2026年7月 5日 (日)

来年の歌会始の選者が発表されたが。

 7月1日付の官報で、来年の歌会始の選者が発表された(1738号 5頁)。宮内庁告示7号は、「令和九年歌会始お題「旅」の詠進歌の選者は、七月一日、つぎの者に定められた。」として、5人の氏名(ペンネームも可らしい)だけが並ぶ、そっけないものだ。各新聞の報道では、年齢と肩書を付しているが、新聞によって、その肩書は微妙に異なる。たとえば、「産経新聞」によれば、以下の肩書が付されていた。(以下敬称略)

永田和宏(79)=歌誌「塔」選者、京都大名誉教授
秋山佐和子(79)=短歌結社「玉ゆら」主宰、日本文芸家協会会員
今野寿美(74)=歌誌「りとむ」同人、現代歌人協会会員
栗木京子(71)=歌誌「塔」選者、日本文芸家協会会員
大辻隆弘(65)=現代歌人協会会員、現代歌人集会理事

 「朝日新聞」では、永田が朝日歌壇選者、栗木が読売歌壇選者という肩書が加わるが、今野が「りとむ」の編集人であること、今年まで「りとむ」発行人三枝昂之・編集人今野が夫妻で選者であったこと、これからも続くあろう「塔」の永田と栗木が選者であることを見ても、かなり偏った人選であることはたしかである。来年は三枝に代わり国学院大学の岡野弘彦師系の秋山が入り、5人のうち3人が女性となった。歌壇、短歌を支えてきた女性たちの数をいささかでも反映したことになるのかもしれないが、女性であればよいというわけではない。女性歌人の力を借りて、少しでも歌会始を盛り上げたい意図が見え隠れする。女系、女性天皇によってでも天皇制を維持をしようとする目論見にも通じ、多くのリベラル派と称する人たちにも支持されていることを思うと、暗澹たる思いにかられる。
  2008年の以下のブログで触れた 選者の男女逆転が今回実現したわけだが、その内実が変わるのか、変わらないのかを見届けたい。
節度を失くした歌人たち―夫婦で選者、歌会始の話題づくりか: 内野光子のブログ  

 「詠進歌」と称して公募した短歌作品は、皇族や選者たちの短歌は入選作とともに天皇に奉じられるのである。「伝統」や「文化」の名のもとに身分制度をあらわにしているのが、「歌会始」ではないか。そして、以下の表にみるように、歌会始選者と国家的褒章制度とは密接にリンクしている。あたらしい選者には、今後の「選者」という功績によって、叙勲や”文化的な栄誉”ある褒章が待ち受けているように思う。この叙勲や芸術選奨、文化勲章などの選定経過については、このブログでも触れたことがあり、選考組織は名ばかりで、各省庁、官邸の意向で進行していることがわかるのだが、詳しくは別稿に譲りたい。

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上の表は拡大できますが、以下のPDFでもご覧になれます。
<近年の歌会始選者の国家的褒章受章歴>ダウンロード - e8bf91e5b9b4e381aee6ad8ce4bc9ae5a78be981b8e88085e381aee59bbde5aeb6e79a84e8a492e7aba0e58f97e8b39ee6adb4.pdf

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通りがかりの方に教えていただいた「ポポー」、花も咲いていたようだが、気づかなかった。熟した実はクリームのように美味という。

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2026年1月14日 (水)

「歌会始」の不思議~ことしもまたいろいろ

今日、1月14日は、皇居での「歌会始」であった。応募歌数は15000首を超えたが、有効だったのは14600首だったという。近年は、14000から16000首を推移している。

題は「明」、入選者10人の短歌と選者栗木京子、召人ピーター・J・マクミランさんの短歌に続いて、愛子さん、紀子さん、皇后、天皇の歌が朗詠された。

入選者は、17歳の高校生、18歳の大学生から、81歳まで、男女各5人、教員・元教員が3人、青森県での東日本大震災、石川県の熊本地震の被災者の歌が各一首、さまざまなバランスを配慮した、全体的に素直で、伝統的な歌いぶりの十首に思えた。20代、40代がゼロ、30代1人、ほか50代以上が7人で、応募者も偏在していると推測される。また、「新潟日報」(1月14日)によれば気になるのは、高校生の入選者は、おなじみの東京学館新潟高校の生徒で、佳作14人の中にも3人いるそうだ。組織的な大量応募の結果で、私学の広報に利用されてはいないか。いや、歌壇や選者たちが「歌会始」自体を利用している実態も否定できない。

 「歌会始」を国民と皇室を結ぶ文化的、伝統的な行事と位置づける向きもあるが、身分制度をあらわにしたイベントの一つにはちがいない。応募者の短歌はすべて天皇に「詠進」されるものであって、入選者、選者、皇族たちの歌が朗詠される間、当事者は立ち上がる。皇后も同様である。天皇の歌が朗詠されるときは、天皇以外全員起立する。天皇の歌が3回朗詠されるが、皇后は2回、その他は1回という。果たしてこれが日本国憲法下の文化的行事と言えるのだろうか。

 NHKの中継が始まったのは、1962年からで、「歌会始」当日発表されるまで、作品の報道は「禁止」されているが、NHKは入選者、入選歌関係の事前の取材は怠りなく、当日の中継で披露される不思議。まさに国営放送ではないか。

 <参考>

「歌会始の儀 「明」お題に、陛下 新年の平安への祈り詠まれ、悠仁さま初めてご参列」(産経新聞オンライン 2026年1月14日12時50分)
https://www.sankei.com/article/20260114-QRMYMLCJHRNQXNRJ6FZVT64YL4/

「歌会始選者5人決まる 宮内庁」(共同通信 2025年7月1日)
三枝昂之(81)=山梨県立文学館館長、日経歌壇選者▽永田和宏(78)=京大名誉教授、歌誌「塔」選者▽今野寿美(73)=現代歌人協会会員、歌誌「りとむ」同人▽栗木京子(70)=読売歌壇選者、歌誌「塔」選者▽大辻隆弘(64)=現代歌人協会会員、未来短歌会理事長
https://news.yahoo.co.jp/articles/62aaca23022b7f7878f1e3244c4f877e57fbacc8
ちなみに、永田は、朝日歌壇の選者でもあるし、栗木とは同じ「塔」の選者であることがわかる。三枝は「りとむ」の発行人で、今野は「りとむ」編集人で、
夫婦である。

