2024年8月10日 (土)

8月8日は何の日だったか、2016年のこと、忘れはしません。

 8月6日と8月9日、広島と長崎に原爆が落とされた日の間の8月8日しか選択肢がなかったという。明仁天皇が生前退位を表明するビデオメッセージが放映された日である。

 明仁天皇にも忘れてはならない日が四つあるとか。私にも忘れられない日はいくつかあるが、近々では、親の命日を忘れて過ごしてしまうことはあっても、この8月8日は忘れることができない。

 というのも、あの日から、天皇制に関する世の中の風向きがかわってきたようにも思えるからである。その約一カ月前の7月13日の夜7時のNHKニュースで、唐突に生前退位の「お気持ち」報道がなされたのである。どこからのリークだったのか、頃合いを見ての報道であったのか、なんともきな臭い生前退位表明であった。当初はこの報道を否定していた宮内庁サイドであったが。

 私は、現憲法下で、天皇自らが生前退位の意思表明ができるのか否かが疑問であった。メッセージの中身といえば、加齢によりしくじることもままあり、公務が負担になったこと、昭和天皇から代替わりのときに生じた社会のさまざまな混乱を避けたい、といったことが語られた。本来「公務」というならば、国事行為だけのはずが、平成期の天皇は皇后をともないながら「公的行為」という曖昧な領域における活動を盛んに行ってきたのである。昭和天皇から引き継いだ国民体育大会・植樹祭・豊かな海づくり大会などの行事にとどまらず、戦没者慰霊、災害地訪問、福祉施設訪問などを積極的に増やし、誕生日、外国訪問、さまざまな行事の際の記者会見や「おことば」の発信という場も拡大してきたのは、天皇自身の意向ではなかったのか。

 明仁天皇は、たしかに、昭和天皇の1988年の「下血報道」や様々な場での「自粛」の横行を目の当たりにしていたので、あの「騒動」はやりきれない、という思いは理解できる。しかし、自ら拡大してきた「公務」が負担になったからというのは、私には腑に落ちなかった。

 一方、世間では「長い間、ご苦労様でした。ゆっくりお休みください」と理解を示した。同時に、政治の世界では、2016年9月「天皇の公務負担軽減などに関する有識者会議」という諮問機関が立ち上げられ、2017年4月21日最終報告書がまとめられた。政府、国会では「静かな環境のなかで」天皇退位特例法が審議され、参院全会一致で、2017年6月9日成立、天皇の終身制は不動とし、一代限りの退位容認となった。

 2019年5月1日、新天皇即位日程を挟んで、長い間、明仁天皇夫妻への国民に寄り添う発言や振る舞いへの讃美報道や記事が続いた。そして、平成を語るのに天皇夫妻の短歌まで動員して情緒的なヒストリーが作り上げられていったのである。

 そして、代替わりに伴う諸儀式をさまざまな映像で見る限り、「日本国民統合の象徴である」天皇がなすべき行為であったのか、「主権の存する国民の総意に基く」地位にある天皇がなす行為であったのか、はなはだ疑問である。神話にもとづく儀式であったり、伝統儀式といっても、長い歴史の中で、定着しているはずもない手続きであったり、まず法律的な根拠もない中で、皇室や国民の日常とはまったくかけ離れた束帯や十二単姿で歩む映像は異様であった。天皇を仰ぎ見て、首相や招かれた人たちが万歳三唱する姿は、平等や国民主権にも悖り、滑稽にも思われた。

 即位・大嘗祭違憲訴訟の原告でありながら、集会や傍聴にも参加できないまま、このたび、控訴をひかえた集会に是非ということで、話をすることになった。まずは体調管理につとめないと・・・。

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なぜ私たちは天皇制に反対しているのか 
即大訴訟控訴審に向けて8・31集会

202年8月31日(土)18時~
文京区民センター2A

講演:内野光子「短歌と勲章~<歌会始>という通過点」

主催・即位・大嘗祭違憲訴訟の会

詳細は下記をご覧ください

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2024年5月19日 (日)

皇族たちの”公務”って~愛子さん、佳子さんの”働き”を通じて

愛子さんの「夢“みる光源氏」見学が「公務」ですか

 愛子さんの日赤就職のニュースとともに、4月1日からの勤務と成人皇族としての活動の両立をはかるとの報道がなされた。さらに、5月11日には「 初めての単独公務で平安文学に関する特別展」に出かけたことが報じられていた。

「平安文学に関する特別展」とは、東京の国立公文書館で3月から開催中の「夢みる光源氏‐公文書館で平安文学ナナメ読み!‐」で、5月12日が最終日だったのである。この特別展は、今年のNHK大河ドラマ「光る君へ」と連動しての企画であったのだろう。

なぜこれが「公務」なのか?違和感があったので、宮内庁のホームページで4月以降の愛子さんの単独での活動を調べてみた。

4月10日 明治神宮参拝(昭憲皇太后110年祭)
4月11日 仙洞御所(上皇・上皇后)訪問(大学卒業・就職の挨拶)
4月14日 雅楽鑑賞
4月25日 武蔵野陵・東陵参拝(昭和天皇・皇后陵)(大学卒業・就職の報告)
5月11日 国立公文書館訪問(特別展「夢みる光源氏‐公文書館で平安文学ナナメ読み!」見学)

 こうしてみると、5月11日前の4つの事案は当然のことながら、公務とはいえず、私的行為である。祖父母への大学卒業・就職の挨拶、昭和天皇墓前への報告はもちろん、神社参拝という宗教的な行為は、公的行為ではあり得ない。とすると、雅楽鑑賞が私的行為という位置づけになるが、上記特別展見学とは何が異なり、「公務」になったのかが不明である。一つ思い当たることと言えば、「主催者の願い出」により訪問したという報道であったが、「願い出」に応じると公務?というのもおかしな論理である。

