2023年5月25日 (木)

どうする!<天皇制>~イギリスの君主制が手本?

 

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5月6日「NOT MY KING」などを掲げ、
トラファルガー広場に集まった人々、多くの人が黄色いものを身に着けている。戴冠式も英国国教会の教義を守ることを宣誓する宗教的儀式であるが、全額国費でおこなわれ、約166億円と言われている。イギリスにおいても2018年の世論調査では無宗教が52%を占めているという。

 ハフポストUS版によれば、5月6日、イギリスの戴冠式当日、デモの前やデモのさなかに50人以上が逮捕された。メトロポリタン警察の関係者は「我々は、関連する法律に従い適切に取り締まる義務があります。また、抗議が犯罪に発展し、混乱を引き起こす可能性がある場合に介入する義務もあります」と主張するが、その法律というのは、戴冠式に先立つ5月3日に施行された、警察による平和的なデモの取り締まりをより強固にする「公共秩序法」だったのである。
 しかし、ロンドンのトラファルガー広場に集まった市民たちは、戴冠式反対、君主制反対のプラカードをかかげ、戴冠式が行われるバッキング宮殿へと行進した。

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バッキンガム宮殿に向かうデモ隊、大きなプラスターには「君主制反対」とあり、黄色い帽子の女性は「バッキンガム宮殿をホームレスのシェルターに」と訴えているではないか。右側の高く掲げられているプラスターの文字がはっきりしないのだが、下の方には「GENOCIDE PAST」上方には「CRUMBLING UNDEMOCRATIC HANGOVER」(反民主手的な遺物を粉砕?)と読める。写真の2枚は下記より借用
https://www.huffingtonpost.jp/entry/anti-monarchy-group-slams-coronation-arrests_jp_64584bbce4b0452cee9e9428

 

   日本での天皇代替わりの一連の儀式を思い出さないわけにはいかない。2016年8月8日の明仁天皇の生前退位表明以来、政府、皇族周辺が急にあわただしく動き出し、17年6月16日には“静かな環境の中で”議論したという「天皇退位特例法」が公布された。19年4月1日には新元号「令和」が発表された後の、出典が「万葉集」ということで、歌人まで巻き込むほどだった。19年5月1日に徳仁皇太子の新天皇即位前後の一連の儀式を経て、19年11月14・15日には「大嘗祭」が行われた。5月1日は「剣璽等承継の儀」は何やらあやしい「三種の神器」の受け渡しに始まり、即位後朝見の儀、10月に入って、即位礼正殿、三日にわたっての饗宴、11月22日祝賀御列の儀と続き、あの異様な雰囲気の中で進められる大嘗祭に至るのである。

 しかし、これらの儀式に先立つ2018年10月1日、詩人や研究者、宗教家ら13人が、これら一連の儀式が、憲法の「政教分離」「主権在民」の原則に照らして多くの問題をはらみ、これらに対する国費、税金が支出されるのは明らかに違憲と考えられるので税金の支出の差し止め請求と違憲を求める訴訟を呼びかけた。呼びかけ人の一人、関千枝子さんから、原告になってくださいとの丁寧なお手紙をいただいた。関さんとは、その数年前、市川房枝記念会での講演会を聞きに伺ったとき以来、私の方から年賀状などを差し上げる間柄であった。私たち夫婦は、訴訟委任状に納税を証明する書類、源泉徴収票のコピーを裏に貼って、提出した。2018年12月10日、原告241人と13人の代理人弁護士は、東京地裁に「即位の礼・大嘗祭等違憲差止請求」訴訟を提訴した。その後原告は最終的に318人となった。提訴当時はさまざまなメディアで報じられたので、覚えていらっしゃる方も多いだろう。その後、差止請求が分離され、最高裁でも棄却され、終結してしまったが、現在は、即位・大嘗祭違憲訴訟の「国家賠償請求」分の口頭弁論が続いており、さまざまな曲折はありながら、2023年5月31日に第15回口頭弁論、6月21日に第16回口頭弁がなされる。弁護団は大部の準備書面を提出しているにもかかわらず、被告側の国の代理人弁護士は何もしない、何も言わない、という不誠実な対応が続いているという。東京地裁の裁判官は、原告の証人尋問は認めても、研究者らの証人尋問は「陳述書」で足りるとして、直接口頭での証言は必要ないという姿勢をとっているのが現況である。

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下記の「即位・大嘗祭違憲訴訟の会NEWS」の最新号と一緒に届いたリーフレットである

 

