2022年4月23日 (土)

五月三日は、何の日?まさか・・・

 8月15日前後に、さまざまなメディアが<終戦>特集を組むのを「八月ジャーナリズム」と呼び、この時期に集中して、活字メディアでは、平和や戦争を考える特集や連載記事が企画され、テレビでは、ドキュメンタリーやドラマが放映される。しかし、近年はそれも、風化の一途をたどっているのではないか。
 そして、四月末から五月といえば、コロナ禍前であれば、世の中はゴールデンウィークながら、近年では、何日が何の日で休みなのかが分かりづらいし、曖昧になっているのではないか。それでも、5月3日の憲法記念日と5月5日の子どもの日というのは、定着し、それにかかわる情報もメディアをにぎわしているように思っていた。
 ところが、最近、ちょっとした出来事に遭遇した。私が、定期に通院している病院、この地での中核病院といってもいいかもしれない病院が発行している「毎月のお知らせ」のようなリーフレットがあり、診療日と担当医師の一覧とともに、季節の健康情報などが記されている。帰宅後、4月号の最終頁のカレンダーを見て「?」と一瞬目を疑ったのである。下をご覧ください。
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 なんと、5月3日がこともあろうに「建国記念日」となっているではないか。このミスが誰にも気づかれずに印刷され、積み置かれ、多くの人の手に渡っているはずである。余計なこととは思えず、私は、病院の広報に電話して、「訂正」を要望した。「ご連絡ありがとうございます」と、事務的な言葉が返ってきた。次の通院日に、カウンターに積んである4月号を覗いてみたが、やはり「建国記念日」のままであった。ことほど左様に「憲法記念日」は地に落ちてしまったのか。日本の憲法教育、護憲運動は何であったのかと思うと力が抜ける思いだった。

 短歌ジャーナリズムでも、一部の雑誌が、五月号に<憲法>特集を組む。『新日本歌人』という雑誌から<平和の危機に「日本国憲法」を考える>というテーマで短歌五首と200字コメントの依頼があった。連日、ロシアのウクライナ侵略の惨状を目の当たりにし、思わず寄稿したのが以下であった。

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2022年1月22日 (土)

天皇制の行方(3)憲法との矛盾、整理してみると

 今年の「歌会始」
 私のしたことが。18日の「歌会始」のNHK中継を見逃してしまった。カレンダーにも、日記帳にも書いておいたのに。その頃、何をやっていたのだろう。加齢現象とするには悔しい。18日のNHK、夜7時のニュースでは、めずらしく、関係の報道はなかった。何しろ、オミクロン株の急激な感染拡大状況とその対策が、時間の大半を占め、トンガの火山爆発関連、春闘関係のニュースが続いた。他のニュースと一緒に、あのなんとも奇妙な歌の披講を聞かずに済んだのは可としなければならないだろう。

「皇位継承問題」国会に投げられたが
皇位継承問題についても、18日の7時のニュースではスルーしていた。1月の有識者会議の報告を受けた岸田首相が両院議長に投げ、その報告の説明を受けた各党代表の対応は、9時からのニュースウオッチナインでの報道となった。

 当ブログの「天皇制の行方」(1)(2)でも述べたように、有識者会議の報告は、次の2点に尽きる。

①女子皇族が結婚後も皇族としての身分を保持する
②旧宮家(1947年廃止され、11宮家51人が皇籍離脱)の男系男子を養子として皇族復帰する

の二案であった。「安定的な皇位継承策」は先送りとなったが、NHKは、世論調査を実施、①案賛成65%反対18%、②案賛成41%反対37%という結果であった。各党の反応はまちまちで、自民党の茂木敏充幹事長は「バランスの取れた報告だった。皇位継承の問題と切り離して皇族数を確保することが喫緊の課題」と表明している。「皇族数の確保」って、山からくだって街に出没する猪やクマを「確保」[捕獲」するかのような扱いではないか。とりあえず、①の女性皇族の「確保」を目指すらしい。②に至っては、75年前に廃止された宮家の男系男子を養子に迎えよ、とは、何を考えているのかわからず、時代錯誤もはなはだしい。戦前に「万世一系」などと言われた天皇家ではあるが、そもそも歴代天皇が確定したのは大正時代の末期、1926年3月、宮内省に「帝室制度審議会」のもと「臨時御歴代史実考査委員会」が立ち上げられ、同年10月には、皇統譜から神功皇后が排除されたという経緯がある。明治、大正天皇は、皇后の実子ではなかった。そんな風に継承されてきた皇位である。

「憲法にてらして女性・女系天皇を認める」という共産党の対応
そして、私が、あらためて驚いたのは、共産党の対応だった。「しんぶん赤旗」の電子版(2022年1月19日)によれば、小池晃書記局長は「日本国憲法では、第1条で、天皇について『日本国の象徴』『日本国民統合の象徴』と規定している。この憲法の規定に照らせば、多様な性を持つ人々によって構成されている日本国民の統合の『象徴』である天皇を、男性に限定する合理的理由はどこにもない。女性天皇を認めることは、日本国憲法の条項と精神に照らして合理性を持つと考える。女系天皇も同じ理由から認められるべきだというのが、日本共産党としての基本的な立場だ」と述べている。
  たしかに、平成からの天皇代替わり直後の「しんぶん赤旗」(2019年6月4日)の「天皇の制度と日本共産党の立場 志位委員長に聞く」(聞き手 小木曽陽司・赤旗編集局長)のインタビューで、
志位委員長は「私たちは、憲法にてらして女性・女系天皇を認めることに賛成です」とし、つぎのように、続けている。

