2018年1月29日 (月)

ピアノコンサートのプログラムから「平和憲法」の文言が削除

あってはならない、杉並区の男女共同参画事業でのこと

 

126日の院内集会でお会いした小林緑さんから信じがたい「事件」を知らされた。小林さんは国立音大名誉教授で「小林緑&知られざる女性作曲家カンパニー」を中心に、クラシック音楽史上、埋もれた女性作曲家たちの作品を発掘、聴いて、広めようという活動に長い間、取り組んでこられた方だ。NHKの経営委員を一時期つとめられ、NHK問題についても深い関心を寄せられている関係で、お話を聞いたり、「カンパニー」のコンサートにも伺ったりしていた。毎回さまざまな工夫を凝らしたコンサートは、私などの素人にも、わかりやすく、いつも楽しませていただいている。 

昨秋、東京ウィメンズプラザフォーラムの「音を紡ぐ女たち」の講演会では、11月に開催の杉並区男女共同参画都市宣言20周年記念「トークとピアノコンサート」の案内も配られていた。私は出かけることはできなかったが、そのコンサートのプログラムをめぐってとんでもない問題が起きていたのだ。 

『週刊金曜日』では、すでに「杉並区<憲法>文言の削除要請 平和憲法を女性たちの音楽から見直すのは政治的?」として報じられていた(2018112日号)。プログラムの中で、演奏される女性作曲家たちの曲目の紹介の末尾に、小林さんによる数行の解説「なぜ彼女たち?なぜこのような音楽を?」がある。今回、選んだ作曲家と曲目の趣旨を語っているのだが、当初の原稿は、つぎのように記していたそうだ。

 

「(前略)(選んだ)5人はみなピアノの名手にして作曲家ですが、抽象的なソナタより表題付きのわかりやすい小品を、さらに一人だけで目立つのでなく、連弾やトリオなど、息を合わせバランスを保つ形の作品を多く残しました。平和憲法さえも危機にある世界の現状を、こうした女性たちの音楽から見直すためにも・・・」

 

ところが、区の担当者から下線の部分が「政治的だ。記録に残るから直せ」との要請があり、その場で抗議をしたが、印刷の前日でもあったので、つぎのように修正にしたということだった。

 

「こうした女性たちの肩肘張らぬ音楽に耳を傾け、世界が平和に、男女が等しく、自然体で命を紡ぎ続けられるよう・・・」

 

その後、再度抗議したところ、区の男女共同参画担当課長は「政治的だからでも検閲でもない。これは男女共同参画事業なのだとわかりやすく伝えたかっただけ」と答えたそうだ。 

まさに、杉並区職員の「忖度」による「自己規制」の結果でもある。共謀罪の成立、安倍首相はじめ政府の言動から、国の官僚から自治体職員までが、自らの意思で、政府の意向、上司の意向に沿う判断しかできない状況が出来上がりつつあるからだ。言論統制など、多くの場合、「刃物など要らぬ」ということで、役職や出世、嫌がらせをチラつかせ、「萎縮」させればよい。そして市民には、ときに、見せしめのように、ほんの一部の人たちに逃亡や証拠隠滅などを口実にして、不当な警察権力を行使する。沖縄の山城博治さんや森友学園元理事長籠池さん夫妻のように。 

小林さんの件を知って、すぐに想起したのは、さいたま市の「9条俳句訴訟」であった。 

さいたま市立三橋公民館が、憲法9条について詠んだ俳句「梅雨空に『九条』守れの女性デモ」を「公民館だより」に掲載することを拒否した件につき、憲法が保障する表現の自由の侵害に当たるとして、作者が市に句の掲載と200万円の損害賠償を求めた訴訟であった。さいたま市は、公民館は改憲の議論に絡み「世論を二分するテーマで、公民館だよりは公正中立の立場であるべきだ」などとして掲載を拒否。市は「公民館側に発行、編集の権限がある」などと棄却を求めていた。 

その後の新聞報道によれば、20171013日のさいたま地裁判決は「原告が掲載を期待するのは当然で、法的保護に値する人格的利益で、公民館職員らは思想や信条を理由に不公正な取り扱いをした」として、賠償2万円を認めたが、掲載は認めなかった。俳句の作者、市ともに、不服として控訴している。 

こうした事態は、どこでも起こり得る環境が整い始めてしまったのだ。だからこそ、こうした事態に対応する場合には、市民一人一人が毅然とした態度で立ち向かわねばならない。個人にしろメディアにしろ、表現の自由は与えられるものではなく、一人一人が獲得していかねばならないとあらためて思うのだった。

Img358

Img359

この部分の修正が要請された

なお、くわしくは、「NPJ通信」の小林緑さんの寄稿をご覧ください。

http://www.news-pj.net/news/60309

 

 

 

 

 

 

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2018年1月24日 (水)

2018年、今年の歌会始、その行方は

  112日、平成時代の歌会始は、来年が最後となるが、それ以降の明仁上皇、美智子上皇后の作品はどうなるのだろうと、要らぬ心配もしながら、NHKの中継を見ていた。改元後、夫妻は歌会始に出席するのか、短歌は詠み続けられると思うが、発表の機会はあるのか、などなど・・・。岡井隆の選者就任の折の発言、たんなる「短歌コンクールの一種」との位置づけは、現実とは明らかに異なる性格、様相を呈している中で、天皇に「詠進」するという形式をとっている以上、上皇夫妻は、他の皇族と同じ扱いになるのかしら・・・。皇室行事には一切かかわらないことになるのか。それに、戦時を体験した者として、少しでも役立つのなら天皇にお仕えしたい、と言っていた、御用掛の岡井隆はどうするのかしら・・・。 

 

それはともかく、今年の歌会始の映像を見ていて、一番に目立ったのは、皇族方の出席者の少なさであった。男性では、皇太子と秋篠宮の二人であった。これが皇室の現実である。一方、陪聴者は、いつになく男性が多いように思った。陪聴者の待合室は、かなり混み合っていて、男性優先になったのだろう。

「語」の作品群を読んでいて、もっとも気になったのは、皇后のつぎの一首だった。 

 

・語るなく重きを負ひし君が肩に早春の日差し静かにそそぐ 

 

 平成の時代に、天皇はいくたびか、やや政治的事象に踏み込んだ「おことば」を発信することもあった。「生前退位」表明もその一つといえるが、時の政府に“苦い”思いをさせてきた経緯は確かだと思う。もっと語りたいこともあったろうに、黙して裡に背負ったまま、天皇は、語らなかったと、皇后は詠んだ。 

 

小学校入学以来、あたらしい憲法を当然のこととして過ごしてきた私などは、日本国憲法における象徴天皇制という前提が、不思議な存在であった。一人の人間を「象徴」とすること自体の曖昧性と非人間性、日本国憲法の根幹である民主主義と平等の精神との矛盾を擁する制度が、論議されなければならないはずだったのに、七〇余年が過ぎてしまったという思いがある。 

ふつうの歌詠みならば、「自注自解」の機会もあるが、皇后が自らの短歌を自解したり、自注したりするとどうなるのか。どういうわけか、二〇〇四年、平成一六年を期して、宮内庁のホームページには、各年の歌会始「御製御歌及び詠進歌」一覧に加えて皇族方すべての短歌に解説が付せられるようになった。その執筆者は不明で、宮内庁の担当者なのか、御用掛なのか、選者の一人なのか・・・。いわば、かつての「謹解」と呼ばれる作業でもある。大方のメディアの歌会始報道記事において、これらの「謹解」がそのまま使用がされているところから、メディア向けといってもいいのかもしれない。宮内庁記者クラブの記者たちは、短歌の読解力不足と思われたのか、面倒なので宮内庁に解説を依頼したのか、は不明だが、「官製」「お墨付き」の解説や鑑賞がなされるなどという文芸はあり得ないだろう。作者の手を離れた一首は、本来、読み手の自由・自在があってこそ、文学となり得るのではないか、と思うのだが。

 

今年の皇后の短歌についてはつぎのような解説がなされている。  

「天皇陛下は、長い年月、ひたすら象徴としてのあるべき姿を求めて歩まれ、そのご重責を、多くを語られることなく、静かに果たしていらっしゃいました。この御歌は、そのような陛下のこれまでの歩みをお思いになりつつ、早春の穏やかな日差しの中にいらっしゃる陛下をお見上げになった折のことをお詠みになっていらっしゃいます。」

