2018年9月19日 (水)

「没後50年藤田嗣治展」へ出かけました~「戦争画」とは何だったのか(2)

戦争画への評価

藤田の戦争画は、もちろん体験に基づくものでもなく、写実でもなく、「想像」と多様な「技法」の産物であったことはどの評者も認めるところだが、その思想と鑑賞者の受け取り方については、大きく意見が分かれるところである。

その典型的な一つは、今回の藤田展の公式ウェブサイトに岸恵子が寄せている、つぎのような考え方であろう。小難しい言い回しはなく、実に簡明で分かりやすいのは確かだ。

「アッツ島玉砕」を戦争賛歌とし、藤田嗣治さんを去らしめた戦後日本を私は悲しいと思う。戦争悪を描いた傑作なのに。晩年の藤田さんに私は寂しい翳を見た。瞳の奥には希代の才能が生んだ作品群、特に巨大壁画「秋田の行事」の躍動する煌めきも感じた。欧州画壇の寵児ではあっても、日本国籍を離脱するのは辛かったのではないかと、私は想像する。」(岸惠子/女優)

  また、今回の藤田展の監修者でもあり、「作戦記録画」全14点を収録した『藤田嗣治画集』全三巻(小学館 2014年)をまとめた林洋子は、少し前のインタビューで次のように語っている(「『藤田嗣治画集』刊行 作戦記録画全点を初収録」『毎日新聞』夕刊 2014414日)。

「(作戦記録画が)ようやく、『歴史化』が可能になってきたと思います。藤田の作戦記録画をめぐる批判は『森を見て木を見ていない』という印象がありました。一点一点、違うことを冷静に見ていただきたい」「(この10年)絵画技法においては、もっとも研究が進んだ画家になりました」

前述の『朝日新聞』における、いくつかの藤田展紹介記事では、1920年代の「乳白色の裸婦」や敗戦後日本を去り、アメリカを経て、1950年から晩年までのフランスでの作品に焦点が当てられているもので、「作戦記録画」について触れたものは、②「激動の生 絵筆と歩む」のつぎの一カ所だけであった。会場のパネルの「年譜」を見ても、前述のように、やや不明点があるものの簡単な記述であった。

「軍部の要請で、戦意高揚を図るための<作戦記録画>を盛んに描くようになる。終戦後、戦中の国策協力を糾弾される中、49年春に日本を去った。それから二度と祖国に戻ることはなかった」 

藤田の戦争画をめぐっては、古くから、技法に優れ、描法の開拓を評価するが、芸術としての内容、内面的な深まりが見えない、表層的だとかいう指摘や「狂気」にのめり込んだとか、「狂気」を突き抜けたとか、鎮魂の宗教画だとか、さまざまな評価があるようだ。絵画を含め文芸において、技法はあくまでも手段であって、第一義的には、作品の主題、作者の思想の表出が問われるべきではないか。あの凄惨な戦争画が「鎮魂」とは言い難いのではないかと思っている。とくに、当時、藤田自身が新聞紙上で、つぎのようにも述べているところを見るとなおさらである(「戦争と絵画」『東京日日新聞』 1942122日)。

「かかる大戦争のときに現われものは現われ、自滅するものは自滅し、真に実力あり誠心誠意の人のみが活躍出来る。画家としてこの光栄ある時代にめぐりあった私は、しみじみ有難いと思う。(中略)今日の戦時美術はその技巧に於いて、諸種の材料に於いて正銘の日本美術であることは我々の喜びである」

 藤田は、陸軍省や海軍省から戦地へ派遣されるものの戦場に向かうわけではなく、絵具や画材は十分に与えられ、戦局の情報も知り得た制作環境のなかで、描きたいものを描く達成感が得られたのかもしれない。しかし、作品の多くが、現実に、戦意高揚、聖戦貫徹という役割を果たし、国民をミスリードしているという自覚は、なかったのだろうか。自分の戦争画が多くの鑑賞者を動員することを目の当たりにし、国家権力や大衆に迎合することによって、得られたものは、日本での名声であり、海外生活が長かった藤田にしては、「祖国愛」、「日本」への帰属意識だったのかもしれない。

そして、藤田は、敗戦後のGHQへの対応によって、多くの疑念を抱かせた。しかし、戦争画を描いたのは藤田ばかりではなかったのだが、日本の美術界は、画家たちと国家権力、戦時下の美術という基本的な問題を個人の「戦争責任」へと矮小化させ、曖昧なまま戦後を歩み始めたのであった。もちろん画家一人一人の戦争責任は、各人が、その後、戦時下の作品とどう向き合い、処理したのか、以後どんな作品を残したのか、どんな発言をし、どんな生き方をしたのかによって、問われなければならないと思っている。 

戦争画に対するマス・メディアの動向、過去そして現在

先の藤田研究の第一人者と言える林洋子は、作品一点一点の差異を冷静に見る必要を説き、「森を見て木を見ていない」という傾向を嘆くが、私には、藤田作品のテーマの推移、技法の変遷、その時代の言動というものをトータルに振り返る必要があるのではないかと思っている。むしろ「木を見て、森を見ない」、技法偏重の論評が多くなっていることがみてとれる。それが、大きな流れとなって「戦争画」評価の着地点をいささか緩慢に誤らせてしまっているような気がする。

さらに、敗戦後、73年を経て、戦争体験者、戦時下の暮しを知らない人々、戦後生まれがすでに83%を占めるに至り、美術史上、戦争画への評価は、大きく変わりつつあるのか、それとも、変わり得ない何かがあるのか。門外漢ながら、昨今の動きが、私には、とても気になっている。

今回の藤田展の主催者として、朝日新聞社とNHKが並んでいる。戦時下の朝日新聞社は、「戦争画」の展覧会を幾度となく主催している。この二つの事実は決して無関係なこととは思われないのだ。

<朝日新聞社主催の戦争画展>

19385月 東京朝日新聞創刊50周年戦争美術展(於東京府美術館、朝日新聞社主催)

19397月 第1回聖戦美術展(於東京府美術館、朝日新聞社・陸軍美術協会主催)

19417月 第2回聖戦美術展(於上野日本美術協会、朝日新聞社・陸軍美術協会主催)

19419月 第1回航空美術展(於日本橋高島屋、朝日新聞社・大日本航空美術協会主催)

19429月 第2回航空美術展(於日本橋高島屋、朝日新聞社・大日本航空美術協会・大日本飛行協会主催)

194212月 第1回大東亜戦争美術展(於東京府美術館、朝日新聞社主催)

19439月 第2回航空美術展(於日本橋高島屋、朝日新聞社・大日本航空美術協会・大日本飛行協会主催)

194312月 第2回大東亜戦争美術展(於東京府美術館、朝日新聞社主催)

