2023年11月20日 (月)

<座談会>、かなり緊張したのですが。

 11月18日、土曜の午後、G—W—G (minus) 同人の方からのご依頼で座談会に参加しました。同人の三方、位田将司さん、立尾真士さん、宮沢隆義さん、どなたも近代文学の若い研究者で、G—W—G (minus) のバックナンバーを一部拝読、これは手ごわいぞ、の第一印象でした。座談会に至るまでは、進行や資料など丁寧に対応していただき、1週間前にはzoomの打ち合わせもしていただきました。

 会場は、私の住まいの近くの古民家カフェ「入母屋珈琲」の2階の広々とした会議室、入るなり、中央のテーブルにはなんと、写真のように、私のこれまでの著作、収録された論文集、雑誌のコピーまでが、積まれているのを目にして驚き、もはや感動に近いものがありました。私も、拙著の一部や1960年代の雑誌などを持参しましたが、机上のこれらの資料から突っ込まれると、かなりの覚悟が・・・、などと思ったのですが、話が始まると、三人は各様に、私の4冊の歌集や拙著を読まれていて、おぼつかない私の話をうまく掬い取ってくださりで、あっという間の4時間!でした。多くの刺激をいただきました。

 当日の夕方には、以下のツイートにも。 

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本日、歌人の内野光子さんと座談会をおこないました。短歌と天皇制の関係を中心に、「60年安保」及び「68年」と短歌、阿部静枝と『女人短歌』、齋藤史と『万葉集』、前衛短歌、そして「歌会始」の問題を大いに議論しました。2024年5月刊行予定の『G-W-G(minus)』08号に掲載予定です。乞うご期待! pic.twitter.com/7y1qnDWvmx

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2023年7月 5日 (水)

来年の「歌会始」選者は~篠弘の後任は大辻隆弘だった

7月1日、宮内庁から来年の歌会始選者の発表があった。選者の一人篠弘が昨年12月に死去したのに伴い、その後任が大辻隆弘となったのである

 従来の4人に加えて、61歳の大辻が加わったことで、少しは若返ったことにはなる。その報道記事における選者の肩書はメディアによってさまざまなのだが、共同通信の配信記事(2023年7月1日)によれば、以下のようであった。

 三枝昂之(79)=山梨県立文学館館長、日経歌壇選者▽永田和宏(76)=京大名誉教授、歌誌「塔」選者▽今野寿美(71)=現代歌人協会会員、歌誌「りとむ」同人▽内藤明(68)=早稲田大教授、歌誌「音」発行人▽大辻隆弘(62)=現代歌人協会会員、未来短歌会理事長

 他のメデイアも含めて、その肩書が、どう見てもちぐはぐなのが気になった。「現代歌人協会会員」となれば全員がそうだろうし、結社の「役職」などから言えば、 三枝は『りとむ』発行人、元日本歌人クラブ会長。永田は『塔』の元主宰であり、朝日歌壇選者。今野は『りとむ』編集人であり、三枝の妻である。大辻は、岡井隆没後2020年7月から一般社団法人未来短歌会理事長・『未来』編集発行人であり、『日本農業新聞』の歌壇選者とコラム「おはよう名歌と名句」の執筆者だったのを見かけたことがあるが、現在も続いているらしい。20年ほど前は、同じようなコラムを草野比佐男が担当していたのだが。

 私は、下記の3月の本ブログ記事で、篠弘の後任として、たぶん女性が起用されるのではないかなどと予想して、歌会始召人に招ばれたことのある栗木京子、小島ゆかりの名をあげ、男性では坂井修一などの名を挙げていたが、見事に外れたわけで、これはこれで、妙な懸念が晴れてよかったと思っている。

 『未来』の岡井を継承した編集発行人の大辻が歌会始選者になって、なんの不思議もないのだが、私には、1992年岡井隆が歌会始選者になったときの歌壇の反応を思い起すのであった。「前衛歌人が歌会始選者に」と歌壇に衝撃が走ったし、『未来』誌上でも、それをテーマに特集が組まれ、岡井隆の弁明まで掲載された。これを機に未来短歌会を離れる歌人もいたのである。私自身は、拙著『短歌と天皇制』(風媒社1988年10月)に収録したエッセイで示していたように、予想はついていたので「さもありなん」の思いであった。

 今回、『未来』はどんな反応を示すのだろうか。短歌コンクールの一つの選者就任として受け流すのか、祝意?を示すのか・・・。他の結社とて、『りとむ』『塔』『音』の三人は、選者であることを十分に「利活用」をし続けてきたように見受けられる。岡井隆、永田の妻の河野裕子、篠弘のように最晩年まで、この居場所を去らないであろう。この「国家的短歌コンクール」の状況――応募者数の低迷、応募者の高齢化は進み、宮内庁辺りは、こうした状況の打開を図りたいところと思うが、今回の選者選びには反映されず、結果的に見れば「歌壇政治」「男性社会」を象徴するような人事に思えたのである。「歌会始」は当分細々と続くだろう。

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2019年2月17日「歌壇時評」(朝日新聞)

 

以下は、上記、大辻隆弘の『朝日新聞』の歌壇時評「短歌と天皇制」(2019年2月17日)について当時評した当ブログ記事である。

「短歌と天皇制」(2月17 日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(1): 内野光子のブログ (cocolog-nifty.com) 
「その反省から出発した戦後短歌」ってホント?(2019年2月25日)

「短歌と天皇制」(2月17日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(2): 内野光子のブログ (cocolog-nifty.com)
「戦後短歌は皇室との関係を結ぶことに慎重だった」のか(2019年3月1日)

「短歌と天皇制」(2月17日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(3): 内野光子のブログ (cocolog-nifty.com)
「天皇制アレルギー」って(2019年3月5日)

「短歌と天皇制」(2月17日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(4): 内野光子のブログ (cocolog-nifty.com)
「無反応」だったのか(2019年3月5日)

 私としては、令和の天皇制の行方と、短歌にかかわるものとして「歌会始」の行方を見極めたい。宮内庁が皇室情報を発信すればするほど、天皇制自体への疑問が拡散し、「歌会始」も細るだけ細ればいいと期待しているのだが。

 

 

 

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2023年3月 9日 (木)

来年の「歌会始」はどうなるのだろう

 『ポトナム』三月号に歌壇時評を書きました。

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 一月一八日の午前中、NHKテレビによる皇居での「歌会始」、忘れずに、いま、見終わった。コロナ禍のもとでの開催は三年目で参加者全員のマスク着用、距離を置いての着席、陪聴者をかなり少なめとするのが定着したようだ。皇族は、天皇・皇后のほか、秋篠宮家からは夫妻と次女、三笠宮、高円宮両家の母娘、合わせて九人であったか。天皇家の長女は学業優先で不参加ということが前日から報道されていた。入選者一〇人と選者の内藤明、召人の小島ゆかり、皇族代表の何首かが朗詠された後、天皇の短歌が三回朗詠されて終了する。いつも、この中継を見ていて思うのは、短歌の朗詠中の画面と短歌の解説なのある。朗詠される短歌の作者の居住地の風景や短歌にふさわしいと思われる風物を背景に、行書による分かち書きをした短歌のテロップが流れる。独特の朗詠では、短歌を聞き取れないことが多いので、こうした措置が取られるのであろう。行書である必要はない。その上、作者への入念な事前取材によって一首の背景や職歴などが詳しく、皇族の場合は、宮内庁の解説に沿って、アナウンスされ、「~という気持ちを表現しました」と作者に成り代わっての解説なのである。NHKは、すでに、入選者の発表があった昨年一二月二六日の時点で、「おはよう日本」は、入選者の何人かに取材し、入選作の背景などを語らせている。入選の短歌自体の発表は当日までお預けというのは、一種の権威づけで、宮内庁とNHKの情報操作の結果にほかならない。もともと、短歌には、鑑賞はあっても、読み手にゆだねられる部分も多い。詳しい解説が必要なのかどうかの思いから、私には、NHKの解説がむしろ煩わしく思えるのである。

