2026年9月26日 (土)

遅すぎないか、「天皇制自体を問う論議」―朝日新聞のインタビュー記事に想う

  きのう9月25日の朝日新聞のオピニオン欄「交論」は、憲法専攻の西村裕一氏と社会学専攻の上野千鶴子氏による「天皇制と憲法一条」論だった。こうした論議が、なぜ、今になってなされるのか。7月17日の皇室典範の改定成立への長い過程にあって、多くのマス・メデイアは、今回のような天皇制自体の論議はスルーして、女性・女系天皇論を盛り上げ、改定手続きなどを問題視してきた。

 それでも、朝日新聞は、皇室典範改定が確実視される段階になった7月10日の社説で、「象徴天皇制と、法の下の平等や個人の尊重など〈人類普遍の原理〉という異質なものが憲法に同居しており、完全に整合させることは難しい」と論じ、改定案成立後の7月19日に、有田哲文記者による「日曜に想う 天皇制〈なぜ〉続けるのかを問う」を掲載した。そして、きのうの両氏によるインタビュー記事だったのである。それにしても、遅すぎたのではないか。皇室典範改定が国会やメディア、ネット上で問題になっているさなかに、こうした問題提起がなされなかったのか。政権への忖度、皇室への配慮があったとしか思えない。後述の『世界』の岩波書店にも同様のことが言えそうである。

  西村氏の論旨は、憲法一条は、天皇の地位は国民の総意に基づく、となっているが、その「総意」を単なる法律に過ぎない皇室典範の改正に持ち出す必要がないということ、天皇制に憲法の平等原理が及ばないのは「飛び地」だからという論は、皇室典範という法律を憲法原理が及ばない領域にしてしまうのは問題であるというに二点にあると理解した。「国民の『総意』に問われているのは、女性差別をはじめとする様々な差別を内包させた天皇制というシステムを、これ以上存続させるかどうかのはず」だと語る。

上野氏は、『世界』の8月号の寄稿の「憲法一条改憲」の真意を問われ「象徴天皇制に幕を引こうという提案です。なので第一条を中心にした憲法改正が必要になります」とし、天皇制は国民の出自によって身分格差を設ける仕組みで、憲法の定める平等原則に反し、加えて、皇族や天皇の人権を無視した非人間的な制度でもある、と語る。

 両者の発言は、まさに、現憲法上の天皇制自体の存否を問うものであり、貴重な発言であった。

  西村氏による現在なされている天皇制存続論議は現憲法にてらしても基本的な不備があり、整合性に欠くとの指摘は重要だと思う。上野氏は、これまで天皇制について「発言を断ってきたのは天皇制への関心が薄れ、いつか制度としてフェードアウトしていけばいい」と思ってきたからという消極的対応も、どこかメディアの姿勢と通ずるものがあったのではないかと思えてしまう。彼女は、池田香代子のインタビューでも、天皇制について語っているが、『世界』よりかなりリラックスした発言もあるので、一見のほどを。ここでは、天皇制は政権にとってはコスパのいいシステムだとも語っている。少なくとも、1945年敗戦後以降の天皇制は、GHQ、政権による政治的利用のためだけに存在しているとしか考えられない私も同意見だが、「安上り」かどうかは、いま一つ検討を要しよう。

 <参考>
①上野千鶴子「わたしが女性を歓迎しないこれだけの理由」『世界』2026年8月号 (WEB世界 https://websekai.iwanami.co.jp/posts/9748) (2026年7月10日)

②シン池田香代子世界を変える100人の働き人41人目・上野千鶴子「続けますか?<人権の飛地>頼みの権威主義」
https://www.youtube.com/watch?v=vednP4QxceE2 (2026年7月2日収録)

③当ブログ記事「『愛子天皇待望論』って、何だったのか~地元の九条の会のニュースに書きました(2026年9月 6日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2026/09/post-8a8fa3.html

 

 

 

 

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2026年9月 6日 (日)

「愛子天皇待望論」って、何だったのか~地元の九条の会のニュースに書きました

 9月4日、地元の九条の会のニュースの印刷に行ってきました。佐倉市の中央公民館の印刷機は新しいし、折り機もあるので、よく利用してきました。転居により、前より近くなったので、手伝う機会も多くなるかもしれません。2006年、会の出発当初は、会員も多く、様々なイベントに取り組んできました。ニュースも3000部ほど刷り、戸別配布、駅頭配布、市内の高校前配布もしてきましたが、今は配り手も少なくなって半減しています。大事なときに残念ですが、それぞれの得意を活かして頑張りたいです。

 以下が、55号です。皇室典範改定については、メンバーの中でも意見が異なっています。さらに議論を進めることができればといいな、と思っています。私の文章は、相変わらずのことなのですが、どうぞ、他の記事もお読みいただければ幸いです。

さくら・志津憲法9条をまもりたい会ニュース55号

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男女を問わず、皇族たちの人権は?「愛子天皇待望論」って、何だったのか

 「皇室典範改正案」は6月30日に閣議決定された。大方のマス・メデイアは、旧宮家の男系男子を養子とする案への疑念を呈し始めた。たしかに、養子案は荒唐無稽な時代錯誤も著しく、非科学的な「万世一系」に根拠もなく、多くの国民は受け入れ難かったに違いない。同時に、新聞などは、自社の世論調査結果を踏まえて女系・女性天皇への期待を、強調するようになった。

