2019年12月 1日 (日)

<歌壇>における「賞」の在り方~「ショウほど素敵な商売はない」?

  一九五〇年代に「ショウほど素敵な商売はない」という、マリリン・モンロー出演のアメリカのミュージカル映画があったらしい。見る機会もないままいまに至っているが~。

  これまで私は、国の褒賞制度や栄典制度が、本来の学術・文芸の振興にどれほど寄与しているのかについて書こうとすれば、どうしても批判的にならざるを得なかった。その褒賞や栄典にあずかる者をだれが選ぶのかの視点でたどっていくと、恣意性や政治性が色濃いものであることがわかってきたからである。国際的なノーベル賞やアカデミー賞、ミシュランにいたるまで、さらに、たとえば日本レコード大賞はどうなのかといえば、詳しいことはわからないが、その主催の民間団体や業界団体における選出方法にもかなり問題があることも伝わってくるではないか。自分に縁がないこともあって、「賞」なるものに懐疑的にならざるを得ない。苦々しくは思うものの「どうでもいいでショウ(賞)」くらいの気持ちであった。

  しかし、長年、短歌にかかわってきた者として、短歌の世界、いわゆる「歌壇」でのさまざまな「賞」についても、いろいろ考えさせられることが多くなった。これまでも、拙著やこのブログでも触れてきたことではあるが、現状を確認しておきたいと思う。歌壇の賞のデータとして、一つの賞を編年体で見るのには、光森裕樹による「短歌賞の記録」(tankafulnet)(http://tankaful.net/awards に詳しく、便利でありがたい。横断的に見るには『短歌研究年鑑』の「短歌関連各賞が受賞者一覧」である。もちろん網羅的ではないが、主として短歌雑誌が主催する賞は、応募型のいわば新人発掘のための賞a型、中堅・大家を対象とする賞b型とに分けることができる。
 これらの受賞者や受賞作品の紹介や評論は、各誌の歌壇時評などで、その栄誉と称賛を後追いするものが圧倒的に多く、発信・拡散が繰り返される。近年、私は、受賞者や受賞作品への関心もさることながら、選考委員の傾向や重複が気になっている。こうした短歌賞が、雑誌の営業政策の一環であることは当然なのだが、それにしても、選考委員の重複にはあらためて驚かされるのであった。 
 たとえば、直近の一年間をみても、四つ以上の賞の選考委員を兼ねているのは、以下の7人であり、三つの賞の委員を務める高野公彦、大島史洋、小島ゆかりがそれに続く。

馬場あき子(1928生。芸術院会員、朝日新聞選者)b短歌研究賞、迢空賞、現代短歌新人賞(さいたま市)小野市詩歌文学賞

佐佐木幸綱(1938。芸術院会員、東京新聞選者、朝日新聞選者)a現代短歌評論賞、b短歌研究賞、迢空賞、現代短歌大賞、若山牧水賞(宮崎県)前川佐美雄賞

三枝昻之(1944。歌会始選者、日本歌人クラブ会長、日本経済新聞選者)a現代短歌評論賞、歌壇賞、b日本歌人クラブ賞・大賞・新人賞・評論賞、斎藤茂吉短歌文学賞、前川佐美雄賞

伊藤一彦(1943。毎日新聞選者)a角川短歌賞、筑紫歌壇賞、b現代短歌大賞、若山牧水賞(宮崎県)

永田和宏(1947。歌会始選者、朝日新聞選者)a角川短歌賞、b短歌研究賞、斎藤茂吉短歌文学賞、小野市詩歌文学賞、佐藤佐太郎短歌賞

小池光(1947。読売新聞選者)a      角川短歌賞、b短歌研究賞、斎藤茂吉短歌文学賞、現代短歌新人賞(さいたま市)

栗木京子(1954。読売新聞選者)a短歌研究新人賞、b現代短歌大賞、現代歌人協会賞、若山牧水賞(宮崎県)現代短歌新人賞(さいたま市)

 ということは、各賞の性格や特色が薄れていることを示していよう。ダブル受賞やトリプル受賞も決して珍しくなくなってきた。選考委員が複数の賞を掛け持ちしていれば、そんなことも起こり得るだろうし、話題性のある、横並びの「無難なところでショウ」にもなりかねないのではないか。たとえば、2018年の佐藤モニカ『夏の領域』の現代歌人協会賞と日本歌人クラブ新人賞、三枝浩樹『時禱集』の迢空賞と若山牧水賞であり、2019年では、春日真木子『何の扉か』の現代短歌大賞と斎藤茂吉短歌賞、小島ゆかり『六六魚』の詩歌文学館賞と前川佐美雄賞などに見られる。受賞者にはかかわりないことなのだが。

 また、いわゆるa 型に属する、短歌研究新人賞の選考委員、栗木京子・米川千嘉子・加藤治郎・穂村弘の4人は2009年から務め、角川短歌賞の伊藤一彦・永田和宏・小池光・東直子は2017年から変わっておらず、歌壇賞の選考委員も若干の入れ替わりはあるものの2015年から東直子、水原紫苑、吉川宏志の3人が続けて務めている。歌壇賞は、一時女性の選考委員が多いこともあって、女性の応募者が男性の倍以上になった時代もあったが、現在はその差が縮まっりつつあるし、短歌研究新人賞は、1990年代後半から今世紀初頭にかけて、女性が50%台から上昇し始め、60%を超えたこともあったが、現在は、50%前後を推移しているという傾向も興味深い。たしかに、選考委員選びにおいても、受賞者選考にしても、その賞、雑誌の性格や特色を出そうとしていることはうかがわれないこともないのだが、結果的には、なかなか功を奏さないのである。

 しかし、いずれにしても、こうした選考委員の重複、固定化は、a型の新人に対しては、委員受け狙いも生じようし、b型においては、どこか委員同士の互酬性のきらいも否定できない。さらに、選考委員になることにより、歌集が爆発的に売れるということはないにしても、講演会や短歌教室の講師のオファーは、確実に増えるのではないか。 
 また、上記に登場する斎藤茂吉短歌賞、若山牧水賞、前川佐美雄賞、佐藤佐太郎短歌賞など過去の著名歌人の名を冠した賞も数多いが、遺族や後継者との関係はどうなっているのだろうかとか、その歌人の業績にふさわしい選考がなされているのかなどという疑問もわいてくる。

 そんな中で、『短歌研究』が「塚本邦雄賞」(坂井修一、水原紫苑、穂村弘、北村薫)を、『現代短歌』は、雑誌自体のリニューアルとともに「ブックレビュー賞」(加藤英彦、内山晶太、江戸雪、染野太郎)を新設するという。後者の選考委員となる加藤英彦は「短歌月評・ふたつの賞の創設」(『毎日新聞』2019年11月25日)において、期待と意気込み語っている。前者の選考委員にも新鮮さがないし、後者の委員たちに若さはあるかもしれないが、その鑑賞眼と評者としての知見が問われるだろう。