 「歌会始」の選者は、岡井隆が退任後、二〇一五年来、篠弘、永田和宏、三枝昻之、今野寿美、内藤明の五人が務めていた。昨年一二月に亡くなった篠弘の後任は誰かと気にはなるが、女性なら栗木京子かなと思う。すでに召人になり、NHKの短歌番組への出演も長く、「観覧車」の歌がすべての中学校の国語教科書に載ったことで若年層にもなじみがあり、現在、現代歌人協会の理事長でもある。ただ、すでに選者である永田と同じ「塔」の同人である。現在、選者の三枝・今野夫妻も同じ「りとむ」なのだから、あり得るかもしれない。また、知名度抜群の俵万智は師匠筋の佐佐木幸綱が、かつて「俺は行かない」と宣言している関係もあって、その壁を乗り越える必要がある。今年、召人になった小島ゆかりが、本命かもしれない。男性では、経歴、歌歴からも「かりん」の坂井修一辺りが打診されている可能性もある。いずれにしろ、七月初旬には、来年の選者が発表される。私の拙い予想がせめて外れてくれればと思う。

 いま宮内庁サイドが腐心しているのは、平成期に比べて、詠進歌数が一万五千首前後で低迷していることではないか。また、令和期になって、元旦の新聞に天皇夫妻の短歌が載らなくなったことである。平成期には、必ず天皇家の集合写真と天皇五首、皇后三首が掲載されていた。二〇〇一年からは、宮内庁のホームページでも、解説付きの八首が発表されていた。(平成の天皇・皇后 元旦発表短歌平成二~三〇年 https://www.kunaicho.go.jp/joko/outa.htmlもともと天皇制には平等の観念はないが、天皇五首・皇后三首はいかにも具合が悪く、発表を控えたのか、あるいは、現在の天皇夫妻の短歌への思い入れはそれほどでもなかったのか。宮内庁は、四月に広報室を新設し、情報発信の強化をはかるという。「短歌」が「情報」となり、強化され、利用されることのないようにと願う。(『ポトナム』2023年3月)

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スイセンの最初の一輪、3月9日。1988年、当地に転居した際、親類よりいただいたイチジクの苗、大きく成長したが、枯れ始めたので、昨年の夏、切ってもらった、その切り株である。

 

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2022年3月 4日 (金)

歌人の自律性を考える~歌会始、学術会議任命拒否問題に触れて

   以下は、『ポトナム』三月号の「歌壇時評」に掲載されたものである。『ポトナム』は、今年4月で創刊100年を迎える。同人の高齢化は否めないが、健詠、健筆を願うとともに、若い人たちにも頑張って欲しいと思うばかりである。

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 ことしの「歌会始」の選者は、岡井隆引退後の二〇一五年以来、篠弘、三枝昂之、永田和宏、今野寿美、内藤明と変わっていない。応募歌数は、東日本大震災後、二万首前後を推移したが、平成からの代替わりとコロナ禍由来なのか一九年約一万六千、二〇年約一万四千、二二年は一万三八三〇首と下降線をたどっている。それでも、多くの人たちが、応募を繰り返し、入選を目指している。『短歌往来』の新人紹介欄で、ある一人は、さまざまな短歌コンクールに入賞し、「歌会始は未だ入選できず」と短いエッセイに書き(二〇二一年七月号)、一人は、所属結社とともに「令和三年度宮中歌会始佳作」と記していた(同年九月号)。二人は、ごく自然に「歌会始」の入選を目指していることを明言している。若い人たちが、天皇や天皇制に対して関心が薄いことは知っていたが、その延長線上で、「歌会始」を他の短歌コンクールや新聞歌壇と並列的に認識していることもわかった。それを象徴するかのように、ことしの入選者は、六〇歳以上が六人、四〇・五〇代三人と高校生一人、併せて一〇人であった。高校生は、直近九年間で七人の入選者を輩出した新潟県の私立高校の生徒であった。熱心な教師の指導のままに、高校生たちは、「歌会始」の意味を十分理解することなく、応募しているにちがいない。
 「歌会始」は、宮中行事の一つに過ぎなかったが、現在のような形になったのは一九四七年以降である。皇室と国民を結ぶ伝統的な文化的、国家的行事として守られるべきだとする説には、財政や人事においても国家的な介入を前提とするものだろう。

 国家的介入といえば、日本学術会議が推薦した新会員一〇五人の内六人が総理大臣の任命を拒否された事案が発生した。学術会議はじめ、日弁連ほか多くの学会が、任命拒否の理由を質し、学問の自由を侵すものだとして抗議声明を発し、多くの識者たちも抗議の声をあげた。二〇年一〇月、現代歌人協会の栗木京子理事長、日本歌人クラブの藤原龍一郎会長との連名で「任命拒否を速やかに撤回し」、国民への説明責任を果たすべきとする声明を出した。また、一九年五月にも、高校の新しい学習指導要領のもとに、従来の必修「総合国語」の教科書が、二二年度から「現代の国語」と「言語文化」に再編されるのを受けて、現代歌人協会理事長と日本歌人クラブ会長名で声明を出していた。「現代の国語」は、論理的、実用的文章を中心とし、「言語文化」の中で扱われる近現代文学、近現代詩歌は、大きく後退するのではないかとの危機感からだったか。
 上記団体の会員でもない私だが、さまざまな意見を持つ歌人たちを束ねた形で「声明」を出すにあたって、どのように合意形成がなされたのか不安になった。表現者としての自覚を持つ歌人たちの団体であるならば、自主・自律性が問われよう。国からの財政支援はないとしても、団体の役職者たちが、歌会始の選者や召人、靖国神社献詠の選者だとしたら、自由な論議が展開されるのだろうか。
 学術会議にしても、欧米のように財政や人事は政府から独立した「アカデミー」として活動すべきではなかったかと、私は考える。また、近現代文学との出会いは、学校教育における教科書だけではないはずで、教科書による押し付け的な文学教育からの解放を目指す考え方もある。本誌一月号でも述べたように、若手歌人たちの「最も印象に残った一首」との出会いは、大半、教科書ではなかった。

 国家権力と本気で対峙するならば、「声明を出しておく」ことよりも、歌人、歌人団体は、「歌会始」や「靖国神社」とは、きっぱり縁を切るべきではないか。

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まだ、やってくるヒヨドリ。ヤマボウシの枝から、真下のえさ台を監視しているのか。ちょっと見ただけでは、枝に紛れていて、気がつかなかった。

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2021年12月20日 (月)

どうしても言い続けたいこと~天皇制はどこへゆく

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  また、狭い短歌の世界の話、歌会始の話であるが、天皇制とも密接にかかわっていることは間違いないのだから。
  ことしの歌会始は、新型ウイルス感染拡大のため一月から三月に延期された。さらに、密を避けるため、いわゆる招待者である陪聴者は一けたに縮小したが、普段だと100人近い年もあった。また入選作や皇族の歌を独特の朗詠―披講する役の人たちは、アクリル板とフェイスシールドを用いていた。他の参加者は、天皇夫妻はじめすべてマスク着用であり、入選者の一人はオンライン参加だった。テレビ中継のどの画面も、どこか異様な光景にも見えた。こうまでして開催すべきだったのか。来年も同様の方法、規模で実施する予定らしい。年末には、入選者氏名が発表されるはずである。

  選者は、2015年、岡井隆が引退して以来、篠弘、三枝昂之、永田和宏、今野寿美、内藤明というメンバーは替わってはいない。応募歌数は、東日本大震災後の2012年以来2万首前後を推移していたが、平成からの代替わりとコロナ禍が大きく影響しているのか、昨年が約1万6000首、ことしが約1万4000首とかなり落ち込んでいる。9月末日締め切りだったから、増える要因は見つからないが、来年はどうだろうか。昭和から平成への代替わりの折にも、1992年1万3000首台になったことがある。

   それでも、短歌愛好者の中で一定の人たちが、応募を繰り返し、入選を楽しみにしている人たちがいることは確かである。そして、最近、知って驚いたことがある。『短歌往来』という短歌雑誌で、新人紹介の欄がある。1969年生まれの男性は、NHK全国短歌大会などさまざまな短歌コンクールに入選していて、『未来』という結社に入会、「歌会始は未だ入選できず」と短いエッセイに書いていた(7月号)。また、同じ欄で、女性(生年不明)は、「令和3年度宮中歌会始佳作」、『好日』『湖笛』に所属の旨、記されていた(9月号)。「新人」なので、短歌をはじめて日が浅い二人が、何の抵抗もなく「歌会始」の入選を目指していることを明言していることだった。若い人たちが、天皇や天皇制に対して関心がないことは知っていたが、その延長線上で、「歌会始」が、ほかのさまざまの短歌コンクールや新聞歌壇と並列的に語られていることだった。ということは、彼らの指導にあたっている歌人たちの意識の反映でもあるのだろう。