 

「重き」には、昭和天皇の昭和前期の戦争責任や占領期の沖縄への対応という負の遺産、平成期の平和からの後退、数々の災害に見舞われた日本の歩みを読み取ることもできよう。

 

なお、今年の「選歌」入選者の男女比や年齢構成をみると、ここ数年の動きに大きな変化はみられない。ちなみに平成年間の応募者数、入選者10人の男女比を一覧してみた。応募者は、2万人前後を推移するが、今世紀初めの数年は、2.5万人前後を推移し、2005年の2.8万をピークに下降する。応募者の男女比は発表されていない。なお、新聞報道によれば、入選者の年齢構成は、10代を12名入れるのが恒例となり、20代~50代が少なく、60代以上が圧倒的に多い。  

こうした状況の中で、来年、改元される。「歌会始」どうなっていくのか。短歌愛好者たちの中で、応募者が「歌会始」にどんなところに魅力を感じているのか、皇室や天皇がどれほどの求心力を持つのかにかかっているのではないかと思う。「皇室」の権威付けが若干強化されようとも、「皇室」への親和性が補完されようとも、いまさら、国民の関心や求心力が増幅されるとは、考えにくい。改元後、「歌会始」が劇的に活況を呈するということはまずない、と思われる。  

しかし、歌壇の中での「歌会始」ワールドの在りようは、持続するだろう。歌壇やいわゆるネット歌壇なるものとの境界線を微妙に維持しつつ、選者というステイタスは手放しがたいものとなり、第二の岡野弘彦、岡井隆を生むだろう。そんな予兆の中で、当ブログの「201811日の歌人たち」(111日)の繰り返しになるが、「来年に迫った生前退位を前に、様々な形での<平成回顧>報道は激しさを増すだろう。そして、天皇夫妻の短歌の登場の場も増えるだろう。いま、<生前退位>という日本近代史初の体験」を目前に、右翼ならずとも、保守もリベラルも、何の躊躇もなく<尊王>や<親天皇>を口にするようになってきた。  

すでに、『東京新聞』(夕)では、「歌会始」選者である永田和宏による「象徴のうた 平成という時代」の連載が始まった(2018115日、122日~)。歌会始の選者今野寿美が新聞『赤旗』の選者にもなったことは、このブログでも言及したが、今年の1月には交代し、務めたのは2年間であった。

 

 

<参考> 

歌会始応募者数一覧(1991~2018) 

http://www.kunaicho.go.jp/culture/utakai/eishinkasu.html 

有効応募歌数は、これより数百首下回る。

*当初の記事において皇后の作品「負ひ」の部分を「背負ひ」としておりました。訂正し、お詫びします。

 

 

 

 

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2017年12月 2日 (土)

12月2日の新聞は、天皇の生前退位をどう報じたか

 

一つ前の記事では、退位の日、2019430日をどう表現したかについて触れた。ネット上での検索も含めてまとめると、読売、朝日、毎日、東京は、「2019年」であり、NHKは「再来年(2019年)」であったが、産経が「平成31年」であった。産経がスジ?を通していると言えば言えるか。 

沖縄における、琉球新報、沖縄タイムズでは、関連記事自体が極端に少ない。122日の社説は、二紙とも昨年、うるま市の女性が米軍属に殺害された事件の那覇地裁の判決についてであった。
 

琉球新報:社説・元米軍属に無期懲役 地位協定の改定が急務だ
 

沖縄タイムス:社説・[元米兵に無期懲役]なおも残るやるせなさ 

 

手元にある朝日、毎日、東京の三紙を読んでみると、まずは、今回の退位日程の政府と宮内庁の駆け引き、新元号や即位の儀式や日程についての記事が圧倒的に多い。同時に、社説とあわせ天皇30年間の足跡をつぎのような記事で報じている。

毎日:社説・天皇陛下の退位日決まる 国民本位を貫く姿勢こそ
               
苦楽国民に寄り添い おことば世論を動かす(付年表)


朝日:平成史 お二人の足跡「差別解消に力」「被災者に寄り添う」(付年表)

東京:社説・国民の理解とともに 天皇の退位と即位
      
慰霊の旅 平成築く 前侍従長川島さん象徴天皇制の意義語る

 

朝日の社説はまだ出ていないが、「耕論」欄において、「天皇と政治」のテーマで御厨貴「退位 官邸と宮内庁のバトル」、河西秀哉「能動的象徴 利用される危険」と語らせている。もっとも朝日は、かねてより「皇室と震災」のシリーズで、連載をしている。 

うねりのような、こうした流れの中で、少しでも異議をさしはさむことが困難な時代になった。1977年生まれの河西秀哉は、慎重な言い回しでつぎのように語った(上記「天皇と政治」『朝日新聞』2017122日)。

 

「天皇が進んで被災地を訪れていますが、政治がそれを利用しようとする気になれば、結果的に被災者の政治への不満を天皇が和らげ、政治の不作費を覆いかくしてしまうことにもなりかねません」 

「昨年8月の『おことば』にこめられた今上天皇の思いは、半分は政権に受け流された感じがします。国事行為の縮小や摂政の設置を否定するなど政治性を小保田『おことば』は結局、政権によって政治的に処理されたのかもしれません」

 

 また、原武史は、「連休で<歓迎>演出か」の見出しで、日程についての政府の思惑、皇室会議の議事録非公開、「おことば」の政治性、上皇設置による二重権威化を指摘していた(『東京新聞』2017122日)。 

今回の衆議院選挙においても、若年層の保守化が著しい傾向が明らかになった中で、上記のような中堅世代の活発な発言を期待したいし、私たち高齢者も戦中戦後の体験と天皇の果たした役割を、きちんと整理して伝えていきたい。

 

 

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2017年9月12日 (火)

天皇の代替わりに向けて~「おめでとう」の前に

 

佐藤愛子の『九十歳。何がめでたい』がベストセラーになったのが、昨年だったか。そんなセリフを吐いて、世に憚りたいもの。「九十歳」のかわりに「〇〇」を入れて、ウサを晴らしてみても、何も解決しない。 

昨年の7月、天皇の生前退位の意向がNHKのスクープという形で突如浮上し、88日には、天皇のビデオ・メッセージが放送された後の顛末は、承知の通りで、67日の参議院特別委員会の「全会一致」で可決し、本会議を経て「退位特例法」が成立した。代替わりはすでに時間の問題となった。すでに、各メディアの今の天皇のへの称揚の記事が始まったし、やがて、昭和天皇の晩年・死去報道よりも大々的に展開されるだろう。歌人も登場して、「御製」や「御歌」を懇切に解説し、その心情に触れつつ、短歌の「奥深さ」を語り始めるのだろう。そして、天皇は、いかに平和を願い、国民に寄り添い「象徴としての務め」を果たしてきたか、歴史家や文化人が、その立場を超えて、こぞって賞賛するにちがいない。それが、現実の政治や経済の歴史や現況を一層見えにくくして、曖昧にしてしまうのは必至だろう。そこで利を得るのは誰なのだろうと思うようになった。 

 

無責任に「おめでとう」とは言えない 

直近では、秋篠宮家の長女の婚約内定発表に、新聞は多くの紙面を割き、テレビは報道に時間を費やした。これから皇族を離れてゆく人に、人々の関心はどれほどあるのだろうか。皇族たちに基本的人権はないのか、プライバシーはないのかと思う一方で、記者会見の日には、「ご婚約内定おめでとうございます」の企業広告も目立った。テレビでは、経済効果1000億に上るというコメンテイターも現れ、12万人が結婚に踏み切るとして~~みたいな皮算用をする。一方、婚約者の男性が、一カ月2万円食費のレシピ本を購入したとか近所の本屋さんが語っていたが、まさに多くの若者たちは、親がかりの住まいだったり、食費を切り詰めたりしながら、非正規で働く場合が大半なのだから、当然のことだろう。あまり縁のないカップルの「婚約内定」に「おめでとう」とは、無責任には言えない情況である。もっとも、皇族の結婚には、国から1億数千万の支度金がつくということであった。

 