 「日本国民統合の象徴」とは、天皇が積極的・能動的に国民を「統合する」ということではありません。もしかりにそのよう な権能を天皇に認めたら、政治的権能を有しないという憲法の制限条項と矛盾するという問題が生まれてくるでしょう。「日本国民統合の象徴」という憲法の規定は、さまざまな性、さまざまな思想、さまざまな民族など、多様な人々によって、まとまりをなしている日本国民を、天皇があくまで受動的に象徴すると理解されるべきだと考えます。

理解しがたい説明、ますます窮地に
 「日本国民を、天皇があくまでも受動的に象徴する」というが、象徴に受動的、能動的もないように思うし、天皇が勝手に「国民統合の象徴」になってもらっても困る、というより、「統合される国民」と「象徴となる天皇」とう存在を認めること自体が「法の下の平等」に反するのではないか。同時に、憲法に天皇の「世襲」条項がある以上、その不平等な枠内で、男女平等をうたって、女性、女系天皇を認めるということは、本末転倒ではないのか。
 志位委員長自身も、「皇室の内部での男女平等という見地からこの問題に接近すると、『もともと世襲という平等原則の枠外にある天皇の制度のなかに、男女平等の原則を持ち込むこと自体がおかしい』という批判も生まれるでしょう」と自覚しながら「私は、そういう接近でなく、国民のなかでの両性の平等、ジェンダー平等の発展という角度から接近することが重要ではないかと考えています」と言って、天皇を男性に限定している現状をただすことは、国民のなかでの男女平等の発展に寄与するから、ということらしい。
 さらに、公明党の山口代表の衆院解散直後の演説(2021年10月14日)で、共産党が「天皇制は憲法違反、廃止すべきだ」と言っているなどとの攻撃をされたのに対して、共産党の小池晃書記局長は10月15日、記者会見で、「わが党の綱領には、『天皇の制度は憲法上の制度』と明記しており、『憲法違反』であるわけがない。しかも、天皇の条項を含め、『現行憲法の前文をふくむ全条項をまもる』としている」と指摘、「二重の意味で誤りであり、荒唐無稽で完全なデマ発言だ」と厳しく批判した。
 また、昨年末には『中央公論』(2022年1月)において、山口代表が、共産党は「法の下の平等、国民主権と天皇制とは両立しないから」「天皇制は憲法違反の存在」と主張していると指摘したことに対して、『しんぶん赤旗』には、次のような記事があったらしいが、電子版では見当たらなかった。記事は、山口代表が、共産党綱領の「一人の個人が世襲で『国民統合』の象徴となるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく」の部分を取り上げて、「法の下の平等原則と世襲の天皇の制度が両立しない」と曲解しているという(「公明代表、共産党攻撃を正当化」『しんぶん赤旗』2021年12月28日)。
  その根拠としてつぎのような一文が続く。「そもそも憲法14条は『国民』の『法の下の平等』を保障したものであって、天皇は象徴としての地位にあるかぎり、その憲法上の地位は『国民』とは区別されたものであり、『法の下の平等』を享有しません。このことは広く共有された論点です」と。さらに、綱領の「人間の平等の原則」は「自然人である人間がすべて平等であるということであり、現在の憲法の枠内で天皇を除外した『国民の平等』とは異なります。」というのである。

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 天皇は自然人ではない?!
 「え?天皇は自然人ではない」と私には読めたのである。そうだとしたらいったい何なのだろう。人間天皇と地位とを区別せよとでもいうのだろうか。天皇の象徴としての地位は「国民」とは区別されたものであり、「法の下の平等」は享有しないというならば、何をいまさら「女性天皇、女系天皇」に賛成などというのだろう。基本にたちかえれば、天皇制を「天皇の制度」と呼び変えたところで、「国民主権」と「天皇の制度」とは両立しないのは、当然のことではではないのか、と私は考える。ただ、宮中祭祀と神道との関係に触れないまま、創価学会を母体とする公明党が言うことか。「おまいう」の部類かもしれない。
  また、先の綱領の続きでは「一人の個人が世襲で『国民統合』の象徴となるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ。天皇の制度は憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである。」と宣言しているわけで、少なくとも、「国民主権の原則の首尾一貫した展開のため」に努力をすべきはずなのに、共産党は、目の前の、ともすれば、情緒的で移り気な国民の動向を気にするばかりで、現憲法内の矛盾を、「矛盾」として認めることをなぜそれほど拒むのだろう。言を弄して、矛盾を矛盾として認めないことを助長するような解釈や弁明を繰り返している。それでいて、支持者を増やすばかりか、減っているのが現実である。
  いま、天皇家が断絶して、天皇制が消滅したからといって、困るという国民がどれほどいるのか、とくに、若年層にあっては、なおさらのことであろう。何が何でも天皇制を残したい人たちというのは、どこかで利用してきた、利用したいと考えているからではないか。

