2020年3月18日 (水)

NHKの会長、経営委員長!顔をあげて答弁せよ!~自分の言葉で語れない人々

 昨夜の日付が変わる頃、NHK総合テレビの11時45分から、来年度NHK予算審議がなされた3月17日開催衆議院総務委員会の録画が放映された。だれがこんな時間に見ますかね。視聴率がもっとも低い時間帯ではとも思う。フルでは、以下のオフィシャルなビデオで見てほしい。 

衆議院総務委員会2020年3月17日

http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=49942&media_type=  はじめから再生

 来年度NHK予算案についての質疑の中身、答弁の中身について、いま詳しくは触れないが、私が、いま、関心を持ったのは、やはり、経営委員会、経営委員による個別の番組への介入問題であった。

 とくに、今回は、かんぽ不正問題を扱った「クローズアップ現代+」続編について、石原進NHK経営委員長時代、不正発覚を恐れた日本郵政が森下俊三委員長代行を通じて、公然と取材妨害をし、放映を延期させ、当時の上田良一NHK会長に厳重注意をしたことが明らかになった。番組の編集と経営との分離を定めた放送法に違反する発言や行動をした森下前委員長代行は、現在、経営委員長におさまり、委員会の議事録の公開に関しても、今回の総務委員会で問われていた。

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 その森下委員長は、終始、机上の書類を棒読みするばかりで、顔を上げることがほとんどない。放送界とは縁もゆかりもない、ただの実業家なので、番組の編集や放送法も知らないままに、いわゆるフィクサーや根回し役には長けていたのだろう。公共放送の経営を任せられる人物ではない。一方、上田会長に代わっての前田NHK新会長は、みずほの会長だった人だ、もちろん放送には縁がなく、1945年生まれというが、パソコンも利用してないそうだ。通信と放送の融合とかやっていけるのだろうか。総務委員会での答弁でも、ぼそぼそと机上の紙に目を落として続け、顔を上げない。こんな人たちに、受信料から高額の報酬が渡るなんて、許せない。
自分の言葉で語れる放送人はいないのか。

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 NHK側の参考人として、以下の面々が呼ばれていた。

前田晃伸(NHK会長)*元みずほフィナンシャルグループ社長・会長
木田幸紀(NHK専務理事)1977年入局、ドラマ制作部門出身、前N響理事長
森下俊三(NHK経営委員会委員長)阪神高速道路(株)取締役会長
高橋正美(NHK経営委員、監査委員)
前損保ジャパン日本興亜(株)代表取締役副社長
*元職、前歴は筆者補記

 その森下NHK経営委員長の辞任を求める署名が始まった。以下署名の趣旨と要領で署名用紙とネット署名を求めている。私も、以下のコメント(400字以内)ともに署名した。
ネット署名は以下からできます。

https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSfrpGTQZffOWBsjaQYIyfg11FG1C09ZorBjQd6Ivk8SDncz2w/viewform

<私のコメント>

 経営委員の番組介入は、あってはなりません。NHKの番組は報道番組に限らず、上層部も制作現場も、政府からの自律性を失い、政府広報に成り下がっていて見るに堪えません。政府に不都合な情報を極力伝えないのは、新型コロナウイルス感染状況・対策報道を見ても明らかです。日常的には、国会報道については、首相ないし閣僚の発言や答弁のいいとこ取りの編集ですし、意見が割れている問題についても、特定の「専門家」を登場させることが多く、素人でもいえる意見や課題を述べさせ、NHK独自の取材にもとづく事実や論点提示がなされません。良心的な番組とされるドキュメンタリーなども、いまだから話そう式の歴史検証ものが多く、今、現在直面している問題に切り込む番組は少ないのは、まさに、政府への忖度が働き、受信料を払っている視聴者が本当に知りたいことを報じないのは、公共放送を担う資格がありません。

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放送法を踏みにじり、NHKの番組制作を妨害した森下俊三氏の

NHK経営委員辞任を求めます

NHK経営委員長 森下俊三 様   2020年3月16日
放送法を踏みにじり、NHKの番組制作を妨害した森下俊三氏のNHK経営委員辞任を求めます
呼びかけ団体 (2020年3月15日、24時現在)


 NHKとメディアを考える滋賀連絡会/NHKとメディアを考える東海の会/NHK問題大阪連絡会/NHK・メディアを考える京都の会/NHK問題を考える奈良の会/NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ/「日本郵政と経営委首脳によるNHK攻撃の構図を考える11.5シンポジウム」実行委員会/NHKとメディアを語ろう・福島/NHKとメディアを考える会(兵庫)/表現の自由を市民の手に 全国ネットワーク/NHK問題を考える岡山の会/NHK問題を考える会・さいたま/政府から独立したNHKをめざす広島の会/放送を語る会/時を見つめる会/NHKをただす所沢市民の会/NHKとメディアの今を考える会/NHKを考える福岡の会

 日本郵政は職員に過酷なノルマを課し、詐欺同然のやり方でかんぽ保険等の不正販売を続けてきました。2018年4月、NHKの「クローズアップ現代+」はこの件を取り上げて視聴者に警鐘を鳴らすとともに続編の制作に向けて取材を続けていました。
 ところが、あろうことか、当時NHK経営委員会の委員長代行であった森下俊三氏は、さらなる不正の発覚を恐れた日本郵政の不当な要求を取り次いで、「クロ現+」の番組の取材と編集に露骨に干渉し、続編の制作を妨害する発言をしていた事実が明るみに出ました。
 そもそも「放送法」は、番組の制作と経営とを分離し、経営委員が個別の番組の編集に関与したり、干渉したりする行為を禁じています。にもかかわらず、森下氏は「クロ現+」が続編制作のための取材を続けていたことを知りながら、経営委員会の席上その取材方法を公然と非難する発言を行い、上田良一会長(当時)への厳重注意決議を成立させるまでして、番組制作を妨害したのです。
 現在、森下氏はNHK経営委員長に就任していますが、当時の行為についての反省はなく、「放送が終わった番組について感想を述べたまでで、干渉はしていない」と強弁し、居直っています。ことここに至っては、森下氏の経営委員としての不適格は明らかと指摘せざるを得ません。
 そこで、私たちは森下俊三氏に以下のことを求めます。

森下俊三氏は直ちにNHK経営委員を辞任すること

私は上の求めに賛同し、以下のとおり署名します。
氏  名 住     所
 *署名の第一次集約日:2020年月4月5日(日) 第二次集約日:2020年月4月30日(木)必着
 *署名用紙の郵送先:〒285-0858 千葉県佐倉市ユーカリが丘2-1-8 佐倉ユーカリが丘郵便局留
森下経営委員の辞任を求める署名運動の会 醍醐 聰 宛て
(ご注意) 日本郵便以外の事業者の郵送物は受付られませんので、ご注意下さい。
この署名用紙のダウンロードは→ http://bit.ly/33gfSET からできます。
 *ネット署名はこの下の 「以下はネット署名です。」のところからお願いします。
 *問い合わせ先: メール:kikime3025-dame18@yahoo.co.jp へお願いします。
 * 集計結果は http://bit.ly/38PjU8n

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2020年3月11日 (水)

3月10日、NHK「ニュース7」は、明らかに放送法第4条違反~毎度おなじみの尾身茂氏

  きょう、午前中から参議院予算委員会の公聴会が開かれていた。「公衆衛生・新型コロナウイルス対応」「新型コロナウイルスが内政に与える影響」「内政・外交の諸課題」の公述項目ごとに公述人2名が出席したのだが、午前中には、「公衆衛生・新型コロナウイルス対応」について、自民推薦の、政府の専門家会議の副座長で地域医療機能推進機構理事長の尾身茂と医療ガバナンス研究所理事長の上昌広の二人が、意見を述べていた。

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参議院予算委員会、左尾身公述人、右上公述人

 夜7時「ニュース7」のコロナウイルス関連のニュースの解説者として尾身氏が登場、前日の専門家会議の記者会見、公聴会での公述で話していたことの繰り返しで、国民の心がけみたいな話が続き、まさに、自民党政府の代弁に過ぎなかったのである。コロナウィルス対応に限らず、今日の公聴会のニュースは後ろに回るのかな、とみていたが、ついに伝えられなかった。政府の第2弾の緊急対応策や海外イタリアや中国の感染・対応状況などを詳しく報じ、最後に、ローソンが学童保育におにぎりを配ったというニュースなどで締めくくるのである。

