2017年11月 8日 (水)

歴博の企画展「1968」に出かけました

Dscn1246                 写真撮影はここまで

見てきたその日の夕刊で

夫の仕事の合間ながら、お天気もいいことなので、急きょ、国立歴史民俗博物館に出かけた。目当ては、1010日から始まっている「<1968> 無数の問いの噴出の時代」という企画展である。一見わかりにくいネーミングだが、、さまざまな場から、様々な形で噴出してきた日本の社会運動に1968年という年で切り込もうという趣旨らしい。従来の組織による問題設定・解決方式によるのではなく、「個」「私」から主体的な問いかけにより、各地の住民運動、各大学で学生運動が盛り上がった1968年前後に焦点をあてた展示という。 

帰宅後、夕刊を広げると、朝日新聞(117日)のトップが「学生運動の軌跡 <歴史>に 60年代末全共闘・反戦・・・」とあって、そのタイミングに驚いた。この記事では、主に学生運動に焦点があてられていたが、実際の展示は、第1部「<平和と民主主義>・経済成長への問い」と題された、「べ平連」の運動、それに呼応するような戦後を問い直す神戸の街、三里塚闘争、熊本水俣病闘争、横浜新貨物線反対運動に割かれるスペースが大きく、第2部「大学という「場」からの問い―全共闘運動の展開」がやや小規模だったかな、という印象だったので、少し、偏っていた感があった。

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               いつものように町内会の回覧板でも回ってきたチラシ

そのころ、私は何をしていたのだろう

1968年といえば、私はすでに社会人となっていたが、まだ生家の池袋から永田町の職場に通っていた。明治百年という区切り方をして、政府やマスコミは賑やかだったようにも思う。60年安保の時代とは、議事堂付近の様相もずいぶんと変貌を遂げていた。職員組合から参加する集会やデモも、なんか義務的要素が色濃くなっていた。そんな中で、聞こえてくる、べ平連運動も直接は関わらなかった。三里塚闘争は、地理的には東京に近いのにもかかわらず、写真集や映像で、農地を奪われる農民の必死の抵抗、団結の重要性を感じながらも、どのくらい我がこととして考えていたかは、疑問だった。成田に隣接の佐倉市に暮らし始めて30年、成田空港を利用することも多くなって、この地に、「東京国際空港」は必要だったのだろうかと考えてしまうこともある。水俣病患者や家族と国やチッソとの闘争にあっては、その歴史を少しばかり繙いただけでも、悔しさを募らせていたことは確かだが、横浜の新貨物線反対運動も、東京には近かったのに、どれほどの関心を持っていたかとなると心細い。さまざまな住民運動が、「公共の福祉」や「国益」の名のもとに、地域エゴとして退けられてきたことを思う。そして、貨物線は完成したが、いまやトラック輸送がとってかわり、その必要度はどうなのだろうと。佐倉市における、私が住む地域でも、1960年代に計画された都市計画道路は数年前に完成したものの幹線道路とはつながらず、沿線は空き地が続く。駅近くの高層マンションや大型商業施設が出来ても、周辺の個人商店を撤退に追い込み、共存とはならなかった。たった二・三十年で住民の高齢化、空き家が増える一方の「開発」とは、いったい何だったのだろう、と。そんなことまで考えてしまう今回の展示だった。

今にもかすれて消えそうな、ガリ版刷りの資料群

展示物は、ケースのガラスに、顔を近づけないと読めないような、ガリ版刷りの集会案内のビラやニュース、手書きのメモ類からポスターや旗、ハチマキ、ヘルメットまで多種多様であった。

各地で立ち上げられたべ平連、その最初の、424日の清水谷公園からのデモ呼びかけの葉書は「声なき声の会」呼びかけ人代表として、高畠通敏、小田実の名がある。予備校生たちの「斗う浪人」創刊号の編集発行は「浪人平和運動連絡会議」で、615集会の報告から始まるが、いずれも1968年のことである。

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展示会カタログより、左が「声なき声の会」呼びかけ人代表からのデモの案内、右が「斗う浪人」創刊号

三里塚闘争での家族ぐるみ、地域ぐるみの闘争の一端とも思える、少年行動隊や高校生たちのビラにはドキッとする。それに、反対同盟が結成された集落で、同盟員集結の合図としたドラム缶の太鼓が、実際展示されていたのだ。風雪に耐えて、白茶けたザラザラな表面と打たれてかすれた団結の文字が生々しかった。

