2022年3月 4日 (金)

歌人の自律性を考える~歌会始、学術会議任命拒否問題に触れて

   以下は、『ポトナム』三月号の「歌壇時評」に掲載されたものである。『ポトナム』は、今年4月で創刊100年を迎える。同人の高齢化は否めないが、健詠、健筆を願うとともに、若い人たちにも頑張って欲しいと思うばかりである。

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 ことしの「歌会始」の選者は、岡井隆引退後の二〇一五年以来、篠弘、三枝昂之、永田和宏、今野寿美、内藤明と変わっていない。応募歌数は、東日本大震災後、二万首前後を推移したが、平成からの代替わりとコロナ禍由来なのか一九年約一万六千、二〇年約一万四千、二二年は一万三八三〇首と下降線をたどっている。それでも、多くの人たちが、応募を繰り返し、入選を目指している。『短歌往来』の新人紹介欄で、ある一人は、さまざまな短歌コンクールに入賞し、「歌会始は未だ入選できず」と短いエッセイに書き(二〇二一年七月号)、一人は、所属結社とともに「令和三年度宮中歌会始佳作」と記していた(同年九月号)。二人は、ごく自然に「歌会始」の入選を目指していることを明言している。若い人たちが、天皇や天皇制に対して関心が薄いことは知っていたが、その延長線上で、「歌会始」を他の短歌コンクールや新聞歌壇と並列的に認識していることもわかった。それを象徴するかのように、ことしの入選者は、六〇歳以上が六人、四〇・五〇代三人と高校生一人、併せて一〇人であった。高校生は、直近九年間で七人の入選者を輩出した新潟県の私立高校の生徒であった。熱心な教師の指導のままに、高校生たちは、「歌会始」の意味を十分理解することなく、応募しているにちがいない。
 「歌会始」は、宮中行事の一つに過ぎなかったが、現在のような形になったのは一九四七年以降である。皇室と国民を結ぶ伝統的な文化的、国家的行事として守られるべきだとする説には、財政や人事においても国家的な介入を前提とするものだろう。

 国家的介入といえば、日本学術会議が推薦した新会員一〇五人の内六人が総理大臣の任命を拒否された事案が発生した。学術会議はじめ、日弁連ほか多くの学会が、任命拒否の理由を質し、学問の自由を侵すものだとして抗議声明を発し、多くの識者たちも抗議の声をあげた。二〇年一〇月、現代歌人協会の栗木京子理事長、日本歌人クラブの藤原龍一郎会長との連名で「任命拒否を速やかに撤回し」、国民への説明責任を果たすべきとする声明を出した。また、一九年五月にも、高校の新しい学習指導要領のもとに、従来の必修「総合国語」の教科書が、二二年度から「現代の国語」と「言語文化」に再編されるのを受けて、現代歌人協会理事長と日本歌人クラブ会長名で声明を出していた。「現代の国語」は、論理的、実用的文章を中心とし、「言語文化」の中で扱われる近現代文学、近現代詩歌は、大きく後退するのではないかとの危機感からだったか。
 上記団体の会員でもない私だが、さまざまな意見を持つ歌人たちを束ねた形で「声明」を出すにあたって、どのように合意形成がなされたのか不安になった。表現者としての自覚を持つ歌人たちの団体であるならば、自主・自律性が問われよう。国からの財政支援はないとしても、団体の役職者たちが、歌会始の選者や召人、靖国神社献詠の選者だとしたら、自由な論議が展開されるのだろうか。
 学術会議にしても、欧米のように財政や人事は政府から独立した「アカデミー」として活動すべきではなかったかと、私は考える。また、近現代文学との出会いは、学校教育における教科書だけではないはずで、教科書による押し付け的な文学教育からの解放を目指す考え方もある。本誌一月号でも述べたように、若手歌人たちの「最も印象に残った一首」との出会いは、大半、教科書ではなかった。

 国家権力と本気で対峙するならば、「声明を出しておく」ことよりも、歌人、歌人団体は、「歌会始」や「靖国神社」とは、きっぱり縁を切るべきではないか。

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まだ、やってくるヒヨドリ。ヤマボウシの枝から、真下のえさ台を監視しているのか。ちょっと見ただけでは、枝に紛れていて、気がつかなかった。

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2021年12月20日 (月)

どうしても言い続けたいこと~天皇制はどこへゆく

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  また、狭い短歌の世界の話、歌会始の話であるが、天皇制とも密接にかかわっていることは間違いないのだから。
  ことしの歌会始は、新型ウイルス感染拡大のため一月から三月に延期された。さらに、密を避けるため、いわゆる招待者である陪聴者は一けたに縮小したが、普段だと100人近い年もあった。また入選作や皇族の歌を独特の朗詠―披講する役の人たちは、アクリル板とフェイスシールドを用いていた。他の参加者は、天皇夫妻はじめすべてマスク着用であり、入選者の一人はオンライン参加だった。テレビ中継のどの画面も、どこか異様な光景にも見えた。こうまでして開催すべきだったのか。来年も同様の方法、規模で実施する予定らしい。年末には、入選者氏名が発表されるはずである。

  選者は、2015年、岡井隆が引退して以来、篠弘、三枝昂之、永田和宏、今野寿美、内藤明というメンバーは替わってはいない。応募歌数は、東日本大震災後の2012年以来2万首前後を推移していたが、平成からの代替わりとコロナ禍が大きく影響しているのか、昨年が約1万6000首、ことしが約1万4000首とかなり落ち込んでいる。9月末日締め切りだったから、増える要因は見つからないが、来年はどうだろうか。昭和から平成への代替わりの折にも、1992年1万3000首台になったことがある。

