2023年12月24日 (日)

引退されたはずではなかったのですか~「上皇」の卒寿報道に見る

 12月23日は、平成期の明仁天皇の誕生日であった。購読紙の朝日新聞は、「上皇さま90歳に」「平成流 求めた旅」(多田晃子)の見出しで、毎日新聞は、「上皇さま 卒寿」(高島博之)「平和願う心 変わらず」(高島博之・村上尊一)の見出しで、それぞれ二カ所で報じられた。読売新聞WEB版では、「上皇さま90歳、規則正しく穏やかな日々…沖縄や戦争と平和への思い今も強く」と報じられている。

 2016年8月、生前退位の意向を公表したテレビでの心痛な面持ちの画面を思い出す。法令上根拠のない、「公的行為」、「公務」を拡大してきた結果でもあったのだろう。例を見ない事態に直面し、私もいささか驚いたが、この高齢社会にはいずれやってくる事案であろうと思ったものある。政府は、慌てて特例法で対処し、同時に表面化した後継者問題は置き去りに、ともかく改元は実現した。現実は別として、当初は、天皇、上皇による二重権威が懸念されていたためか、退位した天皇のメディアの登場は少なくなったかに見えた。その内、コロナ禍にみまわれ、皇室自体の出番は減少した。それが、どうしたことだろう、Cobit19が五類に移行すると、皇族たちの活動報道が増え、明仁前天皇夫妻の動向を報ずるニュースも多くなり、今日に至っている。
 いずれも、「穏やかな日々」を送っているはずの夫妻の静養や旅行の再開、家族との交流、平和を願い、国民を思いつつ、過ごしている様子、そして病状までも、宮内庁提供や代表撮影の夫妻の写真を添えて報ずる紙面構成であった。
 ともに、宮内庁発のあたらしい情報と平成期の天皇夫妻の動向を辿るものであった。朝日、毎日とも、上皇御用掛としてのハゼ研究を支える林公義とのインタビュー記事も同じである。朝日が、羽毛田信吾元宮内庁長官のインタビューを「国民に寄り添う姿 象徴の役割の一つでは」の見出しで伝えている。

 12月1日の愛子さん、9日の雅子皇后の誕生日に続いての記事であったから、宮内庁詰めの記者は忙しかったというより、宮内庁広報室からの情報に、若干のエピソードなどを補っているに過ぎない。

 前のブログ記事で、宮内庁は、焦っているのはないか、とも書いた。皇室への関心が日々薄れてゆく歯止めとして、佳子さんや愛子さんの姿を追い、引退したはずの明仁前天皇夫妻のいわばプライベートに属する情報、画像や映像までも流している。報道されることが分かっているのなら、ご本人たちは、それを拒んでもいいはずなのに、なぜ?である。もともとガードが堅い宮内庁なのだから。

 明仁前天皇の誕生日12月23日、1947年12月23日、当時の皇太子の誕生日に、東京裁判により死刑が確定したA戦犯7人の死刑が執行された日であった。昭和天皇の戦争責任が問われないことになったのも、この東京裁判のさなかであった。 

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2023年11月28日、横浜三渓園の落葉でした。

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急にヒヨドリが立ち寄り始めました。メジロもヒヨのいる合間を縫って、時々やってきます。先日の雨あがり朝、近くの駐車場の水たまりには、ムクドリが群れていました。

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2023年12月18日 (月)

女性皇族は、皇室の広告塔? ~生き残りをはかる天皇制!

                                                                                                                                                                                      

近頃の皇室報道

 12月に入って、皇室の記事がやたら目につくようになった、一年を振り返るということもあるのか。この4月には、宮内庁に広報室が新設されたことにも拠るのだろう。雅子皇后が12月9日に60歳になり、12月1日には愛子さんが22歳になった。私の目にした範囲でも、大きく報道されていたが、皇后については、12月9日、公表された文書での感想と略年表、写真などを付した特集が組まれたりしている。

朝日新聞:「絆と歩む 自らの道」と題して、「誓った社会に貢献」「覚悟と努力の日々」1頁全面と社会面「皇后さま60歳≺また新たな気持ちで一歩を>」の記事(多田晃子)
毎日新聞:「<人の役に>たゆまぬ歩み」と題して、「苦労実り 大輪の花に」「雅子さま60歳 陛下の支えとともに」1頁全面と社会面「<新たな気持ちで一歩> 皇后雅子さま60歳に」の記事(高島博之)
東京新聞:社会面「皇后さま60歳に」「新たな気持ちで歩む」(山口登史)、4面「皇后さま60歳 感想要旨」の2か所の記事

 特集記事の表題や小見出しを見ても明らかなように、皇后の文書での感想をベースに、結婚以来の曲折を踏まえ、勤めに励んできたことを称えるスタンスであった。朝日、毎日では、ともに、皇后の中学時代からの同じ友人を登場させて、その友情にまつわるエピソードを紹介していた。その点、東京新聞の記事は短く、淡々とした報道に思えた。

 さらに、今年の4月に、宮内庁に広報室が新設して以来、皇室記事、とくに私的な動向を伝える報道が増えたような気がする。このところの推移は、前の記事に追加して、以下のような表にしてみた。

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<参考過去記事>
天皇はどこへ行く、なぜインドネシアだったのか(2023年7月28日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2023/07/post-1eb3c3.html

宮内庁広報室全開?!天皇家、その笑顔の先は(2023年6月12日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2023/06/post-9183da.html

 

佳子さんの奮闘は、何を意味するか

 ネット上の朝日とNHKのデータをもとにして、調べて分かったことだが、ほぼ、同じ傾向を示している。一つ違うといえば、秋篠宮家関係が、朝日51件に比べNHKが68件と多いことである。皇位継承者上位二人がいることが配慮されているのだろう。記事内容を見ると、秋篠宮家の佳子さんの記事がかなりの数を占めていることもわかる。