 なお、この代替わりの儀式に、いったいどれほどの国費が費やされたかというと、以下の表がわかりやすい

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『東京新聞』の調査による。記事本文「皇位継承式典関係費133億円、当初予算より支出27億円減、18~20年度、概要などの公表なく」(2021年7月15日)。たしかに、2018年12月皇位継承式典事務局作成の「皇位継承式典関係(一般会計)予算額(案)」によれば、160億8500万であり、その詳細も分かる。なお、この「予算額(案)」では、昭和から平成の代替わりの折の予算額とも比較できる。
https://www.kantei.go.jp/jp/content/yosangakuan31_ichiran.pdf

 

   裁判の進行は、「即位・大嘗祭違憲訴訟の会NEWS」01号(2019年1月25日)から17号(2023年5月9日)によって知ることができるのだが、コロナ禍とも重なり、いまだ傍聴には出かけていない原告で、申し訳ない気持ちでいっぱいである。

 原告になってと誘ってくださった関千枝子さんは、2021年2月に逝去された。「後期高齢者、人生最後の闘いになるかもしれません」などとお手紙にあったが、裁判所へ出かければお目にかかれるものと思っていながら、私の怠慢が悔やまれるのであった。

 

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2023年4月 3日 (月)

宮内庁の「広報室」って、何を広めようとするのか

 4月1日に、宮内庁総務課に「広報室」が新設され、その室長が決まったという。報道によれば、職員は、従来の記者クラブ対応の総務課報道室(15人)からの5人と兼務職員、増員3人と併せて9人、増員のうち1名は民間出身でのスタートで、室長が、警察官僚から起用された女性であった。茨城県警捜査二課、警視庁組織犯罪対策総務課長を経て、警察庁外事課経済安全保障室長からの転任である。暴力団、外国人犯罪対策、国際的な経済犯罪対策にかかわってきた経歴の持ち主が宮内庁へというのだから、ただならぬ人事といった印象であった。

 そもそも、広報室新設の背景には、秋篠宮家長女の結婚や長男をめぐっての情報が報道やネット上に氾濫したことや秋篠宮が記者会見で、事実と異なる場合に反論するための「基準作り」に言及したことなどがあげられる。

 現に、広報室は、皇室への名誉を損なう出版物に対応する専門官、あたらしい広報手法を検討する専門官も置き、SNSを含めた情報発信の強化を目指し、さらに1人、民間からの起用を予定しているという。

 ということは、裏返せば、皇室報道の規制強化、広報宣伝による情報操作をも意味するのではないか。

 象徴天皇制下にあっても、深沢七郎「風流夢譚」事件(1960年)、嶋中事件(1961年)、天皇制特集の『思想の科学』廃棄事件(1961年)、小山いと子「美智子さま」連載中止、(1963年)、富山県立美術館カタログ販売禁止(1987年)・・・にみるような皇室情報のメディア規制が幾度となく繰り返されてきた。その結果として、現在にあっても、メディアの自主規制、タブー化のさなかにあるともいえる。逆に、新聞やテレビが昭和天皇の在位〇年祝賀、昭和天皇重病・死去、平成期における天皇の在位〇年祝賀、生前退位表明・改元の前後の関係報道の氾濫状況を目の当たりにした。

 メディアの自主規制が日常化する中で、広報室長は、記者会見で「天皇陛下や皇族方のお姿やご活動について皆様の理解が深まるよう、志を持って取り組んでいきたい」と述べたそうだ。

 <マイナンバーカード普及宣伝>を民間の広告代理店にまかせたように、宮内庁も<電通>?人材を入れたりして、大々的にというより、格調高く、丁寧な?広報を始めるのだろうか。

 現在の天皇・皇后、皇族たちへの関心が薄弱になってきている現状では、情報が発信されれば、されるほど、「なぜ?」「なんなの?」という存在自体を考えるチャンスになること、メディアが確固たる自律性を取り戻すことを期待したい。

 

わが家の狭庭には桜はないけれど、春は一気にやって来た。 

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3月29日、黄スイセンは、かなり長いあいだ咲いていた。

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3月31日、レッドロビンを越え、モクレンは2階に届くほど。

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4月4日、奥のツバキは、ほぼ散ってしまったが

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2023年3月 9日 (木)

