2020年2月13日 (木)

何度でも、くどいようですが、歌壇と天皇制

 私が会員になっている『ポトナム』の歌壇時評に、1月号に引き続き、寄稿しました。くどいようですが、また、短歌と天皇制の問題です。改元を機会に、歌壇での事実を確認、整理し、手立てを考えなければと思っています。記事の末尾に、関連の最近の当ブログ記事をまとめておきました。重なる部分も多いかと思いますが、ご覧いただければ幸いです。

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 昨年のマス・メディアは、改元で新しい時代が来るかのような政府広報に加担した。そして、「象徴」を全うしたとして平成の天皇を称揚した。歌壇では、『短歌研究』一月号は、特集〈平成の大御歌と御歌〉を、角川『短歌年鑑』は、特別企画「歌会始の三十年」を組んだ。

 これらの動向に最も早い反応を示したのは、若い世代の瀬戸夏子(一九八五生)で、『短歌研究』特集について「戦後短歌は終わったのかもしれない、と思った。」という発言だった。「ここでは短歌は天皇制ときれいに順接であった。」と批判した(「白手紙紀行⑽」『現代短歌』二〇一九年二月)。続いて、大辻隆弘(一九六〇生)は、『朝日新聞』の「歌壇時評」(「短歌と天皇制」二〇一九年二月一七日)において、「以前なら厳しい批判に曝されたであろうこの特集に対して歌壇は無反応だった」ことを挙げ、「天皇制アレルギー」はもはや薄らいだとし、批判をけん制するかのような発言をした。二〇代の廣野翔一(一九九一生)は、その特集に触れて、拙著の「どんな言い訳をしようと、国家権力に最も近い短歌の場所が歌会始ではないか。短歌の文学としての自立は、国家からの自立にほかならない」(「戦後六十四年、歌会始の現実」『天皇の短歌は何を語るのか』二〇一三年)を引用し、「これは正論である。正論ではあるけれど・・・」としながら、「とりあえず今は歌会始があるという現実」を、「短歌が権力に近すぎる場所にある現実」を、自分の中で受け止めて「歌会始というものに対して私たちは寛容に接すべきだ」と結論づけた(「歌壇時評・平成の終わりに」『短歌』二〇一九年六月)。彼は、自身のツイッターで「読み返すとこの人歯切れ悪くて苦しそう、という感想しかない」(二〇一九年六月二一日)と自虐的に綴っている。斎藤寛(一九五二生)は、「老舗の短歌総合誌は皇室の広報誌に転じてしまったのかと思うような誌面であった。」とし、天皇制自体に関しては「天皇の人権不在という問題」が厳しく問われないまま、「天皇制アレルギー」が薄れ、あるいは終息したという捉え方には「天皇制に対する赤子のような信仰が復活した」という意を含むとも指摘し、厳しく追及した(「『大御歌』『御歌』の位相―短歌と天皇制再考」『短歌人』二〇一九年七月)。いずれにしても、大辻のいう「無反応」という見立ては崩れたのである。

 敗戦前の「歌会始」は、一般歌人の立ち入れない世界であった。新憲法下の「象徴天皇制」は、占領軍と日本政府による「政治利用」をするための「遺制」であり、“新生”「歌会始」も“民間”歌人を引き入れて、利用価値を高めるためであったろう。「歌会始」の選者永田和宏による新聞連載の平成の天皇夫妻、皇族たちの短歌の<鑑賞>が『象徴のうた』(文芸春秋 二〇一九年六月)として出版された。まさに、現代の“御製御歌謹解書”ともいえよう。一方、『短歌研究年鑑』(二〇二〇年版)恒例の座談会では、古典・万葉集ブームは語られるが、件の特集や企画、書物には、だれもが言及しなかった。今や歌壇の主流は、天皇の短歌や歌会始について、その意義を称揚するか、触れずに沈黙を通すかのいずれかになってしまった。異論を唱えて突出することを控えてしまうのは「同調圧力」の所為でもある。それはやがて、天皇(制)への傾斜を助長し、異論を無視し、「聖域」を形成してしまうことにつながる。現に、リベラル政党も、リベラル派と称される論者も、かつての主張を微妙にシフトしながら、即位礼や大嘗祭などへの祝意を示し、メディアに重用される昨今である。「天皇陛下万歳」の誘導に声を上げ、配られた日の丸の小旗や提灯を揺らしている人々は、私の隣人たちでもある。(『ポトナム』2020年2月)

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歌壇、この一年を振り返る季節〈1〉短歌と天皇制 (2019年12月18日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/12/post-ac9040.html

「短歌と天皇制」(2月17日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(4)「無反応」だったのか (2019年3月 5日 )
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/03/217-0117.html

「短歌と天皇制」(2月17 日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(1)「その反省から出発した戦後短歌」って、ホント?(2019年2月25日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/02/210-9ef9.html

「短歌と天皇制」(2月17日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(2)「戦後短歌は皇室との関係を結ぶことに慎重だった」のか (2019年3月 1日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/03/210-80d0.html

「短歌と天皇制」(2月17日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(3)「天皇制アレルギー」って?(2019年3月 5日)http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/03/post-d222.html

 

 

 

 

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2019年12月18日 (水)

歌壇、この一年を振り返る季節〈1〉短歌と天皇制

   短歌研究社『短歌研究年鑑』(2020年版)とカドカワ『角川短歌年鑑』(令和2年版)が出そろった。2019年の歌壇状況を知る助けにはなるのだが、今年という一年をしっかり振り返ったことになるのかなという違和感があった。その二・三を書きとどめておこうと思う。 

 一つは、くどいかもしれないが、やはり、短歌と天皇制の問題にきちんと向き合ったかという疑問だった。というのは、短歌総合誌では、5月の改元を前に、競うように、「平成」という時代を振り返るという企画が展開された。さらに、平成の天皇夫妻の「おことば」や「短歌」に沿って、その振る舞いを称え、あるいは、歌会始の30年を振り返ったりする特集もあった。新しい元号が発表されると、萬葉集を出典としているとして、歌壇も出版界も少しざわついて、商機とも思ったのか、書店にも雑誌の特集や書籍が並んだ。