  そもそも、共産党が、2004年の綱領改定のとき、「君主制の廃止」を綱領から削除したのはなぜか。前述の志位委員長のインタビューでは、「日本国憲法の天皇条項をより分析的に吟味した結果」だとし、改訂前は、戦後の天皇の制度について「ブルジョア君主制の一種」という規定づけをしていたが、主権という点では、日本国憲法に明記されている通り、日本という国は、国民主権の国であって、君主制の国とはいえないことから、民主主義革命が実行すべき課題として「君主制の廃止」を削除した、という主旨のことを話している。現憲法施行後、半世紀以上も経っていたのに、「より分析的に吟味した結果」というのも、にわかに信じがたい。

  かつての、2010年、鳩山由紀夫首相の「沖縄の普天間基地移転、県外を断念」表明の折の「学べば学ぶほど」の言を思い出してしまうのだが。
https://www.youtube.com/watch?v=h7md9o_4_SE

 

 

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2021年12月23日 (木)

天皇制はどこへゆく(2)

 12月22日、今後の皇室のあり方を検討してきた政府の有識者会議(清家篤座長)は、最終報告書を岸田首相に提出した。報道に拠れば、二つの案というのも、不明確な物言いで、何が言いたいのかわかりにくい。要するに、結論的には、皇位継承者は秋篠宮、その長男という流れを「ゆるがせにしてはならない」として、その先のことは「具体的に議論するには機が熟しておらず、かえって皇位継承を不安定化させるとも考えられる。将来、悠仁さまのご年齢やご結婚などをめぐる状況を踏まえたうえで議論を深めていくべきだ」と先送りをしたことになる。秋篠宮の長男は来春、筑波大付属高校に進学するそうだから、十年後くらいには、結婚することになっても、その相手は、これまでにないプレッシャーをうけることになるだろう。美智子皇后の失語症、雅子皇后の適応障害という重い前例がある。

 二案の一つは、皇族数の確保の点から、女性皇族が結婚しても皇籍を離れない、とするもので、夫も子どもにも皇位継承権はない。さらに、座長は、記者会見で「現制度の下で人生設計をお考えで、その意思は尊重されなければいけない」と述べ、対象は新制度創設後に生まれた女性皇族とすべきだとの考えを示した、という。

 もう一つの案というのが旧皇族の男系男子を養子に迎える案で、旧皇族とは戦後1947年に皇籍を離脱した11の宮家の子孫を示すというから、すでに70年以上も前の皇族?が復活!ということなので、もうこれは、完全にアウトだろう。

 有識者会議はいったい何を議論したのだろう。今回は、女性天皇、女系天皇には一切触れてないようだが、それ以前の問題として、今の制度の中で、皇位継承者がなくなるというのであれば、それを機会に天皇家、皇族の存在意義、必要性が問われるべきだろう。

  敗戦直後から、天皇の退位論というのが、何度も何度も浮上しながら、大きな国民的な議論とならなかったことは確かである。敗戦直後の戦争責任論と絡めての退位論をはじめとして、その後も、1950年代の占領終了後、明仁皇太子の結婚時、1970年代の昭和天皇の渡欧・渡米時の戦争責任決着論、1980年代の天皇・皇太子の高齢化など、その契機と理由はさまざまであった。国会で論議されたこともあったが、天皇制維持が前提であったのである。

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きれいに晴れ上がった冬至だった。ご近所で、手広く家庭菜園をなさっている方から、ときどき野菜をいただいている。この日はなんとご覧のような立派な白菜や大根などをいただいた。大根も、人参も、カブも庭の水道で土を落とした。他にもビニール袋に詰め込まれた?ほうれん草、チンゲン菜、小松菜もあった。年末のありがたい食糧支援であった。

 

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2019年10月20日 (日)

政治利用されない「天皇制」って、ありですか?~パレード延期と恩赦に思う

「祝賀御列の儀」というパレード

 天皇即位に伴う祝賀パレードが10月22日から11月10日に延期された。また、即位に伴う恩赦の政令が出されることになった。ともに、10月18日の閣議で決定されたのだが、パレード延期の件は、すでに、NHKwebnewsでは、 10月17日に安倍首相は被災地の宮城県丸森町で「延期する方針で検討」と語り、延期の方針、午後3時49分付では、11月10日に延期との報道があり、新聞では18日朝刊で「政府の方針」として先ぶれ報道がなされた。恩赦については、18日午前中の閣議で決定された後に報道されている。
 私には、この報道の微妙な時間差を意図した政府広報、メディア・コントロールこそが天皇即位自体と関連報道を、フルに政治利用をしている場面に思えたのだ。
 パレード延期の理由が「甚大な被害を出した台風19号の被災地に配慮」して、とのことであった。前日までは、「淡々と進めている」と記者に答えていた菅官房長官だったが、17日の会見では「諸般の状況を総合的に勘案した」としている。首相は、被災地のぶら下がりで、延期の方針を発表したかったのだろう。それに、あまり評判の良くない「恩赦」と同時発表は避けなければならかったにちがいない。
 被災地への配慮というならば、直近では、15号台風の被災地、被災者の現状、さかのぼれば、東日本大震災、福島原発事故の被災地・被災者の実態を知らないわけではないだろう。11月10日に延期したところで、状況が大きく改善するわけもない。