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Img344   いずれも展示会カタログより

やはり、最も関心のあった第2部は、東大と日大の闘争に焦点を当てた内容であった。東大は、医学部学生の処分問題が発端であったし、日大は、20億円の不正経理の発覚が端緒となった。首都圏や地方の大学も、各々独自の問題を抱えていたことがわかる。.大学管理だけがきつくなってゆく中、二大学の闘争の激化は、管理者との攻防という枠を超えて、周辺の市民たちにも大きな影響を与え、先行していたべ平連の運動や各地での同時多発的な住民運動と無関係ではありえなかったこともわかる。ただ、学生運動の一部は、突出した過激な闘争となり、内ゲバも激化、19706月には安保条約が自動延長になるなどすると、住民運動や市民運動は、多様化するが、個別の運動となっていくような沈静化みられるようになった、と私には感じた。

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しかし、この時代の運動を担った世代の人々が、現在に至るまで、ジャーナリストになったり、出版社を自力で興したり、あるいは教職についたり、地域の住民運動のリーダーになったりして、独自の道を歩んできた人に出会ったりすると、旧友と再会したような気分にもなる。その一方で、見事に企業人になり切った人、ここまで変節・変貌できるのかと思える人、何かはっきりしないけれど、あるいは苦悩をしているふりをしながら、陽のあたる場所を歩いている人、「元活動家」を売りにしている人と様々だが、かける言葉を失う。持続し、継承することの難しさを痛感してしまう。そして自分はどうだったのかと振り返るチャンスにもなる。

ともかく、歴博が、現代史に切り込んだ展示をしてくれたことを喜びたい。この展示のプロジェクトは、東大・日大の闘争時の活動家が数十にも及ぶ段ボールに入った資料の歴博への寄贈に始まったと言い、いろいろな経緯をたどりながら、いま大学の資料センターなどにおさまっている資料や個人蔵の資料があって、はじめて可能な展示であったろう。

出来れば多くの友人たち、佐倉市民に見てもらいたい、とくに若い世代の人たちに、との思いで、佐倉城址を後にした。アンケート先着1000名内だったらしく、歴博の招待券を頂戴した。1210日までなのでお早めに。これからの日曜日には、展示プロジェクト委員代表の荒川章二教授のギャラリートークがあるそうだ。

 

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2008年1月11日 (金)

マイリスト「すてきなあなたへ」に53号を登載しました

(目次)
「クリスマス&忘年会」参加して―ある特別養護老人ホームにて―
成田に近代文学館分館が完成、ご存知でしたか
菅沼正子の映画招待席25 潜水服は蝶の夢を見る―左目のまばたきだけで自伝を書き上げたすごい人―
あなたの思い出の喫茶店は―昭和は遠くなりにけり(1)

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2007年10月22日 (月)

成田で、「近代文学の至宝―永遠のいのちを刻む」展を見る

成田で「近代文学の至宝 永遠のいのちを刻む」展をみる

1010日、思い切って成田山書道美術館まで出かけた。目当ては、日本近代文学館の成田分館開館記念展覧会なのだが、会場は成田新勝寺の書道美術館なのだ。当地からは近いはずなのに、近年の尾上柴舟展も見逃している。数年前に一度だけ訪ねているが、京成成田駅からずいぶんと歩いた記憶がある。まだ10時前だからか、表参道の商店街は、開店準備中の店も多い。シャッターを下ろし、いかにも廃業らしき店舗も何軒か見受けられる。お寺の本堂裏からだいぶ奥まった処に美術館が見えてきた。

今回の展示は、1962年近代文学館創立以来、収集してきた125万点に及ぶ資料の中から、文学者直筆の生原稿、書簡、書画などの名品をあつめている。次のようなコーナーに分かれる。

至宝中の至宝/「文明開化」の時代/「文学界」とその周囲/和歌革新の港/

巨きな山・漱石と、それを支えた人々/「不安」の文学―芥川龍之介を中心に/

「白樺」―直哉の草稿と原稿/社会文学、革命文学の流れ/美の実験・伝統への回帰/大衆文学のひろがり/戦中・戦後―「記憶」の伝承/戦争の重い影/同時代の文学の旗手たち/近現代詩を代表する詩人たち/成田ゆかりの文学者

「呼子と口笛」ノート

最初の「至宝中の至宝」には、樋口一葉「たけくらべ」、漱石「明暗」、多喜二「蟹工船」、太宰治「人間失格」など13点が別置されている。私にはどれもはじめての逸品であるが、目を見張ったのは、石川啄木「呼子と口笛」ノート(土岐善麿寄贈)の、1911615日付の詩稿「はてしなき議論の後」「ココアのひと匙」であった。ノートというよりは横罫の便箋様の紙に、端正な字で清書され、自筆の表紙絵と詩集名のレタリング、挿絵のデザインも色も、詩稿の内容に反して、むしろ明るく若々しく思え、その丹念な筆づかいが伝わってくるようだ。これらは『創作』の7月号に発表されたが、死後1913年、友人土岐善麿の手により『啄木遺稿』に収録されている。