 

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2024年11月13日 (水)

生まれて初めて法廷に立った! 即位礼・大嘗祭はなぜ違憲なのか

 即位礼・大嘗祭違憲裁判は、平成から令和への天皇代替わりの即位礼の諸儀式と大嘗祭の違憲性を問うもので、2024年1月31日、東京地裁の一審判決は、憲法判断を回避、政教分離原則や信教、思想の自由について、憲法は制度的に保障したもので、個々の私人の信教の自由を直接保障するものではないとして棄却するものでした。私たち原告は、東京高裁に控訴、といっても、私などは、8月31日の集会に初めて出て、話をさせてもらった程度のことながら、事務局の勧めで、11月12日、控訴審の第1回口頭弁論で、陳述することになりました。

 8月31日の集会で話したことは「短歌と勲章~通過点としての歌会始」でした。事務局の方は、ご自由に思いのたけを書いてよいとは言うものの、それでは陳述にはなりそうもありません。さてと、ということで、分厚い「控訴理由書」を何度読んでも、むずかしい。それならばと、開き直って、代替わり当時の諸儀式を、テレビや新聞で見る限りではあるが、なんとも、時代離れした、あるときは滑稽にも思えたり、あるときは新天皇夫妻が気の毒になったり、付き合っている参列者たちって、どうなの?と思ったりしたことを書いてみてもいいのではないかと。
 儀式を三つほどに絞って、あらためて思い出しながら、いったいこの儀式の法的根拠はあるのかと調べてみて、驚くことばかりでした。 

 以下が私の陳述の要旨で、約15分、実際は、「ですます調」で丁寧に?話したつもりです。なお、冒頭には、自己紹介的なもので、なぜ即位礼・大嘗祭に関心を持ったかも述べました。傍聴席には30人以上いたように思います。

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「剣璽等承継の儀」 2019年5月1日の映像で見るかぎり、三権の長など二十数人がひかえた松の間に式部官長と宮内庁長官の先導で新天皇、秋篠宮、常陸宮が入り、壁際にしつらえた壇上の中央に天皇が立ち、壇の下の左右に秋篠宮、車いすの常陸宮が控えている。そこへ剣と璽をそれぞれ捧げ持った侍従たちが、天皇の前の二つの「案」と呼ばれる台に恭しく置く。さらに、国事行為で使われる御璽(天皇の印)と国璽(国の印)が捧げられた後、直ちに、侍従たちが台の上から引き取り、ふたたび捧げ持ち、天皇たちとともに部屋を退出する。男性たちの床を打つ靴音ばかりが響く6~7分間ほどの無言の儀式であった。女性の皇族は参列できないのが慣例で、今回は参列者側に、当時の安倍内閣の閣僚、片山さつき議員が女性として初めて参列したと報じられている。

 皇位の継承の証である「三種の神器」のうちの剣は熱田神宮に、鏡はは伊勢神宮に収められ、宮中にある剣と鏡は、形代(かたしろ)と呼ばれるレプリカだ。その鏡は賢所に、剣と勾玉は、吹上御所の「剣璽の間」に置かれているそうだ。しかし、代々の天皇すら、それらの包みを開いて中身を見てはならないものとされている。

 少なくとも「三種の神器」の「剣」に関していえば、これらの由来は、古事記・日本書紀にある、素戔嗚尊の八岐大蛇退治の折、尻尾から出てきた剣であり、後に天照大神に献上したのが「草薙剣」であるといった神話が由来です。この神話は寓話であり得ても、裏付けのある史実でもなく、伝統でもない、荒唐無稽な、グロテスクなフィクションではないでしょうか。天皇自身も「天照大神」の「子孫」であるとは信じていないでしょうし、国民の大かたも信じられない中で、見てもいない「剣」を大真面目に承継したとして、演じなければならない「剣璽等承継の儀」での姿は滑稽に思えてしまう。

「剣璽等承継の儀」の法的根拠は、皇室典範にも日本国憲法にもなく、根拠というならば、「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う国の儀式等の挙行に係る基本方針について 」という長い件名の「閣議決定」(2018年4月3日)だ。時の政府によっていかようにもできるという証左ではないか。その「閣議決定」では、「各式典は、憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統等を尊重したものとすること」、「各式典についての基本的な考え方や内容は平成の代替わりを踏襲されるべきものであること」と記され、「剣璽等承継の儀」については国事行為である国の儀式として、宮中において行う。」とされている。

 承継されるべき「三種の神器」なるものがもっぱら「神話」にもとづいたものもあり、長い歴史の中での承継、移転の経緯にも疑問が多い。「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」の地位継承の儀式を、「国事行為」の中の「儀式を行ふこと」に含めるという「閣議決定」は、憲法第7条十項を拡大解釈したものと言わざるを得ない。

 今回の各式典は、基本的に昭和から平成の代替わりにおける「考え方や内容は踏襲されるべきもの」とされた。1915年の大正、1928年の昭和、1989年の平成への代替わりの儀式は、明治42年、1909年2月11日に公布された「登極令」によって実施されたことになる。令和の代替わり儀式が、1947年廃止されたはずの「登極令」と内容的に変わらない2018年の「閣議決定」によって実施されたことは、形式的にも、内容的にも新憲法下では認めがたいもので、違憲性が高いと考える。

即位礼正殿の儀 2019年10月22日に行われた「即位礼」の最初の儀式は、「賢所大前の儀」。賢所は、「天照大神」が祀られているというところ。天皇は、格式の高いという白の束帯姿、剣と勾玉を捧げ持つ侍従たちに先導されて賢所への回廊を進み、さらに皇霊殿、神殿を巡り、皇后も白の十二単姿で続く。侍従や女官が長い裾を、腰をかがめて移動する姿は、決して美しい姿とは言い難い。天皇は、その各所で「お告げ文」なるものが読まれているそうだが、その声を聞いた者はない。そして、秋篠宮を先頭にロングドレスの女性皇族の7人が傘をさして、あの日は雨風の強い日だったので、砂利道を賢所に向かう姿のちぐはぐな光景には、「伝統」なるものの異様さに気づかされる。

