2025年4月14日 (月)

女性天皇・女系天皇に期待する人たちへ、その先を考えてみたい。

  4月11日の『東京新聞』の社説の一つが「皇位継承を巡る議論 安定的な継承のために」と言うものだった。国会での議論がなかなか決着を見ない中、社説は、「世論調査では女性天皇を容認する人は約9割、女系天皇は約8割に上る」として「世界では女性の王位継承はすでに一般的。日本でも女性・女系天皇を認めることは、男女同権を目指す社会のあり方とも一致する。何より、皇位の安定的な継承と国民の支持を優先して考えたい。」と結んでいる。

  しかし、天皇制自体が、男系男子を強固に守って、といっても婚外子男子でつなげてきた実にあやしげな「万世一系」の皇統ではないか。日本国憲法における「皇位の継承」は「世襲」とのみと記され、あとは「皇室典範」に委ねているわけだから、女性天皇も女系天皇も、皇室典範の改正で可能ではある。といって、そこに女性天皇が出現したとしても、たとえば、ひたすら前例を踏襲するばかりであった即位礼、大嘗祭などにおいて「男女」を置き換えて実現しようとしたらどうなるのかなど、ちょっと想像しがたい。世論調査における女性天皇・女系天皇を「容認」する人たちの多くは、まさに「容認」であって、「男女平等なんだから女性天皇・女系天皇があってもいいじゃない」といった流れでの回答ではなかったか。

  2021年の有識者会儀のまとめた二案(①女性皇族が結婚しても皇族の身分を残す ②旧宮家の男系男子を養子に迎える)は、どちらにしても、安定的な皇位継承には直結するものではない。いずれも、女性皇族の基本的人権、第14条1項の「法の下の平等」と第24条1・2項の「家族生活における個人の尊厳と両性の平等」違反するものであって、国会での議論に値する案とは言えない。②案について各党の対応が分かれているというが、第14条2項の「華族その他の貴族の制度は、これを認めない」との整合性をどう考えているのか。この二案を前に議論しているという超党派の「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議に基づく政府における検討結果の報告を受けた立法府の対応に関する全体会議」は結論を出せるのか。

 『東京新聞』の社説も、憲法の平等原則に立ち返ることなく「日本でも女性・女系天皇を認めることは、男女同権を目指す社会のあり方とも一致する。」と主張するのは余りにも拙速ではないのか。

  同日の4月11日『朝日新聞』のオピニオン欄で「国連委拠出金除外の波紋」について3人の論者に語らせている。国連女性差別撤廃委員会から「女性差別に該当する皇室典範の改正」を勧告された報復として拠出金使途から除外するという外務省の対応について、「憲法学者」西村裕一は、「皇室と女性差別を考える時」と題して「外務省の対応の是非はともかく」と留保して「皇室典範の規定が女性差別に該当しないという政府の説明それ自体は、憲法学の有力な立場に沿う」そうだ。一方、「天皇制自体が差別的なのだから、その中での女性差別は憲法や条約の問題ではない」という奥平康弘説が憲法学界では有力」だ という。メディアによく登場する長谷部恭男や木村草太などは、天皇制を憲法の「番外地」としているのだが、有力だという奥平説との関係はどうなのだろうか、素人にはわかりにくい。

 記事では、論者は「数年前に起きたある女性皇族の離脱劇」として、眞子さんを例として「問われるべきは、女性を犠牲にして成立している現在の皇室制度が“平和で民主的な日本国”の象徴を支える制度としてふさわしいと言えるかでなければならない」と続ける。しかし、“平和で民主的な日本国”にふさわしい「皇室制度」はあり得るのだろうか。もはや制度の問題ではなく、「日本国憲法第第一章天皇」と「平和で民主的な日本国」が両立し得るのかが問われるべきではないのか。この「第一章」があることによって、様々な場面で「平等」はなし崩し的にひずみを来し、「国事行為」という名のもとに、「公的行為」拡大の過程で、時の政府は、その「権威」を利用して来たと言ってもいいのではないか。それを受け入れてしまっている国民もいる。

 「憲法学者」には、「第一章」の位置づけと今後あるべき姿を明確に示してほしい、と願ってやまない。同時に、私たち国民も「いいんじゃない」で済ますことなく、真摯に向き合いたい。 

以下の当ブログ記事もご参考までに。
「皇族数の“確保”って、いうけれど・・・。」2025年3月21日

 「“安定的な”皇位継承というけれど・・・会議はどうなる?」2025年3月22日

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4月8日、ベランダ先の枝垂れ桜は満開を迎えるとあっという間に散り始めた。

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4月14日、芽吹き始めた木々の下で。

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2025年3月22日 (土)

“安定的な”皇位継承というけれど・・・会議はどうなる?

 秋篠宮家の長男は

 3月3日、昨年の12月11日に筑波大学への進学も確定し、高校生活も終わろうとしたタイミングなのか、秋篠宮家の長男が成人になったとして、初めての会見がおこなわれた。肉声が公けになるのは初めてということで、注目されていた。昨年9月6日の誕生日で、すでに18歳になっていたが、学業優先とのことで、この日になったのだろう。宮内庁の記者クラブからの質問はあらかじめ知ってのことで、その回答は宮内庁の広報室はもちろん、官邸にまで届いているかもしれない。
 広報室や両親の指導のもと本人の努力の末、臨んだ会見だったように見えた。しかし、当然のことながら、象徴天皇制に踏み込むはずもなく、その内容は当たり障りのないもので、全体的に「よく暗記できました」というのがまずもっての印象であった。天皇の「おことば」に習って、冒頭、岩手県の山林火災に言及し、見舞いの言葉が語られた。
  3月18日、筑波大付属高校卒業式直前の校内での「お声かけ」による会見は、“人払い”と警備が伺われる中で、「高校生活はどうでしたか」という記者の質問に「授業や課外活動など充実した3年間を過ごすことができました。また、忘れられない思い出も作ることができました。先生方や友人たちをはじめとするお世話になった方々に深く感謝申し上げます」と。
  同日、宮内庁が作成、発表した文書は、高校卒業までの成長記録で、末尾には、この会見についての言及もある。「懸命に準備を重ねられて、緊張感をお持ちになりながらもご自身のお考えを述べられました。ご成年を機に、自らのお立場を改めて認識され、お考えをまとめられる貴重な機会になったものと拝察しております。」とあり、同時に写真も発表されている。
  それにしても、筑波大学には、原則的に車で通学するというが、その警備は莫大なものとなり、様々なリスクもともなうのではないか。一般学生と同様に寮で一人住まいするのが、現在の憲法にかなうというものである。

