2019年10月20日 (日)

政治利用されない「天皇制」って、ありですか?~パレード延期と恩赦に思う

「祝賀御列の儀」というパレード

 天皇即位に伴う祝賀パレードが10月22日から11月10日に延期された。また、即位に伴う恩赦の政令が出されることになった。ともに、10月18日の閣議で決定されたのだが、パレード延期の件は、すでに、NHKwebnewsでは、 10月17日に安倍首相は被災地の宮城県丸森町で「延期する方針で検討」と語り、延期の方針、午後3時49分付では、11月10日に延期との報道があり、新聞では18日朝刊で「政府の方針」として先ぶれ報道がなされた。恩赦については、18日午前中の閣議で決定された後に報道されている。
 私には、この報道の微妙な時間差を意図した政府広報、メディア・コントロールこそが天皇即位自体と関連報道を、フルに政治利用をしている場面に思えたのだ。
 パレード延期の理由が「甚大な被害を出した台風19号の被災地に配慮」して、とのことであった。前日までは、「淡々と進めている」と記者に答えていた菅官房長官だったが、17日の会見では「諸般の状況を総合的に勘案した」としている。首相は、被災地のぶら下がりで、延期の方針を発表したかったのだろう。それに、あまり評判の良くない「恩赦」と同時発表は避けなければならかったにちがいない。
 被災地への配慮というならば、直近では、15号台風の被災地、被災者の現状、さかのぼれば、東日本大震災、福島原発事故の被災地・被災者の実態を知らないわけではないだろう。11月10日に延期したところで、状況が大きく改善するわけもない。

 菅官房長官は、「宮内庁と相談したが、あくまでも内閣として判断した」と会見で語っていた。しかし、報道によれば、宮内庁関係者は「突然でびっくり」ともらし(毎日新聞10月18日)、政府関係者は「台風によりパレードの警備にあたる警察官の確保が難しくなったという事情」を語ったという(東京新聞10月18日)。被災地や被災者に配慮したとは、たてまえからも実態からも大きく離れてはいないか。さらに、国事行為として行われる内外の要人を迎えての祝宴や首相夫妻の晩餐会などの一連の行事とて、被災地や被災者を配慮するというのならば、中止して、その経費や労力を災害復旧・復興に充てるくらいの決断があってもよいのではないか。祝宴にしても晩餐会にしても、即位を利用しての政府の大判振る舞いに過ぎない。一般国民の生活に何ら寄与しないではないか。今の憲法下で、政治的権能を有しない天皇の存在自体が、死去ないし退位、改元・即位、結婚などに伴うさまざまなイベントや活動が、時の政府に組み込まれ、加担、補完する役割を果たすことになるのは、むしろ当然の成り行きであろう。

 私などからすれば、日本国憲法に「第一章」がある限り、とりあえず、天皇、皇族方には、「象徴」などというあいまいな役まわりをさぼってもいいので、ひっそりと自由に、退任でも、代替わりでも、結婚でもなさったら、よろしいのにとも申し上げたい。そして、現代の日本にとっての「象徴天皇制」は必要なのかの問いに対峙したい。

日本は、これで法治国家?

 政府は、都合が悪くなると、日本は「法治国家」だからといって、法律に従い、粛々と、淡々とことを進めてしまい、進めた結果の責任はだれも取らないのが、日本の法治国家の実態である。

 「恩赦」は、旧憲法下では、天皇の大権事項であったが、日本国憲法下では、天皇の国事行為(7条6号)で、内閣が決定する天皇の認証事項である。大赦、特赦、減刑、刑の免除、復権とあるが、いずれにしても、一度、裁判所が犯罪者の処罰を決めるという「司法権」に「行政権」を持つ内閣が介入して「処罰」がなかったことにする制度である。今回は、罰金刑により制限された資格を復活させる「復権」が大半という。その対象の55万人のうち、道路交通法違反者が65.2%で三分の二を占めるが、他は過失運転死傷、傷害・暴行・窃盗の罪を犯した者、公職選挙法違反者たちが含まれるのである。
  具体的に、今回の政令恩赦では、2016年10月21日までに罰金を納めた約55万人が対象となった。罰金刑を受けると、原則として医師や看護師など国家資格を取得する権利が5年間制限されており、こうした権利が回復する。法務省によると、対象者の約8割が道路交通法や自動車運転処罰法などの違反。公職選挙法違反による罰金納付から3年がたった約430人の公民権なども回復されることになる(JIJI.com10月18日)。
 しかし一定の条件をクリアしただけで「自らの過ちを悔い、行状を改め、再犯のおそれ」がなくなった者への更生の励みや再犯防止策になるという建前ながら、実態はどうなのか、疑問は尽きない。今回も当初、法務省は、皇室の慶事による恩赦は「社会への影響が大きく、三権分立を揺るがしかねない」とその不合理性を指摘、実施すべきではないとし、また、一律の政令による恩赦でなく、対象者を個別に審査する「特別基準恩赦」のみの実施を訴えたという(朝日新聞10月19日)。しかし、政府としては踏み切ったのである。その過程や決定の不明瞭さはぬぐえず、そもそも、内閣の恣意性が問われ、そのチェック制度がない恩赦は、実施すべきではなかったのではないか。