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2019年11月11日 (月)

「大丈夫」って?何が?「嵐」が歌った即位を祝う歌

 11月11日は、新聞の休刊日なので、朝のテレビを見ていると、昨日祝賀パレードが、「良かった」「感動した」「素晴らしかった」「すごかった」「おきれいだった」など、キャスターもゲストも晴れやかに語るのだが、何がどうよかったのかがわからない。たしかに天気は良かったので、我が家では布団を干した。そして、前夜11月9日の民間団体が開催したという「国民祭典」での「嵐」の歌にも、同様に「良かった」「感動した」「素晴らしかった」などの言葉が繰り返された。ここでの「奏祝曲」というのは、第一楽章オーケストラによる「海神」、第二楽章辻井伸行のピアノ演奏、第三楽章が「嵐」の歌という、組曲「RAY OF WATER」をいうらしい。その歌詞の一部はつぎのようなのだ。皆さん、聞き取れていただろうか。

大丈夫 鳥は歌っている

大丈夫 空は輝いている

大丈夫 水は流れている

大丈夫 海は光っている

君と笑ってゆく 君と歩いてゆこう
(岡田恵和)

 これって、新しい「君が代」? 言葉はやさしいし、幼稚園生でも覚えられる。まだ台風や大雨の被害から立ち直れない人々、あの氾濫した濁流に孤立した人たち、浸水で家が住めなくなった人たち、牛舎やビニールハウスを押し流された人たち、避難勧告情報が届かなかった人たちの恐怖や不安を逆なでするような「大丈夫」。東日本大震災の津波や原発事故、その後に続く被災者たち、いや今回の台風や大雨の被害を直接受けなかった千葉県民の私でさえ、「大丈夫 水は流れている」と歌われたら、ドキッとする。天皇が、被災者へお見舞いを述べようと、復興を願おうと、内閣改造に専念する首相、「私的な視察」をして登庁しない県知事は、後追いで「速やかな対策を指示」するばかりである。辺野古で進む基地建設、いつ落ちて来るかもしれない戦闘機やオスプレイ、「放射能はアンダーコントロール下にある」「東京は温暖」とうそをつき、IOCの誰彼を買収した疑念などある中で招致が決まった東京オリンピックが来年という。

 児童虐待、学校での犯罪、大学入試の不正や民間導入による不安、雇用や過労死の不安、セクハラの横行、年金や医療への不安、税金の不公平・・・、老若男女、国民は決して守られてはいない。犯罪や失策を、政治家や官僚、経営者は、頭を下げたり、言い訳を繰り返したりして一件落着、だれも責任を取らない日本って、大丈夫なのか。

 メディアもだらしない!国民はなぜ怒らないのか!大雨でどろどろになった家庭菜園で掘ったというサツマイモを届けてくださったご近所の方と期せずして嘆いたのであった。

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2019年10月25日 (金)

報道の自由が危ない!11月5日シンポジウムに参加を

  かんぽ不正を追及していたNHKは、日本郵政の圧力に屈して、「クローズアップ現代+」の続編がなんと1年以上も延期されていた(2019年7月30日放映)。昨年の4月、かんぽ生命保険の不正販売を報じた番組について、日本郵政がNHKへの抗議を続け、NHK経営委員会は、上田NHK会長に厳重注意をした。その後、昨年11月には謝罪文書まで届けている。本来、編集へは口を出してはいけないはずの経営委員会が番組への介入を問われると、上田会長の組織統治を問題にした。上田会長も自主自律の堅持を強調するが、石原経営委員長は当初議事録はないとしながら一転してその存在を認めたが非公開とするなど、経過は依然として不透明である。
 日本郵政側の中心人物は、元総務省事務次官で、日本郵政に天下りした鈴木康雄上級副社長で、情報通信政策局長時代には電波行政を取り仕切っていた。「NHKは暴力団」と逆切れした人物でもある。

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 下記のチラシのように、つぎのような内容で、シンポジウムが開かれます。このシンポジウムは、10月11日を延期して18日に予定していた「NHKは日本郵政の圧力にひるむな!郵政の圧力に加担した石原委員長は辞任せよ」のNHK前アピール行動が、台風のため中止となったことを受けての参議院議員会館で開かれるシンポです。ぜひ、ご参加くださいますよう、お待ちしています。

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シンポジウム 圧力はなかったのか? 報道の自律はどこに

 ~日本郵政と経営委首脳によるNHK攻撃の構図を考える~

 

と き:11月5日(火)13時~15時 (12時半から入館証渡し開始)

ところ:参議院議員会館 B109(地下1階)

パネリスト:皆川 学(NHKプロデューサー)

      杉浦ひとみ・澤藤統一郎(弁護士/前半・後半入れ替わり)

      小林 緑(NHK経営委員)

      田島泰彦(元上智大学教授)

      進行 醍醐 聰

主催:11.5 日本郵政と経営委首脳によるNHK攻撃の構図を考えるシンポジウム実行委員会(「NHK前アピール行動」の

   呼びかけ人で構成)

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 なお、チラシの最下段にありますように「日本郵政の番組介入に加担した石原NHK経営委員長の辞任を求める署名」も、多くの市民団体により実施されています。ぜひご協力お願いいたします。

署名用紙とチラシのURLは以下の通りです。
          →  http://bit.ly/31tpSYI

 

署名用紙    →    
ネット署名 →   

 

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2019年8月14日 (水)

 「表現の不自由展・その後」展(あいちトリエンナーレ2019企画展)への公権力介入による中止への抗議と再開を求める署名、今なら間に合います。 

 河村名古屋市長と大村県知事へ提出する署名です。今晩、夜中の12時が第一次締め切りです。ご賛同いただけるようでしたら、ネット署名、よろしくお願いいたします。こちらは、メッセージも記載できます。提出分以外は、名前は公表しませんので、他の方のメッセージもお読みの上、ご記入ください。

ネット署名(入力フォーマット)→  <https://t.co/frbAafjYcq> http://bit.ly/2YGYeu9

署名集計並びにメッセージ ➡ http://bit.ly/2LZz0RR

 用紙署名の方は、今日の局留めで締め切りです。昨日は休み明けだったため、郵便局には一日で2600筆近くが届いていました。開封の手伝いをしたのですが、おひとりで数百筆集めてくださった方も、おひとりの署名を速達で送ってくださった方もと様々です。署名用紙と共に、封筒から出てくる長文のメッセージや一筆箋での励ましの言葉、一通一通、一筆一筆の熱い抗議の思いが伝わってきます。

