新聞社やNHKは、たださえ、安倍元首相と旧統一教会との関係、政治家と統一教会との関係に、深く言及しないような報道内容が多い。もっぱら週刊誌やスポーツ紙が取材や調査にもとづく報道がなされるという展開になっている。テレビのワイド番組が、それを後追いするような形でもあることにいら立ちを覚える昨今である。

 朝日新聞社は19日、J-CASTニュースの取材に対し「掲載は選者の選句をふまえ、担当部署で最終的に判断しています」と経緯について説明。「朝日川柳につきましてのご指摘やご批判は重く、真摯に受け止めています」と述べ、「朝日新聞社はこれまでの紙面とデジタルの記事で、凶弾に倒れた安倍元首相の死を悼む気持ちをお伝えして参りました」とし、「様々な考え方や受け止めがあることを踏まえて、今後に生かしていきたいと考えています」と答えたという。どこか腰が引けたようなスタンスに思えた。さらに7月22日には、重大な訂正記事が載っていた。上記「利用され迷惑してる『民主主義』」の作者名が編集作業の過程で間違っていたというのである。なんとも「シマラナイ」話ではないか。

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二句目のの作者が、「群馬県 細堀勉」さんだったとの訂正記事があった(『朝日新聞』2022年7月22日)

 また、今回のNHKの報道姿勢について、当ブログでも若干触れたが、視聴者団体「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」は、7月19日、「犯罪捜査差の発表報道に偏せず、事件の社会的背景に迫る公正な調査報道を」とする要望書を提出した。番組のモニタリングから、容疑者の銃撃の動機についての解説や識者のコメント、安倍元首相の政治実績の情緒的な称揚、東日本大震災の復興政策、経済再生政策、安全保障政策において、事実と国民の意識とはいかに離反していたかの分析もない報道を指摘している。NHKはどう応えるのか。

 NHKには「政治マガジン」というサイトがある。事件後の関連記事には、安倍元首相と旧統一教会、政治家と旧統一教会の記事は一本も見当たらず、もっぱら警備体制、国葬に関する記事ばかりで、7月19日号の特集では「安倍晋三元首相銃撃事件<政治が貧困になる>」と題して、政治学者御厨貴へのインタビュー記事が掲載されている。「戦後日本が築き上げてきた民主主義が脅かされていると同時に、今後の政治全体の調和までもが失われる深刻な事態だと警鐘を鳴らした」という主旨で、今度の事件は「民主主義への挑戦」とのスタンスを展開している。NHKよ、どこへゆく。

 

 

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2022年7月18日 (月)

動機は明白になって来た~容疑者に「精神鑑定」は必要か

 安倍晋三元首相銃撃報道における容疑者と旧統一教会との関係、容疑者が「なぜ安倍をねらったのか」について、大手メディア、とくに、テレビの報道番組のスタンス、メインキャスターやコメンテイターの発言は、そろいもそろって、旧統一教会と安倍との関係を薄めよう、薄めようという意図が歴然としてきた。加えて、安倍の功績をたたえ、その上塗りをするものであった。安倍の銃撃事件と旧統一教会・政治家との関係は切り分けて考えないといけないとの論調も依然として有力である。

 NHKは、容疑者は旧統一教会と安倍が密接な関係があると「思い込み」によって犯行に及んだと「7時のニュース」では言い続けている。旧統一教会と容疑者の母親の寄付・金銭トラブルや安倍との関係は極力触れず、旧統一教会の記者会見後も 「宗教団体(世界平和統一家庭連合)」というのがテロップでの表示である。7月12日の「ニュースウオッチ9」ではこともあろうに、第一次・第二次安倍政権で、防衛大臣や党の副総裁を務めた高村正彦を登場させ、安倍晋三の“政治的功績”をるる述べさせた。そして「(安倍への)批判も確かにあったが、その評価は後世の史家に委ねられる」と締めくくり、MCの田中正良もなんと高村と同様に「事件の判断は歴史に委ねられる」と言い放った。メディアの機能不全、自殺行為にも等しい。ちなみに、高村は、弁護士時代、旧統一教会の訴訟代理人だった人である。政権・政治家への擁護がここまで露骨だと、視聴者の疑問をかえって深めてしまうだろう。

  テレビ朝日「報道ステーション」の大越健介は、容疑者がなぜ安倍を狙撃したのかは「理解不能」とまで明言した。日テレ「ウエークアップ」(7月16日)の野村修也は、安倍元首相の銃撃事件を「教団を壊滅させようと道具として利用した面もあるかもしれない」などと述べる。複数の局の番組で、田崎史郎は「政治家は、選挙で一票でも欲しいから、頼まれれば、祝辞やメッセージ、行事への参加も断れない」などとぬけぬけというではないか。

 そして、政府は、警備体制の不備を強調し、今後の強化を進めるといい、捜査当局は、容疑者の銃や火薬の製造やその性能をしきりに究明するのに熱心で、挙句の果て、奈良地検は、容疑者の動機には「飛躍」があり、刑事責任能力を調べるために本格的な「精神鑑定」を実施する方針を固めたという(毎日新聞7月17日)。容疑者の動機の解明、政治家と旧統一教会との長期間にわたる密接な関係究明からはますます離れてゆく様相がみえてきた。

 さらに、岸田首相は、早々と全額国費で、秋には、安倍晋三の「国葬」を実施すると表明し、憲法改正を突破しようという魂胆である。コロナ感染が収まらず、物価高騰に歯止めがかからず、経営苦の中小企業、生活苦の非正規雇用の人たち、医療費の負担増額が強いられる高齢者たちは、事件や人の死を利用した税金の無駄遣いを許せるわけがない。

 

 

 

 

 

 

 

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2022年3月17日 (木)

NHKは、余分な解説をするな、事実を正確に伝えよ!

