2016年11月19日 (土)

きょう「順天堂大学誘致の現状と真相」がポストに

「順天堂大学誘致の現状と真相」と題する『わがまち』臨時号(山万KK企画部編集・発行)がポスティングされていた。いつものタブロイド判の裏表の2頁だった。 いつもと違うのは、臨時号、いわば号外なのだろうけど、日付がない。発行・編集がいつもの「わがまち編集委員会」ではなく、「山万株式会社 企画部」となっていた。

『わがまち』は「地域の有志の方々と山万が協同で制作しているタウン情報誌」という触れ込みながら、まぎれもなく山万の広報誌なのだから、今回はそれがはっきりしたわけだ。日付がないのはどうしてかな。まだウェブ上には登場していなかった。

内容は、一面が、新聞報道を受けて、問い合わせが多く、不正確な報道でもあるので、「現状に至った経緯」を市民・住民に伝え、正確な理解を頂く、という趣旨で、「『こうほう佐倉』では語られていない真実」「断腸の思いでの取り下げ」の見出しで記されていた。裏面は「順天堂誘致に向けたこれまでの経緯(概要)平成17年10月~平成28年10月」と題して年表風な説明となっていた。しかし、その書きぶりは、昨年の市長選での「怪文書」めいて、その内容以前に、不快感が漂う。

最後は「順天堂大進出が白紙」という『千葉日報』の記事があったが、区画整理組合・山万・順天堂大学は、「白紙」との認識は持っていない、ユーカリが丘における順天堂キャンパス誘致の実現に向けた重要性の認識と熱意は変わっていない旨の文章で結ばれていた。

私は、地権者でもない、直近の住民でもないけれど、これまでの山万の井野東の開発手法を見てきただけに、不安だった。地元への説明会に参加したり、議事録を読んだりした。市議会や「大学等誘致に関する懇話会」の傍聴もした。説明会の資料がなかったり、後手になったり、かなりの情報操作をしているのも分かった。今回の経緯の中からすっぽり落ちている、市長選での誘致推進だけを争点とするような候補者陣営の露骨な選挙運動は、目を覆いたくなるほどだった。

「あきらめていない」というのだが、私たち住民にとっては、ユーカリが丘駅北のイオン撤退の跡がどうなるのかの方が、先決なのではないか、の思いも強い。肝心の駅周辺の既存の商業施設と駅から離れた、新しいイオンタウンの行方も心配だ。

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2016年11月18日 (金)

ユーカリが丘への順大誘致、白紙へ

 16日の夜遅く、知人からのメールで、1024日付で、順大誘致のための「都市画案の取り下げ」、区画整理組合設立のための「事前協議の取り下げ」がなされた、との一報が入っていた。京成ユーカリが丘駅北への順大誘致は、一帯の開発業者である山万が、かねてより強引に進めてきた計画だった。この数年間、周辺の地権者を巻き込み、自治会や市議会議員を巻き込み必死であった。昨年の佐倉市長選では、ほぼ順大誘致だけを公約に掲げた候補者を立て、実に醜い選挙戦を展開したが、敗退した。

 佐倉市ユーカリが丘駅北土地区画整理組合準備会(代表田中一雄)は、佐倉市が誠意ある対応をしないので、信頼関係を失ったとして、今年の14日付「土地区画整理組合の設立認可申請に係る事前協議」、24日付「都市計画提案書」を取り下げたことになる。山万は、土地を無償提供し、佐倉市からは負担金を出させるからと順天堂大学に進出を持ち掛けたのが事の始まりだろう。佐倉市は、負担金を出す以上は計画や費用の詳細を求めたが提出されないことを以って、進めなかったいきさつもある。少子社会で、大学キャンパスの都心回帰が強まる中、順大も踏み切れなかったのだろう。最大の地権者、山万の、そうした読みの浅さが、今回の結果を引き起こしたのだろう。それにしても、振り回された地権者、周辺住民、行政の経済的負担は計り知れない。あわせて市長や行政の優柔不断な姿勢も否定できなかったのではないか。 

 なお、「取り下げ書」の文書は、以下の藤崎良治市議会議員のホームページで見ることができる。

藤崎良治のHP

http://www.asahi-net.or.jp/~pn8r-fjsk/contentFrame.htm16/11/16) 

ユーカリが丘北 都市計画提案取り下げ書

  また、11月17日の朝刊では、若干のニュアンスの違いはあるが、つぎのような見出しだった。ネット上での掲載時間が一番早いのが『千葉日報』だったと思う。

千葉日報11/16 0500

順天堂大進出が白紙 佐倉市、誘致不透明に 地権者ら申請取り下げ

東京新聞11/17 0800

佐倉市の順大誘致が白紙に 地権者ら申請取り下げ

読売新聞11/17 1025

地権者と市の信頼崩れ、大学誘致が暗礁に

朝日新聞1117

佐倉にキャンパス 順大の計画中断 地権者ら都市計画案など取り下げ

 佐倉市のホームページでの昨年までの関連記事は、以下にまとめられている。

http://www.city.sakura.lg.jp/0000011401.html

 さらに、これまでの経過については、本ブログでも何回か記事にしているので、関心ある方は、あわせて以下をお読みいただければと思う。

(新着順)

順天堂大学「誘致ありき」のユーカリが丘駅前再開発はどうなる!説明会に参加 ~「誘致」が決まらないのに、強引に進める不可解 15/09/29

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2015/09/post-5850.html

佐倉市の市長選での順天堂大学誘致問題とはなんだったのか~また新しい情報に接して(15/06/05

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2015/06/post-ab09.html

・佐倉市長選挙、違反ポスター・虚偽ネット広告は放置のままだ~候補者も、スポンサーもここまで堕ちた(15/04/27

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2015/04/post-224d.html

・市長・市議選の争点は「大学誘致」ばかりではない~やっぱり出た”怪”文書「順天堂大学誘致の会ニュースレター」(15/04/18

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2015/04/post-7056.html

・佐倉市、順天堂大学誘致をめぐる「選挙戦」 ~誘致の効果は机上の空論、得をするのは誰なのだろう(15/04/14

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2015/04/post-5c84.html

・ユーカリが丘、順天堂大学キャンパス誘致、見送り?(15/02/09

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2015/02/post-fea7.html

・ユーカリが丘駅前の大学誘致をめぐるおかしな動き、やっぱり、山万が ~第3回「大学等の誘致に関する懇話会」(20141010日)傍聴から振り返る(2)

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2014/10/320141010-ebd5.html

・ユーカリが丘駅前の大学誘致をめぐるおかしな動き、やっぱり、山万が~第3回「大学等の誘致に関する懇話会」(20141010日)傍聴から振り返る(1)

14/10/14

http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2014/10/post-7e2b.html

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2015年6月 5日 (金)

佐倉市の市長選での順天堂大学誘致問題とはなんだったのか~また新しい情報に接して

順大誘致問題の勉強会へ 

まるで嵐のような様相で、通りすぎていった市長選・市議選におけるユーカリが丘駅前の順天堂大学誘致問題とはなんだったのか。結果的に敗れたN候補サイドが余りにも虚偽に満ちた情報によって世論操作まがいのことをやっているのを目の当たりにして、いても立ってもいられず、当ブログにも何本かの記事を書いた。投票日からは、あっという間に過ぎた一か月たったのだが、そんな折、順大誘致問題についての勉強会があると声を掛けられた。 