台風10号のさなかの?名古屋、8月15日に、県庁・市役所へ、発起人の3人が届け、記者会見の予定だそうです。ご協力お願いいたします。

<8月15日付記>本日夕方の朝日デジタル報道です。記者会見にはほかに数社か来ていたようですので、明日の朝刊等ご留意ください。

「不自由展、再開求め申し入れ 学者ら『屈してはならぬ』」

  <https://www.asahi.com/articles/ASM8H578QM8HOIPE012.html> https://www.asahi.com/articles/ASM8H578QM8HOIPE012.html

 

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2019年5月 3日 (金)

「天皇の短歌」と代替わり~憲法記念日に考えたい

 近頃は「来たァ~」なんて言うのは、すでに古い?!代替わりの前日4月30日の新聞、わが家の購読紙のうちの二紙に、やはり天皇・皇后の歌が出たのである。
 『朝日新聞』は、一頁全面の上半分に「天皇陛下の歌」、下半分に「皇后美智子さまの歌」として、数枚の写真とともに各二十首が配されている。「世のうつろい見つめ筆とり」と題して、リードには「戦争の記憶、平和への願い、国民と家族への深い思い。天皇皇后陛下は日々、移り変わる社会を見つめ、率直な気持ちを歌に込めてきた」とある。そして5月1日には同じ一頁全面に「世を思い詠む 令和へ続く歌」と題して「新天皇陛下の歌」「新皇后、雅子さまの歌」と各二十首が載っていた。そのリードには「外国訪問先での交流、震災被災地への思い、長女愛子様の成長。新天皇、皇后両陛下は折々の出来事を歌にしたためてきた」とある。誰の選択の結果なのかはわからないが、解説がないのがせめてもの救いだった。最近、宮内庁では、マス・メディア向けなのか、歌会始の歌に、天皇夫妻はじめ一部の皇族の歌に解説をつけているのだ。

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朝日新聞、2019年4月30日

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朝日新聞、2019年5月1日

 『東京新聞』は、1頁の3分の2を使って、「心映す歌」と題して右側に「被災地へ」として天皇と皇后の歌を2首づつ、左側に「戦没者へ」として、天皇・皇后の歌を2首づつならべている。歌の背景には、「阪神大震災からの復興の象徴として皇居で育てられた『はるかのひまわり』」の写真と「大戦中、追い詰められた民間人が次々と身を投げたサイパン島北部のバンザイクリフ」の写真があしらわれている。そして各歌の下には、80字前後の解説が付せられている。そのリードには、「天皇、皇后両陛下は、折に触れて数多くの歌を詠まれてきた。陛下が模索されてきた象徴天皇像とはどのようなものであったのか。象徴天皇のとしての活動の核心部分ともいえる被災地お見舞いや戦没者慰霊を詠んだ歌の中から平成という時代を表す八首を二〇〇四年から歌会始の選者を務める永田和宏さん(七一)に選んでもらった」とある。永田は、この『東京新聞』に一年以上前から「象徴のうた 平成という時代」と題して天皇夫妻、皇太子夫妻の歌を中心に、毎週1首、その背景とともに解釈と鑑賞を続けてきた歌人でもある。4月23日、第63回をもって連載は終了した。いわば永田和宏による「謹解集」といってもよく、その集大成が、この日の「八首謹解」ともいえるのではないか。

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東京新聞、2019年4月30日

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東京新聞、2019年4月16日、第62回は、皇后の今年の歌会始の「今しばし生きなむと思ふ寂光
に園の薔薇のみな美しく」が取り上げられ、このシリーズの最終回の4月23日、第63回は天皇の「贈られしひまわりの種は生え揃ひ葉を広げゆく初夏の光に」であった。記事本体はカラーである。後掲の写真「短歌研究」4月号のグラビアもこの2首が見える。
 

  日本国憲法上の象徴天皇制において、とくに国民統合の象徴としての天皇の地位は世襲であり、多くの基本的人権を奪われた存在は、国民主権、基本的人権とくに平等という基本条項との齟齬は明白で、今回の代替わりで、少しは注目され始めた。しかし、政府・政党、メディア・企業と一部の国民が、憲法自体が持つ矛盾について、多くは自覚的に目をつむり、触れようとはしない。1945年敗戦後の占領軍アメリカと日本政府による政治的妥協の産物として残された制度であったことを、いま、思い返すチャンスでありながら、古来の伝統や文化にことよせ、新・旧天皇の足跡や人柄への最上級の礼賛を重ね、代替わりの慶祝ムードを盛り上げているのである。 新しい元号になったからといって、「新しい時代」が来るわけもなく、そんな幻想を率先して振りまいているのが、大方のメディアである。

 そうしたムードづくりに大きな役割を果たしているのが、憲法に規定のない宮中祭祀と行幸啓であったのではないか。国事行為ではありえないから、いずれも、公的行為として、執り行われてきた。「宮中祭祀」といえば基本的には宗教的儀式で、国民にとっては、いかにも異様で、ときにはグロテスクにも思える姿をさらすことになる。そこは、控えめにと、秋篠宮による「大嘗祭は身の丈で」発言につながったのではないか。行幸啓については、国民に「寄り添う」、戦争や災害の犠牲者へ「祈る」という見える形で、年々「拡充」してきたのが、平成天皇夫妻だったといえないか。その「務め」が身体的にも果たせなくなったからと「生前退位」表明になった。

 私が冒頭にあげた「天皇の短歌」は、先のムードづくり、しかも文化的な香りのする手段の一つとして、これまでもしばしば登場した。毎年一月の「歌会始」を舞台として、国民を巻き込んだイベントに、現代歌人や「文化人」たちも「ひそかに」呼応し続けている。

 今の制度の中で、短歌を詠むのが好きな皇族たちが、歌を詠むのもいいだろう、歌会を開いたり、指導者を招いたりするのもよいとしよう。しかし、国民を巻き込まないでほしい。「歌会始」を皇室と国民を結ぶ文化の懸け橋のような言い方をする歌人たちもいる。開かれた皇室の典型のようにありがたがる人々がいる。短歌コンクールの一つ考えればいいという歌人もいた。しかし、国民が応募する歌は、天皇に捧げる「詠進歌」なのである。天皇が国民統合の象徴であることを貫徹するならば、上下の関係はあり得ないのではないか。

 今回の退位・即位の儀式での「おことば」の受け渡しの光景を見ても、その内容を見ても、多くの国民から見れば、異様な言葉遣いでありながら、あまりにも当たり前のことを述べているにすぎない。退位の儀式では、天皇の「おことば」に先立って、安倍首相は、国民の代表として感謝と敬愛の意を述べ、即位の儀式での首相の言葉は、新天皇のあとに、毎日新聞では「安倍首相発言」、朝日では「首相国民代表の辞」を述べたとして、その要旨が記事に見られ、東京新聞は「首相発言全文」が掲載されていた。その扱いがバラけているのにも注目する。