 諸外国において、たとえば、イギリスでは、恩赦権は大法官・法務大臣の助言に従う国王大権の一つであるが、その運用にあっては、罪や刑罰を定めて一律に行う大赦は、1930年以降実施されておらず、過去20年間に行われた特赦2件、他の恩赦も厳しい条件のもとに実施されている。フランスでは、他のヨーロッパ諸国に恩赦制度が実施されることはまれなことから、大統領選ごとに行われていた慣例的な恩赦も2007年以降実施されなくなった。アメリカでは、大統領に恩赦権はあり、司法長官の助言を受けて実施するが、減刑や罰金刑減額などは、別の制度によるとされ、2018年度に承認した恩赦は、特赦、減刑あわせて10人であった。

 日本のように、行政府が、恣意的に一律に大量に行う「恩赦」などは、もはや特異な例と言わねばならない。今後は、皇室の慶事にかこつけてなされる「恩赦」を内閣には実施させない選択を迫るべきではないか。

 こうして、利用されるだけの「象徴天皇制」を少しづつでも無化するには、どうしたらいいのか。

<参考>

・小山春希「恩赦制度の概要」『調査と情報』No.1027
(2018126)file:///C:/Users/Owner/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/JDLUCL85/digidepo_11195781_po_IB1027%20(1).pdf

・法務省のQ&A「なぜ恩赦は必要なのですか?」
http://www.moj.go.jp/hogo1/soumu/hogo_hogo10.html#02

・法務省「「復権令」及び「即位の礼に当たり行う特例恩赦基準」について」
20191018日)
http://www.moj.go.jp/hogo1/soumu/hogo08_00006.html

・晴天とら日和「恩赦に反対します」(2019年10月20日)新聞記事などのまとめあり
http://blog.livedoor.jp/hanatora53bann/archives/52334331.html

 

 

 

 

 

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2019年8月14日 (水)

 「表現の不自由展・その後」展(あいちトリエンナーレ2019企画展)への公権力介入による中止への抗議と再開を求める署名、今なら間に合います。 

 河村名古屋市長と大村県知事へ提出する署名です。今晩、夜中の12時が第一次締め切りです。ご賛同いただけるようでしたら、ネット署名、よろしくお願いいたします。こちらは、メッセージも記載できます。提出分以外は、名前は公表しませんので、他の方のメッセージもお読みの上、ご記入ください。

ネット署名(入力フォーマット)→  <https://t.co/frbAafjYcq> http://bit.ly/2YGYeu9

署名集計並びにメッセージ ➡ http://bit.ly/2LZz0RR

 用紙署名の方は、今日の局留めで締め切りです。昨日は休み明けだったため、郵便局には一日で2600筆近くが届いていました。開封の手伝いをしたのですが、おひとりで数百筆集めてくださった方も、おひとりの署名を速達で送ってくださった方もと様々です。署名用紙と共に、封筒から出てくる長文のメッセージや一筆箋での励ましの言葉、一通一通、一筆一筆の熱い抗議の思いが伝わってきます。

台風10号のさなかの?名古屋、8月15日に、県庁・市役所へ、発起人の3人が届け、記者会見の予定だそうです。ご協力お願いいたします。

<8月15日付記>本日夕方の朝日デジタル報道です。記者会見にはほかに数社か来ていたようですので、明日の朝刊等ご留意ください。

「不自由展、再開求め申し入れ 学者ら『屈してはならぬ』」

  <https://www.asahi.com/articles/ASM8H578QM8HOIPE012.html> https://www.asahi.com/articles/ASM8H578QM8HOIPE012.html

 

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2019年5月 4日 (土)

憲法記念日にふたたび~『あたらしい憲法のはなし』

 わが家にある『あたらしい憲法のはなし』は「昭和22年8月2日翻刻発行」である。仙花紙というのか、用紙はすでに茶色、表紙もご覧のように、すすけて、その綴じも今にも崩れそうである。これは、1933年生まれの次兄が、疎開先の中学校から、家の近くの立教中学校に編入して間もないころ、使用した教科書だったのか、裏表紙には、ローマ字のサインがあり、校名や三学年という表示もある。池袋の実家が建て直されるというとき、物置きから拾って!きた記憶がある。兄のところでなく、私の手元にあるのも不思議な気がしているが、すでに亡くなって久しいので、尋ねるすべもない。あらためて、読んでみた。この本は、中学校一学年用の教科書として作られたが、兄たちは、明らかに三学年で使用していたことになる。1950年には副読本となり、朝鮮戦争が始まって以降、使用されなくなった。教育現場では、ほんとに短い期間しか使用されないテキストだったわけである。

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   頁をそっと開いていくと、ところどころに、兄の几帳面なこまかい字の書き込みがある。第一章「憲法」という概説部分2~3頁をスキャンしてみた。鉛筆HBかHでの書き込みか、非常に読みにくいのだが、

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・2頁の右肩には「世界各国共通ニ「最高法規」トハ憲法ヲ云フ」(旧かな!)と読める書き込みがあり、