  選者という地位は、さまざまな国家的な褒章制度の対象者となり、ひいては、芸術院会員、文化功労者、文化勲章への期待も高まろうというもの。文化勲章受章者の歌人は斎藤茂吉、佐佐木信綱、土屋文明だったが、いずれも選者であった。ことしの受章者の岡野弘彦は30年間近く選者であり、ついにたどり着いたという印象である。同じく選者だった窪田空穂と岡井隆は、文化功労者になったが、もう少し長生きをしていれば、文化勲章を受章したかもしれない。

  平成期の天皇の生前退位や眞子さんの結婚問題、また、女性天皇論などをきっかけに、天皇制自体について考える良い機会であったのに、ただ、ただ皇位継承者の減少を危惧する論調ばかりが先行している昨今である。政府の有識者会議の示す対策は、天皇家を存続させるためとはいえ、あまりにもアクロバット的な、時代錯誤的なものでしかない。

 

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2021年7月15日 (木)

代替わりに見る天皇の短歌と歌人たち―平成期を中心に(2)平成期における明仁天皇・皇后の短歌の果たした役割

 天皇夫妻の短歌と国民とのパイプ役をなすとされる歌会始はじめ、新聞・テレビなどへの登場、夫妻の歌集・鑑賞の書物の出版などが盛んになり、皇室行事、被災地訪問、慰霊の旅などを通して短歌の登場頻度が高くなり、歌碑などの形での接点も多くなった。 

<天皇・皇后の短歌と国民との接点>
a 1月1日の新聞:1年を振り返っての短歌、天皇(5首)、皇后(3首)の公表(天皇家の写真とのセットで)
b 1月中旬の歌会始:天皇・皇后はじめ皇族、選者、召人、入選者10人の歌とともに披講。NHKテレビの中継/当日の新聞夕刊と翌日の朝刊での発表/宮内庁HPでの登載
c 歌会始の詠進(応募)の勧め、入門書・鑑賞書などへ収録、出版
d 天皇の歌集、皇后との合同歌集での出版および鑑賞書の出版など
e 在位〇年、死去、代替わりの節目の図書の出版、新聞・雑誌など記事、特集、展示など
f 歌碑など

 平成期の天皇夫妻の短歌の特色として以下の三点があげられる。まず、短歌一覧をご覧ください。

資料 明仁天皇・美智子皇后の短歌一覧 

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1)平和祈念・慰霊のメッセージ

 「平和祈念・慰霊」のための短歌を多く詠んでいるが、その一部⑮~㉔を資料に収めた。 天皇の短歌は、おおらかで、大局的、儀礼的だが、皇后の短歌は、人間や自然観察が細やかで、情緒的であると言われている。天皇の短歌には、明治天皇や昭和天皇の作かと思われるような⑮⑯のような短歌もある。

⑮ 波立たぬ世を願ひつつ新しき年の始めを迎へ祝はむ(天皇)(1994年 歌会始 「波」)
 国のため尽くさむとして戦ひに傷つきし人のうへを忘れず(天皇)(1998年 日本傷痍軍人会創立四十五周年にあたり)

 慰霊の旅で詠まれた、夫妻の短歌を見てみよう。

 精根を込め戦ひし人未だ地下に眠りて島は悲しき(天皇)(1994 硫黄島)(終戦50年)
 慰霊地は今安らかに 水をたたふ如何ばかり 君ら水を欲りけむ(皇后)(1994 硫黄島)

 ⑱について、大岡信は、「立場上の儀礼的な歌ではない。・・・気品のある詠風だが、抑制された端正な歌から、情愛深く、また哀愁にうるおう歌の数々まで、往古の宮廷女流の誰彼を思わせる(「折々のうた」(『朝日新聞』1997年7月23日)と記す。
 原爆のまがを患ふ人々の五十年の日々いかにありけむ(天皇)(1995年 原子爆弾投下されてより五十年経ちて)
 被爆五十年 広島の地に静かにも雨降り注ぐ雨の香のして(皇后)(1995年 広島)
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      2005年、サイパン、バンザイクリフにて

㉑ サイパンに戦ひし人 その様を浜辺に伏して我らに語りき(天皇)(2005年 サイパン島訪問)
㉒ いまはとて 島果ての崖踏みけりし をみなの足裏思へばかなし(皇后)(2005年 サイパン島)

 ㉒は、歌人たちの間でも評判になった歌で、たとえば、歌会始の選者である永田さんは、つぎのように話す。「日本女性が崖から飛び降りた景を思い出して、詠まれたものと思われます。崖を踏み蹴って、海へ身を投げた女性の「足裏」を思っておられるところに、繊細な感性を感じとることができます。悲しく、しみじみと身に沁みる歌であります。このような国内外の慰霊の旅が、平和を希求される両陛下の強い思いから出ていることは言うまでもありません。平成という時代は、近代日本の歴史のなかで、唯一戦争のなかった幸せな時代でした。その大切さを誰よりも強く感じて来られたのが両陛下であったのかもしれません。」(「両陛下の歌に見る『象徴』の意味」『視点・論点』2019年03月06日 NHK放送)

 また、皇后の次のような短歌には、海外の戦争や内乱における加害・被害の認識について、やや屈折した思いを詠んだものある。

㉓ 慰霊碑は白夜に立てり君が花 抗議者の花 ともに置かれて(皇后)(2000年 オランダ訪問の折りに)
㉔ 知らずしてわれも撃ちしや春闌くるバーミアンの野にみ仏在(ま)さず(皇后)(2001年 野)

 ㉔について、安野光雅さんは「文化の違うところに立つ自分自身をかえりみて、何もできなかった自分もまた、「知らずして」「(相対的に)弾を撃つ立場にいたのではないか、かなしまれるおもいは、痛切である」(『皇后美智子さまのうた』朝日文庫 2016年10月)とやさしいスケッチとともに語っている。

 こうして、天皇夫妻が発するメッセージは、国民にどう届いているのか。少なくとも、ジャーナリストや史家、歌人たちの鑑賞や解説では、一様にというか、判で押したように「国民に寄り添い、平和を願い、護憲を貫く」メッセージとして、高く評価されています。さらに、2015年、戦後七〇年の「安倍談話」と8月15日全国戦没者追悼式における天皇の「おことば」とを比較し、天皇の言葉には「反省」の思いがあり、当時の安倍政権への抵抗さえ感じさせるという声も少なくなかった。
 このようにして、平和や慰霊をテーマにした短歌に限らず、災害や福祉、環境などをテーマにした短歌を詠み続け、国民に発信することによって、ときどきの政治・経済政策の欠陥を厚く補完し、国民の視点をそらす役割すら担ってしまう事実を無視できないと思っている。 

2)沖縄へのこだわり  

 昭和天皇の負の遺産―本土決戦の防波堤として沖縄地上戦の強行、米軍による占領・基地化の長期・固定化という「後ろめたさ」を挽回するために、11回の訪問、おことば、短歌による慰霊・慰撫のみが続けられた。天皇は、5・7・5・7・7の短歌ではなく、8・8・8・6という沖縄に伝わる「琉歌」まで作っている。上記、短歌一覧の㉕から㊾までご覧ください。天皇夫妻の個人的な思いはともかく、日本政府のアメリカ追従策に対して、何の解決にも寄与していなかった。 

資料 明仁天皇・美智子皇后沖縄訪問一覧(ダウンロード済↓)e5b9b3e68890e5a4a9e79a87e383bbe7be8ee699bae5ad90e79a87e5908ee6b296e7b884e8a8aae5958fe4b880e8a6a7.pdf

  <明仁天皇・美智子皇后の沖縄を詠んだ短歌> ㉕~㊾  *琉歌
㉕いつの日か訪ひませといふ島の子ら文はニライの海を越え来し
(美智子皇太子妃)(1971年 島)
㉖黒潮の低きとよみに新世の島なりと告ぐ霧笛鳴りしと(皇太子妃)(1972年 五月十五日沖縄復帰す)
㉗雨激しくそそぐ摩文仁の岡の辺に傷つきしものあまりに多く(皇太子妃)(1972年 五月十五日沖縄復帰す)
㉘この夜半を子らの眠りも運びつつデイゴ咲きつぐ島還り来ぬ(皇太子妃)(1972年 五月十五日沖縄復帰す)
㉙戦ひに幾多の命を奪ひたる井戸への道に木木生ひ茂る(明仁皇太子)(1975年 沖縄県摩文仁)
㉚ふさ(フサケユル)かいゆる木(キ)草(クサ)めぐる(ミグル)戦跡(イクサアト)くり返し返し(クリカイシガイシ)思(ウムイ)ひかけて(カキテイ)*(皇太子)(1975年 沖縄県摩文仁)
㉛今帰仁(ナキジン)の(ヌ)城門(グスイジョオ)の(ヌ)内(ウチ) 入れば(イレバ)、咲き(サチ)やる(ヤル)桜花(サクラバナ)紅(ビンニ)に染めて(スミテイ) 
(皇太子)(1975年 今帰仁城跡)