  天皇家の長女は

 2020年3月22日、天皇家の長女が、学習院女子高等科卒業にあたっての「お声かけ」による記者の質問には「とても楽しく、とても充実した学校生活で、かけがえのない思い出ができました」と答えていた。また、宮内庁からは、本人の「文書」も発表されている。
 2022年3月17日には、成人会見が行われた。彼女は、あらかじめ質問が知らされていることも明かしながら、かなり具体的なエピソードをまじえて語っていた。ときに、ちょっとつかえ、短い沈黙があったりしたが、しっかりとシナリオ通り、話し果せたという感があった。 彼女はいっとき不登校の時期もあったが、どう乗り越えたのか。幼少時代、母と手をつなぎながらも、ひとり横を向き、出迎えた報道陣を不思議そうに、しかも、しかと見つめ返している一枚の写真を思い起こす。           

 この悠仁さんと愛子さんの二人は、メディアなどでよく比べられるもし、愛子天皇待望の向きもあるようだが、衆参両院の正副議長の主催する「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議に基づく政府における検討結果の報告を受けた立法府の対応に関する全体会議」という長い名の会議で、長い「協議」を経て、条件付きで女性皇族が結婚しても皇室に残る、といった辺りに落着するのではないかと思う。ただし、これは、安定的な皇位継承策とは直結するものではない。

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敷地内のあちこちでアセビは花ざかり

 

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2025年3月21日 (金)

皇族数の“確保”って、いうけれど・・・。 

 ”確保“とは、逃走中の容疑者の身柄を「確保」、食料の「確保」、避難路の「確保」、などというときに使用することが多いのではないか。たしかに人材「確保」というのも聞くけれど、「〇〇数の確保」にしても、皇族方にしてみれば、どこかもの扱いされていると感じてはいないかと余計な心配をしてしまう。

  『読売新聞』は、2月1日、「衆参両院の正副議長と各党・会派の代表者らは31日、安定的な皇位継承に関する与野党協議を衆院議長公邸で開き、議論を再開した。各党・各会派は皇族数の確保策について今国会中に一定の結論を得ることで一致したが、主張の隔たりは大きく、議論は難航することも予想される(「皇族数の確保策、今国会中に結論…これ以上先延ばしできないの認識で一致も主張には隔たり」2025年2月1日)と報じた。

  『毎日新聞』は、3月16日の「社説」で「皇族確保の与野党協議 安定継承を念頭に結論を」と題して「皇族数の確保策を検討する与野党協議が再開された。2021年に政府の有識者会議が出した報告書を踏まえ、昨年5月に議論を始めたが、意見がまとまらず事実上中断していた。このままでは皇族の数が減り、皇室活動が先細りするばかりだ。今国会中に一致点を見いだす必要がある」とし、末尾では「有識者会議の報告書は政治的対立を懸念し、皇族数確保に論点を絞っていた。喫緊の課題について結論を急ぐのは当然だが、与野党は皇位継承の観点を踏まえて協議に臨む必要がある。天皇の地位は憲法に「国民の総意に基づく」と明記されている。持続可能な皇室像について正面から議論し、国民が納得できる結論を得る。それこそが政治の責務である。」と結んでいる。

   記事中にある2021年の有識者会議、「皇位継承に関する有識者会議」が、①女性皇族が結婚しても皇族として残る  ②女性皇族と旧宮家の男子と養子縁組をする、という、ほんとに中途半端な、曖昧とした案をまとめたものだから、「全体会議」でも、男系にこだわり、女性天皇・女系天皇につながる①案に反対す保守派がいる限り一致は見られないだろうし、②に至っては、時代錯誤も甚だしく、現実性に乏しいだろうし、他の「妙案」とて、あろうはずがない、と私は考えている。

  その後、「全体会議」は、開かれているのだろうか。結論が出たというニュースはみあたらない。会期が迫っている今の国会は、石破総理の商品券問題や何やかやでそれどころではなく、また見送られる可能性が高い。

 私は、皇位継承者がいなくなるというのならばそれでいいのではないか、とも。残る皇族方には、お引き取り願って、自立の道を拓く努力をしてもらい、それまでは国の責任で必要最小限度の支援をしなければならないだろう。おのずと憲法の第一章は不要となり、削除されることになる。あの世から、そんな日が来ることを願うことになるのだろう。

 いや、今からできることもある、と考えているのですが、どうお考えでしょうか。以下もご参照ください

「私の言いたかったこと」を報告しましたが~大嘗祭に思うこと: 内野光子のブログ
【2025年3月10日】
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北側の庭には、トサミズキが何本か植えられて、かわいらしい黄色い花房を揺らしている。
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そばによると、黄色いだけではない花房だった。

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2025年2月 2日 (日)

皇室はもはや「無法地帯」?~皇室における女性の基本的人権は

「皇族は男女平等番外地」(東京都 長谷川節)
(朝日川柳 2025年1月31日)

 天皇制が憲法の「番外地」というならば、皇族の人権も「番外地」ということになるのだろうか。皇室はもはや「無法地帯」と言っていいかもしれない。
 1月31日の上記の川柳が目についた。日本国憲法の「第一章 天皇」を、天皇制を、憲法の「番外地」と称して容認する識者もいる。上記の川柳は、皇室において男女平等が認められないこと、憲法の男女平等条項は皇室の女性に及ばないことを「番外地」と詠んだ川柳。「番外地」のなかでさらに「番外地」となると、「無法地帯」に等しいのではないか。

 2024年10月29日、 女性差別の撤廃を目指す国連の女子差別撤廃委員会は、日本政府に対して、男系男子による皇位継承を定めた日本の皇室典範の改正や、選択的夫婦別姓の導入に向けた民法改正を勧告していた。ところが、2025年1月29日、外務省は、これに抗議して、国連の女性差別撤廃委員会を、日本の拠出金の使途から除外することを決めたというではないか。女性差別撤廃どころか、なんとえげつないことをするのだろう。その理由として「皇位につく資格は基本的人権に含まれていないことから、皇室典範において皇位継承資格が男系男子に限定されていることは女性に対する差別に該当しない」「皇位継承のあり方は国家の基本に関わる事項であり、女性差別撤廃条約に照らし、取り上げることは適当でない」とするのである。要するに皇位、皇位継承者には基本的人権の適用外、皇位継承事項は国家の重要事項であって、女性差別撤廃条約の適用外、外からとやかく言われる筋合いはないというのである。