 7月10日、衆院での質疑もそこそこに、即日、賛成多数で可決した。翌日の三大全国紙の社説は、一斉に、国会運営の強引さと野党国民民主と中道が従来の主張に反して改正案に賛成したことを糾弾した。与党の恣意的な国会運営、質疑における詭弁、答弁不能、テープレコーダーのような繰り返しにも近い政府答弁に、私は呆れもした。7月15日参院特別委員会で審議入りし、17日には本会議で賛成多数で成立した。国民そっちのけの国会軽視も甚だしく、見直しは30年をめどとする無責任さである。

 これまで、朝日新聞は、その社説で、7月10日「皇室典範改正の暴走」を非難、養子の男性子孫は皇位継承資格を持つという規定は、女性・女系天皇への道を塞ぐものだとし、毎日も、7月1日「養子の子に皇位継承権を付与する」という改正案は「女系・女性天皇を封じる意図」だと疑念を示した。読売は、4月16日「皇位継承の安定 女性・女系を排除せず論じよ」と明言して以来、世論調査を踏まえて、7月1日にも「女性・女系を排さず議論し直せ」と訴えている。女系・女性天皇を容認しないのは、憲法の男女平等に反するという論調とともにネット上も含め、実現に程遠い「愛子天皇待望論」が噴出、盛り上がりを見せた。まるで、改正案に不満を持つ人たちのガス抜きのように。

 現憲法下では、皇族たちは男女を問わず姓を持たず、さまざまな基本的人権を奪われている。改正案の「女性皇族は結婚後も皇族として残る」ということは、基本的人権を奪われたままで、法的な根拠を持たずに増やし続けた「公的行為」「公務」の人材要員となるにすぎない。配偶者や子どもの処遇、住所や生活費はどうなるのかも不明に近い。

 なお、かりに、女性天皇が実現したとしても、従来、天皇が背負ってきた義務や重圧を女性皇族までに拡大することになり、配偶者と子孫の処遇ものの昧である。

 本来、皇族といえども、憲法上は、男女を問わず、皇籍を離れる自由、結婚の自由、子供を持つか否かの自由があるはずである。また、憲法では、天皇は政治的権能を有しないはずだが、果たしてきた役割を省みれば、政権との密接な関係は否定できない。外国訪問、戦死者・被災者慰霊、種々のイベントへの参加によって、政権の施策の欠落部分の補完機能を強いられ、利用され続けている現状に目を向けるべきだ。

 朝日新聞の7月10日の社説に「象徴天皇制と、法の下の平等や個人の尊重など〈人類普遍の原理〉という異質なものが憲法に同居しており、完全に整合させることは難しい」とやや踏み込んだ一文あったことに私は注目した。さらに、改正案成立後の7月19日に、有田哲文記者による「日曜に想う 天皇制〈なぜ〉続けるのかを問う」という問題提起がなされた。憲法の基本理念と天皇制は相容れないはずである。〈なぜ〉この時期に至って、記者名による基本的な問いかけがなされたかをも記憶にとどめておきたい。

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お隣の棟の庭先で出会う。先日の駐車場で見た猫とは違うが、逃げようともせず、かえって怪しまれたかも。        


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2026年9月 2日 (水)

勝手に集めかけた、天皇制に対峙した歌人たち

 こんなことをして何になるのだろうと思いながら、やっぱり気づいた限りで記録にとどめておきたいと思った。私の理解は浅いらしい、表面上のことしか読み取れない。深読みの鑑賞はできない、と開き直ることにした。

 これまでの調査と、いま、渉猟できる手元にあるアンソロジー、ほんのわずかな全歌集、個人歌集、古い雑誌、そしてネット検索の結果である。ほんとは、初出にあたりたいのだけれど、図書館に出かけたり、遠隔コピーを依頼したりする体力・気力が覚束ない。転居の折、手離さなければよかったと思う資料もあったのだが、後の祭り。一応、出典は、メモしているが、さらに確認中である。もし、他の歌人や作品をご存じでしたら、ぜひご教示いただけましたら幸いである。

 若干のコメントも付して、当ブログで発表できる日があればいいと思う。さらに勝手な区分をしながら・・・。

(敗戦直後の歌人たち)

坪野哲久 (1906-1988)

・敗戦の責めの所在を見きはめつつ君をうやまはずまた否定せず

・神にあらず人にも似ざる旅を行き新しき代の感覚のずれ

・切羽つまりしわれらが今日のまなこもて天皇をみる遮ることなかれ

香川進 (1910-1998)

・天皇がただすなほに詫び宜らすことすらなしに何革まるべき  

阿部静枝(1899~1974) 
・雲の上に主権をおきてひれ伏せる暗愚の歴史閉じて起つべし

安藤佐貴子 (1910-1999)

・奉安殿壊つ清しさや古きもの崩えゆく兆しまのあたり見つ

・新憲法かにかく成れど「象徴」の模糊たる二字にわが怡しまず

渡辺順三 1894~1972 

・天皇制廃止のことをこともなげにこの老いはいふゐろり端にて

(抵抗の歌人たち)

大塚金之助(1892~1997)

降伏の日(一九四五年八月)

・真珠湾 奇襲の戦果を その夜の 君は無批判に うけとりました!

人間宣言

・人間が 神になったり その神が 人間になる 国なのである。

・あのやさしい 天皇の名において 十三年、 僕が追放されたとは 信じられまい。

・君のしずかな 態度の底に 暴力を ひそませているのを 見のがしはしない。

・人間を 口にする君が 人間を 虐殺ナチズムを どうしてとったのですか?

