2018年6月 9日 (土)

6月10日、大雨の予報を吹き飛ばそう

 安倍首相が「国難」と称していたことは、朝鮮南北の首脳の融和的会談後、米朝首脳会談を前に、その根拠を失いつつある。自分の国の「拉致問題」を他国の大統領に交渉の依頼をするのが「外交」なのだろうか。公文書の隠蔽・捏造・改竄に手を染めた「膿」を出しきることは、自らの破たんをさらけ出す段になって、首相は、再発防止の責任を全うするというが、それはムリというもの。自分の手で自身の首を絞められるわけがない。この民主主義の根幹を揺るがす事態に―「国難」を乗り切るには、国民の「NO]という意思表示しかない。あの麻生大臣の言いたい放題の暴言を許していていいのか、との思いに焦る。 

 折も折、市民たちの告発を受けた大阪地検は、一連の財務省関係者の虚偽文書記載、証拠隠滅、背任罪などは証拠不十分で、すべて「不起訴」とした。刑事罰を問う手立ては、あと、検察審議会への申し立てという道が残されている。 

 こうした中で、国会での野党による政府追及は、本気度が疑われる、ゆるい質問ばかりの手詰まり状態が続いている。メディアは、力士による暴力事件、タレントの未成年者への飲酒強要、レスリング選手へのパワハラ、 財務省次官のセクハラ、日大アメフト悪質タックル問題、和歌山県の資産家の死亡事件などには飛びつくようにワイド番組や紙面をにぎわせている。さらに、根深い企業のデータ改ざん・談合・情報流出や過労死問題などの「不祥事」というより「犯罪」の発覚が続き、幹部が頭を下げる映像が繰り返し流される。それも一過性で、時の災害や事件や事故があれば、それに雪崩れこみ、企業に不都合なニュースはいつのまにか追いやられてしまう。それでなくとも、災害地の復興、東京オリンピック、来年の天皇代替わりというニュースがいつの間にか、前面に躍り出て、日本の政治や外交問題と沖縄の辺野古新基地工事、原発再稼働の動向は、脇に押しやられ、情報量がめっきり少なくなる。というより、情報量を、あえて絞るのである。 

 例えば、官邸とパイプが太いと言われるNHK幹部がニュース担当者に飛ばした指示というのが、「森友問題は、トップニュースで伝えるな、トップでも仕方ないが放送尺は3分半以内、昭恵さんの映像は使うな、前川前文科次官の講演問題と連続して伝えるな」というものであったことが、3月29日参議院総務委員会の山下芳生議員の質問で明らかになった。NHKがそうした事実を全面的に否定したというニュースは伝わってこない。NHKに限らず、新聞社や民放の幹部やジャーナリストたちと安倍首相との会食は続いているのだ。 

 こんな折に、私たちは何ができるのだろう。とりあえず、私も参加している「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」では、明日6月10日、次の行動を予定している。東京の大雨の予報が、夜間にでも少しずれこんでくれるといいのだが。雨の予報や銀座まつりの関係もあって、デモのコースが当初の予定より変更され、少し短縮されるらしい。

6月10日(日)12時~財務省前集合、アピール行動開始

 *デモの出発は日比谷公園西幸門で、西幸門での解散は、1時前後になるらしい。それから各自、国会前集会へ合流しよう。 

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2018年5月 3日 (木)

「和歌御用掛」は岡井隆から篠弘へ~憲法記念日に

 憲法記念日に、またも何を些細な「歌会始」とは、と思うかもしれない。 天皇の代替わりを一年後に控えた430日、2007年から御用掛を務めてきた岡井隆(90)が辞職し、51日付で、2006年から歌会始選者を務めている篠弘になった、との報道があった。岡井は、1993年から2014年まで歌会始選者を務めているので、御用掛と兼務の時代もあった。2015年からは和歌の御用掛として、「お歌に助言をさせていただく人間として戦争体験者の私がお役にたてるのではないかと、考えるようになり」、「両陛下がご公務に頑張っておられるわけですから、私も頑張らねばいけません。体力が続く限り、御用掛を続けさせていただこうかと思っております。」とも語っていた(岡井隆「宮内庁和歌御用掛が明かす 佳子さまの和歌の素養」『文藝春秋』20156月)。20168月の天皇の生前退位表明の一年以上前のことだった。当時、岡井は、体調を崩して、後継者を探したが「適任者が見つかりませんでした」とも、上記記事で述べていた。その後、天皇の状況は大きく変わったが、岡井も心境や体調の変化があったのだろうか。

  いずれにしても、「歌会始」の状況は、大きく変わることはないだろう。ただ、それ以上に危惧するのは、代替わりを控え、歌会始の選者たちを中心に、「幅広い」歌人たちによって、天皇・皇后の短歌について光が当てられ、その鑑賞や「深い読み」が展開されるだろう。「国民に寄り添った」心情や家族愛、政情や歴史認識に分け入った解釈もして見せるに違いない。しかし、そうしたことが、結果的に「象徴」の地位を脱して政治利用につながることは必至で、避けるべきではないかと思うのだ。天皇・皇后(及び皇族)がたしなむ短歌が発信されたならば、いまの私たちができることは、自ら選択することのできない、憲法上矛盾に満ちた特異な存在である人々の短歌作品として、各々が一読者として鑑賞するほかないのではないか、と思っている。 

 すでに、マス・メディアでは様々な形で、「平成回顧」がなされている。政治的権限を持たない天皇の在位期間、元号をひとくくりにする意味は何処にあるのだろう。 

 すでに、このブログ記事でも触れたが、公文書類や出版物、メディア上での年号表記は、西暦で統一すべきである。少なくとも併記が必要である。そうでないと、元号表示だけでは、何年前のことであったのかが、即座に定まらず、まるで、頭の体操を強いられることになる。明治、大正、昭和、平成・・・で示される年号では、「地球規模」の課題や動向、グローバルな国際情勢とはリンクできないし、その換算は容易なことではないからだ。その混乱はどうしてくれるのだろう。

 

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2018年4月14日 (土)

相撲の「神事」と「宮中祭祀」

まさに、日本の民主主義が根底から崩れ、国難に瀕している際に、テレビの報道番組では、相撲協会の力士暴行問題、レスリング協会のパワハラ、たけしの事務所独立に続き、土俵女人禁制問題が浮上、いずれも、いわばスキャンダルとして報道し、多くの時間を割いている。少し前までは、平昌でのオリンピック選手、藤井壮太棋士の動向を、アナウンサーは、声を弾ませて報道し、関係者の声や街の声まで拾って時間を引っ張る。最近は、大谷翔平選手の活躍がトップニュースになり、日本のサッカーチームの監督が交代したことを詳しく報じることもある。

 

一方、厚生労働省、財務省、国土交通省、防衛省による、公文書の改ざん・隠蔽の実態が雪崩れ打つように明らかになりつつも、国会の与野党の質疑や証人喚問での質疑はテープレコーダーのように繰り返されるやり取りで、問題の核心に届かない。朝鮮半島の南北融和、米朝韓からは取り残される日本、米の関税引き上げや二国間交渉からも無視される日本である。辺野古での新基地工事が着々と進められ、横田基地への米軍オスプレイの配備を強行されたという、いわばアメリカへの100%従属を公言してやまない無能な外交を展開し続けている。NHK幹部によるニュース番組への圧力を報道する民放のテレビや新聞さえも、大方は、専門家やコメンテイターのコメントのバランスをとることに汲々とし、政府への配慮に満ちた、萎縮や自粛にまみれることになる。