㉜みそとせの歴史流れたり摩文仁(まぶに)の坂平らけき世に思ふ命たふとし(皇太子)(1976年 歌会始「坂」)
㉝いたみつつなほ優しくも人ら住むゆうな咲く島の坂のぼりゆく(皇太子妃)(1976年 歌会始「坂」)
㉞広がゆる畑 立ちゅる城山 肝ぬ忍ばらぬ世ぬ事 *(皇太子)(1976年 伊江島の琉歌歌碑)
㉟四年にもはや近づきぬ今帰仁(なきじん)のあかき桜の花を見しより(皇太子)(1980年 歌会始「桜」)
㊱種々(くさぐさ)の生命(いのち)いのち守り来し西表(いりおもて)の島は緑に満ちて立ちたり(皇太子)(1984年 歌会始「緑」)
㊲激しかりし戦場(いくさば)の跡眺むれば平けき海その果てに見ゆ(天皇)(1993年 沖縄平和祈念堂前)
㊳弥勒(ミルク)世(ユ)よ(ユ)願(ニガ)て(ティ)揃(スリ)りたる(タル)人(フィトゥ)た(タ)と(トゥ)戦場(イクサバ)の跡(アトゥ)に(ニ)松(マトゥ)よ(ユ)植(ウイ)ゑたん(タン) (天皇)(1993年 沖縄県植樹祭)
㊴波なぎしこの平らぎの礎と君らしづもる若夏(うりずん)の島(皇后)(1994年 歌会始「波」)
㊵沖縄のいくさに失せし人の名をあまねく刻み碑は並み立てり(天皇)(1995年 平和の礎)
㊶クファデーサーの苗木添ひ立つ幾千の礎(いしじ)は重く死者の名を負ふ(皇后)(1995年 礎)
㊷疎開児の命いだきて沈みたる船深海に見出だされにけり(天皇)(1997年 対馬丸見出さる)
㊸時じくのゆうなの蕾活けられて南静園の昼の穏しさ(皇后)(2004年 南静園に入所者を訪ふ)
㊹弾を避けあだんの陰にかくれしとふ戦(いくさ)の日々思ひ島の道行く(天皇)(2012年 元旦発表、沖縄県訪問)
㊺工場の門の柱も対をなすシーサーを置きてここは沖縄(ウチナー)(皇后)(旅先にて)
㊻万座毛に昔をしのび巡り行けば彼方(あがた)恩納岳さやに立ちたり(天皇)(2013年 歌会始「立」)

㊼我もまた近き齢にありしかば沁みてかなしく対馬丸思ふ(皇后)(2014年 学童疎開船対馬丸)
㊽あまたなる人ら集ひてちやうちんを共にふりあふ沖縄の夜(天皇)(2018年 沖縄県訪問)
㊾与那国の旅し恋ほしも果ての地に巨きかじきも野馬も見たる
(皇后)(2018年 与那国島)

 3)美智子皇后の短歌の突出していたこと

  それでは、平成期に入って、天皇・皇后の短歌は、マス・メディアにどう扱われたかを見ていきたい。下記の文献一覧によれば、美智子皇后の短歌に特化した記事や図書が多数あり、昭和天皇への関心が維持されていることもわかる。美智子皇后には、皇太子妃時代の皇太子との合同歌集『ともしび』(1986)、単独歌集『瀬音』(1997)、NHK出版からの、在位10年、20年、30年記念の3回『道』には、天皇の歌とともに皇后の歌が収録されているが、ほかにも様々な執筆者により、美智子皇后の短歌の解説書や鑑賞の書が出版されていることがわかる。皇后の短歌は、観察・表現の繊細さに加えて、メデイア・世論への目配りが功を奏し、保守層からも、リベラル派からの支持を得、国民への影響力も大きいと言えよう。もっとも、明治天皇の昭憲皇太后、大正天皇の貞明皇后も、賢い皇后として、その足跡、短歌が残されているが、旧憲法下では限界があり、美智子皇后の積極性にはかなわず、歴代天皇の皇后にはなかった現象であった。

資料 天皇の短歌関係文献一覧(2000 ~)

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 4)「歌会始」と歌人たち、歌壇の反応
 選者の変遷の推移は、御歌所 ⇒民間歌人・女性歌人の登用 ⇒戦中派 ⇒「前衛歌人 ⇒戦後生まれ・人気歌人へとたどり、現代短歌との融合と選者任用が他の国家的褒章制度とのリンクが顕著となってきている。歌会始の選者になることが歌人としての一つのステイタスとなり、国家的褒章制度に組み込まれ、その出発点や通過点となったり、到達点になったりしている構図が見える。例外としての、馬場あき子、佐佐木幸綱さんには事情があるようで・・・。
 

資料 歌会始の推移

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 <歌会始選者たちの国家的褒章の受章歴>

木俣修(1906~1983): 歌会始選者1959 → 紫綬褒章1973 → 芸術選奨文部大臣賞1974→ 日本芸術院賞恩賜賞1983
岡野弘彦(1924~): 歌会始選者・芸術選奨文科大臣賞1979 → 御用掛1983~2007→ 

紫綬褒章1988 → 芸術院賞・芸術院会員・勲三等瑞宝章1998 → 文化功労者2013
岡井隆(1928~2020: 歌会始選者1993 → 紫綬褒章1996 → 御用掛2007~2018→

 芸術院会員2009 →  文化功労者2016 → 旭日中綬章追贈2020死去
篠弘(1933 ~):紫綬褒章1999 → 旭日小綬賞2005 → 歌会始選者2006 →御用掛2018~
三枝昂之(1944~):芸術選奨文科大臣賞2006 → 歌会始選者2008 →紫綬褒章2011
永田和宏(1947~):歌会始選者2004 → 紫綬褒章2009 →瑞宝中綬章2019 →?

 (参考)
栗木京子(1954~):芸術選奨文科大臣賞2007 → 紫綬褒章2014 → 歌会始召人控2020 →?
 現代歌人協会理事長(女性初)2019
馬場あき子(1928~):紫綬褒章1994 →芸術院賞2002 →芸術院会員2003 →文化功労者2019
佐佐木幸綱(1938~):芸術選奨文部大臣賞2000 → 紫綬褒章2002 → 芸術院会員2008

