2026年7月15日 (水)

男女を問わず、皇族たちの人権は?「愛子天皇待望論」って何だったのだろう

   

 前記事と重なる部分もあるのだが、「皇室典範改正案」が成立する見込みが確実になったので、今一度整理しておきたいと思った。地元のミニコミ誌への寄稿も兼ねて。
 「皇室典範改正案」が6月30日に閣議決定されると、大方のマス・メディアは、旧宮家の男系男子を養子とする案への疑念を呈し始めた。たしかに、養子案は荒唐無稽な時代錯誤も著しく、非科学的な「万世一系」に根拠はなく、多くの国民も受け入れ難いのでないか。同時に、新聞などは、自社の世論調査結果を踏まえて女系・女性天皇への期待を、強調するようになった。

 7月10日、衆院での質疑もそこそこに即日、賛成多数で可決したことを受けて、7月11日の三大全国紙の社説は、一斉に、国会運営の強引さと野党国民民主と中道の従来の主張と異なる改正案に賛成したことを糾弾した。与党の恣意的な国会運営、質疑における詭弁、答弁不能、テープレコーダーのような繰り返しにも近い政府答弁に呆れもした。
 きょう7月15日、参院特別委員会審議入りし、16日には委員会採決、17日には本会議で成立の運びという筋書きで、国民そっちのけの国会軽視も甚だしい。しかも、見直しは30年をめどとされ、だれが責任をとると言うのだろう。なんでこんなに息苦しいことになってしまったのか。

 これまでの新聞等の論調を見てみよう。

 朝日は、7月10日「皇室典範改正の暴走」を非難、養子の男性子孫は皇位継承資格を持つという規定は、女性・女系天皇への道を塞ぐものだとし、翌11日には、衆院で改正案に賛成した中道や国民民主などの野党の拙速な対応を追及した。
 毎日も、7月1日、「養子の子に皇位継承権を付与する」という改正案は「女系・女性天皇を封じる意図」することへの疑念を示した。
 読売は、4月16日の社説で「皇位継承の安定 女性・女系を排除せず論じよ」と明言して以来、世論調査を踏まえて、7月1日にも「女性・女系を排さず議論し直せ」と訴えている。女系・女性天皇を容認しないのは、憲法の男女平等に反するという論調から「愛子天皇待望論」が週刊誌やネット上などで噴出した。「改正案」からは、実現に程遠い議論ながら盛り上がりを見せ、まるで、ガス抜きをさせているよう気がした。一方、NHKテレビの15日7時のニュースは、改正案成立が確実になった途端、急になにやら、こまごまと解説を始めるという、いつもの悪質なNHKの手口に終始する。

 現憲法下では、皇族たちは男女を問わず姓を持たず、さまざまな基本的人権を奪われている。改正案の「女性皇族は結婚後も皇族として残る」ということは、基本的人権を奪われたままで、法的な根拠を持たずに増やし続けた「公的行為」「公務」の人材要員となるにすぎない。配偶者や子どもの処遇、住所や生活費はどうなるのかも不明に近い。また、仮に女性天皇が実現したとすると、従来、天皇が背負ってきた義務や重圧を女性皇族までに拡大することになる。女性天皇の配偶者は、子孫はどういう処遇になるのか。いずれも、基本的人権を認めない人間をふやすことになるのではないか。

 本来、皇族といえども、憲法上は、男女を問わず、皇籍を離れる自由、非婚・結婚の自由、子供を持つか持たないかの自由があるはずである。また、天皇は政治的権能を有しないはずだが、果たしてきた役割を省みれば、政権との密接な関係は否定できない。天皇の外国訪問、戦死者・被災者慰霊、皇族たちの種々のイベントへの参加によって、政権の施策の欠落部分を補完する機能を強いられ、利用され続けている現状に着目する必要がある。

 朝日新聞が先の10日の社説で、「象徴天皇制と、法の下の平等や個人の尊重など<人類普遍の原理>という異質なものが憲法に同居しており、完全に整合させることは難しい」とやや踏み込んだ一文あったことに私は注目したのだが、どうなることか。憲法の基本理念と天皇制は相容れないはずである。

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2026年6月 7日 (日)

情報の収集・分析の「司令塔」?のはずが~“有料”の文春オンライン音声は聴きたくない高市首相

 5月27日に「国家情報会議設置法」が成立した。縦割りの情報・収集分析を国家情報局が司令塔となって担うというものだった。
  6月4日、衆院予算委員会で、中道の伊佐進一議員が、前日に『週刊文春』がオンラインで公開した昨年12月17日のオンライン会議の音声記録について質問した。この会議では、高市首相の公設第一秘書(高市早苗事務所長)木下剛志氏がこれまでまったく面識もなかったという自民党総裁選時の中傷動画作成者松井健氏とやり取りがなされ、その音声データが公開された。これにより、これまでの高市首相の答弁の信ぴょう性が問われることになったのである。

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5月28日、参院厚生労働委員会より。

 その高市首相は、音声記録について木下秘書のものか確認を求めるよう事前通告していた伊佐議員への答弁は、オンライン資料は有料だったので、批判的な記事を書く週刊誌の「有料会員になることは拒否する」というものだった。「有料」「有料」をなぜか繰り返していた。その後、昼休みに文字起しを読んだとして、その内容は、総裁選後の「国民の声」をどう収集するかのやり取りだったから中傷動画とは関係がないとも答弁している。自らの秘書への疑惑には答えず、やり取りの内容に言及するという答弁ずらしをしている。音声記録は、文春サイドの了承があるので提供するという提案には、有料会員でない者が、他人の取得したものを聴くのは規約違反になるとの妙な配慮をして見せる。 自分に不都合な情報らしいから、そして、有料(初回登録300円)だから情報を遮断するようでは、国家的情報収集・分析などできるのか、しかもその司令塔?を担えるものなのか、いい加減な言い訳にしか聞こえなかった。