  NHKの7時のニュースに合わせての首相記者会見には、もう、うんざりである。NHKは官邸の広報か、国営放送かと紛うばかりである。会見の内容も相変わらず具体性のないものだし、記者たちの質問もゆるい。そしてそれをスタジオでは、解説という名の後追い、繰り返しでしかない。時間をそのために延長しているにすぎない。
 もちろん、NHKに限るわけではない。民放も含めて、報道番組全体に言えることなのだが、そこに登場するコメンテイターや専門家のコメントほど役に立たないものはない、とつくづく思うようになった。

・予報士の横でごちゃごちゃうざいアナ(勝浦 ナメロー)

「仲畑流万能川柳」(『毎日新聞』2022年2月26日)の入選作である。かねてより、7時のNHKニュースの最後の天気予報を見ていて、予報士が地図を見ながら解説している途中で、左側に立つアナウンサーが、合の手を入れるというか、言わずもがなのセリフを発するのが、まさにうるさく「うざかった」のである。「ふれあいセンター」にも伝えたが、いっこうに改まらなかった。それがなんと、今年の2月からか、そんな場面がぴたりとなくなったので、「晴々とした」?気持ちで予報を聞くことができるようになった。
 ついでながら、女性の予報士が、毎晩、とっかえひっかえの衣装や髪形で登場するのにも、私など不快感を覚えていた。コツコツとハイヒールで天気図のパネルに近づいたり、離れたりするのも気になっていた。そうかと思えば、マタニティ服で登場すること自体には応援したい気持ちなのだが、二度と同じ服は着ませんみたいなコンセプト?のファッションにも違和感があった。気象情報は、まさに淡々と正確な情報をわかりやすく伝えるのが命だろう。余分な情報発信はやめて欲しい。

 事件や情勢が深刻であればあるほど、マス・メディアの発する情報や言葉は重要になって来る。
 そして川柳はむずかしい!!ナメローさんから拝借して。

・現地からの画面にゴチャゴチャうざい“専門家”

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例年より少し遅く咲き出したスイセン、エサ台には、つがいの?ヒヨドリが交代でやってきた。

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2021年10月24日 (日)

眞子さんと小室さんの結婚騒動~「さま」と「さん」って、どういうこと ?

 多くのメディア、良心的な?とされる報道番組や新聞に至るまで、眞子さんと小室さんの結婚報道を見ていると、もう、男女平等、ジェンダーを語る資格があるのだろうかと思ってしまうし、結婚する二人、その家族らへのバッシング報道には、うんざりというよりは、怒りさえ覚える。

たとえば、直近の眞子さん30歳誕生日の記事を見てみよう。
「眞子さま30歳に 皇族としての最後の誕生日」『毎日新聞』(2021年10月23日)
「眞子さま30歳 26日に婚姻届 皇族最後の誕生日」『東京新聞』(同上)
「眞子さま30歳 皇族最後の誕生日」『朝日新聞』(同上)

 いずれの記事も、当然のことながら、10月26日に小室圭さんと結婚することに触れるが、眞子「さま小室圭「さん」という敬称の表記は変わらない。また、同日には、つぎのような記事もあった。どちらかといえば、皇室や小室圭さんバッシング報道にやや批判的な側面を見せる記事でも同様であった。
「眞子さまの結婚から見えたもの―自粛まとう皇室 もっとアピールを」(デーブ・スペクター談/聞き手・武田啓亮)『毎日新聞』
「週刊ネットで何が・・・〈小室さん〉扱えば〈ドル箱〉に」(ニュースサイト編集者・中川淳一郎)『東京新聞』

 週刊誌も、広告の見出しの限りだが、一様に「さま」「さん」である。あの「週刊文春」『週刊新潮』も同様であった。たまたま見ていた10月23日TBS「報道特集」の金平キャスターは「さん」と言いかけたように聞こえたが「眞子内親王」と言い換えていた。なお、敬称の限りでいえば、森まゆみ「寄稿—眞子さんの結婚に思う」(『朝日新聞』10月22日)では、「さん」で貫かれていた。
 この現象はたんなる些末にすぎないのだろうか。こだわる私がおかしいのだろうか。
 また、これも、冒頭の誕生日の記事で、いずれも「30歳」が主たる見出しになっていたことにも、違和感を覚えた。これらの記事に誘発されて思うのは、まじかに控えた「結婚」ということではないか。男性皇族の結婚の場合、年齢が見出しになることがあっただろうか。「皇族最後の誕生日」はいいとしても、とくに年齢を見出しにすることもなかったのではないか。内閣府の発表によれば2019年現在の結婚平均年齢は、男性が31.2歳、女性が29.6歳なのである。 