19443月  陸軍美術展(於東京都美術館、朝日新聞社・陸軍美術協会主催)

19445 月 第8回海洋美術展(於東京都美術館、朝日新聞社・大日本海洋美術協会・海洋協会主催)

19454月 戦争記録画展(於東京都美術館、朝日新聞社・陸軍美術協会・日本美術報国会主催)

「戦争/美術 関連年表19361953」(長門佐季編)『戦争/美術19401950モダニズムの連鎖と変容(展覧会図録)』( 於神奈川県立美術館葉山 1913年)より作成 

なお、このほかにも、さまざまな戦争画展は開催されているが、突出しているのは朝日新聞社で、他の東京日日新聞、読売新聞などとの激しい競争と陸軍・海軍同士の確執も加わっての結果らしい(河田明久「作戦記録画をめぐる思惑のあれこれ」『戦争/美術19401950モダニズムの連鎖と変容(展覧会図録)』2013年)。さらに言えば、敗戦直後、藤田の戦争責任を糾弾する宮田重雄「美術家の節操」を掲載したのも『朝日新聞』(19451014日)であったのである。

 また、NHKには、戦争画周辺をテーマにした番組や藤田をテーマにした番組も多い。最近だけでも、私自身がみた番組を中心に、ネットでも確認できたものを加えるが、もちろん網羅性はないので、もっとあるのかもしれない。

<最近のNHK藤田嗣治関係番組>(  )内は出演者
1999923日「空白の自伝・藤田嗣治」NHKスペシャル(藤田君代、夏堀全弘)
2003127日「さまよえる戦争画~従軍画家の遺族たちの証言」NHKハイビジョンスペシャル(藤田嗣治、小磯良平、宮本三郎らの作品紹介と遺族たちと小川原脩の証言)
2006416日「藤田嗣治~ベールを脱いだ伝説の画家」NHK教育テレビ新日曜美術館(立花隆)
2012711日「極上美の饗宴 究極の戦争画 藤田嗣治」NHKBS(笹木繁雄、菊畑茂久馬、司修、アッツ島生存者、サイパン島住民生存者、東京国立近代美術館美術課長蔵屋美香)
2012826日「藤田嗣治―玉砕の戦争画」NHK日曜美術館(笹木繁雄、菊畑茂久馬、司修、野見山暁治)
20151217日「英雄たちの選択・アッツ島玉砕の真実」NHKBSプレミアム201898日「特集・よみがえる藤田嗣治―天才画家の素顔」NHK総合
201899日「知られざる藤田嗣治―天才画家の遺言」NHK日曜美術館

 こうしてみるとこの20年間に、再放送を含めると、20本近い関連番組が流れていることになる。NHKは、一人の画家についての取材を続け、繰り返し放送していたことになる。1999年「空白の自伝・藤田嗣治」、ハイビジョンスペシャル「画家藤田嗣治の二十世紀」(未見、未確認)の制作を担当した近藤文人は、『藤田嗣治<異邦人>の生涯』(講談社 2002年、2008年文庫化)という本まで著している。近藤は、先行研究に加えて、当時未刊だった夏堀全弘「藤田嗣治論」(『藤田嗣治芸術試論』三好企画 2004年公刊)、藤田の日記などの未公開資料を読み込み、藤田君代夫人(19112009)へのインタビューを重ねた上で、書き進めている。藤田自身の日記や夫人のインタビューに拠るところが多い部分は、どうしても身内の証言だけに、客観性、信ぴょう性に欠ける部分が出てくるだろうし、当時は存命だった夫人への配慮がある執筆部分も散見できる。その後の関連番組は、そのタイトルからも推測できるように、藤田のさまざまな側面から、その作品や生涯にアプローチしていることがわかる。戦争画への言及は、そのゲストの選択から見ても分かる通り、むしろ薄まってゆき、というより、再評価への道筋をつけている。この間、2006年には、NHKは「パリを魅了した異邦人 生誕120年藤田嗣治展」を東京国立近代美術館、日本経済新聞社と主催している。グローバルに、華やかな活躍をした<伝説>の画家としての部分がクローズアップされ、今回の没後50年の藤田展に繋がる軌跡をたどることができる。もはや「戦争責任」はそれとなくスルーしてもよいというムードさえ漂わせる論評も多くなったのではないか。上記に見るような、朝日新聞やNHKの番組で繰り返されるメッセージが、その手助けをしてはいないか、いささか恐ろしくなってくるのである。しかも、『朝日新聞』、NHKに限らないのだ。 

 網羅性はないが、私の「戦争と美術」のスクラップブックを繰り始めて、気が付いたことがある。2006年の生誕120年の藤田展に関して、北野輝「藤田嗣二と戦争責任」上下(『赤旗』2006912日・13日)において、この藤田展が藤田芸術の全貌に触れる機会になったことは歓迎するが、「藤田の再評価」「手放しの賛美」や戦争画の「意味を欠いた迫真的描写」の凄惨嗜好が玉砕美化への同調となり、現実の人間の命や死への無関心を助長しないかという問いかけがなされていた。それが、同じ『赤旗』における、今回の藤田展評は、「没後50年藤田嗣治展 多面的な画作の軌跡 漂泊の個人主義的コスモポリタン」(武居利史、201894日)と題して、作品の成り立ち、創意工夫に着目する。作戦記録画の出品は二点のみで「代わりに展示で充実するのは、戦後米国経由で渡仏して20年間の仕事だ」とした上で、「藤田の生き方は、国粋主義的ナショナリストというより、個人主義的コスモポリタンに近い。美術のグローバル化を先取りした画家といえよう」と締めくくる。 二人の執筆者は、ともに敗戦後設立された「日本美術会」に属し、美術の自立、美術界の民主化活動に励んでいる人たちである。執筆者の世代の相違なのか、その基調の変化にいささか驚いたが、共産党の昨今の動向からいえば、不思議はない。しかし、追悼50年の「大回顧展」なのだから、その作品を、生涯を、トータルに検証すべきではなかったのか。

こうした傾向については、何も美術界の傾向に限らず、他の文芸の世界でも、私が、その端っこに身を置く短歌の世界でも、同様なことが言える。いまさら「戦争責任」を持ち出すことは、まるで野暮なことのように、戦時下に活躍した著名歌人たち、自らの師匠筋にあたる歌人たちが、時代や時局に寄り添うことには寛容なのである。ということは、そうした歌人たち自身の国家や社会とのかかわりにおいても、抵抗というよりは、少しでも心地よい場所を探っていくことにもつながっているのではないか、と思うようになった。