 また、2021年12月22日、政府に提出された皇位継承に関する有識会議の報告書では、皇族数の確保策として、


〈1〉女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持
〈2〉旧宮家の男系男子が養子として皇族に復帰

の二案が示されたことを思い出す。一案では、女性皇族に結婚後の身分保持―眞子さんのように自由になれない。二案では、女性皇族は旧宮家男系男子と養子縁組をさせられることになるかもしれないのである。しかも、いずれの案も皇位継承者の確保には直結はしない。「有識者」の人選もさることながら、彼らは、女性皇族たちの人権について思いは至らなかったらしい。

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どのメンバーも、各省庁の審議会などの常連であって、「皇位継承」ないし「皇室」についての有識者とは思えない。富田(1951~)清家(1954~)
宮崎(1958~)細谷(1971~)中江(1973~)、大橋(1975~)ということで、従来の有識者会議メンバーより若返ったというが、彼らとて、大方はイエスマンで、上昇志向の高い人ばかりに見受けられた。

 さらに、この二案を示された政府も、誰も関わりたくなかったかのように、積極的に論議せずに今日まで手付かずであった。ところが、この1月31日、衆参両院の各党派代表者による皇室課題に関する全体会議が開かれ、今国会中に結論を得たいとすることに多くの党が賛成したという。

 有識者会議報告の一案については、各党派の賛成が多いが、女子皇族の結婚後の夫や子供の身分をどうするとか、二案の旧宮家男系男子の養子縁組による皇室復帰させるかについては、各党派での違いがあるという。この先の議論で、皇室典範の改正ができたとしても、憲法の基本的人権条項に反することになり、違憲は明らかながら、皇室のタブー化は進むに違いない。

 皇族の「国事行為」以外の外国訪問、被災地訪問、戦跡訪問はじめ、さまざまな行事参加は、まったく法的根拠がないまま実施されて来た。また、大嘗祭はじめ皇位継承の様々な儀式についても、明治時代の太政官令を持ち出し、伝統の名のもと前例踏襲のまま実施してきたのが実態である。日本は法治国家であるはずなのに。

 にもかかわらず、近年の宮内庁は、「公的行為」を拡張して、皇族たちの露出度を高め、必死になって広報し、国民の関心をつなぎとめようとしている。それらの情報をひたすら拡散しているのが、いまのマス・メディアの姿といえるのではないか。

 

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2024年12月22日 (日)

大嘗祭違憲訴訟の東京高裁での陳述書が掲載されました

 11月12日、大嘗祭違憲訴訟の控訴審、東京高裁に提出した私の陳述書が「即位・大嘗祭違憲訴訟の会NEWS」24号に掲載されました。この陳述の概略については、以下の当ブログ記事に書きましたが、今回は、提出した陳述書全文が収録されています。代替わりの一連の儀式、とくに大嘗祭関連の儀式についてはにわか勉強ではありましたが、調べて分かった限りのことを書きました。どう考えても、民主主義国家が国費を使ってなすべき儀式とは到底思えませんでした。天皇家の宗教「神道」に則って代替わりの儀式を行うこと自体、「国民統合の象徴」である天皇である以上、違憲と考えざるを得ないと思ったのです。

生まれて初めて法廷に立った! 即位礼・大嘗祭はなぜ違憲なのか : 内野光子のブログ
(2024年11月13日)

 

「即位・大嘗祭違憲訴訟の会NEWS」24号(2024年12月11日)は以下の2頁からご覧ください。

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 なお、11月12日、法廷での陳述は、提出した陳述書とは、若干異なり、自分なりに少し整理したり、補ったりしたこともありましたが、これは裁判記録に残るとのことです。

 

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2024年11月13日 (水)

生まれて初めて法廷に立った! 即位礼・大嘗祭はなぜ違憲なのか

 即位礼・大嘗祭違憲裁判は、平成から令和への天皇代替わりの即位礼の諸儀式と大嘗祭の違憲性を問うもので、2024年1月31日、東京地裁の一審判決は、憲法判断を回避、政教分離原則や信教、思想の自由について、憲法は制度的に保障したもので、個々の私人の信教の自由を直接保障するものではないとして棄却するものでした。私たち原告は、東京高裁に控訴、といっても、私などは、8月31日の集会に初めて出て、話をさせてもらった程度のことながら、事務局の勧めで、11月12日、控訴審の第1回口頭弁論で、陳述することになりました。

 8月31日の集会で話したことは「短歌と勲章~通過点としての歌会始」でした。事務局の方は、ご自由に思いのたけを書いてよいとは言うものの、それでは陳述にはなりそうもありません。さてと、ということで、分厚い「控訴理由書」を何度読んでも、むずかしい。それならばと、開き直って、代替わり当時の諸儀式を、テレビや新聞で見る限りではあるが、なんとも、時代離れした、あるときは滑稽にも思えたり、あるときは新天皇夫妻が気の毒になったり、付き合っている参列者たちって、どうなの?と思ったりしたことを書いてみてもいいのではないかと。
 儀式を三つほどに絞って、あらためて思い出しながら、いったいこの儀式の法的根拠はあるのかと調べてみて、驚くことばかりでした。 

 以下が私の陳述の要旨で、約15分、実際は、「ですます調」で丁寧に?話したつもりです。なお、冒頭には、自己紹介的なもので、なぜ即位礼・大嘗祭に関心を持ったかも述べました。傍聴席には30人以上いたように思います。

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「剣璽等承継の儀」 2019年5月1日の映像で見るかぎり、三権の長など二十数人がひかえた松の間に式部官長と宮内庁長官の先導で新天皇、秋篠宮、常陸宮が入り、壁際にしつらえた壇上の中央に天皇が立ち、壇の下の左右に秋篠宮、車いすの常陸宮が控えている。そこへ剣と璽をそれぞれ捧げ持った侍従たちが、天皇の前の二つの「案」と呼ばれる台に恭しく置く。さらに、国事行為で使われる御璽(天皇の印)と国璽(国の印)が捧げられた後、直ちに、侍従たちが台の上から引き取り、ふたたび捧げ持ち、天皇たちとともに部屋を退出する。男性たちの床を打つ靴音ばかりが響く6~7分間ほどの無言の儀式であった。女性の皇族は参列できないのが慣例で、今回は参列者側に、当時の安倍内閣の閣僚、片山さつき議員が女性として初めて参列したと報じられている。