 先の敬称の差は、何を意味しているのだろうか。その根底には、天皇制という不平等の根源を、日本国憲法が擁していることにあるはずだ。こうした憲法のもとに、法律や政治、教育やメディアが、呪縛とも思わず動いてきたのではないか。支持基盤が高齢化して危機感を持ち、ひたすら自民党に縋り付きたい公明党の山口代表、共産党は「天皇制は憲法違反である」と主張する党だとの演説に、あわてて否定する共産党でもある。

 少なくとも、象徴天皇制といえど、政治に利用されてきた存在であって、民主主義とは相容れない制度であることを私たちは自覚し、天皇はじめ皇族方の政治利用を監視しつつ、皇族方には、なるべく、静かにしてもらいながら、私は、その終焉を願っている。

 

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2021年3月22日 (月)

それでも五輪は開催するのか、国民は延期や中止を望んでいる

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2020年3月23日のNHKの昼のニュースで伝えられた、新型コロナ感染者マップである
 
 いったい、だれのためのオリンピック・パラオリンピック(以下五輪と略す)なのだろう
 
つい一年前のことを思い出してみたい。安倍首相が、東京五輪の一年延期を決めたのが2020年3月24日だった。当時のコロナ感染状況を忘れてはいないだろうか。上のテレビ画面が、私のカメラに残っていた。そして、次の画像はNHKの「新型コロナ特設サイト」から得た最新の感染者マップである。こんな画面を、毎日毎日見ていたことになり、若干の一喜一憂はするものの、数字そのもの、数字も直近の比較ばかりに目が奪われて、その危機感も薄れていくようで恐ろしくもなる。

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2021年3月20日感染者マップ、NHK[新型コロナ特設サイト」より

 以下、下の表で、去年の3月20日と今年の3月20日の数字を単純に比較してみても、国内の感染者数は、1105⇒1517、東京の感染者数は、125⇒342、死者数は2人から19人であった。表にはないが、今年の3月20日の直前の死者数は、19日は33人、18日は32人、17日は43人、16日は57人であり、激増しているのである。下の表では、この一年の第1、第2、第3波と言われた時点を中心に、その推移をたどってみた。結構、手間がかかったのだが、見ていただきたい。PDF版にもしているので、そちらの方が見やすいかもしれない。

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東京五輪1年延期以降の感染状況と政府の動向年表
(カッコ内の数字は東京都の内数)          (内野光子作成)
 ダウンロード - e382b3e383ade3838ae5b9b4e8a1a8.pdf

 今日、3月22日の非常事態宣言解除にあたって、その根拠として言われているのが、病床のひっ迫状況の改善で、強調されていた。絶対数から言っても最も高いピークを示した今年1月の第3波の時点と解除直近3月18日の状況を次の表にまとめた。昨年の8月に分科会が公表した「6つの指標」の感染状況の段階で示すと、黄色の部分が感染状況の第3段階であって、「感染急増」段階なのである。埼玉県と東京都は6つの指標のうち3つがその急増段階を脱していないことになる。また、病床の確保といっても、文字通りベットの確保であって、安心してはいけないということは、病院関係者からよく聞く話である。医師・看護師などのスタッフが確保されているわけではないから、「絵に描いた餅」に近い。感染が激増段階に入ったら医療崩壊につながることが目に見えている。

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6つの指標、2117日(上段)と318(下段)の比較
黄色のマーカーの数値がステージ3(感染者急増段階、医療提供体制に支障)を示す
ダウンロード - e5b9b4e8a1a8.pdf

参考「感染状況の4段階と6つの指標」
ダウンロード - 2021e5b9b41e69c887e697a5.pdf

 その上、感染力が強いという変異種が増えているこのような状況の中で、いまだに、五輪開催を目指している政府は、なにを考えているのだろうか。海外からの観客は断念する至ったが、海外選手・関係者・メディアの入国・出国・宿泊・移動、国内選手関係者の宿泊・移動に伴う検疫・検査体制を支える医療スタッフ、もろもろの日本人スタッフの確保がいまだ明確ではない。聖火ランナーやボランティアの辞退者が相次ぐのも、国民の大多数が延期や中止を望んでいることの反映でもあろう。国内の観客数制限という以前に、試合会場やそもそも密なる競技の試合の管理など、素人でも、その困難さが予想できるが、それへの対策は聞こえてこない。IOC会長と都知事、組織委員会会長、五輪担当大臣らの協議からは見えてこない。オリンピック精神、その理念云々以前の問題である。
 はたして、海外からの選手やメディアは日本にやってくるのか。
 その上、感染が拡大したら、だれが責任を取るのだろう。

 地元の小さな会で、現役の病院勤務の医師からは、PCR検査はすでに縮小段階に入っていて、かつては感染者が出た病棟勤務者全員に検査がなされていたが、今は濃厚接触者だけになっているという話を聞いた。また、小学校に勤務する先生からは、クラスに感染者が出たら、かつてはクラス全員に検査がなされていたというが、いまはそれがなされていない、ということだった。私は10年近く通院していた大学病院からは、コロナ禍のため転医を迫られ、閉院のためかかりつけ医を失った今、途方に暮れている。