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jiji.com6月6日より 。

  さらに、翌6月5日、参院予算委員会では立憲の岸万紀子議員の音声記録の秘書とのやり取りを確認したかどうかの質問には、聞いたけれど、あの状況での音声は、声が高く、ハキハキしている秘書とされる声はいつもと違っていて違和感があり、判別できなかったと答えている。オンライン会議自体の有無についても、莫大な量のやり取りの中から一つ一つを確認することは困難だとも開き直る。質問議員は文春の記事が正しいことを前提にしているのは心外だとも。では、文春の捏造なのかという質問については、明確な答えはなかった。

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6月5日参院予算委員会、日本テレビより

 また、岸議員は、『週刊現代』から高市早苗事務所への上記昨年12月17日のオンライン会議についての質問に対しての回答にも言及した。すでに、今年の4月3日付けで事務所からは、中傷動画作成者松井氏の「NoBorder」サイドからの求めに応じてオンライン会議がなされたことを認める回答が届いていた。これについて、首相からは、秘書は「事実とは異なる」と言っている、との回答しかない。

 『週刊現代』も、「サナエトークン」問題の取材過程で、木下秘書と松井氏の接点は、幾度か確認しているという。取材記者は「松井氏は、5月18日にネット番組『NoBorder News』に出演し、高市総理の公設第一秘書で、事務所所長の木下剛志氏と、オンラインでのやりとりを重ねていたと告白した。さらに、木下氏から具体的な指示はなかったものの、「動画作戦」を自ら主導しておこなったと主張した」と報じている(河野嘉誠「現代ビジネス」2026年6月4日)。 

 『週刊文春』や『週刊現代』が事実と異なる報道をしているというならば、高市首相や秘書、高市事務所は、記事の訂正要求や抗議をしないのか、記事を捏造しているとなったら、裁判を起こすべきだろう。6月5日の参院予算委員会で塩村あやか議員も遠慮がちに、これだけ疑惑が広がっているのに、なぜ抗議等の検討しないのかと質問していたが、その回答は、これまた、どの口がという答弁に驚いた。

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6月5日参院予算委員会、塩村議員への答弁「いま、私は日本国を背負って国家運営に取り組んでいる。ほんとうに、そういうことに時間を使っている暇はない」と。このセリフ、どこかで聞いたような。自民党総裁となった直後、「衆院解散」を問われて、「今、そんな暇はございません」と答えていた。

 それに、中傷動画の対象となった総裁候補だった林芳正総務大臣、小泉進次郎防衛大臣ほか、野党の面々、なぜ抗議なり、削除を要請しなかったのだろう。その発信経過を明確にしようとしないのかも不思議な気がする。 

 補正予算の大部分を予備費として計上し、しかもその財源を国債に拠るという補正予算案を衆・参の質疑各一日で成立させてしまう離れ業を認めてしまう野党も情けない。政府は数の力でやりたい放題、日本はどんどん沈んでゆく。

 

 

 

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2026年5月13日 (水)

「皇族確保案」の拙劣、「愛子天皇待望論」の陥穽

「皇族確保案」の拙劣

  「皇室典範」の「改正」をめぐって、5月12日、中道から旧宮家出身の男系男子を皇族の養子とする案も容認するという方向性が示されたところで、各党の方針が出そろった。このタイミングで朝日が5月12日、毎日がきょう5月13日の社説で論じ、5月7日には、読売新聞がすでに社説を出している。

  与野党の全体会議では、有識者会議提案の ①の女性皇族の身分保持案に主要政党の大半が賛成し、②養子案には自民、日本維新の会、国民民主、参政、公明、中道などが賛成していることになる。

  朝日新聞はつぎのような表にまとめている。(「〈立法府の総意〉集約焦点 皇族数確保策 各党見解出そろう」朝日新聞 2026年5月12日 ) 

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 上記全国紙三紙のスタンスは以下の通り。

・読売は、5月7日の社説で今国会での典範改正が成立する公算が大きいとし、4月の社説では「皇位継承の安定 女性・女系を排除せず論じよ」(4月16日)と題し、「各党は報告書の2案にとらわれてはならない。今の継承順位は変えないことを前提に、将来の女性・女系天皇も排除せず、皇統の存続を最優先に検討すべき」だとして、あの読売が「女性、女系」に踏み込んだと話題になった。

・朝日は「養子案の容認 皇室への信頼保てるか」(5月12日社説)とし、「女性・女系天皇への道を閉ざすことなく、広く国民が納得できる開かれた議論が求められる。」と結ぶ。

・毎日は、「皇室に男系男子養子案 国民の理解得られるのか」の見出しで「天皇の地位は国民の総意に基づくもので、幅広い合意形成が不可欠だ」とし、「拙速に事を進めるようなことがあってはならない。」と結ぶ。

  今国会での「典範」改正を目指す高市政権のもと、与野党協議が活発化した4月以降、メディアでの記事も多くなった。しかし、議論の対象となっている二案は「皇族数確保」のための方策で、皇位継承の在り方は協議事項にはない。しかも、「有識者」会議が出したと思えないほど、憲法を踏まえない、荒唐無稽な、欠陥の多い二案に翻弄されている形である。

 ①案の女性皇族が結婚後も皇族に残る案では、その配偶者や生まれて来る子どもは皇族になるのか、ならないのか。②案の男系男子養子案にしても、皇籍離脱して80年も経つ宮家の男系男子を辿ること自体、時代錯誤も甚だしく、憲法14条による「性別」「門地」による差別になることも指摘されてきた。だったら、メディアも日本国憲法下の「天皇制」自体の問題にかかる情報と論点を国民に伝えるべきだし、世論調査でもそれを問うべきだろう。

  そして何よりも、日本国憲法の根幹たる民主主義に反する「天皇制」を維持しているが故に、奪われている皇族たちの基本的人権、とくに今回の女性皇族の結婚の自由、該当者?旧宮家の男系男性の結婚の自由を侵害すること、女性皇族へ男子誕生を強制するシステムとなってしまうことをどう考えているのだろうか。国民と皇族の差別、身分制度を前提とする議論を続けていることに、憲法学者の天皇制論と言えば、「憲法の番外地」「憲法自身が認めた例外」と逃げ、もっぱら天皇制護持を確信する皇室に詳しい研究者は別として、研究者の多くはどこか曖昧で、核心には触れない。また、テレビなどで活躍するリベラルと称されるコメンテイターやジャーナリストたちも触れたがらない。というより、番組のテーマとしては扱わないのが常である。