 これって、おかしくない?と、NHKふれあいセンターに電話した。

〇なぜ、自民党推薦の公述人の解説だけなのか、公聴会の報道がなぜなされないのか。
 ⇒そういうご意見があったことを伝えます。

〇考え方が違う、意見が分かれる場合は双方を提示するのが公共放送ではないのですか。
 ⇒そういう意見があったことを伝えます。公聴会のほかの公述については、データ放送、、ウェブニュースで読むことができます。

〇7時のニュース内で、他のニュースを排しても、異なる意見も伝えないといけないのではないか、こういう意見は多いのではないですか。
 ⇒そういうあなたのような意見もありますが、尾身さんの話を聞きたいという視聴者もいます。

  一瞬「?」、私の方が言葉に詰まったが、いつもの対応である。一方通行の”ふれあい”センターなのである。センターのスタッフはNHKの職員ではなく、外部委託の人たちだからか、放送法を全く理解していないのだろう。 これは、あきらかに、放送法の「第4条 放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の 編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。 一 、公安及び善良な風俗を害しないこと。 二 、政治的に公平であること。 三、 報道は事実をまげないですること。 四、 意見が対立している問題につては、できるだけ多くの角度から論点を明らかに すること。」の「政治的な公平」「意見が対立している問題には多くの角度からの論点明示の必要」に違反しているのだ。

 そして、改めて「NHKwebニュース」を検索してみた。「参院予算委公聴会新型ウイルスへの対応で有識者2人が意見( 2020年3月10日 13時21分)」の記事は、以下の見出しで確かに掲載されていたのだが、午後のニュースで放映されたかはわからない。

自民推薦 尾身(茂)氏「人的・財政的な支援を講じるべき」

立民など会派推薦 上(昌広)氏「 検査体制の拡充を」

*出典:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200310/k10012322971000.html?utm_int=word_contents_list-items_094&word_result=新型コロナウイルス

 さらに「参院予算委公聴会 新型コロナウイルス影響などで4人が意見 (2020年3月10日 18時59分)」というニュースも出てきた。「ニュース7」ではもちろん放映されなかったニュースであるが、「4人」は、以下の見出しが付けられ、紹介されていた。

自民推薦 熊野(英生)氏「五輪 最悪でも延期など中止避けるアイデアを」

共産推薦 野村(幸裕)氏「すべての働く人たちの条件向上を」

公明推薦 大日向(雅美)氏「子どもたちは窮屈な思い」

維新推薦 三浦(瑠璃)氏「率先してリーダーシップを」

*出典:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200310/k10012323681000.html?utm_int=word_contents_list-items_051&word_result=新型コロナウイルス

  こうしてみると、webでは、その日の公聴会の計6人の7時間に及ぶ公述・質疑は、大きな写真とともに掲載されても、各人数行づつしかその内容が紹介されなかったことになる。しかも、上の小見出しに見るように、各公述人の意見の相違点や論点はまるで見えてこない。

 民放の報道番組の解説者としても登場している上氏は「PCR検査が進まないのは、厚生労働省とその下にある国立感染症研究所のコントロールがあるからだ」という意見を公聴会でも述べていたが、もちろんそれへの言及はなく、NHKは、一番視聴率の高いニュース番組では、専門家会議の副座長尾身氏の解説だけを重用したことになる。編集権なんて言うものではない。もはや、情報操作、印象操作による政府広報ではないか。

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2020年3月 7日 (土)

きのうの「ニュースウオッチ9」見ましたか~ユーカリが丘が登場したのですが

昨夜、静岡県に住む義姉から電話があって、さっきのニュースで、ユーカリが丘が映っていた、という。コロナの影響で、都心に人口が減って、郊外の人口が増えている街としてユーカリが丘をクローズアップしたらしい。

きのうの「NHKニュースウオッチ9」の録画によれば、「ビッグデータの分析」とのコーナーで、コロナ感染防止対策と銘打った小中高学校の一律休校や在宅勤務・時差出勤の要請の影響で、昼間の滞在人口が通常の逆を示し、ベッドタウンの滞在人口が増加している。1キロメートル四方で表した地図で調べてみると、「千葉県佐倉市ユーカリが丘」にあたる部分が色濃くなっている、とのことで、取材にきたらしい。

まず「都心まで電車で45分」と報じられるが、「45分」には、大きな疑問符がつく。ユーカリが丘~東京なのかもしれないが、路線情報で検索すればわかること、不動産屋ではないのだから、正確を期してほしいな。通勤となれば、どんなルートでも、乗り換え時間、遅れなどで、1時間以上はかかる。

そして、駅前の佐倉市が運営する、共有オフィスの利用登録が増加しているとして、備え付けのデスクと機器を使って仕事をする人たちの声と映像。このオフィスというのが、前市長の大いなる置き土産で、市議会の多数会派とすったもんだの末、「テレワーク・シェアオフィス」と称して、国からの拠点整備費など5100万と市の補正予算、併せて総額1億1千万を超える予算で2019年にスタートした、いわくつきの施設であった。それに、フロアの賃借料年間840万とランニングコスト合わせると、3000万近くになる。5年間で元が取れるという皮算用である。さらに、この駅前ビルは地元の開発業者山万の所有で、商業施設の移動、撤退?で、フロアによっては、がらんどうに近いビルになっていたので、業者にとってはありがたい事業であったわけである。そのシェアオフィスのオープン以来、起業家たちの手助けという触れ込みもあったが、利用者が少なく、いつも、ひっそりとしていた施設だった。市民にとっても、第一利用料が高いし、使い勝手が悪く、評判が悪かった。テレワーク要請の現在だからこそ、利用者が若干増えたのかもしれないが、契約期間の10年間で、大いなる赤字が出なければいいが、というのが納税者としての実感ではある。

また、学校が休みになった子供たちが、いつもより賑わいを見せて遊んでいるユーカリが丘南公園の様子や、シェアしながら、子供たちを見守っているという、勤めを持つ母親たちの姿も伝えられた。市民がいかにも“難局”を乗り越えているかのような一例を伝えても、問題点を提示したことにはならない。

NHKは、今回の新型コロナ感染拡大対策について、一貫して政府広報に徹している。国会でのやり取りは、極力、首相はじめ閣僚の、「やってる」答弁のみの放映が多く、コメンテーターも、顔ぶれがほぼ特定し、政策の問題点や論点を示すことがほとんどない。

きのう、私も久しぶりにユーカリが丘駅付近まで自転車で出かけた。銀行、郵便局、ドラッグストアなどを回り、帰りにパン屋さんとケーキ屋さんにも寄ったが、いつもと変わりがなかった。ただ、ドラッグストアでは、マスク、トイレットペーパー、キッチンペーパーの棚に商品がなく「売り切れました」の札がある光景には、この街に住む人たちの不安が思われた。我が家の備蓄は、心細いが、慌てて買うようなことはしないつもりだ。この際に、デマを見極める知恵、マスクにしても8割が中国からの輸入品であったという事実などを知ることも大事なのではないか。私も、久しぶりに針を持ち、ガーゼハンカチで何枚かのマスクを作ってみた。やや不格好ではあるが、家の中や就寝時には、これで、十分なのではないか。

以下も、あわせて、ご覧いただければ幸いです。
佐倉市は、不動産屋に?山万の空きビルの一部を借り上げて、貸室業をやるらしい! 20181210日)
 http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2018/12/post-2945.html

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2019年10月25日 (金)

報道の自由が危ない!11月5日シンポジウムに参加を

  かんぽ不正を追及していたNHKは、日本郵政の圧力に屈して、「クローズアップ現代+」の続編がなんと1年以上も延期されていた(2019年7月30日放映)。昨年の4月、かんぽ生命保険の不正販売を報じた番組について、日本郵政がNHKへの抗議を続け、NHK経営委員会は、上田NHK会長に厳重注意をした。その後、昨年11月には謝罪文書まで届けている。本来、編集へは口を出してはいけないはずの経営委員会が番組への介入を問われると、上田会長の組織統治を問題にした。上田会長も自主自律の堅持を強調するが、石原経営委員長は当初議事録はないとしながら一転してその存在を認めたが非公開とするなど、経過は依然として不透明である。
 日本郵政側の中心人物は、元総務省事務次官で、日本郵政に天下りした鈴木康雄上級副社長で、情報通信政策局長時代には電波行政を取り仕切っていた。「NHKは暴力団」と逆切れした人物でもある。