木原実(1916~2010)

・襟もとふかく天皇をみた二十歳の未決監房赤い煉瓦みち

・地獄が天皇を待つと書いたザ・サンの記事読みつづける雨のなか

・象徴不信の声もなく早鐘を打つように戦後が終わる

・高速道路に車の影はなく 堵列する亡霊二百十八万八千二百五名の雨しぶく

草野比佐男(1927~2005)

・国会の答弁に似てぬらりくらり歌会始選者受託の弁も

・皇室に御子生れしと祝ぐこゑのとどろきて国はいまも帝国

・皇孫の誕生にまたしばらくはわが非国民はいぢけて過ぎむ

・勲章の人間差別をあやしまずあはれ勲六等感泣す

竹山広(1920~2020)

・現つ神にあらず人民にまたあらず機関車二輌みがきつらねて

・広き窓に並ぶおん顔なほ見えて天皇かなし皇后かなし  

(「前衛」とつらなる歌人たち)

塚本邦雄(1920~2005)

・おどろくばかり月日がたちて葉櫻の夜の壁に若きすめらみこと

・迦陵頻伽のごとくほそりてあゆみますあれはたまぼこのみちこ皇后

山中智恵子(1925~2006)

・雨師(うし)として祀(まつ)り捨てなむみ氷雨は過ぎて昭和終んぬ

・天皇制はいかにあるべき大喪の誄歌(るいか)ながれてやまざるときを

・青人(あおひと)草(くさ)あまた殺してしづまりし天皇制の終を視なむ    

水原紫苑(1959~)

・昭和天皇いまだ裁かれずその裔すゑを崇むる不條理、太陽のごと

・天皇制、自衛隊容認のリベラルを訝しむとき露草濡るる

・裁かれて無惨の生を全うせよ それのみに希ひし延命のこと

・國葬はくにを葬る秋ならばかへらざるべし血の蜻蛉(あきつしま)島(しま)

瀬口真司(1994~)

・二十三区の夜景の黒い本丸よ・何度もジャングルを生き延びて

・君の身体は君のものでも人生は人生は天皇に生きられて 

(釋迢空・岡野弘彦を継いだ歌人たち)

中西洋子(1941~)

・被災地にペリリュー島にひったりとつね寄り添ひてかの女人(ひと)も、老ゆ

・歌びとら、あゝあの歌びとも詠(うた)ふなり、天皇制にふれざるやうに  

一ノ関忠人(1956~)

・抑揚の乏しきこえ聲に帝國の滅びを告げしより半世紀 

・天皇をことほぐこゑに満ち充ちてこのくにあやふしとおもはざらめや

・大嘗祭の天皇の儀のむなしさをこころしておけいまの世の子ら

・天皇の退位ことほぐ声々にかきけされたる慨(うれた)みのこゑ

・毒のごとくに体中めぐりわだかまるわが天皇よいまだ滅びず

・なやましき課題の一つ天皇制解きがたければ幾度(たび)も問ふ

(最近の雑誌などから)

斎藤寛(1952~) 

・歌会始風に自作を音読ししばし怺へてそののち笑ふ     

・神を脱ぎ象徴といふ韜晦に身を躱(かは)しつつ生き延びたりき

・ビックカメラの店内はしづまりをりき'89年1月8日   

・象徴が思想を表明する是非は問はれぬままに代は替りぬ  

・一条より八条までを廃棄せよ 俺もしつかり改憲派だぜ 

 

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施設の東門を出ると、「さくら庭園」沿いに、”昼なお暗い”こんな道がある。一度だけ通り抜けたことがある。今回の千葉県の豪雨で、倒れた木や竹が頭上に迫る個所もあった。

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2026年7月19日 (日)

欠陥法案、続々成立~もうこの国を愛せない(1)

 毎日新聞の栗原俊雄専門記者が、日本国旗損壊罪法案が基本的人権を侵害するものとして強い反対をよそに成立を急いだことについて「≪国を愛さない自由≫」もある」との見出しで解説している(毎日新聞朝刊 7月17日)。いまの私の「もうこの国を愛せない」という心境にぴったりだった。近頃の国の内外の政情を見るにつけ、「鬱」を通り越して「憤死?」への道をたどることになるのだろうか,と。

「皇室典範」については、野党の結束ならず、途方もなく珍妙な改正案が成立した。当ブログでも何度か書いて来た。全体会議を経て、両院正副議長のとりまとめから、政府提出の条文案に至る過程で、先の取りまとめになかった「養子縁組の子が皇位継承権を持つ」という森衆院議長の“失言”を政府提出の改正案条文に盛り込み、それを「立法府の総意」というアクロバット的なすり替えをおこなったのである。この間、木原官房長官、高市首相は、国民の代表である議会の両院正副議長の「取りまとめ」に沿った条文であるといい続け、木原官房長官と共に「将来の検討を先取りしたり縛ったりする趣旨ではない」との答弁を繰り返し、「立法府の総意」であることを強弁した。中道はこともあろうに「将来の検討を先取りしたり縛ったりする趣旨ではない」によって賛成に回ったという経緯がある。

  今回の「国旗損壊罪」を創設する法案は、7月17日、参院の本会議での可決をもって成立した。この法律の守る法益は「国旗を大切に思う国民感情」であり、処罰対象は「人に著しく不快または嫌悪の情を催させるような方法」で「公然と国旗を損壊、除去、汚損する行為」なのである。「人間の感情」はさまざまで、簡単に「≪国民≫感情」などと一括りに出来るものではない。しかも、「不快感」や「嫌悪感」などとて千差万別で「著しいかどうか」など何が基準になるのだろうか。素人が考えても、「国旗」に対するさまざまな感情や表現活動は、憲法の思想・内心の自由、表現の自由で保障されているもので、損壊罪の創設は、違憲と言わねばならないだろう。