 

こうした状況の中で、静かに、深く、有無をいわせず、潜行している不気味な動きがある。政府が進める天皇代替わりへの準備であり、メディアがこぞって走り出した平成回顧という名の平成天皇夫妻を高く評価してやまない記事であり、番組である。これが、やがて加速度を増し、フィーバーとなりお祭り騒ぎになるのだろう。天皇(夫妻)の「短歌で綴る平成の歴史」などの「切り口」で捉える企画は、歌人や一般読者には情緒的に受け入れられやすい側面を持つ。しかし、そこには、歴史を「事実」で捉えることを回避する陥穽があることを忘れてはならない。

 

そして、さらに問題なのは、天皇がおこなってきた宮中祭祀の宗教的な性格であり、これから行われる退位・即位に関わる儀式やその後に続く祭祀は「神道」に基づくものが多い。となると、天皇制・国家の在り方は、日本国憲法の「宗教の自由」に大きく抵触することになり、今後は、ますます顕在化し、深刻化することになるにちがいない。となると天皇自身が強調するこれまでの「象徴としての務め」が、「国民の象徴」ではあり得なかったことに直面する。しかし、そのあたりのことは、護憲派の政党も、メディアも、論者も、天皇(夫妻)の人柄や心情を評価し、敬意を表し、称揚してやまない。そして、それは、そのことだけで終わらずに、本来、見据えなければならない喫緊の課題への眼を曇らせ、結果的に行政の到らない部分を補完し、体制支援・順応への道を開くことに加担することにならないか、というのが、私の素朴な疑問なのである。

 

 

相撲が「神事」に基づく「伝統」に則って執り行われていることに対しては、メデイアも論者も、時代への即応やジェンダーの視点などからの発言は盛り上がるが、宮中の儀式や祭祀への言及になると、タブーであるかのように口を閉ざす。この国の行方を誤らせてきた歴史を思わないではいられない。

 

 

 

 

 

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2018年3月30日 (金)

3月29日、天皇夫妻は、3日間の沖縄の旅から戻る

・日本人(きみ)たちの祈りは要らない君たちは沖縄(ここ)に来るな

  日本で祈りなさい(中里幸伸)

(「オキナワに詠む歌―百人の沖縄・アンソロジー」『歌壇』20156月)

 327日から29日までの天皇夫妻の沖縄訪問は、多くのメディアによって、皇太子時代から沖縄に寄り添い続けたことと在位最後の沖縄行きへの希望をかなえたことが合わせ報じられ、多くの新聞は以下のように「社説」を立てている。

➀「天皇陛下の沖縄訪問 よせ続けた深いお気持ち」『毎日新聞』327

②「天皇沖縄訪問 命とうとし平和を願う」『東京新聞』327

③「両陛下来県 平和願う姿勢の継承を」『琉球新報』328

④「沖縄ご訪問 鎮魂と交流をつなげたい」『産経新聞』329

⑤「両陛下来県 際立つ<寄り添う姿勢>」『沖縄タイムス』329

⑥「天皇と沖縄 <心痛む>歴史への思い」『朝日新聞』330

1975年から皇太子時代に5回、天皇即位後には6回目の訪問となることも、一覧表など付して強調する記事もある(「象徴天皇と平成第2部沖縄の旅・上」『東京新聞』324日、「慰霊の旅を重ね」『毎日新聞』326日)。

➀は、現政権の沖縄への冷淡さや一部政治家らの沖縄への中傷を指摘した後、「本土との溝が深まる中での両陛下の訪問は、国民統合の象徴としての存在をより深く感じさせられる」と結ぶ。

②では、「みそとせの歴史流れたり摩文仁の坂平けき世に思ふ命たふとし」(1976年歌会始「坂」)という皇太子時代初めて沖縄を訪ねたときの短歌を引用し、「陛下が大事にされている公的行為として、沖縄の地を踏む意味は一貫し、慰霊と平和を願うお気持ちに他ならないであろう」と結ぶ。

⑥は、天皇の沖縄への発言や重ねた訪問は、沖縄の人々の「日本にとって我々は何なのか」の問いへの答えではないかとし、次のように結ぶ。「以前は強い反発を示していた『天皇』という存在を、沖縄は自然体で迎え入れるようになった。翻ってそれは、本来、問いに向き合うべき政治の貧しさ、社会のゆがみを映し出す」

➀における「国民統合の象徴としての存在」、②における「陛下が大事にされている公的行為」の背景には憲法上の疑義がある。⑥における「以前は強い反発を示していた『天皇』という存在を、沖縄は自然体で迎え入れるようになった」・・・というくだりは、さらりと述べてはいるが、その事実認識には、多くの疑問が残る。NHKテレビのニュースでも、女手一つで育てられた女性が若いとき、遺族として天皇夫妻を迎えたときの違和感が、現在は払しょくされた、とのコメントが流されたが、⑥と同じスタンスで、沖縄の現実を歪めてはいないか、の疑問は大きい。

一方、③『琉球新報』では、1972年「沖縄は平和憲法の下に復帰した。しかし、米軍による相次ぐ事件事故、新基地建設強行にみられるように、沖縄では今でも憲法の基本理念がないがしろにされている。「象徴天皇」として憲法を順守する天皇に、この事実を受け止めてもらいたい」と結び、現憲法順守の強い願いがこめられている。⑤『沖縄タイムス』は、「国事行為は憲法に列記されているが、象徴としての公的行為については憲法上の定めがない。公的行為はどうあるべきか、国政の場での議論が必要だ。<寄り添う天皇像>は多くの国民の支持を得ているが、<男性中心>の天皇制に対する疑問は根強い。女性天皇の是非や皇族のあり方なども幅広く議論する必要がある」と、現憲法自体への疑義が指摘されていることに、他のメディアにない特色を読み取ったのである。

  私は、かつて、天皇夫妻の10回の沖縄の旅とそのたびごとに述べた「おことば」や詠んだ短歌に焦点を当て、そのタイミングで、どのようなメッセージが込められ、その発信・報道が、政治や社会においてどんな役割を果たしたのか、沖縄県民や本土の人々がどのように受け止めたかについて、検証したことがある(「沖縄における天皇の短歌は何を語るのか」『社会文学』20168月 6580頁)。もちろん、やり残していることもあり、新たな課題もみつかり、途上ではあるが、次のような思いは変わってはいない。

天皇夫妻の短歌には、沖縄を詠んだものが数多くある。天皇のときどきに発せられる「おことば」とあわせて、なぜこれほどまでに沖縄を語り続けるのかについて、「昭和天皇が沖縄に対して負うていた責任を、いわば<負の遺産>として継承した者としては、当然と言えば当然の姿勢といえる。だがもう一つの理由として、戦後の日本政治が沖縄と真摯に向き合うことがなかったからではないのか」と記した(「天皇の短歌、平和への願いは届くのか」『天皇の短歌は何を語るのか』(御茶の水書房 20138月)。また、とくに、天皇の発言や振る舞いを忖度して、必要以上に美化したり過大評価したりすることのリスクに言及、天皇のメッセージが、たとえ国民との距離を縮め、共感や謝意を醸成したとしても、政治・経済政策の欠陥を厚く補完し、国民の視点を逸らす役割を担ってしまう不安と危惧が去らない、と述べたこともある(「戦後70年―ふたつの言説は何を語るのか」『女性展望』20151112合併号)。