   それでも、短歌愛好者の中で一定の人たちが、応募を繰り返し、入選を楽しみにしている人たちがいることは確かである。そして、最近、知って驚いたことがある。『短歌往来』という短歌雑誌で、新人紹介の欄がある。1969年生まれの男性は、NHK全国短歌大会などさまざまな短歌コンクールに入選していて、『未来』という結社に入会、「歌会始は未だ入選できず」と短いエッセイに書いていた(7月号)。また、同じ欄で、女性(生年不明)は、「令和3年度宮中歌会始佳作」、『好日』『湖笛』に所属の旨、記されていた(9月号)。「新人」なので、短歌をはじめて日が浅い二人が、何の抵抗もなく「歌会始」の入選を目指していることを明言していることだった。若い人たちが、天皇や天皇制に対して関心がないことは知っていたが、その延長線上で、「歌会始」が、ほかのさまざまの短歌コンクールや新聞歌壇と並列的に語られていることだった。ということは、彼らの指導にあたっている歌人たちの意識の反映でもあるのだろう。

  選者という地位は、さまざまな国家的な褒章制度の対象者となり、ひいては、芸術院会員、文化功労者、文化勲章への期待も高まろうというもの。文化勲章受章者の歌人は斎藤茂吉、佐佐木信綱、土屋文明だったが、いずれも選者であった。ことしの受章者の岡野弘彦は30年間近く選者であり、ついにたどり着いたという印象である。同じく選者だった窪田空穂と岡井隆は、文化功労者になったが、もう少し長生きをしていれば、文化勲章を受章したかもしれない。

  平成期の天皇の生前退位や眞子さんの結婚問題、また、女性天皇論などをきっかけに、天皇制自体について考える良い機会であったのに、ただ、ただ皇位継承者の減少を危惧する論調ばかりが先行している昨今である。政府の有識者会議の示す対策は、天皇家を存続させるためとはいえ、あまりにもアクロバット的な、時代錯誤的なものでしかない。

 

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2021年5月 5日 (水)

半藤一利さん、下馬郁郎の名で短歌も詠んでいた

  4月30日の、鈴木竹志さんのブログ「竹の子日記」を読んで、驚いた。半藤一利さんの短歌が、下馬郁郎の名で、『昭和萬葉集』に収録されている、という。鈴木さんは、『週刊文春』最新号の座談会で知ったという。早速、『昭和萬葉集』を調べた結果も書かれていた。

半藤一利さんの短歌
http://takenokonikki520.blog77.fc2.com/blog-entry-1134.html 
(2021年4月30日)

 実は、旧拙文(「皇室報道における短歌の登場はなにをもたらしたのか―昭和天皇病状報道・死去報道を中心に(『風景』1995年2月初出、『現代短歌と天皇制』2001年2月収録)において「天皇の短歌作品を中心した、歌人などの追悼文」10点のうちの一つとしてあげていた文献の執筆者が「下馬郁郎」だったのである(上記『現代短歌と天皇制』117頁)。

(8)下馬郁郎「御製にみる陛下の”平和への祈り“」『文芸春秋・大いなる昭和』特別増刊 1989年3月 712~716頁

 当時、執筆者として岡野弘彦、辺見じゅん、窪田章一郎らと並んでいた「下馬郁郎」が何者?であるか、わからずじまいのままであった。ところが、今年の2月、WAM(アクティブ・ミュージアム女たちの戦争と平和資料館)で「歌会始と天皇制」について話をする機会があって、あらためて準備を進めている中で、半藤さんの「昭和史」について調べていると、ネット上で「下馬郁郎(=半藤一利)」の記事に出会った。が、まだ半信半疑であった。さらに、半藤さんは、昭和天皇死去当時1989年、『文芸春秋』の編集長であることがわかった。編集長自らの名前で、記事を書く躊躇いがあったのか、「歌人下馬郁郎」の名で残しておきたかった記事だったのか、いずれにしても、「下馬郁郎=半藤一利」を確信するに至った。今回の『週刊文春』の記事で裏付けられたし、下馬郁郎がかつて『青遠』という結社で短歌を詠んでいたことが『昭和萬葉集』で明らかになったのである。当時、「下村郁郎」という歌人の名は聞いたことがない、などと私は思ってきたのだが、「歌人」に限らず、広く市井の歌詠みの短歌の集成でもある『昭和萬葉集』の「人名索引」を確認することをなぜしなかったのだろう。『昭和萬葉集』編纂時には『ポトナム』の選歌を担当した者として、そこに気づかなったし、調べもしなかったことには忸怩たる思いもある。史実の検証の難しさを知り、思いがけない展開もあることを知った。

  WAMでの私の話では、天皇の短歌で読む「昭和史」の危うさの例として、半藤一利、保坂正康両氏の著作をあげたのだったが。以下の当ブログ記事をご参照ください。

2月23日「<歌会始>と天皇制」について、報告しました(1)
(2021年2月25日 )
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2021/02/post-39aa28.html

 なお、上記の拙ブログのほかに、『WAMだより』47号(2021年3月)には、要約版が掲載されています。併せてご覧いただければとと思います。

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2021年3月28日 (日)