来年の「歌会始」はどうなるのだろう

 『ポトナム』三月号に歌壇時評を書きました。

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 一月一八日の午前中、NHKテレビによる皇居での「歌会始」、忘れずに、いま、見終わった。コロナ禍のもとでの開催は三年目で参加者全員のマスク着用、距離を置いての着席、陪聴者をかなり少なめとするのが定着したようだ。皇族は、天皇・皇后のほか、秋篠宮家からは夫妻と次女、三笠宮、高円宮両家の母娘、合わせて九人であったか。天皇家の長女は学業優先で不参加ということが前日から報道されていた。入選者一〇人と選者の内藤明、召人の小島ゆかり、皇族代表の何首かが朗詠された後、天皇の短歌が三回朗詠されて終了する。いつも、この中継を見ていて思うのは、短歌の朗詠中の画面と短歌の解説なのある。朗詠される短歌の作者の居住地の風景や短歌にふさわしいと思われる風物を背景に、行書による分かち書きをした短歌のテロップが流れる。独特の朗詠では、短歌を聞き取れないことが多いので、こうした措置が取られるのであろう。行書である必要はない。その上、作者への入念な事前取材によって一首の背景や職歴などが詳しく、皇族の場合は、宮内庁の解説に沿って、アナウンスされ、「~という気持ちを表現しました」と作者に成り代わっての解説なのである。NHKは、すでに、入選者の発表があった昨年一二月二六日の時点で、「おはよう日本」は、入選者の何人かに取材し、入選作の背景などを語らせている。入選の短歌自体の発表は当日までお預けというのは、一種の権威づけで、宮内庁とNHKの情報操作の結果にほかならない。もともと、短歌には、鑑賞はあっても、読み手にゆだねられる部分も多い。詳しい解説が必要なのかどうかの思いから、私には、NHKの解説がむしろ煩わしく思えるのである。

 「歌会始」の選者は、岡井隆が退任後、二〇一五年来、篠弘、永田和宏、三枝昻之、今野寿美、内藤明の五人が務めていた。昨年一二月に亡くなった篠弘の後任は誰かと気にはなるが、女性なら栗木京子かなと思う。すでに召人になり、NHKの短歌番組への出演も長く、「観覧車」の歌がすべての中学校の国語教科書に載ったことで若年層にもなじみがあり、現在、現代歌人協会の理事長でもある。ただ、すでに選者である永田と同じ「塔」の同人である。現在、選者の三枝・今野夫妻も同じ「りとむ」なのだから、あり得るかもしれない。また、知名度抜群の俵万智は師匠筋の佐佐木幸綱が、かつて「俺は行かない」と宣言している関係もあって、その壁を乗り越える必要がある。今年、召人になった小島ゆかりが、本命かもしれない。男性では、経歴、歌歴からも「かりん」の坂井修一辺りが打診されている可能性もある。いずれにしろ、七月初旬には、来年の選者が発表される。私の拙い予想がせめて外れてくれればと思う。

 いま宮内庁サイドが腐心しているのは、平成期に比べて、詠進歌数が一万五千首前後で低迷していることではないか。また、令和期になって、元旦の新聞に天皇夫妻の短歌が載らなくなったことである。平成期には、必ず天皇家の集合写真と天皇五首、皇后三首が掲載されていた。二〇〇一年からは、宮内庁のホームページでも、解説付きの八首が発表されていた。(平成の天皇・皇后 元旦発表短歌平成二~三〇年 https://www.kunaicho.go.jp/joko/outa.htmlもともと天皇制には平等の観念はないが、天皇五首・皇后三首はいかにも具合が悪く、発表を控えたのか、あるいは、現在の天皇夫妻の短歌への思い入れはそれほどでもなかったのか。宮内庁は、四月に広報室を新設し、情報発信の強化をはかるという。「短歌」が「情報」となり、強化され、利用されることのないようにと願う。(『ポトナム』2023年3月)

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スイセンの最初の一輪、3月9日。1988年、当地に転居した際、親類よりいただいたイチジクの苗、大きく成長したが、枯れ始めたので、昨年の夏、切ってもらった、その切り株である。

 

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2023年2月25日 (土)

『図書新聞』の時評で『<パンデミック>とフェミニズム』が紹介されたのだが

 新・フェミニズム批評の会の事務局から、下記の時評で、『<パンデミック>とフェミニズム』が取り上げられているとのことで、『図書新聞』の画像(一部)が添付されてきた。書評が少ない中で、紹介されたことはありがたいことであった。

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  『図書新聞』では、岡和田晃「《世界内戦》下の文芸時評」が連載中で、2月25日号には「アイデンティティをめぐる抹消させない<女たちの壁>」と題して展開されている。そこで拙稿「貞明皇后の短歌が担った国家的役割―ハンセン病者への<御歌碑>を手がかりに」に言及された部分を引用させていただく。 

明治天皇の歌が翼賛体制を正当化するのに使われた半面、厭戦的な内容を含む貞明皇后の歌はその陰に隠されてきた点や、皇后が「良妻賢母」的なロールモデルを担いつつ、父権的温情主義(バターナリズム)に加担したという二重性を指摘している。