 法案の審議過程で、法案提出者の維新の議員は、この法律によって「愛国心の醸成」にもつながると発言している。そもそも、この法案は、自民と維新との連立合意にあたって、維新からの提案であったという。立法事実にも乏しく、両党の“お約束”実現に振り回された形だった。さまざまな場合分けをして、処罰の対象になるか否かとかしましい。処罰に至るにはかなりハードルが高いが、国民の国旗への扱いについて、牽制する効果を期待したいのだろう。スポーツや官公庁、教育現場でのイベントなどでの国旗の扱いに、規制や強制が強化されないか不安である。現に、教育現場では、国歌「君が代」伴奏や歌唱の強制をめぐって裁判が続いている。一般家庭や個人ではどれほど国旗への関心があるものだろうか。皇族たちの出先での歓迎の日の丸は、ほとんどが、日本会議や神社本庁が配布しているのが現状である。

(つづく)

 

 

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2026年7月15日 (水)

男女を問わず、皇族たちの人権は?「愛子天皇待望論」って何だったのだろう

   

 前記事と重なる部分もあるのだが、「皇室典範改正案」が成立する見込みが確実になったので、今一度整理しておきたいと思った。地元のミニコミ誌への寄稿も兼ねて。
 「皇室典範改正案」が6月30日に閣議決定されると、大方のマス・メディアは、旧宮家の男系男子を養子とする案への疑念を呈し始めた。たしかに、養子案は荒唐無稽な時代錯誤も著しく、非科学的な「万世一系」に根拠はなく、多くの国民も受け入れ難いのでないか。同時に、新聞などは、自社の世論調査結果を踏まえて女系・女性天皇への期待を、強調するようになった。

 7月10日、衆院での質疑もそこそこに即日、賛成多数で可決したことを受けて、7月11日の三大全国紙の社説は、一斉に、国会運営の強引さと野党国民民主と中道の従来の主張と異なる改正案に賛成したことを糾弾した。与党の恣意的な国会運営、質疑における詭弁、答弁不能、テープレコーダーのような繰り返しにも近い政府答弁に呆れもした。
 きょう7月15日、参院特別委員会審議入りし、16日には委員会採決、17日には本会議で成立の運びという筋書きで、国民そっちのけの国会軽視も甚だしい。しかも、見直しは30年をめどとされ、だれが責任をとると言うのだろう。なんでこんなに息苦しいことになってしまったのか。

 これまでの新聞等の論調を見てみよう。

 朝日は、7月10日「皇室典範改正の暴走」を非難、養子の男性子孫は皇位継承資格を持つという規定は、女性・女系天皇への道を塞ぐものだとし、翌11日には、衆院で改正案に賛成した中道や国民民主などの野党の拙速な対応を追及した。
 毎日も、7月1日、「養子の子に皇位継承権を付与する」という改正案は「女系・女性天皇を封じる意図」することへの疑念を示した。
 読売は、4月16日の社説で「皇位継承の安定 女性・女系を排除せず論じよ」と明言して以来、世論調査を踏まえて、7月1日にも「女性・女系を排さず議論し直せ」と訴えている。女系・女性天皇を容認しないのは、憲法の男女平等に反するという論調から「愛子天皇待望論」が週刊誌やネット上などで噴出した。「改正案」からは、実現に程遠い議論ながら盛り上がりを見せ、まるで、ガス抜きをさせているよう気がした。一方、NHKテレビの15日7時のニュースは、改正案成立が確実になった途端、急になにやら、こまごまと解説を始めるという、いつもの悪質なNHKの手口に終始する。

 現憲法下では、皇族たちは男女を問わず姓を持たず、さまざまな基本的人権を奪われている。改正案の「女性皇族は結婚後も皇族として残る」ということは、基本的人権を奪われたままで、法的な根拠を持たずに増やし続けた「公的行為」「公務」の人材要員となるにすぎない。配偶者や子どもの処遇、住所や生活費はどうなるのかも不明に近い。また、仮に女性天皇が実現したとすると、従来、天皇が背負ってきた義務や重圧を女性皇族までに拡大することになる。女性天皇の配偶者は、子孫はどういう処遇になるのか。いずれも、基本的人権を認めない人間をふやすことになるのではないか。

 本来、皇族といえども、憲法上は、男女を問わず、皇籍を離れる自由、非婚・結婚の自由、子供を持つか持たないかの自由があるはずである。また、天皇は政治的権能を有しないはずだが、果たしてきた役割を省みれば、政権との密接な関係は否定できない。天皇の外国訪問、戦死者・被災者慰霊、皇族たちの種々のイベントへの参加によって、政権の施策の欠落部分を補完する機能を強いられ、利用され続けている現状に着目する必要がある。

 朝日新聞が先の10日の社説で、「象徴天皇制と、法の下の平等や個人の尊重など<人類普遍の原理>という異質なものが憲法に同居しており、完全に整合させることは難しい」とやや踏み込んだ一文あったことに私は注目したのだが、どうなることか。憲法の基本理念と天皇制は相容れないはずである。

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2026年7月 5日 (日)

来年の歌会始の選者が発表されたが。

 7月1日付の官報で、来年の歌会始の選者が発表された(1738号 5頁)。宮内庁告示7号は、「令和九年歌会始お題「旅」の詠進歌の選者は、七月一日、つぎの者に定められた。」として、5人の氏名(ペンネームも可らしい)だけが並ぶ、そっけないものだ。各新聞の報道では、年齢と肩書を付しているが、新聞によって、その肩書は微妙に異なる。たとえば、「産経新聞」によれば、以下の肩書が付されていた。(以下敬称略)