・3頁の右肩には「個人の人間としての基本的権利」とあるのは、文中の「基本的人権」の説明なのだろうか。

・頁下には「第二次世界大戦死者5000万人」と書かれているのは、すぐ上の文中に「こんどの憲法にも、あとでおはなしするように、これからは戦争をけっしてしないという、たいせつなことがきめられています。」とあるので、先生が話したことなのか、自分が何かで知ってメモしたものなのか。

・左肩には「憲法の歴史 (欽定)→(國民)」とあるが、下では、明治憲法とはちがい、「こんどのあたらしい憲法は、國民がじぶんでつくったもので、・・・」との一文があった。

 「あたらしい憲法」を学ぶ教師と生徒の熱意と期待が伝わって来るようであった。ちなみに、第五章「天皇陛下」を開いてみると、実に、興味深いことが書かかれているではないか。

 こんどの戦争で、天皇陛下は、たいへんごくろうをなさいました。なぜならば、古い憲法では、天皇をお助けして國の仕事をした人々は、國民ぜんたいがえらんだものでなかったので、國民の考えとはなれて、とうとう戦争になったからです。そこで、これからさき國を治めてゆくについて、二度とこのようなことのないように、あたらしい憲法をこしらえるとき、たいへん苦心をいたしました。ですから、天皇は、憲法で定めたお仕事だけをされ、政治には関係されないことになりました。(15頁)

 そして、16頁には、次のような挿絵を添えて、「日本國民統合の象徴」を説明している。17頁の末尾では、つぎのように締めくくっている。執筆者の「苦心」が伺われような文章ではあるが、敗戦までの天皇の位置づけが、こんなにも不正確だったとは知らなかった。政治的権能を持たないようにしたのは、「ごくろう」がないようにとの理由付けだったのには、いささか驚きもしたが、GHQ占領下においても、天皇の戦争責任への言及がここでは皆無であったことを知るのだった。

  天皇陛下は、けっして神様ではありません。國民と同じような人間です。ラジオのほうそうもなさいました。小さな町のすみにもおいでになりました。ですから私たちは、天皇陛下を私たちのまん中にしっかりとお置きして、國をおさめてゆくについてごくろうのないようにしなければなりません。これで憲法が天皇陛下を象徴とした意味がおわかりでしょう。(17頁)

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2019年3月12日 (火)

改元奉祝のなかで、「天皇依存」の系譜(2)そして、歌人たち

天皇が原発をやめよと言い給う日を思いおり思いて恥じぬ(吉川宏志)
 『短歌』201110月 『燕麦』2012年所収)

   東日本大震災による原発事故の直後に、吉川宏志が発表した作品である。当時、結句の「恥じぬ」の解釈をめぐって、若干の論議が交わされた。「ぬ」は完了なのか、「打消し」なのか、つまり「恥じた」のか「恥じない」のかどちらなのかと。私は、それまでの吉川の作品や発言から当然、「恥じた」として読んだ。「打消し」なら「恥じず」とするのが自然だからとも思った。作者は、もちろん「完了」の方だと明言し、近年の平井弘とのインタビューの中で、吉川自身、この一首について、つぎのようにも語っている。

「天皇に『原発をやめよ』と言ってもらおう、という発想自体に、天皇を利用しようという心根があるわけでしょう。それが恥ずかしい、という歌なんですよ。ただ、今の状勢を見てたら、天皇が言ってもだめかもしれないですね。今の政権は、天皇の意志なんてまったく無視しているわけでしょう。」(特集 平井弘インタビュー「恥ずかしさの文体」(後編)『塔』2017年4月) 

   また別の場所で、吉川は、国旗国歌法(1999813日に公布・施行)が成立したころは「〈天皇制〉を厳しく否定する論調が、歌壇では特に強かった」という認識で、当時の歌壇、時代の空気を思い起こしながら、つぎのように記す。 

 戦争体験などをして、非常に嫌悪感をもっている人たちが存在することもよく理解している。そういった人たちが、反対するのもよくわかる気がする。けれども、「君が代を歌わない権利」がある一方、「君が代を歌う権利」があることも明らかだろう。だから、卒業式などで歌うことを強制することには反対だけれど、逆にあまりに過剰に君が代を否定することにも違和感をもつ。君が代をたまに歌ったくらいで、異常な国家主義者になるわけでもない。君が代を肯定する善男善女は、世の中に無数にいるだろう。現在では、非常に激しく君が代を非難する態度も、社会的にあまり共感されないのではないだろうか。

 左翼的な人々(の一部)は、現実の天皇制を廃止すれば良いのだ、と考えた。しかし、そうではなくて、権力と責任の存在が曖昧なシステムそれ自体に、危険性は存在していた。おそらく、現実の天皇制を批判しても、何も変わらない。
 
むしろ、今年の天皇陛下の年頭のお言葉「東日本大震災から2度目の冬が巡ってきました。放射能汚染によりかつて住んでいた地域に戻れない人々や,仮設住宅で厳しい冬を過ごさざるを得ない人々など,年頭に当たって,被災者のことが,改めて深く案じられます。」
 
を聞くと、原発事故を忘れてしまったかのような、現在の首相や政府の発言よりも、ずっと心に沁みてくる。
 
 いろいろな意見はあると思うが、私は、単純に天皇制は悪だとは考えない立場である。
 (①②とも「短歌と天皇制について」『シュガークイン日録3』20130122日) 