日本近代史における5つの元号、もう限界なのでは 

また代替わりを控え、「元号と公文書 西暦併記の義務づけを」という「社説」(『朝日新聞』201787日)が現れた。1979年に制定され、最も短い条文の法律とされた「元号法」の「第1項 元号は、政令で定める。2項 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。」ということになっているが、年号表記が、天皇の在位ごとに変ること自体、憲法は前提にしていない。元号の不便さは、公文書に限らず、生活上、国民に大きな負担と混乱を強いている。それを少しでも解消するために、あらゆる場所での西暦統一するのがベストと私は考えるが、元号のみの年号表記がほとんどの公文書に西暦併記を義務付けてもらわないと困るという意味で、現実的な提案ではある。この国が、憲法上、天皇をいただいていること自体から生じる矛盾は、元号以外にも、というよりは根本的な問題があるが、それには触れようとしない。ずいぶんと腰が引けた社説だなと思ったものだ。 

その後『朝日新聞』の「天声人語」(2017821日)においては、もう少し、敗戦後の元号の歩みに踏み込んで、1975年の桑原武夫の「元号について」を引いて、天皇という人間の「ご一生」を国民の「あらゆる生活の基準を置くというのは,象徴ということにふさわしいとは申せません」、世界に通用する西暦を使い,元号は廃止すべしという論考を紹介している。そして、「そこまでいかなくともせめて公文書は,西暦を主,元号を従としてはどうか」という「社説」に戻るのである。 

たしかに、私自身、「明治憲法」「大正デモクラシー」「昭和恐慌」「昭和の面影」「昭和一ケタ生まれ」などの使い方をすることもあるが、元号のみによる歴史書は読んでいると、確証のないない不安に駆られることがあるので、自分がものを書くときは、西暦だけか、適宜、元号を括弧に入れて併記することもある。だから、必ず手帖の裏の「年齢早見表」を拡大し、換算表として机の上に置いている。もっとも近頃の「年齢早見表」には、明治末期からしか載っていないので、簡単な日本史年表は目につく所に置いているありさまだ。これに、もう一つの元号が加わることになるのだから・・・。 

なお、今年201741日には、民主主義をけん引するはずの日本共産党の「赤旗」は、平成以降、年号は西暦表示だけだったのが、元号併記を28年ぶりに復活させている。その理由というのが、45日付で、「今回の措置は、『西暦だけでは不便。平成に換算するのが煩わしい』『元号も入れてほしい』など読者のみなさんからの要望」によるとしている。続けて、元号の使用は、 

「歴史と国民の選択にゆだねるべきで、法律による使用の強制には反対するというのが、日本共産党のかねてからの主張です。1979年の元号法制化に際しては、天皇の代替わりごとに改元する「一世一元」は、主権在民の憲法下ふさわしくないとして、その法制化・固定化に反対しました。そのさい、元号の慣習的使用に反対するものではないこと、「昭和」後の元号についても慣習的使用の延長として憲法の範囲内で法的強制力をもたない適切な措置を検討する用意があることも表明していました」との見解を示している。 

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-04-05/2017040504_02_1.html

  これとて、元号法には主権在民の憲法下ではふさわしくないとした一方で、「慣習的使用の延長線上で強制力を伴わない措置を検討する用意がある」とした趣旨は、かなり分かりにくい。これは、一昨年2015年末に、それまで天皇を議場の玉座に迎えての国会の開会式には、「主権在民」の憲法下における議会にふさわしくないと参加しなかった日本共産党が「天皇の政治的発言はなくなったとして」開会式にも参加すると表明したことと、無関係とはいえないだろう。この件については当ブログでも言及したことがある。 

◆ことしのクリスマス・イブは(3)~なんといっても、サプライズは、国会開会式出席表明の共産党だった!(その220151228  

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2015/12/2-2dd0.html 

この問題については、『朝日新聞』は、「保守系の議員も抱える民進党などとの野党共闘も意識して柔軟路線を進めている。今回の対応についてはそうした<柔軟姿勢>の一環との見方もある。」(201741日)と解説していた。 

『毎日新聞』は、次のように伝える(「『赤旗』に元号復活 読者の要望 柔軟路線に 28年ぶり」201741日 夕刊 )。「共産党は昨年の通常国会から、天皇陛下が出席する開会式に幹部が出席し始めた。陛下の退位に関する法整備の議論にも参加し、民進党より先に特例法容認を打ち出した。 長く党を支えてきた赤旗購読者や党員の減少に悩む共産党は、保守層への支持拡大をうかがっている。元号の使用にはそうした思惑もあるようだ。党によると、赤旗の発行部数は日刊紙と日曜版を合わせて約113万部。党関係者は1日、『元号の慣習的な使用には反対しない。読者の要望に応えた』と説明した。」  

 共産党が共闘を探る、その民進党が、いまのような有様では、その「野党共闘」「柔軟路線」はすでに意味も薄れ、こんなことで、保守派の取り込みができるとは思えない。 

 

  「象徴天皇制」、その背後で
「象徴」が付される「天皇制」って、何なのだろう。私たちがかつて学校で学び、そしてまもろう、まもってほしいと努めてきた平和と自由と平等をうたう日本国憲法は、どこへいってしまうのか。そもそも、主権在民や平等とは両立しない「象徴天皇制」を擁しながらも、その本質が持つリスクをなんとかなだめつつ、憲法をまもっていきたい、国にはまもらせたいというのが、いまの正直な気持ちである。しかし、これまでも、元号・日の丸・君が代の法制化、皇族の死去や結婚などのたびに、そして、皇族の活動が活発になればなるほど、「象徴天皇制」の名のもとに、というより「象徴天皇制」を「かくれみの」として、政府は、市民の生活や思想の自由を徐々に、徐々に、脅かし続けていくだろう。もはや、天皇や皇族個人の心情や願望とは無関係に、事態は進んできてしまった。

 

災害の避難所の床にひざを折っての言葉がけや戦争犠牲者への長い祈りによって、励まされ、慰められ、感動する人々はいるだろう。しかし、被災者や遺族が、現実に立ち返ってみれば、生活環境が劇的に改善され、それぞれの不安や心痛が解消されるわけではない。それどころか、政府は、基本的な解決策を持たないまま、原発再稼働や輸出を促進し、安全保障体制を強化、軍拡を進めている。被災者や犠牲者の心情とは真逆の方向に突き進んでいるのが、現実である。

 

天皇夫妻が、皇太子時代を含め、沖縄訪問を重ねるが、戦争犠牲者に祈りを捧げ、沖縄の伝統文化を愛でる一方、沖縄をがんじがらめにしている米軍基地に一言も触れ得ず、平和を語るむなしさが、「象徴天皇制」の象徴的な姿のようにも思う。 

 

代替わり前夜でなされようとしていること
   
最近の新聞では、代替わり企画の先取りともいえる、天皇中心の平成回顧が盛んである。「退位特例法」が成立前後から、各社さまざまな連載が始まった。私は、とくに天皇と沖縄の関係に着目しながら読むことにした。直近で、手元にあるものだけでも以下の通りだ。 

①『東京新聞』:「沖縄と戦争を思い続け」<象徴天皇 いのちの旅3>(53日) 

②『朝日新聞』:「沖縄訪問 両陛下の信念」(下)<平成と天皇・第2部 平和を求めて(下)>(811日) 

③『毎日新聞』:「象徴として 第1部・沖縄への思い15」(831日~95日)

 朝日の②は、2017411日から、「平成と天皇・プロローグ 退位をめぐる攻防」として 連載が始まり、5月には「平成と天皇・第1部 退位これから」へと続いた。上記の三本の記事の基調は、いずれも、沖縄県民の「皇室」に対する「複雑な感情」が、平成の天皇夫妻の皇太子時代からの沖縄への「思い」「心遣い」と合わせて10回に及ぶ「訪問」によって、沖縄の人々の気持ちを変えていったという流れであった。「複雑な感情」の要因は、「沖縄戦」での多大な犠牲者が出して「天皇のために戦争し」、「戦争が終われば突き放されたことに県民の怒りがあったため」とする、故大田昌秀元沖縄県知事の言葉に表れているとするのが、①の記事であった。「突き放された」とは、昭和天皇が終戦2年後、連合国軍総司令部(GHQ)に沖縄占領の継続を望んだとされることを指すとも語られる。いわゆる「天皇メッセージ」と呼ばれるものである。また、③では、天皇夫妻に直接面談した大田元知事をはじめ、沖縄について進講した有識者たち、訪問の際、案内役を務めたひめゆり同窓会事務局長、対馬丸記念会理事長らは、だれもが夫妻の沖縄への深い思いに接して感動したという証言にまつわるエピソードが、切り取られて綴られている。こうしたエピソードや報道の共通点は、天皇夫妻と直接ことばを交わしたり、直接声を聞いたりした人たちの体験が基本になっている。それだけに、非常に情緒的な受け止め方に終始する。そんな体験をなし得ない一般国民との違いは明らかであろう。しかし、繰り返される、こうした報道が、いわば、大掛かりな代替わり報道の助走のような役割を果たしているのではないか。