 5)明仁天皇の生前退位時前後の天皇制の行方~リベラル派、護憲派の天皇制への傾斜

リベラルな人たちの天皇制への傾斜、たとえば・・・・

矢部宏治(1960~):「初回訪問時の約束通り、長い年月をかけて心を寄せ続けた沖縄は、象徴天皇という時代の「天皇のかたち」を探し求める明仁天皇の原点となっていったのです」(『戦争をしない国―明仁天皇メッセージ』小学館 2015年)。著書に『日本は、なぜ基地や原発を止められないのか』(集英社インターナショナル 2014年)。
金子兜太(1919年~2018年):俳人。 金子兜太選「老陛下平和を願い幾旅路」(伊藤貴代美 七四才 東京都)選評、「天皇ご夫妻には頭が下がる。戦争責任を御身をもって償おうとして、南方の激戦地への訪問を繰り返しておられる。好戦派、恥を知れ」(「平和の俳句」『東京新聞』2016年4月29日)。「アベ政治を許さない」のプラカード揮毫者。
金子勝(1952~):マルクス経済学者。「【沖縄に寄り添う】天皇陛下は記者会見で、沖縄のくだりで声を震わせて「沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました」「沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません」と語る。アベは聞いているのか?」(2018年12月23日ツイート✔ @masaru_kaneko)。
白井聡(1977~):「今上天皇はお言葉の中でも強調していたように、「象徴としての役割」を果たすことに全力を尽くしてきたと思います。ここで言う象徴とは、「国民統合の象徴」を意味します。天皇は何度も沖縄を訪問していますが、それは沖縄が国民統合が最も脆弱化している場所であり、永続敗戦レジームによる国民統合の矛盾を押しつけられた場所だからでしょう。天皇はこうした状況全般に対する強い危機感を抱き、この危機を乗り越えるべく闘ってきた。そうした姿に共感と敬意を私は覚えます。天皇が人間として立派なことをやり、考え抜かれた言葉を投げ掛けた。1人の人間がこれだけ頑張っているのに、誰もそれに応えないというのではあまりにも気の毒です。」という主旨のことを述べています。(「天皇のお言葉に秘められた<烈しさ>を読む 東洋経済新報オンライン 2018年8月2日、国分功一郎との対談)。『永続敗戦論―戦後日本の核心』(太田出版 2013年)の著者。
内田樹(1950~):「天皇の第一義的な役割が祖霊の祭祀と国民の安寧と幸福を祈願すること、天皇は祈ってさえいればよい、という形でその本義を語りました。これは古代から変りません。陛下はその伝統に則った上でさらに一歩を進め、象徴天皇の本務は死者たちの鎮魂と苦しむ者の慰藉であるという「新解釈」を付け加えられた。これを明言したのは天皇制史上初めてのことです。現代における天皇制の本義をこれほどはっきりと示した言葉はないと思います。(「私の天皇論」『月刊日本』2019年1月)
永田和宏(1947~):歌人、歌会始選者。「戦争の苛烈な記憶から、初めは天皇家に対して複雑な思いを抱いていた沖縄の人々でしたが、両陛下の沖縄への変わらぬ、そして真摯な思いは、沖縄の人々の心を確実に変えていったように思えます。両陛下のご訪問は、いつまでも自分たちの個々の悲劇を忘れないで、それを国民に示してくださる大きなと希望になっているのではないでしょうか」(『宮中歌会始全歌集』東京書籍 2019年)。安保法制の反対、学術会議の会員任命問題でも異議を唱えている。
望月衣塑子(1975~):東京新聞記者。。コロナの時こそ、天皇や皇后のメッセージが欲しいと天皇・皇后へ賛美と期待を示す(作家の島田雅彦との対談、「皇后陛下が立ち上がる時」(『波』新潮社2020年5月)。
落合恵子(1945~):新天皇の大嘗祭での「おことば」を「お二人に願うことは、お言葉で繰り返された平和を、ずっと希求される<象徴>であって」(「両陛下へ」『沖縄タイムズ』2019年11月12日)

 美智子皇后との交流を重ねて語る石牟礼道子、安保法制に反対を表明した憲法学者の長谷部恭男は天皇制は憲法の「番外地」といい、木村草太は天皇の人権の重要性を説く。政治学者の加藤陽子は、半藤たちとご進講を務める。著書『それでも、日本人は『戦争』を選んだ』(朝日出版社 2009年)、半藤・保阪との共著『太平洋戦争への道1931-1941』NHK出版 2021年)
 リベラル、革新政党の天皇制への傾斜と同時に、安保法制反対、学術会議任命問題に異議を表明する歴史家や歌人たちが親天皇制を表明し、天皇夫妻の言動や短歌を高く評価する傾向が顕著になった。中堅、若手の歌人たちも「歌会始」への抵抗感も薄れている。こうした状況の中で、民主主義の根幹である「平等」に相反する天皇制を廃するにはどうしたらよいのか、現在の憲法のもとでできることは何か。
 私としては、天皇制廃止への志は忘れずにいたい。現制度の下で、できること、願うことといえば、天皇夫妻はじめ、皇族たちには、ひそかに、しずかに、質素に暮らしてもらうしかないのではないか。なるべく、国民の前に現れないように、そして、メディアも追いかけることはしないでほしい。天皇たちの人権を言うならば、天皇制が、さまざまな差別や格差の助長の根源であったことを思い返してほしい。一人の人間が、国民の「象徴」であること自体、「統合」であるとする「擬制」自体が、基本的人権に反するのではないか、といった趣旨で、締めくくった。下記のような感想や質問が出された。

・反戦主義者と思っていた半藤一利さんが意外であった。
・まず、男女平等の観点から「皇室典範」で女性天皇を認めるべきではないか。
・日本人には、古くから、短歌という文学形式が深く身についているから、短歌による発信が浸透するのではないか。
・宮中祭祀における、いわゆる「秘儀」に皇后たちは、苦悩したに違いない。その実態が明らかになっていないのが問題ではないか。
・黙っていて、というのは、天皇夫妻にも表現の自由があるのだから、酷ではないか。
・退位後、ネット上の美智子皇后へのバッシングがひどいのは、どうしたわけか。
・落合恵子さんは共和制を主張している人だが、天皇制を支持するとは、信じられないのだが。

  短歌が、国民に根付いた文学形式といっても、文学史上、多くの国民が短歌による発信ができるようになるのは、たかだか、近代以降で、それ以前の「和歌」は、一部の国民の発信ツールに過ぎなかったのではないか。美智子皇后へのネット上のバッシングというのは、私は詳しく知らないが、昭和・平成期にも潜在的にあったし、それを煽るようなメディアもあったと思う。「宮中」に入るからには、美智子皇后、雅子皇后にしても、当然覚悟していたことだと思う。いじめやバッシングは、法的な措置も辞さず、それによって、宮中内の実態も明らかになってゆくだろう。
  また、いわゆるリベラル派による天皇夫妻への敬意や積極的にも思える天皇制維持の発言は、これからも、噴出、拡大していくのではないか。それは、革新政党の、ウイングを広げようとして「寛大さ」や「柔軟性」を掲げ、民主主義の根幹を忘れるという退廃と、その一方での若年層の、天皇や天皇制への無関心が相俟って、この国の進む方向には、不安は募るばかりである。
 質疑も含めて二時間弱、オンラインに慣れない私は、もうぐったりしてしまった。対面での研究会や集会が待たれるのであった。

 

 

 

 

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2021年5月 5日 (水)

半藤一利さん、下馬郁郎の名で短歌も詠んでいた

  4月30日の、鈴木竹志さんのブログ「竹の子日記」を読んで、驚いた。半藤一利さんの短歌が、下馬郁郎の名で、『昭和萬葉集』に収録されている、という。鈴木さんは、『週刊文春』最新号の座談会で知ったという。早速、『昭和萬葉集』を調べた結果も書かれていた。

半藤一利さんの短歌
http://takenokonikki520.blog77.fc2.com/blog-entry-1134.html 
(2021年4月30日)

 実は、旧拙文(「皇室報道における短歌の登場はなにをもたらしたのか―昭和天皇病状報道・死去報道を中心に(『風景』1995年2月初出、『現代短歌と天皇制』2001年2月収録)において「天皇の短歌作品を中心にした、歌人などの追悼文」10点のうちの一つとしてあげていた文献の執筆者が「下馬郁郎」だったのである(上記『現代短歌と天皇制』117頁)。

(8)下馬郁郎「御製にみる陛下の”平和への祈り“」『文芸春秋・大いなる昭和』特別増刊 1989年3月 712~716頁

 当時、執筆者として岡野弘彦、辺見じゅん、窪田章一郎らと並んでいた「下馬郁郎」が何者?であるか、わからずじまいのままであった。ところが、今年の2月、WAM(アクティブ・ミュージアム女たちの戦争と平和資料館)で「歌会始と天皇制」について話をする機会があって、あらためて準備を進めている中で、半藤さんの「昭和史」について調べていると、ネット上で「下馬郁郎(=半藤一利)」の記事に出会った。が、まだ半信半疑であった。さらに、半藤さんは、昭和天皇死去当時1989年、『文芸春秋』の編集長であることがわかった。編集長自らの名前で、記事を書く躊躇いがあったのか、「歌人下馬郁郎」の名で残しておきたかった記事だったのか、いずれにしても、「下馬郁郎=半藤一利」を確信するに至った。今回の『週刊文春』の記事で裏付けられたし、下馬郁郎がかつて『青遠』という結社で短歌を詠んでいたことが『昭和萬葉集』で明らかになったのである。当時、「下馬郁郎」という歌人の名は聞いたことがない、などと私は思ってきたのだが、「歌人」に限らず、広く市井の歌詠みの短歌の集成でもある『昭和萬葉集』の「人名索引」を確認することをなぜしなかったのだろう。『昭和萬葉集』編纂時には『ポトナム』の選歌を担当した者として、そこに気づかなったし、調べもしなかったことには忸怩たる思いもある。史実の検証の難しさを知り、思いがけない展開もあることを知った。