今年の「歌会始」から見えてくるもの~私たちは祈ってばかりいられない

 3月26日、約2カ月遅れで、延期された「歌会始」が開催された。“伝統ある古式に則った”宮中行事というけれど、テレビ中継で何度みても、まず、そのドレスコードというか、和洋混在の正装の人々の違和感が先に立つ。会場の男性はモーニング姿、入選者の高校生は制服か。皇族の女性たちはロングドレス?入選者の女性たちは和服である。それに、今年は、全員白いマスクを付け、披講の人たちは、さすがにフェイスシールドであって、席はアクリル板で仕切られていた。入選者の一人はオンライン参加という、どこか奇妙な光景であった。異様といえば異様で、これほどまでして、開催すべきものであったのか。

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 もっとも、新型ウイルスの感染状況が、第四波か第四波の入口かと言われているさなか、「聖火」リレーをスタートさせる国である。辞退者が続出し、途中で火が消えたり、スケジュール通りに繰り上げスタートさせたりと、つながらないリレーに、いったい何の意味があるのかとも思う。政府は、非常事態宣言を解除しておいて、あとから、弥縫的な感染防止や補償、救済策しか出さず、国民の生命と生活はどうにでもなれ、と放置されたようなものである。その一方、この新型ウイルス感染対策費とは桁が違う、防衛費5兆円以上を、マイナンバー普及だけにでも1000億円以上の予算を組む国でもあったのである。そもそも、2021年3月までに、19年度補正予算、20年度本予算で、デジタル関係予算は1.7兆円にもなっていたのである。
 さらにいえば、折も折、政府は、3月16日に「『退位特例法の付帯決議』に関する有識者会議」の設置とそのメンバーを発表し、23日には、初会合を開いた。「付帯決議」の主旨は、「安定的な皇位継承を確保するための諸課題を、先延ばしすることなく、速やかに、全体として整合性が取れるように検討」することだったのだが、菅首相は、会議の冒頭「議論してもらうのは国家の基本にかかわる極めて重要な事柄であるので、十分に議論して、さまざまな考え方をわかりやすい形で整理してほしい」旨の発言をし、いわば論点整理までを、当面の目標にしているようであり、メンバーから見ても、結論ありきの先送りということで決着するのではないか。
 たしかに、今年の歌会始の皇族の参加者を見ると、高齢の三笠宮妃、常陸宮夫妻は欠席、三笠宮家の孫にあたる内親王の一人も欠席、歌も発表されていない。当然のことながら、成人の男性は、天皇以外、秋篠宮一人であって、秋篠宮の長男が成人になるまでは、こんな光景が続くのだろう。このままでは皇位継承者が細る危機感が、政府に足りないという指摘があるけれども、家を継ぐ者がいない、ということは世の中によくあることだし、天皇家が途絶えたとしても、国民はどんな不利益を受けるだろうか。将来、選択制夫婦別姓が可能になれば、家名を残すなどということは、あまり意味がないし、第一、皇族には名字というものがない。天皇家の存続の有無が「国家の基本にかかわる極めて重要な事柄」という認識にこそ、私は危機感を覚えるのだった。 
 話を、「歌会始」に戻せば、今年の一般からの応募歌数は、平成以後、1991年以降の30余年の推移の中で、最も少ない1万3657首であった。選者は、2015年以降、内藤明、今野寿美、永田和宏、三枝昻之、篠弘と変わらず、2万前後を推移していた。平成期のピークは2005年「歩み」2万8758首であり、昭和期のピークは、1964年「紙」4万6908首であった。これは、皇室への関心、歌会始への関心、短歌への関心が薄れていることの反映のようにも思える。相乗的なものでもあるかもしれない。
 いわゆる「新聞歌壇」においても、投稿者の常連化、入選者の固定化、選者と入選者の個人情報が行き交うサロン化などを垣間見ることができる。歌会始の場合、長年の応募の努力が実って入選したとか、多くの入選者を出す学校には熱心な指導者がいるとか、選者や入選者と皇族にこんな交流があったとか、歌を通じて、国民と天皇・皇族とが織りなすエピソードが喧伝され、天皇や皇族の歌のメッセージを読み解く新聞や短歌雑誌はあとを絶たない。「新聞歌壇」は、往々にして、時事的な、政治的なテーマで盛り上がることもあるが、「歌会始」では、おのずと「わきまえられて」排除されることになるだろう。
短歌という文芸におけるジャンルの一つとして、あってはならないことではないのかと。

 大正天皇の短歌の資料が手元にないので、取り急ぎ、歴代四人の天皇の歌に頻出する「祈る」「願う」「思う」にかかる類似性に着目してみた。「平和」とはやって来るものではなく、私たち自身が、多くの犠牲と弛まない行動によって勝ち取るべきものなのではないか。

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徳仁天皇
人々の願ひと努力が実を結び平らけき世の到るを祈る
(2021年歌会始「実」)
明仁天皇
波立たぬ世を願ひつつ新しき年の始めを迎へ祝はむ
(1994年歌会始「波」)
平らけき世をこひねがひ人々と広島の地に苗植ゑにけり
(1995年「第四十六回全国植樹祭 広島県」)
国がためあまた逝きしを悼みつつ平らけき世を願ひあゆまむ
(1995年「戦後五十年 遺族の上を思ひてよめる」)
昭和天皇
あめつちの神にぞいのる朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を
(1933年歌会始「朝海」)
さしのぼる朝日の光へだてなく世を照らさむぞわが願ひなる
(1960年歌会始「光」)
この旅のオリンピックにわれはただことなきをしも祈らむとする
(1964年「オリンピック東京大会」)
明治天皇
よものみなはらからと海思ふ世になど波風のたちさわぐらむ
(1904?「四海兄弟」)
神がきに朝まゐりしていのるかな国と民とのやすからむ世を
(1904年「神祇」)
あさなあさなみおやの神にいのるかなわが国民をまもりたまへと
(1907年「神祇」)