井野東開発での体験~山万の手法

 順大誘致問題に関して、私は、ブログに書いた以上の情報は持ち合わせてはいなかった。でも、開発業者山万を業務代行とする「井野東」土地区画整理組合による開発事業については、近隣住民としてつぶさに眺めてきた。同時に、隣接の自治会の住民として、自治会に設けられた開発対策協議会の委員として、さまざまな活動をしてきた。このブログにも、その後半部分の一端をいくつかの記事にもしてきたので、キーワード「都市計画」「土地区画整理事業」「佐倉市」などで検索を掛けていただければと思う。この井野東開発は、本格的には2002年から始まるが、その準備はその数年前にさかのぼる。その過程で、いやというほど山万の手法を思い知らされたのである。少しでも今ある緑を残してほしい、危ない道路はやめてほしい、安全な造成・建設工事と日照確保・騒音防止などを願う住民による署名、意見・要望をその都度、市役所や山万に届け、説明や協議を求めた。区画整理、都市計画の決定に必要な法的な手続きの過程でも、縦覧・情報公開・意見書提出、公聴会での意見公述などにも多くの住民が参加した。だが、当時は、佐倉市としても、この開発を都市計画の一端として積極的にバックアップしていたため、結果的に私たち、周辺住民の意見などは、ほとんど聞いてもらえなかった。重要な交渉や協議には、行政の担当者も複数・多数で参加していたことは、当たり前と思う一方、最近の行政の姿勢からは、ちょっと想像ができないでいる。そうした中で、私たち自治会と市長との面談、市長の現地視察などを実現させながら、自治会と区画整理組合・山万との「覚書」は行政立ち合いで手交した。連日連夜と言ってもいい協議で締結した、ある工区の「工事協定書」は、住民が決して満足するものではなかったが、「覚書」も「工事協定書」も、その後の建築物建設にも生かされ、せめてもと、それらの趣旨や文言が順守されているかを見守っているのが現状である。

 しかし、現実には、周辺住民の要請や期待が、ことごとく「粛々と」覆されていくのを見ながら暮らすのは、じつに口惜しく、息苦しいものがあった。今回の順大誘致にかかわる地域の地権者や周辺住民の方々も、同じような思いをされないよう、切に願うのだった。

新しい情報~3回にわたる住民説明会で、何が起こっていたか

今回の勉強会では、そうした私の思いの一端も伝えた。順大誘致問題は、山万の開発利権が露骨に浮上した一件ではなかったか。大学誘致を絡めた開発計画を、強引に推し進めたいばかりに、「順天堂大学誘致の会」をリードして、いわば慎重派だった現職市長の引きおろしを目論んだ市長選挙だったように思う。その執念と物量作戦は目に余るものがあった。選管や警察からの再三の撤去要請にもかかわらず、大量の違反ポスターや中傷ビラが市内に溢れた。ネット上の虚偽情報を含むサイトや動画広告に至っては、そのえげつなさに眼を覆うものがあった。投票日の翌日、それらのすべてが撤去、削除されていた。もっとも、違反ポスターについては、いまだ、残っているところもある、と参加者の一人が語っていた。

 そして、勉強会では、あらたな情報を得ることができた。201376日に開催された「駅北区画整理組合設立準備会 第1回近隣説明会」(ユーカリが丘3丁目自治会、4丁目自治会、上座第2町会、第7町会、第3町会ほかより計57名参加)の模様は一部、すでにお伝えしたが、説明会は、長い空白の後、市長選直前の329日の「(仮称)佐倉市ユーカリが丘駅北土地区画整理事業 概要説明会」(ユーカリが丘3丁目自治会、4丁目自治会、上座1~7町会自治会から70名参加)、4月30日「(仮称)佐倉市ユーカリが丘駅北土地区画整理事業 第3回事業概要説明会」(ユーカリが丘3丁目自治会、4丁目自治会、上座1~7町会自治会より25名参加)の議事録を見ることができた。3回の説明会の表題が異なるのも?なのだが、議事録を読んでいくと、私の懸念はますます募るのだった。

   説明会の案内の回覧期間が短く住民に徹底しなかったり、説明資料がパワーポイントだけだったり、掲示のみの用意で済ませたりなどの情報開示の不備があったことにも住民は納得しがたいようであった。

 ユーカリが丘3丁目の地区計画を条例化する際に、今回の再開発対象区域にある山万所有の戸建て用宅地を用途変更する場合には自治会との協議を前提とする「覚書」を無視して、近隣商業地域へと用途変更計画を発表したのも住民を怒らせた。

 対象区域に接する6mの生活道路を3mの歩道を付して9mにする道路計画も、周辺の施設によって交通量の激増が予想されるだけに不安が広がっている。さらに、1年半以上の空白の後、市長選直前の説明会では、とりあえず、近隣商業区域の建蔽率80、容積率300%は、大学予定地だけに限定して、他を80200%とすること、同時に、順大の学生規模が将来的に870人から2000人になるときは、容積率300%が広がることもありうると発表している。とりあえずの容積率を抑えたのは、市との協議の結果だったのだろう。山万による順大誘致の決意表明は繰り返されるが、誘致自体が不確定の中で、こうした計画が進むこと自体が、私たち市民には納得がいかない。

 今年開催の2回の説明会では、さすがに、例の「大学誘致等に関する懇話会」の報告にある「経済波及効果」に言及することはなかった。しかし、山万の幹部が、誘致が佐倉市の人口減少や民生費激増の歯止めとなり、税収増などをもたらすという文脈の中の発言に「大学生は食事を多く取りますし、地域のなかにどんどん入っていくそうした要素がありますのでそれを街づくりに活用したいなと思います」なんていうクダリもあって笑えるのだが、こんな認識だったのかと、少々がっかりもした。

 勉強会の参加者にはユーカリが丘以外の方も多くいらしたのだが、「ユーカリが丘だけに、税金を投入してほしくない、市の予算には、何かと地域格差を感じる」との発言もあった。

もう、メディア戦略?は、いい加減にして

 きのうのポストには「必見!65日、<NHKニューウォッチ9>でユーカリが丘の街づくりが放送されます!」の山万のチラシが入っていた。今年になって、これで何回目?11日の「NHKスペシャル」、41日NHK「あさイチ」、NHKもNHKで、ヤラセはかなりまずくなったので、“明るい話題”をと必死になって探していて、行き着くところが「ユーカリが丘」? 被災地復興にしても、地域再生にしても、民間活用にしても、よくウラも取らず、検証もしないまま、話を盛り上げる番組が多くなってきた。

宮ノ台では、また、先月、花屋さんがひっそりと店をたたんだ。この数年で、並んでいた美容院が閉り、レストランが店じまいし、パン屋さんも撤退してしまった。まさにシャッター街である。近くのイオン系のスーパーでは、「プライベート・ブランド」ばかりが並び、これまで買っていた商品がどんどん消えていく。

ユーカリが丘駅に近い新しいマンション1階のベーカリーチェーン店が、なかなかオープンできないでいるらしい。また、ユーカリが丘駅につながるホテルのパン屋さん、職人さんは見つかったのかしら。あまり品数が少ないので、びっくりしていると、職人さんがしばらくお休みなのでと、店員さんは申し訳なそうに口ごもる。