 続いて午後に行われた「即位礼正殿の儀」は、松の間に設えた天皇用の「高御座」、皇后用の「御帳台」が並ぶ。高御座の正面から束帯姿の天皇、御帳台から皇后も異なる色鮮やかな十二単で現れた。ここでも、天皇の前には剣と璽が置かれ、ここで発する天皇の「お言葉」といえば、「日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより皇位を継承」したことを内外に宣明し、これに対して安倍首相が祝辞「寿詞」(よごと)を述べ、首相の万歳三唱に、参列者が唱和していた。
  ここで、6.5mの高御座、5.7mの「御帳台」、天皇は、床上1.3mの位置から「お言葉」を述べ、首相が天皇を見上げて読む祝辞は「私たち国民一同は、天皇陛下を日本国及び日本国民統合の象徴と仰ぎ」とあり、「令和の代(よ)の平安と天皇陛下の弥栄(いやさか)をお祈り申し上げます」との言葉で結んでいる。

この一連の流れの中にはつぎのような問題点があると考える。
・これらの儀式は、憲法、皇室典範、皇室典範特例法上の定めにもなく、あるのは「閣議決定」(2018年4月3日)のみ。
「高御座」「御帳台」の設えの違いは何なのか。これら二つの設えも時代によって異なり確固たる伝統なるものはないうえ    に憲法上の平等規定に違反。
・憲法第一条「日本国及び日本国民統合の象徴」であり、「主権の存する日本国民の総意に基く」天皇は仰ぐ存在ではない。にもかかわらず、首相の祝辞は、「大日本帝国憲法」の「天皇制」を引きずっているとしか思えず。

 大嘗祭 毎年11月に行われる皇室行事の新嘗祭は、天皇の代替わりの折には大嘗祭として行われていた歴史上記録もあるが、永らく中断したり、その儀式としてのあり様も様々な変遷をたどったりしている。
 今回、大嘗祭以外の諸行事「剣璽承継の儀」「即位後朝見の儀」「即位礼正殿の儀」「祝賀御列の儀」「饗宴の儀」は、2018年4月3日「閣議決定」の基本方針により「国事行為」とされた。大嘗祭は、同日の「内閣口頭了解」という3行ほどの文書で決められた。それも、平成への代替わりのときの大嘗祭についての 「閣議口頭了解」(1989年12月21日)を踏襲する、とだけ記されている。
 その踏襲された「閣議口頭了解」では、つぎのような理由で、宮内庁が取り仕切る皇室行事として宮廷費からの支出により実施することが決められた。
・皇室の長い伝統を受け継いだ、皇位継承に伴う一世に一度の重要な儀式である
・天皇が祖先や神(皇祖及び天神地祇)に対し、安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、国家・国民のために安寧と五穀
 豊穣などを祈念される儀式であり、この趣旨・形式等からして、宗教上の儀式としての性格を有するものと見られることは
 否定することはできない
・国がその内容に立ち入ることにはなじまない性格の儀式なので大嘗祭を国事行為として行うことは困難である
・その儀式について国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手だてを講ずることは当然と考えられる。その意味に おいて、大嘗祭は、公的性格がある

  ここで、問題なのは、大嘗祭の「趣旨・形式等からして、宗教上の儀式としての性格を有するものと見られることは」否定せず、さらに、「国がその内容に立ち入ることにはなじまない性格の儀式」としながら、大嘗祭は公的性格があるとするのは大きな飛躍でしかない。あきらかに憲法20条の政教分離の原則、89条の「公の財産の支出又は利用の制限」に反すると考える。
 宮内庁の「大嘗祭について」(2019年10月2日)の文書でも明らかなように、この儀式の次第は「貞観儀式」(平安時代中期、870年代)「登極令」(1909年)などの記述と「基本的に異なるところはない」とも記され、今回も平成の代替わりと同様に行う、されていた。

 さらに、大嘗祭のメインと言われる悠紀殿、主基殿において天皇と神とが寝食を共にすることによって皇位継承がなされるという「秘事」に至っては、あまりにも現実離れした「ままごと」のようでもある。「秘事」と称して、天皇と二人の女官しか知り得ない作業や行為であるとしながらも、さまざまな準備や用意をする人々の手を借りねばならないはずで、「秘事」はもはや建て前にしか思えない。にもかかわらず、参列者や国民には知らされないという矛盾に満ちた儀式といえよう。なお、悠紀殿、主基殿における供え物の新穀の産地を決めるのは、亀の甲羅を火にくべて、その割れ具合による「亀卜」という占いによって都道府県が決めたというが、これも秘密裏に行われているので、その実態は分からない。

これまで見てきたように、大嘗祭の諸儀式は、すでに廃止された「登極令」を持ち出して踏襲しており、現在の法的な根拠もなく、日本国民統合の象徴であって、その地位は主権の存する国民総意に基づく天皇がなすべき行為、儀式とは言えず、憲法第一条に反する。

 したがって、上記で述べた、少なくとも「剣璽等承継の儀」「即位礼正殿の儀」「大嘗祭」は、過去の閣議決定、閣議口頭了解や廃止された「登極令」などを踏襲するもので、法的根拠はないまま実施されたことはきわめて違憲性が高いと考える。その憲法判断を求めるものである。同時に、これらの儀式が国費をもって実施したことによって、私が受けた精神的な苦痛は多大かつ持続しているので、国に対する損害賠償を求めるものである。 

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 五人の陳述が終わると、谷口園恵裁判長は、双方の弁護士と二言三言話していたが、よく聞き取れなかったのです。裁判長が「これで結審・・・・」のような声がしたかのような瞬間、傍聴席から「逃げるな」の声や、原告の弁護士から「忌避申し立て」などの声が飛んで、裁判官たちは退席していったのです。

 後の報告集会で、ようやく閉廷前後の顛末がわかりました。弁護士、陳述人が順次感想を述べ、質疑に入りました。きょうで結審、次は判決ということになるのが、控訴審では多いそうです。谷口裁判長の来歴なども紹介され、判決には期待できないが、これからも頑張りましょうということになりました。
 これからは、裁判の傍聴ならばいざ知らず、法廷に立つことはまずないでしょう。貴重な体験でした。事務局の桜井大子さん、弁護士の吉田哲也さんには、お気遣いいただきました。ありがとうございます。