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一九七一年(島)『瀬音』(1997)
①いつの日か訪ひませといふ島の子ら文はニライの海を越え来し
(美智子皇太子妃)
一九七六年(伊江島の琉歌歌碑)
②広がゆる畑 立ちゅる城山 肝ぬ忍ばらぬ 戦世ぬ事
(明仁皇太子)
一九九三年(沖縄平和祈念堂前)『道』(在位10年記念 1999)
③激しかりし戦場(いくさば)の跡眺むれば平らけき海その果てに見ゆ
(天皇)
一九九七年(対馬丸見出さる)『道』(在位10年記念 1999)
④疎開児の命いだきて沈みたる船深海に見出だされにけり
(天皇)
二〇〇四年(南静園に入所者を訪ふ)
⑤時じくのゆうなの蕾活けられて南静園の昼の穏(おだ)しさ
(皇后)
二〇一二年(元旦新聞発表、沖縄県訪問)
⑥弾を避けあだんの陰にかくれしとふ戦(いくさ)の日々思ひ島の道行く
(天皇)

 ここに、ほんの一部ではあるが、天皇夫妻の短歌を掲げてみた。➀の復帰前の皇太子妃の作品は、いま、ふたたび語られることの多い、毎年、沖縄の子供たちを本土に招いて皇太子夫妻が面会を続けてきたという「豆記者」からの手紙を詠んだ。②は、海洋博の閉会式に出席の折、本島中部、本部港から渡った伊江島での琉歌で、天皇が琉球の伝統・文化に深い関心を寄せていることの象徴として琉歌を詠むことが語られ続けている。伊江島は、米軍の空襲が323日に始まり416日に上陸が開始され、島民の半数1500人、兵士2000人が犠牲となっている。生き残った住民は強制移住させられている。戻った島の土地は「銃剣とブルドーザー」によって強制収用され、島の3分の一以上が基地という島である。そして現在は、オスプレイなどの基地として滑走路の拡張工事が進んでいる。島の中央にある城山の中腹に、歌碑は建てられているが、私が訪ねたときは、観光客は素通りで、案内の運転手も「そういえば、あったかもしれない」程度の関心しか示さなかった。④は「対馬丸」が発見されたときの歌だったが、2014年には、夫妻の強い希望で、対馬丸記念館を訪ねるために沖縄行きが計画されたという。⑤は、宮古島のハンセン病国立療養所を訪ねた折の歌である。全国13カ所ある療養所が沖縄県に二カ所、宮古島の南静園と名護市屋我地島の愛楽園が設置された。ハンセン病者の隔離政策が誤っていたこと、その国策に、皇室が大きくかかわっていたことは、このブログ記事にも何回か記しているので、合わせてお読みいただきたい。

 慰霊や慰問先で犠牲者に祈りを捧げ、面会した遺族や関係者に「大変でしたね」「ご苦労なさったでしょう」「いつまでもお元気で」と声をかける姿が映され、声をかけられた人々は、「ありがたかった」「感激した」と涙をぬぐう姿も報道され続けてきた。これは、本土の人たちが、そして、ときの政権が望む「物語」を、報道関係者が率先して発信している姿ではなかったか。

 少し遡ってアンソロジーをひもとけば、つぎのような短歌を読むことができる。大城作品の「勇気持て言ふ」の一首が「萎縮」や「自粛」が蔓延している状況を物語っているといえよう。

・天皇のお言葉のみで沖縄の戦後終はらぬと勇気持て言ふ

(大城勲1939年~)

・戦争の責めただされず裕仁の長き昭和もついに終わりぬ

(神里義弘1926年~)

・国体旗並ぶ街道囚はれの如く島人に警備の続く

(玉城洋子1944年~)

(『沖縄文学全集第三巻・短歌』19966月) 

   ところで、3月27日というのは、1879年3月27日、明治政府が処分官松田道之が、600人の兵士らを従え、首里城に入城、廃藩置県の布達をもって明け渡させ、「琉球王国」が廃された日でもあった。また、3月28日は、私が、昨年、渡嘉敷島に渡ったとき、案内人は、渡嘉敷にとって忘れることのできない日、1945年3月28日は、多くの島民が自決を余儀なくされた日であった、と語っていたことを思い出した。この日には、毎年慰霊祭を行っているという。

・歴博の「大久保利通とその時代」に行ってきました(2015年12月6日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2015/12/post-4db7.html

・冬の沖縄、二つの目的をもって~「難しい」と逃げてはいけないこと―渡嘉敷村の戦没者・集団自決者の数字が錯綜している背景(2017年2月22日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2017/02/post-0e0c.html

 

なお、「沖縄の天皇の短歌」について詳しい資料は、以下をご覧ください。  

http://dmituko.cocolog-nifty.com/okinawanotennonotanka.pdf

 

 

 

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2018年1月29日 (月)

ピアノコンサートのプログラムから「平和憲法」の文言が削除

あってはならない、杉並区の男女共同参画事業でのこと

 

126日の院内集会でお会いした小林緑さんから信じがたい「事件」を知らされた。小林さんは国立音大名誉教授で「小林緑&知られざる女性作曲家カンパニー」を中心に、クラシック音楽史上、埋もれた女性作曲家たちの作品を発掘、聴いて、広めようという活動に長い間、取り組んでこられた方だ。NHKの経営委員を一時期つとめられ、NHK問題についても深い関心を寄せられている関係で、お話を聞いたり、「カンパニー」のコンサートにも伺ったりしていた。毎回さまざまな工夫を凝らしたコンサートは、私などの素人にも、わかりやすく、いつも楽しませていただいている。 

昨秋、東京ウィメンズプラザフォーラムの「音を紡ぐ女たち」の講演会では、11月に開催の杉並区男女共同参画都市宣言20周年記念「トークとピアノコンサート」の案内も配られていた。私は出かけることはできなかったが、そのコンサートのプログラムをめぐってとんでもない問題が起きていたのだ。 

『週刊金曜日』では、すでに「杉並区<憲法>文言の削除要請 平和憲法を女性たちの音楽から見直すのは政治的?」として報じられていた(2018112日号)。プログラムの中で、演奏される女性作曲家たちの曲目の紹介の末尾に、小林さんによる数行の解説「なぜ彼女たち?なぜこのような音楽を?」がある。今回、選んだ作曲家と曲目の趣旨を語っているのだが、当初の原稿は、つぎのように記していたそうだ。

 

「(前略)(選んだ)5人はみなピアノの名手にして作曲家ですが、抽象的なソナタより表題付きのわかりやすい小品を、さらに一人だけで目立つのでなく、連弾やトリオなど、息を合わせバランスを保つ形の作品を多く残しました。平和憲法さえも危機にある世界の現状を、こうした女性たちの音楽から見直すためにも・・・」

 

ところが、区の担当者から下線の部分が「政治的だ。記録に残るから直せ」との要請があり、その場で抗議をしたが、印刷の前日でもあったので、つぎのように修正にしたということだった。

 

「こうした女性たちの肩肘張らぬ音楽に耳を傾け、世界が平和に、男女が等しく、自然体で命を紡ぎ続けられるよう・・・」

 

その後、再度抗議したところ、区の男女共同参画担当課長は「政治的だからでも検閲でもない。これは男女共同参画事業なのだとわかりやすく伝えたかっただけ」と答えたそうだ。 