 

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2021年2月19日 (金)

" "御製”で読み解く”歴史”の危うさ

 別紙のような企画で、「歌会始と天皇制」について、話すことになりました。その準備の過程で、あらためて、天皇の短歌が、歴史の前面に立ち現れて、歴史が語られることに、危惧を感じています。

 大日本帝国憲法のもとで、明治天皇や歴代の天皇の短歌が持ち出されて、歴史が語られていた時代はともかく、現代にあっても、天皇の短歌で綴られてゆく、昭和史や平成史が一部でまかり通っていることの危うさを感じないわけにはいきません。天皇や皇后の短歌や天皇の「おことば」に平和や慰霊への思い、国民に寄り添う気持ちをことさら高く評価したり、政権への批判や抵抗をも読みとろうとする、<リベラル派>の論者やそれを好んでもてはやすマス・メディアにも、一種の圧力のようなものを感じている昨今です。

 どんな報告ができるか不安ではありますが、報告概要とチラシは以下の通りです。

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2020年7月13日 (月)

岡井隆死去報道に接して~亡くなると<旗手>になったり、<巨人>や<巨星>になったり・・・

 7月10日、岡井隆が92歳で亡くなった。7月12日の朝刊で知った。いくつかの新聞記事を読んで、やっぱりな、と思う。岡井が1993年、歌会始の選者になったことをどう伝えるかに、私の関心はあった。
 『朝日新聞』は社会面で「岡井隆さん死去 歌人 現代歌壇を牽引」との見出しで伝えた。同日の「天声人語」にも登場した。そこでは、「破格、破調の堂々たる生き方であった」と締めくくっていた。社会面の記事では「92~2014年に宮中歌会始の選者。かつてマルクス主義者を自称した歌人だっただけに選者を引き受けた時は一部から批判が上がり、話題となった(赤字の92は93が正しい)。07年から18年には当時の天皇、皇后両陛下や皇族の和歌御用掛も務めた」と記す。前日7月11日のデジタル版(14時14分)の見出しは若干ニュアンスが異なり「文化功労者の歌人 岡井隆さん死去 皇族の和歌の相談役」となっていた。

 『東京新聞』は「岡井隆さん死去 前衛短歌運動の旗手」と一面で伝えた。その末尾に「九三年から宮中歌会始の選者、二〇〇七年には皇族に和歌を指導する宮内庁御用掛になった。社会派として活動してきた歌人が宮中行事に参加することは大きな議論を呼んだ」とある。また社会面では、「戦後短歌の歴史体現 時代捉え作風変遷」との記事とともに、東京新聞歌壇選者の東直子と現代歌人協会理事長の栗木京子のコメントがつく。コメントの二人は、それぞれ自身との交流に触れつつ「常に新しいものを取り入れようとしていた」、「新しい潮流にいち早く身を投じて自分の栄養にする」と語っていた。

 『毎日新聞』は、「岡井さん死去 前衛短歌、戦後歌壇けん引」とあり、その冒頭には「前衛短歌運動の旗手として戦後歌壇をリードし、皇室の和歌の指導役も務めた歌人で文化功労者の岡井隆さん・・・」とあり、その末尾でも「宮中歌会始選者を歴任。07年から18年まで宮内庁御用掛を務めた」とあった。日本現代詩歌文学館前館長篠弘と馬場あき子のコメントを付していた。

 『産経新聞』電子版(2020.7.11 13:29)でも「歌人の岡井隆さん死去 前衛短歌運動の旗手」で、「昭和期の前衛短歌運動を牽引(けんいん)し、宮中歌会始選者も務めた歌人で文化功労者の岡井隆さん・・・」で始まり、末尾に「(平成)19年から天皇陛下や皇族方の和歌の相談役として宮内庁御用掛を務めた」とある。

 『日本経済新聞』電子版(2020/7/11 15:15)では「岡井隆さん死去 92歳、戦後短歌界けん引した歌人 」とあり、同紙「カバーストーリー」では「安住と闘った戦後短歌の巨人」とあった。

 『産経スポーツ』(7月11日19時20分)では、東直子と伊藤一彦が、それぞれに「若い人にフラットで穏やかに接してくれた」、「戦後歌壇において塚本邦雄と並ぶ巨星で、包容力があり、話していると本当に心地よい」などとコメントしていた。

 総じて「前衛短歌(運動)の旗手」であり、「歌壇を牽引」したというのが、岡井へのほぼ定まった評価なのだろうか。「前衛短歌の旗手」であった歌人と皇室との濃厚な接触関係については、「話題となった」「議論を呼んだ」と素通りするか、むしろ、それを功績として評価するような書きぶりに思えた。また、「歌壇を牽引」「短歌界を牽引」というのは、ある意味、実情に近いのかもしれない。牽引したのは「短歌」ではなく「歌壇」であったと思われるからである。さまざまな形で、とくに後進の歌人たちへの指導力や政治力を発揮しながら、歌壇での地位を不動のものとしてきたのではないか。また、亡くなった人が、その世界、業界の<巨星>や<巨人>になったりするのはよく見聞きする。著名人の訃報や追悼記事に贈られる定番の賛辞でもある。そして、多くの人たちが、競うように、岡井と自分との出会いや交流を語り、オマージュが氾濫するにちがいない。 
 今後しばらくは、<歌壇>では岡井隆追悼記事が目白押しになるだろう。これまで、岡井隆の皇室への接近とそれをめぐる歌壇の状況について、幾度か言及してきた私としては、当分、目が離せない。