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地裁から報告集会会場の日比谷図書館に向かう。なつかしい西幸門、NHKへの抗議デモやモリ・カケ問題のデモの出発地点であった。また、野音のさまざまな集会のたびに通った門。集会後、夕暮れ近い公園の黄葉はまだ始まったばかりのようだった。傍聴した連れ合いともども「やっぱり疲れた」と、ここも久しぶりの「松本楼」で夕食をとった。

 

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2024年9月 4日 (水)

台風はどこへ~「短歌と勲章~<歌会始>という通過点」と題して話しました。(2)文化勲章への道~国家的褒章はだれが選考するのか

 歌会始選者を国家的褒章の一つであることから、さらに、その上の褒章制度とされる紫綬褒章や日本芸術院会員、文化勲章の受章者はどのように選考されるのか。歌会始選者への通過点とも思われる芸術選奨がどのように選考されるのか。そこに共通するのは、究極的には、ときの政権によって決められているという実態に着目した。受章者、選ばれた人たちを報道するメディアは、一様にその名誉や権威を称え、どんな選ばれ方をしたかについては触れることはない。選ばれた人たち自身の対応といえば、なぜ選ばれたかと謙遜の弁とともに光栄であるとよろこびの言葉が語られ、それを伝えるのがメディアである。

 芸術選奨: 11の部門別に文科大臣任命による選考審査委員と推薦委員を設置。「文学部門」の選考審査委員7人の内1人が歌人、推薦委員10人の内2人が歌人という構成である。ここにも、資料②にあるように、受賞者が後に推薦委員になり、選考審査委員になるというコースが出来上がりつつあり、固定化、閉鎖的な選考システムであることがわかる。毎年2月末日前後に委員名と前年の業績を対象に受賞者・授賞理由が公表される。

 紫綬褒章: ほかの分野の褒章とともに、科学技術分野、学術・スポーツ・芸術文化分野で業績のあった人たちを対象に、毎年4月29日と11月3日に受章者が公表される。しかし、この褒章制度の根拠法は、新憲法下には存在せず、1955年、なんと1881年明治14年の太政官布告第63号「褒章条例」を持ち出すという離れ業で復活させたものである。形式上も推薦委員会すらもなく、各省庁や自治体などの推薦により、内閣賞勲局との協議で閣議決定される、官制の、官僚による褒章であることがわかる。国民は、受章者ですら、明治初期の太政官布告に拠るものだとはよもや思わないであろう。

 文化勲章:文化勲章を受章するには、原則として、文化功労者選考分科会によって文化功労者になっていなければならない。その文化功労者選考分科会の委員は文科大臣の任命により毎年9月初旬に公表される。

 昨年の9月下旬、委員の名前を知りたくて官報を検索するが、見出せず、文科省に9月何日のどのページに載っているかを問い合わせた。翌日の回答では「9月2日に委員は任命されているが、官報に載せるのを忘れました」という。そんなことがあるのかと一瞬驚いた。さらに、数年前までは文科省のホームページに委員名は公表されていたはずだが、近頃載せないのですか、と尋ねたところ、「文化功労者選考分科会は、一年に1回しか開催されないので、委員の先生方の名前をホームページで永らく公表しているのはいかがと思いまして」との返事に、また驚いたのである。ホームページに載せない理由もさることながら、9月に任命されて、1回の会議で、11月3日の授賞式に間に合わせていることになる。ということは、文化功労者と文化勲章は、文科省によりすでに受章者は決まっていて、選考分科会は、そのリストを承認するだけではないのかと、推測されるのだった。

 そして、この推測を裏付けるような記事を見出したのはつい最近である。前川喜平元文科省次官のインタビュー記事につぎのような個所があって、私の推測は確信に替わったのである。次官当時、文科大臣が任命するはずの文化功労者選考分科会委員10人のリストを杉田和博官房副長官のところに持っていくと、「この2名を外せ、政権批判をメディアでしていた、こんな人を選んではダメ、ちゃんとしらべてくるように」との発言で、差し替えさせられた、という(「前川喜平元次官が語る 官邸人事・不当と違法の分かれ目は」朝日新聞デジタル 2020年10月28日)。官邸の介入も明らかになったのである。

 上記いずれの場合も、最終決定は閣議であり、その過程でも、省庁、政権の選考介入があるのは間違いない。それをかくも有難くいただく人たち、何も文化勲章などもらわなくとも、と思うような人たちのよろこびの声を聞くのは、ちょっと情けなくもなる。

 なお、当日、時間が少しでもあったら、触れたいと思ったのが、メディアで活躍する有識者、評論家、コメンテイターと呼ばれる人たち、しかもリベラルと思われる人たちの天皇制への傾斜が顕著になってきたことである。

ダウンロード - e8b387e69699e291a3e799bae8a880e4b880e8a6a7.pdf

 以下は、15分ほどで話したことの要旨である。具体的な人名とその発言内容を紹介したかったのである。資料④は、人名と発言の出典を示した。

金子勝(1952~):マルクス経済学者の金子は、2018年の(明仁)天皇の誕生日会見で、「天皇陛下は声を震わせて」、沖縄に人びとの苦難の歴史に触れて、その犠牲に心を寄せ続けていくとの発言を紹介した後、「アベは聞いているのか?」とツイートして、天皇の言葉を評価した。

内田樹(1950~):「天皇の第一義的な役割が祖霊の祭祀と国民の安寧と幸福を祈願すること」に「さらに一歩を進め、象徴天皇の本務は死者たちの鎮魂と苦しむ者の慰藉であるという「新解釈」を付け加えられた。これを明言したのは天皇制史上初めてのことです」と明仁天皇を評価する。

金子兜太(1919年~2018年):戦後の前衛俳句運動の理論家でもあった俳人、金子は『東京新聞』連載の「平和の俳句」【2016年4月29日】の入選作「老陛下平和を願い幾旅路」の短評に「天皇ご夫妻には頭が下がる。戦争責任を御身をもって償おうとして、南方の激戦地への訪問を繰り返しておられる。好戦派、恥を知れ。」 「アベ政治を許さない」というプラカード揮毫者でもある。自身、激戦務める。2003年日本芸術院会員、2008年文化功労者となる。

水脈(みお)の果(はて)炎天の墓碑を置きて去る(『少年』、1955年)