「愛子天皇待望論」の陥穽

 今回の皇室典範改正は、あくまでも「皇族数確保」のための改正であって皇位継承を安定化に直接資するものではないはずである。にもかかわらず、皇室典範改正にからめて週刊誌やネット上では「愛子天皇待望論」が盛り上がっている。冒頭に上げた、全国紙の社説ですら、読売「今の継承順位は変えないことを前提に、将来の女性・女系天皇も排除せず、皇統の存続を最優先に」、朝日「女性・女系天皇への道を閉ざすことなく、広く国民が納得できる開かれた議論」と論じている。日本共産党も、4月2日の記者会見で田村智子委員長は「憲法の下での天皇制度と考えれば、女性天皇の容認を含めて議論すべきだとの考え」を改めて示した(時事ドットコム 4月2日)。小池晃書記長は、4月20日の記者会見で「女性天皇も女系天皇も容認」し、「悠仁親王までの継承をゆるがせにしないとの立場には立たない。憲法に基づく議論を進めるべきだ」と述べたという(産経新聞4月22日)。

  また、週刊誌の最新号を見ると、愛子さんネタが目白押しである。「徹底論争、〈愛子天皇〉じゃダメですか?」(週刊文春2026年5月7・14日合併号)、「20年越しの〈皇室典範〉見直しへ 〈愛子天皇〉大論争の核心」(週刊新潮 5月21日号)、「〈愛子さまか悠仁さまか〉女子皇族まで分裂に雅子さま憂悶」(女性自身5月26日号)、「愛子さま佳子さま 未来は見通せない状況〈皇室典範改正〉は〈憲法違反〉の声」(週刊女性5月26日号)、「愛子さま〈母と生き写し〉女性活躍へ!海外訪問7日間」(女性セブン5月21・28日合併号)と賑やかである。

  全国紙の社説は、今回の皇室典範改正論議で、「女性・女系天皇」も議論されているようかのように読めてしまうような部分があるが、週刊文春、週刊新潮、週刊女性では、「女性天皇、女系天皇」まして「愛子天皇」はまったく今回の議論の対象外であることを明確にしているし、新聞社による世論調査で「女性天皇」の賛否を問うなどは国民をミスリードするものだとの指摘もする(週刊新潮)。

 こうしてみると、政権や権力者に対して、中立を標榜し、忖度をはばからない新聞、テレビなどでは踏み込まないところまで、週刊誌が切り込み、ファクトの提供と論点の提示、自らの主張という、メディア本来の機能を果たしている側面があるように思えたのであった。

 

 

 

 

 

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2026年5月 5日 (火)

憲法改正、急ぐに及ばず~憲法記念日の世論調査にみる

  5月3日の朝日新聞は「高市政権で改憲 賛否拮抗 本社世論調査 賛成47% 反対43%」、毎日は「改憲《賛成》37% 本社世論調査 首相人気 機運押し上げ」と一面で報じている。憲法記念日恒例の世論調査である。この日のための世論調査の結果報道、社説や特集が組まれ、市民団体による意見広告も散見できる。

  この頃、「世論調査」というのに疑問を持ち始めている。まず、思うのは設問・回答の在り方と回収率の低さと調査方法である。最近、ケータイや固定電話に、何か所からかのさまざま「世論調査」らしき電話を受けるようになったが、私自身、警戒心の方が強く切ってしまうので、回答者が世論を反映しているかな、と思ってしまう。かつて、新聞社の文書による世論調査を受けたことがあり、その時はもの珍しさもあって、じっくり考えて記入したものである。

朝日新聞の見出しになっている賛成47%というのは、
・「高市首相は憲法改正を目指すことを明言しています。高市政権のもとで憲法改正を実現することに、賛成ですか、反対ですか。」

  という設問の回答だったのである。正直、この質問には、私だったら回答できない。この設問の直前の二問の問い方とその回答も付してみた。

・「自民党は、憲法9条の1項と2項をそのままにして、新たに自衛隊の存在を明記する憲法改正案を提案しています。こうした9条の改正に賛成ですか、反対ですか。」賛成52%、反対40%
 賛成の理由:明記することで、海外活動がしやすくなる21%
   反対の理由:明記することで、自衛隊の海外活動拡大の恐れがある25%

・「いまの憲法を変える必要があると思いますか。変える必要はないと思いますか。」必要がある49%、必要はない44%

 これらの設問の幾つか前には、つぎのような設問もある。

・「以下は、憲法第9条の条文です。(条文略)憲法9条を変えるほうがよいと思いますか。変えないほうがよいと思いますか」 変えるほうがよい30%、変えないほうがよい63%

 9条に関しては、二つの設問があって、一つは、条文をあげて、1・2項の変更の有無を問うもの、一つは、その後に設けられていて、1・2項はそのままに、(3項として)自衛隊の明記の可否を問うものであった。回答から見えてくるのは、現行9条の「戦争の放棄」と「戦力及び交戦権の否認」はそのままに、自衛隊を明記するというのが大きな流れのように読み取ることができる。

以下の画像は、いずれも拡大て読めます。

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朝日新聞2026年5月3日朝刊、「世論調査」結果の一部

 他の新聞、NHKを見てみよう。憲法改正という設問は共通しているが、毎日が高市首相在任中という条件を付けているが、憲法改正の賛成・反対はたしかに拮抗していると言える。読売とNHKは、改正賛成は、反対をかなり上回っている。もっとも、NHNの世論調査は、「どちらとも言えない」が賛成と同様38%を占めている。NHKの世論調査では、「どちらとも言えない」の選択肢を設けるのが「得意技?」と言ってもよい。ときには「どちらかと言えば賛成」「どちらかと言えば反対」の選択肢を設けることもある。今回は「どちらとも言えない」の選択肢によって、賛成、反対の差を広げたようにも思える。「どちらかと言えば・・・」の回答を用意していたら、賛成・反対の差は縮まるのではないか。