 

ざわつく中で、親天皇へ 

さらに、上記の報道に登場するような、直接体験を経ない人たちで、これまでは、少なくとも、皇室や天皇と距離を置いていた人たち、「日本にとって、天皇制の問題は難しい」とその考え方を明確にしなかった人たち、さらには、立憲主義と天皇制は相容れないものと主張していた人たちが、近年、急にざわつき、いまの天皇・皇后は、なかなかリベラルな平和主義者である、国民に寄り添う姿勢がまっすぐに伝わって来る、天皇夫妻の慰霊と祈りの旅には、心打たれるものがある、というような声が聞こえ始めたのである。 

テレビの、ワイド番組や報道番組のコメンテイターになるようなジャーナリストやタレントや評論家は、もう当然のように、天皇に関しては、敬称と敬語をぎごちなく使い、無難なコメントか、まったくしないでスルーするか、いまの天皇夫妻をねぎらう発言があるくらいである。 

そんな中で、リベラル派とされ、多分野で活躍中の内田樹が「天皇主義者」になったと、取りざたされたので、ブログ「内田樹の研究室」で『月刊日本』(20175月)のインタビューを読んでみた。その末尾に、つぎのような発言があった。 

「両立しがたい二つの原理が併存している国の方が住みやすいのだ」と言いたい。単一原理で統治される「一枚岩」の政体は、二原理が拮抗している政体よりもむしろ脆弱で息苦しい。それよりは中心が二つの政体の方が生命力が強い。日本の場合は、その一つの焦点として天皇制がある。これは一つの政治的発明だ。そう考えるようになってから僕は天皇主義者に変わったのです。」

 

つまり、「両立しがたい二つの原理」とは、天皇制と立憲デモクラシーを指すのだが、日本に、天皇制に拮抗するほどの立憲デモクラシーが確立しているのかも疑問な現状である。すなわち「日本国憲法」の第一章は「天皇」。「日本国民統合の象徴」であって、「この地位は、主権の存する国民総意に基く」という条文の「象徴」、「総意」が何を意味するのかも明確ではない。 

先のいわば「天皇キャンペーン」ともいえる情報があふれるメディア社会、それと現在の天皇夫妻への心情的な、人間的な傾倒、それは「人気」にも連動し、政権の暴走の歯止めのような役割を期待する社会が出来上がるが、結局は、天皇の言動が、現政権への監視・抑止機能を果たし得ることは、憲法上不可能な上に、むしろ、体制への不満の受け皿ともなり、補完機能を果たすことになっているのではないかと考える。とすると、二つの楕円は幻想にも近い。天皇が替り、逆に、強権的な言動がなされる場合も当然想定してみるとよい。さらに、上記インタビューでは、昨年8月の天皇のビデオ・メッセージは、全身全霊で果たすべきは「祖霊の祭祀と国民の安寧と幸福を祈願すること」を自ら宣言した画期的な「おことば」と受け取らなければならない、ともいう。 

 こうした考え方が「天皇主義」といえるのかどうかも分からないが、天皇の人権は、さらに狭まってゆくことになろう。 

 こうした内田のようにかつての自らの主張を変えたり、あるいは明確にして来なかった「作家や知識人、政治家らがこのところ、つぎつぎと宗旨がえしつつある」として、その「思想的退行」を指摘する論者もいる(辺見庸「天皇主義宣言の思想的退行」『生活と自治』20179月)。 

 

短歌の世界でも 

同じようなことは、私が長年、眺めて来た短歌の世界でもみられる現象である。すなわち、これまでも何度か書いても来たことだが、「歌会始」の選者になったり、「歌会始」の席に陪聴者として招かれたりして、一度、二重橋を渡った歌人たちは、どういうわけか、「天皇と親しく」なって帰って来て、近頃は、安心して、それとなくあちらの様子を語り出す歌人も多くなった。さらに、これまで、「歌会始」について沈黙していた歌人やまだ二重橋を渡っていない歌人たちも、「歌会始」の世界の魅力を語り、「歌会始」へ疑義を無視するようになったのである。 

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2017年6月29日 (木)

71年前のきょう、1946年6月29日、何があったのだろう

 きのうの朝日新聞の夕刊「あのとき・それから」の記事で、629日は、GHQの意向を受けた文部省が全国の国公私立学校に対して、「奉安殿」撤去の通牒を出した日と知った。

 

 梅雨のさなかのことだったのだなァと、「奉安殿」については、いま思い起こすことがある。私たち家族は、母の実家のある千葉県の佐原(現香取市)に疎開していた。私は、敗戦の翌年4月、佐原小学校に入学している。明治36年(1903)生まれの母が結婚前、教師として勤めていた学校でもある。入学当初の想い出は、情けないことにほとんど消えてしまっているのだが、母の実家から、町の中心部から離れた馬市場の跡、管理人さんが住んでいたという、何本かのつっかえ棒のある古い家に転居した。そこは疎開者にとっては、ありがたい場所だった。一家で、市場の広い草原を畑にして、食料不足を補うことが出来たのである。母は、あの日、近くの農家と共同で使用していた井戸端で、敗戦のニュースを聞いてきたらしく、「日本は負けたんだって」と伝えられたことを覚えている。 

 その翌年、私は小学校に入学した。「ホウアンデン」の前では礼をしなさいと教えられたことは覚えていないのだが、ある日、先生が「あしたからは、ホウアンデンの前で、お辞儀をしなくてもいいことになったのよ」と言われたことは鮮明に覚えている。その日は、朝から雨で、階段の下から「さしていた傘を横にどけて、きちんとお辞儀をしてきたのに」の思いがあったのに、「どうして?」の気持ちであったのだろう。それが、何日のことかはもちろん不明だが、私たち、母と中学生だった次兄の三人は、父や長兄に遅れて、夏休みに池袋の焼け跡に建てたバラックに引っ越している。たった一学期だけでの転校であった。だから、先生の指示は、たぶん、7月の初めか中旬のころだったのだろうか。

 

 「奉安殿」とは、18901030日、明治天皇から内閣総理大臣山県有朋、文部大臣に下賜されたのが教育勅語と翌年、文部省から下付された明治天皇の御真影を保管するための場所である。全国の国公立学校は神社風の小さな建物や別置するための部屋を設けた。保管場所としての「奉安殿」の建設が盛んに奨励されるようになったのは、1910年代から1930年代で、天皇制教育の象徴的な存在となった。

 

 敗戦後の奉安殿の撤去について、手元にあった事典とネット検索でヒットした以下の資料でたどってみた。 

①多木浩二『天皇の肖像』岩波新書 19887 

②籠谷次郎執筆「御真影」「教育勅語」『天皇・皇室辞典』 岩波書店 20053 

③白柳弘幸「東京都と神奈川県の奉安殿遺構調査」『法政史学』68号 20079 

④小野雅章「戦後教育改革期の学校儀式と御真影再下付問題」日本大学教育学会紀要 46号(2011年)。著者は、冒頭の記事にも登場し、未見ながら同じ著者による近著に『御真影と学校 「奉護」の変容』(東京大学出版会 2014年)があるようだ。

 

 冒頭の記事にあった1946629日に至るまでには、曲折があったようである。19451215日、「国家神道、神社神道に対する政府の保証、支援、保全、監督並びに弘布の廃止に関する件」(以下カタカナをひらがなに書き換えた)というGHQから終戦連絡中央事務局経由の日本政府に対しての覚書である。「国家神道の物的象徴となる凡てのものを設置することを禁止する、而して之等のものを直に除去することを命令する」という、いわゆる「神道指令」であった。一週間後の同月22日には、文部次官より地方長官、学校長への通牒には、「學校内に於ける神社、神祠、神棚太麻、鳥居及注連縄等は撤去すること。尚御真影奉安殿英霊室又は郷土室等に付ても神道的象徴を除去すること」とある。その後も、教育現場と文部省とのやり取りの中で、「この際、撤去することを適当と認める」「形式の如何を問わず独立の建物として奉安殿を撤去すべき」「神社形式ではない奉安殿まで撤去する意向ではない」「撤去できないものは原形をとどめないように」とか様々な混乱があったようだ。そして、19466月の文部次官通牒に至るが、必ずしも撤去が徹底していたわけではないようで、各地に、その遺構が見出されることにもつながる。