*********

 下記のチラシのように、つぎのような内容で、シンポジウムが開かれます。このシンポジウムは、10月11日を延期して18日に予定していた「NHKは日本郵政の圧力にひるむな!郵政の圧力に加担した石原委員長は辞任せよ」のNHK前アピール行動が、台風のため中止となったことを受けての参議院議員会館で開かれるシンポです。ぜひ、ご参加くださいますよう、お待ちしています。

**********

シンポジウム 圧力はなかったのか? 報道の自律はどこに

 ~日本郵政と経営委首脳によるNHK攻撃の構図を考える~

 

と き:11月5日(火)13時~15時 (12時半から入館証渡し開始)

ところ:参議院議員会館 B109(地下1階)

パネリスト:皆川 学(NHKプロデューサー)

      杉浦ひとみ・澤藤統一郎(弁護士/前半・後半入れ替わり)

      小林 緑(NHK経営委員)

      田島泰彦(元上智大学教授)

      進行 醍醐 聰

主催:11.5 日本郵政と経営委首脳によるNHK攻撃の構図を考えるシンポジウム実行委員会(「NHK前アピール行動」の

   呼びかけ人で構成)

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 なお、チラシの最下段にありますように「日本郵政の番組介入に加担した石原NHK経営委員長の辞任を求める署名」も、多くの市民団体により実施されています。ぜひご協力お願いいたします。

署名用紙とチラシのURLは以下の通りです。
          →  http://bit.ly/31tpSYI

 

署名用紙    →    
ネット署名 →   

 

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2019年10月 5日 (土)

日曜美術館「異色の戦争画~知られざる従軍画家・小早川秋聲~」(NHKEテレ2019年9月1日)を見て


 やや旧聞に属するのだが、ある地元の会で、表記の番組がよかったよ、と話に聞いて、録画で見ることになった。放送の概要は、下の番組案内を参照してほしいのだが、いま残されている小早川秋聲の「国の盾」という作品はインパクトのあるものだった。ちょうど、私は、高村光太郎のことを書き終えて、そこで書ききれなかったことを、ブログ記事にもしていたさなかだった。Photo_20191005181801
NHKの番組案内より。『国の盾』(151×208cm,
1944年制作、1968年改作)

  この絵には確かに見覚えがあると思って、昔、買って置いた『芸術新潮』か「トンボの本」ではないかと、探し始めると、あった!ありました。『芸術新潮』は<戦後50年記念大特集>の「カンヴァスが証す 画家たちの『戦争』」(1995年8月)であり、とんぼの本の方は「画家たちの『戦争』」(2010年7月)と題されるものだが、同じ新潮社から出ているので、内容的にはだいぶ重なるところが多いのがわかった。

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上段:『芸術新潮』1995年8月。下段:『画家たちの戦争』(2010年7月

 

  NHKの番組案内にはつぎのようにあった。
「陸軍の依頼を受けて描かれたものの、軍から受け取りを拒まれたという異色の戦争画、『国之楯』。作者は日本画家の小早川秋聲。満州事変から太平洋戦争まで、最前線で取材し、数多くの戦争画を描いた。番組では、知られざる従軍画家、小早川秋聲が残した数々の戦争画を、近年新たに発掘された絵や文章を交えて辿(たど)りながら、戦争末期の1944年に戦争画の集大成として描かれた『国之楯』を読み解いていく。」

 小早川秋聲(1885~1974)は鳥取県の寺の家に生まれたが、跡を継ぐのを拒み、京都での日本画の修業の傍ら、国内や中国をはじめ欧米への海外への旅行を繰り返し、文展や帝展への入選を重ねていた。1931年の満州事変以来、関東軍や陸軍の従軍画家として活動した。秋聲の戦争画は戦闘場面というよりは兵士の生活に密着したテーマが多いという。戦場の前線にあっても、この画家の優しいまなざしを垣間見る思いではあった。

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『画家たちの戦争』より 。右『出陣前』(1944年)。

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『画家たちの戦争』より。左上段:『無言の戦友』、左下段:『護国』(1934年)。

 
 ところで、番組の核となった「国の盾」は、兵士の亡骸の暗黒の背景と国旗の赤の部分で覆われたその面貌が、強烈であったが、陸軍に拒否された作品は、この絵ではない。その後、2回にわたって修正されていることも番組で知った。日南町美術館の学芸員の説明によれば、陸軍から戻された作品は、その後1944年と1968年の2回にわたって描きなおされているが、どの部分かはっきりしないという。ただ、当初の作品の背景には、桜の花びらが舞い散っていたことらしいことが絵の具の重ね具合の分析でわかったらしい。その後、資料を読み返してみると、1968年に刊行された『太平洋戦争名画集 続』(ノーベル書房)に収録されたものが、いま残っている「国の盾」であった。番組には、「国の盾」が<戦争画>という類型ではひとくくりできない、画家の戦争への対峙、厭戦・反戦思想までも示唆するような作品であったというメッセージが根底にあったように思う。
 しかし、私たちが、いま、目にする「国の盾」は、カンバスの裏の付記により、1968年に書きなおされことははっきりしているので、敗戦後23年後の書き直しの可能性が高いと思われる。

 陸軍に拒否された作品は、「軍神」との題だったというが、現物を見たという関係者は、見当たらず、写真も残ってはいない。にもかかわらず、ネット検索をしていると、その原作らしい、桜の花びらが散っている絵がヒットしてくるのである。これはどうしたことか、腑に落ちなかったので、日南町美術館に問い合わせてみたところ、あの桜が散る「絵」は、現実のものではなく、NHKBSがかつて放映した「極上 美の饗宴 『闇に横たわる兵士は語る 小早川秋聲 “國之楯”』(2011年8月1日)において、作成された<イメージ映像>だというのである。そして、あの「絵」が独り歩きをして、困惑されているようなことも話されていた。
  ああ、ここにもあった<イメージ映像>の罪づくりな話であった。NHKには限らないが、ドキュメンタリー番組の中の<イメージ映像>については、安直な先入観を醸成する手法なので、やめてほしい。最近、NHKスペシャルのドキュメンタリーなどでの<イメージ映像>の氾濫には、へきへきとしていることは、先の当ブログ記事でも書いている。

*8月20日の朝刊一面は「昭和天皇の“反省”“肉声”報道」が氾濫した~「NHKスッペシャル・昭和天皇は何を語ったのか」の拡散、これでいいのか (2019年8月20日)http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/08/post-ee7fb1.html

*NHKの良心的な番組って、何ですか~”NHKが独自に入手した資料が明かす・・・”ドキュメンタリーの虚実(2019年8月18日)
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2019/08/post-a2ae43.html

 さらに、この番組は、従軍画家が「戦意高揚」の絵ばかりでなく、「国の盾」のような絵を描いた、ということに重点が置かれていて、その画家の「心のうち」を辿ろうという趣旨であった。しかし、私は、陸軍に突き返されたという作品は、それだけでも、十分に意義があることだと思い、そのまま保存しておいてほしかったのである。画家としては意に添わなかった作品だったかもしれないが、1944年の作品として、依頼者の陸軍に拒否された作品として、残しておくべきだったのではないか。敗戦後の「戦争画集」収録にあたって、なぜ書き直したのか、その心の内が知りたいと思った。書き直された絵は、敗戦後初めて描き下ろされた絵としても、その強烈なメッセージは伝え得たと思う。 これまで、私は、歌人たちの戦時下の短歌を敗戦後、歌集にまとめるにあたって削除したり、「全歌集」に「歌集」を収録するにあたって、削除や改作が行われたたりしたことについて、表現者としての責任の観点から分析してきた。近くは、高村光太郎の戦争詩についても考えてきた。画家についても、同じことが言えるのではないか。