望月衣塑子(1975~):東京新聞社会部の気鋭の記者である望月は、作家の島田雅彦との対談の中で、コロナ禍でこそ、天皇や皇后のメッセージが欲しい、と天皇・皇后へ賛美と期待を寄せている(「皇后陛下が立ち上がる時」『波』2020年5月)

木村草太(1980~):気鋭の憲法学者は「そもそも天皇制自体、憲法の立て付けとして少しおかしい」としながら、天皇制の積極的な意義として「政治の場に品格や公共性を示すことができる」として、天皇の前での醜い争いができなくなる、というが、例えば国会議員や閣僚が品格や公共性を示しているとは到底思えないし、天皇が、醜い争いの抑止力にもなっていないのが現状ではないか。

長谷部恭男(1956~)2015年6月衆議院憲法審査会において、自民・公明などの推薦の参考人として、集団的自衛権の違憲を表明して話題になった憲法学者だが、天皇制について、日本国憲法は身分制秩序の破壊を「大部分は貫徹したが、最後に天皇制という身分制の飛び地を残し」たとして、天皇制を容認している。

 時間もないので、河西秀哉、落合恵子、高橋源一郎を端折り、最後に、加藤陽子(1960~)、上野千鶴子(1948~)に触れた。加藤は、「前(明仁)天皇は『原子力発電所の状況が予断を許さぬ』と言い切り、「この人は危機のときに本当のことを言ってくれるはずという人々の信頼に応えた。」という形で親天皇制を示す。上野は、その加藤の研究者としての評価を「(加藤さんは)前天皇の信任が厚く、何度もご進講に招かれています」と語り、あたかも「ご進講」が研究者のステイタスかのようにも聞こえる。

 こうした発言がメディアで繰り返されることによって醸成された雰囲気の中で、国民は、天皇や皇族たちとの距離を縮めたかのような、天皇制へちかしく傾き、一種の思考停止に陥ってしまっているのではないか。

 このような言説をどう乗り越えるのかが今後の私たちの課題かと思う。乗り越えるべき壁は高くて厚い。「無駄な抵抗」と言わせないために、小さな穴でもあけたいと思う。亡くなられた関千枝子さんのお誘いで原告になったものの、傍聴にも集会にも出ずしまいであったが、今後は少しでも、参加できたらと思う、と結んだが、今後の活動は体力勝負になるだろう。

 私の話の後、弁護士の方から、第一審判決までの流れと控訴審にあたっての争点などが話されたが、とくに裁判経過がややこしい。

 夜の開催、台風の行方が分からずじまいであったが、50人の方が参加された由。まずはほっとし、早く宿へといそぐ。家から持ち込んだいなりずしとフルーツ、夫は、部屋の近くの自動販売機でビールとおつまみを買い、ともどもお疲れさまでしたの乾杯と反省会になった。

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予約のとき、「皇居の見えない部屋ならあります」とのこと。KKRホテル東京、最上階15階から丸の内方面をのぞむ。夜の高速道路の車列の灯りもきれいだった。朝食をとった12階のレストランからは、皇居が望めたが、のぞいてどうする?

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2024年7月 2日 (火)

来年の歌会始の選者が決った~やっぱり栗木京子も

  2022年12月に亡くなった篠弘の後任は栗木京子だろうとブログなどで予想していたのだが、みごとに外れて2024年から大辻隆弘になった。*ところが、来年の選者になったのである。きのう、宮内庁から7月1日付で発表になった2025年の歌会始の選者五人は、以下の通りである。肩書は産経新聞に拠る。

三枝昂之(80)=山梨県立文学館館長、永田和宏(77)=歌誌「塔」選者、京都大名誉教授、今野寿美(72)=歌誌「りとむ」同人、現代歌人協会会員、栗木京子(69)=現代歌人協会理事長、歌誌「塔」選者、大辻隆弘(63)=現代歌人協会会員、現代歌人集会理事

*来年の「歌会始」はどうなるのだろう(2023年3月 9日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2023/03/post-74140a.html

   2012年から務めてきた内藤明に替わって栗木京子が入ったことになる。誰が選者になったって、コップの中のこと、世の中に関係ないよ、と言われそうだが、やはり、ここで確認しておきたい。

 これまでも、幾度となく、書いてきたことなのだが、歌会始の選者になることが、歌人にとって、一つのステイタスになっていながら、歌壇ではなんとなく無関心を装ったり、無視したりする風潮がある。また、歌会始は、数ある短歌コンクールの一つに過ぎないという軽くいなす人たちもいる。果たしてそうだろうか。

 歌会始は、天皇と国民をつなぐ伝統ある貴重な文化的な行事であると喧伝されているが、毎年、あのNHKの中継を見ていると、文化的というより、異様な雰囲気にしか思えない。伝統といっても、たかだか明治以降、いや戦後から今のような形になったといってよい。国民から募った入選作、皇族・召人・選者の短歌は天皇に捧げる次第となっている。その一部が独特の朗誦で披講され、披講される間、作者は立ち上がる。天皇だけは、終始座って、それを聴き、いちばん最後に天皇の一首が披講されて終了する。選者の一人は、「御用掛」となって、年間を通して皇族方の短歌の指導にあたるのである。

 選ばれる歌も、普通に短歌雑誌や新聞歌壇、ネット上に行き交っている短歌が登場するだろうか。たとえば、政権批判や脱原発、基地反対、日本の戦争責任を読むことができるだろうか。誰もが傷つかない、平和への希求、暮らしの中の機微などが選ばれるだろう。

 それに選者の顔ぶれを見てみると、永田と栗木は、アララギ系の結社「塔」の選者、幹部である。三枝・今野は、夫婦で「りとむ」という結社を運営している。大辻は、「未来」の理事長、選者である。現代にあっては、「短歌結社」の独自性などはすっかり弱まってはいるものの、歌壇的に見ればかなり偏っていて、選者の私物化にも思えてくる。

 昨年、若い研究者と「短歌と天皇制」について話しあったことが活字になった。その時の参考資料として作成した表の一つを参考までに下記に示した。国家的褒章制度の中での「歌会始選者」の位置づけを見て欲しい。ダウンロードの方が見やすいかもしれません。        

  近年の歌会始選者たちの国家的褒章受賞歴

木俣修 1928~1983 (形成)