 菅官房長官は、「宮内庁と相談したが、あくまでも内閣として判断した」と会見で語っていた。しかし、報道によれば、宮内庁関係者は「突然でびっくり」ともらし(毎日新聞10月18日)、政府関係者は「台風によりパレードの警備にあたる警察官の確保が難しくなったという事情」を語ったという(東京新聞10月18日)。被災地や被災者に配慮したとは、たてまえからも実態からも大きく離れてはいないか。さらに、国事行為として行われる内外の要人を迎えての祝宴や首相夫妻の晩餐会などの一連の行事とて、被災地や被災者を配慮するというのならば、中止して、その経費や労力を災害復旧・復興に充てるくらいの決断があってもよいのではないか。祝宴にしても晩餐会にしても、即位を利用しての政府の大判振る舞いに過ぎない。一般国民の生活に何ら寄与しないではないか。今の憲法下で、政治的権能を有しない天皇の存在自体が、死去ないし退位、改元・即位、結婚などに伴うさまざまなイベントや活動が、時の政府に組み込まれ、加担、補完する役割を果たすことになるのは、むしろ当然の成り行きであろう。

 私などからすれば、日本国憲法に「第一章」がある限り、とりあえず、天皇、皇族方には、「象徴」などというあいまいな役まわりをさぼってもいいので、ひっそりと自由に、退任でも、代替わりでも、結婚でもなさったら、よろしいのにとも申し上げたい。そして、現代の日本にとっての「象徴天皇制」は必要なのかの問いに対峙したい。

日本は、これで法治国家?

 政府は、都合が悪くなると、日本は「法治国家」だからといって、法律に従い、粛々と、淡々とことを進めてしまい、進めた結果の責任はだれも取らないのが、日本の法治国家の実態である。

 「恩赦」は、旧憲法下では、天皇の大権事項であったが、日本国憲法下では、天皇の国事行為(7条6号)で、内閣が決定する天皇の認証事項である。大赦、特赦、減刑、刑の免除、復権とあるが、いずれにしても、一度、裁判所が犯罪者の処罰を決めるという「司法権」に「行政権」を持つ内閣が介入して「処罰」がなかったことにする制度である。今回は、罰金刑により制限された資格を復活させる「復権」が大半という。その対象の55万人のうち、道路交通法違反者が65.2%で三分の二を占めるが、他は過失運転死傷、傷害・暴行・窃盗の罪を犯した者、公職選挙法違反者たちが含まれるのである。
  具体的に、今回の政令恩赦では、2016年10月21日までに罰金を納めた約55万人が対象となった。罰金刑を受けると、原則として医師や看護師など国家資格を取得する権利が5年間制限されており、こうした権利が回復する。法務省によると、対象者の約8割が道路交通法や自動車運転処罰法などの違反。公職選挙法違反による罰金納付から3年がたった約430人の公民権なども回復されることになる(JIJI.com10月18日)。
 しかし一定の条件をクリアしただけで「自らの過ちを悔い、行状を改め、再犯のおそれ」がなくなった者への更生の励みや再犯防止策になるという建前ながら、実態はどうなのか、疑問は尽きない。今回も当初、法務省は、皇室の慶事による恩赦は「社会への影響が大きく、三権分立を揺るがしかねない」とその不合理性を指摘、実施すべきではないとし、また、一律の政令による恩赦でなく、対象者を個別に審査する「特別基準恩赦」のみの実施を訴えたという(朝日新聞10月19日)。しかし、政府としては踏み切ったのである。その過程や決定の不明瞭さはぬぐえず、そもそも、内閣の恣意性が問われ、そのチェック制度がない恩赦は、実施すべきではなかったのではないか。

 諸外国において、たとえば、イギリスでは、恩赦権は大法官・法務大臣の助言に従う国王大権の一つであるが、その運用にあっては、罪や刑罰を定めて一律に行う大赦は、1930年以降実施されておらず、過去20年間に行われた特赦2件、他の恩赦も厳しい条件のもとに実施されている。フランスでは、他のヨーロッパ諸国に恩赦制度が実施されることはまれなことから、大統領選ごとに行われていた慣例的な恩赦も2007年以降実施されなくなった。アメリカでは、大統領に恩赦権はあり、司法長官の助言を受けて実施するが、減刑や罰金刑減額などは、別の制度によるとされ、2018年度に承認した恩赦は、特赦、減刑あわせて10人であった。

 日本のように、行政府が、恣意的に一律に大量に行う「恩赦」などは、もはや特異な例と言わねばならない。今後は、皇室の慶事にかこつけてなされる「恩赦」を内閣には実施させない選択を迫るべきではないか。

 こうして、利用されるだけの「象徴天皇制」を少しづつでも無化するには、どうしたらいいのか。

<参考>

・小山春希「恩赦制度の概要」『調査と情報』No.1027
(2018126)file:///C:/Users/Owner/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/JDLUCL85/digidepo_11195781_po_IB1027%20(1).pdf

