2022年7月17日 (日)

忘れてはいけない、覚えているうちに(2)「告知版」というミニコミ誌があった

 茶封筒から出てきたのは、『告知版』というミニコミ誌304~322号((1997年9月~1999年3月)だった。影書房の庄幸司郎(1931~2000)さんを発行人とする毎号20頁に及ぶミニコミ誌である。
 309号(1998年2月)の巻頭言に当たる「寸言」によれば、1972年1月、庄建設(株)の広報紙としてわずか150部でスタートして26年余りで27400部に達したとある。庄建設関連の建築関連情報、影書房の出版情報、映画・ビデオ事業情報に加えて、「平和憲法(前文・第九条)を世界に拡げる会」「第九条の会」などのさまざまな運動や集会などでの「人的交流の結晶であり、本誌は、それらを通して一つの市民運動の”広報誌”に発展した」と振り返っている。

 編集部やゲストによる「寸言」を巻頭に掲げ、「もの言う広場」というさまざまな市民活動のかっちりした報告だったり、呼びかけだったりする論文が数本掲載されている。さらに充実しているのが「『告知版』への便り」と「便り」で、読者からの感想だったり、投稿者の出版・活動報告だったりするが、ほぼ省略なしで掲載されているようだった。「告知版=ネットワーク版」では、寄せられた全国の集会や講演会・学習会などの催事の予告がなされている。

 この『告知版』との縁を、いま思い起してみるが、あまりはっきりしない。実は、314号の「便り」の欄に、1998年4月3日付で拙文が掲載されていた。それによると、影書房出版の山田昭次『金子文子』(1996年12月)出版記念の講演会に参加してから、送っていただくようになったらしい。ちょうどその頃、拙著『短歌に出会った女たち』(三一書房 1996年10月)を出したばかりで、金子文子についても一章を設けて書いていたものだから、講演会にも参加したのだろう。また、1998年1月、地域の主婦たち4人で創刊したばかりのミニコミ誌『すてきなあなたへ』の第1号を編集部に送っていたらしく、その画像も紹介されていたのである。

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  日本で、「九条の会」が発足したのは、2004年6月だったが、1991年、オハイオ大学教授のチャールズ・オーバービー教授(1926~2017)は「第九条の会USA」を立ち上げ、「日本の憲法第九条は全人類の宝」「九条を守る創造性のある多様な取り組みを」と提唱していた。オーバービー教授は、朝鮮戦争時、B29のパイロットだったことから、湾岸戦争をきっかけに、この運動を展開するようになったという。1998年10月には来日し、各地で講演会を開いている。これを全面的に支援したのが『告知版』だった。日本の「第九条の会」のスタートは、「九条の会」の十数年前にまでさかのぼることになる。手元にある『告知版』の「寸言」には、「日米新安保ガイドラインと有事立法に反対する百万人運動」の呼びかけ人として本島等(315号)、家永三郎(316号)、江尻美穂子(321号)、針生一郎(322号)らの熱いメッセージが続く。そんな雰囲気のミニコミ誌だったのである。 

 

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1998年5月2日『朝日新聞』より。「平和憲法(前文・第九条)を世界に拡げる会」 の紹介記事も封筒から出てきた。新聞はかなり劣化していて「会員から寄せられるメッセージを整理する庄幸司郎さん」の写真がうまくスキャンできなかった。

 『告知版』の発行人であった庄幸司郎は、惜しくも2000年に他界、その後、『告知版』はどうなったのだろう。影書房は、未来社の編集者だった松本昌次(1927~2019)が1983年に創業した出版社である。庄は、松本が都立夜間高校の教師であった時代の大工として働く生徒であったという(松本昌次「庄幸司郎」『戦後出版と編集者』 一葉社 2001年9月)。『告知版』は二人の友情の結晶でもあったミニコミ誌だったと言えよう。

 なお、松本昌次のお別れ会に参加した時の記事に以下がある。

2019年4月9日
「松本昌次さんを語る会」に参加、その前に「東京都戦没者霊苑」へ: 内野光子のブログ (cocolog-nifty.com) 

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/04/post-1208.html

 

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2022年3月31日 (木)