歌会始選者1959~83 →御用掛1960~1983→ 紫綬褒章1973 → 芸術選奨文部大臣賞1974 → 日本芸術院賞恩賜賞1983死去

岡野弘彦1924~ (人) 

歌会始選者1979~2008/芸術選奨文科大臣賞1979 → 御用掛1983~2007 → 紫綬褒章1988 → 芸術院賞・芸術院会員/勲三等瑞宝章1998 → 文化功労者2013 → 文化勲章2021

岡井隆
1928~2020 
  (未来)

 歌会始選者1993~2014 → 紫綬褒章1996 → 御用掛2007~2018 → 芸術院会員2009 → 文化功労者2016 → 旭日中綬章追贈2020死去

永田和宏1947~              (塔)

芸術選奨大臣賞2003 → 歌会始選者2004~ →紫綬褒章2009 → 瑞宝中綬章2019 御用掛2023~

篠弘1933~2022 
(まひる野)

紫綬褒章1999 → 旭日小綬章2005 → 歌会始選者2006~22 →  御用掛2018~2022   
(日本文芸家協会理事長2010~2016)(現代歌人協会理事長1995~2008)

三枝昂之1944~
(りとむ)

芸術選奨文科大臣賞2006 → 歌会始選者2008~ → 紫綬褒章2011 →  旭日小綬章2021

河野裕子1946~2010               (塔)

 歌会始選者2009~2010 

内藤明1954~ (音)

 芸術選奨新人賞2003 → 歌会始選者2012~2024

今野寿美1952~        (りとむ)

 歌会始選者2015~

大辻隆弘1960~   (未来)

 歌会始選者2024~

栗木京子1954~ (塔)

芸術選奨大臣賞2007 → 紫綬褒章2014 → 歌会始召人控2019 → 歌会始召人2020 → 歌会始選者2025~             (現代歌人協会理事長2020~)


(参考)

馬場あき子
1928~   (かりん)

紫綬褒章1994 → 芸術院賞2002 → 芸術院会員2003 → 文化功労者2019 → 旭日中綬章2021

佐佐木幸綱
1938~心の花)

芸術選奨大臣賞2000 → 紫綬褒章2002 → 芸術院会員2008 →  旭日中綬章2022 
現代歌人協会理事長2008~2017)

小島ゆかり
1956~ (コスモス)

 芸術選奨大臣賞/紫綬褒章2017 → 歌会始召人控2023 

2023年10月現在。但し、マーカ部分を2024年7月、(参考)欄より移動改訂
(内野光子作成)

 ダウンロード - 2024e5b9b4e8bf91e5b9b4e381aee6ad8ce4bc9ae5a78be981b8e88085e3819fe381a1e381aee59bbde5aeb6e79a84e8a492e7aba0e58f97e8b39e.pdf

「近年の歌会始選者たちの国家的褒章受賞歴」
座談会「臣下」の文学――「勲章」としての短歌 内野光子・位田将司・立尾真士・宮澤隆義 『G・W・G(ミーヌス)』8号 (2024年5月)所収

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2024年5月19日 (日)

GWG(ミーヌス)8号、先程発売開始しました。。

 今日、5月19日東京流通センターで、文学フリマ開催中です。

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 昨年の11月、GWGミーヌス同人の方々との座談会に参加しましたが、下記のような表題でGWGミーヌス8号に収録、刊行されました。同時に、本日19日の「文学フリマ東京38」ブースH-22で発売中です。

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 座談会の紹介は、つぎのようになっています。かなり過激な?表題や見出しになっていますが、私の発言は、私の素が露わになることもしばしば。若い日本文学研究者に囲まれての気ままな発言を根気よく聞いてくださり、まとめてくださいました。古い合同歌集や歌集『冬の手紙』(1971年)にまでさかのぼり読んでいてくださり、身の引き締まる思いがしました。

 座談会:「臣下」の文学――「勲章」としての短歌】短歌によって天皇/制を「撃つ」ことは可能か。内野光子氏を迎え、短歌と天皇/制、「60/70年安保」と革命、結社と資本主義、第二芸術論・前衛短歌と「私性」、阿部静枝の「フィクション」、齋藤史・瀏と2・26事件をめぐり、大いに議論を展開した。

 8号の諸論文も力作で、広くて深い分析と考察には、いまさら私には手が届きそうにもないのですが、教えていただくことも多く、楽しんで読み進めています。一つでも関心のあるテーマがありましたら、お手に取ってみてください。

 

 

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2023年11月20日 (月)

<座談会>、かなり緊張したのですが。

 11月18日、土曜の午後、G—W—G (minus) 同人の方からのご依頼で座談会に参加しました。同人の三方、位田将司さん、立尾真士さん、宮沢隆義さん、どなたも近代文学の若い研究者で、G—W—G (minus) のバックナンバーを一部拝読、これは手ごわいぞ、の第一印象でした。座談会に至るまでは、進行や資料など丁寧に対応していただき、1週間前にはzoomの打ち合わせもしていただきました。

 会場は、私の住まいの近くの古民家カフェ「入母屋珈琲」の2階の広々とした会議室、入るなり、中央のテーブルにはなんと、写真のように、私のこれまでの著作、収録された論文集、雑誌のコピーまでが、積まれているのを目にして驚き、もはや感動に近いものがありました。私も、拙著の一部や1960年代の雑誌などを持参しましたが、机上のこれらの資料から突っ込まれると、かなりの覚悟が・・・、などと思ったのですが、話が始まると、三人は各様に、私の4冊の歌集や拙著を読まれていて、おぼつかない私の話をうまく掬い取ってくださりで、あっという間の4時間!でした。多くの刺激をいただきました。

 当日の夕方には、以下のツイートにも。 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

本日、歌人の内野光子さんと座談会をおこないました。短歌と天皇制の関係を中心に、「60年安保」及び「68年」と短歌、阿部静枝と『女人短歌』、齋藤史と『万葉集』、前衛短歌、そして「歌会始」の問題を大いに議論しました。2024年5月刊行予定の『G-W-G(minus)』08号に掲載予定です。乞うご期待! pic.twitter.com/7y1qnDWvmx

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2023年7月 5日 (水)