天皇の「国事行為」については憲法上の定めがあるが、「国事行為」以外の天皇はじめ他の皇族たちについての行為や活動についての法令上の規定はない。宮内庁のホームページには、天皇の「宮中でのご公務など」として、以下のように例示し、あわせて、「行幸啓(国内のお出まし)」と「国際親善」が挙げられている。

新年祝賀・一般参賀/天皇誕生日祝賀・一般参賀/親任式/認証官任命式/勲章親授式/信任状捧呈式/ご会見・ご引見など/拝謁・お茶・ご会釈など/午餐・晩餐園遊会/宮中祭祀

 これらの行為は、法令に基づかない行為ながら、天皇以外の皇族をも含めて、純然たる私的行為と区別して、慣例として行われてきたにすぎない。いわゆる「公的行為」として、実施されてきた行為・活動であった。

 とくに、平成期における天皇・皇后は、災害被災者・被災地訪問、戦地慰霊の旅、福祉施設などの訪問、全国的な行事―植樹祭・国民体育大会・豊かな海づくり大会・国民文化祭・歌会始への参加、全国的な各種団体の美術展・コンサート鑑賞などの文化的な行為に積極的に取り組んできたことは確かである。「国民とふれあい、国民に寄り添う」と喧伝されて、結果的にどんどん拡大してきた「公的行為」であったとも言える。それに重なる宮中祭祀の負担も大きく、背負いきれなくなって、平成の天皇は生前退位に至ったと言えよう。

 令和期は、コロナ禍に見舞われ、活動全体が縮小したが、天皇皇后は、平成期の在り様を目指しながら、戸惑っているようにも見える。そうした中で、宮内庁サイドの広報強化策によって、愛子さんの「公務」は、どのように演出されていくのだろうか。

 佳子さんのギリシャ訪問が「公務」ですか

  佳子さんについても、宮内庁のホームページで、4月以降の単独での活動を調べてみると、4月1日全国高等学校女子硬式野球選抜大会観戦、4月12日林野庁長官の説明(森と花の祭典参加準備)、5月10日伝統工芸染色展・陶芸展見学以外は、5月25日から6月1日の日程でのギリシャ訪問関連の事案で、ギリシャ事情に詳しい専門家の進講4回受けている。他に、このギリシャ訪問を昭和天皇陵に報告し、5月16日には、ギリシャ代理大使による昼食会に招かれている。ギリシャと日本との外交関係樹立から125年を迎えるにあたり、招待されたものであるという。

 今回、進講が重ねられているには、訳があるらしい。昨年11月のペルー訪問の際、その先々での発言というか、随行記者に問われての感想がお座なりだったり、案内人への質問が的外れだったりして、ネット上での批判が多かったということである。私が知らなかったことなど以下の記事に詳しい。

「佳子さま ギリシャご訪問に“観光旅行”と批判再燃の懸念…前回ペルーでは「語彙力がない」と批判噴出」(『女性自身』2024年05月15日 )
https://jisin.jp/koushitsu/2324605/

  そこで今回のギリシャ訪問に際しては入念な事前準備がなされたのではないか。「公式訪問」と銘打たれた国際親善も、いわゆる「公的行為」、「公務」とみなされているのが現状である。

そもそも皇族の「公務」は必要だったのか

 天皇の国事行為と純然たる私的行為の間の広く曖昧な部分を公的行為として「公務」とみなし続けてきた慣例、その公務を拡大してきた経緯を見直すことなく、公務を担う皇族が減ってしまったから、何とかその担い手を確保したくて、出てきたのが有識者会議での一案、女性皇族が結婚しても皇族に残るとする案であった。共産党、れいわが反対をしている。他の党は大筋で認めているが、その細部については不透明で、今国会で協議が始まったものの、どこに着地するかは分からないのが現況である。
 「公務」の担い手を増やすより、とりあえず「公務」を縮小することをなぜ考えないのだろう。公務が減っても、国民生活に何の支障もきたさない。困るのは、宮内庁なのではないか。皇族たちが「国民とふれあい、国民に寄り添う」機会が減少して、メディアへの登場も減り、皇室自体への関心が薄れることを一番おそれているはずである。同時に、これまで、天皇はじめ皇族たちの「公務」によって、さまざまな恩恵を受けてきた政権にとっても、その縮小は不都合なのではないか。戦死者慰霊や被災地訪問、施設訪問などに見るように、政権の不始末や失政を補完したり、国民の目を反らさせたりしてきたからである。

 そんなことを考えているときに、若い弁護士の堀新さんつぎのような文献を見つけて意を強くした次第なのだ。

「すべての公務を廃止しても問題はない」皇族に残る佳子さまのために考えるべきこと「皇室の存在意義」はどこにあるのか
PRESIDENT Online 2021年11月2日
https://president.jp/articles/-/51456?page=1

そして行き着くのは、皇室自体、天皇制自体の存在意義なのである。

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2階のベランダに洗濯物を干しに出たら、ヤマボウシが一気に白い十字の苞を開き、花のようであった。

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2024年4月24日 (水)

苗字を持たない人たちの人権はどうなるのか、しかし、その前に

  先に、安定的な皇位継承の在り方についての有識者会議報告書をめぐる各党、メディアの対応を当ブログ記事にまとめた。そのあと、断捨離の一環で、袋詰めの資料を整理していたが、皇室関係の切り抜きの一袋を開いたところ、つぎの記事の見出しが飛び込んできた。「うーん、これって、いったい、いつのこと?」と読んでみると、自民党が「女性天皇」と「自らの退位可能」=生前退位を認める方針を固め、皇室典範改正の検討を開始した、というのである。2001年5月9日の読売新聞だった。20年以上前、そういえば小泉首相の時代だったかも。紙もだいぶ劣化しているので、背景処理してコピーしたものだ。