佐倉市のニュータウンは、いま~お花見がてら、街の今昔を思う

 今日を逃すと、散ってしまうような気もして、ご近所の桜を見てみようと散歩に出た。

 近くの調整池辺りは、土地区画整理組合と言っても地元の開発業者「山万」によって、公園として整備され、接した工区に、いまは、戸建て、マンション、高齢者施設、小ぶりの商業施設が並ぶ。四半世紀も前になるが、自治会館建設をめぐって、住民を二分するような事態が起こって、夫婦ともども、この地区の住民自治会とかかわることになった。開発に伴う「自然環境の保全」「地区計画」「住居地域の安全」「道路整備」・・・などをめぐって、業者、市役所、県庁などとの交渉が続いた時期もあった。街のあちこちに、さまざまな思い出がまつわるのだった。

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  正面が井野村の鎮守「八社大神」と井野城跡の森。浅間神社の小さな鳥居も見える。この北部調整池が作られる前は、八社の森を囲むように田んぼだったそうで、近くの井野中学校辺りが、腰までつかるほどの一番深い田んぼだったという。いま宮の杜公園となり、森の向こう側に、マンション、手前左側に戸建て住宅が並ぶ。この写真を撮っている私の背後は、木々に囲まれるように井野の集落が残されている。竹林に沿った坂道を上ると三叉路の左手に井野の自治会館があり、その前の桜の木には「井野の辻切り」として有名なワラで作った龍が昇っている。いまは八か所の辻、辻でこの龍が集落の安全を守っているという。毎年1月に新しい龍と替えられ、家家の門にも小さな龍が掲げられている。Img_0883

 三叉路を左に行けば、豊山派の千手院があり、まっすぐ進めば志津へ。引っ越してきた1988年には、まだ、志津駅から千手院前が終点の路線バスが走っていた。

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 さらに、進むと、右手に庚申塚がある。大小五つの庚申塔が並ぶ。小さめの手前が、一番古くて寛政4年(1792年)とあり、まさに寛政の改革の時代である。奥にあるのが天保8年(1837年)、一番奥に見えるのが、万延元年(1860年)で、手前の正面に石像の姿がある塔と蔭にある2基が大正年間とある。

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   再び、八社大神に戻る。このあたりはイノシシが出ることもあるらしく警告の看板が出ている。左手の八社の森の切り株が何本か見える。この木々の伐採については、いろいろあった。開発業者が、八社の井野の氏子たちからの依頼で、八社の森の枯れ木・古木などの伐採と参道・駐車場整備の工事を開始すると、突然、近辺の住民に知らされた。八社の森の環境が気に入って住宅を購入したばかりという人たちは、最後の一戸売れた途端に工事を始めるとはと、怒り心頭であった。自治会・住民有志と何回かの交渉の末、200本伐採予定が70本で済んだし、参道の変更や駐車場の台数・運用変更などを経て落着した。

 そういえば、この工区の造成時には、産廃の捨て場にもなっていた雑木林から、トラック800台分が搬出されたことが確認された。そこに盛り土がなされ、その危険性に加えて、マンションや高齢者施設建設に伴う日照時間の減少、工事中の振動・騒音、通学路の安全性など近隣の住宅に与える影響などをめぐっても、さまざまな交渉が長期間なされた。マンションの階数と戸数自体を減らし、高齢者施設の階数や部屋数を減らすことで、日照時間を延ばすことができた。盛り土については、工事中、大雨で植栽ごと流されたこともあった。マンションの目の前の商業施設をめぐっては、24時間営業を売りにするスーパーを招致したものの、営業時間はどんどん短縮、10年で撤退していった。いまは、10時~18時の生鮮食品に限っての店が入ってホッとしているところだが、続いてくれることを願うばかりである。
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 ゆっくり、ゆっくり歩いて4800歩、近くの公園に戻った。この公園には、新しい自治会館が完成、オープンを待つばかりとなった。そもそも、地域にかかわるようになったきっかけが自治会館建設問題だった。ニュータウンながら、昔のムラ意識丸出しの自治会の役員会から、突如、いまある他の自治会と共用の自治会館に加えてもう一つ近くに建設するから、その資金の一部として、各戸3万円を徴収するとの回覧がまわってきたのである。それに怒った主婦たちが調べていくと、その建設に至る手続き、建設費予算の杜撰さ、建設予定地の立地の悪さ、開発業者との関係など次々に問題が浮上し、情報合戦もすさまじく?住民を二分するような状況の中、臨時総会では150対300という大差で、会館建設自体が否決されたという経緯があった。その後、地域住民の高齢化に伴い、近いところに自治会館が欲しいという要望も多く、近隣二つの自治会の協力のもと、建設委員会の粘り強い交渉で、公園内の建設が決まったのだった。公園内の施設建設は公園緑地法などのハードルが高いことは承知していたが、ともかく完成に至ったことはありがたく、大いに利用したいものと思っている  Img243_20220331105601