 それというのも、宮内庁のホームページに登載の天皇家と秋篠宮家の「ご活動」をみると、なお明確になる。広報室からの発信と思われるが、ちなみに一家を含め佳子さんの活動件数をみてみると、4~11月において31件、この中には、イベントやペルー訪問に先立っての説明や進講を受けたりした場合も含まれ、10件近く、ほぼ3分の1を占める。これらは記事やニュースにほとんどならない。それにしても、佳子さんの参加イベント、公的な活動と思われるものが記事になり、ニュースになり、もしかしたら、単独活動では一番多いかもしれない。そもそも、女性皇族に「公務」はないので、あくまでも「公的な、純然たるプライベートではない」程度のことではある。

 一方、愛子さんは、ほとんどが天皇夫妻と一緒の活動であって、20件に満たないし、単独の活動は見当たらない。4月ウイーン少年合唱団の鑑賞、御料牧場静養、5月天皇夫妻の即位5年成婚30年記念展見学、8月那須静養、今井信子演奏会鑑賞、9月日本伝統工芸展見学、10月日本赤十字社関東大震災100年展見学、11月三の丸尚蔵館記念展、やまと絵展見学など、ほとんどが純然たるプライベートな活動にすぎない。これらの中には、一家で参加している養蚕関係行事も含むのだが、上記のほとんどが新聞、テレビなどで報道されている。「優雅で、文化的な、仲良し家族で結構ですね」との感想は持つが、報道の価値がいかほどあるものなのか、と思ってしまう。たんなるセレブ?の家族とはちがい、そんな暮らしを、国が、国民がストレートに支え続ける意味はどこにあるのだろうかと。しかし、憲法上存在する制度で、財政的に支えなければならないというのであれば、宮内庁は、全面的に情報を公開すべきであるし、新聞等での「首相の動向」のような欄でも公開すべきであろう。

 さらに、愛子さんの単独活動がないのは、共同通信配信記事「愛子さま、まだ単独公務の予定なし ほかの皇族に比べて遅いデビュー、その本当の理由は」(2023年12月10日)によれば、学業優先が主な理由として挙げられてはいるが、研究者河西秀哉によれば、皇位継承者秋篠宮悠仁の手前、現在皇位継承者ではない立場で、あまり目立ってはいけないという配慮があると言い、小田部雄次によれば、皇位継承問題が決着しない限り、単独公務はかなり難しいのではとの見解を紹介している。

 となると、佳子さんの今の活動ぶりは何を意味するのか。いわゆる公的活動を拡大して、さまざまな活動に積極的なのは、彼女自身の意向というよりは、宮内庁の方針で多様なオファーにつとめて応えているというのが実態なのではないか。

 皇位継承者と目されることもなく、いずれ皇室を離れるだろうから、いま一番人気の彼女にはどんどん励んでいただこう、広告塔のお役を果たしてもらおうというのが宮内庁、広報室の本音ではないかとも思えてくる。

 

たしかに宮内庁は、焦っている

 12月1日には、こんな記事も出ていた。「識者に聞く皇室」と題しての君塚直隆へのインタビューである(聞き手、須藤孝。『毎日新聞』2023年12月1日)。「生き残るため 国民の前へ」と題して「広報 隠すより赤裸々に」の見出しのもとに「政府や宮内庁の広報は発信(だけ)ではなく、隠したり抑えたりしています」、スキャンダルを恐れているのかもしれないが、スキャンダルはどの王室にもあるので、隠すのではなく、赤裸々に示して理解を求めた方がよい。さらに、政府の足らざるところ、弱者への対応を補っていくことを提案している。「赤裸々」だったかは別として、政府や宮内庁は、すでに、必死になって発信し、皇族たちも、戦争被害者、災害被災者、病者、障がい者など、いわゆる弱者と呼ばれる人々への「心のケア」を担ってきたことだろう。とくに、平成期の天皇夫妻が、見ていても痛々しいほど努力してきたことを垣間見てきたが、なぜ、これほどまでにして、天皇制は生き残らねばならないのだろうか。

 政府は、皇位継承者問題を先送りし、日本共産党も民主主義とは相容れない天皇制へのすり寄りを見せ、フェミニストたちでさえ、女系・女性天皇待望論を語り、差別の根源たる天皇制自体の問題から逃げているとしか思えない。宮内庁は、この難しい局面に立って焦っているのではないか。

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2023年11月20日 (月)

<座談会>、かなり緊張したのですが。

 11月18日、土曜の午後、G—W—G (minus) 同人の方からのご依頼で座談会に参加しました。同人の三方、位田将司さん、立尾真士さん、宮沢隆義さん、どなたも近代文学の若い研究者で、G—W—G (minus) のバックナンバーを一部拝読、これは手ごわいぞ、の第一印象でした。座談会に至るまでは、進行や資料など丁寧に対応していただき、1週間前にはzoomの打ち合わせもしていただきました。

 会場は、私の住まいの近くの古民家カフェ「入母屋珈琲」の2階の広々とした会議室、入るなり、中央のテーブルにはなんと、写真のように、私のこれまでの著作、収録された論文集、雑誌のコピーまでが、積まれているのを目にして驚き、もはや感動に近いものがありました。私も、拙著の一部や1960年代の雑誌などを持参しましたが、机上のこれらの資料から突っ込まれると、かなりの覚悟が・・・、などと思ったのですが、話が始まると、三人は各様に、私の4冊の歌集や拙著を読まれていて、おぼつかない私の話をうまく掬い取ってくださりで、あっという間の4時間!でした。多くの刺激をいただきました。

 当日の夕方には、以下のツイートにも。 

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本日、歌人の内野光子さんと座談会をおこないました。短歌と天皇制の関係を中心に、「60年安保」及び「68年」と短歌、阿部静枝と『女人短歌』、齋藤史と『万葉集』、前衛短歌、そして「歌会始」の問題を大いに議論しました。2024年5月刊行予定の『G-W-G(minus)』08号に掲載予定です。乞うご期待! pic.twitter.com/7y1qnDWvmx

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2023年8月31日 (木)