来年の「歌会始」選者は~篠弘の後任は大辻隆弘だった

7月1日、宮内庁から来年の歌会始選者の発表があった。選者の一人篠弘が昨年12月に死去したのに伴い、その後任が大辻隆弘となったのである

 従来の4人に加えて、61歳の大辻が加わったことで、少しは若返ったことにはなる。その報道記事における選者の肩書はメディアによってさまざまなのだが、共同通信の配信記事(2023年7月1日)によれば、以下のようであった。

 三枝昂之(79)=山梨県立文学館館長、日経歌壇選者▽永田和宏(76)=京大名誉教授、歌誌「塔」選者▽今野寿美(71)=現代歌人協会会員、歌誌「りとむ」同人▽内藤明(68)=早稲田大教授、歌誌「音」発行人▽大辻隆弘(62)=現代歌人協会会員、未来短歌会理事長

 他のメデイアも含めて、その肩書が、どう見てもちぐはぐなのが気になった。「現代歌人協会会員」となれば全員がそうだろうし、結社の「役職」などから言えば、 三枝は『りとむ』発行人、元日本歌人クラブ会長。永田は『塔』の元主宰であり、朝日歌壇選者。今野は『りとむ』編集人であり、三枝の妻である。大辻は、岡井隆没後2020年7月から一般社団法人未来短歌会理事長・『未来』編集発行人であり、『日本農業新聞』の歌壇選者とコラム「おはよう名歌と名句」の執筆者だったのを見かけたことがあるが、現在も続いているらしい。20年ほど前は、同じようなコラムを草野比佐男が担当していたのだが。

 私は、下記の3月の本ブログ記事で、篠弘の後任として、たぶん女性が起用されるのではないかなどと予想して、歌会始召人に招ばれたことのある栗木京子、小島ゆかりの名をあげ、男性では坂井修一などの名を挙げていたが、見事に外れたわけで、これはこれで、妙な懸念が晴れてよかったと思っている。

 『未来』の岡井を継承した編集発行人の大辻が歌会始選者になって、なんの不思議もないのだが、私には、1992年岡井隆が歌会始選者になったときの歌壇の反応を思い起すのであった。「前衛歌人が歌会始選者に」と歌壇に衝撃が走ったし、『未来』誌上でも、それをテーマに特集が組まれ、岡井隆の弁明まで掲載された。これを機に未来短歌会を離れる歌人もいたのである。私自身は、拙著『短歌と天皇制』(風媒社1988年10月)に収録したエッセイで示していたように、予想はついていたので「さもありなん」の思いであった。

 今回、『未来』はどんな反応を示すのだろうか。短歌コンクールの一つの選者就任として受け流すのか、祝意?を示すのか・・・。他の結社とて、『りとむ』『塔』『音』の三人は、選者であることを十分に「利活用」をし続けてきたように見受けられる。岡井隆、永田の妻の河野裕子、篠弘のように最晩年まで、この居場所を去らないであろう。この「国家的短歌コンクール」の状況――応募者数の低迷、応募者の高齢化は進み、宮内庁辺りは、こうした状況の打開を図りたいところと思うが、今回の選者選びには反映されず、結果的に見れば「歌壇政治」「男性社会」を象徴するような人事に思えたのである。「歌会始」は当分細々と続くだろう。

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2019年2月17日「歌壇時評」(朝日新聞)

 

以下は、上記、大辻隆弘の『朝日新聞』の歌壇時評「短歌と天皇制」(2019年2月17日)について当時評した当ブログ記事である。

「短歌と天皇制」(2月17 日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(1): 内野光子のブログ (cocolog-nifty.com) 
「その反省から出発した戦後短歌」ってホント?(2019年2月25日)

「短歌と天皇制」(2月17日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(2): 内野光子のブログ (cocolog-nifty.com)
「戦後短歌は皇室との関係を結ぶことに慎重だった」のか(2019年3月1日)

「短歌と天皇制」(2月17日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(3): 内野光子のブログ (cocolog-nifty.com)
「天皇制アレルギー」って(2019年3月5日)

「短歌と天皇制」(2月17日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(4): 内野光子のブログ (cocolog-nifty.com)
「無反応」だったのか(2019年3月5日)

 私としては、令和の天皇制の行方と、短歌にかかわるものとして「歌会始」の行方を見極めたい。宮内庁が皇室情報を発信すればするほど、天皇制自体への疑問が拡散し、「歌会始」も細るだけ細ればいいと期待しているのだが。

 

 

 

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2023年3月 9日 (木)

来年の「歌会始」はどうなるのだろう

 『ポトナム』三月号に歌壇時評を書きました。

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 一月一八日の午前中、NHKテレビによる皇居での「歌会始」、忘れずに、いま、見終わった。コロナ禍のもとでの開催は三年目で参加者全員のマスク着用、距離を置いての着席、陪聴者をかなり少なめとするのが定着したようだ。皇族は、天皇・皇后のほか、秋篠宮家からは夫妻と次女、三笠宮、高円宮両家の母娘、合わせて九人であったか。天皇家の長女は学業優先で不参加ということが前日から報道されていた。入選者一〇人と選者の内藤明、召人の小島ゆかり、皇族代表の何首かが朗詠された後、天皇の短歌が三回朗詠されて終了する。いつも、この中継を見ていて思うのは、短歌の朗詠中の画面と短歌の解説なのある。朗詠される短歌の作者の居住地の風景や短歌にふさわしいと思われる風物を背景に、行書による分かち書きをした短歌のテロップが流れる。独特の朗詠では、短歌を聞き取れないことが多いので、こうした措置が取られるのであろう。行書である必要はない。その上、作者への入念な事前取材によって一首の背景や職歴などが詳しく、皇族の場合は、宮内庁の解説に沿って、アナウンスされ、「~という気持ちを表現しました」と作者に成り代わっての解説なのである。NHKは、すでに、入選者の発表があった昨年一二月二六日の時点で、「おはよう日本」は、入選者の何人かに取材し、入選作の背景などを語らせている。入選の短歌自体の発表は当日までお預けというのは、一種の権威づけで、宮内庁とNHKの情報操作の結果にほかならない。もともと、短歌には、鑑賞はあっても、読み手にゆだねられる部分も多い。詳しい解説が必要なのかどうかの思いから、私には、NHKの解説がむしろ煩わしく思えるのである。