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いずれも、2019年5月22日、大手町の丸善にて

 今回の改元が、歌を詠む人たちや短歌の読者・愛好者たちにとっても、天皇制と短歌との関係を考えるチャンスであったはずだが、現実の歌壇は、上記のような状況であった。こうした歌壇に対して、大辻隆弘が『朝日新聞』の「歌壇時評」〈2019年2月17日〉で、歌壇における「天皇制アレルギー」はもはやなくなり、「無反応」であったと、早々とけん制した。しかし、現実には、『短歌研究』総力特集「平成の大御歌と御歌―天皇・皇后両陛下のお歌」について、瀬戸夏子のきびしい批判があったし(『現代短歌』2019年2月)、斎藤寛は「『大御歌』『御歌』の位相―短歌と天皇制再考」(『短歌人』2019年7月)において、「老舗の短歌総合誌は皇室の広報しに転じた」とも断じた。また、高島裕(「時評・両陛下のお歌に思う」『未来』2019年3月)は、「『歌会始』など皇室と和歌との関わりに対する現代歌人の拒否反応に疑問を呈し、この伝統詩型が、祖国への心情や皇室との関わりの中で捉えられることの必然を主張してきた」というスタンスが、従来は、少数意見だったが、このような特集が組まれるということは「短歌と天皇制、短歌と愛国心との関わりをめぐる言説環境が大きく変容したのであろう」としている点で、前記大辻の論調と一にする。さらに、廣野翔一は、やや戸惑いながら、現実としての皇族の短歌を、「歌会始」を受け入れようとするものだった(「時評・平成の終わりに」『短歌』2019年6月)。いずれにしても「無反応」にはならなかったことになる。高島の「少数意見だった」という捉え方には、それこそ疑義があり、以下の当ブログ記事もあわせてお読みいただければと思う。

 無反応ではなかったが、《論争》にならなかった。上記『短歌研究年鑑』の恒例の「歌壇展望特別座談会」(佐佐木幸綱・三枝昂之・栗木京子・小島ゆかり・穂村弘)では言及がなく、「特集展望」(加藤治郎)は、肯定的に紹介するのみだった。『短歌年鑑』では、島田修三が「とにかく、われわれの短歌が新たな時代を生きるために、まず皇室和歌との決別から出発した史実だけはつねに自覚しておいた方がいい」としながら、何がいいたかったのかというと「おそらく元号などを始めとする平成末期から令和の皇室を巻き込んだざわざわとした空気に違和感を感じるということだったし、そこに短歌の影がちらちらするということだったと思う。」と遠慮がちに表明するが、特集などには直接触れない(「どうにもなりません」)。たまたま、私がある短歌雑誌の編集者と電話で話した折、「あの特集には、ほとんどの歌人がおかしいと言ってますよ、思ってますよ」というのだが、それがほんとだとしたら、そのほとんどの歌人たちが表立って声を上げていないことになる。

これからも、この短歌と天皇制の問題は、正面から論議されることが、ますます必要になってくるはずなのだが。

「短歌と天皇制」(217日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(4)「無反応」だったのか (2019年3 5日 )
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/03/217-0117.html

「短歌と天皇制」(217 日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(1)「その反省から出発した戦後短歌」って、ホント?(2019年225日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/02/210-9ef9.html

「短歌と天皇制」(217日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(2)「戦後短歌は皇室との関係を結ぶことに慎重だった」のか (2019年3 1日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/03/210-80d0.html

「短歌と天皇制」(217日『朝日新聞』の「歌壇時評」)をめぐって(3)「天皇制アレルギー」って?(2019年3 5)http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/03/post-d222.html

 

 

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2019年12月 1日 (日)

改元、一連の行事はいつ終わるのか=その根源たる差別も続く

 昨年の5月、改元前後からの皇室行事は、いつ果てるともなく続いているかのような光景である。大嘗祭後に行われた4回の饗宴の儀、そして、続く伊勢神宮参拝・報告、奈良や京都の天皇陵参拝、そして京都では御所でのお茶会まで開いていた。ご先祖への墓参というならば、もう少しひそかにしてもよろしいのではと思う。関西に暮らす友人は、「大嘗祭ごっこ」は、もううんざりとも嘆いていた。宗教的な色彩が強いので私費でという秋篠宮の意見もあったが、こんな状況になった。私費という内廷費とて国費には違いないのだが。

 天皇家にとって大嘗祭という儀式に伝統があるというのであれば、せめて内々に済ませるべきだったろう。歴史上の宮廷行事とて、技術的には、もっと素朴なものであったに違いない。一夜限りのあの施設には20億近い費用が掛かったという。国民の日常から離れたあのような儀式を、少なくとも国民の統合の象徴である天皇がなすべきではなかった。「天皇」こそ利用されるべき存在であることを、国民も自覚しなければならないと思う。「国民に寄り添う」というならば、まだ仮設住宅にも入れない被災者、仮設住宅を追われる人々、三交代の過酷な職場で働き続ける人々、住いもなく行きどころのない高齢者、三食満足に食べていない子供たち、いわれのない差別を受け続けてきた人たちに思いをいたせば、饗宴や茶会で乾杯をしている場合ではないだろう。招く方も、招かれる方も、一番大事なもの、国民の暮らしの在り様を忘れてはいないか。

 勲章や園遊会、そして国民栄誉賞、今回の桜を見る会に至るまで、その選出の構図は一緒である。喜ぶのは政治家や芸能人かアスリートたちかと思えば、その筋の人たちも「紛れ込んだり」するらしい。そして、研究や文芸、経済界やマス・メディアの世界で活躍する人々も嬉々としてはせ参じているのを見るのは情けない。

そして、原発事故は何一つ収束できないまま迫る来年の東京オリンピック、いわくつきの国立競技場、すったもんだのマラソン開催地の変更、不祥事が続くスポーツ団体の中で、選手たちの困惑は続くだろう。国を挙げてのメダル競争は、もうすでにオリンピック精神からは隔絶したものである。

国民の考える力は、改元やオリンピックで削がれてはならない。

 

 

 

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2019年11月27日 (水)

いったい、文化勲章って、だれが決めているのだろう~その見えにくい選考過程は、どこかと同じ?  