「雨の神宮外苑~学徒出陣56年目の証言」(2000年)における「加害」の行方

江橋慎四郎

 前の記事をアップしたあと、どうしても気になっていたのが、神宮外苑の学徒出陣壮行会で、学徒を代表して答辞を読んだ江橋慎四郎(1920~2018)であった。その答辞は漢文調で、番組で聞いただけではすぐには理解できないところも多かった。後で資料を見ると「生等今や、見敵必殺の銃剣をひっ提げ、積年忍苦の精進研鑚を挙げて、悉くこの光栄ある重任に獻げ、挺身以て頑敵を撃滅せん。生等もとより生還を期せず。」の「生等もとより生還を期せず」がいろいろと問題になっていることを知った。「生等(せいら)」というのも聞き慣れない言葉だったが、「生還を期せず」と誓った本人が、戦後、生還したことについて、いろいろ取りざたされたらしい。

 江橋は、出陣後の12月に陸軍に入隊、航空審査部に属し、整備兵として内地を転々、滋賀で敗戦を迎えている。戦後は、文部省を経て、東大に戻り、研究者の道を選び、「社会体育学」を専攻している。東大教授などを務めた後、国立の鹿屋体育大学創設にかかわり、1981年初代学長となっている。この間、「生還」したことについてのさまざまな中傷もあったりしたが、反論もせず、学徒出陣や兵役について語ることはなかったという。

 ところが90歳を過ぎた晩年になって、マス・メディアの取材にも応じるようになった。その一つに「終戦まで1年9カ月。戦地に向かうことはなかった。代表を戦死させまいとする軍部の配慮はあったかもしれない。ただ、当時はそう考える余裕もなかった」、 「僕だって生き残ろうとしたわけじゃない。でも、『生還を期せず』なんて言いながら死ななかった人間は、黙り込む以外、ないじゃないか」と語り、記事の最後では、「自分より優秀な学生もいたが、大勢が亡くなった。自分が話すことが、何も言えずに亡くなった人の供養になる。最近そう思っている」と結ぶ(「学徒出陣70年:「生還期せず」重い戦後 答辞の江橋さん」『毎日新聞』 2013年10月20日)。
 亡くなる前年の2019年になって、『内閣調査室秘録―戦後思想を動かした男』 の刊行に至った志垣民郎の心境と共通するものが伺える。

田中梓さん

壮行会に参加し、「雨の神宮外苑」に出演の田中梓さんが、今年の1月に99歳で亡くなっていたことを、数日前に届いた「国立国会図書館OB会会報」73号(2023年9月1日)で知った。田中さんは、私が11年間在職していた図書館の上司だった。 といっても部署が違うので、口をきいたこともなく、管理職の一人として、遠望するだけのことだった。ここでは「さん」づけ呼ばせてもらったのだが、温厚な、国際派のライブラリアンという印象であった。

「戦争体験」の継承、「受難」と「加害者性」

 この記事を書いているさなか、朝日新聞に「8月ジャーナリズム考」(2023年8月26日)という記事が目についた(NHKのディレクターから大学教員になった米倉律へのインタビューを石川智也記者がまとめている)。前後して、ネット上で「わだつみ会における加害者性の主題化の過程― 1988 年の規約改正に着目して」(那波泰輔『大原社会問題研究所雑誌』764号2022年6月
http://oisr-org.ws.hosei.ac.jp/images/oz/contents/764_05.pdf)を読んだ。後者は、一橋大学での博士論文のようである。

(1)「8月ジャーナリズム考」(『朝日新聞』2023826日)
「8月ジャーナリズム」を3つに類型化して、①過酷な「被害」体験と「犠牲」体験を語り継ぐ「受難の語り」 ②戦後民主主義の歩みを自己査定する「戦後史の語り」 ③唯一の被爆国として戦争放棄を誓った「平和主義の語り」とした。「ここでは、侵略、残虐行為、植民地制覇などの『加害』の要素は完全に後景化しています。描かれているのは、軍国主義の被害者となった民衆という自画像です」と語り、「受難の語り」に偏重、「加害の後景化」への警鐘だと読んだ。「後景化」というのも聞き慣れない言葉だが、「後退」の方が十分伝わる。「加害」の語りが活発になったのは、戦後50年の1995年前後、歴史教科書問題、従軍慰安婦訴訟などを通じて戦争責任や歴史認識を問い直す記事や番組が多くなったが、それが逆に、右派からの激しい抗議や政府の圧力や新保守主義の論者の批判によって記事や番組は萎縮して、現代に至っていると分析する。

 しかし、私からすれば、外圧によって萎縮したというよりは、たとえば、NHKは、自ら政府の広報番組と紛うばかりのニュースを流し続けている。加えて、「受難」の語りに回帰したというよりは、むしろ積極的に昭和天皇や軍部、政治のリーダーたちの苦悩や苦渋の選択に、ことさらライトをあてることによって、加害の実態を回避しているようにしか見えないのである。「忖度」の結果というならば、番組制作の現場の連帯と抵抗によって跳ね返す力を見せて欲しい。そのあたりの指摘も見えない。現場から離れたNHKのOBとしての限界なのか。 NHKの8月の番組を見ての違和感やモヤモヤの要因はこの辺にあるのだろう。

 ここで、余分ながら、NHKのアナウンサーや記者、ディレクターだった人たちが定年を前に、民放のアナウンサーや報道番組のコメンテイター、大学教員となって辞めていく人々があまりにも多い。NHKは、アナウンサーや大学教員の養成機関になってはいないか。私たちの受信料で高給を支払い、年金をもつけて、養成していることになりはしまいか。受信料はせめてスクランブル制にしてほしい所以でもある。

2)那波泰輔「わだつみ会における加害者性の主題化の過程― 1988 年の規約改正に着目して」(『大原社会問題研究所雑誌』76420226月)
 那波論文は、「わだつみの会」の変遷を ①1950~58年『きけわだつみのこえ』の出版を軸に記念事業団体の平和運動体 ②1959~戦中派の知識人中心の思想団体 ③1970~天皇の戦争責任を鮮明にした運動体 ④1994~『きけわだつみのこえ』の改ざん問題で、遺族のらが新版の出版社岩波書店を訴えたことを契機に戦後派の理事長が就任した運動体 と捉えた。とくに、第3次わだつみ会の1988年になされた規約改正の経緯を詳述し、人物中心ではない、組織や制度からの分析がなされている。