なお、藤田に関わる資料をひっくり返しているなかで、ある写真集というか、訪問記を思い出した。それは、毎日新聞のカメラマンであった阿部徹雄の1952年のマティス ヴラマンクそしてフジタ』(阿部力編刊 2016年)であった。これは、ご子息がまとめ、解説も書いている。1952年の三人の画家の訪問記であった。精選された写真は、アトリエだったり、家族との団らんであったり、これまで、あまり見たことがなく、その日常が興味深く思えた。とくに、モンパルナスの藤田の住居兼アトリエ(カンパニュ・プルミエール通り23)、1952年と言えば日本を離れて間もない藤田65歳のころである。19521011日・14日・20日の三回訪問している。その取材ノートの部分には、藤田夫妻の日常と実に率直な感想が記されていた。日常の買い物などは藤田がこなしていることや夫人は「家の中ばかりいて、外の空気に触れない人らしい。藤田さんという人は本当に奥さん運のない人だ。気の毒な位芸術の面がそのことでスポイルされているように見えた。この人の芸術的センスに良妻を与えたいものだ」とのメモもある。 

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写真集の表紙(右)と裏表紙。チラシより

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チラシの裏

 

 藤田の没後、君代夫人については、藤田作品の公表・著作権、伝記、取材などをめぐる各方面とのトラブルが伝えられているが、当時も、その一端をのぞかせていたようで、かなり起伏の激しいことが伺われた。藤田夫妻のツーショット写真もあるが、「19521014日談笑する藤田さんと君代夫人。君代夫人は化粧をして、機嫌よい姿を見せてくれた。」との添え書きもある。

なお、カメラマンの阿部徹雄(1914‐2007)が、私がポトナム短歌会で師事した阿部静枝の夫阿部温知の甥にあたる人であることを知ったのは、ごく最近である。それというのも、静枝の遠縁にあたる仙台の方とブログを通じて知り合い、ご教示いただいた。この写真集も、彼女を通じて頂戴したものである。

なお、阿部徹雄の作品の一部は、毎日新聞社のフォト・バンクの「阿部徹雄コレクション」(戦時下を含め約900)に収められている。

https://photobank.mainichi.co.jp/php/KK_search.php

 

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2018年8月25日 (土)

元号が変わるというけれど、73年の意味(4)<侍従日記>公開記事と1946年元旦詔書

 

このシリーズ記事の小休止として、思い出話に少々のめり込んでしまった。敗戦直後の池袋の小さな薬屋で育った子どもとして、なんとか記憶を呼び起こし、ネットの力も借りながら、記録にとどめておこうと思ったからだ。調べていくと、なかなか興味深い事実も知ることになり、なんだか楽しみが増えたような気持だった。 

ところが、823日の『東京』『毎日』新聞を見て、この時期に、「またか」と唖然とした思いに駆られたのである。というのは、「共同通信」が入手したという「小林忍侍従日記」の一部が公表されたのだった。共同通信が入手したということもあって、『東京新聞』が張り切っているのだが・・・。 

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2018年8月23日『東京新聞』
 
『東京新聞』
(823):一面トップ/「昭和天皇85歳、大戦苦悩」「長く生きても戦争責任いわれる」 

三面トップ「昭和天皇 戦争への思い、深く」「訪米後、世評に涙」 

二八面「昭和天皇 生身の姿赤裸々に」「沖縄訪問 終生望む」 

『東京新聞』(824日):三面「平成即位礼政府対応を批判」 

六面 共同通信社内での昭和史に詳しい二人の対談を、ほぼ全面に掲載 

半藤一利(作家)「宮中の日常 リアルに記録」 

保坂正康(ノンフィクション作家)「人前で涙 帝王学からの解放」

 『毎日新聞』(823日):一面「戦争責任言われつらい」「侍従日記 晩年の昭和天皇吐露」
 二八面「昭和天皇の苦悩克明に」「侍従日記『細く長く生きても』」保坂・半藤二人のコメント
 
 ちなみに『朝日新聞』夕刊(8月23日)一面「昭和天皇『戦争責任を言われる』の見出しで、古川隆久日大教授の「昭和史研究に貴重な資料」というコメントが付せられている。

 

 『東京』23日の一面の「解説(共同・三井潔)」は、「心奥触れる<昭和後半史>」という見出しで「昭和天皇の侍従だった日記には、晩年まで戦争の影を引きずる天皇の苦悩を克明につづられている」と、その意義を語っていて、多くの記事の論調は、ほぼこれに沿うものだった。 

私も、これらの新聞報道やコメントに接して思うのは、「何をいまさら」という思いでしかない。天皇の晩年の繰り言のようなつぶやきが記されていたと言って、驚くことなのだろうか。昭和天皇が、身近な人間に何を語ったとか、胸の内を明かしていたとか、こんな短歌を残していたとかの情報は、幾度となく読み、聞いてきた。しかし、私のつたない体験から、歴史として、その人について、まず、残されるべきは、そのとき、その時期の発言や行動、「何を語り」「何を書き」「何をしたか」だと思うようになった。後年、当事者が自ら語ったこと、身内や身近な人が語ったことなどは、どこまでが事実なのかについての検証が、重要な作業として付いて回るはずである。一般論として、私は、自伝や評伝、「実録」「日記」と称されるものは、参考にはするが、できる限り、その信ぴょう性を検証しなければと思っている。昭和天皇の場合にしても、30代後半から40代前半に、周辺の人物からの進言や密接な組織からの圧力によって、時には利用されているという認識のもとに、それが軍部であったり、GHQであったりしたこともあるのだろうが、自らの判断の結果としてされた行動が、史実として残るのではないか。密室での言動の検証はかなり難しいと言わねばならない。

 冒頭にあるように、いま自分のブログでの敗戦直後の思い出の裏付けをと思って、たまたま手元にあった『元旦号で見る朝日新聞8018791958』(朝日新聞社 1958年)を開いていたら、194611日の広告欄が目に入った。ほとんどが薬品や化粧品メーカーのもので、なつかしい商品名がずらりと並んでいるのに目を奪われた。しかし、この年の元旦には、天皇の「人間宣言」が掲載されていたのだが、活字がつぶれていて、慣れない漢文調で読みにくい。見出しだけは読むことができるだろう。「官報」から引用してみると、以下のようで「人間」「宣言」の文字はなく、太字の部分がこれにあたるが、冒頭には「五箇条ノ御誓文」が登場していたのである。さらに、昭和天皇自身がのちの記者会見で、この「詔書」の一番の目的は「五箇条ノ御誓文」を引用することで、「神格とかいうことは二の問題であって、民主主義は輸入のものではないこと」を強調するためだったと語っている(1977823日)。