<参考>

日曜美術館「異色の戦争画~知られざる従軍画家・小早川秋聲~」
(NHKEテレ201991日) 

https://www4.nhk.or.jp/nichibi/x/2019-09-01/31/15730/1902813/

出かけよう日美旅~「日曜美術館」その舞台をめぐる 第98

鳥取県/日南町へ、小早川秋聲の故郷を行く旅

(NHKEテレ201991日)
http://www.nhk.or.jp/nichibi-blog/400/411643.html

ブログ 日南町美術館の日々

http://blog.zige.jp/museum/

極上 美の饗宴 『闇に横たわる兵士は語る 小早川秋聲 “國之楯”』

201181放送NHK BSプレミアム

2次世界大戦における日本の従軍画家に関する一考察~日本画家小早川秋聲を通して

file:///C:/Users/Owner/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/MN0SN31S/ZD30402007.pdf

<参考>

日曜美術館「異色の戦争画~知られざる従軍画家・小早川秋聲~」
(NHKEテレ201991日) 

https://www4.nhk.or.jp/nichibi/x/2019-09-01/31/15730/1902813/

出かけよう日美旅~「日曜美術館」その舞台をめぐる 第98

鳥取県/日南町へ、小早川秋聲の故郷を行く旅

(NHKEテレ201991日)
http://www.nhk.or.jp/nichibi-blog/400/411643.html

ブログ 日南町美術館の日々

http://blog.zige.jp/museum/

極上 美の饗宴 『闇に横たわる兵士は語る 小早川秋聲 “國之楯”』

201181放送NHK BSプレミアム

白石敬一:第2次世界大戦における日本の従軍画家に関する一考察~日本画家小早川秋聲を通して

file:///C:/Users/Owner/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/MN0SN31S/ZD30402007.pdf

 

 

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2019年8月20日 (火)

8月20日の朝刊一面は「昭和天皇の“反省”“肉声”報道」が氾濫した~「NHKスッペシャル・昭和天皇は何を語ったのか」の拡散、これでいいのか  

 

 一昨日818日の当ブログ記事では、NHKへのもろもろの不満の中で、817日放送のNHKスペシャル「昭和天皇は何を語ったのか~初公開・秘録『拝謁記』」について書いた。この数日、NHKニュースは、「NHKスペシャル」などの特別番組と共に「昭和天皇賛美」キャンペーンが半端でない。改元初の八月を期して「ここまでやるか」の印象で、先々の報道の偏向、国策報道への暴走がすでに始まったのではないか、の思いがする。

 

 今朝8月20日の朝刊は、NHKが「独自に入手した」田島道治の「昭和天皇拝謁記」の一部がメディアに公開されたのを受けて、わが家購読の三紙と毎日8月19日夕刊・20日朝刊、朝日20日朝刊、東京20日朝刊で、読売、日経はどうであったろうか。今朝のテレビといえば、「あおり運転」の容疑者宮崎某の学歴や職歴をはじめ小中学校からの友人知人、これまでの事件の実写や関係者の証言が盛られた。  

 

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   昭和天皇の「おことば」に「反省」の文字を入れることを吉田茂首相に拒まれたという個所に焦点があてられる。一方、「象徴」の在り方を模索したといいながら、かなり早い時期から「憲法改正をして、再軍備をしなければ」などの政治的な発言を政府に伝えようとしたことを田島に止められていたことにも触れる。「内奏」という形での情報収集や政府への介入を試みていたことは、ほかの資料でも明らかである。

 これらの発言、田島との密室でのやり取りが、検証もなく、即「肉声」として取り上げられること自体、そしてそれがたとえ事実だとしても、発言の時代的推移における矛盾については、検証されないままである。そして、「先の戦争への反省」「平和への思い」が「平成」を経て現在の天皇に受け継がれているという「定説」は、むしろ覆されたのではないか。そして、天皇の「先の戦争への反省」「平和への思い」を過大評価することによって天皇賛美への道を確固とすることは、結局、誰を利するのか、国民は冷静に考える時期に直面している。私たちは、政府の、メディアの情報への、そして同調圧力へのリテラシーこそが問われているのではないか。

 

 

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2019年8月18日 (日)

NHKの良心的な番組って、何ですか~”NHKが独自に入手した資料が明かす・・・”ドキュメンタリーの虚実

 

 ほんとうに、近頃は、NHKと民放のテレビ番組の区別がつきにくい。チャンネルを回して、数秒間見ている限りでは、民放のコマーシャルも入らないのでわからない。なんかどこかで見たことがある芸人たちが並んで、まん中にまたどこかで見たことのあるタレントが仕切っているような・・・。アナウンサーらしき人が真ん中にいても、あとの二人はタレントであったり、タレントを助けるアナウンサーの役だったりする場合もある。こんな番組、どこかの民放で見たことあると思ったらNHKだったということもしばしば。NHKは潤沢な予算と人員を擁しながら、恥も外聞もなく民放の番組をパクったり、民放で売れ始めたタレントを横取りしたりする。

 N国の出現に危機を感じたNHKが頼み込んだのか、政府が、NHKに恩を売ったのか。中谷一馬衆院議員(立憲)の質問への答弁書という形で、8月15日の閣議で、「受信契約が成立した段階で、受信料の支払い義務が生じる」などという閣議決定をした。受信料の支払い義務は、放送法上の根拠がない。これまでも「義務化」の立法を画策しているが、法律は成立していないことからしても、「受信料支払い義務」はあり得ない。そこのところを質問した議員もわかっていないし、応える閣僚たちの立法府・議会軽視も甚だしい。支払わない人対策はNHKに投げるほかない。スクランブル化についてはNHKの公共放送の性格からして、やるべきではない、とも。現在のNHK報道番組は、政府広報に堕していると言ってもよい。これまでも、番組編集や人事に政府の介入や圧力があった、NHKサイドから政府に忖度をしたという「事案」は数知れない。

  そんな中で、毎年八月になると、NHKスペシャルは、NHKが独自の資料を入手したとして、ブックトラックで恭しく運ばれた資料を、ときには手袋などして、番組担当者や研究者が、重々しく頁をめくる映像が流される。「これぞ超一級資料新発見!」として、既視感たっぷりに番組は始まる。資料と証言で編集されるものと思えば、物々しい再現映像がこれでもこれでもかと挿入されるのも、いつものパターンである。

 今年は、二つの番組を見た。

①NHKスペシャル「全貌 二・二六事件~最高機密文書で迫る~」(2019年8月15日、総合午後7時30分~(73分)再放送:2019年8月18日、午前0時35分

  これまでも謎が多い二・二六事件で、出てくる資料は陸軍側のものが多かったが、今回、海軍側の「最高機密文書」をNHKが入手したという。やはり、画面に大写しされたのは、「極秘」の印が押された赤表紙の資料で、二・二六事件発生後、リアルタイムで刻々集まってくる情報が記録されていた文書であった。1945年9月2日ミズリー号船上での降伏文書調印式に海軍側の随員として参加していた富岡定俊少将のもとにあった資料だったらしい。その辺のことは詳しく説明がないまま、番組は進む。調べてみると、富岡は、戦後、旧海軍大学校のもとに設けられた「史料調査会」に席を置き、戦史の研究にたずさわっている。ということは、もちろん資料は個人のものではない。本来ならば、防衛省防衛研究所戦史研究センターに保管されるべき資料ではないか。資料の公開が待たれる。

  陸軍側の皇道派の蹶起部隊の将校や幹部の意見の食い違いや変化を追うとともに、海軍側に集まる情報と対策が克明に記されている資料による事態を明らかにしてゆく。反乱軍として鎮圧し、事態の収拾を図りたい天皇と海軍との連携が浮き彫りになる。海軍と陸軍の対立の構図がここでも強調されていた。しかも、海軍側の資料によれば、すでに事件の1週間前の2月19日には、蹶起が近く、そのリーダーの将校の名前など具体的に記録されていたことがわかる。ということは、海軍側は、事件発生は予想できたにもかかわらず、放置、傍観していたことになる。というよりは、海軍による鎮圧まで計画していたというから、いずれにしても、1936年以降、この事件を利用して、軍部、天皇による軍国化・天皇神格化が一挙に進んだことになる

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 相変わらずのドラマ仕立てで、蹶起部隊と陸軍幹部、陸軍と海軍、天皇との「攻防」の苦悩や緊張感のみが高められる形で進めようとする番組という印象が免れず、この時代の軍部や天皇の核心に迫る姿勢が感じられなかった。