  WAMでの私の話では、天皇の短歌で読む「昭和史」の危うさの例として、半藤一利、保坂正康両氏の著作をあげたのだったが。以下の当ブログ記事をご参照ください。

2月23日「<歌会始>と天皇制」について、報告しました(1)
(2021年2月25日 )
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2021/02/post-39aa28.html

 なお、上記の拙ブログのほかに、『WAMだより』47号(2021年3月)には、要約版が掲載されています。併せてご覧いただければとと思います。

47

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2021年3月28日 (日)

今年の「歌会始」から見えてくるもの~私たちは祈ってばかりいられない

 3月26日、約2カ月遅れで、延期された「歌会始」が開催された。“伝統ある古式に則った”宮中行事というけれど、テレビ中継で何度みても、まず、そのドレスコードというか、和洋混在の正装の人々の違和感が先に立つ。会場の男性はモーニング姿、入選者の高校生は制服か。皇族の女性たちはロングドレス?入選者の女性たちは和服である。それに、今年は、全員白いマスクを付け、披講の人たちは、さすがにフェイスシールドであって、席はアクリル板で仕切られていた。入選者の一人はオンライン参加という、どこか奇妙な光景であった。異様といえば異様で、これほどまでして、開催すべきものであったのか。

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 もっとも、新型ウイルスの感染状況が、第四波か第四波の入口かと言われているさなか、「聖火」リレーをスタートさせる国である。辞退者が続出し、途中で火が消えたり、スケジュール通りに繰り上げスタートさせたりと、つながらないリレーに、いったい何の意味があるのかとも思う。政府は、非常事態宣言を解除しておいて、あとから、弥縫的な感染防止や補償、救済策しか出さず、国民の生命と生活はどうにでもなれ、と放置されたようなものである。その一方、この新型ウイルス感染対策費とは桁が違う、防衛費5兆円以上を、マイナンバー普及だけにでも1000億円以上の予算を組む国でもあったのである。そもそも、2021年3月までに、19年度補正予算、20年度本予算で、デジタル関係予算は1.7兆円にもなっていたのである。
 さらにいえば、折も折、政府は、3月16日に「『退位特例法の付帯決議』に関する有識者会議」の設置とそのメンバーを発表し、23日には、初会合を開いた。「付帯決議」の主旨は、「安定的な皇位継承を確保するための諸課題を、先延ばしすることなく、速やかに、全体として整合性が取れるように検討」することだったのだが、菅首相は、会議の冒頭「議論してもらうのは国家の基本にかかわる極めて重要な事柄であるので、十分に議論して、さまざまな考え方をわかりやすい形で整理してほしい」旨の発言をし、いわば論点整理までを、当面の目標にしているようであり、メンバーから見ても、結論ありきの先送りということで決着するのではないか。
 たしかに、今年の歌会始の皇族の参加者を見ると、高齢の三笠宮妃、常陸宮夫妻は欠席、三笠宮家の孫にあたる内親王の一人も欠席、歌も発表されていない。当然のことながら、成人の男性は、天皇以外、秋篠宮一人であって、秋篠宮の長男が成人になるまでは、こんな光景が続くのだろう。このままでは皇位継承者が細る危機感が、政府に足りないという指摘があるけれども、家を継ぐ者がいない、ということは世の中によくあることだし、天皇家が途絶えたとしても、国民はどんな不利益を受けるだろうか。将来、選択制夫婦別姓が可能になれば、家名を残すなどということは、あまり意味がないし、第一、皇族には名字というものがない。天皇家の存続の有無が「国家の基本にかかわる極めて重要な事柄」という認識にこそ、私は危機感を覚えるのだった。 
 話を、「歌会始」に戻せば、今年の一般からの応募歌数は、平成以後、1991年以降の30余年の推移の中で、最も少ない1万3657首であった。選者は、2015年以降、内藤明、今野寿美、永田和宏、三枝昻之、篠弘と変わらず、2万前後を推移していた。平成期のピークは2005年「歩み」2万8758首であり、昭和期のピークは、1964年「紙」4万6908首であった。これは、皇室への関心、歌会始への関心、短歌への関心が薄れていることの反映のようにも思える。相乗的なものでもあるかもしれない。
 いわゆる「新聞歌壇」においても、投稿者の常連化、入選者の固定化、選者と入選者の個人情報が行き交うサロン化などを垣間見ることができる。歌会始の場合、長年の応募の努力が実って入選したとか、多くの入選者を出す学校には熱心な指導者がいるとか、選者や入選者と皇族にこんな交流があったとか、歌を通じて、国民と天皇・皇族とが織りなすエピソードが喧伝され、天皇や皇族の歌のメッセージを読み解く新聞や短歌雑誌はあとを絶たない。「新聞歌壇」は、往々にして、時事的な、政治的なテーマで盛り上がることもあるが、「歌会始」では、おのずと「わきまえられて」排除されることになるだろう。
短歌という文芸におけるジャンルの一つとして、あってはならないことではないのかと。

 大正天皇の短歌の資料が手元にないので、取り急ぎ、歴代四人の天皇の歌に頻出する「祈る」「願う」「思う」にかかる類似性に着目してみた。「平和」とはやって来るものではなく、私たち自身が、多くの犠牲と弛まない行動によって勝ち取るべきものなのではないか。

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徳仁天皇
人々の願ひと努力が実を結び平らけき世の到るを祈る
(2021年歌会始「実」)
明仁天皇
波立たぬ世を願ひつつ新しき年の始めを迎へ祝はむ
(1994年歌会始「波」)
平らけき世をこひねがひ人々と広島の地に苗植ゑにけり
(1995年「第四十六回全国植樹祭 広島県」)
国がためあまた逝きしを悼みつつ平らけき世を願ひあゆまむ
(1995年「戦後五十年 遺族の上を思ひてよめる」)
昭和天皇
あめつちの神にぞいのる朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を
(1933年歌会始「朝海」)
さしのぼる朝日の光へだてなく世を照らさむぞわが願ひなる
(1960年歌会始「光」)
この旅のオリンピックにわれはただことなきをしも祈らむとする
(1964年「オリンピック東京大会」)
明治天皇
よものみなはらからと海思ふ世になど波風のたちさわぐらむ
(1904?「四海兄弟」)
神がきに朝まゐりしていのるかな国と民とのやすからむ世を
(1904年「神祇」)
あさなあさなみおやの神にいのるかなわが国民をまもりたまへと
(1907年「神祇」)

 

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2021年2月28日 (日)

2月23日「<歌会始>と天皇制」について、報告しました(4)

7.平成の天皇夫妻の短歌における「平和祈念・慰霊」というメッセージ

 つぎの平成期の天皇夫妻の短歌を見ていきたいと思います。さきに、沖縄へのこだわりは強く、11回の訪問とともに、多くの短歌や「おことば」を残し、その背景については述べました。沖縄への思いと同様なスタンスで、さらに広く、「平和祈念・慰霊」のための短歌を多く詠んでいます。ここでは、主なものを資料として配っていますが、さらに、しぼった形で、触れてみたいと思います。多くは、天皇・皇后の慰霊の旅の訪問先で詠んだ短歌なので、天皇・皇后の同じ体験のもとに詠んだ短歌が残されていますが、やや異なる視点であることに注目しました。優劣というわけではなく、二人は、デュエットのように歌い続けてきました。
 天皇は、おおらかというか、大局的な、そして儀礼的な短歌が多く、皇后は、人間や自然観察が細やかで、情緒的な短歌が多いように思います。天皇の短歌には、明治天皇や昭和天皇の作かと思われるような次のような短歌もあります。

⑰ 波立たぬ世を願ひつつ新しき年の始めを迎へ祝はむ
(天皇)(1994年 歌会始 「波」)
⑱ 国のため尽くさむとして戦ひに傷つきし人のうへを忘れず
(天皇)(1998年 日本傷痍軍人会創立四十五周年にあたり)

 1994年に硫黄島で詠んだ短歌では、天皇は、「島は悲しき」と歌い、皇后の作は、兵士たちの最期を「水を欲りけむ」と歌っています。

⑲ 精根を込め戦ひし人未だ地下に眠りて島は悲しき
(天皇)(1994 硫黄島)(終戦50年)
⑳ 慰霊地は今安らかに水をたたふ如何ばかり君ら水を欲りけむ
(皇后)(1994 硫黄島)

 1995年、広島を訪れた折には、同じ「被爆五十年」の作ながら、皇后は「雨の香」に着目しています。「黒い雨」を浴びた被爆者たちはどう思われたでしょうか。
㉑ 原爆のまがを患ふ人々の五十年の日々いかにありけむ
(天皇)(1995年 原子爆弾投下されてより五十年経ちて)
㉒ 被爆五十年広島の地に静かにも雨降り注ぐ雨の香のして
(皇后)(1995年 広島)