 「桜を見る会」は、時がたつにつれて、実態が明らかになってきた。国費を使い<功労者>顕彰を標榜する催事の実態が明白になった以上、即刻廃止すべきだろう。
「見る会」の招待者名簿は、慌ててシュレッダーにかけたなど、子供じみた回答をする官僚たちが情けない。ホテルでの前夜祭で、安倍事務所後援会が会費領収書をホテル名義で発行していたことなど、まず常識的では考えられない商行為、その裏の仕掛けがあるに違いない。次から次にと疑惑を増幅する事実が出てくるが、私たち国民が知り得ないことも知る立場にある野党やマス・メディアもこれまで追及できなかったのはなぜなのか。一方、相変わらず安倍政権を支持している国民が半分近くいるという世論調査結果も現実である。
 今回だけではない。森友・加計問題における公文書廃棄・改ざんでも、私たちは、同じような体験をしている。直近の大学入試共通テストの英語の民間試験導入、記述式問題導入も、業者が絡むその導入過程を示す文書が公開されない。教育ビジネス、受験ビジネスの黒い霧が晴れない。たださえストレスの多い受験生を困惑に陥れている。国民をなめているとしか言いようがないが、それに甘んじている多数の国民がいることも確かなのである。

 少し間が空いてしまったが、前の記事の続きでもある。この間、私は、文化庁と何回かのやり取りをしていた。といっても「文化功労者選考分科会の名簿は何を見たらわかるか、その名前を知りたい」という質問への対応に多くの疑念が残った。この単純な回答に2週間もかかったのである。この文化庁の対応にも、その情報管理において、国民との遮断、閉鎖性の一端を知ることになった。「シツコイ」といわれるかもしれないが~。

 まず、文化庁の代表番号に電話をかけた。内線番号がわかっている場合は、続けて番号を押せとの音声が流れた。知らないので、交換には、用件を伝えて、担当部署につなぐよう伝えると、
「それはできないので、<意見・問い合わせ>の窓口につなぎます」
 簡単なことなので、担当部署に回すように再度伝えると、
「それはできないことになっています。ここでは、担当の内線番号を共有していません」
 ちょっと信じられないことを言うのだが、ともかく、その窓口につないでもらうと
「しばらくお待ちください。順番におつなぎしてます」
 という音声が数十秒ごとに流れて、それだけもうんざりして、何分待たせるのだろうかと。電話を切らせる意図がありありと見える。ともかく待つこと5分近く、これだけでも忍耐のいることなのだ。ようやく担当窓口が出たので用件を伝えると、
「折り返し、電話で回答しますので、電話番号と名前をどうぞ」
たちどころに回答できる内容なので、担当部署に回すように再度伝えても、
「それはできないことになっています」
と、繰り返すばかりなので、ともかく、折り返しの電話を待つことにした。数時間しても電話はないのでないので、もう一度代表番号からかけなおすと、また5分以上待たされて<窓口>がでたので、回答はまだかと尋ねると
「まだ回答は届いていません。担当者にも業務の手順?があるので、しばらくお待ちください」
 翌日も、電話をするが、まったく同様の返事なので、こんな簡単な質問にどうして時間がかかるのかといえば、催促しますとのこと。それでも、数日間、半分は忘れかけていたが、どうしても確認しておきたい内容だったので、2度目の電話の1週間後、再度電話してみると、
「まだ回答がありません・・・。ちょっと待ってください。確認してみます」
といって、しばらく待たされた後、
「申し訳ありません。回答が来ていました。ただいまから選考委員の名前を読み上げます」
いったい、回答はいつ届いていたのか、と問えば、
「2度目の電話をもらった、そのあとに回答は届いていたようです。申し訳ありません。ただいまから、名前を読み上げます。12人です」
ちょっと待ってください。回答が来てから1週間も放置していたのですね、12人の名前って、読み上げは不正確ですから、ファックスして下さい、といえば、
「申し訳ありません、ファックスはできないことになっています」
ほかの役所では情報提供ということで、ファックスしてもらったことがありますよ、とこれまでの経験を話せば、ほかは知らないがここではできないことになっているとの繰り返しであった。結局「文化功労者選考分科会」の委員の名前と肩書をメモしたのだが、以下の通りである。

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岩崎千鶴(萩原):お茶の水大学名誉教授
岩谷徹:東京工芸大学芸術学科教授・日本デジタルゲーム学会
笠原ゆう子:俳人
笹本純:筑波大学名誉教授
田中明彦:政策研究大学院学長
都倉俊一:作曲家、日本音楽著作権協会
富山省吾:神奈川映像学園理事長、日本アカデミー協会事務局長、映画プロヂューサー
坂東久美子:日本司法支援センター理事長、元文部科学省審議官
丸茂美恵子:日本大学芸術学部教授、舞踊家
村瀬洋:名古屋大学院情報学研究科長
山本一彦:理化学研究所生命医科学研究センター副センター長
渡邊淳子:東北大学院生命科学研究所教授

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 上記委員の発令は2019年9月2日とのこと。肩書のメモはやや不正確かもしれないが、『官報』で確かめてほしい。ただし『官報』は30日間はネットで無料で閲覧できるがそのあとは有料なので、紙の『官報』で確かめるかいずれかとなる。最初の質問で、何を見ればその名簿が出てくるのかを尋ねているのに、その回答がないので、文化庁のホームページのどこに出ているのか、出ていなければ何を見ればわかるのか、の回答を再び待つことにした。そして、1週間待てど回答はないので、今度は、他の検索でわかった文科省の大臣官房人事課栄典班という部署を知ったので、内線にかけてみた。名簿は何を見れば知ることができるのか、ホームページに載せていないのかを尋ねると
「9月2日の発令ですから9月3日の官報に掲載されています。ホームページには載せていません。ほかの文化審議会の委員と違って、会合は1回しか開催されないので、ホームページには載せないことになっています。1回きりなので、いつまでもホームページに名前を載せるのはどうも・・・」

 ことほど左様に、市民が国の情報を得るのには、いくつものバリアがあり、その困難さは半端ではない。情報社会といわれる中で、必要な情報の獲得がいかに難しいかは、これまでも当記事で、何回か伝えてきた。私が住む佐倉市でも、その情報公開制度の在り方を少しでも改善したいと思い、かつて、市の情報審議会に市民応募枠で、委員を2年間務めたことがある。専門的知見も怪しげな委員が何期も務め続けて居座り、いわば市の承認機関に成り下がっていた。もちろん私は再任されることはなかったのである。

 ところで、本題の文化勲章は、文化功労者の中から選ばれる。その文化功労者選考分科会は、なんと、年に1回しか開催されていない。ということは、一つ前の記事でも記したように、文部科学大臣から推薦された者について分科会の意見を聞き、内閣府賞勲局で審査を行い、閣議に諮り決定するのである。

