佐倉市の開発行政は誰のためなのか
私が住むのは京成沿線のユーカリが丘なのだが、開発を一手に引き受けてきた地元開発業者は、このところ、カンガルーのキャラクターを使って「考える街。ユーカリが丘」のダジャレ宣伝を展開している。3月半ばには、TBSのワイド番組でも「人口の減らない街、年取らない街、子育ての街」として発展を続けている街として紹介されたらしい。「素晴らしい町なんだね」と番組を見た知人からの電話に、私は戸惑うばかりだった。安心・安全・福祉の街づくり、環境との共生を標榜しながら、地域住民への配慮のない開発を目の当たりにしているからだ。
国の道路行政において、道路特定財源が官僚や道路族議員・国交省天下り先業者により好き勝手に使われている実態が次から次へと、議会の質疑や報道などにより連日明らかにされている。もう税金は払いたくないというのが正直な感想だ。
また、「新銀行東京」への都からの追加出資の顛末を見ていると、都民でなくとも腹立たしい。あの都知事の指示を天の声?とし、銀行新設・追加出資に賛成した議会の責任も大きい。
身近にも、似たようなことが起っている。ちょうど10年ほど前から、近くの雑木林が突然伐採されることになり、土地区画整理組合による開発事業の実態を知り、佐倉市の都市計画行政を少しばかりウォッチすることになってしまった。住民の想像をはるかに超えて、行政や開発業者は実に「えげつない」ことをしていることがまた、一つわかったのだ。
開発行政は、まるで業者の言いなりなの?
このブログでも、すでに2006年6月17日「区画整理組合への助成金は、やはり業者への後押しだった」で触れているように、「土地区画整理事業の助成に関する条例施行規則」3条3項で、不動産業者・開発業者が、土地区画整理組合事業による開発区域の3分の1以上を所有している場合は助成対象からはずすことになっていたのを、2006年3月末日付で、この項を削除した。そして規則修正により、8m以上の道路の歩道部分用地取得費相当額の2分の1を助成できることにした。つぎの19年度早々に、私の住まいにも近接する「井野東土地区画整理組合」による開発事業に約5700万円の助成が実施された。その組合による開発区域の約72%が、組合の業務代行となっている地元の開発業者「山万」の所有であったのだ。施行規則の条項削除・修正は、条例ではないから、市議会の議決を要しない。行政、担当部課による事務的な手続きで可能なのである。
この規則改正直前の2006年2月市議会において、改正の動きを察知、質問した議員もいた。条例施行規則に「3分の1条項」が盛り込まれたのは、1998年3月。その趣旨は、営利目的の事業者の所有する土地の割合が一定以上越える場合、公金を支出することは好ましくいないとするものであった。
では、その規則を改正してまで、7割以上もの土地を一開発業者で占めている土地区画整理組合に助成するのはなぜか、の質問に、当時の市長は、土地ブーム時の先買い業奢が特別の利益を受けるのは望ましくないけれど、「非常に、もう沈滞化しているという、いわゆる土地が動かなくなっているという社会的な情勢の中では、今度はそういった事態に対応して土地をきちんと活用できる方向に施策を進めていくべきであろう」と区画整理事業をきちんと進める必要があるという判断に基づいた措置である、と答えていた。
さらに、この規則改正では、同時に「井野東土地区画整理組合」事業区域に隣接の「井野南土地区画整理組合準備会」へも、本組合認可準備のための助成と称して平成19年度・21年度の2度にわたって計5400万円助成の予算措置がとられた。10年前までは、二つの組合区域一帯は「山万」の第3期開発の予定区域だったのだから、当然その所有割合は3分の1どころか6割を越えている。これは、紛れもなく、公金による営利目的の事業者を利する措置にちがいないのだ。規則改正直後の6月市議会では、業者からの要請があったかの質問に対して、市長は、土地区画整理組合からの「強い働きかけ」はあったが、最大地権者の開発業者(山万)からの要望があったかは「記憶」にない、と答弁していたのだ。
そして、さらに驚くべき方向に事態は進む。上記二つの組合への助成措置が完了後、目にも止まらない速さ、1年数ヵ月後の昨2007年12月17日付けで、上記条例施行規則の一部改正によって再び「3分の1条項」を復活させ、2008年1月1日施行となったのである。佐倉市都市整備課HPには、その改正趣旨にはつぎのように書かれていた!?
「宅地及び公共施設の整備や保留地売却など、土地区画整理事業の性質にかんがみ、これに類する業を行う営利目的の事業者を不当に利することを防ぎ、助成制度の一層の適正化・公平化を図ったものです」
佐倉市の厳しい財政状況から、補助・助成制度の廃止・整理・統合、基準の見直しの一環としての改正だったという大義名分も付されている。その見直しのさなか、井野東・井野南土地区画整理組合(業務代行山万)からの強い働きかけで、規則改正による助成を佐倉市は断行したと判断されても仕方ないだろう。
佐倉市における土地区画整理事業には、清算にたどり着けずに、行政のテコ入れを余儀なくされているところもある。千葉県は開発行政の見直しで、あらたな土地区画整理事業は認めないことになっているが、佐倉市の「井野東」「井野南」への助成は、3分の1条項をはずしての最初で最後の公的助成となったのである。
自由自在の規制緩和、用済みの後は、また規制?
似たようなことといえば、最近こんなこともあった。2008年2月市議会を前に、佐倉市が「市街化調整区域の宅地開発許可基準(区域指定制度)の廃止について」の意見書、いわゆるパブコメを募集しているのに気がついた。すでに形骸化している悪名高い「パブコメ」なのだが、ナニナニ?ドーイウコト?数年前、2003年10月のことだったのだが、条例改正により、一定の条件さえクリアすれば市街化調整区域の中の宅地開発が可能になった。市議会少数会派の議員たちは、いわゆるミニ開発、乱開発が野放しになることで反対していたのだが、議会を通過してしまったのだ。
いわゆる市街化調整区域の規制緩和は、4年ちょっとで、その緩和を廃止して元に戻そうというものだ。パブコメ募集時のコメントを見て、またあきれるのだが、つぎのように書いてある。
「佐倉市では、平成15年10月1日から、条例により市街化調整区域でも一定の条件を満たす土地について住宅地の開発を可能なものとしました(区域指定制度)。しかしながら、道路・排水施設などの公共施設が不十分な地区においての住宅地開発が次々と行われるようになりました。
このような住宅地開発が行われると、隣接する地区に流入する自家用車等の交通量が増大し、交通渋滞や事故を発生させる危険性を生じさせ、また、農地や緑地が失われて自然環境が損なわれることが懸念されています。」
こんなことは、都市計画行政に素人でも十分わかっていることだった。何をいまさらと思う。4年余りの規制緩和による乱開発の例をいくつか聞き、近くの知人の家の隣接でも目の当たりにしている。20軒から100軒くらいの規模の宅地造成が突然、近隣との脈絡なく行われ、建売住宅が販売されるケースが多い。ほとんどが雑木林や畑地であったところだ。ループ状の道路が一本団地を巡るだけの袋小路的な形状であったり、既存道路との接続が危険であったり、盛り土・排水・調整池の不備に隣接住民は不安を抱えることになる。市内の各地でトラブルが頻出することになった。大きくはない開発業者による場合が多く、法令や行政指導を潜り抜け、行政や近隣住民へ脅迫まがいのことが発覚、市議の利権が絡む例も知った。行政としては、当然予想できる事態であるのにもかかわらず、なされた拙速な規制緩和はいったい誰が責任をとるのだろう。
市民からの意見書は21通あって、すべてが緩和の廃止を可とするものであった。
最近のコメント