ココアのひと匙     1911615 TOKYO

われわれは知る、テロリストの

かなしき心を――

言葉とおこなひとを分ちがたき

ただひとつの心を、

奪はれたる言葉のかはりに

おこなひをもて語らむとする心を、

われとわがからだを敵に擲げつくる心を――

しかして、そは真面目にして熱心な人の常に有つ

かなしみなり。

 

 はてしなき議論の後の

 冷めたるココアのひと匙を啜りて、

そのうすにがき舌触りに、

われは知る、テロリストの

かなしき、かなしき心を。

「和歌革新の港」というには、やや・・・

 このコーナーの構成は竹西寛子によるが、与謝野寛・晶子、佐佐木信綱、空穂、牧水、白秋、啄木、勇ほか「明治生まれの近代歌人の仕事と日常を偲ばせる品々」を集めたという。「日本の近代短歌がどのような人々に支えられ、現代短歌はこの人達の仕事をどのように享け継ぎ、拒み、発展させているのかを促す仕組みになっている」と「図録」の解説にはあるが、やや総花的過ぎた感があり、「革新」に焦点を絞れなかっただろうか。解説にあるとおり「寛という強烈な個性と非凡な才能によって維持された『明星』が、歌人の垣を払って広く時代の文化人にも稿を求め」た、とあるが、展示を見る限り、徹底していないように思えた。晶子が、夫寛の渡航費用捻出のため書いたという「百首屏風」の方が、妙に生々しかった。近現代短歌史に造詣の深い歌人などによる構成だとやや異なった展示になったかもしれない。<「不安」の文学コーナー>では、「斎藤茂吉が芥川龍之介に与えた処方箋」など貴重なものに思われ、興味深いものもあったが、1936年の永井ふさ子宛の斎藤茂吉書簡(持参便)が突然まぎれこんだりする、その違和感は拭いきれなかった。ふさ子への抑えがたい感情が筆づかいや文面によくあらわれてはいるが。

成田ゆかりの文学者

 今回の展示会の「ご当地」付録のような存在だが、このコーナーが意外と面白かった。私もこの地に20年住んでようやく千葉県民になったということだろうか。

展示は詩人・歌人・小説家として活躍した水野葉舟(18831947)に絞ってはいるが、彼の生き方や交友関係が魅力的に思えた。『文庫』投稿少年は『明星』の鉄幹に拠り、詩や短歌を発表した。ここで知る窪田空穂、高村光太郎を生涯の友とし、1906年詩文集『あららぎ』、空穂との合同歌集『明暗』を出版する。以降発表する小説・小品などは若者に人気が高かったという。関東大震災後1924年に成田郊外の駒井野の開墾地に入り、地域の文学青年や国語教師らの指導にあたり、地方文化の向上に貢献し、その地で没する。印旛郡の木下小学校、船穂小学校の校歌なども作詞する。次男水野清とそれを継いだ孫養子水野賢一(中尾栄一次男)は、この地の保守党議員である。衆議院選挙のたびに、首相と握手している大きなポスターが幹線道路の沿道に続くのは見苦しかったが、文学館へ資料をまとめて寄贈したのは次男清氏と四女澄子氏らしい。「我はもよ野にみそぎすとしもふさのあら牧に来て土を耕す」の歌碑が三里塚記念公園にあるという。

葉舟宛の書簡に水町京子の1通が展示されていた。京子は香川県出身だが、東京女子高等師範学校で尾上柴舟の指導を受けた後、『水甕』創刊、北見志保子らと『草の実』創刊に立会い、1935年自ら『遠つひと』を創刊し、1945年以降の活躍も目覚しかった。葉舟との縁は、京子の夫甲斐重吾が旧制成田中学校教頭を勤めた時期に、成田に2年ほど住んでいたことによる。京子は、夫との暮らしに悩みを抱えながらも教職を続け、晩年は桜美林学園で教鞭をとっていたことなどを思い出す。また、成田中学といえば、新勝寺が経営する学校だが、現在でも、学費も公立校に近く、特色のある私学として地元でも定評がある。成田山公園の書道美術館までの途上には、鈴木三重吉の碑「古巣はさびても小鳥はかよふ 昔忘れめ屋根の下」というのがあったが、彼も成田中学での教頭在職中に「小鳥の巣」を『国民新聞』に連載している。

成田空港へと素通りしがちな、この成田の地に近代文学館ができたこと、成田山新勝寺周辺のかつての文学的な空間に思いを馳せながら、見終わろうとしたとき、階下の入り口が急に騒がしくなったと思ったら、中学生たちがどっと会場に押し寄せてきた。付き添いの先生は「一般のお客さんもいらっしゃるので、静粛に」とさかんに叫んでいた。この種の展覧会に中学生を連れてくるなんて、なかなかやるね、と感心し、出口で係りの人に尋ねると、成田中学校の生徒さんですよ、とのことだった。

                           (20071022日記)

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