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 朝日と読売は、今回、憲法改正問題だけでなく設問は多岐にわたっているのが、他と異なる所であり、憲法9条についても、両者は、同様である。「自衛隊明記」といういわば「加憲」に特化した設問もNHK以外は用意しているが、いずれも明記に賛成する方がかなり上回っていることがわかる。その理由を問うている朝日の結果によれば、明記賛成の理由で多いのが「海外での活動がしやすくなる」で、反対理由で多いのが「海外での活動が拡大する恐れがある」という真逆の理由であった。

 なお、読売は「今後、9条はどうあるべきか」の設問の回答の選択肢として、つぎの三つを用意していたが、その結果から、①+③を「改正しない」とカウントした。

①これまで通り解釈や運用で対応する43%
②解釈や運用で対応するのは限界なので改正する38%
③9条を厳密に守り、解釈や運用で対応しない12%

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読売新聞2026年5月3日朝刊、「世論調査」結果の一部

 なお、今回調査の対象としなかったが、日本経済新聞の世論調査で「高市首相に優先的に処理してほしい課題」として、憲法改正は8つの選択肢の最下位で、11%に過ぎなかった。また、NHKの設問はいささか異なるが、今国会において、「憲法改正以外の課題を優先すべき」だとする回答が、52%も占めていた。

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日本経済新聞デジタルニュース、2026年5月2日より

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NHK2026年5月3日、
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 世論調査自体は、その回収率からしても、どこか頼りないのだが、各社の結果を総体的にみると、要するに、国民の大半は、いま、憲法改正を望んではいないということではないか。なぜ、そんなに急ぐのか。「法の支配」と「自由と民主主義」を標榜する国のやることかと、不安は増すばかりである。

 

 

 

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2025年4月12日 (土)

沖縄の渡嘉敷島の「戦没者」慰霊祭に思う~住民を守らなかった日本軍

  先月3月29日、『東京新聞』に「2025戦後80年」シリーズとして、「『二度と戦争やめて』沖縄・渡嘉敷島 戦没者の鎮魂祈る」という小さな記事があった。「集団自決」で亡くなったとされる330人の慰霊碑「白玉之塔」の前での慰霊祭に約100人が参加、戦没者の鎮魂を祈ったとし、それに続いて「集団自決」の模様を以下のように伝えていた。

「米軍は1945年3月27日、渡嘉敷島に上陸。島北端の山中に逃げた住民は28日、集団自決に追い込まれた。鎌で切りつけたり、縄で首を絞めたりして、肉親同士が殺し合った」

 簡潔で、間違ってはいないと思われる記事なのだが、私たちが、渡嘉敷島の現地での見聞や書物の記述とは、ずいぶんと違っているように思えた。
 私たちが、渡嘉敷島を訪ねたのは2017年2月6日、那覇港から、欠航の合間を縫って、ようやく渡ったのだった。高波にも見舞われながらの70分の船旅、日帰りの強行軍だったが、タクシーの運転手兼ガイドさんの女性の案内でかなり精力的にまわったのではなかったか。

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   記事に「島北端の山中」とあるが、現在は、起伏こそあるが、広がる草原の先には、「国立沖縄市青少年交流の家」があり、野球場も見渡せ、海に向かえば、座間味島、阿嘉島も見える。のどかな光景なのだが、1960年、米軍がミサイル配備の基地建設のため、辺りの山は削られ、谷を埋め、地形は一変したという。69年に基地は閉鎖され、本土復帰の数年後に返還されたというのだ。もともとニシヤマと呼ばれたこの山間の地で、「集団自決」という凄惨な殺戮が繰り広げられたのである。現在は、1993年3月28日に建てられた「集団自決跡地」の碑がある。敗戦直後の1951年3月28日には「白玉之塔」は建てられていたのだが、米軍の基地建設のため接収され、現在の位置に移設されていた。

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   現在では、体験者の多くの証言により、渡嘉敷での「集団自決」は、軍の命令や関与があったことは明らかになっている。以下の証言でも、日本軍は住民を守るどころか、殺人や自決に至らしめたのである。

例えば、『沖縄タイムス』の社説にもあるように、軍は「敵に捕まった場合の投降も事実上禁止されたほか、「米軍に捕らえられれば女は辱められ、男は股割きにされる」という恐怖を住民に植え付けたのである」とし、一人の男性の証言をつぎのように続けている。

「あの日。金城さんの家族5人がいた壕では村長の「天皇陛下万歳」三唱が合図となりあちこちで手りゅう弾が爆発した。金城さんは、死にきれなかった妻子を小木でめった打ちにする男性の姿を見て「やるべきことが分かった」という。兄と2人で泣き叫びながら母と弟妹の頭に石を打ち下ろした。」(「[沖縄戦80年]慶良間「集団自決」悲劇の背景に軍の存在」2025年3月26日)

  同じく地元紙の『琉球新報』は、慰霊祭の記事ではつぎのように伝えている。

「1945年3月27日、渡嘉敷島に米軍が上陸し、住民は日本軍の命令で北山(にしやま)に集められた。翌28日に「集団自決」が起き、当時の村民の4割に当たる330人が犠牲となった。」(「渡嘉敷島「集団自決」80年の慰霊祭 刻まれた肉親の名を呼ぶ 沖縄戦」『琉球新報』 2025年03月28日)

『読売新聞オンライン』では、死んだふりをして難を逃れた女性の証言としてつぎのように伝えている。

「隣の座間味島(座間味村)に米軍が侵攻した翌日の3月27日、集落に「米軍が攻めてくる」といううわさが広がり、家族や知人らと山へ逃げ込んだ。夜通し歩き続け、日本軍の拠点にたどり着いたが、兵士に立ち入りを拒まれた。」(「沖縄戦で恐慌状態になり「親族同士で殺し合い」2025年3月27日」

 ところが、総務省がまとめた「渡嘉敷村における戦災の状況」では、「集団自決」について、以下のように記されている。

「日本軍の特攻部隊と、住民は山の中に逃げこんだ。パニック状態におちいった人々は避難の場所を失い、北端の北山(にしやま)に追込まれ、3月28日、かねて指示されていたとおりに、集団を組んで自決した。手留弾、小銃、かま、くわ、かみそりなどを持っている者はまだいい方で、武器も刃物ももちあわせのない者は、縄で首を絞めたり、山火事の中に飛込んだり、この世のできごととは思えない凄惨な光景の中で、自ら生命を断っていったのである」(総務省「(沖縄県)渡嘉敷村における戦災の状況」『一般戦災死没者追悼』所収)