 規約改正とは、以下の通りで、「戦争責任を問い続け」が挿入されたことにある。
・1959 年 11 月(改正前) 第二条 本会はわだつみの悲劇を繰り返さないために戦没学生を記念し,戦争を体験した世代と戦争体験を持たない世代の協力,交流をとおして平和に寄与することを目的とする
・1988 年 4 月(改正後) 第二条 本会は再び戦争の悲劇を繰り返さないため,戦没学生を記念することを契機とし,戦争を体験した世代とその体験をもたない世代の交流,協力をとおして戦争責任を問い続け,平和に寄与することを目的とする

 1988年以前から、天皇の戦争責任のみならず戦争体験者の加害者意識の欠如や戦争責任に対しての不感性を指摘する会員もいたが、この時期になって、会の担い手は戦後派が多くなり、会員の対象を拡大、思想団体を越えて行動団体への移行を意味していた、とする。さらに、「現在のわだつみ会は、さまざまな会の規約改正が政治問題にコミットし、戦争責任や加害者性にも積極的に言及しており、こうした現在の方向性は1980年代の会の規約改正が影響を与えている」とも述べる。
 しかし、現在のわだつみ会の活動は、私たち市民にはあまり聞こえてこないし、時代の流れとして、先の(1)米倉律の発言にあるように、戦争責任の追及や加害者性は、今や後退しているのではないだろうか。 

 余分ながら、那覇論文にも、学徒兵と他の戦死者を同列に扱うことによって「学徒兵がわだつみ会の中で後景化した」という記述に出会った。若い研究者が、好んで使う「視座」「通底」「切り結ぶ」などに、この「後景化」も続くのだろうか。

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8月の半ばに、2週間ほど続けてゴーヤをいただいた。ご近所にもおすそ分けして、冷凍庫で保存できると教えていただいた。ワタを除いて刻み、ジッパーつきのポリ袋に平らに詰めて置けばよいということだった。なるほど。

 

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2023年7月28日 (金)

天皇はどこへ行く、なぜインドネシアだったのか

  4月以降、メディアにおける皇室情報氾濫の予兆を、以下の当ブログ記事はつぎのような書き出しで指摘していた。その皇室情報の実例を一覧にしていたが、6月中旬の天皇夫妻のインドネシア訪問を経て、さらに拍車をかけたようである。
「新年度4月以降、宮内庁に広報室が新設されたのと、Coronaが2類から5類に移行し、感染対策の緩和がなされたことが重なり、一気に皇室報道が目立ち始めた。」

宮内庁広報室全開?!天皇家、その笑顔の先は(2023年6月12日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2023/06/post-9183da.html

   印象だけに頼っていてはいけないので、数量的に示せないものかと、思案していた。最良の方法とは思えないが、いつもの悪いクセで、天皇記事大好きな?『朝日新聞』のデジタル配信記事とNHKの配信記事との統計を取ってみたところ、当初の予想とはかなり違っていた。その概略を、以下の表にまとめた。けっこう手間ヒマかかってしまったのだが、1・2の読み違いはご容赦ください。ここから見えてくるものは何か考えてみたい。

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 ダウンロード - e59bb3e8a1a8e79a87e5aea4e68385e5a0b1.pdf

  6月に、二つのメディアにおいて天皇家の記事が突出しているのは、6月中旬に天皇夫妻がインドネシアを訪問したからであり、天皇にとっては即位後初めての外国訪問であり、皇后にとって二人揃っての外国訪問は21年ぶりのであることが喧伝された。また5月に秋篠宮家の記事がやや多めなのは、秋篠宮夫妻が英国チャールズ国王の戴冠式に参列したためである。

 なぜ、インドネシアだったのか

 政府は、天皇夫妻のインドネシア訪問を6月中旬以降に予定していると、4月6日に発表していた。6月17日から23日までのインドネシア訪問が、正式に閣議決定されたのは6月9日であった。なぜ、インドネシアなのかは、日本との外交関係樹立65周年に当たり、ASEANN友好協力50周年に当たるからというものであった。「グローバルサウス」の主要国であるインドネシアとの関係強化、中国との関係での軍事的な連携などを強めたい政府の意図は明らかであろう。経済的にも、インドネシアには、日本からは多大の投資や技術援助がなされ、自動車や電気機器の市場であり、インドネシアからは、ゴム、液化ガス、パルプ、魚介などの天然資源を輸入している上、現地の安い労働力を利用する多数の日本の工場が進出している。我が家でもインドネシア産のエビが食卓にのぼるし、メイド・イン・インドネシアの下着なども見かける。セブンイレブンなどのコンビニ、吉野家や丸亀製麺などのレストランチェーンなどの進出も著しいという。

 そんな両国の関係を十分理解した上だと思うが、天皇は訪問前の記者会見で、室町時代にゾウがやってきたことや近くはニシキゴイの交配による交流についてはともかく、都市高速鉄道や排水事業、砂防事業などへの日本の技術援助や東日本大震災時のインドネシアからの支援などによる交流を強調していた(「戦後生まれの陛下 模索の旅」『朝日新聞』6月18日、「両陛下、あすインドネシアへ」『毎日新聞』6月16日)。

 しかし、私がもっとも関心を持ったのは、太平洋戦争下の1942年から、日本が占領していた時期、現地で強制動員された“労務者”や食料の強制供出などによる犠牲者とオランダ軍の捕虜4万人、オランダ系民間人9万人の強制収容による犠牲者たちに、天皇はどう向き合うかであった。太平洋戦争にかかわる歴史を記者から問われ、つぎのように答えている。
先の大戦では世界各国で多くの尊い命が失われ、多くの方々が苦しく悲しい思いをしたことを大変痛ましく思う。インドネシアとの関係でも難しい時期があった。過去の歴史に対する理解を深め、平和を愛する心を育んでいくことが大切ではないかと思う」

 「先の大戦では世界各国で多くの尊い命が失われ」と、問題を普遍化し、インドネシアとの関係では「難しい時期があった」とさらりとかわし、「痛ましく思う」「理解を深め」「平和を愛する心を育んで」・・・と、反省もなく「未来志向」へと“安全に”着地するのである。訪問先の日程を見ても、日本の占領下から脱し、再びオランダからの独立戦争による犠牲者たち、インドネシア人とともに闘った残留日本兵たちが埋葬されている「英雄墓地」には参拝するが、日本の占領下での犠牲者たちへの慰霊の言葉もなく、姿も見えない。ここには、日本政府の強い意図が感じられ、所詮、天皇は、時の政府の見えずらい籠の中の存在でしかないのではないか。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      