 先週4月23日には、春の園遊会が開かれた。最近のメディアは、もっぱら愛子さんにスポットを当てているのを見ていると、世論調査の結果や今回の女性皇族は結婚しても皇族として残る案への傾斜を示しているように思われた。

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自民党が皇室典範改正の検討を早めたのには、前年の2000年に皇太子妃の雅子さんが流産したことがきっかけになったと思われる。

  今般、4月19日、皇位継承に関する自民党の懇談会では、2021年にまとめた有識者会議の二案 ①皇族女子が結婚後も皇族に残る ②旧皇族男子との養子縁組による皇籍復帰できる、の両案を妥当とするものだった。これまで、自民党の態度が決まらなかったのは、①案が女系天皇・女性天皇につながりかねないという懸念からだった。しかし、20年以上前は、「女性天皇」を認める方針だったことになる。
 おおよそ時代ごとになっている袋を開いていくと、皇位継承をめぐる記事がいくつか出てきて、その経緯を、あらためて知ることになった。こうしてみると、皇族たちは、なんと時の政府に翻弄されてきたことかがよくわかる。

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 2001年5月には、雅子さんの懐妊が発表され、12月に愛子さんが誕生する。2005年11月、小泉首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」の報告書は、女性天皇、女系天皇を容認するものだったが、 2006年2月秋篠宮の紀子さんの懐妊の発表、9月に男子悠仁さんを出産すると、即日、皇室典範改正は見送りとなった。つぎの安倍首相はもともと男系維持論者であったため、以降、皇室典範改正は棚上げされた。

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現行の皇室典範によれば、当時の徳仁皇太子から文仁秋篠宮、悠仁さんへと皇位は継承される。もし、皇室典範改正されて、第一子優先の女系天皇・女性天皇が実現されていたら、徳仁、愛子、文仁、眞子、佳子、悠仁さんの順位となるはずであった。

  2009年9月、政権交代で民主党鳩山内閣に続いて、11年、野田内閣のもと、女性宮家創設を検討し始めた。小泉時代の「皇室典範に関する有識者会議」の報告書を下敷きに、「女性宮家」は一代限りの皇族となることを前提で、子どもが生まれても皇位継承権はないというものだった。しかし、2012年12月、第二次安倍政権が発足すると、「女性宮家」は、検討対象とはしない方針を固めている。安倍首相は自らの持論も踏まえ、自民党内保守派の男系維持論に与したことになる。

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  そして、2016年8月、明仁天皇の生前退位の意向表明がなされたのを機に、2017年6月には、生前退位特例法成立、2019年5月1日に徳仁皇太子が天皇になり令和期に入る。

その後も、皇位を継げる男子皇族は秋篠宮文仁、悠仁さんの二人であることには変わりがなく、「安定的」な皇位継承対策は、重要課題となっていて、2021年11月の有識者会議報告書の二案に至ったわけである。
 しかし、その内容は、当ブログ記事にも書いたように、何ともお粗末な、時代離れしたもので、二案とて、「安定的」な皇位継続が見通せるものではない。

 現在の皇室典範自体が憲法に定める人権に抵触しているし、二案による改正がなされれば、天皇家の人々、皇族の人たちの人権はむしろ広く縛られることになるのではないか。そうまでして皇位を継承して、天皇制を維持しようとする人たちは、皇族たちをなんとか利用しようと企んでいるようにも思えてくる。国民の多くは、特に若年層にとっては無関心、あるいは週刊誌的興味からながめているのではないか。

 皇位継承問題が浮上した今こそ、私たちは、憲法の基本原則と両立しがたい「第一章天皇」を持っていることを、真剣に考えなければならない時だと思う

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2024年4月18日 (木)

安定的な皇位継承って何?~「天皇家」の存続を願う人たち

各党の対応

 2021年12月、安定的な皇位継承の在り方について検討した有識者会議の報告書が政府に提出された。22年1月には国会に提出されている。昨年末、衆議院議長より、各党に見解を早急にまとめるよう要請した。

有識者会議の報告書に示された二案というのが、(一)女性皇族が結婚後も皇室に残る案、(二)旧皇族の男系男子を養子に迎える案であった。各党はにわかに意見書をまとめ、議長に提出し始めた。

しかし、上記の二案では、安定的な皇位継承ができるかの具体策は見えない。その二案と言っても、よそ様の家に向かって、女性は結婚後も実家に残って仕事をせよ、(直系の男子がいなければ、)血のつながった男系の親類から男子を養子に迎えなさい、と言っているに等しい。天皇家の各人に、法律でそんなことを強制できるのか。結婚の自由や人権の番外地と言って済むものなのか。

 にもかかわらず、各党が議長に提出した意見書などによると、上記二案への対応は以下の通りと理解した。

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この表を作成のさなか、「読売新聞」オンライン記事で以下の表を見つけた。ご参考までに。
「政府有識者会議報告書2案に対する主な与野党の立場」(2024年4月16日)
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 なお、自民党は、4月19日の懇談会で、両案妥当の方針が固まった。それを踏まえて、毎日新聞は、以下のような表にまとめた。シンプルで見やすいかもしれない。

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 まとめてみて、あらためて驚いた。こんなにまでして、「天皇家」をまもりたい人たちがいるということだった。長い歴代の「天皇家」の継承が、グダグダであったことは、歴史的にも明らかなのに、これから先も、旧皇族の男系男子にこだわる(二)案、さらに国民民主党や自民党のいう「直接皇族」の付与など、皇族を離脱して80年近くにもなる旧皇族の子孫をたどることになるのだろうか。この時代に、現実離れした案としか言いようがない。立憲が、(二)案について、「法の下の平等」の観点から憲法との整合性を検討すべきなどとの見解をしめすが、むしろ滑稽にも思える。「天皇家」の存在、天皇制自体と憲法との整合性が問われなければならないのに。