暮らしやすい、足を地につけた「まちづくり」を目指してほしい。

 

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2014年5月 4日 (日)

みどりの日、関さんの森、再訪

   初めて訪ねたのも2年前のゴールデンウィーク。2010年から、「関さんの森を育む会」のボランティアに参加している長女が帰省中でもあり、一緒に出かけた。新松戸駅下車、さかい農園の際を通ってゆるやかな坂を上ってゆく。やがて道は、車のすれちがいができないほど狭くなったり、急な坂や階段が現れたりするが、ともかく国道6号線につながる市道の交差点に出る。2年前はまだ工事中だった市道、2012年9月に開通し、連休中だったためか、この日の車の往来は激しい。前回の訪問記は以下の記事、あわせてご参照ください。 http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2012/05/post-e122.html(2012年5月8日)

    前にもお会いした「育む会」の武笠さんがすでに正門前で、入園者を待っていらした。私たちは、常時開放の「関さんの森―屋敷林」の方を先にと、しばらく森に沿って歩き、入口の階段をのぼる。起伏のある鬱蒼とした雑木林を進むと、2月14日の大雪でだいぶ折れた枝や竹もあったらしく、そこここに片づけられていた。後に訪ねる関家の庭園を含めると、全部で1.5ヘクタールの広さという。湧水の池は決してきれいとは言えなかったが、ご近所の親子連れが何組か、ザリガニをとりに来ていて、時折、子どもらの歓声が、森に響いていた。

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    今日は、さらにこの森から6~7分ほどのところに、やはりかつて関家の所有だった「溜ノ上の森」があるという。途中、右手には、「花嶋さんのスダジイ」が見え始め、その一樹が何軒もの屋敷をまもるようにこんもりと辺りを睥睨しているようだった。「溜ノ上の森」は、広さから言うと、「関さんのの森」の三分の一くらいだそうだ。昔は、松も多かったらしいが、いまは竹林が広がり、そして、まさにタケノコ、若竹の季節。破竹の勢いというが、2~3mに伸びた「タケノコ」が、突然、目の前に現れて驚かされる。

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スダジイ

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  そして再び、「関さんの森」に戻り、今度は関家の庭園を見学させていただく。梅林の梅の実は、大きいものはすでにほんのり色づき始めていた。この、広大な緑地を開発から守り続けた関家のご姉妹にもお会いすることができた。そしてのんびりお昼寝中の猫たちにも。

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雑蔵の裏手、アジサイの道になるそうだ。いまは古文書が保管されている。3.11以降、燃すに燃せない薪と。

  1964年、関家の敷地を通る都市計画道路が決定したが、先代の関武夫氏が、周辺の都市化によって失われてゆく自然を守りたいという願いから、関家の屋敷林と畑を「子どもの森」「子どもの広場」として市民に開放したのが1967年。1994年、氏の死去後は、その多くを環境保護団体に寄付、1996年には「育む会」が誕生、屋敷林の維持管理とともに、松戸市との道路計画変更協議を重ね、関家とも2009年に合意、翌年着工の運びのなったという経緯がある。

  天気にも恵まれ、のんびりと森林浴を楽しんだ、みどりの日となった。

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2011年10月29日 (土)

続く交通事故に、ドクターヘリが飛ぶ~安全な道路とは

 先週は、近隣で、二日続けて交通事故が発生した。一つは、新聞やテレビでも報道された。26日(水)午後、ユーカリが丘1丁目の市道で、幼稚園送迎バスで帰宅の長女を迎えに出た母親を庭から追ってきた次女がバスの下に潜り込み、発進時に轢かれたという。病院に搬送されたが、後死亡したという事故だ(「朝日新聞」20111027日)。北総病院のドクターヘリは小竹小学校から飛び立ったという。我が家では気づかなかった。

27日(木)の4時過ぎ、救急車や消防車がけたたましいサイレンとともに、我が家方面に近づいてきた。どこへ向かうのか分からなかったが、煙が見えるわけではないし、と一度は家のなかに引っ込んだ。だいぶ経った、4時半過ぎだろうか、今度は、「ただ今、ドクターヘリが井野中に着陸するのでご協力ください」というマイクの声が流れた。井野中の西門近くまで出て、道を隔てて見ていると、校庭には消防車や救急車が停まっている。やがてあらわれたヘリが着陸し、救急車周辺に人の動きは見えるが、ヘリはいっこうに飛びたたない。昨日のことがあるので、どういう病人なのか分からないながら、無事であってほしいと願うなか、10分は経っただろうか、救急車の後部から担架が運び出されたと思ったら、あっという間にヘリは飛び立って行った。450分にはなっていただろうか。家で購読している新聞のうち、1紙だけが小さく報じていた。事件発生は355分だったというから、ヘリが飛び立つまで1時間近くかかっていることになる。事故現場は、西ユーカリが丘1丁目の交差点での事故だった。10歳男児の自転車と女性会社員の軽自動車の接触で、男児は肝臓破裂の重傷だったが、命に別状はなかった。男児もドライバーも事故現場に近い住まいだったらしい(「毎日新聞」20111028日)。西ユーカリが丘1丁目は、私たちの町と隣接し、井野東土地区画整理事業によって開発された第2工区域で、「ビューガーデン」と銘打って売り出されている戸建て住宅の街である。100戸ほどの家が建ち、空き地には建設中の家もある。今年の6月に新たに西ユーカリが丘1丁目と町名変更がなされたばかりである。

その翌日、私が受け持っているミニコミ誌の配布がてら、事故現場の近くらしい街区に行ってみた。周辺は建売住宅の建設が盛んで、工事車が並びクレーン車も動いている。建設現場で車の整理にあたっている人に、事故のことを聞いてみたが、知らないとあっさり断られてしまった。道一本を隔てると、もう私たちの町内で、ちょうど花壇の手入れをしている知り合いに声をかけられた。負傷した男児は、最初どこのお宅のお子さんかも分からなかったし、ようやくわかった家もお留守だったそうよ、とのこと。新しい住宅街では、そんなこともあろうかと思った。坂道と緩いカーブの交差点近くには、白墨でのしるしがいくつか残っていた。

記事では、事故の原因の一つとして、見通しの悪さがあげられていたが、少なくとも新しい住宅街は、法律さえ満たせばよいというスタンスから抜け出してほしい。宅地いっぱいに家を建てるのではなく、交差点での隅切り、曲がり角のお宅の石塀や生垣・シンボルツリーなる植樹もやめてほしい、傾斜のきつい道路もやめてほしいと、開発業者や都市計画行政の担当者に願わずにはいられない。

同じ井野東土地区画整理事業で建設された傾斜10度に近い跨線橋と通学路が交差する横断歩道で、私は、見守りボランティアに参加して3年目だ。信号機がないので、児童も私たちも怖い思いをすることが何度かあった。建設当時、私たち近隣住民は、その危険性を指摘し続けたが、開発業者も行政も、法律や特例をタテに危険性の認識を拒んだことが思い出される。

夕方、来宅した宅急便のドライバーとも事故の話になった。ユーカリが丘1丁目のお宅の家族は、顔をも知っているだけにやり切れない思いだと話していた。

私も自転車はよく利用する。やはり怖い思いをすることが度々ある。若い人の自転車に猛スピードで追い抜かれたり、道路の端の側溝や傾斜する路面を走るのでふらつくこともある。一方、車を運転する友人たちは、自転車の子どもと高齢者は怖いというのが一致した意見だった。気を付けなければいけない。自転車専用レーン構想が日本でもようやく論議され始めたが、デンマークのようになるのはいつの日だろうか。