 

②NHKスペシャル「昭和天皇は何を語ったのか~初公開・秘録『拝謁記』」(総合2019年8月17日午後9時~(59分)再放送

 17日当日の「ニュース7」のトップが、なんと「昭和天皇 拝謁記<象徴天皇>初期の模索明らかに」というこの番組の宣伝を長々と放映していた。16日前日の「ニュース7」でも、「昭和天皇『拝謁記』入手 語れなかった戦争への悔恨」として、この番組の宣伝がかなりの時間放映された。ほかにも伝えるニュースはあったはずである。この連日のキャンペーンには、どこか不穏な臭いもする。ただの「八月ジャーナリズム」に終わらないような気もする。

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敗戦後の宮内府長官田島道治の昭和天皇「拝謁記」が、遺族から提供されて、初めて公開されたのだという。田島が、天皇とGHQ・マッカーサー・首相らと間の仲介役であったことは知ってはいたが、「拝謁記」があることは知らなかった。にわか勉強と原武史のツイートなどにより、以下のことを知ったのである。

原は、8月16日のツイートで以下のように綴る。
「またNHKが「独自」と称して宮内庁長官田島道治が昭和天皇の肉声をメモしていていた膨大なメモが見つかったとするニュースを長々と流していたが、今日のニュースを見る限り、加藤恭子『昭和天皇と田島道治と吉田茂』(人文書院、2006年)ですでに明かされたこと以上の発見はほとんどなかった。」

また18日には、以下のようにもツイートしていた。
「学者の世界では、先行研究ですでに明らかにされていることをきちんと踏まえた上で、新たな史料によってわかった知見は何なのか、その範囲をくっきりと浮かび上がらせることが求められる。連日のNHKのキャンペーンは、このルールを全く無視しているようにしか見えない。」 

  私などが、ぼんやりと感じていたことを、原は、研究者として的確に言いおおせていたと思う。私は、加藤恭子の『昭和天皇と田島道治と吉田茂』は未見であるが、ネットで以下のような資料に出遭った。加藤恭子のある研究会での報告であるが、彼女は、田島道治の上記伝記執筆を依頼されて、遺族とともに大量の文書と日記を苦労しながら解読作業をしていることが分かる。その成果が、前掲書にも記されているのだろう。「拝謁記」と名付けられての執筆記録なのか、日記に拝謁記録が混じっているのかが不明で、加藤が読んだものとの関係も一切触れていない。加藤の「報告」で1952年5月3日の「独立式典」でのスピーチ草稿の経緯は、はっきりしていた。だから、<初公開>とか<秘録>と言えるのかとも思う。NHKの番組のために編成された?解読研究プロジェクトのチーフでもある古川隆久も、自著『昭和天皇』(中央公論社 2011年)で、加藤の資料は「田島日記」として引用している。<第一級>の<新資料><独自資料>を裏付けようとするために、研究者の言を拾うのはNHKの得意とするところでもある。原のツイートでの怒りがわかるような気がした。

*加藤恭子研究会報告(2003年)file:///C:/Users/Owner/AppData/Local/Microsoft/Windows/INetCache/IE/XLUAEPA6/50kato_k.pdf

 ところで、番組が伝える中身なのだが、「拝謁」部分の会話は、あくまでも密室でのやり取りであって、その信ぴょう性にも言及する必要があるのではないか。そこを素通りして、天皇と田島のやり取りが、俳優二人によって「信頼厚く、誠実で」あり続ける演技が展開されるのである。昭和天皇を演じた俳優には気の毒だが、「人柄を滲みださせようとする演出」は、過剰にも思われ、無理がある。

  昭和天皇が過去の戦争への「反省」にこだわるのは、当然のことではあり、その上、多くの国民を他国の人々を犠牲にしたという自覚があったからだと思うが、吉田茂首相によっての削除を結果的に認めてしまうほどの「反省」ではなかったか。すでに「下剋上」の世界では自分の意見を言えなかったといった主旨の言い訳は、「反省」や「悔恨」とは真逆の認識ともいえよう。東京裁判終結後も「退位」云々に触れ、「退位した方が気が楽」とも語ったとされているが、むしろ、東京裁判後の「安心感」からでた「愚痴」の域を出なかったのではないか。

その後の「沖縄メッセージ」隠蔽工作、戦争責任「ことばのアヤ」発言などとの整合性などを思えば、「発言」や「言葉」の軽々しさはぬぐいようもない。

現代においても、天皇の「おことば」の一語一語の過大評価が横行しているが、意味がないばかりか、評者自身の自立性すら疑いたくなるほどである。

文句ばかり言うのなら、見なければよいのだが、やはり「短歌と天皇制」について、考え続けている身としては、はずすわわけにはいかなかったのである。

 

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2018年12月 7日 (金)

<NHKを辞め記者の道を貫く>相澤さんの講演会へ

相澤冬樹さんの講演会<NHKを辞め記者の道を貫く~森友事件の本質と移籍への思い> (1125130分~/京都教育文化センター/NHK・メデイアを考える京都の会主催)

  

 11月下旬の京都行きの目的の一つは、上記の講演会に出かけるためでもあった。講演会は、ほぼ三部に分かれていた。 

➀ 講演は、まず、相澤さん(1962年生)のNHKでの記者としての31年間を振り返る形で、記者として守ってきたポイントを語った。初任地の山口で、吉田松陰に傾倒し、みずからを真正右翼と称し、取材には思想信条・主義主張が重要ではなく、取材先には、誠意と信念を持って語ること、相手が伝えて欲しいことを必ず伝え、こちらの伝えたいことも聞きだすことに尽きるという。 

② つぎに、森友問題の本質について、森友学園の事件ではなく、国(財務省)と大阪府(私学課)の事件であること。財政的基盤も、教員の確保も不確実な森友学園に小学校の設置がなぜ認可されたのかがまず問題であること、さらに、小学校用地となった国有地は、豊中市の防災公園、大阪音楽大学が購入を希望したときは、財務省側が高値を譲らず折り合いがつかなかった物件だったが、森友学園が小学校用地として望んだとたん、国有地としては異例の貸付契約を可としたこと、であるという。さらに、売買を希望すればと、財務省側が、森友が出せる金額の上限を尋ね、それ以下の価格と分割払いを自ら提案した事実は、音声データなどですでに検証されているが、なぜ、役人がそこまで加担したのか、その解明の必要を強調した。 

③ 最後に、NHKをなぜ辞めたかについては、考査部門への異動が決まり、記者の仕事を続けられなかったからという。しかし、NHKに対しては31年間育ててもらったこと、日本一厳しい水準で取材・報道をしてきたという自負がもてたこと、NHKを愛する一人として、最近の報道には思うことがある、とも語った。現在は大阪日日新聞の記者となり、論説委員をしながら、執筆や講演活動を続け、12月には新著『安倍官邸vsNHK 森友事件をスクープした私が辞めた理由』(文芸春秋刊)を出版するという。

 

講演後、1時間30分の質問討論の時間が確保されていた。こうした講演会ではよく時間切れで、質問が打ち切られることが多いので、よかったと思う。100人ほどの参加者からの質問は途切れることはなかった。講演・討論を含めて、私が印象に残ったことを書きとどめておきたい。 

★相澤さんは、森友問題の解明が今後の課題という。が、すでに、わかっている背景があると思うのだが、それについてはあえて踏み込んだ事実を語らなかった。新著では、そのあたりを書いているのだろうか。 

★NHKの取材においては、新聞社や民放に比べて、日本一厳しい水準があって、それに基づいて取材してきたという。その水準というのは、取材においては、可能な限りの事実の解明が必要ということなのだろう。一方、その報道に関しては、中立性とバランスの重要性が問われるが、現在の報道については、それがどれほど実現されているかは、疑問の方が大きい、と私は思っている。質問者の一人も、沖縄の慰霊の日の安倍総理、翁長前知事の葬儀の際の菅官房長官の参列や式辞への野次の声が、NHKの放送の際には、完全に消されていた事実と「厳しい水準」との整合性を質していたが、相澤さんは、「取材では、あくまで『厳しい水準』を全うするが、報道の内容・編集については、報道部門の判断であって、記者は関知しない」という主旨の回答であった。取材と報道の双方が「厳しい水準」を全うすることによって、放送は完結すると、私は考えるので、その断絶はやはり、納得できなかった。 