永田和宏(79)=歌誌「塔」選者、京都大名誉教授
秋山佐和子(79)=短歌結社「玉ゆら」主宰、日本文芸家協会会員
今野寿美(74)=歌誌「りとむ」同人、現代歌人協会会員
栗木京子(71)=歌誌「塔」選者、日本文芸家協会会員
大辻隆弘(65)=現代歌人協会会員、現代歌人集会理事

 「朝日新聞」では、永田が朝日歌壇選者、栗木が読売歌壇選者という肩書が加わるが、今野が「りとむ」の編集人であること、今年まで「りとむ」発行人三枝昂之・編集人今野が夫妻で選者であったこと、これからも続くあろう「塔」の永田と栗木が選者であることを見ても、かなり偏った人選であることはたしかである。来年は三枝に代わり国学院大学の岡野弘彦師系の秋山が入り、5人のうち3人が女性となった。歌壇、短歌を支えてきた女性たちの数をいささかでも反映したことになるのかもしれないが、女性であればよいというわけではない。女性歌人の力を借りて、少しでも歌会始を盛り上げたい意図が見え隠れする。女系、女性天皇によってでも天皇制を維持をしようとする目論見にも通じ、多くのリベラル派と称する人たちにも支持されていることを思うと、暗澹たる思いにかられる。
  2008年の以下のブログで触れた 選者の男女逆転が今回実現したわけだが、その内実が変わるのか、変わらないのかを見届けたい。
節度を失くした歌人たち―夫婦で選者、歌会始の話題づくりか: 内野光子のブログ  

 「詠進歌」と称して公募した短歌作品は、皇族や選者たちの短歌は入選作とともに天皇に奉じられるのである。「伝統」や「文化」の名のもとに身分制度をあらわにしているのが、「歌会始」ではないか。そして、以下の表にみるように、歌会始選者と国家的褒章制度とは密接にリンクしている。あたらしい選者には、今後の「選者」という功績によって、叙勲や”文化的な栄誉”ある褒章が待ち受けているように思う。この叙勲や芸術選奨、文化勲章などの選定経過については、このブログでも触れたことがあり、選考組織は名ばかりで、各省庁、官邸の意向で進行していることがわかるのだが、詳しくは別稿に譲りたい。

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上の表は拡大できますが、以下のPDFでもご覧になれます。
<近年の歌会始選者の国家的褒章受章歴>ダウンロード - e8bf91e5b9b4e381aee6ad8ce4bc9ae5a78be981b8e88085e381aee59bbde5aeb6e79a84e8a492e7aba0e58f97e8b39ee6adb4.pdf

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通りがかりの方に教えていただいた「ポポー」、花も咲いていたようだが、気づかなかった。熟した実はクリームのように美味という。

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2026年6月30日 (火)

きのうの「NHKニュース7」はひどかった!

 きのうの「NHKnews7」は二重の意味でありえない報道番組であった。

 一つは、サッカーのブラジル戦を6時間後にひかえたという触れ込みで、それは丁寧な解説をしての「番組宣伝」であった。30分番組の12・3分ではと思っていたところ、NHKoneで調べてみると、なんとトップ13分32秒間、延々と続けていたことになる。その後、広島三原市の強盗殺人事件、近鉄の京都駅脱線事故が3分間弱で続いた。その後、衆院定数削減法案が委員長職権で審議入りしたことと皇室典範改正案が自民党部会で了承したことの二件を併せて、たった3分36秒間の放送だったのである。続いて、ベネズエラの地震、中国の対日輸出禁止措置に関して20企業の追加、大相撲名古屋場所番付発表、気象情報で終了。

 公共放送たるNHKが、自分の局の番宣に報道番組の半分近く使うという編成は、どう考えても異常である。もはや受信料納入の根拠は失ったといってもよい。

 もう一つは、皇室典範改正のニュースで、昨日6月28日、富山県の高岡市での中曽根弘文議員による講演の中での皇室典範改正をめぐる発言とその釈明についての放送であった。 

 中曽根議員は、天皇の長女愛子さんには皇位継承はあり得ないし、天皇になっても結婚はむずかしい、という主旨の発言をしたことについて、その発言への批判が高まり、釈明したという内容だった。

 放送では、中曽根議員が「皇位継承をめぐって皇室典範の規定などに触れたうえで「愛子さまはすばらしいが、愛子さまはありえない。『法律だとこういうふうになっている』というのを、しっかり国民に知ってもらわないと、おかしな方向に議論がいってしまう」と述べたことと、「言葉が適切でなったことは反省している。現在の皇室典範などを述べたものだ」と報じていた。

 そして、下のような画面とテロップが流れたが、一瞬、テロップの意味が分からなかったのだ。「皇位継承をめぐり、皇室典範の規定などに触れた上で、“愛子さまはすばらしいが、愛子さまはあり得ない”」??

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6月29日 NHKnews7より。

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6月29日日テレより。

 あわせて、他局のニュースを見ていると、中曽根発言の中身が分かってきた。共同通信によると、講演では、「愛子さまが天皇になったら、結婚する人もいない」「愛子さまが天皇になった場合には、男子を産まないといけないという、すごいプレッシャーがある」とも述べている(6月28日)。また釈明の弁では「皇室典範を根本的に変えれば別だが、今の皇室典範や国会の議論において愛子さまが天皇陛下になることはないということを申し上げ」、結婚する人もいないとの発言についても「世間の期待が高く、個人的な心配を述べた。もちろん愛子さまの幸せな人生を願っている」と語っている(6月29日)。

 また、北日本放送によれば、「愛子さま素晴らしいし、本当に愛子さまの気持ちはよくわかるんですよ。すでに愛子さまはあり得ないんですよ。それでもみんな、愛子さま愛子さまとやっているというのは、マスコミの責任がありますけども、まず法律がこうなっているんですけども、しっかりと国民の皆さんに知っていただかないと、おかしなことがずっと議論が起きてしまう」と、生の発言を記事にしている(6月29日)。