まさに、杉並区職員の「忖度」による「自己規制」の結果でもある。共謀罪の成立、安倍首相はじめ政府の言動から、国の官僚から自治体職員までが、自らの意思で、政府の意向、上司の意向に沿う判断しかできない状況が出来上がりつつあるからだ。言論統制など、多くの場合、「刃物など要らぬ」ということで、役職や出世、嫌がらせをチラつかせ、「萎縮」させればよい。そして市民には、ときに、見せしめのように、ほんの一部の人たちに逃亡や証拠隠滅などを口実にして、不当な警察権力を行使する。沖縄の山城博治さんや森友学園元理事長籠池さん夫妻のように。 

小林さんの件を知って、すぐに想起したのは、さいたま市の「9条俳句訴訟」であった。 

さいたま市立三橋公民館が、憲法9条について詠んだ俳句「梅雨空に『九条』守れの女性デモ」を「公民館だより」に掲載することを拒否した件につき、憲法が保障する表現の自由の侵害に当たるとして、作者が市に句の掲載と200万円の損害賠償を求めた訴訟であった。さいたま市は、公民館は改憲の議論に絡み「世論を二分するテーマで、公民館だよりは公正中立の立場であるべきだ」などとして掲載を拒否。市は「公民館側に発行、編集の権限がある」などと棄却を求めていた。 

その後の新聞報道によれば、20171013日のさいたま地裁判決は「原告が掲載を期待するのは当然で、法的保護に値する人格的利益で、公民館職員らは思想や信条を理由に不公正な取り扱いをした」として、賠償2万円を認めたが、掲載は認めなかった。俳句の作者、市ともに、不服として控訴している。 

こうした事態は、どこでも起こり得る環境が整い始めてしまったのだ。だからこそ、こうした事態に対応する場合には、市民一人一人が毅然とした態度で立ち向かわねばならない。個人にしろメディアにしろ、表現の自由は与えられるものではなく、一人一人が獲得していかねばならないとあらためて思うのだった。

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この部分の修正が要請された

なお、くわしくは、「NPJ通信」の小林緑さんの寄稿をご覧ください。

http://www.news-pj.net/news/60309

 

 

 

 

 

 

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2018年1月24日 (水)

2018年、今年の歌会始、その行方は

  112日、平成時代の歌会始は、来年が最後となるが、それ以降の明仁上皇、美智子上皇后の作品はどうなるのだろうと、要らぬ心配もしながら、NHKの中継を見ていた。改元後、夫妻は歌会始に出席するのか、短歌は詠み続けられると思うが、発表の機会はあるのか、などなど・・・。岡井隆の選者就任の折の発言、たんなる「短歌コンクールの一種」との位置づけは、現実とは明らかに異なる性格、様相を呈している中で、天皇に「詠進」するという形式をとっている以上、上皇夫妻は、他の皇族と同じ扱いになるのかしら・・・。皇室行事には一切かかわらないことになるのか。それに、戦時を体験した者として、少しでも役立つのなら天皇にお仕えしたい、と言っていた、御用掛の岡井隆はどうするのかしら・・・。 

 

それはともかく、今年の歌会始の映像を見ていて、一番に目立ったのは、皇族方の出席者の少なさであった。男性では、皇太子と秋篠宮の二人であった。これが皇室の現実である。一方、陪聴者は、いつになく男性が多いように思った。陪聴者の待合室は、かなり混み合っていて、男性優先になったのだろう。

「語」の作品群を読んでいて、もっとも気になったのは、皇后のつぎの一首だった。 

 

・語るなく重きを負ひし君が肩に早春の日差し静かにそそぐ 

 

 平成の時代に、天皇はいくたびか、やや政治的事象に踏み込んだ「おことば」を発信することもあった。「生前退位」表明もその一つといえるが、時の政府に“苦い”思いをさせてきた経緯は確かだと思う。もっと語りたいこともあったろうに、黙して裡に背負ったまま、天皇は、語らなかったと、皇后は詠んだ。 

 

小学校入学以来、あたらしい憲法を当然のこととして過ごしてきた私などは、日本国憲法における象徴天皇制という前提が、不思議な存在であった。一人の人間を「象徴」とすること自体の曖昧性と非人間性、日本国憲法の根幹である民主主義と平等の精神との矛盾を擁する制度が、論議されなければならないはずだったのに、七〇余年が過ぎてしまったという思いがある。 

ふつうの歌詠みならば、「自注自解」の機会もあるが、皇后が自らの短歌を自解したり、自注したりするとどうなるのか。どういうわけか、二〇〇四年、平成一六年を期して、宮内庁のホームページには、各年の歌会始「御製御歌及び詠進歌」一覧に加えて皇族方すべての短歌に解説が付せられるようになった。その執筆者は不明で、宮内庁の担当者なのか、御用掛なのか、選者の一人なのか・・・。いわば、かつての「謹解」と呼ばれる作業でもある。大方のメディアの歌会始報道記事において、これらの「謹解」がそのまま使用がされているところから、メディア向けといってもいいのかもしれない。宮内庁記者クラブの記者たちは、短歌の読解力不足と思われたのか、面倒なので宮内庁に解説を依頼したのか、は不明だが、「官製」「お墨付き」の解説や鑑賞がなされるなどという文芸はあり得ないだろう。作者の手を離れた一首は、本来、読み手の自由・自在があってこそ、文学となり得るのではないか、と思うのだが。

 

今年の皇后の短歌についてはつぎのような解説がなされている。  

「天皇陛下は、長い年月、ひたすら象徴としてのあるべき姿を求めて歩まれ、そのご重責を、多くを語られることなく、静かに果たしていらっしゃいました。この御歌は、そのような陛下のこれまでの歩みをお思いになりつつ、早春の穏やかな日差しの中にいらっしゃる陛下をお見上げになった折のことをお詠みになっていらっしゃいます。」

 

「重き」には、昭和天皇の昭和前期の戦争責任や占領期の沖縄への対応という負の遺産、平成期の平和からの後退、数々の災害に見舞われた日本の歩みを読み取ることもできよう。

 

なお、今年の「選歌」入選者の男女比や年齢構成をみると、ここ数年の動きに大きな変化はみられない。ちなみに平成年間の応募者数、入選者10人の男女比を一覧してみた。応募者は、2万人前後を推移するが、今世紀初めの数年は、2.5万人前後を推移し、2005年の2.8万をピークに下降する。応募者の男女比は発表されていない。なお、新聞報道によれば、入選者の年齢構成は、10代を12名入れるのが恒例となり、20代~50代が少なく、60代以上が圧倒的に多い。  

こうした状況の中で、来年、改元される。「歌会始」どうなっていくのか。短歌愛好者たちの中で、応募者が「歌会始」にどんなところに魅力を感じているのか、皇室や天皇がどれほどの求心力を持つのかにかかっているのではないかと思う。「皇室」の権威付けが若干強化されようとも、「皇室」への親和性が補完されようとも、いまさら、国民の関心や求心力が増幅されるとは、考えにくい。改元後、「歌会始」が劇的に活況を呈するということはまずない、と思われる。  

しかし、歌壇の中での「歌会始」ワールドの在りようは、持続するだろう。歌壇やいわゆるネット歌壇なるものとの境界線を微妙に維持しつつ、選者というステイタスは手放しがたいものとなり、第二の岡野弘彦、岡井隆を生むだろう。そんな予兆の中で、当ブログの「201811日の歌人たち」(111日)の繰り返しになるが、「来年に迫った生前退位を前に、様々な形での<平成回顧>報道は激しさを増すだろう。そして、天皇夫妻の短歌の登場の場も増えるだろう。いま、<生前退位>という日本近代史初の体験」を目前に、右翼ならずとも、保守もリベラルも、何の躊躇もなく<尊王>や<親天皇>を口にするようになってきた。  