★他のメディアより潤沢な取材費がかけられる、その財政基盤は受信料あってのものなので、受信料を払ってもらえるような放送内容にしなければならない。視聴者が、おかしいと思ったら、どんな形でもNHKに、その意見を届けてほしい。その数の力によってNHKを変えることもできる、とも語った。しかし、私も、ふれあいセンターに電話したり、意見や質問をメールで送信したりしているが、電話では、「ご意見として、担当者に伝えます」の一方通行だし、メールの返信は、まるで、木で鼻をくくったような、定例文で、まともな回答が返ってきたことがない。視聴者の願いは、意見の伝達と受信料を手段として届ける、という相澤さんは、いささか楽観的過ぎるのではないか、と思った。

 

このごろのNHKについて 

 この頃のNHKのテレビ番組や報道を見ていると、視聴者を見くびっているとしか思えないものが多い。 

・「ニュース7」では、国内政治、国会開会中でも、報じる順番は後回し、時間は極力圧縮される。たとえば、国会質疑でも、野党の質問は、端折りに端折って、質問の背景を伝えずに、総理や閣僚の答弁はもっともらしいところだけを伝える。また、法案の審議中は、与野党の「攻防」「駆け引き」としか報じない。法案の問題点などは、成立後や成立のめどが立ったころ、ようやく解説や問題点、今後の課題が報道されるというパターンが定着してしまった。その上、専門家と称する人の素人でもいえそうな、コメントを麗々しく、賛否とその中間の街の声とやらを流すだけだ。 

・また、海外ニュースも、中国やロシア、韓国や北朝鮮のマイナス情報に飛びつき、災害や事件が発生すれば、大々的に全国ニュースとして取り上げる。災害や事件の犠牲者に対して、「親切で、まじめな人だった」とか「素直で元気な子だった」とか・・・、関係者の情緒的なコメントを流すことはしても、災害や事件の背景や核心、今後の対策に迫ることを避けるのが常套手段である。「対応を指示した」という政府や自治体の「やっている感」を助長する。 

・スポーツニュースは、勝敗の結果だけで十分で、後はスポーツ番組に任せればよい。今年続いたスポーツ界の不祥事についても、おそらく、担当の取材記者たちは、かつてより知り得る立場であったろうし、少しでも丁寧な取材や調査をすればわかったことであろうと容易に想像がつくことに思えた。何をいまさら・・・の思いもする。 

・また、NHKのバラエティ番組にしても、本業がなんだかわからないようなタレントやお笑い芸人を並べ、出演者だけで盛り上がっているような番組が多くなった。タレント事務所に妙な気づかいすらしている様子もうかがえる。チャンネルを回していると、えッ!これがNHK?と思うことがしばしばあって、民放と全く区別がつかなくなった。 

・「教養番組」、「教育番組」と称するものですら、タレントの起用は著しい。はたして、所期の目的が達せられるのだろうかと疑問に思うし、視聴率を高めているとも思えない。かつては、見ることもあった「短歌」や「美術」関係の番組も、じっくり見せたり、聞かせたりすることがなくなって、その展開の速さや余分なタレントのコメントが煩わしいと思うようになってしまった。歴史もののドキュメンタリーにしても、「今だから話そう」「過去から学べ」式の現代の問題とは一線を画する編集に終わるのが常である。

 

 NHKを退職したプローデューサーや記者たちが大学教員や評論家になったり、民放のコメンテーターとなったり、アナウンサーまでがフリージャナリストと称したりで、マス・メディアに登場する例が多い。在職中の高給、高額な退職金、年金を思うと、受信料は止めたくなってしまう。テレビを持っただけで受信料が発生するなんて、もってのほかとしか思えない。せめて、見た分だけ支払う仕組みにするべきではないか。それに、ふれあいセンターのオペレーターたちは、すべて下請けで、職員がまったくタッチしていないのも問題である。本気で視聴者の声を聴く姿勢には思えない。現場の職員や管理職が、交代でもいい、視聴者の声をナマで聴く仕組みも考えるべきではないかと。  

 相澤さん、視聴者のそんな気持ちを分かってほしいな。「森友」問題に一石を投じた相澤さんには、フリーな立場での取材を頑張ってほしいな、という気持ちが交錯するのだった。

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2018年11月 6日 (火)

麻生大臣辞めてください~11月11日、財務省前の行動へ

あの大臣の顔は見たくもない 

  私が参加している「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」が下記のチラシのように、財務省前で「麻生大臣は即時辞任せよ!」のアピール行動と日比谷公園~鍛冶橋までのデモを計画している。「アソウの顔を見るのもイヤだ」という人は、私の周辺でもかなり多い。「アイツが出たら、すぐテレビを消すよ」という声もよく聞く。それでも、麻生は次から次へと国民を逆なでするような、暴言・放言を臆面もなく放ち続け、国会では、答弁の安倍首相の後でニヤニヤし続けている。

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このチラシと署名用紙はこちらの「市民の会」へ↓

http://sinkan.cocolog-nifty.com/

 顔を見たくもないの視聴者の声に応え!?、NHKの国会関連ニュースはめっきり少なくなってしまった。夜7時のテレビは、アメリカだ、シリアだ、中国、韓国だと、海外ニュースや災害・事故・事件が、いつもトップだ。それぞれ、大事ではあるが、限られた時間内でのバランスがおかしいのだ。ときにはスポーツがトップで長い時間を費やす。地方局のニュースで十分ではないかと思うこともしばしばで、渋谷のハロウィン騒動を長々とやった上、「マナーを守って楽しみましょう」だって。たしかに麻生・安倍のクローズアップ画像は少なくなった?しかし、開会中にもかかわらず、国内の政治ニュース、国会関連は、極力後回しにして、短時間で済ます。首相はじめ大臣のイイとこ答弁だけが放映され、質問の中身をまともには伝えない。受信料だけはしっかりとって、日本の公共放送は、政府広報に成り下がってしまった。
 こんな川柳があったのを、メモしていた。「見ねば損見れば腹立つNHK 千葉 さと志」(「仲畑流万能川柳」『毎日新聞』2018年10月16日)

113日の国会前集会に出かけました

 

先月、19日行動の議員会館前の集会は久しぶりだった。1019日は、小雨のなかだったが、集会の始まる前の時間を利用して、1111日、「財務首前「麻生大臣は即刻辞任せよ」辞任要求行動とデモ(「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」主催)のチラシを配布した。総勢13人、一人80枚を配り終えるには、あまり時間はかからなかった。私は、丸ノ内線国会議事堂前の南通用門横に陣取り、早めに終了。この日の集会は、主催者発表で1800人とのこと。

 113日は、まさに快晴。「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」と 「安倍9条改憲NO!全国市民アクション」の共催で、「止めよう!改憲発議」「ウソだらけの安倍政権を変えよう」「辺野古新基地建設を止めよう」のプラスターを手渡される。私たち、森友・加計問題の幕引きを許さない会のメンバーは、「1111の財務省前麻生大臣は即刻辞任せよ」集会とデモのチラシ配りと署名活動をすることにしていた。国会正門前と国会図書館前に分かれ、2.5メートルほどの横断幕を持つ者、署名に回る者など、総勢36人。ちなみに、新聞報道によれば、この日の参加者は18000人とのこと。

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  私は国会図書館前で、署名を集めた。少し広めの歩道には、参加者が幾重にも列をなし、立つ者、座り込む者、わずかな通路だけを残して、参加者でいっぱいとなった。趣旨を説明しながら、署名用紙とペンを差し出すと、「アイツの顔は見たくない、声も聞きたくない」「腹立つねェ、まったく、煮えくり返っているョ」と怒りの声がビンビンと返ってくる。少々腰痛が心配な私は、申し訳ないながら、集会の途中で失礼した。

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私たちの「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」の横断幕


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国会の正門前の辺りでは、署名する人の列ができたとか・・・。