 文科大臣というけれど、大臣官房人事課が用意した候補者名簿を承認するだけの分科会であることがわかる。多分野の以下の21人に対して、意見も言いようのない委員たちであろう。選考委員など何のチェック機関にもなり得ないのが実態であろう。候補者名簿がどのように作成されるのかは明らかではない。さまざまなルートを使って、官僚が選出することになるわけだが、そこに、さまざまな団体での活動や政府への貢献度が一つの目安となり、各団体の長や政治家の恣意性が入り込む余地が少なくないのは、他の褒賞制度や「桜を見る会」とも共通するではないか。にもかかわらず、文化勲章、文化功労者の受章者たちを、この上もない栄誉として追いかけるメディ
ア、その選考過程にも目を向けるべきであろう。文化勲章は親授式で天皇から直接手渡される勲章でもある。その本人たちには、350万円の終身年金も保証されるが、ほんとうに必要な人たちなのだろうか。

 「文化」を育て、継承していく方向性に間違いはないのか。

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<2019年文化功労者>

石井幹子(照明デザイン)猪木武徳(労働経済学、政治思想史)宇多喜代子(俳句)大林宣彦(映画)金出武雄(ロボット工学)興膳宏(中国古典文学)小林芳規(日本語学)近藤孝男(時間生物学)笹川陽平(社会貢献・国際交流・文化振興)佐々木卓治(作物ゲノム学)佐藤忠男(映画評論)田渕俊夫(日本画)萩尾望都(漫画)馬場あき子(短歌)坂東玉三郎(歌舞伎)藤原進一郎(障害者スポーツ振興)宮城能鳳(組踊)宮本茂(ゲーム)柳沢正史(分子薬理学)吉野彰(電気化学)渡辺美佐(文化振興)

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2019年11月12日 (火)

「桜を見る会」と「勲章」も同じ構図では

 今年の文化功労者の中に、歌人の馬場あき子の名があったし、秋の叙勲では永田和宏が歌人として瑞宝中綬章を受章していた。<注1>上に「文化」が付こうと「芸術」が付こうが国が取り仕切る栄典制度の一環である。拙著でも何度か触れていることだが、「シツコイ」といわれても、大事なことなので繰り返しておきたい。

 この度、「桜を見る会」が国会で問題になっているが、日本の現行の栄典制度には、同様の曖昧さと疑念が残る構図になっていることがわかる。要は、各行政省庁に自治体やさまざまな関係団体から上がってきた名簿を内閣府や文化庁、官邸などが最終的に調整する仕組みである。「桜を見る会」と一緒にしてもらっては困るという人は多いかもしれない。「桜を見る会」の招待者が決まる過程が徐々に明らかになればなるほど、そのあけすけな露骨さが問題にならなかったことの方が不思議でもある。大方のメディアは、宮内庁が取り仕切る園遊会にしても、一種の風物詩のような扱いで、主催者と人気者のツーショットを映像やコメントで報じる程度である。それというのも、首相は、報道関係者や「文化人」、タレント、スポーツ選手らとさかんに懇談や会食に勤しむことによって、牽制、懐柔を重ねてきた結果だろう。

 ところで、日本の栄典制度は、大きく分けて、春秋叙勲・文化勲章・褒章がある。 生存者叙勲授与は、1946年閣議決定より一時停止されたが池田勇人内閣の1963年「閣議決定」により翌年から再開、現在は毎年4月29日、11月3日に春秋叙勲として実施されている。 候補者は、栄典に関する有識者の意見を聴取した上、「要綱」や「基準」なるものに基づき、各省各庁の長から推薦された候補者につき、内閣府賞勲局が審査、閣議に諮り、決定される。ここでの「栄典に関する有識者」の会議とは、会社社長や大学教員らが召集され、一年に一度か二度開かれる。その議事要録を見ても、民間人や女性を増やせ、地方やNPOの活動にも目を向けるべきとか、井戸端会議的な意見が記録されているに過ぎなく、形式的なもので、実質的には、役人が選出する受章者なのである。

 その上、1964年から復活した生存者叙勲制度の根拠は「閣議決定」だけであって、法律的な根拠がなく、「要綱」のみで運用しているに過ぎない。敗戦後1948年来、幾度も「栄典法案」なるものが国会に提出されながら、反対意見は根強く、廃案が続く中、「閣議決定」という強引な方法により実施されることになった経緯があった。法律に基づかない制度として、当時は、憲法違反という研究者の声も大きかった。日本国憲法7条7号天皇国事行為の一つとして定める「栄典を授与すること」のみを根拠とし、法律ではない、政令(太政官布告、勅令)・内閣府令(太政官達、閣令)・内閣告示などに基づくという、明治の遺物のような制度なのである。

 文化勲章についても同様で、1937年文化勲章令(勅令)に基づくもので、1951年「文化功労者年金法」は、「文化勲章」への通過点である「文化功労者」の年金について定めているにすぎない。その年金は、現在は350万円だが、憲法14条「栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない」に抵触しないかの疑念は払拭できない。その選出方法も文化庁「文化審議会」の中の「文化功労者選考分科会」委員の意見を聞いて文部科学大臣から推薦された者について内閣府賞勲局で審査を行い、閣議に諮り、決定されるのだが、その委員の名簿も公開されていないようだ。最近はノーベル賞の後追いのようなケースも目立ち、内閣はもちろんだが、かかわる役人たちの推薦、審査の評価の基準が曖昧な上に、評価のできる人材もいないという証拠だろう。

 こうした勲章を「名誉」として、嬉々としてもらう人たちがなんと多いことだろう。政治家や官僚、実業家たちはいわば仲間内の事情での授受であり、芸能人、スポーツ選手たちなど「人気商売」ならいざ知らず、多くの理系・文系の研究者や文芸にかかわる人たちまでが、はしゃいでいる姿、ほめそやすメディアを見るのは、この国の民度を思い知らされるようだ。