・法務省のQ&A「なぜ恩赦は必要なのですか?」
http://www.moj.go.jp/hogo1/soumu/hogo_hogo10.html#02

・法務省「「復権令」及び「即位の礼に当たり行う特例恩赦基準」について」
20191018日)
http://www.moj.go.jp/hogo1/soumu/hogo08_00006.html

・晴天とら日和「恩赦に反対します」(2019年10月20日)新聞記事などのまとめあり
http://blog.livedoor.jp/hanatora53bann/archives/52334331.html

 

 

 

 

 

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2019年8月14日 (水)

 「表現の不自由展・その後」展(あいちトリエンナーレ2019企画展)への公権力介入による中止への抗議と再開を求める署名、今なら間に合います。 

 河村名古屋市長と大村県知事へ提出する署名です。今晩、夜中の12時が第一次締め切りです。ご賛同いただけるようでしたら、ネット署名、よろしくお願いいたします。こちらは、メッセージも記載できます。提出分以外は、名前は公表しませんので、他の方のメッセージもお読みの上、ご記入ください。

ネット署名(入力フォーマット)→  <https://t.co/frbAafjYcq> http://bit.ly/2YGYeu9

署名集計並びにメッセージ ➡ http://bit.ly/2LZz0RR

 用紙署名の方は、今日の局留めで締め切りです。昨日は休み明けだったため、郵便局には一日で2600筆近くが届いていました。開封の手伝いをしたのですが、おひとりで数百筆集めてくださった方も、おひとりの署名を速達で送ってくださった方もと様々です。署名用紙と共に、封筒から出てくる長文のメッセージや一筆箋での励ましの言葉、一通一通、一筆一筆の熱い抗議の思いが伝わってきます。

台風10号のさなかの?名古屋、8月15日に、県庁・市役所へ、発起人の3人が届け、記者会見の予定だそうです。ご協力お願いいたします。

<8月15日付記>本日夕方の朝日デジタル報道です。記者会見にはほかに数社か来ていたようですので、明日の朝刊等ご留意ください。

「不自由展、再開求め申し入れ 学者ら『屈してはならぬ』」

  <https://www.asahi.com/articles/ASM8H578QM8HOIPE012.html> https://www.asahi.com/articles/ASM8H578QM8HOIPE012.html

 

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2019年5月 4日 (土)

憲法記念日にふたたび~『あたらしい憲法のはなし』

 わが家にある『あたらしい憲法のはなし』は「昭和22年8月2日翻刻発行」である。仙花紙というのか、用紙はすでに茶色、表紙もご覧のように、すすけて、その綴じも今にも崩れそうである。これは、1933年生まれの次兄が、疎開先の中学校から、家の近くの立教中学校に編入して間もないころ、使用した教科書だったのか、裏表紙には、ローマ字のサインがあり、校名や三学年という表示もある。池袋の実家が建て直されるというとき、物置きから拾って!きた記憶がある。兄のところでなく、私の手元にあるのも不思議な気がしているが、すでに亡くなって久しいので、尋ねるすべもない。あらためて、読んでみた。この本は、中学校一学年用の教科書として作られたが、兄たちは、明らかに三学年で使用していたことになる。1950年には副読本となり、朝鮮戦争が始まって以降、使用されなくなった。教育現場では、ほんとに短い期間しか使用されないテキストだったわけである。

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   頁をそっと開いていくと、ところどころに、兄の几帳面なこまかい字の書き込みがある。第一章「憲法」という概説部分2~3頁をスキャンしてみた。鉛筆HBかHでの書き込みか、非常に読みにくいのだが、

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・2頁の右肩には「世界各国共通ニ「最高法規」トハ憲法ヲ云フ」(旧かな!)と読める書き込みがあり、

・3頁の右肩には「個人の人間としての基本的権利」とあるのは、文中の「基本的人権」の説明なのだろうか。

・頁下には「第二次世界大戦死者5000万人」と書かれているのは、すぐ上の文中に「こんどの憲法にも、あとでおはなしするように、これからは戦争をけっしてしないという、たいせつなことがきめられています。」とあるので、先生が話したことなのか、自分が何かで知ってメモしたものなのか。

・左肩には「憲法の歴史 (欽定)→(國民)」とあるが、下では、明治憲法とはちがい、「こんどのあたらしい憲法は、國民がじぶんでつくったもので、・・・」との一文があった。

 「あたらしい憲法」を学ぶ教師と生徒の熱意と期待が伝わって来るようであった。ちなみに、第五章「天皇陛下」を開いてみると、実に、興味深いことが書かかれているではないか。

 こんどの戦争で、天皇陛下は、たいへんごくろうをなさいました。なぜならば、古い憲法では、天皇をお助けして國の仕事をした人々は、國民ぜんたいがえらんだものでなかったので、國民の考えとはなれて、とうとう戦争になったからです。そこで、これからさき國を治めてゆくについて、二度とこのようなことのないように、あたらしい憲法をこしらえるとき、たいへん苦心をいたしました。ですから、天皇は、憲法で定めたお仕事だけをされ、政治には関係されないことになりました。(15頁)