 

 文献④によれば、宮内省の「御真影」を新たな制服による写真を再下付するという通達を受けて、19451220日文部次官通牒「御真影奉還に関する件」が出された。「御真影」の一斉回収は実施されたのだが、「御真影」自体を否定するのではなく、基本的な変更はなかったという。 

 194645日宮内次官による各省次官あての通牒に付された「御写真取扱要綱」は、「国民が日本国の元首、国民大家族の慈父として深き敬愛の念を以て仰ぎ奉るべきものとし」、写真は仰ぐに適当な場所に「奉掲」するものとするが、「拝礼」を強制してはいけないこと、奉安殿などに「奉護」しないこと、を内容とするもので、これについては、1946710日のCIEの「日本の学校における教育勅語と御真影の取扱い」という覚書で追認される形となった。

 

 「教育勅語」については、森友学園問題で、系列の幼稚園で「教育勅語」を暗唱させるような教育の実態が明らかになって、にわかに注目されるようになった。1946108日、文部次官通牒により「教育勅語を以て我が国教育の唯一の淵源となす従来の考えをなくすこと、式日などに奉読をしないこと、勅語及び詔書や謄本などは学校で保管するものの神格化するような扱いをしないこと」とした。113日日本国憲法の公布、19473月教育基本法の公布を受けて、1948619日衆議院・参議院において教育勅語の排除、執行確認が決議された。こうした経過は、今回の森友学園問題の審議で知られるところとなった。この両院の決議にもとづいて、625日には文部次官通牒により教育勅語の謄本の返還が命じられたという経緯であった。

 

 朝日の記事に戻れば、戦前、根津嘉一郎が理事長だった旧制武蔵高校が、「奉安所新築」を三度も見送って軍部に抵抗する気骨を示したことやキリスト教系の学校は「建物や設備が整わず御真影を受け取るのはかえっておそれ多い」という理由で先延ばししていた例が書かれていた。

 

 こともあろうに、2017331日、森友学園の「教育勅語」教育が問題になっているさなか、安倍内閣は、戦前・戦中の教育勅語を学校教育で使うことについて、「勅語を我が国の教育の唯一の根本とするような指導を行うことは不適切である」とした上で、「憲法や教育基本法等に反しないよう な形で教材として用いることまでは否定されることではない」と、何とも不可解な閣議決定までしたことは、記憶に新しい。

 

私が「お辞儀」をしていた佐原小学校の奉安殿は、その後どうなったのだろうか。転校した池袋第二小学校の校舎は空襲で焼失、1年生の教室は近くの重林寺の本堂であった。二年になると、子供の足ではかなり遠方の要町小学校に間借りしていた教室に通った。二部授業ということで午後に登校することもあった。新校舎が完成したのは、1947年の夏のことだったろうか。御真影も奉安殿も、教育勅語の記憶は一切なく、学校も、先生もそれどころではなかったのではないか。

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小学校一年一学期、佐原の諏訪神社近くの諏訪公園に立っていた「伊能忠敬」の銅像の写生画。画用紙ではないわら半紙のような紙に描いた絵。母が新聞紙などで裏打ちをして残しておいてくれた、私の絵。右肩にくしゃくしゃになった銀色の紙、先生が銀賞をくださったのだろうか、下方には、壁に貼付したような張り紙も見える。母が必死で残してくれた佐原小学校の想い出の品である

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2017年5月23日 (火)

土曜日は、共謀罪についての講演会~私たちはどこまで危険にさらされるのか

 連日、気分が悪くなるような政治家や官僚の発言や政局の動きを目の当たりにしています。こんな風にして、法律が成立し、運用され、国民は、安心・安全どころか、暮らしの不安がつのり、危険にさらされていくのをこらえていかねばならないのか、と思ってしまいます。私たちの世代ももちろんですが、これからの若い人たちの歩む道は、いっそう険しいことになるに違いないと思うのです。

 今日にも、共謀罪は衆院本会議で可決されようとしています。緊迫した空気を肌に感じながら、パソコンに向かっています。

 土曜日の20日は、明治大学リバティ・タワーの一室で開かれていた澤藤統一郎弁護士の「共謀罪―その危険な本質と狙い」という講演会(ちきゅう座主催)に参加しました。そのお話の内容を、私の理解の限りでまとめてみると・・・。

 今回の「共謀罪」は、321日、政府が国会に提出した法案では「テロ等準備罪」と言い換えましたが、「組織的犯罪処罰法」の改正案で、2003年から3回提出されていましたが、いずれも廃案になり、2009年以降、法案提出の動きはなかったのです。

安倍内閣は、急きょ、昨年から、共謀罪新設は、オリンピックを控えてのテロ対策として、「国際組織犯罪防止条約」(TOC条約、2000年採択)締結のための必須要件として、その必要性を強調し始めました。しかし、そもそもTOC条約は、マネーロンダリング対策などが主目的で、テロ対策が目的ではありません。テロ対策のための条約としては、すでに日本も「爆弾テロ防止条約」「テロ資金供与防止条約」などの国連条約やその他8つの国際条約を締結、国内法も整備しているわけで、今回の「共謀罪」とTOC条約とは、連動するものではなく、別個の問題です。殺人罪などの重要犯罪には、刑法上準備罪・予備罪も規定されています。

では、なぜ、安倍政権は、共謀罪の新設を急ぐのかといえば、

広範囲の人と行為を、早い時期から、捜査の対象とすることができる

捜査機関、とくに警察の判断で、情報収集や捜査を開始することができる

特定秘密保護法(201312月)、盗聴法の拡大、司法取引を導入した刑事訴訟法の変更(20165月)とあいまって、一般市民の監視を強化することができる

・・・・

要するに、「共謀罪」新設は、安倍政権の、一強体制のうちに、改憲へと突き進みたいための地ならしであり、同時に、一般市民への監視体制を強化して、不都合な市民の発言や活動を抑止したいがためなのだろうと思いました。

 

駿河台の街路樹のもとには、心地よい新緑の風が吹き抜けます。お茶の水駅前のスクランブル交差点には、週末にもかかわらず若い人たちが行き交っていました。いたって静かで、のどかな学生街ながら、気持ちはどこか晴れない一日となってしまいました。

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3年ぶりの剪定のビフォー・アフターです。せっかくのヤマボウシ、残念だったのですけれど。晩年は室内犬となった、主のいない犬小屋は片付けられないでいます。

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2017年5月 2日 (火)

ほんとに、何から言い出していいのかわからないほど(3)政治家の「失言」ではない「虚言」~共謀罪の場合

「一般の方々には関係ありません!」とは

  組織犯罪処罰法改正案の審議で「共謀罪」の新設は、「一般人には、いっさい関係がない。最初から犯罪の目的をもっている組織にのみ適用される」と繰り返してきた安倍総理や金田法相、法案を提出されたのち本格的な審議をとも言い続けてきたが、フタを開けてみても、疑問はますます増殖する法案だった。321日、「テロ等準備罪」と看板の付け替えをして、国会に提出された。これに先立ち、316日、法務省は「正当に活動する団体が犯罪を行う団体に一変したと認められる場合は、処罰の対象になる」との見解を明らかにしている。正当に活動する団体が犯罪を御かなう団体に“一変”した」って、誰が何を以って、“一変”したと判断するのかが分からない、というより、捜査当局の解釈や裁量によっては対象になることが明らかになったわけである。さらに、328日衆院法務委員会で、盛山正仁法務副大臣は一般人は捜査対象にならないと答弁した根拠について「何らかの“嫌疑”がある段階で一般の人ではないと考える」との見解を示した。“嫌疑”は現場の警察官が判断することから、共謀罪で捕まる対象者は警察官の判断次第ということになる。従来から、犯罪の予備があったか否かの最終判断は司法にあるから、と法務大臣は答弁していた。要するに、いったん警察官に“嫌疑”をかけられたら、検察や裁判過程でしか”嫌疑“を晴らせないことになる。

 2004年小泉内閣の時に、当初の共謀罪は、国会に提出されたが、20056年にかけて、審議を重ね、与野党の修正案が出されたりしたが、20066月、与党が成立を断念し、20071月安倍晋三首相は、共謀罪創設を柱とする組織犯罪処罰法改正案について、成立を目指すが、第166回国会、第167回国会とも審議に入らないまま継続審議となったが2009年の衆院解散により廃案となった。

 かつても「目配せを」をしたら共謀罪か、の疑問もあったが、今回は、地図と双眼鏡を持って花見をしていたら準備罪になるとか、法務大臣が答えていた。一般人には関係がない、オリンピックが開催できない、というのはまさに「虚言」というほかない。表現の自由以前の思想の自由内心の自由をに深く侵害するものなのである。

(続く)

 

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=i朝日新聞2017年2月17日=

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2017年3月26日 (日)

「~してございます」~霞が関と永田町の言語生活~森友問題を通じて

霞が関話法?