メディアの対応

メディアは、有識者会議の二案と各党の見解をどう報じ、論じているのかを「社説」でたどってみたい。

「日本経済新聞」は、開かれた議論の必要性を説き「皇室への国民の視線は時代とともに変化してきた。近年のいくつかの世論調査で女性天皇の容認論が多数を占めていることも、多様性を重んじる現代社会の考え方の表れだろう」とし、「皇室の伝統と安定、皇族の方々の理解をどう調和させるのか。日本社会として制度を大事に守るのなら、私たち一人一人がその将来像を真剣に考える必要がある」と結ぶ(「皇室の将来見据えた継承策を」2024年1月2日)。ここでは、「皇族たちの理解」に言及し、「日本社会として制度を大事にまもるのなら」と、国民に対して「制度」自体への問題提起をしているようにもとれる結語であった。

「読売新聞」は、「皇族数の減少は、皇室制度の存続にかかわる問題だ。令和も6年となった。政府と与野党は様々な課題を放置せず、結論を出すべき時期にきているのではないか」とし、皇族女子は、「歌会始や国民の幸せを祈る 祭祀さいし など宮中行事に参加」「海外訪問を通じた国際交流」「スポーツ団体の名誉総裁などの立場で競技の普及」などを担っている現状から「皇族女子の離脱が続けば、様々な公務の継続は難しくなる。婚姻後も皇族の身分を保持できるようにすること」は、検討に値すると、(一)案を支持する。(二)案については「長く民間人として暮らしてきた旧宮家の子孫が、唐突に皇室の一員となることに国民の理解は得られるのだろうか。本人の意向を確認する作業も必要だろう」と懸念を示している(「皇族数の減少 多様な公務を担う策考えよ」2024年3月24日)。

「毎日新聞」は「国のあり方に関わる問題である。政治の責任で速やかに結論を出すべきだ」と大上段に論じ始める。皇位継承の維持が、果たして「国のあり方」に関わる問題なのか。(二)案ついては「旧宮家が皇室を離れたのは70年以上も前にさかのぼる。その子孫の民間人が唐突に皇族となることに、国民の理解が得られるのか」と疑問視する。「両案が実現したとしても、一時的に皇族数を確保するための、その場しのぎの策にとどまる」とし、「皇位継承権を女性に広げるかどうか」の議論も避けられないとする。憲法では、天皇は日本の象徴と定められ、「その地位は「国民の総意に基づく」と明記される。与野党は、国民の幅広い支持が得られる制度改正の道筋を示さなければならない」と結ぶ(「皇族確保の政党間協議 もう先送りは許されない」2024年4月10日)。
 皇位継承が途絶えたとして、現在の国のあり方が大きく変わるとも思えない。たしかに憲法第一章を削除しなければならないが、国民の暮らしが変わるとは想像しがたい。困るとすれば誰たちなのだろう。「毎日新聞」は、毎週金曜日に「皇室スケッチ」あるいは「識者に聞く皇室」という記事を連載するが、天皇家のエピソードや秘話などの紹介であり、登場する「識者」たちも象徴天皇制を前提にしての解説の域を出ない。

「朝日新聞」は、有識者の報告書が政府に提出された直後の時点の社説で。両案とも「皇位は男系男子が継がねばならない」という考えが前提で、国民の間に一定の支持がある「女性・女系天皇」の芽を摘んでしまっていると指摘する。
「価値観の一層の多様化が見込まれるなか、報告書の考え方で皇室は安定して活動・存続できるのか」、いずれの案にせよ、「(皇族)本人意思の尊重をどう考えるか」、「与野党の立場を超えた真摯(しんし)な議論が求められる」としている(「皇位の報告書 これで理解得られるか」2022年1月13日)。(二)案は、養子になれるのは男系男子に限るとし、戦後改革で皇籍を離れた旧十一宮家の男子と明記したことについて、「門地による差別を禁じた憲法に違反する恐れ」に応えていないことも指摘しているが、ここには、両案の欠陥、批判はあるが、提案や方向性が見えない。
 「朝日新聞」の不明確な論調を補う意図があったのかどうか、3月13日のオピニオン欄に原武史へのロングインタビュー記事がある。皇位継承問題にかかわり、記者の石川智也の「では、どう皇室の存続を図ってゆけばよいのでしょう」の問いに、「どう存続させるか、ではなく、そこまでして象徴天皇制を維持する必要性があるのか、もはや存廃に踏み込んで議論すべき段階です」と答えている。また、「むしろ右派が逆説的に存廃の話をしているのに、左派リベラルは存続が前提の議論ばかりしています。平成流を過度に理想化し、上皇を戦後民主主義の擁護者かのように仰いでいるのも主に左派です」という指摘も重要である。

 上記の各党の対応でみるように、日本共産党が、天皇制(天皇制度?)を前提に女性天皇、女系天皇を認めるべきだとの見解を示していることでも明らかである。

 私も、最近、ある研究会で、多くは文学におけるジェンダー論やフェミニズムの研究をしている研究者たちから「女性天皇を認めないのはジェンダー平等に反する」とか「女性天皇や女系天皇を否定するのは偏狭ではないか」といった意見が出ていたのを聞いて、マスメディアの論調や世論調査結果などの影響が大きいのではないか、左右されているのではないか、と驚いた。天皇制自体の存廃には踏み込もうとしないマスメディアの責任の重さを思うのだった。

 

 

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2023年11月11日 (土)

紫綬褒章の受章者はどのようにして決まるのか

「またまた、もういい加減にして」の声も聞こえるが、やはり、書きとどめておきたい。
 俵万智(六〇)が二〇二三年秋の紫綬褒章を受章した。多くのマス・メディアには、彼女のよろこびの言葉が報じられていた。短歌関係の雑誌は、どう扱うだろうか。