 そして、16頁には、次のような挿絵を添えて、「日本國民統合の象徴」を説明している。17頁の末尾では、つぎのように締めくくっている。執筆者の「苦心」が伺われような文章ではあるが、敗戦までの天皇の位置づけが、こんなにも不正確だったとは知らなかった。政治的権能を持たないようにしたのは、「ごくろう」がないようにとの理由付けだったのには、いささか驚きもしたが、GHQ占領下においても、天皇の戦争責任への言及がここでは皆無であったことを知るのだった。

  天皇陛下は、けっして神様ではありません。國民と同じような人間です。ラジオのほうそうもなさいました。小さな町のすみにもおいでになりました。ですから私たちは、天皇陛下を私たちのまん中にしっかりとお置きして、國をおさめてゆくについてごくろうのないようにしなければなりません。これで憲法が天皇陛下を象徴とした意味がおわかりでしょう。(17頁)

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2019年3月12日 (火)

改元奉祝のなかで、「天皇依存」の系譜(2)そして、歌人たち

天皇が原発をやめよと言い給う日を思いおり思いて恥じぬ(吉川宏志)
 『短歌』201110月 『燕麦』2012年所収)

   東日本大震災による原発事故の直後に、吉川宏志が発表した作品である。当時、結句の「恥じぬ」の解釈をめぐって、若干の論議が交わされた。「ぬ」は完了なのか、「打消し」なのか、つまり「恥じた」のか「恥じない」のかどちらなのかと。私は、それまでの吉川の作品や発言から当然、「恥じた」として読んだ。「打消し」なら「恥じず」とするのが自然だからとも思った。作者は、もちろん「完了」の方だと明言し、近年の平井弘とのインタビューの中で、吉川自身、この一首について、つぎのようにも語っている。

「天皇に『原発をやめよ』と言ってもらおう、という発想自体に、天皇を利用しようという心根があるわけでしょう。それが恥ずかしい、という歌なんですよ。ただ、今の状勢を見てたら、天皇が言ってもだめかもしれないですね。今の政権は、天皇の意志なんてまったく無視しているわけでしょう。」(特集 平井弘インタビュー「恥ずかしさの文体」(後編)『塔』2017年4月) 

   また別の場所で、吉川は、国旗国歌法(1999813日に公布・施行)が成立したころは「〈天皇制〉を厳しく否定する論調が、歌壇では特に強かった」という認識で、当時の歌壇、時代の空気を思い起こしながら、つぎのように記す。 

 戦争体験などをして、非常に嫌悪感をもっている人たちが存在することもよく理解している。そういった人たちが、反対するのもよくわかる気がする。けれども、「君が代を歌わない権利」がある一方、「君が代を歌う権利」があることも明らかだろう。だから、卒業式などで歌うことを強制することには反対だけれど、逆にあまりに過剰に君が代を否定することにも違和感をもつ。君が代をたまに歌ったくらいで、異常な国家主義者になるわけでもない。君が代を肯定する善男善女は、世の中に無数にいるだろう。現在では、非常に激しく君が代を非難する態度も、社会的にあまり共感されないのではないだろうか。

 左翼的な人々(の一部)は、現実の天皇制を廃止すれば良いのだ、と考えた。しかし、そうではなくて、権力と責任の存在が曖昧なシステムそれ自体に、危険性は存在していた。おそらく、現実の天皇制を批判しても、何も変わらない。
 
むしろ、今年の天皇陛下の年頭のお言葉「東日本大震災から2度目の冬が巡ってきました。放射能汚染によりかつて住んでいた地域に戻れない人々や,仮設住宅で厳しい冬を過ごさざるを得ない人々など,年頭に当たって,被災者のことが,改めて深く案じられます。」
 
を聞くと、原発事故を忘れてしまったかのような、現在の首相や政府の発言よりも、ずっと心に沁みてくる。
 
 いろいろな意見はあると思うが、私は、単純に天皇制は悪だとは考えない立場である。
 (①②とも「短歌と天皇制について」『シュガークイン日録3』20130122日) 

  「国旗国歌法」の条文には、強制、義務化の文言はない。当時の小渕首相はじめ、議会の質疑でも、強制・義務化はない、としてスタートした。その後の経緯は、どうだろう。教育現場では、学習指導要領で縛り、職務命令という形で、「君が代」斉唱時の不起立、ピアノ伴奏拒否などにより受けた処分や不利益は、教師たちの思想信条の自由を侵すものではないか、との訴訟で各所でなされた。管理者の裁量の範囲内であり違憲とは言えない、という判断が定着しつつある中、処分が重すぎるという判決もあったが、まだ係争中のケースもある。吉川は、①において、「強制することには反対だけれど」などと、天皇みたいなことを言う。「君が代をたまに歌ったくらいで、異常な国家主義者になるわけでもない。君が代を肯定する善男善女は、世の中に無数にいるだろう。」とは、どういうことか。統制や弾圧は、些細なことから始まり、それによる萎縮や自主規制が強まり、息苦しくなって、気づいたときは、すでに抵抗の手段を奪われていたという歴史を、私たちは教えられたり、学んできたりしたと思う。

 