 森友学園問題の国会での質疑を聴いていると、政府や役人の答弁にまず腹が立ち、野党の質問の拙さにも苛立ってしまうことがある。テレビの前で座ってばかりいるので運動不足にもなり、精神衛生上もきわめて不健康な状況が続いている。

 その上、とくに役人の答弁の「~してございます」という表現が気になって仕方がない。「霞が関文学」ともいわれているそうだが、そんな上等なものではなく「霞が関話法」と名付ける価値もない。丁寧そうな言葉遣いながら、文法的にも誤用であり、その発言内容と相まって、慇懃無礼な、無責任答弁に多用されている。「してございます」は、官僚ばかりでなく、企業人も社外向けに使うことが多く、中高年男性に愛用されているようなのだ。

 「担当職員が対応させていただいてございます」「政治的な配慮をしてございません」など、324日衆参予算委員会に森友問題で出席した、財務省と国土交通省の参考人たちも連発していた。証人として招致したところで、「知らぬ、存ぜぬ」で通すのだろう。

参考:「最近気になる放送用語―「~てございます」(2011年8月1日)

https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/term/145.html

永田町話法?

一方、政治家たちの責任逃れは、かつて「秘書が、秘書が・・・」であったことが揶揄されていたが、今回は「妻が、妻が・・・」「夫が、夫が・・・」かと思いきや、やはり「(首相夫人付)秘書が、秘書が・・・」ということにもなった。324日の国会の質疑や記者会見での次のような発言は、大いなる自己矛盾を、明白にもしている。 

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2017年2月17日

安倍首相①「(妻が100万円寄付をしたかどうか)密室のやりとりなど反証できない事柄を並べ立て、事実と反することが述べられたことはまことに遺憾だ」

「(首相夫人付き秘書から籠池証人への報告ファックスについて)ゼロ回答なのだから妻が関与したことにはならない」

「(首相夫人の証人喚問要請について)今まで証人喚問に出られ方は、刑事罰がかかるかもしれない疑いの中で出られている。妻の行為は犯罪では全くない。名前を出された人たち全員証人喚問するというのか」

菅官房長官「(首相夫人付き秘書の谷氏の籠池理事長への報告ファックスについて)ゼロ回答のことわりのファックスなので、まったく問題はない」

竹下国会対策委員長「(首相夫人の寄付について)100%、200%あり得ないが、たとえあったとしてもても、まったく問題はない」

 首相①は、反証をというのならば、首相夫人を証人喚問すれば、籠池証人の答弁との比較において、議員や国民に判断の材料を提供できるし、決着がつかなければ司法の判断にゆだねることもある。首相は、別の日の答弁で「ないことの証明は<悪魔の証明>なので困難」とか言って質問をかわしていたが、そんな大げさなものではない。

首相②と官房長官の発言は、「ゼロ回答」「ことわり」だったからというが、ファックスの2枚目には、案件別に経緯が記され、その末尾には、つぎのようにある。

4)工事費立て替え払いの予算化について

一般には、工事終了時に清算払いが基本であるが、学校法人森友学園と国土交通省航空局との調整にあたり、「予算措置がつき次第返金する」旨の了解であったと承知している。平成27年度の予算での措置ができなかったため、平成28年度での予算措置を行う方向で調整中。」

このファックスは20151117日付であったが、工事費は、翌年の年度初め46日に支払われていることも判明している以上、まさに「関与」「口利き」の成果ではなかったのか。この文面をどう読んでも、問い合わせへの夫人付き秘書の「丁寧な対応」だけというには無理がある。さらに言えば、福山議員が言うように関与や口利きは「結果」「成果」がなくても成り立つものだろう。しかし、このくだりを、明確に切り込む質問がなされなかったのは残念だった。

「携帯水没後」の首相夫人と籠池夫人のショートメールの往復、316日参院予算委員会視察団に「寄付の中には、安倍首相からの100万円の寄付も入ってます」との籠池理事長の発言後、その大金の寄付の授受を「100万円の記憶がないのですが」などと悠長な文言で聞き返している首相夫人のメールには、やや驚いた。ここで、「記憶がない」という永田町の常套句、いわば「永田町話法」が、やはり登場してきたのだ。さらに、上記の首相夫人付き秘書の籠池理事長あてファックス文書は、これだけでも、公人による「働きかけ」の一端が浮上、「関与」の証拠になるはずである。

なお、首相③の発言は、憲法62条「両議院は、各々国政に関する調査を行い、これに関して、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる」という「国政調査権」の意味を理解していないのではないか。犯罪の嫌疑や容疑に係る者でないと喚問できないという大いなる誤解にすぎない。さらに、「名前の出た人全員・・・」云々の発言は、いつもの「民進党は支持率が上がらないじゃないですか」と同じで、「ほかにフって」しのごうとしているらしい。

竹下国対委員長の発言には、「開き直り」というか、語るに落ちた、の感がある。

安倍首相は、「私も妻も安倍事務所も、一切、国有地払い下げや学校認可にかかわっていない。関係していたら私は間違いなく首相も議員も辞めますよ」(217日衆院予算委員会)と啖呵を切っていた。いずれ、すべてが公開される日もあるかもしれないが、自民党による首相夫人と籠池夫人のメールの一部公開は、安倍首相擁護が裏目に出て、安倍夫妻への疑問はさらに深まったのではないか。今となっては、安倍首相の辞めない理由を探すのが、むしろ困難な状況に至ったようだ。

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2017年3月16日




従来、政治が危機に直面したときは、冷たく「粛々と進める」冷酷さで突破するか、内外の批判には「前向きに検討し」「真摯に受け止め」「万全を期して」、「推移を見守る」と成り行きに任せることもできたのに、どうだろう、今回は。それにしても代わるべき受け皿がないのは、如何ともしがたい現実であるが、とりあえず「野党頑張れ」としか言いようがない。
 

政治家の資質と人格

このところの安倍首相は、国会の質疑で「不愉快だ」「失礼じゃないですか」「まるで犯罪者扱い」「悪意に満ちている」など、感情的な言葉を口走り、政治家の資質が問われる発言を繰り返している。

324日の衆院予算委員会での質疑では、さらに驚いた場面があった。共産党が入手した鴻池事務所の「面談メモ」をめぐっての麻生財務大臣の答弁。当初は、だれのメモかを明かさないままだったのだが、当日31日の夜に鴻池議員が自ら記者会見に及んだ経緯がある、あのメモだ。宮本議員が、麻生大臣に、そのメモについて鴻池議員に確認した件で質問したところ、次のような発言が飛び出したのだ。「訳の分からないところから『メモを取った』と偉そうにいっていたじゃないか。偉そうに」との発言に野党側からのヤジが飛ぶと、麻生大臣はさらに声を張り上げ、「俺は偉そうに聞こえたんだからしようがないだろ」と。人を指さすジェスチャーをしながら「いつも人をこうやって指さしてワンワンしゃべってる。偉そうに。失礼だろ、それは」と言い切った。実際の発言は、もっと口汚い、まるで、チンピラやくざの口ぶりそのままで、再現できないのだが、聞くに堪えなかった。麻生大臣の品格のなさは、知っていたが、こんな人間がかつて首相をやっていたかと思うと、情けない。その発言を、笑いながら受けている野党も野党だ。山本一太委員長の「麻生大臣、ご表現には気を付けてください」で、当の大臣はじめ、大笑いで落着となったのだ。