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2009年12月24日 (木)

志津霊園問題、疑問だらけの決着~ほんとうにこれでよいのか

最終合意、決着というが

佐倉市議会は、1221日、市と志津霊園の管理者である本昌寺との最終合意案、和解案を含む関連3議案を賛成多数で可決した。これにより、都市計画道路122mが横断する形の志津霊園(3500)の移転を巡る問題がようやく決着をみて、道路開通へ一歩踏み出したと幾つかの新聞が報じた。市が本昌寺と道路用地買収の交渉に着手したのが1982年、簡単な経過は、1029日の本ブログ記事「TBS<噂の現場>を見ましたか~佐倉市へ、再び志津霊園問題」をあわせてご覧いただきたい。

前記事にもあるように、交渉中だからと「噂の現場」の取材スタッフから逃げていた市長だが、1210日になって、補正予算の1件として「最終合意予算案」を市議会に急きょ提案、1218日に志津霊園関連議案特別委員会は現地視察を含めた審議を行った。残念ながらこの委員会の傍聴ができなかったのだが、私が傍聴した21日は、市議会の最終日だった。冒頭の委員会報告によれば、佐倉市の弁護士から、これまでの経過と最終合意案の妥当性についての説明があって、賛成多数で可決した、という。その予算案とは、寺の移転先土地代金57000万円(25000㎡)に墓地代替地の造成費用73000万円と墓の移転補償費57000万円を上乗せするものであった。まだ、本昌寺以外の4つの寺の墓地移転の交渉を残しているものの、2014年度以降に道路建設が始まるメドがたったというのだ。

初めてだった、市議会最終日の傍聴

最終日は、提出の議案について各委員会から委員長が審議要旨を報告する。この日は50分ほど費やされた。そのあと、「討論」という形で、会派代表から各議案になぜ賛成・反対したのかを述べる。といっても、その議案も選択的で、なぜ反対したのか、賛成したのかの意見を述べるのも選択的で、要するに、会派として「これだけは言っておきたい」という意味の「討論」で、議論が交わされるわけはない。一方通行の発言の場であるようだ。もちろん無会派の議員1人にもそのチャンスはある。議案の中では、志津霊園関連3議案への意見がもっとも多かったし、時間も割かれた。そのあと、35号までの議案、請願・陳情の1件、1件について起立による賛否が問われ、議長の賛成多数、全員賛成の声ばかりが響きわたり、可決されてゆく。傍聴席からは、最前列でも議席が見渡せない。乗り出して覘くと、下の議場では、議員たちは立ったり座ったり、衣擦れも聞こえてこない無言の行が繰り返される光景が繰り広げられている。まさに「傍聴」で、議員の起立・着席の意思表示は傍聴席からは見られないというのも、不思議な一件ではある。

おもな反対意見は

いまは、私のメモに頼るしかないが、「討論」の中で、複数会派から志津霊園関連議案への反対意見としては述べられたのは、次のような点であった。

①今期1112月議会に追加議案として提出され、審議が尽くされていない。

②移転補償費、造成費は、すでに一部支出しているので、二重払いにあたる。

③今回の補償費の算出根拠が不明で、過大補償にあたる。

④現在の墓地面積の約7倍の25000㎡の代替地を提供しているのは不当である。

⑤代替地造成工事費の支払いに工事会社の大林組を介在させているのは、かつて多額の使途不明金を出した「墓地移転協力会」の不正行為により工事が頓挫したことの二の舞になる可能性が大きい。市は、大林組には渡し切りで、その詳細に関知しないのはおかしい。

⑥本昌寺は志津霊園の一所有者であって、他の4つの寺とは合意に至っていない。全所有者の同意を前提とすべきだ。

          

また、他に、次のような疑問を呈した議員もいる。

⑦今回の市と「本昌寺」との最終合意で、当初、15億円受渡し契約がなされた、市と「墓地移転協力会」との合意文書は破棄できるものではない。その後の基本合意も議会の同意を経ていない。

⑧市と本昌寺との「互譲」による最終合意というが、市側の一方的な譲歩に過ぎない内容である。

⑨志津霊園問題の沿革をたどれば、幾つかの時点で佐倉市は重大に過ちを犯しているがそれについては一切質されていない。

・墓地を道路予定地にする非常識な計画であった

・「協力会」との協定の不備・確認をしないまま8回に渡り「協力会」に支払い続けた 

・国からの補助金受領に虚偽報告があり、補助は受けられなかった・・・

⑩今後の道路事情、人口推移、財政事情、費用対効果などから、そもそも、道路開通は本当に必要なのか、もっと慎重に判断すべきではないか。

などなど・・・

思いがけなかった賛成会派

これらの疑問に答弁はないのだが、この議案への賛成意見を述べた会派もあった。市長を支援する保守会派が賛成意見を述べるのはまだしも、共産党議員が賛成意見を述べたのには驚いた。「本昌寺、協力会の背信行為に見舞われたが、都市計画道路の開通は20年来の懸案事項であり、今回、最終合意に達し、ようやく努力が報われた。造成費、補償費について精査したところ、適正であることが確認できたので、賛成した」というのがその主旨であった。今回反対した会派とは、これまで、大方の議案で賛否を共にしていたにもかかわらずである。どこか筋が通らず、不自然に思われたので、休憩時間、廊下の給茶機前で顔を合わせた、もう一人の共産党議員に「どうしたんですか、きょうの志津霊園問題の賛成意見は、解りづらいですね」と思わず声をかけてしまった。もっとも、新社会党は賛成意見こそ述べなかったが、賛成だった。少数会派の選挙対策なのだろうか。苦渋の選択?はないだろう。なんとも暗い気持ちで帰途に着いたのだった。

道路行政のこれから

車を持たずに暮らしている私などは、上記の⑩の意見に近い。122mの道路開通のため、これまでの出費の15億円、裁判費用、対策室人件費などの累積の上に、さらに13億の上乗せまでして、進める道路計画なのか、疑問は尽きない。開通は、地元の人たちの「悲願」というが、私の住まいの近くにも、井野東土地区画整理組合内の都市計画道路も「悲願」と喧伝されていた。区画整理事業は今年の清算予定が3年間延長され、道路開通も3年後の予定となった。しかし、この道路計画が決定したのは、1965年、井野東区画整理組合準備会の発足が1998年、道路が開通したとしても、その端は旧道に交叉、16号線につながるわけでもない。バイパス機能は全うできないだろう。1.6km、16m、公管金11億、基盤工事5億、千葉県による本格的な道路工事はこれから始まる。いったいいくらかかるのだろう。多くの緑を失い、ほんとうに必要な道路だったのだろうかと思う。道路行政は、根本的に見直す時代となったのではないか。                

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2009年10月29日 (木)

TBS「噂の現場」を見ましたか~再び佐倉市へ、志津霊園問題

       