 『毎日新聞』では今のところ、平成天皇夫妻の歌をまとめたという記事は見られないのだが、4月23日には、毎日歌壇の選者で、2006年から歌会始の選者である篠弘が、今年の歌会始の天皇夫妻の歌を引用して、「歌のご相談で御所にうかがいました」とも述べる「両陛下とわたし」という連載コラムに登場している。4月8日の「余禄」では、天皇の昨年の歌会始の歌「語りつつあしたの苑を歩みゆけば林の中のきんらんの咲く」を引用、天皇夫妻の絆をたたえている。

 そういえば、けさの『東京新聞』で、長谷部恭男が日本国憲法において封建制秩序が残っている天皇制は、国民一般の保障が及ばない「身分制の飛び地」だとしていた(「天皇・皇族に基本的人権は」)。また、沢藤統一郎弁護士の「憲法日記」(2019年4月29日)によれば、「天皇制は、憲法体系の番外地」だと講演で述べたという。「飛び地」や「番外地」であるならば、私たち国民は、まず日本国憲法の基本的条項から大きく外れる、その「番外地」や「飛び地」をなくすよう、みずから努力しなければならないのではないか。

 また、短歌雑誌なども、この代替わりを商機と見たのか、万葉集特集、御製・御歌特集だとか、ざわついているのだが、短歌の愛好者や愛読者の心をとらえるのだろうか。

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短歌研究、2019年4月。グラビアから

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短歌研究、2019年5月、表紙及び広告より

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短歌、2019年5月。広告より

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2019年4月 2日 (火)

新元号発表狂騒でシャッフルされてはならないこと

   きのう、4月1日、午後の数時間、家を空けていたが、10時半頃から、新聞やテレビを飛び飛びに読んだり、見ていたりした。元号発表が何で「秒読み」までされて報道されなければならないのか。政府は、これまでの、山と積まれた失政の数々を、この政治的ショーという茶番で、シャッフルしたい思いがありありで、うんざり感にさいなまれた。マス・メディアは、分かっていていながら、その茶番に乗って、これでもか、これでもかと、どうでもよい情報を流す。アナウンサーやコメンテイターたちも、皇室や元号に詳しい<専門家>たちも、菅官房長官発表時と安倍首相談話時の背後のカーテンの色が違うとか、緊張した息遣いだったとか、一瞬、表情が緩んだとか、などなど、いい加減やめてほしいと思った。記者たちの違った質問に、首相は、元号の出典や込めた思い?として、国語の教科書や参考書程度のフレーズを間違えないように繰り返すだけであった。

 出典が「国書」というけれど、漢文と漢字による万葉仮名の和歌で成り立つ万葉集だし、万葉集よりも数世紀前の中国の詩文「帰田賦」(張衡)に「仲春令月 時和気清」の一節があり、当然万葉集もそれを踏まえているので(「座談会・新元号のメッセージ」『朝日新聞』、「初の酷暑万葉集出典 中国古典踏まえ」『東京新聞』、「中国古典の影響残す 『文選』孫引きの指摘も」『毎日新聞』ともに4月2日)、「国書」云々を強調すること自体、ミスリードしていることになろう。「初めての国書から」とする分野外のノーベル賞受賞者やワケのわからない出で立ちの大学教授が、有識者懇談会の模様を語っていたが、その舞い上がっている姿は見苦しかった。

 この出典に関して、日本文学研究者のローバート・キャンベルと歌人の岡野弘彦が、「元号」自体を前提にしてのことだと思うが、ともに、国書か中国の古典かにこだわる必要はない、と語っている(『東京新聞』)4月2日)のは、その限りでは、日本文学の成り立ちから言っても当然のことだと思った。

 安倍首相は談話で、「(万葉集は)日本最古の歌集であるとともに、天皇や皇族、貴族だけでなく防人や農民まで、幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められ、わが国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書」というけれど、 日本の文学史において、「天皇から庶民まで」の歌集として「万葉集」像がクローズアップされるのは、たかだか、1890年以降のことである。「読み書きを知らない人たちが口頭で謡ったり、唱えたりしたものにしては、形式が整いすぎてはいないだろうか」と東歌や防人歌の作者に疑問を呈する研究者もいる(品川悦一『万葉集の発明』)新曜社 2001年、82p)。定型短歌は文字社会の産物であり、文字は文明の産物であり、列島社会の文化でもなかったことから「中華文明を継受した支配階層が発達させた文化」と考えるからである(前掲書84p)。

 幅広い階層の人々の歌を収めたという万葉集が、戦争に立ち向かう全国民的な民族意識、ナショナリズムの高揚の必要性と正岡子規らによる和歌革新運動とがあいまって、万葉集教育の普及、万葉集研究に支えられ、「国民的歌集」になっていった歴史を知る必要があるだろう。マス・メデイアの役割も欠かせない要素であった。この「国民的歌集」は、日中、太平洋戦争中にも、もてはやされることになる。学徒出陣世代の方から、斎藤茂吉の『万葉秀歌』上下(岩波書店 1938年)を愛読する者が多かったと聞いたことがある。

 一過性で終わるとも考えられるが、現在、書店では万葉集関係書のコーナーができたり、出版社では増刷を決めたりしていると、4月2日の夕刊各紙が伝えている。また、歌人たちが、出番とばかりに、メディアをにぎわすかもしれない。

 そんな、騒々しいなかで、「えッ、きのうから、令和に替わったんじゃないの」という人も現れるほどだが、4月2日の朝刊の片隅には、「森友問題 特捜部に起訴要望」(『朝日新聞』)、「公開の法廷で白黒を 森友不起訴不当受け申立書」(『東京新聞』)の記事があった。森友問題での公文書改ざんをめぐり、佐川元局長らの不起訴処分を受けて、市民団体が大阪地検の検察審査会に起訴を求めて申し立てをしていた。先週、佐川元局長らの不起訴相当、一部不起訴不当の議決を受けた、その市民団体が、さらに大阪地検特捜部に厳正な再捜査を求めたという内容で、いくつかの市民団体が大阪地検の検察審査会に申し立てをしているがそのうちの1件だった。地道に、森友・加計問題の幕引きに異議を唱え、闘い続けている市民たちもいる。

 天皇代替わりの「新しい時代」のどさくさと演出で、数々の違法・不法・不当・不都合な事実をチャラにしたい政府、許してはいけない。

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大谷石の塀と側溝のすきまにスミレが、今年が初めてか

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2019年3月12日 (火)