  前半は、その通りなのだが、後半における「ロールモデル」と「父権的温情主義」の「二重性」を指摘しているという件には、驚いた。というのも、突如、現れた「ロールモデル」、「父権的温情主義」、「二重性」という言葉を、私は一切使用していなかったからである。さらに良妻賢母の「典型的なモデル」を“担わされた”ことと貞明皇后のハンセン病者への歌と下賜金に象徴される差別助長策を“担わされた”ことは、「二重性」というよりは、日本の近現代における天皇・皇室が時の権力に利用される存在であるという根幹でつながっていることを、実例で示したかったのである。

 なお、拙稿については、昨秋の当ブログでも記事(2022年10月31日)でも、ダウンロード先を示したが、再掲したので、ご一読いただければ幸いである。

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2023年1月17日 (火)

天皇家の「令和流」って? 宮内庁に広報室新設

 元旦の新聞に、天皇・皇后の短歌が載らなくなって、私は、正直言ってほっとしている。平成期の天皇・皇后は、必ず、天皇五首、皇后三首の短歌が掲載されていたのである。

平成の天皇・皇后 元旦発表短歌平成2~30年
https://www.kunaicho.go.jp/joko/outa.html

 代が替わり、コロナ禍と重なったこともあって、元旦の天皇家の集合写真は、家族ごとの写真となり、宮内庁のホームぺージでは、何葉もの写真が掲載されるようになった。さらに、平成期と令和期の違いとして、少しく話題になったのは、二〇二一年と二〇二二年には「新年ビデオメッセージ」として、天皇は皇后と並び、「おことば」を述べたことだった。皇后もひと言ふた言の挨拶をした後、隣で、にこやかにうなづいたりするビデオが流されたのである。夫妻ともどもビデオに収まるのが<令和流>と、一部で、もてはやされもしたが、今年は、どうしたことか、文字だけの「天皇陛下のご感想(新年に当たり)」と元に戻った形である。

 そして、その二〇二三年のメッセージ冒頭に「昨年も、地震や台風、大雪などの自然災害が各地で発生したほか、新型コロナウイルス感染症が引き続き社会に大きな影響を与えた年になりました。また、物価の高騰なども加わり、皆さんには、御苦労も多かったことと思います。」のくだりを受けて、「令和の徳仁天皇は『家庭天皇』 専門家たちを驚かせた天皇の“お言葉”」という記事が現れたのである。その冒頭は、「驚いたのは、『物価の高騰』という言葉が、入っていた点でした。まさに『家庭天皇』です」という、象徴天皇制の研究者、名古屋大学の河西準教授の発言だった(AERAdot 2023年1月14日)。「家庭天皇」?驚いた「専門家」! 驚いたのは私の方だった。

 これまでも、天皇家では衣裳やティアラを使いまわしをしているとか、皇族の「お出まし」の折のティアラはつけないことにしたとか、その<倹約ぶり>が喧伝されたことはあったが、「おことば」が「物価高騰」に触れたからと言って、何が変わるというのか、私には理解できないでいる。8月15日の戦没者追悼の「おことば」に「反省」が盛り込まれたかを云々するむなしさに共通するのではないか。

 宮内庁は、新年度予算に向けて、かねてから検討していたようだが、昨年12月23日、SNSの発信などによる情報発信を強化するため、今年四月から広報室を新設すると発表した。 たしかに、平成期と比べて、皇室のメデイアへの登場、露出度は低くなり、コロナ禍により、皇族の活動も激減した。宮内庁は、一部メディアのゴシップや中傷に悩まされた上、国民の皇室自体への関心が薄れてゆくことに危機を感じているのも確かであろう。しかし、私の知る限り、天皇は、時の政治権力と利用・利用される関係の存在でしかないのではないか。現憲法下という制約の中で、天皇や皇室の在り方を考えるとき、私は、なるべく、ひそやかに、つつましく、暮らしてもらうしかないと思っている。跡継ぎがいなければいないでよいではないか。

 新設の広報室には、せめて、”電通“が入ったりしなければいいがと願う。

 

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2022年10月31日 (月)

「貞明皇后の短歌」についてのエッセイを寄稿しました

 「新・フェミニズム批評の会」が創立30年になるということで記念論集『<パンデミック>とフェミニズム』(翰林書房 2022年10月)が出版されました。私が友人の誘いで入会したのは、十数年前なので、今回、創立の経緯など初めて知ることになりました。毎月きちんと開かれている研究会にも、なかなか参加できないでいる会員ですが、2012年以降の論文集『<3・11フクシマ>以後のフェミニズム』(御茶の水書房 2012年)、『昭和前期女性文学論』(翰林書房 2016年)、『昭和後期女性文学論』(翰林書房 2020年)には寄稿することができました。30周年記念の論集は、エッセイでも可ということでしたので、「貞明皇后の短歌」について少し調べ始めていたこともあって、気軽に?書き進めました。ところが「査読」が入って、少し慌てたのですが、何とかまとめることができました。