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記事中に「人間宣言」の文字はない。この「詔書」の一部分を「天皇、現御神にあらず 君民信頼と敬愛に結ぶ」との見出しで紹介。「現御神」は「あきつみかみ」と読む。「現人神(あらひとがみ)」ではなかった

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官報 号外 昭和二十一年一月一日

 詔書

茲ニ新年ヲ迎フ。顧ミレバ明治天皇明治ノ初国是トシテ五箇条ノ御誓文ヲ下シ給ヘリ。曰ク、

 一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ

一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ

一、官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメンコトヲ要ス

一、旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ

一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ

叡旨公明正大、又何ヲカ加ヘン。朕ハ茲ニ誓ヲ新ニシテ国運ヲ開カント欲ス。須ラク此ノ御趣旨ニ則リ、旧来ノ陋習ヲ去リ、民意ヲ暢達シ、官民拳ゲテ平和主義ニ徹シ、教養豊カニ文化ヲ築キ、以テ民生ノ向上ヲ図リ、新日本ヲ建設スベシ。

(中略)

然レドモ朕ハ爾等国民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ。

(後略)

 御名 御璽

 昭和二十一年一月一日

(以下内閣総理大臣ほか大臣名)

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 1946年1月1日『朝日新聞』

そして、なんと、この同じ元旦の『朝日新聞』には、高松宮のインタビュー記事も掲載されていて、その見出し「御兄君天皇陛下―高松宮殿下のお話し」「曲がった事がお嫌い 御食慾にも響く御心勞」を見て、「?」となったのである。今回の「小林侍従日記」紹介の記事と見まがうようなトーンであったからだ。インタビューで高松宮は天皇が「曲がった事が嫌い、慈悲深い」という性格であること、趣味は「野草お手植え」であり、食糧問題については心配していることなどを語っている。「人間性」を強調することで「天皇制の維持を図ろう」とし、さらに、「天皇に近い皇族の肉声によって、これまで遠い存在であった天皇の姿が明確化されるという効果を有し」、「人間宣言」と同じ日に掲載されることによって「人間宣言」を補完する役目を担っていた、との指摘もある(河西秀哉「戦後皇族論―象徴天皇の補完者としての弟宮」『戦後史の中の象徴天皇制』 吉田書店 2013年)。高松宮のインタビュー記事では、天皇の「平和」への思いにも言及している。となると、今回の一連の「小林侍従日記」紹介記事が、横並びで「昭和天皇が自らの戦争責任について苦悩していた」ことを強調すること、メディアが一斉に、この代替わりが一年足らずに迫った、この時期に発信することの意味は大きいと言える。

「昭和天皇は、晩年まで戦争責任を気にかけて、悩んでいたのだ。平成も終わるこの時期に、もう問い続けるのをやめてはどうか」のメッセージのような気がしてならないのである。ということは、2015815日の「安倍談話」にも通ずることになりはしまいか、の思いがつのる。<19462018>この間、いったい何が変わった、と言えるのだろうか 

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2018年8月21日 (火)

元号が変わるというけれど、73年の意味(3)皇室とマス・メデイアとソーシャル・メディアと

 201688日、午後3時、天皇のビデオ・メッセージが、一斉に各テレビ局から流された。その内容も大きな問題を抱えているが、どのテレビ局を回しても同じ画像と声が流れている事態に、驚いたのである。まさにメディア・ジャックではないかと。713日夜7時のNHKテレビ、ニュース7のスクープなのか、リークなのか、いまだ判然とはしないのだけれど、「天皇の生前退位の意向」が報じられ、ことは、ここから始まったことになる。

 

 天皇のビデオ・メッセージは、「平成の玉音放送」ともいわれたそうだが、これが初めてではなかったことを知った。2011316日、午後435分から6分弱のビデオによる「おことば」が、在京テレビのどの局も、それぞれ組んでいた特別報道番組の中で流していたという。不覚にも、私にはその記憶がない。316日当時は、地震の被害、津波の被害、原発事故による被害の全貌がまだわらず、その惨状、広がり、死者の増加が刻々と報道されるなか、その衝撃の大きさもあって、天皇のビデオ・メッセージは、聞いていたかもしれないが、記憶にない。その内容は、下記の資料で見ていただくとわかるが、「見舞いと励まし」の域を出ず、印象が薄く、埋没してしまったのかもしれない。しかし、このときは、テレビ東京を除き、すべての在京テレビ局が放映したという。

 

・東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば(2011316日)(宮内庁) 

http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/tohokujishin-h230316-mov.html

 (参考のため) 

・象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(201688日)(宮内庁) 

http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12 

 

  天皇のビデオ・メッセージが、このような形で、いわば非常時の「心構え」や天皇みずからの「個人的な意向」が国民に発せられるということは、憲法上、法律上可能なのだろうか。2011年の場合は、被災地や慰霊の旅、さまざまな行事での「おことば」の延長としての「公的行為」、実質的な効用を持たない「挨拶」のような役割しか果たさなかったと思うが、2016年の場合は、憲法第4条の内閣の助言と承認を必要とする「国事行為」の規定にも当てはまらないし、「摂政を拒む」という皇室典範を明らかに逸脱する意思表示でもあった。その「お気持ちがにじむメッセージ」は、通例の「おことば」でもない「記者会見」でもない方法で発信された。あのメッセージは、もちろん公文書となるわけだから、天皇一人で作成したとも考えられない。となると、宮内庁と官邸が関与して、違憲・違法行為をしていることになりはしないか。その不透明な点を厳しく指摘する論者は少ないが、以下はその一つだろう。
 

・「天皇ビデオメッセージ」15『アリの一言』(20168915) 

https://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/e/ffac8315cb4322d232b9dc869befa2a6

 

 私も、当時、手探りながら若干言及しているので、下記のブログをご覧いただきたい。
 
・天皇の「生前退位」の行方~「天皇制」の本質については語られない12 

『内野光子のブログ』(2016112930) 

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2016/11/post-dd45.html 

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2016/11/post-e43f.html

 内容的にも、疑義があるわけだが、その伝達方法が、ビデオ・メッセージによる全テレビ局一斉放映という形、いったい、どこの誰が決めたことなのだろうか。 あの11分の間、テレビ局が他の情報を排除し、一斉放映することになった過程を知りたいと思った。各局、その指示を受け入れる判断をしたのは誰だったのか、どのテレビ局も一斉に放映したということが、私には恐ろしく思えたのである。その過程が曖昧なまま、国民は、有無を言わせず、ビデオだけを視聴させられたことになる。

 

一斉放映後のマス・メディアは、少しの戸惑いを見せながらも、高齢化した天皇の任務の重さを理解した心情的な記事が溢れ、国民の多くも同調するという流れができ、世論調査などにもその傾向は色濃く反映された。

 