 文芸に関しては、国家的な褒賞制度として「日本芸術院会員」制度、<注2>「芸術選奨」制度もある。これについても何度か書いていることだが、前者については、分野ごとに定員制が採られ、会員の選考基準は政令「日本芸術院令」により、部会ごとの候補者を部員の過半数をもって推薦し、総会の承認を経て、文科大臣が任命する。芸術院賞の選考基準・手続きについての法令はなく、各部会に対して推薦を求め、全会員による選考で絞り、各部会の過半数で内定するのが慣習となっているようである。ということは、新しい会員や賞を決める過程で、関係分野の会員が直接関与できるという内向きな制度で、その恣意性は免れないであろう。「芸術選奨」については、かつて、私が作成した「芸術選奨(短歌関係)選考審査員・推薦委員・受章者の一覧」(『天皇の短歌は何を語るのか』82頁)を、あらためて眺めてみると、受賞者が選考審査員や推薦委員がなり、数年づつ続き、選考審査員と同じ結社の歌人が受賞者となるケースも何回か見られる。歌人に関しては、これらの加え「歌会始選者」という「ステイタス」もある。

 世間では、というよりはマス・メデイアでは、これらの栄典、褒賞制度における受章者や受賞者にライトをあて、その権威や栄誉を強調するけれども、その選考過程に目を向けることはない。しかし、こうした栄典・褒賞制度の閉鎖性や公平性、さらには、政権や天皇制との直接的な関係にこそ、焦点があてられるべきではないか。

<注1>褒賞履歴

馬場あき子(1928~):1993年紫綬褒章、2001年日本芸術院賞、2003年日本芸術院会員、2019年文化功労者

永田和宏(1947~):2004年芸術選奨文科大臣賞、歌会始選者、2007~9年芸術選奨推薦委員、2009年紫綬褒章、2015~17年芸術選奨選考委員、2019年瑞宝中綬章

<注2>「文芸」部門の現在員27名中の9人が「詩歌」関係で、歌人の会員は、岡野弘彦、馬場あき子、佐佐木幸綱、岡井隆の4人である

<参考>褒賞制度概要一覧~選考過程と根拠法令

ダウンロード - hosyousennkousosiki.pdf

 

昨年の4月にも怒っています!!

2018年4月27日 (金)

「桜を見る会」・「春の園遊会」と「歌会始」~そこに共通するのは

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2018/04/post-7492.html
(しばらくの間、このURLが間違えていました。訂正しお詫びします)

 

 

 

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2019年11月11日 (月)

「大丈夫」って?何が?「嵐」が歌った即位を祝う歌

 11月11日は、新聞の休刊日なので、朝のテレビを見ていると、昨日祝賀パレードが、「良かった」「感動した」「素晴らしかった」「すごかった」「おきれいだった」など、キャスターもゲストも晴れやかに語るのだが、何がどうよかったのかがわからない。たしかに天気は良かったので、我が家では布団を干した。そして、前夜11月9日の民間団体が開催したという「国民祭典」での「嵐」の歌にも、同様に「良かった」「感動した」「素晴らしかった」などの言葉が繰り返された。ここでの「奏祝曲」というのは、第一楽章オーケストラによる「海神」、第二楽章辻井伸行のピアノ演奏、第三楽章が「嵐」の歌という、組曲「RAY OF WATER」をいうらしい。その歌詞の一部はつぎのようなのだ。皆さん、聞き取れていただろうか。

大丈夫 鳥は歌っている

大丈夫 空は輝いている

大丈夫 水は流れている

大丈夫 海は光っている

君と笑ってゆく 君と歩いてゆこう
(岡田恵和)

 これって、新しい「君が代」? 言葉はやさしいし、幼稚園生でも覚えられる。まだ台風や大雨の被害から立ち直れない人々、あの氾濫した濁流に孤立した人たち、浸水で家が住めなくなった人たち、牛舎やビニールハウスを押し流された人たち、避難勧告情報が届かなかった人たちの恐怖や不安を逆なでするような「大丈夫」。東日本大震災の津波や原発事故、その後に続く被災者たち、いや今回の台風や大雨の被害を直接受けなかった千葉県民の私でさえ、「大丈夫 水は流れている」と歌われたら、ドキッとする。天皇が、被災者へお見舞いを述べようと、復興を願おうと、内閣改造に専念する首相、「私的な視察」をして登庁しない県知事は、後追いで「速やかな対策を指示」するばかりである。辺野古で進む基地建設、いつ落ちて来るかもしれない戦闘機やオスプレイ、「放射能はアンダーコントロール下にある」「東京は温暖」とうそをつき、IOCの誰彼を買収した疑念などある中で招致が決まった東京オリンピックが来年という。

 児童虐待、学校での犯罪、大学入試の不正や民間導入による不安、雇用や過労死の不安、セクハラの横行、年金や医療への不安、税金の不公平・・・、老若男女、国民は決して守られてはいない。犯罪や失策を、政治家や官僚、経営者は、頭を下げたり、言い訳を繰り返したりして一件落着、だれも責任を取らない日本って、大丈夫なのか。

 メディアもだらしない!国民はなぜ怒らないのか!大雨でどろどろになった家庭菜園で掘ったというサツマイモを届けてくださったご近所の方と期せずして嘆いたのであった。

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天皇への「親しみ」と「畏れ」は何を意味するのか~祝賀パレードの今昔

 10月22日の新天皇即位の儀式に、2018年6月23日沖縄慰霊の日に、平和の詩「生きる」を朗読した女子中学生が招待されていたことを後で知った。招待者をどのように決めたのかは定かではないが、招待した側も、それに応じた側の双方に、大人の論理、じゃなくて、打算があったのではないかと、キナ臭さを感じたのだった。追い打ちをかけるように、メディアは、本人に参列の感想を述べさせるのを目の当たりすると、シナリオ通りにことが進んでいるのだということを実感させられた。

 そして、11月9日、皇居前広場で、財界や超党派の国会議員連盟などが主催の天皇即位を祝う「国民祭典」が開催された。一部テレビの中継やニュースで見ていたが、天皇夫妻正門石橋から退場し、姿が見えなくなるまでの「天皇陛下万歳」がしつこいほど繰り返されていた。会場は日の丸が盛んに振られてはいたが、俯瞰する映像を流しはしなかった。どれほどの人が集まったのか。思わず、目を蔽い、耳をふさぎたくなるほど、生理的な嫌悪感にさいなまれた。

 その前に、子役で人気だった芦田愛菜(2004年~)が振り袖姿で?述べた祝辞が、“大人”以上に敬語満載の、不自然きわまりない“操り人形”めいて、むしろ痛ましかった。