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執筆者は、30人。表紙は、鳩の下の羽根には花畑が、上の羽根には、ブランコに乗った女性いる?という、やさしい装画(竹内美穂子)でした。

 

「貞明皇后の短歌が担った国家的役割――ハンセン病者への「御歌」を手がかりに」

1.沖縄愛楽園の「御歌碑」

2.「をみな」の「しるべ」と限界

3.届かなかった声

4.変わらない皇后短歌の役割

以下で全文をご覧になれます【12月11日】

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2022年9月16日 (金)

元首相の「国葬」には反対です~貞明皇后の葬儀でも、もめていた!

小学生が動員された: GHQの統治下にあった1951年5月17日、大正天皇の妻、昭和天皇の母、節子皇太后が66歳で急逝した。追号は貞明皇后とされ、6月22日、「大喪儀」が行われている。護国寺に隣接する豊島岡墓地での葬儀後、その日のうちに、多摩東陵に埋葬されている。この日、地元、池袋の小学校から先生に引率されて、護国寺近くでその葬列を見送った記憶がある。どの先生と誰と、何人くらいで出かけたのかも曖昧ながら、6年生の何人かの代表の一人であった記憶がある。今回の安倍元首相の国葬騒動で、思い出したのである。
 私の卒業した小学校は、とっくに他校と統合されて名前を変えている。気になるので、いま手元にある『創立三十五年記念誌』(1961年)の「沿革」を見てみたが、そんな記録はない。ではと、豊島区役所教育委員会に電話すると、それだけ古いと文書は残っていないというのが庶務課の回答、「行政情報センター」に相談してみてはと、直通電話を知らされる。センターにかけ直してみると、こちらとしても教育委員会に調べてもらうしかないと、まさにタライまわしの展開であった。せめて「豊島区史」のようなもので調べられませんかと尋ねると、1951年には、そのような記載はない、ということであった。手元の貞明皇后の評伝でも、学校現場の弔意状況までの記載がみあたらなかった。当時の新聞を見なければと思うが果たせないでいる。

貞明皇后の葬儀の顛末: 今回の国葬論議にかかわり、元首相ということで、吉田茂の「国葬」が前例として話題になっているが、実は、貞明皇后の葬儀の折にも、政府と宮内庁の間で、つまり、吉田茂首相と昭和天皇との意向の違いがあったらしい。宮内庁のホームページには、「貞明皇后大喪儀」について「昭和26年5月17日、皇太后陛下(貞明皇后と追号された。)が崩御になったので、同年6月22日の斂葬の儀を中心として、一連の大喪儀の儀式が行われました。事実上の国葬とされました。」との記述がある。「事実上の国葬」が気になるところである。
 敗戦後失効した「国葬令」(1926年10月21日)は、大正天皇死去の直前に成立しているが、「国葬」となるのは、「天皇、皇后、皇太后、太皇太后」と明記され、「国家に偉功ある者」も対象になり得るが、ときの内閣の判断に拠ることも明記されていた。貞明皇后の場合は法的根拠も前例もなかったのである。
 貞明皇后の葬儀をめぐっては、田島道治の『昭和天皇拝謁記』に詳しいらしい。未見なので、以下の記事を参考に、そのいきさつをたどってみよう。実にややこしいが、「天皇の政治利用」には違いなかった。

・森暢平「占領期、「国葬」が政治的論点となった貞明皇后逝去 社会学的皇室ウォッチング!/43」(週刊エコノミストオンライン 2022年8月8日配信)
https://weekly-economist.mainichiま.jp/articles/20220808/se1/00m/020/001000d

 貞明皇后が亡くなったのは、1951年5月17日の午後だった。
5月17日夜  吉田茂首相「占領下のため国葬は望まない」➡ 田島道治宮内庁長官
5月18日未明 大橋武夫法務総裁(法務大臣)・佐藤達夫法制意見長官(法制局長官)「国葬は法制上存在しないが、皇太后という身分であることからプライベートとは言い難く、公的な面もあることから、皇室の私的予算の「内定費」扱いではなく、「宮廷費」支弁による「皇室行事」にしては」と提案 ➡ 田島宮内庁長官
5月18日朝9時 田島「上記提案」➡ 昭和天皇「已むを得ず」
5月18日朝10時 岡崎勝男官房長官「宮廷費扱いの準国葬とする」➡ 宮内庁
5月18日夕刻 松井明首相秘書官「内閣は国葬をお願いしたが、陛下の考えで国葬にしないことになった、と説明したいので、了解を」➡ 田島宮内庁長官、拒否