日曜(1025日)の午後、久しぶりに「噂の東京マガジン」はなにをやっているかな、とテレビをつけてみたら、いきなり「きょうは、匿名で投書頂きました、佐倉市の都市計画道路が・・・」との声がまず飛び込んできた。佐倉市の市政史上の最大の汚点でもある「15億円が消えた志津霊園問題」がきょうの「噂の現場」らしい。ちょうどそのとき、近所の友人から「いま、6チャンネルつけてみて」との電話が入った。 番組では、15年前にも同じ「噂の現場」で志津霊園問題をレポートしたことを伝え、当時のVTRが流れた。レポーターの笑福亭笑瓶37歳が登場、他のコメンテーターもみな若い。「私はこんなに変わってしまったが、15年前とまったく変わらず、いまだに開通していない都市計画道路がある」と、笑瓶のきょうのレポートが始まる。

                                                                                                                                         

「志津霊園問題」って

志津霊園問題といっても、佐倉の人でも以外と知らない。以下は、私が市役所内の志津霊園対策室の資料や議会資料で少しおさらいをしてみた内容である。私の理解でのまとめとしてお読みいただきたい。1987年、水道道路の延長として、296号線のバイパス的な都市計画道路(上下2車線9m、両側歩道7mの幅16m、1日1万台の車両通行を想定)の約317mの事業認可がなされた。その道路予定地には志津霊園の一画、本昌寺の墓地があったので、その移転が急務となった。佐倉市は、本昌寺・墓地使用者らと直接交渉をせずに、檀家総代、石材店、市職員らによる志津霊園墓地移転対策協力会に墓地移転にかかわる事業を全面委任し、198890年、8回に分けて、153200万円を補償費として支払っていた。ところが、墓地の移転事業はいっこうに進まず、317mの内の122mがいつまでたってもつながらず、行き止まりになってしまった。佐倉市が協力会の会長・副会長職の檀家総代と石材店を告発したのが1994年だった。この間、市民の監査請求、市議会に幾度となく設置された特別委員会の調査、佐倉市の協力会会長・副会長を相手とした刑事告発の不起訴処分、住民による提訴の却下と続いた。その後も佐倉市と石材店石の宴(株)不動、芦沢建設、代替地地権者の間の訴訟などが入り乱れたが、その過程で協力会に渡った15億余の行方が調べられと、実際に移転事業に使われて形跡がなく使途不明のままであった。佐倉市が損害回復を目的とした民事訴訟ではいずれも勝訴しているが、結果的に取り戻せた額は、千数百万の単位でしかなかったらしい。大口では、本昌寺との基本合意による返還金1.5億円、協力会からの返還金25億円以外は取り戻せていない、とみてよい。市の調査では、領収書のある、支払先が判明した額は何に使ったかわからなくとも、使途不明金とは言わないらしい。たしかに代替地買収費として3.1億円は使用されているかもしれないが、その額は妥当なのか。また、現地の写真を見る限り、2.4億円かけて造成したとも思えない荒れ地であったし、石材店への墓石移転工事費4億円は依然として不明である。

こんなことになったのは誰の責任?

番組では、志津霊園対策室の取材は断られ、文書でしかやり取りしないようなことをいわれ、取材拒否をされていた。もっぱら市政資料室で調べたらしい。石材店を訪ねると、もうその名の会社はなく、かかわった元社長は出張中とのこと。また、「支払われた金で墓石等を買ったというが、現物がどこにもなかったんですよ」と渡貫博孝前市長はのんきなことを自宅の庭で語っていた。蕨現市長への取材では、市庁舎前で「これからお通夜に行く」と逃げる市長をスタッフが追えば「今、最終の詰めの段階だから、1~2か月は見守ってほしい」と去っていく様子が映し出されていた。 都市計画道路の行き止まりで、周辺道路への車の迂回は、住民にとっては危険極まりなく、地元自治会の人たちは、過去は過去として早く開通してほしいと話していた。佐倉市が協力会自体を訴えられなかったのは、協力会のメンバーに市の職員が複数入っていたからだろう、しかし、職員がいながら、ほとんど使途不明のまま15億円余のお金が8回にもわたって支払われた杜撰さ、怠慢の責任はだれが取るのか、がコメンテーターたちにも大きな疑問として残ったようだった。

責任をとったというけれど

番組では、触れられていなかったが、協力会に15億円余が渡った時期は198890年で、菊間健夫前々市長の時代だった。2年前にすでに亡くなっている。1975年来5期目にあたる1994年当時、市長・助役は自ら減給処分とし、他の理由もあって引責辞任しているという。その後、関係した職員15名に対しては減給・戒告・訓告処分がなされている。また、渡貫前市長になってまもない、1996年「勝田台・長熊線基金」条例により、志津霊園問題関係の返還金・回収金・寄付金をプールし、関連の支払いもこの基金からするようになった。これは笑ってしまうのだけれど、19977、関係の元職員、現職員94名から1880万円を集めて寄付をしている。これで、市役所の責任は一件落着ということにしたかったのだろうか。適当な軽い処分、職員一人の退職金にも満たない雀の涙の寄付金で、職務の怠慢、不作為を帳消しにするつもりなのかもしれないが、納税者の市民はとうてい納得できないだろう。国や県にしても同様のことは、いやというほど味わされているではないか。行政の無責任体制については私たちも真剣に監視し、仕組みを変えていかねばならないだろう。

「最終の詰め」というが、もう13億円余を積み上げる!

渡貫市長時代の2003年、本昌寺との基本合意では、振り出しに戻って墓地使用者の委任状を集めさせることから始めているらしい。また、蕨現市長になって、20081月、本昌寺に①以降、市が負担できる移転補償費と代替地造成費あわせて約13800万円を上限とすること ②寺から市へのこれまでの要求を撤回すること、などを申し入れ、寺も同意し、これを受けての「最終の詰め」ということらしい。来年度、このやりなおし事業に着手しても56年はかかるという。

たった120mの道路建設のために、15億と13億が費やされ、戻った額があったとても、訴訟費用、志津霊園問題対策室の人件費などを加算したら、どれほどの額になるのだろうか。それと、完成までの年月は、確実に四半世紀は超える。確かに相手が悪かったこともあるだろう。しかし、このロスの責任は、繰り返すようだが、協力会に職員を送りながら、佐倉市は、チェックもなしに15億円余を渡し続けたことにあることは明白なのだ。

                                                                                                     

補記:2009年12月21日の佐倉市議会において、市長提案のほぼ原案通り、賛成多数で可決した。詳しくは本ブログ2009年12月24日「志津霊園問題、疑問だらけの決着―ほんとうにこれでよいのか」をご覧ください。

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2008年6月 4日 (水)

「考える街。ユーカリが丘」って、ディベロッパーは何を考えているの(2)

これって記事、広告?