この一連の流れを見ていると、かつての旧憲法下には「勅令」という法形式があった。今回のメッセージは、個人的な「お気持ち」というソフトな表現が使われた。しかし、その内実は、丁寧で、やさしい言葉と映像につつまれた超法規的な言説ではなかったのか。しかも、その伝達力の速さと広さは、かつての官報や新聞、ラジオ放送などとは比較にならないほどのものとなった。さらに、いつでもどこでもインターネット上では繰り返し視聴できる。それに加えて、多くのマス・メディアは、記事や番組において、法律家や歴史家、さまざまな論者が入れ替わり立ち代わり、慣れない敬語をもって、解説やコメントをしていたことは、記憶に新しい。その一方で、政府や国会は、メッセージに応えるべく「静かな環境」でという建前で、立法の準備を進め、結果的に、論者や政治家による検証や議論をけん制した。

 

現憲法下での天皇の在り方について活発な議論がなされるべき、絶好のチャンスのはずだった。野党もマス・メディアも、有識者会議での論点の限りの整理のみにとどまり、あるべきアジェンダの設定を怠ったと言わねばならない。

ただ、玉石混交、フェイク情報が前提とされるインターネット情報や週刊誌情報ではありながら、私が、かすかに期待をするのは、節度を持った情報交換や意見交換が活発になることであり、皇室・天皇への国民の関心が高まり、そこから課題が生まれることである。(つづく)

 

 

 

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2018年8月16日 (木)

元号が変わるというけれど、73年の意味(2)象徴としての天皇の仕事とは

天皇という一人の人間の死去によって、あるいは退位の意思表示によって、元号、時代表示が変わるということが、この現代の日本で、当たり前のように受け入れられようとしている。これは、いったい何を意味するのだろうか。

 

201688日、天皇は、象徴としての任務を全うすることが難しくなったとして生前退位の意思を固め、象徴天皇としての役割をきちんと受け継いで欲しいという「お気持ち」を発信した。あの日の午後3時、どのテレビ局も一斉に、11分弱のビデオ・メッセージを流したのである。これを聴いたとき、天皇も、身体的に限界を感じて「仕事」を辞めたいということであれば、だれも止めることはできないだろうし、私も、個人の尊厳にもかかわる問題という認識で、当然のことと受け流していた。

 

 
  しかし、よくよく考えてみると、憲法上の国事行為は、限りなく形式的な行為であって、天皇自らの意思に基づいてなされる行為ではない。そのルーティンワークも、考えてみれば、精神的には過酷な任務であろうと思う。しかし、それに加えて、法律上は何ら規定のない「公的行為」、宮内庁のホームページには、「ご公務など」とあえて曖昧な表現をとる「仕事」として、前記事で述べたように列挙されている。これらの中には、明治天皇以来、昭和天皇以来という伝統的、慣例的な行事も多い。その上、平成期の天皇は、「象徴としての天皇の仕事」には、積極的に取り組んできた自負を、あのメッセージに滲ませていた。
象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(201688日)(宮内庁)

 

http://www.kunaicho.go.jp/page/okotoba/detail/12

 

たしかに、私たち国民の目に触れる天皇の言動は、純然たる国事行為や私的な活動に比べて、「象徴天皇としての仕事」が大部分ではなかったか。戦没者慰霊、国会開会式、被災地お見舞い、戦跡慰霊の旅、全国植樹祭、国民体育大会、全国豊かな海づくり大会、園遊会、外国の要人接待などの国際親善の場での姿や「おことば」であった。国民に寄り添いたい、国民に理解してほしいという天皇個人の気持ちや天皇夫妻のパーソナリティが表出されるのかもしれないが、そこには、それらのイベントには、膨大な政府の力、自治体の力、市民の力が拠出されていること、過剰なほどの労力や時間、予算がかけられていることはぬぐいようもない事実である。そして、その見返りとしての政治的利用を否定するわけにはいかないだろう。というより、天皇の政治利用を目論む権力が登場しても不思議はない。私たちは、歴史からそれを学んだはずである。

 

 
  実は、時の政府・省庁の選択による褒章制度、息のかかった選考委員による様々な顕彰制度、園遊会への招待にいたるまで、政治家や官僚、研究者や文芸に携わる人たち、ジャーナリストやスポーツ選手・芸人・タレントにいたるまで、政府批判はしない、明確な物言いや主張は避ける、政治的な発言はしない・・・、まさに権力は「刃物」を持たずして、メディアや職場や地域で、あるいは、それぞれの分野の「業界」で、自粛や自己規制の雰囲気を作り出すことができてしまっている。失うものがない、一般市民が頑張るしかないではないか。

 

これまで、私は、短歌という狭い世界から、皇室と現代歌人たちとの関係を「<選者>になりたい歌人たち」「祝歌を寄せたい歌人たち」(『現代短歌と天皇制』風媒社 2001年)、「勲章が欲しい歌人たち」「芸術選奨はどのように選ばれたのか」(『天皇の短歌は何を語るのか』御茶の水書房 2013年)などにおいて、検証してきたつもりである。天皇の代替わりを前に、元号が変わる前後に、現代歌人たちは、どんな短歌を詠み、何を語るのか、短歌メディアは、何を発信するのかを見届けたい。

 

 

 

 

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元号が変わるというけれど、73年の意味(1)全国戦没者追悼式と天皇

  きのう、815日、日本武道館において「全国戦没者追悼式」が行われた。安倍首相の式辞、天皇の「おことば」の中では「平成最後の」という表現は登場しなかったが、中継やニュースのテロップでは「平成最後の」を冠するものがほとんどだった。

 

たしかに、現憲法上、「象徴」とされる天皇の在位が、昭和天皇は死去により終り、平成の天皇は、自らの意思表示に端を発し、生前退位の特例法で、来年、平成30年余で終わることになる。 

 

今年に入って、天皇として、皇后として、あるいは夫妻としての“最後の仕事”は続き、そのたびに、メディアによって回顧され、語られる機会も多くなり、「平成最後の」を冠した新聞記事や番組が氾濫するようになった。 



  追悼式の中継を見ていて感じたいくつかの中で、気になったのは、まず、参列者の高齢化を言うならば、安倍首相はじめ、衆参議長、最高裁判所長官、三権の長の挨拶が長かったことと、いずれも「天皇のご臨席を賜り」といった言葉で始まったことであり、天皇夫妻のみが祭壇と同じ壇上に座し、その他の参列者は客席である。見慣れた光景ではあるが、よく考えると、追悼式にしてはおかしくないだろうかと。 