 岡井さん、お疲れさまでした。追悼特集では、だれが、どんな発言をするのか、ゆっくりと楽しまれることでしょう。

 ご参考までに、以下が関連する主な拙稿です。
「歌会始選者の系譜」『短歌と天皇制』(風媒社 1988年10月)
「歌壇に”最高実力者“はいらない」『現代短歌と天皇制』(風媒社 2001年2月)
「<歌会始>をめぐる安心、安全な歌人たち」『天皇の短歌はなにを語るのか』(御茶の水書房 2013年8月)
「タブーのない短歌の世界を <歌会始>を通して考える」(『ユリイカ』2016年8月)

以下は、本ブログ記事です。  

「見回せば<岡井隆>はどこにでもいる~2015年8月に」
(2015年8月2日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2015/08/20158-df41.html
「勲章が欲しい歌人たち、その後~岡井隆が文化功労者に」(2016年11月4日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2016/11/post-0cbe.html

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2020年2月13日 (木)

何度でも、くどいようですが、歌壇と天皇制

 私が会員になっている『ポトナム』の歌壇時評に、1月号に引き続き、寄稿しました。くどいようですが、また、短歌と天皇制の問題です。改元を機会に、歌壇での事実を確認、整理し、手立てを考えなければと思っています。記事の末尾に、関連の最近の当ブログ記事をまとめておきました。重なる部分も多いかと思いますが、ご覧いただければ幸いです。

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 昨年のマス・メディアは、改元で新しい時代が来るかのような政府広報に加担した。そして、「象徴」を全うしたとして平成の天皇を称揚した。歌壇では、『短歌研究』一月号は、特集〈平成の大御歌と御歌〉を、角川『短歌年鑑』は、特別企画「歌会始の三十年」を組んだ。

 これらの動向に最も早い反応を示したのは、若い世代の瀬戸夏子(一九八五生)で、『短歌研究』特集について「戦後短歌は終わったのかもしれない、と思った。」という発言だった。「ここでは短歌は天皇制ときれいに順接であった。」と批判した(「白手紙紀行⑽」『現代短歌』二〇一九年二月)。続いて、大辻隆弘(一九六〇生)は、『朝日新聞』の「歌壇時評」(「短歌と天皇制」二〇一九年二月一七日)において、「以前なら厳しい批判に曝されたであろうこの特集に対して歌壇は無反応だった」ことを挙げ、「天皇制アレルギー」はもはや薄らいだとし、批判をけん制するかのような発言をした。二〇代の廣野翔一(一九九一生)は、その特集に触れて、拙著の「どんな言い訳をしようと、国家権力に最も近い短歌の場所が歌会始ではないか。短歌の文学としての自立は、国家からの自立にほかならない」(「戦後六十四年、歌会始の現実」『天皇の短歌は何を語るのか』二〇一三年)を引用し、「これは正論である。正論ではあるけれど・・・」としながら、「とりあえず今は歌会始があるという現実」を、「短歌が権力に近すぎる場所にある現実」を、自分の中で受け止めて「歌会始というものに対して私たちは寛容に接すべきだ」と結論づけた(「歌壇時評・平成の終わりに」『短歌』二〇一九年六月)。彼は、自身のツイッターで「読み返すとこの人歯切れ悪くて苦しそう、という感想しかない」(二〇一九年六月二一日)と自虐的に綴っている。斎藤寛(一九五二生)は、「老舗の短歌総合誌は皇室の広報誌に転じてしまったのかと思うような誌面であった。」とし、天皇制自体に関しては「天皇の人権不在という問題」が厳しく問われないまま、「天皇制アレルギー」が薄れ、あるいは終息したという捉え方には「天皇制に対する赤子のような信仰が復活した」という意を含むとも指摘し、厳しく追及した(「『大御歌』『御歌』の位相―短歌と天皇制再考」『短歌人』二〇一九年七月)。いずれにしても、大辻のいう「無反応」という見立ては崩れたのである。

 敗戦前の「歌会始」は、一般歌人の立ち入れない世界であった。新憲法下の「象徴天皇制」は、占領軍と日本政府による「政治利用」をするための「遺制」であり、“新生”「歌会始」も“民間”歌人を引き入れて、利用価値を高めるためであったろう。「歌会始」の選者永田和宏による新聞連載の平成の天皇夫妻、皇族たちの短歌の<鑑賞>が『象徴のうた』(文芸春秋 二〇一九年六月)として出版された。まさに、現代の“御製御歌謹解書”ともいえよう。一方、『短歌研究年鑑』(二〇二〇年版)恒例の座談会では、古典・万葉集ブームは語られるが、件の特集や企画、書物には、だれもが言及しなかった。今や歌壇の主流は、天皇の短歌や歌会始について、その意義を称揚するか、触れずに沈黙を通すかのいずれかになってしまった。異論を唱えて突出することを控えてしまうのは「同調圧力」の所為でもある。それはやがて、天皇(制)への傾斜を助長し、異論を無視し、「聖域」を形成してしまうことにつながる。現に、リベラル政党も、リベラル派と称される論者も、かつての主張を微妙にシフトしながら、即位礼や大嘗祭などへの祝意を示し、メディアに重用される昨今である。「天皇陛下万歳」の誘導に声を上げ、配られた日の丸の小旗や提灯を揺らしている人々は、私の隣人たちでもある。(『ポトナム』2020年2月)