 「毎日新聞」の企画特集「役立つ住宅情報」は、首都圏を対象にしている広告記事で占められる。住宅メーカーやマンション業者の販売広告や情報記事が載る。紙面1頁分の構成としては一般記事と紛らわしいのが“特徴”といっていい。だから、唯一署名入りである住宅事情の時評的な「櫻井幸雄の住アドバイス」が特定業者を褒め上げる記事を書いても話し半分で読み流すことが多い。 

2008529日「櫻井幸雄の住アドバイス」の見出し「ユーカリが丘 まれに見る個性・先進性」が目を引いた。末尾の肩書きは「住宅ジャーナリスト」となっている。ユーカリが丘に20年も住んでいる者にとっては、ああ、「また山万がガンバッチャッテ」の思いが先に立つ。山万の開発手法やイメージ先行の広告を間近で見ている住民にはやや食傷気味のフレーズなのだ。

森と水に囲まれたァ~♪

このブログでも、何度か触れているのだが、私が住んでいる住宅街は、この業者が7割近く所有していて、業務代行を務める土地区画整理事業による開発区域に隣接している。宅地造成が完了した工区に、いま、14階のマンションが建設中で、日に日に積み上がるコンクリートの物体は、工事の騒音や振動とともに周辺の住民を不安に陥れている。私たちが住み始めた20数年前、マンションが建つあたり一帯は、戦国時代の井野城跡、鎮守の森に続く雑木林で、市街化調整区域だった。事業組合が認可されると、森は伐採、山は切り崩され、その切り土はくぼ地に盛られ、八社大神の境内の杜だけがお椀を伏せたように取り残され、造成された。その造成過程では、トラック800台分の産業廃棄物が持ち出されたという経緯も発覚した。30度に近い盛り土の傾斜地が2度にわたって崩れ落ち、幹線道路からのこの街区への導入路は傾斜10度に近い危ない橋だった。この盛り土の上に建設中のマンションは、ゴールデンウィークから「森と水、都市機能を備えた、環境共生・子育てを考えた」をキャッチフレーズに販売を開始した。周辺に残る森や水田は、30年以上前、ニュータウン開発当初、山万の買収に応じようしなかった農家の集落と田んぼだったのである。その農家の当主の一人は「われわれが守ってきた森と田んぼなのに、よく言うヨ」と苦笑するのだ。

スーパーがいつのまにコンビニに!

さらに、このマンションの西に位置する私たちの家並みの多くは、日照時間が大幅に短縮されるのは必至。また、マンション入居者には、近接商業施設が必需だが、その建設が、狭い斜面地に私たち住宅街側に寄せて計画され、屋上に駐車場を設置するという。私たちの生活道路や通学路は、500戸以上の新マンション入居者や商業施設・新設公園などを利用する車輌の抜け道となり危険にさらされる。また、数年前、別のマンションの完成時にオープンした近接スーパーがすぐに撤退、コンビニに変わってしまったのを目の当たりにしている。入居者のお年よりは、スーパーがなくなるなんてだまされた、コンビニなんか用がない、と。そんなこんなで、私たち既設住宅街の自治会は環境保全のために、さまざまな要望を行政や山万に提出するのだが、都市計画や開発関係法令を楯になかなか応じようとしないのが実態である。脱法にも近い、法令をギリギリ、クリアすれば事足りるのか、そんな場面を何度も見せつけられている。かつての顧客だった私たち旧住民をこんなにもないがしろにしていいものなのだろうか。このディベロッパーのやることなすことに信頼が置けなくなっているのだ。

評論家って?

先の新聞の広告記事の執筆者「住宅ジャーナリスト」は、業者の宣伝文句そのままに「ニュータウンを何十年もかけて1社で開発するのは、私が知る限り日本ではユーカリが丘だけ」、保育所から老人ホームまで、住宅販売からリノベーションまで、「生涯不安なく生活できる街をというのも先進性の表れ」と書く。マンション販売開始にあわせて、55日に、山万は「住宅評論家櫻井幸男先生と巡る<街の見学会>と<マンション見学会>、櫻井先生がこっそり教えるマンション購入のためのセミナー」を実施したことを後で知った。ああ、やっぱり。

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2008年3月31日 (月)

「考える街。ユーカリが丘」って、ディベロッパーは何を考えているの?

佐倉市の開発行政は誰のためなのか

私が住むのは京成沿線のユーカリが丘なのだが、開発を一手に引き受けてきた地元開発業者は、このところ、カンガルーのキャラクターを使って「考える街。ユーカリが丘」のダジャレ宣伝を展開している。3月半ばには、TBSのワイド番組でも「人口の減らない街、年取らない街、子育ての街」として発展を続けている街として紹介されたらしい。「素晴らしい町なんだね」と番組を見た知人からの電話に、私は戸惑うばかりだった。安心・安全・福祉の街づくり、環境との共生を標榜しながら、地域住民への配慮のない開発を目の当たりにしているからだ。

国の道路行政において、道路特定財源が官僚や道路族議員・国交省天下り先業者により好き勝手に使われている実態が次から次へと、議会の質疑や報道などにより連日明らかにされている。もう税金は払いたくないというのが正直な感想だ。

また、「新銀行東京」への都からの追加出資の顛末を見ていると、都民でなくとも腹立たしい。あの都知事の指示を天の声?とし、銀行新設・追加出資に賛成した議会の責任も大きい。

身近にも、似たようなことが起っている。ちょうど10年ほど前から、近くの雑木林が突然伐採されることになり、土地区画整理組合による開発事業の実態を知り、佐倉市の都市計画行政を少しばかりウォッチすることになってしまった。住民の想像をはるかに超えて、行政や開発業者は実に「えげつない」ことをしていることがまた、一つわかったのだ。

開発行政は、まるで業者の言いなりなの?

 このブログでも、すでに2006617日「区画整理組合への助成金は、やはり業者への後押しだった」で触れているように、「土地区画整理事業の助成に関する条例施行規則」33項で、不動産業者・開発業者が、土地区画整理組合事業による開発区域の3分の1以上を所有している場合は助成対象からはずすことになっていたのを、20063月末日付で、この項を削除した。そして規則修正により、8m以上の道路の歩道部分用地取得費相当額の2分の1を助成できることにした。つぎの19年度早々に、私の住まいにも近接する「井野東土地区画整理組合」による開発事業に約5700万円の助成が実施された。その組合による開発区域の約72%が、組合の業務代行となっている地元の開発業者「山万」の所有であったのだ。施行規則の条項削除・修正は、条例ではないから、市議会の議決を要しない。行政、担当部課による事務的な手続きで可能なのである。

 この規則改正直前の20062月市議会において、改正の動きを察知、質問した議員もいた。条例施行規則に「3分の1条項」が盛り込まれたのは、19983月。その趣旨は、営利目的の事業者の所有する土地の割合が一定以上越える場合、公金を支出することは好ましくいないとするものであった。

では、その規則を改正してまで、7割以上もの土地を一開発業者で占めている土地区画整理組合に助成するのはなぜか、の質問に、当時の市長は、土地ブーム時の先買い業奢が特別の利益を受けるのは望ましくないけれど、「非常に、もう沈滞化しているという、いわゆる土地が動かなくなっているという社会的な情勢の中では、今度はそういった事態に対応して土地をきちんと活用できる方向に施策を進めていくべきであろう」と区画整理事業をきちんと進める必要があるという判断に基づいた措置である、と答えていた。

 さらに、この規則改正では、同時に「井野東土地区画整理組合」事業区域に隣接の「井野南土地区画整理組合準備会」へも、本組合認可準備のための助成と称して平成19年度・21年度の2度にわたって計5400万円助成の予算措置がとられた。10年前までは、二つの組合区域一帯は「山万」の第3期開発の予定区域だったのだから、当然その所有割合は3分の1どころか6割を越えている。これは、紛れもなく、公金による営利目的の事業者を利する措置にちがいないのだ。規則改正直後の6月市議会では、業者からの要請があったかの質問に対して、市長は、土地区画整理組合からの「強い働きかけ」はあったが、最大地権者の開発業者(山万)からの要望があったかは「記憶」にない、と答弁していたのだ。

 そして、さらに驚くべき方向に事態は進む。上記二つの組合への助成措置が完了後、目にも止まらない速さ、1年数ヵ月後の昨20071217日付けで、上記条例施行規則の一部改正によって再び「3分の1条項」を復活させ、200811日施行となったのである。佐倉市都市整備課HPには、その改正趣旨にはつぎのように書かれていた!?