 紫綬褒章は、内閣府によれば、「科学技術分野における発明・発見や、学術及びスポーツ・芸術文化分野における優れた業績を挙げた方」に与えられるとある。
 1955年に新設された紫綬褒章は、これまでも多くの歌人たちが受章している。近年では、2014年栗木京子、2017年小島ゆかり、今年の俵万智と女性が続いたが、1994年の馬場あき子以来女性は見当たらず、1996年岡井隆、1999年篠弘、2002年佐佐木幸綱、2004年高野公彦、2009年永田和宏、2011年三枝昂之、2013年小池光と男性だった。女性が続いて、歌壇の現状がようやく反映されるようになったとよろこんはでいけない。
 そもそも、受章者はいったい誰が決めるのだろうか。当ブログでも、「文化勲章は誰が決めるのか」の記事を何度か書いてきた。さて、紫綬褒章はどうなのか。

 「褒章受章者の選考手続について(平成15年5月20日)(閣議了解)」によれば、根拠法は、なんと「 褒章条例(明治14年太政官布告第63号)」であって、「明治」なのである。 褒章の種類は、紅綬、緑綬、黄綬、紫綬及び藍綬で、受章者の予定者数は、毎回おおむね800名とし、春は4月29日に、秋は11月3日に発令する、とある。
 「議院議長、参議院議長、国立国会図書館長、最高裁判所長官、内閣総理大臣、各省大臣、会計検査院長、人事院総裁、宮内庁長官及び内閣府に置かれる外局の長は、春秋褒章候補者を内閣総理大臣に推薦し、文書により、あらかじめ、文書により内閣府賞勲局に協議する。内閣総理大臣は、推薦された候補者について審査を行い、褒章の授与について閣議の決定を求める」となっている。

 4月19日は、かつては「天皇誕生日」という祝日で、昭和天皇の誕生日であった。すでに知らない世代も多いのかもしれない。11月3日は、「明治節」、明治天皇の誕生日という祝日であった。 

 なお、内閣府の「栄典の手続き」によれば、その手続きは、以下のようになる。要するに、各自治体及び関係団体、各省庁、内閣賞勲局の間で行ったり来たりしながら、内示の段階でほぼ確定ということになる。つまりは、役人が選考しているので、「文書」にいくつもの押印はあったとしても責任は不問に近い。なお、「栄典に関する有識者」の会議の委員は3年任期で、年に1・2度開催して、栄典の在り方を大所高所からの意見を内閣総理大臣に届けるらしい。その委員たちは、大学教授だったり、会社の社長だったり、他の審議会にも掛け持ちのような「常連」が多い。中には、元内閣官房副長官杉田和弘の名もあった。

 以下、直近の受章者数、その中の紫綬褒章受章者、女性の割合を示し、選考過程の流れを図解してみた。

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 その点、少なくとも民間の、雑誌社やいろんな団体から、歌人に与えらる賞は、選者や選考委員が明確ではある。その先のことは知らないが。

 私は、かねてより、あたらしい憲法のもとでは、国家による勲章や褒章の制度を批判してきたし、結論的には不要と思っている。というより、法の下の平等に反するし、差別――人間のランキングを助長する害悪とも思っている。さらに、選考過程をみると、役人サイドで、綿密に審査がなされているらしいことがわかる。役人たちが、この人なら、「ハメ」を外さない、「安心安全な歌人」として、褒賞されるとみてよい。岸田内閣のような、閣僚、政務官選びの杜撰さとはわけが違うようなのだ。

 

 

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2023年6月12日 (月)

宮内庁広報室全開?!天皇家、その笑顔の先は

 新年度4月以降、宮内庁に広報室が新設されたのと、Coronaが2類から5類に移行し、感染対策の緩和がなされたことが重なり、一気に皇室報道が目立ち始めた。

 5月以降、私自身が新聞・テレビで目についた報道から天皇・皇后はじめ皇族の動向を拾い上げただけでも、以下のようになった。天皇には、内閣の助言と承認を得て行う国事行為について、憲法第三・四条・七条に定められており、国事行為は限定的であり、皇室典範に定めのある儀式は、即位・大喪の礼のみである。たとえば、以下、この一カ月余りの活動は、そのほとんどが私的活動とみてよい。いわゆる「公的行為」について、法律上の基準はなく、平成期における天皇は皇后とともに、この「公的行為」を創出、拡大してきた経緯があり、定着したかのような様相を呈していたが、代替わりとCorona禍により、そうした行為、活動は、中止や縮小、オンラインなどで実施されることが多かった。が、どうだろう、天皇家、皇族の写真や動画が溢れだしたのである。

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 上記の表の備考に、純然たる私的行為と思われるものに「私」を記してみた。そうでないものについて、例えば、戴冠式参列(1953年、エリザベス女王戴冠式に皇太子参列)、園遊会主催(1953年~)、植樹祭参加(1950年~)などにしても、法的な根拠はなく、新憲法下の昭和期、平成期において、たんに「恒例」として実施されてきた行事に過ぎない。行事の筆頭に、第○回と付されているものは、その限りの沿革であることがわかるし、備考欄に、「○年~」と記したものもある。
 今回、突如、発表されたインドネシア訪問は、即位後初めての親善訪問とされ、皇后も同行することが注目されている。この国が選ばれたのは、現在、外交的にも経済的にも密接な関係を保ち、対日感情も東南アジアの中では良好とされているからであろう。

 しかし、アジア・太平洋戦争時1942年から、日本の軍政下にあった三年半の間、コメの強制供出や労務者の強制徴用、さらには、日本語、日の丸、君が代などを強要された世代は、もちろん、犠牲となった現地人の遺族たちの存在も忘れてはならないはずである。彼らには、いったいどのように対応するのか、関係省庁と調整中なのであろう。