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ヒヨドリのつがいが、イチジクのえさ台の「しらぬい」を上と下で見張って
いるようにも見える.。東側の紫モクレンがつぼみをつけ始めた。スイセンは
昨日の雨に打たれて倒れそうにもなっていたが、続いて、チューリップがつ
ぼみをつけ始めている。球根のまま放置していたアムステルダムの花市で
買ってきたのはどれだったのか。いつ植えたのかわからない球根も、毎年
花を咲かせてくれる。
年が明けてから、植えた球根もある。なまけ者の庭にも
春は確実にやってくる。

 

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2021年3月10日 (水)

十年目の3月11日、どうしたらいいのか

 3月5日、山本宣治の命日だった。3月8日は、国際女性デーであった。そして、首都圏の非常事態宣言は2週間延長された日でもある。千葉県などは、いまだに、三桁の新規感染者が続くこともある。

 そして、今日は、東京大空襲の日であった。10万人の犠牲者を出し、東京の下町を焼き尽くしていた炎が遠い西の空を染めていたのをたしかに見ていた、かすかな記憶がよみがえる。疎開地の千葉県佐原から、母に促されてみたのだろう。店を守っていた父と専門学校の学生だった長兄が残っていた池袋の生家が無事だったのもつかの間、4月14日の未明、その我が家も城北大空襲で焼失、命からがらに憔悴して疎開地にやってきた父と兄、私は父に、いつものようにお土産をねだっていたという。何もわかっていなかったのである。

 そして、明日は3月11日、まず、思い起こすのは、あの日の私自身の記憶につながることではある。しかし、その後、次から次へと伝えられたテレビや新聞で報道された画像や記事、そして、10年にわたって、さまざまな人たちの証言や専門家による検証であった。津波に襲われることなく、福島の原発から遠く離れた、この地にあっても、強烈な恐怖となって迫ってくるのは、原発事故の眼に見えない、収束のない被害と津波の恐ろしさである。自身のわずかな体験ながら、津波に襲われ、多くの命と街を奪われた石巻、津波の被害に加え、原発を擁する女川の地を訪ねて、その感を一層強くしたのだった。その思いの一端を、このブログでも記してきた。

 昨3月9日の閣議で「東日本大震災復興の基本方針」の改定が決定されたという。そのポイントというのが、
①復興庁の設置は、10年間延長し、その前半5年間は第二期の「復興・創生期間」とする
②地震と津波の被災者の心のケアなどソフト事業に重点を置く
③原発事故の被災地では、避難指示が解除された地域への帰還や移住を促進し、国際的な教育研究拠点を整備する
④原発の汚染水処理の処分については、先送りできない課題だとして、風評対策も含め、適切なタイミングで結論を出す

 それに先立ち「第29回復興推進会議及び第53回原子力災害対策本部会議の合同会合」を開催し、上記の基本方針を議論したというが、首相は次のように述べたという(首相官邸ホームページ)。

「間もなく、東日本大震災から10年の節目を迎えます。被災地の方々の絶え間ない御努力によって、復興は着実に進展しています。
 昨年12月、岩手・宮城では、商業施設や防潮堤などを視察し、まちづくりやインフラ整備の進捗を実感しました。今後、これらの地域における被災者の心のケアやコミュニティ形成といったソフト面の施策に注力してまいります。
 昨年9月に続いて、先週末も福島を訪問し、地元の方々と移住されてきた方々が協力して、新しい挑戦を行う熱い思いに触れることができました。福島の復興のため、その前提となる廃炉の安全で着実な実施、特定復興再生拠点区域の避難指示解除に向けた取組と区域外の方針検討の加速、さらに移住の促進など、取り組んでまいります。
 こうした状況を踏まえ、来年度から始まる復興期間に向けて、『復興の基本方針』を改定いたします。
 福島の復興なくして、東北の復興なし。東北の復興なくして、日本の再生なし。 この決意の下に、引き続き政府の最重要課題として取り組んでいく必要があります。閣僚全員が復興大臣であると、その認識の下に、被災地の復興に全力を尽くしていただきたいと思います。」

 この日のNHK夜7時のニュースは、基本方針のポイントと、閣議前の復興会議の議論を踏まえての発言の最後のフレーズだけを放映していた。「福島の復興なくして、東北の復興なし。東北の復興なくして、日本の再生なし。」とはなんと白々しい、と思うことしきりであった。

  災害や痛ましい事件のあとに、被災者や被害者、その周辺の人たちへの「心のケア」の大切さが言われるが、少なくとも、東日本大震災の被災者には「心のケア」より、何より大切なのは、生活再建、経済支援なのではないか。いくら避難指示が解除されたからといって、仕事が確保され、生活環境が整わないかぎり、「望郷の念」だけでは戻れないだろう。首相がインフラ整備の一部を視察したからと言って、災害公営住宅の家賃の値上げや廃炉・汚染水処理が進まないなかのエネルギーミックスなど言われては、不信感は募るばかりだろう。
  その一方で、聖火ランナーの辞退者が続き、途切れてしまうし、海外からの一般客は断念しながらも開催するというのだから、福島復興の証としての五輪は、幻想でしかなかったのだ。
  それを質すべき野党の体たらくに、期待することはできない。政府も野党もアテにならない。客観性に欠けるマス・メディアの報道、テレビや新聞に登場する常連のコメンテイターたちも、自分の“居場所大事”な人が多い。たまにまともなことを言うと、すぐに炎上し、自粛へと傾いていく。若い人は、新聞もテレビさえ見ない、まして本を読まない人が多いらしい。