 「宅地及び公共施設の整備や保留地売却など、土地区画整理事業の性質にかんがみ、これに類する業を行う営利目的の事業者を不当に利することを防ぎ、助成制度の一層の適正化・公平化を図ったものです」

 佐倉市の厳しい財政状況から、補助・助成制度の廃止・整理・統合、基準の見直しの一環としての改正だったという大義名分も付されている。その見直しのさなか、井野東・井野南土地区画整理組合(業務代行山万)からの強い働きかけで、規則改正による助成を佐倉市は断行したと判断されても仕方ないだろう。

 佐倉市における土地区画整理事業には、清算にたどり着けずに、行政のテコ入れを余儀なくされているところもある。千葉県は開発行政の見直しで、あらたな土地区画整理事業は認めないことになっているが、佐倉市の「井野東」「井野南」への助成は、3分の1条項をはずしての最初で最後の公的助成となったのである。
 自由自在の規制緩和、用済みの後は、また規制?

似たようなことといえば、最近こんなこともあった。20082月市議会を前に、佐倉市が「市街化調整区域の宅地開発許可基準(区域指定制度)の廃止について」の意見書、いわゆるパブコメを募集しているのに気がついた。すでに形骸化している悪名高い「パブコメ」なのだが、ナニナニ?ドーイウコト?数年前、200310月のことだったのだが、条例改正により、一定の条件さえクリアすれば市街化調整区域の中の宅地開発が可能になった。市議会少数会派の議員たちは、いわゆるミニ開発、乱開発が野放しになることで反対していたのだが、議会を通過してしまったのだ。

いわゆる市街化調整区域の規制緩和は、4年ちょっとで、その緩和を廃止して元に戻そうというものだ。パブコメ募集時のコメントを見て、またあきれるのだが、つぎのように書いてある。

「佐倉市では、平成15年10月1日から、条例により市街化調整区域でも一定の条件を満たす土地について住宅地の開発を可能なものとしました(区域指定制度)。しかしながら、道路・排水施設などの公共施設が不十分な地区においての住宅地開発が次々と行われるようになりました。
 このような住宅地開発が行われると、隣接する地区に流入する自家用車等の交通量が増大し、交通渋滞や事故を発生させる危険性を生じさせ、また、農地や緑地が失われて自然環境が損なわれることが懸念されています。」

 こんなことは、都市計画行政に素人でも十分わかっていることだった。何をいまさらと思う。4年余りの規制緩和による乱開発の例をいくつか聞き、近くの知人の家の隣接でも目の当たりにしている。20軒から100軒くらいの規模の宅地造成が突然、近隣との脈絡なく行われ、建売住宅が販売されるケースが多い。ほとんどが雑木林や畑地であったところだ。ループ状の道路が一本団地を巡るだけの袋小路的な形状であったり、既存道路との接続が危険であったり、盛り土・排水・調整池の不備に隣接住民は不安を抱えることになる。市内の各地でトラブルが頻出することになった。大きくはない開発業者による場合が多く、法令や行政指導を潜り抜け、行政や近隣住民へ脅迫まがいのことが発覚、市議の利権が絡む例も知った。行政としては、当然予想できる事態であるのにもかかわらず、なされた拙速な規制緩和はいったい誰が責任をとるのだろう。

 市民からの意見書は21通あって、すべてが緩和の廃止を可とするものであった。

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2007年11月24日 (土)

道路は誰のために―佐倉市はなぜ車輌通行止めを拒むのか

危険な道路から命を守るのは誰なのか
いま、私たちの町で、ある小さな橋の車輌通行止めをめぐって、行政と地元住民がもめている。20073月に、地元自治会から車輌通行止めの要請書を署名つきで提出して以来、協議は5回にも及ぶが、まるで平行線なのだ。 というのも、街中を走るモノレールを跨ぐ短い橋の向こう側に、土地区画整理組合による開発が進み、450戸近いマンションの建設工事が始まり、調整池を巡る親水公園もオープンした。将来はスーパー、有料老人ホーム、ケア付きマンション建設が予定され、この橋の車輌及び歩行者の激増は必至となる。私が住む橋のこちら側は20年来の戸建て住宅街で、歩道のない生活道路につながり、小学生・中学生の通学路にもなっている。住宅街の生活道路が幹線道路につながる交差点では何回かの人身事故が発生している。車両の通行による交通事故の危険、騒音・振動・排気ガスなどがもたらす被害が十分予見されたので、車輌通行止めを要望したのだ。ところが、行政は、一度認定して、供用を開始した道路は、道路法により車輌の通行止めは出来ない。そもそも道路というのは車輌をはじめ通行することが目的で開設されたのだから、止めようものなら、行政は利用者に訴えられて敗訴する、というのが車輌を止められない理由だと繰り返す。
危険が目の前に迫っているのになぜ?の思いなのだが、道路管理者の佐倉市との協議は思いがけず難航している。宅地造成の際の6mの盛り土の引下げは井野東土地区画整理組合と、マンション建設工事の工事協定書は施主の開発業者山万と協議を進めてきたのは、自治会内に立ち上げた対策協議会が中心である。協議の合い間には、初当選の新市長との面談、現地視察の実施、地元市議の議会質問もなされたのだが、「担当者は地元との話し合いを続けなさい」という以上の結論は出なかった。国土交通省が開設している「道の相談室」なるところにも相談してみたが、法令解釈については本省に聞き合わせるだのナンなのと言って、時間ばかり食った上、「そんな小さな道のことは自治体が判断することだから、よく話し合うように佐倉市にも勧めたおいた」などと逃げるのだ。

新任の副市長に期待したのだが

 この膠着状態を打開しなければと、実務担当者との距離が市長よりは近いと思われる鎌田副市長との面談をようやく実現した。副市長は県を退職したばかりだが、この佐倉市に在職したこともあり、その手腕で新市長に招かれたと聞いている。現地視察の帰り際、車の窓から身を乗り出して、いつでも相談に来てくださいと、大きく手を振って去ったのが印象に残っている。私たちが主張する、現在の橋の危険性と将来予測のみならず、担当者が決して踏み込もうとしない供用道路の交通規制の実現可能性を、副市長ならわかってもらえるにちがいない、実務担当者の固い頭を何とかしてもらえるかもしれない、という淡い期待があった。私たちは、かなりのエネルギーを費やして、再度の要望書を提出、訴訟になったら負けるという顧問弁護士の弁は同種の判例から簡単に覆ることなどを調べ上げた資料を取り揃えた。