 「歌会始」の選者は、岡井隆が退任後、二〇一五年来、篠弘、永田和宏、三枝昻之、今野寿美、内藤明の五人が務めていた。昨年一二月に亡くなった篠弘の後任は誰かと気にはなるが、女性なら栗木京子かなと思う。すでに召人になり、NHKの短歌番組への出演も長く、「観覧車」の歌がすべての中学校の国語教科書に載ったことで若年層にもなじみがあり、現在、現代歌人協会の理事長でもある。ただ、すでに選者である永田と同じ「塔」の同人である。現在、選者の三枝・今野夫妻も同じ「りとむ」なのだから、あり得るかもしれない。また、知名度抜群の俵万智は師匠筋の佐佐木幸綱が、かつて「俺は行かない」と宣言している関係もあって、その壁を乗り越える必要がある。今年、召人になった小島ゆかりが、本命かもしれない。男性では、経歴、歌歴からも「かりん」の坂井修一辺りが打診されている可能性もある。いずれにしろ、七月初旬には、来年の選者が発表される。私の拙い予想がせめて外れてくれればと思う。

 いま宮内庁サイドが腐心しているのは、平成期に比べて、詠進歌数が一万五千首前後で低迷していることではないか。また、令和期になって、元旦の新聞に天皇夫妻の短歌が載らなくなったことである。平成期には、必ず天皇家の集合写真と天皇五首、皇后三首が掲載されていた。二〇〇一年からは、宮内庁のホームページでも、解説付きの八首が発表されていた。(平成の天皇・皇后 元旦発表短歌平成二~三〇年 https://www.kunaicho.go.jp/joko/outa.htmlもともと天皇制には平等の観念はないが、天皇五首・皇后三首はいかにも具合が悪く、発表を控えたのか、あるいは、現在の天皇夫妻の短歌への思い入れはそれほどでもなかったのか。宮内庁は、四月に広報室を新設し、情報発信の強化をはかるという。「短歌」が「情報」となり、強化され、利用されることのないようにと願う。(『ポトナム』2023年3月)

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スイセンの最初の一輪、3月9日。1988年、当地に転居した際、親類よりいただいたイチジクの苗、大きく成長したが、枯れ始めたので、昨年の夏、切ってもらった、その切り株である。

 

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2022年3月 4日 (金)

歌人の自律性を考える~歌会始、学術会議任命拒否問題に触れて

   以下は、『ポトナム』三月号の「歌壇時評」に掲載されたものである。『ポトナム』は、今年4月で創刊100年を迎える。同人の高齢化は否めないが、健詠、健筆を願うとともに、若い人たちにも頑張って欲しいと思うばかりである。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ことしの「歌会始」の選者は、岡井隆引退後の二〇一五年以来、篠弘、三枝昂之、永田和宏、今野寿美、内藤明と変わっていない。応募歌数は、東日本大震災後、二万首前後を推移したが、平成からの代替わりとコロナ禍由来なのか一九年約一万六千、二〇年約一万四千、二二年は一万三八三〇首と下降線をたどっている。それでも、多くの人たちが、応募を繰り返し、入選を目指している。『短歌往来』の新人紹介欄で、ある一人は、さまざまな短歌コンクールに入賞し、「歌会始は未だ入選できず」と短いエッセイに書き(二〇二一年七月号)、一人は、所属結社とともに「令和三年度宮中歌会始佳作」と記していた(同年九月号)。二人は、ごく自然に「歌会始」の入選を目指していることを明言している。若い人たちが、天皇や天皇制に対して関心が薄いことは知っていたが、その延長線上で、「歌会始」を他の短歌コンクールや新聞歌壇と並列的に認識していることもわかった。それを象徴するかのように、ことしの入選者は、六〇歳以上が六人、四〇・五〇代三人と高校生一人、併せて一〇人であった。高校生は、直近九年間で七人の入選者を輩出した新潟県の私立高校の生徒であった。熱心な教師の指導のままに、高校生たちは、「歌会始」の意味を十分理解することなく、応募しているにちがいない。
 「歌会始」は、宮中行事の一つに過ぎなかったが、現在のような形になったのは一九四七年以降である。皇室と国民を結ぶ伝統的な文化的、国家的行事として守られるべきだとする説には、財政や人事においても国家的な介入を前提とするものだろう。

 国家的介入といえば、日本学術会議が推薦した新会員一〇五人の内六人が総理大臣の任命を拒否された事案が発生した。学術会議はじめ、日弁連ほか多くの学会が、任命拒否の理由を質し、学問の自由を侵すものだとして抗議声明を発し、多くの識者たちも抗議の声をあげた。二〇年一〇月、現代歌人協会の栗木京子理事長、日本歌人クラブの藤原龍一郎会長との連名で「任命拒否を速やかに撤回し」、国民への説明責任を果たすべきとする声明を出した。また、一九年五月にも、高校の新しい学習指導要領のもとに、従来の必修「総合国語」の教科書が、二二年度から「現代の国語」と「言語文化」に再編されるのを受けて、現代歌人協会理事長と日本歌人クラブ会長名で声明を出していた。「現代の国語」は、論理的、実用的文章を中心とし、「言語文化」の中で扱われる近現代文学、近現代詩歌は、大きく後退するのではないかとの危機感からだったか。
 上記団体の会員でもない私だが、さまざまな意見を持つ歌人たちを束ねた形で「声明」を出すにあたって、どのように合意形成がなされたのか不安になった。表現者としての自覚を持つ歌人たちの団体であるならば、自主・自律性が問われよう。国からの財政支援はないとしても、団体の役職者たちが、歌会始の選者や召人、靖国神社献詠の選者だとしたら、自由な論議が展開されるのだろうか。
 学術会議にしても、欧米のように財政や人事は政府から独立した「アカデミー」として活動すべきではなかったかと、私は考える。また、近現代文学との出会いは、学校教育における教科書だけではないはずで、教科書による押し付け的な文学教育からの解放を目指す考え方もある。本誌一月号でも述べたように、若手歌人たちの「最も印象に残った一首」との出会いは、大半、教科書ではなかった。

 国家権力と本気で対峙するならば、「声明を出しておく」ことよりも、歌人、歌人団体は、「歌会始」や「靖国神社」とは、きっぱり縁を切るべきではないか。

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まだ、やってくるヒヨドリ。ヤマボウシの枝から、真下のえさ台を監視しているのか。ちょっと見ただけでは、枝に紛れていて、気がつかなかった。

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