 上記自治会会館問題が落着した後、いささか機運が盛り上がったこともあったのだろう、知り合った主婦たち4人で、ミニコミ誌を出すことにした。1998年1月、その創刊号の「創刊のことば」は、いま読むと気恥ずかしいばかりではあるが、まだ、当時はみな若かった。新川和江の「わたしを束ねないで」の一節になぞらえて「わたしを束ねないでください、主婦という名で」で結んでいる。拡大して読んでいただけるとありがたい。また、小さな記事「宮ノ台むかしばなし」には、きょうの散歩コースの辺りにも触れている。また、1999年度には、佐倉市の「夢のまちづくりさぽーと事業」の助成(16万円)を受けて、自然観察会などの行事や地域の要人?のインタビューなど行い、ミニコミも毎月のように出していた奮闘の時期もあった。

 なお、「すてきなあなたへ」の47号からは、このブログの左欄から読むことができる。1~70号まで、ミニコミ誌の収集・利用を進める立教大学の共生社会研究センターで保管していただいている。2015年、スタッフの事情により、70号をもって終刊となったが、「終刊のことば」はない。<3月30日記>

 

 

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2015年6月 7日 (日)

「すてきなあなたへ」70号(2015年6月8日)をマイリストに掲載しました

目次
川崎簡易宿泊所火災に思う~ある記憶に重ねて~
嵐のような、あの佐倉市長選は、何だったのか
          ~これからが大事、見抜く力の大切さ*
編集後記~70号までたどり着きました
菅沼正子の映画招待席 42 「アリスのままで」
          ~明日はわが身かもしれない

*6月5日の前記事と重なる内容ですが、年表も付してコンパクトにまとめましたので
 あわせてお読みいただければと思います。下をクリックしていただくか、左のマイリスト欄の70号をクリックしていただいても読むことができます。

http://dmituko.cocolog-nifty.com/sutekinaanatahe70.pdf

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2015年4月19日 (日)

「さくら・志津憲法9条をまもりたい会」のニュースもご覧ください

  私が参加している地元の9条の会、「さくら・志津憲法9条をまもりたい会」のニュース28号と29号に寄稿していますので、下記にお立ち寄りいただければ幸いです。当ブログ記事と重なる内容でもありますが、短縮して、読みやすくなったでしょうか。佐倉市内の公共施設における常置と、世話人が住む町内を中心にしての戸別配布を目指して、約4000部を発行しています。

28号(20151月):「はじめての沖縄、知事選の最終盤だった」
29号(20153月):「安倍首相の<好きな言葉> 

たんに「ことばじり」でないのが怖い~シュクシュク(粛々)は、政治家の「窮地」の合言葉?」

 ↓↓↓

「さくら・志津憲法9条をまもりたい会」ブログ

http://sakurasizu9jo.cocolog-nifty.com/

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2014年12月 7日 (日)

「すてきなあなたへ」69号(2014年12月8日)をマイリストに掲載しました

(目次)
市民としてできることって、どんな?ある検討委員会に参加して
市役所に聞きたい!ちょっとおかしくない?そんな時どうしますか
ベルリンへ、ふたたび~壁の崩壊から25年 黄葉散り敷く、17番ホーム
菅沼正子の映画招待席 41 「シャトーブリアンからの手紙」(シュレンドルフ監督)