道路法上、車輌通行止めはほんとうに不可能なのか
 
専門家でなくとも、法律や判例を読んでみると、私たちのようなケースで、道路法上車輌通行止めをしないのは、むしろ行政の法令違反になるという構図も見えてきた。
 
行政は、しきりに、一度供用を開始した道路は車輌通行止めなどの規制をかけることができない(道路法4813項)と譲らない。その理由は、1987年の市議会をへて認定された道路であるからと主張する。今回、開発区域から幹線道路に通ずる新たな跨線橋が開設され、駅への近道も認定されたのだから、当該の橋(道路)の車輌通行の代替道路ができたと見るべきだろう。問題の橋(道路)を一度、廃止処分にして、あらたに車輌通行止めの道路として認定しなおすことも法令上可能なのではないか(道路法102項)。一方、その道路認定当時の事情を調べると、いま私たちが住んでいる街が開発され、宅地が販売された時期で、橋の向こう側は、もちろん市街化調整区域で、古くからの神社がある里山と調整池、それをめぐる農道しかなかった。その区域の道路は、主に旧集落の方々が使用し、新住民の私たちが散歩に出かけたり、新米のドライバーが練習に使ったり、たまに最寄りの駅に通じる近道として使用する程度だった。それに、今回、それらの道路の大部分が、実質的に上記のように供用されながら認定されておらず、問題の橋の部分だけが認定されていたことが分かった。「橋以外の道路が認定されていなかった理由がわからない、たんなるミスだったと思う」というのが行政の言い分なのだ。そんな杜撰な認定ならば、その認定を金科玉条のように言い募るのはおかしいではないか、その橋をめぐる環境も激変したと迫るのだが、“不特定多数”の皆さんが一度通行し始めた橋の車は止められない、の一点張りなのだ。

将来の危険が予見できれば予防策を講じる義務がある
 上段のような難しいことを言わなくとも、道路管理者には、「重大な交通事故が発生することは容易に予見できたところであるから、道路管理者としては、自らの責任において対応改善策を講じるべきであった」、さらに「市街地にあっては一般公衆のように供される道路は老若男女を問わず、健常者・障害者を問わず、利用することが社会生活上通常予測されるような通行者と交通方法に対応し、かつ安全、円滑を確保しうる道路状態を保つのでなければ、義務を尽したとはいえない」を主旨とする判決(岡山地裁、昭和59年<ワ>第643号)があることも知った。さらに、近年の司法制度改革により2004年行政事件訴訟法9条に2項が追加され、法令適用に当たっては、条文上の文言のみによることなく、当該法令の趣旨及び目的を考慮するものとする」という主旨の条文が加わったのだ。
 
この条文を知っているかの問いに、私たちとの協議の窓口になっている都市整備課長の「ナンですかそんなことはたしか噂では聞いたことがある」との回答にはあきれてしまった。行政は、何の調査をするでもなく、副市長以下、部長、係員まで、手ぶらで協議に臨んでいるらしく、「出来ない、止めない」の結論ありきの時間稼ぎに過ぎなかったような気もする。

訴えられたら行政は負けるのか
 半年以上に及ぶ市との交渉で、行政は当初よりこのセリフで、私たちの要請を退けてきた。誰が行政を訴えるのか。近隣の住民?将来マンションを購入した人?マンションを建設しているデベロッパーの山万?とただしてみても答えはいつも返ってこない。つい最近の交渉でようやく「不特定多数の、その道路の使用者」だと言い出した。しかし、この考え方は今や前世紀の遺物なのだ。
 
供用道路廃止処分を受けて、一般公衆の通行者、近隣の住民や事業者が行政を訴えた裁判で原告適格が認められない判例はすでに定着しているといっていい。
①昭和41.6.29 水戸地裁  昭和41年(行コ)第3
②昭和42.7.26 東京高裁  昭和41年(行コ)第37
③昭和621124 最高裁   昭和62年(行ツ)第49
④平成 6 131 京都地裁  平成 4年(行ウ)第29
 いずれもさまざまな理由で供用廃止処分になった県道や市道を従来から利用していた一般通行者・近隣住民・事業者などが行政を訴えたケースで、「県道や市道、公の道路を自由に使用する個々人の権利や利益は、法的な利益ではなく反射的な利益に過ぎず、道路法10条による供用廃止処分があった時点で、消滅してしまう」が、「その道路の利用がほとんど唯一の通行手段であり、生活上著しい支障をきたす特段の事情がある場合の利用者に限って、原告適格は認められる」とする判例だった。
 このように長い時間をかけて形成されてきた判例を行政はどのように受け止めたのだろう。ただただ不特定多数の誰かに訴えられるので、さらに将来の交通量を見てからでないと「車輌通行止め」の判断が出来ない、というのは、幻影に恐れをなした問題先送りに過ぎない。たしかに、千葉県大網白里の道路供用廃止処分の無効確認訴訟では、自分の住んでいる家の唯一の出入り口がふさがれて日常生活に重大な支障をきたした者に原告適格を認めた(⑤東京高裁 昭和34年(ネ)第2678号)。私たちが問題にしている跨線橋の実態とはかけ離れている事実関係であることが分かった。

市のかたくなまでの態度の背景は
 
以上のようなことを、私たちは、副市長に対し、現地でも、書面でも、そして今回、口頭でも説明したのだが、次の会議の準備があるからと中座しかけた彼は「道路というものは、車や人間が通行するために建設されたものであるから、今すぐに止めるわけにはいかない」とうつろな目で、ボソッと言うのだ。わが耳を疑ったのだが、そんな幕切れだった。数日前に、彼が地元の市議を呼んで、「問題の橋は将来交通事故が多発しない限り、車輌通行止めは出来ない」と説明したそうだ。こんな回答や説明しかしないからこそ、役人を続けられるのだろう。
 
協議終了後や連絡の電話口でふともらした言葉に、行政の本音が飛び出すことがある。問題の跨線橋の車輌通行止めは、橋の向こう側で、いま地元デベロッパー山万から売り出し中の40軒ほどの建売住宅、一年後には売り出すマンションへのアクセスを気にしているらしいことが分かる。山万と市とは、こと開発、街づくりなどに関して、加えて指定管理者制度の委託先としてかなり濃密な関係であることが顕著なのだ。今回、行政側のかたくな態度には、どうもこの業者への配慮が見え隠れする。そうでないならば、毅然とした態度を見せてほしいところでもある。

道路行政、これでよいのか
 さきに、私は土地区画整理組合内の都市計画道路建設に絡み、行政が用地買収費用として組合側に支出する「公共施設管理者負担金」の算定経過・基準への疑問を呈した(当ブログ「道路用地費11億円はどのように決まったか―公共施設管理者負担金の怪13200633日・7日・10日)。今回の問題の橋(道路)も、1980年代の開発時にデベロッパー山万が建設した道路の一部なのである。道路建設に国や自治体が直接関与するより買収工作から完成までを事業者に投げて、後は管理するだけという道路が多い。
 先ごろ、国交省が道路整備計画素案を発表した。その財源がこの先10年間で68兆円という巨額なのだ。その使途として、高速道路の整備、渋滞解消と並んで取ってつけたように、「通学路の安全確保」などとある。笑って済ませるには、ことは深刻すぎる。要するに、財源のうち60兆円は国・自治体からの税収、あとが高速料金なのだが、財源はすべて使い切ろうという数字合わせで、一般財源へ回す分はないとした計画である。天下り人事のもとにおける水増し事業・手抜き事業が強化される仕組みである。目的税の怖さはここにある。消費税の福祉目的税化、年金保険料みたいに湯水の如くに使った上に、杜撰な管理。私たちは、どこまで搾り取られるのだろう。
 いま取組んでいる、わが町のこのささいな交通安全対策ですら、行政の壁は厚いのだ。

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