すでに、『東京新聞』(夕)では、「歌会始」選者である永田和宏による「象徴のうた 平成という時代」の連載が始まった(2018115日、122日~)。歌会始の選者今野寿美が新聞『赤旗』の選者にもなったことは、このブログでも言及したが、今年の1月には交代し、務めたのは2年間であった。

 

 

<参考> 

歌会始応募者数一覧(1991~2018) 

http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/eishinkasu.html 

有効応募歌数は、これより数百首下回る。

*当初の記事において皇后の作品「負ひ」の部分を「背負ひ」としておりました。訂正し、お詫びします。

 

 

 

 

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2017年12月 2日 (土)

12月2日の新聞は、天皇の生前退位をどう報じたか

 

一つ前の記事では、退位の日、2019430日をどう表現したかについて触れた。ネット上での検索も含めてまとめると、読売、朝日、毎日、東京は、「2019年」であり、NHKは「再来年(2019年)」であったが、産経が「平成31年」であった。産経がスジ?を通していると言えば言えるか。 

沖縄における、琉球新報、沖縄タイムズでは、関連記事自体が極端に少ない。122日の社説は、二紙とも昨年、うるま市の女性が米軍属に殺害された事件の那覇地裁の判決についてであった。
 

琉球新報:社説・元米軍属に無期懲役 地位協定の改定が急務だ
 

沖縄タイムス:社説・[元米兵に無期懲役]なおも残るやるせなさ 

 

手元にある朝日、毎日、東京の三紙を読んでみると、まずは、今回の退位日程の政府と宮内庁の駆け引き、新元号や即位の儀式や日程についての記事が圧倒的に多い。同時に、社説とあわせ天皇30年間の足跡をつぎのような記事で報じている。

毎日:社説・天皇陛下の退位日決まる 国民本位を貫く姿勢こそ
               
苦楽国民に寄り添い おことば世論を動かす(付年表)


朝日:平成史 お二人の足跡「差別解消に力」「被災者に寄り添う」(付年表)

東京:社説・国民の理解とともに 天皇の退位と即位
      
慰霊の旅 平成築く 前侍従長川島さん象徴天皇制の意義語る

 

朝日の社説はまだ出ていないが、「耕論」欄において、「天皇と政治」のテーマで御厨貴「退位 官邸と宮内庁のバトル」、河西秀哉「能動的象徴 利用される危険」と語らせている。もっとも朝日は、かねてより「皇室と震災」のシリーズで、連載をしている。 

うねりのような、こうした流れの中で、少しでも異議をさしはさむことが困難な時代になった。1977年生まれの河西秀哉は、慎重な言い回しでつぎのように語った(上記「天皇と政治」『朝日新聞』2017122日)。

 

「天皇が進んで被災地を訪れていますが、政治がそれを利用しようとする気になれば、結果的に被災者の政治への不満を天皇が和らげ、政治の不作費を覆いかくしてしまうことにもなりかねません」 

「昨年8月の『おことば』にこめられた今上天皇の思いは、半分は政権に受け流された感じがします。国事行為の縮小や摂政の設置を否定するなど政治性を小保田『おことば』は結局、政権によって政治的に処理されたのかもしれません」

 

 また、原武史は、「連休で<歓迎>演出か」の見出しで、日程についての政府の思惑、皇室会議の議事録非公開、「おことば」の政治性、上皇設置による二重権威化を指摘していた(『東京新聞』2017122日)。 

今回の衆議院選挙においても、若年層の保守化が著しい傾向が明らかになった中で、上記のような中堅世代の活発な発言を期待したいし、私たち高齢者も戦中戦後の体験と天皇の果たした役割を、きちんと整理して伝えていきたい。

 

 

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2017年9月12日 (火)

天皇の代替わりに向けて~「おめでとう」の前に

 

佐藤愛子の『九十歳。何がめでたい』がベストセラーになったのが、昨年だったか。そんなセリフを吐いて、世に憚りたいもの。「九十歳」のかわりに「〇〇」を入れて、ウサを晴らしてみても、何も解決しない。 

昨年の7月、天皇の生前退位の意向がNHKのスクープという形で突如浮上し、88日には、天皇のビデオ・メッセージが放送された後の顛末は、承知の通りで、67日の参議院特別委員会の「全会一致」で可決し、本会議を経て「退位特例法」が成立した。代替わりはすでに時間の問題となった。すでに、各メディアの今の天皇のへの称揚の記事が始まったし、やがて、昭和天皇の晩年・死去報道よりも大々的に展開されるだろう。歌人も登場して、「御製」や「御歌」を懇切に解説し、その心情に触れつつ、短歌の「奥深さ」を語り始めるのだろう。そして、天皇は、いかに平和を願い、国民に寄り添い「象徴としての務め」を果たしてきたか、歴史家や文化人が、その立場を超えて、こぞって賞賛するにちがいない。それが、現実の政治や経済の歴史や現況を一層見えにくくして、曖昧にしてしまうのは必至だろう。そこで利を得るのは誰なのだろうと思うようになった。 

 

無責任に「おめでとう」とは言えない 

直近では、秋篠宮家の長女の婚約内定発表に、新聞は多くの紙面を割き、テレビは報道に時間を費やした。これから皇族を離れてゆく人に、人々の関心はどれほどあるのだろうか。皇族たちに基本的人権はないのか、プライバシーはないのかと思う一方で、記者会見の日には、「ご婚約内定おめでとうございます」の企業広告も目立った。テレビでは、経済効果1000億に上るというコメンテイターも現れ、12万人が結婚に踏み切るとして~~みたいな皮算用をする。一方、婚約者の男性が、一カ月2万円食費のレシピ本を購入したとか近所の本屋さんが語っていたが、まさに多くの若者たちは、親がかりの住まいだったり、食費を切り詰めたりしながら、非正規で働く場合が大半なのだから、当然のことだろう。あまり縁のないカップルの「婚約内定」に「おめでとう」とは、無責任には言えない情況である。もっとも、皇族の結婚には、国から1億数千万の支度金がつくということであった。

 

日本近代史における5つの元号、もう限界なのでは 

また代替わりを控え、「元号と公文書 西暦併記の義務づけを」という「社説」(『朝日新聞』201787日)が現れた。1979年に制定され、最も短い条文の法律とされた「元号法」の「第1項 元号は、政令で定める。2項 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。」ということになっているが、年号表記が、天皇の在位ごとに変ること自体、憲法は前提にしていない。元号の不便さは、公文書に限らず、生活上、国民に大きな負担と混乱を強いている。それを少しでも解消するために、あらゆる場所での西暦統一するのがベストと私は考えるが、元号のみの年号表記がほとんどの公文書に西暦併記を義務付けてもらわないと困るという意味で、現実的な提案ではある。この国が、憲法上、天皇をいただいていること自体から生じる矛盾は、元号以外にも、というよりは根本的な問題があるが、それには触れようとしない。ずいぶんと腰が引けた社説だなと思ったものだ。 

その後『朝日新聞』の「天声人語」(2017821日)においては、もう少し、敗戦後の元号の歩みに踏み込んで、1975年の桑原武夫の「元号について」を引いて、天皇という人間の「ご一生」を国民の「あらゆる生活の基準を置くというのは,象徴ということにふさわしいとは申せません」、世界に通用する西暦を使い,元号は廃止すべしという論考を紹介している。そして、「そこまでいかなくともせめて公文書は,西暦を主,元号を従としてはどうか」という「社説」に戻るのである。 