遅れましたが、ようやく発行の運びとなりました。何とか軌道にのせたいと思います。
ぜひ、ご一覧ください。

http://dmituko.cocolog-nifty.com/sutekinaanatae69.pdf 

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2013年2月12日 (火)

すてきなあなたへ67号(2013年2月12日)をマイリストに掲載しました

前号から間があきました。映画評は、早くから原稿を頂いていましたのに、今日に至りました。左側のマイリストの「すてきなあなたへ67号」をクリックしてください。

(目次)

皇帝ダリア~花の思い出 いまむかし
雪のあとは、5月の陽気、井野の辻切りは
佐倉市の来年度予算説明会に参加して~社協への疑問が噴出
菅沼正子の映画招待席 39 「東ベルリンから来た女」~自由とはどういうものなのか

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2012年9月19日 (水)

「すてきなあなたへ」66号を掲載しました。左のマイリストから66号をお選び下さい。

すてきなあなたへ66号

<目次>  
夏の終わりに~アクティブレストを取り入れてみては
荒谷直之介展へ~この絵に見覚えありませんか
志津地区上空の航空機騒音~ようやく調査が・・・ 
菅沼正子の映画招待席38『ソハの地下水道』

ここをクリックしても読むことができます。
http://dmituko.cocolog-nifty.com/sutekinaanatahe66.pdf

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2012年4月 2日 (月)

「すてきなあなたへ」65号をマイリストに登載しました。

4か月ぶりの「すてきなあなたへ」65号です。
きょうの午後、サポートセンターで印刷してきたところです。
左側の「すてきなあなたへ」65号をクリックしてください。
(目次)
都市に残る<関さんの森>を訪ねてみませんか
佐倉市の液状化は大丈夫?「被害状況図」をこの目で確かめよう
菅沼正子の映画招待席―マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙

なお、3頁目の液状化の地図は、編集中の3月には、当該のURLで、閲覧できたのですが、ただ今、佐倉市のホームページはリニューアル中で、見られないような表示が出ます。
しばらくお待ちくださるようようお願いします。まさか削除されるようなことはないと思いますが、リニューアルの工事はいつまで続くのでしょうか。まだ完了していないので、どのくらい便利に見やすくなるのか、市民も見守らなくてはいけません。原図は、交通防災課と志津図書館で閲覧可能ですので、お確かめください。

ホームページのリニューアルに注文です。

佐倉市ホームページの、本日現在、閲覧可能な個所の一部を見た限り、画面は確かにすっきりしたところも見られますが、今、自分が知りたいところまでたどり着くのはかなり難しかったです。相変わらずの立縦割りや「市政情報」などという荒っぽいくくりにはかえって混乱します。市民の日常生活は、役所の縦割りのようには進みません。日常的な空間から、日常的に発生する事柄や言葉から検索できる仕組みができないものでしょうか。きれいな写真ばかりが多くて、不動産屋や旅行会社のカタログのような雰囲気の情報よりは、もっと実質的な、機能的な情報が欲しいです。佐倉市をよく知らないままの業者に丸投げしているのではないかとさえ思える個所があります。

その後、以下の「東日本大震災液状化等の地盤被害を伴う住宅等の被害状況について」において地図を見ることができます。2012年4月3日にリニューアルされていました。

http://www.city.sakura.lg.jp/0000004904.html

 

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2011年11月30日 (水)

『すてきなあなたへ』が『地域新聞』に紹介されました

私が参加しているミニコミ誌「すてきなあなたへ」が地域新聞(12月2日号)に紹介されました。11月初旬にスタッフ2人で、取材を受けました。場所は志津コミセンでしたが、折しも、集団検診のさなか。騒然としたなかでのインタビューでしたが、きちんとまとめていただき、ありがとうございました。記事は最終頁でした。

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2011年11月21日 (月)

すてきなあなたへ64 号を発行しました

本日、印刷、発行の運びとなりました。
左側のマイリスト「すてきなあなたへ」64号をクリックしてください。

目次

なぜ、私は自転車だったのか~思い出したのは四十数年前の事件~
この夏の航空機騒音、佐倉の空はどうなる?~日本の空を返してほしい~
菅沼正子の映画招待席「サラの鍵~フランスよ、お前もか~」
編集後記

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