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歌壇、この一年を振り返る季節〈1〉短歌と天皇制 (2019年12月18日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/12/post-ac9040.html

「短歌と天皇制」(2月17日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(4)「無反応」だったのか (2019年3月 5日 )
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/03/217-0117.html

「短歌と天皇制」(2月17 日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(1)「その反省から出発した戦後短歌」って、ホント?(2019年2月25日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/02/210-9ef9.html

「短歌と天皇制」(2月17日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(2)「戦後短歌は皇室との関係を結ぶことに慎重だった」のか (2019年3月 1日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/03/210-80d0.html

「短歌と天皇制」(2月17日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(3)「天皇制アレルギー」って?(2019年3月 5日)http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/03/post-d222.html

 

 

 

 

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2019年10月 4日 (金)

『象徴のうた』(永田和宏著)の書評を書きました

 先月号の『現代短歌新聞』に掲載されたものです。『象徴のうた』は、昨年1月から今年3月まで、週一で63回にわたって『東京新聞』に連載された記事をまとめたものです。平成の天皇夫妻の短歌を中心に、鑑賞・解説をしていますが、共同通信配信のシリーズでしたから、各地の新聞での読者も多かったと思います。著者は、2004年から歌会始ん選者を務めています。それだけに、時代背景や天皇家の内情などを交えながら、天皇夫妻はじめ皇族方の短歌の意を丁寧に読み解き、鑑賞がなされています。そのスタンスは、おのずから明確で、国民に寄り添おうとする「お気持ちの最も大切な部分」が「お二人のお歌、短歌にこそ籠められている」というものです。しかし、短歌や「おことば」などとして発信されるメッセージは、そんなに単純なものとは思われないというのが私の感想でした。あまりにも過剰な思い入れは、かえって、読者の鑑賞を損なってしまうのではないかとさえ思えたのです。まだ、お読みでない方は、一度、近くの図書館で、ご覧になるとよいと思います。

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『現代短歌新聞』2019年9月1日号より。

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2019年10月 1日 (火)

消費増税と歌会始~2019年9月30日

 9月30日は、消費増税実施の前日である。テレビなどでは、秒読みよろしく、巷の駆け込みや買いだめに走る様子やイートイン・テイクアウト、レジ対応の混乱などを伝えている。垣間見たNHKのニュースでは、女性アナウンサーがにこやかに消費税の値上がりが迫りました!と声を弾ませていた。まるで何かの世界大会で、日本のチームが優勝したかのような。NHKに限らず、消費税値上げ分増収、軽減税率ほか様々な還元対応、経過措置の期限、残る増税分が何に使われるか、現在の法人税や累進課税、分離課税の在り方など税体系自体などに切り込むことはなく、肝心な部分は、ほとんどスルーするのが、マス・メディアの流儀でもあった。野党にしても、凍結、中止、廃止、引き下げなど、その対応はバラバラである。増税ストップはかなわず、高齢者も若年層も、もはや将来へのかすかな希望も断ち切られるニュースばかりが続く。政府は、もっぱら未来志向の“やってる”パフォーマンスに終始し、10月1日発表の日銀の短観(9月調査)も四半期ごとの調査で三期連続景気悪化ということで消費増税駆け込み需要も低迷、2013年6月以来の低水準で、米中貿易摩擦などによる海外経済の減速が影響したという。私たちができることといったら「消費」しないことぐらいしかない。

 9月30日は、来年の歌会始の応募締め切り日でもあった。改元後、初めての歌会始で、題は「望」というのも皮肉なことではある。選者は、篠弘、永田和宏、三枝昂之、今野寿美、内藤明としばらく変わらないメンバーであるが、世の中や歌壇での改元フィーバーが応募状況にどんな変化を与えるのか、注視したい。

 ところで、9月のはじめ、『赤旗』の「ひと」欄(2019年9月4日)に、つぎのような記事があった。「9条守れと戦う青森の歌人」として登場したのは、小作人の長男として生まれ「劣等感と屈辱の少年時代」を過ごしたが、新憲法とともに、自分の地を耕し、基地反対運動に携わり、農協の組合長も務め、地元選出の共産党の衆議院議員の後援会会長も務めたという91歳の方だった。地道に、粘り強く活動を続けてこられた方なのだろうな、と思う。20代には、歌も小説も書いていたとのこと、文学青年だったことも書かれていた。読み進めると、記事の末尾近くに、つぎのような一文があった。

―好奇心も旺盛です。80歳の時、初めて「宮中歌会始」に応募しました。「現代の秘境を見てみたかった」と挑戦し、見事入選しました。―

 インタビューにあたった記者は、エピソードの一つとして、書き添えているという印象である。これが一般の新聞だったら、読み過ごしていたかもしれないが、革新政党の「政党紙」だったから、目に留まったのかもしれない。登場の歌人の選択には、いろいろな思いがあったことだろう。しかし、「宮中歌会始」を「現代の秘境」とのたとえを、全肯定することは、一記者の一存ということではなく、この記事が「宮中歌会始」に対して、『赤旗』は「お墨付き」を与えたと理解されても仕方がない。近年の共産党は、「天皇制」という言葉を避けて「天皇の制度」という言い方をし、現憲法下の象徴天皇制は、守るべきものとしての位置づけをするようになった。