たしかに、私自身、「明治憲法」「大正デモクラシー」「昭和恐慌」「昭和の面影」「昭和一ケタ生まれ」などの使い方をすることもあるが、元号のみによる歴史書は読んでいると、確証のないない不安に駆られることがあるので、自分がものを書くときは、西暦だけか、適宜、元号を括弧に入れて併記することもある。だから、必ず手帖の裏の「年齢早見表」を拡大し、換算表として机の上に置いている。もっとも近頃の「年齢早見表」には、明治末期からしか載っていないので、簡単な日本史年表は目につく所に置いているありさまだ。これに、もう一つの元号が加わることになるのだから・・・。 

なお、今年201741日には、民主主義をけん引するはずの日本共産党の「赤旗」は、平成以降、年号は西暦表示だけだったのが、元号併記を28年ぶりに復活させている。その理由というのが、45日付で、「今回の措置は、『西暦だけでは不便。平成に換算するのが煩わしい』『元号も入れてほしい』など読者のみなさんからの要望」によるとしている。続けて、元号の使用は、 

「歴史と国民の選択にゆだねるべきで、法律による使用の強制には反対するというのが、日本共産党のかねてからの主張です。1979年の元号法制化に際しては、天皇の代替わりごとに改元する「一世一元」は、主権在民の憲法下ふさわしくないとして、その法制化・固定化に反対しました。そのさい、元号の慣習的使用に反対するものではないこと、「昭和」後の元号についても慣習的使用の延長として憲法の範囲内で法的強制力をもたない適切な措置を検討する用意があることも表明していました」との見解を示している。 

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-04-05/2017040504_02_1.html

  これとて、元号法には主権在民の憲法下ではふさわしくないとした一方で、「慣習的使用の延長線上で強制力を伴わない措置を検討する用意がある」とした趣旨は、かなり分かりにくい。これは、一昨年2015年末に、それまで天皇を議場の玉座に迎えての国会の開会式には、「主権在民」の憲法下における議会にふさわしくないと参加しなかった日本共産党が「天皇の政治的発言はなくなったとして」開会式にも参加すると表明したことと、無関係とはいえないだろう。この件については当ブログでも言及したことがある。 

◆ことしのクリスマス・イブは(3)~なんといっても、サプライズは、国会開会式出席表明の共産党だった!(その220151228  

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2015/12/2-2dd0.html 

この問題については、『朝日新聞』は、「保守系の議員も抱える民進党などとの野党共闘も意識して柔軟路線を進めている。今回の対応についてはそうした<柔軟姿勢>の一環との見方もある。」(201741日)と解説していた。 

『毎日新聞』は、次のように伝える(「『赤旗』に元号復活 読者の要望 柔軟路線に 28年ぶり」201741日 夕刊 )。「共産党は昨年の通常国会から、天皇陛下が出席する開会式に幹部が出席し始めた。陛下の退位に関する法整備の議論にも参加し、民進党より先に特例法容認を打ち出した。 長く党を支えてきた赤旗購読者や党員の減少に悩む共産党は、保守層への支持拡大をうかがっている。元号の使用にはそうした思惑もあるようだ。党によると、赤旗の発行部数は日刊紙と日曜版を合わせて約113万部。党関係者は1日、『元号の慣習的な使用には反対しない。読者の要望に応えた』と説明した。」  

 共産党が共闘を探る、その民進党が、いまのような有様では、その「野党共闘」「柔軟路線」はすでに意味も薄れ、こんなことで、保守派の取り込みができるとは思えない。 

 

  「象徴天皇制」、その背後で
「象徴」が付される「天皇制」って、何なのだろう。私たちがかつて学校で学び、そしてまもろう、まもってほしいと努めてきた平和と自由と平等をうたう日本国憲法は、どこへいってしまうのか。そもそも、主権在民や平等とは両立しない「象徴天皇制」を擁しながらも、その本質が持つリスクをなんとかなだめつつ、憲法をまもっていきたい、国にはまもらせたいというのが、いまの正直な気持ちである。しかし、これまでも、元号・日の丸・君が代の法制化、皇族の死去や結婚などのたびに、そして、皇族の活動が活発になればなるほど、「象徴天皇制」の名のもとに、というより「象徴天皇制」を「かくれみの」として、政府は、市民の生活や思想の自由を徐々に、徐々に、脅かし続けていくだろう。もはや、天皇や皇族個人の心情や願望とは無関係に、事態は進んできてしまった。

 

災害の避難所の床にひざを折っての言葉がけや戦争犠牲者への長い祈りによって、励まされ、慰められ、感動する人々はいるだろう。しかし、被災者や遺族が、現実に立ち返ってみれば、生活環境が劇的に改善され、それぞれの不安や心痛が解消されるわけではない。それどころか、政府は、基本的な解決策を持たないまま、原発再稼働や輸出を促進し、安全保障体制を強化、軍拡を進めている。被災者や犠牲者の心情とは真逆の方向に突き進んでいるのが、現実である。

 

天皇夫妻が、皇太子時代を含め、沖縄訪問を重ねるが、戦争犠牲者に祈りを捧げ、沖縄の伝統文化を愛でる一方、沖縄をがんじがらめにしている米軍基地に一言も触れ得ず、平和を語るむなしさが、「象徴天皇制」の象徴的な姿のようにも思う。 

 

代替わり前夜でなされようとしていること
   
最近の新聞では、代替わり企画の先取りともいえる、天皇中心の平成回顧が盛んである。「退位特例法」が成立前後から、各社さまざまな連載が始まった。私は、とくに天皇と沖縄の関係に着目しながら読むことにした。直近で、手元にあるものだけでも以下の通りだ。 

①『東京新聞』:「沖縄と戦争を思い続け」<象徴天皇 いのちの旅3>(53日) 

②『朝日新聞』:「沖縄訪問 両陛下の信念」(下)<平成と天皇・第2部 平和を求めて(下)>(811日) 

③『毎日新聞』:「象徴として 第1部・沖縄への思い15」(831日~95日)

 朝日の②は、2017411日から、「平成と天皇・プロローグ 退位をめぐる攻防」として 連載が始まり、5月には「平成と天皇・第1部 退位これから」へと続いた。上記の三本の記事の基調は、いずれも、沖縄県民の「皇室」に対する「複雑な感情」が、平成の天皇夫妻の皇太子時代からの沖縄への「思い」「心遣い」と合わせて10回に及ぶ「訪問」によって、沖縄の人々の気持ちを変えていったという流れであった。「複雑な感情」の要因は、「沖縄戦」での多大な犠牲者が出して「天皇のために戦争し」、「戦争が終われば突き放されたことに県民の怒りがあったため」とする、故大田昌秀元沖縄県知事の言葉に表れているとするのが、①の記事であった。「突き放された」とは、昭和天皇が終戦2年後、連合国軍総司令部(GHQ)に沖縄占領の継続を望んだとされることを指すとも語られる。いわゆる「天皇メッセージ」と呼ばれるものである。また、③では、天皇夫妻に直接面談した大田元知事をはじめ、沖縄について進講した有識者たち、訪問の際、案内役を務めたひめゆり同窓会事務局長、対馬丸記念会理事長らは、だれもが夫妻の沖縄への深い思いに接して感動したという証言にまつわるエピソードが、切り取られて綴られている。こうしたエピソードや報道の共通点は、天皇夫妻と直接ことばを交わしたり、直接声を聞いたりした人たちの体験が基本になっている。それだけに、非常に情緒的な受け止め方に終始する。そんな体験をなし得ない一般国民との違いは明らかであろう。しかし、繰り返される、こうした報道が、いわば、大掛かりな代替わり報道の助走のような役割を果たしているのではないか。