 政治の世界に限らず、時代はすでに、数の力で、少数派や異論を無視し、排除する構図が出来上がりつつある。「寛容」や「多様性」の旗を掲げるならば、日常的な談論風発、百家争鳴、混沌こそが、民主主義の基本ではなかったか、とも思う。自分と異なる意見が多数を占め、数の力が及ばないとき、「面従腹背」と言ってしまうのか。吉川のように「天皇を利用しようとする心根」を「恥じた」のならば、いまは“リベラルで、いい人”の天皇を持ち出すのは、フェアでない。②で言うように「権力と責任の存在が曖昧なシステムそれ自体に、危険性は存在していた。」とするならば、その「曖昧なシステム」に「天皇制」が寄与していなかったかを検証する必要もあるだろう。

 「単純に天皇制は悪だとは考えない立場」をとるのは自由だが、その「危険性」に本気で向き合おうとするとき、「現実の天皇制を批判しても、何も変わらない。」とするのは、いささか「単純」すぎないか。

  たまたま、吉川は、自分の意見を表明しているが、天皇依存の歌人も多いのではないか。逆に、天皇の短歌や「おことば」が、過大に評価され、利用されているのを憂慮している歌人もいるのではないか。いまこそ、この「改元」の奉祝ムードの只中でこそ、大いに声を上げるべきだろう。

24img111 レイアウトは異なるが、2019年2月24日朝刊各紙に掲載された政府広報

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商魂たくましい、広告の数々・・・。上が「朝日新聞」2月24日朝刊、下が同紙2月25日朝刊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019年1月18日 (金)

昨年は、二つのインタビューを受けて~

 昨年末、短歌誌『合歓』の発行人である久々湊盈子さんのインタビューを受けた。『合歓』では、毎号、歌人などのインタビュー記事があって、その人選びも中身も、聞き手のリードもあって、楽しく読ませていただいていた。今回、思いがけず、そのオファーを受けたのだ。久々湊さんとお話するようになったのは比較的最近で、20161月「短歌サロン九条」でレポートをと、声をかけてくださったのも彼女だった。『心の花』、『個性』を経て、1992年から『合歓』を発行されている。歯切れのいい、骨太の作品や評論を発信し続けていて、大変、行動的な歌人でもあり、「酒豪」とも漏れ聞いている。

 天皇の代替わりが迫る「今でしょ!」とばかりに、短歌と天皇制についても話し合えたらとの趣旨は、ありがたいことだった。私も慣れないことなのでかなり緊張していたかもしれない。当方の住まいの近くのホテルのロビーでお会いした。

 気っ風のよさと細かい心遣いを併せ持つ話術にリードされて、終戦はどこでどんな風に迎えたかに始まり、いわば生い立ちから、短歌を始めた動機なども尋ねられた。表題にもあるように「短歌と天皇制と憲法と」に及び、沖縄の旅から帰ってきたばかりという久々湊さんからは、沖縄の現状についても貴重な話を伺えたのが、有意義であった。終了後は駅前の居酒屋で、インタビューにも同席された歌人のKさんと3人で、私もいささか盛り上がったのだった。

 数日前に届いた、そのインタビュー記事が載った『合歓』83号(20191月)は、大きな図書館や千葉県内の大きな図書館では読めると思う。そこでお会いできたらうれしいのだが。

 

◆ 「インタビュー・内野光子さんに聞くー短歌と天皇制と憲法と」(聞き手:久々湊盈子)『合歓』83号 20191


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なお、昨年の初めの『法と民主主義』編集の弁護士の佐藤むつみさんとのお話も楽しかったが、その時の様子は、下の当ブログ記事を参照ください。

 ゴールデンウィークのさなかですが~(201854日)

「私の歌に連なる他者へ」(聞き手:佐藤むつみ、「あなたとランチを」NO.35)  『法と民主主義』(日本民主法律家協会) 20184 

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2018/05/post-d6fe.html

 

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2018年12月26日 (水)

即位・大嘗祭違憲訴訟の原告になりました

 表題の「即位・大嘗祭違憲訴訟の会」の準備会のメンバーのお一人から、早くから案内をいただいていたのだが、目の前の仕事が片付かず、一段落してからあわてて、下の訴訟委任状をを送付した。この委任状には、国税の納税者であることが分かる資料を添付するようにとの指示もあった。

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 一カ月ほどあとに、我が家の購読紙でも、いくつかの報道があって、12月10日、大嘗祭に公費を支出するのは国民主権や政教分離の憲法に違反するとして、公費支出差し止めを求め提訴、原告は241人であったことを知った。その後送られてきた資料に、各紙の報道の模様と来年の2月の報告会のお知らせがあったので、下に掲げた。

Img559_2 2018年12月11日、左上から毎日、読売、産経、朝日、右上は東京新聞、右下には、日経の記事があった。原告241人、少し寂しい気がした。第2次訴訟も考えている由、支援のお気持ちのある方は、以下をお訪ねください。
       http://sokudai.zhizhi.net/

     

 秋篠宮が、11月の誕生日会見で、大嘗祭は公費ではなく内定費でとの提案をしたが、宮内庁は耳を貸さなかったとの発言があったという。「秋篠宮もいいことを言う」「見直した」などというのが、私の周辺でもよく聞かれた。しかし、そもそも、大嘗祭は宗教色が強い儀式であって、平成天皇への代替わりの折にも違憲の疑義を持たれたものであった。創価学会という宗教団体を母体とする公明党が、今回の公費支出になぜ反対しないのかも不思議だが、内定費と言っても、「公費」には違いない。大嘗祭自体が違憲という今回の提訴の原告団に参加した。