 この2件で思い起こすのは、十分“大人”のビートたけし(1947年~)が、今年4月10日に開催された平成天皇の即位三十年を祝うという「感謝の集い」で述べた祝辞だった。笑いを取ろうとしたのかワザとらしい演出とその内容に違和感があった。活舌があまりよくなく、聞き取れない部分もあったのだが、とくに、祝辞の中のつぎのようなクダリがあるのを知って不思議に思った。

「母は私の頭を押さえ『頭を下げろ。決して上げるんじゃない』とポコポコ殴りながら、罰が当たるぞと言いました。私は母の言う通り、見たい気持ちを抑え、頭を下げていました。そうしないと罰が当たって、急におじいさんになっていたり、石になってしまうのではないかと思ったからです。
 そういうわけで、お姿を拝見することはかないませんでしたが、お二人が目の前を通り過ぎていくのは、はっきりと感じることができました。」

  1959年4月10日の天皇結婚記念のパレードのときのことらしい。タケシは1947年1月生まれだから、中学校入学の年ではなかったか、タケシ初の天皇(皇太子)体験だったようだ。しかし、上記のようなことがあり得たのか、そんな“純朴”な中学生だったのか・・・。少しできすぎた話ではないかなと。

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1959年4月10日「結婚の儀」を終えたばかりの皇太子夫妻 写真:共同通信社

 そしてさらに想起するのは、高村光太郎が、戦時下におびたしい戦争詩を発表していたことを、敗戦後「自省」の意味を込めて「暗愚小傳」と称して、発表した20篇ほどの詩であった。その冒頭がつぎのような作品だったのである。

「土下座(憲法発布)」 

誰かの背なかにおぶさつてゐた。
上野の山は人で埋まり、
そのあたまの上から私は見た。
人払をしたまんなかの雪道に
騎兵が二列に進んでくるのを。
誰かは私をおぶつたまま、
人波をこじあけて一番前へ無理に出た。
私は下におろされた。
みんな土下座をするのである。
騎馬巡査の馬の蹄が、
あたまの前で雪を蹴つた。
箱馬車がいくつか通り、
少しおいて、
錦の御旗を立てた騎兵が見え、
そのあとの馬車に
人の姿が二人見えた。
私の頭はその時、
誰かの手につよく押さへつけられた。
雪にぬれた砂利のにほひがした。
―眼がつぶれるぞ―

(『展望』1947年7月)

 高村光太郎(1883~1956年)が、この詩を作ったのが1947年、テーマは、1889年2月11日明治憲法公布時の祝賀行幸啓の光景だろう。光太郎は3月生まれだから、1カ月ほどで7歳になる頃だった。沿道の人群れの中を大人に背負われ最前列に出て、土下座をして馬車を見送ったことになる。光太郎の幼少時の天皇体験だと言える。

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聖徳記念絵画館壁画「憲法発布観兵式行幸啓」(片多徳郎画)明治22年(1989)2月11日 桜田門(東京)

 ちなみに、今年の代替わり前後4~5月に行われたいくつかの世論調査では、若干質問のニュアンスは異なるものの、70~80%が皇室への親しみを示している。上記の「畏れ多い」という対応と「親しみ」という対応のギャップは、興味深い。どちらにしても、宗教的な、閉じられた狭いせまい世界を、情報操作によって、利用するためにこそ天皇(制)を維持しようとする人たちがいることは確かなのではないか。

朝日(4月18日):今の皇室に親しみを持っているか―持っている72%
共同通信(5月3日):即位の新天皇に親しみを感じるか―感じる82.5%
毎日(5月20日):天皇に対して好感を持つ34%、親しみを持つ27%、尊い9%、畏れ多い3%―合わせて75%

 今回の新しい天皇の即位を祝う「即位の礼」「国民祭典」、平成の天皇在位30年「感謝の集い」、さらに、さかのぼって明治憲法公布祝賀行幸啓と、場こそ異なるものの、天皇と国民がわずかに接する場であった。その虚実のほどは検証を要するが、その時代、時代の年少者の天皇体験を垣間見ることができる。

 今日11月10日の即位祝賀パレードを沿道で迎えた人、メディアを通じて接した人たち、特に若い人は、この光景をどう受け止めたのか、どんな感想を持ったのだろう。将来、どんな記憶となって、あるいは、作品となって残されるのだろうか。同時に今の若い人たちや子どもたちが、何のわだかまりもなく、違和感もなく、大人たちの、十分、意図的な天皇賛美の思惑を素直に受け入れてしまっていたら、やはり、日本の歴史の不幸は繰り返されるのではないか。

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2019年11月10日、即位祝賀パレード(『毎日新聞』)、沿道の人出は、11万9000人とされ、前回の平成天皇即位祝賀パレードの「奉祝者数」は11万7000人ということになっているが、ここにも微妙な配慮が推測される。

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2019年10月29日 (火)

それでも「饗宴」は続くのか

 即位礼の祝賀パレードを11月10日に延期した理由は何だったのだろう。台風被害に配慮してとのことだったが。天皇夫妻が即位礼参列者への返礼として開催される「饗宴の儀」は、下記の資料に見るように4回開かれる。すでに2回は終了し、あと2回を残している。平成改元の折は7回、3400人を招待したが、今回は4回とし、2600人に絞ったということだが、予算は、増額されているのだ。しかも、その招待客の差別化が、あまりにも露骨なので驚きもする。

 この時期に、こうした一連の行事が開催されていることについて、野党も、新聞やテレビの報道(番組)でも決して異議を唱えない。テレビの「即位の礼」報道では、参列したコメンテイターを複数まじえ、10月22日、朝からの雨も即位礼が終わる頃には、日が射してきて、虹までかかり、新しい時代の到来を告げたかのようだとか、その感動を語らせるのだった。外国の参列者を迎える天皇夫妻が晴れやかだったとか、首相夫人のドレスがおかしくないかとか、どうでもいいことではないか。新しい皇后の病気が快復したのはいいけれど、これまではいったい何だったのだろうか。高御座の幕が開けられて天皇が現れるという光景は、仕掛けばかりが大きい手品を見せられているようだった。天皇の「おことば」に「平和」が何回出てきたとか、「国民に寄り添う」姿勢は平成と変わりはないとか、丁寧に解説されても、政治的権能のない天皇の発信に感動したり、ことさら評価したりすることは何を意味するのだろう、というのが私の率直な疑問と感想だった。