  「国旗国歌法」の条文には、強制、義務化の文言はない。当時の小渕首相はじめ、議会の質疑でも、強制・義務化はない、としてスタートした。その後の経緯は、どうだろう。教育現場では、学習指導要領で縛り、職務命令という形で、「君が代」斉唱時の不起立、ピアノ伴奏拒否などにより受けた処分や不利益は、教師たちの思想信条の自由を侵すものではないか、との訴訟で各所でなされた。管理者の裁量の範囲内であり違憲とは言えない、という判断が定着しつつある中、処分が重すぎるという判決もあったが、まだ係争中のケースもある。吉川は、①において、「強制することには反対だけれど」などと、天皇みたいなことを言う。「君が代をたまに歌ったくらいで、異常な国家主義者になるわけでもない。君が代を肯定する善男善女は、世の中に無数にいるだろう。」とは、どういうことか。統制や弾圧は、些細なことから始まり、それによる萎縮や自主規制が強まり、息苦しくなって、気づいたときは、すでに抵抗の手段を奪われていたという歴史を、私たちは教えられたり、学んできたりしたと思う。

 

 政治の世界に限らず、時代はすでに、数の力で、少数派や異論を無視し、排除する構図が出来上がりつつある。「寛容」や「多様性」の旗を掲げるならば、日常的な談論風発、百家争鳴、混沌こそが、民主主義の基本ではなかったか、とも思う。自分と異なる意見が多数を占め、数の力が及ばないとき、「面従腹背」と言ってしまうのか。吉川のように「天皇を利用しようとする心根」を「恥じた」のならば、いまは“リベラルで、いい人”の天皇を持ち出すのは、フェアでない。②で言うように「権力と責任の存在が曖昧なシステムそれ自体に、危険性は存在していた。」とするならば、その「曖昧なシステム」に「天皇制」が寄与していなかったかを検証する必要もあるだろう。

 「単純に天皇制は悪だとは考えない立場」をとるのは自由だが、その「危険性」に本気で向き合おうとするとき、「現実の天皇制を批判しても、何も変わらない。」とするのは、いささか「単純」すぎないか。

  たまたま、吉川は、自分の意見を表明しているが、天皇依存の歌人も多いのではないか。逆に、天皇の短歌や「おことば」が、過大に評価され、利用されているのを憂慮している歌人もいるのではないか。いまこそ、この「改元」の奉祝ムードの只中でこそ、大いに声を上げるべきだろう。

24img111 レイアウトは異なるが、2019年2月24日朝刊各紙に掲載された政府広報

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商魂たくましい、広告の数々・・・。上が「朝日新聞」2月24日朝刊、下が同紙2月25日朝刊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019年1月18日 (金)

昨年は、二つのインタビューを受けて~

 

 

 昨年末、短歌誌『合歓』の発行人である久々湊盈子さんのインタビューを受けた。『合歓』では、毎号、歌人などのインタビュー記事があって、その人選びも中身も、聞き手のリードもあって、楽しく読ませていただいていた。今回、思いがけず、そのオファーを受けたのだ。久々湊さんとお話するようになったのは比較的最近で、20161月「短歌サロン九条」でレポートをと、声をかけてくださったのも彼女だった。『心の花』、『個性』を経て、1992年から『合歓』を発行されている。歯切れのいい、骨太の作品や評論を発信し続けていて、大変、行動的な歌人でもあり、「酒豪」とも漏れ聞いている。

 

 天皇の代替わりが迫る「今でしょ!」とばかりに、短歌と天皇制についても話し合えたらとの趣旨は、ありがたいことだった。私も慣れないことなのでかなり緊張していたかもしれない。当方の住まいの近くのホテルのロビーでお会いした。

 

 気っ風のよさと細かい心遣いを併せ持つ話術にリードされて、終戦はどこでどんな風に迎えたかに始まり、いわば生い立ちから、短歌を始めた動機なども尋ねられた。表題にもあるように「短歌と天皇制と憲法と」に及び、沖縄の旅から帰ってきたばかりという久々湊さんからは、沖縄の現状についても貴重な話を伺えたのが、有意義であった。終了後は駅前の居酒屋で、インタビューにも同席された歌人のKさんと3人で、私もいささか盛り上がったのだった。

 数日前に届いた、そのインタビュー記事が載った『合歓』83号(20191月)は、大きな図書館や千葉県内の大きな図書館では読めると思う。そこでお会いできたらうれしいのだが。

 

◆ 「インタビュー・内野光子さんに聞くー短歌と天皇制と憲法と」(聞き手:久々湊盈子)『合歓』83号 20191

 


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なお、昨年の初めの『法と民主主義』編集の弁護士の佐藤むつみさんとのお話も楽しかったが、その時の様子は、下の当ブログ記事を参照ください。

 

 ゴールデンウィークのさなかですが~(201854日)

「私の歌に連なる他者へ」(聞き手:佐藤むつみ、「あなたとランチを」NO.35)  『法と民主主義』(日本民主法律家協会) 20184 

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2018/05/post-d6fe.html

 

 

 

 

 

 

 

 

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2018年12月26日 (水)