 

ざわつく中で、親天皇へ 

さらに、上記の報道に登場するような、直接体験を経ない人たちで、これまでは、少なくとも、皇室や天皇と距離を置いていた人たち、「日本にとって、天皇制の問題は難しい」とその考え方を明確にしなかった人たち、さらには、立憲主義と天皇制は相容れないものと主張していた人たちが、近年、急にざわつき、いまの天皇・皇后は、なかなかリベラルな平和主義者である、国民に寄り添う姿勢がまっすぐに伝わって来る、天皇夫妻の慰霊と祈りの旅には、心打たれるものがある、というような声が聞こえ始めたのである。 

テレビの、ワイド番組や報道番組のコメンテイターになるようなジャーナリストやタレントや評論家は、もう当然のように、天皇に関しては、敬称と敬語をぎごちなく使い、無難なコメントか、まったくしないでスルーするか、いまの天皇夫妻をねぎらう発言があるくらいである。 

そんな中で、リベラル派とされ、多分野で活躍中の内田樹が「天皇主義者」になったと、取りざたされたので、ブログ「内田樹の研究室」で『月刊日本』(20175月)のインタビューを読んでみた。その末尾に、つぎのような発言があった。 

「両立しがたい二つの原理が併存している国の方が住みやすいのだ」と言いたい。単一原理で統治される「一枚岩」の政体は、二原理が拮抗している政体よりもむしろ脆弱で息苦しい。それよりは中心が二つの政体の方が生命力が強い。日本の場合は、その一つの焦点として天皇制がある。これは一つの政治的発明だ。そう考えるようになってから僕は天皇主義者に変わったのです。」

 

つまり、「両立しがたい二つの原理」とは、天皇制と立憲デモクラシーを指すのだが、日本に、天皇制に拮抗するほどの立憲デモクラシーが確立しているのかも疑問な現状である。すなわち「日本国憲法」の第一章は「天皇」。「日本国民統合の象徴」であって、「この地位は、主権の存する国民総意に基く」という条文の「象徴」、「総意」が何を意味するのかも明確ではない。 

先のいわば「天皇キャンペーン」ともいえる情報があふれるメディア社会、それと現在の天皇夫妻への心情的な、人間的な傾倒、それは「人気」にも連動し、政権の暴走の歯止めのような役割を期待する社会が出来上がるが、結局は、天皇の言動が、現政権への監視・抑止機能を果たし得ることは、憲法上不可能な上に、むしろ、体制への不満の受け皿ともなり、補完機能を果たすことになっているのではないかと考える。とすると、二つの楕円は幻想にも近い。天皇が替り、逆に、強権的な言動がなされる場合も当然想定してみるとよい。さらに、上記インタビューでは、昨年8月の天皇のビデオ・メッセージは、全身全霊で果たすべきは「祖霊の祭祀と国民の安寧と幸福を祈願すること」を自ら宣言した画期的な「おことば」と受け取らなければならない、ともいう。 

 こうした考え方が「天皇主義」といえるのかどうかも分からないが、天皇の人権は、さらに狭まってゆくことになろう。 

 こうした内田のようにかつての自らの主張を変えたり、あるいは明確にして来なかった「作家や知識人、政治家らがこのところ、つぎつぎと宗旨がえしつつある」として、その「思想的退行」を指摘する論者もいる(辺見庸「天皇主義宣言の思想的退行」『生活と自治』20179月)。 

 

短歌の世界でも 

同じようなことは、私が長年、眺めて来た短歌の世界でもみられる現象である。すなわち、これまでも何度か書いても来たことだが、「歌会始」の選者になったり、「歌会始」の席に陪聴者として招かれたりして、一度、二重橋を渡った歌人たちは、どういうわけか、「天皇と親しく」なって帰って来て、近頃は、安心して、それとなくあちらの様子を語り出す歌人も多くなった。さらに、これまで、「歌会始」について沈黙していた歌人やまだ二重橋を渡っていない歌人たちも、「歌会始」の世界の魅力を語り、「歌会始」へ疑義を無視するようになったのである。 

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2017年6月29日 (木)

71年前のきょう、1946年6月29日、何があったのだろう

 きのうの朝日新聞の夕刊「あのとき・それから」の記事で、629日は、GHQの意向を受けた文部省が全国の国公私立学校に対して、「奉安殿」撤去の通牒を出した日と知った。

 

 梅雨のさなかのことだったのだなァと、「奉安殿」については、いま思い起こすことがある。私たち家族は、母の実家のある千葉県の佐原(現香取市)に疎開していた。私は、敗戦の翌年4月、佐原小学校に入学している。明治36年(1903)生まれの母が結婚前、教師として勤めていた学校でもある。入学当初の想い出は、情けないことにほとんど消えてしまっているのだが、母の実家から、町の中心部から離れた馬市場の跡、管理人さんが住んでいたという、何本かのつっかえ棒のある古い家に転居した。そこは疎開者にとっては、ありがたい場所だった。一家で、市場の広い草原を畑にして、食料不足を補うことが出来たのである。母は、あの日、近くの農家と共同で使用していた井戸端で、敗戦のニュースを聞いてきたらしく、「日本は負けたんだって」と伝えられたことを覚えている。 

 その翌年、私は小学校に入学した。「ホウアンデン」の前では礼をしなさいと教えられたことは覚えていないのだが、ある日、先生が「あしたからは、ホウアンデンの前で、お辞儀をしなくてもいいことになったのよ」と言われたことは鮮明に覚えている。その日は、朝から雨で、階段の下から「さしていた傘を横にどけて、きちんとお辞儀をしてきたのに」の思いがあったのに、「どうして?」の気持ちであったのだろう。それが、何日のことかはもちろん不明だが、私たち、母と中学生だった次兄の三人は、父や長兄に遅れて、夏休みに池袋の焼け跡に建てたバラックに引っ越している。たった一学期だけでの転校であった。だから、先生の指示は、たぶん、7月の初めか中旬のころだったのだろうか。

 

 「奉安殿」とは、18901030日、明治天皇から内閣総理大臣山県有朋、文部大臣に下賜されたのが教育勅語と翌年、文部省から下付された明治天皇の御真影を保管するための場所である。全国の国公立学校は神社風の小さな建物や別置するための部屋を設けた。保管場所としての「奉安殿」の建設が盛んに奨励されるようになったのは、1910年代から1930年代で、天皇制教育の象徴的な存在となった。

 

 敗戦後の奉安殿の撤去について、手元にあった事典とネット検索でヒットした以下の資料でたどってみた。 

①多木浩二『天皇の肖像』岩波新書 19887 

②籠谷次郎執筆「御真影」「教育勅語」『天皇・皇室辞典』 岩波書店 20053 

③白柳弘幸「東京都と神奈川県の奉安殿遺構調査」『法政史学』68号 20079 

④小野雅章「戦後教育改革期の学校儀式と御真影再下付問題」日本大学教育学会紀要 46号(2011年)。著者は、冒頭の記事にも登場し、未見ながら同じ著者による近著に『御真影と学校 「奉護」の変容』(東京大学出版会 2014年)があるようだ。

 