 即位礼に続く「饗宴の儀」は、2018年11月20日の閣議決定で概要は決まったが、詳細、経過は、以下の首相官邸HPの「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典委員会」、さらに実務的な資料は、宮内庁HPの「大礼委員会」を見てほしい。二つの委員会はともに、2018年10月12日発足している。

宮内庁/大礼委員会
https://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/shiryo/tairei/

 首相官邸(内閣官房・内閣府 皇位継承式典事務局)/天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典委員会https://www.kantei.go.jp/jp/singi/gishikitou_iinkai/

 平成改元の折の饗宴の儀と比較している資料(第6回2019年6月20日天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典委員会配布資料3-1)があるが、以下のように簡単にまとめた記事があった。

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 JIJICOM(10月27日)より

 台風15号、19号、そして今回の大雨での千葉県の被害は、尋常ではなかった。いずれも、私の住む地域では、大きな被害はなかったのだが、テレビや新聞の上空からの佐倉市の映像を見て心が痛む。ふだん目にしていた光景が一変したのだ。

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氾濫した鹿島川『毎日新聞』(10月26日)より

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10月26日9時5分撮影『毎日新聞』(10月27日)より
 

今回の大雨で高崎川は氾濫し、JR佐倉駅と周辺の冠水をもたらした。駅の線路も水没したという。鹿島川の氾濫は、当地に引っ越してきて30年余、これまで聞いたことがなかったが、広範囲の冠水と土砂崩れを引き起こした。国立歴史民俗博物館の駐車場も土砂崩れがあったらしい。

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歴博周辺の浸水地域  東京新聞(10月28日)より


 
印旛沼のサイクリングロードは、かつて、家族で、自転車で何度か出かけ、阿宗橋から船戸大橋、竜神橋、鹿島橋まで走らせたこともある。雨が上がった後も、印旛沼の水位が上がっているとの報道もあり、27日も取材のヘリコプターが飛んでいた。千葉県内では犠牲者が9人にもなり、農業被害や家屋の倒壊・浸水など、再建や復旧が危ぶまれる事態が続いている。
 房総半島の南部では、屋根のブルーシートが破れたり、停電が復旧した矢先の大雨で再び冠水したりして、泥だらけの家電や畳を運びだす人々、倒壊したビニールハウスを前に途方に暮れる人々を目の当たりにすると、やりきれない。がれきの処理も一自治体では処理できない状況が続いている。一度訪ねたことのある館山の「かにた村」もどうなったことか、心配でもある。
 さらに、福島や宮城県では、台風被害・大雨被害での犠牲者に加え、放射能汚染土のフレコンパックの仮置き場からの流出、風評被害から立ち直りかけた農家の方たちへの打撃は、言葉では表せないほどの口惜しさと将来への不安を募らせたことだろう。

 こんな状況の中で、なぜ「饗宴」は続けられるのか。招く側も、招かれる側も、一度立ち止まって、いま何をすべきなのかを考えてほしい。

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2019年10月20日 (日)

政治利用されない「天皇制」って、ありですか?~パレード延期と恩赦に思う

「祝賀御列の儀」というパレード

 天皇即位に伴う祝賀パレードが10月22日から11月10日に延期された。また、即位に伴う恩赦の政令が出されることになった。ともに、10月18日の閣議で決定されたのだが、パレード延期の件は、すでに、NHKwebnewsでは、 10月17日に安倍首相は被災地の宮城県丸森町で「延期する方針で検討」と語り、延期の方針、午後3時49分付では、11月10日に延期との報道があり、新聞では18日朝刊で「政府の方針」として先ぶれ報道がなされた。恩赦については、18日午前中の閣議で決定された後に報道されている。
 私には、この報道の微妙な時間差を意図した政府広報、メディア・コントロールこそが天皇即位自体と関連報道を、フルに政治利用をしている場面に思えたのだ。
 パレード延期の理由が「甚大な被害を出した台風19号の被災地に配慮」して、とのことであった。前日までは、「淡々と進めている」と記者に答えていた菅官房長官だったが、17日の会見では「諸般の状況を総合的に勘案した」としている。首相は、被災地のぶら下がりで、延期の方針を発表したかったのだろう。それに、あまり評判の良くない「恩赦」と同時発表は避けなければならかったにちがいない。
 被災地への配慮というならば、直近では、15号台風の被災地、被災者の現状、さかのぼれば、東日本大震災、福島原発事故の被災地・被災者の実態を知らないわけではないだろう。11月10日に延期したところで、状況が大きく改善するわけもない。

 菅官房長官は、「宮内庁と相談したが、あくまでも内閣として判断した」と会見で語っていた。しかし、報道によれば、宮内庁関係者は「突然でびっくり」ともらし(毎日新聞10月18日)、政府関係者は「台風によりパレードの警備にあたる警察官の確保が難しくなったという事情」を語ったという(東京新聞10月18日)。被災地や被災者に配慮したとは、たてまえからも実態からも大きく離れてはいないか。さらに、国事行為として行われる内外の要人を迎えての祝宴や首相夫妻の晩餐会などの一連の行事とて、被災地や被災者を配慮するというのならば、中止して、その経費や労力を災害復旧・復興に充てるくらいの決断があってもよいのではないか。祝宴にしても晩餐会にしても、即位を利用しての政府の大判振る舞いに過ぎない。一般国民の生活に何ら寄与しないではないか。今の憲法下で、政治的権能を有しない天皇の存在自体が、死去ないし退位、改元・即位、結婚などに伴うさまざまなイベントや活動が、時の政府に組み込まれ、加担、補完する役割を果たすことになるのは、むしろ当然の成り行きであろう。

 私などからすれば、日本国憲法に「第一章」がある限り、とりあえず、天皇、皇族方には、「象徴」などというあいまいな役まわりをさぼってもいいので、ひっそりと自由に、退任でも、代替わりでも、結婚でもなさったら、よろしいのにとも申し上げたい。そして、現代の日本にとっての「象徴天皇制」は必要なのかの問いに対峙したい。

日本は、これで法治国家?