上皇夫妻報道と佳子さん報道は何を意味するか

 私がこれらの作業する中で、つぎに着目したのは、上皇夫妻のメディアへの登場とその頻度であった。いまの憲法上、天皇に格別の権威があるとは認めがたいが、平成期の天皇の生前退位表明以降、退位後の旧天皇「上皇」と現天皇の二重権威への懸念が取りざたされた。それを払しょくするために、なるべくひそやかに暮らすかに思えたが、どうだろう。上記の表で、天皇・秋篠宮関連以外の皇族たちの報道の半分、朝日の18件中9件、NHKの12件中6件が、上皇夫妻の記事であった。その大半は、5月中旬の奈良・京都訪問の記事であった。7月24日から28日までの那須御用邸での静養報道に先だって、上皇夫妻は、「お忍び」で7月6日正田邸跡地の公園、19日には、東京都美術館のマチス展・東京都写真美術館の田沼武能作品展に出かけているのを、朝日は報じている。「お忍び」と言いながら。宮内庁と朝日の見識を疑ってしまう。主催者の美術館にしてみたら、これとない宣伝効果が期待されるに違いないが、利用されていて良いものか。また奈良・京都訪問も、いわば後期高齢者のセンチメンタル・ジャニーかもしれないが、出迎える側の警備や準備の負担を考えてしまう。「葵祭」の際は、街中にテントまでしつらえての見学であった。
 つぎに、全般的に、皇嗣秋篠宮関連報道に熱心なのがNHKだったと言える。次期天皇家を見据えてのことなのか、佳子さんの仕事ぶりをこまめに報じているのもNHKであった。若年層の視聴者を意識してのことなのか、とも思うが、皇室への関心がもはや薄れてしまっているなかで、どれほどの視聴効果があるのかは疑問である。

 週刊誌では、しばらく下火になったといえ、小室圭・眞子夫妻に関する記事は、いまだに続いている。ことしの3月、秋篠宮家は改修された住まいに移ったが、次女佳子さんが、仮住まいに住み続けているという別居問題がたびたび報じられ、宮内庁の対応の混乱も重なって、関連記事が増えた。朝日やNHKでも小さい記事となって報じられた。巨額を投じて改修した住まいに、自分の部屋がないから移る・移らない、工事費を節約したために生じた問題だとか、いまの若者たちの現実との乖離の大きさに気づかないのだろうか。
 なお、朝日新聞は、インドネシア訪問後の6月24日の社説で「天皇外国訪問 政府の姿勢が試される」が掲載され、「国益」を掲げて天皇や皇族を利用して疑念を持たれることのないようにという「警告」をするにとどめ、NHKは、この4か月間、社説とも言うべき「時論公論」や「視点論点」に、天皇に関する記事は見当たらなかった。

 憲法に定められた「国事行為」を超えて、「公務」をとめどなく拡大し、「私的」な活動も国費で賄われていることを知った国民は、やがて、天皇や皇室自体への疑問は増すばかりだろう。

「国民に寄り添う」の名のもとに、国民の暮らしに何ら寄与しない、いや、差別や分断の根源というべき天皇や皇室自体の存在は、今こそ問われなければならないと思う。

 なお、昨年の同じ時期、2022年4月~7月の朝日新聞の皇室情報も調べていたので参考までに。まだコロナが2類の時期であったため総数は少ない。秋篠宮家が多いのは、4月の「立皇嗣の礼」関連の記事が多かったためである。
 記事総数70+総合記事9,天皇家24件、秋篠宮家26件、他の皇族20件であった。

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2023年7月 5日 (水)

来年の「歌会始」選者は~篠弘の後任は大辻隆弘だった

7月1日、宮内庁から来年の歌会始選者の発表があった。選者の一人篠弘が昨年12月に死去したのに伴い、その後任が大辻隆弘となったのである

 従来の4人に加えて、61歳の大辻が加わったことで、少しは若返ったことにはなる。その報道記事における選者の肩書はメディアによってさまざまなのだが、共同通信の配信記事(2023年7月1日)によれば、以下のようであった。

 三枝昂之(79)=山梨県立文学館館長、日経歌壇選者▽永田和宏(76)=京大名誉教授、歌誌「塔」選者▽今野寿美(71)=現代歌人協会会員、歌誌「りとむ」同人▽内藤明(68)=早稲田大教授、歌誌「音」発行人▽大辻隆弘(62)=現代歌人協会会員、未来短歌会理事長

 他のメデイアも含めて、その肩書が、どう見てもちぐはぐなのが気になった。「現代歌人協会会員」となれば全員がそうだろうし、結社の「役職」などから言えば、 三枝は『りとむ』発行人、元日本歌人クラブ会長。永田は『塔』の元主宰であり、朝日歌壇選者。今野は『りとむ』編集人であり、三枝の妻である。大辻は、岡井隆没後2020年7月から一般社団法人未来短歌会理事長・『未来』編集発行人であり、『日本農業新聞』の歌壇選者とコラム「おはよう名歌と名句」の執筆者だったのを見かけたことがあるが、現在も続いているらしい。20年ほど前は、同じようなコラムを草野比佐男が担当していたのだが。

 私は、下記の3月の本ブログ記事で、篠弘の後任として、たぶん女性が起用されるのではないかなどと予想して、歌会始召人に招ばれたことのある栗木京子、小島ゆかりの名をあげ、男性では坂井修一などの名を挙げていたが、見事に外れたわけで、これはこれで、妙な懸念が晴れてよかったと思っている。

 『未来』の岡井を継承した編集発行人の大辻が歌会始選者になって、なんの不思議もないのだが、私には、1992年岡井隆が歌会始選者になったときの歌壇の反応を思い起すのであった。「前衛歌人が歌会始選者に」と歌壇に衝撃が走ったし、『未来』誌上でも、それをテーマに特集が組まれ、岡井隆の弁明まで掲載された。これを機に未来短歌会を離れる歌人もいたのである。私自身は、拙著『短歌と天皇制』(風媒社1988年10月)に収録したエッセイで示していたように、予想はついていたので「さもありなん」の思いであった。