  ならば、私たちはどうしたらいいのか。自分と異なる人の意見もしっかりと聞く。悩みは増えるけれど、自分が感じたり、思ったり、考えてたりしたことを、率直に発信していくほかないのかもしれない。そして、先人の残した知見から少しでも学ぶことなのだろうか。平凡なことながら、それが難しい。高齢者にはつらい日が続く。3月は、私の誕生月でもあったのである。

 

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2020年10月19日 (月)

「エール」で「NHKはウソをつきません」というセリフがありましたが ~「NHK森下経営委員長の義務違反の究明を求める」請願書を国会に提出へ

 朝ドラ「エール」は急展開の上、先週、敗戦後になりました。10月16日放送で「鐘の鳴る丘」の作者、菊田一夫と思われる人物とNHK職員との会話で、職員が「NHKですからウソをつきません」とのセリフが飛び出した。これって、その演出も、まさしく自虐ネタと思われるフシがあった。スポニチもウェブで流していたが。というのも・・・。   

 放送法では、個別の番組には介入してはいけないはずのNHK経営委員会が、かんぽ生命保険の不正販売を報じた番組に対して、当時の上田NHK会長に「厳重注意」をしたこと、その経緯を示す経営委員会の議事録を公開しないことについて、多くの視聴者やメディアから批判されているにも関わらず、頬かむりのまま動かない。

 表題のような「請願書」を国会に提出するのを期して、以下のような集会が開かれます。この時期に、一見、地味に見える請願であり、集会でありますが、表現の自由を侵す重大な問題なので、国会でも十分究明して欲しいということで、衆参両院に請願書を提出することになったそうです。全国で40名近い世話人の努力で請願者は2200人を超えています。私も請願者の一人に加わりました。

       ***************

       請願書提出にあたっての院内集会 

日 時:  2020年10月26日(月) 16時~17時30分(予定)
会 場:  衆議院第二議員会館 多目的会議室(1階) 

世話人会からの出席者:
岩崎貞明(「放送レポート」編集長) 
小田桐 誠(ジャーナリスト/大学講師)
小玉美意子(武蔵大学名誉教授) 
杉浦ひとみ(弁護士)
楚山大和(「日本の政治を監視する上尾市民の会」代表)

醍醐 聰(「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」共同代表)
長井 暁(NHK・OB/大学教員)
日巻直映(「郵政産業労働者ユニオン」中央執行委員長)|

 ご出席の衆参両院の紹介議員へ請願書を提出します。なお集会参加者は、ご自身の体調管理とマスク着用などの対策をお願いいたします。 

      *************

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2020年6月26日 (金)

びっくり仰天、ここまでやるか、NHK「エール」の番宣!

 古関裕而がモデルという、朝ドラ「エール」の“喜劇的”な展開には、驚いている。自伝や評伝ともかなり異なるストーリーになっているのは確かである。私の漫画歴は、「サザエさん」どまり、近くでは、雁屋さんの「美味しんぼ」や天皇制をテーマにした劇画を少しばかりかじった程度なので、最近の状況はわからない。「漫画的」といっては叱られるかもしれないが、幽霊が出没したり、役者が気の毒なるような誇張した振付けだったりで、もううんざりしているさなかだった。理由の詳細は知らないが、最初の脚本家が降板したのもわかるような気がする。

 その上、さらに驚いたというのは、「エール」の短い番組宣伝のスポット番組に登場した丸山明宏篇(現在は美輪明宏と改名しているらしい)と、かのデヴィ夫人篇だった。他にもあるのかもしれないが、とりあえず、私が6月21日、22日に見た二つの番組を紹介しよう。

 一つは、「長崎の鐘」の紹介で、あのキンキラキンの衣装で、自らの被爆体験と永井隆体験を通じて、丸山は、鎮魂の歌、平和を願う歌として高く評価した。歌「長崎の鐘」の成り立ちと永井隆については、当ブログでも、すでに触れたように、永井隆のエッセイが世に出た経緯やアメリカ、GHQの原爆投下、被爆状況の実態の隠ぺい対策を語らずに、永井隆にまつわる「悲しい美談」の増幅、サトウハチローの情緒的な歌詞に支えられた古関メロディーであったことを忘れてはならない。丸山の胸には、十字架のペンダントが光っていたが、永井の言葉に苦しみ続けた信者たちは、どう思うだろう。

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一つは、「愛国の花」の紹介で、どういうわけか、部屋いっぱいの胡蝶蘭の鉢を背に、現れたのがデヴィ夫人だった。インドネシアの大統領スカルノの第三夫人だったというタレントであることは知っているが、スカルノが愛したという「愛国の花」のインドネシア語訳を歌って見せた。インドネシアと日本との親交の証だという。「日本の国の花、さくら、インドネシアにはジャスミンという国の花があり、同じように花を愛でる気持ちでアジアは一つになる」という解説もする。

愛国の花 (1938年 福田正夫)