麻生発言といえば、メディアでは問題にされなかったのだが、今年の、麻生大臣の地元、九州の飯塚市の成人の日の「来賓祝辞」だった。例の昼間から賭けマージャンをして「賭けないでマージャンする人はいないだろう」と豪語していた斎藤市長が辞任を表明した直後のことだ。さすがに成人を前に挨拶できなかったとみえ、有力支持者の一人だった市長に代わっての来賓としてよばれた麻生大臣だったのか。その挨拶が、これまたびっくりだったのである。「あんたたち、成人になったら、これまでと何が違うかといったら、強姦罪、賭博、麻薬・・・でつかまったら少年A じゃすまない。自分の名前が出るんだ」と。いや、もっと罪名をあげていたと思うし、言葉も汚かったし、あくまでも「要旨」なのだが。「責任を持て」という成人へのメッセージにしては、ひどい。ひどすぎる。

「劇場」のカーテンは降ろしてはいけない

小池劇場、トランプ劇場、籠池劇場とも呼ばれて、メディアを賑わしてきたが、今回の森友問題は、政治の根幹、安倍首相夫妻に大きくかかわる問題だけに、このままの幕引きは許されない。この間、共謀罪の法案も閣議決定された。こちらの国会審議もしっかり、丁寧にした上で、廃案に追い込んで欲しい。追い込まなくてはいけない。テロ対策ができない?オリンピックが開催できない?一般人には関係がない?から共謀罪新設が必要であるというのだが、その目指すところを見極めなければならない。テロ集団か一般人とはだれが何を以て判断するのか。要するに国民全体への監視のシステムが合法化することになるのだ。天皇退位をめぐる動向、南スーダンPKO部隊派遣問題にしても、課題は山積みである。

福島県はじめ東日本大震災の実質的な復興がなかなか進まない実態、熊本地震も同様だし、沖縄の高江・辺野古基地建設問題、原発再稼働が始まった川内と伊方、再稼働を控えている地での安全対策というより原発・エネルギー政策、東京都の豊洲市場問題は、一地域の問題ではなく、国民一人一人、自分の問題として考えなければならないはずではないか。

地元では、千葉県知事選挙が展開されているはずだったが、今日は投票日。冷たい雨となった。佐倉朝日健康マラソンの日でもある。森田健作知事は、ミス〇〇とかアスリートの表敬訪問でガッツポーズをしている写真ばかりが報道され、何をしているのかがわからない。役人にとってはありがたい知事だという。県庁への出勤状況は、石原元都知事といい勝負かもしれないが、投票率は如何。

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2017年3月20日 (月)

「天皇の退位」は実現する見込みだが~衆参両院正副議長の「とりまとめ」をめぐって

「とりまとめ」への経過

201688日には、天皇の「生前退位」の「お気持ち表明」が一斉にテレビ放映された。先立つ713日にはNHKのスクープとして、天皇が「生前退位」の意向を宮内庁関係者に示していたと報じられた。これまで、政府は、面倒な問題として先送り、避けて来た問題が浮上し、慌てての対策が、コントロールが効く政府の諮問機関「有識者会議」なるものを立ち上げた。その中間報告が政府の意向を受けたものだったので、両院の議長が事前協議の形で、各党・会派の協議を行い、317日、与野党は、衆参両院正副議長による「議論のとりまとめ~特例法の制定によって退位を可能にする~に合意し、首相に提示した。4月下旬、有識者会議の「最終提言」を経て、5月の連休後に国会に提出、成立する見込みとなった。昨年11月の段階で、私なりの情報の整理を試みたので、ご覧ください。 

天皇「生前退位」の行方~天皇制の本質については語られない(1)(2

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2016/11/post-dd45.html20161129日)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2016/11/post-e43f.html (20161130日)

 現在も、上記の段階から基本的な方向が変わったとは言えない中で、官邸の意向を十分忖度した上での10の各党・会派の妥協の産物ではなかったかと思う。「とりまとめ」自体にも矛盾点がいくつかある。しかも、これとて、今後の有識者会議の最終提案、国会での法案審議と進行する中で、何が起こるかわからない。安倍首相は、特例法に「今上天皇」を書き込むことにこだわり、女性宮家創設の検討と退位が先例になることを極力さけたい意向だったという。今回の提案には、ともかく「今上」の文言はなくなり、あとの二つについては皇室典範付則などで、その可能性を残した。さらに、典範付則には特例法との一体化を明記し、憲法との整合性をはかり、特例法には、今回の天皇の意向表明が広く国民の理解を得たという経緯を書き込むことで、天皇の気持ちが反映されることを確保したということだ。 

「とりまとめ」と付された「政党の意見」

この「とりまとめ」は、あくまでも「国会」「立法府」としての見解ではなく、「衆参正副議長による議論のとりまとめ」であったということである。この見解への各党の対応がどうだったのかでも、今回の問題点が浮き彫りになるだろう。安倍首相は、「重く受け止め、直ちに法案の立案に取りかかりたい」旨の発言が報じられた。また、この「とりまとめ」には7つの党・会派の意見も合わせて付された。朝日新聞によれば(5面、「7党・会派の意見(要旨)」、民進党は、主張してきた「恒久法に規定されるべき退位」が事実上制度化されと理解する、などの意見を付した。共産党は、①特例法の立法理由が退位を認めることについて広く国民の理解が得られていることに置かれるならば、憲法にてらして適合的だ②「おことば」を政治の側が「重く受け止めて」立法措置をとるとなると、憲法に背いた政治的機能の行使になりかねず不適切であり同意できない③「象徴としての行為」のすべてを肯定的に評価する記述は同意できない④「とりまとめ」は、全会派を拘束する文書すべきではない。今後の国会審議を縛るものとしてはならない、とする意見を付した。

今回の「見解」自体が不透明で、文意が曖昧な個所がある上に、付された意見を読むと、さらに、混迷が深まる。民進党の意見は、念押しや確認のつもりなのかもしれないが、これってたんなる「勝手な期待」としか読めない。共産党は、見解への「反対意見」ではなかったのか。「とりまとめ」に、これだけの問題点があるのに、なぜ合意したのだろう、というのが素朴な疑問である。318日の「赤旗」では、全体会議での小池書記長の「発言」として、「天皇退位の立法化の理由が退位を認めることについて広く(主権者である)国民の理解が得られていることに置かれるならば、憲法にてらして適合的であり、了としうる」と「とりまとめには問題点があり、全会派を拘束する文書とすべきではない」の2点をあげ、「意見」としては、上記「朝日」の「意見(要旨)」②をあげている。③は、「発言」としても「意見」としても、記事には登場しない(2面「全会派拘束するべきではない 天皇退位『とりまとめ』小池書記局長問題点指摘」)。それにしても、小池発言の「天皇退位の立法理由が…了としうる」という仮定の問題を想定しての「期待」にすぎず、意見としてどんな意味があるのだろうか。要するに、この際、天皇のことなので「仲良きことは美しきことかな」の発想なのか。こと、天皇の件となると、「突出」したくなかったのか。憲法上の疑義がある「とりまとめ」に、こうした意見を付すくらいなら、なぜ反対しなかったのだろうと。もっとも、このブログでも何回か記事にしているように、共産党は、天皇制へのスタンスを、確実に転換したのにもかかわらず、きちんとした説明責任を果たさないまま、ポピュリズムへと雪崩れていく姿に戸惑い、驚いている。

一方、今回の「とりまとめ」報道、新聞各社の社説をのぞいてみると、いずれも、「とりまとめ」への一定の評価を踏まえ、皇位の安定的継承のための課題を残し、法案審議の過程に着目する、という姿勢のようだ。

毎日新聞:退位の議長見解 政治の土台は固まった 

朝日新聞:天皇退位 「総意」が見えてきた

読売新聞:「退位」特例法案 一本化を促した「国民の総意」(いずれも318日朝刊) 

天皇に、憲法上疑義のある発言をさせた責任~原武史氏の発言

また、さまざまな識者のコメントや発言も溢れた。その中で、私が注目したのは、原武史へのインタビュー「『お気持ち』と政治」(「朝日新聞」318日)であった。天皇の退位の意向を受けて、立法に動くこと自体が憲法に反する、という。こうした疑義が憲法学者から出ないこともおかしな事態だと。現実として、国民の多くが高齢の天皇夫妻の言動を見て、退位容認に傾いていると思うが、どういう過程をとるべきだったのか、を記者に問われて、まず憲法上の「摂政」で対応した上で、国民の多くの声に動かされ結果、政治が動くか、天皇からの意向を早くより伝えられていた政府が動くかして、立法審議へと進むべきだったと。保守派・伝統派の一部での「摂政」での対応を可とする考え方との相違を問われて、「退位のよしあしよりも、過程全体が憲法や皇室典範など現行法にのっとっているかどうかです。次元の違う問題です」と答えていた。