 今回、『未来』はどんな反応を示すのだろうか。短歌コンクールの一つの選者就任として受け流すのか、祝意?を示すのか・・・。他の結社とて、『りとむ』『塔』『音』の三人は、選者であることを十分に「利活用」をし続けてきたように見受けられる。岡井隆、永田の妻の河野裕子、篠弘のように最晩年まで、この居場所を去らないであろう。この「国家的短歌コンクール」の状況――応募者数の低迷、応募者の高齢化は進み、宮内庁辺りは、こうした状況の打開を図りたいところと思うが、今回の選者選びには反映されず、結果的に見れば「歌壇政治」「男性社会」を象徴するような人事に思えたのである。「歌会始」は当分細々と続くだろう。

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2019年2月17日「歌壇時評」(朝日新聞)

 

以下は、上記、大辻隆弘の『朝日新聞』の歌壇時評「短歌と天皇制」(2019年2月17日)について当時評した当ブログ記事である。

「短歌と天皇制」(2月17 日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(1): 内野光子のブログ (cocolog-nifty.com) 
「その反省から出発した戦後短歌」ってホント?(2019年2月25日)

「短歌と天皇制」(2月17日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(2): 内野光子のブログ (cocolog-nifty.com)
「戦後短歌は皇室との関係を結ぶことに慎重だった」のか(2019年3月1日)

「短歌と天皇制」(2月17日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(3): 内野光子のブログ (cocolog-nifty.com)
「天皇制アレルギー」って(2019年3月5日)

「短歌と天皇制」(2月17日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(4): 内野光子のブログ (cocolog-nifty.com)
「無反応」だったのか(2019年3月5日)

 私としては、令和の天皇制の行方と、短歌にかかわるものとして「歌会始」の行方を見極めたい。宮内庁が皇室情報を発信すればするほど、天皇制自体への疑問が拡散し、「歌会始」も細るだけ細ればいいと期待しているのだが。

 

 

 

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2023年6月12日 (月)

宮内庁広報室全開?!天皇家、その笑顔の先は

 新年度4月以降、宮内庁に広報室が新設されたのと、Coronaが2類から5類に移行し、感染対策の緩和がなされたことが重なり、一気に皇室報道が目立ち始めた。

 5月以降、私自身が新聞・テレビで目についた報道から天皇・皇后はじめ皇族の動向を拾い上げただけでも、以下のようになった。天皇には、内閣の助言と承認を得て行う国事行為について、憲法第三・四条・七条に定められており、国事行為は限定的であり、皇室典範に定めのある儀式は、即位・大喪の礼のみである。たとえば、以下、この一カ月余りの活動は、そのほとんどが私的活動とみてよい。いわゆる「公的行為」について、法律上の基準はなく、平成期における天皇は皇后とともに、この「公的行為」を創出、拡大してきた経緯があり、定着したかのような様相を呈していたが、代替わりとCorona禍により、そうした行為、活動は、中止や縮小、オンラインなどで実施されることが多かった。が、どうだろう、天皇家、皇族の写真や動画が溢れだしたのである。

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 上記の表の備考に、純然たる私的行為と思われるものに「私」を記してみた。そうでないものについて、例えば、戴冠式参列(1953年、エリザベス女王戴冠式に皇太子参列)、園遊会主催(1953年~)、植樹祭参加(1950年~)などにしても、法的な根拠はなく、新憲法下の昭和期、平成期において、たんに「恒例」として実施されてきた行事に過ぎない。行事の筆頭に、第○回と付されているものは、その限りの沿革であることがわかるし、備考欄に、「○年~」と記したものもある。
 今回、突如、発表されたインドネシア訪問は、即位後初めての親善訪問とされ、皇后も同行することが注目されている。この国が選ばれたのは、現在、外交的にも経済的にも密接な関係を保ち、対日感情も東南アジアの中では良好とされているからであろう。

 しかし、アジア・太平洋戦争時1942年から、日本の軍政下にあった三年半の間、コメの強制供出や労務者の強制徴用、さらには、日本語、日の丸、君が代などを強要された世代は、もちろん、犠牲となった現地人の遺族たちの存在も忘れてはならないはずである。彼らには、いったいどのように対応するのか、関係省庁と調整中なのであろう。

 こうした親善の訪問と戦争犠牲者のいわゆる「慰霊の旅」は、平成期に増大した。昭和・平成期において、皇太子時代を含めて明仁天皇夫妻は沖縄へ11回も訪ねていることでも明らかであろう。それに加えて、被災地訪問も随時実施され、「公務など」と括られ、拡大されていった。
 このような「公的行為」には、必ず訪問先や移動時の警備体制や訪問先の受け入れ準備に多大の業務と費用が伴うはずである。「国民に寄り添」うことによって「慰撫され」「励まされ」る人々を生み出したかもしれないが、実質的な解決や成果につながることは、まずなかった。
 令和期の今に至って、こうした「公的行為」の環境が整ったことになるのか。

 また「私的行為」によって、三代にわたる「理想的な」家族像を発信できたとしても、それがいったい何の意味があるのだろう。
 若い人たちは、非正規という不安定な働き方を強いられ、結婚も出産もできない。大事に育てられるべき子どもたちは、家庭や学校で不安定な日々を送っている。社会保険料は値上げされ、高齢者の年金は抑えられ、老後生活への不安は尽きない。
 この現実と天皇家の風景との落差は、何なのか。すべての差別の根源ともいえる天皇制、この辺で、じっくり立ち止まって考えてみなければ。

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2023年5月25日 (木)

どうする!<天皇制>~イギリスの君主制が手本?