真白き富士の けだかさを/こころの強い 楯(たて)として
御国(みくに)につくす 女(おみな)等(ら)は/輝く御代の やま桜
地に咲き匂う 国の花  

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   そもそも「愛国の花」は上記に見るように、国のため、天皇のために尽くす銃後の女性たちを「花」にたとえた歌である。そして、1942年3月、日本軍がオランダ植民地だったインドネシアに侵攻、日本軍政下においては、オランダ語使用の禁止、インドネシア語を公用語としながら、日本語教育の一環として国民学校から大学では教科として、社会人には職場での実用日本語教育に力を入れた。その教育の手段の一つが日本の歌―童謡や戦時歌謡、軍歌であったのである。インドネシアの独立運動やナショナリズムの気運を利用する形で、指導者のスカルノらを取り込んだが、連合軍と闘う中で、多くの強制労働者ロームシャや犠牲者を出すことになる。このような背景を無視して、「愛国の花」にまつわる、日本とインドネシアのエピソードとして語らせる歴史認識は、戦時下のNHKと変わっていないのではないか。なお、知人からの情報によると、敗戦直後にスタートしたNHKの「婦人の時間」のテーマ曲が「愛国の花」のメロディだったそうである。

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  なお、この「愛国の花」は、現在でも、自衛隊のイベントや音楽祭、地域でのさまざまなイベントにおいて、陸海空の中央音楽隊はじめ、各地域での音楽隊による演奏が行われ、三宅由佳莉三等海曹、中川麻梨子海士長らによる歌唱が通常に行われているのが、you tube などで聞くことができる。イベントの司会者などからは、往年のヒット曲で、「現在も東南アジアの各地で愛唱されています」との紹介があるのみで、上記のような背景は語られることはない。

   ということは、戦時下の軍国主義や天皇制について、なんのわだかまりもなく、現在も歌い継いでいる、歌い継がせようとするメディアや自衛隊、それに異議を申し立てることもない人々、日本は変わってないのだな、だから、こんな体たらくの政権が倒れることもなく続いているのだとつくづく思う。

 

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2020年6月15日 (月)

ふたたび、60年前の6月15日

 1960年6月15日から60年、このブログでも何度か触れているが、特段政治には関心がないまま、学生だった私は、安保反対の集会やデモには、参加していた。共産党系の大学自治会の列に入ることもあったが、ひとりで当時主流派といわれた全学連の集会を覗いたりもしていたが、6月15日の国会議事堂南通用門での樺美智子死亡事件には衝撃を受けた。さらに、その二日後の6月17日の新聞一面に掲げられた、在京新聞社「七社共同宣言」の衝撃はさらに大きかった。60年後の今日の朝刊は休刊日である。あす、どれほどの記事が載るのだろうか。いまはもう、目の前のことに目を奪われているような記事やそれどころではない?とでも言いたげな論調の紙面やテレビではある。
 今、アメリカに端を発し、世界中で大きなうねりとなっている市民運動の中で、警官の黒人差別による死亡事件を思うとき、日本は、なんと平穏に「新しい日常」とやらに活字や映像が消費されていることだろう。ついこの間まで、改元だ、令和だ、オリンピックだ、果てはタレントの不倫だ・・そして、非常事態宣言・自粛だと騒々しく、「政治案件」は、とうに霞んでしまった。メディアは「共同宣言」を思い出すまでもなく、とっくに死んでしまったのだろうか。

 5月21日、画家の菊畑茂久馬さんの訃報に接し、1935年生まれと知った。短歌と天皇制に気づかせてくれた一人であった。まだなさりたいこともあったろうにと残念に思う。菊畑さんの<前衛美術>には触れたことはないながら、その著書『天皇の美術―近代思想と戦争画』(フィルムアート社 1979年)によって、戦争画や藤田嗣治への関心がより深まっていったのである。近年、再評価された炭鉱画の山本作兵衛の早くからの紹介者としても知られている。絵については全くの独学、九州を拠点にしていらしたということにも、私は惹かれていた。また、宮本武蔵から青木繁、香月泰男ら31人の画家の列伝風のエッセ集『絶筆―いのちの炎』(葦書房 1989年)の熱量にも圧倒されたのである。ご冥福を祈りたい。

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2020年6月 9日 (火)

「鐘の鳴る丘」世代が古関裕而をたどってみると~朝ドラ「エール」は戦時歌謡をどう描くのか(5)「公募歌」という国策とメディアの一体化

   古関裕而の作曲歴から、天皇関連というか、天皇とのかかわりをみてみよう。古関裕而が福島商業学校を卒業後、地元の川俣銀行に勤める傍ら、「御大典奉祝行進曲」を作曲している。1928年(昭和3年)11月10日、京都御所で行われたが、それに先立った5月27日福島公会堂で、この曲は演奏され、さらに式典後の11月、福島商業学校の「御大典奉祝音楽会」でも演奏された(⑥12~13頁)。1930年、内山金子と文通が実って結婚、上京、コロムビアの専属作曲家となって、翌年6月、「福島行進曲」(野村俊夫作詞)「福島小夜曲」(竹久夢二作詞)によりレコードデビューを果たし、縁あって早稲田大学応援歌の「紺碧の空」を作曲、レコード化もされたが、いずれもヒットしたわけではなかった。