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2018年11月 6日 (火)

麻生大臣辞めてください~11月11日、財務省前の行動へ

あの大臣の顔は見たくもない 

  私が参加している「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」が下記のチラシのように、財務省前で「麻生大臣は即時辞任せよ!」のアピール行動と日比谷公園~鍛冶橋までのデモを計画している。「アソウの顔を見るのもイヤだ」という人は、私の周辺でもかなり多い。「アイツが出たら、すぐテレビを消すよ」という声もよく聞く。それでも、麻生は次から次へと国民を逆なでするような、暴言・放言を臆面もなく放ち続け、国会では、答弁の安倍首相の後でニヤニヤし続けている。

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このチラシと署名用紙はこちらの「市民の会」へ↓

http://sinkan.cocolog-nifty.com/

 顔を見たくもないの視聴者の声に応え!?、NHKの国会関連ニュースはめっきり少なくなってしまった。夜7時のテレビは、アメリカだ、シリアだ、中国、韓国だと、海外ニュースや災害・事故・事件が、いつもトップだ。それぞれ、大事ではあるが、限られた時間内でのバランスがおかしいのだ。ときにはスポーツがトップで長い時間を費やす。地方局のニュースで十分ではないかと思うこともしばしばで、渋谷のハロウィン騒動を長々とやった上、「マナーを守って楽しみましょう」だって。たしかに麻生・安倍のクローズアップ画像は少なくなった?しかし、開会中にもかかわらず、国内の政治ニュース、国会関連は、極力後回しにして、短時間で済ます。首相はじめ大臣のイイとこ答弁だけが放映され、質問の中身をまともには伝えない。受信料だけはしっかりとって、日本の公共放送は、政府広報に成り下がってしまった。
 こんな川柳があったのを、メモしていた。「見ねば損見れば腹立つNHK 千葉 さと志」(「仲畑流万能川柳」『毎日新聞』2018年10月16日)

113日の国会前集会に出かけました

 

先月、19日行動の議員会館前の集会は久しぶりだった。1019日は、小雨のなかだったが、集会の始まる前の時間を利用して、1111日、「財務首前「麻生大臣は即刻辞任せよ」辞任要求行動とデモ(「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」主催)のチラシを配布した。総勢13人、一人80枚を配り終えるには、あまり時間はかからなかった。私は、丸ノ内線国会議事堂前の南通用門横に陣取り、早めに終了。この日の集会は、主催者発表で1800人とのこと。

 113日は、まさに快晴。「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」と 「安倍9条改憲NO!全国市民アクション」の共催で、「止めよう!改憲発議」「ウソだらけの安倍政権を変えよう」「辺野古新基地建設を止めよう」のプラスターを手渡される。私たち、森友・加計問題の幕引きを許さない会のメンバーは、「1111の財務省前麻生大臣は即刻辞任せよ」集会とデモのチラシ配りと署名活動をすることにしていた。国会正門前と国会図書館前に分かれ、2.5メートルほどの横断幕を持つ者、署名に回る者など、総勢36人。ちなみに、新聞報道によれば、この日の参加者は18000人とのこと。

20181103

 

  私は国会図書館前で、署名を集めた。少し広めの歩道には、参加者が幾重にも列をなし、立つ者、座り込む者、わずかな通路だけを残して、参加者でいっぱいとなった。趣旨を説明しながら、署名用紙とペンを差し出すと、「アイツの顔は見たくない、声も聞きたくない」「腹立つねェ、まったく、煮えくり返っているョ」と怒りの声がビンビンと返ってくる。少々腰痛が心配な私は、申し訳ないながら、集会の途中で失礼した。

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私たちの「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」の横断幕


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国会の正門前の辺りでは、署名する人の列ができたとか・・・。

 去年から今年にかけて、調べ物があって、国立国会図書館にはよく通った。それに、独身時代の11年間、この図書館職員だっただけに、図書館前で、こんな活動するとは思いもよらなかった。出勤・退勤時に組合のビラをもらったり、撒いたりした記憶もよみがえる。私の青春時代は、この図書館にあったのだ。今回も、私たちの会のスタッフとして参加されたMさんとお会いすることができた。Mさんは、同期入館で、定年まで勤められた方だ。またゆっくりお話ししたいな、の思いで、議事堂前を後にした。

Photo
牛の鳴き声を流しながら、議事堂周辺をまわっていた。赤いシートの下には<カウ・ゴジラ>と称して牛の骨格がかたどられ、その足元には本物の牛の頭部の骸骨が揺れていた。

11・11には財務省前に集まろう。

<署名>と<財務省前アピール行動+デモ>の資料一式をまとめたサイト■
  
http://sinkan.cocolog-nifty.com/blog/2018/10/1111-5336-1.html

署名は今からでも間に合います。

  ネット署名はこちら(入力フォーム)

 http://bit.ly/2IFNx0A

  署名用紙はこちら(署名用紙のダウンロード)

 http://bit.ly/2ygbmHe

 

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