 

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5月6日「NOT MY KING」などを掲げ、
トラファルガー広場に集まった人々、多くの人が黄色いものを身に着けている。戴冠式も英国国教会の教義を守ることを宣誓する宗教的儀式であるが、全額国費でおこなわれ、約166億円と言われている。イギリスにおいても2018年の世論調査では無宗教が52%を占めているという。

 ハフポストUS版によれば、5月6日、イギリスの戴冠式当日、デモの前やデモのさなかに50人以上が逮捕された。メトロポリタン警察の関係者は「我々は、関連する法律に従い適切に取り締まる義務があります。また、抗議が犯罪に発展し、混乱を引き起こす可能性がある場合に介入する義務もあります」と主張するが、その法律というのは、戴冠式に先立つ5月3日に施行された、警察による平和的なデモの取り締まりをより強固にする「公共秩序法」だったのである。
 しかし、ロンドンのトラファルガー広場に集まった市民たちは、戴冠式反対、君主制反対のプラカードをかかげ、戴冠式が行われるバッキング宮殿へと行進した。

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バッキンガム宮殿に向かうデモ隊、大きなプラスターには「君主制反対」とあり、黄色い帽子の女性は「バッキンガム宮殿をホームレスのシェルターに」と訴えているではないか。右側の高く掲げられているプラスターの文字がはっきりしないのだが、下の方には「GENOCIDE PAST」上方には「CRUMBLING UNDEMOCRATIC HANGOVER」(反民主手的な遺物を粉砕?)と読める。写真の2枚は下記より借用
https://www.huffingtonpost.jp/entry/anti-monarchy-group-slams-coronation-arrests_jp_64584bbce4b0452cee9e9428

 

   日本での天皇代替わりの一連の儀式を思い出さないわけにはいかない。2016年8月8日の明仁天皇の生前退位表明以来、政府、皇族周辺が急にあわただしく動き出し、17年6月16日には“静かな環境の中で”議論したという「天皇退位特例法」が公布された。19年4月1日には新元号「令和」が発表された後の、出典が「万葉集」ということで、歌人まで巻き込むほどだった。19年5月1日に徳仁皇太子の新天皇即位前後の一連の儀式を経て、19年11月14・15日には「大嘗祭」が行われた。5月1日は「剣璽等承継の儀」は何やらあやしい「三種の神器」の受け渡しに始まり、即位後朝見の儀、10月に入って、即位礼正殿、三日にわたっての饗宴、11月22日祝賀御列の儀と続き、あの異様な雰囲気の中で進められる大嘗祭に至るのである。

 しかし、これらの儀式に先立つ2018年10月1日、詩人や研究者、宗教家ら13人が、これら一連の儀式が、憲法の「政教分離」「主権在民」の原則に照らして多くの問題をはらみ、これらに対する国費、税金が支出されるのは明らかに違憲と考えられるので税金の支出の差し止め請求と違憲を求める訴訟を呼びかけた。呼びかけ人の一人、関千枝子さんから、原告になってくださいとの丁寧なお手紙をいただいた。関さんとは、その数年前、市川房枝記念会での講演会を聞きに伺ったとき以来、私の方から年賀状などを差し上げる間柄であった。私たち夫婦は、訴訟委任状に納税を証明する書類、源泉徴収票のコピーを裏に貼って、提出した。2018年12月10日、原告241人と13人の代理人弁護士は、東京地裁に「即位の礼・大嘗祭等違憲差止請求」訴訟を提訴した。その後原告は最終的に318人となった。提訴当時はさまざまなメディアで報じられたので、覚えていらっしゃる方も多いだろう。その後、差止請求が分離され、最高裁でも棄却され、終結してしまったが、現在は、即位・大嘗祭違憲訴訟の「国家賠償請求」分の口頭弁論が続いており、さまざまな曲折はありながら、2023年5月31日に第15回口頭弁論、6月21日に第16回口頭弁がなされる。弁護団は大部の準備書面を提出しているにもかかわらず、被告側の国の代理人弁護士は何もしない、何も言わない、という不誠実な対応が続いているという。東京地裁の裁判官は、原告の証人尋問は認めても、研究者らの証人尋問は「陳述書」で足りるとして、直接口頭での証言は必要ないという姿勢をとっているのが現況である。

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下記の「即位・大嘗祭違憲訴訟の会NEWS」の最新号と一緒に届いたリーフレットである

 

 なお、この代替わりの儀式に、いったいどれほどの国費が費やされたかというと、以下の表がわかりやすい

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『東京新聞』の調査による。記事本文「皇位継承式典関係費133億円、当初予算より支出27億円減、18~20年度、概要などの公表なく」(2021年7月15日)。たしかに、2018年12月皇位継承式典事務局作成の「皇位継承式典関係(一般会計)予算額(案)」によれば、160億8500万であり、その詳細も分かる。なお、この「予算額(案)」では、昭和から平成の代替わりの折の予算額とも比較できる。
https://www.kantei.go.jp/jp/content/yosangakuan31_ichiran.pdf

 

   裁判の進行は、「即位・大嘗祭違憲訴訟の会NEWS」01号(2019年1月25日)から17号(2023年5月9日)によって知ることができるのだが、コロナ禍とも重なり、いまだ傍聴には出かけていない原告で、申し訳ない気持ちでいっぱいである。

 原告になってと誘ってくださった関千枝子さんは、2021年2月に逝去された。「後期高齢者、人生最後の闘いになるかもしれません」などとお手紙にあったが、裁判所へ出かければお目にかかれるものと思っていながら、私の怠慢が悔やまれるのであった。

 

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2023年4月 3日 (月)

宮内庁の「広報室」って、何を広めようとするのか

 4月1日に、宮内庁総務課に「広報室」が新設され、その室長が決まったという。報道によれば、職員は、従来の記者クラブ対応の総務課報道室(15人)からの5人と兼務職員、増員3人と併せて9人、増員のうち1名は民間出身でのスタートで、室長が、警察官僚から起用された女性であった。茨城県警捜査二課、警視庁組織犯罪対策総務課長を経て、警察庁外事課経済安全保障室長からの転任である。暴力団、外国人犯罪対策、国際的な経済犯罪対策にかかわってきた経歴の持ち主が宮内庁へというのだから、ただならぬ人事といった印象であった。

 そもそも、広報室新設の背景には、秋篠宮家長女の結婚や長男をめぐっての情報が報道やネット上に氾濫したことや秋篠宮が記者会見で、事実と異なる場合に反論するための「基準作り」に言及したことなどがあげられる。