 中曽根議員の発言は、まさに、その通りで、現在の「皇室典範」でも、改正案であっても、愛子さんは天皇にはなれないことは明白である。それを、マス・メディアは、世論調査の結果を踏まえ「女性天皇・愛子天皇」への待望論を展開している。それに、大方の野党、共産党までが、リベラルと称する論者やフェミニストたちまでが、本気でこれに乗じているのが現状である。 そして今回の中曽根発言は与野党からの反発・批判も強めている。
 日付が変わると、女性週刊誌は、女性蔑視のハラスメントではないかとか、「男系男子にこだわりあらわ」(朝日新聞)という記事にまでなってしまうのである。
 ふたたび、NHKのテロップの話に戻るが、「愛子さんの皇位継承はあり得ない」という中曽根発言の主旨を少しでも和らげようと腐心したのではないか。中曽根議員の思想信条とは、およそ相容れない私だが、こと皇室になると、当たり前のことまで口を封じられてしまい、表現が不自由になってしまうことが怖ろしい。

 

 

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2026年6月26日 (金)

「皇室の存続」や女性天皇の議論を認めず、天皇制廃止求める院内集会のご案内

 昨日、「女たちの戦争と平和資料館」から、つぎのような集会案内が届きました。私が「友の会会員」になったのは、数年前に「wamセミナー天皇制を考える」の第3回集会(2021年2月23日)で、「歌会始」について報告したことがきっかけでした。当ブログでも、幾度となく、今国会で決まりそうな皇室典範改正の2案が、憲法の基本理念たる基本的人権と平等に違反するものであることを言い続けてきたつもりです。

 今回、アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)と「ふぇみん婦人民主クラブ」の呼びかけで、以下の集会が開催されます。私もどんな集会になるのか出かけてみたいのですが、帰りが遅い時間になるので参加は難しく、賛同署名だけはしたところです。関心のある方は、以下をご覧ください。

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7.3院内集会
<「皇室の存続」や女性天皇の議論を認めず、私たちは天皇制廃止求めます>

日時:2026年7月3日(金) 18:20-19:30
場所:参議院議員会館(東京メトロ・永田町駅) 地下1階 B107会議室 (定員80人)
※ 18:00から入館証の配布を開始します。

プログラム(予定)
1. 呼びかけ団体挨拶
2. 声明の趣旨説明
3. 賛同団体・個人によるリレートーク

声明のPDFはこちら(6月25日、若干の字句修正を入れました)。
個人・団体賛同を求めています。賛同フォームはこちら(FramaForms、締切:2026年7月3日正午)。

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2026年5月30日 (土)

木原実歌集『笑う海』再読、天皇制を考える

 「皇族数確保」の二案について、当ブログ記事でも何度か触れているように、多数決で行けば、今国会で可決成立、「立法府の総意」として、皇室典範は改正される運びである。しかし、議員たちは、皇室典範改正の運用の先を本気で考えたことがあるのだろうか。そして、リベラルと称する人たちが、「愛子天皇」への期待や容認にざわついているが、天皇制という身分制度を持続するかぎり、皇族たちの人権、とくに女性皇族の基本的人権、結婚の自由を侵害し続けることをどう考えているのだろうか。また、全国紙などのメディアは、この皇室典範改正には熟議が必要、改正後の課題などを示し始めながら、一方で、『旧皇族の宗家・伏見宮家に生まれて』(伏見博明著 中央公論新社 2022年1月)、『女性皇族の四季(アエラ・ムック)』(朝日新聞出版 2026年3月)『神国日本』(毎日ワンズ 2026年1月、1976年平凡社版復刻、第一書房版は1927年以降幾度も版を改めている)など、時流に乗った自社系列?の出版の宣伝が目立つ。今週の週刊誌は、二案の矛盾をついているかのようであるが、「愛子天皇待望論」の変形だろうか。

20260529

  木原実さん(1916~2010)の歌集には、存分に天皇を詠んだ短歌があったはずである。ひさしぶりに木原実歌集『笑う海』(潮汐社 1994年12月)を読みだしたら、止まらなくなってしまった。

 木原実(以下敬称略)は、今の木原某官房長官とは同姓ながら(実と稔ちがい)、1967年から1980年まで、社会党の衆議院議員を五期務め、詩人でもあり、歌人でもあった政治家である。戦前には労働運動にかかわり、1935年に治安維持法違反で逮捕、1942年に応召、ソ満国境で敗戦を迎えている。

 上記の歌集には、ベルリンの壁崩壊、ソ連邦解体前後のドイツやソ連を主題にした臨場感あふれる作品が多く、昭和天皇死去前後の日本の思想状況をも活写している。そして何より、戦前からの組合、農民運動の再興を目指して社会党議員として活動してきた実績と天皇制反対の意思は固い。

・天皇制

襟もとふかく天皇をみた二十歳の未決監房赤い煉瓦みち

地獄が天皇を待つと書いたザ・サンの記事読みつづける雨のなか

象徴不信の声もなく早鐘を打つように戦後が終わる

高速道路に車の影はなく 堵列する亡霊二百十八万八千二百五名の雨しぶく

 『笑う海』に収録の「短歌のある風景」において、一首目について「私は十九歳から二十歳にかけての一年を未決の独房ですごした。当局は二十歳の私の『思想が悪い』と言いたてたが、その思想を「納得するまで勉強してやろうと、二十歳のプライドが考えたりした。それまで思うてもみなかった天皇について、あれこれ考えたのもその獄だった」と記している。