即位・大嘗祭違憲訴訟の原告になりました

 表題の「即位・大嘗祭違憲訴訟の会」の準備会のメンバーのお一人から、早くから案内をいただいていたのだが、目の前の仕事が片付かず、一段落してからあわてて、下の訴訟委任状をを送付した。この委任状には、国税の納税者であることが分かる資料を添付するようにとの指示もあった。

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 一カ月ほどあとに、我が家の購読紙でも、いくつかの報道があって、12月10日、大嘗祭に公費を支出するのは国民主権や政教分離の憲法に違反するとして、公費支出差し止めを求め提訴、原告は241人であったことを知った。その後送られてきた資料に、各紙の報道の模様と来年の2月の報告会のお知らせがあったので、下に掲げた。

Img559_2 2018年12月11日、左上から毎日、読売、産経、朝日、右上は東京新聞、右下には、日経の記事があった。原告241人、少し寂しい気がした。第2次訴訟も考えている由、支援のお気持ちのある方は、以下をお訪ねください。
       http://sokudai.zhizhi.net/

     

 秋篠宮が、11月の誕生日会見で、大嘗祭は公費ではなく内定費でとの提案をしたが、宮内庁は耳を貸さなかったとの発言があったという。「秋篠宮もいいことを言う」「見直した」などというのが、私の周辺でもよく聞かれた。しかし、そもそも、大嘗祭は宗教色が強い儀式であって、平成天皇への代替わりの折にも違憲の疑義を持たれたものであった。創価学会という宗教団体を母体とする公明党が、今回の公費支出になぜ反対しないのかも不思議だが、内定費と言っても、「公費」には違いない。大嘗祭自体が違憲という今回の提訴の原告団に参加した。

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2018年11月 6日 (火)

麻生大臣辞めてください~11月11日、財務省前の行動へ

あの大臣の顔は見たくもない 

  私が参加している「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」が下記のチラシのように、財務省前で「麻生大臣は即時辞任せよ!」のアピール行動と日比谷公園~鍛冶橋までのデモを計画している。「アソウの顔を見るのもイヤだ」という人は、私の周辺でもかなり多い。「アイツが出たら、すぐテレビを消すよ」という声もよく聞く。それでも、麻生は次から次へと国民を逆なでするような、暴言・放言を臆面もなく放ち続け、国会では、答弁の安倍首相の後でニヤニヤし続けている。

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このチラシと署名用紙はこちらの「市民の会」へ↓

http://sinkan.cocolog-nifty.com/

 顔を見たくもないの視聴者の声に応え!?、NHKの国会関連ニュースはめっきり少なくなってしまった。夜7時のテレビは、アメリカだ、シリアだ、中国、韓国だと、海外ニュースや災害・事故・事件が、いつもトップだ。それぞれ、大事ではあるが、限られた時間内でのバランスがおかしいのだ。ときにはスポーツがトップで長い時間を費やす。地方局のニュースで十分ではないかと思うこともしばしばで、渋谷のハロウィン騒動を長々とやった上、「マナーを守って楽しみましょう」だって。たしかに麻生・安倍のクローズアップ画像は少なくなった?しかし、開会中にもかかわらず、国内の政治ニュース、国会関連は、極力後回しにして、短時間で済ます。首相はじめ大臣のイイとこ答弁だけが放映され、質問の中身をまともには伝えない。受信料だけはしっかりとって、日本の公共放送は、政府広報に成り下がってしまった。
 こんな川柳があったのを、メモしていた。「見ねば損見れば腹立つNHK 千葉 さと志」(「仲畑流万能川柳」『毎日新聞』2018年10月16日)

113日の国会前集会に出かけました

 

先月、19日行動の議員会館前の集会は久しぶりだった。1019日は、小雨のなかだったが、集会の始まる前の時間を利用して、1111日、「財務首前「麻生大臣は即刻辞任せよ」辞任要求行動とデモ(「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」主催)のチラシを配布した。総勢13人、一人80枚を配り終えるには、あまり時間はかからなかった。私は、丸ノ内線国会議事堂前の南通用門横に陣取り、早めに終了。この日の集会は、主催者発表で1800人とのこと。

 113日は、まさに快晴。「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」と 「安倍9条改憲NO!全国市民アクション」の共催で、「止めよう!改憲発議」「ウソだらけの安倍政権を変えよう」「辺野古新基地建設を止めよう」のプラスターを手渡される。私たち、森友・加計問題の幕引きを許さない会のメンバーは、「1111の財務省前麻生大臣は即刻辞任せよ」集会とデモのチラシ配りと署名活動をすることにしていた。国会正門前と国会図書館前に分かれ、2.5メートルほどの横断幕を持つ者、署名に回る者など、総勢36人。ちなみに、新聞報道によれば、この日の参加者は18000人とのこと。

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  私は国会図書館前で、署名を集めた。少し広めの歩道には、参加者が幾重にも列をなし、立つ者、座り込む者、わずかな通路だけを残して、参加者でいっぱいとなった。趣旨を説明しながら、署名用紙とペンを差し出すと、「アイツの顔は見たくない、声も聞きたくない」「腹立つねェ、まったく、煮えくり返っているョ」と怒りの声がビンビンと返ってくる。少々腰痛が心配な私は、申し訳ないながら、集会の途中で失礼した。

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私たちの「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」の横断幕


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国会の正門前の辺りでは、署名する人の列ができたとか・・・。