さらに、原は、昨年の天皇の「お気持ち」表明を敗戦後の「人間宣言」と重ねて、リベラルと言われる人からも評価されていたが、あの「人間宣言」は、『昭和天皇実録』の記述によれば「万世一系イデオロギーを継承していた、と指摘、比較というならば敗戦時の「玉音放送」との比較にこそ意味がある、と主張する。「いったん天皇からその意思が示されるや、圧倒的多数の国民が受け入れました。これが天皇と国民の関係です。この点で458月と現在は変わっていません」と結論付ける。

今の時期、こうした明確な発言は、貴重であると思った。護憲や立憲主義を主張するリベラル派と称される識者や護憲政党までも、皇室典範改正や特例法を可とする風潮を理解しがたく、高齢の天皇への同情や言動への敬意・親近感をそのまま「国民の総意」としていることを不安に思っていたので、大いに共鳴したのだった。

また、どのような文脈での発言からなのか、インタビュー記事からでは不明ながら、皇居前の肖像写真のコメントに「天皇に会えば、どうしても感情が入る。研究者として、会うべきではないと思います」の言葉にも説得力があった。

というのも、私が、これまで様々な機会で述べてきたように、「歌会始」選者となった歌人たち、「歌会始」に陪聴者として招かれた歌人たち、それに連なる、もしかしたら声がかかるかもしれない歌人たちの短歌作品や発言に目を止めるだけでも、親天皇、親天皇制へと傾いていく現実を目の当たりにしてきたからである。それが、研究や文芸にかかわる者、表現者としての自律性を大きくゆがめているのではないか、の疑問が増幅していく昨今なのである。

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2017年1月22日 (日)

「短歌サロン九条」で「沖縄における天皇の短歌は何を語るのか」について報告しました。

「短歌サロン九条」は、「憲法九条を守る歌人の会」の有志の方が、隔月に開く勉強会だという。今回121日に、表記の題での報告の機会をいただいた。20人ほどの参加者であった。

テーマは、昨年6月「思想史の会」での報告と同じなのだが、その報告後、私自身は、2度目ながら34日で沖縄に出かけ、8月末日には、『社会文学』への寄稿「沖縄における天皇の歌は何を語るのか」が活字になったこともある。

「思想史の会」の会での報告の模様は、以下の本ブログ記事を参照

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2016/06/post-167c.html(2016年6月27日)

昨2016年88日には、現天皇の「生前退位」表明があり、近く「有識者会議」の論点整理が発表され、国会でも各党協議が始まるというが、政府は、特例法による対応など、ほぼ着地を決めている。辺野古新基地建設承認取消訴訟では、最高裁の上告棄却を経て、工事が再開された。北部訓練場の一部返還はされたが高江のヘリパッド建設によって、基地機能は強化された。さらに、1213日には、名護市沿岸にオスプレイMV22が墜落、19日には飛行再開、年明けには空中給油再開、その後も米軍機の事故が相次いでいる。このような状況の変化によって、沖縄、天皇にかかわる問題は、重大な局面を迎えたと言える。本来ならば、日本国憲法下における日米安保条約・地位協定、そして象徴天皇制が照射され、論議されるべき機会であったはずなのに、政治やマス・メディアの世界では、そういう流れにはなっていない。

そんな時期に、新しい情報を踏まえて報告することは、いささかの緊張を伴った。準備を進めている間に、現天皇が、皇太子時代、夫妻で初めての沖縄訪問の折、1975年に、訪ねた国立ハンセン病療養所「愛楽園」(屋我地島)、2004年に訪ねた「南静園」(宮古島)に触れて、皇室と日本のハンセン病対策との密接な関係に着目せざるを得なかった。(注)1931年らい予防法の成立を機に「らい撲滅」「患者の強制隔離」の徹底を推進するため、節子皇太后による「御歌」(「つれづれの友となりても慰めよ ゆくことかたきわれにかはりて」)と「下賜金」に象徴される救らいとして「慈悲の心」が強調された。不治の病ではないとして治療を進める医師、特効薬プロミンの開発を無視する形で、敗戦後も隔離政策は引き継がれ、貞明皇后没後は、高松宮・喜久子夫妻が継承した。らい予防法が廃止されたのは1996年であり、ハンセン病患者への差別が違憲とされたのは、2001511日、国家賠償法訴訟の熊本地裁判決で、当時の小泉純一郎首相は控訴を断念、患者への謝罪がなされた。その後の報告書でも、ハンセン病対策に皇室がかかわったことによって差別が助長されたと、つぎのような報告がなされている。

「このように、藤楓協会は、その誕生から厚生省と一体の関係にあったのである。皇室の「仁慈」を強調することにより、全患協の運動を抑制し、「純然たる民間団体」を装って、「文化国家」に反するハンセン病患者の絶滅を目指し、隔離強化という国策を支持する世論を喚起したのである。」

(「第四章(4)藤楓協会及び皇室の役割)『ハンセン病問題に関する検証会議最終報告書』20053月 150頁   https://www.jlf.or.jp/work/pdf/houkoku/saisyu/4.pdf

なお、藤楓協会は、2001年の本地裁判決を踏まえ、2003年3月解後「、その事業の一部は、社会福祉法人「ふれあい福祉協会」が引き継いでいる。

 というのも、現天皇夫妻の沖縄訪問は、皇太子時代の5回を含め10回を数え、訪問の折の夫妻の短歌や天皇の「おことば」、天皇誕生日記者会見での発言で、繰り返される沖縄戦犠牲者への慰霊や鎮魂、沖縄の現状への言及は、現天皇夫妻の個人的な沖縄への思い入れや意図とは異なり、別の役割を果たしていたのではないかと考えられたからである。

天皇の短歌や発言によって、沖縄の戦争犠牲者の慰霊を続け、沖縄の人々の心に寄り添い続けるということは、昭和天皇の沖縄にかかる「負の遺産」、敗戦末期の本土防衛のための沖縄捨て石作戦、敗戦直後の国体維持のための「天皇メッセージ」を払拭しようとする意図があるように思われたからである。さらに、敗戦後から現在に至るまで「国益」と称して、沖縄を差別し続けている政府の沖縄対策の欠陥を、情緒的に慰撫し、補完していないかとの危惧をいだいたからであった。

私の報告は、ほぼレジュメのような流れで進めて、約1時間半で終了、最後に、近年、いわゆるリベラル派と称される論者や表現者が、現天皇の発信や振る舞いから、その人間性に、親しさや信頼を寄せる発言が相次いることが、現憲法下での「象徴天皇制」の本質を見極めることへのバリアになっていないかとの不安を語ったのだった。

また、質疑の中で、参加者のお一人は、とくに歌会始の「選者」につながる人脈について、「短歌結社」に深く由来すること、選者の継承や陪聴者選びに至るまで、大きく影を落としていることを指摘された。私も、結社の主宰や選者たちが「右といえば右、左といえば左」的に、逆らわない歌人たちが多いことも実感していたので、これからも見据えていきたいと思った。また、お一人は、橋本喜典と岡井隆の短歌作品を比較して、岡井の無邪気なまでの宮廷入りに酔いしれている様子が紹介された。一方、美智子皇后の短歌の魅力を語る参加者もいらした。

会場の喫茶店「パンドラ」のオーナーでもある梓志乃さん、司会の久々湊盈子さんと田村広志さん、城間百合子さんらのお世話になった。当日配布の「報告概要」と「資料」を若干補充し、添付した。

なお、近く、私は、屋我地島の「愛楽園」、渡嘉敷島の戦跡などを訪ねたいと計画を進めている。

「報告概要」と「資料」:

http://dmituko.cocolog-nifty.com/okinawanotennonotanka.pdf

(注)

皇室とハンセン病との関係については、以下の文献などを参考にした。

片野真佐子『皇后の近代』 講談社 2003年11月

大塚郁「戦中期の<皇恩>とハンセン病者の文芸―序説」『千葉大学社会文化科学研 究プロジェクト成果報告書』156号 2008年3月

原武史『皇后考』 講談社 2015年2月

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