 皇位の継承の証である「三種の神器」のうちの剣は熱田神宮に、鏡はは伊勢神宮に収められ、宮中にある剣と鏡は、形代(かたしろ)と呼ばれるレプリカだ。その鏡は賢所に、剣と勾玉は、吹上御所の「剣璽の間」に置かれているそうだ。しかし、代々の天皇すら、それらの包みを開いて中身を見てはならないものとされている。

 少なくとも「三種の神器」の「剣」に関していえば、これらの由来は、古事記・日本書紀にある、素戔嗚尊の八岐大蛇退治の折、尻尾から出てきた剣であり、後に天照大神に献上したのが「草薙剣」であるといった神話が由来です。この神話は寓話であり得ても、裏付けのある史実でもなく、伝統でもない、荒唐無稽な、グロテスクなフィクションではないでしょうか。天皇自身も「天照大神」の「子孫」であるとは信じていないでしょうし、国民の大かたも信じられない中で、見てもいない「剣」を大真面目に承継したとして、演じなければならない「剣璽等承継の儀」での姿は滑稽に思えてしまう。

「剣璽等承継の儀」の法的根拠は、皇室典範にも日本国憲法にもなく、根拠というならば、「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う国の儀式等の挙行に係る基本方針について 」という長い件名の「閣議決定」(2018年4月3日)だ。時の政府によっていかようにもできるという証左ではないか。その「閣議決定」では、「各式典は、憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統等を尊重したものとすること」、「各式典についての基本的な考え方や内容は平成の代替わりを踏襲されるべきものであること」と記され、「剣璽等承継の儀」については国事行為である国の儀式として、宮中において行う。」とされている。

 承継されるべき「三種の神器」なるものがもっぱら「神話」にもとづいたものもあり、長い歴史の中での承継、移転の経緯にも疑問が多い。「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」の地位継承の儀式を、「国事行為」の中の「儀式を行ふこと」に含めるという「閣議決定」は、憲法第7条十項を拡大解釈したものと言わざるを得ない。

 今回の各式典は、基本的に昭和から平成の代替わりにおける「考え方や内容は踏襲されるべきもの」とされた。1915年の大正、1928年の昭和、1989年の平成への代替わりの儀式は、明治42年、1909年2月11日に公布された「登極令」によって実施されたことになる。令和の代替わり儀式が、1947年廃止されたはずの「登極令」と内容的に変わらない2018年の「閣議決定」によって実施されたことは、形式的にも、内容的にも新憲法下では認めがたいもので、違憲性が高いと考える。

即位礼正殿の儀 2019年10月22日に行われた「即位礼」の最初の儀式は、「賢所大前の儀」。賢所は、「天照大神」が祀られているというところ。天皇は、格式の高いという白の束帯姿、剣と勾玉を捧げ持つ侍従たちに先導されて賢所への回廊を進み、さらに皇霊殿、神殿を巡り、皇后も白の十二単姿で続く。侍従や女官が長い裾を、腰をかがめて移動する姿は、決して美しい姿とは言い難い。天皇は、その各所で「お告げ文」なるものが読まれているそうだが、その声を聞いた者はない。そして、秋篠宮を先頭にロングドレスの女性皇族の7人が傘をさして、あの日は雨風の強い日だったので、砂利道を賢所に向かう姿のちぐはぐな光景には、「伝統」なるものの異様さに気づかされる。

 続いて午後に行われた「即位礼正殿の儀」は、松の間に設えた天皇用の「高御座」、皇后用の「御帳台」が並ぶ。高御座の正面から束帯姿の天皇、御帳台から皇后も異なる色鮮やかな十二単で現れた。ここでも、天皇の前には剣と璽が置かれ、ここで発する天皇の「お言葉」といえば、「日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより皇位を継承」したことを内外に宣明し、これに対して安倍首相が祝辞「寿詞」(よごと)を述べ、首相の万歳三唱に、参列者が唱和していた。
  ここで、6.5mの高御座、5.7mの「御帳台」、天皇は、床上1.3mの位置から「お言葉」を述べ、首相が天皇を見上げて読む祝辞は「私たち国民一同は、天皇陛下を日本国及び日本国民統合の象徴と仰ぎ」とあり、「令和の代(よ)の平安と天皇陛下の弥栄(いやさか)をお祈り申し上げます」との言葉で結んでいる。

この一連の流れの中にはつぎのような問題点があると考える。
・これらの儀式は、憲法、皇室典範、皇室典範特例法上の定めにもなく、あるのは「閣議決定」(2018年4月3日)のみ。
「高御座」「御帳台」の設えの違いは何なのか。これら二つの設えも時代によって異なり確固たる伝統なるものはないうえ    に憲法上の平等規定に違反。
・憲法第一条「日本国及び日本国民統合の象徴」であり、「主権の存する日本国民の総意に基く」天皇は仰ぐ存在ではない。にもかかわらず、首相の祝辞は、「大日本帝国憲法」の「天皇制」を引きずっているとしか思えず。

 大嘗祭 毎年11月に行われる皇室行事の新嘗祭は、天皇の代替わりの折には大嘗祭として行われていた歴史上記録もあるが、永らく中断したり、その儀式としてのあり様も様々な変遷をたどったりしている。
 今回、大嘗祭以外の諸行事「剣璽承継の儀」「即位後朝見の儀」「即位礼正殿の儀」「祝賀御列の儀」「饗宴の儀」は、2018年4月3日「閣議決定」の基本方針により「国事行為」とされた。大嘗祭は、同日の「内閣口頭了解」という3行ほどの文書で決められた。それも、平成への代替わりのときの大嘗祭についての 「閣議口頭了解」(1989年12月21日)を踏襲する、とだけ記されている。
 その踏襲された「閣議口頭了解」では、つぎのような理由で、宮内庁が取り仕切る皇室行事として宮廷費からの支出により実施することが決められた。
・皇室の長い伝統を受け継いだ、皇位継承に伴う一世に一度の重要な儀式である
・天皇が祖先や神(皇祖及び天神地祇)に対し、安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、国家・国民のために安寧と五穀
 豊穣などを祈念される儀式であり、この趣旨・形式等からして、宗教上の儀式としての性格を有するものと見られることは
 否定することはできない
・国がその内容に立ち入ることにはなじまない性格の儀式なので大嘗祭を国事行為として行うことは困難である
・その儀式について国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手だてを講ずることは当然と考えられる。その意味に おいて、大嘗祭は、公的性格がある