  当時、レコード会社はいわゆる「時局歌謡」とも呼ぶべき、社会的な事件、大きな軍事行動や兵士の活躍の報道に連動した歌謡曲を、競うようにレコード化を進めた。古関もコロムビア専属作曲家として、1931年9月18日、柳条湖での関東軍による鉄道爆破で始まる「満州事変」をテーマに12月には「満州征旅の歌」(桜井忠温作詞)、1932年1月には「我らの満州」(西岡水朗作詞)、同年4月には、朝日新聞が歌詞を公募した一つ「肉弾三勇士の歌」(清水恒雄作詞)のレコードが発売されている。古関にとっての時局歌謡のスタートであったが、ヒットはしなかった。

 その後、作詞家の高橋掬太郎と組んだ「利根の舟唄」(1934年、松平晃)「船頭可愛いや」〈1935年、音丸〉がようやくヒットにこぎつける。ここで古関の作曲には、大きな三つの流れが出来上がってきたのではないか。一つは、スポーツ関連の愛唱歌ないし楽曲であり、一つは、「船頭可愛いや」を源流とするいわゆる歌謡曲であり、一つは「時局歌謡」ではなかったか。スポーツ関連では、1936年に「阪神タイガースの歌」(六甲おろしが)が発表されたが、以降は、戦局が厳しい中、もはやスポーツの応援歌どころではなくなっていく。

 やがて、戦前の「時局歌謡」が、大本営発表による戦局報道に基づく作詞に添っての作曲で成り立つ「戦時」歌謡一色になってゆく様相は、すでに、このシリーズ記事の2回目に概観している。

 軍事行動は、旧憲法下では、建前としてすべて統帥権を持つ「天皇の命令」であり、兵士たちの活動は、すべて「天皇のため」であったから、「戦時」歌謡の底流には、天皇制が厳として存在していたことはあきらかである。だから、作詞・作曲が軍部や情報局からの要請でなされていたことは、他の文芸、文化活動に対してと同様であったし、それに反する表現活動や行動は、法律上きびしく監視されていたし、取締まり対象となっていた。が、とくに「戦時」歌謡については、新聞社やNHKなどのメディアが企画、歌詞の公募という形をとるものも多くなった。(④櫻本富雄『歌と戦争』34~38頁、55~58頁)の公募歌のリストと「主な軍国歌謡・愛国歌謡の公募イベント」(中野敏男『詩歌と戦争』NHK出版 2012年、230頁)の二つのリストと、これまで紹介の文献を参考に、散見できる古関裕而の曲をまとめた。今回は、1941年12月8日の太平洋戦争が始まるまでをたどってみたい。それ以降は、次回としたい。

 一般に、「公募歌」とは、主として新聞社や雑誌社などが、国策のいわば旗振り役となって、国民の戦意高揚、士気を鼓舞する作詞を公募し、プロの作曲家に作曲を依頼、ラジオ放送やレコードによって、国民への浸透をはかるものであった。そうした公募歌にも、歌われもしないで沈んでしまうものもあったり、思いがけなく流行したり、前線や銃後における国民の間で定着するものも数多くあった。そして当然のことながら、それらの歌詞には、否が応でも「天皇への忠誠」をうたう文言の存在があった。そうした歌詞に添った作曲を続けた一人、古関裕而の記録である。次表は、その一部ではあるが、主なもものを一覧として、若干の背景を記してみた。

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上記の表をクリックすると拡大されます。

 

 「肉弾三勇士」は、1932年2月、上海の戦闘において自爆した三兵士の美談が報じられて、すぐに、朝日新聞社は歌詞を公募、入選作の三歌詞を、同時にコロムビアからレコード化した。後の二曲は、中野力作詞・山田耕筰作曲、渡部栄伍作詞・古賀政男作曲となった。また、東京日日・大阪毎日新聞社公募の入選作は、ふたを開けたら与謝野寛(鉄幹)の作で、「爆弾三勇士の歌」(陸軍戸山学校軍楽隊作曲)としてポリドール盤が発売されている。この二つの新聞社の応募歌詞数は、「朝日」が12万4500通、「毎日」が8万4000通を超えている。
 「露営の歌」は、1937年、東京日日・大阪毎日新聞の入選第1席は「進軍の歌」(本多信寿作詞/辻順治作曲/陸軍戸山学校軍楽隊)としてレコード化されたが、人気はむしろ、第2席の古関の作曲のものの方が高く、長く愛唱歌として残ったことになる。「勝って来るぞと勇ましく 誓つて故郷を出たからは 手柄立てずに死なれよか・・・」で始まるが、4番の「笑って死んだ戦友が 天皇陛下万歳と のこした声が忘らりょか」で終わる。1938年には、赤坂小梅ほかの女性歌手だけによるレコードも出されている。「進軍の歌」(佐々木康監督)も「露営の歌」(溝口健二監督)もともに前後して映画された。
 「愛国の花」は、NHKラジオの「国民歌謡」として1937年10月18日~23日まで放送された。レコードは翌年に発売され、1942年11月に公開の映画「愛国の花」(佐佐木啓祐監督)の主題歌となった。「真白き富士のけだかさを 心の強い楯として 御国につくす女等は かがやく御代の山ざくら 地の咲き匂う国の花」では始まり、「銃後」の女性に訴える内容になっている。
 