 1947年以来、共産党は,天皇が出席する国会開会式には、「憲法の天皇の『国事行為』から逸脱する」として、出席してこなかったが、2016年1月4日開会の通常国会から、出席するようになった。その理由が、天皇の開会の言葉が「儀礼的、形式的な発言が慣例となって、定着した」からというものであったが、私などは、天皇が、議長席より高い、あの玉座で開会の言葉を読み上げること自体が、主権在民や平等主義を基本とする日本国憲法とは抵触しているので、開会式に出席しないことには、一つの抵抗の意味があると思っていた。
 さらに、『赤旗』紙上には、一般の全国紙のように文化欄の中に「歌壇」があって、週交代で、二人の選者による入選歌が掲載されている。上記、開会式出席とほぼ時を同じくして、2016年1月から、その「歌壇」選者に、今野寿美を起用した。彼女は、2015年から「歌会始」の選者を務め、現在に至っている。これら二件を、「2015年のクリスマス・サプライズ」として、当ブログ記事にもしているので、参照していただければ幸いである。結果的に、今野は、2年間「赤旗歌壇」の選者を務め、辞めている。

*ことしのクリスマス・イブは(4)~歌会始選者の今野寿美が赤旗「歌壇」選者に(2015年12月29日)https://www.jcp.or.jp/web_policy/2019/06/post-807.html

 また、今年の改元5月1日、新天皇即位の折、共産党の志位委員長は祝意を示す談話を発表し、その後、衆参院本会議での、即位に祝意を示す「賀詞」に、共産党は賛成している。2004年には「君主制廃止」の党綱領を改定し、「憲法にある制度として、天皇制と共存」することにしたのだが、一方で、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだ」との立場に立つ。

*天皇の制度と日本共産党の立場(2019年6月4日)
https://www.jcp.or.jp/web_policy/2019/06/post-807.html

 こうした一連の動きを見ていると、共産党の天皇制への接近は今世紀に入って顕著になったのは明らかである。ウィングを広げ、支持の拡大に努めたかったのだろうが、結果は逆だった。「国民の声」に引きずられたのか、「国民の声」に近づいたのか。政府やマス・メディアにコントールされがちな「国民の声」から、本当の声や叫びを聞き分ける力がなくなってしまったのかもしれない。不都合な事実や異なる意見を無視することによる「排除」は、多くの人の目には触れないだけに、陰湿である。「いじめ」や「モラルハラスメント」にも通じ、現在の政府や官僚がやってきたことにも似てはいないか。大同小異だからと、目の前の発言にまどわされ、ときには天皇にまで縋りつく姿に、愕然とする。

 

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2019年6月21日 (金)

いまの歌壇はどうなっているのか~1960年前後の短歌・歌人たちを振り返る(4)1960年

 

 1960年、多くの国民の支持を得た、いわば反政府運動の高揚と挫折を情緒的に振り返ろうというわけではない。あの当時から、私自身が関心を持ち始めた「短歌」を通して、歌壇の状況、歌人たちの作品や発言の断片から、1960年とやがて60年になろうとしている今日を探ってみたいという試みにすぎない。たまたま、手元にある『短歌研究』のバックナンバーやコピー資料からたどってみようというわけなのだが、あくまでも気の向くままの、独断と偏見によるスケッチ、ノートとでもいうのかもしれない。

 1960年は、『短歌研究』にとっては、ひとつの大きな曲がり角となった。1月号の奥付から「編集者 杉山正樹」が消え、「発行者 木村捨録」と印刷者の名前が並ぶだけとなった。「読者への手紙」という編集後記では、その末尾に「一月から編集陣に移動がありましたのを機会に、今年は、幅広い柔軟な目を養いながら、短歌を愛好される方々に、緊密な問題をとりあげてゆきたいと考えます。・・・」と記す。 後任の編集者の名も、この編集者交代の背景を知るすべを、今の私は知らないのだが、前々記事に登場の中井英夫(1922~1993)の『増補・黒衣の短歌史』(潮出版社 1975年)を中心に、時系列でたどってみたい(「二人のいた時代年表」『短歌研究』<中城ふみ子と中井英夫のいた時代>特集 2014年8月、「短歌年表Ⅰ~Ⅲ」『短歌研究』2017年7月~8月、『現代短歌大辞典』普及版 三省堂  2004年、参照)。 

1960年前後の短歌雑誌の編集者の推移(内野光子作成)

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 こうしてみると、1950年代から60年代前半にかけての短歌ジャーナリズムは、編集者に恵まれた、特異な貴重な時代ではなかったか、とも思われる。現代の短歌通史は、いくつかあるが、短歌ジャーナリズムの歴史といえば、参考にもした中井英夫の『黒衣の短歌史』や及川隆彦の『編集者の短歌史』(はる書房 2018年)を思いつくくらいで、雑誌の変遷や作品・記事と編集者・読者にも言及する客観的な通史が出ていないような気がする。ジャーナルとかかわりの深い歌人や編集者であった当事者の回顧も、もちろん大事なのだが、客観的な記録や分析も欲しいと切実に思う。資料の散逸や関係者が亡くなられていくことを目の当たりにして、いっそうその思いが募るのだった。