 去年から今年にかけて、調べ物があって、国立国会図書館にはよく通った。それに、独身時代の11年間、この図書館職員だっただけに、図書館前で、こんな活動するとは思いもよらなかった。出勤・退勤時に組合のビラをもらったり、撒いたりした記憶もよみがえる。私の青春時代は、この図書館にあったのだ。今回も、私たちの会のスタッフとして参加されたMさんとお会いすることができた。Mさんは、同期入館で、定年まで勤められた方だ。またゆっくりお話ししたいな、の思いで、議事堂前を後にした。

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牛の鳴き声を流しながら、議事堂周辺をまわっていた。赤いシートの下には<カウ・ゴジラ>と称して牛の骨格がかたどられ、その足元には本物の牛の頭部の骸骨が揺れていた。

11・11には財務省前に集まろう。

<署名>と<財務省前アピール行動+デモ>の資料一式をまとめたサイト■
  
http://sinkan.cocolog-nifty.com/blog/2018/10/1111-5336-1.html

署名は今からでも間に合います。

  ネット署名はこちら(入力フォーム)

 http://bit.ly/2IFNx0A

  署名用紙はこちら(署名用紙のダウンロード)

 http://bit.ly/2ygbmHe

 

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2018年11月 5日 (月)

元号が変わるというけれど、―73年の意味(9)―敗戦直後の短歌雑誌に見る<短歌と天皇制>(5)

東京裁判はどう歌われたか

 

七名の日本人の死にゆかむ日は年内に迫り来なむか  

(宮柊二「猫じゃらしの穂」12 短歌研究 19491月)

裁かれし二十五名の断罪に耳かたむけてゐたるときの間
おごそかに歴史の上にしるされて永遠に消えざる今日の重大
(吉野鉦二「断罪」12 短歌研究19492月)

断罪の一人の友の夫がラジオにて知るその絞首刑(板垣喜久子夫人に)
洋裁店場末の町にひらきしも戦犯家族の生きてゆく道
(尾崎孝子 「十二首」12 短歌研究492

判決のラジオの聲を耳にして自由が丘の街なかに立つ
(片山廣子「秋日」7 日本短歌 19492月)

七人の處刑をはりし夜の闇のまぼろしに来て迫る何ゆゑ
薤の上の露ひとときのはかなごと同罪の吾をせめつつゐたり
断罪を軽しとしつつ傳へ来る福音はなほ吾に遠くして
(山本友一「冬蟄吟」12 短歌研究 19494月) 

断罪の一人の如く醒めし吾ま夜の井に来て水のみにけり
(青木政雄 短歌人 19491011月)

これらは、極東軍事裁判、いわゆる東京裁判のA級戦犯として東条英機ら七人が処刑された19481223日(皇太子誕生日)の前後に詠まれた短歌である。1946429日、(昭和天皇誕生日)に東条英機らを起訴し、53日にスタートした東京裁判だったが、19481112日には死刑の判決が宣告されていたものだ。『昭和萬葉集』巻八にも、この死刑執行について詠んだ短歌がかなり収録されているが、私は、あえて、初出の雑誌で発表した作品に限って、あげてみた。手元で確認できるものだけなのだが、ほぼリアルタイムで詠まれた短歌と言ってよいだろう。後、歌集に収録されたものには、改作されることもあり得るから、引用には、やや慎重にならざるを得ない。尾崎孝子の短歌は、七人のうちの一人、板垣征四郎の喜久子夫人を歌ったものである。夫人は、阿部静枝とお茶の水女高師の同期生で、古くからの『ポトナム』同人であった。『ポトナム』に復帰された1960年代からの東京ポトナムの歌会で何度かお目にかかったことがある。作品は、私など及びもつかない、骨格のしっかりしたものであり、苦労はされたとは思うが、やさしく、穏やかな面差しが印象に残っている。 

 A級戦犯処刑の日から2カ月もたたない1949215日に発売された、巣鴨拘置所で死刑囚の教誨師を務めた花山信勝『平和の発見―巣鴨の生と死の記録』は、たちまちに15万部以上のベストセラーとなったという。それを受けて、杉浦明平は、死刑囚の辞世と花山の<説教>、著名・無名にかかわらず歌人の受け止め方を、雑誌に発表された作品を例に挙げながら、辛口というか、かなり挑戦的な口調で、批判を続け、つぎのような結論へと導く(杉浦明平「新七刑囚物語―極東裁判の短歌について」『短歌研究』19497月)。

歌人たちは<世紀の裁判>とか何とか新聞の見出しだけを覚えて復唱するだけ で、この戦犯裁判と処刑との意味するものを深くとらえていない。従つてそれを文学化せずにおられぬまでに強い抒情をなし得ず、まれになしても非文学的な三十一文字しかつくれない。それはちようど聖戦をあのように姦しくさえずり回りわめき立てたことと表裏の関係に立つ。すなわち、歌人が、従つてそのいとなむ短歌もまた、近代化の方向に向いていないし、近代化への切実な要求ももつていないことの一つのあらわれにほかならない。」