改元奉祝のなかで、「天皇依存」の系譜(2)そして、歌人たち

天皇が原発をやめよと言い給う日を思いおり思いて恥じぬ(吉川宏志)
 『短歌』201110月 『燕麦』2012年所収)

   東日本大震災による原発事故の直後に、吉川宏志が発表した作品である。当時、結句の「恥じぬ」の解釈をめぐって、若干の論議が交わされた。「ぬ」は完了なのか、「打消し」なのか、つまり「恥じた」のか「恥じない」のかどちらなのかと。私は、それまでの吉川の作品や発言から当然、「恥じた」として読んだ。「打消し」なら「恥じず」とするのが自然だからとも思った。作者は、もちろん「完了」の方だと明言し、近年の平井弘とのインタビューの中で、吉川自身、この一首について、つぎのようにも語っている。

「天皇に『原発をやめよ』と言ってもらおう、という発想自体に、天皇を利用しようという心根があるわけでしょう。それが恥ずかしい、という歌なんですよ。ただ、今の状勢を見てたら、天皇が言ってもだめかもしれないですね。今の政権は、天皇の意志なんてまったく無視しているわけでしょう。」(特集 平井弘インタビュー「恥ずかしさの文体」(後編)『塔』2017年4月) 

   また別の場所で、吉川は、国旗国歌法(1999813日に公布・施行)が成立したころは「〈天皇制〉を厳しく否定する論調が、歌壇では特に強かった」という認識で、当時の歌壇、時代の空気を思い起こしながら、つぎのように記す。 

 戦争体験などをして、非常に嫌悪感をもっている人たちが存在することもよく理解している。そういった人たちが、反対するのもよくわかる気がする。けれども、「君が代を歌わない権利」がある一方、「君が代を歌う権利」があることも明らかだろう。だから、卒業式などで歌うことを強制することには反対だけれど、逆にあまりに過剰に君が代を否定することにも違和感をもつ。君が代をたまに歌ったくらいで、異常な国家主義者になるわけでもない。君が代を肯定する善男善女は、世の中に無数にいるだろう。現在では、非常に激しく君が代を非難する態度も、社会的にあまり共感されないのではないだろうか。

 左翼的な人々(の一部)は、現実の天皇制を廃止すれば良いのだ、と考えた。しかし、そうではなくて、権力と責任の存在が曖昧なシステムそれ自体に、危険性は存在していた。おそらく、現実の天皇制を批判しても、何も変わらない。
 
むしろ、今年の天皇陛下の年頭のお言葉「東日本大震災から2度目の冬が巡ってきました。放射能汚染によりかつて住んでいた地域に戻れない人々や,仮設住宅で厳しい冬を過ごさざるを得ない人々など,年頭に当たって,被災者のことが,改めて深く案じられます。」
 
を聞くと、原発事故を忘れてしまったかのような、現在の首相や政府の発言よりも、ずっと心に沁みてくる。
 
 いろいろな意見はあると思うが、私は、単純に天皇制は悪だとは考えない立場である。
 (①②とも「短歌と天皇制について」『シュガークイン日録3』20130122日) 

  「国旗国歌法」の条文には、強制、義務化の文言はない。当時の小渕首相はじめ、議会の質疑でも、強制・義務化はない、としてスタートした。その後の経緯は、どうだろう。教育現場では、学習指導要領で縛り、職務命令という形で、「君が代」斉唱時の不起立、ピアノ伴奏拒否などにより受けた処分や不利益は、教師たちの思想信条の自由を侵すものではないか、との訴訟で各所でなされた。管理者の裁量の範囲内であり違憲とは言えない、という判断が定着しつつある中、処分が重すぎるという判決もあったが、まだ係争中のケースもある。吉川は、①において、「強制することには反対だけれど」などと、天皇みたいなことを言う。「君が代をたまに歌ったくらいで、異常な国家主義者になるわけでもない。君が代を肯定する善男善女は、世の中に無数にいるだろう。」とは、どういうことか。統制や弾圧は、些細なことから始まり、それによる萎縮や自主規制が強まり、息苦しくなって、気づいたときは、すでに抵抗の手段を奪われていたという歴史を、私たちは教えられたり、学んできたりしたと思う。

 

 政治の世界に限らず、時代はすでに、数の力で、少数派や異論を無視し、排除する構図が出来上がりつつある。「寛容」や「多様性」の旗を掲げるならば、日常的な談論風発、百家争鳴、混沌こそが、民主主義の基本ではなかったか、とも思う。自分と異なる意見が多数を占め、数の力が及ばないとき、「面従腹背」と言ってしまうのか。吉川のように「天皇を利用しようとする心根」を「恥じた」のならば、いまは“リベラルで、いい人”の天皇を持ち出すのは、フェアでない。②で言うように「権力と責任の存在が曖昧なシステムそれ自体に、危険性は存在していた。」とするならば、その「曖昧なシステム」に「天皇制」が寄与していなかったかを検証する必要もあるだろう。

 「単純に天皇制は悪だとは考えない立場」をとるのは自由だが、その「危険性」に本気で向き合おうとするとき、「現実の天皇制を批判しても、何も変わらない。」とするのは、いささか「単純」すぎないか。

  たまたま、吉川は、自分の意見を表明しているが、天皇依存の歌人も多いのではないか。逆に、天皇の短歌や「おことば」が、過大に評価され、利用されているのを憂慮している歌人もいるのではないか。いまこそ、この「改元」の奉祝ムードの只中でこそ、大いに声を上げるべきだろう。

24img111 レイアウトは異なるが、2019年2月24日朝刊各紙に掲載された政府広報

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商魂たくましい、広告の数々・・・。上が「朝日新聞」2月24日朝刊、下が同紙2月25日朝刊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019年3月11日 (月)

改元奉祝のなかで、「天皇依存」の系譜(1)<リベラル>な人々

  大辻隆弘の「短歌と天皇制」(217日『朝日新聞』)について書くにあたって、自著と手元の本や新聞・雑誌のスクラップなどを読み返してみた。大辻が、「リベラル派」というわけではないが、「リベラル派」の「天皇依存症」について考えてみたい。

「天皇」への依存ぶりがよくわかるのは、多くの場合、安倍政権への反発や非難が根底にあって、天皇の「おことば」や「祈り」に行きつき、よほどまともなことをと相対的に評価するというパターンである。

 

<リベラル>な人々が

  まず思い起こすのが、かつて、当ブログにも書いたことある金子兜太(19192018)の発言であった。当時の『東京新聞』が連載していた「平和の俳句」で、選者の金子が、「老陛下平和を願い幾旅路」の句を選んだ短評で「天皇ご夫妻には頭が下がる。戦争責任を御身をもって償おうとして、南方の激戦地への訪問を繰り返しておられる。好戦派、恥を知れ。」(2016429日)と記していたことに、いささか驚いたのである。太平洋戦争下においては、海軍主計中尉として戦地体験を持ち、トラック島を離れるに際して、「水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置いて去る」と詠んだ代表作もあり、戦後の社会性俳句、前衛俳句運動のリーダーでもあった金子であった。近年、安倍政権批判の市民運動でのシンボリックなプラカードとなった「アベ政治を許さない」を揮毫したことでも知られていた。