 なお、渡嘉敷村のホームページ「慶良間諸島の沖縄戦」にも、上記と全く同文の段落があるので、総務省は、このページから一部を引用したものと思われるが、どうしたわけか、段落の冒頭部分「物量に劣る日本軍の特攻部隊と・・・」の「物量に劣る」が省かれている。総務省は、こんな姑息な「忖度」までを“日本軍”にするのかと。

 しかし、渡嘉敷村HPでも、「かねて指示されていたとおりに」というが、「いつ」「誰」が不明である上、「母と弟妹」は殺されたのであって、「自ら生命を断っていったのである」は、多く証言から、事実に反する記述ではないかと思う。さらに、同じHP上には、「大東亜戦争及び沖縄戦における本村関係者全戦没者数」の一覧表の欄外に*を付した「注意書」?では以下のような記述があるのである。

「狭小なる沖縄周辺の離島において、米軍が上陸直前又は上陸直後に警備隊長は日頃の計画に基づいて島民を一箇所に集合を命じ「住民は男、女老若を問わず軍と共に行動し、いやしくも敵に降伏することなく各自所持する手榴弾を以て対抗できる処までは対抗し癒々と言う時にはいさぎよく死に花を咲かせ」と自決命令を下したために住民はその命をそのまま信じ集団自決をなしたるものである。」

 渡嘉敷村HPにおけるこれらの齟齬を担当だという村の教育委員会に尋ねたところ、古いことなのでわからない、とのことだった。
「慶良間諸島の沖縄戦」
https://www.vill.tokashiki.okinawa.jp/material/files/group/1/jiketsu01.pdf

 渡嘉敷島では驚かされた一件があった。曽野綾子撰文による「戦跡碑」である。かねてより保守の論客としても知られる作家の曽野綾子(1931~2025年2月)の撰文の一部を見てみたい。

「(前略)3 月 27 日、豪雨の中を米軍の攻撃に追いつめられた島の住民たちは、恩納河原ほか数か所 に集結したが、翌 28 日敵の手に掛かるよりは自らの手で自決する道を選んだ。一家は或いは、 車座になって手榴弾を抜き或いは力ある父や兄が弱い母や妹の生命を断った。そこにあるのは 愛であった。この日の前後に 394 人の島民の命が失われた。 その後、生き残った人々を襲ったのは激しい飢えであった。(中略)  315 名の将兵のうち 18 名は栄養失調のために死亡し、 52 名は、 米軍の攻撃により戦死した。 昭和 20 年 8 月 23 日、軍は命令により降伏した」(全文参照「戦争の悲劇的結末への宣誓」観光庁「地域観光資源の多言語解説文データベース」https://www.mlit.go.jp/tagengo-db/H30-01471.html

「力ある父や兄が弱い母や妹の生命を断った。そこにあるのは 愛であった。」という唐突な「愛」への疑問はぬぐいようもなく、家族による「殺人」に至らしめた要因をも「家族愛」「家族制度」に包み込んでしまっている。

 さらに、撰文末尾近くの将兵の死因にも言及する。住民の「集団自決」と将兵たちのその徹底抗戦を賛美するかのような書きぶりだが、栄養失調や戦死した犠牲者は浮かばれず、その遺族の口惜しさは格別だろう。ともかく、生き残った割合は、住民より将兵の方がはるかに高いのである。日本軍は住民を守るどころか「集団自決」という「殺戮」後に、抗戦していたことになる。

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 総務省や観光庁の公式見解がまかり通っている現実と、いまここでは触れないが、教科書検定問題の決着は、「歴史を正しく次代に継承すること」とは真逆の道をたどっていると言っていいだろう。

 戦争や戦場の悲惨さを伝えることは重要だし、平和を祈る気持ちも大切にしなければならないが、メディアも「識者」も、なぜそのような戦争が始まったのか、戦場や銃後での理不尽な死者たちにも、しかと目を向けるべきだろう。安易に「戦没者」とひとくくりに出来ない死者たちがいることも私たちは知る必要があるのではないかと思う。

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 ガイドさんと話に夢中になっていて、「白玉之塔」に参るのを失念してしまった。

 

以下の過去記事もご覧いただければと、ご参考までに。

冬の沖縄、二つの目的をもって~「難しい」と逃げてはならないこと(3)2017年2月19日
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2017/02/3-e774.html

冬の沖縄、二つの目的をもって~「難しい」と逃げてはならないこと(4)渡嘉敷村の戦没者、集団自決者の数字が錯綜する、その背景2017年2月22日
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2017/02/post-0e0c.html

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2025年3月 3日 (月)

「新聞歌壇」の選者ということ~馬場あき子の退任をめぐって

 2月25日の朝日新聞は、馬場あき子が47年間務めた「朝日歌壇」の選者を退任すると報じた。半世紀近くも選者であったことに改めて驚いた。97歳、「元気なうちに幕を」と3月をもって引退を決めたとも記事にはあった。そして後任は4月から川野里子が務めることになったとも。

 さまざまな組織で、同じ場所に長期間留まることは、デメリットの方が大きいというのは、もはや自明のことと言ってもいいだろう。今回の選者退任は、記事によれば、本人の意志だったようである。昨今の歌壇の様相では、若手の活躍もめざましいので、朝日新聞側の意向も影響したかもしれない。本人が言い出さない限り、首に鈴をつけるのは難しいのが常である。「朝日歌壇」は共選制をとるとはいえ、一人の選者が半世紀近くも留まることは、「歌壇」にも少なからず影響を及ぼしたのではないか。

 そして、いま一つ、私が注目したのは、後任の川野里子は、馬場あき子が立ち上げた「かりん」という結社の有力歌人であったことである。残念ながら、「やっぱり」という思いが強かった。

 馬場さん、もう少し度量のある人かな、と思ったが、やはり自らの結社からの後任を条件にしたのではないか。川野さんの作品も評論も歌壇での評価は揺るがないものである。私も、その評論については、格別の敬意をもって読み、多くの示唆を受けている。 