「国民歌謡」とは、1936年6月1日、大阪中央放送局から、第1回が放送され、「日本よい国」今中楓渓作詞/服部良一作曲、)/奥田良三)であった。この年、すでに、4月29日から前身の番組で、大木敦夫、佐藤惣之助、深尾須磨子らの抒情的な歌謡が放送されていたが、二・二六事件が起こり、阿部定事件という猟奇的な事件も起きる中、「忘れちゃいやよ」(最上洋作詞/細田義勝作曲/渡辺はま子)、「ああそれなのに」(星野貞志(サトウ・ハチロー別名)作詞/古賀政男作曲/美ち奴)などの歌が流行っていたさなか、歌謡曲浄化、家庭でみんなが歌える歌をというのが主旨だったか。1941年2月12日には、「国民歌謡」は「われらのうた」へと改称され、同時に「特別講演の時間」は「政府の時間」へ、「戦況日報」は「軍事報道」へと改称され、放送の軍事色は一層強化されることになる。その後のこの番組については次回に譲る。

 「婦人愛国の歌」は、1938年4月1日「国家総動員法」の公布を受けて、『主婦之友』4月号で菊池寛、西條八十、瀬戸口藤吉、吉屋信子、松島慶三(海軍中佐)を選者として公募し、1万7828通の入選作の中から二等のものを古関が作曲した。内務省・文部省・陸軍省・海軍省・国防婦人会・愛国婦人会。国民精神総動員中央連盟が後援となっていた。歌詞の一番は次のようにはじまるが、四番は、「御稜威に勇む皇軍の 銃後を守るわたしたち その栄光に日本の 婦人は強く立ちました」であった。作者は22歳の主婦だった。

抱いた坊やのちさい手に 手を持ち添へて出征の 
あなたに振つた紙の旗  その旗かげで日本の
妻の覚悟は出来ました

 なお、一等の上條操作詞の一番は「皇御国の日の本に 女と生まれおひ立ちし 乙女は妻は母は みな一すじ丈夫の 銃後を守り花と咲く」というもので、28歳の保母であった。歌詞の硬軟?によって、作曲者を選んだものか、一等入選作の作曲は、選者でもあった「軍艦マーチ」(1900年)、「愛国行進曲」(1937年)で著名な、元海軍軍楽隊のベテラン瀬戸口であった。

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『主婦之友』1938年6月号の「婦人愛国の歌」当選発表の記事

 

 「銃後県民の歌」は、1939年、福島民報社が懸賞募集をした当選作で、同社は、併せて「郷土部隊進軍歌」(野村俊夫作詞/霧島昇)もレコード化した。古関の地元、福島への思いを込めた曲であったろうが、彼の場合は、依頼があれば、どこへでも、その「ご当地ソング」を作り続けたし、社歌、校歌、団体歌は数限りないことは前述の通りである。 
 「満州鉄道唱歌」(藤晃太郎作詞/霧島昇・松原操・松平晃)は、1939年3月、満鉄鉄道総局旅客課企画公募、満州新聞社後援。古関は、1939年7月に選者・作曲者として満州旅行に出かけているが、まさに満蒙国境では日ソ軍の激闘が続くノモンハン事件のさなかであった。
 
「暁に祈る」は、「露営の歌」と並ぶ戦前の古関のヒット曲で、テーマが「馬」でありながら、馬を伴う兵士の死と向かう歌詞が身近にも思われたのだろうか、愛唱歌となったという。 40年4月公開の映画「征戦愛馬譜 暁に祈る」(松竹 佐佐木康監督)の主題歌となった。 
 
「嗚呼北白川宮殿下」は、「国民歌謡」として、1940年12月9日~13日まで放送されたが、これに先だって、40年11月17日華族会館で発表会が行われている。ここで歌われている北白川永久は、40年9月4日、軍務で滞在していた上海の飛行場で事故死したが、戦死として大きく報道された。作詞の二荒は、永久の大叔父にあたるという。
 
「海の進軍」は、読売新聞社が海軍省、情報局、大政翼賛会の後援で「海国魂の歌」と題して公募している。「菊の御紋のかげ映す固い守りの太平洋・・・」「御稜威かがやく大空に・・・」の文言とともに「進む皇国の海軍の晴れの姿に栄あれ」で結ばれている。

 なお、公募歌ではないが、1937年、38年、39年の宮中歌会始の御題、それぞれ「田家雪(でんかのゆき)」「神苑朝(しんえんのあした)」「朝暘映島(ちょうようしまにうつる)」と題し、西條八十作詞の曲も作られていたことも記憶にとどめておきたい。ストレートな天皇制への傾斜とともに、歌会始における題詠による短歌とテーマを与えられて作詞・作曲をする歌謡曲とに共通する限界が見いだされるのではないか。

 今回の作業には、下記の国立国会図書館の「歴史的音源」のリストと辻田真佐憲による紹介も参考にした。

国立国会図書館歴史的音源<古関裕而>(386件)
https://rekion.dl.ndl.go.jp/search/searchResult?searchWord=%E5%8F%A4%E9%96%A2%E8%A3%95%E8%80%8C&viewRestricted=1

辻田真佐憲「商品だった<時局歌謡>」https://rekion.dl.ndl.go.jp/ja/ongen_shoukai_15.html

(続く

 

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