<参考>
 
「平和の俳句・老陛下平和を願い幾旅路」(『東京新聞』2016429日) (『内野光子のブログ』2016517日)
 
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2016/05/2016429-463d.html

 

  また最近では、マルクス経済学者として知られる金子勝(1952~)は、昨年の天皇誕生日の記者会見後、つぎのようにツイートしていた(7:53- 2018年12月23)。 

【沖縄に寄り添う】天皇陛下は記者会見で、沖縄のくだりで声を震わせて「沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました」「沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません」と語る。アベは聞いているのか? @masaru_kaneko

 

日本共産党では
  これらの断片的な発言では、天皇制への言及はないものの、「安倍憎し」の思いからの、平成の天皇への活動や「おことば」への心情的な共感であった。さらに、近年、日本共産党が、天皇制、天皇へのスタンスを大きく「右」に舵を切った。そのきっかけは、20147月の安保関連法閣議決定に危機感を感じてのことであったのだろうか。何とか支持者を増やしたい、嫌悪感を払拭したいとでも思ったのか、201512月には、当ブログの下記の2件で触れているが、一つは、国会開会式への出席を表明したことである。議場の「玉座」から天皇が開会の言葉を述べる、あの開会式に、新憲法以来、出席を拒否してきた日本共産党が、天皇の言葉に政治的な発言がなくなったので、出席するといい出した。私は支持者でもないが、ちょっと理解に苦しみ、ネットで「綱領」を調べてみて、やはり疑問は去らなかったので、中央委員会に電話もしてみた。関心のある方は、そのやり取りを見てほしい。
 「綱領」(2004年)には「党は、一人の個人が世襲(せしゆう)で「国民統合」の象徴となるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則の首尾一貫(しゆびいつかん)した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ。天皇の制度は憲法上の制度であり、その存廃(そんぱい)は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである。」とある。たしかに天皇の制度の存廃は、国民の総意によって解決されるべきものであろう。しかし、法律や制度が、つねにすべて合憲というわけではないからこそ、その改廃や運用が議会や司法に問われるのではないか。前段では、現在の天皇の制度は、民主主義と両立するものでないことを明言しているからこそ、それまでずっと、その制度の運用の一環として望ましくないとして開会式を拒んできたはずである。環境に大きな変化があったわけでもない、天皇の言葉が劇的に変わったというタイミングでもない。変えた要因は不明のまま、マス・メディアが報ずるように、「共産党アレルギー」を払拭したかったのか、あるいは、共産党の「国民の声」係が電話口で答えるように、「開会式に出席したって『べつに、イイじゃん』っていう国民がほとんどでしょう、いまは安保関連法阻止の方が重要な課題なのを理解しないあなたの方がオカシイ」ということだったのか。

  環境の激変というのであれば、翌年20168月の天皇の生前退位表明であったかもしれない。ここでも、共産党は、その中身が、違憲の可能性がある退位特例法にも「静かな環境」での論議の末、全党一致で賛成した。 

<参考>
今年のクリスマスイブは(2)なんといってもそのサプライズは、国会開会式出席表明の共産党だった(1)(20151227日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2015/12/post-6623.html

 

 

若い<論客>たち

 こうした流れの中で、安保関連法反対、憲法9条改変反対、原発再稼働反対というその一点で共通する著名人となると、保守政治家や研究者、文学者、ジャーナリストやタレントなど、過去の活動や発言などはお構いなしに、集会や講演会などに登場するという現象が蔓延する。最初は、その意外性と物珍しさもあるのだろうが、繰り返されると、多くは、準備の足りない、アジテーションで終わり、いわゆる肩書や名前への「依存度」は増す。
なお、最近、共産党の広報の一つ「生放送!とことん共産党」という動画が配信されていることを知った。そこに登場する“若き論客”の白井聡や中島岳志の天皇観というのも気になったのである。それぞれ1時間前後の小池晃との対談の動画だけからでは明確ではない。  

白井は、その動画で、日本は、戦前の天皇に代り、敗戦後は、アメリカがその地位を引き継ぎ、天皇制国家は、対米従属国家となったことを強調していた。アメリカの同盟国の中でも日本は、類を見ない屈辱的な関係を維持しているが、アメリカとしては冷戦崩壊以降、とくにトランプ政権以降は、同盟国としての存在価値は下がっていることに気づかねばいけないと。別のところでは、その属国意識が、政治も官僚もメディアも劣化させ、考えることができない人間が増やしてしまい。安倍政権の「やってる感」に国民は騙されている(「戦後体制の根幹を崩す安倍政権」『マスコミ市民』20193月)。また、昨年の新著『国体論』(文芸春秋)では、つぎのような主旨の構想を展開する。すなわち、平成の天皇は「国民統合」を志向するがゆえに、親米保守の政権が日本社会を荒廃させている現状に危機意識をもって「本来ならば国体の中心にいると観念されてきた存在=天皇が、その流れに待ったをかける行為に出たのである」とした。その決断に対する「共感と敬意」の意思を国民が受け止めることで真の民主主義への可能性を探ることができるのではないか、ということらしい。

    天皇の決断を介して、真の民主主義の可能性を探るというのも、大いなる天皇依存であって、まさに国民一人一人が考えて行動すべき本来の民主主義から大きく外れることになるのではないか、と私には思えたのである。

 また中島は、先の「とことん共産党」の対談では、苦難の中で「ブレない共産党」に敬意を表していたが、まず、天皇制に関しては曲折があったことは確かだろう。その辺をどう受け止めているのかは、どこかで語っているのだろうか、図書館にかけ込まねばならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019年3月 5日 (火)

「短歌と天皇制」(2月17日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(4)