 去年から今年にかけて、調べ物があって、国立国会図書館にはよく通った。それに、独身時代の11年間、この図書館職員だっただけに、図書館前で、こんな活動するとは思いもよらなかった。出勤・退勤時に組合のビラをもらったり、撒いたりした記憶もよみがえる。私の青春時代は、この図書館にあったのだ。今回も、私たちの会のスタッフとして参加されたMさんとお会いすることができた。Mさんは、同期入館で、定年まで勤められた方だ。またゆっくりお話ししたいな、の思いで、議事堂前を後にした。

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牛の鳴き声を流しながら、議事堂周辺をまわっていた。赤いシートの下には<カウ・ゴジラ>と称して牛の骨格がかたどられ、その足元には本物の牛の頭部の骸骨が揺れていた。

11・11には財務省前に集まろう。

<署名>と<財務省前アピール行動+デモ>の資料一式をまとめたサイト■
  
http://sinkan.cocolog-nifty.com/blog/2018/10/1111-5336-1.html

署名は今からでも間に合います。

  ネット署名はこちら(入力フォーム)

 http://bit.ly/2IFNx0A

  署名用紙はこちら(署名用紙のダウンロード)

 http://bit.ly/2ygbmHe

 

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2018年9月20日 (木)

「没後50年藤田嗣治展」へ出かけました~「戦争画」とは何だったのか(2)

戦争画への評価

藤田の戦争画は、もちろん体験に基づくものでもなく、写実でもなく、「想像」と多様な「技法」の産物であったことはどの評者も認めるところだが、その思想と鑑賞者の受け取り方については、大きく意見が分かれるところである。

その典型的な一つは、今回の藤田展の公式ウェブサイトに岸恵子が寄せている、つぎのような考え方であろう。小難しい言い回しはなく、実に簡明で分かりやすいのは確かだ。

「アッツ島玉砕」を戦争賛歌とし、藤田嗣治さんを去らしめた戦後日本を私は悲しいと思う。戦争悪を描いた傑作なのに。晩年の藤田さんに私は寂しい翳を見た。瞳の奥には希代の才能が生んだ作品群、特に巨大壁画「秋田の行事」の躍動する煌めきも感じた。欧州画壇の寵児ではあっても、日本国籍を離脱するのは辛かったのではないかと、私は想像する。」(岸惠子/女優)

  また、今回の藤田展の監修者でもあり、「作戦記録画」全14点を収録した『藤田嗣治画集』全三巻(小学館 2014年)をまとめた林洋子は、少し前のインタビューで次のように語っている(「『藤田嗣治画集』刊行 作戦記録画全点を初収録」『毎日新聞』夕刊 2014414日)。

「(作戦記録画が)ようやく、『歴史化』が可能になってきたと思います。藤田の作戦記録画をめぐる批判は『森を見て木を見ていない』という印象がありました。一点一点、違うことを冷静に見ていただきたい」「(この10年)絵画技法においては、もっとも研究が進んだ画家になりました」

前述の『朝日新聞』における、いくつかの藤田展紹介記事では、1920年代の「乳白色の裸婦」や敗戦後日本を去り、アメリカを経て、1950年から晩年までのフランスでの作品に焦点が当てられているもので、「作戦記録画」について触れたものは、②「激動の生 絵筆と歩む」のつぎの一カ所だけであった。会場のパネルの「年譜」を見ても、前述のように、やや不明点があるものの簡単な記述であった。

「軍部の要請で、戦意高揚を図るための<作戦記録画>を盛んに描くようになる。終戦後、戦中の国策協力を糾弾される中、49年春に日本を去った。それから二度と祖国に戻ることはなかった」 

藤田の戦争画をめぐっては、古くから、技法に優れ、描法の開拓を評価するが、芸術としての内容、内面的な深まりが見えない、表層的だとかいう指摘や「狂気」にのめり込んだとか、「狂気」を突き抜けたとか、鎮魂の宗教画だとか、さまざまな評価があるようだ。絵画を含め文芸において、技法はあくまでも手段であって、第一義的には、作品の主題、作者の思想の表出が問われるべきではないか。あの凄惨な戦争画が「鎮魂」とは言い難いのではないかと思っている。とくに、当時、藤田自身が新聞紙上で、つぎのようにも述べているところを見るとなおさらである(「戦争と絵画」『東京日日新聞』 1942122日)。

「かかる大戦争のときに現われものは現われ、自滅するものは自滅し、真に実力あり誠心誠意の人のみが活躍出来る。画家としてこの光栄ある時代にめぐりあった私は、しみじみ有難いと思う。(中略)今日の戦時美術はその技巧に於いて、諸種の材料に於いて正銘の日本美術であることは我々の喜びである」

 藤田は、陸軍省や海軍省から戦地へ派遣されるものの戦場に向かうわけではなく、絵具や画材は十分に与えられ、戦局の情報も知り得た制作環境のなかで、描きたいものを描く達成感が得られたのかもしれない。しかし、作品の多くが、現実に、戦意高揚、聖戦貫徹という役割を果たし、国民をミスリードしているという自覚は、なかったのだろうか。自分の戦争画が多くの鑑賞者を動員することを目の当たりにし、国家権力や大衆に迎合することによって、得られたものは、日本での名声であり、海外生活が長かった藤田にしては、「祖国愛」、「日本」への帰属意識だったのかもしれない。

そして、藤田は、敗戦後のGHQへの対応によって、多くの疑念を抱かせた。しかし、戦争画を描いたのは藤田ばかりではなかったのだが、日本の美術界は、画家たちと国家権力、戦時下の美術という基本的な問題を個人の「戦争責任」へと矮小化させ、曖昧なまま戦後を歩み始めたのであった。もちろん画家一人一人の戦争責任は、各人が、その後、戦時下の作品とどう向き合い、処理したのか、以後どんな作品を残したのか、どんな発言をし、どんな生き方をしたのかによって、問われなければならないと思っている。 

戦争画に対するマス・メディアの動向、過去そして現在

先の藤田研究の第一人者と言える林洋子は、作品一点一点の差異を冷静に見る必要を説き、「森を見て木を見ていない」という傾向を嘆くが、私には、藤田作品のテーマの推移、技法の変遷、その時代の言動というものをトータルに振り返る必要があるのではないかと思っている。むしろ「木を見て、森を見ない」、技法偏重の論評が多くなっていることがみてとれる。それが、大きな流れとなって「戦争画」評価の着地点をいささか緩慢に誤らせてしまっているような気がする。

さらに、敗戦後、73年を経て、戦争体験者、戦時下の暮しを知らない人々、戦後生まれがすでに83%を占めるに至り、美術史上、戦争画への評価は、大きく変わりつつあるのか、それとも、変わり得ない何かがあるのか。門外漢ながら、昨今の動きが、私には、とても気になっている。

今回の藤田展の主催者として、朝日新聞社とNHKが並んでいる。戦時下の朝日新聞社は、「戦争画」の展覧会を幾度となく主催している。この二つの事実は決して無関係なこととは思われないのだ。

<朝日新聞社主催の戦争画展>

19385月 東京朝日新聞創刊50周年戦争美術展(於東京府美術館、朝日新聞社主催)

19397月 第1回聖戦美術展(於東京府美術館、朝日新聞社・陸軍美術協会主催)

19417月 第2回聖戦美術展(於上野日本美術協会、朝日新聞社・陸軍美術協会主催)

19419月 第1回航空美術展(於日本橋高島屋、朝日新聞社・大日本航空美術協会主催)

19429月 第2回航空美術展(於日本橋高島屋、朝日新聞社・大日本航空美術協会・大日本飛行協会主催)

194212月 第1回大東亜戦争美術展(於東京府美術館、朝日新聞社主催)

19439月 第2回航空美術展(於日本橋高島屋、朝日新聞社・大日本航空美術協会・大日本飛行協会主催)

194312月 第2回大東亜戦争美術展(於東京府美術館、朝日新聞社主催)

19443月  陸軍美術展(於東京都美術館、朝日新聞社・陸軍美術協会主催)

19445 月 第8回海洋美術展(於東京都美術館、朝日新聞社・大日本海洋美術協会・海洋協会主催)

19454月 戦争記録画展(於東京都美術館、朝日新聞社・陸軍美術協会・日本美術報国会主催)

「戦争/美術 関連年表19361953」(長門佐季編)『戦争/美術19401950モダニズムの連鎖と変容(展覧会図録)』( 於神奈川県立美術館葉山 1913年)より作成 