 2005年、サイパンを訪れた際には、皇后は、次々と崖から飛び降りて自決していった女性たちの「足裏」に思いを至らせた作になっています。
㉓ サイパンに戦ひし人その様を浜辺に伏して我らに語りき
(天皇)(2005年 サイパン島訪問)
㉔ いまはとて島果ての崖踏みけりしをみなの足裏思へばかなし
(皇后)(2005年 サイパン島)

 また、皇后の次のような短歌には、戦争や内乱における加害・被害の認識についてやや屈折した思いを詠んだ短歌もあります。
㉕ 慰霊碑は白夜に立てり君が花抗議者の花ともに置かれて
(皇后)(2000年 オランダ訪問の折りに)
㉖ 知らずしてわれも撃ちしや春闌くるバーミアンの野にみ仏在(ま)さず
(皇后)(2001年 野)

2000523
写真は、朝日新聞より。2000年5月23日、アムステルダムにおける抗議活動、第2次大戦中に日本軍は、インドネシアで捕虜4万人と民間人9万人のオランダ系住民を強制収容所に抑留、多くの死者が出ている。

 こうして、天皇夫妻が発するメッセージは、国民にどう届いているのでしょうか。その検証は難しいのですが、少なくとも、ジャーナリストや史家、歌人たちからマス・メデイアを通じて流れてくる鑑賞や解説は、国民を思い、平和を願い、護憲を貫くメッセージとして、高く評価する人たちがほとんどです。さらに、2015年戦後七〇年の「安倍談話」と8月15日全国戦没者追悼式における天皇の「おことば」とを比較し、政権への抵抗さえ感じさせるという声も少なくありませんでした。
 
このようにして、平和や慰霊をテーマにした短歌に限らず、災害や福祉、環境などをテーマに短観を詠み、国民に発信することによって、政治・経済政策の欠陥を厚く補完し、国民の視点をそらす役割すら担ってしまう事実を無視できないと思っています。  
 現在の徳仁天皇夫妻の短歌は未知数の部分がありますが、もっぱら被災地訪問や視察先の歌が多く、雅子皇后は、皇太子妃時代から、わが子の詠んだ短歌が多くなっています。短歌での発信力は、平成の天皇時代とは明らかに違い、自然や家族を歌い、ときには、行事での儀礼的な短歌が多くなるのではないかと思っています。
  以上、主として昭和天皇と平成の天皇夫妻の短歌を紹介しながら、どんなメッセージが託されているか探ってみました。天皇たちの思想や気持ちを推し量り、それによって歴史を語ることの危うさをひしと感じています。「短歌」は、短い文言で成り立っているので、わかりやすく、「考え方」や「お気持ち」や「心情」が端的に表現されて、人々の心にも届きやすいとして、マス・メディアや歴史書には、幾度となく登場してきました。
  皇室は、「国民に寄り添い、平和を願い、家族や自然をいつくしむ」人々として語られ、「国民統合の象徴」「家族の在り方のモデル」としての役割を担っていますが、今後のゆくへを注視しなければなりません。「短歌」もそうですが、人間の残した日記やインタビューなどで語られたことをあまり過大評価してはならない、と感じています。 

8.終わりに~“リベラル派”の護憲と天皇
   国民は、天皇の短歌やおことば、振る舞いによって、寄り添われ、慰められることはあっても、決して具体的な解決にはつながらないまま、一種の思考停止に陥ってしまうのではないかという懸念が去りません。天皇制の陥穽ではないかと思うのです。   近年、そうした陥穽への道をくだるのを助長する、いわゆるリベラルと称される識者などの発言がマス・メディアに蔓延するようになり、危惧を感じています。
  
平成の天皇夫妻の沖縄の短歌や発言による「天皇の沖縄への思い」ついて、右翼と称される日本会議は、2012年に、『天皇陛下と沖縄」というブックレットを出版するようになります。
 
ところが、日本会議ばかりでなく、天皇の「沖縄への思い」「平和への願い」を高く評価する発言が、いわゆる<リベラル派>と呼ばれる識者から見受けられるようになりました。

矢部宏治(1960~):1975年のひめゆりの塔事件の夜の談話をひいて、「初回訪問時の約束通り、長い年月をかけて心を寄せ続けた沖縄は、象徴天皇という時代の「天皇のかたち」を探し求める明仁天皇の原点となっていったのです」(『戦争をしない国―明仁天皇メッセージ』小学館 2015年)。矢部は『日本は、なぜ基地や原発を止められないのか』(集英社インターナショナル 2014年)の著者でもあります。
金子兜太(1919年~2018年): 金子兜太選「老陛下平和を願い幾旅路」(伊藤貴代美 七四才 東京都)選評、「天皇ご夫妻には頭が下がる。戦争責任を御身をもって償おうとして、南方の激戦地への訪問を繰り返しておられる。好戦派、恥を知れ。」(「平和の俳句」『東京新聞』2016年4月29日)。「アベ政治を許さない」のプラカード揮毫者でもあります.
金子勝(1952~):「【沖縄に寄り添う】天皇陛下は記者会見で、沖縄のくだりで声を震わせて「沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました」「沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません」と語る。アベは聞いているのか?」(2018年12月23日ツイート✔ @masaru_kaneko)。マルクス経済学者として活動しています。
白井聡(1977~):「今上天皇はお言葉の中でも強調していたように、「象徴としての役割」を果たすことに全力を尽くしてきたと思います。ここで言う象徴とは、「国民統合の象徴」を意味します。天皇は何度も沖縄を訪問していますが、それは沖縄が国民統合が最も脆弱化している場所であり、永続敗戦レジームによる国民統合の矛盾を押しつけられた場所だからでしょう。天皇はこうした状況全般に対する強い危機感を抱き、この危機を乗り越えるべく闘ってきた。そうした姿に共感と敬意を私は覚えます。天皇が人間として立派なことをやり、考え抜かれた言葉を投げ掛けた。1人の人間がこれだけ頑張っているのに、誰もそれに応えないというのではあまりにも気の毒です。」という主旨のことを述べています。(「天皇のお言葉に秘められた<烈しさ>を読む 東洋経済新報オンライン 2018年8月2日、国分功一郎との対談)。『永続敗戦論―戦後日本の核心』(太田出版 2013年)の著者でもあります。
内田樹(1950~)天皇の第一義的な役割が祖霊の祭祀と国民の安寧と幸福を祈願すること、これは古代から変りません。陛下はその伝統に則った上でさらに一歩を進め、象徴天皇の本務は死者たちの鎮魂と苦しむ者の慰藉であるという「新解釈」を付け加えられた。これを明言したのは天皇制史上初めてのことです。現代における天皇制の本義をこれほどはっきりと示した言葉はないと思います。(「私の天皇論」『月刊日本』2019年1月)
永田和宏(1947~):「戦争の苛烈な記憶から、初めは天皇家に対して複雑な思いを抱いていた沖縄の人々でしたが、両陛下の沖縄への変わらぬ、そして真摯な思いは、沖縄の人々の心を確実に変えていったように思えます。両陛下のご訪問は、いつまでも自分たちの個々の悲劇を忘れないで、それを国民に示してくださる大きなと希望になっているのではないでしょうか」(『宮中歌会始全歌集』東京書籍 2019年)。永田は、冒頭に紹介しました『象徴のうた』の著者でもあり、2004年戦後生まれの歌会始選者として就任してから、現在に至っています。安保法制の反対を主張していましたし、今回の学術会議の会員任命問題でも異議を唱えている研究者です。

 美智子皇后との交流を重ねて語る石牟礼道子、新天皇の大嘗祭での「おことば」を「お二人に願うことは、お言葉で繰り返された平和を、ずっと希求される<象徴>であっていただきたい」と述べた落合恵子(「両陛下へ」『沖縄タイムズ」2019年11月12日)、 憲法学者の長谷部恭男は、天皇制は、憲法の番外地というし、木村草太は、天皇の人権が大事というし、加藤陽子は、半藤一利を偲んで、「昭和史」シリーズを大絶賛しています。原武史は、いまの天皇が、元旦のビデオメッセージで夫妻揃って、「国民」ではなく、「皆さん」「皆さま」、と呼び掛けていることを評価していました。言葉だけの問題ではないようにも思います。宮内庁にも物申し、着眼のユニークさと多角的な天皇制論を展開されていることには敬意を表しているのですが。
   こうした発言を、どうとらえるのか、どう乗り越えればよいのか、とくに若い世代の天皇制、天皇への無関心という壁にどう対峙していくのかが、今後の課題だと、私は考えています。歌壇では、私に対して、非寛容、視野狭窄、硬直といった声も聞こえるのですが、まだ私の仕事は終わってないような気がしています。