 そもそも、この戦没者追悼式は、1952年、独立後直後、政府主催の式典として開催されたが、開催日は年々異なり、815日に定着したのは、1963年、10年も経ってからだった。そして日本武道館が会場になったのも、開館翌年の1965年からで、その前は、新宿御苑や日比谷公会堂、靖国神社であったこともある。天皇の参列は、もちろん憲法上の国事行為ではないし、法律上の規定に基づくものではない。宮内庁のホームページでは、「ご公務など」の項目に、「宮中のご公務など」「行幸啓など(国内のお出まし)」「国際親善」の三つをあげて、戦没者慰霊は、国会開会式、被災地お見舞い、全国植樹祭、国民体育大会、全国豊かな海づくり大会などと並んだ「行幸啓など(国内のお出まし)」の一つという位置づけである。
http://www.kunaicho.go.jp/about/gokomu/gokomu.html

 

また、同じく宮内庁ホームページの「皇室のご活動」の中に、「天皇皇后両陛下のご活動」として、国事行為などのご公務、 行幸啓、 外国ご訪問、 ご即位10年関連行事、 ご即位20年関連行事、 伝統文化の継承、 宮中祭祀、 御所でのご生活、の項目が挙げられ、「行幸啓」の中の「両陛下の東京都内でのお出ましは,毎年のものだけでも,全国戦没者追悼式,日本学士院授賞式,日本芸術院授賞式,日本国際賞授賞式,国際生物学賞授賞式などがあります」と説明されている。 

http://www.kunaicho.go.jp/activity/activity/01/activity01.html

 

1952_memorial_ceremony_for_the_war_
1952年 5月2日、新宿御苑にて



 全国戦没者追悼式は、当初、
195248日の閣議決定「全国戦没者追悼式の実施に関する件」によれば、「(同年428日の)平和条約の発効による独立(主権回復)に際し、国をあげて戦没者を追悼するため」に実施するとされた。 1982413日の閣議決定「『戦没者を追悼し平和を祈念する日』について」によれば「先の大戦において亡くなられた方々を追悼し平和を祈念するため、『戦没者を追悼し平和を祈念する日』を設け」て、その期日を815日とする、とされている。

 

そういえば、毎年、気にも留めていなかったのだが、きょうの天皇の「おことば」の冒頭でも「本日、『戦没者を追悼し平和を祈念する日』に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。」とあり、閣議決定の通り「平和を祈念する日」の文言がきちんと入っていたのである。首相の式辞では、この文言が語られたことはない。

 

これまでも、首相の式辞と天皇の「おことば」を比較した記事や論評はよく目にした。私自身も2015年に試みたこともある(「戦後70年―ふたつの言説は何を語るのか」『女性展望』 677号 20151112月号)。首相と天皇の言説を比較し、歴史認識の相違などを検証してみた。首相にはない、天皇の「さきの戦争への深い反省」や「平和への国民の努力」などに言及し、天皇を称賛する人々も多い。しかし、そんなことを繰り返してみても、いったい何が変わったのだろうかと思うと、あまり生産的ではない論議に思える。

 

 武道館での追悼式が、仰々しく、お金もかかりそうな祭壇、遺族の代表者選び、招待などにかかる諸費用・労力を思い、最早、形骸化してしまっているのを見るにつけ、もっと素朴な形での追悼ができないものかと思ってしまう。そして、それよりも、政府として、遺骨収集、空襲犠牲者への補償、原爆症認定、慰安婦への謝罪・補償、沖縄の基地問題など、いまだに戦後処理が放置されたたり、解決を見ないまま、日米安全保障強化、防衛費増強、憲法9条改正などを進めているのだから、「追悼」の意思は、微塵も感じられない。いや、そのうち、未来志向とやらで、追悼式自体が無くなる日が来るかもしれない、そんな思いすらしたのだった。

 

 

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2018年8月 9日 (木)

「共闘」という幻想、から抜け出すために

これほどのマイナス要因がつぎつぎと暴かれる安倍政権、その弱者軽視政策、まるでアメリカ・ファーストであるかのような外交・防衛政策にあきれながらも、内閣支持率が劇的に下がることはない。この政府の犯罪的な行為やスキャンダルも、メディアは、たんなるスキャンダルとして、面白おかしく騒ぎたてるが、あくまでも一過性で、深く調査報道を試みることもなく、忘れ去ってしまったかのように、次のスキャンダルへと乗り換える。また、NHKのように、政治スキャンダルはそそくさと、国会報道は、与野党の争点を深めるのではなく常に<攻防>としかとらえず、災害やスポーツの専門チャンネルかと思うほどの時間を割いて、「政府広報」に徹するメディアもある。そして、政府は、不都合が生じれば、「大騒ぎすることもない」と、ひたすら嵐の過ぎるのを待って、いつまでも安泰なのである。もちろん、こうした政府にも無関心だったり、いや、このままの政権維持でもかまわないで、と深く考えなかったりする国民も、合わせれば三分の2くらいになることも確かなのだ。

 

では、この一強に抗議する市民たちは、「アベ政治を許さない」「9条を守れ」「原発再稼働反対」などと、いつも仲間内では盛り上がるが、その輪を広げることができない。後退する運動を「継続は力なり」とみずからを慰める。近年は、多弱の「共闘」が叫ばれ、その内実は、政党や会派間の攻防・調整に精力が注がれ、なかなか実を結ばない。というのも、みずからの政党・会派の議員当選、一票でも支持票をのばすことが目標になってしまうからだろう。特定の複数政党、政党色が濃いいくつかの「市民団体」などが主導する集会に参加してみると、「共闘」を目指す議員たちが入れ替わり、連帯の挨拶や報告はするけれども、自分の番が終わると、集会の成り行きを見守るわけでもなく、参加者の声に耳を傾けることもなく会場を後にする場合が多い。大きな集会だと壇上から各党代表がつないだ手を振り上げ、その後のデモ行進の先頭には立つが、いつの間にか姿を消していたりする。

私は、特定の政党に属したり、後援会というものにも入ったりしたことがない。詳細は分からないのだが、共闘を目指した集会などに参加して思うのは、参加した市民の熱気に反して、招かれて講演をしたり、スピーチをしたりする著名な「文化人」「学者」「ジャーナリスト」たちが、どうして、こうもいつも同じような顔ぶれで、同じような内容の話になるのだろう、ということなのだ。さまざまな市民団体が、競うように、そうした「著名人」を招いて、人集めに腐心しているかのような印象を受ける。現に、新しい情報も提案もなく、新聞・テレビ情報を繰り返し、アジテーションに終わることが多く、「またか」の徒労感がつきまとう。あるいは、かつて保守政党の「重鎮」が安倍政権批判をしたり、かつて憲法改正論を主張していた学者が、改憲批判をしたりしたからと言って、過去の言動との整合性が問われないままに、すぐに飛びついて講演依頼をしたり、執筆させたりして重用する。それだけならまだしも、少しでも、疑問を呈したり、批判したりする人物に反論するわけではなく、無視したり、排除したりすることが当たり前になっている。