 1960年1月12日開催の歌会始、「光」への詠進歌が2万3363首に及び、戦後最多を記録した。皇太子婚約・結婚による皇室ブームが最大の理由だったと思うが、選者が吉井勇、土屋文明、四賀光子、松村英一に加えて、前年から五島美代子(1898~1978)と木俣修(1906~1983)が加わり、女性が四賀・五島の二人体制になったこと、木俣の参加で若返ったことなどが重なったからとも考えられる。当日は、入選者、選者、宮内庁からは入江相政詠進歌委員らが参加した祝賀会も催され(『短歌研究』1960年2月)、定着するかに見えた。

 戦後、国民に開かれ歌会始、“民間”歌人の選者起用をめぐって、選者らのレポートや歓迎の反応も多くみられたが、1950年代後半から、前々の当ブログ記事に紹介したように、批判的な論評が活発になった。『短歌研究』での「歌会始は誰のものか」というアンケートをまとめた記事(1959年3月)や水野昌雄、秋村功、吉田漱らによる論考だった。1960年に入ると、石井勉次郎「張りぼてのヒューマニズム―「形成」をめぐる独白」(『短歌研究』1960年2月)の「ヒューマニズムの終着駅が宮中歌会始か」という木俣修批判であった。翌月、吉野昌夫(1922~2012)「もっとまじめに考えたい―石井勉次郎の井戸端公開状に答う」(『短歌研究』3月)という木俣門下からの反論があったが、同門からという限界をぬぐい切れなかった。

また、前述のアンケートでも、歌会始と現代歌人協会の対応について糾弾していた岡井隆は、現代歌人協会の機関誌において、さらに鋭く批判を展開している(「非情の魅力について」『現代短歌』創刊号 1960年5月)。ところが、皮肉にも、岡井は、1993年以来、長い間、歌会始選者や御用掛を務めることになるのであるが、天皇制が変った、天皇が代わった、歌会始が変ったからというが、一番変わったのは岡井本人ではなかったのか。

「宮中歌会始とか召人とか参列者とかいうものが一種権威化(オオソライズ)され得るのは、実はマスメデイアの権威によるので、皇威によるものではない。この狼と狐の二重構造に一切腐敗の原因がある。この行事がマスコミのとりあげる所とならず、草深い皇居に破れ蚊帳がかかっているとしたら、現代歌人の誰が選者になりたがるか」

「それとも――それとも、この歌会始の儀につながる一切事は、旧支配者に対する民衆の残忍な戯れなのであろうか。尊王の至誠か、皇室民主化の至情か、とにかくそうした熱情の類をすっかり凍結したところに生れる非情な遊びなのだろうか。しかし、そこには美がない。この非情な穢醜を、わたしは肯定することが出来ない」

 言葉だけが激しい、品格がある文章にも思えず、引用するのもはばかられるが、その糾弾の矛先は、現代歌人協会の面々、「身近な」として土屋文明、柴生田稔、近藤芳美にも及び、『人民短歌』系の渡辺順三、坪野哲久、山田あき、という名も登場する。表現はともかく、歌会始入選者の祝賀会が、現代歌人協会、日本歌人クラブ、女人短歌会共催、歌壇挙げて、10年来続いていることへの素朴な疑問や違和感は、少なからずあったことは、前述の歌会始への異議にも伺われる。しかし、選者たちへの反発はあっても、歌人団体の対応自体への批判は、その後も聞こえてはこないまま、現在に至っている。この辺りにも、団体のメンバーの多くは、わが身に引き寄せ、考えての躊躇いというか、事は荒立てないという保身があったのかもしれない。

 編集陣が後退したのは前述の通りだが、例えば特集と思われるものを拾ってみると、以下のようになる。
1月自然詠、3月生活短歌、4月女流特集、5月新人作品・評論特集、6月沖縄特集、7月宗教と短歌、8月日本の苦悩に目をそらすな/今こそ短歌の良心を敲く(レポート・6・15を経て>の島田修二、大西民子、上月昭雄、生野俊子、小野茂樹、武川忠一によるエッセイ)、9月新人賞発表。
 また、「名作50首と解説」というシリーズが始まり、茂吉・八一、良平・左千夫、牧水・白秋、啄木・迢空、夕暮・賢治、純・節、赤彦・明星派五人、千樫・利玄、鉄幹・広子といった組み合わせで連載された。書き手を歌人に限定しない工夫も見られたが、短歌初心者向けの案内ともいえよう。
 ちなみ、実質的な編集者に富士田元彦を迎えた角川書店の『短歌』の特集を見てみるとつぎのようになり、『短歌研究』と比べると、その方向性が際立ってくるだろう。
 1月短歌作風変遷史、2月茂吉/評論(芸術性・政治性、フィクション・ノンフィクション、リアリズム・アンチリアリズム、文語定型・口語自由律)、執筆:菱川善夫・秋村功・深作光貞・上田三四二 3月夭折歌人、4月“現代の青春”と短歌、5月安保改訂を歌う作品集、6月安保改訂の歌をめぐって、8月(戦後短歌)あの頃こと/明日の短歌を展く新鋭作品集、9月再論・社会詠の方向について/作品特集安保改訂をうたう/沖縄と沖縄の短歌、10月戦後作家論集、11月祖国(朝鮮)をうたう。

つぎに、当時の作品に即して考えてみたい。(つづく)

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