 費用の出所を内定費にしても宮廷費にしても、国費には違いないのだが、このような経過をたどり、首相サイドの提案を宮内庁サイドは拒否した一方、「国情に鑑み、なるべく質素に行うようにとの「御思召」があった」との説明部分を容認したという。吉田首相は、「天皇の意向」ということにして、貞明皇后の葬儀に関しての国会での議論と占領軍への忖度批判の両方を封じたい思惑あったと、上記文献で森暢平は推測する。まさに、天皇の政治利用の一端であったのである。

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1951年6月23日『官報』「皇室事項」に、 葬儀の次第報告と昭和天皇と吉田茂の誄(るい)辞が再録されている

今回の「国葬」: 岸田首相が安倍元首相の葬儀を「国葬」とすると、その理由も曖昧なまま、議会に諮ることもなく、早々に表明した。それというのも、さまざまな政府批判―物価高、コロナ対策、旧統一教会問題、オリンピック汚職などへの批判を、「国葬」をすることによって、いささかでもシャッフルしたい思惑だったのだろう。岸田首相は、元首相の長期の首相在任・功績に加えて、各国からの元首相への哀悼と国民への弔意が示されているので、「国葬」で応えるとの弁を繰り返し、「丁寧な説明」からは程遠い、というより説明がつかないのである。「弔問外交」といっても、参列する国のトップはわずかでしかない。新聞社などの世論調査でも、国葬反対が多くなり、50パーセントを越える結果も出ている。国民の多くは、気づいてしまったのである。
 イギリスのエリザベス女王の葬儀関連の行事が伝統に則して、華麗に進められているが、いまは、チャールズ新国王に渡る4兆円以上の相続財産が国民の関心の的にもなっているという。それこそ、女王が、「国情に鑑み、私の葬儀は極力質素に」とか、相続財産の一部を大型寄付にあてるなどの遺言を残していたら、彼女の人気はさらに高まったのではないか。

 なお、吉田茂や他の国葬については以下に詳しい。
・森暢平「55年前の社会党の失敗 立民は同じ轍を踏むな 社会学的皇室ウォッチング!/47」(サンデー毎日9月25日・10月2日合併号 2022年9月12日配信)
https://news.yahoo.co.jp/articles/93c69894ab305ce6ee25c9c0f362f594cdba28b7

・前田修輔「戦後日本の公葬―国葬の変容を中心に」(『史学雑誌』130-7 2021年7月) https://www.jstage.jst.go.jp/article/shigaku/130/7/130_61/_pdf

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めずらしく鳩がやって来た!もう一羽は、フェンスのてっぺんを歩いていた。

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2022年8月26日 (金)

『論潮』15号に寄稿しました~GHQの検閲下の短歌雑誌に見る<天皇><天皇制>

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 一昨年、岡村知子さんから『杉原一司歌集』を送っていただいたご縁で、日本近代文学の女性研究者を支援する同人誌『論潮』を知った。八月発行の15号に、お誘いいただき、ゲストとして、かなり長文の拙稿を掲載していただいた。これまで、雑誌やブログに断片的に書いてきたものだが、何とか、まとめることができたのは、ありがたいことだった。

<内容>
研究ノート・GHQの検閲下の短歌雑誌に見る<天皇><天皇制>90~128頁

はじめに
一 『短歌研究』一九四五年九月号に見る敗戦
二 天皇の「声」はどう詠まれたか
三 検閲下の「第二芸術論」
四 『アララギ』一九四七年一月号に見る「天皇」と「天皇制」
五 『八雲』登場
六 語りたがらない歌人たち
  内務省の検閲とGHQの検閲
  歌人はGHQの検閲をどう受け止めていたのか
  語り出す歌人たち

<関連拙著>
・「占領期における言論統制――歌人は検閲をいかに受けとめたか」

・『ポトナム』19739月、『短歌と天皇制』風媒社198810月、所収。

・「被占領下における短歌の検閲」『短歌往来』18873月、『現代短歌と天皇制』風媒社 20012月、所収

・元号が変わるというけれど、―73年の意味()~(9)―敗戦直後の短歌雑誌に見る<短歌と天皇制>(1)~(5
  2018年107日~115

https://app.cocolog-nifty.com/cms/blogs/190233/entries/90067631

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2018/10/7352-e1cf.html

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2018/10/736-7809.html

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2018/10/73-4720.html

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2018/11/735-edf2.html

・「占領軍による検閲の痕跡」『斎藤史『朱天』から『うたのゆくへ』の時代』 一葉社 2019年1月

・『プレス・コードの影』(中根誠著)書評「警鐘の書」『歌壇』20217

・『プレス・コードの影』(中根誠著)書評「表現の自由とは」『うた新聞』20218

 