 こうした親善の訪問と戦争犠牲者のいわゆる「慰霊の旅」は、平成期に増大した。昭和・平成期において、皇太子時代を含めて明仁天皇夫妻は沖縄へ11回も訪ねていることでも明らかであろう。それに加えて、被災地訪問も随時実施され、「公務など」と括られ、拡大されていった。
 このような「公的行為」には、必ず訪問先や移動時の警備体制や訪問先の受け入れ準備に多大の業務と費用が伴うはずである。「国民に寄り添」うことによって「慰撫され」「励まされ」る人々を生み出したかもしれないが、実質的な解決や成果につながることは、まずなかった。
 令和期の今に至って、こうした「公的行為」の環境が整ったことになるのか。

 また「私的行為」によって、三代にわたる「理想的な」家族像を発信できたとしても、それがいったい何の意味があるのだろう。
 若い人たちは、非正規という不安定な働き方を強いられ、結婚も出産もできない。大事に育てられるべき子どもたちは、家庭や学校で不安定な日々を送っている。社会保険料は値上げされ、高齢者の年金は抑えられ、老後生活への不安は尽きない。
 この現実と天皇家の風景との落差は、何なのか。すべての差別の根源ともいえる天皇制、この辺で、じっくり立ち止まって考えてみなければ。

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2023年1月13日 (金)

「國の會ひにまゐらんものを」~変わらぬ女性の願いと壁

『女性展望』1・2月号の巻頭言に寄稿しました。

 『女性展望』はなじみのない方も多いと思いますが、市川房枝記念会女性と政治センター発行の雑誌です。

 1924年12月、久布白落実、市川房枝らが中心となって婦人参政権獲得期成同盟が発足、翌年、婦選獲得同盟と改称し、1927年には機関誌『婦選』を創刊します。『婦選』は、その後『女性展望』と改称し、女性の参政権獲得運動の拠点にもなった雑誌です。1940年、婦選獲得同盟が解消を余儀なくされ、婦人時局研究会へと合流する中で、『女性展望』も1941年8月に終刊します。

 敗戦後、アメリカの占領下で婦人参政権を獲得するに至り、市川は、1947年、戦時下の活動から公職追放、1950年の追放解除を経て、日本婦人有権者同盟会長として復帰します。1946年には、市川の旧居跡に婦人問題研究所によって婦選会館が建てられ、現在の婦選会館の基礎となり、1954年には、『女性展望』が創刊されています。市川の清潔な選挙を実現した議員活動については、もう知る人も少なくなったかもしれません。1980年6月の参議院議員選挙の全国区でトップ当選を果たしましたが、翌年87歳で病死後は、市川房枝記念会としてスタートし、2011年、市川房枝記念会女性と政治センターとなり、女性の政治参加推進の拠点になっています。こうして市川房枝の足跡をたどっただけでも、日本の政治史、女性史における女性の活動の困難さを痛感する思いです。 

202312

『女性展望』2023年1・2月号

 表題は、1927年『婦選』創刊号に、寄せられた山田(今井)邦子の短歌一首の結句からとりました。末尾の安藤佐貴子の短歌は、20年以上も前に、「女性史とジェンダーを研究する会」で、敗戦直後からの『短歌研究』の一号、一号を読み合わせているときに出会った一首です。私は、『現代短歌と天皇制』(風媒社 2001年)の準備を進めているときでもありました。安藤佐貴子については、会のメンバーでまとめた『扉を開く女たち―ジェンダーからみた短歌史1945~1953』(阿木津英・内野光子・小林とし子著 砂小屋書房 2001年)に収録の阿木津英「法制度変革下動いた女性の歌の意欲」において、五島美代子、山田あきとともに触れられています。

 

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2022年4月23日 (土)

五月三日は、何の日?まさか・・・

 8月15日前後に、さまざまなメディアが<終戦>特集を組むのを「八月ジャーナリズム」と呼び、この時期に集中して、活字メディアでは、平和や戦争を考える特集や連載記事が企画され、テレビでは、ドキュメンタリーやドラマが放映される。しかし、近年はそれも、風化の一途をたどっているのではないか。
 そして、四月末から五月といえば、コロナ禍前であれば、世の中はゴールデンウィークながら、近年では、何日が何の日で休みなのかが分かりづらいし、曖昧になっているのではないか。それでも、5月3日の憲法記念日と5月5日の子どもの日というのは、定着し、それにかかわる情報もメディアをにぎわしているように思っていた。
 ところが、最近、ちょっとした出来事に遭遇した。私が、定期に通院している病院、この地での中核病院といってもいいかもしれない病院が発行している「毎月のお知らせ」のようなリーフレットがあり、診療日と担当医師の一覧とともに、季節の健康情報などが記されている。帰宅後、4月号の最終頁のカレンダーを見て「?」と一瞬目を疑ったのである。下をご覧ください。
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 なんと、5月3日がこともあろうに「建国記念日」となっているではないか。このミスが誰にも気づかれずに印刷され、積み置かれ、多くの人の手に渡っているはずである。余計なこととは思えず、私は、病院の広報に電話して、「訂正」を要望した。「ご連絡ありがとうございます」と、事務的な言葉が返ってきた。次の通院日に、カウンターに積んである4月号を覗いてみたが、やはり「建国記念日」のままであった。ことほど左様に「憲法記念日」は地に落ちてしまったのか。日本の憲法教育、護憲運動は何であったのかと思うと力が抜ける思いだった。

 短歌ジャーナリズムでも、一部の雑誌が、五月号に<憲法>特集を組む。『新日本歌人』という雑誌から<平和の危機に「日本国憲法」を考える>というテーマで短歌五首と200字コメントの依頼があった。連日、ロシアのウクライナ侵略の惨状を目の当たりにし、思わず寄稿したのが以下であった。

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2022年1月22日 (土)