 政府は、都合が悪くなると、日本は「法治国家」だからといって、法律に従い、粛々と、淡々とことを進めてしまい、進めた結果の責任はだれも取らないのが、日本の法治国家の実態である。

 「恩赦」は、旧憲法下では、天皇の大権事項であったが、日本国憲法下では、天皇の国事行為(7条6号)で、内閣が決定する天皇の認証事項である。大赦、特赦、減刑、刑の免除、復権とあるが、いずれにしても、一度、裁判所が犯罪者の処罰を決めるという「司法権」に「行政権」を持つ内閣が介入して「処罰」がなかったことにする制度である。今回は、罰金刑により制限された資格を復活させる「復権」が大半という。その対象の55万人のうち、道路交通法違反者が65.2%で三分の二を占めるが、他は過失運転死傷、傷害・暴行・窃盗の罪を犯した者、公職選挙法違反者たちが含まれるのである。
  具体的に、今回の政令恩赦では、2016年10月21日までに罰金を納めた約55万人が対象となった。罰金刑を受けると、原則として医師や看護師など国家資格を取得する権利が5年間制限されており、こうした権利が回復する。法務省によると、対象者の約8割が道路交通法や自動車運転処罰法などの違反。公職選挙法違反による罰金納付から3年がたった約430人の公民権なども回復されることになる(JIJI.com10月18日)。
 しかし一定の条件をクリアしただけで「自らの過ちを悔い、行状を改め、再犯のおそれ」がなくなった者への更生の励みや再犯防止策になるという建前ながら、実態はどうなのか、疑問は尽きない。今回も当初、法務省は、皇室の慶事による恩赦は「社会への影響が大きく、三権分立を揺るがしかねない」とその不合理性を指摘、実施すべきではないとし、また、一律の政令による恩赦でなく、対象者を個別に審査する「特別基準恩赦」のみの実施を訴えたという(朝日新聞10月19日)。しかし、政府としては踏み切ったのである。その過程や決定の不明瞭さはぬぐえず、そもそも、内閣の恣意性が問われ、そのチェック制度がない恩赦は、実施すべきではなかったのではないか。

 諸外国において、たとえば、イギリスでは、恩赦権は大法官・法務大臣の助言に従う国王大権の一つであるが、その運用にあっては、罪や刑罰を定めて一律に行う大赦は、1930年以降実施されておらず、過去20年間に行われた特赦2件、他の恩赦も厳しい条件のもとに実施されている。フランスでは、他のヨーロッパ諸国に恩赦制度が実施されることはまれなことから、大統領選ごとに行われていた慣例的な恩赦も2007年以降実施されなくなった。アメリカでは、大統領に恩赦権はあり、司法長官の助言を受けて実施するが、減刑や罰金刑減額などは、別の制度によるとされ、2018年度に承認した恩赦は、特赦、減刑あわせて10人であった。

 日本のように、行政府が、恣意的に一律に大量に行う「恩赦」などは、もはや特異な例と言わねばならない。今後は、皇室の慶事にかこつけてなされる「恩赦」を内閣には実施させない選択を迫るべきではないか。

 こうして、利用されるだけの「象徴天皇制」を少しづつでも無化するには、どうしたらいいのか。

<参考>

・小山春希「恩赦制度の概要」『調査と情報』No.1027
(2018126)file:///C:/Users/Owner/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/JDLUCL85/digidepo_11195781_po_IB1027%20(1).pdf

・法務省のQ&A「なぜ恩赦は必要なのですか?」
http://www.moj.go.jp/hogo1/soumu/hogo_hogo10.html#02

・法務省「「復権令」及び「即位の礼に当たり行う特例恩赦基準」について」
20191018日)
http://www.moj.go.jp/hogo1/soumu/hogo08_00006.html

・晴天とら日和「恩赦に反対します」(2019年10月20日)新聞記事などのまとめあり
http://blog.livedoor.jp/hanatora53bann/archives/52334331.html

 

 

 

 

 

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2019年10月12日 (土)

<「暗愚小傳」は「自省」となり得るのか―中村稔『高村光太郎の戦後』を手掛かりとして> を書きました

 当記事でもお知らせしましたように、表記の拙稿収録の雑誌『季論21』46号(本の泉社)が発売となりました。新聞広告による「目次」と拙稿の章立てを紹介いたします

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『季論21』46号(2019年10月)新聞広告より

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「暗愚小傳」は「自省」となり得るか――中村稔『高村光太郎の戦後』を手掛かりとして

はじめに

蟄居山小屋生活の実態

『高村光太郎の戦後』に見る「自省」とは

日本文学報国会の高村光太郎

戦時下の朗読運動の中の高村光太郎

高村光太郎における詩作品の隠ぺいや削除はあったのか

付表:主な高村光太郎詩集・選集の出版概要一覧(1914~1966)

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 「日本文学報国会の高村光太郎」では、櫻本富雄『日本文学報国会』、坪井秀人『声の祝祭』やNHK編『日本放送史』などを踏まえて、光太郎が詩部会の会長を務めていた日本文学報国会が力を入れていた「戦争詩の朗読・放送」について、少し調べてみました。お手元の詩のアンソロジーやいくつかの文庫の高村光太郎詩集や『智恵子抄』などと一緒に拙稿を読んでいただければ幸いです。

 なお、この拙稿には、書ききれなかったいくつかを、当ブログの「あらためて、高村光太郎を読んでみた1~9」に綴っていますので、お読みいただけれと思います。

 また、絵葉書や展覧会のカタログ・チラシなどを整理していた折に出てきた二葉のはがきです。

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「平塚らいてうをしのぶ展記念はがき」という袋に残っていた二枚です。右が『青鞜』創刊号(1911年9月)の表紙、長沼智恵子(1886~1938)の作品です。その後、高村光太郎と結婚する智恵子ですが、挿画はミュシャを思わせるものがあります。この才能を伸ばしきれなかったのは「光太郎の理想主義的な愛とモラルに圧迫」されたこととの関係が問われることもあります(『近現代日本女性人名事典』)。左が『青鞜』2巻4号の表紙、尾竹紅吉(富本一枝、1893~1966)の作品です。

 

<追記2019年11月11日>

下記のブログにて、拙稿を書影入りで紹介いただきました。

ありがとうございます。

高村光太郎連翹忌運営委員会のblog

(2019年1029 10:45)

http://koyama287.livedoor.blog/archives/3953722.html

 

<追記2020年1月16日>

下記の『季論21』のホームページにて、上記拙稿の一部が閲覧できるようになりました。併せてご覧いただければ幸いです。

http://www.kiron21.org/pickup.php?112

 

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