 

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2022年3月 4日 (金)

歌人の自律性を考える~歌会始、学術会議任命拒否問題に触れて

   以下は、『ポトナム』三月号の「歌壇時評」に掲載されたものである。『ポトナム』は、今年4月で創刊100年を迎える。同人の高齢化は否めないが、健詠、健筆を願うとともに、若い人たちにも頑張って欲しいと思うばかりである。

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 ことしの「歌会始」の選者は、岡井隆引退後の二〇一五年以来、篠弘、三枝昂之、永田和宏、今野寿美、内藤明と変わっていない。応募歌数は、東日本大震災後、二万首前後を推移したが、平成からの代替わりとコロナ禍由来なのか一九年約一万六千、二〇年約一万四千、二二年は一万三八三〇首と下降線をたどっている。それでも、多くの人たちが、応募を繰り返し、入選を目指している。『短歌往来』の新人紹介欄で、ある一人は、さまざまな短歌コンクールに入賞し、「歌会始は未だ入選できず」と短いエッセイに書き(二〇二一年七月号)、一人は、所属結社とともに「令和三年度宮中歌会始佳作」と記していた(同年九月号)。二人は、ごく自然に「歌会始」の入選を目指していることを明言している。若い人たちが、天皇や天皇制に対して関心が薄いことは知っていたが、その延長線上で、「歌会始」を他の短歌コンクールや新聞歌壇と並列的に認識していることもわかった。それを象徴するかのように、ことしの入選者は、六〇歳以上が六人、四〇・五〇代三人と高校生一人、併せて一〇人であった。高校生は、直近九年間で七人の入選者を輩出した新潟県の私立高校の生徒であった。熱心な教師の指導のままに、高校生たちは、「歌会始」の意味を十分理解することなく、応募しているにちがいない。
 「歌会始」は、宮中行事の一つに過ぎなかったが、現在のような形になったのは一九四七年以降である。皇室と国民を結ぶ伝統的な文化的、国家的行事として守られるべきだとする説には、財政や人事においても国家的な介入を前提とするものだろう。

 国家的介入といえば、日本学術会議が推薦した新会員一〇五人の内六人が総理大臣の任命を拒否された事案が発生した。学術会議はじめ、日弁連ほか多くの学会が、任命拒否の理由を質し、学問の自由を侵すものだとして抗議声明を発し、多くの識者たちも抗議の声をあげた。二〇年一〇月、現代歌人協会の栗木京子理事長、日本歌人クラブの藤原龍一郎会長との連名で「任命拒否を速やかに撤回し」、国民への説明責任を果たすべきとする声明を出した。また、一九年五月にも、高校の新しい学習指導要領のもとに、従来の必修「総合国語」の教科書が、二二年度から「現代の国語」と「言語文化」に再編されるのを受けて、現代歌人協会理事長と日本歌人クラブ会長名で声明を出していた。「現代の国語」は、論理的、実用的文章を中心とし、「言語文化」の中で扱われる近現代文学、近現代詩歌は、大きく後退するのではないかとの危機感からだったか。
 上記団体の会員でもない私だが、さまざまな意見を持つ歌人たちを束ねた形で「声明」を出すにあたって、どのように合意形成がなされたのか不安になった。表現者としての自覚を持つ歌人たちの団体であるならば、自主・自律性が問われよう。国からの財政支援はないとしても、団体の役職者たちが、歌会始の選者や召人、靖国神社献詠の選者だとしたら、自由な論議が展開されるのだろうか。
 学術会議にしても、欧米のように財政や人事は政府から独立した「アカデミー」として活動すべきではなかったかと、私は考える。また、近現代文学との出会いは、学校教育における教科書だけではないはずで、教科書による押し付け的な文学教育からの解放を目指す考え方もある。本誌一月号でも述べたように、若手歌人たちの「最も印象に残った一首」との出会いは、大半、教科書ではなかった。

 国家権力と本気で対峙するならば、「声明を出しておく」ことよりも、歌人、歌人団体は、「歌会始」や「靖国神社」とは、きっぱり縁を切るべきではないか。

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まだ、やってくるヒヨドリ。ヤマボウシの枝から、真下のえさ台を監視しているのか。ちょっと見ただけでは、枝に紛れていて、気がつかなかった。