 もはや、「結社」などどうでもいいじゃないかの声も聴くが、現在の「歌壇」で持つ意味は小さいとは言えない。地方版の歌壇選者にも、後任は同じ結社の人だったりするのを目の当たりにする。

 もう一つ、気になるのは、新聞歌壇選者は、一つのステイタスになっていて、なかなかやめようとしない。そうすると、とくに投稿の常連さんと選者の間に、家族を見守るような関係ができて、私情が入り、歌壇欄の私物化につながってしまうことがあるからである。

 最近、私は妙な電話をもらった。当ブログ上で、某新聞歌壇の某選者のある件で批判を書いたことがある。だいぶ前の記事だった。その当人からの電話で、ブログの記事によって、私の名誉は傷つけられたが、それをいまさら訴えたりする気はない。ただ、私の話も聴いてから書いて欲しかったという趣旨だった。この選者の件の事案について、新聞社も歌壇も動いてはいない。歌壇に文春砲はない。

 もう十年以上も前になるだろうか、やはり、ある歌人、新聞歌壇の選者も務めている人から、似たような電話をもらった。私の著書での批判によって、私の弟子が何人も去っていった? 名誉棄損で訴えたいが準備はできているか、というものだった。戸惑った私は、私の著書のどの部分が名誉棄損に当たるのかを尋ねると、いま、ネット上で、あなたの著書を読んで、私の批判をしている人がいる。私は生きている人間なのだから、あなたは、なぜ私の話を聞きに来なかったのかとも。件の拙著はこれから入手するつもりだとも言っていたが、その後なんの音沙汰もない。

 二人に共通するのは、名誉棄損、裁判、そして、批判するなら、直接本人の話を聴け、というものであった。私は、常々客観的な資料の裏付けを求めながら執筆しているつもりである。存命の人の批判をするには、本人に話を聞かねばならないのか。もし反論があるのならば、メディアや自著で明らかにすべきであろう。歌壇が無風なのは、こんなところに要因があるのかもしれない。

 私のわずかな体験ながら「インタビュー記事や自叙伝ほどあてにならないものはない?!」という場合があるということも学習した次第である。

 話はそれた?かもしれないが、ご容赦を。

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春はもうそこまで。3月2日、4月並みの気温だったが、ベランダ前の枝垂れ桜の支柱工事が朝早くから始まった。半日以上かけての工事であった。

 

 

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2024年12月17日 (火)

1903年(明治36年)生まれの亡母は何がしたかったのだろう~わずかに残されていた敗戦直後から晩年の婦人雑誌(2)

 晩年に購読していたらしい、二・三の雑誌

 1955年10月号の『婦人公論』は創刊四十周年記念特大号とある。目次で執筆者を一望すると、当時の女性作家、女性論者が総動員されていて、中央公論社時代の面目躍如の感があり、壮観でもある。創刊が1916年(大正5年)1月なので、大正から昭和の激動の40年間を駆け抜けてきた雑誌である。「目で見る婦人公論四十年史」は、大正6年10月の神近市子大杉栄刺傷事件(日影茶屋事件)から昭和30年8月6日原水爆禁止世界大会の広島大会会場の写真で終わるは40頁近いグラビアが圧巻である。窪田空穂選による「歌壇」があるはずなのだが、破り取られているのは、その頃から母が短歌を作り始めたのではないかと伺わせる証ではないか。別冊付録「女の一生100問100答」は残念ながら残されていない。

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グラビアには、マダム・マサコによるフランスのヴォーグ紹介があるが、ここでもこれらファッションは、遠い憧れではなかったか。実用的で、働くイメージの強いファッションは今でこそ通用するのでは。

 1958年2月号『婦人指導者』は『婦人と教育』の前身らしい。この頃の母は、末っ子の私がすでに高校生で、長兄も結婚したので、家業や家事から解放された感があったのだろう。長兄が生まれるまでの数年間小学校教師をしていたので、もう一度学びたい、社会とのつながりを持ちたいと思い始めたのではないか。私の小学校時代はPTAのクラス役員などもしていたが、そのための外出を父親は快くは思っておらず、「また、行くのか」と嫌味をいわれていた記憶がある。また、1958年当時、ご近所の島田美恵子さんが主宰する「母親勉強会」にも入り、町内会の婦人部(?)にも顔を出し、夏祭りの際には、子どもたちの出しものの踊りなどを教えていたらしい。

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暉峻とし子、山川菊栄の名も見える。さまざまな形の地域の婦人団体の活動報告が続く。

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NHK第二放送で1957年10月14日から5日間にわたって放送された「女子教育史」が好評だったのを受けて、誌上録音し、その一回分が掲載されている。番組の冒頭では与謝野晶子「山の動く日来る」が朗読されたらしい。

 

  1959年7月発行の『土曜会会報』23号(土曜会、20頁)というサークル誌が残っている。ちょうどこの号には、1959年度の総会報告が掲載されていて、会員70名とあり、もう一つの会員アンケート紹介は、名簿も兼ねていて、住所・子供の年齢性別・職業・活動歴・会への希望が一覧できる。母は、「職業欄」に「時事問題に悩んでいる(安保、勤評)。教員をしている子も大学に行っている子もこれを中心に話すので」と記し、「希望欄」には、「時事問題などの講演を聞きたい」として丸岡秀子、市川房枝、伊藤昇、波多野勤子の名を挙げている。

 しかしこのサークル誌が発行された1959年の夏には、がんの手術をしたのだが、手遅れのため12月には、亡くなっているのである。その年の博文館の「当用日記」も残されている。夏以降、短歌の下書きや走り書き、もちろん家族のことはもちろんだが、病状と悪化への不安が綴られていて、読むのがつらい。

 母親は、何を学びたかったのか、何をしたかったのか、私には、それを尋ねる余裕もなく、母を見送ってしまった。もう少し長生きをしてくれたなら、私の最初の職場には、波多野勤子さんの『少年期』のその「少年」が、アメリカの国連勤務から帰国、教員になった大学に勤めていたり、二番目の職場では、丸岡さんの親戚がいらして、お宅に連れて行ってもらったり、近年は、市川房枝記念会ともご縁があって、『女性展望』に執筆させてもらったりして、現在は維持会員でもある。共通の話題が、たくさんたくさんあったのに・・・。もっともっとと話したかったのに。