 以下は、当日の話には、触れることができなかったのですが、配布資料には収録したものです。現在、短歌の世界、第一線で活躍する中堅歌人たちの天皇観は次のような作品から読み取れると思いますが、いかがでしょうか。吉川、斉藤の両者とは、かつて、論争になりかけたことがありました。

  • 天皇は死んでゆきたりさいごまで贔屓の力士をあかすことなく
    (穂村弘1962~)(『短歌研究』2006年10月)
  • ゴージャスな背もたれから背を数センチ浮かせ続ける天皇陛下(穂村弘)
    (『短歌往来』2010年2月)
  • 天皇が原発をやめよと言い給う日を思いおり思いて恥じぬ
    (吉川宏志1969~)(『短歌』2011年10月 『燕麦』2012年所収)
  • つまりなるべくしずかに座っててください 察しますから、察しますから(国民統合の象徴でいただく為の文化的貢献こそ、われわれ歌人にしか不可能な、超政治的貢献である)
    (斉藤斎藤1972~)(『短歌研究』2021年1月)

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2021年2月26日 (金)

2月23日「<歌会始>と天皇制」について、報告しました(3)

6.天皇の短歌と現代の「歌会始」の推移
 天皇の短歌と私たち国民との接点は、つぎのようにいくつかあります。

<天皇の短歌と国民との接点>
① 1月1日の新聞など:1年を振り返っての天皇、皇后の短歌の公表
② 1月中旬の歌会始:天皇はじめ皇族、選者、召人、入選者10人の歌ととも
に披講。NHKテレビの中継/当日の新聞夕刊と翌日の朝刊での発表/宮内庁HPでの登載
③ 歌会始の詠進(応募)の勧め、入門書・鑑賞書などへ収録、出版
④ 天皇の歌集、皇后との合同歌集での出版および鑑賞書の出版など
⑤ 在位〇年、死去、代替わりの節目の新聞・雑誌など記事、特集、展示など
⑥ 歌碑など

 なかでも、天皇と国民が一堂に会して、親しく短歌を詠み合うとされる「歌会始」というイベントは、国民と天皇を結ぶ大事なパイプのような役割を果たしている、文化的な伝統的な貴重な皇室行事だからという二つの理由により、大切にしなければならない、と宮内庁サイド、マス・メディア、短歌雑誌、多くの歌人たちが、一丸となって、盛り上げ、宣伝に努めてきたと思います。
 また、天皇・皇后の歌集という形では、昭和天皇の場合は、以下のように大手の新聞社から出版されています。
1951年、皇后と一緒に『みやまきりしま』(毎日新聞社)
1974年、『あけぼの集』(読売新聞社)
1990年、天皇単独の『おほうなばら』(読売新聞社)

 平成の天皇・皇后の場合は、1986年皇太子夫妻の歌集『ともしび』(婦人画報社)、1997年美智子皇后の単独歌集『瀬音』(大東出版社)、1999年、2009年、2019年、10年ごとの3回の記録集「道」(NHK出版)には、夫妻の短歌も収録されています。
 さらに、天皇・皇后はじめ皇族、選者、召人、入選者の短歌が収録された歌会始詠進(応募)のための入門書や鑑賞書は、編者も違え、多くの出版社からたびたび出版されています。
 
さまざまな形で、天皇・皇后の短歌の露出度は大変高くなりましたが、その発表の場の中心でもある「歌会始」は、どんな形で、開催されていたのか、簡単に振り返りたいと思います。私は、これまで、敗戦後からの「歌会始」の変遷を以下のように細かく六期に分けてきました。

<敗戦後の歌会始の推移> 
第1期(1947~52):選者も、戦後当初は御歌所の寄人と呼ばれた千葉胤明、鳥野幸次らが混在、50年にすべてが斎藤茂吉らの民間歌人になる
第2期(1953~58):57年、初めての女性選者四賀光子(太田水穂妻)、茂吉没後、土屋文明。それまで、応募者数千人から1万人前後低迷
第3期(1959~66):1959年4月皇太子結婚、いわゆるミッチーブーム。2万から3万、4万と増え、1964年には4万7000首もの歌が寄せられ、ピークとなり、五島美代子と女性選者二人時代が続く。1960年安保闘争、1961年「風流夢譚」嶋中事件を経て、皇室批判自粛・タブー化
第4期(1967~78):67年佐藤佐太郎、宮柊二選者入り、大衆化進む。67年初の建国記念日、68年明治百年、71年天皇生誕70年、天皇訪欧、76年在位50年行事など続く
第5期(1979~92):戦中派の岡野弘彦(1924~)と上田三四二(1923~1989)の二人の選者入り。89年昭和天皇死去
第6期(1993~):昭和天皇没後1993年からかつての前衛歌人、岡井隆(1928~2020)選者入り

 今回は、第6期、平成期以降にあたる部分の歌会始の特徴を述べたいと思います。

<平成期の歌会始の特徴>
・ 選者の若返り、新聞歌壇選者、話題性のある歌人の登用
・ 入選者の世代的配慮、若年化(中高生を必ず入れる)
・ 短歌ジャーナリズムとの連携(詠進要項掲載、皇族の短歌、歌会始関係記事などの増加)
・ 他の国家的褒章制度との連動(文化勲章、文化功労者、芸術院会員、紫綬褒章、芸術選奨、勲章制度など)
・ 陪聴者選定により選者予備軍、歌会始支援者への配慮
・ 天皇・皇后の短歌のテーマの多角化、平和や慰霊の短歌だけでなく自然や文化、福祉、環境 家族・・・

 かつて、歌会始や歌会始選者を痛烈に批判し、前衛歌人ともされていた岡井隆が選者入りしたのは1993年です。岡井の選者就任の弁は「もはや歌会始は、短歌コンクールの一つに過ぎず」とか「天皇の象徴性は薄らいだ」とか「自分一人が選者になったからと言ってそう変わるものではない」と弁解しながら、2014年まで務めます。「選者ばかりでなく、御用掛も務め、戦争体験者として、体が続く限り、天皇夫妻にお仕えしたいとも語っていました。選者就任当初は、歌壇にも批判の声があがっていましたが、次第に沈静化していきます。 
 2004年には戦後生まれの永田和宏が選者にもなり、今世紀に入ると、歌会始と現代短歌とは、何の違和感もなく融合する時代に入ったと言えます。さらに言えば、平成の天皇夫妻の「平和志向」と相まって、いわゆるリベラル派といわれる人たちまでが、親天皇制に傾いてきたというのが現状だろうかと思います。2015年、岡井と入れ替わりに選者に就任した今野寿美(2008年から選者になった三枝昂之の妻)という女性歌人が、2016年の赤旗の歌壇の選者にもなったのです。同じころ、共産党は、天皇が玉座に座って国会開会の言葉を述べる開会式に、それまで欠席していたのですが、突如参加するようになり、赤旗の発行日付に元号を併記するようになるなどの一連の動きに、大いなる疑問と退廃を感じたのです。象徴天皇制は日本国憲法の平等原則と相入れないとする党の綱領(2004年)と整合性を考え、非常に重要な意味を持っていると考えています。
 以下の年表には、平成期の歌会始の推移と天皇・皇后をめぐる動向
を記載しています。応募歌数の推移、選者の構成なども併せてご覧ください。
 
なお、歌会始選者と他の国家的褒賞制度との微妙な関係にも着目しているところです。選者になることが、例えば芸術院会員や文化功労者への通過点になってはいないか、あるいは、文科省の芸術選奨の受賞者や選考委員を経て、選者に到達するような場合も少なくなはないのではないと思われます。そうした中で、他の褒章はともかく、歌会始の選者だけは、拒み続けている歌人も少数ながら、見受けられないこともないのが現状でしょうか。

「平成期の歌会始の動向略年表」

ダウンロード - e5b9b4e8a1a8efbc92.pdf

 つぎに、平成の天皇・皇后の「平和・慰霊」のメッセージを込めた短歌と「リベラル派」の論者の天皇制について述べたいと思います。(続く)

 

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