天皇制の行方(3)憲法との矛盾、整理してみると

 今年の「歌会始」
 私のしたことが。18日の「歌会始」のNHK中継を見逃してしまった。カレンダーにも、日記帳にも書いておいたのに。その頃、何をやっていたのだろう。加齢現象とするには悔しい。18日のNHK、夜7時のニュースでは、めずらしく、関係の報道はなかった。何しろ、オミクロン株の急激な感染拡大状況とその対策が、時間の大半を占め、トンガの火山爆発関連、春闘関係のニュースが続いた。他のニュースと一緒に、あのなんとも奇妙な歌の披講を聞かずに済んだのは可としなければならないだろう。

「皇位継承問題」国会に投げられたが
皇位継承問題についても、18日の7時のニュースではスルーしていた。1月の有識者会議の報告を受けた岸田首相が両院議長に投げ、その報告の説明を受けた各党代表の対応は、9時からのニュースウオッチナインでの報道となった。

 当ブログの「天皇制の行方」(1)(2)でも述べたように、有識者会議の報告は、次の2点に尽きる。

①女子皇族が結婚後も皇族としての身分を保持する
②旧宮家(1947年廃止され、11宮家51人が皇籍離脱)の男系男子を養子として皇族復帰する

の二案であった。「安定的な皇位継承策」は先送りとなったが、NHKは、世論調査を実施、①案賛成65%反対18%、②案賛成41%反対37%という結果であった。各党の反応はまちまちで、自民党の茂木敏充幹事長は「バランスの取れた報告だった。皇位継承の問題と切り離して皇族数を確保することが喫緊の課題」と表明している。「皇族数の確保」って、山からくだって街に出没する猪やクマを「確保」[捕獲」するかのような扱いではないか。とりあえず、①の女性皇族の「確保」を目指すらしい。②に至っては、75年前に廃止された宮家の男系男子を養子に迎えよ、とは、何を考えているのかわからず、時代錯誤もはなはだしい。戦前に「万世一系」などと言われた天皇家ではあるが、そもそも歴代天皇が確定したのは大正時代の末期、1926年3月、宮内省に「帝室制度審議会」のもと「臨時御歴代史実考査委員会」が立ち上げられ、同年10月には、皇統譜から神功皇后が排除されたという経緯がある。明治、大正天皇は、皇后の実子ではなかった。そんな風に継承されてきた皇位である。

「憲法にてらして女性・女系天皇を認める」という共産党の対応
そして、私が、あらためて驚いたのは、共産党の対応だった。「しんぶん赤旗」の電子版(2022年1月19日)によれば、小池晃書記局長は「日本国憲法では、第1条で、天皇について『日本国の象徴』『日本国民統合の象徴』と規定している。この憲法の規定に照らせば、多様な性を持つ人々によって構成されている日本国民の統合の『象徴』である天皇を、男性に限定する合理的理由はどこにもない。女性天皇を認めることは、日本国憲法の条項と精神に照らして合理性を持つと考える。女系天皇も同じ理由から認められるべきだというのが、日本共産党としての基本的な立場だ」と述べている。
  たしかに、平成からの天皇代替わり直後の「しんぶん赤旗」(2019年6月4日)の「天皇の制度と日本共産党の立場 志位委員長に聞く」(聞き手 小木曽陽司・赤旗編集局長)のインタビューで、
志位委員長は「私たちは、憲法にてらして女性・女系天皇を認めることに賛成です」とし、つぎのように、続けている。

 「日本国民統合の象徴」とは、天皇が積極的・能動的に国民を「統合する」ということではありません。もしかりにそのよう な権能を天皇に認めたら、政治的権能を有しないという憲法の制限条項と矛盾するという問題が生まれてくるでしょう。「日本国民統合の象徴」という憲法の規定は、さまざまな性、さまざまな思想、さまざまな民族など、多様な人々によって、まとまりをなしている日本国民を、天皇があくまで受動的に象徴すると理解されるべきだと考えます。

理解しがたい説明、ますます窮地に
 「日本国民を、天皇があくまでも受動的に象徴する」というが、象徴に受動的、能動的もないように思うし、天皇が勝手に「国民統合の象徴」になってもらっても困る、というより、「統合される国民」と「象徴となる天皇」とう存在を認めること自体が「法の下の平等」に反するのではないか。同時に、憲法に天皇の「世襲」条項がある以上、その不平等な枠内で、男女平等をうたって、女性、女系天皇を認めるということは、本末転倒ではないのか。
 志位委員長自身も、「皇室の内部での男女平等という見地からこの問題に接近すると、『もともと世襲という平等原則の枠外にある天皇の制度のなかに、男女平等の原則を持ち込むこと自体がおかしい』という批判も生まれるでしょう」と自覚しながら「私は、そういう接近でなく、国民のなかでの両性の平等、ジェンダー平等の発展という角度から接近することが重要ではないかと考えています」と言って、天皇を男性に限定している現状をただすことは、国民のなかでの男女平等の発展に寄与するから、ということらしい。
 さらに、公明党の山口代表の衆院解散直後の演説(2021年10月14日)で、共産党が「天皇制は憲法違反、廃止すべきだ」と言っているなどとの攻撃をされたのに対して、共産党の小池晃書記局長は10月15日、記者会見で、「わが党の綱領には、『天皇の制度は憲法上の制度』と明記しており、『憲法違反』であるわけがない。しかも、天皇の条項を含め、『現行憲法の前文をふくむ全条項をまもる』としている」と指摘、「二重の意味で誤りであり、荒唐無稽で完全なデマ発言だ」と厳しく批判した。
 また、昨年末には『中央公論』(2022年1月)において、山口代表が、共産党は「法の下の平等、国民主権と天皇制とは両立しないから」「天皇制は憲法違反の存在」と主張していると指摘したことに対して、『しんぶん赤旗』には、次のような記事があったらしいが、電子版では見当たらなかった。記事は、山口代表が、共産党綱領の「一人の個人が世襲で『国民統合』の象徴となるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく」の部分を取り上げて、「法の下の平等原則と世襲の天皇の制度が両立しない」と曲解しているという(「公明代表、共産党攻撃を正当化」『しんぶん赤旗』2021年12月28日)。
  その根拠としてつぎのような一文が続く。「そもそも憲法14条は『国民』の『法の下の平等』を保障したものであって、天皇は象徴としての地位にあるかぎり、その憲法上の地位は『国民』とは区別されたものであり、『法の下の平等』を享有しません。このことは広く共有された論点です」と。さらに、綱領の「人間の平等の原則」は「自然人である人間がすべて平等であるということであり、現在の憲法の枠内で天皇を除外した『国民の平等』とは異なります。」というのである。