「無反応」だったのか

 なお、前々回の記事で触れた子安宣邦の大辻時評にかかるツイートの「平成という時代が天皇制国家日本の強みを再確認しながら終わろうとするようなことをだれが予想しただろうか。今日の「朝日歌壇」の時評で歌人大辻隆弘が書いている。・・・」の主旨がややつかみにくいのだが、この冒頭の一文がまず気になった。子安にして「天皇制国家日本の『強み』を再確認」する時代を予想できなかったというのも疑問だったが、「強み」というのも、どういう意味なのか、分かりにくかった私には、さらなる説明をブログなどで展開してほしいと思った。ツイートやフェイスブックでの発言は、私にはどうも苦手だというのがよく分かった次第。
 それはともかく、大辻は、前記時評で「『短歌研究』1月号の<平成の大御歌と御歌>の特集に対して無反応だった」というが、彼が引用している瀬戸夏子の「白手紙紀行」(『現代短歌』20192月)は、「苛立っている」「慨嘆する」というレベルより、立派な批判的な反応ではなかったのか。そこを、軽くスルーしていることも気になっている。
 彼女は、『短歌研究』の総力特集を読んで「戦後短歌は終わったのかもしれない、と思った」と書き出す。昨年12月の天皇の誕生日記者会見における言葉を全文引用し、その上で、リベラルの多数派をよろこばせるだろうせる内容だが、「だからといって歓迎ばかりしていられないだろう。もし明仁天皇が逆のことをおっしゃられたらどうつもりなのか。」と(こうした敬語が自然に出てくるのがいささか驚きではあったが)。瀬戸は、まさに、「天皇依存症」のリベラル派の痛いところを突く。

さらに、後半で、「短歌においては御製がヒエラルキーの最上位である、という価値観、これまで戦後歌人がその矛盾に苦しんできながらもがいてきたはずのその現実『短歌研究』一月号はなんの臆面もなくさらけ出してしまった。『短歌研究』はもう戦後文学としての短歌の顔を捨てるつもりなのだろうか?」と疑問を呈している。
 末尾では、「ざっと<うた>の歴史を約一三〇〇年と仮定して考えるなら、むしろ戦後短歌の約七〇年が例外状態だったといえるのかもしれない」さらに、最後尾で、「短歌において差し迫った問題として、勅撰、あるいは勅撰時代の『うた』の気配が短歌の世界に到来することを考えなければならないのかもしれない。それは『和歌』と『短歌』を必ずしもはっきり区別して扱わず、一三〇〇年の伝統というおいしいところどりをしてきたつけを払わされるような、事態であるかもしれない。わたし自身もふくめた話ではあるが、もう少しちゃんと考えておいた方がいい。」と結ぶ。(下線部は、原文では傍点)

『短歌研究』の特集への反応が鈍い中で、ストレートな異議申し立て、反論は貴重なものであった。私が、このブログ記事(1)(2)で述べてきたように、そもそも、戦後短歌の出発において、彼女の言葉で言えば、短歌は、「和歌」と「シームレスに接続」、天皇制と「順接」していたことを検証してきたつもりなのだが、うまく伝えることができただろうか。また、私もこのブログの以下で、歌壇における「平成」との向き合い方に触れている。『ポトナム』2月号の時評の転載である。

なぜ元号にこだわるのか~元号を使わないワケ(201925日)http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/02/post-3b72.html

 


 さらに、大辻が「天皇制との関係は、文学としての短歌の『原罪』であると同時に、文芸としての短歌の『強味』でもあるのだ」と、かっこよく言ってのけたが、その内実は、瀬戸のいう「伝統のおいしいところどり」であり、私に言わせれば、短歌や歌人の権威づけに「皇室」を利用しているのではないか、としか思えないのである。
 なお、大辻は、この4月からNHK短歌の選者になるそうだ。

2019年2月17日『朝日新聞』↓

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「短歌と天皇制」(2月17日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(3)

「天皇制アレルギー」って?

 

 大辻のいう「天皇制に対するアレルギー」とは、何を意味しているのか、が分かりにくい。書き出しの一文からは、まず、戦後短歌の出発当初の「天皇制に対する拒否反応」が、「現在は薄らいでいる」という風に読みとることができる。その例証として、『短歌研究』1月号の特集「平成の大御歌と御歌」に、「以前なら厳しい批判に曝されたであろうこの特集に対して歌壇は無反応だった」ことを挙げている。 

 また、短歌雑誌による天皇夫妻の短歌関連記事に対する歌壇の無反応をもってして「天皇制へのアレルギー」が薄らいだという見立てから察するに、平成の天皇夫妻、生身の「天皇(夫妻)への歌人たちの感情ないし意識」の変化を指しているようにも考えられる。 

 「歌壇」において、前者のような「天皇制に対する拒否反応」があったのかといえば、当ブログの直前の記事でも述べているように、少なくとも「天皇に忠誠を表す形で戦争協力歌が量産された」ことについての反省から戦後短歌が出発した、という実態は見受けられなかったことと、短歌史の執筆者たちの共通認識の双方からも反省から出発としたとは考えにくかった。

 また、敗戦直後の社会状況に立ち戻って、歌人たちが「天皇制」とどう向き合ってきたかを、当時の短歌雑誌などを材料に検証してきたつもりである。さらに、その対象を歌人以外にも広げてみも、そこから見えるものは、戦前の天皇制とのギャップに戸惑いながらも、天皇制への関心は強く、GHQの占領政策、東京裁判、日本国憲法制定過程を背景に、天皇制打倒、天皇の戦争責任論、天皇退位論が政界やマス・メディア、世論にあっても、今では想像もつかないくらい活発に議論されていたことを知ることになる。 

同時に、19462月から始まった昭和天皇の「巡幸」において、迎える国民の対応には、熱烈なものがあり、ぎごちなく手を振る姿や視察先での「あっ、そう」という対応が、逆に親しみを感じさせたのだろうか。我が家では父も薬専の学生だった長兄も入隊せずに、家族に戦死者が出なかったためなのか、50才を過ぎたばかりの父や周りの男性の大人たちが気軽に「天ちゃん、テンちゃん」と呼ぶのを耳にしていたことが思い出される。配給の食糧では間に合うはずもなく、子ども三人の家族五人のためヤミ米を手に入れるため苦労していた母、毎夜のように停電が続いていた時代の光景の一つでもあった。また、19465月の皇居前広場の食糧メーデーには25万人もの人が集まったといい、その1週間前のデモ隊の一部が、皇居内の厨房までなだれ込んだという話もあるくらいである。

 日本は、日米安全保障条約と引き換えに独立をしたが、各地で基地闘争も展開された。時代は下って、皇太子結婚前後のミッチーブームをへて、東京オリンピック、東海道新幹線開通、大阪万博というイベントなどを通じて、日本経済は高度成長が続いたとされる中、全国で公害問題も表面化する。そして、この間、19612月、深沢七郎の「風流夢譚」掲載の『中央公論』発行の中央公論社社長宅襲撃事件をきっかけに、日本の言論の自由は転換期を迎え、とくに天皇に関する言動を自主規制する風潮が高まった。1964年生前叙勲の復活、1968年明治百年記念式典、天皇在位50年、60年記念式典、元号法公布などを経て、昭和天皇の闘病・死去に至って、その自主規制は、一般国民の「自粛」という社会現象にまで達した。昭和天皇死去報道の前後のマス・メディアにおいては、たしかに天皇・皇室情報の絶対量は増えたかもしれない。しかしその内容は、あくまでも、上記の「自主規制」の範囲内での盛り上がりであったといってもいいだろう。天皇・天皇制批判の書籍が書店の店頭から消えた時期でもあった。