 現に、広報室は、皇室への名誉を損なう出版物に対応する専門官、あたらしい広報手法を検討する専門官も置き、SNSを含めた情報発信の強化を目指し、さらに1人、民間からの起用を予定しているという。

 ということは、裏返せば、皇室報道の規制強化、広報宣伝による情報操作をも意味するのではないか。

 象徴天皇制下にあっても、深沢七郎「風流夢譚」事件(1960年)、嶋中事件(1961年)、天皇制特集の『思想の科学』廃棄事件(1961年)、小山いと子「美智子さま」連載中止、(1963年)、富山県立美術館カタログ販売禁止(1987年)・・・にみるような皇室情報のメディア規制が幾度となく繰り返されてきた。その結果として、現在にあっても、メディアの自主規制、タブー化のさなかにあるともいえる。逆に、新聞やテレビが昭和天皇の在位〇年祝賀、昭和天皇重病・死去、平成期における天皇の在位〇年祝賀、生前退位表明・改元の前後の関係報道の氾濫状況を目の当たりにした。

 メディアの自主規制が日常化する中で、広報室長は、記者会見で「天皇陛下や皇族方のお姿やご活動について皆様の理解が深まるよう、志を持って取り組んでいきたい」と述べたそうだ。

 <マイナンバーカード普及宣伝>を民間の広告代理店にまかせたように、宮内庁も<電通>?人材を入れたりして、大々的にというより、格調高く、丁寧な?広報を始めるのだろうか。

 現在の天皇・皇后、皇族たちへの関心が薄弱になってきている現状では、情報が発信されれば、されるほど、「なぜ?」「なんなの?」という存在自体を考えるチャンスになること、メディアが確固たる自律性を取り戻すことを期待したい。

 

わが家の狭庭には桜はないけれど、春は一気にやって来た。 

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3月29日、黄スイセンは、かなり長いあいだ咲いていた。

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3月31日、レッドロビンを越え、モクレンは2階に届くほど。

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4月4日、奥のツバキは、ほぼ散ってしまったが

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2023年3月 9日 (木)

来年の「歌会始」はどうなるのだろう

 『ポトナム』三月号に歌壇時評を書きました。

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 一月一八日の午前中、NHKテレビによる皇居での「歌会始」、忘れずに、いま、見終わった。コロナ禍のもとでの開催は三年目で参加者全員のマスク着用、距離を置いての着席、陪聴者をかなり少なめとするのが定着したようだ。皇族は、天皇・皇后のほか、秋篠宮家からは夫妻と次女、三笠宮、高円宮両家の母娘、合わせて九人であったか。天皇家の長女は学業優先で不参加ということが前日から報道されていた。入選者一〇人と選者の内藤明、召人の小島ゆかり、皇族代表の何首かが朗詠された後、天皇の短歌が三回朗詠されて終了する。いつも、この中継を見ていて思うのは、短歌の朗詠中の画面と短歌の解説なのある。朗詠される短歌の作者の居住地の風景や短歌にふさわしいと思われる風物を背景に、行書による分かち書きをした短歌のテロップが流れる。独特の朗詠では、短歌を聞き取れないことが多いので、こうした措置が取られるのであろう。行書である必要はない。その上、作者への入念な事前取材によって一首の背景や職歴などが詳しく、皇族の場合は、宮内庁の解説に沿って、アナウンスされ、「~という気持ちを表現しました」と作者に成り代わっての解説なのである。NHKは、すでに、入選者の発表があった昨年一二月二六日の時点で、「おはよう日本」は、入選者の何人かに取材し、入選作の背景などを語らせている。入選の短歌自体の発表は当日までお預けというのは、一種の権威づけで、宮内庁とNHKの情報操作の結果にほかならない。もともと、短歌には、鑑賞はあっても、読み手にゆだねられる部分も多い。詳しい解説が必要なのかどうかの思いから、私には、NHKの解説がむしろ煩わしく思えるのである。

 「歌会始」の選者は、岡井隆が退任後、二〇一五年来、篠弘、永田和宏、三枝昻之、今野寿美、内藤明の五人が務めていた。昨年一二月に亡くなった篠弘の後任は誰かと気にはなるが、女性なら栗木京子かなと思う。すでに召人になり、NHKの短歌番組への出演も長く、「観覧車」の歌がすべての中学校の国語教科書に載ったことで若年層にもなじみがあり、現在、現代歌人協会の理事長でもある。ただ、すでに選者である永田と同じ「塔」の同人である。現在、選者の三枝・今野夫妻も同じ「りとむ」なのだから、あり得るかもしれない。また、知名度抜群の俵万智は師匠筋の佐佐木幸綱が、かつて「俺は行かない」と宣言している関係もあって、その壁を乗り越える必要がある。今年、召人になった小島ゆかりが、本命かもしれない。男性では、経歴、歌歴からも「かりん」の坂井修一辺りが打診されている可能性もある。いずれにしろ、七月初旬には、来年の選者が発表される。私の拙い予想がせめて外れてくれればと思う。

 いま宮内庁サイドが腐心しているのは、平成期に比べて、詠進歌数が一万五千首前後で低迷していることではないか。また、令和期になって、元旦の新聞に天皇夫妻の短歌が載らなくなったことである。平成期には、必ず天皇家の集合写真と天皇五首、皇后三首が掲載されていた。二〇〇一年からは、宮内庁のホームページでも、解説付きの八首が発表されていた。(平成の天皇・皇后 元旦発表短歌平成二~三〇年 https://www.kunaicho.go.jp/joko/outa.htmlもともと天皇制には平等の観念はないが、天皇五首・皇后三首はいかにも具合が悪く、発表を控えたのか、あるいは、現在の天皇夫妻の短歌への思い入れはそれほどでもなかったのか。宮内庁は、四月に広報室を新設し、情報発信の強化をはかるという。「短歌」が「情報」となり、強化され、利用されることのないようにと願う。(『ポトナム』2023年3月)

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スイセンの最初の一輪、3月9日。1988年、当地に転居した際、親類よりいただいたイチジクの苗、大きく成長したが、枯れ始めたので、昨年の夏、切ってもらった、その切り株である。

 

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