 冒頭の記事にあった1946629日に至るまでには、曲折があったようである。19451215日、「国家神道、神社神道に対する政府の保証、支援、保全、監督並びに弘布の廃止に関する件」(以下カタカナをひらがなに書き換えた)というGHQから終戦連絡中央事務局経由の日本政府に対しての覚書である。「国家神道の物的象徴となる凡てのものを設置することを禁止する、而して之等のものを直に除去することを命令する」という、いわゆる「神道指令」であった。一週間後の同月22日には、文部次官より地方長官、学校長への通牒には、「學校内に於ける神社、神祠、神棚太麻、鳥居及注連縄等は撤去すること。尚御真影奉安殿英霊室又は郷土室等に付ても神道的象徴を除去すること」とある。その後も、教育現場と文部省とのやり取りの中で、「この際、撤去することを適当と認める」「形式の如何を問わず独立の建物として奉安殿を撤去すべき」「神社形式ではない奉安殿まで撤去する意向ではない」「撤去できないものは原形をとどめないように」とか様々な混乱があったようだ。そして、19466月の文部次官通牒に至るが、必ずしも撤去が徹底していたわけではないようで、各地に、その遺構が見出されることにもつながる。

 

 文献④によれば、宮内省の「御真影」を新たな制服による写真を再下付するという通達を受けて、19451220日文部次官通牒「御真影奉還に関する件」が出された。「御真影」の一斉回収は実施されたのだが、「御真影」自体を否定するのではなく、基本的な変更はなかったという。 

 194645日宮内次官による各省次官あての通牒に付された「御写真取扱要綱」は、「国民が日本国の元首、国民大家族の慈父として深き敬愛の念を以て仰ぎ奉るべきものとし」、写真は仰ぐに適当な場所に「奉掲」するものとするが、「拝礼」を強制してはいけないこと、奉安殿などに「奉護」しないこと、を内容とするもので、これについては、1946710日のCIEの「日本の学校における教育勅語と御真影の取扱い」という覚書で追認される形となった。

 

 「教育勅語」については、森友学園問題で、系列の幼稚園で「教育勅語」を暗唱させるような教育の実態が明らかになって、にわかに注目されるようになった。1946108日、文部次官通牒により「教育勅語を以て我が国教育の唯一の淵源となす従来の考えをなくすこと、式日などに奉読をしないこと、勅語及び詔書や謄本などは学校で保管するものの神格化するような扱いをしないこと」とした。113日日本国憲法の公布、19473月教育基本法の公布を受けて、1948619日衆議院・参議院において教育勅語の排除、執行確認が決議された。こうした経過は、今回の森友学園問題の審議で知られるところとなった。この両院の決議にもとづいて、625日には文部次官通牒により教育勅語の謄本の返還が命じられたという経緯であった。

 

 朝日の記事に戻れば、戦前、根津嘉一郎が理事長だった旧制武蔵高校が、「奉安所新築」を三度も見送って軍部に抵抗する気骨を示したことやキリスト教系の学校は「建物や設備が整わず御真影を受け取るのはかえっておそれ多い」という理由で先延ばししていた例が書かれていた。

 

 こともあろうに、2017331日、森友学園の「教育勅語」教育が問題になっているさなか、安倍内閣は、戦前・戦中の教育勅語を学校教育で使うことについて、「勅語を我が国の教育の唯一の根本とするような指導を行うことは不適切である」とした上で、「憲法や教育基本法等に反しないよう な形で教材として用いることまでは否定されることではない」と、何とも不可解な閣議決定までしたことは、記憶に新しい。

 

私が「お辞儀」をしていた佐原小学校の奉安殿は、その後どうなったのだろうか。転校した池袋第二小学校の校舎は空襲で焼失、1年生の教室は近くの重林寺の本堂であった。二年になると、子供の足ではかなり遠方の要町小学校に間借りしていた教室に通った。二部授業ということで午後に登校することもあった。新校舎が完成したのは、1947年の夏のことだったろうか。御真影も奉安殿も、教育勅語の記憶は一切なく、学校も、先生もそれどころではなかったのではないか。

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小学校一年一学期、佐原の諏訪神社近くの諏訪公園に立っていた「伊能忠敬」の銅像の写生画。画用紙ではないわら半紙のような紙に描いた絵。母が新聞紙などで裏打ちをして残しておいてくれた、私の絵。右肩にくしゃくしゃになった銀色の紙、先生が銀賞をくださったのだろうか、下方には、壁に貼付したような張り紙も見える。母が必死で残してくれた佐原小学校の想い出の品である

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2017年5月23日 (火)

土曜日は、共謀罪についての講演会~私たちはどこまで危険にさらされるのか

 連日、気分が悪くなるような政治家や官僚の発言や政局の動きを目の当たりにしています。こんな風にして、法律が成立し、運用され、国民は、安心・安全どころか、暮らしの不安がつのり、危険にさらされていくのをこらえていかねばならないのか、と思ってしまいます。私たちの世代ももちろんですが、これからの若い人たちの歩む道は、いっそう険しいことになるに違いないと思うのです。

 今日にも、共謀罪は衆院本会議で可決されようとしています。緊迫した空気を肌に感じながら、パソコンに向かっています。

 土曜日の20日は、明治大学リバティ・タワーの一室で開かれていた澤藤統一郎弁護士の「共謀罪―その危険な本質と狙い」という講演会(ちきゅう座主催)に参加しました。そのお話の内容を、私の理解の限りでまとめてみると・・・。

 今回の「共謀罪」は、321日、政府が国会に提出した法案では「テロ等準備罪」と言い換えましたが、「組織的犯罪処罰法」の改正案で、2003年から3回提出されていましたが、いずれも廃案になり、2009年以降、法案提出の動きはなかったのです。

安倍内閣は、急きょ、昨年から、共謀罪新設は、オリンピックを控えてのテロ対策として、「国際組織犯罪防止条約」(TOC条約、2000年採択)締結のための必須要件として、その必要性を強調し始めました。しかし、そもそもTOC条約は、マネーロンダリング対策などが主目的で、テロ対策が目的ではありません。テロ対策のための条約としては、すでに日本も「爆弾テロ防止条約」「テロ資金供与防止条約」などの国連条約やその他8つの国際条約を締結、国内法も整備しているわけで、今回の「共謀罪」とTOC条約とは、連動するものではなく、別個の問題です。殺人罪などの重要犯罪には、刑法上準備罪・予備罪も規定されています。

では、なぜ、安倍政権は、共謀罪の新設を急ぐのかといえば、

広範囲の人と行為を、早い時期から、捜査の対象とすることができる

捜査機関、とくに警察の判断で、情報収集や捜査を開始することができる

特定秘密保護法(201312月)、盗聴法の拡大、司法取引を導入した刑事訴訟法の変更(20165月)とあいまって、一般市民の監視を強化することができる

・・・・

要するに、「共謀罪」新設は、安倍政権の、一強体制のうちに、改憲へと突き進みたいための地ならしであり、同時に、一般市民への監視体制を強化して、不都合な市民の発言や活動を抑止したいがためなのだろうと思いました。

 

駿河台の街路樹のもとには、心地よい新緑の風が吹き抜けます。お茶の水駅前のスクランブル交差点には、週末にもかかわらず若い人たちが行き交っていました。いたって静かで、のどかな学生街ながら、気持ちはどこか晴れない一日となってしまいました。

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3年ぶりの剪定のビフォー・アフターです。せっかくのヤマボウシ、残念だったのですけれど。晩年は室内犬となった、主のいない犬小屋は片付けられないでいます。

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