  ここで、問題なのは、大嘗祭の「趣旨・形式等からして、宗教上の儀式としての性格を有するものと見られることは」否定せず、さらに、「国がその内容に立ち入ることにはなじまない性格の儀式」としながら、大嘗祭は公的性格があるとするのは大きな飛躍でしかない。あきらかに憲法20条の政教分離の原則、89条の「公の財産の支出又は利用の制限」に反すると考える。
 宮内庁の「大嘗祭について」(2019年10月2日)の文書でも明らかなように、この儀式の次第は「貞観儀式」(平安時代中期、870年代)「登極令」(1909年)などの記述と「基本的に異なるところはない」とも記され、今回も平成の代替わりと同様に行う、されていた。

 さらに、大嘗祭のメインと言われる悠紀殿、主基殿において天皇と神とが寝食を共にすることによって皇位継承がなされるという「秘事」に至っては、あまりにも現実離れした「ままごと」のようでもある。「秘事」と称して、天皇と二人の女官しか知り得ない作業や行為であるとしながらも、さまざまな準備や用意をする人々の手を借りねばならないはずで、「秘事」はもはや建て前にしか思えない。にもかかわらず、参列者や国民には知らされないという矛盾に満ちた儀式といえよう。なお、悠紀殿、主基殿における供え物の新穀の産地を決めるのは、亀の甲羅を火にくべて、その割れ具合による「亀卜」という占いによって都道府県が決めたというが、これも秘密裏に行われているので、その実態は分からない。

これまで見てきたように、大嘗祭の諸儀式は、すでに廃止された「登極令」を持ち出して踏襲しており、現在の法的な根拠もなく、日本国民統合の象徴であって、その地位は主権の存する国民総意に基づく天皇がなすべき行為、儀式とは言えず、憲法第一条に反する。

 したがって、上記で述べた、少なくとも「剣璽等承継の儀」「即位礼正殿の儀」「大嘗祭」は、過去の閣議決定、閣議口頭了解や廃止された「登極令」などを踏襲するもので、法的根拠はないまま実施されたことはきわめて違憲性が高いと考える。その憲法判断を求めるものである。同時に、これらの儀式が国費をもって実施したことによって、私が受けた精神的な苦痛は多大かつ持続しているので、国に対する損害賠償を求めるものである。 

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 五人の陳述が終わると、谷口園恵裁判長は、双方の弁護士と二言三言話していたが、よく聞き取れなかったのです。裁判長が「これで結審・・・・」のような声がしたかのような瞬間、傍聴席から「逃げるな」の声や、原告の弁護士から「忌避申し立て」などの声が飛んで、裁判官たちは退席していったのです。

 後の報告集会で、ようやく閉廷前後の顛末がわかりました。弁護士、陳述人が順次感想を述べ、質疑に入りました。きょうで結審、次は判決ということになるのが、控訴審では多いそうです。谷口裁判長の来歴なども紹介され、判決には期待できないが、これからも頑張りましょうということになりました。
 これからは、裁判の傍聴ならばいざ知らず、法廷に立つことはまずないでしょう。貴重な体験でした。事務局の桜井大子さん、弁護士の吉田哲也さんには、お気遣いいただきました。ありがとうございます。

  20241112-2
地裁から報告集会会場の日比谷図書館に向かう。なつかしい西幸門、NHKへの抗議デモやモリ・カケ問題のデモの出発地点であった。また、野音のさまざまな集会のたびに通った門。集会後、夕暮れ近い公園の黄葉はまだ始まったばかりのようだった。傍聴した連れ合いともども「やっぱり疲れた」と、ここも久しぶりの「松本楼」で夕食をとった。

 

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2024年8月10日 (土)

8月8日は何の日だったか、2016年のこと、忘れはしません。

 8月6日と8月9日、広島と長崎に原爆が落とされた日の間の8月8日しか選択肢がなかったという。明仁天皇が生前退位を表明するビデオメッセージが放映された日である。

 明仁天皇にも忘れてはならない日が四つあるとか。私にも忘れられない日はいくつかあるが、近々では、親の命日を忘れて過ごしてしまうことはあっても、この8月8日は忘れることができない。

 というのも、あの日から、天皇制に関する世の中の風向きがかわってきたようにも思えるからである。その約一カ月前の7月13日の夜7時のNHKニュースで、唐突に生前退位の「お気持ち」報道がなされたのである。どこからのリークだったのか、頃合いを見ての報道であったのか、なんともきな臭い生前退位表明であった。当初はこの報道を否定していた宮内庁サイドであったが。

 私は、現憲法下で、天皇自らが生前退位の意思表明ができるのか否かが疑問であった。メッセージの中身といえば、加齢によりしくじることもままあり、公務が負担になったこと、昭和天皇から代替わりのときに生じた社会のさまざまな混乱を避けたい、といったことが語られた。本来「公務」というならば、国事行為だけのはずが、平成期の天皇は皇后をともないながら「公的行為」という曖昧な領域における活動を盛んに行ってきたのである。昭和天皇から引き継いだ国民体育大会・植樹祭・豊かな海づくり大会などの行事にとどまらず、戦没者慰霊、災害地訪問、福祉施設訪問などを積極的に増やし、誕生日、外国訪問、さまざまな行事の際の記者会見や「おことば」の発信という場も拡大してきたのは、天皇自身の意向ではなかったのか。

 明仁天皇は、たしかに、昭和天皇の1988年の「下血報道」や様々な場での「自粛」の横行を目の当たりにしていたので、あの「騒動」はやりきれない、という思いは理解できる。しかし、自ら拡大してきた「公務」が負担になったからというのは、私には腑に落ちなかった。

 一方、世間では「長い間、ご苦労様でした。ゆっくりお休みください」と理解を示した。同時に、政治の世界では、2016年9月「天皇の公務負担軽減などに関する有識者会議」という諮問機関が立ち上げられ、2017年4月21日最終報告書がまとめられた。政府、国会では「静かな環境のなかで」天皇退位特例法が審議され、参院全会一致で、2017年6月9日成立、天皇の終身制は不動とし、一代限りの退位容認となった。

 2019年5月1日、新天皇即位日程を挟んで、長い間、明仁天皇夫妻への国民に寄り添う発言や振る舞いへの讃美報道や記事が続いた。そして、平成を語るのに天皇夫妻の短歌まで動員して情緒的なヒストリーが作り上げられていったのである。

 そして、代替わりに伴う諸儀式をさまざまな映像で見る限り、「日本国民統合の象徴である」天皇がなすべき行為であったのか、「主権の存する国民の総意に基く」地位にある天皇がなす行為であったのか、はなはだ疑問である。神話にもとづく儀式であったり、伝統儀式といっても、長い歴史の中で、定着しているはずもない手続きであったり、まず法律的な根拠もない中で、皇室や国民の日常とはまったくかけ離れた束帯や十二単姿で歩む映像は異様であった。天皇を仰ぎ見て、首相や招かれた人たちが万歳三唱する姿は、平等や国民主権にも悖り、滑稽にも思われた。