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2022年2月17日 (木)

秋篠宮家の長男の進学先が決まったらしい

 在学中の中学校と進学先の筑波大学付属高校との間の時限的な提携校進学制度を活用した上、一般入試も受験し、2月16日に合格が確定したとの報道である。ちなみに今年の募集要項をみると、男女ほぼ同数の合計80名、英・国・数・理・社の五教科(300点満点)と調査書(80点満点)をもって総合的に判断する、となっていた。大学名は変わったが、私の母校には違いなかったので、なんとなく気にはなっていた。
   私が受験した当時は、五科目に加えて、音楽、体育、職業・家庭、図工が加わっての9科目であった。苦手だった音楽と体育の実技の試験が不安であった。体育は、運動場に出て、先生(後から思えば広井先生)の前で逆上がりをやった記憶がある。この実技に、私は半そでの体操服でのぞんでいたのを、手伝いか何かで、どこかで見ていた内部進学の生徒がいたらしい。あとで、「寒いのに、かなり張り切っていたじゃない」とからかわれたのを覚えている。また、音楽は、一人づつ教室に入って、黒板に書かれた楽譜の楽典的な知識と歌唱のテストであったと思う。

 募集定員は男子30名、女子15名であった。付属中学校からの内部進学者と合わせて各クラス男子30名、女子15名の5クラス編成で、高校からの外部入学者は、五クラスに男子6名、女子3名が配属されたことになる。入学当初は、「付属文化」?みたいなものに戸惑いながら、高校からの女子3人が固まっていることも多かったが、それぞれの性格や選択科目の違いもあって、まじりあっていくことができたのだろう。私は、嫌いではなかった「書道」を選択、上条信山先生の時間は楽しかった思い出がある。高校なのに、第二外国語があるというので、ドイツ語を選択したものの挫折した。大学でもドイツ語を選択、英語も一緒なのだが、まったくものになっていない。後に海外旅行をするたびにいやというほど知らされた。
 担任は三年間、化学の米山勝太郎先生だった。授業では「なぜって、おめぇ」が口癖だった。数年前、白寿を全うされた。数学の横地清先生は「もう、人生に疲れたな」風のボヤキで始まる授業だったが、指導はきびしく、あてられて黒板で立ち往生、解答できないと、妙な宿題が課せられた。理不尽ながら従うしかなかった。そうして、時どき、勧められたのが「ヴィーチャとその友達」という少年向けの物語だった。ロシアの子どもたちはみな教え合って向上するという話らしかったが、読みかけたものの登場人物の名がややこしくて、こんな余裕はないみたいなことで挫折?いまだに先生の宿題は果たしていない。世界史の山本洋幸先生は、物語調の弁舌で、聞いていて楽しかったが、受験対策としてはどうであったのだろう。
 数年後、大学での「社会科」の教育実習で、母校でお世話になるのだが、指導の金原左門先生には絞られた。「一般社会」で「国際社会の成立」?あたりの授業だったのだが、人前で話すことが苦手だった私は、「君は教職には向かないかも」とも言われた。一方、池袋の薬屋で育った私は、店番に立つことは、けっこう好きで、栄養剤を勧めたり、資生堂の高い化粧品を売って、花椿会入会の勧誘をしたりした。土地柄、男性用品を買いに来たお客には「ダースですか、バラですか」なんて応じていたのだから。

 高校での校外生活、夏の富浦海岸、蓼科高原での生活、二年の東北、三年の関西の修学旅行は、かなりの日数、家を離れることになり、出先から、何枚ものハガキを家に書いていたらしい。休業日もなく働いていた家族たち、旅行などというものは七つ上の兄が高校の修学旅行に出かけたくらいだったからだろう。いまのようなスイミングスクールなどない時代、富浦では、クラスのほとんどが遠泳に挑戦していたが、私はボートから氷砂糖を渡すくらいの応援しかできなかった思い出もある。
  スポーツでは、対外戦も盛んで、学習院との大掛かりな試合は「院戦」と呼ばれた。馬術とか開成とのボートレースとかの観戦も体験することができた。

 私の最初の就職先が学習院大学で、二年で飛び出したっけ。そして、いつの頃からか、天皇制への関心が高まった。妙な因縁ではある。
  コロナ禍の前に、高校最後の同期会というので、何十年ぶりかで参加した。これも数十年前のたった一冊の同窓会名簿も処分した。会費は納めていないが、同窓会「会報」だけは頂戴している昨今である。

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岩波少年文庫で、1954年1
月に出版されてたというから、当時は新刊であった。

 

 

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