・ベルリンの壁崩壊前後のドイツ

ヒットラー消えて五十年 幻影のなかの塔つぎつぎにたつ

石畳に沿って花を植えるヒットラーの支持者にこやかに老いている

 ・ソ連邦解体

すりへった赤の広場の石畳ふみかためふみかためロシア人の血の色

モスクワは五月ライラックの花陰に割れ鐘と青銅の大砲と

マルクス・E・レーニン主義研究所木漏れ日の堅い窓を閉ざす

薄明をきてロシア知識階級ユートピアの旅は終わったようだ

 著者は向坂逸郎を師と仰いでいたのだが、自身の活動基盤からして、知識階級への不信感は強く、「大きく細く民主という文字にじんで歩いてくる 学園都市の雨」といった作品もある。

 ・社会党の変遷

行ったりきたり 境涯のなか 組織の暗闘 声もたてず 

政治はむなしいなあといって死んだ人の忘れていた命日がくる

なんどか終わりをみてきた汽車の旅 東京に連立政権が生まれる冷夏

野合ではないよといって転がった線香花火の火の玉を拾いにゆく

鮮明な旗をあげよ 暗緑色の闇にゆれている夏コスモス

 1980年6月の衆参同日選挙で、自民党大勝、著者は、千葉県1区次点で落選している。全体では、衆院で自民284、社会104、公明33、民社32、共産29議席。参院で自民69、社会22、公明12、共産7、民社5議席という時代であった。1981年脳溢血に倒れ、一時言葉を失い「行ったりきたり 境涯のなか 組織の暗闘 声もたてず」と自らの身体の組織の働きを詠み、「言葉を惜しめこの饒舌の世に石は一つずつ空にむいてたつ」と詠む。
  議員引退後の社会党は、1986年土井たか子委員長就任、1989年の参院大勝、1994年自民党、さきがけとの連立内閣により村山富市首相が誕生しているが、「自衛隊合憲、安保条約堅持、原発容認」と社会党の政策を大転換させた。こうした社会党の動向をも反映し、その変貌を慷慨している作品も多い。戦前の社会大衆党から戦後、今日の社民党に至るまでの社会党の歴史については、正直、私などには複雑すぎてわかりにくかったが、著者が今の社民党の凋落ぶりを知ったら、何と言って嘆くだろうか。

・コンピューター・ロボット

コンピューターウイルス井戸を覗き手もとの闇を駆けぬけてゆく

ロボットをつくりだすロボット工場二十四時間操業休みなし

人脳よりすぐれた状況判断をするロボットができたと業務報告

 現在は、AIやロボットは、すでに市民生活にとってもなじみ深いものになっている。いずれも、1990年代初めの作品だが、現代でも十分訴える力を宿し、一首目など一種の不気味さを感じさせるものがある。

・短歌

傘を忘れた 軽薄短小の歌のおかげで 電車はずっとすいていたんだ

どれいの韻律ぜいぜいと漂うあたり 葱華輦かつぐ衛士らのよろめき

敗残の歌を詠みついで八月の雨に会う おう! 敗残兵塚本

 一首目は「Ⅰ部1988年―1990年」に収められている作品。1987年は、俵万智『サラダ記念日』がベストセラーになり、「ニューウェーブ」短歌が台頭してきた年でもある。二首目は、1989年2月24日、昭和天皇大喪の礼の異様な光景と敗戦直後、小野十三郎が短歌を「奴隷の韻律」と称した「短歌的抒情」が喘いでいる様をリンクすることで、天皇制への批判を強めたかったのではなかったか。三首目については、歌集に収録した前掲のエッセイで「悔いの思いが深い。生きのこったものの負い目は年とともに鮮烈でさえある。」と語っている。その文末に「われを撃て麦秋のその麦の間を兵士のわれが泳げるを撃て」の塚本の一首をあげている。生き残った負い目を詠んでも、木原、塚本とは、最近亡くなった岡野弘彦とは、詠み方も歩んだ道もずいぶんと異なるものとなったことがわかる。

 以下の作品において詠まれた状況は、現代においても変わってはいない。むしろ状況は劣化しているのではないか。

世界一周の鼠をつくづくとみた 円ははげしく買われ 戦火はやまず

国際貢献という政治造語に血を流す 現代風な夕焼け雲

活性化とはイヤな言葉だ 夏の正午のそうめんすする音とか

新書版「過労死」おくられてきて労働組合は無役という時代

 最近の高市首相が頻発する言葉、「安全保障政策の司令塔」、「包括的戦略的パートナー」など、よく考えると、基本的人権、国民の安全・安心より優先するものがあるかのような勢いである。目前の不都合は「目詰まり」だったり、「歯止め」が効かなかったりという、無責任な言葉が行き交うのである。

 最後に

きりきざんだ夢と知りながら野を走るものに惹かれる

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以下は、かつての『笑う海』の書評、重なる部分も多いが合わせてお読みくだされば幸いです。

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『芸術と自由』(1995年7月)初出。『現代短歌と天皇制』(風媒社 2001年)所収。

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2026年5月13日 (水)

「皇族確保案」の拙劣、「愛子天皇待望論」の陥穽

「皇族確保案」の拙劣

  「皇室典範」の「改正」をめぐって、5月12日、中道から旧宮家出身の男系男子を皇族の養子とする案も容認するという方向性が示されたところで、各党の方針が出そろった。このタイミングで朝日が5月12日、毎日がきょう5月13日の社説で論じ、5月7日には、読売新聞がすでに社説を出している。