 即位・大嘗祭違憲訴訟の原告でありながら、集会や傍聴にも参加できないまま、このたび、控訴をひかえた集会に是非ということで、話をすることになった。まずは体調管理につとめないと・・・。

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なぜ私たちは天皇制に反対しているのか 
即大訴訟控訴審に向けて8・31集会

202年8月31日(土)18時~
文京区民センター2A

講演:内野光子「短歌と勲章~<歌会始>という通過点」

主催・即位・大嘗祭違憲訴訟の会

詳細は下記をご覧ください

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2024年5月19日 (日)

皇族たちの”公務”って~愛子さん、佳子さんの”働き”を通じて

愛子さんの「夢“みる光源氏」見学が「公務」ですか

 愛子さんの日赤就職のニュースとともに、4月1日からの勤務と成人皇族としての活動の両立をはかるとの報道がなされた。さらに、5月11日には「 初めての単独公務で平安文学に関する特別展」に出かけたことが報じられていた。

「平安文学に関する特別展」とは、東京の国立公文書館で3月から開催中の「夢みる光源氏‐公文書館で平安文学ナナメ読み!‐」で、5月12日が最終日だったのである。この特別展は、今年のNHK大河ドラマ「光る君へ」と連動しての企画であったのだろう。

なぜこれが「公務」なのか?違和感があったので、宮内庁のホームページで4月以降の愛子さんの単独での活動を調べてみた。

4月10日 明治神宮参拝(昭憲皇太后110年祭)
4月11日 仙洞御所(上皇・上皇后)訪問(大学卒業・就職の挨拶)
4月14日 雅楽鑑賞
4月25日 武蔵野陵・東陵参拝(昭和天皇・皇后陵)(大学卒業・就職の報告)
5月11日 国立公文書館訪問(特別展「夢みる光源氏‐公文書館で平安文学ナナメ読み!」見学)

 こうしてみると、5月11日前の4つの事案は当然のことながら、公務とはいえず、私的行為である。祖父母への大学卒業・就職の挨拶、昭和天皇墓前への報告はもちろん、神社参拝という宗教的な行為は、公的行為ではあり得ない。とすると、雅楽鑑賞が私的行為という位置づけになるが、上記特別展見学とは何が異なり、「公務」になったのかが不明である。一つ思い当たることと言えば、「主催者の願い出」により訪問したという報道であったが、「願い出」に応じると公務?というのもおかしな論理である。

天皇の「国事行為」については憲法上の定めがあるが、「国事行為」以外の天皇はじめ他の皇族たちについての行為や活動についての法令上の規定はない。宮内庁のホームページには、天皇の「宮中でのご公務など」として、以下のように例示し、あわせて、「行幸啓(国内のお出まし)」と「国際親善」が挙げられている。

新年祝賀・一般参賀/天皇誕生日祝賀・一般参賀/親任式/認証官任命式/勲章親授式/信任状捧呈式/ご会見・ご引見など/拝謁・お茶・ご会釈など/午餐・晩餐園遊会/宮中祭祀

 これらの行為は、法令に基づかない行為ながら、天皇以外の皇族をも含めて、純然たる私的行為と区別して、慣例として行われてきたにすぎない。いわゆる「公的行為」として、実施されてきた行為・活動であった。

 とくに、平成期における天皇・皇后は、災害被災者・被災地訪問、戦地慰霊の旅、福祉施設などの訪問、全国的な行事―植樹祭・国民体育大会・豊かな海づくり大会・国民文化祭・歌会始への参加、全国的な各種団体の美術展・コンサート鑑賞などの文化的な行為に積極的に取り組んできたことは確かである。「国民とふれあい、国民に寄り添う」と喧伝されて、結果的にどんどん拡大してきた「公的行為」であったとも言える。それに重なる宮中祭祀の負担も大きく、背負いきれなくなって、平成の天皇は生前退位に至ったと言えよう。

 令和期は、コロナ禍に見舞われ、活動全体が縮小したが、天皇皇后は、平成期の在り様を目指しながら、戸惑っているようにも見える。そうした中で、宮内庁サイドの広報強化策によって、愛子さんの「公務」は、どのように演出されていくのだろうか。

 佳子さんのギリシャ訪問が「公務」ですか

  佳子さんについても、宮内庁のホームページで、4月以降の単独での活動を調べてみると、4月1日全国高等学校女子硬式野球選抜大会観戦、4月12日林野庁長官の説明(森と花の祭典参加準備)、5月10日伝統工芸染色展・陶芸展見学以外は、5月25日から6月1日の日程でのギリシャ訪問関連の事案で、ギリシャ事情に詳しい専門家の進講4回受けている。他に、このギリシャ訪問を昭和天皇陵に報告し、5月16日には、ギリシャ代理大使による昼食会に招かれている。ギリシャと日本との外交関係樹立から125年を迎えるにあたり、招待されたものであるという。

 今回、進講が重ねられているには、訳があるらしい。昨年11月のペルー訪問の際、その先々での発言というか、随行記者に問われての感想がお座なりだったり、案内人への質問が的外れだったりして、ネット上での批判が多かったということである。私が知らなかったことなど以下の記事に詳しい。

「佳子さま ギリシャご訪問に“観光旅行”と批判再燃の懸念…前回ペルーでは「語彙力がない」と批判噴出」(『女性自身』2024年05月15日 )
https://jisin.jp/koushitsu/2324605/

  そこで今回のギリシャ訪問に際しては入念な事前準備がなされたのではないか。「公式訪問」と銘打たれた国際親善も、いわゆる「公的行為」、「公務」とみなされているのが現状である。

そもそも皇族の「公務」は必要だったのか

 天皇の国事行為と純然たる私的行為の間の広く曖昧な部分を公的行為として「公務」とみなし続けてきた慣例、その公務を拡大してきた経緯を見直すことなく、公務を担う皇族が減ってしまったから、何とかその担い手を確保したくて、出てきたのが有識者会議での一案、女性皇族が結婚しても皇族に残るとする案であった。共産党、れいわが反対をしている。他の党は大筋で認めているが、その細部については不透明で、今国会で協議が始まったものの、どこに着地するかは分からないのが現況である。
 「公務」の担い手を増やすより、とりあえず「公務」を縮小することをなぜ考えないのだろう。公務が減っても、国民生活に何の支障もきたさない。困るのは、宮内庁なのではないか。皇族たちが「国民とふれあい、国民に寄り添う」機会が減少して、メディアへの登場も減り、皇室自体への関心が薄れることを一番おそれているはずである。同時に、これまで、天皇はじめ皇族たちの「公務」によって、さまざまな恩恵を受けてきた政権にとっても、その縮小は不都合なのではないか。戦死者慰霊や被災地訪問、施設訪問などに見るように、政権の不始末や失政を補完したり、国民の目を反らさせたりしてきたからである。