それに、首長選挙で、共闘のもとに立てた統一候補者や当選者のスキャンダルが浮上したり、公約を守らなくなったりしたとき、共闘を組んだ政党や組織の対応が、あまりにも無責任なのも、納得できないことの一つなのだ。たとえば、まだ記憶に新しい、都知事選での鳥越候補、米山前新潟県知事、三反田鹿児島県知事などなど・・・。統一候補選択にあたって、知名度や人気が優先され、政治的信条の確認などがおろそかになっていたのではないか、など裏切られた思いがする。

「共闘」の成果が上がらないのは、既成の党や会派の方針からすこしでも外れると、そうした意見や活動を無視したり、排除したりするからではないか、との思いにもいたる。市民の一人一人の思いが、塊になって動き出し、政党を動かすというのが、市民運動の本来の姿にも思えるからである。 

私がつねづね思うのは、そもそも、主体的な疑問や怒りがあってこそ、なんとかしなくてはという思いにかられ、抗議や抵抗の形が決まってくるのではないかと。「なんか少しおかしくない?」という素朴な疑問が「ことの始まり」になるのが、私の場合だ。たしかに、活字や映像の情報がきっかけになることもある。後で、自分で、少し丹念に、新聞を読んでみたり、ネットで調べてみたりしていると、さらに、知りたくなるし、疑問も増えたりする。自分取り込んだ情報や知識、そして機会があって、たとえば、市民運動の現場に足を運び、当事者との交流で得た体験は、身に刻まれる。自分からも発信したくなるし、行動の起点にもなることが多い。 

著名人を追いかけたり、ひたすら署名活動に奔走したりする人たちには、どうしてもついていけない自分がいる。せめて、野次馬根性を失わず、体力だけは維持して、ということだろうか。

 

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2018年8月 7日 (火)

オリンピックと天皇代替わり批判はタブーなのか

 

この夏は、図書館通いとパソコンに向かう時間が多かった。新聞をじっくり読めず、いつも見ているテレビのニュースも見逃すこともたびたびだった。スポーツ界――相撲、アメフト、レスリング、ボクシング・・・選手たちを抱える各競技団体、大学スポーツなどの旧態然とした一強体制には、あらためておどろくとともに、その体制が選手たちをいかに苦しめてきたかも知ることができた。今更ながら、さまざまな報道がされるたびに、安倍一強体制のいまの政治と同じ構図だなと、つくづく思う。メデイアも、いまでこそ勢いに乗って、スポーツ界のスキャンダルを連日報道するけれども、今までは、いったい何をやっていたの、とも言いたくなる。それに、「情報番組」の大半は、このスポーツネタと、いまは災害報道に終始する。災害報道にしても、災害救助、身内を失った人々の悲痛、避難遅れや地域の助け合いやボランテイア活動には言及するが、肝心の災害の要因や災害対策に割かれる情報は極端に少ない。政治ネタを扱うとなれば、政治家や官僚の放言・失言やスキャンダルと自民党総裁選の攻防とやらに焦点があてられる。それに、直近の国会で強行採決に近い形で成立してしまった働き方改革やIR法など、さらに中国・ロシア・韓国・北朝鮮とアメリカとの間で右往左往するだけの「外交」、沖縄の新基地建設、オスプレイ、イージス・アショア導入などを決めた防衛予算に見るアメリカ・ファーストの実態などは、もはや素通りに近い。そして、来年の天皇代替わり、二年後に迫ったオリンピック関連の報道が過熱の一途をたどっている。

 

そもそも、現天皇が、「象徴天皇制」の存続のために、生前の代替わりという方法で「強制終了」に踏み切ったことを受けて、「特例」づくめの半端な形で、乗り切ろうとした政府に、国会では、全政党・会派、「リベラルな」政党も、異議を唱えなかった。そして、すでに、なにやら「恩赦」による特典にだけには浴したいという露骨な動きさえもあるという。

 

東京オリンピック開催にも、政府・議会あげて、盛り上げに懸命なのである。IOCにおける東京招致、関連施設建設、建設費高騰、暑さ対策、聖火のコース、選手強化補助金、広報費用・演出、治安対策・・・。当然のことながら「想定内」の問題であって、いずれも大きな疑問符がつけられ、これらにまつわる不祥事やスキャンダルは後を絶たないだろう。不祥事まみれの「オリンピック」で得をするのは誰なのだろう。

 

直接は聴いたわけではないが、久米宏のラジオ番組でのオリンピック批判に、少し勇気づけられて。

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2018年8月 1日 (水)

スポーツ界のこの無様な姿は何だ!

 連日の災害・猛暑報道に続いて、スポーツ界のスキャンダルが後を絶たない。

 スポーツとは、もともと縁がない私は、プロのスポーツというのが、理解できない。そして、いまのような、国を背負って、勝敗を賭けるオリンピック競技というものにも、そもそも関心がない。それどころか、むしろ、害悪だと思っている。IOCのスキャンダルは、後を絶たないし、2年後の東京オリンピック・パラオリンピックを控えて、JOCの怪しげな動向にも、みな口をつぐみ始めている。

近頃、明るみに出ている日本のスポーツ界のスキャンダルを見るにつけ、何十年間にも及ぶ、しがらみ、悪弊、いや犯罪すらをも、黙認してきた監督官庁やスポーツ団体、それに、スポーツ報道の関係者は、いったい何をやっていたのかと不思議なのだ。今頃になって、どんなコメントをされようと、これまでの勝敗至上報道、情報源としての団体や関係者、選手とのパイプばかりが大事にされ、おそらく、知り得た不祥事情報も不問に付して来たにちがいない、と思われるのだ。ベテランのスポーツジャーナリスト、スポーツ評論家という存在も、あてには出来ない。多くのスポーツ団体も、たたけば何か出るところが多く、限りなく怪しい。アマ・プロを問わず、強いチームの陰には、何かありそうなのだ、というのが素人の直観でもある。

そして、さまざまな誘惑に負けるのも選手であり、そこから、立ち上がるのも、事情を一番よく知った選手たちなのである。メディアが垂れ流す、選手やチームの根性物語やファミリー・ヒストリーは、もうたくさんだ。老若男女を問わず、健康のために、勝敗を楽しみながら、本来のスポーツに興じることができる日を待ちたい。

それには、いまのような国単位で勝敗を競うオリンピックは不要でしかない。少なくとも、引き受ける国や都市が無くなり、4年毎も難しくなるかもしれない。各競技の国際大会があれば、十分ではないか。それとて、健全な運営は、複雑な国際情勢を背景に、むずかしい局面があるにちがいない。