なお、このほかにも、さまざまな戦争画展は開催されているが、突出しているのは朝日新聞社で、他の東京日日新聞、読売新聞などとの激しい競争と陸軍・海軍同士の確執も加わっての結果らしい(河田明久「作戦記録画をめぐる思惑のあれこれ」『戦争/美術19401950モダニズムの連鎖と変容(展覧会図録)』2013年)。さらに言えば、敗戦直後、藤田の戦争責任を糾弾する宮田重雄「美術家の節操」を掲載したのも『朝日新聞』(19451014日)であったのである。

 また、NHKには、戦争画周辺をテーマにした番組や藤田をテーマにした番組も多い。最近だけでも、私自身がみた番組を中心に、ネットでも確認できたものを加えるが、もちろん網羅性はないので、もっとあるのかもしれない。

<最近のNHK藤田嗣治関係番組>(  )内は出演者
1999923日「空白の自伝・藤田嗣治」NHKスペシャル(藤田君代、夏堀全弘)
2003127日「さまよえる戦争画~従軍画家の遺族たちの証言」NHKハイビジョンスペシャル(藤田嗣治、小磯良平、宮本三郎らの作品紹介と遺族たちと小川原脩の証言)
2006416日「藤田嗣治~ベールを脱いだ伝説の画家」NHK教育テレビ新日曜美術館(立花隆)
2012711日「極上美の饗宴 究極の戦争画 藤田嗣治」NHKBS(笹木繁雄、菊畑茂久馬、司修、アッツ島生存者、サイパン島住民生存者、東京国立近代美術館美術課長蔵屋美香)
2012826日「藤田嗣治―玉砕の戦争画」NHK日曜美術館(笹木繁雄、菊畑茂久馬、司修、野見山暁治)
20151217日「英雄たちの選択・アッツ島玉砕の真実」NHKBSプレミアム201898日「特集・よみがえる藤田嗣治―天才画家の素顔」NHK総合
201899日「知られざる藤田嗣治―天才画家の遺言」NHK日曜美術館

 こうしてみるとこの20年間に、再放送を含めると、20本近い関連番組が流れていることになる。NHKは、一人の画家についての取材を続け、繰り返し放送していたことになる。1999年「空白の自伝・藤田嗣治」、ハイビジョンスペシャル「画家藤田嗣治の二十世紀」(未見、未確認)の制作を担当した近藤文人は、『藤田嗣治<異邦人>の生涯』(講談社 2002年、2008年文庫化)という本まで著している。近藤は、先行研究に加えて、当時未刊だった夏堀全弘「藤田嗣治論」(『藤田嗣治芸術試論』三好企画 2004年公刊)、藤田の日記などの未公開資料を読み込み、藤田君代夫人(19112009)へのインタビューを重ねた上で、書き進めている。藤田自身の日記や夫人のインタビューに拠るところが多い部分は、どうしても身内の証言だけに、客観性、信ぴょう性に欠ける部分が出てくるだろうし、当時は存命だった夫人への配慮がある執筆部分も散見できる。その後の関連番組は、そのタイトルからも推測できるように、藤田のさまざまな側面から、その作品や生涯にアプローチしていることがわかる。戦争画への言及は、そのゲストの選択から見ても分かる通り、むしろ薄まってゆき、というより、再評価への道筋をつけている。この間、2006年には、NHKは「パリを魅了した異邦人 生誕120年藤田嗣治展」を東京国立近代美術館、日本経済新聞社と主催している。グローバルに、華やかな活躍をした<伝説>の画家としての部分がクローズアップされ、今回の没後50年の藤田展に繋がる軌跡をたどることができる。もはや「戦争責任」はそれとなくスルーしてもよいというムードさえ漂わせる論評も多くなったのではないか。上記に見るような、朝日新聞やNHKの番組で繰り返されるメッセージが、その手助けをしてはいないか、いささか恐ろしくなってくるのである。しかも、『朝日新聞』、NHKに限らないのだ。 

 網羅性はないが、私の「戦争と美術」のスクラップブックを繰り始めて、気が付いたことがある。2006年の生誕120年の藤田展に関して、北野輝「藤田嗣二と戦争責任」上下(『赤旗』2006912日・13日)において、この藤田展が藤田芸術の全貌に触れる機会になったことは歓迎するが、「藤田の再評価」「手放しの賛美」や戦争画の「意味を欠いた迫真的描写」の凄惨嗜好が玉砕美化への同調となり、現実の人間の命や死への無関心を助長しないかという問いかけがなされていた。それが、同じ『赤旗』における、今回の藤田展評は、「没後50年藤田嗣治展 多面的な画作の軌跡 漂泊の個人主義的コスモポリタン」(武居利史、201894日)と題して、作品の成り立ち、創意工夫に着目する。作戦記録画の出品は二点のみで「代わりに展示で充実するのは、戦後米国経由で渡仏して20年間の仕事だ」とした上で、「藤田の生き方は、国粋主義的ナショナリストというより、個人主義的コスモポリタンに近い。美術のグローバル化を先取りした画家といえよう」と締めくくる。 二人の執筆者は、ともに敗戦後設立された「日本美術会」に属し、美術の自立、美術界の民主化活動に励んでいる人たちである。執筆者の世代の相違なのか、その基調の変化にいささか驚いたが、共産党の昨今の動向からいえば、不思議はない。しかし、追悼50年の「大回顧展」なのだから、その作品を、生涯を、トータルに検証すべきではなかったのか。

こうした傾向については、何も美術界の傾向に限らず、他の文芸の世界でも、私が、その端っこに身を置く短歌の世界でも、同様なことが言える。いまさら「戦争責任」を持ち出すことは、まるで野暮なことのように、戦時下に活躍した著名歌人たち、自らの師匠筋にあたる歌人たちが、時代や時局に寄り添うことには寛容なのである。ということは、そうした歌人たち自身の国家や社会とのかかわりにおいても、抵抗というよりは、少しでも心地よい場所を探っていくことにもつながっているのではないか、と思うようになった。

なお、藤田に関わる資料をひっくり返しているなかで、ある写真集というか、訪問記を思い出した。それは、毎日新聞のカメラマンであった阿部徹雄の1952年のマティス ヴラマンクそしてフジタ』(阿部力編刊 2016年)であった。これは、ご子息がまとめ、解説も書いている。1952年の三人の画家の訪問記であった。精選された写真は、アトリエだったり、家族との団らんであったり、これまで、あまり見たことがなく、その日常が興味深く思えた。とくに、モンパルナスの藤田の住居兼アトリエ(カンパニュ・プルミエール通り23)、1952年と言えば日本を離れて間もない藤田65歳のころである。19521011日・14日・20日の三回訪問している。その取材ノートの部分には、藤田夫妻の日常と実に率直な感想が記されていた。日常の買い物などは藤田がこなしていることや夫人は「家の中ばかりいて、外の空気に触れない人らしい。藤田さんという人は本当に奥さん運のない人だ。気の毒な位芸術の面がそのことでスポイルされているように見えた。この人の芸術的センスに良妻を与えたいものだ」とのメモもある。 

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写真集の表紙(右)と裏表紙。チラシより

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チラシの裏

 

 藤田の没後、君代夫人については、藤田作品の公表・著作権、伝記、取材などをめぐる各方面とのトラブルが伝えられているが、当時も、その一端をのぞかせていたようで、かなり起伏の激しいことが伺われた。藤田夫妻のツーショット写真もあるが、「19521014日談笑する藤田さんと君代夫人。君代夫人は化粧をして、機嫌よい姿を見せてくれた。」との添え書きもある。

なお、カメラマンの阿部徹雄(1914‐2007)が、私がポトナム短歌会で師事した阿部静枝の夫阿部温知の甥にあたる人であることを知ったのは、ごく最近である。それというのも、静枝の遠縁にあたる仙台の方とブログを通じて知り合い、ご教示いただいた。この写真集も、彼女を通じて頂戴したものである。

なお、阿部徹雄の作品の一部は、毎日新聞社のフォト・バンクの「阿部徹雄コレクション」(戦時下を含め約900)に収められている。

https://photobank.mainichi.co.jp/php/KK_search.php

 

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