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 天皇は自然人ではない?!
 「え?天皇は自然人ではない」と私には読めたのである。そうだとしたらいったい何なのだろう。人間天皇と地位とを区別せよとでもいうのだろうか。天皇の象徴としての地位は「国民」とは区別されたものであり、「法の下の平等」は享有しないというならば、何をいまさら「女性天皇、女系天皇」に賛成などというのだろう。基本にたちかえれば、天皇制を「天皇の制度」と呼び変えたところで、「国民主権」と「天皇の制度」とは両立しないのは、当然のことではではないのか、と私は考える。ただ、宮中祭祀と神道との関係に触れないまま、創価学会を母体とする公明党が言うことか。「おまいう」の部類かもしれない。
  また、先の綱領の続きでは「一人の個人が世襲で『国民統合』の象徴となるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ。天皇の制度は憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである。」と宣言しているわけで、少なくとも、「国民主権の原則の首尾一貫した展開のため」に努力をすべきはずなのに、共産党は、目の前の、ともすれば、情緒的で移り気な国民の動向を気にするばかりで、現憲法内の矛盾を、「矛盾」として認めることをなぜそれほど拒むのだろう。言を弄して、矛盾を矛盾として認めないことを助長するような解釈や弁明を繰り返している。それでいて、支持者を増やすばかりか、減っているのが現実である。
  いま、天皇家が断絶して、天皇制が消滅したからといって、困るという国民がどれほどいるのか、とくに、若年層にあっては、なおさらのことであろう。何が何でも天皇制を残したい人たちというのは、どこかで利用してきた、利用したいと考えているからではないか。

  そもそも、共産党が、2004年の綱領改定のとき、「君主制の廃止」を綱領から削除したのはなぜか。前述の志位委員長のインタビューでは、「日本国憲法の天皇条項をより分析的に吟味した結果」だとし、改訂前は、戦後の天皇の制度について「ブルジョア君主制の一種」という規定づけをしていたが、主権という点では、日本国憲法に明記されている通り、日本という国は、国民主権の国であって、君主制の国とはいえないことから、民主主義革命が実行すべき課題として「君主制の廃止」を削除した、という主旨のことを話している。現憲法施行後、半世紀以上も経っていたのに、「より分析的に吟味した結果」というのも、にわかに信じがたい。

  かつての、2010年、鳩山由紀夫首相の「沖縄の普天間基地移転、県外を断念」表明の折の「学べば学ぶほど」の言を思い出してしまうのだが。
https://www.youtube.com/watch?v=h7md9o_4_SE

 

 

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2021年12月23日 (木)

天皇制はどこへゆく(2)

 12月22日、今後の皇室のあり方を検討してきた政府の有識者会議(清家篤座長)は、最終報告書を岸田首相に提出した。報道に拠れば、二つの案というのも、不明確な物言いで、何が言いたいのかわかりにくい。要するに、結論的には、皇位継承者は秋篠宮、その長男という流れを「ゆるがせにしてはならない」として、その先のことは「具体的に議論するには機が熟しておらず、かえって皇位継承を不安定化させるとも考えられる。将来、悠仁さまのご年齢やご結婚などをめぐる状況を踏まえたうえで議論を深めていくべきだ」と先送りをしたことになる。秋篠宮の長男は来春、筑波大付属高校に進学するそうだから、十年後くらいには、結婚することになっても、その相手は、これまでにないプレッシャーをうけることになるだろう。美智子皇后の失語症、雅子皇后の適応障害という重い前例がある。

 二案の一つは、皇族数の確保の点から、女性皇族が結婚しても皇籍を離れない、とするもので、夫も子どもにも皇位継承権はない。さらに、座長は、記者会見で「現制度の下で人生設計をお考えで、その意思は尊重されなければいけない」と述べ、対象は新制度創設後に生まれた女性皇族とすべきだとの考えを示した、という。

 もう一つの案というのが旧皇族の男系男子を養子に迎える案で、旧皇族とは戦後1947年に皇籍を離脱した11の宮家の子孫を示すというから、すでに70年以上も前の皇族?が復活!ということなので、もうこれは、完全にアウトだろう。

 有識者会議はいったい何を議論したのだろう。今回は、女性天皇、女系天皇には一切触れてないようだが、それ以前の問題として、今の制度の中で、皇位継承者がなくなるというのであれば、それを機会に天皇家、皇族の存在意義、必要性が問われるべきだろう。

  敗戦直後から、天皇の退位論というのが、何度も何度も浮上しながら、大きな国民的な議論とならなかったことは確かである。敗戦直後の戦争責任論と絡めての退位論をはじめとして、その後も、1950年代の占領終了後、明仁皇太子の結婚時、1970年代の昭和天皇の渡欧・渡米時の戦争責任決着論、1980年代の天皇・皇太子の高齢化など、その契機と理由はさまざまであった。国会で論議されたこともあったが、天皇制維持が前提であったのである。

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きれいに晴れ上がった冬至だった。ご近所で、手広く家庭菜園をなさっている方から、ときどき野菜をいただいている。この日はなんとご覧のような立派な白菜や大根などをいただいた。大根も、人参も、カブも庭の水道で土を落とした。他にもビニール袋に詰め込まれた?ほうれん草、チンゲン菜、小松菜もあった。年末のありがたい食糧支援であった。

 

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