 

 

 

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2018年6月23日 (土)

6月23日、怒りを持続するには

 

 相撲の暴力事件が妙な決着をみたと思ったら、日大アメフト部の悪質タックルに端を発した問題、女子レスリングのパワハラ問題も、その解決や今後の方向性が見えない中、いまや、サッカーのワールドカップで騒々しい。事件や事故のニュースが続き、大阪北部地震による災害ニュースが続いた。そして、政府やメディアは、何よりもますますの疑惑が深まった森友・加計問題の幕引き対応が目に余る。国会を延長してまで、押し切ろうとする働き方改革法案、カジノ法案などは、誰にとっての重要法案なのか。国民生活をむしろ不安に陥れる法律でしかない。

 

 朝鮮南北首脳会談、米朝首脳会談では、日本政府の思惑を大きく外れ、日本の安全保障環境も大きく変わるはずだ。いや、これまでも、変わっていたはずなのに、日本は、まるでアメリカの植民地のように、外交・軍事政策はアメリカ一辺倒であった。日米の外交・軍事政策は100%一致しているとまで、言い放つ無能な外交政策を展開してきた。憲法改正、9条加憲などを言う前に、1960年以降変わることがなかった「日米地位協定」を一日も早く、改定すべきはずなのだ。在日米軍関係者の警察権・裁判権、米軍基地空域には、日本の法律が及ばない。彼らは、出入国管理法も適用されず、車の国際免許証も持たないまま、日本国内を自在に移動している。日本による米軍基地への2000億を越える「思いやり」予算、汚染したまま用地返却など、その屈辱的な「日米地位協定」こそ変えるべきで、国内法の改正でできることもある。にもかかわらず、いわば特例尽くしの不合理を、日本政府は、半端な米軍への要望や運用改善を申し訳程度にするばかりで、抜本的な努力を怠ってきた。

 

私たちも、なぜ、沖縄に、米軍基地が集中するにいたったのかの経緯も知らなければならない。政府は、いまだに危機を煽り、安全保障上の必要、米軍依存の不可欠を喧伝するけれども、米軍は、日本を守ってくれるどころか、日本における米軍基地の存在自体が日本の危機を招いているのが実態だろう。その上、米からの軍需品の輸入額は増大する。1機100億もするオスプレイの17機の購入を決め、北朝鮮ミサイル対策として11000億イージス・アショアの2基導入を決めた。それらを中止、縮小することで、社会保障費の充実を図れるし、消費税を上げる必要もない。

 

そんな中で迎えた623日、辺野古の新基地建設現場では、工事はさらに進み海域への土砂投入は8月にも迫っている。私は、慰霊の日の追悼式には一度しか参加していないし、まだ、辺野古における工事阻止活動に参加したことがない。沖縄の地を踏んだのは3回ながら、気持ちの上では、それまでの関わり方とはずいぶん変わってきたように思う。何ができるのか、何をしてきたのか、と問われると、心細い限りではある。多く未知のことに知る努力とこのブログ記事や短歌作品などを通じて、自らの思いや考えを発信しながら、行動でも示していきたいと思っている。怒りを持続するには、エネルギーも、体力も。

 

玉城寛子『島からの祈り』(2018年2月)より

・荒あらと蟻潰すごと沖縄(うちなー)へのしかかる国よまこと母国か

清(ちゅ)ら海を一途に守ると腕(かいな)組むしわふかき人らここに集いて

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2018年6月 9日 (土)

6月10日、大雨の予報を吹き飛ばそう

 安倍首相が「国難」と称していたことは、朝鮮南北の首脳の融和的会談後、米朝首脳会談を前に、その根拠を失いつつある。自分の国の「拉致問題」を他国の大統領に交渉の依頼をするのが「外交」なのだろうか。公文書の隠蔽・捏造・改竄に手を染めた「膿」を出しきることは、自らの破たんをさらけ出す段になって、首相は、再発防止の責任を全うするというが、それはムリというもの。自分の手で自身の首を絞められるわけがない。この民主主義の根幹を揺るがす事態に―「国難」を乗り切るには、国民の「NO]という意思表示しかない。あの麻生大臣の言いたい放題の暴言を許していていいのか、との思いに焦る。 

 折も折、市民たちの告発を受けた大阪地検は、一連の財務省関係者の虚偽文書記載、証拠隠滅、背任罪などは証拠不十分で、すべて「不起訴」とした。刑事罰を問う手立ては、あと、検察審議会への申し立てという道が残されている。 

 こうした中で、国会での野党による政府追及は、本気度が疑われる、ゆるい質問ばかりの手詰まり状態が続いている。メディアは、力士による暴力事件、タレントの未成年者への飲酒強要、レスリング選手へのパワハラ、 財務省次官のセクハラ、日大アメフト悪質タックル問題、和歌山県の資産家の死亡事件などには飛びつくようにワイド番組や紙面をにぎわせている。さらに、根深い企業のデータ改ざん・談合・情報流出や過労死問題などの「不祥事」というより「犯罪」の発覚が続き、幹部が頭を下げる映像が繰り返し流される。それも一過性で、時の災害や事件や事故があれば、それに雪崩れこみ、企業に不都合なニュースはいつのまにか追いやられてしまう。それでなくとも、災害地の復興、東京オリンピック、来年の天皇代替わりというニュースがいつの間にか、前面に躍り出て、日本の政治や外交問題と沖縄の辺野古新基地工事、原発再稼働の動向は、脇に押しやられ、情報量がめっきり少なくなる。というより、情報量を、あえて絞るのである。 

 例えば、官邸とパイプが太いと言われるNHK幹部がニュース担当者に飛ばした指示というのが、「森友問題は、トップニュースで伝えるな、トップでも仕方ないが放送尺は3分半以内、昭恵さんの映像は使うな、前川前文科次官の講演問題と連続して伝えるな」というものであったことが、3月29日参議院総務委員会の山下芳生議員の質問で明らかになった。NHKがそうした事実を全面的に否定したというニュースは伝わってこない。NHKに限らず、新聞社や民放の幹部やジャーナリストたちと安倍首相との会食は続いているのだ。 

 こんな折に、私たちは何ができるのだろう。とりあえず、私も参加している「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」では、明日6月10日、次の行動を予定している。東京の大雨の予報が、夜間にでも少しずれこんでくれるといいのだが。雨の予報や銀座まつりの関係もあって、デモのコースが当初の予定より変更され、少し短縮されるらしい。

6月10日(日)12時~財務省前集合、アピール行動開始

 *デモの出発は日比谷公園西幸門で、西幸門での解散は、1時前後になるらしい。それから各自、国会前集会へ合流しよう。 

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