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メジロが盛んに来るようになった。皮まで食べ尽くしているのがわかる。ヒヨドリは、例年より少ない

 

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2024年12月16日 (月)

1903年(明治36年)生まれの母は何がしたかったのだろう~わずかに残されていた敗戦直後から晩年の婦人雑誌(1)

敗戦直後の雑誌2冊

 長兄の代になって実家が小さなビルに建て替えるとき、屋根裏の物置から母の遺品を持ち出したのだろう。12月の母の命日は過ぎてしまったのだけれど、手元に何冊か半端に遺された「婦人雑誌」を記録にとどめておきたい。当時の婦人雑誌は、A5判で60頁ほどで、ざら紙で劣化も著しく、スキャンするにも綴じが今にも崩れそう。いや崩れてしまっているものもある。

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 この『婦人倶楽部』(大日本雄弁会講談社、64頁)1948年7月号の「夏の新型スタイル集」、何と懐かしいファッションだろう、杉野芳子(右端中央に見える)のデザインらしい。こんなワンピースやブラウスを着ている人を、身近に見ることはまずなかった。グラビアと言っても白黒だが、水泳の兵頭(前畑)秀子とスケートの茨木(稲田)悦子の子育てさなかの写真であった。裏表紙の広告がおもしろい。家業は薬屋だったし、私は店番が好きだったので、薬や化粧品の名前や製薬会社にも覚えがある。仁丹、山ノ内、三共、武田などは今も健在であるが、クラブ乳液のクラブ化粧品は今のクラブコスメティックになり、バニシングクリームのマスターがいまのマスターコスメティックかは不明。当時母はまだ短歌を作り始めてはいないようなので、私の関心から、短歌講座「歌のこころ」というコラムは、名歌というよりは、子や妻との微妙な関係を歌った作品の鑑賞が興味深い。ちなみに、このコラムの右側は、芹沢光治良の「新婚」という連載物の最終頁である。

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 『婦人界』(婦人界社、64頁)の表紙絵は志村立美。当時は、おゃれをしようと思えば、洋裁や和裁のできる人に仕立ててもらうか、自分で縫うしかなく、必ず型紙が付つけられていた。ここでもデザイン杉野芳子、田中千代が活躍する。つぎの斎藤茂吉の巻頭言のカットが中川一政である。

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左頁下段が目次、上段が茂吉の「白玉の憂ひ」と題して伊藤左千夫の

・白玉のうれひをつつむ戀人がただうやうやし物を云はなく

を引き、豊麗な肉体にこもる日本女性の情調を詠んだものとし、健康な女体の美を称えている。読みものでは、美濃部達吉の妻、美濃部多美子の「夫とともに歩んできた道」では、達吉が詠んだ短歌も紹介されていたのである。息子の美濃部亮吉の孫を大層可愛いがっていたそうで、つぎのような歌を孫への手紙に書き添えていたという。

・夏木立しげれる宿にかはらねど幼き子等の聲は聞こえず

 また、自宅に上げた客が暴漢と化して達吉は銃に撃たれ、入院するが、そのさなか、1936年2月26日2・26事件が起き、つぎのように詠んでいたという。

・我はただ我行く道を歩むなりいかに嵐はあれくるふとも

 なお、中河幹子選の短歌欄と中村汀女選の俳句欄は、最終頁に掲載されている。一等賞金100円、この雑誌が40円だから3か月分にもならないが。

 

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2024年8月 7日 (水)

オリンピック、早く終わらないかナァ

 オリンピックの中継はほとんど見たことがない。ニュース番組やワイド番組でたまたま見る程度なのだが、現地に派遣のアナウンサーやレポーターがやたらとはしゃいでいるのと、スタジオの解説者がいい加減だったり、訳知り顔の発言だったりが気になってしまう。嫌いなアナウンサーや解説者のアンケートなるものがネット上で出回っているらしい。

 それに、日本の選手の中には、日本人とのハーフの人もだいぶ多くなってきたのを見ると、国を「背負って」競うオリンピックの意味はもう薄れてきてしまっているのではないか。個人やチームで競うのが、スポーツ本来の姿ではないのか、とも。

 敗れた選手の涙や謝罪が強調される報道の背景には、「国威発揚」の影がちらつく。スポーツは、選手たちも観客たちも、もっと楽しむものではなかったかと。

 そして、“昭和”の人間には、これって、競うべき「スポーツ」なのかと思うような種目もいくつか見受けられ、選手たちの身の安全を、願うばかりなのである。

 選手ファーストは、いつのまにか開催国ファーストになってしまい、セーヌ川を泳がされたトライアスロンの選手たちは気の毒だった。

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「いらっしゃるー」と門扉を開けてのいつもの声に飛び出すと、写真のような野菜いっぱいの袋をいただく。土地を借りて本格的に野菜を育てているHさんから。この夏は、猛暑でインゲンも大きなトマトもまるっきりダメだったと嘆いていました。モロヘイヤはさっそくおひたしにして、ミニトマトときゅうりはサラダにして夕飯のお供にしました。きゅうりは、写っている以外にも太ったり曲がったりのものも何本かあって、漬物にしたり、ジャンボピーマン?と炒め物にしたりしていますが、まだ野菜室に残っています。ごちそうさまです。

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2024年7月24日 (水)

皇室情報氾濫の中で、見失ってしまいそうな・・

安定的な皇位継承策の迷走、もはや名案はないのでは! 