  与野党の全体会議では、有識者会議提案の ①の女性皇族の身分保持案に主要政党の大半が賛成し、②養子案には自民、日本維新の会、国民民主、参政、公明、中道などが賛成していることになる。

  朝日新聞はつぎのような表にまとめている。(「〈立法府の総意〉集約焦点 皇族数確保策 各党見解出そろう」朝日新聞 2026年5月12日 ) 

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 上記全国紙三紙のスタンスは以下の通り。

・読売は、5月7日の社説で今国会での典範改正が成立する公算が大きいとし、4月の社説では「皇位継承の安定 女性・女系を排除せず論じよ」(4月16日)と題し、「各党は報告書の2案にとらわれてはならない。今の継承順位は変えないことを前提に、将来の女性・女系天皇も排除せず、皇統の存続を最優先に検討すべき」だとして、あの読売が「女性、女系」に踏み込んだと話題になった。

・朝日は「養子案の容認 皇室への信頼保てるか」(5月12日社説)とし、「女性・女系天皇への道を閉ざすことなく、広く国民が納得できる開かれた議論が求められる。」と結ぶ。

・毎日は、「皇室に男系男子養子案 国民の理解得られるのか」の見出しで「天皇の地位は国民の総意に基づくもので、幅広い合意形成が不可欠だ」とし、「拙速に事を進めるようなことがあってはならない。」と結ぶ。

  今国会での「典範」改正を目指す高市政権のもと、与野党協議が活発化した4月以降、メディアでの記事も多くなった。しかし、議論の対象となっている二案は「皇族数確保」のための方策で、皇位継承の在り方は協議事項にはない。しかも、「有識者」会議が出したと思えないほど、憲法を踏まえない、荒唐無稽な、欠陥の多い二案に翻弄されている形である。

 ①案の女性皇族が結婚後も皇族に残る案では、その配偶者や生まれて来る子どもは皇族になるのか、ならないのか。②案の男系男子養子案にしても、皇籍離脱して80年も経つ宮家の男系男子を辿ること自体、時代錯誤も甚だしく、憲法14条による「性別」「門地」による差別になることも指摘されてきた。だったら、メディアも日本国憲法下の「天皇制」自体の問題にかかる情報と論点を国民に伝えるべきだし、世論調査でもそれを問うべきだろう。

  そして何よりも、日本国憲法の根幹たる民主主義に反する「天皇制」を維持しているが故に、奪われている皇族たちの基本的人権、とくに今回の女性皇族の結婚の自由、該当者?旧宮家の男系男性の結婚の自由を侵害すること、女性皇族へ男子誕生を強制するシステムとなってしまうことをどう考えているのだろうか。国民と皇族の差別、身分制度を前提とする議論を続けていることに、憲法学者の天皇制論と言えば、「憲法の番外地」「憲法自身が認めた例外」と逃げ、もっぱら天皇制護持を確信する皇室に詳しい研究者は別として、研究者の多くはどこか曖昧で、核心には触れない。また、テレビなどで活躍するリベラルと称されるコメンテイターやジャーナリストたちも触れたがらない。というより、番組のテーマとしては扱わないのが常である。

「愛子天皇待望論」の陥穽

 今回の皇室典範改正は、あくまでも「皇族数確保」のための改正であって皇位継承を安定化に直接資するものではないはずである。にもかかわらず、皇室典範改正にからめて週刊誌やネット上では「愛子天皇待望論」が盛り上がっている。冒頭に上げた、全国紙の社説ですら、読売「今の継承順位は変えないことを前提に、将来の女性・女系天皇も排除せず、皇統の存続を最優先に」、朝日「女性・女系天皇への道を閉ざすことなく、広く国民が納得できる開かれた議論」と論じている。日本共産党も、4月2日の記者会見で田村智子委員長は「憲法の下での天皇制度と考えれば、女性天皇の容認を含めて議論すべきだとの考え」を改めて示した(時事ドットコム 4月2日)。小池晃書記長は、4月20日の記者会見で「女性天皇も女系天皇も容認」し、「悠仁親王までの継承をゆるがせにしないとの立場には立たない。憲法に基づく議論を進めるべきだ」と述べたという(産経新聞4月22日)。

  また、週刊誌の最新号を見ると、愛子さんネタが目白押しである。「徹底論争、〈愛子天皇〉じゃダメですか?」(週刊文春2026年5月7・14日合併号)、「20年越しの〈皇室典範〉見直しへ 〈愛子天皇〉大論争の核心」(週刊新潮 5月21日号)、「〈愛子さまか悠仁さまか〉女子皇族まで分裂に雅子さま憂悶」(女性自身5月26日号)、「愛子さま佳子さま 未来は見通せない状況〈皇室典範改正〉は〈憲法違反〉の声」(週刊女性5月26日号)、「愛子さま〈母と生き写し〉女性活躍へ!海外訪問7日間」(女性セブン5月21・28日合併号)と賑やかである。

  全国紙の社説は、今回の皇室典範改正論議で、「女性・女系天皇」も議論されているようかのように読めてしまうような部分があるが、週刊文春、週刊新潮、週刊女性では、「女性天皇、女系天皇」まして「愛子天皇」はまったく今回の議論の対象外であることを明確にしているし、新聞社による世論調査で「女性天皇」の賛否を問うなどは国民をミスリードするものだとの指摘もする(週刊新潮)。

 こうしてみると、政権や権力者に対して、中立を標榜し、忖度をはばからない新聞、テレビなどでは踏み込まないところまで、週刊誌が切り込み、ファクトの提供と論点の提示、自らの主張という、メディア本来の機能を果たしている側面があるように思えたのであった。

 

 

 

 

 

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