 また、たとえば、1979年、進藤栄一によって、天皇が琉球諸島をアメリカの長期軍事占領することを希望していることを示す、いわゆる「天皇メッセージ」なる外交文書(対日政治顧問のWJシーボルトのマッカーサ―元帥のための覚書)をアメリカ国立公文書館で発見、発表(『世界』19794月)され、20083月には、同館からその文書の公開があり、確認され、沖縄の人々や本土の一部の人たちには衝撃を与えた。しかし、それにはことさら触れず、大方のマス・メディアは、昭和天皇の最晩年の短歌「思はざる病となりぬ沖縄を たづねて果さむつとめありしを」の思いを引き継いだとする平成天皇(夫妻)の11回に及ぶ沖縄の戦争犠牲者慰霊の旅をことごとしく報道し、「平和への願い」を表明し続ける天皇像を発信し続けている。

「平成」の時代になって、天皇・皇室情報は、宮内庁のホームページなどから入手しやすくなった。テレビ・新聞の天皇・皇室情報は、現在も変わることなく、宮内庁の記者クラブ「宮内記者会」を通しての取材によるものである。雑誌、とくに週刊誌などの取材にも、便宜を図るようにはなったというが、独自の報道内容には、宮内庁からはたびたびクレームをつけられているのも、ホームページから伺い知ることができる。そういう意味で、少しは開放的になったかに思われる。とくに、天皇夫妻は、公的行為として、積極的に、戦没者慰霊の旅や被災地慰問の旅を重ね、伝統的・文化的な行事にも出向いたり、招待したりして、社会への露出度は、高くはなった。さらに、「天皇家」にかかわる様々な情報、プライベートに属する情報も、従来の映像・活字メディアに限らないネット社会でも行き交うようになった。 

加えて、昭和天皇の側近たちの日記などが、公刊されるようになったことも見逃せない。藤田尚徳『侍従長の回想』(講談社1961)に始まり、東京裁判において天皇の戦争責任免責の一部を担ったという『木戸幸一日記』(東京大学出版会1966)、『宮中見聞録』(1968)などで知られていた木下道雄『側近日誌』(文芸春秋 1990)、『昭和天皇独白録 寺崎英成御用掛日記』(文芸春秋 1991)、『入江相政日記』(朝日新聞社 199091)、『卜部亮吾侍従日記』(朝日新聞社 2007)、『関屋貞三郎日記』第1巻(国書刊行会 2018)などが出版され、富田朝彦元宮内庁長官や小林忍元侍従次長らのメモが発見されたなどの報道も続く。 

こうした情報によって、これまで、知りえなかった天皇周辺の状況が明らかになる部分は格段に広がったかに見える。大量の資料の公刊、発掘も、大辻のいうように、歌壇に限らず「天皇制アレルギー」は、一見「薄らいでいる」ように見えるかもしれない。いわゆる「タブー」が解かれたかにも受け取れる。しかし、ここで、もう一度、これらの内容にたちいってみたい。大きな皇室イベントのたびごとに、そして、とくに815日前後になると、新資料発見・発掘が頻出したり、似たような特集記事や特集番組が続出したりする。そこで、語られるのは、多く昭和天皇の苦悩であったり、平和への思いであったりする。また、平成の天皇は、象徴天皇として、国民に寄り添う、世界平和を願う発言や活動だったりする。その底流としての、天皇家の夫婦像や家族愛、絆が強調されるのも定番である。

だが、それ以上の情報は出てこない。とくに代替わりが迫った昨年から今年にかけて、そしてこれからも、新旧天皇の称揚情報は続き、象徴天皇制が民主主義と共存するものなのかどうかの議論は消し去られていく。
 

そして、いわゆる「リベラル」と称されていた人々や革新政党までが、平成天皇、象徴天皇制へとなだれ込んでいるのを目の当たりにする。 

そのあたりの状況を、二人の研究者は次のように分析している(朝日新聞付録「GLOBE2019111日)
 

原武史(1962~)は、「世襲の君主制は、潜在的に民主主義と矛盾する要素をはらんでいる。」として、次のように語る。

https://globe.asahi.com/article/12061627
 
 「天皇が内閣や議会を媒介せず、国民一人ひとりと結びつくことで、今の政治に対する「アンチ」につながっている側面もある。本来は野党が政権へのアンチにならなければいけないのに、そうならないで、天皇・皇后を理想化して、すがっている。政党政治が空洞化するという点で、超国家主義が台頭した昭和初期に通じるものがある。いまでも天皇に対する批判はタブーだ。20168月、現天皇がビデオメッセージで「退位」の意向をにじませた際も、もっと議論があると思っていたが、多くの憲法学者や政治学者がすんなり認めた。天皇が「おことば」を発するや、それが絶対になる、ということは本来おかしい。」
 
 
 また、河西秀哉(1977~)も、
「天皇制が、ある意味で民主主義の枠外にあることは間違いない」として次のように語る。https://globe.asahi.com/article/12061618
 
「これまで私たちは、そうした矛盾を考えないできた。その間にも、特にいまの天皇皇后両陛下は、被災地訪問や慰霊の旅を精力的に進めて、それこそが象徴としての役割だという概念を定着させてきた。(中略)高度成長が終わり、社会の分断がいわれるようになると、天皇は国民の「再統合」という役回りをより積極的に果たすようになる。
 
それが政治の不作為を埋める。沖縄でも被災地でも、本来なら政治が解決しなければいけない問題だが、天皇が行くことで、不満が顕在化するのを抑えてしまう。いわゆるリベラルの人たちも、本来は自分たちが語らなければならないこと、しなければならないことを、天皇に仮託してしまっている。ねじれのような状況だが、戦後70年にわたって天皇制についてきちんと考えてこなかったツケのようなものかもしれない。」

  本来、国民の一人一人が考えて、行動しなければならないはずのことを、原が「天皇にすがっている」、河西が「天皇に仮託してしまっている」と表現しているように、いわば「天皇依存症」に冒されているとする指摘は重要である。私も、これまで、こうした天皇の役回りは、まさに政治の弱点を補完しているにすぎないと述べてきた。それに甘んじていれば、一種の思考停止にも似て「楽」でもあるが、本来の機能を果たさない政治体制への抵抗の力を損ない、結果的に体制維持や支持につながってしまっていることが、現在の政治状況にいたらしめたと考えている。


 
 天皇家から発信される短歌というメッセージを過大評価するのも、同じような役割を期待しているからなのではないか。(つづく)

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