 そんな中でも、杉浦は、井上健太郎(『国民文学』)のつぎのような、いまだ生硬ながら、「自覚的」な短歌として期待を寄せていた。 

・死によりて償はるるとなす彼の思想を何が何がかへるのか 

・千数百すでに縊られたるありて七囚をのみなげく何もなし 

・縊られし者ら以上に生きながら永き苦悩をつづけてゆくべし

  極東軍事裁判の開廷中をふくめ、天皇の戦争責任論にかかわり、天皇退位論議は、マス・メディアを舞台にかなり活発になされていた。今からは想像がつかないほどで、例えば、大手全国紙は、世論調査を実施するとともに、194510月から翌年にかけては、社説でも、天皇の退位時の対応策などが論じられ、19464月、南原繁東大総長は道義的退位論を表明している。新憲法施行後も、司法の場からは、19484月、三淵忠彦最高裁長官により、8月には、横田喜三郎東大教授による退位論が表明されている。裁判の終盤、19471231日、東条英機が天皇に開戦責任ありと証言した一週間後の年明けには、天皇に開戦責任なしと証言を覆した場面もあった。開廷中のキーナン首席検事が天皇訴追せずのメッセージは幾度か出してはいたが、そもそも、アメリカ本国では、1941年日米開戦直後から、日本占領後の「象徴天皇制利用構想」が打ち出されていたという(加藤哲郎『象徴天皇制の起源』平凡社 2005年)。日本の情報機関は知るすべもなかったのだろう。 

 杉浦明平も指摘するように、東条英機が戦争責任を一人背負ったような、いわば<浪花節的>な展開に、多くの国民の「男らしさ」や「可哀想だ」という情緒的な反応が、「事物の本質を見失わせ」、「戦争責任の問題およびこれと関連するこの荒廃せる祖国復興の問題をば傍き道に逸らせるのにもつぱら寄与していると言つていい」の言には、耳を傾けてもいいかもしれない。(つづく)

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2018年10月29日 (月)

元号が変わるというけれど、―73年の意味(8)―敗戦直後の短歌雑誌に見る<短歌と天皇制>(4)

 プランゲ文庫の検閲文書から見えてくる<短歌と天皇制>

 なお、同じころのGHQの検閲過程で『アララギ』1947年新年号において、興味深い一件を垣間見ることができる。

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プランゲ文庫に残る『アララギ』1947年1年号の表紙。47年2月4日の日付とY.Sakaiのサインがある。「20000」というのは、発行部数のようである。当時、『人民短歌』12000部の記録もあった。

  雑誌などの検閲は、まずExaminerによって、目次がすべて英訳された上で、全頁、点検の上、「注視すべき」作品や文章と作者名が英訳され、その理由が<note>として記される。タイプの場合もあるし、手書きの場合もある。『アララギ』新年号においては、ExaminerM.Ohta のサインのもと8カ所が対象となっていた。さらに、おそらく、別人によるチェックが入り、結論がタイプ打ちされ、結果的には、二首が削除され発行されていた。一つは、13頁の五味保義の八首中の一首で、乱暴に墨塗りで消されているので、「棒立ちて日本人を入◇◇◇◇疎林◇ホテルボーイ下り◇◇」しか読み取れない。穴埋めのクイズのようでもあるが、つぎのように英訳されている。削除の理由は、<causes resentment>となっていた。

 There stand a notice-board of “No admittance to Japanese “ in a grove , and page is seen coming down out the hotel.) causes resentment

  もう一カ所は、37頁の丸田良次の一首が削除されて発行されている。実は、37頁には、つぎのもう一首、天皇に触れている作品が対象となっていたのだが、最終的には削除を免れている。<note>をみると、その削除理由が、一首目が、「国家主義的」で、二首目が「超国家主義的」と記されているが、もはや検閲者のサジ加減一つということにも思える。その検閲者の日本人が、英語が堪能なだけだったのか、文学や短歌の基礎知識を持ち合わせていたのか、などにもよるのだろう。
・天皇のために死なむと汝(なれ)がいまは打倒をとなふるかなし(大分 菅沢弘子)

How pitiful is it to hear that you, who once revealed to gladly die for the Emperor, are now advancing up knocking down.)<nationalistic>

 ・戦死せざりし事が悔しく熱の如時たまにして吾を襲ふなり(佐賀 丸田良次)
The chagrin for my not having died in the battle often assail me like  a fever.ultra-nationalistic

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『アララギ』1947年1月号、「一月集 其二」は、結城哀草果、高田浪吉、鹿児島寿蔵、廣野三郎、五味保義、吉田正俊・・・と続く。ちなみに「一月集 其一」は、岡麓、斎藤茂吉、土屋文明であった。五味作品の削除は、見せしめ的な要素もあったのかもしれない。

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『アララギ』1947年1月号、土屋文明選「一月集 其三」、一人一首の選歌欄なので、作者にしては、その大事な1首が削除されてしまっている。

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上は、最終の報告文書のようであり、下は、<note>の一部で、まるで、殴り書きのようだ。

プランゲ文庫に残された検閲文書を見ていくと、戦勝国による検閲と日本の近代における、とくに、戦時下の国家による検閲とには、一見、明らかな違いがあるようにも見えた。GHQには、被占領下の国民には検閲の事実が知られないように、検閲の痕跡を残さないようにというのが原則であった。日本では、天皇や政府、軍部に対する批判は、見せしめのような、発禁や伏字という形で許さず、その上、出版社や執筆者は、治安維持法による編集者・執筆者の拘束、用紙配給の停止などにより、国策に加担すべく「懇談」「指導」を繰り返した。