 そんなことを考えているときに、若い弁護士の堀新さんつぎのような文献を見つけて意を強くした次第なのだ。

「すべての公務を廃止しても問題はない」皇族に残る佳子さまのために考えるべきこと「皇室の存在意義」はどこにあるのか
PRESIDENT Online 2021年11月2日
https://president.jp/articles/-/51456?page=1

そして行き着くのは、皇室自体、天皇制自体の存在意義なのである。

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2階のベランダに洗濯物を干しに出たら、ヤマボウシが一気に白い十字の苞を開き、花のようであった。

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2024年4月24日 (水)

苗字を持たない人たちの人権はどうなるのか、しかし、その前に

  先に、安定的な皇位継承の在り方についての有識者会議報告書をめぐる各党、メディアの対応を当ブログ記事にまとめた。そのあと、断捨離の一環で、袋詰めの資料を整理していたが、皇室関係の切り抜きの一袋を開いたところ、つぎの記事の見出しが飛び込んできた。「うーん、これって、いったい、いつのこと?」と読んでみると、自民党が「女性天皇」と「自らの退位可能」=生前退位を認める方針を固め、皇室典範改正の検討を開始した、というのである。2001年5月9日の読売新聞だった。20年以上前、そういえば小泉首相の時代だったかも。紙もだいぶ劣化しているので、背景処理してコピーしたものだ。

 先週4月23日には、春の園遊会が開かれた。最近のメディアは、もっぱら愛子さんにスポットを当てているのを見ていると、世論調査の結果や今回の女性皇族は結婚しても皇族として残る案への傾斜を示しているように思われた。

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自民党が皇室典範改正の検討を早めたのには、前年の2000年に皇太子妃の雅子さんが流産したことがきっかけになったと思われる。

  今般、4月19日、皇位継承に関する自民党の懇談会では、2021年にまとめた有識者会議の二案 ①皇族女子が結婚後も皇族に残る ②旧皇族男子との養子縁組による皇籍復帰できる、の両案を妥当とするものだった。これまで、自民党の態度が決まらなかったのは、①案が女系天皇・女性天皇につながりかねないという懸念からだった。しかし、20年以上前は、「女性天皇」を認める方針だったことになる。
 おおよそ時代ごとになっている袋を開いていくと、皇位継承をめぐる記事がいくつか出てきて、その経緯を、あらためて知ることになった。こうしてみると、皇族たちは、なんと時の政府に翻弄されてきたことかがよくわかる。

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 2001年5月には、雅子さんの懐妊が発表され、12月に愛子さんが誕生する。2005年11月、小泉首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」の報告書は、女性天皇、女系天皇を容認するものだったが、 2006年2月秋篠宮の紀子さんの懐妊の発表、9月に男子悠仁さんを出産すると、即日、皇室典範改正は見送りとなった。つぎの安倍首相はもともと男系維持論者であったため、以降、皇室典範改正は棚上げされた。

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現行の皇室典範によれば、当時の徳仁皇太子から文仁秋篠宮、悠仁さんへと皇位は継承される。もし、皇室典範改正されて、第一子優先の女系天皇・女性天皇が実現されていたら、徳仁、愛子、文仁、眞子、佳子、悠仁さんの順位となるはずであった。

  2009年9月、政権交代で民主党鳩山内閣に続いて、11年、野田内閣のもと、女性宮家創設を検討し始めた。小泉時代の「皇室典範に関する有識者会議」の報告書を下敷きに、「女性宮家」は一代限りの皇族となることを前提で、子どもが生まれても皇位継承権はないというものだった。しかし、2012年12月、第二次安倍政権が発足すると、「女性宮家」は、検討対象とはしない方針を固めている。安倍首相は自らの持論も踏まえ、自民党内保守派の男系維持論に与したことになる。

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  そして、2016年8月、明仁天皇の生前退位の意向表明がなされたのを機に、2017年6月には、生前退位特例法成立、2019年5月1日に徳仁皇太子が天皇になり令和期に入る。

その後も、皇位を継げる男子皇族は秋篠宮文仁、悠仁さんの二人であることには変わりがなく、「安定的」な皇位継承対策は、重要課題となっていて、2021年11月の有識者会議報告書の二案に至ったわけである。
 しかし、その内容は、当ブログ記事にも書いたように、何ともお粗末な、時代離れしたもので、二案とて、「安定的」な皇位継続が見通せるものではない。

 現在の皇室典範自体が憲法に定める人権に抵触しているし、二案による改正がなされれば、天皇家の人々、皇族の人たちの人権はむしろ広く縛られることになるのではないか。そうまでして皇位を継承して、天皇制を維持しようとする人たちは、皇族たちをなんとか利用しようと企んでいるようにも思えてくる。国民の多くは、特に若年層にとっては無関心、あるいは週刊誌的興味からながめているのではないか。

 皇位継承問題が浮上した今こそ、私たちは、憲法の基本原則と両立しがたい「第一章天皇」を持っていることを、真剣に考えなければならない時だと思う

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2024年4月18日 (木)

安定的な皇位継承って何?~「天皇家」の存続を願う人たち

各党の対応

 2021年12月、安定的な皇位継承の在り方について検討した有識者会議の報告書が政府に提出された。22年1月には国会に提出されている。昨年末、衆議院議長より、各党に見解を早急にまとめるよう要請した。

有識者会議の報告書に示された二案というのが、(一)女性皇族が結婚後も皇室に残る案、(二)旧皇族の男系男子を養子に迎える案であった。各党はにわかに意見書をまとめ、議長に提出し始めた。

しかし、上記の二案では、安定的な皇位継承ができるかの具体策は見えない。その二案と言っても、よそ様の家に向かって、女性は結婚後も実家に残って仕事をせよ、(直系の男子がいなければ、)血のつながった男系の親類から男子を養子に迎えなさい、と言っているに等しい。天皇家の各人に、法律でそんなことを強制できるのか。結婚の自由や人権の番外地と言って済むものなのか。