  2020年11月、有識者会議は、安定的な皇位継承策の”迷案“二案(①女性皇族が結婚した後も皇族として残る ②女性皇族は、旧皇族男子と養子縁組をして皇族に復帰する)が政府に提出され、2022年1月には国会に提出されたものの、いっこうに論議は進まなかった。2024年4月、自民党を最後に、各党の対応が公表され、6月の通常国会では、皇室典範の改正が論議されるかに思われたが、政府・国会はそれどころではなく、政治とカネの問題で揺れた。

 というのも、そもそも議論に値する二案とも思われず、いずれの案も、安定的な皇位継承の対策案に直結するものではなく、二案とも天皇家を含む皇族の基本的自由原則に反するもので、違憲というほかない。

  皇族の男子にしても、女子にしても、子を産むことを前提にし、皇位継承の安定をはかるという法改正は、皇位継承を男子に限るとする現皇室典範ともども、憲法に定める基本的人権原則に反するものではないか。それにしても、憲法の平等原則に反する天皇という存在自体が日本国憲法の矛盾を露呈していることを、声を大にして言う政治家も研究者も滅多に出遭わないのが私には不思議に思えてならない。

   マス・メディアは、新聞もテレビも、毎日どこかで、天皇夫妻が、秋篠宮夫妻が、愛子さんが、佳子さんが、悠仁さんがどうしたこうした、果ては上皇夫妻がどこへ出かけたとか・・・、宮内庁の広報室が流している情報を、そのまま、競うように報じている。週刊誌はといえば、愛子さんの日赤就職を働く女性のごとくに報じているが、皇后が名誉総裁なのだから究極の縁故採用ということになる。佳子さんがギリシャの訪問先で激安のブラウスを“お召し”になっていることを報じるが、それがなんだというのだろう。悠仁さんの進学先の憶測が乱れ飛んでいるが・・・。ともかく、宮内庁は、極端な誤報でなければ見て見ぬふりして、広報室情報とともに、皇室への関心を高めるべく必死のようにも思える。

天皇の英国訪問のなぜ? 

  しかし、メディアの皇室情報の発信には、皇室への、国民の関心を高めることに寄与する以上に、もう一つの大きな役割を果たしているにもかかわらず、国民には伝わりにくい情報がある。というより、意図的に伝えようとしない部分あることを、あらためて知ることになったのが、今回の天皇夫妻の英国訪問であった。

 そもそも皇族の外国訪問は、外務省が宮内庁とで決められていく。天皇は政治的発言や活動は憲法上認められないことになっているので、政府サイドは「皇室外交」という言葉は使用せず「親善訪問」と表現する。

  天皇夫妻による6月22日から8日間にわたる英国訪問に先立って、岸田首相は「皇室と王室との間の交流を通じて両国の友好と親善を改めて確認し、両国の従来からの良好な関係が一層強化されるものと確信」すると語り(2024年6月4日談話)、帰国後は、林官房長官が「今回の御訪問を契機に、今後我が国と英国との間の友好関係及び我が国皇室と英国王室との親善関係がなお一層発展することを期待」すると述べている(6月29日談話)。

  天皇自身は、出発直前の6月19日の宮内記者会の代表質問に答えて、17世紀以降の日英両国の関係史、近代歴代天皇と英国交流史から語り始め、両国の若い世代の交流に着目、期待するとの発言に続き、後半は、妻との共通の英国体験、オックスフォード大学などの思い出の地を訪ねる楽しみを、饒舌なまでに語っている。


  そして、日本のメディアでは、6月25日のチャールズ3世国王主催のきらびやかな晩餐会、パレードを歓迎する沿道の人々、天皇夫妻のセンチメンタルジャーニーのエピソードと体調が懸念された雅子さんの笑顔の写真や動画を報じるばかりであった。

 ところが、6月28日、天皇夫妻の公式行事を終えたことを受け、ジュリア・ロングボトム駐日大使は、次のような「総括コメント」を発表している。

「我々はこれまでCPTPP(米国抜きの環太平洋経済連携協定)、GCAP(グローバル戦闘航空プログラム)、サイバーセキュリティー、デジタル、洋上風力発電、科学技術など、さまざまな重要分野において新たなパートナーシップを築いてきました。特に、昨年の広島アコードの合意は、これらの協力関係をさらに促進させる追い風となりました。(中略)国王陛下と天皇陛下が生物多様性と環境保全に共通の関心を抱いていることが示すように、王室と皇室の親密さも含まれています。国際的な金融およびビジネスサービスの先駆的なエコシステムであり、革新的な研究機関や学術機関も包括するシティー・オブ・ロンドンが主催した晩餐会には、「両国のビジネス界を代表するゲストの方々がご出席されました。晩餐会は、両国の市場間や自治体間の連携を通じた、歴史に根付く日英協力の深化を象徴するものでした。」

 なんとここでは、今回の訪問の政治的、経済的意図を明確に語っているのである。さらに、後半では、「2025年の万博への英国の貢献」や「来年の空母打撃群の訪問」という「未来志向」にも及んだ。

 なお、「広島アコード」とは、BBC NewsワールドニュースTVによれば、昨年2023年5月の広島サミットの折、19日からの主要7カ国(G7)首脳会議に先駆けて行われたリシ・スーナク英首相と日本の岸田文雄首相は18日夜のワーキングディナー(夕食会)で、安全保障や経済、世界的な課題など、幅広い分野で戦略的な日英の連携を深めていく「広島アコード」に合意、欧州とアジアにおけるもっとも近いパートナーとして、安全保障と防衛での協力にいっそう努力するという確認であった(2023年5月18日)。相手国英国が明確にしているものを、日本政府は、天皇の政治利用を覆い隠し、日本のメディアも言及することがない。

  また、英国駐日大使のコメントにある「空母打撃群の訪問」って、聞き慣れないので調べてみると「空母を中核として護衛艦、航空機などの編成になる機動部隊」のことらしく、2021年にもインド太平洋地域に派遣されている。英政府は2023年5月17日、2025年には、日本、米国、英国がインド太平洋地域で定期的に合同演習をすると発表している。「空母打撃群」が派遣されて、日本にも寄るのでよろしく?ということなのだろう。前回のときは空母内でコロナ患者が大勢出て問題にもなったらしいが、それも思い出せないでいる。

   本当に知らないことが多すぎる中、天皇が、皇族が現実に果たしている、あるいは、利用されている実相を注視してゆきたい。
   こうした事態は、今回に限らず、例えば1992年の明仁天皇の中国訪問時の日中の攻防、日本国内での対立の調整の結果であったことも、私は、ようやく知ることになったのである(「天皇訪中 曲折の1992年」『朝日新聞』2023年12月21日)。

 

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頂きものだけれどと、娘からのおすそ分けの桃とネクタリン。農園からの直送とのことで、まだ固そうなので。

 

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