GHQも、原爆への言及や報道、作品と占領軍・米兵の犯罪報道への検閲は、とくに厳しかったが、永井隆『長崎の鐘』(1949年)の出版などは、アメリカの占領軍の露骨な戦略の一つでもあった。長崎への原爆投下は「神の摂理」であったとするその内容とともに、7割近くの頁を連合軍総司令部諜報課提供の日本軍のマニラにおけるキリスト教徒虐殺の記録「マニラの悲劇」を付録とすることを条件に30000部の用紙が調達されたのである。日本軍のマニラのキリスト教徒殺害行為を公にすることによって浦上カトリック教徒への原爆投下を正当化しようとする意図は明白だった。「用紙」を管理することによって、プロパガンダに加担させ、公職追放によって言動を封じる手段は共通であったと思う。

 占領軍は、内務省下の発禁図書も、収集させた戦争記録画、占領下の検閲関係文書もアメリカに接収、運ばれた。そして、それらは、保管され、時間は要したが、結果的に、返却・無償貸与・公開という形で、日本でも知り得る情報となった。日本国内では、敗戦直後、軍部や官庁、企業などでは、戦時下の書類など焼却され続けたという。そして、多くの事実の隠滅、隠ぺいが図られた。

 そして、この体質こそが、今日の自衛隊や省庁、企業での隠蔽や改ざんが後を絶たず、政治が自国民の命と財産すら、守り切れていない現況を作り出しているのではないかと思う。そして、個人レベルでも、多くの表現者たちが、この占領期の検閲について語ろうとしないで現在に至っている。歌人も決して例外ではなかったことも知らねばならない。

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2018年6月23日 (土)

6月23日、怒りを持続するには

 

 相撲の暴力事件が妙な決着をみたと思ったら、日大アメフト部の悪質タックルに端を発した問題、女子レスリングのパワハラ問題も、その解決や今後の方向性が見えない中、いまや、サッカーのワールドカップで騒々しい。事件や事故のニュースが続き、大阪北部地震による災害ニュースが続いた。そして、政府やメディアは、何よりもますますの疑惑が深まった森友・加計問題の幕引き対応が目に余る。国会を延長してまで、押し切ろうとする働き方改革法案、カジノ法案などは、誰にとっての重要法案なのか。国民生活をむしろ不安に陥れる法律でしかない。

 

 朝鮮南北首脳会談、米朝首脳会談では、日本政府の思惑を大きく外れ、日本の安全保障環境も大きく変わるはずだ。いや、これまでも、変わっていたはずなのに、日本は、まるでアメリカの植民地のように、外交・軍事政策はアメリカ一辺倒であった。日米の外交・軍事政策は100%一致しているとまで、言い放つ無能な外交政策を展開してきた。憲法改正、9条加憲などを言う前に、1960年以降変わることがなかった「日米地位協定」を一日も早く、改定すべきはずなのだ。在日米軍関係者の警察権・裁判権、米軍基地空域には、日本の法律が及ばない。彼らは、出入国管理法も適用されず、車の国際免許証も持たないまま、日本国内を自在に移動している。日本による米軍基地への2000億を越える「思いやり」予算、汚染したまま用地返却など、その屈辱的な「日米地位協定」こそ変えるべきで、国内法の改正でできることもある。にもかかわらず、いわば特例尽くしの不合理を、日本政府は、半端な米軍への要望や運用改善を申し訳程度にするばかりで、抜本的な努力を怠ってきた。

 

私たちも、なぜ、沖縄に、米軍基地が集中するにいたったのかの経緯も知らなければならない。政府は、いまだに危機を煽り、安全保障上の必要、米軍依存の不可欠を喧伝するけれども、米軍は、日本を守ってくれるどころか、日本における米軍基地の存在自体が日本の危機を招いているのが実態だろう。その上、米からの軍需品の輸入額は増大する。1機100億もするオスプレイの17機の購入を決め、北朝鮮ミサイル対策として11000億イージス・アショアの2基導入を決めた。それらを中止、縮小することで、社会保障費の充実を図れるし、消費税を上げる必要もない。

 

そんな中で迎えた623日、辺野古の新基地建設現場では、工事はさらに進み海域への土砂投入は8月にも迫っている。私は、慰霊の日の追悼式には一度しか参加していないし、まだ、辺野古における工事阻止活動に参加したことがない。沖縄の地を踏んだのは3回ながら、気持ちの上では、それまでの関わり方とはずいぶん変わってきたように思う。何ができるのか、何をしてきたのか、と問われると、心細い限りではある。多く未知のことに知る努力とこのブログ記事や短歌作品などを通じて、自らの思いや考えを発信しながら、行動でも示していきたいと思っている。怒りを持続するには、エネルギーも、体力も。

 

玉城寛子『島からの祈り』(2018年2月)より

・荒あらと蟻潰すごと沖縄(うちなー)へのしかかる国よまこと母国か

清(ちゅ)ら海を一途に守ると腕(かいな)組むしわふかき人らここに集いて

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