 にもかかわらず、各党が議長に提出した意見書などによると、上記二案への対応は以下の通りと理解した。

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この表を作成のさなか、「読売新聞」オンライン記事で以下の表を見つけた。ご参考までに。
「政府有識者会議報告書2案に対する主な与野党の立場」(2024年4月16日)
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 なお、自民党は、4月19日の懇談会で、両案妥当の方針が固まった。それを踏まえて、毎日新聞は、以下のような表にまとめた。シンプルで見やすいかもしれない。

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 まとめてみて、あらためて驚いた。こんなにまでして、「天皇家」をまもりたい人たちがいるということだった。長い歴代の「天皇家」の継承が、グダグダであったことは、歴史的にも明らかなのに、これから先も、旧皇族の男系男子にこだわる(二)案、さらに国民民主党や自民党のいう「直接皇族」の付与など、皇族を離脱して80年近くにもなる旧皇族の子孫をたどることになるのだろうか。この時代に、現実離れした案としか言いようがない。立憲が、(二)案について、「法の下の平等」の観点から憲法との整合性を検討すべきなどとの見解をしめすが、むしろ滑稽にも思える。「天皇家」の存在、天皇制自体と憲法との整合性が問われなければならないのに。

メディアの対応

メディアは、有識者会議の二案と各党の見解をどう報じ、論じているのかを「社説」でたどってみたい。

「日本経済新聞」は、開かれた議論の必要性を説き「皇室への国民の視線は時代とともに変化してきた。近年のいくつかの世論調査で女性天皇の容認論が多数を占めていることも、多様性を重んじる現代社会の考え方の表れだろう」とし、「皇室の伝統と安定、皇族の方々の理解をどう調和させるのか。日本社会として制度を大事に守るのなら、私たち一人一人がその将来像を真剣に考える必要がある」と結ぶ(「皇室の将来見据えた継承策を」2024年1月2日)。ここでは、「皇族たちの理解」に言及し、「日本社会として制度を大事にまもるのなら」と、国民に対して「制度」自体への問題提起をしているようにもとれる結語であった。

「読売新聞」は、「皇族数の減少は、皇室制度の存続にかかわる問題だ。令和も6年となった。政府と与野党は様々な課題を放置せず、結論を出すべき時期にきているのではないか」とし、皇族女子は、「歌会始や国民の幸せを祈る 祭祀さいし など宮中行事に参加」「海外訪問を通じた国際交流」「スポーツ団体の名誉総裁などの立場で競技の普及」などを担っている現状から「皇族女子の離脱が続けば、様々な公務の継続は難しくなる。婚姻後も皇族の身分を保持できるようにすること」は、検討に値すると、(一)案を支持する。(二)案については「長く民間人として暮らしてきた旧宮家の子孫が、唐突に皇室の一員となることに国民の理解は得られるのだろうか。本人の意向を確認する作業も必要だろう」と懸念を示している(「皇族数の減少 多様な公務を担う策考えよ」2024年3月24日)。

「毎日新聞」は「国のあり方に関わる問題である。政治の責任で速やかに結論を出すべきだ」と大上段に論じ始める。皇位継承の維持が、果たして「国のあり方」に関わる問題なのか。(二)案ついては「旧宮家が皇室を離れたのは70年以上も前にさかのぼる。その子孫の民間人が唐突に皇族となることに、国民の理解が得られるのか」と疑問視する。「両案が実現したとしても、一時的に皇族数を確保するための、その場しのぎの策にとどまる」とし、「皇位継承権を女性に広げるかどうか」の議論も避けられないとする。憲法では、天皇は日本の象徴と定められ、「その地位は「国民の総意に基づく」と明記される。与野党は、国民の幅広い支持が得られる制度改正の道筋を示さなければならない」と結ぶ(「皇族確保の政党間協議 もう先送りは許されない」2024年4月10日)。
 皇位継承が途絶えたとして、現在の国のあり方が大きく変わるとも思えない。たしかに憲法第一章を削除しなければならないが、国民の暮らしが変わるとは想像しがたい。困るとすれば誰たちなのだろう。「毎日新聞」は、毎週金曜日に「皇室スケッチ」あるいは「識者に聞く皇室」という記事を連載するが、天皇家のエピソードや秘話などの紹介であり、登場する「識者」たちも象徴天皇制を前提にしての解説の域を出ない。

「朝日新聞」は、有識者の報告書が政府に提出された直後の時点の社説で。両案とも「皇位は男系男子が継がねばならない」という考えが前提で、国民の間に一定の支持がある「女性・女系天皇」の芽を摘んでしまっていると指摘する。
「価値観の一層の多様化が見込まれるなか、報告書の考え方で皇室は安定して活動・存続できるのか」、いずれの案にせよ、「(皇族)本人意思の尊重をどう考えるか」、「与野党の立場を超えた真摯(しんし)な議論が求められる」としている(「皇位の報告書 これで理解得られるか」2022年1月13日)。(二)案は、養子になれるのは男系男子に限るとし、戦後改革で皇籍を離れた旧十一宮家の男子と明記したことについて、「門地による差別を禁じた憲法に違反する恐れ」に応えていないことも指摘しているが、ここには、両案の欠陥、批判はあるが、提案や方向性が見えない。
 「朝日新聞」の不明確な論調を補う意図があったのかどうか、3月13日のオピニオン欄に原武史へのロングインタビュー記事がある。皇位継承問題にかかわり、記者の石川智也の「では、どう皇室の存続を図ってゆけばよいのでしょう」の問いに、「どう存続させるか、ではなく、そこまでして象徴天皇制を維持する必要性があるのか、もはや存廃に踏み込んで議論すべき段階です」と答えている。また、「むしろ右派が逆説的に存廃の話をしているのに、左派リベラルは存続が前提の議論ばかりしています。平成流を過度に理想化し、上皇を戦後民主主義の擁護者かのように仰いでいるのも主に左派です」という指摘も重要である。

 上記の各党の対応でみるように、日本共産党が、天皇制(天皇制度?)を前提に女性天皇、女系天皇を認めるべきだとの見解を示していることでも明らかである。

 私も、最近、ある研究会で、多くは文学におけるジェンダー論やフェミニズムの研究をしている研究者たちから「女性天皇を認めないのはジェンダー平等に反する」とか「女性天皇や女系天皇を否定するのは偏狭ではないか」といった意見が出ていたのを聞いて、マスメディアの論調や世論調査結果などの影響が大きいのではないか、左右されているのではないか、と驚いた。天皇制自体の存廃には踏み込もうとしないマスメディアの責任の重さを思うのだった。

 

 

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